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荘園整理令

索引 荘園整理令

荘園整理令(しょうえんせいりれい)は、平安時代に発布された一連の法令のこと。 特に有名なものは、1069年(治暦5年.

80 関係: 堀河天皇大江匡房天喜天永太政大臣太政官太政官符太政官牒寛平寛徳寛治上島享上野国師守記一国平均役平安時代平等院康和康永二条天皇五味文彦延久延久宣旨枡延喜彦根市御代始徳大寺実基徳政令後三条天皇後二条師通記後嵯峨天皇後冷泉天皇後白河天皇後朱雀天皇保元保元新制応保内裏公田公験勅旨田国司国免荘国衙領四至石清水八幡宮紙背文書白河天皇花山天皇荘園 (日本)...記録荘園券契所鳥羽天皇興福寺藤原師通藤原伊通藤原頼通醍醐天皇長久陣定陽明文庫梅村喬権門永観治暦法令新制文永摂家改元愚管抄慈円承徳承保1069年1270年3月13日 (旧暦)6月8日 (旧暦)897年902年985年 インデックスを展開 (30 もっと) »

堀河天皇

堀河天皇内裏跡 堀河天皇(ほりかわてんのう、承暦3年7月9日(1079年8月8日) - 嘉承2年7月19日(1107年8月9日))は平安時代後期の第73代天皇(在位:応徳3年11月26日(1087年1月3日) - 嘉承2年7月19日(1107年8月9日))。諱は善仁(たるひと)。 白河天皇の第二皇子、母は藤原師実の養女・中宮賢子。准母に同母姉媞子内親王(郁芳門院)。.

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大江匡房

大江 匡房(おおえ の まさふさ)は、平安時代後期の公卿、儒学者、歌人。大学頭・大江成衡の子。官位は正二位・権中納言。江帥(ごうのそつ)と号す。藤原伊房・藤原為房とともに白河朝の「三房」と称された。小倉百人一首では前中納言匡房。.

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天喜

天喜(てんぎ)は、日本の元号のひとつで永承の後、康平の前。1053年〜1058年の期間を指す。この時代の天皇は後冷泉天皇。.

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天永

天永(てんえい)は、日本の元号の一つ。天仁の後、永久の前。1110年から1112年までの期間を指す。この時代の天皇は鳥羽天皇。.

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太政大臣

太政大臣(だいじょうだいじん/だじょうだいじん)は、太政官の長官。前近代日本の律令官制と明治時代の太政官制における朝廷の最高職。唐名は「(大)相国」「太師」。和訓は「おおまつりごとのおおまえつぎみ/おおきおとど」。定員1名。具体的な職掌のない名誉職で、適任者がなければ設置しない則闕(そっけつ)の官とされた。.

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太政官

太政官.

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太政官符

太政官符(だいじょうかんぷ.

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太政官牒

太政官牒(だいじょうかんちょう)とは、太政官から僧綱・寺社などの直接管理下にない組織に対して送付する公文書のこと。単に官牒(かんちょう)とも称する。平安時代に盛んに用いられた。 牒は、公式令においては主典以上の官人が官司に対して上申する際に用いられる文書形式であったが、後に僧綱や寺社と官司とが文書の遣り取りを行う際にも用いられるようになった。太政官からの命令は通常は太政官符が用いられるが、寺社とは直接的な被官関係を有しないために太政官符よりも命令色の薄い太政官牒が替わりに用いられた。 差出相手の下と本文冒頭において「牒」という1文字をそれぞれに加え、更に書止には「故牒」の文字が加えられ、日付の次に太政官牒を作成した弁官と史が署名が記された。.

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寛平

寛平(かんぴょう、かんびょう、かんぺい、かんべい)は、日本の元号の一つ。仁和の後、昌泰の前。889年から898年までの期間を指す。この時代の天皇は宇多天皇、醍醐天皇。.

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寛徳

寛徳(かんとく)は、日本の元号の一つ。長久の後、永承の前。1044年から1045年までの期間を指す。この時代の天皇は後朱雀天皇、後冷泉天皇。.

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寛治

寛治(かんじ)は、日本の元号の一つ。応徳の後、嘉保の前。1087年から1094年までの期間を指す。この時代の天皇は堀河天皇。.

