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太平洋戦争

索引 太平洋戦争

太平洋戦争(たいへいようせんそう、Pacific War)は、1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)まで行われた戦争であり、第二次世界大戦の局面の一つである。 日本などの枢軸国とアメリカ、イギリス、中国などの連合国の間で行われた戦争であった。1941年(昭和16年)12月8日、真珠湾攻撃とマレー作戦によって始まったが、実際には以前から日中戦争(支那事変)が続いており、その継続としての側面もある。1945年(昭和20年)8月14日、日本政府はポツダム宣言の無条件受諾による降伏を連合国に通告、翌8月15日の玉音放送で日本国民に終戦が伝えられた。同年9月2日、日本政府が降伏文書に署名し、戦争は正式に終結した。なお、これ以降もソ連軍の侵攻などにより戦闘状態は一部で継続した。

目次

  1. 835 関係: A・J・P・テイラーABCD包囲網加賀 (空母)加藤建夫加藤隼戦闘隊加藤陽子基隆市厚生労働省厚生省厚木海軍飛行場原子爆弾ひめゆり学徒隊しんぶん赤旗あ号作戦博多港十五年戦争十・十空襲千鳥ケ淵戦没者墓苑南太平洋海戦南京市南アメリカ南洋諸島南満洲鉄道南方軍 (日本軍)及川古志郎反米台湾人台湾沖航空戦参謀本部 (日本)名古屋名古屋港名誉教授名桜大学吐噶喇列島吉田裕 (歴史学者)報道機関多田駿大宅壮一大使大和 (戦艦)大竹市大統領大牟田市大韓民国臨時政府大西瀧治郎大航海時代大阪大連市大東亜会議大東亜共栄圏... インデックスを展開 (785 もっと) »

A・J・P・テイラー

アラン・ジョン・パーシヴァル・テイラー(Alan John Percivale Taylor, 1906年3月25日 - 1990年9月7日)は、イギリスの歴史家。ヨーロッパ近現代史を専門とし、一般向けを含め数多くの著書を著した。

見る 太平洋戦争とA・J・P・テイラー

ABCD包囲網

ABCD包囲網(エービーシーディーほういもう、ABCD line)とは、1930年代後半(昭和10年頃)から、海外に進出する日本に対抗して行われた石油や屑鉄など戦略物資の輸出規制・禁止による米英蘭中諸国による経済的な対日包囲網。「」とは、貿易制限を行っていたアメリカ()、イギリス()、中国()、オランダ()と、各国の頭文字を並べたものである。ABCD包囲陣コトバンク、ABCD経済包囲陣、ABCDライン(ABCD line)とも呼ばれる。この呼称は日本の新聞が用いたものとされるが、初出については良く分かっていない。 この対日政策が、経済制裁か経済封鎖かについては、研究者間でも一定していない。

見る 太平洋戦争とABCD包囲網

加賀 (空母)

加賀(かが)は、大日本帝国海軍の航空母艦#ポケット海軍年鑑(1935)p.42『航空母艦"加賀 かが" 全要目{排水量26,900噸 速力23.0節 備砲20糎砲10門 12糎高角砲12門 起工大正9年7月 竣工昭和3年3月 建造所横須賀海軍工廠}全長217.93米、最大幅31.24米、平均吃水6.50米。本艦は赤城と同様ワシントン條約の結果戰艦から航母に改造されたものである。兵装は赤城と變らない。大正9年7月起工し約9年半後の昭和3年3月やつと竣工をつげたものである。これは中途にして航母に改造を餘儀なくされたにも因るであらうが、一つには當時の航空界が今日への發達途上にあつたので艦の設計等にも急速に決定し得ざる點の多かつたに因つたとも見られる。この艦と赤城とは艦型に於て相似る點が多いのであるが全く異つてゐるのは煙突である。他の航母が申し合せたやうに中部で吐出してゐるのに此の艦のみは殆ど艦尾近くに導いてゐる。蓋しこの方が艦中央部に据ゑられた大砲その他諸計器の爲には良好であらう。』。1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦で沈没。

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加藤建夫

加藤 建夫(かとう たてお、1903年(明治36年)9月28日 - 1942年(昭和17年)5月22日)は、日本の陸軍軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等功二級。北海道上川郡東旭川村(現:旭川市東旭川町)出身。旭川中学(現:北海道旭川東高等学校)、仙台陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校(専科)卒。 太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦時、戦隊長として「加藤隼戦闘隊」こと飛行第64戦隊を率い、一式戦闘機「隼」をもって活躍した、帝国陸軍(陸軍航空部隊)のみならず日本軍を代表するエース・パイロットの一人。

見る 太平洋戦争と加藤建夫

加藤隼戦闘隊

加藤隼戦闘隊(かとうはやぶさせんとうたい、旧字体: 加藤󠄁隼戰鬪隊󠄁)とは、大東亜戦争初期に活躍した加藤建夫陸軍中佐(戦死後、陸軍少将)率いる大日本帝国陸軍の飛行戦隊、飛行第64戦隊(飛行第六十四戦隊。軍隊符号は64FRないし64F、最終時の通称号は高九一二四部隊)の愛称。

見る 太平洋戦争と加藤隼戦闘隊

加藤陽子

加藤 陽子(かとう ようこ、1960年 〈昭和35年〉10月 - )は、日本の歴史学者。専攻は日本近現代史。学位は、博士(文学)。本名は、野島陽子。東京大学教授。歴史学研究会委員長。埼玉県大宮市(現・さいたま市)出身。夫は予備校講師の野島博之。 2010年に著書『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で小林秀雄賞受賞。

見る 太平洋戦争と加藤陽子

基隆市

基隆市(キールン/チーロン/きいるん-し、基隆市、Keelung City)は、台湾省の市である但し1998年に台湾省の機能が凍結(虚省化)されたことに伴って省という区分も名目上のものとなった。。

見る 太平洋戦争と基隆市

厚生労働省

厚生労働省(こうせいろうどうしょう、Ministry of Health, Labour and Welfare、略称: MHLW)は、日本の行政機関のひとつ。健康、医療、福祉、介護、雇用、労働、および年金に関する行政ならびに復員、戦没者遺族等の援護、旧陸海軍の残務整理を所管する「国民生活の保障及び向上を図り、並びに経済の発展に寄与するため、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進並びに労働条件その他の労働者の働く環境の整備及び職業の確保を図ること」(厚生労働省設置法第3条第1項)、「引揚援護、戦傷病者、戦没者遺族、未帰還者留守家族等の援護及び旧陸海軍の残務の整理を行うこと」(同法第3条第2項)。

見る 太平洋戦争と厚生労働省

厚生省

厚生省(こうせいしょう、Ministry of Health and Welfare)は、かつて存在した日本の行政機関である。医療・保健・社会保障などを所管していた。 2001年(平成13年)1月、労働省(当時)と統合されて厚生労働省に改称した。

見る 太平洋戦争と厚生省

厚木海軍飛行場

厚木海軍飛行場(あつぎかいぐんひこうじょう)は、神奈川県綾瀬市と大和市にまたがる軍用飛行場で、アメリカ海軍と海上自衛隊が共同で使用している軍事基地。県内で唯一、固定翼ジェット機が離着陸できる航空施設である。航空管制は海上自衛隊が行なっている。 アメリカ海軍は空母ロナルド・レーガン(USS Ronald Reagan, CVN-76)艦載機の第5空母航空団(CVW-5)の本拠地として使用しており、海上自衛隊は第4航空群、実験航空部隊の第51航空隊、輸送航空部隊の第61航空隊の航空基地として使用している。 総面積約506.9 haのうち、約395 ha(全体の約78 %)が綾瀬市で、残りが大和市である。

見る 太平洋戦争と厚木海軍飛行場

原子爆弾

長崎に投下された原子爆弾のキノコ雲1945年8月9日 広島型原爆(リトルボーイ)による被害者の一人。(1945年10月。日本赤十字病院において。) 原子爆弾(げんしばくだん、atomic bomb)あるいは原爆は、ウランやプルトニウムなどの元素の原子核が起こす核分裂反応を使用した核爆弾であり、初めて戦争において攻撃用に実使用された核兵器である。原子爆弾は、核爆発装置に含まれる。水素爆弾を含めて「原水爆」とも呼ばれる。 核兵器は通常兵器と比較して威力が極めて大きいため、大量破壊兵器に位置付けられ、核不拡散条約や部分的核実験禁止条約などで、実戦での使用が禁止されている。

見る 太平洋戦争と原子爆弾

ひめゆり学徒隊

沖縄県立女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校の正門。 沖縄県立第一高等女学校と沖縄県女子師範学校の学生による勤労作業。 ひめゆり学徒隊(ひめゆりがくとたい)とは、1944年12月に沖縄県で日本軍が中心となって行った看護訓練によって動員された女子学徒隊のうち、沖縄県立女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校の生徒で構成された女子学徒隊。

見る 太平洋戦争とひめゆり学徒隊

しんぶん赤旗

しんぶん赤旗(しんぶんあかはた、Shimbun Akahata)は、日本共産党中央委員会の発行する日本語の日刊機関紙である。旧称・通称「赤旗」「アカハタ」。初代編集長は水野成夫『水野成夫の時代-社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで-』境政郎、産経新聞出版、2012年5月25日。 日刊紙の他にも別建ての「しんぶん赤旗日曜版」や、視覚障害者向けの「点字しんぶん赤旗」と「声のしんぶん赤旗日曜版」(視覚障害者友情の会発行)などや、英語翻訳版「Japan Press Weekly」(ジャパンプレスサービス発行)も存在する。それらについても併せて記載する。

見る 太平洋戦争としんぶん赤旗

あ号作戦

あ号作戦およびア号作戦。

見る 太平洋戦争とあ号作戦

博多港

博多港(はかたこう)は、福岡県福岡市にある港湾。海の中道、博多平野及び糸島半島により囲まれた博多湾の湾奥に位置している。港湾管理者は福岡市。港湾法上の国際拠点港湾、港則法上の特定港に指定されている。1899年8月4日に開港した。古くは、那の津・那大津・博多津と呼ばれていた。三津七湊。 近年、博多港は九州地域の経済を支える中枢港湾として、東アジア諸港における国際競争力の確保から国際海上コンテナターミナルの整備を進めており、高度物流の拠点港湾を形成している。外貿コンテナ取扱個数国内第6位。 外国人旅客数およびクルーズ船寄港数は日本一となっている。また、神戸港より西の西日本では貿易額、コンテナ取扱量ともに首位である。

見る 太平洋戦争と博多港

十五年戦争

十五年戦争(じゅうごねんせんそう)とは、1931年9月18日の柳条湖事件勃発から1945年のポツダム宣言受諾(日本の降伏)までの足掛け15年(実質13年11カ月)にわたる日本の対外戦争、満洲事変、日中戦争、太平洋戦争の全期間を一括する呼称のこと「大東亜戦争」秦郁彦編『日本陸海軍総合事典 』東京大学出版会、2005年8月15日 第2版第1刷、ISBN 4-13-030135-7、750頁。。中国では田中上奏文が史実の公式文書として扱われているので「十四年抗戦」の呼称が使われる。

見る 太平洋戦争と十五年戦争

十・十空襲

十・十空襲(じゅう・じゅうくうしゅう)または沖縄大空襲(おきなわだいくうしゅう)は、第二次世界大戦(大東亜戦争)後期の1944年(昭和19年)10月10日に南西諸島の広い範囲でアメリカ海軍機動部隊が行った大規模な空襲。所在の日本軍艦船などに甚大な損害を与えるとともに、那覇市の市街地の大半が焼失するなど民間人にも大きな被害が出た。那覇市の空襲被害を特に那覇空襲と呼ぶこともある。日本軍の防衛態勢は不十分で、アメリカ艦隊に対する有効な反撃も行えなかった。

見る 太平洋戦争と十・十空襲

千鳥ケ淵戦没者墓苑

千鳥ケ淵戦没者墓苑(ちどりがふちせんぼつしゃぼえん、Chidorigafuchi National Cemetery)は、日本の戦没者慰霊施設。日中戦争および大東亜戦争/太平洋戦争の戦没者の遺骨のうち、遺族に引き渡すことができなかった遺骨を安置している。公園としての性格を有する墓地公園とされており、環境省が所管する国民公園等のひとつである。千鳥ヶ淵戦没者墓苑、国立千鳥ケ淵戦没者墓苑(こくりつちどりがふちせんぼつしゃぼえん)、国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑とも表記される。

見る 太平洋戦争と千鳥ケ淵戦没者墓苑

南太平洋海戦

南太平洋海戦(みなみたいへいようかいせん)は、1942年10月26日にソロモン海域で行われた日米両軍の機動部隊による海戦のこと。アメリカ軍側の呼称はサンタ・クルーズ諸島海戦(Battle of the Santa Cruz Islands)。日本軍は空母翔鶴と瑞鳳が大破・中破という損害を受けたものの、米空母ホーネットを撃沈、空母エンタープライズを中破という戦果を挙げ、戦術的には日本軍の勝利であった。しかし多数の航空機と搭乗員を失い、また戦闘の主目的であるガダルカナル島飛行場も占領できなかった。

見る 太平洋戦争と南太平洋海戦

南京市

南京市(ナンキンし、、、/Nanking、南京官話:Lang2jin1)は、中華人民共和国江蘇省の省都。

見る 太平洋戦争と南京市

南アメリカ

南アメリカ(みなみアメリカ)は、全体が西半球にあり、大部分が南半球にある大陸。南米(なんべい)ともいう。西に太平洋、北と東に大西洋、北西に北米とカリブ海に囲まれている。南米大陸には12の主権国家が存在している。 南アメリカは1507年、アメリカ州が東インドではなくヨーロッパ人にとっての新大陸であると指摘した最初のヨーロッパ人ヴァルトゼーミュラー、リングマンによって、ヴェスプッチの名から付けられた。 面積は17,780,000 2であり、地球の陸地面積の約12%を占める。人口は、2016年10月現在で4億2千万人と見積もられている。

見る 太平洋戦争と南アメリカ

南洋諸島

南洋諸島(なんようしょとう、)は、かつて大日本帝国が国際連盟によって委任統治を託された西太平洋の赤道付近に広がるミクロネシアの島々を指す。現在の北マリアナ諸島・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦に相当する地域である。 別名は南洋群島(なんようぐんとう)。当時の日本人は内南洋(うちなんよう)とも言ったちなみに外南洋は、内南洋以外のミクロネシア、メラネシア、島嶼部東南アジアを指す。。

見る 太平洋戦争と南洋諸島

南満洲鉄道

南満洲鉄道株式会社(みなみまんしゅうてつどう、)は、南満洲の鉄道会社。日露戦争に勝利した後、1905年(明治38年)に締結されたポーツマス条約に基づき、東清鉄道南満洲支線(長春・旅順間鉄道)やその支線はロシアから日本に譲渡され、鉄道事業および付属事業を経営する目的で1906年(明治39年)に設立された半官半民企業であり、日本の満洲経略において重要な位置を占めた企業へと発展した。略称は満鉄(まんてつ、)。

見る 太平洋戦争と南満洲鉄道

南方軍 (日本軍)

南方軍(なんぽうぐん)は、大日本帝国陸軍の総軍の一つ。軍隊符号はNA。

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及川古志郎

及川 古志郎(おいかわ こしろう、1883年(明治16年)2月8日 - 1958年(昭和33年)5月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。 岩手県出身(出生地は新潟県古志郡)。海兵31期・海大13期。 第2次近衛内閣・第3次近衛内閣で海軍大臣。第18代軍令部総長。

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反米

反米のロゴ 反米キューバの指導者フィデル・カストロ(右)とチェ・ゲバラ ブラジルの反米デモ 星条旗 反米(はんべい、Anti-Americanism)とは、政治・経済・社会・文化などの面で、アメリカ合衆国に反発したり、厭悪する感情や主張である。親米の対義語である。

見る 太平洋戦争と反米

台湾人

女児 台湾人(たいわんじん)では、現在台湾(台湾本島とその付属島嶼と澎湖諸島)に在住する者について説明する。台湾2002年での人口は2300万人であり、エスニシティ(民族的出自)や母語を基準にその人口の構成を調査する。『言語社会與族群意識』によれば、台湾原住民が1.7%、閩南民系が73.3%、客家が12%、外省人が13%となっている。 台湾の人類研究者、黄宣範による調査では、10代では100%が「私は台湾人であって、中国人では無い」という意識を持っている。 現代のヒト白血球型抗原とミトコンドリアDNAによる調査の一つによれば、台湾の人口の88%が原住民の祖先を持つ。

見る 太平洋戦争と台湾人

台湾沖航空戦

台湾沖航空戦(たいわんおきこうくうせん)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)中、フィリピンのレイテ島への上陸作戦の布石として、台湾から沖縄にかけての日本軍航空基地を攻撃したアメリカ海軍空母機動部隊に対し、日本軍の基地航空部隊が迎撃したことで発生した航空戦。アメリカ軍の損害は軽微なものであったが、日本軍は大戦果と誤認した。

見る 太平洋戦争と台湾沖航空戦

参謀本部 (日本)

参謀本部(さんぼうほんぶ、)は、大日本帝国陸軍の軍令機関である。ドイツ帝国陸軍の軍制に倣って、1878年(明治11年)に陸軍省参謀局が独立する形で創設された。 政府省庁である陸軍省とは独立した形で大元帥である天皇に直隷して陸軍を統帥せしめ、作戦計画並びに指揮及び遂行する等を職務とした。ただし、1893年(明治26年)の参謀総長の職掌改定により、戦時における軍令は大本営の所掌となった。 なお、1886年(明治19年)から1888年(明治21年)までの間、旧日本海軍の軍令機関が旧日本陸軍と統合されていた時期を除いた、旧日本海軍の軍令機関(明治21年乃至明治22年の海軍参謀本部を含む)については軍令部を参照。

見る 太平洋戦争と参謀本部 (日本)

名古屋

名古屋(なごや、Nagoya)は、愛知県西部の地名精選版日本国語大辞典、名古屋。濃尾平野の中央部にあり、伊勢湾に臨む。もとは尾張徳川氏の城下町でデジタル大辞泉、名古屋、尾張国にあった。古くは那古野とも書き、その後名護屋とも書くようになっていた(表記ゆれがあった)。

見る 太平洋戦争と名古屋

名古屋港

名古屋港(なごやこう)は、愛知県名古屋市、東海市、知多市、弥富市、海部郡飛島村にまたがる港湾。地元では名港(めいこう)とも略称される。 港湾法上の国際拠点港湾、港則法上の特定港、また四日市港と共に政令上の指定港湾(旧スーパー中枢港湾)、国際バルク戦略港湾に指定されている。

見る 太平洋戦争と名古屋港

名誉教授

名誉教授(めいよきょうじゅ、(米)professor emeritus / (英)emeritus professor)とは、国内法では大学(短期大学を含む)、高等専門学校などの高等教育機関に教授などとして勤務した者で、特に功績のあった者に対して授与される称号であり、職位呼称ではない。法的・国際的に認められた栄誉称号であり学術称号の一つ。日本では学校教育法にその根拠規定があり、それぞれ大学または高等専門学校の規程・規則の定めるところにより授与される。退職した元教員に与えられる形式的な呼び名であり、学校とは雇用関係にないため、名誉教授であることで給料が発生することはない。名誉教授は、法律によって占有される称号ではないため、大学以外の研究機関や研究組織が称号として用いることもある。

見る 太平洋戦争と名誉教授

名桜大学

名桜大学(めいおうだいがく、Meio University)は、沖縄県名護市にある公立大学である。公立大学法人名桜大学が運営する。

見る 太平洋戦争と名桜大学

吐噶喇列島

は、南西諸島のうち、鹿児島県側の薩南諸島に属する島嶼群。行政区域は全島が鹿児島県鹿児島郡十島村である。天気予報など気象の地域区分としては、南側にある奄美群島と共に奄美地方の一部(北部)として扱われる。

見る 太平洋戦争と吐噶喇列島

吉田裕 (歴史学者)

吉田 裕(よしだ ゆたか、1954年11月2日 - )は、日本の歴史学者。一橋大学名誉教授、東京大空襲・戦災資料センター館長、同時代史学会代表。専攻は日本近代軍事史、日本近現代政治史。

見る 太平洋戦争と吉田裕 (歴史学者)

報道機関

報道機関(ほうどうきかん、the press)とは、大衆に対し報道する機関の総称である。「マスメディア」はこの俗称で、新聞社・放送局・出版社・通信社などがこれに該当する。

見る 太平洋戦争と報道機関

多田駿

多田 駿(ただ はやお林茂 『日本の歴史25 太平洋戦争』 中公文庫新版 [S-2-25] ISBN 978-4122047426、60pでは「駿」に「しゅん」とルビが振られている。、1882年(明治15年)2月24日 - 1948年(昭和23年)12月18日)は、日本の陸軍軍人。陸士15期・陸大25期。最終階級は陸軍大将。宮城県仙台市出身。 陸軍きっての中国通(支那通)として知られ、田代皖一郎、橋本群と共に対中穏健派であった。日中戦争が始まると参謀次長に就任。蔣介石政権よりもソ連の脅威を重視する立場から、戦線不拡大を唱えていた。 日中戦争を終わらせる最大かつ最後の機会であった、ドイツ仲介による中国との和平工作(トラウトマン和平工作)を推進し、和平を主張して、日中戦争の無用と、この戦争が如何に日中両国民にとって不幸かを涙ながらに説いた。しかし、中国側の回答が遷延する中、「和平工作の打ち切り」を唱える政府側(近衛文麿首相・廣田弘毅外相・杉山元 陸相・米内光政海相)に対し、参謀本部を代表して「和平工作の継続」を唱え続けるも、力及ばなかった。

見る 太平洋戦争と多田駿

大宅壮一

大宅 壮一(おおや そういち、1900年〈明治33年〉9月13日 - 1970年〈昭和45年〉11月22日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。妻は大宅壮一文庫の理事長を務めた大宅昌、三女はジャーナリストの大宅映子。

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大使

大使(たいし、ambassador(アンバサダー)、ambassadeur)。

見る 太平洋戦争と大使

大和 (戦艦)

大和(やまと)#達昭和15年7月(2)p.2『達第百四十八號 呉海軍工廠ニ於テ建造中ノ戦艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十五年七月二十五日 海軍大臣吉田善吾 戦艦 大和(ヤマト)』は、大日本帝国海軍が建造した大和型戦艦の1番艦#内令昭和16年12月(3)pp.4-5『内令第千六百七十二號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年十二月十六日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦、戰艦金剛型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ|大和型|大和|』。2番艦の武蔵と共に、史上最大の46センチ砲を搭載した超弩級戦艦である。建造当初は、世界最大の戦艦だった。呉海軍工廠で建造。昭和16年(1941年)12月16日就役、昭和20年(1945年)4月7日、天一号作戦(坊ノ岬沖海戦)で沈没。

見る 太平洋戦争と大和 (戦艦)

大竹市

大竹市(おおたけし)は、広島県南西部に位置する市。広島県最西端の都市である。

見る 太平洋戦争と大竹市

大統領

大統領(だいとうりょう、President)は、共和制国家における元首の通称の一つである。 国家によっては、共和国大統領(きょうわこくだいとうりょう)や連邦大統領(れんぽうだいとうりょう)などの正式名称がある。また、合議体の議長や政府の長の呼称として用いられることもある。 多くの場合大統領選挙によって選出されるため、大統領を務める人物が満期を迎えた時には再び選挙を行い選出するが、在任中に職務停止あるいは辞職・死亡した場合にはその間の代理元首として大統領代行が就任されるようになっている。

見る 太平洋戦争と大統領

大牟田市

大牟田市(おおむたし)は、福岡県の最南端にある市。1917年(大正6年)市制施行。

見る 太平洋戦争と大牟田市

大韓民国臨時政府

大韓民国臨時政府(だいかんみんこくりんじせいふ、朝鮮語ハングル表記: 대한민국 임시정부、朝鮮語チョソングル表記: 상해림시정부)は、1919年(大正8年)の日本統治時代の朝鮮で起こった三・一運動後、海外で朝鮮の独立運動を進めていた活動家李承晩・呂運亨・金九らによって、中華民国の上海市で結成された朝鮮民族の組織である。中国国民党支援を受けるために国民党傘下に属し、軍事さえも1945年5月まで国民党の中国軍事委員会の下部組織であった。そのため、国民党と共に日中戦争勃発後は所在地を上海から重慶に移した。たえまない党派間の対立と連合を続けていたため、蔣介石や国民党が党派間の融和や指導を行っていた権寧俊, 「」『県立新潟女子短期大学研究紀要』 44巻 2007年 p.253-265, 県立新潟女子短期大学,,。。戦後の国共内戦後に中国国内では「光復軍は中国共産党の支援を得て重慶に設立された」と改変されている。

見る 太平洋戦争と大韓民国臨時政府

大西瀧治郎

大西 瀧治郎(おおにし たきじろう、 - )は、日本の海軍軍人。海兵40期。神風特別攻撃隊の創始者の一人。終戦時に自決。最終階級は海軍中将。 笹井醇一(海軍少佐、太平洋戦争のエース・パイロット)は甥(大西の妻・淑恵の姉である久栄の息子が笹井)。

見る 太平洋戦争と大西瀧治郎

大航海時代

大航海時代(だいこうかいじだい)とは、15世紀半ばから17世紀半ばまでのヨーロッパ人によるアフリカ・アジア・アメリカ大陸への大規模な航海が行われた時代を指す区分である。主にポルトガルとスペインにより行われた。

見る 太平洋戦争と大航海時代

大阪

大阪(おおさか、Osaka)は、日本の近畿地方(関西地方)の地名、都市。 律令国では摂津国の範囲であり、近畿の経済・文化の中心地。 かつては大坂と表記し、古墳時代から江戸時代以降の長きにわたり、日本経済と文化の中心地であった。そのため、京都と共に上方と呼ばれ、古都・副都・水都としての歴史も持つ。 現在の「大阪」は、近畿地方に位置する包括的地方公共団体・大阪府や、その府庁所在地であり西日本最大の都市・大阪市を指し、広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏〈阪神都市圏〉、京阪神大都市圏、近畿圏など)を漠然と総称することにも使われる。

見る 太平洋戦争と大阪

大連市

大連のスカイライン 大連市(だいれん-し/ターリエン-し、、、旧名:ダルニー市、)は、中華人民共和国遼寧省の南部に位置し、中国五つの「計画単列都市」の一つで、15個の「副省級都市」の一つである。中国東北地方随一の港口・工業・観光都市であるのみならず、中国政府指定の東北アジア国際航運センターかつ、東北アジアの有数の国際金融・交通・物流センターである。

見る 太平洋戦争と大連市

大東亜会議

大東亜会議(だいとうあかいぎ、)は、1943年(昭和18年)11月5日 - 11月6日に東京で開催されたアジア地域の首脳会議。同年5月31日に御前会議で決定された大東亜政略指導大綱に基づき開催された。 当時の日本の同盟国や、日本が大東亜戦争で旧宗主国を放逐したことにより独立されたアジア諸国の国政最高責任者を招請して行われた。そこでは、大東亜共栄圏の綱領ともいうべき大東亜共同宣言が採択された。日本は第2回目の大東亜会議を開催する計画を持っていたが、戦局の悪化に伴って開催困難となり、昭和20年(1945年)4月には代替として駐日特命全権大使や駐日代表による「大使会議」が開催された。

見る 太平洋戦争と大東亜会議

大東亜共栄圏

日華満協助天下太平のポスター 印) 大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん//英語:Greater East Asia Co-Prosperity Sphere または Greater East Asia Prosperity Sphere)は、大東亜戦争(連合国側呼称・太平洋戦争)を背景に、第2次近衛内閣(1940年〈昭和15年〉)から日本の降伏(1945年〈昭和20年〉)まで唱えられた日本の対アジア政策構想である。 大東亜戦争期、日本政府がアジア諸国と協力して提起したもので長谷川啓之「大東亜共栄圏」『現代アジア事典』文眞堂、2009年7月20日 第1版第1刷発行、ISBN 978-4-8309-4649-3、624頁。

見る 太平洋戦争と大東亜共栄圏

大東亜戦争

国庫債券」(戦争国債)。戦後のインフレーションによりほぼ無価値となった。 「大東亜戦争第一周年記念」として日本勧業銀行(現:みずほ銀行)が販売した「戦時報国債券」 大東亜戦争(だいとうあせんそう、、)は、1941年(昭和16年)12月8日から1945年(昭和20年)9月2日にかけて行われた、日本(大日本帝国)と中華民国・アメリカ合衆国・イギリス・フランス・オランダなどの連合国との全ての戦線の戦争を指す日本側の呼称「なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか: アジア主義者の夢と挫折」p22-31, 田原総一朗 · 2011。 当項目では主に名称関係について記述する。

見る 太平洋戦争と大東亜戦争

大正

大正(たいしょう)は、日本の元号の一つ。 明治の後、昭和の前。大化以降229番目、245個目南北朝時代の北朝の元号を除くか含めるかによる。の元号である。大正天皇の在位期間である1912年(大正元年)7月30日から1926年(大正15年)12月25日まで。 日本の元号として初めて、元年から最終年である15年までの全期間グレゴリオ暦が用いられた。日本史の時代区分上では、元号が大正であった期間をという。本項ではこの時代についても記述する。

見る 太平洋戦争と大正

大正天皇

大正天皇(たいしょうてんのう、1879年〈明治12年〉8月31日 - 1926年〈大正15年〉12月25日)は、日本の第123代天皇(在位: 1912年〈明治45年/大正元年〉7月30日 - 1926年〈大正15年〉12月25日)。諱は嘉仁(よしひと)、御称号は明宮(はるのみや)。お印は壽(じゅ)。 1879年(明治12年)8月31日誕生。明治天皇の唯一成人した皇男子(三男)である。 今上天皇(第126代天皇・徳仁)の曽祖父である。 生誕時より病弱で幾度も大病に罹った。幼年期の個人授業の後、学習院初等科に途中入学するが、発達の遅れから中等科1年で中途退学。8歳で儲君、11歳で皇太子となる。皇太子妃選定における混乱(大正天皇婚約解消事件)を経て九条節子と結婚し、後の昭和天皇をはじめ4人の皇子(皇男子)をもうけた。また、皇太子時代には沖縄県を除く各道府県を巡啓したほか、1907年(明治40年)には史上初の皇太子の海外渡航として大韓帝国を訪問した。

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大本営

昭和天皇御前の大本営会議の様子(1943年4月29日付朝日新聞掲載) 大本営(だいほんえい、)は、日清戦争から太平洋戦争までの戦時中に設置された日本軍(陸海軍)の最高統帥機関。その設置は、大日本帝国憲法下において天皇が有する、統帥権の発動に基づくとされる。大本営の設置は、平時には統帥部(陸軍参謀本部及び海軍軍令部)や陸海軍省に分掌される事項について、同機関のもとで一元的な処理を行なうことを目的とした。 1893年(明治26年)5月22日公布の戦時大本営条例によって制定され、日清戦争と日露戦争において実際に設置、それぞれ終戦後に解散した。日中戦争(支那事変)では戦時又は事変において設置するとされ、戦時外でも設置できるようなり、そのまま太平洋戦争終戦まで存続した。

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大本営発表

大本営発表(だいほんえいはっぴょう、)とは、1937年11月から1945年8月までの期間、日中戦争(支那事変)および太平洋戦争(大東亜戦争)において、大本営が行った戦況の公式発表である。 発表はラジオにより、全国に大々的に発表された。太平洋戦争初期は戦果を概ね正確に発表していたが、珊瑚海海戦(1942年5月)の発表から水増しが始まり千早正隆『日本海軍の驕り症候群 下』中公文庫79-81頁、以降は戦況悪化の実態と乖離した、虚偽の大戦果発表を行なった。敗戦後に実態が明らかになり、戦後は政府や有力者などが発表する、自分に都合がよいばかりで信用できない情報発信を示す慣用句として使われるようになった。

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大日本帝国陸軍

大日本帝国陸軍(だいにっぽんていこくりくぐん、だいにほんていこくりくぐん、、Imperial Japanese Army、IJA)は、1871年(明治4年) - 1945年(昭和20年)まで日本に存在していた軍隊組織である。通称は日本陸軍、帝国陸軍、陸軍。 解体後は、陸上自衛隊との区別などのため旧日本陸軍、旧帝国陸軍、旧陸軍という名称も使用される。

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大日本帝国海軍

大日本帝国海軍(だいにっぽんていこくかいぐん、だいにほんていこくかいぐん、、Imperial Japanese Navy、IJN)は、1872年(明治5年) - 1945年(昭和20年)まで日本に存在していた海軍である。通常は、単に海軍や帝国海軍、日本海軍と呼ばれた。 解体後は、海上自衛隊との区別などのため、旧日本海軍もしくは旧帝国海軍または旧海軍とも呼ばれている。第二次世界大戦の後、残存部隊は改組を経て現在、海上自衛隊のほか関連する国家機関等になっている。

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大日本帝国憲法

憲法発布略図1889年(明治22年)、楊洲周延画 新皇居於テ正殿憲法発布式之図1889年(明治22年)、安達吟光画 大日本帝国憲法(だいにほんていこくけんぽう、だいにっぽんていこくけんぽう、)は、1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された日本(旧通称大日本帝国)の憲法 大日本帝国憲法には、表題に「大日本帝国」が使用されているが、詔勅では「大日本憲法」と称しており、正式な国号と規定されたものではない。1936年(昭和11年)から第二次世界大戦終戦までは外交文書において「大日本帝国」に統一されたが、それ以外では「日本国」「日本」などの名称も使用された。

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大政翼賛会

大政翼賛会(たいせいよくさんかい、)は、1940年(昭和15年)10月12日から1945年(昭和20年)6月13日まで存在した日本の政治結社。公事結社(公益のみを目的とする結社。後述のように、日本独自の概念である)として扱われる。「大政」は、天下国家の政治、「天皇陛下のなさる政治」という意味の美称、「翼賛」は、力を添えて(天子を)たすけること。

