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アララギ

索引 アララギ

『アララギ』(あららぎ)は日本の短歌結社誌。1903年(明治36年)に伊藤左千夫をはじめとした正岡子規門下の歌人らが集まった根岸短歌会の機関誌『馬酔木』を源流とし、1908年(明治41年)に左千夫や蕨真一郎を中心に『阿羅々木』として創刊。翌年、島木赤彦が創刊した『比牟呂』と合併し、『アララギ』と改題された。.

160 関係: 加藤治郎 (歌人)原知一原阿佐緒あららぎかの香織千葉県出身の人物一覧南原繁古泉千樫双六岳同人吉田正俊吉田武 (歌人)吉田漱吉野秀雄坪野哲久塔 (短歌結社)大原寿恵子大塚金之助大島史洋大熊信行大黒富治安嶋弥富士見駅小島恒久小谷心太郎小池潜小泉苳三山口茂吉山形敞一山武市山武町岡井隆岡麓岡野雄一岡櫟仙院島田章三島木赤彦川井訓導事件上田三四二中部短歌会中村徳也中村憲吉常総市布野村三ヶ島葭子三次市三浦光世下諏訪町平福百穂二・四事件...広島県立三次高等学校広野三郎五島茂五味保義五味智英今井邦子伊藤左千夫伊藤生更住友友成住友吉左衛門住友家佐藤さとる佐藤佐太郎佐藤志満徳田白楊志田周子土屋文明土田耕平北原白秋ムクゲ初井しづ枝別所直樹ガダルカナル島の戦い内田弘内藤卯三郎写生出口王仁三郎八木沼丈夫前田夕暮倉田百三短歌石原純理科ハウス福井県出身の人物一覧福井県立藤島高等学校の人物一覧福田須磨子秋田蘭画秋葉四郎細谷雄太細谷雄二猪股静弥結城哀草果結社田原市田川飛旅子田中冬二田中順二田井安曇田村栄 (文芸評論家)白樺派芳賀秀次郎西角井正慶西郷信綱馬酔木 (短歌雑誌)香取秀真香川美人香川末光諏訪湖博物館高安国世鳥海昭子鹿児島寿蔵近藤芳美鈴木しづ子鈴木光男赤木健介鵜飼康東藤森朋夫金原省吾金子健造 (夢短歌会)蕨真一郎長塚節長澤一作雁部貞夫雲取越え折口信夫柴生田稔松井芒人村山道雄杉浦翠子杉浦非水杉浦明平根岸短歌会森誓夫森本元子森本治吉権藤花代樋口覚橘曙覧正岡子規永井隆 (医学博士)河野愛子泰阜村渡辺直己清水建設清水房雄渋柿木下利玄未来 (短歌結社)月に吠えらんねえ星野徹明治大学の人物一覧斎藤喜博斎藤茂吉斎藤正二新古今和歌集日本 (新聞)日本の近現代文学史日本歌人クラブ評論賞扇畑忠雄1908年 インデックスを展開 (110 もっと) »

加藤治郎 (歌人)

加藤 治郎(かとう じろう、1959年11月15日 - )は、日本の歌人。歌誌「未来」選者。.

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原知一

原 知一(はら ともかず、1910年5月 - 2004年3月31日)は、日本の歌人、作詞家。山形市出身。.

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原阿佐緒

原 阿佐緒(はら あさお、女性、1888年6月1日 - 1969年2月21日)は、日本の歌人である。本名原 浅尾(はら あさお)。.

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あららぎ

記載なし。

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かの香織

かの 香織(かの かおり、Caoli Cano、1963年11月1日 - )は、日本の女性シンガーソングライター・日本酒醸造家。 近年は作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、ナレーター (テレビコマーシャルが中心)としての活動も多い。宮城県栗原郡高清水町(現在の栗原市)出身。実家は造り酒屋であり、「はさまや酒造店」の12代目蔵人・泉薫子として酒造りに携わっている。.

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千葉県出身の人物一覧

千葉県出身の人物一覧(ちばけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する千葉県出身の人物の一覧である。.

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南原繁

南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日 - 1974年〈昭和49年〉5月19日)は、日本の政治学者。東京帝国大学の総長を務めた。東京大学名誉教授。.

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古泉千樫

古泉 千樫(こいずみ ちかし、1886年9月26日 - 1927年8月11日)は、日本の歌人。本名は幾太郎。 貧困と病弱に苦しみながら創作を続けたことで知られる。.

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双六岳

双六岳(すごろくだけ)は、長野県大町市と岐阜県高山市にまたがる飛騨山脈の裏銀座の主稜線に位置する標高2,860 mの山である。双六岳を含む飛騨山脈の主な山域は1934年(昭和9年)12月4日に中部山岳国立公園の指定を受けている山頂部の高山帯を含も大部分の山域は中部山岳国立公園の特別保護地区、南西山腹の区域はその特別地域の指定を受けている。。花の百名山田中澄江 (1997)、232-234頁、ぎふ百山岐阜県山岳連盟 (1987)、新高山市100景の一つに選定されている。.

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同人

同人(どうじん)とは、同じ趣味や志をもった人、仲間、集団ないし共同体のことである。「(同人誌即売会などでの発表を前提に)同人誌や同人ゲームなどの同人作品を製作するために結成された団体」を指す言葉については「同人サークル」を参照。.

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吉田正俊

吉田 正俊(よしだ まさとし、1902年4月30日 - 1993年6月23日)は、歌人、実業家。 福井県出身。福井中学校(現福井県立藤島高等学校)、東京帝国大学法学部卒業。石川島造船所自動車部門に入社し、のちにいすゞ自動車専務を務めた。1925年「アララギ」に入会、土屋文明に師事し、のち選者、発行人。1976年『流るる雲』で第27回読売文学賞、1988年『朝の霧』で第23回迢空賞受賞。1993年、歌会始召人。.

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吉田武 (歌人)

吉田 武(よしだ たけし、1911年6月27日 - 1990年4月13日)は、昭和時代後期日本の歌人。福島県出身。.

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吉田漱

吉田 漱(よしだ すすぐ、1922年3月11日 - 2001年8月21日)は、日本の歌人、浮世絵研究家。筆名・利根光一。.

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吉野秀雄

吉野 秀雄(よしの ひでお、1902年(明治35年)7月3日 - 1967年(昭和42年)7月13日)は、近代日本の歌人、書家、文人墨客。号は艸心。多病に苦しみながら独自の詠風で境涯の歌を詠んだ。.

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坪野哲久

坪野哲久(つぼの てっきゅう、1906年9月1日-1988年11月9日)は、日本の歌人。本名、坪野久作。妻は歌人の山田あき。.

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塔 (短歌結社)

『塔』(とう)は、短歌結社「塔短歌会」が発行する月刊の短歌結社誌。1954年創刊。アララギ系の歌誌の一つ。.

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大原寿恵子

大原 寿恵子(おおはら すえこ、1883年 - 1930年)は、アララギ派の歌人で、実業家大原孫三郎の妻。旧姓は石井(スエ)。 広島県生まれ。1901年(明治34年)、岡山孤児院を創設した石井十次の紹介で大原孫三郎と結婚。大原総一郎は長男。.

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大塚金之助

大塚 金之助(おおつか きんのすけ、1892年5月15日 - 1977年5月9日)は日本の経済学者。一橋大学名誉教授。近代経済学から始め、ベルリン大学留学後、マルクス経済学者となり、治安維持法で検挙された。日本の降伏後復帰し、日本学士院会員、日本ドイツ民主共和国友好協会会長等を務めた。フンボルト大学名誉哲学博士、ドイツ国立図書館名誉終身閲覧者。.

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大島史洋

大島 史洋(おおしま しよう、1944年7月24日 - )は、歌人。本名読み、ふみひろ。岐阜県中津川市出身。歌誌「未来」選者・運営委員長。現代歌人協会理事長。歌人としての実作活動のみならず、「未来」誌の編集実務を取り仕切る編集者としても活躍。マガジンハウスで「鳩よ!」などの編集長を務めた大島一洋は兄。.

