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旗風 (駆逐艦)

索引 旗風 (駆逐艦)

旗風(はたかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。神風型一等駆逐艦(2代目)の5番艦である#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』日本軍艦集2600年版p.47『一等驅逐艦 神風(かみかぜ) 基準排水量1,270噸、長さ97.54米、幅9.14米、平均吃水2.92米、速力34節、備砲12糎砲4門、魚雷發射管6門、起工大正10年12月15日、進水大正11年9月25日、竣工大正11年12月28日、建造所三菱長崎造船所―同型艦に春風、朝風、松風、旗風、追風、夕凪及び次に出てくる朝凪、疾風がある。』。.

302 関係: 基隆市原顕三郎はたかぜ (護衛艦)はたかぜ型護衛艦みりい丸あきつ丸さらわく丸博義王卯月 (睦月型駆逐艦)千鳥 (千鳥型水雷艇)千鳥型水雷艇南号作戦南西方面艦隊南方作戦叢雲 (吹雪型駆逐艦)古鷹 (重巡洋艦)古村啓蔵台湾名取 (軽巡洋艦)吹雪 (吹雪型駆逐艦)吹雪型駆逐艦同士討ち夏雲 (駆逐艦)夏潮 (駆逐艦)大井 (軽巡洋艦)大井篤大発動艇大鷹型航空母艦大淀 (軽巡洋艦)大日本帝国海軍大日本帝国海軍艦艇類別変遷太平洋戦争太刀風 (駆逐艦)夕張 (軽巡洋艦)夕凪 (2代神風型駆逐艦)夕顔 (駆逐艦)夕月 (駆逐艦)如月 (睦月型駆逐艦)安岡 (下関市)小川莚喜小笠原諸島山城 (戦艦)山口県山風 (海風型駆逐艦)山雲 (駆逐艦)山陽丸 (特設水上機母艦)山本五十六峯風 (駆逐艦)峯雲 (駆逐艦)嶋中鵬二...川内 (軽巡洋艦)丸 (雑誌)三隈 (重巡洋艦)三日月 (睦月型駆逐艦)丙型海防艦九九式双発軽爆撃機平戸 (海防艦)五十鈴 (軽巡洋艦)五藤存知井上成美今村均仏印進駐伊良湖 (給糧艦)伊集院松治弥生 (睦月型駆逐艦)佐藤康夫佐藤和正御蔵型海防艦後藤英次北上 (軽巡洋艦)ペナン沖海戦マレー作戦ノットチューク諸島ハーダー (SS-257)バタビア沖海戦ポラック (潜水艦)リンガエン湾レイテ沖海戦ローレンス・T・デュボースブラックフィン (潜水艦)ブンタウパース (軽巡洋艦)パーソンズ・マリン・スチーム・タービンヒ86船団ヒ87船団ヒ88J船団ヒューストン (重巡洋艦)ヒ船団フィリピンの戦い (1941-1942年)ドラム (潜水艦)ベスゴ (潜水艦)初霜 (初春型駆逐艦)初雪 (吹雪型駆逐艦)初春 (初春型駆逐艦)刈萱 (駆逐艦)呉竹 (駆逐艦)アーチャーフィッシュ (潜水艦)ウォレアイ環礁グラティテュード作戦ジャワ島スカベンジャー作戦サボ島沖海戦サツキ (曖昧さ回避)冲鷹 (空母)八丈島光島丸勢多型砲艦国立国会図書館皐月 (睦月型駆逐艦)玉波 (駆逐艦)睦月型駆逐艦硫黄島磯風 (陽炎型駆逐艦)磯波 (吹雪型駆逐艦)神威 (水上機母艦)神州丸神風 (2代神風型駆逐艦)神風型駆逐艦 (2代)秋風 (駆逐艦)秋雲 (駆逐艦)第十二号海防艦第三十一戦隊第一遣外艦隊第一航空戦隊第二十八号型駆潜艇第二十四号海防艦第二艦隊 (日本海軍)第二水雷戦隊第四号海防艦第四航空戦隊第四艦隊 (日本海軍)第四艦隊事件筑摩 (重巡洋艦)羽黒 (重巡洋艦)父島疾風 (2代神風型駆逐艦)瑞鶴 (空母)特設護衛船団司令部狭霧 (駆逐艦)盤谷丸 (特設巡洋艦)白石萬隆白露型駆逐艦白雪 (吹雪型駆逐艦)白雲 (吹雪型駆逐艦)芙蓉 (駆逐艦)菊月 (睦月型駆逐艦)菫 (橘型駆逐艦)館山海軍航空隊西貢丸 (特設巡洋艦)馬公市香取 (練習巡洋艦)香川県香椎 (練習巡洋艦)角田覚治駆逐艦高雄市高雄港高松宮宣仁親王高橋忠治鬼怒 (軽巡洋艦)護衛艦豊予海峡豊後水道豊田副武豊浦郡鳳翔 (空母)鳴戸 (給油艦)鴻 (鴻型水雷艇)鴻型水雷艇鷺 (鴻型水雷艇)黒潮丸 (タンカー)龍驤 (空母)龍鳳 (空母)辰和丸追風 (2代神風型駆逐艦)能美 (海防艦)舟山群島舞鶴海軍工廠鈴木清蘭印作戦藤 (駆逐艦)蒸気タービン野分 (陽炎型駆逐艦)野風 (駆逐艦)臨検金刀比羅宮金剛 (戦艦)長門型戦艦長良 (軽巡洋艦)長良型軽巡洋艦長月 (睦月型駆逐艦)艦本式ボイラー若竹 (駆逐艦)若竹型駆逐艦若葉 (初春型駆逐艦)雪風 (駆逐艦)雲鷹 (空母)雷 (吹雪型駆逐艦)電 (吹雪型駆逐艦)連合艦隊陸奥 (戦艦)陽炎型駆逐艦F6F (航空機)松 (松型駆逐艦)松型駆逐艦松風 (2代神風型駆逐艦)杉浦嘉十桜花 (航空機)横須賀鎮守府橋本信太郎比良 (砲艦)水無月 (睦月型駆逐艦)汐風 (駆逐艦)沖風 (駆逐艦)深雪 (駆逐艦)清霜 (駆逐艦)清波 (駆逐艦)満潮 (駆逐艦)澎湖諸島澤風 (駆逐艦)朝凪 (駆逐艦)朝顔 (駆逐艦)朝風 (2代神風型駆逐艦)朝雲 (駆逐艦)朝潮型駆逐艦木俣滋郎木曾 (軽巡洋艦)有賀幸作最上 (重巡洋艦)最上型重巡洋艦春風 (2代神風型駆逐艦)春雨 (白露型駆逐艦)海上自衛隊海風 (白露型駆逐艦)海風型駆逐艦海里浜風 (陽炎型駆逐艦)文月 (睦月型駆逐艦)日中戦争日進 (装甲巡洋艦)早鞆 (給油艦)早蕨 (駆逐艦)早苗 (駆逐艦)感状敷波 (吹雪型駆逐艦)扶桑 (戦艦)扶桑型戦艦時雨 (白露型駆逐艦)時津風 (陽炎型駆逐艦)10月12日10月16日12月10日12月12日12月4日1920年1921年1922年1923年1924年1925年1926年1927年1928年1929年1930年1931年1932年1933年1934年1935年1936年1937年1938年1939年1940年1941年1942年1943年1944年1945年1959年1月12日1月15日2月15日2月1日2月3日3月10日3月15日3月2日4月10日4月13日4月24日5月5日6月30日7月1日7月3日7月4日8月1日8月24日8月30日8月4日 インデックスを展開 (252 もっと) »

基隆市

基隆市(きりゅうし/キールンし、基隆市、Keelung)は台湾北部にある省轄市である。高雄港に次ぐ台湾で2番目の貨物取扱量を誇る基隆港を抱え、台湾の貿易・物流の重要拠点である。観光では奠済宮を中心に栄えた夜市(廟口小吃)が特に有名。.

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原顕三郎

原 顕三郎(はら けんざぶろう、1887年7月15日 - 1971年9月20日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。バタビア沖海戦に司令官として参加。.

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はたかぜ (護衛艦)

はたかぜ(ローマ字:JS Hatakaze, DDG-171)は、海上自衛隊の護衛艦。はたかぜ型護衛艦の1番艦。艦名は「旗にあたってはためかせる風」に由来し、この名を受け継ぐ日本の艦艇としては旧海軍の神風型駆逐艦「旗風」、あさかぜ型護衛艦「はたかぜ」(DD-182)に続き日本の艦艇としては3代目。.

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はたかぜ型護衛艦

はたかぜ型護衛艦(はたかぜがたごえいかん、)は、海上自衛隊の護衛艦の艦級。たちかぜ型(46DDG)に続く第三世代ミサイル護衛艦(DDG)として、五三・五六中業中の昭和56・58年度計画で計2隻が建造された。ネームシップの建造単価は約599億円であった。.

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みりい丸

みりい丸(みりいまる)は、三菱汽船が所有・運航したタンカーで、1TL型タンカーの4番船。太平洋戦争では日本陸軍の配当船、あるいは日本海軍に徴傭されて特設給油船として運用された。.

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あきつ丸

あきつ丸(あきつまる)は、大日本帝国陸軍が建造・運用した揚陸艦(上陸用舟艇母船)。帝国陸軍では特種船 丙型(丙型特種船)に分類される。 事実上の世界初のドック型揚陸艦として1930年代中期に開発された「神州丸(神洲丸)」の発展型として、上陸用舟艇である大発動艇(大発)を多数搭載し高い上陸戦遂行能力を持つとともに、上陸部隊の支援を目的とする全通飛行甲板を使用した航空機運用能力を有す世界的にも極めて先進的な揚陸艦であり、その運用思想と船型から現在の強襲揚陸艦の先駆的存在であった。.

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さらわく丸

さらわく丸(さらわくまる)は、太平洋戦争中に日本で建造された戦時標準型タンカー。船主・運航は三菱汽船。.

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博義王

博義王(ひろよしおう、1897年(明治30年)12月8日 - 1938年(昭和13年)10月19日)は、明治・大正期の伏見宮家の皇族、海軍軍人。 最終階級は海軍大佐昭和天皇実録七649-650頁「博義王略歴」「告示◎宮内告示第二十七號 海軍大佐大勲位博義王殿下本日午前二時東京府東京市麹町區紀尾井町四番地伏見宮邸ニ於テ薨去セラル 昭和十三年十月十九日 宮内大臣 松平恒雄|敍任◎昭和十三年十月十九日 海軍中佐大勲位博義王 任海軍大佐|◎宮廷録事(略)◎博義王殿下御容体 海軍大佐大勲位博義王殿下ニハ去ル八月二十八日以來軽微ナル御持病ノ氣管支喘息御發作アリシモ比較的輕易ニ拝セシカ本月十八日午前一時頃急劇ニ激烈ナル御發作アリ今十九日午前一時再ヒ強烈ナル御發作アリ種々御手當申上ケタルモ同二時心臓麻痺ニテ薨去遊ハサル」。 伏見宮第25代当主の伏見宮博恭王第1王子。伏見宮の継承はしていないが、伏見宮博義王と通称されることもある。.

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卯月 (睦月型駆逐艦)

卯月(うづき)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第二十五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 卯月(ウヅキ)トス』。睦月型駆逐艦の4番艦である。艦名は旧暦で4月のこと。艦名は初代神風型駆逐艦の「卯月」に続いて2代目。姉妹艦「睦月」の沈没に伴い、睦月型駆逐艦は卯月型駆逐艦と改定された#内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十三号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦一等ノ部中「睦月型」ヲ「卯月型」ニ改メ同項中「睦月、」ヲ削リ、同吹雪型ノ項中「、朝霧」ヲ削ル』。.

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千鳥 (千鳥型水雷艇)

千鳥(ちどり)は、日本海軍の水雷艇。千鳥型の1番艇である。ロンドン軍縮条約の影響によりミニ駆逐艦ともいえるほど重武装の艦艇であったが、同型艇「友鶴」が演習中転覆するという友鶴事件を引き起こし、改善工事を実施した。艇名としては隼型水雷艇の4番艇「千鳥」に続いて2代目。.

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千鳥型水雷艇

千鳥型水雷艇(ちどりかたすいらいてい)は、日本海軍の水雷艇。同型艦4隻。.

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南号作戦

南号作戦(なんごうさくせん)は、太平洋戦争(大東亜戦争)末期に日本海軍の実施した資源輸送作戦のことである#叢書79中国方面海軍作戦(2)459-460頁『南号作戦』。1945年(昭和20年)1月下旬から3月下旬まで、シンガポール方面から日本本土へ向けて、10隊以上の護送船団を航行させたが、撃沈された船舶や艦艇も多い。.

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南西方面艦隊

南西方面艦隊(なんせいほうめんかんたい)は戦史叢書102巻、530頁「南西方面艦隊」、大日本帝国海軍によって1942年(昭和17年)4月10日戦史叢書102巻、115頁「昭和17年(1942年)4月10日」に編制された艦隊である戦史叢書102巻、524-526頁「付録第77 陸海軍の組織・編制関係概見表(昭和12年~20年)」「(7)大東亜戦争間における艦隊の新設・解隊」。 軍隊符号はGKF。 連合艦隊軍隊区分では、南西方面部隊(昭和17年5月20日、南方部隊より改称)となる。担当地域は前線から離れていたものの、太平洋戦争後半の連合軍フィリピン反攻の際は最前線部隊として交戦した。.

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南方作戦

太平洋戦争開戦直前の各国の勢力圏 日本軍へ降伏するシンガポールのパーシヴァル司令官 日本軍の空襲を受け炎上する戦艦アリゾナ 南方作戦経過要図 南方作戦(なんぽうさくせん、Southern Operations)は、太平洋戦争緒戦における日本軍の東南アジア及び太平洋各地への攻略作戦である。1941年12月8日の英領マレーへの奇襲上陸をもって開始され、1942年5月のビルマ制圧をもって完了した。南方作戦はバターン半島でのアメリカ軍の抵抗を除けば計画を上回る早さで進行し、日本軍は作戦目標を完全に達成した。.

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叢雲 (吹雪型駆逐艦)

叢雲(むらくも)は大日本帝国海軍の吹雪型駆逐艦5番艦。叢雲の艦名は、帝国海軍の艦船として東雲型駆逐艦・叢雲に続いて2代目である。1929年(昭和4年)5月に竣工した。同型5-8番艦は艦名に雲がつき(叢雲、東雲、薄雲、白雲)、4隻は吹雪型駆逐艦の「雲級」とも呼ばれた。1942年(昭和17年)10月、サボ島沖海戦で沈没した重巡洋艦古鷹の乗員捜索後に米軍機の空襲を受けて大破し、雷撃処分された。.

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古鷹 (重巡洋艦)

古鷹(ふるたか)は大日本帝国海軍の古鷹型重巡洋艦1番艦である#艦艇類別等級(昭和16年12月31日)p.2『軍艦|巡洋艦|一等|古鷹型|古鷹、加古』。艦名は江田島の海軍兵学校そばにある古鷹山に由来する。平賀譲造船官が設計し、世界で最初に20cm砲を搭載した巡洋艦となった#ポケット海軍年鑑(1935)p.27『一等巡洋艦"古鷹 ふるたか" 飛躍的進歩を遂げた我が造艦技術は、今や世界の驚異とされ1隻の艦艇が我に出現すれば忽ちそれは世界列強の注目研究するところとなる。就中この古鷹の出現ほど世界をあつと云はせたものはあるまい。實にこの艦の計畫された時などは外國人は口を揃へて、「わずか7,100噸の排水量の艦に20糎砲が6門その上に魚雷發射管が12門も積めるわけがない」と云つて信じなかつたものである。が「これですつかり出來上つたから見て呉れ」とばかりに大正15年3月竣工した古鷹を見せつけられた世界は二度吃驚した。計畫通りの兵装が施されてゐるばかりでなく、それまでの巡洋艦型を美事に脱却したスマートさ。即ち古鷹の出現は世界巡洋艦に大革新を齎したと共に日本人の偉大さを世界に再認識せしめたのである。』。1942年10月、サボ島沖海戦で沈没した。.