見る 太平洋戦争と大政翼賛会

太平洋

太平洋の位置 とは、アジア(あるいはユーラシア)、オーストラリア、南極、南北アメリカの各大陸に囲まれる世界最大の海洋のこと。大西洋やインド洋とともに、三大洋の1つに数えられる。日本列島も太平洋の周縁部に位置する。面積は約1億5555万7千平方キロメートルであり、全地表の約3分の1にあたる。英語名からパシフィックオーシャン(Pacific ocean)とも日本語で表記されることもある。

見る 太平洋戦争と太平洋

太平洋艦隊 (アメリカ海軍)

アメリカ太平洋艦隊(アメリカたいへいようかんたい、United States Pacific Fleet)は、アメリカ海軍の艦隊である。部隊管理については海軍作戦本部の指揮を受け、作戦指揮上はアメリカインド太平洋軍 (U.S. Indo-Pacific Command / USINDOPACOM) の指揮を受ける。担当海域は、南アメリカ近海・アラビア海を除く、太平洋およびインド洋である。

見る 太平洋戦争と太平洋艦隊 (アメリカ海軍)

太平洋戦争 (1879年-1884年)

太平洋戦争(たいへいようせんそう、Guerra del Pacífico)は、1879年から1884年にかけて、ボリビア共和国およびペルー共和国とチリ共和国の間で行われた戦争である。1941年に勃発した同名の戦争と区別するため、硝石戦争(Guerra del salitre)とも呼ばれる。

見る 太平洋戦争と太平洋戦争 (1879年-1884年)

太平洋戦争の年表

開戦時の日本の内閣総理大臣東條英機 ルーズベルト アジア太平洋戦争の年表(あじあたいへいようせんそうのねんぴょう)では、3年9ヶ月に及ぶ日本、満洲国、タイ王国、南京国民政府、イタリア王国とアメリカ合衆国、イギリス帝国、オランダ、ソビエト連邦など連合国との太平洋戦争(国家総力戦)の経緯と経過を年表で示す。中華民国との間の戦争・事変は日中戦争を参照。

見る 太平洋戦争と太平洋戦争の年表

外交官

外交官(がいこうかん)は、外交使節団の長または使節団の職員であって、外交官の身分を有する外交職員の総称。

見る 太平洋戦争と外交官

外地

日本における外地(がいち)とは、第二次世界大戦敗戦前に本州、北海道、九州、四国以外で日本が支配していた土地を指す語である。 属地(ぞくち)とも称され、台湾や朝鮮などの日本の領土だけでなく日本政府の統治権が及ぶ外国の地域も含まれた。外地に対義する地域は内地と称されたが、「内地」が共通法に基づく法的用語だったのに対し、「外地」は法的に定められた用語ではなかった。 日本では、日本の支配下に置かれた朝鮮や台湾等を「植民地」という用語で表現することが一般にあったが、それが1920年代頃から「外地」に切り替わっていったという指摘がある。「植民地」という用語は、もともと政治上又は経済上の用語であって、法律上の用語としては適当でなく、「植民地」の原語に相当する外国語(コロニー)と同様に、帝国主義的搾取という特殊の連想を伴いがちで、大日本帝国の新領土統治の本旨を適正に表現するにはふさわしくなかったと指摘されている。なお、法律上の用語として「植民地」という用語に代わって「外地」という用語を用いるようになったのは、1929年(昭和4年)の拓務省の設置を契機とするとの指摘がある。すなわち、主として朝鮮の官民が植民地扱いされることを喜ばなかったことから、拓務省設置後、小村欣一拓務次官の座談から、「外地」という用語が生まれたとされている。

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外務大臣 (日本)

外務省庁舎 外務大臣(がいむだいじん、)は、日本の外務省の長および主任の大臣たる国務大臣。 通称は外相(がいしょう)。

見る 太平洋戦争と外務大臣 (日本)

外務省

外務省(がいむしょう、Ministry of Foreign Affairs、略称: MOFA)は、日本の行政機関のひとつ。日本の外交を所管する「平和で安全な国際社会の維持に寄与するとともに主体的かつ積極的な取組を通じて良好な国際環境の整備を図ること並びに調和ある対外関係を維持し発展させつつ、国際社会における日本国及び日本国民の利益の増進を図ること」(外務省設置法第3条)。

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女性のためのアジア平和国民基金

財団法人女性のためのアジア平和国民基金(じょせいのためのアジアへいわこくみんききん、略称:アジア女性基金、Asian Women's Fund)とは、元「慰安婦」に対する補償(償い事業)、および女性の名誉と尊厳に関わる今日的な問題の解決を目的として1995年7月に設立された財団法人。日本国政府からの出資金と、国内外からの募金によって運営された。すべての償い事業が終了したため、2007年(平成19年)3月31日をもって解散した。

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奴隷

奴隷(どれい、英:slave)とは、人間でありながら人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われる人のことである。所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた。奴隷を許容する社会制度を特に奴隷制という。 1948年に国際連合で採択された世界人権宣言にて、下記のように宣言された。

見る 太平洋戦争と奴隷

奄美群島

奄美群島(薩南諸島南部) 奄美群島(あまみぐんとう)は、南西諸島内薩南諸島南部にある島嶼群である。行政区分としては、鹿児島県奄美市、大島郡に属する。長さ約200km、総面積約1250km。全域が亜熱帯性の南日本気候に属し、珍しい固有種も多数生息する。 有人島には、奄美大島、喜界島、加計呂麻島、請島、与路島、徳之島、沖永良部島、与論島の8つがあり、総人口は約10万人。中心都市は奄美大島の奄美市名瀬。かつては奄美諸島(あまみしょとう)の呼称も用いられていた。

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奇襲

奇襲(きしゅう、surprise、coup de main)は、敵の予期しない時期・場所・方法により攻撃を加えることにより、敵を混乱させて反撃の猶予を与えない攻撃方法をいう。敵の混乱に乗じて士気を減衰させ、より大きな損害を与えることが期待できる。 「奇襲」は敵の不意をつく攻撃であり、「強襲」(assault)とは陣地や要塞で防御を固めた敵に対する圧倒的な戦力を用いた攻撃であり、「急襲」(raid, sudden attack)とは不意を突きつつの迅速な攻撃であり、これらは類似概念として区別される。

見る 太平洋戦争と奇襲

奉天

奉天(ほうてん)。

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委任統治

委任統治(いにんとうち、mandate)とは、国際連盟規約第22条に基づき国際連盟によって委任された国家が国際連盟理事会の監督下において一定の非独立地域を統治した制度。 第一次世界大戦後の国際連盟の下での委任統治制度(mandate system)は第二次世界大戦後の国際連合下での信託統治制度(trusteeship system)などとともに、国際機関が特定地域の統治を行う国際信託統治(international trusteeship)の一種とされる。

見る 太平洋戦争と委任統治

学研ホールディングス

株式会社学研ホールディングス(がっけんホールディングス)は、学習塾などの教育サービス、出版物の発行や保育用品などの製作販売、サービス付高齢者向け住宅や認知症グループホームなどの介護施設・子育て支援施設の運営等の事業を統括する日本の持株会社である。 2009年(平成21年)10月1日に学習研究社(がくしゅうけんきゅうしゃ)より組織改編・社名変更を実施した。

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実効支配

実効支配(じっこうしはい、)は、特定の国や勢力が、それと対立している国や勢力、あるいは第三国などの承認を得ないままに軍隊を駐留させるなどして一定の領域を実質的に統治している状態を指す。 有効支配、実効的支配ともいう。「実行支配」との表記は誤りである。

見る 太平洋戦争と実効支配

宣戦布告

宣戦布告(せんせんふこく、declaration of war)とは、紛争当事者である国家が相手国に対して戦争行為(hostilities)を開始する意思を表明する宣言である。開戦に関する条約によれば、宣戦布告は戦争行為の開始前に行わなければならない。

見る 太平洋戦争と宣戦布告

室蘭市

室蘭市(むろらんし)は、北海道中南部(道央地方)にある市。 胆振総合振興局の振興局所在地。計量特定市。

見る 太平洋戦争と室蘭市

宮内省

宮内省(くないしょう、)とは、近代の日本にあった皇室事務を司る省庁。1869年(明治2年)に古代の宮内省に倣って太政官制のもとで発足した組織で、当初の長官は宮内卿だったが、1885年(明示18年)以降の内閣制度下においては宮中と行政各官庁は区別され、宮内省を所管する宮内大臣は内閣の閣員とはされず独立していた。GHQ占領下の1946年(昭和21年)に縮小再編され、1947年(昭和22年)に宮内府、1949年(昭和24年)に現在の宮内庁となった。

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家永三郎

家永 三郎(いえなが さぶろう、1913年9月3日 - 2002年11月29日)は、日本の歴史学者。専門は思想史(日本思想)。学位は文学博士(東京大学)。東京教育大学名誉教授。甥に歴史学者の家永遵嗣がいる。

見る 太平洋戦争と家永三郎

官営八幡製鐵所

官営八幡製鐵所 東田高炉記念広場の転炉 官営八幡製鐵所(かんえいやはたせいてつしょ、かんえいやわたせいてつしょ、、The Imperial Steel Works, Japan)は、1901年(明治34年)の明治時代に操業を開始した福岡県北九州市の製鉄所。1887年(明治20年)に操業を開始した釜石鉱山田中製鉄所(岩手県釜石市)に続き、日本国内で2番目の製鉄所である。第二次世界大戦前には日本の鉄鋼生産量の過半を製造する国内随一の製鉄所で、鋼板類や条鋼類、兵器材料の特殊鋼など多品種の鋼材を製造していた。 1934年(昭和9年)には官営製鉄所が中心となって民間業者と合同して日本製鐵が発足。同社の八幡製鐵所となった。現在は後身企業のひとつである日本製鉄の九州製鉄所八幡地区の一部となっている。

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宗主国

国際法において宗主国(そうしゅこく、suzerain state)とは、従属国(藩属国とも)に対して宗主権を持つ国。

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宇垣纏

宇垣 纒(うがき まとめ、1890年(明治23年)2月15日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の海軍軍人。海兵40期・海大22期。最終階級は海軍中将。陣中日記『戦藻録』が有名。

見る 太平洋戦争と宇垣纏

宇部市

宇部市(うべし)は、山口県西部にある市。周防灘(瀬戸内海)に面している。

見る 太平洋戦争と宇部市

寺内寿一

寺内 寿一(てらうち ひさいち、、1879年(明治12年)8月8日 - 1946年(昭和21年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は元帥陸軍大将、位階は従二位、勲等は勲一等、功級は功一級、爵位は伯爵。東京府生まれ、東京府育ち~ (著者:中田千畝 出版者:実業之日本社 発行:1938年(昭和13年)8月1日) (2018年11月19日閲覧。)。山口県出身。 第18代内閣総理大臣などを歴任した元帥陸軍大将寺内正毅の長男で、皇族以外では陸海軍を通して親子2代で元帥府に列せられた唯一の人物である。 陸軍大臣在任時は、衛生省(厚生省、現・厚生労働省)の設立を提唱。太平洋戦争期には、編成時から一貫して南方戦線の陸軍部隊を統括する南方軍総司令官を務めた。

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小倉

小倉(おぐら、こくら)は、日本の地名、姓。

見る 太平洋戦争と小倉

小磯國昭

小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年〈明治13年〉3月22日 - 1950年〈昭和25年〉11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。山形県士族。山形県新庄市出身。 陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官を歴任後、予備役に編入された。その後平沼内閣と米内内閣で拓務大臣、朝鮮総督(第8代)を務め、太平洋戦争中にサイパン失陥を受け辞職した東條英機の後継として1944年(昭和19年)に内閣総理大臣に就任した(小磯内閣)。悪化の一途をたどる戦局の挽回を果たせず、中華民国との単独和平交渉も頓挫し、小磯は1945年(昭和20年)4月に辞任し鈴木貫太郎に後を譲った。

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小笠原諸島

黒字は'''小笠原諸島'''。 小笠原諸島(おがさわらしょとう)は、東京都小笠原村の行政区域を指す。東京都特別区の南南東約1,000キロメートルの太平洋上にある30余の島々からなる。総面積は104平方キロメートル。南鳥島、沖ノ鳥島を除いて伊豆・小笠原・マリアナ島弧(伊豆・小笠原弧)の一部をなす。小笠原諸島は別名をボニン諸島(Bonin Islands)という。

見る 太平洋戦争と小笠原諸島

尾形光琳

尾形 光琳(おがた こうりん、万治元年〈1658年〉- 享保元年6月2日〈1716年7月20日〉)は、江戸時代の画家、工芸家。本名は尾形 惟富(おがた これとみ)。通称は市之丞。

見る 太平洋戦争と尾形光琳

山川出版社

株式会社山川出版社(やまかわしゅっぱんしゃ、Yamakawa Shuppansha Ltd.)は、高校教科書(地歴公民科)・参考書・歴史関係の一般書などを刊行する日本の出版社である。

見る 太平洋戦争と山川出版社

山下奉文

山下 奉文(やました ともゆき、1885年(明治18年)11月8日 - 1946年(昭和21年)2月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、位階勲等は従三位勲一等功三級。 高知県出身。陸士18期・陸大28期恩賜。太平洋戦争の劈頭、第25軍司令官としてイギリス領マレーとシンガポールを攻略した武功、「マレーの虎」の異名で知られる。

見る 太平洋戦争と山下奉文

岩国市

岩国市(いわくにし)は、山口県最東部にある市。

見る 太平洋戦争と岩国市

岩波新書

岩波新書(いわなみしんしょ)は、岩波書店が刊行する新書シリーズである。

見る 太平洋戦争と岩波新書

岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、)は、日本の出版社である。 文芸・学術の幅広い分野における専門書から一般啓蒙書までを広く扱い、国内外の古典的著作を収めた「岩波文庫」や「岩波新書」などの叢書や、国語百科事典『広辞苑』の刊行でも有名。

見る 太平洋戦争と岩波書店

巡洋艦

巡洋艦(じゅんようかん、)は、遠洋航行能力・高速性などを活かした攻撃力を持たせた軍艦の艦種。ただし定義は国や年代によって多岐にわたる。

見る 太平洋戦争と巡洋艦

巡洋戦艦

巡洋戦艦(じゅんようせんかん、Battlecruiser、Schlachtkreuzer)は、強力な攻撃力と高速性能を持つ大型の戦闘艦を指す。 巡洋艦の特徴である高速性能と運動性能、戦艦に匹敵する大口径砲による攻撃力を合わせもつ。 代償として戦艦に比べ防御力を若干犠牲とする設計としている。第二次世界大戦までは、戦艦とともに主力艦の扱いを受けた。 英名を直訳すると「戦闘巡洋艦」となる。 この艦種を初めて1908年に建造したイギリス海軍の定義においては、広義では巡洋艦と位置付けられており、高速・運動性能と攻撃力を合わせもつことで、反撃を受けることなく敵の射程外から一方的に攻撃しようというコンセプトであった。

見る 太平洋戦争と巡洋戦艦

工場

金属工場の例 食品工場の例 大規模な工場の例(JFEスチール東日本製鉄所・千葉地区) 工場(こうじょう、こうば、英:factory)は、製造業で、実際の製品を生産・製造したり、既成製品の機械関係の点検、整備、保守等のメンテナンスを行ったりする施設をいう。企業の呼称では「製作所」「製造所」「事業所」「事業場」などと呼ばれる場合がある。軍需品の工場は工廠と呼ばれる。意味としては、工場(こうじょう)は大規模な所、工場(こうば)は小規模な所を示すことが一般的である。 小規模から中規模の工場(町工場)は、内陸地域に設置されることも多いが、石油や鉄鋼などの大規模な工場は、原料や製造した製品の搬出入の便を図るために、海岸沿いの臨海部に設置されることが多い。

見る 太平洋戦争と工場

上海市

上海市(シャンハイし)は、中華人民共和国の直轄市である。 中国東南沿海部の江蘇省・浙江省に隣接し、長江河口と杭州湾に南北を挟まれ、東シナ海に突き出す長江デルタに位置する。改革開放政策以降、同国の経済発展の象徴として高い経済成長を続け、商業・工業・金融・貿易・交通などの中心地である。2022年時点の常住人口は2,400万人を超え、2022年市内総生産は約4兆4652億8000万元(約85兆円)である。 中華人民共和国国務院により国家中心都市の一つに指定されており、森記念財団都市戦略研究所が発表した2023年の「世界の都市総合力ランキング」(Global Power City Index, GPCI)によると世界15位の都市と評価され、首都北京や国際金融センター香港を上回る同国最大の世界都市である。

見る 太平洋戦争と上海市

上智大学

上智大学(じょうちだいがく、英: Sophia University、羅: Universitas Sedis Sapientiae)は、東京都千代田区紀尾井町7番1号に本部を置く日本の私立大学。1913年創立、1928年大学設置。日本で唯一の教皇庁立大学であり、最難関私立大学の一角としても知られる。

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不戦条約

委任統治 は、第一次世界大戦後に締結された多国間条約で、国際紛争を解決する手段として、締約国相互で戦争の放棄を行い、紛争は平和的手段により解決することを規定した。パリ条約(協定)、パリ不戦条約、ケロッグ=ブリアン条約(協定)とも言う。

見る 太平洋戦争と不戦条約

帝国主義

1898年当時の帝国主義列強勢力図 帝国主義(ていこくしゅぎ、p)またはインペリアリズムとは、一つの国家または民族が自国の利益・領土・勢力の拡大を目指して. コトバンク. 2019年3月5日閲覧。. コトバンク. 2019年3月5日閲覧。.

見る 太平洋戦争と帝国主義

中央公論新社

株式会社中央公論新社(ちゅうおうこうろんしんしゃ)は、日本の出版社である。読売新聞グループ本社の傘下。略称は中公(ちゅうこう)。 本項では、旧法人の株式会社中央公論社(ちゅうおうこうろんしゃ)についても述べる。

見る 太平洋戦争と中央公論新社

中将

中将(ちゅうじょう)は、もともとは律令制における官職の一つ。転じて軍隊の階級の一。将官に区分され、大将または国によってはフランス海軍のように上級中将の下、少将の上に位置する。規模が小さい軍隊やイスラエル国防軍のような一部の軍隊では、大将を置かずに中将が最高位の場合もある。英呼称は、陸軍が lieutenant general(リューテネント・ジェネラル)、海軍が vice admiral(ヴァイス・アドミラル)、空軍では通常陸軍と同一の呼称を用いるが、イギリス連邦方式 (Commonwealth system) ではair marshal(エア・マーシャル)と呼称する。また、陸海空軍でそれぞれ呼称の異なる中将を総称しThree-star rankと呼ぶこともある。

見る 太平洋戦争と中将

中島飛行機

中島飛行機株式会社(なかじまひこうき)は、1917年(大正6年)から1945年(昭和20年)まで存在した日本の航空機・航空エンジンメーカー。通称は中島(なかじま)。創業者は中島知久平。 エンジンや機体の開発を独自に行う能力と、自社での一貫生産を可能とする高い技術力を備え、第二次世界大戦終戦までは東洋最大、世界有数の航空機メーカーであり、日本軍向けに多くの軍用機を開発・製造した。 戦後は富士産業と改称し、1950年には12社に分割(解体)されたが、うち5社出資による新会社・富士重工業(現在のSUBARU)が1953年に発足。また、分割企業のひとつ・富士精密工業は立川飛行機より分離・独立した東京電気自動車(のちプリンス自動車工業)を1954年に吸収合併したが、1966年に日産自動車に吸収合併されている。

見る 太平洋戦争と中島飛行機

中国

中国(ちゅうごく、中國)は、ユーラシア大陸(アジア大陸)の東部を占める地域、及びそこで成立した国家をさす用語。日本では、1972年の日中国交正常化以降、中華人民共和国の略称としても使用されている。 中国統一問題を参照)。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。

見る 太平洋戦争と中国

中国大陸

中国大陸(ちゅうごくたいりく、Mainland China)は、ユーラシア大陸(アジア大陸)の東に存在する現代国家としての中国の領域に含まれる陸地を指す、中国で使われ始めた用語。類義語として中国内地(ちゅうごくないち)や中国本土(ちゅうごくほんど)が用いられる(詳細は#類語にて記述)。

見る 太平洋戦争と中国大陸

中国国民党

中国国民党(ちゅうごくこくみんとう、繁体字: 中國國民黨、拼音: Zhōngguó Guómíndǎng、Chinese Nationalist Party、Kuomintang、略称: KMT)は、中華民国(台湾)の政党。略称は国民党(こくみんとう)。イメージカラーは藍色で、ニュース報道等では、民主進歩党(以下、民進党)の「緑」に対して「藍」と呼ばれることがある。民進党と共に二大政党制を形成している。2024年1月現在は野党かつ立法院第1党である。

見る 太平洋戦争と中国国民党

中国残留日本人

中国残留日本人(ちゅうごくざんりゅうにほんじん、遗华日侨)は、第二次世界大戦末期のソ連軍侵攻と関東軍撤退により日本へ帰国できず、中国大陸に残留した日本人である。日本の法律などでは、中国在留邦人ともいい、孤児に限定して中国残留孤児という場合もある。

見る 太平洋戦争と中国残留日本人

中立

中立(ちゅうりつ、neutrality)とは、理念が無い状態。対立した際に、そのどちらにも属さない第三者の立場のことである。

見る 太平洋戦争と中立

中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、)、通称中国(ちゅうごく、)は、東アジアに位置する社会主義共和制国家。首都は北京市。

見る 太平洋戦争と中華人民共和国

中華民国

中華民国(ちゅうかみんこく、中華民國、、ウェード式: Chung-hua Min-kuo、Republic of China)は、東アジアに位置する共和制国家。実効支配している領土の大半が台湾島であることと、中華人民共和国が「一つの中国」原則を唱えている政治情勢により、台湾(たいわん、臺灣/台灣、Taiwan)が通称として国際的にしばしば使用されている。現在(1949年以降)の首都は台北市。 アジアで2番目の共和国アジア初の共和国はフィリピン第一共和国であると見なす場合。ただし、当時のフィリピンはスペインの植民地支配からアメリカの植民地支配下への移行期間にあり、アメリカの支配下から脱し切れていなかったため異論がある。

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中華民国国軍

中華民国国軍(ちゅうかみんこくこくぐん、、Republic of China Armed Forces)は、中華民国の軍隊。陸軍、海軍(海軍陸戦隊)、空軍、憲兵で構成されるほか、戦時には海巡署(各国の沿岸警備隊に相当)が国軍に編入される。

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中野正剛

中野 正剛(なかの せいごう、1886年(明治19年)2月12日 - 1943年(昭和18年)10月27日 )は日本のジャーナリスト、政治家。東方会総裁、衆議院議員。号は耕堂。

見る 太平洋戦争と中野正剛

中村粲

中村 粲(なかむら あきら、1934年4月24日 - 2010年6月23日)は、日本の英文学者、近代史研究家、元獨協大学名誉教授。

見る 太平洋戦争と中村粲

主砲

主砲(しゅほう 英:Main gun)とは、戦闘艦艇・戦車で最も強力な大砲のこと。 主砲から発射する砲弾の事を主砲弾と呼ぶ。また、野球において、強打者のことを主砲と呼ぶこともある。

見る 太平洋戦争と主砲

主権

主権(しゅけん、、)とは、国家の構成要素のうち、最高・独立・絶対の権力、または近代的な領域国家における意思決定と秩序維持における最高で最終的な政治的権威を指すChristopher W. Morris, SOVEREIGNTY, University of Pennsylvania Law School,2011.Morris, Christopher W.

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世界大戦

世界大戦(せかいたいせん)もしくは世界戦(せかいせん)(World War)とは、世界的な規模で戦われる戦争であり、一般的には下記の2つを指す。; 第一次世界大戦; 第二次世界大戦。

見る 太平洋戦争と世界大戦

万世一系

万世一系(ばんせいいっけい、)は、永久に一つの系統が続くこと。多くは皇室・皇統(天皇の血筋)についていう『新明解四字熟語辞典』三省堂。。

見る 太平洋戦争と万世一系

三隈 (重巡洋艦)

三隈(みくま)は、最上型重巡洋艦(二等巡洋艦最上型)の2番艦#達昭和7年8月p.7『達第百五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ二等巡洋艦二隻ニ左ノ通命名セラル|昭和七年八月一日 海軍大臣岡田啓介|呉海軍工廠ニ於テ建造 八千五百噸級巡洋艦 最上モガミ|三菱長崎造船所ニ於テ建造 八千五百噸級巡洋艦 三隈ミクマ』。艦名は大分県の日田盆地を流れる三隈川(筑後川の一部)に由来する。1935年(昭和10年)8月に竣工した。大東亜戦争(アメリカの呼称 太平洋戦争)でマレー作戦、蘭印作戦に参加し、1942年(昭和17年)3月1日のバタビヤ沖海戦で米豪の巡洋艦2隻の撃沈に貢献した。同年6月7日、ミッドウェー海戦で米艦載機の攻撃を受け沈没し、大東亜戦争(太平洋戦争)で最初に失われた日本海軍の重巡洋艦となった。

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下関港

下関港(しものせきこう)は、山口県下関市にある国際拠点港湾。北九州港と共に関門港の一部をなす。港湾管理者は下関市なお、山口県内には6つの国際拠点港湾・重要港湾があるが、下関港を除く5港の港湾管理者は山口県である。。 中枢国際港湾11港の一つであり、日本海側拠点港湾の指定に加えて、日本海側拠点港19港のうちの総合的拠点港湾5港の一つにも指定されている。

見る 太平洋戦争と下関港

下関戦争

下関戦争(しものせきせんそう)は、幕末の文久3年(1863年)と元治元年(1864年)に、長州藩とイギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国との間に起きた、前後二回にわたる攘夷思想に基づく武力衝突事件。 敗れた長州藩は幕政下での攘夷が不可能であることを知り、以後はイギリスに接近して軍備の増強に努め、倒幕運動を推し進めることになる。 歴史的には、元治元年の戦闘を馬関戦争(ばかんせんそう)と呼び、文久3年の戦闘はその「原因となった事件」として扱われることが多い。馬関は下関市の古い呼び名。今では文久3年のことを下関事件、元治元年のことを四国艦隊下関砲撃事件と呼んで区別している。また両者を併せた総称として「下関戦争」が使われているが、その影響で「馬関戦争」が総称として使われることもある。ただ、文久3年のことを「下関事件」、元治元年のことを「下関戦争」と呼んで区別している教科書もある。

見る 太平洋戦争と下関戦争

一式陸上攻撃機

一式陸上攻撃機(いっしきりくじょうこうげきき / いちしき - )は大日本帝国海軍の陸上攻撃機である。略称は一式陸攻(いっしき / いちしきりくこう、- りっこう)。日本海軍の呼び名は中型攻撃機の略の、中攻。連合国側のコードネームは「Betty」(ベティー)。(Betty bomberが、一式陸攻の米軍側の名称)三菱重工業株式会社(改称前は三菱内燃機株式会社)の設計・製造。日中戦争・太平洋戦争で日本海軍の主力攻撃機として使用された。

見る 太平洋戦争と一式陸上攻撃機

一式戦闘機

一式戦闘機(いっしきせんとうき、いちしきせんとうき)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ43。愛称は隼(はやぶさ)。呼称・略称は一式戦、一戦、ヨンサンなど。連合軍のコードネームはOscar(オスカー)。開発は中島飛行機、製造は中島および立川飛行機二型の量産時点から立川でも生産されており、さらに三型の全ては立川で移管生産された。陸軍航空工廠では少数の一型が生産されている。。 四式戦闘機「疾風」(キ84)とともに帝国陸軍を代表する戦闘機として、太平洋戦争(大東亜戦争)における事実上の主力機として運用された。総生産機数は5,700機以上で、旧日本軍の戦闘機としては海軍の零式艦上戦闘機に次いで2番目に多く、陸軍機としては第1位総生産機数日本軍第3位、陸軍機第2位は大戦後期の主力機である四式戦。

見る 太平洋戦争と一式戦闘機

一橋大学

一橋大学(ひとつばしだいがく、)は、東京都国立市に本部を置く日本の国立大学。略称は一橋(ひとつばし)。 1875年創設、1920年大学設置。前身は東京商科大学(とうきょうしょうかだいがく、)1962年までは、大学令で法律的に東京商科大学であった。。戦前の旧制時代からの歴史を持つ旧官立大学の一校であり、指定国立大学法人に指定されている。 英QS世界大学ランキングによると、一橋大学は世界で481位に位置している。一橋大学は商学などに特化しており、医学や理工学部がないにもかかわらず、この順位はグローバル観点からから見ても客観的に高い位置にあることを示している。

見る 太平洋戦争と一橋大学

九州

九州(きゅうしゅう)は、日本列島を構成する島の一つで、その南西部に位置する。 北海道・本州・四国とともに主要4島の一つでもあり、この中では3番目に大きい島で 国土地理院 (注:表中の「沖縄島 おきなわじま」は、通称名「沖縄本島」の正式名称)【参考】 日本の島の面積順上位10島 ⇒ 本州、北海道、九州、四国、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対馬。  国立天文台 (編)理科年表 平成19年版 P565、ISBN 4621077635。、世界の島の中では、スピッツベルゲン島(ノルウェー)に次ぐ第37位の大きさである。世界の島の面積順位より抜粋、出典 List of islands by area (島:オーストラリア大陸の面積未満で、四方を水域に囲まれる陸地) ---- ---- ---- ---- 地質学や考古学、交通などの分野では九州島という名称も使用される。

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九七式中戦車

九七式中戦車 チハ(きゅうななしきちゅうせんしゃ チハ)は、1930年代中後期に開発・採用された大日本帝国陸軍の主力中戦車である。 1938年(昭和13年)から1944年(昭和19年)にかけて総計2,123輌が生産され、九五式軽戦車 ハ号とともに第二次世界大戦における日本軍の主力戦車として使用された。

見る 太平洋戦争と九七式中戦車

九龍

旺角にある亞皆老街(Argyle Street)の様子 九龍(きゅうりゅう、ガォロン〈広東語:Gau2lung4〉、カウルーン〈英語:Kowloon〉、チウロン〈標準中国語:Jiǔlóng〉)は、香港領内に位置する市街地の一地域名を指す。1860年に締結された北京条約において、当時の中国の政権であった清国からイギリスに割譲された地域で九龍半島のうち現在の界限街より南側を指す。 ただし、現在の日常の用語としては、新九龍と呼ばれる新興市街地を含む場合もある。1842年、アヘン戦争後に締結された南京条約で清国からイギリスに割譲された香港島に次いでイギリスの植民地となる。 九龍の歴史や気候、市街の概要などに関しては香港または香港の歴史の項を参照。

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幣原外交

幣原外交(しではらがいこう)は、1920年代から1930年代にかけての戦間期に、幣原喜重郎が憲政会(後に立憲民政党)政権の内閣の外務大臣に就任して行なった武力を用いない対中融和外交をいう。 第一次世界大戦後に成立した国際秩序であるヴェルサイユ・ワシントン体制の中で、列国(特にアメリカ・イギリス)との協調と中国への内政不干渉を唱える一方で、日本が獲得した利権自体は正当なものとし、経済的には中国市場拡大、満州の特殊権益の維持を図るものであった。

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平和公園

平和公園(へいわこうえん、)は、長崎県長崎市松山町に位置する公園。「平和記念(祈念)公園」と呼称する 1945年(昭和20年)8月9日に投下された原子爆弾落下中心地(爆心地)と、その北側の丘の上とを含めた地域に平和を祈って設けられ、3つ(5つ)のゾーンから構成されている。入園は自由で、面積は約18.6ヘクタール。

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平凡社

株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が漢字の八のように末広がりになった旧字体「異体字セレクタを用いたUnicodeの符号位置はU+5E73,U+E0101またはU+5E73,U+0103」を用いる(大正末期創業のため)。

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幻冬舎

株式会社幻冬舎(げんとうしゃ)は、日本の出版社。事業は書籍・文庫が主体であるが、月刊誌・季刊誌も発売している。系列子会社発行・幻冬舎発売の出版物も数多い。 かつては、 知育教材やゲームなどを開発し、書店流通で販売する幻冬舎エデュケーションが子会社として存在していたが、本社に吸収合併された。現在は、幻冬舎エデュケーション局となっている。

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亡命政府

亡命政府(ぼうめいせいふ、government in exile)とは、クーデターや他国による占領などでその国の政治から排除された元首または国民などが、外国に脱出してその地で組織する政府組織である。通常は転覆された政権のメンバーが中心となって亡命先で結成し自らの正統性を主張しているものを呼ぶ。いくつかの国家の支持・支援を受けている場合もある。 なお亡命政府を自称し継承を主張するが実態が伴わない(かつての政権のメンバーが参加していないなど)団体も多数存在する。

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京都大学

京都大学(きょうとだいがく、)は、京都府京都市に本部を置く日本の国立大学。略称は京大(きょうだい)。 1897年創立、1897年大学設置。国内の旧帝国大学7校の一つであり、文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校ならびに指定国立大学法人に指定されている。

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人道に対する罪

人道に対する罪(じんどうにたいするつみ、crime against humanity)とは、「国家もしくは集団によって一般の国民に対してなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為」と規定される犯罪概念。ニュルンベルク裁判の基本法である国際軍事裁判所憲章で初めて規定され、1998年の国際刑事裁判所ローマ規程において「人道に対する犯罪」として定義された。現在ではジェノサイド、戦争犯罪とともに「国際法上の犯罪」crimes de droit des gensを構成する。戦時、平時を問わない。

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二式複座戦闘機

二式複座戦闘機(にしきふくざせんとうき)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。計画名称(試作名称、キ番号)はキ45改。愛称は屠龍(とりゅう)。略称・呼称は二式複戦、二式双戦など。連合軍のコードネームはNick(ニック)。開発・製造は川崎航空機。

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二・二八事件

二・二八事件(ににはちじけん, 台湾語白話字: Jī-jī-pat Sū-kiāⁿ)とは、1947年(民国36年)2月28日に台湾省台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、中華民国政府による長期的な白色テロ、すなわち民衆への弾圧・虐殺の引き金となった事件。 1947年2月27日、台北市でタバコを販売していた台湾人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には台湾人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。台湾人は多くの地域で一時実権を掌握したが、中華民国国民政府は中国本土から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。

