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ソ蒙相互援助議定書

索引 ソ蒙相互援助議定書

蒙相互援助議定書(ソもうそうごえんじょぎていしょ、Протокол Взаимпомощи между Союзом Советских Социалистических Республик и Монгольской Народной Республикой)は、1936年、ソビエト連邦とモンゴル人民共和国の間で結ばれた同盟条約である。事実上、日本及び満州国を仮想敵国とした。.

13 関係: ペルジディーン・ゲンデンノモンハン事件モンゴル国ホルローギーン・チョイバルサンコミンテルンの年表ソビエト連邦の外交関係ソ蒙友好協力相互援助条約蒙古地方満州里会議日ソ国境紛争日満議定書1936年3月12日

ペルジディーン・ゲンデン

ペルジディーン・ゲンデン(ゲンドゥン、Пэлжидийн Гэндэн、1892年/1895年 - 1937年11月26日)は、モンゴル人民共和国の政治家。国家小会議幹部会議長(国家元首)、首相を歴任した。.

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ノモンハン事件

ノモンハン事件(ノモンハンじけん)は、1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争のこと。1930年代に日本(大日本帝国)とソビエト連邦の間で断続的に発生した日ソ国境紛争(満蒙国境紛争)のひとつ。満州国軍とモンゴル人民共和国軍の衝突に端を発し、両国の後ろ盾となった大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍が戦闘を展開し、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となった。.

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モンゴル国

モンゴル国(モンゴルこく、Монгол Улс)、通称モンゴルは、東アジア北部に位置する国家。東と南の二方向を中華人民共和国(中国)・内モンゴル自治区と、西を中国・新疆ウイグル自治区、北をロシア連邦とそれぞれ接する内陸国。首都はウランバートルである。 モンゴル民族の居住地域であるモンゴル高原のうち、清国支配下において中国語で外蒙古(がいもうこ、そともうこ)と呼ばれたゴビ砂漠以北の一帯にほぼ該当する領域を国土とする。これに対し、南部の一帯が内蒙古で、現在は中国領とされており、「蒙古族」(中国国籍のモンゴル人)のための「民族区域自治」単位として内モンゴル自治区等が置かれる事で実効支配されている。.

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ホルローギーン・チョイバルサン

ホルローギーン・チョイバルサン(モンゴル語:、Хорлоогийн Чойбалсан、Khorloogiin Choibalsan、光緒21年1月14日(1895年2月8日) - 1952年1月26日)は、モンゴルの革命家、軍人、政治家。自国民を大量粛清した独裁者として知られる。.

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コミンテルンの年表

ミンテルンの年表では、コミンテルンの歴史に関わる出来事を示す。.

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ソビエト連邦の外交関係

ビエト連邦の外交関係(-れんぽう-がいこうかんけい)では、ソビエト連邦(ソヴィエト社会主義共和国連邦、ソ連)がとってきた外交政策について述べる。 なお、ソビエト連邦の国家成立は1922年であるが、ここでは1917年11月のロシア革命によるボリシェヴィキ政権成立からの外交関係を扱う。.

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ソ蒙友好協力相互援助条約

蒙友好協力相互援助条約(ソもうゆうこうきょうりょくそうごえんじょじょうやく)は、ソビエト連邦とモンゴル人民共和国の間に1966年に締結された条約である。ウランバートルにおいて、ソ連共産党第一書記ブレジネフとモンゴル首相ツェデンバルにより署名された。.

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蒙古地方

図の赤いモンゴル国領土と中華民国とロシア連邦の領土係争地である黄色い唐努烏梁海にほぼ重なる領域が蒙古地方。 蒙古地方(もうこ/モンゴル-ちほう)は中華民国が、実効支配できなかったモンゴル北部に対し、領有を主張して名目上設置した省級行政区画。いわゆる外蒙古にダリガンガ牧場、コブド地方等をあわせた範囲に相当し、現在のモンゴル国とロシア連邦トゥヴァ共和国(唐努烏梁海)を含む。地方政府所在地は庫倫(ニースレル・フレー)(現在のウランバートル)。.

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満州里会議

満州里会議(まんしゅうりかいぎ、マンチューリかいぎ)は、モンゴル人民共和国と満州国の国境問題解決のため、1935年から1937年にかけて、数回に亘り満州里で開かれた一連の外交会合である。モンゴル人民共和国と満州国の政府代表が出席する形式で、両国の背後のソビエト連邦政府と日本政府の影響下で外交交渉が行われたが、具体的成果の無いまま途絶した。満蒙会議(まんもうかいぎ)とも呼ばれる。.

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日ソ国境紛争

日ソ国境紛争(にっそこっきょうふんそう)は、1930年代後半を中心に満州で起きた、大日本帝国とソビエト連邦間の国境紛争である。形式的には満州国とソ連、あるいはその衛星国のモンゴル人民共和国の国境が係争地のため、満ソ国境紛争や満蒙国境紛争とも呼ばれる。なお、日本及びソ連では一般に紛争にとどまるものととらえているが、モンゴルではノモンハン事件については戦争と評価している。.

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日満議定書

日満議定書(にちまんぎていしょ)は、1932年9月15日に日本国と満洲国の間で調印された議定書である。 日本側全権は武藤信義陸軍大将(関東軍司令官)、満洲国側は鄭孝胥国務総理。この議定書(条約)では満州国における日本軍の駐屯(2条)が明記され、また溥儀附属文書(交換公文)において満州国国防の関東軍・日本軍への委任が取り決められた。.

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1936年

記載なし。

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3月12日

3月12日(さんがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から71日目(閏年では72日目)にあたり、年末まであと294日ある。.

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