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古村啓蔵

古村 啓蔵(こむら けいぞう、1896年7月20日 - 1978年2月7日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。戦艦「武蔵」の第2代艦長であり、坊の岬沖海戦では軽巡洋艦「矢矧」に乗艦。第二水雷戦隊を指揮していた。あだ名は「両舷直の親玉」。.

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台湾

台湾(タイワン、臺灣 / 台灣、台: Tâi-oân)は、東アジアの国である。 1945年に当時中国大陸を本拠地とした中華民国の統治下に入り、1949年に中華民国政府が台湾に移転した。1955年以降、中華民国は台湾本島以外にも澎湖諸島、金門島、馬祖島、東沙諸島、南沙諸島の太平島を実効支配しているが、全体の面積に占める台湾(本島)の割合は99%以上になる。そのため、中華民国の通称として「台湾」と表記される(詳細は定義参照)。近隣諸国としては、東及び北東に日本、南にフィリピンがある。事実上の首都は台北市である。台北県が直轄市となったことにより成立した新北市は、台北市及びその外港である基隆市を囲む大都市圏を包含し、2018年時点では同島で人口最多の都市である。.

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名取 (軽巡洋艦)

名取(なとり)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。長良型の3番艦である。その艦名は、宮城県を流れる名取川より名づけられた。.

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吹雪 (吹雪型駆逐艦)

吹雪(ふぶき)は、大日本帝国海軍の一等駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第三十五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 吹雪(フブキ)トス』。重武装(砲塔式12.7cm連装砲3基と61センチ3連装魚雷発射管を中心に配備し9本の予備魚雷も搭載した)で凌波性に優れた本型の出現は、当時の列強海軍に衝撃をあたえた。吹雪は吹雪型(特型)駆逐艦の一番艦で、同時に「雪級」の一番艦。この名を持つ日本海軍の艦艇としては2隻目である(初代は春雨型駆逐艦の吹雪)。 吹雪は1942年10月11日のサボ島沖海戦で沈没し、吹雪型は「白雪型駆逐艦」と改名された#内令昭和17年11月(4)p.24『内令第二千百十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年十一月十五日海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「吹雪型」ヲ「白雪型」ニ改メ同項中「、吹雪」「、叢雲」「、朧」ヲ、同朝潮型ノ項中「、夏雲」ヲ削ル』。その後、「初雪型駆逐艦」として再登録された#内令昭和18年4月(1)p.20『内令第五百六十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年四月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「白雪型」ヲ「初雪型」ニ改メ同項中「白雪、」ヲ、同白露型ノ項中「、村雨」ヲ削リ同「朝潮型」ヲ「満潮型」ニメ同項中「、朝潮、大潮」「、「荒潮」「、峯雲」ヲ、同陽炎型ノ項中「時津風、」ヲ削ル(以下略)』。.

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吹雪型駆逐艦

吹雪型駆逐艦(ふぶきがたくちくかん)は、大日本帝国海軍(以下「海軍」)の一等駆逐艦の艦級である。同型艦24隻。特型駆逐艦の名でも知られる。.

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同士討ち

同士討ち(どうしうち)、御方討ち(みかたうち、味方討ち)、同士戦(どしいくさ)、友軍相撃(ゆうぐんそうげき)、友軍による誤射、誤爆は、武力を有した集団などが、友軍および同盟関係にある兵に対して、誤って攻撃をしかけ、損害を与える状況を指す(実戦のみならず、訓練中でも起こりうる)。。 個人同士(一対一)における相打ちとは意が異なる(相打ちは敵に対しても用いられる語)。意図して同士討ちを行った場合は、これを「裏切り」行為という(精神錯乱時はケースにより解釈が異なる)。古くから同士討ちを行ってしまった場合の責任の取り方(現代でいう軍法・軍規)が定められており、『吾妻鏡』の12世紀末の記述として、鮫島氏が御方討ちをしたため、右手の「指切」に処されたことが載せられており、。.

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夏雲 (駆逐艦)

夏雲(なつぐも)は、日本海軍の朝潮型駆逐艦7番艦である#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|朝潮、大潮、満潮、荒潮、朝雲、山雲、夏雲、峯雲、霞、霰』。1938年(昭和13年)2月に竣工した。1942年(昭和17年)10月、サボ島沖海戦後の空襲で沈没した。.

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夏潮 (駆逐艦)

夏潮(なつしお/なつしほ)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和13年9月(2)pp.15-16『達第百四十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十二年度及昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻掃海艇二隻及驅潜艇四隻ニ左ノ通命名ス|昭和十三年九月二十日 海軍大臣 米内光政|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 親潮(オヤシホ)/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 夏潮(ナツシホ)/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 初風(ハツカゼ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第十八潜水艦/三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第二十潜水艦/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第二十二潜水艦(以下略)』。陽炎型駆逐艦(一等駆逐艦陽炎型)の6番艦である#昭和16年12月31日現在艦艇類別等級p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』。1942年(昭和17年)2月9日、マカッサル沖において潜水艦の雷撃が原因で戦没した。なお、本艦は陽炎型全19隻のうち最初の沈没艦となった。艦名は海上自衛隊のなつしお型潜水艦「なつしお」、はるしお型「なつしお」に継承された。.

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大井 (軽巡洋艦)

大井(おおい/おほゐ)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。球磨型の4番艦。その艦名は、静岡県の中部を流れる大井川から因んで命名された。大井の艦名はローマ字表記(英語表記)にした場合「Oi」と僅か2文字であるため、鵜来型海防艦の伊王と並び、艦名としては世界一短いものだとされている。.

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大井篤

大井 篤(おおい あつし、1902年(明治35年)12月11日 - 1994年(平成6年)12月27日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校51期。最終階級は海軍大佐。.

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大発動艇

大発動艇(だいはつどうてい)は、1920年代中期から1930年代初期にかけて開発・採用された大日本帝国陸軍の上陸用舟艇。通称は大発(だいはつ)。また、陸軍の技術協力によって相当数の大発を運用した海軍においては、十四米特型運貨船(じゅうよんめーとるとくがたうんかせん)の名称が使用されている。.

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大鷹型航空母艦

大鷹型航空母艦(たいようがたこうくうぼかん)は、大日本帝国海軍の航空母艦の艦型。.

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大淀 (軽巡洋艦)

大淀(おおよど/おほよど)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦(二等巡洋艦 大淀型)#達昭和17年3月(1)p.10『達第六十六號 呉海軍工廠ニ於テ建造中ノ巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十七年三月十日 海軍大臣嶋田繁太郎|二等巡洋艦 大淀(オホヨド)』。 その艦名は、宮崎県下の最大河川である大淀川から因んで名付けられた。大日本帝国海軍最後の連合艦隊旗艦でもある。昭和十四年度に着手された第四次軍備充実計画(通称マル4計画)により巡洋艦乙昭和13年9月19日付 海軍省『昭和14年度海軍軍備充実計画細項ニ関スル対大蔵省説明資料』、昭和13年7月11日付 艦政本部総務部第一課『次期補充計画艦種ノ仮称ニ関スル件覚』など。海軍省が作成調製した資料では、乙巡、丙巡の文言は使用されていない。(阿賀野型軽巡洋艦)と共に巡洋艦丙として計画され建造された。.

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大日本帝国海軍

大日本帝国海軍(だいにっぽんていこくかいぐん、旧字体:大日本帝國海軍、英:Imperial Japanese Navy)は、1872年(明治5年) - 1945年(昭和20年)まで日本(大日本帝国)に存在していた軍隊(海軍)組織である。通常は、単に日本海軍や帝国海軍と呼ばれた。戦後からは、別組織であるもののその伝統を重んじる傾向にある海上自衛隊との区別などのため、旧日本海軍もしくは旧帝国海軍とも呼ばれる。.

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大日本帝国海軍艦艇類別変遷

大日本帝国海軍艦艇類別変遷(だいにっぽんていこくかいぐんかんているいべつへんせん)は、日本海軍の艦艇類別の変遷。.

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太平洋戦争

太平洋戦争(たいへいようせんそう、Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争である。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた(昭和16年12月12日 閣議決定)、国立国会図書館リンク切れ --> - 国立国会図書館リサーチ・ナビ(2012年12月20日版/2016年9月16日閲覧)。 日本軍のイギリス領マレー半島攻撃により始まり、その後アメリカ西海岸、アラスカからタヒチやオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から、東南アジア全域、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と英米蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。.

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太刀風 (駆逐艦)

太刀風(たちかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の11番艦である。艦名は太刀を振るった際に出る風を意味する。.

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夕張 (軽巡洋艦)

夕張(ゆうばり / ゆふばり#海軍制度沿革8(1971)p.364『 大正十年十二月二十三日(達二二二) 軍備補充費ヲ以テ大正十年度佐世保海軍工廠ニ於テ建造ニ著手スヘキ二等巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル 夕(ユウ) 張(バリ) 』)は、日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。 艦名は、夕張川(石狩川の支流)に由来する#日本海軍艦船名考pp.264-265幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ135(原本216頁)『夕張(ゆふばり) 艦種二等巡洋艦 艦名考川名に採る、夕張川は北海道石狩國夕張山勇拂境の山中に發する諸川の集合に名づく、下流は石狩川に會す。艦歴昭和6・7年事變(日支)從軍:同7年1月上海及揚子江方面警備(艦長齋藤二郎)。本艦は輕巡洋艦として最小の艦型にて最大の武力を有する艦である、球磨級以後の輕巡洋艦14隻が何れも排水量5,000噸以上で速力30節を有するのに對し、本艦は3,000噸に充たざる排水量を以て同一速力38節を出だし、武力は14糎砲1門を減じて6門を装備す、これら主砲は凡て艦首尾線上にありて兩舷に發射し得るのみならず、二聯装砲塔2基を備ふるなど、世界海軍國を驚かしたる艦にて實に造艦上劃期的のものである。―要目― 長132.59米/幅12.04米/喫水3.58米/排水量2,890噸/機關タルビン3基 艦本式罐8臺/馬力57,000/速力33/兵装 14糎砲6/8糎高角砲1/發射管4 起工 大正11-6-5/進水 同12-3-5/竣工 同12-7-31/建造所 佐世保工廠』。 同型艦はない軽巡二十五隻335-336頁『夕張型(一隻)夕張(ゆうばり)』。 主砲、発射管を全て中心線上に配置し、2890トンの船体に5500トン型の軽巡洋艦と同等の砲備雷装を備え、速力も同等だったポケット海軍年鑑(1935)コマ38(原本58-59頁)『二等巡洋艦"夕張 ゆふばり" 全要目 由良又は鬼怒などの輕巡洋艦が申し合せたやうに同型艦として續々出現し、どれが由良か鬼怒か見分けがつかない思ひをしてゐる中へ大正12年7月忽然として現はれた甚だ輕快さうな巡洋艦、ナリは小さいが由良や鬼怒に比べて全然艦型を異にしたスマートな姿であつたから見る者凡てが目を瞠つた。それが夕張であつた。排水量僅かに2,890頓で上記の兵装も而もその悉くが首尾線上に装備されてゐるのみならず、14糎砲は各2門宛を砲塔式に即ち2連装砲塔として備へて、速力は5,000頓級と同じ33節である。全く素晴らしい進歩である。今後はこれだと人々に思はせたが果たせるかな後年になつて計畫されたのがあの7,100頓の加古級である。即ちこの夕張は現在の一等巡洋艦完成の手引であつたとも見られるものである。』。 当時、世界の海軍から注目され、設計者の平賀譲大佐(当時のち将官)の名を一躍有名にした。.

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夕凪 (2代神風型駆逐艦)

夕凪(ゆうなぎ / ゆふなぎ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第十七號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 夕凪ユフナギ トス』。神風型(2代目)の9番艦である#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』。 建造時の艦名は第十七号駆逐艦#艦艇・駆逐艦(1)p.2『驅逐艦改稱新舊名稱對照表』-『(驅逐艦名)夕凪ユフナギ|(昭和三年七月三十一日以前ノ名稱)第十七號驅逐艦|(大正十三年四月二十三日以前ノ名稱)記載なし』。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「夕凪」#達大正13年12月p.1『達第百三十六號 驅逐艦 有明 同 吹雪 同 夕凪 同 時雨 同 追風 同 疾風 同 彌生 同 卯月 同 初春 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 大正十三年十二月一日 海軍大臣 財部彪』に続いて2隻目。.

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夕顔 (駆逐艦)

夕顔(ゆうがお/ゆふがほ)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型駆逐艦の6番艦である。.

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夕月 (駆逐艦)

夕月(ゆうづき/ゆふづき)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第三十四號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 夕月ユフヅキ トス』。.

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如月 (睦月型駆逐艦)

如月(きさらぎ)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第二十一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 如月(キサラキ)トス』。睦月型駆逐艦の2番艦である。艦名は旧暦2月のこと。本艦は初代神風型駆逐艦の「如月」に続いて2代目。太平洋戦争緒戦のウェーク島攻略戦で撃沈され、睦月型最初の沈没艦となった。.

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安岡 (下関市)

安岡(やすおか)とは、山口県下関市の安岡地区(下関市役所支所設置条例で示された下関市役所安岡支所の所管する区域)を指す地域名称。 1974年度(昭和49年度)に撮影された国土航空写真山口県下関市安岡地区上空から撮影された航空写真。 本項では同地域にかつて所在した豊浦郡豊西中村(とよにしなかそん)、安岡村(やすおかそん)、安岡町(やすおかちょう)についても述べる。.

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小川莚喜

小川 莚喜(おがわ のぶき、1895年(明治28年)11月12日 - 1944年(昭和19年)2月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。.

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小笠原諸島

小笠原諸島(おがさわらしょとう)は、東京都特別区の南南東約1,000kmの太平洋上にある30余の島々である。日本の国土で、東京都小笠原村の区域と完全に一致する。総面積は104km2。南鳥島、沖ノ鳥島を除いて伊豆・小笠原・マリアナ島弧(伊豆・小笠原弧)の一部をなす。.

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山城 (戦艦)

山城(やましろ)は、大日本帝国海軍(日本海軍)の戦艦。扶桑型戦艦の2番艦。.

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山口県

山口県(やまぐちけん)は、日本の県の一つ。本州最西端に位置する。中国地方を構成する五県のうちの一つで、九州地方との連接点の地域となっている。県庁所在地は山口市。.

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山風 (海風型駆逐艦)

山風(やまかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で#海軍制度沿革8(1971)p.372、達第123号『三菱長崎造船所ニ於テ製造スヘキ甲號大驅逐艦ヲ 山風(ヤマカゼ) ト命名ス』、海風型駆逐艦の2番艦である。同名艦に白露型駆逐艦(海風型駆逐艦 / 改白露型駆逐艦)の「山風」があるため、こちらは「山風 (初代)」や「山風I」などと表記される。.

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山雲 (駆逐艦)

山雲(やまぐも)は#達昭和11年p.11『達第百六十四號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻工作艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十一年十月二十二日 海軍大臣永野修身|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 朝雲(アサグモ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 山雲(ヤマグモ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 工作艦 明石(アカシ)』、大日本帝国海軍の駆逐艦。一等駆逐艦朝潮型(満潮型)の6番艦である。1944年(昭和19年)10月下旬のレイテ沖海戦で西村艦隊に所属しスリガオ海峡へ突入、米艦隊の砲雷撃を受けて沈没した。艦名は海上自衛隊のやまぐも型護衛艦「やまぐも」に継承された。.

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山陽丸 (特設水上機母艦)

山陽丸(さんようまる)は、大阪商船(現・商船三井)の畿内丸型貨物船の三番船。太平洋戦争では日本海軍に徴傭されて特設水上機母艦、特設運送船として運用された。.

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山本五十六

山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元帥海軍大将。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。旧姓は高野。.

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峯風 (駆逐艦)

峯風(みねかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の1番艦である。「峰風」と表記される場合がある。艦名は峯に吹く風に由来する。.

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峯雲 (駆逐艦)

峯雲(みねぐも)は、日本海軍の朝潮型駆逐艦8番艦である。1938年(昭和13年)4月に竣工した。1943年(昭和18年)3月、ビラ・スタンモーア夜戦で撃沈された。.