見る 太平洋戦争と二・二八事件

二・二六事件

内務省庁舎前で歩哨線を張る叛乱軍兵士 叛乱部隊「安藤隊」旗 叛乱軍将兵。左手前は丹生誠忠陸軍歩兵中尉 二・二六事件(ににろくじけん、にいにいろくじけん)とは、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて発生した日本のクーデター事件。 皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官・兵を率いて蜂起し、政府要人を襲撃するとともに永田町や霞ヶ関などの一帯を占拠したが、最終的に青年将校達は下士官兵を原隊に帰還させ、自決した一部を除いて投降したことで収束した。この事件の結果、岡田内閣が総辞職し、後継の広田内閣(廣田内閣)が思想犯保護観察法を成立させた。

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広田弘毅

広田 弘毅(ひろた こうき、、1878年〈明治11年〉2月14日 - 1948年〈昭和23年〉12月23日)は、日本の外交官、政治家。勲等は勲一等。旧名は丈太郎(じょうたろう、)。 外務大臣(第49・50・51・55代)、内閣総理大臣(第32代)、貴族院議員などを歴任した。石屋の倅から立身出世して位を極めたが、戦後の極東軍事裁判で文官としては唯一のA級戦犯として有罪判決を受け死刑となった。

見る 太平洋戦争と広田弘毅

五・一五事件

五・一五事件(ごいちごじけん)は、1932年(昭和7年)5月15日に日本で起きたクーデタ事件。 井上日召の影響を受けた海軍青年将校が陸軍士官学校生徒や愛郷塾生らと協力し、内閣総理大臣官邸・立憲政友会本部・日本銀行・警視庁などを襲撃し、第29代内閣総理大臣の犬養毅を暗殺した。

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五百籏頭眞

五百籏頭 眞(いおきべ まこと、1943年〈昭和18年〉12月16日 - 2024年〈令和6年〉3月6日)は、日本の政治学者、歴史学者(日本政治外交史)。国際問題評論家。位階は従三位、勲章は瑞宝大綬章。 学位は法学博士(京都大学・1987年)。専門は日本政治外交史、政策過程論、日米関係論。 公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長、前兵庫県公立大学法人理事長、神戸大学名誉教授、防衛大学校名誉教授、熊本県立大学特別栄誉教授、文化功労者。 姓の「籏」は「旗」の異体字、名の「眞」は「真」の旧字体であるため、五百籏頭 真、五百旗頭 眞、五百旗頭 真とも表記される。

見る 太平洋戦争と五百籏頭眞

今村均

今村 均(いまむら ひとし、1886年(明治19年)6月28日 - 1968年(昭和43年)10月4日)は、日本の陸軍軍人。陸士19期、陸大27期首席。最終階級は陸軍大将。

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仏印進駐

仏印進駐(ふついんしんちゅう、Invasion japonaise de l'Indochine)とは、第二次世界大戦下におけるフランス領インドシナへの日本軍の進駐のことを指す。1940年の北部仏印進駐(ほくぶふついんしんちゅう)と、1941年の南部仏印進駐(なんぶふついんしんちゅう)に分けられる。1907年に締結された日仏協約が事実上無効化し、さらに南部仏印進駐は日米関係の決定的な決裂をもたらした、太平洋戦争への回帰不能点であると評されている。

見る 太平洋戦争と仏印進駐

延安市

延安市(えんあん-し)は、中華人民共和国陝西省に位置する地級市。1937年から1947年まで中国共産党中央委員会が置かれ、この期間中に毛沢東の党内主導権が確立したことから、共産革命の聖地とされる。

見る 太平洋戦争と延安市

伊十五型潜水艦

伊十五型潜水艦(いじゅうごがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。巡潜乙型(じゅんせんおつがた)とも呼ばれる。

見る 太平洋戦争と伊十五型潜水艦

弁護人

弁護人(べんごにん)は、刑事手続において被疑者または被告人が正当に権利を行使し、また正当な利益を保護するための支援者・代弁者である。

見る 太平洋戦争と弁護人

伍長

伍長(ごちょう)は、軍隊の階級の一つで、軍曹の下、兵卒の上に位置する。また、軍隊以外の役職名でも「伍長」が用いられることがある。

見る 太平洋戦争と伍長

強制連行

強制連行(きょうせいれんこう)とは、日中戦争から太平洋戦争にかけ、国家総動員法に基づき日本政府が行った中国人や朝鮮人に対する労務動員について用いられる用語。1950年代に登場し、朴慶植の著書『朝鮮人強制連行の記録』により広まったとされる。公権力等による勾引の意味で用いられる場合もある。

見る 太平洋戦争と強制連行

引き揚げ

引き揚げ(ひきあげ、)とは、1945年(昭和20年)8月15日に日本が第二次世界大戦で連合国に降伏したことを受け、日本の外地台湾、朝鮮、関東州及び南洋諸島。 や日本軍占領地満洲国(法律上は外国)及びその他日本軍の占領地。 または内地のソ連軍被占領地南樺太及び千島列島。 に生活基盤を有する一般(民間)日本人が日本の本土(内地)への帰還を指す河原(2011年)12ページ軍人や軍属を召集解除または解雇し、軍籍から外すことを「復員」という。軍人軍属が日本本土以外にいる場合は、日本への帰還が完了することで最終手続きとなるため、所定の「復員手続」を済ませて、帰郷旅費を支給するまでの面倒を見ることまでが「復員業務」とされた。本項では、一般日本人の「引き揚げ」に加え、軍人軍属の「復員業務」を併せて扱う。以上は河原後掲書による。

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佐藤卓己

佐藤 卓己(さとう たくみ、1960年10月9日 - )は、日本の社会学者、歴史学者。上智大学文学部新聞学科教授、京都大学名誉教授。専門はメディア論。元「日本ナチ・カルチャー研究会」代表。

見る 太平洋戦争と佐藤卓己

佐藤尚武

200px 佐藤 尚武(さとう なおたけ、1882年(明治15年)10月30日 - 1971年(昭和46年)12月18日)は、日本の外交官、政治家。林内閣外務大臣、第二次世界大戦末期のソ連対日参戦当時の駐ソビエト連邦大使、戦後には参議院議長(第2・3代)等を歴任した。

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佐藤賢了

佐藤 賢了(さとう けんりょう、1895年(明治28年)6月1日 - 1975年(昭和50年)2月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

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侍従

礼服をまとった侍従(大阪歴史博物館) 侍従(じじゅう、英:Chamberlain)とは、しばしば高貴な立場の人物に付き従い、身の回りの世話などをする行為、または従う者そのものを指す。 日本においては、特に天皇に側近奉仕する文官や位を意味するため、この項目ではこれについて解説する。 なお、過去に存在した武官による侍従武官、皇太子に付される東宮侍従と東宮侍従が所属する部署の宮内庁東宮職、現在において侍従が所属する部署の宮内庁侍従職、上皇侍従が所属する部署の宮内庁上皇職、皇嗣職宮務官が所属する部署の宮内庁皇嗣職については、それぞれの項目を参照のこと。 豊臣政権や江戸幕府では大名に授ける官位(武家官位)のひとつであった。

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徐州会戦

徐州会戦(じょしゅうかいせん)または徐州作戦とは、日中戦争(支那事変)中の1938年(昭和13年)4月7日から6月7日まで、江蘇省・山東省・安徽省・河南省の一帯で行われた日本陸軍と中国軍(国民革命軍)による戦いである。 直前に行われた台児荘の戦いで撤退したあと、中国軍主力が徐州近郊にいることを掴んでいた日本軍は、徐州の南北から侵攻し、台児荘の敗北での報復も兼ねて中国軍の殲滅を図った。5月19日に徐州を無血で占領したが、その直前に撤退していた国民党軍主力への包囲撃滅作戦は失敗に終わった。また、作戦後に退却する中国軍が黄河の堤防を破壊し、黄河決壊事件にも発展した。

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御名御璽

大日本帝国憲法原本に記された'''御名御璽'''(ネガ画像) 御署名原本保存箱(国立公文書館) 御名御璽(ぎょめいぎょじ)とは、天皇の名前および御璽のこと。詔書や法令について、原本においては親署および御璽の押印があることを指すために用いる用語。天皇を諱(実名)をもって呼称することは伝統的に不敬とされるため、このように表記される。なお、歴史的には満洲国皇帝についても同様に用いられた。

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御前会議

御前会議(ごぜんかいぎ、)とは、明治期から太平洋戦争終結時まで、国家の緊急な重大問題において天皇臨席のもとに元老、主要閣僚、軍首脳が集まって行われた合同会議。ただし法制上には規定はなかった。

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侵略

とは、直接武力をもって他国の領域に侵入したり、攻撃すること、一国が他国に対する要求を貫徹するために武力行使によって事態を変更せしめること、他国に攻め入って土地や財物を奪い取ること、他国の主権を侵害すること、などを意味する。1974年に国連が「国家による他の国家の主権、領土保全もしくは政治的独立に対する武力の行使」または「国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使」と定義した。しかし、侵略側は自己の行動を否定したり、自衛や勢力均衡のためと正当化したり、被侵略側に責任転嫁することがあるので、侵略行為の認定は困難であり、国際法上の定義は明確ではない。また、国連安全保障理事会は、侵略国と被侵略国(自衛権行使国)を認定できるが、拒否権の発動など国際政治の情勢に左右される。

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化学兵器

化学兵器(かがくへいき、)とは、毒ガスなどの毒性化学物質により、人や動植物に対して被害を与えるため使われる兵器のこと。化学兵器禁止条約では、毒性化学物質の前駆物質や、それを放出する弾薬・装置も含むものとしている。 リシンや細菌毒素など、自然由来の毒物を用いる場合は、化学兵器ではなく生物兵器に分類される。

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北九州港

北九州港(きたきゅうしゅうこう)は、福岡県北九州市にある港湾である。西日本最大規模のフェリーターミナルを擁するなど、神戸港以西における主要な物流拠点として、国際拠点港湾、中枢国際港湾に指定されている。また、福岡県によって防災拠点(防災拠点港)に指定されている。 港湾別海上出入貨物取扱量は日本国内第5位(2021年速報値)、世界第49位(2020年)。コンテナ取扱貨物量は国内第9位(2021年速報値)。 港湾管理者は北九州市港湾空港局である。港則法上は対岸の下関港とともに一つの港湾である「関門港」として特定港に指定されているが、管理は一元化されておらず、港湾法上の港湾区域は各港が別個の港湾として扱われている(#関門港と北九州港を参照)。

見る 太平洋戦争と北九州港

北京市

北京市(ペキンし、、、Municipality of Beijing)は、中華人民共和国の首都。 行政区画上は直轄市であり、中国の華北の中央に位置する。常住人口は2184.3万(2022年末)。中国の政治の中枢であり、上海と並ぶ経済・学術・文化の中心地である。アジア屈指の世界都市。古くは燕京、中都、大都、北平などとも呼ばれた。

見る 太平洋戦争と北京市

北海道

北海道(ほっかいどう)は、日本の北海道地方に位置する道。道庁所在地は札幌市で、47都道府県中唯一の「道」である。 行政区画の「北海道」を構成する最大の島自体も北海道と称されるが、区別するときには北海道本島とも称する。

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ナチス・ドイツ

ナチス・ドイツ(Nazi-Deutschland、NS-Deutschland、Nazi Germany)は、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)政権下の、1933年から1945年までのドイツ国の通称である。 この時期のドイツは、社会のほぼ全ての側面においてナチズムの考え方が強要される全体主義国家と化し、ナチズムに基づいて様々な対外膨張政策を実行した。その一つであった1939年9月1日のポーランド侵攻が英仏からの対独宣戦布告を招き、第二次世界大戦を引き起こすこととなった。一時期は欧州のほぼ全土を支配下に置いたものの次第に戦況は悪化し、1943年の後半には連合国に対して完全な劣勢に立たされるようになった。

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ナチス・ドイツのフランス侵攻

フランスを侵攻するI号戦車とII号戦車 ルノーB1重戦車。多くはドイツ軍を迂回させた マンシュタインの侵攻計画含む4つの軍事プラン ナチス・ドイツのフランス侵攻(ナチス・ドイツのフランスしんこう)は、第二次世界大戦中の1940年5月に発生したドイツ国防軍をはじめとする枢軸国軍と連合国軍とのベネルクス三国・フランス北部での戦闘である。ドイツ軍の電撃戦が最も成功を収めた例と考えられている。 フランスの戦い(Bataille de France)、西方戦役(Westfeldzuge)とも呼ばれる。ドイツ側の作戦名は第1フェイズ(ベネルクス三国、フランス北部侵攻)が黄色作戦(Fall Gelb、ファル・ゲルプ)、第2フェイズ(ソンム川以南への侵攻)が赤色作戦(Fall Rot、ファル・ロート)である。

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ペリリューの戦い

ペリリューの戦い(ペリリューのたたかい、Battle of Peleliu)は、大東亜戦争中の1944年(昭和19年)9月15日から11月27日にかけペリリュー島(現在のパラオ共和国)で行われた、日本軍守備隊とアメリカ軍の陸上戦闘である。アメリカ側の作戦名はステールメイトII作戦(Operation Stalemate II)stalemateは「膠着」の意味。チェス用語ではステイルメイトとも表記される。。 アメリカ軍の当初の計画では島を4日で攻略する予定であったが、最終的に2ヶ月半を要することとなり、アメリカ軍の作戦計画を大きく狂わせることとなった。 要塞化した洞窟陣地などを利用した日本軍の組織的なゲリラ戦法にアメリカ軍を苦しめ、後の硫黄島の戦いへと引き継がれていくことになる。

見る 太平洋戦争とペリリューの戦い

ペリリュー島

ペリリュー島(ペリリューとう、Peleliu Island)は、パラオの島の一つ。パラオ諸島の主要な島のひとつで、パラオの主要諸島の南西部に位置する。ペレリュー島、ペリリユウ島、プレリュー島などとも。 北東にカープ島やロックアイランドをはさんで旧首都コロール島や現首都バベルダオブ島があり、南西にはアンガウル島が存在する。面積はおおよそ13km2、標高は最大で50m。ペリリュー州に属しており、同州の住民の多くがこの島に居住しており、州の中心でもある。島内にはクルルクベド、Ongeuldel、Imelechol、Lademisangの4つの村落があるが、Lademisang以外は北部に集中しており、多くの住民がクルルクベドに居住する。

見る 太平洋戦争とペリリュー島

ペルー

ペルー共和国(ペルーきょうわこく、、)、通称ペルーは、南アメリカ西部に位置する共和制国家。首都はリマ。 北にコロンビア、北西にエクアドル、東にブラジル、南東にボリビア、南にチリと国境を接し、西は太平洋に面する。 紀元前から多くの古代文明が栄えており、16世紀までは当時の世界で最大級の帝国だったインカ帝国(タワンティン・スウユ)の中心地だった。その後スペインに征服された植民地時代にペルー副王領の中心地となり、独立後は大統領制の共和国となっている。

見る 太平洋戦争とペルー

ナパーム弾

クフィルが訓練で投下したナパーム弾が燃える様子 ナパーム弾(ナパームだん、)とは、主燃焼材のナフサにナパーム剤と呼ばれる増粘剤を添加し、ゼリー状にしたものを充填した油脂焼夷弾である。アメリカ合衆国の有機化学者、ルイス・フィーザーが開発したもので、きわめて高温(900-1,300度)で燃焼し、広範囲を焼尽・破壊する。焼夷弾の一種である。ベトナム戦争時の「ナパーム弾の少女」の写真が有名だが、太平洋戦争中の武器としては約10万人が死亡した東京大空襲など日本本土空襲でも使用されたM69焼夷弾等がある。

見る 太平洋戦争とナパーム弾

ミンダナオ島

ミンダナオ島(ミンダナオとう、Mindanao)は、フィリピンでルソン島に次いで2番目に大きい島。

見る 太平洋戦争とミンダナオ島

ミッドウェー島

ミッドウェー島(ミッドウェーとう、Midway Atoll)は、北太平洋の北西ハワイ諸島にあるアメリカ合衆国領の環礁で、ミッドウェー諸島、ミッドウェー環礁とも呼ばれる。合衆国領有小離島の1つ。位置は。アメリカ領太平洋諸島に属し、標準時はUTC-11。

見る 太平洋戦争とミッドウェー島

ミッドウェー海戦

ミッドウェー海戦(みっどうぇーかいせん、Battle of Midway)は、1942年6月5日から6月7日にかけて中部太平洋ミッドウェー島周辺で行われた日本海軍とアメリカ海軍による海戦である。太平洋戦争の転換点と言われ、この戦闘における敗北により日本側は制空権と制海権を失い、以後は戦争の主導権がアメリカ側に移ったことで知られている。 1942年4月、山本五十六司令官率いる連合艦隊が中心となり、アメリカ軍の基地となっていたハワイ諸島北西のミッドウェー島を攻略し、アメリカ艦隊の早期壊滅を目指す作戦が立案される。それに対し、日本側の暗号を解読することにより作戦を察知したアメリカ軍のチェスター・ニミッツ司令官はハワイから空母部隊を出撃させ迎撃を行った。それぞれの主力は日本側が南雲忠一司令官率いる第一航空艦隊の空母4隻(艦載機248機)、アメリカ側はフランク・J・フレッチャーとレイモンド・スプルーアンスの両司令官率いる機動部隊の空母3隻(艦載機233機)とミッドウェー島基地の航空部隊(126機)であった。航空兵力で100機以上の劣勢を強いられた日本の空母部隊は索敵の失敗もあって攻撃準備中にアメリカ軍急降下爆撃機の急襲を受けることとなり、壊滅的な損害を被った。結果として日本側は空母4隻と重巡洋艦1隻を失い、3,000人を超える兵士が戦死し、艦載機も全て喪失した。勝利したアメリカ軍も空母1隻と駆逐艦1隻を撃沈され航空機約150機を失った。ただし、日本の航空機搭乗員は多くが脱出に成功した結果、戦死者は121名にとどまり、200名を超える搭乗員が戦死したアメリカ軍を下回った神立尚紀(2022)..

見る 太平洋戦争とミッドウェー海戦

ミクロネシア

ミクロネシア(Micronesia)は、オセアニアの海洋部の分類の一つ。カロリン諸島など4つの主要な群島から構成される地域。「マイクロネシア」と呼ばれる場合もある。

見る 太平洋戦争とミクロネシア

ミズーリ (戦艦)

ミズーリ(USS Missouri, BB-63)は、アメリカ海軍の超弩級戦艦。アイオワ級の3番艦。艦名はアメリカ合衆国24番目の州に因む。この名を持つ艦としては4隻目。愛称は「Mighty Mo」あるいは「Big Mo」。 当時の副大統領であるハリー・S・トルーマンの出身のミズーリ州に因んでミズーリが選定された。太平洋戦争での日本の降伏文書調印式場として、甲板上が使用された歴史的な戦艦である。第二次世界大戦終結後は朝鮮戦争に参加した。その後は予備役となったが、「600隻艦隊構想」に基づき近代化改修が行われて1986年に現役復帰し、イラン・イラク戦争中の船団護衛任務や湾岸戦争に参加した。1992年に退役した後は、1999年からハワイ州パールハーバーで記念艦として保存されている。しばしば映画にも登場し、『沈黙の戦艦』、『パール・ハーバー』、『バトルシップ』に登場した有名な米国戦艦である。

見る 太平洋戦争とミズーリ (戦艦)

マハトマ・ガンディー

マハトマ・ガンディー(1869年10月2日 - 1948年1月30日)は、インドのグジャラート出身の宗教家、政治指導者。本名はモーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー(グジャラーティー文字表記:મોહનદાસ કરમચંદ ગાંધી、デーヴァナーガリー文字表記: मोहनदास करमचन्द गांधी、ラテン文字表記:Mohandas Karamchand Gandhi)。 インド独立の父として知られる。「マハートマー(महात्मा)」とは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖「タゴール」から贈られたとされるガンディーの尊称である(自治連盟の創設者・神智学協会会長のアニー・ベサントが最初に言い出したとの説もある)。また、インドでは親しみをこめて「バープー」(बापू:「父親」の意味)とも呼ばれている。

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マハティール・ビン・モハマド

マハティール・ビン・モハマド(、1925年7月10日 - )は、マレーシアの政治家、医師。同国首相(第4代:1981年 - 2003年、第7代:2018年 - 2020年)、暫定首相(2020年2月24日 - 3月1日)などを歴任した。 1953年マラヤ大学シンガポール校(現・シンガポール国立大学)医学部を卒業後に医務官となるが、のちに開業医となる。1964年下院議員に初当選。1969年トゥンク・アブドゥル・ラーマン首相と対立し統一マレー国民組織(UMNO)を追放されるが、1972年UMNOに復帰。1974年教育相、1976年副首相兼貿易相、1981年UMNO総裁、同年7月マレーシア第4代首相に就任。1986年より内相、1987年より法相兼務。

見る 太平洋戦争とマハティール・ビン・モハマド

ノモンハン事件

ノモンハン事件(ノモンハンじけん)は、1939年5月から同年9月にかけて、満洲国とモンゴル人民共和国の間の国境線を巡って発生した紛争。第一次(1939年5月 - 6月)と第二次(同年7月 - 9月)の二期に分かれる。 1930年代に、満洲国、後に日本(大日本帝国)と、満洲国と国境を接するモンゴルを衛星国にしていたソビエト連邦の間で断続的に発生した日ソ国境紛争(満蒙国境紛争)の一つが、両国の後ろ盾の大日本帝国陸軍とソビエト赤軍との間で最大規模の軍事衝突となった。 諸外国では、「ハルハ河戦役」などと呼ぶことが多い。

見る 太平洋戦争とノモンハン事件

マラリア

マラリア(麻剌利亜、麻拉利亜、Malaria、malaria、語源は「悪い空気」を意味する古いイタリア語: mala aria)は、熱帯から亜熱帯に広く分布するマラリア原虫による感染症である。雌のハマダラカが媒介するマラリア原虫が病原体であり、原虫の違いにより5種類に大別される(熱帯熱マラリア、三日熱マラリア、四日熱マラリア、卵形マラリア、サルマラリア)厚生労働省検疫所 FORTH(2021年4月27日閲覧)。 蚊に刺されてマラリア原虫が体内に入ると、潜伏期間(1週間~4週間程度)を経て、発熱や悪寒(寒気)、頭痛、関節や筋肉の痛み、関節痛、筋肉痛、嘔吐、下痢といった症状が現れ、脳や内臓に合併症を引き起こすこともある。防蚊対策のほか、予防薬や治療薬もあるが、熱帯熱マラリアでは発症から24時間以内に適切な治療を施さないと重症化して、死亡することもある。悪性の場合は脳マラリアによる意識障害や腎不全なども起きる。

見る 太平洋戦争とマラリア

マラッカ王国

マラッカ王国(マラッカおうこく、、)は、15世紀から16世紀初頭にかけてマレー半島南岸に栄えたマレー系イスラム港市国家(1402年 - 1511年)。漢籍史料では満剌加と表記される。16世紀初頭にマラッカに滞在し、『』を著したポルトガル人によれば、「マラッカ」の語源は「隠れた逃亡者」に由来するとされている。マレー半島という交易において重要な位置に立地していたことが国家の形成に多大な影響を与え、香料貿易の中継港としてインド、中東からイスラム商船が多数来航し、東南アジアにおけるイスラム布教の拠点ともなった。 当初から中国・明王朝の忠実な朝貢国であり、同時期に交易国家として繁栄した琉球王国とも通好があった。

見る 太平洋戦争とマラッカ王国

マリアナ諸島

マリアナ諸島の島々(地図タイトルは北マリアナ諸島だが諸島全体が描かれている) マリアナ諸島の位置 マリアナ諸島(マリアナしょとう、Islas Marianas, Mariana Islands)は、ミクロネシア北西部の列島。伊豆・小笠原・マリアナ島弧の一部を成す。東の北西太平洋と西のフィリピン海の境界に位置し、北には小笠原諸島、南にはカロリン諸島、東にはマリアナ海溝がある。南北約800キロメートルに連なる約15の島から構成され、北緯13度から21度、東経144度から146度の間に弧状に広がっている。 南端のグアム島を除く島々を北マリアナ諸島、サイパン島より北の島々を北部諸島(Northern Mariana Islands)と呼ぶ。

見る 太平洋戦争とマリアナ諸島

マリアナ沖海戦

マリアナ沖海戦(マリアナおきかいせん、Battle of the Philippine Sea)は、太平洋戦争末期の海戦。1944年(昭和19年)6月19日から6月20日にかけて西太平洋のマリアナ諸島沖で勃発した大日本帝国(日本)とアメリカ合衆国(アメリカ)の海軍空母機動部隊同士の戦いである。この戦いで、アメリカ軍が勝利し日本軍の連合艦隊は壊滅的に敗北した。アメリカ軍は、この地域の制海権や制空権を確保する事となった。 戦場となったのは、前述したように西太平洋のマリアナ諸島西方沖であり、小沢治三郎中将指揮下の大日本帝国海軍の第一機動艦隊とレイモンド・スプルーアンス大将指揮下のアメリカ海軍の第五艦隊が衝突した。同じく日米戦闘のサイパンの戦いと同時期に勃発し、日本軍は当時保持していたサイパン島をアメリカ軍から防衛するため海上阻止にかかった。そしてそれを攻撃したアメリカ軍との間にこの戦いが勃発したのである。しかし、結果的にアメリカ軍が勝利し日本軍の連合艦隊は壊滅的敗北を喫した。アメリカ軍はこの戦いで同地域の制海権や制空権を確保したことからサイパン島を占領した。その後、同国軍は日本本土空襲を激化させた。

見る 太平洋戦争とマリアナ沖海戦

ノルマンディー上陸作戦

ノルマンディー上陸作戦(ノルマンディーじょうりくさくせん、Normandy landings)は、第二次世界大戦中の1944年6月6日に連合国軍によって行われた、ナチス・ドイツ占領下のフランス北部への上陸作戦。英語ではこのほか、Normandy Invasion、the Normandy Campaignとも表記される。 連合国軍の正式作戦名はネプチューン作戦(Operation Neptune)、上陸からフランスの首都パリの解放までの作戦全体はオーヴァーロード作戦(Operation Overlord)と呼称している。 イギリスを進発したイギリス軍、アメリカ軍を主力とする連合国軍の兵員が、作戦初日だけで約15万人、オーヴァーロード作戦全体で200万人が英仏海峡を渡ってノルマンディー海岸とコタンタン半島東岸に上陸した。現在に至るまで歴史上最大規模の上陸作戦である。

見る 太平洋戦争とノルマンディー上陸作戦

ノルウェー

ノルウェー王国(ノルウェーおうこく、Kongeriket Norge/Noreg)、通称ノルウェーは、北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島西岸に位置する立憲君主制国家である。首都は半島南端部に存在するオスロ・フィヨルドの奥に形成された港湾都市のオスロ。東にスウェーデン、ロシア、フィンランドと国境を接している。欧州連合(EU)には非加盟である。 地理としては国土は南北に細長く、海岸線は北大西洋の複数の海域、すなわちスカゲラック海峡、北海、ノルウェー海およびバレンツ海に面している。海岸線には、多くのフィヨルドが発達する。このほか、ノルウェー本土から約1,000キロ離れた北大西洋上のヤンマイエン島は固有の領土の一部として領有され、スヴァールバル条約によりバレンツ海のスヴァールバル諸島を領有している。

見る 太平洋戦争とノルウェー

マルタ島

マルタ島(マルタとう、英語/マルタ語:Malta)は、地中海の中央にある、マルタ共和国領の島。同国内で最も大きな島である。

見る 太平洋戦争とマルタ島

マレー人

マレー人(マレーじん)とは、本来はマレー半島、スマトラ島東海岸、ボルネオ島沿岸部などに住んでマレー語を話し、マレー人と自称する人々(民族)のことを指し、マレー語ではムラユ Melayu と呼ぶ。漢字では馬来人と表記した。移住により南アフリカの人種構成にも影響を与えた。 広義にはマレーシア、シンガポール、ブルネイ、インドネシア、フィリピン、タイ南部、カンボジアの一部など東南アジア島嶼部(マレー諸島)の国々に住む人々の総称であるが、これは人種的な意味(南方系古モンゴロイドのインドシナ人種とオーストラロイドの混血であるインドネシア・マレー人種)で用いることが多い。

見る 太平洋戦争とマレー人

マレー沖海戦

マレー沖海戦(マレーおきかいせん)は、第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)中の1941年(昭和16年)12月10日にマレー半島東方沖で日本海軍の陸上攻撃機とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘である。日本海軍航空隊がイギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈した。航行中の戦艦を航空機だけで撃沈した世界初の事例である戦史叢書24 比島・マレー方面海軍進攻作戦 425頁。

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マンハッタン計画

マンハッタン計画(マンハッタンけいかく、Manhattan Project)は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツなどの一部枢軸国の原子爆弾開発に焦ったアメリカ、イギリス、カナダが原子爆弾開発・製造のために、科学者、技術者を総動員した計画である。計画は成功し、原子爆弾が製造され、1945年7月16日世界で初めて原爆実験を実施した。さらに、広島に同年8月6日・長崎に8月9日に投下、合計数十万人が犠牲になり、戦後の核兵器開発・核実験競争の冷戦構造を生み出すきっかけともなった。 科学部門のリーダーはロバート・オッペンハイマーがあたった。大規模な計画を効率的に運営するために管理工学が使用された。 なお、計画の名は、当初の本部がニューヨーク・マンハッタンに置かれていたため、一般に軍が工区名をつける際のやり方に倣って「マンハッタン・プロジェクト」とした。最初は「代用物質開発研究所 (Laboratory for the Development of Substitute Materials)」と命名されたが、これを知った(後にプロジェクトを牽引することになる)レズリー・グローヴスが、その名称は好奇心を掻き立てるだけであるとして新たに提案したのが採用されたものである。

見る 太平洋戦争とマンハッタン計画

マーシャル諸島

マーシャル諸島共和国(マーシャルしょとうきょうわこく)、通称マーシャル諸島は、太平洋上に浮かぶ島国で、ミニ国家の一つ。島々を構成する多くが環礁で「真珠の首飾り」とも呼ばれるマーシャル諸島全域を領土とする。ミクロネシア連邦の東、キリバスの北に位置する。

見る 太平洋戦争とマーシャル諸島

マニュエル・ケソン

マニュエル・ルイス・ケソン・イ・モリーナ(Manuel Luis Quezon y Molina, 1878年8月19日 - 1944年8月1日)は、フィリピンのコモンウェルス(独立準備政府)初代大統領。 20ペソ紙幣に肖像が使用されている。

見る 太平洋戦争とマニュエル・ケソン

マニラ

マニラ市(マニラし、Lungsod ng Maynilà、City of Manila)、通称マニラ(Maynilà 、Manila 、漢字表記: 馬尼剌)は、フィリピン共和国の首都。マニラ首都圏に属する市。ルソン島中西部にあり、マニラ湾東岸に位置している。 「東洋の真珠」などの美称があり、フィリピンがスペイン人によって植民地化された16世紀末よりフィリピンの首府であり、独立後も一貫して首都でありつづけている。市域人口は178万人(2015年)であり、人口1,155万人を抱えるマニラ首都圏の中核都市である。さらに近郊を含む都市圏人口は2016年時点で2,293万人であり、世界有数の大都市圏を形成している。マニラ首都圏全体で首都機能を果たしているため、首都圏自体を首都とみなすこともある。

見る 太平洋戦争とマニラ

マニラ大虐殺

マニラ大虐殺(マニラだいぎゃくさつ)は、マニラの戦い (1945年)において発生したとされる虐殺事件。日本軍による虐殺と、アメリカ軍の砲撃による犠牲者が多数発生し、最終的なマニラでの一般市民の犠牲者は10万人を超えるとされている。戦後マニラ軍事裁判において山下奉文が、極東国際軍事裁判において武藤章が責任を問われ有罪となった。

見る 太平洋戦争とマニラ大虐殺

マニラ湾

マニラ湾 マニラ湾(マニラわん、Manila Bay)は、フィリピンのルソン島中部・首都マニラの西に広がる湾である。

見る 太平洋戦争とマニラ湾

マダガスカル

マダガスカル共和国(マダガスカルきょうわこく)、通称マダガスカルは、アフリカ大陸の南東海岸部から沖へ約400キロメートル離れた西インド洋にあるマダガスカル島および周辺の島々からなる島国。首都はアンタナナリボである。

見る 太平洋戦争とマダガスカル

マダガスカルの戦い

マダガスカルの戦い(まだがすかるのたたかい、Battle of Madagascar、Bataille de Madagascar)は、1942年5月5日から同年11月6日にかけて勃発した戦いであり、第二次世界大戦の戦いの一つである。内容としては当時フランスの植民地であったマダガスカル島(フランス領マダガスカル)にイギリス軍が侵攻し、同地のフランス軍を撃破してこれを奪い取った戦いである。なお当時のフランスは以前ナチス・ドイツとの戦いで敗戦し降伏しており、親独政権であるヴィシー政権が成立していた(ヴィシーフランス)が、その一方で連合国の一員としてドイツとの戦争を継続する自由フランスも結成されていたためフランスは一つの国に二つの体制が存在する分断国家となっていた。そして当時のフランスは世界各地に植民地を保有していたが、それらの植民地でもヴィシーフランス側と自由フランス側に分かれて対立・交戦していた。そしてマダガスカルはヴィシーフランス側に味方したためイギリスなどと対立し、また枢軸国側の大日本帝国はヴィシーフランスを支援するため海軍部隊をマダガスカル方面に向かわせており、イギリス側としては日本軍が同島に上陸する前にこれを占領する事を目的として攻撃を計画した。

見る 太平洋戦争とマダガスカルの戦い

マイケル・シャラー

マイケル・シャラー(Michael Schaller, 1947年 - )は、アメリカ合衆国の歴史学者。専門は、アメリカ外交史。 ミシガン大学で博士号取得。現在、アリゾナ大学歴史学部教授。

見る 太平洋戦争とマイケル・シャラー

マカオ

マカオ(Macau)あるいは澳門(おうもん、オーメン、広東語イェール式: Oumún、普通話: Àomén)は、中華人民共和国の特別行政区の一つ。正式名称は中華人民共和国マカオ特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくマカオとくべつぎょうせいく)。 中国大陸南岸の珠江河口(珠江デルタ)に位置する旧ポルトガル海外領土で、現在はカジノとモータースポーツや世界遺産を中心とした世界的観光地としても知られる。