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大熊信行

大熊 信行(おおくま のぶゆき、1893年2月18日 - 1977年6月20日)は、経済学者、評論家、歌人。福田徳三門下。.

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大黒富治

大黒 富治(おおぐろ とみじ、1893年11月15日 - 1965年12月18日)は秋田県出身の歌人、農業研究家。旧姓丹波。 (昭和28年、仁別務沢、植物園にて撮影).

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安嶋弥

安嶋 弥(安嶋 彌、やすじま ひさし、1922年9月23日 - 2017年12月9日)は、日本の文部官僚、歌人、教育学者。.

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富士見駅

駅舎内 富士見駅(ふじみえき)は、長野県諏訪郡富士見町富士見にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)中央本線の駅である。 特急「スーパーあずさ」はすべて通過するが、特急「あずさ」の一部とすべての普通列車が停車する。塩尻方面への折り返しの列車が少数ながら設定されている。.

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小島恒久

小島 恒久(こじま つねひさ、1926年 - )は、日本の経済学者、社会運動家。九州大学名誉教授、元社会主義協会代表、元労働者運動資料室理事長。 1926年佐賀県生まれ。1945年長崎経済専門学校在学中に原爆に被爆。1950年九州大学経済学部卒業、続いて大学院特別研究生となり向坂逸郎に師事。1955年より九州大学教養部に勤務、経済学を講じる。講師、助教授、教授を務め、1989年に定年で退官。続いて熊本学園大学教授となり、1996年まで勤務し再度の定年で退職。 九州大学在職中、三井三池炭鉱・四山鉱の労働者教育に関わるなど、研究、社会活動の両面で向坂逸郎の志を積極的に継承する。1998年より2014年まで、社会主義協会代表を務める。『日本資本主義論争史』(ありえす書房)は、労農派の立場からの数少ない日本資本主義論争の概括である。1998年より社会主義協会代表となる。2014年社会主義協会代表を引退し、顧問となる。アララギ派の歌人でもあり、2006年度福岡市文学賞を受賞。その歌は朝日新聞「折々の歌」で紹介された。.

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小谷心太郎

小谷 心太郎(こたに しんたろう、1909年1月18日 - 1985年6月18日)は、岡山県出身の昭和時代の歌人。 福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)卒業後、東京帝国大学へ進み、東大在学中に「アララギ」に入会。斎藤茂吉に師事。終戦の後「新泉」、「アザミ」に入り活動する。 1977年に「宝珠」で第4回日本歌人クラブ賞を受賞。1985年死去、享年76。.

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小池潜

小池 潜(こいけ ひそむ、1938年 - )は、岐阜県吉城郡上宝村(現在の高山市)出身で高山市在住の山岳写真家。日本大学理工学部を卒業とともに小池義清(父)の後を継ぎ、北アルプスの双六小屋、鏡平山荘、わさび平小屋)を経営。1988年からは黒部五郎小舎も経営する。そのかたわら、山岳写真を撮り続け、作品を雑誌やカレンダーなどに多数発表。日本山岳写真協会会員、日本山岳会会員。.

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小泉苳三

小泉苳三(こいずみ・とうぞう、1894年4月4日 - 1956年11月27日)は大正・昭和期日本の歌人、国文学者。本名は小泉藤造。別号は小泉藤三。.

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山口茂吉

山口 茂吉(やまぐち もきち、1902年4月11日 - 1958年4月29日)は、昭和期の日本の歌人。.

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山形敞一

山形 敞一(やまがた しょういち、1913年 - 1998年9月14日)は、日本の内科医。専門は、消化器病学(特に膵臓疾患)。東北大学名誉教授。勲二等瑞宝章。.

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山武市

山武市(さんむし)は、千葉県東部の市である。.

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山武町

山武町(さんぶまち)は、千葉県山武郡にあった町である。.

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岡井隆

岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 - )は、日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。.

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岡麓

岡 麓(おか ふもと、1877年(明治10年)3月3日 - 1951年(昭和26年)9月7日)は、歌人、書家。東京本郷生まれ。本名・三郎。 東京府立一中(現東京都立日比谷高等学校)中退。1899年(明治32年)正岡子規に入門、1903年(明治36年)「馬酔木」編集同人となる。長塚節、斎藤茂吉らと知り、1916年(大正5年)より『アララギ』に歌を発表。26年処女歌集『庭苔』を刊行、戦後1948年(昭和23年)日本芸術院会員。.

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岡野雄一

岡野 雄一(おかの ゆういち、1950年1月11日 - )は、日本の漫画家。自著においては自身のことをペコロスと名乗る。既婚で息子がいる。.

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岡櫟仙院

岡 櫟仙院(おか れきせんいん、文化12年(1815年) - 明治26年(1893年)10月)は、江戸時代末期の幕府医官。明治初期の宮中侍医。名は鳳、通称は良允。号は桐蔭。徳川家定晩年の主治医。.

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島田章三

島田 章三(しまだ しょうぞう、1933年7月24日 - 2016年11月26日)は、日本の洋画家、版画家。愛知県立芸術大学学長。兄は歌人の島田修二。.

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島木赤彦

下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館) 島木 赤彦(しまき あかひこ、1876年(明治9年)12月16日 - 1926年(大正15年)3月27日)は、明治・大正時代のアララギ派歌人。本名は久保田俊彦。別号、柿乃村人。.

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川井訓導事件

川井訓導事件(かわいくんどうじけん)とは、1924年(大正13年)に、長野県の松本女子師範附属小学校の訓導であった川井清一郎が、修身の授業で国定教科書を用いなかったことを理由に休職処分とされ、退職に追い込まれたこと、また、これに関係した教育界における論争など、一連の動きを指す。大正自由教育運動に対する弾圧事件の代表的事例、教科書不使用を理由に教員が厳罰に処された事件の典型例とされ、事件の背景には大正自由教育が「赤化思想」の温床とみなされていたことが指摘されている。.

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上田三四二

上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月21日 - 1989年(平成元年)1月8日)は、日本の歌人、小説家、文芸評論家。.

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中部短歌会

中部短歌会(ちゅうぶたんかかい)は、日本の短歌結社。毎月、歌誌『短歌』を発行する。.

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中村徳也

中村 徳也(なかむら とくや、1895年6月10日 - 1939年10月28日)は、日本の歌人である。.

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中村憲吉

中村 憲吉(なかむら けんきち、1889年5月14日 - 1934年5月5日)は、歌人。 広島県三次郡上布野村(現・三次市)生まれ。三次中学、七高、東京帝国大学法科大学経済科卒。大阪毎日新聞の経済部記者を経て、実家の酒造業に携わる。伊藤左千夫に師事。1909年『アララギ』に参加、斎藤茂吉や古泉千樫らと交流を持つ。1913年島木赤彦との合著歌集『馬鈴薯の花』刊行。『中村憲吉全集』がある。1934年、肺結核と急性感冒のため尾道市の仮寓で死去。戒名は林泉院釈浄信憲吉居士。 広島県尾道市に保存されている中村憲吉旧居.

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常総市

常総市(じょうそうし)は、茨城県南西部にある市である。.

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布野村

布野村(ふのそん)は、かつて広島県双三郡に存在した村。 市町村制施行(1889年4月1日)当時から115年間単独村政を貫いてきたが2004年4月1日に三次市と甲奴郡甲奴町、双三郡の全6町村(吉舎・三良坂・三和各町および君田・作木・布野各村)が対等合併して改めて三次市が設置されたことに伴い消滅した。.

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三ヶ島葭子

三ヶ島 葭子(みかじま よしこ、本名:三ヶ島よし→倉片よし、1886年(明治19年)8月7日 - 1927年(昭和2年)3月26日)は、日本の女流歌人。生涯で6000首以上の短歌を残したという。 俳優の左卜全(本名:三ヶ島一郎、1894年 - 1971年)は、異母弟にあたる。.