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嶋中鵬二

嶋中 鵬二(しまなか ほうじ、1923年2月7日 - 1997年4月3日)は中央公論社社長。総合雑誌『中央公論』を中心に戦後の出版界に大きな業績を残したが、晩年は経営危機を招いた。嶋中雄作の次男。妻雅子(1925年 - 2004年)は政治学者蝋山政道の娘。.

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川内 (軽巡洋艦)

川内 (せんだい)は#達大正10年3月p.14『達第四十三號 軍備補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ二等巡洋艦四隻ニ左ノ通命名セラル|大正十年三月十九日 海軍大臣 男爵 加藤友三郎|加古カコ 那珂ナカ 川内センダイ 神通ジンツウ』、14隻建造された日本海軍の5500トン型軽巡洋艦の最終型(3番目)である川内型軽巡洋艦の1番艦。.

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丸 (雑誌)

『丸』(まる、MARU)は日本の月刊雑誌。 1948年2月に聨合プレス社より創刊。その後、聨合出版社を経て、1954年からは潮書房(現・潮書房光人社)が出版している。.

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三隈 (重巡洋艦)

大破した三隈 三隈(みくま)は#達昭和7年8月p.7『達第百五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ二等巡洋艦二隻ニ左ノ通命名セラル|昭和七年八月一日 海軍大臣岡田啓介|呉海軍工廠ニ於テ建造 八千五百噸級巡洋艦 最上モガミ|三菱長崎造船所ニ於テ建造 八千五百噸級巡洋艦 三隈ミクマ』、旧日本海軍の重巡洋艦で古村啓蔵ほか、重巡十八隻346頁『三隈(みくま)』、最上型重巡洋艦(二等巡洋艦最上型)の2番艦。.

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三日月 (睦月型駆逐艦)

三日月(みかづき)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略) 第三十二號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 三日月(ミカヅキ)トス (略)』。一等駆逐艦睦月型(卯月型)の10番艦である。艦名は旧暦3日の月のこと。艦名は初代神風型駆逐艦の「三日月」に続いて2代目。.

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丙型海防艦

丙型海防艦(へいがたかいぼうかん)は、日本海軍が第二次世界大戦において運用した海防艦の艦級である。主に船団護衛に用いられた。基本計画番号はE21b。量産性を最重視し、それまでの日振型・鵜来型よりも、さらに小型化・簡略化を推し進めた艦級である。なお「丙型」の名称は計画時の呼称であり各書籍などで普遍的に用いられているものだが、海軍が定めた艦型名は第一号型海防艦である。同型艦は56隻が竣工した。.

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九九式双発軽爆撃機

九九式双発軽爆撃機(きゅうきゅうしきそうはつけいばくげきき、九九式双軽爆撃機とも)は、大日本帝国陸軍の爆撃機。試作名称(機体計画番号。キ番号)はキ48。略称・呼称は九九式双(発)軽爆、九九(式)双軽、双軽、ヨンハチなど。連合軍のコードネームはLily(リリー)。開発・製造は川崎航空機。.

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平戸 (海防艦)

平戸(ひらと)は、日本海軍の海防艦。普遍的には択捉型海防艦の9番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の13番艦。この名を持つ帝国海軍の艦船としては、防護巡洋艦平戸に続いて二代目。.

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五十鈴 (軽巡洋艦)

五十鈴(いすず)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。長良型の2番艦である。その艦名は、三重県を流れる五十鈴川より名づけられた。完成時は高速軽巡洋艦として水雷戦隊の旗艦に適した優秀な艦であり、歴代艦長からは堀悌吉、山本五十六、高須四郎、松永貞市、山口多聞など後に著名になった指揮官も輩出した。.

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五藤存知

五藤 存知(ごとう ありとも、1888年(明治21年)1月23日 - 1942年(昭和17年)10月12日)は、大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校(38期)卒。最終階級は海軍中将。茨城県出身。.

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井上成美

井上 成美(いのうえ しげよし/せいび、1889年(明治22年)12月9日 - 1975年(昭和50年)12月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。海軍大将となった最後の軍人。.

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今村均

今村 均(いまむら ひとし、1886年6月28日 - 1968年10月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。宮城県仙台市出身。 温厚で高潔な人柄と、占領地での軍政・指導能力は高く、名将という評価を受けている。その人柄、エピソードは今日でも旧占領国の現地住民だけでなく、敵国であった連合国側からも称えられている。.

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仏印進駐

仏印進駐(ふついんしんちゅう)とは、第二次世界大戦下におけるフランス領インドシナ(仏領印度支那)への日本軍の進駐のことを指す。1940年の北部仏印進駐と、1941年の南部仏印進駐に分けられる。南部仏印進駐は日米関係の決定的な決裂をもたらした、太平洋戦争へのであると評されている。.

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伊良湖 (給糧艦)

伊良湖(いらこ)は#達昭和16年2月(1)pp.3-4『達第二十四號 昭和十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦二隻、一等潜水艦一隻、驅潜艇一隻及運送艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年二月五日 海軍大臣及川古志郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 舞風(マヒカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 夕雲(ユフグモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十一潜水艦|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 第十七號驅潜艇|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 運送艦 伊良湖(イラコ)』、日本海軍の特務艦(運送艦)#内令昭和16年2月pp.18-19『内令第百三十四號 特務艦類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年二月五日 海軍大臣及川古志郎|運送艦ノ項中「宗谷」ノ下ニ「、伊良湖」ヲ加フ』。.

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伊集院松治

伊集院 松治(いじゅういん まつじ、1893年(明治26年)4月21日 - 1944年(昭和19年)5月24日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍中将。男爵。.

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弥生 (睦月型駆逐艦)

彌生(やよい/やよひ)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第二十三號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 彌生(ヤヨヒ)トス』。睦月型駆逐艦の3番艦である。艦名は旧暦で3月のこと。艦名は初代神風型駆逐艦の「弥生」に続いて2代目。なお日本海軍の登録上は旧字の「彌生」#内令昭和17年10月(4)pp.9-10『内令第千九百三十二號 佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 彌生 右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル|佐世保鎮守府在籍 呂號第六十一潜水艦 右帝国潜水艦籍ヨリ除カル|呉鎮守府在籍 特務艦 樫野 右帝国特務艦籍ヨリ除カル|昭和十七年十月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎』だが、ここでは「弥生」と表記する。.

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佐藤康夫

佐藤 康夫(さとう やすお、1894年3月31日 - 1943年3月3日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

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佐藤和正

佐藤 和正(さとう かずまさ、1932年 - 1991年10月1日)は日本のノンフィクション作家。.

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御蔵型海防艦

御蔵型海防艦(みくらがたかいぼうかん/Imperial Japan Navy Mikura Class Escort Ship)は、日本海軍が第二次世界大戦において運用した海防艦帝国陸海軍補助艦艇―総力戦に必要とされた支援艦艇群の全貌〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ(37) 学習研究社 ISBN 9784056027808 P102-109 「海防艦 発達史」田村尚也。主に南方航路の船団護衛に用いられた。公式には、起工時は乙型海防艦に分類されたが、丙型海防艦・丁型海防艦の建造決定後は甲型に分類が変更されている。基本計画番号はE20。1943年から1944年にかけて同型艦8隻が就役している。.

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後藤英次

後藤 英次(ごとう えいじ、1887年11月5日 - 1967年11月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。.

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北上 (軽巡洋艦)

北上(きたかみ)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。球磨型の3番艦。その艦名は、岩手県・宮城県を流れる北上川より名づけられた。.

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ペナン沖海戦

ペナン沖海戦(ペナンおきかいせん)は、第二次世界大戦中の1945年5月16日夜にマレー半島北西岸、マラッカ海峡内に位置するペナン島沖で起きた日本海軍とイギリス海軍との間の海戦(夜戦)。.

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マレー作戦

マレー作戦(マレーさくせん、馬来作戦、日本側作戦名「E作戦」)は、太平洋戦争(大東亜戦争)序盤における日本軍のイギリス領マレーおよびシンガポールへの進攻作戦である。 太平洋戦争(大東亜戦争)における最初の作戦である(つまり、「真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まった」という一部の記事にある記述は誤りである)。世界史的には、本攻撃によって第二次世界大戦はヨーロッパやアフリカのみならずアジア太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大した。 1941年12月8日にマレー半島北端に奇襲上陸した日本軍は、イギリス軍と戦闘を交えながら55日間で1,100キロを進撃し、1942年1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入した。これは世界の戦史上まれに見る快進撃であった。作戦は大本営の期待を上回る成功を収め、日本軍の南方作戦は順調なスタートを切った。.

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ノット

ノット(knot, 記号 kn,kt)は速さの単位であり、1時間に1海里(1.852km)進む速さである。.

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チューク諸島

チューク諸島(チュークしょとう、Chuuk Islands)は西太平洋、カロリン諸島内に位置する島々。周囲200kmに及ぶ世界最大級の堡礁・チューク環礁(チュークかんしょう、Chuuk Atoll)と、その中に位置する複数の火山島群からなり、248もの島々が存在する。かつてはトラック諸島(Truk Islands、都洛)またはトラック島と呼ばれていた。 現在はミクロネシア連邦のチューク州に属し、州都・ウェノなど州の主な機能が集まっている。.

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ハーダー (SS-257)

ハーダー (USS Harder, SS-257) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦。艦名はアフリカーンス語で「ボラ」を指し、全世界に分布するタイプ種のボラから南アフリカ固有種まで、ボラ科の総称に因む。 ハーダーは第二次世界大戦における最も有名な潜水艦の一隻であり、後に殊勲部隊章を受章した。ハーダーの艦長であるサミュエル・D・ディーレイ少佐(アナポリス1930年組)は「潜水艦乗りの中の潜水艦乗り a submariner's submariner,」として名誉勲章および海軍十字章を受章した。.

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バタビア沖海戦

バタビア沖海戦(バタビアおきかいせん)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年(昭和17年)3月1日、日本軍と連合軍との間で行われた海戦のこと#戦史叢書26海軍進攻作戦526頁『西部ジャワ方面部隊、敵を一掃』。日本海軍艦隊とABDA連合艦隊の夜間砲雷撃戦。 連合軍側の呼称はスンダ海峡海戦(Battle of the Sunda Strait)。.

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ポラック (潜水艦)

ポラック (USS Pollack, SS-180) は、アメリカ海軍の潜水艦。ポーパス級潜水艦の一隻。艦名はタラ科シロイトダラ属のポラックに因む。派生して、同属のシロイトダラやマダラ属のスケトウダラもポラックの一種として呼ばれる。.

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リンガエン湾

リンガエン湾(リンガエンわん)はフィリピンのルソン島西部イロコス地方、パンガシナン州、ラ・ウニョン州にある湾。幅は約37km、奥行は約56km中島「リンガエン湾」『世界地名大事典』8巻、1432頁。湾の西岸に浮かぶと東岸の都市サンフェルナンドを結んだ線より南の地域を指す。.

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レイテ沖海戦

レイテ沖海戦(レイテおきかいせん、Battle of Leyte Gulf)は、第二次世界大戦中の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピンおよびフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍・オーストラリア海軍からなる連合国軍との間で交わされた一連の海戦の総称。当時の呼称でフィリピン沖海戦当時の戦闘詳報やそれを元にして戦後製作された戦史叢書では『フィリピン沖海戦』としている。「比島」「菲島」はフィリピン島の略字。実際当時の大本営による発表でもフィリピン沖海戦とされ、当時のニュース映像でもそう紹介されている。。.

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ローレンス・T・デュボース

“ラリー”ローレンス・トゥームズ・デュボース(Laurance Toombs DuBose, 1893年5月21日 - 1967年7月11日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は大将。 第二次世界大戦の前半期には重巡洋艦「ポートランド」 (USS Portland, CA-33) 艦長としてガダルカナル島をめぐる海戦で日本海軍艦隊といくたびか交戦し、後半には巡洋艦部隊を指揮。1944年10月25日のレイテ沖海戦では日本海軍の空母「千代田」を砲撃で撃沈する稀有な戦果をおさめた。デュボースはソロモンとレイテ沖の戦功で、合計3個の海軍十字章が授けられた。 なお、ファーストネームのスペルは "Laurance" であり、ローレンス・オリヴィエ(Lord Laurence Olivier)などの "Laurence" ではない#Arlington#Find a Grave。また、姓の "DuBose" の日本語読みは「デュボース」、「デュボーズ」と統一されていない。「デュ・ボース(デュ・ボーズ)」と区切る文献もある。姓のスペルは、アーリントン国立墓地の墓碑では "Du BOSE" と、間を若干離している。.

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ブラックフィン (潜水艦)

ブラックフィン (USS Blackfin, SS-322) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級潜水艦の一隻。艦名は漠然と「黒い鰭の魚」を意味し、多種多様な魚の修飾語である。アメリカ公文書は「五大湖に生息する食用魚」と記述し、サケ科コクチマス属のブラックフィン・シスコが由来であると示唆している。戦後になって五大湖のブラックフィン・シスコは絶滅したといわれる。.

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ブンタウ

ブンタウ()は、ベトナムの都市で、バリア=ブンタウ省の南東部に位置する。旧省都である。フランス植民地時代の呼称はサンジャック (Cap Saint Jacques、)。 人口240,000人(2004年)、面積144平方キロメートル。ホーチミン市から気軽に行ける海水浴場としても有名である。.

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パース (軽巡洋艦)

パース (HMAS Perth, D29) は、オーストラリア海軍の軽巡洋艦。パース級。.

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パーソンズ・マリン・スチーム・タービン

パーソンズ・マリン・スチーム・タービン(Parsons Marine Steam Turbine Company)は、かつてイギリスに存在したエンジニアリング会社。北部イギリス、タイン川上のウォールセンド(Wallsend)に拠点を置いていた。1897年にチャールズ・アルジャーノン・パーソンズによって資本金50万ポンドで設立され、海軍艦艇用に開発した蒸気タービン専用工場とされた。 イギリス海軍最初のタービン搭載戦艦、ドレッドノートはパーソンズ社製のタービンだった。またキュナード・ライン社の31,000トン客船モーリタニア号(Mauretania)とルシタニア号(Lusitania)は73,000馬力のパーソンズ社製タービンを搭載した。 インヴィンシブル級巡洋戦艦の全てが同社製のタービンを使用した。 日本海軍では初めてのタービン搭載艦である通報艦「最上」は同社のタービンを搭載し、1908年(明治41年)に竣工した。その後も大正時代にかけてブラウン・カーチス式タービンと共に同社のパーソンズ式タービンが多くの艦艇に搭載された。日本駆逐艦初のタービン推進艦の海風型駆逐艦や巡洋戦艦「金剛」「比叡」「霧島」、空母「鳳翔」の他、三菱長崎造船所で建造された防護巡洋艦「矢矧」、戦艦「日向」などに搭載された。また三菱重工業で改設計された三菱パーソンズ式タービンが峯風型駆逐艦、多くの5,500トン型軽巡洋艦、「夕張」や重巡洋艦「古鷹」などに搭載された。1929年(昭和4年)竣工の「青葉」への搭載を最後にその後は国産設計の艦本式タービンへと移行した。 会社は後にパーソンズ(C.A.Parsons)に吸収され、現在はドイツの複合企業シーメンスの一部門としてニューカッスル・ヒートン地区に残っている。.

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ヒ86船団

ヒ86船団(ヒ86せんだん)は、太平洋戦争後期の1945年1月に運航された日本の護送船団の一つである。連合国軍のフィリピン反攻で南方航路が閉塞に向かうなか、有力な護衛の下に日本本土への石油輸送を試みたが、アメリカ海軍の機動部隊による空襲と遭遇し、護衛艦の一部を残して全滅した。日本の護送船団で最悪の被害を出した事例の一つに数えられ、日本が大規模船団方式の護衛戦術を放棄する転換点となった。.

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ヒ87船団

龍鳳」。 ウルシー泊地付近を航行中の第38任務部隊第3群。(1944年12月) ヒ87船団(ヒ87せんだん)は、太平洋戦争後期の1944年12月-1945年1月に門司からシンガポールへ航海した日本の護送船団である。貴重な大型タンカーを中心に編成され、石油の積み取りを任務とした。フィリピン反攻作戦のため行動中のアメリカ海軍機動部隊により空襲され、壊滅的損害を被った。.

