21 関係: 大島紬、宮古島、尚永王、上布、人頭税、地租改正、地頭、サザンスコール、国立故宮博物院、物納、鎌倉時代、越後上布、麻織物、薩摩藩、重要無形文化財、進貢船、沖縄県、沖縄戦、按司、明、1609年。
大島紬
大島紬(おおしまつむぎ)とは、鹿児島県南方にある奄美群島(主に奄美大島)の伝統工芸品としてつくられる織物。手で紡いだ絹糸を泥染めしたものを手織りした平織の絹布、若しくはその絹布で縫製した和服を指す。通称・略称は「大島」。.
宮古島
宮古島(みやこじま)は、沖縄本島から宮古海峡を経て南西に約290 km、東経125度、北緯24度に位置し、太平洋と東シナ海の間にある島である。南西諸島西部の島嶼群宮古列島に属し、先島諸島の一部を成している。面積は158.87 km2 である。近隣には、池間島、大神島、伊良部島、下地島、来間島などがある。.
尚永王
尚永王(しょうえいおう、1559年(嘉靖38年) - 1589年1月11日(万暦16年11月25日))は、琉球王国第二尚氏王統の第6代国王。第5代国王・尚元王の第2王子(在位:1573年-1588年)。 幼名は阿応理屋恵(あおりやえ)王子。1572年(隆慶6年)に父王が薨じると、その長男:尚康伯・久米具志川王子朝通が正妃の子でなかったため、次男であった尚永が即位した。1579年には明王朝から冊封を受ける。政務に特に見るべきところもなく、1589年1月11日(万暦16年11月25日)に30歳の若さで早世した。嗣子が無かったため、小禄御殿4世の尚寧王(尚真王の長男・浦添王子朝満の曾孫。母は尚永王の妹)が後を継いだ。 神号は英祖仁耶添按司添(えぞにやすえあじおそい)、または日豊操王。.
上布
上布(じょうふ)は、細い麻糸(大麻と苧麻)を平織りしてできる上等な麻布(コトバンク)ブリタニカ国際大百科事典小項目事典、世界大百科事典第2版 。過去に幕府などへ献上、上納された。縞や絣模様が多く、夏用和服に使われる。.
人頭税
人頭税(じんとうぜい、poll tax、capitation tax)とは、納税能力に関係なく、全ての国民1人につき一定額を課す税金である。.
地租改正
地租改正(ちそかいせい)は、1873年(明治6年)に明治政府が行った租税制度改革である。また、この改革により日本にはじめて土地に対する私的所有権が確立したことから、地租改正は土地制度改革としての側面を有している。.
地頭
地頭(じとう)は、鎌倉幕府・室町幕府が荘園・国衙領(公領)を管理支配するために設置した職。地頭職という。守護とともに設置された。 平氏政権期以前から存在したが、源頼朝が朝廷から認められ正式に全国に設置した。在地御家人の中から選ばれ、荘園・公領の軍事・警察・徴税・行政をみて、直接、土地や百姓などを管理した。また、江戸時代にも領主のことを地頭と呼んだ。.
サザンスコール
ンスコールは、NHK-BS2で放送されたテレビドラマ。BSサスペンスとして1994年10月3日-10月6日に4話連続でオンエアされた。.
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国立故宮博物院
国立故宮博物院(こくりつこきゅうはくぶついん)は、中華民国の台北市にある博物館である。この博物館は、中華民国の国立博物館のうちの1つであり、最大のもので、697,000個以上の古代の中国の人工品および美術品を所蔵している.
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物納
物納(ぶつのう)とは、租税を貨幣などの金銭ではなく、穀物や布などをもって納入する方法。 貨幣経済発達以前の社会では、貨幣の代替品となる品物や宮廷及び政務において実際に消費される物資を調達するという観点から物納による納税が行われていた。.
鎌倉時代
伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).