見る 太平洋戦争とマカオ

マスター

マスター(master, muster)。

見る 太平洋戦争とマスター

マスタードガス

マスタードガス(Mustard gas)は、化学兵器のひとつでびらん剤である2,2'-硫化ジクロロジエチル(2,2'-Dichloro Diethyl Sulfide)という化合物を主成分とする。びらん剤(皮膚をただれさせる薬品)に分類される。硫黄を含むことから、サルファマスタード(Sulfur mustard gas)とも呼ばれる。毒ガス史上1番多くの命を奪ったことから化学兵器の王様とも呼ばれている。

見る 太平洋戦争とマスタードガス

チャールズ・スウィーニー

チャールズ・W・スウィーニー(Charles W. Sweeney, 1919年12月27日 - 2004年7月15日)は、アメリカ合衆国空軍の軍人。最終階級は少将。 1945年8月9日、長崎市にプルトニウム型原子爆弾ファットマンを投下したB-29ボックスカーの機長である。

見る 太平洋戦争とチャールズ・スウィーニー

チューク諸島

チューク諸島(チュークしょとう、Chuuk Lagoon)は、西太平洋、カロリン諸島内に位置する島々。周囲200キロメートルに及ぶ世界最大級の堡礁・チューク環礁(チュークかんしょう、Chuuk Atoll)と、その中に位置する複数の火山島群からなり、248もの島々が存在する。かつてはトラック諸島(Truk Islands、都洛)またはトラック島と呼ばれていた。 現在はミクロネシア連邦のチューク州に属し、州都・ウェノなど州の主な機能が集まっている。

見る 太平洋戦争とチューク諸島

チラシ

ビラ配り 空からばら撒かれる様子 ドアに貼られたチラシ チラシ(散らし、)は、大衆伝達(主に広告)の媒体として用いられる、一枚刷りの印刷物のこと。かつては引き札という名称が使われていた。

見る 太平洋戦争とチラシ

チリ

チリ共和国(チリきょうわこく、República de Chile)、通称チリは、南アメリカ大陸南西部に位置する共和制国家。国土はアンデス山脈西側で南北に細長く、東にアルゼンチン、北東にボリビア、北にペルーと隣接する。西は南太平洋、南はフエゴ島を挟んでドレーク海峡に面している。首都はサンティアゴ。アルゼンチンとともに南アメリカ最南端に位置し、国土の大部分がコーノ・スールの域内に収まる。太平洋上に浮かぶフアン・フェルナンデス諸島や、サン・フェリクス島、サン・アンブロシオ島およびポリネシアのサラ・イ・ゴメス島、パスクア島(イースター島)などの離島も領有しており、さらにアルゼンチンやイギリスなどと同様に「チリ領南極」として125万平方キロメートルにも及ぶ南極の領有権を主張している(「南極における領有権主張の一覧」参照)。

見る 太平洋戦争とチリ

チェスター・ニミッツ

チェスター・ウィリアム・ニミッツ・シニア(Chester William Nimitz, Sr.、1885年2月24日 - 1966年2月20日)は、アメリカ合衆国の海軍軍人。最終階級は海軍元帥。第二次世界大戦中のアメリカ太平洋艦隊司令長官兼太平洋戦域最高司令官()として日本軍と戦った。

見る 太平洋戦争とチェスター・ニミッツ

ハヤカワ文庫

とは、株式会社早川書房が発行している文庫レーベル。1970年(昭和45年)以来、SFや推理小説を中心に収録してきており、日本国外の翻訳作品が多い。ハヤカワ文庫SF、ハヤカワ・ミステリ文庫など、いくつかのサブレーベルに分かれている。

見る 太平洋戦争とハヤカワ文庫

ハリー・S・トルーマン

ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman、1884年5月8日 - 1972年12月26日)は、アメリカ合衆国の政治家。同国第33代大統領(在任:1945年4月12日 - 1953年1月20日)。ミズーリ州選出連邦上院議員、副大統領を歴任し、大統領に昇格した。第二次世界大戦終結当時の大統領である。

見る 太平洋戦争とハリー・S・トルーマン

ハワイ州

ハワイ州(ハワイしゅう、State of Hawaii 、Hawaiʻi)は、太平洋に位置するハワイ諸島にあるアメリカ合衆国の州。州都はオアフ島のホノルル市である。アメリカ合衆国50州の中で最後に加盟した州である。日本人や日系人の間では、「布哇」の表記が当てられる場合もある。海域として定められたポリネシアの北端でもある。 ハワイ島、マウイ島、オアフ島、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島、ニイハウ島、カホオラウェ島の8つの島と100以上の小島からなるハワイ諸島のうち、ミッドウェー環礁を除いたすべての島が、ハワイ州に属している。北西ハワイ諸島の北西端からハワイ諸島の南東端のハワイ島まで、全長1,500マイル(2,400キロ)にわたっている。州全体が島だけで構成されているアメリカ合衆国で唯一の州である。

見る 太平洋戦争とハワイ州

ハーバート・ジョージ・ウェルズ

ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells, 1866年9月21日 - 1946年8月13日)は、イギリスの著作家。小説家としてはジュール・ヴェルヌとともに「SFの巨人」と呼ばれる。社会活動家や歴史家としても多くの業績を遺した。H・G・ウエルズの表記もある。

見る 太平洋戦争とハーバート・ジョージ・ウェルズ

ハイチ

ハイチ(Ayiti; Haïti; Haiti )公式には ハイチ共和国(ハイチきょうわこく、Repiblik d Ayiti、République d'Haïti、Republic of Haiti)は、カリブ海地域にある共和制国家。首都はポルトープランス。2024年現在、ギャングによる支配が拡大しており政府の統治は麻痺状態である。

見る 太平洋戦争とハイチ

バルバロッサ作戦

バルバロッサ作戦(バルバロッサさくせん、Unternehmen Barbarossa 、Operation Barbarossa)は、第二次世界大戦中の1941年6月22日に開始された、ナチス・ドイツとその同盟国の一部によるソビエト連邦への侵攻作戦のコードネームである。作戦名は、12世紀の神聖ローマ皇帝でドイツ国王でもあったフリードリヒ・バルバロッサ(赤髭王)にちなんで付けられた。 この作戦は、ソ連西部を征服してドイツ人を再増加させるというナチス・ドイツの思想的目標(国家戦略)を実行に移すものであった。ドイツ軍の東部総合計画(Generalplan Ost)は、征服した人々の一部を枢軸国の戦力として強制労働させ、コーカサスの石油資源とソ連領の様々な農業資源を獲得することを目指した。彼らの最終的な目標は、最終的にスラブ民族の絶滅、奴隷化、ゲルマン化、シベリアへの大量追放を含み、ドイツのためのより多くのレーベンスラウム(生存圏)を作り出すことであった。

見る 太平洋戦争とバルバロッサ作戦

バルジの戦い

バルジの戦い(バルジのたたかい、Battle of the Bulge(バトル・オブ・ザ・バルジ)、その他の呼称は「名称」節を参照)は、第二次世界大戦の西部戦線において、1944年12月から1945年1月の間アルデンヌ高地で行われた、ナチス・ドイツのドイツ国防軍および武装親衛隊(以下「ドイツ軍」)とアメリカ軍を主体とする連合軍との戦闘。ドイツ軍は一時的に反撃を成功させたものの敗れ、態勢を立て直した連合軍はドイツ本土への進撃を再開した。

見る 太平洋戦争とバルジの戦い

バレル

バレル またはバーレルとは、ヤード・ポンド法における体積を表す単位である。語源は「樽」であり、樽の容積に由来するものである。国際的に、原油や各種の石油製品の計量、売買は主にバレルで行われる。その他にも、用途により、また国家により、多数の「バレル」の定義がある。略称はbbl。 日本の計量法では、バレルは非法定計量単位であり、取引・証明に用いることは、如何なる場合でも禁止されている。用いることのできる体積のヤード・ポンド法の単位は、立方ヤード、立方インチ、立方フィート、米液用オンス、英液用オンス、ガロンのみである。

見る 太平洋戦争とバレル

バンザイクリフ

バンザイクリフ周辺の慰霊碑、供養塔 バンザイクリフ(Banzai Cliff)とは、北マリアナ諸島サイパン島最北端の岬である。正式名称は、プンタンサバネタ(プンタン平原)。

見る 太平洋戦争とバンザイクリフ

バー・モウ

バー・モウ (ဘမော်,; ラテン文字転写:Ba Maw、1893年2月8日 - 1977年5月29日)は、ビルマの独立運動家、政治家。名はバー・モー、バーモウ、バモウ、バモーとも表記される。

見る 太平洋戦争とバー・モウ

バオ・ダイ

バオ・ダイ(、1913年10月22日 - 1997年7月30日)は、阮朝大南国の第13代にして最後の皇帝(在位:1926年1月8日 - 1945年3月11日)、ベトナム帝国皇帝(在位:1945年3月11日 - 1945年8月30日)、ベトナム民主共和国最高顧問(1945年9月 - 1946年3月16日)、後にベトナム国国長(在任:1949年6月14日 - 1955年4月30日)。姓・諱は阮福永瑞(げん ふくえいずい、グエン・フク・ヴィン・トゥイ、)、在位期間に阮福晪(げん ふくてん、グエン・フク・ティエン、、晪は日偏に典)と改めた。バオ・ダイの名は治世の年号である保大(1926年 - 1945年)に由来し、保大帝(ほだいてい、ホアン・デ・バオ・ダイ、)とも称される。

見る 太平洋戦争とバオ・ダイ

バターン半島

バターン半島(バターンはんとう、Lalawigan ng Bataan、Bataan Peninsula)は、フィリピンのルソン島中西部にある半島。南へ延びた半島であり、西の南シナ海から東のマニラ湾を区切る形となる。首都マニラからはマニラ湾を挟んだ対岸にあたる。半島の北西にはスービック湾がある。 この半島全体がバターン州という1つの行政区になっている。面積は1,373km2、人口は557,669人(2000年)、州都は東岸のバランガ(Balanga)である。南にコレヒドール島があり、島の北側がノース海峡、南側がサウス海峡となっている。

見る 太平洋戦争とバターン半島

バタビア沖海戦

バタビア沖海戦(バタビアおきかいせん)は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)2月28日深夜から3月1日未明にかけて、日本軍と連合軍との間で行われた海戦のこと戦史叢書26巻、526頁「西部ジャワ方面部隊、敵を一掃」。 日本海軍艦隊とABDA連合艦隊の夜間砲雷撃戦。 連合軍側の呼称はスンダ海峡海戦日本水雷戦史、113-114頁「味方の魚雷が命中」(Battle of the Sunda Strait)。

見る 太平洋戦争とバタビア沖海戦

ポルトガル

ポルトガル共和国(ポルトガルきょうわこく、República Portuguesa)、通称ポルトガルは、南ヨーロッパのイベリア半島に位置する共和制国家。首都はリスボン。ユーラシア大陸最西端の国である。北と東にスペインと国境を接し、国境線の総延長は1,214kmに及ぶ。西と南は大西洋に面している。ヨーロッパ大陸部以外にも、大西洋上にアゾレス諸島とマデイラ諸島を領有している。

見る 太平洋戦争とポルトガル

ポール・ティベッツ

ポール・ウォーフィールド・ティベッツ・ジュニア(Paul Warfield Tibbets, Jr., 1915年2月23日 - 2007年11月1日)は、アメリカ合衆国の軍人。最終階級は空軍准将。1945年8月6日、広島市に原子爆弾「リトルボーイ」を投下したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長として有名である。

見る 太平洋戦争とポール・ティベッツ

ポートモレスビー

ポートモレスビー英語での発音は「」であり、日本語におけるカタカナ表記は「ポート・モーズビー」もしくは「ポート・モーズビィ」が適切であると考えられるが、日本では慣用として「モレスビー」と表記/発音される。 なお、名称の元になったイギリス人名、及び命名したイギリス海軍将校の名については「モーズビー」と表記/発音されることが通例である(、トク・ピシン: Pot Mosbi)は、パプアニューギニアの首都。同国の最大都市。 2011年の人口は36万4145人。 パプア湾に位置する港湾都市で、天然ガス、ゴム、金、コプラが主要な輸出品である。海岸部には堡礁が発達している。オセアニア有数の大都市。

見る 太平洋戦争とポートモレスビー

ポツダム

サンスーシ宮殿 オランジェリー宮殿 ポツダム()は、ドイツ連邦共和国ブランデンブルク州の郡独立市で、州都である。人口は約万人。 東ドイツ時代には、ポツダムを県都とするポツダム県が置かれていた。

見る 太平洋戦争とポツダム

ポツダム宣言

1945年8月14日、ホワイトハウスにて日本のポツダム宣言受諾を発表するハリー・S・トルーマン米国大統領ポツダム宣言(ポツダムせんげん、Potsdam Declaration)は、1945年(昭和20年)7月26日にイギリス、 アメリカ合衆国、中華民国の政府首脳の連名において日本に対して発された全13か条で構成される宣言。正式名称は、日本への降伏要求の最終宣言(にほんへのこうふくようきゅうのさいしゅうせんげん、Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)。宣言を発した各国の名をとって「米英支三国宣言(べいえいしさんごくせんげん)」ともいう大東亜戦争終結ノ詔書(玉音放送の原文)では「米英中蘇」となっている。複数国による宣言や協定や条約の場合、その宣言や協定や条約に参加したからといって宣言中で定められる権利等の全てが宣言、協定、条約国全てに等しく与えられるとは限らない。権利や義務は宣言中で具体的に明示された事項について具体的に明示された参加者にのみ与えられたり負わされる。宣言参加者には宣言内で定められる事項について遵守義務が発生する。

見る 太平洋戦争とポツダム宣言

ポツダム会談

ポツダム会談の様子。1945年7月 ポツダム会談(ポツダムかいだん)は、第二次世界大戦中の1945年7月17日から8月2日、ソ連占領地域となったポツダムに、イギリス、アメリカ合衆国、ソビエト連邦の3カ国の首脳が集まって行われた、第二次世界大戦の戦後処理を決定するための会談。 第二次世界大戦の連合国「三大国」の首脳会談が行われたのはこれで3度目であり、最後となった。主に討議されたのはドイツをはじめとしたヨーロッパおよび中東の戦後処理であり、会議の最後にはポツダム協定が策定された。 また7月26日には日本政府に対して日本軍の無条件降伏などを求めるポツダム宣言が表明されたことで知られているが、会議の公式日程において対日問題は協議されなかった。

見る 太平洋戦争とポツダム会談

ムアンパッターニー郡

ムアンパッターニー郡(ムアンパッターニーぐん)はタイ・南部にある郡(アンプー)。マレー語的表記がパタニであるため状況によって使い分ける必要がある。パッターニー県の県庁所在地(ムアン)でもある。

見る 太平洋戦争とムアンパッターニー郡

ムスリム

カアバとタワーフをするムスリム ムスリム(مسلم、Muslim)とは、「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラーム教を信仰する人びとを指す。

見る 太平洋戦争とムスリム

モンゴル人民共和国

モンゴル人民共和国(モンゴルじんみんきょうわこく、蒙古人民共和国、Бүгд Найрамдах Монгол Ард Улс、)は、モンゴルが1924年から1992年まで使用した国号である。略称は(БНМАУ)である。

見る 太平洋戦争とモンゴル人民共和国

モスクワ

モスクワ( )は、ロシア連邦の首都。連邦市として市単独で連邦を構成する83の連邦構成主体のひとつとなっており、周囲を占めるモスクワ州の州都でもある。ただし州とは区別され「モスクワ市()」となる。 人口約1,268万人の世界都市である。漢字による当て字は莫斯科。

見る 太平洋戦争とモスクワ

ヤルタ

ヤルタ(Ялта、Ялта / Yalta、Ялта、ラテン文字転写の例: Yalta)はクリミアの都市。クリミア半島南端に位置し黒海に臨む。「ヤルタ」の語源は、「岸辺」を意味する語。古代ギリシア人たちによって開かれた町であり、上陸に際して安全な岸(γιαλος / yalos )を求めたギリシャの船乗りによって築かれたといわれている。南に黒海と接し、森林に取り囲まれている。温暖な地中海性気候であり、現在は、黒海沿岸では屈指の保養地として知られている。1945年にヤルタ会談が行われた場所としても有名である。 「大ヤルタ」の語は、ヤルタを含むクリミア半島南部のからにいたる海岸を指し示している。

見る 太平洋戦争とヤルタ

ヤルタ会談

スターリン書記長 ヤルタ会談(ヤルタかいだん、Yalta Conference)は、1945年2月4日から2月11日にかけて、ソビエト連邦のクリミア自治ソビエト社会主義共和国のヤルタ近郊にあるリヴァディア宮殿で開催された、イギリス・ソビエト連邦・アメリカ合衆国による連合国首脳会談である。 第二次世界大戦が終盤に入る中、ソ連対日参戦と国際連合の設立について協議された他、ドイツおよび中部・東部ヨーロッパにおける米ソの利害を調整することで、世界大戦後の「ヤルタ体制」と呼ばれる国際レジームを規定した。超大国主導の勢力圏確定の発想が色濃く、東西冷戦の端緒となった。「クリミア会議」とも呼ばれる。

見る 太平洋戦争とヤルタ会談

ユーラシア

ユーラシア(Eurasia)は、アジア州とヨーロッパ州を一続きの大陸(ユーラシア大陸、欧亜大陸)と考えたときの呼称久保田武「日本大百科全書(ニッポニカ)」小学館。Europe(Europa) と Asia を合成したかばん語で造語である。 ユーラシアは本来、大地形区分名であり、地形学的には太平洋の列島群を除いた大陸地域を指す。他方、地質学的構造や生物相からは、大西洋側のイギリス諸島、太平洋側のフィリピン諸島、インドネシア諸島など周辺の縁海部も含まれる。 地球上最大の陸域である世界大百科事典 第2版、平凡社。アフリカ大陸ともスエズ地峡で地続きとなっている。

見る 太平洋戦争とユーラシア

ヨークタウン (CV-5)

ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) はアメリカ海軍の航空母艦。ヨークタウン級航空母艦のネームシップ。艦名はアメリカ独立戦争のヨークタウンの戦いに因み、その名を持つ艦としては三隻目。1942年、ミッドウェー海戦で沈没した。 愛称は「オールド・ヨーキィ」。また、101日間正規の補給無しで外洋で活動を続けたことから「ワルチング・マチルダ(ワルツを踊るマチルダ)」と呼ばれた。

見る 太平洋戦争とヨークタウン (CV-5)

ラバウル

位置 ラバウル(、ラボール)は、パプアニューギニアの島嶼地方東ニューブリテン州の町。人口は4785人(2011年)。ニューブリテン島の東側に位置し、良港シンプソン湾を臨む。東ニューブリテン州の州都であったが、火山の噴火でココポに遷都した。 ラバウルはコプラやコーヒー、ココアの産地として有名。なお、周囲は火山地帯として知られ、シンプソン湾自体もカルデラである。ドイツ領ニューギニア時代の名称はシンプソンハーフェン。

見る 太平洋戦争とラバウル

ラバウル空襲

ラバウル空襲(ラバウルくうしゅう)は、第二次世界大戦中にラバウルで日本軍と連合国軍との戦闘で行われた空襲。1942年のラバウル攻略時に日本軍が実施した空襲をはじめ、1943年に連合国軍がブーゲンビル島の戦いの援護を目的として実施した大きい規模の空襲などがある。 ラバウルにおける航空隊についてはラバウル航空隊を参照。

見る 太平洋戦争とラバウル空襲

ラダ・ビノード・パール

ラダ・ビノード・パール(,,, 1886年1月27日 - 1967年1月10日)は、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。極東国際軍事裁判(東京裁判)において連合国が派遣した判事の一人で、判事全員一致の有罪判決を目指す動きに反対し、平和に対する罪と人道に対する罪は戦勝国により作られた事後法であり、事後法をもって裁くことは国際法に反するなどの理由で被告人全員の無罪を主張した「意見書」(通称「パール判決書」)で知られる。東京裁判以前のパールは主に税法専門の弁護士として活動し東京裁判以降、国際連合国際法委員長や仲裁裁判所裁判官として国際法に関与した。

見る 太平洋戦争とラダ・ビノード・パール

ラオス

ラーンサーン王国の創設者ファ・グム(1316年-73年)の像。 ラオスの衛星写真。 ラオス人民民主共和国(ラオスじんみんみんしゅきょうわこく、ສາທາລະນະລັດ ປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ、Lao People's Democratic Republic)、通称ラオスは、東南アジアのインドシナ半島に位置する共和制国家。ASEAN加盟国、フランコフォニー国際機関参加国である。通貨はキープ、人口約733万人、首都はヴィエンチャン。 ASEAN加盟10カ国中、唯一の内陸国。面積は日本の約63%に相当し、国土の約70%は高原や山岳地帯である。北は中国、東はベトナム、南はカンボジア、南西はタイ、西はミャンマーと国境を接する。計画経済から社会主義市場経済に移行したが、ラオス人民革命党による一党独裁が続いている。

見る 太平洋戦争とラオス

ラオス王国

旧王都・ルアンパバーンの町並。 ルアンパバーン国王(当時)のシーサワーンウォンとその家族のために建てられた宮殿。 ラオス王国(ラオスおうこく、、ローマ字転写: Phra Ratxa A-na-chak Lao)は、20世紀のラオスに存在した歴史上の王朝。旧ルアンパバーン王国とチャンパーサック王国の統合によって、近代国家としてのラオスの領域を確定させた。首都はヴィエンチャンに置かれていたが、旧ルアンパバーン王国の王族が国王を務めていたため、王宮の所在地はルアンパバーンであった。なお、今日のルアンパバーンは町全体が世界遺産に登録されており、かつての王宮も保存されている。

見る 太平洋戦争とラオス王国

リンガエン湾

リンガエン湾(リンガエンわん)はフィリピンのルソン島西部イロコス地方、パンガシナン州、ラ・ウニョン州にある湾。幅は約37km、奥行は約56km中島「リンガエン湾」『世界地名大事典』8巻、1432頁。湾の西岸に浮かぶと東岸の都市サンフェルナンドを結んだ線より南の地域を指す。

見る 太平洋戦争とリンガエン湾

リットル

リットル(litre, litre日本の基準書類においてliterと綴られることはない(リットル#英語表記)。, 単位記号: L, l)は体積の非SI単位である。 その定義は1901年と1964年に2度変更された(後述)が、現在の定義は 立方メートル (m)。

見る 太平洋戦争とリットル

リトルボーイ

リトルボーイ(Little Boy)は、第二次世界大戦においてアメリカ軍が広島市に投下した原子爆弾(ガンバレル型ウラニウム活性実弾 L11)のコードネーム。いわゆる「広島型原爆」である。 これは、人類史上初めて実戦で使用された核兵器であり、原子力災害(核実験、原発事故など)や自然災害(地震、台風、隕石衝突など)の規模を表記する際に、このリトルボーイを基準に「広島型原爆○個分」と換算されることもある。

見る 太平洋戦争とリトルボーイ

リトルビッグホーンの戦い

リトルビッグホーンの戦い(リトルビッグホーンのたたかい、Battle of the Little Bighorn)は、1876年6月25日にアメリカ合衆国のモンタナ州リトル・ビッグホーン川流域で行われたアメリカ陸軍と北米先住民インディアンとの戦いである。ちなみに、これは白人側の呼称であって、インディアン側の呼称は、「グリージーグラス川の戦い」(Battle of the Greasy Grass)である。

見る 太平洋戦争とリトルビッグホーンの戦い

リベリア

リベリア共和国(リベリアきょうわこく)、通称リベリアは、西アフリカにある共和制国家。北はギニア、西はシエラレオネ、東はコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はモンロビア。 アメリカ合衆国で解放された黒人奴隷によって建国され、1847年に独立し、現在のアフリカの中ではエチオピアに次いで古い国である。 しかし、1989年から2003年にかけて断続的に2度も起きた内戦により、戦争一色の無秩序な国となっている。現在もその影響で世界最貧国の1つとなっている。

見る 太平洋戦争とリベリア

ルックイースト政策

ルックイースト政策(ルックイーストせいさく、Look East Policy)もしくは東方政策(とうほうせいさく)とは、日本の近代化を手本としたマレーシアの政策である。

見る 太平洋戦争とルックイースト政策

ルクセンブルク

ルクセンブルク大公国(ルクセンブルクたいこうこく、、、)、通称ルクセンブルクは、西ヨーロッパに位置する立憲君主制国家である。議院内閣制の大公国。首都はルクセンブルク市。 南はフランス、西と北はベルギー、東はドイツに隣接している。また、ベルギー、オランダの2か国とあわせてベネルクスとも呼ばれる。

見る 太平洋戦争とルクセンブルク

ルソン島

ルソン島(ルソンとう、呂宋島、フィリピン語:Luzon)は、フィリピン諸島のうちで最も面積の大きな島。面積は約10万4688 km2、人口は約4622万人で、フィリピンの総面積の35%、総人口の52%を占める。世界で17番目に大きな島で、世界で5番目に人口が多い島でもある。首都マニラやフィリピンで最も人口が多いケソン、及びそれらを包括する首都圏メトロ・マニラが同島に所在しており、フィリピンの政治・経済で特に重要な位置を占めている。

見る 太平洋戦争とルソン島

レバノン

レバノン共和国(レバノンきょうわこく、)、通称レバノンは、中東のレバントに位置する共和制国家。首都はベイルート。北と東ではシリアと、南ではイスラエルと国境を接し、西には地中海を挟んでキプロスがある。

見る 太平洋戦争とレバノン

レンネル島沖海戦

レンネル島沖海戦は、太平洋戦争(大東亜戦争)のガダルカナル島攻防戦の終盤にガダルカナル島撤収作戦の発動に伴って1943年(昭和18年)1月29日から30日にかけて、ソロモン諸島レンネル島沖において発生した海空戦。ガダルカナル島に接近中のアメリカ海軍巡洋艦部隊に、日本海軍のラバウル航空隊が陸上攻撃機で空襲を敢行する。1月29日の夜間空襲と、1月30日の昼間強襲により、重巡洋艦「シカゴ」を撃沈し、駆逐艦「ラ・ヴァレット」を撃破した。この海戦でアメリカ軍は近接信管を使用したが、「シカゴ」の喪失を防げなかった。

見る 太平洋戦争とレンネル島沖海戦

レーダー

レーダー(radar)とは、電波を対象物に向けて発射し、その反射波を測定することにより、対象物までの距離や方向を測る装置である。 現在の日本語では通常「レーダー」とカタカナで表記する。(旧・日本軍では漢字表記を用いていた(#漢字訳参照))。

見る 太平洋戦争とレーダー

レパルス (巡洋戦艦)

レパルス (HMS Repulse) は、イギリス海軍の巡洋戦艦。 日本語ではリパルスと表記することもある。 レナウン級の2番艦である。 Repulseとは「撃退、反撃」の意。第一次世界大戦中の1916年(大正5年)6月に就役したが、活躍する機会はなかった。海軍休日時代、イギリス海軍の巡洋戦艦3隻(フッド、レナウン、レパルス)でを編成していた。 1941年(昭和16年)5月下旬、ライン演習作戦により大西洋に進出してきた戦艦ビスマルク (Bismarck) をしたが、燃料不足で交戦できなかった。 東洋艦隊に所属してシンガポールに進出後の12月10日、マレー沖海戦で日本海軍の陸上攻撃機の空襲により、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ (HMS Prince of Wales) とともに撃沈された。

見る 太平洋戦争とレパルス (巡洋戦艦)

レイテ島

レイテ島(レイテとう、Leyte)は、フィリピン中部、ビサヤ諸島の東ビサヤ地方に位置する島。人口は約190万人、面積は7,214km。

見る 太平洋戦争とレイテ島

レイテ沖海戦

レイテ沖海戦(レイテおきかいせん、Battle of Leyte Gulf)は、第二次世界大戦中の1944年10月20日から25日にかけて、フィリピン周辺の広大な海域を舞台に日本海軍とアメリカ及びオーストラリア両海軍からなる連合軍との間で交わされた一連の海戦の総称である。フィリピン奪回を目指して侵攻する連合軍を日本海軍が総力を挙げて迎撃する形で発生した。 「レイテ沖海戦」という呼称は、揚陸地点に定めた作戦上の要地であるレイテ湾に因んで命名されたアメリカ側の呼称で、日本ではフィリピン沖海戦が正式名太平洋戦争の公刊戦史である「戦史叢書」で本海戦を扱っている56巻でもこの名前が使われている。当時の戦闘詳報や大本営による発表でも「フィリピン沖海戦」とされ、当時のニュース映像でもそう紹介されており、レイテ沖海戦とは呼称していない。

見る 太平洋戦争とレイテ沖海戦

レイテ戦記

『レイテ戦記』(レイテせんき)は、大岡昇平による戦記文学作品。太平洋戦争の“天王山”と呼ばれ、日本軍8万4千人もの犠牲を生み出した(対して米軍の死傷者は1万5千人)レイテ島における死闘を、厖大な資料や多くのインタビュー取材を行い、それらを紐解いて再構築したものである。1967年から1969年にかけて雑誌「中央公論」に連載し1971年に中央公論社で全3巻が刊行された。本作により、1972年に毎日芸術賞を受賞した。 大岡は「結局は小説家である著者が見た大きな夢の集約である」と語っており、中央公論社や筑摩書房の全集でも本作が小説に分類されており、本項では小説として扱う。

見る 太平洋戦争とレイテ戦記

レキシントン (CV-2)

レキシントン (USS Lexington, CV-2) は、アメリカ海軍の航空母艦。 レキシントン級航空母艦のネームシップ。 アメリカ海軍においてレキシントンの名を受け継いだ艦としては4隻目にあたる。「空母の女王(Queen of the Flat-tops)」、「レディ・レックス(Lady Lex)」、「グレイ・レディ(Gray Lady)」の愛称で呼ばれた。

見る 太平洋戦争とレキシントン (CV-2)

レキシントン・コンコードの戦い

レキシントン・コンコードの戦い(レキシントン・コンコードのたたかい、)は、1775年の4月19日に起こった、アメリカ独立戦争が始まる契機となったイギリス本国軍とアメリカ植民地軍間の戦闘である。 イギリス軍が、ボストン北西に位置するコンコードにあった、アメリカ植民地民兵部隊の武器庫の接収作戦を実施した。それに反発すべく動いた植民地民兵隊と武力衝突、レキシントンとコンコードにてイギリス軍と民兵隊の激しい戦闘が行われ、植民地軍はイギリス軍を撃破した。規模は小さいながら独立戦争の初戦を飾るものとなった。 4月18日、フランシス・スミス中佐の指揮で約700のイギリス軍正規兵に、マサチューセッツ民兵が武器を隠していると報告のあったコンコードの倉庫を確保し破壊せよという命令が出た。植民地の愛国者達はこの日の数週間前に、イギリス軍が捜索を行おうとしているという情報を掴んでおり、軍需物資を全てではないが殆ど全部を安全な場所に移していた。イギリス軍の遠征の前の夜にもその作戦計画の詳細を掴んでおり、この知らせは直ぐに民兵達の間に流されていた。 最初の銃弾はレキシントンで日の出とともに放たれた。民兵は数的に劣勢だったので撤退した。数時間後コンコードのノースブリッジにいた別の愛国者兵がイギリス軍の3個中隊と交戦し損害を与えた。野戦での数回の戦闘後に今度は数的に劣勢になったイギリス軍が撤退した。 民兵達はその後も続々と集まり続け、ボストンへ向けて撤退するイギリス軍を追ってかなりの損害を与えた。スミス遠征隊はコンコードからレキシントンに向かう途中で、パーシー伯ヒュー・パーシー指揮の増援隊の援護を受けた。総勢約1,700名となった遠征隊は撤退中も激しい銃火に曝されたが、最終的には何とかチャールズタウンまで辿り着いた。イギリス軍は軍事機密を保つことに失敗し、敵対的地域での作戦行動に必要な速度にも欠けていた。結果として武器弾薬の押収は失敗した。イギリス軍の多くはボストンに撤退できたが、その夜からマサチューセッツ民兵が周辺地域を抑えて、ボストン包囲戦の始まりとなった。

見る 太平洋戦争とレキシントン・コンコードの戦い

レコード

シングルレコード盤(ドーナツ盤ともいわれる)。 レコード(record, vinyl record。英語版ではPhonograph record)は、音声記録を意味し、主に樹脂などでできた円盤(最初期には円筒状の蝋管レコードを含む)に音楽や音声などの「振動」を刻み込み記録したメディアの一種を示すことが多い。 記録された音を音として聴ける状態にすることを「再生」という。まず、1.記録された「音の振動の振幅」を取り出すことで「音」が復元できる。しかし、狭い場所にコンパクトに記録された振動の変化量はわずかの変化量なので、2.人間にあった音量まで振幅量を大きくする「増幅」をおこなうことが初期の段階から必要であった。

見る 太平洋戦争とレコード

レズリー・グローヴス

レズリー・リチャード・グローヴス・ジュニア(Leslie Richard Groves Jr., 1896年8月17日 - 1970年7月13日)は、アメリカ陸軍の軍人。最終階級は中将。原爆開発のためのマンハッタン計画を指揮したことで知られる。レズリー・R・グローブスとも。

見る 太平洋戦争とレズリー・グローヴス

ロッキー山脈

ロッキー山脈(ロッキーさんみゃく、Rocky Mountains、Rockies、Montagnes Rocheuses 、Rocheuses)は、北アメリカ大陸西部を北西から南東に走る山脈である。ロッキー山脈は北へ行くほど険しい岩山となり、広大な針葉樹の森にはエメラルド色の湖が数多く存在する。 一口に「ロッキー山脈」と言っても実際は複数の山地を連ねた山系で、北は北緯60度に近いカナダ・ブリティッシュコロンビア州最北部から、南は東京23区とほぼ同緯度に位置するアメリカ合衆国ニューメキシコ州の州都サンタフェの近くまで、その長さは4,800kmを超える。 地質学的には、この山脈は褶曲運動により形成された褶曲山脈である。同山脈はアンデス山脈や日本列島などと共に環太平洋火山帯に属している。

見る 太平洋戦争とロッキー山脈

ロケット

H-IIAロケットロケット16号機の打ち上げ H-IIBロケット2号機の打ち上げ ラムダ4Sロケット ロケット(rocket)は、自らの質量の一部を後方に射出し、その反作用で進む力(推力)を得る装置(ロケットエンジン)、もしくはその推力を利用して移動する装置である。 空気などの外部の物質を使用しない点でジェットエンジンなどとは区別される。 狭義にはロケットエンジン自体をいう。広義にはロケットエンジンを推進力とし、人工衛星や宇宙探査機などのペイロードを搭載したローンチ・ヴィークル全体をロケットということも多い。 日本では、地上から照射されたマイクロ波やレーザービームをリフレクターで反射し、空気の電離によるプラズマ発生時の爆発などを推進力とし、燃料を使わないローンチ・ヴィークルも「ロケット」と呼ばれる。

見る 太平洋戦争とロケット

ロシア

ロシア連邦(ロシアれんぽう、Российская Федерация)、通称ロシア(Россия)は、ユーラシア大陸北部に位置する連邦共和制国家である。首都はモスクワ。 国土は旧ロシア帝国およびソビエト連邦の大半を引き継いでおり、ヨーロッパからシベリア・極東におよぶ。面積は17,090,000 km2(平方キロメートル)以上と世界最大である。

見る 太平洋戦争とロシア

ロシア帝国

ロシア帝国(ロシアていこく、Россійская Имперія、ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ)は、1721年11月から1917年9月まで存在した帝国である。現在のロシア連邦を始め、フィンランド、リヴォニア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、コーカサス、中央アジア、シベリア、外満洲などのユーラシア大陸の北部を広く支配していた。帝政ロシア(ていせいロシア)とも呼ばれる。 通常は1721年のピョートル1世即位からロシア帝国の名称を用いることが多い。統治王家のロマノフ家にちなんでロマノフ朝とも呼ばれるがこちらはミハイル・ロマノフがロシア・ツァーリ国のツァーリに即位した1613年を成立年とする。

見る 太平洋戦争とロシア帝国

ロタ島

ロタ島(ロタとう、Luta、Rota)は、アメリカ合衆国内の自治領、北マリアナ諸島の島のひとつである。北にはテニアン島、南にはアメリカ合衆国準州のグアム島がある。面積は85kmで、他のミクロネシアの島々と同じくマリンスポーツやスキューバ・ダイビングなど観光が主な産業であり、日本人旅行者も多く訪れる。

見る 太平洋戦争とロタ島

ワシントンD.C.