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三次市

三次市(みよしし)は、広島県の北部に位置する市。.

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三浦光世

三浦光世(みうら みつよ、1924年4月4日 - 2014年10月30日)は東京都生まれ、北海道出身の歌人。小説家・三浦綾子の夫であり、財団法人三浦綾子記念文化財団理事長、三浦綾子記念文学館館長を務めた。.

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下諏訪町

下諏訪町(しもすわまち)は、長野県諏訪郡の町。平安時代には土武郷と呼ばれていた。 諏訪湖や八島ヶ原湿原、下諏訪温泉、諏訪大社などがある観光地かつ鳥居前町。かつては中山道、甲州街道が分岐する宿場として栄えていた。.

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平福百穂

平福百穂(ひらふく ひゃくすい、1877年(明治10年)12月28日 - 1933年(昭和8年)10月30日)は、日本画家、歌人。.

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二・四事件

二・四事件(にいよんじけん)は、1933年2月4日から半年あまりの間に、長野県で多数の学校教員などが治安維持法違反として検挙された事件。弾圧の対象となったのは、県内の日本共産党、日本共産青年同盟、日本プロレタリア文化連盟関係団体や、労働組合、農民組合など広範囲に及んだが、特に日本労働組合全国協議会(全協)や新興教育同盟準備会の傘下にあった教員組合員への弾圧は大規模で、全検挙者608名のうち230名が教員であった。このため、この事件は「教員赤化事件」、「左翼教員事件」などとも呼称された。 4月までに検挙された教員のうち28名が起訴され、このうち13名が有罪となって服役した。また、検挙された教員のうち、115名が何らかの行政処分を受け、懲戒免職や諭旨退職によって教壇から追われた者も33名にのぼった。 この事件を契機に、全国各地で同様の弾圧が行なわれ、1933年12月までに岩手県、福島県、香川県、群馬県、茨城県、福岡県、青森県、兵庫県、熊本県、沖縄県で多数の教員が検挙され、「教員赤化事件」ないし「赤化教員事件」は、長野県の事件に限定せず、全国における一連の事件を指す総称として用いられるようになった。.

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広島県立三次高等学校

広島県立三次高等学校(ひろしまけんりつ みよしこうとうがっこう)は、広島県三次市南畑敷町に所在する公立の高等学校。略称は「三高」(さんこう)。.

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広野三郎

広野 三郎(ひろの さぶろう、1897年(明治30年)4月10日 - 1968年(昭和43年)4月4日)は、歌人。 東京出身。國學院大學卒。1915年『アララギ』に入会し、島木赤彦、斎藤茂吉に師事。1926年東京帝国大学史料編纂所業務嘱託、1927年史料編纂官補、1946年事務官、1954年東京大学史料編纂所助手、1958年講師、1962年退官。歌人としては1950年『白埴』を創刊、1953年『草苑』と合同して『久木』を主宰。.

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五島茂

五島 茂(ごとう しげる、1900年12月5日 - 2003年12月19日)は、日本の歌人、経済史学者。.

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五味保義

五味 保義(ごみ やすよし、1901年8月31日 - 1982年5月27日)は、長野県下諏訪町出身の歌人、万葉学者である。 旧制諏訪中学卒業。東京高等師範学校文科を出て、京都帝国大学国文科卒業。中学時代より同郷の島木赤彦の影響を受け、短歌の道を志した。1929年上京後、齋藤茂吉、土屋文明の指導を受けながら歌誌「アララギ」の発行に携わり、特に戦後は、世田谷区奥沢の自宅を「アララギ」発行所として専念した。数多くの学校で教壇に立ち、日本女子大学の教授も勤めた。末弟はやはり万葉学者の五味智英。 初期の歌風は、赤彦の影響により自然詠が主体であったが、中期は文明の指導で現実に即した生活詠も作るようになった。晩年は病を得たこともあり、写実に加え人間味ある歌風の新境地に入った。文明の万葉集研究を手伝ったことから自らも万葉集の研究に深く係わった。 .

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五味智英

五味 智英(ごみ ともひで、1908年11月30日 - 1983年3月9日)は、日本の文学者(上代文学)、万葉集の権威である。 長野県下諏訪町出身。旧制諏訪中学、第一高等学校を経て、1935年、東京帝国大学文学部国文科卒業。旧制第一高等学校教授、東京大学教授、文学部長、同名誉教授。学習院大学教授。上代文学会会長等歴任。 1980年11月3日叙勲二等授瑞宝章。 長兄はアララギ歌人でやはり万葉学者の五味保義。.

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今井邦子

今井 邦子(いまい くにこ、明治23年(1890年)5月31日 - 昭和23年(1948年)7月15日、旧姓山田、本名くにえ)は、徳島市出身の「アララギ」の歌人、小説家。後に短歌誌「明日香」を創刊した。元通産省事務次官の両角良彦は甥にあたる。.

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伊藤左千夫

伊藤 左千夫(いとう さちお、1864年9月18日(元治元年8月18日) - 1913年(大正2年)7月30日)は日本の歌人、小説家。本名 幸次郎。.

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伊藤生更

伊藤 生更(いとう せいこう、1884年(明治17年)6月28日 - 1972年(昭和47年)7月27日)は、アララギ派の歌人。短歌結社「美知思波(みちしば)」創立者。山梨県北巨摩郡(現・韮崎市)出身。本名は、伊藤基胤(もとつぐ)。妹の権藤はなよ(権藤花代)は、唱歌「たなばたさま」の作詞者で童謡詩人。.

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住友友成

住友 友成(すみとも ともなり、1909年(明治42年)2月20日 - 1993年(平成5年)6月14日)は住友家16代当主で、最後の住友本社社長。アララギ派の歌人でもあり、斎藤茂吉、川田順(住友本社の重役)とも交流があった。歌人の雅号は「泉幸吉」。幼名は厚。男爵。.

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住友吉左衛門

住友 吉左衛門(すみとも きちざえもん)は、住友財閥の創業家・住友家が3代目から代々、襲名した名前。名乗り始めた3代目以降、14代目と当代(17代目)以外は名前に「友」の字を持つ者が襲名している。.

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住友家

住友家(すみともけ)は住友財閥の創業者一族。.

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佐藤さとる

佐藤 さとる(さとう さとる、1928年2月13日 - 2017年2月9日)は、日本の童話作家。本名の佐藤暁(さとうさとる)日外アソシエーツ現代人物情報名義による作品もある。既婚。日本文芸家協会会員日外アソシエーツ現代人物情報。.

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佐藤佐太郎

佐藤 佐太郎(さとう さたろう、1909年(明治42年)11月13日 - 1987年(昭和62年)8月8日)は、日本の歌人。日本芸術院会員。妻の佐藤志満も歌人。.

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佐藤志満

佐藤 志満(さとう しま、1913年(大正2年)- 2009年(平成21年))は福岡県出身の歌人。夫の佐藤佐太郎も歌人。昭和20年代後半の5年間の作品を収めた第一歌集「草の上」では、戦後の貧しい日常生活を抒情豊かに詠じた。歌誌「歩道」の発行に力を注ぎながら生涯にわたり精力的に作歌を続け、晩年には、文芸評論家梶木剛が「志満調」と呼んだ、自宅庭前を中心とする独自の歌風を確立した 。.

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徳田白楊

徳田 白楊 (とくだ はくよう、本名:森下文夫、1911年5月28日 - 1933年1月19日)は、昭和初期のアララギ派の歌人である。アララギ派の天才と呼ばれ、将来を有望されていた歌人。 1911年(明治44年)5月28日、大分県大野郡上緒方村(現豊後大野市緒方町)に生まれる。 病弱で21年間の殆どを病と闘ったのではないかと思われるほど病む日の歌が多い。1933年(昭和8年)1月19日、21歳にて死去。 緒方町の隣町、竹田市の豊後竹田駅前には、白楊歌碑が設置されている。.

