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金剛福寺

索引 金剛福寺

金剛福寺(こんごうふくじ)は、高知県土佐清水市にある真言宗豊山派の寺院。蹉跎山(さだざん)、補陀洛院(ふだらくいん)と号す。本尊は千手観世音菩薩。四国八十八箇所霊場の第三十八番札所。 境内には亜熱帯植物が繁っている。足摺岬の遊歩道付近には、ゆるぎ石、亀石、刀の石、亀呼び場、竜橙の松、竜の駒、名号の岩の「弘法大師の七不思議」の伝説が残されている。山号の文字「蹉」も「跎」もともに「つまづく」の意味で、この地が難所であったことを示している。 本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか ご詠歌:ふだらくや ここは岬の 船の棹 取るも捨つるも 法のさだやま.

66 関係: ご詠歌千手観音多宝塔大師堂大正天皇女御室町時代宿坊寺院山内忠義山門岩本寺巡礼中村駅幡多荘平安時代延光寺建長弘安弘仁後深草天皇応永土佐くろしお鉄道土佐くろしお鉄道宿毛線土佐くろしお鉄道中村線土佐一条氏土佐藩土佐清水市嵯峨天皇和泉式部ジョン万次郎勧進四国八十八箇所四国歴史文化道神仏分離空海真念真念庵真言真言宗豊山派白山神社 (土佐清水市)白山権現白山洞門鐘楼補陀落高知県高知西南交通護摩...足摺岬霊場金剛力士金剛福寺江戸時代源頼光源氏源満仲本堂本尊戦国時代 (日本)明治新義真言宗1871年1916年822年 インデックスを展開 (16 もっと) »

ご詠歌

ご詠歌(えいか)とは、仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、旋律.

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千手観音

千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)、सहस्रभुज、、サハスラブジャ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。 「サハスラブジャ」とは「千の手」あるいは「千の手を持つもの」の意味である。この名はヒンドゥー教のヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥルガーといった神々の異名でもあり、インドでヒンドゥー教の影響を受けて成立した観音菩薩の変化身(へんげしん)と考えられている。六観音の一尊でもある。 三昧耶形は開蓮華(満開のハスの花。聖観音の初割蓮華と対をなす)、蓮華上宝珠。種字はキリーク(ह्रीः hrīḥ)。 眷属として二十八部衆を従える。.

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多宝塔

石山寺多宝塔 (国宝)、鎌倉時代初頭、年代の明らかなものとしては日本最古の木造多宝塔 根来寺大塔 (国宝)、室町時代後期、日本最大の木造多宝大塔 多宝塔(たほうとう)は、寺院建築のうち仏塔における形式のひとつである。現代の寺院建築用語・文化財用語としては、一般に、平面が方形の初層の上に平面が円形の上層を重ね、宝形造(四角錐形)の屋根を有する二層塔婆を「多宝塔」と呼称する。宝塔という呼称もあり、現代の寺院建築用語・文化財用語では円筒形の塔身に宝形造(四角錐形)の屋根を有するものを「宝塔」と称して「多宝塔」と区別している。ただし、「宝塔」はもともと塔婆一般の美称であり、これらの呼称の区別は便宜的なものである。また、多宝塔は主に真言宗系の寺院で見られるのも特徴である。.

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大師堂

大師堂(だいしどう)は、日本における仏堂の呼称の1つで、大師号を贈られた僧を礼拝の対象として祀るものである。 全国の「大師堂」と称する仏堂は、真言宗の開祖・空海(弘法大師)を祀る堂が真言宗系寺院に多く存在し、真言宗以外の寺院では円珍(智証大師)、良源(慈恵大師、元三大師)を祀る堂を「大師堂」と称するものもある。.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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天皇

天皇(てんのう)は、日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人「天皇」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。。7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。 今上天皇(当代の天皇)は、昭和天皇第一皇子である明仁。.