コロンビア特別区(コロンビアとくべつく、District of Columbia)は、アメリカ合衆国の首都。アメリカ合衆国東部に位置する連邦直轄地である。東海岸、メリーランド州とヴァージニア州に挟まれたポトマック川河畔に位置する。通称は、ワシントンD.C.(ワシントン・ディー・シー、Washington, D.C.)。 アメリカ合衆国連邦政府の所在地として国際的に強大な政治的影響力を保持する世界都市であり、また金融センターとしても高い重要性を持つ。その構造は、首都としての機能を果たすべく設計された計画都市である同様な計画都市としては旧満州国の新京(現在の中華人民共和国吉林省長春市)、オーストラリアのキャンベラ、ブラジルのブラジリア(共に首都)がある。

見る 太平洋戦争とワシントンD.C.

ワシントン海軍軍縮条約

ワシントン海軍軍縮条約(ワシントンかいぐんぐんしゅくじょうやく)は、1921年(大正10年)11月11日から1922年(大正11年)2月6日までアメリカ合衆国のワシントンD.C.で開催されたワシントン会議のうち、海軍の軍縮問題についての討議の上で採択された条約。 アメリカ(米)、イギリス(英)、日本(日)、フランス(仏)、イタリア(伊)、いわゆる五大国の戦艦・航空母艦(空母)等の保有の制限が取り決められた。華府条約(ワシントン条約)とも表記される。

見る 太平洋戦争とワシントン海軍軍縮条約

ワスプ (CV-7)

ワスプ (USS Wasp, CV-7) は、アメリカ海軍が第二次世界大戦で運用した航空母艦。アメリカ海軍においてワスプの名を受け継いだ艦としては8隻目にあたる。 同型艦はない。 ワシントン軍縮条約の制約下で建造された。ヨークタウン級航空母艦を若干縮小した艦型で、日本海軍の蒼龍と同級の中型空母であった。 太平洋戦争開戦時、本艦は大西洋艦隊に所属していた。 1942年(昭和17年)4月下旬と5月上旬、地中海のイギリス領マルタにスピットファイア多数を輸送し、で重要な役割を果たした。 その後、太平洋戦線に転戦してガダルカナル島攻防戦に参加、フォレスト・シャーマン艦長の指揮下で行動中の同年9月15日、日本海軍の伊19(潜水艦長:木梨鷹一海軍少佐)  -->の魚雷攻撃を受けて沈没した。

見る 太平洋戦争とワスプ (CV-7)

ヴィシー政権

ヴィシー政権(ヴィシーせいけん、Régime de Vichy)は、第二次世界大戦中における、フランスの政権(1940年 - 1944年)である。この時期はフランス共和国という呼称が停止され、フランス国と言う呼称が用いられた。 フランス中部の町、ヴィシーに首都を置いたことから「ヴィシー政府」、「ヴィシー・フランス」ともいい、この政権下の体制を「ヴィシー体制」と呼ばれていた。また、この政権は事実上ナチス・ドイツの傀儡政権(衛星国)であった。

見る 太平洋戦争とヴィシー政権

ボリビア

ボリビア多民族国 日本国外務省(2022年7月17日閲覧)(ボリビアたみんぞくこく、、、)、通称ボリビアは、南アメリカ大陸西部にある立憲共和制国家。憲法上の首都はスクレだが、ラパスが実質的な首都機能を担っており、議会をはじめとした政府主要機関が所在する。ラパスは標高3600メートルで、世界で最も高所にある首都となっている。 太平洋戦争で敗れてチリに太平洋海岸部の領土を奪われて以降は内陸国となっており【世界 in-depth 深層】ボリビア:内陸国 特別な「海の日」 戦争で喪失 経済低迷『読売新聞』朝刊2022年6月15日(国際面)、南西はチリ、北西はペルー、北東はブラジル、南東はパラグアイ、南はアルゼンチンと国境を接する。

見る 太平洋戦争とボリビア

ボルネオ島

ボルネオ島(ボルネオとう、Borneo, Pulau Kalimantan)は、東南アジアの島。南シナ海(西と北西)、スールー海(北東)、セレベス海とマカッサル海峡(東)、ジャワ海とカリマタ海峡(南)に囲まれている。インドネシア・マレーシア・ブルネイ、この3か国の領土であり、世界で最も多くの国の領地がある島となっている。 面積は725,500km2で日本の国土の約1.9倍の大きさである。世界の島の中では、グリーンランド島、ニューギニア島に次ぐ、面積第3位の島である(面積順の世界の島一覧も参照)。

見る 太平洋戦争とボルネオ島

ボックスカー

ボックスカー(Bockscar)は、第二次世界大戦時のアメリカ軍第509混成部隊に所属したB-29爆撃機の機名(機体番号44-27297)。ビクターナンバー 77 1945年8月9日に長崎県長崎市に原子爆弾「ファットマン」を投下したことで知られる。

見る 太平洋戦争とボックスカー

トラック島空襲

トラック島空襲(トラックとうくうしゅう)は、太平洋戦争中の1944年2月17日-18日にかけて、アメリカ軍機動部隊が実施した日本軍の拠点トラック島への攻撃である。 アメリカ軍の作戦名はヘイルストーン作戦(Operation Hailstone)で、エニウェトク環礁攻略を目的としたキャッチポール作戦(Operation Catchpole)の支作戦であった。 日本海軍はトラック泊地を絶対国防圏の拠点として重視していたが、空襲で大打撃を受けることになった。一連の空襲の被害を海軍丁事件(かいぐんていじけん)と呼称する。 2月17日から18日のトラック島空襲と、同月23日のマリアナ諸島空襲により日本軍は多数の艦船と航空機を失い、大本営をはじめ各方面に大きな衝撃を与えた。トラック島は無力化されたが、アメリカ軍は攻略にかかる手間を避けて進攻を行ったため、敵中で孤立したまま終戦まで日本軍の拠点として残った。

見る 太平洋戦争とトラック島空襲

トルコ

トルコ共和国(トルコきょうわこく、Türkiye Cumhuriyeti、Republic of Türkiye)、通称トルコは、西アジアに位置するアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパに位置するバルカン半島東南端の東トラキア地方を領有する共和制国家。首都はアンカラ。 アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる。北は黒海とマルマラ海、西と南は地中海(西はエーゲ海)に面する。陸上国境は、西でブルガリア、ギリシャと、東でジョージア(グルジア)、アルメニア、アゼルバイジャン、イラン、イラク、シリアと接する。

見る 太平洋戦争とトルコ

ヘンリー・アーノルド

ヘンリー・ハーレー・“ハップ”・アーノルド (Henry Harley "Hap" Arnold, 1886年6月25日 - 1950年1月15日) は、アメリカの陸軍軍人、空軍軍人。最終階級は陸軍元帥および空軍元帥。

見る 太平洋戦争とヘンリー・アーノルド

ブリュッセル

ブリュッセル市庁舎 ブリュッセル首都圏地域(、、)、通称ブリュッセル( 、 、 、 、ブラッセル)は、ベルギーの首都。域内に憲法上の首都であるブリュッセル市があるが、実際にはブリュッセル首都圏地域全体で首都機能を果たしている。名称は「沼、湿地(bruoc、bruc、broek)」、「家(sella、zele)」という単語から来ている。 人口124万人(2023年)。面積は161km2と比較的狭く、約30km2の森林地域を除いて、その領域のほとんどが市街化されている。

見る 太平洋戦争とブリュッセル

ブーゲンビル島

ブーゲンビル島(ブーゲンビルとう、Bougainville Island)は、パプアニューギニア・ブーゲンビル自治州の島である。島名はフランスの探検家ブーガンヴィルから命名された。 ブーゲンビル島は、政治的にはパプアニューギニアの一部であるが、生態系・地理・民族的にはソロモン諸島の一部である。これに、パプアニューギニアの経済に大きな割合を占めるに至った銅鉱山の存在が相まって、ブーゲンビル自治州ではパプアニューギニアからの独立運動や政治的危機が続いていた。

見る 太平洋戦争とブーゲンビル島

プリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)

プリンス・オブ・ウェールズ (HMS Prince of Wales) は、イギリス海軍の戦艦。 キング・ジョージ5世級の2番艦。艦名プリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ公)は、英国の王太子に相当する儀礼称号である。

見る 太平洋戦争とプリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)

プレーク・ピブーンソンクラーム

プレーク・ピブーンソンクラーム(แปลก พิบูลสงคราม, 1897年7月14日 - 1964年6月11日)または ピブーンソンクラーム男爵 (หลวงพิบูลสงคราม, Luang Pibulsonggram) は、タイの政治家である。首相を2度務めた。立憲革命時代から第二次世界大戦をまたいでタイの政治に大きな影響力を持ち続け、永年宰相というあだ名までつけられた『タイ日大辞典』 แปลกปิบูลสงคราม の項・冨田竹二郎著。 日本においては、単にピブン、ピブーンなどと表記されているがこれはあくまで名字の一部であり、単なる便宜上の略称である。本人は ป.พิบูลสงคราม (P.

見る 太平洋戦争とプレーク・ピブーンソンクラーム

プロパガンダ

プロパガンダ(羅: propaganda)は、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為の事である。

見る 太平洋戦争とプロパガンダ

パナマ

パナマ共和国(パナマきょうわこく、)、通称パナマは、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の境に位置する共和制国家である。北西にコスタリカ、南東にコロンビアに接し、北はカリブ海、南は太平洋に面する。首都はパナマ市(パナマシティ)。

見る 太平洋戦争とパナマ

パラグアイ

パラグアイ共和国(パラグアイきょうわこく、、)、通称パラグアイは、南アメリカ中央南部に位置する共和制国家である。東と北東をブラジル、西と北西をボリビア、南と南西をアルゼンチンに囲まれている内陸国である。首都はアスンシオン。 なお、パラグアイの国旗はデザインが表と裏とで異なっている(パラグアイの国旗を参照)。

見る 太平洋戦争とパラグアイ

パンプキン爆弾

パンプキン爆弾(パンプキンばくだん、かぼちゃ爆弾、Pumpkin bomb)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)中にアメリカ軍が開発、使用した爆弾。弾体が橙黄色に塗装されていたことから「パンプキン」の名がある。1945年8月9日に長崎に投下された原子爆弾(原爆)「ファットマン」の模擬爆弾として知られ、日本では一般に模擬原爆(もぎげんばく)と呼ばれている。

見る 太平洋戦争とパンプキン爆弾

パプアニューギニア

パプアニューギニア独立国(パプアニューギニアどくりつこく)、通称パプアニューギニアは、南太平洋にあるニューギニア島の東半分及び周辺の島々からなる立憲君主制国家。東南アジア諸国連合 (ASEAN) の特別オブザーバーであるが、地理的にはオセアニアに属する。オーストラリアの北、ソロモン諸島の西、インドネシアの東、ミクロネシア連邦の南に位置する。イギリス連邦加盟国かつ英連邦王国の一国であり、非白人が国民の多数を占める国としては英連邦王国のうち人口最多かつ面積最大の国である。首都はポートモレスビー。

見る 太平洋戦争とパプアニューギニア

パフラヴィー朝

パフラヴィー朝(パフラヴィーちょう、)は、1925年末から1979年初めまで存在したイラン最後の王朝である。パフレヴィー朝、パーレビ朝、パーラヴィ朝とも呼ばれる。

見る 太平洋戦争とパフラヴィー朝

ビスマルク諸島

ビスマルク諸島(ビスマルクしょとう、)は、太平洋、ニューギニア島沖にあるパプアニューギニア領の諸島。名前はドイツの宰相オットー・フォン・ビスマルクにちなむ。多くは火山島である。

見る 太平洋戦争とビスマルク諸島

テニアンの戦い

テニアンの戦い(テニアンのたたかい)は、第二次世界大戦中、1944年7月24日から8月2日にマリアナ諸島テニアン島において行われた日本軍とアメリカ軍との戦闘。

見る 太平洋戦争とテニアンの戦い

テニアン島

テニアン島(テニアンとう、Tini'an、Tinian)は、北マリアナ諸島の島の一つ。面積は約1002で、サイパン島からは約8kmの距離にある。現在はアメリカ合衆国の自治領(北マリアナ諸島に所属)である。北緯15度線が通る。

見る 太平洋戦争とテニアン島

デング熱

デング熱(デングねつ、まれにデンゲ熱とも、ˈdɛŋgi -, breakbone fever)とは、デングウイルス(:w:Dengue virus)が原因の感染症であり、熱帯病の一つである。 蚊の吸血活動を通じて、ウイルスが人から人へ移り、高熱に達することで知られる一過性の熱性疾患である。症状には、発熱・頭痛・筋肉痛・関節痛、はしかの症状に似た特徴的な皮膚発疹を含む。 治療方法は対症療法が主体で、急性デング熱にはいま起きている症状を軽減するための支持療法 (supportive therapy, supportive care)が用いられ、軽度または中等度であれば、経口もしくは点滴による水分補給、より重度の場合は、点滴静脈注射や輸血といった治療が用いられる。ただ稀ではあるが、生命を脅かすデング出血熱に発展し、出血、血小板の減少、または血漿(けっしょう)漏出を引き起こしたり、デングショック症候群に発展して出血性ショックを引き起こすこともある。

見る 太平洋戦争とデング熱

フランス領インドシナ

フランス領インドシナ フランスによる植民地化を現した図 インドシナ連邦(インドシナれんぽう)、通称フランス領インドシナ(フランスりょうインドシナ、、、、、)は、1887年から1954年にかけての東南アジアに存在したフランスの植民地である。現在のベトナム・ラオス・カンボジア・中国広東省湛江市に相当する地域で構成されていた。 日本では仏印(ふついん)の略称も用いられる。

見る 太平洋戦争とフランス領インドシナ

ファットマン

ファットマン(Fat Man、「太った男」の意味)は、第二次世界大戦末期にアメリカ合衆国で開発された原子爆弾である。  アメリカ軍の分類番号はMk.3であり、大戦後も製造が継続された。人類史上初の核実験であるトリニティ実験に使用されたガジェットと同型。 ファットマンはマンハッタン計画の一部としてロスアラモス国立研究所で作られた核兵器である。リトルボーイ(Mark 1)が高濃縮ウランを用いたガンバレル型の原子爆弾であるのに対して、ファットマンはプルトニウムを用いたインプロージョン方式の原子爆弾である。 1945年8月9日に実戦使用されており、長崎県長崎市の北部(現在の松山町)の上空550メートルで炸裂した。

見る 太平洋戦争とファットマン

ファシズム

ベニート・ムッソリーニ ファシズム(fascismo田中浩. コトバンク. 2019年2月25日閲覧。, fascism, Faschismus)または結束主義(けっそくしゅぎ)とは、イタリアのベニート・ムッソリーニと彼が率いた国家ファシスト党が提唱した思想やイデオロギー・政治運動、および1922年から1943年までの政権時に行った実践や体制の総称である「(1)狭義では、イタリアのファシスト党の運動、並びに同党が権力を握っていた時期の政治的理念およびその体制。(2)広義では、イタリア-ファシズムと共通の本質をもつ傾向・運動・支配体制。(以下略)」(広辞苑第四版)。 広義にはドイツのナチズムなど、独裁的な権力、反抗の弾圧と産業と商取引の制御のような類似の思想・運動・体制も含めて「ファシズム」と呼ばれる場合も多いが、その範囲は多数の議論がある(詳細は用語、定義等を参照)。

見る 太平洋戦争とファシズム

フィリピン

フィリピン共和国(フィリピンきょうわこく、フィリピン語/Republika ng Pilipinas、Republic of the Philippines、スペイン語: República de Filipinas) 通称フィリピンは、東南アジアに位置する立憲共和制国家。7641の島々がある島国であり、そのうち有人島に暮らす総人口は1億人を超える。首都はルソン島にあるマニラ市またはマニラ首都圏。 最大の都市はルソン島では人口が一位で旧首都のケソン市、ビサヤ諸島では大都市のセブ市、ミンダナオ島では面積が大きいダバオ市である。

見る 太平洋戦争とフィリピン

フィンランド

フィンランド共和国(フィンランドきょうわこく、Suomen tasavalta、Republiken Finland)、通称フィンランドは、北ヨーロッパに位置する共和制国家。首都はヘルシンキ。バルト海東岸に位置する国の一つであり、国境は、北はノルウェー、西はスウェーデン、東はロシアと接する。南はフィンランド湾を挟みエストニアと相対している。 国体の変化が激しい歴史を持つ国家であり、王制から共和制へ変換された国々の一国として知られている。ロシア帝国が第二次ロシア・スウェーデン戦争後にフィンランドを併合してフィンランド大公国にした1809年まで、スウェーデン王国に属していた。後に、ロシア帝国がロシア革命で崩壊したことで1917年に独立を果たした。独立後、フィンランドでは4つの戦争が行われた。1918年のフィンランド内戦、ロシア革命で成立したソビエト連邦との冬戦争(1939年~1940年)、第二次世界大戦(独ソ戦)に伴うソ連との継続戦争(1941年~1944年)とソ連との講和後のナチス・ドイツとのラップランド戦争(1944年~1945年)である。それぞれの戦争において、共和国の軍隊は、軍の最高司令官であるマンネルヘイム元帥によって率いられた。冬戦争と継続戦争により幾らかの土地をソ連に奪われるも、ソ連に併合されたバルト三国と異なり独立を維持した。

見る 太平洋戦争とフィンランド

ドミニカ国

ドミニカ国(ドミニカこく、Commonwealth of Dominica)は、カリブ海にある共和制国家。ウィンドワード諸島最北部に位置するドミニカ島を領土とする。島国であり、海を隔てて北西にフランス領グアドループが、南東にフランス領マルティニークが存在する。首都はロゾーである。 旧イギリス植民地であり、現在はイギリス連邦の一員である。自然が豊かなこの島はカリブ海に存在する多種多様の植物が自生しており、「カリブ海の植物園」と呼ばれている。 また、カリブの原住民であるカリブ族(カリナゴ族)の人々が生存している数少ないカリブ諸国のひとつであり、18世紀までヨーロッパの植民地対策に最後まで激しく抵抗したことで知られる。

見る 太平洋戦争とドミニカ国

ドーバー海峡

ドーバー海峡(ドーバーかいきょう、Strait of Dover)は、イギリスとフランスを隔てるイギリス海峡の最狭部である。フランス語ではラ・マンシュ海峡東部(la Manche orientale)、またはカレー海峡(Pas de Calais)と呼ばれる。

見る 太平洋戦争とドーバー海峡

ドイツ帝国

ドイツ帝国(ドイツていこく、)は、1871年1月18日から1918年11月9日までドイツ国において存続した、プロイセン国王をドイツ皇帝に戴く体制を指す歴史的名称である。帝政ドイツ(ていせいドイツ)とも呼ばれる。

見る 太平洋戦争とドイツ帝国

ドイツ国

ドイツ国(ドイツこく、Deutsches Reich〔ドイチェス・ライヒ〕)は、1871年から1945年まで中央ヨーロッパに存在した国家。現在のドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく、Bundesrepublik Deutschland)の前身とされる国家で、ドイツ統一から第二次世界大戦におけるドイツ敗北までの74年間における帝政時代からヴァイマル共和政時代、およびナチス政権時代までのドイツの正式な国名である。

見る 太平洋戦争とドイツ国

ニューメキシコ (戦艦)

ニューメキシコ は、アメリカ海軍の戦艦。ニューメキシコ級のネームシップ。艦名はニューメキシコ州にちなむ。 第一次世界大戦型旧式戦艦群の最終版。竣工時は前級らと同じく前後檣が籠マストであったが、1930年代にネルソン級で採用された箱型の大型艦橋のレポートを入手したことにより、僚艦とは一線を画す外観となった。また同級の他の2隻と異なるターボ・エレクトリック方式を採用した。速力は他の戦艦に比べ若干速く、対空兵装でも勝っていたが太平洋戦争での攻撃力は十分ではなかったため、近代化改修を受けた。

見る 太平洋戦争とニューメキシコ (戦艦)

ニューギニア

ニューギニア (en: New Guinea / id: Nugini)。

見る 太平洋戦争とニューギニア

ニューギニア島

ニューギニア島とメラネシア ニューギニア島(ニューギニアとう、New Guinea、Nugini)は、太平洋南部に位置する島であり、インドネシアとパプアニューギニアの2カ国の領土である。島の西半分を領有するインドネシアは東南アジアの国家であるが、島はオセアニアに含まれる。また、メラネシアの島々の一つである。 オーストラリアとはトレス海峡を隔てその北側にある。パプア島 (Papua)・イリアン島 (Irian)とも呼ぶ。 面積は約78.6万km2で日本の国土の約2倍の大きさである。世界の島の中では、グリーンランドに次ぐ面積第2位の島であり、大陸を含めても8番目に広い陸塊である。

見る 太平洋戦争とニューギニア島

ニカラグア

ニカラグア共和国(ニカラグアきょうわこく、)、通称ニカラグアは、中央アメリカ中部にあるラテンアメリカの共和制国家。北西はホンジュラス、南はコスタリカと国境を接し、東はカリブ海、南西は太平洋に面している。また、カリブ海のコーン諸島、ミスキート諸島を領有する。首都はマナグア。 ニカラグアは狭義の中央アメリカで最も面積が広い国である。

見る 太平洋戦争とニカラグア

ホノルル

ホノルル(Honolulu)は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島にある都市。同州の州都である。日系人の間では、「花瑠瑠」の表記が当てられる場合もある。

見る 太平洋戦争とホノルル

ホンジュラス

ホンジュラス共和国(ホンジュラスきょうわこく、)、通称ホンジュラスは、中央アメリカ中部にある共和制国家。西はグアテマラ、南西はエルサルバドル、南東はニカラグアと接しており、北と東はカリブ海、南はフォンセカ湾を経て太平洋に面している。 国境は、グアテマラとは1933年にアメリカ合衆国の仲裁により、エルサルバドルとは1992年、ニカラグアとは2007年の国際司法裁判所の裁定により確定した。 大陸部のほかに、カリブ海岸にスワン諸島、バイーア諸島を領有している。首都はテグシガルパ。

見る 太平洋戦争とホンジュラス

ホーネット (CV-8)

ホーネット (USS Hornet, CV-8) は、アメリカ海軍の航空母艦。ヨークタウン級航空母艦の3番艦。艦名はスズメバチの英語名に因む。アメリカ海軍においてホーネットの名を受け継いだ艦としては7隻目にあたる。"Happy Hornet" "Horny Maru" といった愛称をもつ。 ミッドウェー海戦に繋がるドーリットル空襲を行ったドーリットル隊の母艦として有名であるが、1942年10月、南太平洋海戦にて沈没した。

見る 太平洋戦争とホーネット (CV-8)

ホー・チ・ミン

ホー・チ・ミン(胡 志明、, 1890年5月19日 - 1969年9月2日)は、ベトナムの革命家、政治家。植民地時代からベトナム戦争までの、ベトナム革命を指導した建国の父である。初代ベトナム民主共和国主席、ベトナム労働党中央委員会主席。 幼名はグエン・シン・クン(阮 生恭、)、成年後はグエン・タト・タイン(阮 必成、)。第二次世界大戦までに使用していた変名のグエン・アイ・クォック(阮愛国、)でも広く知られる。ベトナム人民からは親しみを込めて『ホーおじさん(バク・ホー、)』の愛称で呼ばれている。

見る 太平洋戦争とホー・チ・ミン

ホーカー ハリケーン

ハリケーン(Hawker Hurricane)は、イギリスのホーカー・エアクラフト社によって1930年代に設計されたレシプロ単発・単座戦闘機である。第二次世界大戦においてイギリス空軍を始めとする連合軍で使用され、バトル・オブ・ブリテンなどで広く活躍した。スピットファイアとの競争作として知られ、1936年から1944年まで生産された。

見る 太平洋戦争とホーカー ハリケーン

ホスゲン

ホスゲン (Phosgene) とは、炭素と酸素と塩素の化合物。二塩化カルボニルなどとも呼ばれる。分子式は COCl2 で、ホルムアルデヒドの水素原子2つを塩素原子で置き換えた構造を持つ。毒性の高い気体であり、毒物及び劇物取締法によって毒物に指定されている。1812年にイギリスの化学者ジョン・デービー(en)(同じく化学者であるハンフリー・デービーの弟)によって発見された。

見る 太平洋戦争とホスゲン

ホセ・ラウレル

ラウレルの肖像が描かれた独立1周年記念切手(1945年) ホセ・パシアノ・ラウレル・イ・ガルシア(José Paciano Laurel y García、1891年3月9日 - 1959年11月6日)は、フィリピンの政治家、第3代大統領。当時は第二次共和国で、日本軍政下であった。 コラソン・アキノ政権で副大統領を務めたは三男。

見る 太平洋戦争とホセ・ラウレル

ダーウィン (ノーザンテリトリー)

ダーウィン(Darwin)は、オーストラリア連邦の準州ノーザンテリトリーの州都で、人口は約14万人。オーストラリアでは16位で、準州の総人口の約6割がここに集中している。オーストラリア大陸北側のティモール海沿いに位置する。他の国内主要都市からは離れた位置にある(パースから4042km、首都のキャンベラからは3969km)一方でオーストラリアではアジアに最も近い位置(ジャカルタまで2700km、那覇まで4300km、東京まで5400km程度)にあることから、非常に多文化的な都市となっている。75の民族が見られ、人口の約4分の1がアボリジニなどの原住民である。また、ノーザンテリトリーで唯一の大学であるチャールズ・ダーウィン大学の所在地でもある。

見る 太平洋戦争とダーウィン (ノーザンテリトリー)

ダイヤモンド社

株式会社ダイヤモンド社(ダイヤモンドしゃ、DIAMOND, Inc.)は、主に経済やビジネスなどの書籍や雑誌等を出版している日本の出版社である。1913年(大正2年)に、『経済雑誌ダイヤモンド』を創刊して設立。本社は東京都渋谷区に所在する。 「ダイヤモンド社」あるいは「ダイヤモンド」を社名とする会社は日本全国に複数存在するが、それらとの関係はない。

見る 太平洋戦争とダイヤモンド社

ダイビング

ダイビング(diving)/ ダイブ(dive)は「飛び込み」のことで、広義には水泳競技での飛び込み種目からスカイダイビングまで含まれる。; 競技。

見る 太平洋戦争とダイビング

ダウンフォール作戦

ダウンフォール作戦(ダウンフォールさくせん、Operation Downfall)は、太平洋戦争時のアメリカ軍やイギリス軍を主力とする連合国軍による日本本土上陸計画の作戦名である。作戦実施前に日本が降伏したため、この計画は中止された。 ダウンフォール作戦は、1945年11月実施を前提に計画された「オリンピック作戦」と、1946年春に実施を前提に計画された「コロネット作戦」に分かれており、オリンピック作戦では九州南部を占領し、コロネット作戦では関東平野の占領を目的としていた。仮にこの作戦が実行されていたなら、1944年6月に行われたノルマンディー上陸作戦を遥かに超える史上最大の水陸両用作戦となった。

見る 太平洋戦争とダウンフォール作戦

ダグラス・マッカーサー

ダグラス・マッカーサーマッカーサ、マックアーサーなどとカナ表記される場合もある。とりわけ、終戦後における日本においては、新聞を中心としたマスコミにおいて「マックアーサー」という表記が使用されていた。(Douglas MacArthur、1880年1月26日 - 1964年4月5日)は、アメリカ合衆国の陸軍軍人。ウェストポイントアメリカ陸軍士官学校を主席で卒業し、その後はアメリカ陸軍のエリート軍人として、セオドア・ルーズベルト大統領軍事顧問補佐官、陸軍長官副官・広報班長、ウェストポイントアメリカ陸軍士官学校長、アメリカ陸軍参謀総長などアメリカ陸軍の要職を歴任した。 戦争でも勇名を轟かせ、第一次世界大戦と第二次世界大戦(太平洋戦争)に従軍して、抜群の戦功を挙げていった。特に太平洋戦争では、大戦序盤のフィリピンの戦いで大日本帝国軍に敗れオーストラリアに撤退し、敵前逃亡の汚名を着せられたが、「I shall return(私は必ず帰ってくる)」の約束を果たし、日本軍からフィリピンを奪還して「アメリカ合衆国が生んだ最も有能な軍人」としての勇名を欲しいままにした。

見る 太平洋戦争とダグラス・マッカーサー

ベネズエラ

ベネズエラ・ボリバル共和国国名の由来となった人物は「シモン・ボリバル」「シモン・ボリーバル」の表記がともに広く用いられているが、国名の表記は「ベネズエラ・ボリバル共和国」がほぼ定着している。ただし、大久保仁奈「」(『外務省調査月報』/No.3、2006年1月15日)のように「ベネズエラ・ボリーバル共和国」とする例もある。(ベネズエラ・ボリバルきょうわこく、)、通称ベネズエラは、南アメリカ大陸北部に位置する連邦共和制国家。東にガイアナ、西はコロンビア、南はブラジルと接し、北はカリブ海、大西洋に面する。首都はカラカス。 コロンビアと共に北アンデスの国家であるが、自らをカリブ海世界の一員であると捉えることも多い。ベネズエラ海岸の向こうには、オランダ王国のABC諸島(キュラソー島など)、トリニダード・トバゴといったカリブ海諸国が存在する。ガイアナとは、現在ガイアナ領のグアヤナ・エセキバを巡って、19世紀から領土問題を抱えている。南アメリカ大陸でも指折りの自然の宝庫として知られている。

見る 太平洋戦争とベネズエラ

ベルリンの戦い

ベルリンの戦い(ベルリンのたたかい、 Battle of Berlin)は、第二次世界大戦末期、1945年4月16日のソビエト赤軍のゼーロウ高地攻撃開始から、総統地下壕におけるアドルフ・ヒトラーの自殺、国会議事堂の陥落、5月2日のドイツ国防軍のベルリン防衛軍司令官ヘルムート・ヴァイトリング砲兵大将の降伏に至るまで、ベルリン周辺で展開された赤軍とドイツ軍の戦闘のことである。

見る 太平洋戦争とベルリンの戦い

ベンガル湾

ベンガル湾(ベンガルわん、Bay of Bengal、बंगाल की खाड़ी、বঙ্গোপসাগর、ဘင်္ဂလားပင်လယ်အော်、බෙංගාල බොක්ක)は、インド洋の北東部分の湾。湾はほぼ三角形で、南方に開けた形となっている。東にマレー半島、西にインド亜大陸、北に名前の元となったインドの西ベンガル州およびバングラデシュに面している。南端はスリランカとアンダマン・ニコバル諸島連邦直轄地に面している。同諸島の東側の海域はアンダマン海と呼ばれる。 インドやバングラデシュの多くの川がベンガル湾に流れ込んでいる。北からはガンジス川、メグナ川とブラマプトラ川が流れ込み、南西の沿岸であるオリッサ州からはマハナディ川、ゴータヴァリー川、クリシュナ川、カヴェリ川が流れ込んでいる。湾の北端のインド領には、スンダルバンス国立公園があり、豊かなマングローブの林がある。

見る 太平洋戦争とベンガル湾

ベトナム帝国

ベトナム帝国(ベトナムていこく、、)は、1945年3月11日から9月2日に現在のベトナム社会主義共和国に存在した君主制国家。1944年のパリ解放に伴うフランスにおけるド・ゴール派の台頭を受けて1945年3月9日に日本陸軍南方軍がフランス植民地軍を武装解除し、これを受けてアンナン保護国皇帝だったバオ・ダイが3月11日に独立を宣言したことに始まる。