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志田周子

志田 周子(しだ ちかこ、1910年(明治43年)10月28日 - 1962年(昭和37年))は山形県出身の女医、歌人。.

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土屋文明

土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年(明治23年)9月18日(戸籍上は1月21日) - 1990年(平成2年)12月8日)は、日本の歌人・国文学者。.

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土田耕平

土田 耕平(つちだ こうへい、1895年(明治28年)6月10日 - 1940年(昭和15年)8月12日)は、日本の歌人、童話作家。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)出身。18歳で両親を失う。1911年旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を中退、同郡玉川村立玉川小学校の代用教員となる。ここで島木赤彦に師事し『アララギ』に投稿、編集に携わる。上京し、1915年旧制東京中学校(現東京高等学校)卒。1921年まで伊豆大島で病気療養、のち上諏訪へ帰り、長野県内各地を頻繁に転居。1924年信濃毎日新聞の歌壇撰者となる。 後半生の大半を不眠症の療養、短歌、童話の創作に費やした。1940年下伊那郡鼎町で心臓病で死去。戒名は智誉耕法幽玄居士。.

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北原白秋

北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。 詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野でも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並んで評される、近代の日本を代表する詩人である。 弟はそれぞれ出版人となり、北原鉄雄は写真・文学系出版社アルスを、北原義雄は美術系のアトリエ社を創業し、従弟の北原正雄も写真系の玄光社を創業した。.

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ムクゲ

ムクゲ(木槿、学名: )はアオイ科フヨウ属の落葉樹。別名ハチス、もくげ。庭木として広く植栽されるほか、夏の茶花としても欠かせない花である。 和名は、「むくげ」。「槿」一字でも「むくげ」と読むが、中国語の木槿(ムーチン)と書いて「むくげ」と読むことが多い。また、『類聚名義抄』には「木波知須(きはちす)」と記載されており、木波知須や、単に波知須(はちす)とも呼ばれる。『万葉集』では、秋の七草のひとつとして登場する朝貌(あさがお)がムクゲのことを指しているという説もあるが、定かではない。白の一重花に中心が赤い底紅種は、千宗旦が好んだことから、「宗丹木槿(そうたんむくげ)」とも呼ばれる。 中国語では「木槿/木槿」(ムーチン)、韓国語では「무궁화」(無窮花; ムグンファ)、木槿;モックンという。英語の慣用名称の はヘブライ語で書かれた旧約聖書の雅歌にある「シャロンのばら」に相当する英語から取られている 。.

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初井しづ枝

初井 しづ枝(はつい しずえ、1900年(明治33年)10月29日 - 1976年(昭和51年)2月15日)は、日本の歌人。兵庫県姫路市出身。.

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別所直樹

別所直樹(べっしょ なおき、1921年8月16日 -1992年)は、詩人、評論家。シンガポールにて生まれる。原籍地は宮城県。 母の築地藤子は、アララギの歌人であり、斎藤茂吉、島木赤彦などと親交があり同時代に活動していた。 上智大学経済学科卒業後、新聞、雑誌記者を経て文筆生活に入る。 1938年頃から「アララギ」に短歌を寄せ、土屋文明の門にあったが、同時に現代詩にも手を染め、次第に短歌から遠ざかる。「日本詩壇」「若草」に投稿。1943年太宰治の知遇を得、その死までの5年間を師事する。「鱒」「詩行動」「新日本詩人」「文学者」にも寄稿。「灰」主宰。 太宰治との親交にかかわる逸話として、戦時中の物資不足の折、酒が手に入ったとの報に仲間達と共に太宰のもとに集まりささやかな宴の最中、直樹は、誤って酒をこぼしてしまい、ひたすら恐縮する別所に対し太宰は次のように語ったという。 「こぼした酒は多く見えるものだ。気にすることはない。」、「私もスポイトで吸ってみたが大したことなかった。」 また、太宰の死の前後の様子をよく知る別所は、「(太宰には)家族もいるのだから、その気持ちを考えれば、知っていても書けないことだってある」と晩年語っていた。.

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ガダルカナル島の戦い

ダルカナル島の戦い(ガダルカナルとうのたたかい、Battle of Guadalcanal)は、第二次世界大戦において1942年8月以降日本軍と連合軍が西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って繰り広げた戦いである。ミッドウェー海戦と共に太平洋戦争における攻守の転換点となった。 また、兵員、軍艦、航空機、燃料、武器等を多く失ったため国力が大きく減少した。.

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内田弘

内田 弘(うちだ ひろし、1939年2月11日- )は、日本の経済学者・思想史学者、専修大学名誉教授。専門は『資本論』形成史・自由時間・三木清。.

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内藤卯三郎

内藤 卯三郎(ないとう うさぶろう、1891年10月4日 - 1977年11月11日)は、日本の物理学者、教育者。愛知学芸大学(現・愛知教育大学)初代学長、奈良女子高等師範学校長を務めた。.

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写生

写生(しゃせい)は、絵画などにおいて、事物を見たままに写しとることを言う八重樫春樹 「写生」 『日本大百科全書』第11巻、366頁。。主観的な表現を表す「写意」の対立概念である戸田禎佑 「」 『世界大百科事典 第2版』、kotobank(2014年6月18日閲覧)。現在は「スケッチ」「デッサン」などの訳語として用いられることが多いが、東洋絵画における写生は描写対象に直接対することによって、「写意」と密接に関係しつつ、形式にとらわれずに対象の本質に迫ろうとする性格を持つものであり、西洋の写実的絵画とは共通する点を持ちながらも相異なるものである。日本語としての「写生」も、近代以前にはより広い意味で使われていた言葉であった。 また西洋絵画由来の写生(スケッチ)を応用したものとして、俳句・短歌を中心に文学の分野においても写生概念が用いられている。以下これらについて解説する。.

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出口王仁三郎

出口 王仁三郎(でぐち おにさぶろう、1871年8月27日(明治4年旧7月12日) - 1948年(昭和23年)1月19日)は、新宗教「大本」の二大教祖の一人。肩書きは「教主輔」、尊称は「聖師」。もう一人の教祖(肩書きは「開祖」)は、出口なお(直)。.

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八木沼丈夫

八木沼 丈夫(やぎぬま たけお、1895年(明治28年) - 1944年(昭和19年)12月12日)は、日本の陸軍軍属、歌人。日中戦争(支那事変)において日本軍が本格的に宣撫官を導入するきっかけとなった人物。.

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前田夕暮

前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。本名:前田 洋造(洋三とも)。 長男の前田透も歌人であり、歌誌『詩歌』を引き継いだ。.

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倉田百三

倉田 百三(くらた ひゃくぞう、または、くらた ももぞう)、1891年(明治24年)2月23日 - 1943年(昭和18年)2月12日)は、日本の劇作家、評論家で大正、昭和初期に活躍した。広島県庄原市には、倉田百三文学館がある。.

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短歌

短歌(たんか)とは、和歌の一形式で五・七・五・七・七の五句体の歌体のこと。ただし短歌は古より詠まれている歌体であるが、この項目では明治以降の短歌すなわち近代短歌と現代の短歌について取り上げる。.

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石原純

石原 純(いしわら あつし(じゅん)、1881年1月15日 - 1947年1月19日)は、日本の理論物理学者・科学啓蒙家・歌人。.

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理科ハウス

科ハウス(りかハウス)は、神奈川県逗子市に2008年5月に開設された私設の科学館である。.

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福井県出身の人物一覧

福井県出身の人物一覧(ふくいけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する福井県出身の人物の一覧表である。.

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福井県立藤島高等学校の人物一覧

福井県立藤島高等学校人物一覧 (ふくいけんりつふじしまこうとうがっこうじんぶついちらん) 福井県立藤島高等学校の主な出身者・関係者など。.