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ヒ88J船団

ヒ88J船団(ヒ88Jせんだん)は、太平洋戦争末期の1945年3月にシンガポールから日本を目指して航海した日本の護送船団である。南方占領地から日本へ向かう最後の資源輸送船団として編成されたが、護衛艦艇も含めて殆ど日本にたどり着くことはできなかった。残存護衛部隊が流用されたホモ03船団(ホモ03せんだん)についてもここで解説する。.

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ヒューストン (重巡洋艦)

ヒューストン (USS Houston, CL/CA-30) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ノーザンプトン級重巡洋艦の5番艦。艦名はテキサス州ヒューストンに因み、その名を持つ艦としては2隻目。.

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ヒ船団

当時の日本の典型的な大型タンカーだった極東丸。同様の1万トン級タンカーがヒ船団の主力で、「極東丸」もヒ71船団に参加している。 ヒ船団(ヒせんだん) / ヒ号船団(ヒごうせんだん)は、日本(大日本帝国)が太平洋戦争後半において日本本土とシンガポール間で運航した一連の護送船団である。主な任務は、日本占領下のオランダ領東インドから産出する石油を、日本本土に輸送することであった。大型高速のタンカーを中心に構成され、フィリピン方面へ増援部隊を送る軍隊輸送船も多く加入した。戦略的に重要な船団として優先的に護衛されたが、アメリカ海軍の潜水艦や航空機による攻撃で大きな損害を受け、沖縄へのアメリカ軍上陸が迫った1945年(昭和20年)3月に運航停止となった。.

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フィリピンの戦い (1941-1942年)

1941年から1942年のフィリピンの戦い(フィリピンのたたかい, Battle of the Philippines, 比島作戦, 日本側作戦名「M作戦」, 1941年12月8日 - 1942年5月10日)は、太平洋戦争緒戦における日本軍のフィリピン進攻作戦である。 本間雅晴中将の指揮する第14軍主力は12月22日にルソン島に上陸し、1月2日には首都マニラを占領した。しかし、アメリカ極東陸軍のダグラス・マッカーサー司令官はバターン半島に立てこもる作戦を取り粘り強く抵抗した。45日間でフィリピン主要部を占領するという日本軍の予定は大幅に狂わされ、コレヒドール島の攻略までに150日もかかるという結果になった。.

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ドラム (潜水艦)

ドラム (USS Drum, SS-228) は、アメリカ海軍の潜水艦で、ガトー級潜水艦の一隻。ドラムの艦名はドラミング音を発するニベ科の魚類数種に因む。ガトー級潜水艦の中でネームシップのガトーより最も早く竣工しかつ真珠湾攻撃前に竣工した唯一の艦であり、同級の実質的な「一番艦」でもある。ドラムは現在、アラバマ州モービルで博物館船として公開されている。.

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ベスゴ (潜水艦)

ベスゴ (USS Besugo, SS/AGSS-321) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級潜水艦の一隻。艦名はスペイン語で「タイ」を指し、タイ科にとどまらずキンメダイやベニフエダイなど多種多様な「タイの形をした魚」の総称。.

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初霜 (初春型駆逐艦)

初霜(はつしも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年12月(5)pp.6『達第百七十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和七年十二月十日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 初霜(ハツシモ)/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 有明(アリアケ)/舞鶴要港工作部ニ於テ建造 夕暮(ユフグレ)|潜水艦 株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第六潜水艦/佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十潜水艦/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第七十一潜水艦|水雷艇 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 友鶴(トモヅル)/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 初雁(ハツカリ)|掃海艇 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 第十五號掃海艇/三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第十六號掃海艇|敷設艇 横濱船渠株式會社ニ於テ建造 猿島(サルシマ)/株式會社播磨造船所ニ於テ検図 那沙美(ナサミ)』。一等駆逐艦初春型の4番艦である。太平洋戦争緒戦では南方作戦・蘭印作戦に従事、以降は北方戦線で行動した。坊ノ岬沖海戦からも生還し、終戦直前に機雷に触雷して沈没した。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「初霜」に続いて2隻目となる。.

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初雪 (吹雪型駆逐艦)

初雪(はつゆき)は大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|(略)第三十七號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 初雪(ハツユキ)トス』。 特型(一等駆逐艦吹雪型)の3番艦。 雪級の3番艦。 「吹雪、白雪」沈没後は『初雪型駆逐艦』の1番艦(ネームシップ)である#内令昭和18年4月(1)p.20『内令第五百六十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年四月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「白雪型」ヲ「初雪型」ニ改メ同項中「白雪、」ヲ、同白露型ノ項中「、村雨」ヲ削リ同「朝潮型」ヲ「満潮型」ニメ同項中「、朝潮、大潮」「、「荒潮」「、峯雲」ヲ、同陽炎型ノ項中「時津風、」ヲ削ル(以下略)』。当初の艦名は、第37号駆逐艦。この名を持つ帝国海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「初雪」に続いて2隻目。戦後、はつゆき型護衛艦「はつゆき」としてその名は受け継がれた。.

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初春 (初春型駆逐艦)

初春(はつはる)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ|潜水艦 呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第六十八潜水艦|神戸三菱造船所ニ於テ建造 伊號第六十九潜水艦|水雷艇 舞鶴要港工作部ニ於テ建造 千鳥チドリ|藤永田造船所ニ於テ建造 眞鶴マナヅル|掃海艇 藤永田造船所ニ於テ建造 第十三號掃海艇|大阪鐡工所ニ於テ建造 第十四號掃海艇|敷設艇 石川島造船所ニ於テ建造 夏島ナツシマ』#海軍制度沿革(巻8、1940)p.209『◎驅逐艦初春外二隻伊號第六十八潜水艦外一隻水雷艇千鳥外一隻掃海艇第十三號外一隻敷設艇夏島命名ノ件』。 一等駆逐艦初春型の1番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「初春」に続いて2隻目。 大改装前の子日と初春.

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刈萱 (駆逐艦)

刈萱(かるかや)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型駆逐艦の8番艦である。.

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呉竹 (駆逐艦)

呉竹(くれたけ)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型駆逐艦の2番艦である。.

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アーチャーフィッシュ (潜水艦)

アーチャーフィッシュ (USS Archer-fish, SS/AGSS-311) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級潜水艦の一隻。艦名は汽水域から海水域に生息し、水鉄砲を撃つ奇習で知られているテッポウウオ (Toxotes jaculatrix) に因む。同名の米軍艦(USS ''Archerfish'')としては初代。第二次世界大戦中、艦名は Archer - fish とハイフンで繋がれたが、1952年の再就役時には Archerfish となりハイフンが取り除かれた。 アーチャーフィッシュは1944年に日本海軍の空母信濃を撃沈する戦果をあげたが、これは潜水艦が撃沈した軍艦の中では最大の記録である。このことは、本文中で改めて記述する。.

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ウォレアイ環礁

ヤップ州の地図。地図の右下の144度線に近い位置にウォレアイ環礁がある ウォレアイ環礁(ウォレアイかんしょう、Woleai Atoll、)はカロリン諸島、ミクロネシア連邦のヤップ州にある22の小島の一群#生と死の記録345-347頁『日米両軍に見捨てられたメレヨン島■』。オレアイ環礁、メレヨン環礁とも呼ばれる。東西8km、南北5kmの域内に点在し、各島海抜は1mから3mである。日本軍の呼称はメレヨン島。太平洋戦争序盤から中旬までは日本軍の小規模な基地が置かれていたが、絶対国防圏強化のため1944年(昭和19年)頃より兵力を増強する。だがサイパン島玉砕以後は補給が途絶え、兵員は飢餓に苦しんだ#飢餓の島1頁『梗概』。結果的に、日本軍守備隊は飢餓により事実上全滅しており(守備隊約7000名中、約5000名戦病死)、戦わずして玉砕した悲劇の島と言われている。 現在の人口はおよそ800名。.

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グラティテュード作戦

ラティテュード作戦(グラティテュードさくせん、Operation Gratitude)#ASTORIA (1)は、太平洋戦争中の1945年(昭和20年)1月10日から1月25日にかけて、ルソン島の戦いの支援のためにアメリカ海軍第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)が南シナ海を中心に繰り広げた作戦である。これまでアメリカ艦隊が入らなかった南シナ海に進入して一方的な空襲作戦を展開し、日本側にヒ86船団の悲劇的な壊滅を含む多大な艦船の喪失を生み出した。作戦は南方からの資源ルート切断という危機が間近に迫ったことを日本側に知らしめる結果となり、艦艇による北号作戦および輸送船団による南号作戦が発動されて南方資源地帯からの重要物資の還送が促されることとなった。また、1944年8月28日から中部太平洋方面で作戦行動に入っていた第3艦隊(ウィリアム・ハルゼー大将)の行動は、この作戦でいったん締めくくられることとなった。 なお、第38任務部隊がバシー海峡を西航して南シナ海に入り一連の空襲を終えてバシー海峡を東航し台湾と沖縄への攻撃を終えて根拠地のウルシー環礁に帰投するまでの期間を扱う。ヒ86船団については当該項目も参照とのこと。なお、第38任務部隊の行動自体は1944年(昭和19年)12月30日から始まっており、その12月30日から1月9日まではマイクI作戦(マイクワンさくせん、Operation MIKE I)と別の作戦になる。.

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ジャワ島

18世紀初頭のジャワ島の地図 ジャワ島(ジャワとう、, )は、インドネシアを構成する島の一つ。スマトラ島などとともに、大スンダ列島を形成する。形状は東西に細長い。スマトラ島の東、カリマンタン島の南、バリ島の西に位置する。ジャワ島には4つの州と2つの特別州がある。.

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スカベンジャー作戦

ベンジャー作戦(スカベンジャーさくせん, Operation Scavenger)は、太平洋戦争中の1944年8月初旬にアメリカ海軍機動部隊が行った、小笠原諸島に対する攻撃作戦である。第4804船団(だい4804せんだん)の壊滅など日本軍の艦船や航空機に相当の損害を与えた。.

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サボ島沖海戦

ボ島沖海戦(サボとうおきかいせん)は、第二次世界大戦のガダルカナル島周辺において1942年(昭和17年)10月11日深夜〜12日に日本軍とアメリカ軍の間で行われた海戦である。連合軍側の呼称はBattle of Cape Esperance (エスペランス岬沖海戦)。 なおサボ島沖海戦の2ヶ月前に行われた別海戦で、日本軍側が第一次ソロモン海戦と呼称する海戦のことを連合軍側は「Battle of Savo Island」と呼んでいる。.

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サツキ (曖昧さ回避)

ツキ、さつき(皐月、早月、五月)は.

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冲鷹 (空母)

母改装前の新田丸(1940年) 冲鷹(ちゅうよう)は、日本海軍の航空母艦#達昭和17年8月p.21「達第二百三十四號 呉海軍工廠ニ於テ艤装中ノ汽船新田丸ヲ左ノ通命名セラル 昭和十七年八月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎 軍艦 冲鷹(チュウヨウ)」。.

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八丈島

八丈島(はちじょうじま)は、伊豆諸島の島。行政区分は東京都八丈町。隣の八丈小島と区別するため、八丈本島もしくは八丈大島と呼ばれることもある。日本の気象庁による火山活動度ランクCの活火山である。1964年、富士箱根伊豆国立公園に指定された。.

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光島丸

光島丸(みつしままる)とは、かつて三菱汽船および三菱海運が運航していたタンカー。2TL型戦時標準船の一隻で、太平洋戦争中の南号作戦に参加して最後に帰還した船でもある。戦争を生き残り、戦後も石油輸送に任じた。.

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勢多型砲艦

勢多型砲艦(せたがたほうかん)は、かつて大日本帝国海軍が保有した砲艦の艦級の一つ。大正9年計画艦。同型艦4隻を一挙に作り砲艦の充実を目指した。製作は国内の播磨造船と三菱神戸が2隻ずつ担当し、中国へ分解輸送、現地で組み立てた。.

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国立国会図書館

国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん、英称:)は、日本の国会議員の調査研究、行政、ならびに日本国民のために奉仕する図書館である。また、納本制度に基づいて、日本国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館である。設置根拠は国会法第130条及び国立国会図書館法第1条。 国立国会図書館は、日本の立法府である国会に属する国の機関であり、国会の立法行為を補佐することを第一の目的とする議会図書館である。同時に、納本図書館として日本で唯一の国立図書館としての機能を兼ねており、行政・司法の各部門および日本国民に対するサービスも行っている。バーチャル国際典拠ファイルに参加している。 施設は、中央の図書館と、国立国会図書館法3条に定められた支部図書館からなる。中央の図書館として東京本館(東京都千代田区永田町)および関西館(京都府相楽郡精華町精華台)が置かれ、また東京本館に付属して国会分館がある。 支部図書館としては国際子ども図書館(東京都台東区上野公園)のほか、司法機関に1館(最高裁判所図書館)、国立国会図書館法の規定により行政各部門に置かれる支部図書館及びその職員に関する法律(昭和24年法律第101号。支部図書館法)に基づいて行政機関に26館が置かれる。.

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皐月 (睦月型駆逐艦)

月(さつき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第二十七號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 皐サ 月ツキ トス』。睦月型駆逐艦の5番艦である。艦名は旧暦の5月のこと。同名艦にロシアからの戦利艦である「皐月」があるため、こちらは「皐月 (2代)」や「皐月II」などとも表記される。竣工時の艦名は第二十七号駆逐艦#S3.06.21駆逐艦掃海艇改名p.3『艦艇名改正表(一)一等驅逐艦|第二十二驅逐隊|第二十七號驅逐艦|皐サ月ツキ|/|第二十八號驅逐艦|水ミ無ナ月ヅキ|/|第二十九號驅逐艦|文フミ月ツキ|/|第三十號驅逐艦|長ナガ月ツキ|』。.

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玉波 (駆逐艦)

玉波(たまなみ)は#達昭和17年11月(2)pp.4-6『達第二百九十四號 昭和十六年度及昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦四隻、海防艦一隻及掃海特務艇六隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年十一月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造  驅逐艦 玉波(タマナミ)/呉海軍工廠ニ於テ建造  伊號第五十三潜水艦 伊號第五十五潜水艦/三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造  呂號第三十八潜水艦/株式會社玉造船所ニ於テ建造  呂號第四十四潜水艦/日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造  海防艦 對馬(ツシマ)/浪速船渠株式會社ニ於テ建造  第十二號掃海特務艇 第十七號掃海特務艇/三菱重工業株式會社彦島造船所ニ於テ建造  第十三號掃海特務艇 第十四號掃海特務艇/株式會社名村造船所ニ於テ建造  第十五號掃海特務艇/佐野安船渠株式會社ニ於テ建造  第十六號掃海特務艇』、日本海軍の駆逐艦秋月型(2015潮書房)224頁『玉波(たまなみ)』。 夕雲型駆逐艦の9番艦である#内令昭和17年11月(2)pp.26-27『内令第二千二十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年十一月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎/驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「清波」ノ下ニ「、玉波」ヲ加フ/潜水艦、一等伊五十二型ノ項中「伊號第五十二」ノ下ニ「、伊號第五十三、伊號第五十五」ヲ加フ 同二等呂號三十五型ノ項中「呂號第三十七」ノ下ニ「、呂號第三十八」ヲ、「呂號第四十二」ノ下ニ「、呂號第四十四」ヲ加フ/海防艦、占守型ノ項中「隠岐」ノ下ニ「、對馬」ヲ加フ』。.

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睦月型駆逐艦

月型駆逐艦(むつきがたくちくかん、Mutsuki Class Destroyers)は日本海軍の駆逐艦の艦級。同型艦12隻。 日本駆逐艦としては初めて61cm魚雷を搭載した。 「睦月型」命名前(後述)の呼称は第十九号型駆逐艦。 ネームシップの「睦月」沈没後、卯月型駆逐艦と改定された。.

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硫黄島

硫黄島(いおうとう・いおうじま) 島の名.

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磯風 (陽炎型駆逐艦)

磯風(いそかぜ)は、太平洋戦争(大東亜戦争)での大日本帝国海軍の駆逐艦。.

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磯波 (吹雪型駆逐艦)

磯波(いそなみ)は大日本帝国海軍の駆逐艦。特型(吹雪型)の9番艦である。当初の艦名は、第43号駆逐艦。艦名は磯に打ち寄せる波から由来し、この名を持つ帝国海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「磯波」に続き2代目にあたる。.