見る 太平洋戦争とベトナム帝国

ベトナム国

ベトナム国(ベトナムこく、、)は、1949年から1955年までベトナムに存在した国家。阮朝の最後の皇帝であったバオ・ダイ(保大帝)を元首としたため、バオ・ダイ政権と呼称されることもある。 フランス領インドシナの権益を残したいフランスが、ベトナム民主共和国に国家の正統性で対抗する事を目的に樹立した傀儡国家である。アメリカ合衆国から支援を受けたゴ・ディン・ジエム()が最終的に権力を掌握し、ベトナム共和国へ国家体制を変更することで消滅した。 国家元首の称号は「国長()」であったが、これを阮朝ないしベトナム帝国の皇帝と同じ称号と見なしうるかは微妙であり、それらとの連続性を断定することはできない。

見る 太平洋戦争とベトナム国

ベトミン

ベトミン()、正式名称:ベトナム独立同盟会(ベトナムどくりつどうめいかい、)は、1941年5月19日に正式に結成され、フランスによる植民地支配からの独立を求め第一次インドシナ戦争において戦闘に従事したベトナムの独立運動組織である。ホー・チ・ミンが結成して主席となり、ヴォー・グエン・ザップおよびファム・ヴァン・ドンがともに指導した。

見る 太平洋戦争とベトミン

ベアトリクス (オランダ女王)

両親と幼少期のベアトリクス ベアトリクス(、1938年1月31日 - )は、第6代オランダ国王(女王)(在位:1980年4月30日 - 2013年4月30日)、王女。全名は、ベアトリクス・ウィルヘルミナ・アルムハルト・ファン・オラニエ=ナッサウ()。

見る 太平洋戦争とベアトリクス (オランダ女王)

制海権

制海(せいかい、)とは、武力をもって特定海域を制圧する状態。 制海によって得られるものは海洋の所有権ではなく、シーレーンとしての利用可能性である。一般にいわれる「制海権を取る」とは制海の実を持続することを指すが、『戦史叢書』では「元来兵術上には、『権利』というものは存在しない」として、その使用を戒めている。シーパワーについての理論家の多くは制海を絶対的概念ではなく相対的概念とみなして、広域的・永続的に制海の実を持続することの困難さを指摘しており、海上支配()や海上優勢()とも称される。

見る 太平洋戦争と制海権

列強

代替文。

見る 太平洋戦争と列強

周南市

周南市(しゅうなんし)は、山口県の東南部に位置する市。

見る 太平洋戦争と周南市

周防灘

周防灘(すおうなだ)は、瀬戸内海北西端に位置する海域である。旧豊前国に属す地域福岡県の北東部と大分県の北部。では「豊前海」と呼ばれる。

見る 太平洋戦争と周防灘

周恩来

周 恩来(しゅう おんらい、ジョウ・エンライ、w、1898年3月5日 - 1976年1月8日)は、中国の政治家・革命家。字は翔宇。中華人民共和国の初代総理(首相)で、建国された1949年10月1日以来死去するまで一貫して在任した。毛沢東共産党主席の信任を繋ぎとめ、文化大革命中も失脚しなかったことなどから「不倒翁」(起き上がり小法師)の異名がある。父は周劭綱(もとの名は貽能)。嗣父で叔父は周貽淦。弟は周恩溥・周恩寿。妻は鄧穎超。養子女は孫維世(養女、文化大革命で迫害死)・李鵬(養子、後に国務院総理)である。

見る 太平洋戦争と周恩来

呉港

呉港(くれこう)は、広島県呉市にある港湾。港湾管理者は呉市。港湾法上の重要港湾、港則法上の特定港に指定されている。

見る 太平洋戦争と呉港

和田春樹

和田 春樹 (わだ はるき、1938年〈昭和13年〉1月13日 - )は、日本の歴史学者「」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社、2015年/コトバンク(2021年3月23日閲覧)。専門は、近代ロシア史とソビエト連邦史および現代朝鮮。東京大学名誉教授。 1968年にキング牧師が暗殺されたことをきっかけに、妻の和田あき子と共に地元の大泉学園でベトナム戦争反対の市民運動を始めた。主な著作として『ニコライ・ラッセル』『マルクス・エンゲルスと革命ロシア』および『朝鮮戦争』がある。

見る 太平洋戦争と和田春樹

アメリカ南方軍

アメリカ南方軍(アメリカなんぽうぐん、英語:United States Southern Command、略称:SOUTHCOM)は、アメリカ軍における地域別統合軍の一つ。中南米と西インド諸島(キューバを含む)を担当地域としている。人員は約1,200名、司令部はフロリダ州マイアミ所在。

見る 太平洋戦争とアメリカ南方軍

アメリカ合衆国大統領

アメリカ合衆国大統領(アメリカがっしゅうこくだいとうりょう、、略称:)は、アメリカ合衆国の元首であり、行政府の長たる大統領。4年ごとに実施されるアメリカ合衆国大統領選挙によって選出される。

見る 太平洋戦争とアメリカ合衆国大統領

アメリカ合衆国ドル

アメリカ合衆国ドル(アメリカがっしゅうこくドル、United States Dollar)は、アメリカ合衆国の公式通貨である。通称としてUSドル、米ドル、アメリカ・ドルなどが使われる。アメリカ合衆国ドルは、その信頼性から国際決済通貨や基軸通貨として、世界で最も多く利用されている通貨である。

見る 太平洋戦争とアメリカ合衆国ドル

アメリカ合衆国国務省

アメリカ合衆国国務省(アメリカがっしゅうこくこくむしょう、United States Department of State、略称: DOS)は、アメリカの行政機関の一つ。このState はアメリカ合衆国以外の諸国家を指し、したがって外交政策を実施する。他国の外務省に相当する。 長官(Secretary)及び副長官(Deputy Secretary)の下に、分野ごとに次官(Under Secretary)が配置され、更に次官の下に次官補(Assistant Secretary)が配置されている。国内だけで約5,000人の職員がいる。 2009年発足のバラク・オバマ政権から副長官が2人体制となり、1人が外交政策全般を、もう1人が省内の組織管理を担当する事になった。

見る 太平洋戦争とアメリカ合衆国国務省

アメリカ合衆国国務長官

アメリカ合衆国国務長官(アメリカがっしゅうこくこくむちょうかん、Secretary of State of the United States)は、アメリカ合衆国の外交を担当する内閣の1人。他国の外務大臣に相当する。大統領が指名し、上院の指名承認公聴会での質疑応答を経た後で、上院本会議にて出席議員の過半数以上の賛成多数をもって就任が承認される。なお初代国務長官はトーマス・ジェファーソンであった。2021年1月26日にバイデン大統領よりアントニー・ブリンケンが第71代国務長官に指名され、上院にて人事案の承認を経て就任している。

見る 太平洋戦争とアメリカ合衆国国務長官

アメリカ統合参謀本部

統合参謀本部紋章 統合参謀本部(とうごうさんぼうほんぶ、英: Joint Chiefs of Staff、略称: JCS)は、アメリカ合衆国軍の最高機関。組織体系的にはアメリカ国防総省、およびそのトップである国防長官(文民)の下にある。軍事戦略の立案を行うとともに、合衆国大統領及び国防長官、国家安全保障会議、国土安全保障会議に対して軍事問題に関する助言を行うことを任務とする。 議長並びに副議長は専任となっており、大将(GeneralまたはAdmiral)が補され、米軍軍人(制服組)のトップと位置付けられる。

見る 太平洋戦争とアメリカ統合参謀本部

アメリカ軍

アメリカ合衆国軍(アメリカがっしゅうこくぐん、United States Armed Forces、別名:合衆国軍、米軍、アメリカ軍)は、アメリカ合衆国が保有する軍隊。陸軍・海軍・空軍・海兵隊・宇宙軍の5軍種からなる常備軍と、平時は海上警備を主とした法執行機関としての役割もある沿岸警備隊を含めた6つの軍種からなっており、これらはいずれも8つの武官組織に含まれる。陸軍・空軍については普段からアメリカ合衆国連邦政府の指揮下にある連邦軍と、州知事の指揮下にあり必要に応じて連邦軍に編入される州兵がある。なお各州政府の州防衛軍は連邦政府の指揮下に入らない為、通常アメリカ軍に含まない。軍の最高司令官はアメリカ合衆国大統領であり、合衆国連邦行政部のうちの国防総省と国土安全保障省と共に軍事政策を決定する。

見る 太平洋戦争とアメリカ軍

アメリカ本土空襲

アメリカ本土空襲(アメリカほんどくうしゅう)は、第二次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)中に行われた、大日本帝国海軍の艦載機および大日本帝国陸軍の風船爆弾(気球爆弾)によるアメリカ合衆国本土を目標とした一連の空襲のことである。これらの日本軍による一連の空襲作戦はアメリカ合衆国史上初、そして2024年現在、最後のアメリカ本土に対する空襲である。

見る 太平洋戦争とアメリカ本土空襲

アメリカ海兵隊

アメリカ海兵隊紋章 アメリカ海兵隊(アメリカかいへいたい、、略称:USMC)は、アメリカ合衆国の海兵隊である。アメリカ軍の6つの軍種の1つ。アメリカ合衆国に8個ある武官組織の1つ。 2020年時点で約18万人の現役将兵と約3万8500人の予備役を擁している。Marines、Devil Dogs とも呼ばれることがある。

見る 太平洋戦争とアメリカ海兵隊

アメリカ海軍

アメリカ海軍(アメリカかいぐん、、USN)は、アメリカ合衆国の海軍である。アメリカ軍の6つの軍種の1つ。アメリカ合衆国に8個ある武官組織の1つ。

見る 太平洋戦争とアメリカ海軍

アメリカ海軍作戦部長

アメリカ海軍作戦部長(アメリカかいぐんさくせんぶちょう、Chief of Naval Operations: 略称CNO)は、アメリカ合衆国海軍省における最高位の軍人で、統合参謀本部議長または副議長が海軍から出ていない場合は、アメリカ海軍における最先任の士官である。 任期は4年(ジェームズ・フォレスタル海軍長官と不仲だったチェスター・ニミッツ元帥は、例外的に2年)。現在の海軍作戦部長は、史上初めて女性海軍作戦部長となったリサ・M・フランケッティ海軍大将である。2023年8月14日にアメリカ海軍兵学校において、ロイド・オースティン国防長官立会いの下、交代式典が行われ、前任の第32代作戦部長であったマイケル・M・ギルティ海軍大将から指揮権が移譲されたが、共和党議員の人事承認妨害により、海軍作戦副部長職のまま職務代行をしていた。同年11月2日、アメリカ議会上院がリサ・フランケティ大将を海軍作戦部長に起用する人事が承認し、正式に就任した。

見る 太平洋戦争とアメリカ海軍作戦部長

アラモの戦い

アラモの戦い(アラモのたたかい、Battle of the Alamo)は、テキサス独立戦争中の1836年2月23日 - 3月6日の13日間にメキシコ共和国軍とテキサス分離独立派(テクシャン反乱軍)の間で行われた戦闘。 テキサス側の拠点とされ戦闘の舞台となったアラモ伝道所はテキサス州サンアントニオ中心街の一角に遺跡がある。

見る 太平洋戦争とアラモの戦い

アラスカ州

アラスカ州(アラスカ、State of Alaska )は、アメリカ合衆国最北端にある州。アリューシャン列島を含む。北アメリカ大陸北西の端にあり、合衆国本土とはカナダを挟んで飛地になっている。アラスカでは、合衆国本土を"lower 48"(直訳:南方の48州。アメリカ50州からアラスカ州とハワイ州を除いたもの)と呼ぶことがある。 アメリカ合衆国50州の中で最大の面積(約1,723,000 km²)を有し、東はカナダ、北は北極海、西と南は太平洋と接し、西のベーリング海を隔ててロシアとも海上の国境がある。2020年国勢調査による人口は733,391人で全米50州中3番目に少なく、.

見る 太平洋戦争とアラスカ州

アリューシャン列島

アリューシャン列島(アリューシャンれっとう、Aleutian Islands (アルーシャン); 「アレウトの島々」の意)は、北太平洋に弧状に連なり、アメリカ合衆国のアラスカ半島からロシアのカムチャツカ半島にかけて約1,930キロメートルにわたって延びる列島である。

見る 太平洋戦争とアリューシャン列島

アルゼンチン

アルゼンチン共和国(アルゼンチンきょうわこく、República Argentina)、通称アルゼンチンは、南アメリカ南部に位置する連邦共和制国家。位置は南米大陸から見ると南西側に位置しており、西と南にチリ、北にボリビア・パラグアイ、北東にブラジル・ウルグアイと国境を接し、東と南は大西洋に面する。ラテンアメリカではブラジルに次いで2番目に領土が大きく、世界全体でも第8位の領土面積を擁する。首都はブエノスアイレス。 チリとともに南アメリカ最南端に位置し、国土の全域がコーノ・スールの域内に収まる。国土南端のフエゴ島には世界最南端の都市ウシュアイアが存在する。アルゼンチンはイギリスが実効支配するマルビナス諸島(英語ではフォークランド諸島)の領有権を主張している。また、チリ・イギリスと同様に南極の一部に対して領有権を主張しており、アルゼンチン領南極として知られる。

見る 太平洋戦争とアルゼンチン

アンドレイ・グロムイコ

アンドレイ・アンドレーエヴィチ・グロムイコ(Андре́й Андре́евич Громы́ко、ラテン文字表記の例:、1909年7月18日 - 1989年7月2日)は、ソビエト連邦の政治家、外交官。28年間に渡り外務大臣を務め、ミスター・ニエットの異名で知られた。 プーチン政権に近いアレクセイ・グロムイコ(ロシア科学アカデミー欧州研究所)は孫に当たる。

見る 太平洋戦争とアンドレイ・グロムイコ

アーノルド・J・トインビー

アーノルド・ジョゼフ・トインビー(Arnold Joseph Toynbee 、1889年4月14日 - 1975年10月22日)は、イギリスの歴史家・歴史哲学者。 多数の著書を持ち、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスとキングス・カレッジ・ロンドンの国際史研究教授でもあった。1918年から1950年まで、トインビーは国際問題の第一人者として活躍した。 代表作は『歴史の研究』(A Study of History、1934-1961年、全12巻)。論文・記事・スピーチ・プレゼンテーションなどを大量に発表し、多くの言語に翻訳された数多くの著書を持つトインビーは、1940年代から1950年代にかけては、広く読まれ議論される学者であった。しかし、1960年代になると、彼の大作は主流の歴史家の間では人気がなくなった。トインビーは、事実に基づくデータよりも神話や寓話、宗教を好んでいるという認識があったためである。

見る 太平洋戦争とアーノルド・J・トインビー

アーネスト・キング

アーネスト・ジョゼフ・キング(Ernest Joseph King、1878年11月23日 - 1956年6月25日)は、アメリカ合衆国の海軍軍人。最終階級は海軍元帥。 オハイオ州ロレイン生まれ。第二次世界大戦中は海軍制服軍人のトップである合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長(略称COMINCH-CNO)として戦略指導を行い、太平洋艦隊司令長官兼太平洋戦域最高司令官(略称CINCPAC-CINCPOA)であるチェスター・ニミッツの上官だった。

見る 太平洋戦争とアーネスト・キング

アッツ島

アッツ島(アッツとう、)は、アラスカ州・アリューシャン列島のニア諸島最西部にあるアメリカ領の島。

見る 太平洋戦争とアッツ島

アイデンティティー

アイデンティティー、又は、アイデンティティ。

見る 太平洋戦争とアイデンティティー

アイオワ (戦艦)

アイオワ(USS Iowa, BB-61)は、アメリカ海軍の戦艦。アイオワ級戦艦のネームシップ。艦名はアイオワ州に因む。この名を持つ艦としては4隻目。

見る 太平洋戦争とアイオワ (戦艦)

アウンサン

アウンサン(အောင်ဆန်း、ラテン文字転写: Aung San、1915年2月13日 - 1947年7月19日)またはオンサンは、ビルマ・ミャンマーの独立運動家、軍人、政治家。日本名は面田 紋次(おもた もんじ)。日本のメディアでは「アウン・サン将軍」と呼ばれることが多い「旧ビルマ政庁が商業施設独立の聖地、反発も」『日経産業新聞』2020年1月30日(グローバル面)。 「ビルマ建国の父」として死後も敬愛されており、ミャンマー民主化運動を指導し、国家顧問として実質的な国家指導者の地位にあったアウンサンスーチーは長女。

見る 太平洋戦争とアウンサン

アジア

アジアを中心とする地域の衛星写真 アジア(英語, ラテン語, ギリシャ語) は、世界の大州の一つ。現在では一般的にヨーロッパを除くユーラシア大陸全般を指すが、政治的・経済的な立場の違いにより、さまざまな定義がなされる場合がある。漢字表記は亜細亜で、亜州(亜洲、あしゅう)とも呼ぶ。省略する場合は亜の一字を用いる。 古代メソポタミアのアッカド語 “ 出る ” が語源で、本来は “東、東方” を意味する言葉である。現在の一般的な定義は、ヨーロッパの人たちから見た東・西の区分を反映したものになっている。

見る 太平洋戦争とアジア

アジア・太平洋戦争

アジア・太平洋戦争(アジア・たいへいようせんそう、英: Asia-Pacific War)は、1941年(昭和16年)12月8日から1945年(昭和20年)9月7日にかけて大日本帝国が遂行した戦争の呼称。 「太平洋戦争」や「大東亜戦争」に代わる呼称として提唱された。 この項目では「アジア・太平洋戦争」(アジア太平洋戦争)という呼称に関する議論について記述する。 戦争の経過や使用兵器・人物などに関しては「太平洋戦争」を参照。また、呼称に関する議論については「支那事変」「大東亜戦争」も参照。

見る 太平洋戦争とアジア・太平洋戦争

アジア系民族

アジア系民族(アジアけいみんぞく)とは、アジアに住む民族、及びアジアに住む民族出身の人々を表す。一般的にはアジア人(アジアじん、Asian)と言う。 アジアとは、元々ヨーロッパより東を意味する言葉であり、時代と共にその定義は変化・拡大してきている。現在でもアジアという定義の範囲は揺れており、学問的に確立しているとは言い難い。そのためアジア系民族という定義も確立していない。 また一般的に言うアジアの範囲は広大であり、アラブ人・ペルシア人・インド・アーリア人や中央アジア・東アジアを中心としたモンゴロイドなどが住む地域など、民族的・文化的にも多種多様である。それゆえ、本来は同じアジア系民族として、一纏めに分類できるものではない。以下、一般的に(広義の)アジア系民族と言われるものを説明する。

見る 太平洋戦争とアジア系民族

イラン

イラン・イスラム共和国(イラン・イスラムきょうわこく、جمهوری اسلامی ایران)、通称イランは、アジア・中東に位置するイスラム共和制国家。首都はテヘラン。 北西にアルメニアとアゼルバイジャン、北にカスピ海、北東にトルクメニスタン、東にアフガニスタンとパキスタン、南にペルシア湾とオマーン湾、西にトルコ、イラク(クルディスタン)と境を接する。また、ペルシア湾を挟んでクウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦に、オマーン湾を挟んでオマーンに面する。ペルシア、ペルシャともいう。公用語はペルシア語。

見る 太平洋戦争とイラン

インディアナポリス (重巡洋艦)

インディアナポリス(USS Indianapolis, CA-35)は、アメリカ海軍のポートランド級重巡洋艦。艦名はインディアナ州インディアナポリスに因む。 1945年7月26日にテニアン島へ原子爆弾を運んだ後、7月30日にフィリピン海で日本海軍の潜水艦「伊58」(回天特別攻撃隊・多聞隊)の雷撃により沈没した。第二次世界大戦中に敵の攻撃により沈没した最後のアメリカ海軍水上艦艇である。

見る 太平洋戦争とインディアナポリス (重巡洋艦)

インフレーション

インフレーション(inflation)とは、一定期間にわたって物価の水準が上昇し続けることである。略称としてインフレとも呼び、日本語では通貨膨張(つうかぼうちょう)とも呼ぶ。経済学において物価が上昇すると、1単位の通貨で購入できる財やサービスの数が減る。その結果、インフレーションは1単位の通貨あたりの購買力の低下、つまり経済における交換手段や会計単位の実質的な価値の低下を反映する。対義語はデフレーションであり、財やサービスの一般的な価格水準が持続的に低下することである。インフレーションの一般的な指標はインフレ率で、物価(通常は消費者物価指数)の長期的な変化率を年率換算したものである。 経済学者は、非常に高いインフレ率やハイパーインフレーションは有害であり、マネーサプライの過剰な増加が原因であると考えている。一方、低・中程度のインフレ率を決定づける要因については、より多様な見解がある。低・中程度のインフレは、財・サービスに対する実質的な需要の変動や、物資が不足しているときなどの供給可能量の変化に起因すると考えられる。しかし、長期的に持続するインフレは、マネーサプライが経済成長率を上回るスピードで増加することによって起こるというのが共通の見解である。

見る 太平洋戦争とインフレーション

インド

インド(भारत、India)インド憲法上の正式名称。 またはインド共和国(インドきょうわこく、भारत गणराज्य、Republic of India)ヒンディー語の名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ)を日本語訳したもの。 は、南アジアに位置し、インド亜大陸の大半を領してインド洋に面する連邦共和制国家。首都はデリー(ニューデリー)、最大都市はムンバイ。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、ミャンマー、バングラデシュと国境を接する。海を挟んでインド本土がスリランカやモルディブと、インド洋東部のアンダマン・ニコバル諸島がインドネシアやタイ南部、マレーシアに近接している。

見る 太平洋戦争とインド

インドネシア

インドネシア共和国(インドネシアきょうわこく、)、通称インドネシアは、東南アジア南部に位置する共和制国家である。首都はジャワ島に位置するジャカルタ首都特別州。5110キロメートルと東西に非常に長く連り、赤道にまたがる地域に1万7000を超える島嶼を抱える、世界最大の群島国家である。 島嶼国家であるため、その広大な領域に対して陸上の国境線で面しているのは、ティモール島における東ティモール、カリマンタン島(ボルネオ島)におけるマレーシア、ニューギニア島におけるパプアニューギニアの3国だけである。海を隔てて近接している国家は、パラオ、インド(アンダマン・ニコバル諸島)、フィリピン、シンガポール、オーストラリアなど。

見る 太平洋戦争とインドネシア

インドネシア独立戦争

インドネシア独立戦争(インドネシアどくりつせんそう)とは、日本が太平洋戦争で連合国へ降伏した後の旧オランダ領東インドで、独立を宣言したインドネシア共和国と、これを認めず再植民地化に乗り出したオランダとの間で発生した戦争(独立戦争)である。1945年から1949年までの4年5か月にわたる戦争で、10万人が犠牲になった。 より狭義には、1947年7月21日と1948年12月19日の2度にわたって、オランダ軍がインドネシア共和国に軍事侵攻した結果生じた大規模な軍事衝突を指し、オランダ側ではこの自国の軍事行動を「警察行動」(Politionele acties)と呼称している。しかし一般的には、インドネシア共和国とオランダ軍との軍事衝突だけでなく、東インドに進駐したイギリス軍とインドネシアの武装組織との武力衝突、インドネシア共和国内での反乱事件や政治闘争、そして軍事衝突とほぼ並行して進められたオランダや国際連合との外交交渉など、インドネシアの独立へ向けての一連の政治過程を総称して「インドネシア独立戦争」という。

見る 太平洋戦争とインドネシア独立戦争

インドシナ戦争

インドシナ戦争(インドシナせんそう)は、インドシナ半島で発生した戦争。

見る 太平洋戦争とインドシナ戦争

インド国民軍

インド国民軍(インドこくみんぐん、Indian National Army、略号:INA)は、太平洋戦争中に日本軍の支援によって設けられた、英印軍の捕虜のインド人転向者を中心とした軍隊。モットーは和合 (Etihaad)、信仰 (Etmad)、犠牲(Kurbani)。 当初は日本軍がマレー作戦を優勢に進めるための補助戦力としてゲリラ部隊的な色彩も強かったが、インド独立運動の英雄の一人であるスバス・チャンドラ・ボースが来日し、イギリス領インド進攻作戦が具体的に検討され始めてから次第に重装備化され、本格的な軍隊となった。当初、大本営の南方作戦にインドを攻略する計画は含まれていなかったが、現地で工作支援にあたったF機関によってインド独立を考えていた。インド国民軍は独立に貢献したと称えられる一方、日本軍側としてインド人捕虜の拷問に加担した裏切り者であるとする評価もある。

見る 太平洋戦争とインド国民軍

インド洋

インド洋 インド洋(印度洋、インドよう、Indian Ocean、Oceanus Indicus オーケアヌス・インディクス)は、太平洋、大西洋と並ぶ三大洋の一つである。三大洋中最も小さい。面積は約7355万平方キロメートル (km2) である。地球表面の水の約20パーセントが含まれる。インド洋の推定水量は2億9213万1000立方キロメートルである。

見る 太平洋戦争とインド洋

イギリス帝国

大英帝国(だいえいていこく、British Empire)は、イギリスとその植民地・海外領土などの総称である。イギリス帝国(イギリスていこく)、グレートブリテン帝国ともいい、「グレートブリテン」(大英)という地名は「リトルブリテン」との区別に由来する。 帝国は時代ごとの性質により、以下のように区分される。

見る 太平洋戦争とイギリス帝国

イギリス人

イギリス人(イギリスじん、British people)、または、英国人 (えいこくじん)とは、イギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)の国民である。 イギリスは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、及び北アイルランドの4つのカントリー(country)から成る連合王国(立憲君主制国家)なので、基本的には、イングランド人、スコットランド人、ウェールズ人、によって構成される。

見る 太平洋戦争とイギリス人

イギリス海軍

王立海軍(おうりつかいぐん、Royal Navy)は、イギリスの海軍。イギリス海軍、英国海軍などとも表記される。

見る 太平洋戦争とイギリス海軍

イタリア王国

イタリア王国(イタリアおうこく、)は、現在のイタリア共和国の前身となる王国である。イタリア統一運動の流れの中で1861年に成立し、1946年に共和制へ移行した。

見る 太平洋戦争とイタリア王国

イタリア社会共和国

イタリア社会共和国(イタリアしゃかいきょうわこく、、RSI)は、1943年9月から1945年4月までローマ以北のイタリアに存在した国家である。成立当初は北部・中部イタリアを支配地域とする、第2のイタリア・ファシズム政権であったが、実質的にはドイツの傀儡国であり、親衛隊やドイツ国防軍の強い統制を受けた。 サロ共和国()とも呼ばれるが、これはRSIが建国初期にガルダ湖湖畔の町サロに政府をおいていたためである。法律上の首都はローマであったが、実務上の首都もサロから状況に合わせてブレシアやガルニャーノ、ヴェローナなどに遷都が繰り返され、最終的にはミラノに政府中枢が設置されていた。

見る 太平洋戦争とイタリア社会共和国

ウラジオストク

ウラジオストク( ヴラヂヴァストーク、,, 漢語: 海参崴、)は、ロシア沿海州最大の都市で行政の中心地である。日本海の金角湾周辺に位置し、面積は331.16平方キロメートル(127.86平方マイル)、人口は2021年現在で60万871人である。ウラジオストクは、極東連邦管区、および極東ロシア地域において、ハバロフスクに次いで2番目に大きな都市である。 1860年にロシア軍の前哨基地として設立された。1872年、太平洋に面したロシア海軍の主要基地が移設され、以後ウラジオストクは発展していく。1917年のロシア革命勃発後、1918年に外国軍に占領され、日本からの最後の撤退は1922年であった。このとき、ウラジオストクの反革命白軍部隊は速やかに崩壊し、ソ連政権が確立された。

見る 太平洋戦争とウラジオストク

ウルグアイ

ウルグアイ東方共和国(ウルグアイとうほうきょうわこく、República Oriental del Uruguay)、通称ウルグアイは、南アメリカ南東部に位置する共和制国家である。首都はモンテビデオ。北と東にブラジルと、西にアルゼンチンと国境を接しており、南は大西洋に面している。スリナムに続いて南アメリカ大陸で二番目に面積が小さい国であり、コーノ・スールの一部を占める。

見る 太平洋戦争とウルグアイ

ウィルヘルミナ (オランダ女王)

ウィルヘルミナ(Wilhelmina, 1880年8月31日 - 1962年11月28日、在位:1890年11月23日 - 1948年9月4日)は、第4代オランダ国王(女王)。 オランダ国王ウィレム3世と後妻である王妃エンマの長女で、1948年に娘のユリアナに譲位するまで58年にわたり在位した。1890年のウィルヘルミナ即位以後、2013年に孫ベアトリクスが退位し曾孫ウィレム=アレクサンダーが即位するまでオランダは女王の治世が3代123年続くことになる。

見る 太平洋戦争とウィルヘルミナ (オランダ女王)

ウィンストン・チャーチル

サー・ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル (、1874年11月30日 - 1965年1月24日)は、イギリスの政治家、陸軍軍人、作家。

見る 太平洋戦争とウィンストン・チャーチル

ウスリー川

ウスリー川(ウスリーがわ、ウスリー江(ウスリーこう)とも、ᡠᠰᡠᠷᡞᡠᠯᠠ 転写:usuri ula、中国語:Wūsūlǐ Jīang 乌苏里江(烏蘇里江)、ロシア語:река Уссури)は、ユーラシア大陸の北東部を流れる川。アムール川の支流のひとつ。ロシア沿海地方・ハバロフスク地方と中国東北部吉林省・黒竜江省の国境をなす川として重要視される。 ロシア沿海地方の中央を貫くシホテアリニ山脈の雪融け水や泉から無数の川が発し、ウスリー・タイガと呼ばれる松や広葉樹林の原生林を西に流れた後、東北に向きを変えて、西側のという山脈と並行しながら、次々に支流を合わせながらロシア・中国の国境を流れ、ハバロフスクの近くでアムール川に合流する。合流点に中露の領土争いの対象となってきた中州である黒瞎子島(大ウスリー島)がある。

見る 太平洋戦争とウスリー川

エノラ・ゲイ

広島出撃に際し機長席から手を振るポール・ティベッツ大佐 エノラ・ゲイ(Enola Gay)は、太平洋戦争末期に運用されたアメリカ陸軍航空軍第509混成部隊第393爆撃戦隊所属のB-29の機名。B-29の中で原爆投下用の改造(シルバープレート形態)が施された15機の内の1機である。ビクターナンバー82、機体番号44-86292号機。 1945年8月6日午前8時15分に広島県広島市に原子爆弾(原爆)「リトルボーイ」を投下したことで知られる。また、同年8月9日の長崎県長崎市への原爆投下の際にも、投下の第1目標となった小倉市(現北九州市)の天候観測機として作戦に参加している。

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エルヴィン・ロンメル

エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル(Erwin Johannes Eugen Rommel 、1891年11月15日 - 1944年10月14日)は、ドイツの陸軍軍人。最終階級は陸軍元帥。 第二次世界大戦のフランスや北アフリカでの戦闘指揮において驚異的な戦果を挙げた、傑出した指揮官として知られる。特に、広大な砂漠に展開された北アフリカ戦線においては、巧みな戦略・戦術によって戦力的に圧倒的優勢なイギリス軍をたびたび翻弄し、「砂漠の狐」の異名で呼ばれる活躍を見せた。その活躍によって、敵対する側のイギリス首相チャーチルが、庶民院における演説で「偉大な将軍と申してよいかと思われます」と異例の賞賛を行うなど高く評価し、第二次世界大戦で戦った将軍の中ではもっとも著名で、世界中から賞賛された。

見る 太平洋戦争とエルヴィン・ロンメル

エルサルバドル

エルサルバドル共和国(エルサルバドルきょうわこく、)、通称エルサルバドルは、中央アメリカ中部に位置する、ラテンアメリカの共和制国家である。北西にグアテマラ、北と東にホンジュラスと国境を接しており、南と西は太平洋に面している。中央アメリカ5か国のうち唯一、カリブ海に面していない。首都はサンサルバドル。 カリブ海の島国を除く米州大陸部全体で最小の国家であるが、歴史的に国土の開発が進んでいたこともあり、人口密度では米州最高である。

見る 太平洋戦争とエルサルバドル

エンタープライズ (CV-6)

エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) は、アメリカ海軍が第二次世界大戦で運用した航空母艦。ヨークタウン級の2番艦。アメリカ海軍においてエンタープライズの名を受け継いだ艦としては、七隻目にあたる。艦名の “Enterprise” は、「冒険心」「困難への挑戦」「進取の気性」「企業」といった意味を持つ。排水量2万トンと空母としては中型でありながらも、その戦いぶりから “ビッグ E”(偉大なE)の愛称で親しまれ、大戦中に大小15回の損傷を受けながらも、高いダメージコントロール能力と幸運により沈まず大戦を生き抜いた。その外 “ラッキー E(幸運なE)”、“グレイゴースト(灰色の亡霊)”、“ギャロッピングゴースト(駆け回る亡霊)” の愛称もあった。ビッグEやラッキーEの “E” には、“Enterprise”(冒険心)の頭文字の意味と共に “Excellence”(優秀)、“efficient awards”(能率の良い艦艇に授与された賞)の頭文字の意味も含まれていた。

見る 太平洋戦争とエンタープライズ (CV-6)

エニウェトク環礁

エニウェトク環礁 上空から見たエニウェトク環礁。 エニウェトク環礁 (エニウェトクかんしょう、Eniwetok Atoll) は、中部太平洋、マーシャル諸島にある環礁。 円周80kmのラグーンとその周囲のおよそ40の島からなり、島の面積は合計6km2以下である。ラリック列島で2番目に西にある環礁で北緯11度30分、東経162度20分に位置する。人口は1990年現在で820人である。エニウェタク環礁とも呼ばれる。

見る 太平洋戦争とエニウェトク環礁

エニグマ (暗号機)

エニグマのロゴ エニグマ (Enigma) とは、第二次世界大戦でナチス・ドイツが用いたローター式暗号機である。幾つかの型がある。暗号機によって作成される暗号も広義にはエニグマと呼ばれる。名称はギリシア語に由来し、「謎」を意味する。 エニグマ暗号機 エニグマ暗号機は、1918年にドイツの発明家アルトゥール・シェルビウスによって発明された電気機械式暗号機械で、1925年にはドイツ軍が正式に採用。続いてドイツ政府や国営鉄道なども採用し、3万台以上を販売した。 暗号方式は換字式であり、詳しくは順変多表式である。エニグマはと同様な反転暗号となり、暗号文を同じ鍵で再暗号化すると平文が得られる特徴がある。