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福田須磨子

福田 須磨子(ふくだ すまこ、1922年3月23日 - 1974年4月2日)は、日本の詩人・エッセイスト・作家。長崎原爆の被爆者である。原子爆弾の後遺症や生活の困窮を抱えながら、原子爆弾の非人道性を訴えた。.

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秋田蘭画

秋田蘭画(あきたらんが)は、江戸時代における絵画のジャンルのひとつで、久保田藩(秋田藩)主や藩士を担い手とした、西洋画の手法を取り入れた構図と純日本的な画材を使用した和洋折衷絵画である。秋田派ともいう。安永年間(1772年-1781年)に久保田藩で成立したが、後継者もなく天明年間(1781年-1789年)には廃れた。しかし、その極端な遠近法は後代の浮世絵にも大きな影響を与えたとされる。代表的な画家に、藩士小田野直武(1750年 - 1780年)、藩主佐竹曙山(1748年 - 1785年)、その一族佐竹義躬(1749年 - 1800年)がいる。.

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秋葉四郎

秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18日 - )は、日本の歌人、文芸評論家、随筆家、教育者、文学博士。短歌結社「歩道」編集長、斎藤茂吉記念館館長、日本歌人クラブ顧問(前会長)。千葉県出身。.

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細谷雄太

細谷 雄太(ほそや ゆうた、1882年 - 1950年)は俳人、医学博士。俳号は細谷不句。別号に柚翁。.

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細谷雄二

細谷 雄二(ほそや ゆうじ、1897年9月14日 - 1967年3月30日)は、日本の生理学者。大阪市立大学名誉教授。医学博士。アララギ派の歌人でもある。山形県西村山郡谷地町(現・河北町)生まれ。 同じく医学博士で俳人の細谷雄太(俳号・細谷不句)は長兄。ソニー名誉会長の井深大は義弟にあたる。息子に元産経新聞編集局長、元日本工業新聞社長の細谷洋一。娘婿に宗教学者の井門富二夫。.

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猪股静弥

股 静弥(いのまた しずや、1924年(大正13年)8月12日 - 2009年(平成21年)9月8日)は日本の文学研究者、歌人。帝塚山短期大学名誉教授、専門は上代文学(万葉集)、寧楽短歌会代表。.

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結城哀草果

結城 哀草果(ゆうき あいそうか、1893年10月13日 - 1974年6月29日)は、歌人、随筆家。.

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結社

結社(けっしゃ、英語:association)は、共通の目的のために組織される継続的な団体のこと。なお、associationは協会と訳されることが多いが、協会は結社の一形態である。.

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田原市

原市(たはらし)は、愛知県南端、渥美半島にある市。.

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田川飛旅子

川 飛旅子(たがわ ひりょし、1914年8月28日 - 1999年4月25日)は、東京出身の俳人・工学者。本名・博。東京府豊多摩郡渋谷町(現渋谷区)生まれ。1933年に日本メソジスト協会中央会堂にて洗礼を受けた。府立六中(現東京都立新宿高等学校)、一高を経て1940年に東京帝国大学工学部卒。卒業と同時に古川電池に入社し電池製作所に配属。戦後に同技師長、役員として勤務。工学者としては『電池及蓄電池』(1953年)の著書があり、1961年に東京大学から博士号を受けている。 一高在学中に短歌に興味を持ち「アララギ」に入会、土屋文明に師事。また中学の時より画家耳野卯三に油絵を習い、1938年「妹の像」で光風会に入選している。古川電気入社した1940年、同僚に勧められて飛旅子の俳号で俳句を始め、同年10月に加藤楸邨の「寒雷」創刊号に投句、「寒雷集」巻頭を取る(二席が永田耕衣であった)。この巻頭を生涯の誇りとした。1946年、澤木欣一らの「風」創刊二号より参加、同人。1947年、古沢太穂らとともに「寒雷」同人。1973年「陸」を創刊・主宰。1979年、『加藤楸邨全集』編集委員を担当。現代俳句協会幹事長、同副会長を歴任。第3回清山賞、第10回現代俳句協会大賞を受賞。 代表句に「遠足の列大丸の中とおる」など(大丸はデパートの名)。鋭くメカニックな観察と乾いた叙情を特徴とする。60歳代で彫刻家ジャコメッティに傾倒し、物をあるがままに見る態度をさらに強くした。川柳などからも学び、「非常口に緑の男いつも逃げ」などのおかしみのある無季句も作っている。.

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田中冬二

中 冬二(たなか ふゆじ、1894年(明治27年)10月13日 - 1980年(昭和55年)4月9日)は、日本の詩人である。本名は吉之助。 銀行員として働きつつ、郷愁をテーマに多くの詩作を行う。専ら旅を題材とした詩を作り、山国や北国の自然、日常生活を初々しい感覚で表現した叙情詩集「青い夜道」(昭和4年)を発刊。多作ではなくマイナーポエットとも評されるが、一貫して日本の自然や生活に根ざした詩を作り続け、吉行淳之介は象徴的に「青い夜道の詩人」と評している。詩作のほか散文や俳句も手がけている。堀口大學らと交友関係があった。.

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田中順二

中順二(たなか じゅんじ、1912年 - 1997年)は、日本の歌人、国文学者。 東京生まれ。1936年京都帝国大学国文科卒。同志社女子大学教授、82年定年、奈良大学教授。歌誌『ハハキギ』を主宰。.

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田井安曇

井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014年11月2日)は日本の歌人。本名、我妻 泰(わがつま とおる)。ペンネームの安曇は安曇野よりとっているが出身は飯山市である。クリスチャン。.

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田村栄 (文芸評論家)

村 栄(たむら さかえ、1919年12月5日 - 1991年10月18日)は、文芸評論家。.

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白樺派

『白樺』創刊号 白樺派のメンバー 白樺派(しらかばは)は、1910年(明治43年)創刊の同人誌『白樺』を中心にして起こった文芸思潮のひとつ。また、その理念や作風を共有していたと考えられる作家達のことである。.

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芳賀秀次郎

芳賀 秀次郎(はが ひでじろう、1915年(大正4年)1月1日 - 1993年(平成5年)5月9日)は、日本の教育者。詩人。歌人。.

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西角井正慶

西角井 正慶(にしつのい まさよし、1900年5月22日 - 1971年1月22日)は、埼玉県生まれの国文学者、民俗学者。歌人としても著名で、見沼 冬男(みぬま ふゆお)のペンネームを持つ。折口信夫に師事し、折口信夫の五博士のうちの一人である。國學院大學教授。文学博士。 西角井家は明治以前は代々、大宮氷川神社の社家を務め、埼玉県大麻(おおぬさ)頒布事務所を務める名門であった。父・正男は國學院大學卒業後、埼玉師範学校教諭、一時は町長も務め、さらに氷川神社禰宜から上総一宮玉前神社宮司になっていた。母・佐登子は、國學院大學学長河野省三の姉で、女子学習院では貞明皇后と同期であった。西角井正慶は、折口信夫より「よい星の下に生まれた人」といわれた。.

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西郷信綱

西郷 信綱(さいごう のぶつな、1916年1月3日 - 2008年9月25日)は、日本文学者。横浜市立大学名誉教授。上代文学・古代文学専攻。.

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馬酔木 (短歌雑誌)

『馬酔木』(あしび)は、1903年(明治36年)6月に正岡子規亡き後、写生道を発展するために創刊され、1908年(明治41年)1月に終刊した根岸短歌会の短歌雑誌である。主な編集者には伊藤左千夫、長塚節、岡麓がいた。 『万葉集』の研究、歌論を発表し、1908年に『馬酔木』の編集に携わった伊藤左千夫を中心に創刊された『アララギ』が人気になるきっかけを作った。 後期には島木赤彦、斎藤茂吉、古泉千樫、三井甲之、石原純らが編集に携わっていた。.