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女御

女御(にょうご)は、天皇の後宮の身位の一つで、天皇の寝所に侍した。官名は中国・周代の官制を記した『周礼』に由来し、位は皇后・中宮に次ぐ。また、女御のうち、女性皇族たる女王が女御となった場合の呼称を王女御という。 初見は『日本書紀』雄略天皇の条であるが、実際は桓武天皇の代に紀乙魚・百済王教法などを女御としたのに始まる。当初、その位は低かったが次第に高まり、平安時代中期以降は、皇后は女御から昇進する慣例が確立した。最後の女御は孝明天皇の女御である九条夙子(英照皇太后)。 定員はなく、複数の女御がいる場合は住まう殿舎の名を取って「承香殿女御」などと呼んだ。 応仁の乱以後、上流貴族の娘の入内が絶えると、女御も存在しなくなった。後陽成朝に近衛前久の娘の前子が豊臣秀吉の養女として女御となり、ついで後水尾朝に徳川秀忠の娘の和子が女御になり、さらに中宮へ昇った。江戸時代には歴代天皇の正妻として摂家や世襲親王家の娘が一人だけ女御となり、しばしば准三宮となった。しかし霊元天皇や光格天皇などは女御を中宮に立てたものの、立后させない例の方が多かった。.

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室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

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宿坊

宿坊、宿房(しゅくぼう)は、主に仏教寺院などで僧侶や参拝者のために作られた宿泊施設である。僧侶専用の施設は僧房ともいう。本来は僧侶や参拝者のみに特化した宿泊施設だったが、現在では一般観光客も積極的に受け入れる施設も増加し、それに伴い設備やサービスの拡充の傾向が見られ、高野山福智院のように天然温泉を引いた露天風呂を併設する寺院もある。.

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寺院

日本の寺院の地図記号 寺院(じいん、梵、)は、仏像が祀られ、仏教の出家者が起居し、修行を行う施設である。寺(てら)、仏閣(ぶっかく)ともいう。 本来は仏教用語であるが、神道を除く諸宗教の教会・神殿を指す語としても広く用いられている(ごく稀に神社にも用いられることがある)。.

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山内忠義

山内 忠義(やまうち ただよし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。土佐藩の第2代藩主。山内康豊の長男で、伯父の山内一豊の養嗣子。.

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山門

山門(さんもん、やまもん、やまと).

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岩本寺

岩本寺(いわもとじ)は、高知県高岡郡四万十町にある真言宗智山派の寺院。藤井山(ふじいざん)、五智院(ごちいん)と号す。本尊は不動明王、聖観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩の五仏。四国八十八箇所霊場の第三十七番札所である。 本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん/ おん ころころ せんだりまとうぎ そわか/おん あろりきゃ そわか/ おん かかかびさんまえい そわか/ のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたら たかんまん ご詠歌:六つのちり 五つの柱 あらわして 深き仁井田の 神のたのしみ.

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巡礼

巡礼(じゅんれい、pilgrimage)とは、 日常的な生活空間を一時的に離れて、宗教の聖地や聖域に参詣し、聖なるものにより接近しようとする宗教的行動のことスーパーニッポニカ「巡礼」星野英紀 執筆。.

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中村駅

中村駅(なかむらえき)は、高知県四万十市駅前町にある土佐くろしお鉄道(TKT)の駅である真明薫(2014年10月25日).

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幡多荘

幡多荘(はたのしょう)とは、土佐国幡多郡のほぼ全域及び高岡郡の一部を占めた荘園。現在の高知県四万十市・宿毛市・土佐清水市・大月町・三原村・黒潮町・四万十町のほぼ全域と中土佐町の一部地域(久礼)にあたる。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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延光寺

延光寺(えんこうじ)は、高知県宿毛市にある真言宗智山派の寺院。赤亀山(しゃっきざん)、寺山院(じさんいん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第三十九番札所。 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか ご詠歌:南無薬師 諸病悉除の 願こめて 詣る我身を 助けましめせ.

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建長

建長(けんちょう)は、日本の元号の一つ。宝治の後、康元の前。1249年から1256年までの期間を指す。この時代の天皇は後深草天皇。鎌倉幕府将軍は藤原頼嗣、宗尊親王、執権は北条時頼。.

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弘安

弘安(こうあん)は、日本の元号の一つ。建治の後、正応の前。1278年から1287年までの期間を指す。この時代の天皇は後宇多天皇、伏見天皇。鎌倉幕府将軍は惟康親王、執権は北条時宗、北条貞時。.

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弘仁

弘仁(こうにん)は、日本の元号の一つ。大同の後、天長の前。810年から824年までの期間を指す。この時代の天皇は嵯峨天皇、淳和天皇。.