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上島享

上島 享(うえじま すすむ、1964年 - )は、日本の歴史学者、京都大学教授。専門は日本中世史。京都市生まれ.

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上野国

上野国(こうずけのくに、かみつけぬのくに、かみつけののくに、かみつけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 常陸国・上総国とともに親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は上野介であった類聚三代格。.

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師守記

師守記(もろもりき)は、日本の南北朝時代の日記。筆者は公家の中原師守。紙背は全て紙背文書。国立国会図書館に64巻が所蔵されている。 記述は暦応2年(1339年)から応安7年(1374年)にまで及んでいるが、所々に欠落があり、貞和5年(1349年)以降は顕著となる。また筆者の師守は応安3年(1370年)前後に没したと言われており、文脈や筆跡もその前後で相違が見られるので、応安以降の記述は別人の手によるものである可能性がある。 中原氏は代々外記を世襲した家柄で、筆者の師守も北朝で権少外記の役職にあったため、北朝の朝議や記録所関係の記述が精細である。 師守は外記に就任する前は大炊頭にあり、役職の関係から大炊寮領を統治しており、大炊寮を中心に、公領の経営やそこで起こった出来事に関する記述も多々ある。 師守の兄中原師茂は権大外記の役職にあり、師守は兄師茂を「家君」と称し、師茂の視点から書かれたような記述が多く散見される。そのため「師茂記」とも呼ばれることがある。 南北朝の戦争、公武間の軍事、また巷間での出来事に関する記述まで豊富な情報が収められているので、『園太暦』と並び、南北朝時代の一級史料として、貴重な扱いを受けている。『太平記』の研究においても、『園太暦』と並び貴重、有用な史料として重用される。.

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一国平均役

一国平均役(いっこくへいきんやく)は、日本の中世において、朝廷の認可のもと、一国単位において、原則として荘園・公領を論ぜず、臨時に賦課された租税・課役である上島享「一国平均役の成立過程」(初出:『史林』73巻1号(1990年)/改稿所収:上島『日本中世社会の形成と王権』(名古屋大学出版会、2010年) ISBN 978-4-8158-0635-4 第三部第一章第一節)。一つの国で平均(一律的)に賦課されることから一国平均役と呼称される。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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平等院

平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園等を今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。.

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康和

康和(こうわ)は、日本の元号の一つ。承徳の後、長治の前。1099年から1103年までの期間を指す。この時代の天皇は堀河天皇。.

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康永

康永(こうえい)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。北朝方にて使用された。暦応の後、貞和の前。1342年から1344年までの期間を指す。この時代の天皇は、北朝方が光明天皇、南朝方が後村上天皇。室町幕府将軍は足利尊氏。.

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二条天皇

二条天皇(にじょうてんのう、康治2年6月18日(1143年7月31日) - 永万元年7月28日(1165年9月5日))は第78代天皇(在位:保元3年8月11日(1158年9月5日) - 永万元年6月25日(1165年8月3日))。諱は守仁(もりひと)。 後白河天皇の第一皇子。母は、大炊御門経実の娘で、源有仁の養女・贈皇太后懿子。.

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五味文彦

五味 文彦(ごみ ふみひこ、1946年(昭和21年)1月30日 - )は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。山梨県甲府市出身。.

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延久

延久(えんきゅう)は、日本の元号の一つ。治暦の後、承保の前。1069年から1073年までの期間を指す。この時代の天皇は後三条天皇、白河天皇。.

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延久宣旨枡

延久宣旨枡(えんきゅうせんじます)は、後三条天皇が延久の荘園整理令など新立荘園整理政策の裏付けとした、1072年(延久4年)に再指定した国家公定升のことである。単に宣旨枡ともいう。この枡は、制定後間もなく全国的に流布し、その後は14世紀初頭に至るまで、数多い私枡のなかにあって、一定の権威をもった公定枡として機能した。しかし、南北朝時代から室町時代を経て私枡がますます隆盛し、宣旨枡も公的な性格を失った。 Category:日本の荘園制 Category:宣旨 Category:1072年の日本.

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延喜

延喜(えんぎ)は、日本の元号の一つ。昌泰の後、延長の前。901年から923年までの期間を指す。この時代の天皇は醍醐天皇。 この時代は形式的ながらも天皇親政が行われたが、のちにこれを延喜の治と呼ぶようになり、「天暦の治」とともに理想的な治世として賞賛されるようになった。.