越後上布
越後上布(えちごじょうふ)は、現在では新潟県南魚沼市、小千谷市を中心に生産される、平織の麻織物。古くは魚沼から頚城、古志の地域で広く作られていた。縮織のものは小千谷縮、越後縮と言う。1955年に、越後上布、小千谷縮が共に重要無形文化財に指定されている。また、2009年にはユネスコの無形文化遺産保護条約「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」にも登録された。 上布の最高級品であり「東の越後、西の宮古」と呼ばれる日本を代表する織物。.
麻織物
麻織物(あさおりもの)は、麻繊維でできた織物。麻布(まふ、あさふ、あさぬの)。硬くて強く天然の光沢がある。肌触りが涼しげ(シャリ感と呼ばれる)なため、主に夏の衣類に使われる。古くは紀元前のエジプトにおいてはミイラの製造の際にも使用された。紀元前から紙の起源である麻紙の原料となった。麻の衣服の材料となるのは、亜麻の繊維リネン、麻(大麻、狭義の麻)の繊維ヘンプ(:en:hemp)、苧麻(からむし)の繊維ラミーである。麻(大麻)では乾きやすさと共に保温性もあり冬の素材としても用いられる。 麻(ヘンプ)と苧麻(ラミー)は日本では古くから重宝され、共に含めて麻織物と呼ばれ、一般大衆だけでなく、とりわけ神道で重要な麻衣の麁服/荒妙(あらたえ)も古来から調進されており、平安時代の『延喜式』(10世紀)にも記載され、麻織物の縫製技術は江戸時代には最も技術が高まり、上質なものは上布と呼ばれ幕府への献上品ともなった。明治時代には欧米文化の流入と共に需要は減少し、それでも昭和時代の中ごろまではその生産を生業とすることも続いた。1980年代以降には、技術保存会などが発足。21世紀となり注目が集まる。 リネンは、中近東、ソ連で重宝されてきた。日本でも洋装に使われる繊維としてリネンが普及した。.
薩摩藩
薩摩藩庁が置かれた鹿児島城 薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代に薩摩・大隅の2か国及び日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩。現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部を領有したほか、間接的に沖縄県の大部分を服属させた。.
重要無形文化財
重要無形文化財(じゅうようむけいぶんかざい)とは、日本において、同国の文化財保護法に基づいて、同国の文部科学大臣によって指定された、無形文化財のこと。.
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進貢船
進貢船 進貢船(しんこうせん)とは、14世紀から19世紀中期まで行われた、対中国交易・使節を派遣するために用いられた琉球王国の官船。船首部の獅子の絵と舷側の目玉が特徴である。 1372年12月、琉球の中山王・察度が弟・泰期を明に遣わし洪武帝に進貢したが、これが進貢船の派遣第一号である。最後の進貢船の派遣は、1874年(明治7年)。 進貢船は交易指定港とされた福建省福州まで渡航する。正副使やその従者は陸路北京に赴き、皇帝に拝謁する。それ以外の乗組員は福州の琉球館に滞在した。.
沖縄県
沖縄県(おきなわけん)は、日本で最も西に位置する県。沖縄本島・宮古島・石垣島など多くの島々から構成される。県庁所在地は那覇市。.
沖縄戦
沖縄戦(おきなわせん、沖縄の戦い)は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍とイギリス軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いである。連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦(Operation Iceberg、氷山作戦)。琉球語では、Ucinaaikusa (ウチナー(沖縄)いくさ(戦、軍)、の意)ともいう。.
按司
按司。右が大礼服、左が通常服の姿。 グスク跡 按司(あじ、または、あんじ)は、琉球諸島に存在した称号および位階の一つ。王族のうち、王子の次に位置し、王子や按司の長男(嗣子)がなった。按司家は国王家の分家にあたり、日本の宮家に相当する。他に按司は王妃、未婚王女、王子妃等の称号にも用いられた。古くは王号の代わりとして、また、地方の支配者の称号として用いられていた。.
明
明(みん、1368年 - 1644年)は、中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。 朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。.
1609年
記載なし。
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