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後深草天皇

後深草天皇(ごふかくさてんのう)は、鎌倉時代中期の第89代天皇(在位:寛元4年1月29日(1246年2月16日) - 正元元年11月26日(1260年1月9日))。諱は久仁(ひさひと)。 後嵯峨天皇の皇子。母は西園寺実氏女、中宮・西園寺姞子(大宮院)。持明院統の祖。父母が自身より弟の亀山天皇を寵愛し、亀山天皇を治天の君としたことに不満を抱き、やがて後深草系の持明院統と亀山系の大覚寺統との対立が生じる端緒となった。.

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応永

応永(おうえい、旧字体:應永)は、日本の元号の1つ。明徳の後、正長の前。1394年から1427年までの期間を指す。この時代の天皇は後小松天皇、称光天皇。室町幕府将軍は足利義満、足利義持、足利義量。日本の元号の中では、昭和、明治に次いで3番目の長さ(35年)であり、一世一元の制導入以前では最長である。また、応永10年から22年までの約10年間は戦乱などが途絶え「応永の平和」と言われる。.

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土佐くろしお鉄道

土佐くろしお鉄道株式会社(とさくろしおてつどう、)は、高知県で鉄道事業を行っている第三セクター方式の鉄道事業者である。本社は高知県四万十市の中村駅に、登記上の本店は高知市の高知県庁に構える。.

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土佐くろしお鉄道宿毛線

| 宿毛線(すくもせん)は、高知県宿毛市の宿毛駅から同県四万十市の中村駅に至る土佐くろしお鉄道の鉄道路線。駅ナンバリングの路線記号は「TK」(Tosa-Kuroshio Lineの略)で、四国旅客鉄道(JR四国)土讃線、土佐くろしお鉄道中村線との連番(高知駅を00とみなす)となっている。中村線とともに四万十くろしおラインと愛称が付けられている。.

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土佐くろしお鉄道中村線

| 中村線(なかむらせん)は、高知県高岡郡四万十町の窪川駅から同県四万十市の中村駅に至る土佐くろしお鉄道の鉄道路線。駅ナンバリングの路線記号は「TK」(Tosa-Kuroshio Lineの略)で、JR四国土讃線、土佐くろしお鉄道宿毛線との連番(高知駅を00とみなす)となっている。宿毛線とともに四万十くろしおラインと愛称が付けられている。.

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土佐一条氏

土佐一条氏(とさ いちじょうし)は、日本の武家の一つ。本姓は藤原氏で、五摂家の一条家の分家。家紋は「一条藤」。 戦国時代に土佐国に土着し、武家化した戦国大名。姉小路氏・北畠氏と共に戦国三国司の一つに数えられる。.

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土佐藩

土佐藩(とさはん)は、廃藩置県以前に土佐国(現在の高知県)一円を領有した外様藩。明治初年の正称は高知藩(こうちはん)。藩庁は高知城(高知市)にあった。大広間詰国持大名。一貫して山内氏が支配した。 高知城 土佐藩邸跡 京都三条木屋町下ル 山之内氏が用いた家紋『土佐柏(とさかしわ)』 伏見土佐藩邸跡 京都市伏見区.

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土佐清水市

土佐清水市(とさしみずし)は、高知県の南西部に位置する市である。太平洋に突きだした足摺岬や水産業で知られる。.

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嵯峨天皇

嵯峨天皇(さがてんのう、延暦5年9月7日(786年10月3日) - 承和9年7月15日(842年8月24日))は、日本の第52代天皇(在位:大同4年4月1日(809年5月18日) - 弘仁14年4月16日(823年5月29日))。 諱は神野(賀美能・かみの)。 桓武天皇の第二皇子で、母は皇后藤原乙牟漏。同母兄に平城天皇。異母弟に淳和天皇他。皇后は橘嘉智子(檀林皇后)。 嵯峨天皇宸翰『哭澄上人詩』部分(最澄の死を悼む詩)釈文:(香煙は)像爐に(続く) 蒼生橋梁に少なく 緇侶(しりょ)律儀疎(うと)し 法軆何ぞ久しく住(とど)まらん 塵心傷みて餘り有り.

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和泉式部

菊池容斎『前賢故実』より 小倉百人一首56番「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」 和泉 式部(いずみ しきぶ、天元元年(978年)頃 - 没年不詳)は平安時代中期の歌人である。越前守・大江雅致の娘。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。.