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彦根市

彦根市(ひこねし)は、滋賀県の北東部に所在する市である。滋賀県北部、東部の中心となる都市である。 旧坂田郡鳥居本村と旧愛知郡稲枝町を除き、かつては犬上郡に属していた。.

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御代始

御代始(ごだいはじめ)とは、前の君主の死去・隠居に伴う、新君主の就任初期に新治世の統治の一環として行われる一連の施策・政策を指す。 新しく君主となった者は一刻も早い民衆の掌握を必要とし、逆に民衆の側も新しい君主の下で旧弊が改革・廃止されて自分たちのためになる新政策が導入されることを期待した。中世においては、君主の側からは「御代始の徳政」の形で行われ、反対に民衆の側からは徳政一揆などの示威行動によって徳政の実施を求める動きが生じた。 江戸幕府では、2代徳川秀忠・3代徳川家光ともに将軍宣下後10年近くにわたって、大御所となった父親の前将軍が実際の政務を掌握する時期が続いた。このため、大御所であった父親が死ぬと直ちに「御代始」を宣言して積極的に政務を臨む姿勢を示した。このため、江戸幕府では幼少の場合を例外として、征夷大将軍就任あるいは大御所の死亡による徳川将軍家当主就任時に、「御代始」の新政策を打ち出すことが慣例化していった。 著名な幕政改革であるいわゆる「三大改革」(享保の改革・寛政の改革・天保の改革)は、本来はそれぞれ8代徳川吉宗・11代徳川家斉・12代徳川家慶の「御代始」の一環であり、近年注目されている幕末の安政の改革及び慶応の改革も13代徳川家定・15代徳川慶喜の「御代始」と関連づけられる(もう1つの文久の改革は、孝明天皇勅使の江戸下向との関連であり「御代始」との関連性は無いとされる)。 また、地方においては当主の交代や改易による新領主の入部に伴う領主の交替時にも、「御代始」に対する期待が強く持たれたのである。.

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徳大寺実基

徳大寺 実基(とくだいじ さねもと)は、 鎌倉時代中期の公卿。従一位太政大臣。徳大寺相国、又は水本太政大臣と号す。左大臣徳大寺公継の次男。母は白拍子の五条夜叉。.

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徳政令

徳政令(とくせいれい)とは、日本の中世、鎌倉時代から室町時代にかけて、朝廷・幕府などが土倉などの債権者・金融業者に対して、債権放棄(債務免除)を命じた法令である。.

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後三条天皇

大炊御門万里小路殿址、源高房、後三条天皇はこの地で崩御、京都府京都市中京区富小路通夷川上る西側 後三条天皇(ごさんじょうてんのう、長元7年7月18日(1034年9月3日) - 延久5年5月7日(1073年6月15日))は、第71代天皇(在位:治暦4年4月19日(1068年5月22日) - 延久4年12月8日(1073年1月18日))。諱は尊仁(たかひと)。宝算40。 後朱雀天皇の第二皇子。母は三条天皇第三皇女・皇后禎子内親王(陽明門院)。後冷泉天皇の異母弟。宇多天皇以来170年ぶりの藤原氏を外戚としない天皇である(ただし、生母の禎子内親王は藤原道長の外孫である)。.

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後二条師通記

後二条師通記(ごにじょうもろみちき)は、平安時代後期に活躍した藤原師通の記した日記。原本は一条家に伝来していた。後二条関白記、後二条殿記とも。 永保3年(1083年)から康和元年(1099年)まで書かれたらしいが、うち数年分が欠ける。寛治7年(1093年)分の一部の自筆本が伝わる。この自筆本と、後に藤原頼長が書写させた古写本が、陽明文庫に伝わり、ともに国宝に指定されている。また、宮内庁書陵部にも古写本よりも時代が下ると見られる新写本が伝えられている。 同時代に記された日記に、中右記(藤原宗忠)、時範記(平時範)など。.

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後嵯峨天皇

後嵯峨天皇(ごさがてんのう、承久2年2月26日(1220年4月1日) - 文永9年2月17日(1272年3月17日))は、鎌倉時代の第88代天皇(在位:仁治3年1月20日(1242年2月21日) - 寛元4年1月29日(1246年2月16日))。諱は邦仁(くにひと)。 土御門天皇の皇子。母は、源通宗の娘、通子。.