見る 太平洋戦争とエニグマ (暗号機)

エアボーン

エアボーン(airborne)は、航空機により部隊を機動・展開させる戦術。輸送機や軍用グライダーを使って直接着陸する方法と、パラシュートによる降・投下による方法がある。またヘリコプターを使用するものはヘリボーンとして区別される。 日本語では日本陸軍の造語である「」または「」を略した「」と称され、陸上自衛隊では「空挺」と言う語をそのまま用いている。「挺進」を「挺身」と書く場合があるが、挺身には「身を捨てる」という意味があり、危険を顧みず自身の身を捨てて敵陣中に降下する姿を形容した語である。

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エクアドル

、通称エクアドルは、南アメリカ大陸北西部に位置する共和制国家。北にコロンビア、東と南にペルーと国境を接し、西は太平洋に面する。本土から西に1,000キロメートルほど離れたところにガラパゴス諸島(スペイン語ではコロン諸島:)を領有する。首都はキトで、最大の都市はグアヤキルである。なお、国名のエクアドルはスペイン語で「赤道」を意味する。

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エセックス級航空母艦

エセックス級航空母艦 (エセックスきゅうこうくうぼかん、) は、アメリカ海軍の航空母艦の艦級。1942年から1946年にかけて計23隻が就役し (1950年に追加で未成艦1隻が大規模な改修を施して就役) 、アメリカ海軍史上、艦隊型空母としては最多の建造数となった。 第二次世界大戦開戦時におけるアメリカ海軍の空母の理想像を具現化した艦であり、また第二次世界大戦後もジェット機対応などの改修を受けつつベトナム戦争まで運用され、アメリカ海軍の艦隊航空兵力の一翼を担った。

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オランダ領東インド

オランダ領東インド(オランダりょうひがしインド、蘭領東印度、Nederlands-Indië、Hindia Belanda)、通称蘭印は、かつてオランダが宗主国として支配した東南アジア島嶼部に存在した植民地、あるいはその領域をさす名称である。その領土は、今日のインドネシア共和国とマレーシアのマラッカ州にほぼ相当します。総督府はバタヴィア(現ジャカルタ)にあった。 オランダによるバタヴィア占領から始まった東インド支配については「300年(または350年)におよぶ植民地支配」という呼び方があるが、今日のインドネシアの版図をあらわす「サバン(スマトラ島最西北部にある町)からムラウケ(ニューギニア島最東端の町)まで」の領域をオランダがほぼ完全に掌握したのは20世紀初頭のことである。

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オレゴン州

オレゴン州の地図 エコラ州立公園から南を望む。遠景にヘイスタック・ロックが見える。 オレゴン州(オレゴンしゅう、State of Oregon)は、北米西海岸に位置するアメリカ合衆国33番目の州。太平洋に沿って北にワシントン州、南にカリフォルニア州と接し、内陸の南東はネバダ州、東はアイダホ州である。北はコロンビア川、東はスネーク川が州境の大半を形作っている。1843年にオレゴン・カントリーの自治的な政府を樹立した交易業者、探検家および開拓者が訪れるまでは、アメリカ・インディアンの多くの部族が住んでいた。1848年にオレゴン準州が設立され、1859年2月14日にアメリカ合衆国33番目の州に昇格した。

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オーストラリア海軍

オーストラリア海軍(オーストラリアかいぐん、、RAN)はオーストラリアが保有する海軍。正式に訳すと王立オーストラリア海軍である。

見る 太平洋戦争とオーストラリア海軍

オブザーバー (イギリスの新聞)

オブザーバー(The Observer)はイギリスの一般紙で、毎週日曜日発行の新聞である。

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オアフ島

オアフ島(オアフとう、ハワイ語:O‘ahu、英語:Oahu)は、ハワイ諸島のうちの一つの島であり、3番目に大きい島である。ハワイ州ホノルル郡に属し、州都ホノルル市がある。愛称は集いの島 (The Gathering Place)。

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オセアニア

国連による世界地理区分 オセアニア()または大洋州(たいようしゅう)は、六大州の一つ。太平洋上の大陸、島嶼の地域を指し、一般的な解釈では、16か国(オーストラリア連邦、キリバス共和国、クック諸島、サモア独立国、ソロモン諸島、ツバル、トンガ王国、ナウル共和国、ニウエ、ニュージーランド、バヌアツ共和国、パプアニューギニア独立国、パラオ共和国、フィジー共和国、マーシャル諸島共和国、ミクロネシア連邦)、および25の保護領(右国数欄参照)を指す。 また、最も広く解釈すると太平洋上のすべての島国を指して使われ、この場合日本、台湾、フィリピン、インドネシアまで含まれる。

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カリフォルニア州

カリフォルニア州(カリフォルニアしゅう、State of California)は、アメリカ合衆国西部、太平洋岸の州。アメリカ西海岸の大部分を占める。

見る 太平洋戦争とカリフォルニア州

カルタゴ

カルタゴ(Carthāgō または Karthāgō カルターゴー、قرطاج )は、紀元前にアフリカ大陸の北岸を中心に地中海貿易で栄えた、フェニキア人による国家。中心となる都市(首都)はチュニス湖東岸にあった。地理的には、現在のチュニジア共和国の北側を中心とした。カルタゴは造船技術や水運や海上貿易のノウハウに優れ、地中海の貿易によって経済力や軍事力を誇り、地中海の西部の海上交易を支配した。文化の中心地としても栄え、アフリカ北岸の広域やイベリア半島の南側を領土として支配した。地中海南岸に本拠地を持つ大国であり、地中海北側に本拠地を持つローマと競い合った。

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カロリン諸島

カロリン諸島(カロリンしょとう、Caroline Islands)は、西太平洋、ミクロネシア南部にある諸島。

見る 太平洋戦争とカロリン諸島

カーチス・ルメイ

カーチス・エマーソン・ルメイ(Curtis Emerson LeMay、カーティス・ルメイまたはカーチス・E・ルメイ、1906年11月15日 - 1990年10月1日)は、アメリカ合衆国の陸軍軍人、空軍軍人。最終階級は空軍大将。第二次世界大戦中は第20空軍隷下の第21爆撃集団司令官に赴任し、東京大空襲を指揮。1957年7月から1965年2月まで第5代空軍参謀総長を務め、在任中はキューバ危機の間にキューバのミサイルサイトの爆撃を呼びかけ、ベトナム戦争の間に持続的な北ベトナム爆撃キャンペーンを求めた。

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カサブランカ会談

カサブランカ会談(カサブランカかいだん、Casablanca Conference)は、第二次世界大戦中に行われた連合国の首脳会談の一つ。1943年1月14日から23日にかけて、モロッコのカサブランカにおいて開催された。

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ガダルカナル島

島内にアメリカ合衆国が建てた慰霊碑 ガダルカナル島(ガダルカナルとう、)は、ソロモン諸島最大の島であり、同国の首都ホニアラがある。第二次世界大戦の激戦地で、展開した日本軍部隊の多くが補給路を絶たれ、多数の餓死者を出したことから、略称のガ島をもじった餓島(がとう)とも呼ばれた。現地先住民の言葉では「イサタブ(Isatabu)」と称する。

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ガダルカナル島の戦い

ガダルカナル島の戦い(ガダルカナルとうのたたかい、Battle of Guadalcanal)は、第二次世界大戦において1942年8月以降日本軍と連合軍が西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って繰り広げた戦いである。ミッドウェー海戦と共に太平洋戦争における攻守の転換点となった。日本側は激しい消耗戦により、戦死者だけでなく兵員に多数の餓死者を発生させたうえ、軍艦、航空機、燃料、武器等多くを失った。

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キューバ

キューバ共和国(キューバきょうわこく、República de Cuba)/レプブリカ・デ・クバ/、通称キューバは、カリブ海の大アンティル諸島(西インド諸島の一部)に位置する共和制国家。首都はハバナ。人口は10,985,974人 (2023年現在)。 キューバ共産党による一党独裁体制が敷かれている。政治思想としてはマルクス・レーニン主義(ソ連のスターリンが考案)とホセ・マルティ思想を採用している。

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ギルバート諸島

ギルバート諸島 ギルバート諸島 (ギルバートしょとう、Gilbert Islands) は、太平洋にある16の珊瑚礁の島および環礁からなる、キリバス領の諸島。

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クラーク空軍基地

クラーク空軍基地(クラークくうぐんきち、Clark Air Base)は、かつてフィリピンの首都マニラの北西約60km、ルソン島のパンパンガ州アンヘレスの北西部に存在したアメリカ空軍の基地。 基地名は、1919年にパナマ運河近くで水上機の事故で亡くなった、少佐の名からとられた。

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クリミア半島

クリミア半島(クリミアはんとう)、または単にクリミア(Crimea, Крым, Крим, Къырым)は、黒海の北岸にある半島。面積は、2014年1月1日時点の人口は235万3100人。

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クレメント・アトリー

初代アトリー伯爵クレメント・リチャード・アトリー(Clement Richard Attlee, 1st Earl Attlee、1883年1月3日 - 1967年10月8日)は、イギリスの政治家、弁護士、陸軍軍人。同国第62代首相(在任:1945年7月26日 - 1951年10月26日)。労働党党首、王璽尚書、副首相などを歴任。1955年に世襲貴族のアトリー伯爵に叙爵された。 ラムゼイ・マクドナルド以来2人目の労働党出身の首相で、史上初めて労働党が庶民院で過半数の議席を制し、安定的な政権運営を行うことができた。内政では社会民主主義の立場から、充実した社会保障制度の創設や基幹産業の国有化などを政策を推し進め、イギリスはベヴァリッジ報告書構想に基づく福祉国家の建設に歩みだした。外交では長年のイギリスの植民地であったインド・パキスタン・セイロン・ビルマの独立承認などを実行した。アトリーの政権担当時期に東西冷戦が勃発したが、外相アーネスト・ベヴィンの主導でアトリー内閣は反共主義の立場を明確にし、イギリスは、東側陣営に対抗するための集団安全保障体制である、北大西洋条約機構(NATO)の原加盟国の一つとなった。

見る 太平洋戦争とクレメント・アトリー

クロード・イーザリー

クロード・ロバート・イーザリー(Claude Robert Eatherly、1918年10月2日 - 1978年7月1日)は、アメリカ空軍の軍人。最終階級は少佐。 テキサス州出身。

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クェゼリン環礁

ピースキーパー弾道ミサイル実験で落下する疑似核弾頭 クェゼリン環礁(クェゼリンかんしょう、 )は、マーシャル諸島、ラリック列島にある環礁。クワジェリン、クワジャリンとも呼ばれる。

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グレート・アーティスト

グレートアーティスト ノーズアート グレート・アーティスト(The Great Artiste)は、第二次世界大戦時のアメリカ軍第509混成部隊に所属したB-29長距離通常爆撃機の機名(機体番号44-27353)。 同機もまたB-29爆撃機の中で原爆投下用の改造が施された(シルバープレート)15機のうちの一機である。 1945年8月6日の「エノラ・ゲイ」による広島への原子爆弾「リトルボーイ」投下の際は被害の科学的調査のために観測機として参加している(詳細記事:広島原爆投下)。 1945年8月9日に長崎への原子爆弾「ファットマン」を投下した「ボックスカー」の操縦士チャールズ・スウィーニー少佐の通常の搭乗機だった。また、「ボックスカー」の機長フレデリック・ボック少佐は、観測機として長崎へ「グレート・アーティスト」を操縦した(そのため後に長崎への原爆投下時の両機の機長が間違われる原因となっている)。

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グアム

グアム英語発音はグワーム。「ア」を小書きし、「グァム」と表記することもある。発音でアが抜けて、「ガム」と言う場合もあった。(、)は、太平洋にあるマリアナ諸島南端の島。アメリカ合衆国の準州。 1898年の米西戦争からアメリカ合衆国の海外領土。第二次世界大戦下で1941年から1944年にかけて日本軍が占領統治し、「大宮島(おおみやとう)」と呼ばれた。

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グアテマラ

グアテマラ共和国(グアテマラきょうわこく、)、通称グアテマラは、中央アメリカ北部に位置する共和制国家である。北にメキシコ、北東にベリーズ、東にホンジュラス、南東にエルサルバドルと国境を接しており、北東はカリブ海に、南は太平洋に面する。人口は約1720万人で、中央アメリカでは最も人口の多い国であり、アメリカ大陸では11番目に人口の多い国である。グアテマラは間接民主主義国家である。首都および最大都市はヌエバ・グアテマラ・デ・ラ・アスンシオンで、グアテマラシティとしても知られ、中央アメリカ最大の都市である。 メソアメリカ大陸に広がっていたマヤ文明の中心は、歴史的に現在のグアテマラの領土を拠点としていた。16世紀、この地域の大部分はスペインに征服され、ニュースペイン総督領の一部として領有権を主張した。1821年、グアテマラはスペインとメキシコから独立した。1823年に中央アメリカ連邦共和国の一部となったが、1841年に解散した。

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ケニア

、通称ケニアは、東アフリカに位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。北にエチオピア、北西に南スーダン、西にウガンダ、南にタンザニア、東にソマリアと国境を接し、南東はインド洋に面する。 首都のナイロビはアフリカ大陸有数の世界都市で、国際連合環境計画と国際連合人間居住計画の本部が置かれている。

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コルカタ

コルカタ(কলকাতা)は、インドの西ベンガル州の州都。世界屈指のメガシティであり、市域の人口密度は首都デリーや、インドの最大都市であるムンバイ以上である。イギリスの帝国主義政策における主要な拠点として建設され、イギリス領インド帝国時代の前半は植民地政府の首都機能を有していた。 2011年の市域人口は448万人。2016年の近郊を含む都市圏人口は1,481万人であり、世界第20位、インドではデリーとムンバイに次ぐ第3位である。和名で甲谷佗、加爾各搭、軽骨田という表記も可能である。

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コレヒドール島

コレヒドール島の砲台跡(2005年8月撮影) マリンタ・トンネル内展示室(2005年8月撮影) コレヒドール島(コレヒドールとう、Corregidor)はフィリピン、ルソン島マニラ湾の入り口に浮かぶ小島。 マニラ湾口に位置し、おたまじゃくしのような形をしたコレヒドール島はマニラの西48 kmの地点にある。マニラ湾の入り口という位置から、スペイン人の到来以来、わずかに南にあるカバヨ島と共にマニラを海から守る戦略上の拠点として利用されてきた。島の広さは9平方キロ。行政上はカヴィテ州に属している。

見る 太平洋戦争とコレヒドール島

コロンボ

コロンボ(කොළඹ、கொழும்பு、Colombo)は、スリランカの最大都市。同国の経済的な中心都市であり、かつては首都であった。 名称の由来はシンハラ語で「マンゴーの樹の茂る海岸」を意味する「Kola-amba-thota」がポルトガル語でのクリストファー・コロンブスの名であるコロンボに置換えられたもの。 2011年の人口は752,993人(コロンボ都市圏の人口2,323,826人)。セイロン島の南西に位置しており、郊外には新首都であるスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテが存在する。スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテはコロンボの衛星都市であることから、遷都後もしばしばコロンボが首都として扱われる。またコロンボは西部州の州都であり、コロンボ県の県都でもある。 コロンボは現代的な生活と植民地風の建築物、それに旧跡が入り混じった、忙しく活気のある都市である。 化学工業、繊維産業、ガラス工業、皮革製品、家具、宝石などのスリランカの大企業の大半はその本部をコロンボに置く。ある石油精製施設はコロンボ近郊にある。 コロンボにはコロンボ大学や多くの大学と研究所、国立美術館、多くの教会やモスク、仏教やヒンドゥー教の寺院がある。郊外に仏教系大学が2つある。亜大陸一の港など、南アジア有数のインフラが整備された都市である。 南アジア最初のラジオ局であるラジオセイロンとして知られたスリランカ放送協会(SLBC放送局)はコロンボにある。

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コロンビア

コロンビア共和国(コロンビアきょうわこく、)、通称コロンビアは、南アメリカ北西部に位置する共和制国家である。東にベネズエラ、南東にブラジル、南にペルー、南西にエクアドル、北西にパナマと国境を接しており、北はカリブ海、西は太平洋に面している。南アメリカ大陸で唯一、太平洋と大西洋の2つの大洋に面した国である。首都はボゴタ。 コロンビアは非常に多様な環境と文化、民族(88の部族と200の言語集団)を持つ国であり、ヨーロッパからの入植者、アフリカ人の奴隷の末裔、ヨーロッパ人が渡来する前からの先住民族が混在している。ヨーロッパ、中東、アジアからの移民が19世紀から20世紀の間に多く移住した。 コロンビアでは1960年代から政府軍、左翼ゲリラ、極右民兵の三つ巴の内戦が50年以上も続いている。

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コンセプト

コンセプト(concept)。

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コーデル・ハル

コーデル・ハル(Cordell Hull、1871年10月2日 - 1955年7月23日)は、アメリカ合衆国の政治家。フランクリン・ルーズベルト大統領の下で1933年から1944年までアメリカ合衆国国務長官を務めた。国際連合の創設に尽力して1945年のノーベル平和賞を受賞し、「国連の父」と称される。

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コスタリカ

コスタリカ共和国(コスタリカきょうわこく、)、通称コスタリカは、中央アメリカ南部に位置する共和制国家。北にニカラグア、南東にパナマと国境を接しており、南は太平洋、北はカリブ海に面している。首都はサンホセである。国土面積は51,060 km2で、人口は約500万人である。首都であり最大都市であるサンホセには推定333,980人が住んでおり、周辺の都市圏には約200万人が住んでいる。

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シャルル・ド・ゴール

シャルル・アンドレ・ジョセフ・マリー・ド・ゴール(Charles André Joseph Marie de Gaulle、1890年11月22日 - 1970年11月9日)は、フランスの政治家、陸軍軍人。同国第18代大統領(在任:1959年1月8日 - 1969年4月28日)。 1940年5月のナチス侵攻による本国失陥後、イギリス・ロンドンにてロレーヌ十字の自由フランスを樹立してレジスタンスと共闘し、臨時政府で最初の首相となり、1959年1月に第五共和政で最初の大統領に就任した。任期中はアルジェリアの独立の承認・フランスの核武装・NATOの軍事機構からの離脱などを実現した。フランスでは救国の英雄として絶大な尊崇を集め、20世紀フランス最高の政治家の一人と見做されている。通称ド・ゴール将軍(le général de Gaulle)。フランスで単にル・ジェネラル(le Général)と呼べばド・ゴールを指す。

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シルバープレート

シルバープレート(Silverplate)とは、第二次世界大戦末期に原子爆弾投下任務を遂行するために改修を受けた特殊仕様のB-29を指す呼称、及びその計画のコードネームである。 銀メッキを意味するSilver Plateが語源だが、Silverplateとスペースが入らない表記が用いられた。ただし、計画の初期段階にはSilver Plated Projectとわかち書きで記されていた時期もある。

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シンガポールの戦い

シンガポールの戦い(シンガポールのたたかい、Battle of Singapore)は、第二次世界大戦/大東亜戦争(太平洋戦争)初期の1942年2月8日から2月15日にかけて、イギリスの海峡植民地のシンガポールで大日本帝国陸軍と連合国軍の間で行われた戦闘である。 2倍を超える兵力差を覆して、当時難攻不落と謳われたシンガポール要塞を日本軍が10日足らずで攻略した結果、イギリスが率いる軍としては歴史上最大規模の将兵が降参した。当時のイギリス首相であったウィンストン・チャーチルは自書で「英国軍の歴史上最悪の惨事であり、最大の降伏」と評している。

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シーレーン

シーレーンとは、一国の通商上・戦略上、重要な価値を有し、有事に際して確保すべき海上交通路のことである。英語の類義語はSLOCs(Sea Lines of Communication)である。

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シベリア出兵

シベリア出兵(シベリアしゅっぺい、Siberian Intervention)とは、1918年から1922年までの間に、第一次世界大戦の連合国(イギリス・日本・フランス・イタリア・アメリカ・カナダ・中華民国)が「革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出する」を名目にシベリアに共同出兵した、ロシア革命に対する干渉戦争の一つ。シベリア事変とも言う。 共産主義の封じ込めという目的のほかに帝政時代の外債と、露亜銀行などのさまざまな外資を保全する狙いもあった。 日本は1918年8月11日のウラジオストク上陸以来、増兵を繰り返して協定兵力を大きく超える兵力7万2,000人を派兵。ハバロフスクや東シベリア一帯を占領したが、日本の反ボルシェヴィキ政権樹立工作は酷寒とパルチザンの抵抗にあって不成功に終った。

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シベリア鉄道

シベリア鉄道(シベリアてつどう、Транссибирская магистраль)は、ロシア連邦のシベリアとヨーロッパロシアを東西に横断する鉄道。全長は9,297キロメートルで、世界一長い鉄道である。これとは別に、第二シベリア鉄道(バイカル・アムール鉄道、バム鉄道)もある。 ロシア帝国時代に建設され、2022年時点では会社形態のロシア鉄道により運営されている「前進 シベリア鉄道/速度向上、バイパス活用へ設備改良/東西物流逼迫、復活の好機」『北海道新聞』夕刊2021年6月15日1面掲載の共同通信記事「シベリア鉄道、日欧貨物100倍/双日・JRなどと協力へ」記事およびロシア鉄道ミシャリン第一副社長インタビュー。『日経産業新聞』2019年6月28日(グローバル面)。

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シベリア抑留

シベリア抑留(シベリアよくりゅう、英:The internment in Siberia)は、第二次世界大戦の終戦後、武装解除され投降した日本軍捕虜や民間人らが、ソビエト連邦(ソ連)によってシベリア、カザフ、キルギス、ウズベクなどソ連各地、モンゴル人民共和国(モンゴル抑留)などソ連の衛星国へ労働力として連行され、長期にわたる抑留生活、厳寒・飢え・感染症の蔓延る過酷な強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する総称である。男性の被害者が多いが女性も抑留されている。 ソ連対日参戦によってソ連軍に占領された満洲、朝鮮半島北部、南樺太、千島列島などの地域で抑留された日本人は約57万5千人に上る 厚生労働省(2022年8月23日閲覧)。厳寒環境下で満足な食事も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、約5万8千人が死亡した。このうち氏名など個人が特定された数は2019年12月時点で4万1362人。これは全抑留者の約1割で、これは日本国内に連行されてきた連合軍捕虜の死亡率とほぼ同程度という。ただし、この死者の多くが初年目の冬に集中している。2年目からは待遇が改善されて、死亡率は大幅に減っている。但しアメリカの研究者ウイリアム・ニンモによれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したというウイリアム・ニンモ、Nimmo, William F.『検証--シベリア抑留』加藤 隆、時事通信社、1991年。

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シカゴ

シカゴ(Chicago、)は、アメリカ合衆国のイリノイ州クック郡にある都市。クック郡の郡庁所在地である。 イリノイ州最大にして北アメリカ屈指の世界都市。国内ではニューヨークとロサンゼルスに次ぐ人口を持つ。シカゴは150年以上、全米で最も混雑する鉄道中心地であり続けており、鉄道車両の4台に1台はシカゴを経由するか起点・終点としている。

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シカゴ・トリビューン

シカゴ・トリビューン(、1847年 - )は、アメリカ合衆国の中西部における主要な新聞である。"World's Greatest Newspaper"と自称している(この頭文字を取った、WGNという自ら所有するテレビ・ラジオ局もシカゴにある)。 「シカゴ・トリビューン」とは、「シカゴの護民官」の意。

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ジミー・ドーリットル

ジェイムズ・ハロルド・ドゥリトル(James "Jimmy" Harold Doolittle, 1896年12月14日- 1993年9月27日)は、アメリカ陸軍の軍人、パイロット。日本ではドーリットルと表記されることが多い。1925年のシュナイダー・トロフィー・レースで優勝したことや1942年4月18日のドーリットル空襲を指揮したことで有名である。

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ジャワ島

18世紀初頭のジャワ島の地図 ジャワ島(ジャワとう、Jawa、Java、ꦗꦮ、 ᮏᮝ)は、インドネシアを構成する島の一つ。インドネシアの総人口の半分以上が居住し、世界一人口の多い島。インドネシアの首都・ジャカルタがある。スマトラ島などとともに、大スンダ列島を形成する。形状は東西に細長い。スマトラ島の東、カリマンタン島の南、バリ島の西に位置する。ジャワ島には4つの州と2つの特別州がある。

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ジャワ沖海戦

ジャワ沖海戦(ジャワおきかいせん)は、第二次世界大戦の太平洋戦線において、1942年(昭和17年)2月4日に東南アジアで生起した日本海軍航空隊と連合軍ABDA艦隊との間の海戦#略歴(乙)S1702経過概要 p.4(昭和17年2月経過概要)〔 四日|「ジャワ」沖海戰 鹿屋空(flo×27) 高雄空(flo×9)「カンゲアン」島南ヲ航行中ノ敵C×6 d×5ヲ發見攻撃ス C×2撃沈 C×2大破セシム 〕。基地航空部隊の一式陸攻と九六陸攻が連合国軍巡洋艦部隊を攻撃して大戦果を報告したが、実際は軽微な被害であった。 本記事では、2月4日から5日にかけて日本軍基地航空隊がシンガポール増援輸送船団を攻撃して軍隊輸送船「エンプレス・オブ・エイジア」を撃沈した海空戦の顛末、2月15日にガスパル海峡で生起した日本海軍(基地航空部隊、馬来部隊)とABDA艦隊の戦闘についても記述する#略歴(乙)S1702経過概要 p.3(昭和17年2月)〔 十五日|菲島西部海上兵力ノ大部及31fgノfb隊「バタアン」方面ノ作戰ニ協力/「バンカ」島、「バレンパン」上陸陸軍部隊先遣部隊ノT護衛ノ海軍部隊「ムントク」入泊、陸軍ヲ上陸セシム/鳥海ノfs「バンカ」島北方ニテ敵C×3 d×5發見 航空部隊之ヲ攻撃ス/「シンガポール」英軍降伏 〕。2月15日の海戦では、パレンバン攻略部隊撃滅をめざすABDA艦隊を、日本海軍の基地航空部隊と空母龍驤艦上機が攻撃した。ABDA艦隊の被害は軽微だったが、輸送船団攻撃を断念して撤退した。

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ジョン・ロールズ

ジョン・ボードリー・ロールズ(John Bordley Rawls、1921年2月21日 - 2002年11月24日)は、アメリカ合衆国の哲学者。主に倫理学、政治哲学の分野で功績を残し、リベラリズムと社会契約の再興に大きな影響を与えた。 1971年に刊行した『正義論』(A Theory Of Justice)は大きな反響を呼ぶ。当初は、アイザイア・バーリンらが「政治理論はまだ存在するのか?」(1962年)と吐露するほどに停滞しきっていた当時の政治哲学業界を再興させるのに大きく貢献した。そのため、英語圏における正義論以降の政治哲学(規範政治理論、normative political theory)業界は「ロールズ・インダストリー」(Rawlsian industry)などとしばしば呼ばれる。

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ジョン・ダワー

ジョン・W・ダワー (、1938年6月21日 - ) は、アメリカ合衆国の歴史学者。マサチューセッツ工科大学名誉教授。専攻は、日本近代史。米国における日本占領研究の第一人者であり、1970年代の日本近代化論の批判でも知られる。

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ジョージ6世 (イギリス王)

ジョージ6世(、全名:アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ()、1895年12月14日 - 1952年2月6日)は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)ならびに海外自治領()の国王(在位:1936年12月11日 - 1952年2月6日)。また、最後のインド皇帝(在位:1936年12月11日 - 1947年6月22日)ならびに最初のコモンウェルス首長(在位:1949年4月28日 - 1952年2月6日)でもあった。

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ジョージ・マーシャル

ジョージ・キャトレット・マーシャル・ジュニア(George Catlett Marshall, Jr.、1880年12月31日 - 1959年10月16日)は、アメリカ合衆国の政治家、軍人。最終階級は元帥。 第二次世界大戦中の陸軍参謀総長としてアメリカを勝利に導き、戦後は国務長官、国防長官を歴任し、マーシャル・プランによってヨーロッパ復興を指導した。ウェストポイント以外の出身者として異例の出世をしている。

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ジョホールバル

ジョホールバル(ラテン文字:Johor Bahru、略称:JB、ジャウィ文字:جوهر بهارو)は、マレー半島最南端に位置する、マレーシア・ジョホール州の州都で、クアラルンプールに次いで2番目に大きい都市。日本語ではジョホール・バール、ジョホール・バルとも表記される。

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ジェット気流

ジェット気流(ジェットきりゅう、jet stream)とは、対流圏上層に位置する強い偏西風の流れ。 気流の流れを軸とすると、軸の中心に近いほど風速が速く、どこでも平均的な普通の風とは異なるのが特徴。成層圏などにも存在するが、単に「ジェット気流」という場合は対流圏偏西風のものを指す。 極を中心に特に上空8 - 13km付近で風速が最大となる。主要なものとして北緯40度付近の寒帯ジェット気流と北緯30度付近の亜熱帯ジェット気流がある。長さ数千km、厚さ数km、幅100km程度で、特に冬季には寒帯前線ジェット気流と亜熱帯ジェット気流が合流する日本付近とアメリカ大陸東部では風速は30m/sぐらいで中には100m/s近くに達することもあるが、夏期はその半分程度の風速に弱まる。

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スペイン語

スペイン語(スペインご、西:、エスパニョール)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語。俗ラテン語から発展して形成されたロマンス諸語の一つ。略して西語(せいご)とも書く。

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スマトラ島

主要都市。スマトラ島は面積において世界第6位。水平の青線は赤道、垂直は東経100度 地形図 赤線がスマトラ断層。赤の三角が火山 島北部にある巨大カルデラのトバ湖 バタック人の戦士(1870年) スマトラ島(スマトラとう、、سومترا)は、全域がインドネシア共和国、大スンダ列島に所属する世界で6番目に大きい島である。北部にはインドネシアで5番目に人口の多い都市メダンがある。マレー半島やカリマンタン島と同様に油田が存在し、特に中部のミナス油田はインドネシアで埋蔵量、産出量共に最大である。

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スバス・チャンドラ・ボース

署名 スバス・チャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose、ベンガル文字:সুভাষচন্দ্র বসু 、1897年1月23日 - 1945年8月18日)は、インドの独立運動家、インド国民会議派議長(1938 - 1939年)、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官。民族的出自はベンガル人。ネータージー(指導者、नेताजी, Netāji。ネタージ、ネタジ とも)の敬称で呼ばれる。なおベンガル語の発音は、シュバーシュ・チョンドロ・ボーシューが近い。

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スラバヤ沖海戦

スラバヤ沖海戦(スラバヤおきかいせん、Battle of the Java Sea、Slag in de Javazee)は、太平洋戦争最初の水上部隊間の海戦である。1942年2月27日に勃発した。当時、日本軍はジャワ島の攻略に向かっており、その輸送船団を護衛するために艦隊が派遣された。そしてスラバヤ沖でカレル・ドールマン司令官率いるアメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア連合艦隊と遭遇し攻撃を受けた事で戦いが勃発。日本側は高木武雄司令官率いる巡洋艦4隻と駆逐艦14隻であり、連合国側は巡洋艦5隻と駆逐艦10隻であった。戦いは7時間にわたって続き、その砲撃戦や魚雷戦は結局日本側の勝利に終わり、連合国側は巡洋艦2隻と駆逐艦5隻が沈没し、ドールマン司令官は戦死した。一方日本側の被害は駆逐艦1隻の損傷であった。

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スリランカ

スリランカ民主社会主義共和国(スリランカみんしゅしゃかいしゅぎきょうわこく)、通称スリランカは、南アジアのインド亜大陸の南東にポーク海峡を隔てて位置する共和制国家。旧国称はセイロンで、現在もこの国が占める主たる島をセイロン島と呼ぶ。最大都市はコロンボで、首都はコロンボ郊外に位置するスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ。人口は約2,167万人(2018年)である。 1948年2月4日にイギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立。1972年にはスリランカ共和国に改称し、英連邦内の共和国となり、1978年から現在の国名となった。 国語はシンハラ語とタミル語で、国民の3/4がシンハラ人で構成される。また、国民の7割が仏教徒(上座部仏教)である。国の花はスイレンの花、国の宝石はブルーサファイア、国技はバレーボール。

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ストレートフラッシュ (航空機)

ストレート・フラッシュ ノーズアート ストレート・フラッシュ(Straight Flush)は、第二次世界大戦時に使用されたアメリカ陸軍航空隊、第509混成部隊、第393爆撃戦隊所属であるB-29長距離通常爆撃機の機名。ビクターナンバー85、機体番号44-27301号機。 ノーズアートは洋式便器の中に入れられ苦悶の表情を浮かべる日本兵。機長はクロード・イーザリー少佐。 原子爆弾を搭載するためにシルバープレート形態と呼ばれる、機体爆弾倉・懸吊装置等に改修を施し新型のエンジン・プロペラを取り付けた15機のB-29のうちの1機。なお、必要とあらば搭載量は少なくなるものの、通常爆弾や焼夷弾爆装も可能であった。

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スイス

スイス連邦(スイスれんぽう、、、)、通称スイスは、中央ヨーロッパに位置する連邦共和制国家。歴史によって、西欧に分類されることもある。 ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインに囲まれた内陸に位置し、国内には多くの国際機関の本部が置かれている。首都はベルンで、主要都市にはチューリッヒ、ジュネーヴ、バーゼル、ローザンヌなどがある。永世中立国であるが、欧州自由貿易連合に加盟しているほか、バチカン市国の衛兵はスイス傭兵が務めている。日本語表記のスイスはフランス語名に由来している。

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スカルノ

スカルノ(Sukarno、旧正書法ではSoekarno、姓なし、1901年6月6日 - 1970年6月21日)は、インドネシアの植民地時代(オランダ領東インド時代)から民族主義運動、独立運動において大きな足跡を残した政治家である。 Soekarnoでフルネーム。独立宣言後、同国の初代大統領となり、雄弁な演説とカリスマ性によって、大衆の民族意識を鼓舞した。1965年の「9月30日事件」によって失脚した後は不遇の晩年を送ったが、いまなお国民には「ブン・カルノ」(カルノ兄さん)と呼ばれ、国父(建国の父)として敬意をもって愛され続けており、紙幣(最高額面の10万ルピア)に肖像が使われている。

