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能阿弥と茶道

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能阿弥と茶道の違い

能阿弥 vs. 茶道

能阿弥(のうあみ、応永4年(1397年) - 文明3年(1471年))は、室町時代の水墨画家、茶人、連歌師、鑑定家、表具師。姓は中尾、名は真能(さねよし)。法号は真能。号は鴎斎、春鴎斎子。子に芸阿弥、孫に相阿弥がいる。 元は越前朝倉氏の家臣だったが、足利義教、義政に同朋衆として仕えて能阿弥と号し、幕府における書画等(唐物)の鑑定や管理を行い、また東山御物の制定を行った。特に水墨画に優れ阿弥派の開祖とされ、鶴図を描き義政に絶賛されたといわれる。自由に御物の名品を見ることの出来る立場を生かし、「花鳥図屏風」や「白衣観音図」のような、牧谿の図様をそのまま取り込んだ作品を残している。茶道においては、書院飾りの完成、台子飾りの方式の制定などを行い、小笠原流の礼法を参酌して今日に伝えられているような茶の点て方を考案した。『山上宗二記』では「同朋中の名人」と記されている。そのほか連歌、立花、香道にも優れ、連歌では七賢の一人に挙げられ、北野天満宮の連歌奉行も務めた。 著書に『君台観左右帳記』、東山御物の目録である『御物御絵目録』(相阿弥の時に完成)、自筆巻子として「集百句之連歌巻」(天理大学附属天理図書館蔵)がある。. 茶を点てる様子。写真は、盆と鉄瓶を使った簡略的な点茶の例。 茶道(さどう、ちゃどう)は、日本伝統の湯を沸かし、茶を点(た)て、茶を振る舞う行為(茶の儀式)。また、それを基本とした様式と芸道。 元来「茶湯」(ちゃとう)、「茶の湯」といった。千利休は「数寄道」、小堀政一(遠州)は「茶の道」という語も使っていたが、江戸時代初期には茶道と呼ばれた(『茶話指月集』『南方録』など)。「茶道」の英語訳としては tea ceremony のほか、茶道の裏千家と表千家ではそれぞれ the way of tea、chanoyu を用いている。岡倉覚三(天心)は英文の著書 The Book of Tea(『茶の本』)において、Teaism と tea ceremony という用語を使い分けている。 主客の一体感を旨とし、茶碗に始まる茶道具や茶室の床の間にかける禅語などの掛け物は個々の美術品である以上に全体を構成する要素として一体となり、茶事として進行するその時間自体が総合芸術とされる。 現在一般に、茶道といえば抹茶を用いる茶道のことだが、江戸期に成立した煎茶を用いる煎茶道も含む。 広間の茶室の例 道具は左から風炉と釜、建水、柄杓立と柄杓、水指、煙草盆と火入・灰吹。床の間には掛物(一行書「明月和水流」)と花入、香合を飾る。 草庵風茶室の例(高台寺遺芳庵) 草庵風茶室の例(如庵).

能阿弥と茶道間の類似点

能阿弥と茶道は(ユニオンペディアに)共通で8ものを持っています: 台子同朋衆大徳寺室町時代唐物華道香道足利義政

台子

台子・臺子(だいす)は茶道の点前に用いる茶道具で、水指など他の茶道具を置くための棚物の一種。真台子・竹台子をはじめとして様々な種類がある。一般に格式の高い茶礼で用いるものとされており、とくに真台子は献茶式などで用いられている。真台子を用いた点前は、茶道の点前の精神的・理論的根幹を成すものと考えられており、奥儀・奥伝・奥秘などと呼ばれて最後に伝授される習わしである。.