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ジョン万次郎

中浜万次郎/1880年(明治13年)頃の写真。 ジョン万次郎(ジョン まんじろう、旧字体:ジョン萬次郎、英語:、1827年1月27日〈文政10年1月1日〉 - 1898年〈明治31年〉11月12日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけてアメリカ合衆国と日本で活動した日本人である。アメリカ人からはジョン・マン(英語:)という愛称でも呼ばれた。土佐国(現・高知県)出身。帰国後は本名として 中浜 万次郎(なかはま まんじろう、旧字体:中濱 萬次郎)を名乗った。なお、「ジョン万次郎」という呼称は、1938年(昭和13年)に第6回直木賞を受賞した『ジョン萬次郎漂流記』(井伏鱒二)で用いられたことで広まったもので、それ以前には使用されていない。 日米和親条約の締結に尽力し、その後、通訳・教師などとして活躍した。.

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唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、例えば朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、結果としてそれ以降遣唐使は送られず、それまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられた。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではない。詳しくは中国を参照のこと。.

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勧進

勧進(かんじん)は、仏教の僧侶が衆庶の救済のための布教活動の一環として行う行為の1つで勧化(かんげ)ともいう。勧請ともいう。直接民衆に説いて念仏・誦経などの行為を勧める者や寺院・仏像などの新造あるいは修復・再建のために浄財の寄付を求める者がいたが、中世以後には後者の行為を指すことが一般的となった。 なお勧請も、もともと仏教で仏に教えを請い、いつまでも衆生を救ってくれるよう請願することを指したが、日本では神仏習合によって神仏の霊を迎えての祈願を指すようになり、後に現在の意味に変化した。勧請は神道神社で使われることが多く、分霊ともいう。.

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四国八十八箇所

四国八十八箇所(しこくはちじゅうはっかしょ、「四国八十八ヶ所」とも表記される)は、四国にある空海(弘法大師)ゆかりの88か所の寺院の総称で、四国霊場の最も代表的な札所である。単に八十八箇所ともいい、あるいはお四国さん、あるいは本四国ともいわれている。 四国八十八箇所を巡拝することを四国八十八ヶ所霊場会では四国巡礼といい、似たような呼び方として四国遍路、四国巡拝などともいう。 巡拝中の掛軸の御印譜 白衣の御印譜.

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四国歴史文化道

四国歴史文化道(しこくれきしぶんかどう)は、四国の歴史・文化をテーマに指定された観光モデル地域。 国土交通省四国地方整備局や四国四県、四国経済連合会などで構成される「歴史・文化道推進協議会」が指定した11のモデル地域内では官民が一体となり、観光客が対象となる歴史的文化遺産を巡りやすくなるようにモデルコースを設定したり、文化遺産間の道路網や案内表示板の整備を行っている。観光地によっては語り部(ガイド)の案内がある。.

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神仏分離

仏分離(しんぶつぶんり)は、神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること。 その動きは早くは中世から見られるが、一般には江戸時代中期後期以後の儒教や国学や復古神道に伴うものを指し、狭義には明治新政府により出された神仏判然令(神仏分離令。慶応4年3月13日(1868年4月5日)から明治元年10月18日(1868年12月1日)までに出された太政官布告、神祇官事務局達、太政官達など一連の通達の総称)に基づき全国的に公的に行われたものを指す。.

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空海

海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。俗名(幼名)は佐伯 眞魚(さえき の まお)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。.

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真念

宥辨 真念(ゆうべん しんねん、出生年は不明、没年は1692年〈元禄5年〉、または1691年〈元禄4年〉の説もある)は、江戸時代初期の高野聖で、大阪の寺嶋で暮らし、抖そうする頭陀と自称し、四国遍路中興の祖と云われた。.

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真念庵

真念庵(しんねんあん)は高知県土佐清水市に所在する仏堂である。本尊は地蔵菩薩。四国八十八箇所霊場番外札所。.

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真言

真言(しんごん)とは、サンスクリット語のマントラ(मन्त्र )の訳語で、「(仏の)真実の言葉、秘密の言葉」という意。『大日経』などの密教経典に由来し、浄土真宗を除く多くの大乗仏教の宗派で用いられる呪術的な語句である。 漢訳経典では、「真言」の他に「密言」、「呪」、「明呪」等と訳される「呪」は「咒」と書かれることもあるが、「咒」は「呪」の異体字(俗字)であり意味の違いもない。。.