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神威 (水上機母艦)

威当時は「神」は旧字体により「示+申」と表記された。(かもい/かもゐ)は、日本海軍の運送艦(給油艦)、のち水上機母艦。 アメリカ合衆国で建造幕末以降帝国海軍軍艦写真と史実コマ118(原本190頁)『神威(かもゐ) 艦種 水上機母艦  艦名考 岬名なり、後志國神威岬に採る、神威岬は方俗古來御オカ神ムイと云ふ。  艦歴 此艦は所謂米國式の實費計算に據り米國へ註文したるものにして、我海軍に於て目下電氣推進による唯一の船なり。大正11年12月15日横須賀着。元特務艦(運送船)なりしも、昭和9年6月1日軍艦に編入、水上機母艦となる。昭和6・7年事變(日支)從軍:同8年2月熱河方面作戰に協力(艦長大佐竹田六吉)  ―要目― 長さ 151.18米/幅 20.42米/吃水 8.43米/排水量 17,000噸/機關 電氣推進2軸/馬力 8,000/速力 15節/兵装 14糎砲2門 8糎高角砲2門/起工 大正10-9-14/進水 同11-6-8/竣工 同11-9-12/建造所 紐育シップビルヂング社』。 太平洋戦争前における、日本海軍最後の海外発注艦となった日本空母物語358-361頁『神かも威い』魚雷艇をのぞく。また太平洋戦争中の日本海軍は、ドイツで建造された空母神鷹《改造当初は電気推進式艦》や、鹵獲艦艇の第102号哨戒艇《元アメリカ駆逐艦スチュアート》等の海外建造艦艇を保有した。。 艦名は北海道(後志国)積丹半島の「神威岬」による。.

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神州丸

州丸(神洲丸、しんしゅうまる)は、大日本帝国陸軍が建造・運用した揚陸艦(上陸用舟艇母船)。存在秘匿のためにR1、GL、MT、龍城丸(りゅうじょうまる)等の名称も使用されている。帝国陸軍では特種船に分類され、その第1号(第1船・1番船)となり同型船は無い。 事実上の世界初の先進的なドック型揚陸艦として上陸用舟艇である大発動艇(大発)・小発動艇(小発)多数および、それらの護衛砲艇たる装甲艇(AB艇)、高速偵察艇たる高速艇甲(HB-K)を搭載し極めて高い上陸戦遂行能力を持ち、日中戦争(支那事変)最初期から太平洋戦争(大東亜戦争)末期に至るまで数々の上陸作戦・揚陸作戦を成功に導いた。また、計画段階より搭載航空機による上陸部隊の支援攻撃が考慮されていたため、後身の発展型であるあきつ丸と同じく現在の強襲揚陸艦の先駆的存在であった。.

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神風 (2代神風型駆逐艦)

本来の漢字は『示申』だが、環境依存文字のため『神』とする(かみかぜ)は日本海軍の2代目神風型駆逐艦の1番艦#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3「艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪」。1922年(大正11年)に竣工した日本軍艦集2600年版p.47「一等驅逐艦 神風(かみかぜ) 基準排水量1,270噸、長さ97.54米、幅9.14米、平均吃水2.92米、速力34節、備砲12糎砲4門、魚雷發射管6門、起工大正10年12月15日、進水大正11年9月25日、竣工大正11年12月28日、建造所三菱長崎造船所―同型艦に春風、朝風、松風、旗風、追風、夕凪及び次に出てくる朝凪、疾風がある。」。日本海軍の艦名としては1905年(明治38年)竣工の初代神風型駆逐艦・神風に続いて2隻目。太平洋戦争中は北方警備、1945年以降は南西方面で輸送や護衛に従事した。ペナン沖海戦、米潜水艦ホークビルとの死闘を経て、シンガポールで無傷で終戦を迎えた。戦後は特別輸送艦(復員船)となったが、1946年に静岡県沖で座礁し、1947年に解体された。.

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神風型駆逐艦 (2代)

型駆逐艦(かみかぜかたくちくかん)は、日本海軍の駆逐艦の艦級。同型艦9隻。.

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秋風 (駆逐艦)

秋風(あきかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。 峯風型駆逐艦(一等駆逐艦)の9番艦である。艦名は立秋に秋の気配を感じさせる風を意味する。.

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秋雲 (駆逐艦)

秋雲(あきぐも)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和16年3月p.33『達第七十三號 昭和十四年度及昭和十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦一隻、一等潜水艦一隻及駆潜艇三隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年三月二十五日 海軍大臣及川古志郎|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 一等驅逐艦 秋雲(アキグモ)|三菱重工株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第四十一潜水艦(以下略)』。陽炎型駆逐艦(不知火型)の最終19番艦である#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』。 本艦は戦後長らく夕雲型駆逐艦とされていたが#陽炎型(2014)314-315頁『秋雲(あきぐも)』、1994年に陽炎型駆逐艦であるという研究が発表された(後述)。.

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第十二号海防艦

十二号海防艦本来の艦名表記は第十二號海防艦(1945年12月20日から1946年6月30日までの間と、1946年8月1日以降は海第十二號)。(だいじゅうにごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の6番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後は掃海に従事した。.

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第三十一戦隊

三十一戦隊(だい31せんたい)とは、日本海軍の戦隊の一つ。太平洋戦争後期、敵潜水艦を積極的に発見・攻撃するための対潜機動部隊として戦史叢書45巻、359-360頁「対潜機動部隊を新編す」、1944年(昭和19年)8月20日に編制された戦史叢書45巻、361-364頁「第三十一戦隊の新編」戦史叢書37巻、76-78頁「対潜撃滅戦隊の創設」。レイテ沖海戦(エンガノ岬沖海戦)では小沢機動部隊に所属して戦闘に参加、以後は多号作戦や礼号作戦など、通常の水雷戦隊任務にも投入された。戦争末期には本土決戦に備えて敵上陸船団に対する水上戦闘任務に転用された(海上挺進部隊)。.

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第一遣外艦隊

一遣外艦隊(だいいちけんがいかんたい)は、旧日本海軍の部隊の一つ。前身は1917年12月に新設された第7戦隊。1918年2月に独立し遣支艦隊となり、さらに1919年8月第一遣外艦隊に改編された。上海に駐留し、主に揚子江流域の警備を担当した。 1932年の第一次上海事変を契機に、中国方面への警備強化が急務となり、日本海軍は第一・第二遣外艦隊(1927年編成、主に青島周辺の警備を担当)に増援部隊を派遣し、これらの部隊を統括する第三艦隊が新たに編成された。2個遣外艦隊は翌年まで戦隊への組み換えを行わなかったため、第三艦隊の中に2個艦隊が存在する状態が約1年3ヶ月続いた。1933年5月に第一・第二遣外艦隊をそれぞれ第11・第10戦隊に組み替えて、通常の艦隊編制となった。.

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第一航空戦隊

一航空戦隊(だいいちこうくうせんたい)とは、日本海軍の機動部隊の一翼を担った部隊である。略称は一航戦。または一空戦。.

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第二十八号型駆潜艇

二十八号型駆潜艇(だいにじゅうはちごうがたくせんてい、旧字体:第二十八號型驅潜艇)は日本海軍の駆潜艇。同型艦31隻。.

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第二十四号海防艦

二十四号海防艦本来の艦名表記は第二十四號海防艦。(だいにじゅうよんごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の12番艦。船団護衛中に撃沈された。.

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第二艦隊 (日本海軍)

二艦隊(だいにかんたい)は、日本海軍の部隊の一つ。第一艦隊とともに常設の艦隊で、ワシントン軍縮条約による大量廃艦の影響を受けた1921年度の1年間を除くと、1903年の創設から1945年の壊滅まで常時編制された。巡洋艦および巡洋戦艦を主力とした。.

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第二水雷戦隊

二水雷戦隊(だいにすいらいせんたい)は、日本海軍の部隊の一つ。略称は二水戦(にすいせん)。.

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第四号海防艦

四号海防艦本来の艦名表記は第四號海防艦。(だいよんごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の2番艦。太平洋戦争の終戦直前に沈没した。.

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第四航空戦隊

四航空戦隊(だいよんこうくうせんたい)は、日本海軍の部隊の1つ。略称は四航戦。解隊と再編成を繰り返した部隊。.

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第四艦隊 (日本海軍)

四艦隊(だいよんかんたい)は、旧日本海軍の部隊の一つ。日露戦争末期に陸軍の樺太上陸支援のために編成された部隊と、1933年(昭和8年)より海軍大演習時の対抗部隊(赤軍)として臨時編制された部隊、日中戦争で増援のために編制され華北方面に進出した部隊、太平洋戦争時に南洋諸島防衛を目的に編制された部隊がある戦史叢書38巻72-73頁『第四艦隊誕生の経緯と艦隊編制の改定』。ここでは第四艦隊事件に遭遇した臨時編成の仮想敵部隊についても述べる。.

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第四艦隊事件

四艦隊事件(だいよんかんたいじけん)は、1935年(昭和10年)に台風により大日本帝国海軍(以下日本海軍、もしくは海軍と略)の艦艇が被った大規模海難事故である。 これにより、艦体の強度や設計に問題があることが判明し、前年に発生した友鶴事件と共に、後の海軍艦艇の設計に大きな影響を与えた。.

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筑摩 (重巡洋艦)

筑摩(ちくま)は、大日本帝国海軍の重巡洋艦#達昭和10年9月p.21『達第百十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十年度ニ於テ建造ニ着手ノ巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十年九月二十八日 海軍大臣大角岑生|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 八千五百頓級巡洋艦 筑摩(チクマ)』。利根型重巡洋艦(二等巡洋艦利根型)の2番艦#艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.2『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|二等|利根型|利根、筑摩|』。 その艦名は、筑摩川(千曲川、信濃川の上流部)に因んで命名された#幕末以降帝国軍艦写真と史実139頁『筑摩(ちくま) 艦種二等巡洋艦 二檣(信號用)矢矧・平戸と姉妹艦なり 艦名考川の名、千曲川に採る、川名は又筑摩川・千阿川・知隈川等に作る、此艦名には筑摩の字を適用せられたるなり、川は信濃國作久村郡の渓谷に發源し、下流信濃川となりて新潟に於て海に注ぐ。艦歴(略)昭和6年4月1日除籍。(要目略)。この名を持つ帝国海軍の艦船としては筑摩型防護巡洋艦1番艦筑摩に続いて2隻目。 筑摩は真珠湾攻撃やミッドウェー海戦など太平洋戦争の重要な戦闘に参加し、レイテ沖海戦で沈没した。艦内神社は筑摩神社である。艦名は海上自衛隊の護衛艦に継承された。.

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羽黒 (重巡洋艦)

羽黒(はぐろ)は、日本海軍の重巡洋艦で、妙高型重巡洋艦の4番艦。その艦名は、山形県の出羽三山の一つである羽黒山に因んで命名された。.

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父島

島(ちちじま)は、東京都・小笠原諸島の父島列島の島。.

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疾風 (2代神風型駆逐艦)

(はやて)は、日本海軍の神風型駆逐艦(2代目)7番艦である#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』日本軍艦集2600年版p.48『一等驅逐艦 疾風(はやて) 基準排水量1,270噸、長さ97,54米、幅9,14米、平均吃水2,92米、速力34節、備砲12糎砲4門、魚雷發射管6門、起工大正11年11月11日、進水大正14年3月23日、竣工大正14年12月21日、建造所石川島造船所―朝凪と同型。この級の最後の艦、その後は1,315噸型驅逐艦が盛んに建造されるやうになつた。』 。同名の日本海軍艦船は1907年(明治40年)に竣工した駆逐艦疾風に次いで2隻目。1941年(昭和16年)12月11日の第一次ウェーク島攻略作戦で陸上砲台の砲撃を受け、太平洋戦争で初めて戦没した日本の駆逐艦となった。.

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瑞鶴 (空母)

(ずいかく/ずゐかく/ズヰカク)は、大日本帝国海軍の航空母艦。翔鶴型航空母艦の2番艦#達昭和14年9月p.19『達第百六十號 株式會社川崎造船所ニ於テ建造中ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十四年九月三十日 海軍大臣 吉田善吾 航空母艦 瑞鶴(ズヰカク)』。「ズイカク」とタイプされた物の「イ」に斜線を入れて手書きで「ヰ」に直されている。。1944年10月25日にエンガノ岬沖海戦で沈没。.

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特設護衛船団司令部

特設護衛船団司令部(とくせつごえいせんだんしれいぶ)とは、日本海軍が太平洋戦争中に大規模な護送船団の指揮のために編成した部隊である。司令官のほかに固有の幕僚・戦闘兵力を持たない点が特色で、船団の運航に際して臨時の参謀を加え、適宜集められた護衛艦艇を指揮下に入れた。本項目では、固有の戦闘兵力を有する発展的な護衛専門部隊として編成された部隊番号100番台の戦隊についても述べる。.

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狭霧 (駆逐艦)

狭霧(さぎり)は#達昭和3年11月p.49『達第百七十二號 艦艇製造費ヲ以テ昭和三年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和三年十一月二十三日 海軍大臣岡田啓介 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 狭霧 サギリ』、大日本帝国海軍の駆逐艦ポケット海軍年鑑(1935)コマ50(原本83頁)『一等驅逐艦"狭霧 さぎり" 全要目我が海軍の有する驅逐艦中にて特とく型がたと呼ばれるのはこれ等の最新式大型驅逐艦の別稱で、その第一に建造されたのが雪の附く4隻(現在深雪は除籍)でその他に雲くも級クラスが4隻、波なみ級クラスが4隻、霧きり級クラスが4隻、それに"朧 おぼろ" "曙 あけぼの" "漣 さざなみ" "潮 うしほ" "暁 あかつき" "響 ひびき" "雷 いかづち" "電 いなづま"。以上23隻の同型艦を有するわけである。そして其の後に現はれたものが"初春 はつはる"以降9隻の1,368噸型の最新型であるがこれ等も上記のものと同様に特型と呼ばれてゐる。即ちこれ等特型驅逐艦合計32隻の活躍こそは将來不幸にして一朝事ある場合に於て我が艦隊の手足として又時には他艦種の缺を補ふ方面に活躍するものとして大いなる期待がかけられてゐるのである。』。.

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盤谷丸 (特設巡洋艦)

谷丸(ばんこくまる)は、かつて大阪商船が所有し運航していた貨客船。太平洋戦争では特設巡洋艦として運用された。厳密な艦種類別は「特設巡洋艦兼敷設艦」であり、実際の戦歴も敷設艦や運送船としての任務がほとんどだった。.

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白石萬隆

白石 萬隆(しらいし かづたか、1892年(明治25年)10月24日 - 1961年(昭和36年)11月16日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争開戦時の第二艦隊参謀長として、南方攻略戦や第三次ソロモン海戦など、第七戦隊司令官としてマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦を戦った海軍中将である。.

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白露型駆逐艦

白露型駆逐艦(しらつゆかたくちくかん)は、大日本帝国海軍の一等駆逐艦の艦級である。初春型駆逐艦の準同型艦ともいえる艦級であった。なお、一番艦の白露から五番艦の春雨までは有明型駆逐艦(ありあけがたくちくかん)に類別されていた時期もあった。.

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白雪 (吹雪型駆逐艦)

白雪(しらゆき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第三十六號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 白雪(シラユキ)トス』。特型駆逐艦こと一等駆逐艦吹雪型(白雪型・初雪型)の2番艦。 雪級(ゆきクラス)の1隻。 当初の艦名は第三十六号駆逐艦。白雪の名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「白雪」に続いて2隻目。名称ははつゆき型護衛艦(現:しまゆき型練習艦)2番艦「しらゆき」に受け継がれている。.

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白雲 (吹雪型駆逐艦)

白雲(しらくも)は、日本海軍の吹雪型駆逐艦8番艦。1928年(昭和3年)7月に竣工した。日本海軍の艦船名としては1902年(明治35年)竣工の白雲型駆逐艦白雲に続いて2隻目。1944年(昭和19年)3月、船団護衛中に釧路沖の太平洋で米潜水艦の雷撃を受け沈没した。.