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後冷泉天皇

後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう、万寿2年8月3日(1025年8月28日) - 治暦4年4月19日(1068年5月22日))は、日本の第70代天皇(在位:1045年 - 1068年)。後朱雀天皇の第一皇子。母は藤原道長女藤原嬉子(贈皇太后)。諱を親仁(ちかひと)。紫式部の娘大弐三位が乳母である。.

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後白河天皇

後白河天皇(ごしらかわてんのう、大治2年9月11日(1127年10月18日) - 建久3年3月13日(1192年4月26日)、在位:久寿2年7月24日(1155年8月23日) - 保元3年8月11日(1158年9月5日))は平安時代末期の第77代天皇。諱は雅仁(まさひと)。鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、異母弟・近衛天皇の急死により皇位を継ぎ、譲位後は34年に亘り院政を行った。その治世は保元・平治の乱、治承・寿永の乱と戦乱が相次ぎ、二条天皇・平清盛・木曾義仲との対立により、幾度となく幽閉・院政停止に追い込まれるがそのたびに復権を果たした。政治的には定見がなくその時々の情勢に翻弄された印象が強いが、新興の鎌倉幕府とは多くの軋轢を抱えながらも協調して、その後の公武関係の枠組みを構築する。南都北嶺といった寺社勢力には厳しい態度で臨む反面、仏教を厚く信奉して晩年は東大寺の大仏再建に積極的に取り組んだ。和歌は不得手だったが今様を愛好して『梁塵秘抄』を撰するなど文化的にも大きな足跡を残した。.

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後朱雀天皇

後朱雀天皇(ごすざくてんのう、寛弘6年11月25日(1009年12月14日) - 寛徳2年1月18日(1045年2月7日))は、平安時代中期の第69代天皇(在位:長元9年4月17日(1036年5月15日) - 寛徳2年1月16日(1045年2月5日))。諱は敦良(あつなが)。 一条天皇の第三皇子。母は藤原道長女中宮彰子。同母兄に後一条天皇。.

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保元

保元(ほうげん、ほげん)は、日本の元号の一つ。久寿の後、平治の前。1156年から1158年までの期間を指す。この時代の天皇は後白河天皇、二条天皇。.

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保元新制

保元新制(ほうげんのしんせい)とは、保元元年閏9月18日(1156年11月2日)に出された宣旨7ヶ条のこと。保元元年令とも。また、翌保元2年3月17日(1157年4月27日)に出された太政官符5ヶ条及び同年10月8日(1157年11月11日)宣旨35ヶ条との総称として用いられる場合もある。荘園整理令として重視する観点からは保元の荘園整理令と呼ばれる場合もある。.

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応保

応保(おうほう)は、日本の元号の一つ。永暦の後、長寛の前。1161年から1162年までの期間を指す。この時代の天皇は二条天皇。.

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内裏

内裏(だいり)とは、古代都城の宮城における天皇の私的区域のこと。御所(ごしょ)、禁裏(きんり)、大内(おおうち)などの異称がある。都城の北辺中央に 官庁エリアである宮城(皇城)があり、宮城内部に 天皇の私的な在所である内裏があった。.

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公田

公田(こうでん/くうでん/くでん)とは、律令制において公(国家・朝廷)が所有している田地・畑地のこと。なお、その概念は時代によって異なるために注意を要する。.

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公験

公験(くげん)とは、律令国家が特定の人物に特権を認める際に出した証明書の一種のこと。.

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勅旨田

勅旨田(ちょくしでん)は、古代日本において、天皇の勅旨により開発された田地であり、皇室経済の財源に充てられた。勅旨田が設定されたのは平安時代前期の天長・承和年間(820年代~840年代)に集中しており、この時期の開発奨励政策を反映したものと考えられている。.

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国司

国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を指す(詳細は古代日本の地方官制も併せて参照のこと)。守の唐名は刺史、太守など。 郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので、中央からの支配のかなめは国司にあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司は国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。.