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真言宗豊山派

総本山長谷寺 本堂(大悲閣) 長谷寺の登廊 大本山護国寺 本堂 總持寺(西新井大師)本堂 真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)は日本の仏教宗派の一つで、新義真言宗の一派。総本山は奈良県桜井市の長谷寺。包括宗教法人名は、眞言宗豊山派で、東京都文京区大塚五丁目に本部を置く。同派の公称は、全国に約3,000寺、僧侶(教師)数は約5,000人、檀信徒数は200万人。源氏物語や枕草子などにも登場し長谷詣として知られる総本山長谷寺や、東京の大本山護国寺・西新井大師(総持寺)は豊山派の象徴である。 真言宗智山派とは、興教大師覚鑁が創始した新義真言宗という同一宗派であった。豊山派は徳川家との縁も深く、幕府の庇護を受けると共に、大本山護国寺は関東における布教の拠点となった。関東では多くの信者を獲得する一方、真言宗の離合集散の歴史的経緯から中国・九州地方では末寺が1か寺ずつしか存在しない。.

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白山神社 (土佐清水市)

白山神社(はくさんじんじゃ)は、高知県土佐清水市足摺岬に鎮座する神社。四国八十八箇所第三十八番札所金剛福寺の奥の院である白皇権現(しらおうごんげん)を合祀する。.

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白山権現

白山権現(はくさんごんげん)は白山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、十一面観音菩薩を本地仏とする。白山大権現、白山妙理権現とも呼ばれた。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、全国の白山権現社で祀られた。.

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白山洞門

白山洞門(はくさんどうもん)は、高知県土佐清水市足摺岬にある海蝕洞である。高知県の天然記念物に指定されている。.

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鐘楼

鐘楼(しょうろう、しゅろう)とは、寺院内にあって梵鐘を吊し、時を告げる施設。鐘つき堂、鐘楼堂とも言う。 「鐘楼」の語は、キリスト教の建物(教会堂、礼拝堂)において同様の機能を果たす施設を指しても用いられる。.

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補陀落

補陀落(ふだらく、Potalaka)は、観音菩薩の降臨する霊場であり、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山である岩波仏教辞典 2002, p. 866.

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高知県

知県(こうちけん)は、日本の県の一つ。四国の太平洋側に位置する。県庁所在地は高知市。.

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高知西南交通

知西南交通株式会社(こうちせいなんこうつう)は、高知県西部を中心に貸切バス・路線バスを運行する事業者で1997年に高知県交通(中村営業所エリア)を分社化、幡多観光自動車とともに設立された。高知西南交通のバス(宿毛駅にて).

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護摩

総本山金峯山寺修験本宗「普来山正覚院」 兵庫県三木市の伽耶院で山伏により毎年10月第2月曜日に行われる採燈大護摩供 護摩(ごま)とは、「供物」「供物をささげること」「犠牲」「いけにえ」を意味するサンスクリットのホーマ()を音訳して書き写した語である。.

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足摺岬

岬の先端と足摺岬灯台 足摺岬(あしずりみさき)は、高知県南西部土佐清水市に属し、太平洋(フィリピン海)に突き出る足摺半島の先端の岬。足摺宇和海国立公園に指定されている。 Michelin Green Guide Japon(ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン)では、「足摺岬」と「足摺岬からの眺望」がそろって二つ星★★と評価されている。 北緯32度43分24秒、東経133度1分12秒。宿毛市に属する沖の島の存在のほか、岬付近にはこれより低緯度にも小島が散在し、四国本島としても、長碆(ながはえ)地区等の存在から、実際にはわずかに四国最南端ではないが、一般には四国最南端の地(岬)として認識されている。 足摺崎の読みは本来「あしずりざき」が正式呼称であったが、観光地化の進展に伴い論議を経て通称の「あしずりみさき」が正式呼称となった。 高知県を代表する観光地の一つで、JR四国・土佐くろしお鉄道の特急列車にもその名が採られている(詳細は、「あしずり」を参照)。.