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香取秀真

香取 秀真(かとり ほつま、1874年1月1日 - 1954年1月31日)は日本の鋳金工芸作家、歌人である。学問としての金工史を確立し、研究者としても優れた。日本における美術の工芸家として初の文化勲章を受章。東京美術学校(現在の東京藝術大学)教授、芸術院会員。帝室博物館(現在の東京国立博物館)技芸員、国宝保存会常務委員、文化財審議会専門委員などを歴任。秀真は雅号で、本名は秀治郎。金工の人間国宝である香取正彦は長男。.

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香川美人

香川 美人(かがわ よしと、1915年(大正4年)― 2008年(平成20年))は愛媛県大三島出身の歌人。実兄の香川末光,甥の香川哲三も歌人。1930年(昭和5年)、「満州短歌」(後の「短歌中原」)に入会し八木沼丈夫に師事した。終戦後、郷里の愛媛県大三島に引き揚げ、1948年(昭和23年)に香川末光・藤原弘男らと「うづしほ短歌会」を結成した。1954年(昭和29年)に「歩道短歌会」に入会し佐藤佐太郎に師事した。「満州短歌」及び「短歌中原」時代の作品を纏めた歌集『碧落』、「歩道」入会後の作品を収めた歌集『風濤』、歌集『海光』がある。写生に立脚した精緻な対象描写と日常生活を柔軟な感性で捉えた歌風に特色がある。.

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香川末光

香川末光(かがわ すえみつ、1911年(明治44年) - 2003年(平成15年))は愛媛県出身の歌人。弟の香川美人、長男の香川哲三も歌人。1929年(昭和4年)八木沼丈夫主宰の「満州短歌」に入会し、昭和11年頃以降より終刊号まで「満州短歌」の発行者となる。「満州短歌」終刊後は「短歌精神」「短歌中原」に所属した。終戦後、愛媛県大三島に帰郷し農業に従事、1948年(昭和23年)には藤原弘男・香川美人らとともに「うづしほ短歌会」を結成した。1961年(昭和36年)に「歩道短歌会」。 に入会し佐藤佐太郎に師事した。「歩道」入会後の作品を収めた『叢島』『冬果』2冊の歌集があり、瀬戸内の風光と蜜柑づくりを対象とした抒情豊かな生活詠を特色とする。.

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諏訪湖博物館

諏訪湖博物館(すわこはくぶつかん)は、長野県諏訪郡下諏訪町西高木にある下諏訪町立の博物館。館内に赤彦記念館(あかひこきねんかん)を併設している。.

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高安国世

安 国世(たかやす くによ、男性、1913年8月11日 - 1984年7月30日)は、日本の歌人、ドイツ文学者。専門はリルケであり、多くの作品を翻訳している。短歌結社「塔」創設者。 大阪府大阪市道修町出身。父高安道成は医師、母やす子はアララギの歌人、叔父に高安月郊。母の影響を受けて短歌を志し、アララギに入会、土屋文明に師事する。リアリズムに基礎を置きながらも、現実には存在しないものを表現の対象に求めるなど、常に新しい表現を求め続けた。 京都大学短歌会の顧問もつとめ、永田和宏や栗木京子を育てた。三男高安醇は画家。 評伝に、水沢遥子『高安国世ノート』(不識書院、2005年)、松村正直『高安国世の手紙』(六花書林、2013年)がある。.

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鳥海昭子

鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年 - 2005年10月9日)は、歌人、エッセイスト。.

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鹿児島寿蔵

鹿児島 寿蔵(かごしま じゅぞう、1898年12月10日 - 1982年8月22日)は、人形作家、歌人。 福岡市生まれ。有岡米次郎に博多人形製作を学ぶ。1932年紙塑人形を創始、1933年日本紙塑藝術研究所を開き、1934年人形美術団体甲戌会を結成する。1936年帝展に入選する。アララギ派の歌人でもあり、島木赤彦・土屋文明に師事。1945年短歌雑誌『潮汐』を創刊する。1961年紙塑人形の人間国宝となる。1968年、『故郷の灯』他で第2回迢空賞受賞。勲三等瑞宝章。門下に三国玲子など。.

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近藤芳美

近藤 芳美(こんどう よしみ、男性、1913年5月5日 - 2006年6月21日)は、日本の歌人である。 本名は近藤 芽美(読みは同じ)。戦後の歌壇を牽引する歌人として活動し、文化功労者に選ばれた。長年「朝日歌壇」(朝日新聞)の選者を務めたことで知られるほか、建築家としての顔も持ち、ゼネコンや大学に籍を置く。.

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鈴木しづ子

鈴木 しづ子(すずき しづこ、1919年6月9日 - 没年不明)は日本の俳人。本名は鎮子。奔放な作風で俳壇を賑わせたが消息不明となり、娼婦俳人、幻の俳人などと呼ばれた。.

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鈴木光男

鈴木 光男(すずき みつお、1928年1月1日 - )は、日本の経済学者。東北大学経済学博士、東京工業大学名誉教授。ゲーム理論を専門とし、日本の第一人者として中村健二郎ら有数の研究者を育てるとともに、『ゲーム理論入門』などの著書を残した。東京工業大学教授(工学部社会工学科、理学部情報科学科)、東京理科大学教授(工学部経営工学科、経営学部)を歴任。 学徒勤労動員の著書でも知られる。瑞宝中綬章受章者(2013年)。.

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赤木健介

赤木 健介(あかぎ けんすけ、1907年3月2日 - 1989年11月7日)は、日本の詩人、歌人、編集者、歴史家 20世紀日本人名事典。本名・赤羽 寿(あかばね ひさし)、別名・伊豆 公夫(いず きみお)。.

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鵜飼康東

康東(うかい やすはる、1946年6月20日 - )は、日本の経済学者、歌人。関西大学名誉教授。President, The Society of Socionetwork Strategies。現代歌人協会会員。日本文藝家協会会員。滋賀県出身。.

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藤森朋夫

藤森朋夫(ふじもり ともお、1898年7月18日-1969年8月29日)は、歌人、国文学者。 長野県諏訪郡四賀村(現・諏訪市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、東北帝国大学文学部国文科卒。1923年「アララギ」に加わり、島木赤彦、斎藤茂吉に師事。『万葉集』を中心とした上代文学を研究。1956-61年『茂吉研究』を発行。日本大学教授、東京女子大学教授、1964年定年退任、名誉教授。.

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金原省吾

金原 省吾(きんばら せいご、1888年9月1日 - 1958年8月2日)は、日本の美学者、美術史学者。旧姓は河西。.

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金子健造 (夢短歌会)

金子 健造(かねこ けんぞう、1905年6月12日 - 1992年6月17日)は、昭和時代日本の歌人。作詞家としての別名義に金子 健(かねこ けん)がある西日本新聞、1975年11月2日付12面「そんなものあった? 市歌を忘れた福岡市民」。。 コスモス短歌会所属の歌人でO先生賞受賞者の金子健造(1915年 - 1988年)は同姓同名の別人。.

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蕨真一郎

蕨真一郎(わらび しんいちろう、1876年(明治9年)8月20日 - 1922年(大正11年)10月14日)は、日本の歌人、造林家。号は蕨真(けっしん)、礎山(そざん)。上総国武射郡埴谷村(現在の千葉県山武市)出身。 1901年(明治34年)、正岡子規の門下生となる。子規死後の1903年(明治36年)、根岸短歌会の機関誌『馬酔木』の編集委員となる。1906年(明治42年)に埴岡短歌会を設立し、地元歌人の作品を『馬酔木』上で紹介するようになった。1908年(明治44年)には伊藤左千夫により、千葉県の真一郎の自宅で『阿羅々木』(翌年『アララギ』と改名)が発刊された。1912年(大正元年)まで創作活動を続け、その後は自らが設立した埴岡農林学校の運営や林業経営に努めた。.