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国免荘

国免荘(こくめんのしょう)は、平安時代後期の荘園のうち、国司によって諸役の免除を受けたもの。 平安時代後期に入ると、地方統治における国司の権限は強力となり、荒田などの諸役免除などを決定する権限を保持するようになる。これを不輸の権・不入の権を獲得した荘園に対しても適用を拡大しようとしたのが国免荘である。 ただし、これは当該の国司の個人裁量によるものであったから、国司が交代すると無効になる可能性があった。このため、荘園領主たちは更に効力が強い官省符荘や勅免荘への認定を期待するようになった。 Category:日本の荘園制 Category:日本の経済史.

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国衙領

国衙領(こくがりょう)は、平安時代中期頃以降の公領を、荘園に対して呼ぶ歴史学用語。国衙は国の役所の意味。.

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四至

四至(しいし/しし)とは、古代・中世における所領・土地の東西南北の境界を指して呼んだ呼称である。転じて境界そのものを指すようになった。.

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石清水八幡宮

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市にある神社。旧称は「男山八幡宮」。二十二社(上七社)の1つで、伊勢神宮(三重県伊勢市)とともに二所宗廟の1つ。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 宇佐神宮(大分県宇佐市)・筥崎宮(福岡市東区)または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)とともに日本三大八幡宮の1つ。また宮中の四方拝で遥拝される神社の1つである。本殿を含む建造物10棟が国宝に指定されている。.

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紙背文書

紙背文書(しはいもんじょ)とは、和紙の使用済みの面を反故(ほご)として、その裏面を利用して別の文書(古文書)が書かれた場合に、先に書かれた面の文書のことをいう。後で書かれた文書が主体となるので、先に書かれた文書が紙背(裏)となる。裏文書(うらもんじょ)ともいう。.

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白河天皇

白河天皇(しらかわ てんのう)は、第72代天皇(在位:延久4年12月8日(1073年1月18日) - 応徳3年11月26日(1087年1月3日))。諱を貞仁(さだひと)という。 後三条天皇の第一皇子。母は藤原氏閑院流藤原公成の娘で、藤原能信の養女である藤原茂子。同母妹に篤子内親王(堀河天皇中宮)。.

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花山天皇

花山天皇(かざんてんのう/かさんてんのう、安和元年10月26日(968年11月29日) - 寛弘5年2月8日(1008年3月17日)、在位:永観2年10月10日(984年11月5日) - 寛和2年6月23日(986年8月1日))は、日本(平安時代中期)の第65代天皇。諱は師貞(もろさだ)。花山院(かさんいん)や花山法皇とも呼ばれる。 冷泉天皇の第一皇子。母は、摂政太政大臣藤原伊尹の娘・女御懐子。三条天皇の異母兄。花山源氏(神祇伯を世襲した伯王家、のち断絶)の祖。.

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荘園 (日本)

ここでは日本の荘園(にほんのしょうえん)について扱う。.

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記録荘園券契所

記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)は平安時代の荘園調査機関。令外官の1つ。略して記録所という。.

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鳥羽天皇

鳥羽天皇(とばてんのう、旧字体:鳥羽、康和5年1月16日(1103年2月24日) - 保元元年7月2日(1156年7月20日))は平安時代後期の第74代天皇(在位嘉承2年7月19日(1107年8月9日) - 保安4年正月28日(1123年2月25日))。諱は宗仁(むねひと)。 堀河天皇の皇子。母は贈皇太后・藤原苡子。子の崇徳天皇・近衛天皇・後白河天皇の3代28年に渡り院政を敷いた。.

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興福寺

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。.

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藤原師通

藤原 師通(ふじわら の もろみち)は、平安時代後期の公卿。藤原北家、関白・藤原師実の子。官位は従一位、関白、内大臣。.

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藤原伊通

藤原 伊通(ふじわら の これみち、寛治7年(1093年) - 長寛3年2月15日(1165年3月28日))は平安時代末期の公卿。中御門流権大納言藤原宗通の次男で、藤原道長は高祖父にあたる。正二位・太政大臣。九条に邸宅を構えていたことから九条大相国(くじょう だいしょうごく)あるいは大宮大相国と号した。.