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芙蓉 (駆逐艦)

芙蓉(ふよう)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型駆逐艦の7番艦である。.

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菊月 (睦月型駆逐艦)

菊月(きくづき)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第三十一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 菊月(キクヅキ)トス』。一等駆逐艦睦月型の9番艦である。艦名は旧暦で9月のこと。艦名は初代神風型駆逐艦の「菊月」に続いて2代目。珊瑚海海戦の前哨戦で撃沈された。艦名は海上自衛隊の護衛艦「きくづき」に継承された。.

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菫 (橘型駆逐艦)

菫(すみれ)は日本海軍の駆逐艦。仮称5520号艦、橘型(改松型)駆逐艦6番艦として横須賀海軍工廠で建造された。 艦名は植物の菫による。艦名としては樅型駆逐艦の18番艦「菫」に続いて2代目。.

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館山海軍航空隊

山海軍航空隊(たてやまかいぐんこうくうたい)は日本海軍の部隊の一つ。横須賀海軍航空隊の機能分散を図るため、関東各地に設置された初期の航空隊のひとつで、東日本の近距離哨戒・近距離対艦迎撃のために設置された。に次いで開かれた。1944年(昭和19年)12月15日に、東日本の哨戒航空隊を統合した第九〇三海軍航空隊(だい903かいぐんこうくうたい)の主力隊に変容した。また、九〇三空に統一された後にも、二代目の館山空が設置された。本稿では統合後の九〇三空と二代目館山空も合わせて述べる。.

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西貢丸 (特設巡洋艦)

西貢丸(さいごんまる)は、かつて大阪商船が所有し運航していた貨客船。太平洋戦争では特設巡洋艦として運用された。厳密な艦種類別は「特設巡洋艦兼敷設艦」であり、実際の戦歴も敷設艦としての任務が多かった。特設巡洋艦(兼敷設艦)として入籍後は沈没の時まで類別変更されず、その意味では日本海軍最後の特設巡洋艦でもあった敷設艦としての設備の有無で類別するなら、「純粋な」特設巡洋艦籍のままで最後に沈没したのは「赤城丸」(日本郵船、7,389トン)であり、太平洋戦争期の特設巡洋艦として行動した船で最後に沈没したのは「浮島丸」(大阪商船、4,730トン)である。。 なお、大阪商船の所有船としての「西貢丸」としては二代目である。初代は1901年(明治34年)にイギリスで建造され、1912年(大正元年)11月に購入して1923年(大正12年)に売却するまで所有していた。.

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馬公市

公市(まこうし)は、台湾澎湖県の県轄市。澎湖県政府の所在地。台湾の歴史上最も早くから漢民族による開発が行われた地域である。 馬公市内には、1592年に創建された台湾最古の廟である天后宮がある。馬公の市街はこの天后宮を中心に形成され、その街路網は現在でも残っている。天后宮以外にも、澎湖島内には150近くの寺廟がある。ただし、島民の生活が古くから海と密着したものであったことから、そのほとんどが海の神である媽祖を祀っており、島民の伝統的な生活を窺うことができる。.

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香取 (練習巡洋艦)

香取(かとり)は、日本海軍の練習巡洋艦#達昭和14年3月(2)p.23『達第四十八號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦二隻、驅逐艦一隻及敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十四年三月三十一日 海軍大臣米内光政|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香取(カトリ) 練習巡洋艦 鹿島(カシマ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 早潮(ハヤシホ)|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 敷設艇 巨濟(キョサイ)』。 香取型練習巡洋艦の1番艦である#艦艇類別等級表(昭和17年6月30日)p.4『軍艦|練習巡洋艦|香取、鹿島、香椎』。.

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香川県

香川県(かがわけん)は、瀬戸内海に面し四国の北東部に位置する日本の県の一つ。令制国の讃岐国に当たる。県庁所在地は高松市。県名は旧讃岐国のほぼ中央に存在し、かつて高松が属していた古代以来の郡である香川郡から採られた。面積が全国一小さい県だが、災害が少なくコンパクトな中に都市の利便性と豊かな自然が調和した生活環境を併せ持つ特徴を有するかがわ暮らしガイドブック(香川県発行)。.

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香椎 (練習巡洋艦)

香椎(カシヒ/かしい)は、日本海軍の練習巡洋艦#達昭和15年8月p.19「達第百六十七號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十四年度及同十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦一隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻、測量艦一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年八月三十日 海軍大臣 吉田善吾|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香椎(カシヒ)|株式会社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 谷風(タニカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 野分(ノワキ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十三潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十九潜水艦|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 測量艦 筑紫(ツクシ)|鶴見製鉄造船株式会社ニ於テ建造 第十六驅潜艇」。香取型練習巡洋艦の3番艦である#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.5「練習巡洋艦|香取、鹿島、香椎」。その艦名は、福岡県の香椎宮に由来している#三菱、20話27頁「船名の由来は神社の名前から」。.

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角田覚治

角田 覚治(かくだ かくじ、1890年(明治23年)9月23日-1944年(昭和19年)8月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。テニアン島で戦死。.

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駆逐艦

駆逐艦(くちくかん、destroyer)は、19世紀末に出現した艦種である。.

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高雄市

市(たかおし/カオションし、、)は、台湾南部に位置する都市。.

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高雄港

港(たかおこう/カオシュンこう、Port of Kaohsiung、高雄港)は、中華民国(台湾)最大のおよそ1000万の20フィートコンテナを扱い、世界第12位(2012年現在)の取扱量を誇る台湾を代表する港湾である。台湾の南端に位置しており、鼓山区、塩埕区、苓雅区、前鎮区、小港区、旗津区に囲まれて高雄市に隣接している。中華民国交通部から分割された台湾港務株式会社高雄港務支店によって管轄されている。.

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高松宮宣仁親王

松宮宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう、1905年(明治38年)1月3日 - 1987年(昭和62年)2月3日)は、日本の皇族。大正天皇と貞明皇后の第三皇子。今上天皇の叔父にあたる。有栖川宮の祭祀を継承。妃は公爵・徳川慶久の次女・喜久子。御称号は光宮(てるのみや)。身位は親王。お印は若梅(わかうめ)。栄典は大勲位功四級。.

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高橋忠治

橋 忠治(たかはし ちゅうじ、1927年5月15日 - )は、日本の児童文学者。民話にも造詣が深い。詩人・童話作家としても知られ、地域に根ざした児童文学の創作を掲げる。.

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鬼怒 (軽巡洋艦)

怒(きぬ)は、日本海軍の軽巡洋艦。長良型の5番艦である。その艦名は、栃木県、茨城県を流れる鬼怒川より名づけられた。.

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護衛艦

護衛艦(ごえいかん)は、海上自衛隊が保有する自衛艦の分類の1つ。自衛艦類別表の大分類:警備艦、中分類:機動艦艇、種別:護衛艦となる。 国際法上は、自衛艦旗(国際法上で定義される軍艦旗)を掲揚し、自衛官(国際法上で定義される戦闘員)が運用しているため、軍艦と見なされる。英語ではDestroyerと呼ばれ、駆逐艦と見なされている。.

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豊予海峡

愛媛県佐田岬(右側)と大分県関崎(左側)に挟まれる豊予海峡 高島 豊予海峡(ほうよかいきょう)は、大分県大分市(旧佐賀関町)の関崎と愛媛県伊方町(旧三崎町)の佐田岬によって挟まれる海峡。速吸瀬戸(はやすいのせと)とも呼ばれる。.

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豊後水道

豊後水道(画面中央の豊予海峡より南の海域) 高島 豊後水道(ぶんごすいどう)は、九州の大分県と四国の愛媛県に挟まれた水道である。北で瀬戸内海(伊予灘)、南で太平洋(フィリピン海(日向灘))に接する。ただし、豊後水道北部を瀬戸内海に含めることもある。また、愛媛県に近い水域を宇和海(うわかい)と呼ぶ。 豊後水道が最も狭くなった部分が、大分県大分市(旧佐賀関町)の関崎と、愛媛県伊方町(旧三崎町)の佐田岬の間の豊予海峡であり、その海峡の幅は約14kmである。 かつてはニタリクジラまたはカツオクジラ(現在でも土佐湾に定住する)を始め多くのクジラが見られたとされ、現在でもハンドウイルカ、ミナミハンドウイルカ、ハセイルカの3種類のイルカが定住する。.

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豊田副武

豊田 副武(とよだ そえむ、1885年(明治18年)5月22日 - 1957年(昭和32年)9月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第29代・第30代連合艦隊司令長官。最後となる第19代軍令部総長を務めた。.

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豊浦郡

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鳳翔 (空母)

鳳翔(ほうしょう/ホウシヤウ。命名に係る本令達における「ほうしょう」の標記は「ホウシヤウ」である。)は、日本海軍初の航空母艦。 起工時から航空母艦として設計されて完成した世界初の新造空母。.

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鳴戸 (給油艦)

戸(なると)は、大日本帝国海軍の特務艦で、隠戸型給油艦の3番艦。艦名は「鳴門海峡」にちなんで名づけられた片桐, 594ページ。「鳴戸」は「鳴門」の古表記である。.

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鴻 (鴻型水雷艇)

鴻(おおとり)は、日本海軍の水雷艇で、鴻型水雷艇のネームシップである。同名艦に1904年6月4日に竣工した隼型水雷艇の15番艦「鴻」がある。.

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鴻型水雷艇

鴻型水雷艇(おおとりがたすいらいてい)は日本海軍の水雷艇。同型艇8隻。.

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鷺 (鴻型水雷艇)

鷺(さぎ)は、日本海軍の水雷艇。鴻型の7番艇。艦艇名としては隼型水雷艇「鷺」に続いて2代目。.

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黒潮丸 (タンカー)

黒潮丸(くろしおまる)は、1938年進水の日本の石油タンカー。有事の徴用を想定した1万トン級高速船として設計され、太平洋戦争中には特設給油船などとして活動したが、1945年1月に空襲で撃沈された。終戦後に中国船永灝として復旧され、朝鮮戦争時にイギリス海軍補助艦隊の給油艦サーフ・パイロット()となり、1960年3月までシンガポールに繋留された。.

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龍驤 (空母)

龍驤(りゅうじょう/りうじやう)は、大日本帝国海軍の航空母艦。.

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龍鳳 (空母)

新造時の潜水母艦大鯨(後の空母龍鳳)。1935年春頃、呉#海軍艦艇史3p.290の写真解説。 龍鳳(りゅうほう/りうほう)は、日本海軍の航空母艦。瑞鳳型航空母艦の一つ。潜水母艦大鯨(たいげい)として竣工し#達昭和8年5月p.11「達第五十九號 艦艇製造費ヲ以テ昭和八年度ニ於テ建造ニ着手ノ潜水母艦一隻驅潜艇二隻ニ左ノ通命名セラル 昭和八年五月二十三日 海軍大臣 大角岑生|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 潜水母艦 大鯨タイゲイ/浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅潜艇 第一號驅潜艇/株式會社石川島造船所ニ於テ建造 驅潜艇 第二號驅潜艇」、後に航空母艦「龍鳳」へ改装された。.

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辰和丸

辰和丸(たつわまる)は、1937年に進水して辰馬汽船・新日本汽船が運航した貨物船である。太平洋戦争末期の1945年に瀬戸内海で機雷に接触して沈没。戦後に復旧されたが、1954年に南シナ海を航行中、台風に遭遇して行方不明となった。.

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追風 (2代神風型駆逐艦)

追風(おいて/おひて)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第十一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 追風オヒテ トス』#艦艇・駆逐艦(1)pp.2-3『驅逐艦改稱新舊對照法|(驅逐艦名)追風オヒテ|(昭和三年七月三十一日以前ノ名稱)第十一號驅逐艦』。神風型(2代目)の6番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「追風」に続いて2隻目。.

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能美 (海防艦)

能美(のうみ)は、日本海軍の海防艦。御蔵型海防艦の4番艦。船団護衛中に撃沈された。.

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舟山群島

舟山群島(しゅうざん-ぐんとう、 Zhōushān Islands)は中華人民共和国浙江省で東シナ海海上に浮かぶ群島。行政的には浙江省舟山市を形成する大小1,339個の島嶼。総水域は22,200平方キロメートル、うち陸地面積は1,371平方キロメートル。 2006年4月より中国飛龍専業航空がヘリコプターZ-9による群島間の航空便を開始し、中国国内初の短距離ヘリコプター営業路線となった。.

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舞鶴海軍工廠

舞鶴海軍工廠(まいづるかいぐんこうしょう)は、京都府舞鶴市にあった日本の海軍工廠。駆逐艦建造の多くを手がけた。現在はジャパン マリンユナイテッド舞鶴事業所。.

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鈴木清

鈴木 清(すずき きよし).

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蘭印作戦

蘭印作戦(らんいんさくせん、Dutch East Indies campaign, 日本側作戦名「H作戦」, 1942年1月11日 - 3月9日)は、太平洋戦争初期における日本軍の蘭印(オランダ領東インド)への進攻作戦である。 日本軍は1月11日にタラカンとメナド、1月25日にバリクパパン、1月31日にアンボン、2月14日にパレンバンと快進撃を続け、3月1日に最終目標のジャワ島に上陸した。ジャワ島の連合軍は3月9日に降伏した。大本営の事前の予想では開戦から蘭印軍降伏まで120日間とされていたが、92日間という電撃的な早さで作戦は完了した。.

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藤 (駆逐艦)

藤(ふじ、ふぢ)は、日本海軍の駆逐艦。樅型駆逐艦の13番艦である。.

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蒸気タービン

蒸気タービンの動翼 発電用蒸気タービン 蒸気タービン(じょうきタービン、steam turbine)は、蒸気のもつエネルギーを、タービン(羽根車)と軸を介して回転運動へと変換する外燃機関である。火力・原子力・地熱などによる発電や産業用途(発電・ポンプ駆動等)に利用される。蒸気としては一般に水蒸気が使われる。 蒸気を利用する原動機としては、蒸気タービンの他に、蒸気でシリンダ内のピストンを往復運動させるレシプロ型の蒸気エンジンが存在する。レシプロ型については蒸気機関を参照のこと。.

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野分 (陽炎型駆逐艦)

野分(のわき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和15年8月p.19『達第百六十七號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十四年度及同十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦一隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻、測量艦一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年八月三十日海軍大臣吉田善吾|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香椎(カシヒ)|株式会社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 谷風(タニカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 野分(ノワキ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十三潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十九潜水艦|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 測量艦 筑紫(ツクシ)|鶴見製鉄造船株式会社ニ於テ建造 第十六驅潜艇』。陽炎型駆逐艦の第15番艦である#艦艇類別等級(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』。ミッドウェー海戦では空母赤城を雷撃で処分した。1944年10月下旬、比島沖海戦で重巡筑摩の救援中に沈没した。艦名は初代「野分」(初代神風型駆逐艦)に続いて2代目。野分とは台風の旧名であり、初風から舞風のうち野分のみ「風」の字が付かないが、風の名前に由来している。.

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野風 (駆逐艦)

野風(のかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の13番艦(野風型1番艦)である。「野風」以降の3隻は兵装の配置を変更したため、「野風型」或いは「峯風改型」と呼ばれることがある。.

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臨検

臨検(りんけん)は、.

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金刀比羅宮

金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社である。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。.

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金剛 (戦艦)

金剛(こんごう/こんかう)は、日本海軍が初の超弩級巡洋戦艦として発注した金剛型の1番艦#達明治45年5月p.6『達第五十八號 英國ニ於テ建造ノ伊號装甲巡洋艦ヲ金剛ト命名セラル 明治四十五年五月十八日 海軍大臣 男爵 齋藤實』#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.5『艦艇類別等級表|軍艦|戦艦|金剛型|金剛、榛名、霧島』。イギリスに発注された最後の主力艦である。2度の改装後は高速戦艦として、大東亜戦争でも活躍した。なお金剛は、日本海軍が大東亜戦争で使用した唯一の外国製日本戦艦でもあったただし、前弩級戦艦であった敷島型戦艦朝日が工作艦として太平洋戦争に実戦参加。。.