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長塚節

長塚 節(ながつか たかし、1879年(明治12年)4月3日 - 1915年(大正4年)2月8日)は、歌人、小説家。.

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長澤一作

長澤 一作(ながさわ いっさく 1926年 - 2013年)は、日本の歌人。佐藤佐太郎の初期の弟子にあたる。.

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雁部貞夫

雁部 貞夫(かりべ さだお、1938年12月16日 - )は、歌人、登山家。 東京向島生まれ。早稲田大学教育学部卒。東京都立高校教諭を務める。1966年、ヒンドゥ・クシュ主稜でパキスタン側から日本人初の登山活動を行ない、サラグラール峰山群とブニ・ゾムを試登した。1968年夏、未踏峰のヒンドゥ・ラジ山脈の最高峰コヨ・ゾムに試登し、イシュペル・ドームとフラッテロ・ゾムに初登、その後十数度これらの山域を踏査した。近年はヤルフーン河原流域を踏査し、1997年と2003年の夏、ヒンドゥ・クシュ山系の最大の氷河、チアンタール氷河を縦断し、未踏の六千メール峰を多数撮影して多くの資料をもたらした。 また、宮地伸一の影響により学生時代から『アララギ』会員として作歌、1997年に終刊した「アララギ」の後継誌「新アララギ」の編集委員、選者を務める。2011年、歌集『ゼウスの左足』で第13回島木赤彦文学賞受賞。日本歌人クラブ大賞2013年度選考委員。ヒマラヤン・クラブ会員。日本山岳会会員。.

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雲取越え

雲取越え(くもとりごえ、大雲取小雲取越え〈おおぐもとりこぐもとりごえ〉)は熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)と熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町本宮)とを結ぶ参詣道。熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への参詣道、熊野古道中辺路の派生ルートのひとつ。熊野那智大社から、その後背にそびえる那智山を越えて赤木川の河谷に至るまでを大雲取越え(おおぐもとりごえ)、赤木川から熊野本宮大社に至るまでを小雲取越え(こぐもとりごえ)と呼ぶ。 熊野古道中辺路は熊野本宮大社に達した後、熊野三山を巡拝する道となる。平安時代後期から鎌倉時代初めにかけて確立した中世熊野詣における通常の巡拝ルートは、熊野本宮大社から熊野川を下って熊野速玉大社に、ついで陸路で熊野那智大社に詣でてから、同じ道をたどって熊野本宮大社に帰参するもので小山、中世の参詣記における三山巡拝は以上のルートをとっている。しかし、那智山から本宮までの経路としての熊野川は舟賃を要するうえ、大雨の後などは航行困難ないし不能となる。そのため、修行者や庶民が通行する道として山間部をぬって本宮と那智を結ぶ道が早くから存在したと考えられている。それが雲取越えの道である。このように、中世における雲取越えは派生ルートとして位置づけられるが、西国三十三所が定着する室町時代以降には、西国三十三所をめぐる巡礼者や旅人が盛んに往来する主要ルートとなった小山。 一部は国の史跡「熊野参詣道」として指定されている。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」(2004年7月登録)の構成資産の一部である世界遺産登録推進三県協議会。.

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折口信夫

折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。 歌人としては、正岡子規の「根岸短歌会」、後「アララギ」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。1924年(大正13年)北原白秋と同門の古泉千樫らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。.

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柴生田稔

柴生田 稔(しぼうた みのる、1904年6月26日 - 1991年8月20日)は、日本の歌人、国文学者。.

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松井芒人

松井 芒人(まつい ぼうじん、本名: 源衛、1895年1月25日 - 1980年12月27日)は、日本の歌人、教育者である。.

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村山道雄

村山 道雄(むらやま みちお、1902年3月31日 - 1981年12月10日)は日本の政治家。山形県知事や参議院議員を務めた。また、アララギ派の歌人でもあった。.

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杉浦翠子

杉浦 翠子(すぎうら すいこ、1885年(明治18年)5月17日 - 1960年(昭和35年)2月16日)は、明治から昭和にかけての歌人。旧姓は岩崎翠。日本のグラフィックデザインの礎を築き多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)の初代学長となった杉浦非水の妻でもある。洋画家の岩崎勝平は甥。.

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杉浦非水

杉浦 非水(すぎうら ひすい、1876年5月15日 - 1965年8月18日)は、近代日本のグラフィックデザイナー。本名、杉浦朝武(すぎうら つとむ)。  .

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杉浦明平

杉浦 明平(すぎうら みんぺい、1913年(大正2年)6月9日 - 2001年(平成13年)3月14日)は、日本の小説家、評論家。 .

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根岸短歌会

根岸短歌会(ねぎし たんか かい)は、正岡子規が主催した短歌結社。名前は子規庵の住所(東京下谷上根岸)に由来し、子規庵での歌会から始まり、後にアララギ派に発展する。.

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森誓夫

森 誓夫(もり ちかお、1911年3月31日 - 2001年1月23日)は、日本の官僚、実業家。元通商産業省軽工業局長。元石油資源開発社長。.

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森本元子

森本 元子(もりもと もとこ、1912年7月30日 - 1992年12月17日)は、日本の国文学者。.

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森本治吉

森本 治吉(もりもと じきち、1900年1月10日 - 1977年1月12日)は、歌人・国文学者、文学博士。二松学舎大学名誉教授。歌人の槇弥生子は子の妻。歌人の森本平は孫。.

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権藤花代

権藤 はなよ(ごんどう はなよ、1899年(明治32年)4月13日 - 1961年(昭和36年)11月3日)は、唱歌「たなばたさま」作詞者・童謡詩人。本名は権藤はなよ。結婚前は伊藤はなよの旧姓で作品を発表、結婚後はペンネーム権藤はな子を使っていた。平成20年頃までは、「権藤花代」という漢字名が使用されていたが、その後は本名の「権藤はなよ」が一般的になっている。実兄の伊藤生更はアララギ派の歌人であり、短歌結社「美知思波」を創立している。.

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樋口覚

樋口 覚(ひぐち さとる、1948年1月20日 - )は、日本の文芸評論家。2005年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。.

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橘曙覧

橘 曙覧(たちばな あけみ、文化9年(1812年)5月 - 慶応4年8月28日(1868年10月13日))は、日本の歌人、国学者。身近な言葉で日常生活を詠んだ和歌で知られる。.

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正岡子規

松山市にある子規記念博物館 正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。.

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永井隆 (医学博士)

永井 隆(ながい たかし、1908年(明治41年)2月3日 - 1951年(昭和26年)5月1日)は、日本の医学博士、随筆家。『長崎の鐘』や『この子を残して』等の著書がある。.

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河野愛子

河野 愛子(こうの あいこ、1922年10月8日 - 1989年8月9日)は、歌人。栃木県宇都宮市出身。 広島女学院高等女学校卒。1947年、「アララギ」に入会。1951年、『未来』創刊に参加。以後その中心女流歌人として、鋭いメタフィジカルな作風で活躍。門下に中川佐和子、干場しおりなど。 1982年、『リリヤンの笠飾』で第18回短歌研究賞受賞。1983年、『黒羅』で第8回現代短歌女流賞受賞。.

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泰阜村

泰阜村(やすおかむら)は、長野県下伊那郡の南部に位置する村である。.

