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アルバの聖母

索引 アルバの聖母

『アルバの聖母』(アルバのせいぼ、(Madonna d'Alba, Alba Madonna))は、盛期ルネサンスの画家ラファエロ・サンティが、1510年に描いた絵画。聖母マリアと幼児キリスト、幼児洗礼者聖ヨハネを典型的なイタリアの田園風景を背景に描いた作品である。ヨハネはキリストに向けて十字架を掲げ、キリストはその十字架を握りしめており、そしてマリアも含めて描かれている三人全員が十字架を見つめている。絵画構成としては、三人の人物がすべて画面左に集められているが、画面右に向けられたマリアの左腕と波打つマリアの上着とが作品全体のバランスをとっている。 『アルバの聖母』は、ノーチェラ・ディ・パガーニのオリヴェターニ教会への献上用にパオロ・ジョヴィオがラファエロに依頼した作品だった。その後、18世紀中にはスペイン貴族のアルバ家が所有していたことから『アルバの聖母』と呼ばれるようになった。1836年にロシア皇帝ニコライ1世が、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館の前身である王室コレクションの目玉作品として購入した。さらにおよそ1世紀後のロシア革命で成立したソヴィエト政府が、財政難からエルミタージュ美術館所蔵の絵画作品を秘密裏に諸外国へ売却し、『アルバの聖母』もこのときにアメリカ人実業家アンドリュー・メロンが購入した作品である。大富豪で美術品コレクターでもあったメロンは、新たな美術館ナショナル・ギャラリー・オブ・アートの建設費用を遺贈し、さらに自身の絵画コレクションを新設されるナショナル・ギャラリー・オブ・アートへ寄付した。それ以来『アルバの聖母』はワシントン D.C. のナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所蔵している。 もともと『アルバの聖母』は円形の板に油彩で描かれた板絵だったが、エルミタージュ美術館に所蔵されていた19世紀初めに正方形のキャンバスへと移植された。これは、もともとの支持体であった板の中央と右側に大きな亀裂が入っていたことによる。キャンバスに移植された現在でも、背景の風景画部分の最右側に移植の過程で損傷したと見られる跡が残っている。.

3 関係: ラファエロ・サンティアルドブランディーニの聖母ソ連政府のエルミタージュ美術品売却

ラファエロ・サンティ

ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi、 1483年4月6日 - 1520年4月6日)は、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家。一般的には単にラファエロと呼ばれ、日本ではラファエッロ、ラファエルロ、ラファエル(Raphael)などという表記ゆれが見られる。ラファエロの作品はその明確さと分かりやすい構成とともに、雄大な人間性を謳う新プラトン主義を美術作品に昇華したとして高く評価されており、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、盛期ルネサンスの三大巨匠といわれている。 ラファエロは異例なほどに大規模な工房を経営しており、37歳という若さで死去したとは考えられないほどに多数の作品を制作した。多くの作品がヴァチカン市国のヴァチカン宮殿に残されており、とくに「ラファエロの間」と総称される4部屋のフレスコ画は、ラファエロの最盛期作品における最大のコレクションとなっており、もっとも有名な作品の一つの『アテナイの学堂』も「ラファエロの間」のうち「署名の間」と呼ばれる部屋のフレスコ壁画である。ローマでの活動時代初期に描かれた作品の多くは、デザインこそラファエロのものだが、下絵以外の大部分は工房の職人が手がけたもので、ラファエロが最後まで自身で手がけたものよりも品質の面で劣るといわれている。ラファエロは存命時から高い評価を受けた影響力の高い芸術家だったが、ローマ以外の地ではラファエロの絵画やドローイングをもとにした版画でよく知られていた。ラファエロの死後、年長だが長命を保ったミケランジェロの作品が18世紀から19世紀にいたるまで西洋絵画界により大きな影響を与え続けたが、ラファエロの穏やかで調和に満ちた作品も非常に優れた模範的作風であると評価されていた。 マニエリスム期の画家、伝記作家ヴァザーリの著作『画家・彫刻家・建築家列伝』の記述を嚆矢として、ラファエロのキャリアは3期に大別されることが多い。ウルビーノで活動していたキャリア初期、フィレンツェの伝統的絵画の影響が見られる1504年から1508年にかけての4年間、そして死去するまでの二人のローマ教皇とその側近に緊密な後援を受けていたローマでの輝ける12年間である。.

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アルドブランディーニの聖母

『アルドブランディーニの聖母』(アルドブランディーニのせいぼ、(Madonna Aldobrandini、Aldobrandini Madonna))は、盛期ルネサンスの画家ラファエロ・サンティが描いた絵画。板に油彩で描かれた板絵で、ラファエロが多く描いた、聖母マリア、幼児キリスト、幼児洗礼者聖ヨハネの三人をモチーフとした作品の一つである。ラファエロのキャリアにおけるローマ時代といわれる時期の初めごろに描かれた作品で、色使い、自然物の取り入れ、画面構成手法など、それまでのウルビーノ時代、フィレンツェ時代と呼ばれる時期の作品とは異なった、ラファエロの後期作品の典型ともいえる作風で描かれた作品となっている。 『アルドブランディーニの聖母』は数世紀にわたってローマの貴族アルドブランディーニ家 (en:Aldobrandini family) が所蔵しており、1865年からはロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている。ナショナル・ギャラリーに売却される以前は50年にわたってガルヴァ男爵家が所蔵していたこともあって、『ガルヴァの聖母』と呼ばれることもある。.

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ソ連政府のエルミタージュ美術品売却

この項目では1930年から1931年にかけて、ソビエト連邦(当時)がレニングラード(当時)のエルミタージュ美術館に所蔵されていた美術品の一部を西側の美術館などに売却した結果、最も価値の高い何点かの絵画がソ連国内から散逸した事件を取り扱う。何点かの絵画はエカチェリーナ2世の時代にエルミタージュ美術館が創設された時からのコレクションだった。.

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