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長門型戦艦

1922年にアメリカの雑誌で紹介された新造時の長門の画(説明文中に陸奥とされているのは誤り)。 大和ミュージアム展示の陸奥の舵とスクリュー 陸奥。右は球磨型軽巡洋艦。 長門型戦艦(ながとがたせんかん)は、大日本帝国海軍の戦艦の艦型のひとつで、八八艦隊計画により最初に作られた戦艦。.

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長良 (軽巡洋艦)

長良(ながら)は、日本海軍の軽巡洋艦。長良型の1番艦。その艦名は、長良川から因んで名付けられた。.

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長良型軽巡洋艦

長良型軽巡洋艦(ながらがたけいじゅんようかん)は、日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。同型艦6隻。いわゆる5,500トン型軽巡洋艦のひとつで、球磨型に続く第2グループにあたる。.

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長月 (睦月型駆逐艦)

長月(ながつき)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第三十號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 長月(ナガツキ)トス』。睦月型駆逐艦の8番艦である。同名艦に初代神風型駆逐艦の「長月」があるため、こちらは「長月 (2代)」や「長月II」などと表記される。艦名は陰暦で9月のこと。.

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艦本式ボイラー

金剛のヤーロー式ボイラー 艦本式ボイラー(かんほんしきボイラー)とは、日本海軍艦政本部の開発した艦艇用の国産ボイラーである。ボイラーのことを漢字で汽罐(きかん、略して「罐」)と表したので艦本式罐(罐は旧字体なので、新字体の缶を代用して艦本式缶)とも書かれる。.

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若竹 (駆逐艦)

若竹(わかたけ)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型駆逐艦の1番艦である。.

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若竹型駆逐艦

若竹型駆逐艦(わかたけかたくちくかん)は、日本海軍の二等駆逐艦、同型艦8隻。.

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若葉 (初春型駆逐艦)

若葉(わかば)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ|潜水艦 呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第六十八潜水艦|神戸三菱造船所ニ於テ建造 伊號第六十九潜水艦|水雷艇 舞鶴要港工作部ニ於テ建造 千鳥チドリ|藤永田造船所ニ於テ建造 眞鶴マナヅル|掃海艇 藤永田造船所ニ於テ建造 第十三號掃海艇|大阪鐡工所ニ於テ建造 第十四號掃海艇|敷設艇 石川島造船所ニ於テ建造 夏島ナツシマ』。 一等駆逐艦初春型の3番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「若葉」に続いて2隻目。艦名は海上自衛隊の護衛艦「わかば」(旧橘型駆逐艦「梨」)に継承された。.

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雪風 (駆逐艦)

雪風(ゆきかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#1月(昭和14年達完)p.41『達第十号 艦艇製造費ヲ以テ昭和十二年度及昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、砲艦一隻、驅逐艦一隻及潜水艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十四年一月二十日 海軍大臣米内光政|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 敷設艦 初鷹(ハツタカ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 砲艦 伏見(フシミ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 雪風(ユキカゼ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第十五潜水艦』。一等駆逐艦陽炎型の8番艦#昭和16年12月31日現在艦艇類別等級p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』。.

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雲鷹 (空母)

雲鷹(うんよう)は、日本海軍の航空母艦#達昭和17年8月p.39「達第二百四十四號 特設航空母艦春日丸及八幡丸ヲ帝國艦艇籍ニ編入シ左ノ通命名セラル|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦 大鷹(タイヨウ) (特設航空母艦 春日丸)|軍艦 雲鷹(ウンヨウ) (特設航空母艦 八幡丸)」#S17-05呉鎮日誌(4)p.25「十三日一四五〇軍務局長|十四日〇六二八 GF参謀長(呉鎭参謀長)(春日丸艦長)(八幡丸艦長)(佐鎭参謀長)|軍務機密第一五〇番電 一、八月三十一日附 春日丸ヲ大鷹(タイヨウ) 八幡丸ヲ雲鷹(ウンヨウ)ト命名、艦艇籍ニ編入セラル(現所管ノ儘)/二、右兩艦ノ命名式ハ所属長官所定ニ依リ適宜實施ノコトニ定メラル|無電」。.

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雷 (吹雪型駆逐艦)

雷(いかづち)は、日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦吹雪型(初雪型)の23番艦(III型の3番艦)である。この名を持つ日本海軍の艦船としては雷型駆逐艦雷に続いて2隻目。.

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電 (吹雪型駆逐艦)

電(いなづま)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和5年3月p.10『達第二十四號 艦艇製造費ヲ以テ本年建造ニ着手ノ一等驅逐艦四隻ニ左ノ通命名ス 昭和五年三月十五日 臨時海軍大臣事務管理 内閣総理大臣 濱口雄幸|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 暁アカツキ|舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 響ヒビキ|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 雷イカヅチ|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 電イナヅマ』。一等駆逐艦吹雪型(初雪型)(特型)の24番艦(III型の4番艦)、朧型(吹雪型の後期型)。この名を持つ日本海軍の艦船としては雷型駆逐艦電に続いて2隻目。ロンドン海軍軍縮条約により、駆逐艦は「1500トンを超える艦は、合計排水量の16パーセントまで」という制限が設けられ特型の増産が不可能となり、電をもって建造が打ち切られた。 スラバヤ沖海戦では、撃沈された敵乗組員376名を救助したことで知られている。(詳細は後述。雷、工藤俊作の項目も参照のこと。).

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連合艦隊

連合艦隊(れんごうかんたい、旧字表記聯合艦隊)は、大日本帝国海軍が二個以上の常設の艦隊で編成した艦隊。海軍部内での略称はGF。.

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陸奥 (戦艦)

奥(むつ)は、大日本帝国海軍の戦艦#達大正6年8月p.7『達第九十七號 軍備補充費ヲ以テ本年度建造ニ着手スヘキ戦艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|大正六年八月二十日 海軍大臣 加藤友三郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 戰艦 陸奥 ムツ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 球磨 クマ|三菱合資會社長崎造船所ニ於テ建造 二等巡洋艦 多摩 タマ』。艦名は青森県から福島県にかけての旧国名・陸奥国を名前の由来に持つ。帝国海軍の象徴として日本国民から親しまれたものの、1943年(昭和18年)6月8日に主砲火薬庫から爆発を起こして沈没した。.

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陽炎型駆逐艦

陽炎型駆逐艦(かげろうがたくちくかん)は、大日本帝国海軍(以下「海軍」)の一等駆逐艦#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』の艦級である。全19隻が建造された。一番艦である陽炎の沈没後、書類上不知火型駆逐艦(しらぬいがたくちくかん)と改定された。 次級の夕雲型駆逐艦と合わせて甲型駆逐艦と呼ばれる。.

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F6F (航空機)

F6F ヘルキャット(Grumman F6F Hellcat) は、グラマン社が設計しアメリカ海軍が第二次世界大戦中盤以降に使用した艦上戦闘機である。アメリカ海軍の本命は1940年に初飛行したF4Uであったが、実際には開発時期が遅いこちらが艦上戦闘機の主力となった。 愛称のヘルキャットとは、直訳すると「地獄の猫」であるが、「性悪女」「意地の悪い女」という意味がある。.

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松 (松型駆逐艦)

松(まつ)は大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和18年12月p.43『達第三百十九號 昭和十七年度及昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦七隻、海防艦十九隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年十二月二十二日 海軍大臣嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 松(マツ)|(以下略)』。松型駆逐艦(一等駆逐艦松型)(丁型)の1番艦#内令昭和18年12月(4)p.24『内令第二千七百七十六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十八年十二月二十二日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦、航空母艦雲龍型ノ項中「天城」ノ下ニ「、葛城」ヲ加フ|驅逐艦、一等ノ部中末尾ニ左ノ一項ヲ加フ | |松型|松| (以下略)』。日本海軍の艦名としては樺型駆逐艦「松」に続いて2代目である。.

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松型駆逐艦

松型駆逐艦(まつがたくちくかん)は、日本海軍の一等駆逐艦。 丁型駆逐艦とも呼ばれる#主要々目及特徴一覧表p.11「(艦種)駆逐艦|(艦名):(丁)竹|(基準△)1,260|(公試△)1,530|(主要寸法)(LWL)98.0/(B)935/(D)5,70/(d)3,30|(速力)27,8|(SHP)19,000|(航續力)18k-3,500|(主要兵装)/(砲)12,7(高角連装)×1、12,7(高角単装)×1/(機銃)25(三連装)×4 25(単装)×12/(魚雷)四連装×1(4)|(爆雷)36/(探信)九三式×1/(水聴)九三式×1/(電探)二二号×1/(其他)小発×2|(機関)タービン×2 缶×2|(軸数)2|(防禦)/|(隻数)18|摘要(特徴)(略)」。 日本海軍の公的な名称ではないが、竹級駆逐艦(丁型駆逐艦)とする文献(戦史叢書等)もある海上護衛戦(戦史叢書)、330-332頁「第三十一戦隊の編成」。昭和天皇への説明でも用いられた。 松型は、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)から建造した戦時量産型駆逐艦である。神風型駆逐艦(初代)と並ぶ日本海軍最多の建造数(32隻)と最短の建造日数(約5ヶ月)を記録。そして最後に量産化された駆逐艦でもある。 なお、橘以降の艦は橘型/改松型/松型改/改丁型/丁型改などとして区別されるが#海軍軍備(5)40頁「駆逐艦(丁)(中略)|(備考)松型改」#主要々目及特徴一覧表p.11「(艦種)駆逐艦|(艦名):(丁改)橘|(基準△)1,350|(公試△)1,640|(主要寸法)(LWL)98.0/(B)9,35/(D)5,80/(d)3,41(速力)27,3|(SHP)19,000|(航續力)18k-3,500|(主要兵装)/(砲)12,7(高角連装)×1、12,7(高角単装)×1/(機銃)25(三連装)×4 25(単装)×12/(魚雷)四連装×1(4)|(爆雷)36/(探査)三式一型×1/(水聴)四式×1/(電探)二二号×1 一三号×1/(其他)小発×2|(機関)タービン×2 缶×2|(軸数)2|(防禦)/|(隻数)19年度16 20年度40|摘要(特徴)(略)」、 艦艇類別等級表では松型と橘型を区別しておらず、艦型名は全隻とも松型駆逐艦としている#昭和19年8月〜9月秘海軍公報9月(1)p.19「内令第一〇一六號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十九年九月一日 海軍大臣|驅逐艦、一等松型ノ項中「楓」ノ下ニ「、欅、橘」ヲ加フ(以下略)」#秘海軍公報昭和20年8月(2)p.27「内令第七二八號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和二十年八月十日 海軍大臣|軍艦、敷設艦初鷹型ノ項中「初鷹、」ヲ削ル|驅逐艦、一等不知火型ノ項中「、天津風」ヲ、同松型ノ項中「、櫻」「、橘」ヲ削ル(以下略)」。なおここでは艦艇類別等級表に基づく松型駆逐艦全般を取り扱う。.

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松風 (2代神風型駆逐艦)

松風(まつかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#陽炎型(2014)263-264頁『松風(まつかぜ)』。.

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杉浦嘉十

杉浦 嘉十(すぎうら かじゅう、1896年(明治29年)5月5日 - 1945年(昭和20年)5月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

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桜花 (航空機)

桜花(おうか)は、日本海軍が太平洋戦争中に開発した特殊滑空機。特攻兵器として開発され、実戦に投入された。.

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横須賀鎮守府

横須賀鎮守府(よこすかちんじゅふ)は、神奈川県横須賀市にあった日本海軍の鎮守府。通称、横鎮(よこちん)。.

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橋本信太郎

橋本 信太郎(はしもと しんたろう、1892年(明治25年)5月11日 - 1945年(昭和20年)5月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 ガダルカナル撤退作戦で駆逐艦部隊を率い、3次にわたるガダルカナル島からの日本軍部隊救出に成功した。のちペナン沖海戦で戦死。.

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比良 (砲艦)

比良(ひら)は、日本海軍の砲艦。勢多型砲艦の2番艦である。艦名は「近江八景」の一つ「比良の暮雪」で知られる景勝地「比良山地」にちなんで名づけられた。.

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水無月 (睦月型駆逐艦)

水無月(みなづき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#陽炎型(2014)p.272『水無月(みなづき)』。.

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汐風 (駆逐艦)

汐風(しおかぜ/しほかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の8番艦である。艦名は海上や海岸近くで吹く塩気を含んだ風を意味する。.

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沖風 (駆逐艦)

沖風(おきかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型駆逐艦の3番艦である。艦名は沖に吹く風に由来する。.

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深雪 (駆逐艦)

深雪(みゆき)は大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-10『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介第三十八號驅逐艦ヲ 深ミ雪ユキトス』#陽炎型2014274頁『深雪(みゆき)』。.

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清霜 (駆逐艦)

清霜(きよしも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和18年8月(2)pp.45-46『達第二百二號 昭和十七七年度及昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、海防艦四隻、掃海艇一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年八月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 秋霜(アキシモ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 清霜(キヨシモ) 海防艦 笠戸(カサド)|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 淡路(アハヂ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 倉橋(クラハシ) 海防艦 千振(チブリ)|株式會社東京石川造船所ニ於テ建造 第三十號掃海艇|株式會社新潟鐵工所ニ於テ建造 第五十八號驅潜艇』。一等駆逐艦夕雲型の19番艦であり、最終艦でもある。.

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清波 (駆逐艦)

清波(きよなみ)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和17年6月p.25『達第百八十六號 昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、潜水艦二隻及掃海艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十七年六月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 大波(オホナミ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 清波(キヨナミ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第百八十五潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 呂號第三十七潜水艦|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十四號掃海艇』。夕雲型駆逐艦の8番艦である。.

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満潮 (駆逐艦)

満潮(みちしお / みちしほ)は、日本海軍の朝潮型駆逐艦3番艦である#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|朝潮、大潮、満潮、荒潮、朝雲、山雲、夏雲、峯雲、霞、霰』。1937年(昭和12年)10月に竣工した日本軍艦集2600年版コマ39『一等驅逐艦 満潮(みちしほ) 基準排水量1,500噸、長さ108.55米、幅10.15米、平均吃水2.75米、速力34節、備砲12.7糎砲6門、魚雷發射管8門、起工昭和10年11月5日、進水昭和12年3月15日、竣工昭和12年10月31日、建造所藤永田造船所-荒潮と同型。この級は、あらゆる點において、我國最精鋭驅逐艦としての貫録を備へてゐる。』。1944年(昭和19年)10月、レイテ沖海戦でスリガオ海峡に突入し、米艦隊の雷撃を受けて沈没した。.

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澎湖諸島

澎湖諸島(ほうこしょとう、ポンフーしょとう)は、台湾島の西方約50kmに位置する台湾海峡上の島嶼群。澎湖列島、澎湖群島とも呼ばれる。島々の海岸線は複雑で、その総延長は約300kmを誇っている。大小併せて90の島々から成るが、人が住んでいる島はそのうちの19島である。また、かつて「澎湖」の名を冠した日本海軍の艦艇があった。.

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澤風 (駆逐艦)

澤風(さわかぜ/さはかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型駆逐艦の2番艦。「沢風」と表記される場合がある。艦名は澤に吹く風に由来する。.

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朝凪 (駆逐艦)

朝凪(あさなぎ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第十五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 朝凪アサナギ トス』#艦艇・駆逐艦(1)p.2『驅逐艦改稱新舊名稱對照表|(驅逐艦名)朝凪アサナギ|(昭和三年七月三十一日以前ノ名稱)第十五號驅逐艦』。神風型(2代目)の8番艦である。.

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朝顔 (駆逐艦)

朝顔(あさがお/あさがほ)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型駆逐艦の5番艦である。大正年間製造の旧式艦ながら、戦時中に計98回の護衛活動に従事した。.

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朝風 (2代神風型駆逐艦)

朝風(あさかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第三號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 朝アサ風カゼ トス』。 神風型(2代目)の2番艦である#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』。 この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「朝風」#除籍駆逐艦(2)pp.48-50『舊朝風(千噸以下)(略)(大正一三.一二.一驅逐艦朝風掃海艇籍ニ入ル昭和三年四月一日掃海艇籍ヨリ除カル)』に続いて2隻目。 本艦竣工時の艦名は第三駆逐艦、つづいて第三号駆逐艦に改名され、最終的に「朝風」となった#艦艇・駆逐艦(1)pp.2-3『驅逐艦改稱新舊名稱對照表』。 艦名は海上自衛隊のあさかぜ型護衛艦1番艦「あさかぜ」(グリーブス級駆逐艦のエリソンUSS Ellyson, DD-454/DMS-19)、たちかぜ型護衛艦2番艦「あさかぜ」に引き継がれた。.