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藤原頼通

藤原 頼通(ふじわら の よりみち)は、平安時代中期から後期にかけての公卿・歌人。藤原北家、摂政太政大臣藤原道長の長男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣、准三宮。 父・道長から若くして後一条天皇の摂政を譲られ、その後見を受ける。父の死後は朝政の第一人者として後朱雀天皇・後冷泉天皇の治世にて、関白を50年の長きに亘って務め、父道長と共に藤原氏の全盛時代を築いた。現代に残るその栄華の象徴が頼通が造営した平等院鳳凰堂である。 しかし、天皇の后にした娘が男子に恵まれなかったばかりか、刀伊の入寇・平忠常の乱・前九年の役など戦乱が相次ぐなど、朝廷の内外からそれまでの絶対的な権力体制を揺さぶられる事態が生じた。そこに加えて晩年には頼通と疎遠な後三条天皇が即位したこともあり、摂関家の権勢は衰退へ向かい、やがて院政と武士の台頭の時代へと移ることになる。.

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醍醐天皇

醍醐天皇(だいごてんのう、元慶9年1月18日(885年2月6日)- 延長8年9月29日(930年10月23日))は、平安時代の第60代天皇(在位:寛平9年7月13日(897年8月14日)- 延長8年9月22日(930年10月16日))。臣籍の身分として生まれた唯一の天皇で、はじめ源 維城(みなもと の これざね)といった。のち父の即位とともに皇族に列し親王宣下ののちに敦仁(あつぎみ・あつひと)に改めた。 宇多天皇の第一皇子。母は内大臣藤原高藤の女藤原胤子。養母は藤原温子(関白太政大臣基経の女)。.

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長久

長久(ちょうきゅう)は、日本の元号の一つ。長暦の後、寛徳の前。1040年から1043年までの期間を指す。この時代の天皇は後朱雀天皇。.

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陣定

陣定(じんのさだめ)は、平安時代摂関期の朝議の形式のひとつ。左右近衛府の陣に公卿の座を設定し、大臣以下の公卿と四位の参議以上の議政官が出席して、外交・財政・叙位・受領任命・改元など、重要な政務が審議された。 近衛府の陣(主として左近衛府側)において招集されたので、会議の場を陣座(じんのざ)又は杖座(じょうざ)と呼称された。.

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陽明文庫

陽明文庫(ようめいぶんこ)は、京都市右京区宇多野上ノ谷町にある歴史資料保存施設。 公家の名門で「五摂家」の筆頭である近衛家伝来の古文書(こもんじょ)、典籍、記録、日記、書状、古美術品など約10万件に及ぶ史料を保管している。昭和13年(1938年)、当時の近衛家の当主で内閣総理大臣であった近衛文麿が京都市街地の北西、仁和寺の近くの現在地に財団法人陽明文庫設立した。近衛家の遠祖にあたる藤原道長(966 - 1028)の自筆日記『御堂関白記』から、20世紀の近衛文麿の関係資料まで、1,000年以上にわたる歴史資料を収蔵し、研究者に閲覧の便を図るとともに、調査研究事業、展示出陳事業、複製本の刊行などの事業を行っている。2012年4月より公益財団法人に移行した。.

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梅村喬

梅村 喬(うめむら たかし、1945年12月 - )は、日本史学者、大阪大学名誉教授。 愛知県生まれ。1969年名古屋大学文学部史学科卒業。74年同大学院文学研究科博士課程満期退学。名古屋大学文学部助手、愛知県立大学文学部講師、助教授、教授。1999年大阪大学大学院文学研究科教授。2009年定年退官。90年「日本古代財政組織の研究」で文学博士(名古屋大学)。.

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権門

権門(けんもん)とは、古代末期から中世の日本において、社会的な特権を有した権勢のある門閥・家柄・集団を指す言葉。類似した意味を持つ勢家(せいか/せいけ)と組み合わせて、権門勢家ともいった。 「権門」と「勢家」はともに中国の古典に記された故事に由来する語で、平安時代初め頃から使われるようになる。902年(延喜2年)3月13日付太政官符(すなわち『延喜の荘園整理令』)には、「権門」「多勢之家(勢家)」などの語がすでに見られ、諸院諸宮王臣家あるいは五位以上の貴族の意味で用いられていたことがわかる。 摂関政治の時代に入ると、地方の在地領主が国司の介入を排除するため権門に土地を荘園として寄進して不輸権・不入権を獲得するようになった(荘園領主)。特に藤原北家でも摂関の地位を占める可能性のある一族に寄進が集中して格差が拡大し、それ以外の貴族が「寒門」として没落するようになった。当時の政治は権門によって運営されていたために、荘園整理などの権門抑制策には消極的だったが、一方で政治的権威の基盤である太政官 - 国衙の支配体制の崩壊も望まれるところではなく、官物率法の導入などによってその最低限の維持政策は取られ続けていた。 しかし院政の時代に入ると藤原北家への権力の集中に翳りが見え始め、それと平行して治天の君(皇室の家督)、興福寺や延暦寺などの大寺社勢力、そして桓武平家、清和源氏に代表される武士団を背景とした新しい武家勢力の棟梁などが、新たな権門として浮上するようになる。これらはしばらくの間互いを牽制するかたちで並列的に存在したが、やがて平安時代末期の源平合戦の動乱から鎌倉幕府の成立を経て、いわゆる「荘園公領制」の時代に入ると、「権門体制」と呼ばれる新秩序が確立されたと考えられている。 Category:平安時代 Category:日本の荘園制.

