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ジノ・フランチェスカッティ

索引 ジノ・フランチェスカッティ

ノ・フランチェスカッティ (Zino Francescatti、1902年8月9日 - 1991年9月17日)は、フランスのヴァイオリニスト。本名はルネ=シャルル(René-Charles)・フランチェスカッティ マルセイユに生まれる。父フォルトゥナート(Fortunato Francescatti)はヴェローナ生まれで、バッジーニと、パガニーニの門人カミッロ・シヴォリに学んだヴァイオリニストだった。母エルネスタ・フェルー(Ernesta Feraud)はマルセイユの出身だが、父フォルトゥーナの門弟であった。3歳から両親の手ほどきを受けてヴァイオリニストとしての才能を開花させ、5歳でリサイタルを開くまでになった。10歳の時、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と、パガニーニのゴッド・セイヴ・ザ・キング変奏曲を演奏した。その後も父親の指導に従って、マルセイユ音楽院で対位法と和声法を学んだ。一時、法学の道を志したものの、21歳の時に父親が死去したため、家計を助けるためにヴァイオリニストへの道を選び、1924年にパガニーニのヴァイオリン協奏曲第一番を弾いて、パリ・デビューを飾り、ジャック・ティボーの薫陶を受けることになった。 1927年にはティボーの推薦でパリ音楽院のコンサートに出演した。ただし、この年からエコール・ノルマル音楽院の教授を1931年まで務めており、パリ音楽院には入学していない。また、この間に、コンセール・ストララムに団員として加わったほか、ガストン・プーレの主宰していたコンセール・プーレの副コンサート・マスターを務め、1930年にソリストとして独立した。 1939年には渡米してニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団と共演してアメリカデビューを果たし、そのままニューヨークに定住した。 パガニーニの専門家として知られる。超絶技巧の演奏家としてあらゆる協奏作品を録音したが、中でもサン=サーンスの《協奏曲 第3番》、ブルッフの《協奏曲 第1番》、メンデルスゾーンの《協奏曲ホ短調》は高い評価を受けており、フランチェスカッティの特長である、輝かしさと歌うような音色が際立っている。ロベール・カサドシュとは、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの歴史的録音も残した。ブルーノ・ワルターと共演して録音したモーツァルトの協奏曲も人気が高い。また、ワルターとベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を録音しているが、この共演は日本のファンからの希望でもあったという。 しかしながら日本では、フランチェスカッティはミルシテインとともに、来日歴のない往年の名ヴァイオリニストとしても知られている。 ロベール・カザドシュとの共演によるベートーヴェンの「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」の録音は評価が高い。中でも「クロイツェル・ソナタ」の演奏風景は映像化され、近年DVDにも復刻された。 1976年に演奏活動から引退してからは、フランスのラ・シオタに居を構え、その地で没した。.

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ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星の一覧

ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星の一覧(List of stars on the Hollywood Walk of Fame)は、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにのった星をカテゴリや場所別に分類したもの。 なお、この一覧はハリウッドの商工会議所が管理すると一致すべきものであるとされている。.

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レジス・パスキエ

レジス・パスキエ(Régis Pasquier, 1945年10月12日 - )は、フランスのヴァイオリニスト。父のピエール・パスキエ、叔父のジャン、エティエンヌはパスキエ三重奏団の創設者。兄のブルーノ・パスキエはヴィオラ奏者。.

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ロベール・カサドシュ

ベール・カサドシュ(Robert Casadesus, 1899年4月7日 - 1972年9月19日)はフランスのピアニスト・作曲家。日本語ではカサドシュスの表記も見られる。 パリの音楽家一族に生まれる。パリ音楽院でルイ・ディエメに師事して、1913年に首席を、1920年にはディエメ賞を獲得。1921年にピアニストのギャビー夫人と結婚した。1922年からラヴェルと協同してピアノロールへの録音を行い、フランスやスペイン、英国でもラヴェルと共演した。 独奏者として五大陸に現れ、頻繁にギャビー夫人と演奏し、また録音したLP「ラヴェル ピアノ曲全集Ⅰ」(ロベール・カザドシュおよびギャビー・カザドシュ、1984年、CBS/SONY)ライナーノーツ(小石忠男)。門人にモニク・アースやクロード・エルフェがいる。1935年からフォンテーヌブローのアメリカ音楽院で教鞭を執り、第二次世界大戦中は米国に亡命した。戦後は1950年に帰国し、1952年までアメリカ音楽院の院長となった。 カサドシュの演奏様式は古典的で、抑制が効いている。ラヴェル作品のほか、ジノ・フランチェスカッティとの共演によるベートーヴェンの「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」の録音は評価が高い。中でも「クロイツェル・ソナタ」の演奏風景は映像化され、近年DVDにも復刻された。自作の録音でもフランチェスカッティと共演した。 カサドシュは、ギャビー夫人と息子ジャンとの共演により、モーツァルトの《2台ピアノのための協奏曲》や《3台ピアノのための協奏曲》も録音した。協奏的作品の録音は、ダンディの《フランス山人の歌による交響曲》やラヴェルの協奏曲もあり、それらはコロンビア交響楽団や、ジョージ・セル指揮によるクリーヴランド管弦楽団、ユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団との共演によって行った。カイルベルト指揮バイエルン放送交響楽団との共演による最晩年のライブ録音も、近年になって復刻された。 作曲家としては7曲の交響曲、3曲のピアノ協奏曲、多数の室内楽曲などを残している。.

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ヴァイオリニスト

ヴァイオリニスト(violinist)は、ヴァイオリンの演奏家のこと。.

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ニコロ・パガニーニ

ニコロ・パガニーニ(Niccolò(あるいはNicolò) Paganini, 1782年10月27日 - 1840年5月27日)はイタリアのヴァイオリニスト、ヴィオリスト、ギタリストであり、作曲家である。特にヴァイオリンの超絶技巧奏者として名高い。.

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エコールノルマル音楽院の人物一覧

ールノルマル音楽院の人物一覧は、エコールノルマル音楽院に関係する人物の一覧記事。.

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クラシック音楽の演奏家一覧

ラシック音楽の演奏家一覧では、著名なクラシック音楽の演奏家を、楽器別、生年順に列挙する。.

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ジェラール・プーレ

ェラール・プーレ(Gérard Poulet、1938年 - )は、フランスのヴァイオリン奏者。.

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1902年

記載なし。

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1991年

この項目では、国際的な視点に基づいた1991年について記載する。.

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1991年の音楽

1991年の音楽(1991ねんのおんがく)では、1991年(平成3年)の音楽分野に関する出来事について記述する。 1990年の音楽-1991年の音楽-1992年の音楽.

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9月17日

9月17日(くがつじゅうななにち、くがつじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から260日目(閏年では261日目)にあたり、年末まであと105日ある。.

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