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朝雲 (駆逐艦)

朝雲(あさぐも)は#達昭和11年p.11『達第百六十四號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻工作艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十一年十月二十二日 海軍大臣永野修身|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 朝雲(アサグモ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 山雲(ヤマグモ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 工作艦 明石(アカシ)』、日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦朝潮型(満潮型)の5番艦である。スラバヤ沖海戦、第三次ソロモン海戦、ビスマルク海海戦、キスカ島撤退作戦など太平洋戦争の数々の海戦に参加。1944年(昭和19年)10月下旬のレイテ沖海戦で西村艦隊に所属してスリガオ海峡へ突入、米艦隊の砲撃で撃沈された。艦名は海上自衛隊のやまぐも型護衛艦3番艦「あさぐも」に継承された。.

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朝潮型駆逐艦

朝潮型駆逐艦(あさしおかたくちくかん)は大日本帝国海軍(以下「海軍」)の一等駆逐艦の艦級である。同型艦10隻。一番艦の「朝潮」沈没後は、満潮型駆逐艦と改定された。.

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木俣滋郎

木俣 滋郎(きまた じろう、1930年7月14日- )は、戦争・兵器・船舶史家。 浜松市生まれ。一橋大学経済学部卒業。工学院大学付属高等学校教諭のかたわら、歴史・兵器を研究。1998年退職。.

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木曾 (軽巡洋艦)

木曾(きそ)は、大日本帝国海軍の球磨型軽巡洋艦の5番艦。艦名は東海地方を流れる木曽川に由来して命名された。.

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有賀幸作

有賀 幸作(あるが こうさく、1897年(明治30年)8月21日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。戦艦大和最後の艦長として有名である。長野県南信地方に多い姓である有賀は、「ありが」ではなく「あるが」と読む例が多いが、当人は相手が聞き返すことを嫌い、ありがの読み方で通した。軍帽裏のネーム刺繍もアリガとしていた。.

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最上 (重巡洋艦)

最上(もがみ)は、日本海軍の軍艦ポケット海軍年鑑(1937)コマ42『ニ等巡洋艦"最上 もがみ" 全要目 最上級15糎砲軽巡は、倫敦條約の産物であるといつてもよい。勿論條約などに關係なく英米は建造する豫定でゐたのであらうがはつきりと10,000噸15.5糎砲と極限を定めたのは條約である。米國の"ブルツクリン"英國の"マンチエスター"は各12門であるらしいが、わが國では一足お先に最上、三隈の2隻を竣工させた。我國最初の三聯砲塔であると同時に、最も進化した装備と艦内諸設備は全く目を瞠るばかりである。明日の海軍を擔ふ氣鋭の新戰部隊に嘱望する所は大きい。後續の"三隈 みくま"は昭和10年8月竣工したが"鈴谷 すゞや"や"熊野 くまの"は最近進水を遂げ、次に"利根 とね" "筑摩 ちくま"と建造計畫はすゝんでゐる。』古村啓蔵ほか、重巡十八隻345頁『最上(もがみ)』。 最上型重巡洋艦の1番艦である。.

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最上型重巡洋艦

最上型重巡洋艦(もがみがたじゅうじゅんようかん)は大日本帝国海軍の重巡洋艦。同型艦は4隻。最上型と利根型は軽巡洋艦『二等巡洋艦』『乙型巡洋艦』として計画・建造され喪失まで書類上の変更はなかった。最上型は15.5cm砲塔を20.3cm砲塔に換装して重巡洋艦となり、「最上」はさらに航空巡洋艦に改装されたことで有名である。.

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春風 (2代神風型駆逐艦)

春風(はるかぜ)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月p.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 春風ハルカゼ トス』。神風型駆逐艦(2代目)の3番艦である。 当初の艦名は第五駆逐艦#艦艇・駆逐艦(1)p.2-3『驅逐艦改稱新舊名稱對照表 |驅逐艦名前|春風ハルカゼ|(昭和三年七月三十一日以前ノ名稱)第五號驅逐艦|(大正十三年四月二十三日以前ノ名稱)第五驅逐艦』。続いて第五号駆逐艦と改名。最終的に「春風」となった。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「春風」に続いて2隻目#除籍駆逐艦(3)p.2-3『舊春風(千噸以下)』。後に初の国産護衛艦である「はるかぜ」に引き継がれた。.

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春雨 (白露型駆逐艦)

春雨(はるさめ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。一等駆逐艦白露型の5番艦である。艦名は春に静かに降る雨に由来し、この名を受け継ぐ日本の艦艇としては、春雨型駆逐艦「春雨」に続き2代目に当たる。 戦後、海上自衛隊の護衛艦として「はるさめ(初代)」、「はるさめ(2代)」が就役した。.

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海上自衛隊

海上自衛隊(かいじょうじえいたい)は日本の自衛隊のうちの海上部門にあたる組織である。また、官公庁の一つであり、防衛省の特別の機関の集合体である。 略称海自(かいじ)、英称 Japan Maritime Self-Defense Force (JMSDF)海上自衛隊公式HP。諸外国からは Japanese Navy(日本海軍の意)に相当する語で表現されることがある。.

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海風 (白露型駆逐艦)

海風(うみかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#庭田、建艦秘話59-60頁『3.特型駆逐艦海風・大潮・霰について』。一等駆逐艦白露型の7番艦#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|白露型|白露、時雨、村雨、夕立、春雨、五月雨、海風、山風、江風、涼風』。海風型駆逐艦/改白露型駆逐艦の1番艦だが、帝国海軍の公式分類は白露型である。この名を持つ帝国海軍の艦船としては海風型駆逐艦1番艦「海風」に続いて2隻目。.

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海風型駆逐艦

海風型駆逐艦(うみかぜかたくちくかん)は、日本海軍の一等駆逐艦#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ94(原本150頁)『海風型〔二隻〕 艦種一等驅逐艦 艦名考風の種類に採る。以下風に因める驅逐艦總て然り。海風(うみかぜ) 艦歴大正3-9年役從軍:南洋群島占領に参加、昭和5年除籍。山風(やまかぜ) 艦歴大正3-9年役從軍:南洋群島占領に参加、昭和5年除籍。 ―要目― 長94.49米/幅8.56米/吃2.74米/排水量1,030噸/機關 パーソンタルビン3軸 艦本式罐8/馬力 20,500/速力33/乗組人員140/船材 銅/兵装 12糎砲2/機砲5/發射管4/探照燈2|海風 (起工)明治42-11-23 (進水)明治43-10-10 (竣工)44-9-28 (建造所)舞鶴工廠/山風 (起工)明治43-6-1 (進水)明治44-1-21 (竣工)44-10-21 (建造所)三菱造船所』。.

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海里

海里(かいり、浬、nautical mile)は、長さの計量単位であり、国際海里 (international nautical mile) の場合、正確に 1852 m である。元々は、地球上の緯度1分に相当する長さなので、海面上の長さや航海・航空距離などを表すのに便利であるために使われている。英語では、sea mile とも呼ばれる。.

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浜風 (陽炎型駆逐艦)

浜風(はまかぜ)は#達昭和15年11月(1)p.3『達第二百四十三號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十四年度及昭和十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦二隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十五年十一月五日 海軍大臣 及川古志郎|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 一等驅逐艦 濱風(ハマカゼ)|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號三十一潜水艦|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十七潜水艦|株式會社玉造船所ニ於テ建造 第十四号駆潜艇』、大日本帝国海軍の駆逐艦。艦名表記は、正しくは濱風である。一等駆逐艦陽炎型の13番艦である。艦名は初代「浜風」(磯風型駆逐艦)に続いて2代目。第17駆逐隊に所属した姉妹艦と太平洋戦争の主要な海戦に参加。戦艦武蔵、金剛、空母蒼龍、飛鷹、信濃といった帝国海軍主力艦の沈没に遭遇し、自らも1945年(昭和20年)4月7日の坊ノ岬沖海戦で戦艦大和と共に撃沈された。.

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文月 (睦月型駆逐艦)

文月(ふみづき)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第二十九號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 文月(フミヅキ)トス』。睦月型駆逐艦の7番艦である。艦名は旧暦7月のこと。同名艦にロシアからの戦利艦である山彦型駆逐艦の「文月」がある為、こちらは「文月 (2代)」や「文月II」などとも表記される。.

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日中戦争

日中戦争(にっちゅうせんそう)は、1937年(民国26年、昭和12年)から1945年まで、中華民国と大日本帝国の間で行われた戦争である。日本政府は、勃発当時は支那事変としたが、1941年12月の対英米蘭との開戦に伴い、支那事変から対英米蘭戦までを大東亜戦争とした。中華民国側は、抗日戦争と呼称している。.

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日進 (装甲巡洋艦)

日進(にっしん)は、日露戦争で活躍した旧日本海軍の春日型装甲巡洋艦の2番艦。一等巡洋艦(装甲巡洋艦)に類別された。同型艦は春日。.

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早鞆 (給油艦)

早鞆(はやとも)は、大日本帝国海軍の特務艦で、隠戸型給油艦の2番艦。艦名は関門海峡の最も狭い「早鞆瀬戸」にちなんで名づけられた。.

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早蕨 (駆逐艦)

早蕨(さわらび)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型駆逐艦の4番艦である。.

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早苗 (駆逐艦)

早苗(さなえ/さなへ)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型の3番艦である。.

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感状

感状(かんじょう)は、主として軍事面において特別な功労を果たした下位の者に対して、上位の者がそれを評価・賞賛するために発給した文書のこと。本項では主に日本の事例について詳述する。.

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敷波 (吹雪型駆逐艦)

敷波(しきなみ)は、日本海軍の駆逐艦。吹雪型(特型)の12番艦(特II型の2番艦)である。艦名は頻りに寄せる波に由来し、この名を受け継ぐ日本海軍の艦船としては敷波型駆逐艦「敷波」に続き2代目に当たる。.

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扶桑 (戦艦)

扶桑(ふそう/ふさう)は、日本海軍の戦艦#達大正3年4月p.3『達第五十七號 呉海軍工廠ニ於テ建造ノ第三號戰艦ヲ扶桑ト命名セラル 大正三年三月二十八日 海軍大臣 男爵 斎藤實』。 扶桑型戦艦の1番艦。日本独自の設計による初の超弩級戦艦である。扶桑の由来は日本の古い異名の一つであり、同名を頂く艦としては二代目となる(初代扶桑は1879年竣工の装甲フリゲート)。 艦内神社は男山八幡宮(石清水八幡宮)および伊勢神宮。.

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扶桑型戦艦

扶桑型戦艦(ふそうがたせんかん)は、大日本帝国海軍の戦艦。金剛型巡洋戦艦と同時期に計画され、建造された日本初の純国産の超弩級戦艦である。同型艦は扶桑、山城の 2隻。 当初同型艦として予定された伊勢、日向は、予算の都合上起工が遅れたため設計を変更、改良された伊勢型となっている。.

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時雨 (白露型駆逐艦)

時雨(しぐれ)は、日本海軍の駆逐艦。白露型駆逐艦(白露型一等駆逐艦)の2番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「時雨」に続いて2隻目。「呉の雪風、佐世保の時雨」と並び称された武勲艦でもあった。.

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時津風 (陽炎型駆逐艦)

時津風(ときつかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和14年8月p.30『達第百三十八號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及同十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ砲艦一隻及驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和十四年八月二十五日 海軍大臣 米内光政|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 砲艦 隅田(スミダ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 天津風(アマツカゼ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 時津風(トキツカゼ)』。陽炎型駆逐艦の10番艦である。 この名を持つ帝国海軍の艦船としては2隻目(初代は磯風型駆逐艦の時津風)。.

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10月12日

10月12日(じゅうがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から285日目(閏年では286日目)にあたり、年末まであと80日ある。.

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10月16日

10月16日(じゅうがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から289日目(閏年では290日目)にあたり、年末まであと76日ある。.

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12月10日

12月10日(じゅうにがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から344日目(閏年では345日目)にあたり、年末まであと21日ある。.

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12月12日

12月12日(じゅうにがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から346日目(閏年では347日目)にあたり、年末まであと19日ある。.

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12月4日

12月4日(じゅうにがつよっか)はグレゴリオ暦で年始から338日目(閏年では339日目)にあたり、年末まであと27日ある。.

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1920年

記載なし。

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1921年

記載なし。

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1922年

記載なし。

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1923年

記載なし。

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1924年

記載なし。

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1925年

記載なし。

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1926年

記載なし。

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1927年

記載なし。

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1928年

記載なし。

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1929年

記載なし。

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1930年

記載なし。

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1931年

記載なし。

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1932年

記載なし。

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1933年

記載なし。

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1934年

記載なし。

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1935年

記載なし。

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1936年

記載なし。

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1937年

記載なし。

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1938年

記載なし。

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1939年

記載なし。

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1940年

記載なし。

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1941年

記載なし。

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1942年

記載なし。

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1943年

記載なし。

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1944年

記載なし。

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1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.

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1959年

記載なし。

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1月12日

1月12日(いちがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から12日目に当たり、年末まであと353日(閏年では354日)ある。誕生花はキンセンカ、スイートアリッサム、ラケナリア。.

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1月15日

1月15日(いちがつじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から15日目に当たり、年末まであと350日(閏年では351日)ある。誕生花はオンシジューム、白いスミレ、黄色のチューリップ、サンザシ、トゲ。.

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2月15日

2月15日(にがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から46日目にあたり、年末まであと319日(閏年では320日)ある。.

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2月1日

2月1日(にがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から32日目にあたり、年末まであと333日(閏年では334日)ある。.

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2月3日

2月3日(にがつみっか)はグレゴリオ暦で年始から34日目に当たり、年末まであと331日(閏年では332日)ある。.

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3月10日

3月10日(さんがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から69日目(閏年では70日目)にあたり、年末まであと296日ある。.

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3月15日

3月15日(さんがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から74日目(閏年では75日目)にあたり、年末まであと291日ある。.

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3月2日

3月2日(さんがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から61日目(閏年では62日目)にあたり、年末まであと304日ある。.

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4月10日

4月10日(しがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から100日目(閏年では101日目)にあたり、年末まではあと265日ある。誕生花はチューリップ、ベニバナアセビ。.

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4月13日

4月13日(しがつじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から103日目(閏年では104日目)にあたり、年末まではあと262日ある。誕生花はクマガイソウ、エビネ。.

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4月24日

4月24日(しがつにじゅうよっか、しがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から114日目(閏年では115日目)にあたり、年末まではあと251日ある。誕生花はシャクヤク。.

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5月5日

5月5日(ごがついつか)はグレゴリオ暦で年始から125日目(閏年では126日目)にあたり、年末まではあと240日ある。誕生花はハナショウブ。.

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6月30日

6月30日(ろくがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から181日目(閏年では182日目)にあたり、年末まであと184日ある。6月の最終日である。誕生花はビヨウヤナギ、ヘリオトロープ。.

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7月1日

7月1日(しちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から182日目(閏年では183日目)にあたり、年末まであと183日ある。誕生花はアジサイ、ベゴニア。.

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7月3日

7月3日(しちがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から184日目(閏年では185日目)にあたり、年末まではあと181日ある。誕生花はハス、バラ。.

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7月4日

7月4日(しちがつよっか)は、グレゴリオ暦で年始から185日目(閏年では186日目)にあたり、年末まではあと180日ある。誕生花はネジバナ、ハナギボシ。.

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8月1日

8月1日(はちがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から213日目(閏年では214日目)にあたり、年末まではあと152日ある。.

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8月24日

8月24日(はちがつにじゅうよっか、はちがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から236日目(閏年では237日目)にあたり、年末まであと129日ある。.

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8月30日

8月30日(はちがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から242日目(閏年では243日目)にあたり、年末まであと123日ある。.

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8月4日

8月4日(はちがつよっか)はグレゴリオ暦で年始から216日目(閏年では217日目)にあたり、年末まであと149日ある。.

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