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渡辺直己

渡辺 直己(わたなべ なおき、1908年(明治41年)6月4日 - 1939年(昭和14年)8月21日)は、広島県呉市出身の歌人。 広島高等師範学校(現:広島大学)卒業。 広島県呉市立高等女学校(現:広島県立呉三津田高等学校)の教師でもあった。 1935年(昭和10年)、歌人の伊藤左千夫を中心にして1908年(明治41年)に作られた短歌誌『アララギ』に入会し、歌人、国文学者の土屋文明に師事した。 奉職中に1937年(昭和12年)、日中戦争のため応召され、中国に第五師団歩兵第十一連隊陸軍少尉として送られる。 河北省天津市、山東省済南市、湖北省漢口(現:武漢市)に転戦したが、発熱のため入院し、その後は再び天津市に警備にあたった。 1939年(昭和14年)8月21日、中国河北省天津市にて洪水により戦死した。 翌年の1940年(昭和15年)に『渡辺直己歌集』が刊行された。 直己は戦う知識人として思想的苦悩、写実的な戦争に関する短歌を詠み、後々まで広い影響を与えた。 2012年現在、広島城外に、記念碑がある。.

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清水建設

清水建設株式会社(しみずけんせつ)は、1804年(文化元年)に創業、東京都に本社がある大手総合建設会社(ゼネコン)。.

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清水房雄

清水 房雄(しみず ふさお、1915年8月7日 - 2017年3月3日)は、歌人。.

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渋柿

『渋柿』(しぶがき)は、渋柿社による俳誌。夏目漱石の弟子、松根東洋城が1915年に大正天皇侍従として式武官在任中に主宰創刊。現在は渡邊孤鷲が主宰。 夏目漱石門下の小宮豊隆、寺田寅彦、安倍能成、鈴木三重吉等、直木賞作家の戸川幸夫、「零の発見」で知られる吉田洋一も投稿している。表紙の題字は漱石の揮毫による。.

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木下利玄

木下利玄歌碑(足守・近水園) 木下 利玄(きのした りげん、1886年(明治19年)1月1日 - 1925年(大正14年)2月15日)は日本の歌人、子爵。本名は利玄(としはる)。.

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未来 (短歌結社)

『未来』(みらい)は、日本の一般社団法人「未来短歌会」が発行する月刊の短歌結社誌。編集委員長は岡井隆、運営委員長は大島史洋。アララギ系の歌誌の一つ。.

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月に吠えらんねえ

『月に吠えらんねえ』(つきにほえらんねえ)は、清家雪子による日本の漫画作品。講談社『月刊アフタヌーン』にて2013年11月号より連載中。公式略称は「月吠」。.

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星野徹

星野徹(ほしの とおる、1925年8月25日-2009年1月13日)は、日本の詩人、英文学者、茨城大学名誉教授。 茨城県生まれ。茨城大学英文科卒業。1957年詩誌『白亜紀』を創刊し編集発行人となる。一時歌誌「アララギ」にも属した。 英国詩を研究し、62年茨城大学助教授、73年教授、80年『玄猿』で日本詩人クラブ賞受賞。91年茨城大を定年となり名誉教授、茨城キリスト教大学教授。2001年退職。.

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明治大学の人物一覧

明治大学の人物一覧(めいじだいがくのじんぶついちらん)は、明治大学に関係する人物の一覧を記す。 ※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する。.

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斎藤喜博

斎藤 喜博(さいとう きはく、1911年3月20日 - 1981年7月24日)は群馬県出身の日本の教育者。元宮城教育大学教授。群馬師範(現群馬大学教育学部)卒。また、早くからアララギ派の歌人としても活躍し、ケノクニ選者をながく務めた。歌集『職場』などの短歌はすべて彼の師である土屋文明の選を経ている。著書の多くは国土社から刊行されている。斎藤喜博全集は、第25回毎日出版文化賞(全18巻、国土社)を受賞した。.

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斎藤茂吉

斎藤 茂吉(さいとう もきち、1882年(明治15年)5月14日 - 1953年(昭和28年)2月25日)は、日本の歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。精神科医としては青山脳病院(現在の都立梅ヶ丘病院や斉藤病院)の院長を務めた。長女は百合子、次女は晶子。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫で、随筆家の斎藤由香はこの北杜夫の娘にあたる。.

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斎藤正二

斎藤 正二(さいとう しょうじ、1925年〈大正14年〉12月11日 - 2011年〈平成23年〉1月21日 )は、日本の教育学者、創価大学名誉教授。.

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新古今和歌集

『新古今和歌集』(しんこきんわかしゅう)とは、鎌倉時代初期に編纂された勅撰和歌集。全二十巻。いわゆる八代集の最後を飾るもの。略称を『新古今集』(しんこきんしゅう)と称す。.

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日本 (新聞)

『日本』(にっぽん)は、1889年(明治22年)2月11日から、1914年(大正3年)12月31日まであった日刊新聞。.

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日本の近現代文学史

日本の近現代文学史(にほんのきんげんだいぶんがくし)では、近代(戦前)と現代(戦後)における、日本文学の歴史を述べる。 明治維新後、西洋の思想や文化を取り入れる文明開化が推進され、文学にも大きな影響を与えた。言文一致運動もその一つである。言文一致の結果、日本語の書き言葉は、それまで日本文学において重きをおかれていた漢文の伝統から切り離され、明治中期には現代の日本語の書き言葉に直接連なる文体(「だ・である」調と、「です・ます」調)が確立した。文学という語自体、翻訳語として創り出されたものであり、この頃に現在一般に使われ私たちが考える文学という概念が生まれた。 第二次世界大戦の敗北の後、日本語の表記には現代仮名遣い・新字体化という改革が行われ、全国規模のメディアの発達によって、日本文学にさらに大きな変化がもたらされた。.

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日本歌人クラブ評論賞

日本歌人クラブ評論賞は、日本で最も古い歴史と最大の規模を持つ歌人の親睦団体である日本歌人クラブが主催する、短歌や歌人に対する評論書や研究書を対象とした賞。前年度に刊行された短歌関連の書籍から選ばれる。日本歌人クラブの創立55周年記念事業の一環として設立された。 選考は、日本歌人クラブの中央幹事(理事に相当)、地方ブロック(北海道・東北・北関東・南関東・東京・甲信越・北陸・東海・近畿・中国・四国・九州の12ブロック)役員、過去の受賞者、名誉会員から事前にアンケートを募り、その結果を基に、日本歌人クラブの中央幹事および中央幹事会から指名された会員で構成された選考委員会が選考する。選考委員の任期は一年。2016年度の選考委員は三枝昂之、久保田登、中川佐和子、長澤ちづ。特に規定されてはいないが、新人よりは中堅もしくはベテラン歌人が受賞する傾向が強い。 このほか、長年に渉り地道に短歌に励み、斯道に貢献した歌人を顕彰する日本歌人クラブ大賞(2013年度で第4回)、中堅・ベテラン歌人の歌集を対象にした日本歌人クラブ賞(2013年度で第40回)、60歳以下の作者の処女歌集を対象にした日本歌人クラブ新人賞(2013年度で第19回)がある。.

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扇畑忠雄

扇畑 忠雄(おうぎはた ただお、1911年 - 2005年7月16日)は歌人、国文学者。東北大学名誉教授。現中華人民共和国の旅順出身。広島一中、広島高校、京都帝国大学文学部国文学科卒。 19歳の時「アララギ」に入会。アララギ派の歌人となり、斎藤茂吉、土屋文明、中村憲吉に師事。1946年東北アララギ会『群山』を創刊。第二高等学校、東北大学の教授を歴任し、万葉集の研究を専門とした。 1983年4月29日勲三等旭日中綬章受章。1993年、『冬の海その他』により第29回短歌研究賞受賞。1996年には『扇畑忠雄著作集』(全8巻)により、第19回現代短歌大賞を受賞。2002年には歌会始の儀で召人に招かれるなど、歌人として活動した。日本現代詩歌文学館の第2代館長もつとめた。2005年7月16日に死去した。死亡原因は扇畑の遺言により非公表となっている。享年94。叙従四位。 Category:歌人 Category:万葉学者 Category:日本文学研究者 Category:日本の文学研究者 Category:東北大学の教員 Category:京都大学出身の人物 Category:日本の引揚者 Category:勲三等旭日中綬章受章者 Category:1911年生 Category:2005年没.

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1908年

記載なし。

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