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霊場

霊場(れいじょう)とは神仏の霊験あらたかな場所の意で、神社・仏閣などの宗教施設やゆかりの地など、神聖視される場所をいう。古くから信仰の対象になっており、現在でもお遍路や修験者などの往来の多いところがある。 恐山、比叡山、高野山など数多くの霊場が存在する。その多くは山岳信仰に根ざしたものであるが、全ての霊場が山にあるとは限らない。志度寺(四国八十八箇所)のように海沿いの霊場や、弁天洞窟(東京都稲城市)のような地下霊場も存在する。 また、日本では西国三十三所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所を合わせて日本百観音と呼ぶ。「百観音」という言葉そのものは平安時代からあり、その内容は時代と共に移り変わってきたが、現在では上記の霊場を百観音とする定義が一般的である。 中には、再興していない霊場もあるので、要注意.

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金剛力士

東大寺南大門金剛力士(阿形・国宝) 法隆寺中門金剛力士(吽形) 金剛力士(こんごうりきし、वज्रपानि、)は、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つ。サンスクリットでは「ヴァジュラダラ」と言い、「金剛杵(こんごうしょ、仏敵を退散させる武器)を持つもの」を意味する。開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。一般には仁王(におう、二王)の名で親しまれている。.

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金剛福寺

金剛福寺(こんごうふくじ)は、高知県土佐清水市にある真言宗豊山派の寺院。蹉跎山(さだざん)、補陀洛院(ふだらくいん)と号す。本尊は千手観世音菩薩。四国八十八箇所霊場の第三十八番札所。 境内には亜熱帯植物が繁っている。足摺岬の遊歩道付近には、ゆるぎ石、亀石、刀の石、亀呼び場、竜橙の松、竜の駒、名号の岩の「弘法大師の七不思議」の伝説が残されている。山号の文字「蹉」も「跎」もともに「つまづく」の意味で、この地が難所であったことを示している。 本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか ご詠歌:ふだらくや ここは岬の 船の棹 取るも捨つるも 法のさだやま.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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源頼光

源 頼光(みなもと の よりみつ)は、平安時代中期の武将。父は鎮守府将軍・源満仲、母は嵯峨源氏の近江守・源俊の娘。諱はしばしば「らいこう」と有職読みされる。 満仲の長子で清和源氏の3代目。満仲が初めて武士団を形成した摂津国多田の地を相続し、その子孫は「摂津源氏」と呼ばれる。異母弟に大和源氏の源頼親、後に武家源氏の主流となる河内源氏の源頼信がいる。.

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源氏

源氏(げんじ、みなもとうじ)は、「源」を氏の名とする氏族。姓(カバネ)は朝臣。 日本において皇族が臣下の籍に降りる(臣籍降下)際に名乗る氏の1つで、多数の流派がある。清和天皇の子孫である清和源氏が有名である。.

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源満仲

JR川西池田駅前にある満仲のブロンズ像 源 満仲(みなもと の みつなか)は、平安時代中期の武将。清和源氏、六孫王経基の嫡男。多田源氏の祖で、多田 満仲(ただ の みつなか、ただ の まんじゅう)とも呼ばれる。諱は満中とも記される。神号は多田大権現。.

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本堂

本堂(ほんどう)とは、仏教寺院において、本尊仏を安置する建物の呼称。仏堂の一種。.

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本尊

本尊(ほんぞん)とは、仏教寺院や仏壇などに最も大切な信仰の対象として安置される仏像・経典・仏塔、お守りとして身辺に常時携帯されるもの、仏や菩薩などの彫刻・絵画・曼荼羅(まんだら)・名号などをいう。 また比喩として派生した用法として、.

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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新義真言宗

新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)は、空海(弘法大師)を始祖とする真言宗の宗派の一つで、真言宗中興の祖覚鑁(興教大師)の教学を元に覚鑁派の僧正頼瑜に連なる。高野山内で新たな教義を打ち立てたため「新義」と呼ばれた。広義では、根来寺を本山とする新義真言宗、智積院を本山とする真言宗智山派、長谷寺を本山とする真言宗豊山派、室生寺を本山とする真言宗室生寺派などを含むが、狭義では真言宗十八本山の一つで、根来寺を総本山とする【新義真言宗】を指す。 従来の真言宗(いわゆる古義真言宗)では本地身説法(真言宗最高仏である大日如来が自ら説法するとする説)を説くのに対して、新義真言宗では加持身説法(大日如来が説法のため加持身となって教えを説くとする説)を説くことが教義上の違いである。.

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1871年

記載なし。

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1916年

記載なし。

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822年

記載なし。

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