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永観

永観(えいがん、えいかん)は、日本の元号の一つ。天元の後、寛和の前。983年から985年までの期間を指す。この時代の天皇は円融天皇、花山天皇。.

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治暦

治暦(じりゃく)は、日本の元号の一つ。康平の後、延久の前。1065年から1068年までの期間を指す。この時代の天皇は後冷泉天皇、後三条天皇。.

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法令

法令(ほうれい、英: laws and regulations)とは、一般に、法律(議会が制定する法規範)と命令(行政機関が制定する法規範)の総称。日本法における用語法としては、日本の法律と命令のほか、日本国憲法や条例、最高裁判所規則、訓令などを「法令」に含めて指す場合もある。.

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新制

新制(しんせい)とは、平安時代中期から南北朝時代にかけて天皇・上皇の勅旨に基づいて制定された成文法典(「公家新制」)。「新制の官符」という意味で制符(せいふ)とも呼ばれる。なお、鎌倉幕府や寺院でもこれを模範として似たような法典が整備され、前者を「武家新制/関東新制」、後者を「寺社新制/寺辺新制」と称して、広義の新制に含める場合がある。.

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文永

文永(ぶんえい)は、日本の元号の一つ。弘長の後、建治の前。1264年から1274年までの期間を指す。この時代の天皇は亀山天皇、後宇多天皇。鎌倉幕府将軍は宗尊親王、惟康親王、執権は北条長時、北条政村、北条時宗。.

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摂家

摂家(せっけ)とは、鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った5家(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)のこと。大納言・右大臣・左大臣を経て摂政・関白、太政大臣に昇任できた。摂関家(せっかんけ)、五摂家(ごせっけ)、執柄家(しっぺいけ)ともいう。この5家の中から藤氏長者も選出された。.

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改元

改元(かいげん)とは、元号を変更すること。.

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愚管抄

『愚管抄』(ぐかんしょう)は、鎌倉時代初期の史論書。作者は天台宗僧侶の慈円。全7巻。承久の乱の直前、朝廷と幕府の緊張が高まった時期の承久2年(1220年)頃成立したが、乱後に修訂が加えられている。.

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慈円

慈円(じえん、旧字体:慈圓、久寿2年4月15日(1155年5月17日) - 嘉禄元年9月25日(1225年10月28日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧。歴史書『愚管抄』を記したことで知られる。諡号は慈鎮和尚(じちん かしょう)、通称に吉水僧正(よしみず そうじょう)、また『小倉百人一首』では前大僧正慈円(さきの だいそうじょう じえん)と紹介されている。 父は摂政関白・藤原忠通、母は藤原仲光女加賀、摂政関白・九条兼実は同母兄にあたる。.

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承徳

承徳(じょうとく)は、日本の元号の一つ。永長の後、康和の前。1097年から1098年までの期間を指す。この時代の天皇は堀河天皇。.

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承保

承保(じょうほ、じょうほう)は、日本の元号の一つ。延久の後、承暦の前。1074年から1076年までの期間を指す。この時代の天皇は白河天皇。.

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1069年

記載なし。

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1270年

記載なし。

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3月13日 (旧暦)

旧暦3月13日は旧暦3月の13日目である。六曜は先負である。.

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6月8日 (旧暦)

旧暦6月8日(きゅうれきろくがつようか)は、旧暦6月の8日目である。六曜は先勝である。.

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897年

記載なし。

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902年

記載なし。

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985年

記載なし。

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