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同朋衆

同朋衆(どうぼうしゅう)とは室町時代以降将軍の近くで雑務や芸能にあたった人々のこと。一遍の起した時衆教団に、芸能に優れた者が集まったものが起源とされる。阿弥衆、御坊主衆とも呼ばれた。1866年(慶応2年)に廃止された。 時宗を母体としているために阿弥号を名乗る通例があるが、阿弥号であっても時宗の僧であるとは限らない。観阿弥、世阿弥や、江戸幕府における同朋衆がその例である。.

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大徳寺

大徳寺(だいとくじ、旧字体:大德寺)は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある寺で、臨済宗大徳寺派大本山である。山号は龍宝山(りゅうほうざん)。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は大燈国師宗峰妙超で、正中2年(1325年)に正式に創立されている。 京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿や法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世寺院の雰囲気を残している。大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。本坊および塔頭寺院には、建造物・庭園・障壁画・茶道具・中国伝来の書画など、多くの文化財を残している。なお、大徳寺本坊は一般には非公開であり、塔頭も非公開のところが多い。.

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室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

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唐物

唐物(からもの)とは、中世から近世にかけて尊ばれた中国製品の雅称である。狭義には宋、元、明時代の美術作品を指す場合もある。なおこの場合の「唐」は広く中国のことを指し、唐時代に作られたという意味ではない。 また、江戸時代以後「唐物屋」など長崎貿易で扱う舶来品全般を唐物とする場合がある。.

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華道

華道古典生花 上旬の月 月光筒 華道の伝統的様式 華道(かどう)は、植物のみや、植物を主にその他様々な材料を組み合わせて構成し、鑑賞する芸術である。「花道」とも表記し、またいけばな(生け花、活花、挿花)とも呼ばれる。 ただし華道という呼称は「いけばな」よりも求道的意味合いが強調されている。華道にはさまざまな流派があり、様式・技法は各流派によって異なる。 華道は日本発祥の芸術ではあるが、現代では国際的に拡がってきている。欧米のフラワーデザインは、3次元のどこから見ても統一したフォルムが感じられるように生けるとされる。華道の場合、鑑賞する見る方向を正面と定めている流派も多くあるが、3次元の空間を2次元で最大限に表す流派もある。また華道は色鮮やかな花だけでなく、枝ぶりや木の幹の形状、葉や苔となどすべてを花材とし鑑賞する点でも、海外のアレンジの概念とは一線を画している。.

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香道

香道(こうどう)とは、沈水香木と言われる東南アジアでのみ産出される天然香木の香りを鑑賞する芸道である。近年、文化の復興目覚ましい中国や台湾、韓国などで「中国香道」「台湾香道」「韓国香道」などと「香道」という文言を使用しているが、「香道」自体は日本独自の芸道である。香道は禅の精神を大事にし、礼儀作法・立居振舞など約束事の多い世界であり、上達するにつれ古典文学や書道の素養も求められる。しかし、香道の原点は何よりも、香りそのものを楽しむことにある。 香道においては香を「聞く」と表現するのが正式であり、「嗅ぐ」という表現は不粋とされる。香木の香りを聞き、鑑賞する聞香(もんこう)と、香りを聞き分ける遊びである組香(くみこう)の二つが主な要素である。香木は生き物、その一つ一つに魂が宿ると考え、この稀少な天然香木を敬い大切に扱う。大自然の恵み、地球に感謝し、そして彼らが語りかけてくる事を聞き取らなければならないと考えるのである。.

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足利義政

足利 義政(あしかが よしまさ)は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年 - 1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟にあたる。初名は足利 義成(- よししげ)。 幕府の財政難と土一揆に苦しみ政治を疎んだ。幕政を正室の日野富子や細川勝元・山名宗全らの有力守護大名に委ねて、自らは東山文化を築くなど、もっぱら数奇の道を探求した文化人であった。.

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上記のリストは以下の質問に答えます

能阿弥と茶道の間の比較

茶道が240を有している能阿弥は、49の関係を有しています。 彼らは一般的な8で持っているように、ジャカード指数は2.77%です = 8 / (49 + 240)。

参考文献

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