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スクラップ

スクラップ(scrap)とは、細切れ、細切れにする、細切れになってしまったという状態を意味する英語である。本稿では特に金属製品の廃棄物や、金属製品の製造工程で生じる廃金属について説明する。 俗語用法として、大きく損傷して修理再生の見込みがなくなった機械製品を指して“スクラップ”と通称することがある。 廃金属以外の意味としては、雑誌や新聞、写真を細切れにしてノートなどにまとめて貼り付けるスクラップブックがある。

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セルヒオ・オスメニャ

セルヒオ・オスメニャ(Sergio Osmeña, 1878年9月9日 - 1961年10月19日)は、フィリピンの政治家。第4代フィリピン共和国大統領。米領フィリピン自治領時代では2番目の大統領。1944年に65歳で大統領に就任。これはロドリゴ・ドゥテルテが2016年に71歳で大統領に就任するまで、同国の最高齢就任だった。 セブ州知事、フィリピン下院議員兼初代議長、そして上院議員兼議長代行を務めた。1935年、マニュエル・ケソン上院議員の大統領就任の際、副大統領に就任、1941年の再選を経て、1944年に自身が大統領に就任するまで務めた。

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セイロン沖海戦

セイロン沖海戦とベンガル湾機動作戦の経過概要(図の左側) セイロン沖海戦(セイロンおきかいせん)は、1942年4月5~9日にインド洋セイロン島沖で日本海軍とイギリス海軍の間で行われた戦闘。インド洋作戦の過程で発生した。本記事では、セイロン沖海戦前後に日本海軍が実施および計画した通商破壊作戦(ベンガル湾機動作戦、B作戦)についても述べる。

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ソロモン諸島

ソロモン諸島(ソロモンしょとう、Solomon Islands)は、南太平洋のメラネシアに位置する立憲君主制国家。イギリス連邦の一員にして英連邦王国の一国である。首都はガダルカナル島にあるホニアラ。 オーストラリアの北東、パプアニューギニアの東にある。北にはナウル、東にはツバル、南東にはフィジー、南にはバヌアツがある。地理的にはソロモン諸島に属するブーゲンビル島はパプアニューギニア領である。 6つ主要島からなる人口約70万人、100以上の部族方言をもつ多民族島嶼国。1978年に英国統治から独立後は、国内政治が断続的に不安定だった。特に最多人口かつ親台湾が多いマライタ島(マライタ州)と中央政府のあるガダルカナル島(ガダルカナル州)が反目している。

見る 太平洋戦争とソロモン諸島

ソロモン諸島の戦い

ソロモン諸島の戦い(ソロモンしょとうのたたかい)は、第二次世界大戦大日本帝国政府では大東亜戦争、連合国では第二次世界大戦太平洋戦線(The Pacific War)と呼称されていた中に日本軍と連合軍の間で、南太平洋ソロモン諸島の争奪をめぐり行われた戦闘である。 一連の戦闘の中で大きなものはガダルカナル島の戦いとブーゲンビル島の戦いであるが、このほかにも多くの陸海空の戦闘が行われた。

見る 太平洋戦争とソロモン諸島の戦い

ソビエト連邦

ソビエト社会主義共和国連邦(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、Союз Советских Социалистических Республик 、頭字語: СССР)は、1922年から1991年までユーラシア大陸北部に存在した社会主義国家。複数のソビエト社会主義共和国から構成される連邦国家であった。首都はモスクワ。 国土面積は約2240万km2で、世界最大の面積であった。国土の南西ではアジアとヨーロッパの各国と国境を接しており、一方の北東部では、海を挟んで北アメリカ大陸と向かい合っていた。また、人口は2億8000万人(1989年時点)と当時の中国とインドに次ぐ世界3番目と人口もかなり多かった。

見る 太平洋戦争とソビエト連邦

ソビエト連邦軍

ソビエト社会主義共和国連邦軍(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽうぐん、ロシア語:Вооружённые силы Союза Советских Социалистических Республик、略称:ВС СССР(ヴェーエスエスエスエスエル))は、ソビエト連邦(ソ連)が保有していた軍隊である。通常は略してソビエト連邦軍またはソ連軍と呼ばれる。ラテン文字でBC CCCPと書くのは誤り。

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ソ連対日宣戦布告

ソ連対日宣戦布告(ソれんたいにちせんせんふこく、Декларация СССР об объявлении войны Японии、Soviet Declaration of War on Japan)は、1945年(昭和20年)8月8日に、ソ連が日本に対して行った宣戦布告。

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タラワ

タラワ()は、キリバス共和国の首都であり、中部太平洋にある環礁の名称。日米では太平洋戦争中の激戦地として知られる。

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タイム (雑誌)

『タイム』(Time)は、アメリカ合衆国のニュース雑誌。1923年3月3日にニューヨークで創刊された。世界初のニュース雑誌として知られている。

見る 太平洋戦争とタイム (雑誌)

タイコンデロガ (空母)

タイコンデロガ (USS Ticonderoga, CV/CVA/CVS-14) はアメリカ海軍の航空母艦で、エセックス級航空母艦としては10番目に就役した。 艦名はアメリカ独立戦争時の古戦場に由来し、18世紀にニューヨーク州北部に作られたタイコンデロガ要塞から取られている。「タイコンデロガ」とはイロコイの言葉で「二つの水に挟まれた場所」の意味がある。同名の艦としては4隻目。「ビッグT」「ティコ」等の愛称で呼ばれた。 エセックス級正規空母のうち後期に建造された15隻は、1943年の対空火器改善計画により、艦首を延長して機銃座を増設する等の設計変更を踏まえて建造されている。このため、「長船体型 (a long-bow unit) 」「ロングハル」あるいは本艦を一番艦(ただし起工は「シャングリラ」、竣工は「ハンコック」のほうが早い)として「タイコンデロガ級航空母艦」と呼称・分類することがある。もっともこれは非公式な分類であり、アメリカ海軍では区別せず全て「エセックス級」として扱っている。 また、飛行甲板の短縮(艦首のボフォース 40mm機関砲およびMk.51 射撃指揮装置の視界確保のため先端が切り詰められている)、飛行甲板左舷の切り欠き(左舷に設置するMk.37 砲射撃指揮装置の視界確保のため少しくびれた形状になっている)といった設計変更も実施されたが、この特徴は「タイコンデロガ」と「ハンコック」にのみ見られるものである。 アポロ計画では、月飛行を終えて地球に戻ってきたアポロ16号とアポロ17号の宇宙船と宇宙飛行士を回収した。スカイラブ計画では、スカイラブ2号の宇宙飛行士3名を収容した。

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タイ王国

タイ王国(タイおうこく、ราชอาณาจักรไทย )、通称タイ(ประเทศไทย )は、東南アジアに位置する立憲君主制国家。首都はバンコク都。 東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国、通貨はバーツ、人口6609万人(2022年、 内務省による)である。

見る 太平洋戦争とタイ王国

タイ王国軍

タイ王国軍(タイおうこくぐん、、Royal Thai Armed Forces)は、タイにおける軍隊である。

見る 太平洋戦争とタイ王国軍

サラトガ (CV-3)

サラトガ(USS Saratoga, CV-3)は、アメリカ海軍の航空母艦。レキシントン級の2番艦。アメリカ海軍においてサラトガの名を受け継いだ艦としては5隻目にあたる。 「サラ」、「シスター・サラ」、「縦縞煙突のサラ(Stripe-Stack Sara)」、「サラ丸(Sara Maru)」などの愛称で呼ばれていた。 太平洋戦争の開戦時から参加して生き残った航空母艦3隻のうちの1隻(他の2隻は「エンタープライズ」と「レンジャー」)で、「サラトガ」は8個の従軍星章を授与され、1946年に海軍籍から除籍された。それまでの17年間で98,549機の航空機が「サラトガ」に降り、最大の空母着艦記録を保持している。

見る 太平洋戦争とサラトガ (CV-3)

サンディエゴ

サンディエゴ(英:San Diego、)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ郡にある都市。同州ではロサンゼルスに次いで人口が多く、アメリカ西海岸有数の世界都市。

見る 太平洋戦争とサンディエゴ

サンフランシスコ

サンフランシスコ市郡(サンフランシスコしぐん、City and County of San Francisco、漢字表記「桑港」)、通称サンフランシスコ(San Francisco) は、アメリカ合衆国西海岸にあるカリフォルニア州の北部に位置する都市であり、北米有数の世界都市。

見る 太平洋戦争とサンフランシスコ

サンタバーバラ

サンタバーバラ は、アメリカ合衆国カリフォルニア州南部の都市。人口は8万8665人(2020年国勢調査)。サンタバーバラ郡の郡庁所在地である。

見る 太平洋戦争とサンタバーバラ

サツマイモ

サツマイモ(薩摩芋、学名: )は、ヒルガオ科サツマイモ属の多年生植物。あるいはその食用部分である塊根(養分を蓄えている肥大した根、芋)。別名で、甘藷(かんしょ)、唐芋(からいも)ともよばれる。中南米の原産で、ヨーロッパ、中国、日本などへ広まり、各地で栽培されている。食用される塊根はデンプンやビタミン類を豊富に含み、焼酎原料や飼料にも利用される。また食物繊維が多く、便秘改善にも役立てられる。

見る 太平洋戦争とサツマイモ

サイパンの戦い

サイパンの戦い(サイパンのたたかい)は太平洋戦争中の1944年6月15日から7月9日にかけてサイパン島で行われた、アメリカ軍と日本軍の戦闘。 斎藤義次中将が指揮する第43師団を主力とした日本軍が守備するサイパン島に、ホーランド・スミス中将指揮のアメリカ軍第2海兵師団、第4海兵師団、が上陸し、戦闘の末に日本軍は全滅した。このサイパンの戦いにともない、海上ではマリアナ沖海戦(6月19日 - 20日)が発生した。

見る 太平洋戦争とサイパンの戦い

サイパン島

サイパン島(サイパンとう、Sa’ipan、Saipan)は、アメリカ合衆国の自治領である北マリアナ諸島の中心的な島。北マリアナ諸島の政治・経済の中心地で、主都ススペ (Susupe) や最大都市ガラパン(Garapan)も同島にある。1920年(大正9年)から1945年(昭和20年)までは国際連盟による日本の委任統治領となっていた。

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サウジアラビア

サウジアラビア王国(サウジアラビアおうこく、المملكة العربية السعودية)、通称サウジアラビアは、中東・西アジアに位置する絶対君主制国家。首都はリヤド。 世界2位の原油埋蔵量を持つ国であり、世界最大級の石油輸出国でもある。イスラム教最大の聖地メッカ(マッカ)と第2のマディーナ(メディナ)を擁する。世界銀行の定義では高所得国に分類され、アラブ諸国で唯一G20に加盟しているが、産業の多様性には乏しく、天然資源開発が主要産業となっている。 死刑制度や信教の自由・女性の人権が抑制されている状況など、欧州と異なる文化・法体制に対して国際社会から批判もある(詳細は#人権)。

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傀儡政権

傀儡政権(かいらいせいけん、puppet government)とは、ある領域を統治し、名目上は独立しているが、実態は事実上の支配者である外部の政権・国家によって管理・統制・指揮されている政権を指す。内政も外交も自己決定権が完全ではなく、支配者の利益のために操作・命令され統治される。傀儡国家(かいらいこっか、puppet state)とも呼ばれる。

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冷戦

冷戦(れいせん、、)もしくは冷たい戦争(つめたいせんそう)は、第二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国(アメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営)と、東側諸国(ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営)との対立構造。主に米ソ関係を軸に展開した。米ソ冷戦(べいそれいせん)や東西冷戦(とうざいれいせん)とも呼ばれる。「冷戦」とは、戦火を交えない戦争、つまり米ソが武力で直接には衝突しないという意味であるが、冷戦下では朝鮮戦争、ベトナム戦争、ソ連・アフガン戦争のように両国が介入して東西各勢力を支援する代理戦争が多数勃発した。

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内大臣

内大臣(ないだいじん)は、日本の律令官制で太政官に置かれた令外官の一つ。左大臣・右大臣に次ぐ官職。唐名は「内府(だいふ)」「内丞相」「内相国」「内僕射」。和訓は「うちのおおまえつぎみ/うちのおとど」。定員1名。官位相当は正・従二位。員外の大臣の意から「数の外(ほか)の大臣」とも、太政大臣と左・右大臣の三公を三台星と呼ぶのに対して「かげなびく星」とも呼ばれる。左大臣および右大臣の両人が欠員の場合や何らかの事情のために出仕できない場合に、代理として政務・儀式を司った。

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内務省 (日本)

内務省(ないむしょう、、Home Ministry)は、1873年(明治6年)11月10日から1947年(昭和22年)12月31日まで存在した日本の行政機関。警察や地方行政など内政一般を所管した。 旧憲法(大日本帝国憲法)下の日本では内政・民政を担う行政機関であり、強大な権限の集中から「官庁の中の官庁」、「官僚勢力の総本山」、「官僚の本拠」 などと呼ばれる最有力官庁であり、設立当初から国民生活統制の中核となったが、太平洋戦争の敗戦後、GHQの指令によって解体・廃止された。 内務大臣は、内閣総理大臣に次ぐ副総理の格式を持った官職とみなされていた(太政官制での歴代内務卿、及び1885年(明治18年)12月22日の内閣制度発足後の歴代内務大臣については「内務大臣 (日本)」を参照)。また、内務次官、警保局長、警視総監は「内務三役」と称された重職で、退任後は約半数が貴族院の勅選議員に選出された。

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内閣総理大臣官邸

内閣総理大臣官邸(ないかくそうりだいじんかんてい、Prime Minister's office/Prime Minister's Official Residence)は、日本の内閣総理大臣の官邸。 総理大臣官邸(そうりだいじんかんてい)ともいい、略称は総理官邸(そうりかんてい)、通称は首相官邸(しゅしょうかんてい)。所在地は東京都千代田区永田町二丁目3番1号。

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内閣総辞職

内閣総辞職(ないかくそうじしょく)とは、内閣を構成する内閣総理大臣及び国務大臣の全員が辞職することをいう。

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函館

函館(はこだて)。

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准将

准将(じゅんしょう)は、軍隊の階級の一。北大西洋条約機構の階級符号では、OF-6に相当する。最下級の将官あるいは最上級の佐官に区分され、少将の下、大佐の上に位置する。国によっては存在しないこともある。英語では陸軍や空軍の場合、通常佐官級准将はブリガディア(brigadier)、将官級准将はブリガディア・ジェネラル(brigadier general)と呼称するが、空軍の場合イギリス連邦方式 (Commonwealth system)ではエアー・コモドール(Air commodore)と呼称し、またフランス革命方式の呼称を使用する国では旅団将軍 (Brigade general)と呼称する。ただし、チリやメキシコの様に旅団将軍を少将位とし、その下位に准将位としてBrigadierないしBrigadier generalが置かれている国もある。なお海軍の場合、同格とされるコモドール(commodore)は、その職制から通常日本語では代将と呼称されることが多く、少将や下級少将を准将相当官とにしたり、ドイツ連邦海軍やデンマーク海軍などのように「Flotilla admiral」と独自の呼称とするなど国によってその表現はまちまちである。陸海空軍でそれぞれ呼称が異なる准将を総称しOne-star rankと呼ぶこともある。准将は伝統的に置かない軍もある。そのような国では上級大将・上級中将を将官に置く場合がある。また、少将から大将までの三階級制を採って尚且つ上級大佐ないし佐官級准将の無い国では外国軍准将を少将待遇とするケースがあり、また他国軍と共同作戦を行う場合、補職などによる階級調整が行われる。

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啓徳空港

啓徳空港(カイタックくうこう、けいとくくうこう、Kai Tak Airport)は、イギリス領香港・九龍のヴィクトリア・ハーバーに面した九龍城区、九龍半島の北東端にかつて存在していた国際空港及びイギリス空軍基地である。現・香港国際空港(1998年7月6日開港)が運用される前は、同空港が香港国際空港であった。

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八路軍

中華民国旗を持つ八路軍 八路軍(はちろぐん、パーロぐん、パールーグン、簡体字:八路军、)とは、日中戦争時に華北で活動していた中国共産党軍の通称である。1937年8月22日に毛沢東と朱徳が率いる中国工農紅軍が、中国国民政府の国民革命軍に編入されて第八路軍と呼称されたことに由来している。国民革命軍が戦時用の編制に移行していく中で、9月12日に第十八集団軍に改称されたが、共産党内では「八路軍」が党員用の公式名称として使われ続けた。9月23日に第二次国共合作が成立している。華南で活動していた新四軍と共に現在の中国人民解放軍の前身になった。

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元帥

元帥(げんすい、(陸軍、空軍)、Admiral of the fleet他(海軍))は、軍隊における階級、または称号。元帥号とも。階級を示す場合には大将よりもさらに上位で軍隊における最上級の階級であり、称号を示す場合には大将または上級大将の階級を持つ者の中から選ばれることが一般的である。広義の元帥には「大元帥・元帥・将帥・次帥・副元帥・代帥」などが区分されることもある。陸海空軍で呼称の異なる元帥を総称しFive-star rank(五つ星)と呼ぶこともある。

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兵站

タスク管理ピラミッドで表現した戦争術 兵站(へいたん、Military Logistics)は、軍事学上、戦闘地帯から見て後方の軍の諸活動・機関・諸施設を総称したもの。戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、また、実施する活動を指す用語でもあり、例えば兵站には物資の配給や整備、兵員の展開や衛生、施設の構築や維持などが含まれる。 兵站という漢語の字義は「軍の中継点」(Wiktionary「站」を参照)である。世界中で広範に使用される英語表記のロジスティクス(logistics)は、ギリシア語で「計算を基礎にした活動」ないしは「計算の熟練者」を意味する「logistikos」、またはラテン語で「古代ローマ軍あるいは東ローマの行政官・管理者」を意味する「logisticus」に由来する。

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光文社

株式会社光文社(こうぶんしゃ、)は、東京都文京区音羽に本社を置く日本の総合出版社である。講談社を中心とした音羽グループに属する。

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回天

回天(かいてん)は、太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷であり戦史叢書102巻、330頁「回天(マル6〈まるろく〉金物)」、日本軍初の特攻兵器である戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 325頁。

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図們市

図們市(ともん-し)は中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州に位置する県級市。人口13.6万人中朝鮮族7.8万人で57%を占める。図們江(朝鮮語:두만강、豆満江)を隔てて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と接する国境の町。脱北者の密入国も多い。

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国力

国力(こくりょく)は、国際関係においてある国家がもつ様々な力の総体。

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国家の承認

国家の承認(こっかのしょうにん、)とは、ある国家の政府が、新たに成立した別の国を正式に主権のある国家であると認めることを指す。ただし、国家の成立の方法や承認の条件などについて学説による対立がある。

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国家主義

国家主義(こっかしゅぎ、statism、étatisme)とは、自身の国家(≒政府)を第一義的に考え、その権威や意志を尊重する政治思想のことである。 「国連常任理事国の一部(アメリカ、ロシア、中国)」はこの形態を取っているとの見方もある。国家主義の特徴として、「覇権主義」的な傾向を持っている。

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国家総力戦

国家総力戦(こっかそうりょくせん、, )とは、国家が戦争遂行において有する国力を総動員して戦う形態の戦争をいう。総力戦とも。転じて、総力戦として用いる場合、個人・団体が自身のみならずその周辺を含めて取り組む必要な闘争について用いられる。 国家総力戦は国家が国力のすべて、すなわち軍事力のみならず経済力や技術力、科学力、政治力、思想面の力を平時の体制とは異なる戦時の体制で運用して争う戦争の形態である。その勝敗が国家の存亡そのものと直結するために、途上で終結させることが難しく、またその影響は市民生活にまで及ぶという特徴がある。 一般的には、第一次世界大戦が史上初の総力戦であったとみなされている。ただし、南北戦争を史上初の総力戦とする説もあるという。あるいは日露戦争が歴史上初の総力戦=「第零次世界大戦」と位置付けられることもある。用語としての起源は不明確だが、1935年にドイツのエーリヒ・ルーデンドルフが『国家総力戦』を著し、総力戦という概念を明示した。さらに、1943年2月にヨーゼフ・ゲッベルスが行った「諸君は総力戦を望むか」という演説がラジオ・ニュース映画を通して広まり、用語として定着するに至ったとされる。

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国家総動員法

国家総動員法(こっかそうどういんほう、)は、1938年(昭和13年)第1次近衛内閣によって第73帝国議会に提出されて可決成立し、同年4月1日に公布、5月5日に施行された法律。日中戦争の長期化による国家総力戦の遂行のため、国家の全ての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定したもの。 第26代内閣総理大臣田中義一の下で1929年(昭和4年)に策定された「総動員計画設定処務要綱案」から発展した法律である。 1945年(昭和20年)の太平洋戦争敗北にによって名目を失い、GHQ/SCAP被占領期にあって同年12月20日に公布された「国家総動員法及戦時緊急措置法廃止法律」(昭和20年法律第44号)により廃止され、効力が消失した。

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国体

国体(こくたい、)とは、国家の状態、国柄のこと。または、国のあり方、国家の根本体制のこと。あるいは主権の所在によって区別される国家の形態のこと。国体という語は、必ずしも一定の意味を持たないが、国体明徴運動後の1938年当時においては、万世一系の天皇が日本に君臨し、天皇の君徳が天壌無窮に四海を覆い、臣民も天皇の事業を協賛し、義は君臣であれども情は親子のごとく、忠孝一致によって国家の進運を扶持する、日本独自の事実を意味したという。。 国体論は、幕末に水戸学によって打ち立てられ、明治憲法と教育勅語により定式化された。国体は、天皇が永久に統治権を総攬する日本独自の国柄という意味をもち、不可侵のものとして国民に畏怖された。

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国共合作

国共合作(こっきょうがっさく)とは、1924年から1927年と、1937年から1945年の2度に亘り中国国民党と中国共産党の間に結ばれた協力関係のことである。「合作」は中国語で協力関係を意味する。 Naval Jack of the Republic of China.svg|中国国民党の党旗 Flag of the Chinese Communist Party (Pre-1996).svg|中国共産党の党旗(1921年から1996年まで)。

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国共内戦

国共内戦(こっきょうないせん、)は、20世紀前半の中国大陸において、中国国民党および中華民国国民政府率いる国民革命軍と中国共産党率いる中国工農紅軍との間で行われた内戦である。 第一次国共合作の破綻によって生じた第一次国共内戦(1927年 - 1937年)と、第二次国共合作の日中戦争終結に伴う国共の再対立によって生じた第二次国共内戦(:1946年 - 1950年代)とに大別されるが、単に「国共内戦」と言う場合には一般に第二次国共内戦を指すことが多い中嶋嶺雄「国共内戦」『日本大百科全書⑨』小学館、昭和61年5月1日 初版第一刷発行、1986年5月1日、407頁。。その為、本項では第二次国共内戦について記載し、第一次国共内戦については別項で記載する。

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国立公文書館

独立行政法人国立公文書館(こくりつこうぶんしょかん、National Archives of Japan)は、歴史資料として重要な公文書等の適切な保存・利用を図ることを目的として設置された日本の独立行政法人(行政執行法人)。 内閣府が所管し、行政執行法人であるため、職員の身分は国家公務員である。

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国立国会図書館

国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん、)は、日本の国会議員の調査研究、行政、ならびに日本国民のために奉仕する図書館である。また、納本制度に基づいて、日本国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館である。設置根拠は国会法第130条および国立国会図書館法第1条。 国立国会図書館は、日本の立法府である国会に属する国の機関であり、国会の立法行為を補佐することを第一の目的とする議会図書館である。同時に、納本図書館として日本で唯一の国立図書館としての機能を兼ねており、行政・司法の各部門および日本国民に対するサービスも行っている。バーチャル国際典拠ファイルに参加している。

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国際連合

国際連合(こくさいれんごう、UN、ONU; الأمم المتحدة、联合国/聯合國、United Nations、Organisation des Nations unies、Организация Объединённых Наций、Organización de las Naciones Unidas)は、国際連合憲章の下で1945年10月に設立された国際機関。 第二次世界大戦の勃発を防げなかった国際連盟の様々な反省を踏まえ、1945年10月24日に51ヵ国の加盟国で設立された 外務省ホームページ。主たる活動目的は、国際平和と安全の維持(安全保障)、経済・社会・文化などに関する国際協力の実現である。

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国際連盟

国際連盟(こくさいれんめい、国際聯盟()、League of Nations(LON)、Société des Nations(SDN、SdN))は、第一次世界大戦後のの確保と国際協力の促進を目的として設立された国際組織であった「国際連盟」『国際法辞典』、145-146頁。。 当時のアメリカ合衆国大統領のウッドロウ・ウィルソンの提唱によって結成されたが、モンロー主義によって議会から否決された為にアメリカ合衆国は参加していない(後述)。第一次世界大戦を終結させたパリ講和会議の後、1920年1月10日に発足したが、第二次世界大戦後の1946年4月19日に活動を終了した。

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国東半島

国東半島と瀬戸内海 地形図 国東半島(くにさきはんとう)は、大分県の北東部に位置する半島である。

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国民総生産

国民総生産(こくみんそうせいさん、英:Gross National Product、略称:GNP)とは、ある一定期間にある国民によって新しく生産された財(商品)やサービスの付加価値の総計である。景気を測る指標として利用されてきたが、国民経済計算の体系変更(1993SNAの導入)に伴い、国民総所得 (Gross National Income、GNI) が新たに導入され、GNPの概念はなくなり、現在は国内総生産(Gross Domestic Product、GDP)が重視されている内閣府経済社会総合研究所。 また、世界の総生産の合計は、世界総生産 (Gross World Product、GWP)と呼ぶ。

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国民政府

国民政府(こくみんせいふ、the Nationalist Government, Kuomintang (KMT))とは、大陸時代の中華民国における中国国民党による政府のことである。略称は国府(こくふ)。元首は主席(しゅせき)。ただし日本と中国では、一般的な「国民政府」の定義にそれぞれ差異がある。

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四式戦闘機

四式戦闘機(よんしきせんとうき)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ84。愛称は疾風(はやて)。呼称・略称は四式戦、四戦、キハチヨン、ハチヨン、大東亜決戦機、決戦機など - 時事通信社。連合軍のコードネームはFrank(フランク)。開発・製造は中島飛行機。

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四カ国条約

四カ国条約(しかこくじょうやく、Four-Power Treaty)、正式名称:太平洋方面ニ於ケル島嶼タル属地及島嶼タル領地ニ関スル四国条約並同条約追加協定(たいへいようほうめんニおケルとうしょタルぞくちおよびとうしょタルりょうちニかんスルよんごくじょうやくならびにどうじょうやくついかきょうてい)は、ワシントン会議において、アメリカ合衆国の主導により、1921年(大正10年)12月13日にアメリカ合衆国、イギリス、日本、フランスの間で調印された条約。有効期間は10年で太平洋の島々における相互の権利尊重と現状維持をはかった。1923年(大正12年)8月17日に発効するとともに日英同盟は破棄された。

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四日市市

四日市市(よっかいちし)は、三重県北部(北勢)に位置する市。 人口は県庁所在地の津市を凌いで三重県内最多で、国から施行時特例市と保健所政令市の指定を受けている。また、都市雇用圏の人口は、東海地方では名古屋市、浜松市、静岡市、岐阜市、豊橋市に次いで第6位である。また、三重県という県名は、かつて四日市市(当時は四日市町)が属していた郡名が由来となっている。 臨海部の四日市港に四日市コンビナートが立地する工業都市で、昭和戦後期の四日市ぜんそく公害病事件を克服した環境問題推進都市である。豊田市や名古屋市などとともに中京工業地帯を構成する日本有数の臨海工業都市であるが、近年は内陸部に電子機器などのハイテク産業の集積が進みキオクシア(旧東芝メモリ)の半導体工場はNAND型フラッシュメモリの製造拠点として世界最大級の規模を誇る。

見る 太平洋戦争と四日市市

倒閣

倒閣(とうかく)は、内閣を総辞職させること。

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個性

個性(こせい)とは、個人や個体の持つ、それ特有の性質・特徴。 特に個人のそれに関しては、パーソナリティと呼ばれる。

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B-17 (航空機)

ボーイング B-17 フライングフォートレス(Boeing B-17 Flying Fortress)は、アメリカ合衆国のボーイング社が開発した大型戦略爆撃機。愛称の「フライングフォートレス(Flying Fortress)」は、「飛行要塞・空飛ぶ要塞」の意。

見る 太平洋戦争とB-17 (航空機)

B-29 (航空機)

ボーイング B-29 スーパーフォートレス(Boeing B-29 Superfortress。日本での通称「ビーにじゅうく」)は、アメリカのボーイングが開発した大型戦略爆撃機。

見る 太平洋戦争とB-29 (航空機)

BC級戦犯

BC級戦犯(BCきゅうせんぱん)は、連合国によって布告された国際軍事裁判所条例及び極東国際軍事裁判条例における戦争犯罪類型B項「通例の戦争犯罪」またはC項「人道に対する罪」に該当する戦争犯罪または戦争犯罪人とされる罪状に問われた個人の総称。A項の平和に対する罪で訴追された者は「A級戦犯」と呼ぶ。 日本のBC級戦犯は、GHQにより横浜やマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれた。被告人は約5700人で約1000人が死刑判決を受けたとされる。 なお、極東国際軍事裁判(東京裁判)においてもA項目の訴追事由では無罪になったが、B項、C項の訴追理由で有罪になった者がいた(松井石根)。 なお、日本に対してはほとんどB項しか適用されていない林(2005) 3頁。

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短機関銃

短機関銃(たんきかんじゅう)は、拳銃弾を使用し、二脚架・三脚架が要らずに個人が抱えて射撃できる小型の機関銃のことである進化を続ける『SUBMACHINE GUN』、松代守弘、 歴史群像 No.83 2007年6月号、学習研究社、P92-98。サブマシンガン、機関拳銃、機関短銃とも呼ばれる。 英語の「サブマシンガン」(Submachine gun, SMG)は、第一次世界大戦後の1919年、トンプソン・サブマシンガンの発表時に小型機関銃という意味合いで開発元の社によって造語されたものである。この言葉がヨーロッパに広まるのは第二次世界大戦後で、イギリスでは同種の火器を指してマシンカービン(Machine carbine)という語が使われていた。

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石家荘市

石家荘市(せっかそう-し/シージャーヂュアン-し、中国語:石家庄市、、英語:Shijiazhuang)は、中華人民共和国河北省に位置する地級市。河北省の省都である。常住人口約1,078万人、都市圏人口約354万人。都市圏人口で河北省最多の人口を持つ都市であり、省内の経済・金融・文化の中心となっている。

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石油精製

石油精製(せきゆせいせい)とは、原油を精製して燃料油、石油化学製品など多種多様な製品を製造する工業プロセスである。 石油精製工場は、原料受入から製品(他の装置の原料として使用される中間製品も含む)を製造する設備と各種付帯設備からなる。これらの設備は、その機能によって次のように分類できる。

見る 太平洋戦争と石油精製

玉砕

玉砕(ぎょくさい、)は、玉のように美しく砕け散ること、指導層が提唱する大義、名誉などに殉じて潔く死ぬこと。大東亜戦争の前線で日本軍部隊が殲滅軍事用語において、全滅とは、部隊の約3割(戦闘兵の約6割)を喪失したことを、壊滅とは、部隊の約5割(戦闘兵のほぼ全て)を喪失したことを、殲滅とは、部隊の10割(全部隊消滅)を喪失したことを意味する。されたことを表現する言葉として大本営発表で用いられた。対義語は、瓦全(がぜん)、甎全(せんぜん)で、無為に生き永らえること。中国の古書『北斉書』の「元景安伝」中の記述「大丈夫寧可玉砕何能瓦全(勇士は瓦として無事に生き延びるより、むしろ玉となって砕けた方が良い)」を語源とする。

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玉音放送

玉音放送(ぎょくおんほうそう、)とは、天皇の肉声を放送すること。 通常、1945年(昭和20年)8月15日正午(日本標準時)に、当時日本唯一の放送局だった社団法人日本放送協会(現在のNHKラジオ第1放送)から放送された「大東亜戦争終結ノ詔書」(だいとうあせんそうしゅうけつノしょうしょ)の音読レコード(玉音盤)のラジオ放送を指すことが多く、本項ではこの放送について記述する。 この放送は、第二次世界大戦における枢軸国側の日本のポツダム宣言受諾による終戦(日本の降伏)を日本国民に伝える目的で、日本ではこの玉音放送の行われた8月15日を終戦の日(終戦記念日)と呼び、以後毎年のように、日本政府主催で全国戦没者追悼式を日本武道館で行い、正午に黙祷を行うのが通例となっている。なお、正式に日本が降伏し交戦状態が終了したのは、それから半月後の対連合国への降伏文書が調印された同年9月2日のことである。

見る 太平洋戦争と玉音放送

火災旋風

火災旋風(かさいせんぷう)とは、大規模な火災の際に発生することがある、局地的に強い風を吹かせる炎を伴った旋風(つむじ風)。大きな被害をもたらすことがある。 日本語では火災旋風のほか、火事旋風の表記もみられる。英語ではfire whirlの訳が充てられる。

見る 太平洋戦争と火災旋風

灯火管制

市民に対して徹底した灯火管制を呼びかける、第二次世界大戦中のアメリカ合衆国のポスター 灯火管制(とうかかんせい)とは、夜間に来襲する敵機に対して、航路の判断、目的地や目標等の認知を困難にさせるため一定地域において消灯、減光、遮光、漏光制限などを行うこと。

見る 太平洋戦争と灯火管制

珊瑚海海戦

珊瑚海海戦 珊瑚海海戦(さんごかいかいせん、Battle of the Coral Sea)は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)5月上旬、MO作戦中に日本海軍と連合国(アメリカ合衆国・オーストラリア)軍の間で発生した戦闘。ポートモレスビー攻略を目指して珊瑚海に進出する日本軍の計画を、暗号解読によって知った連合国軍が先に進出し戦史叢書80巻372-373頁「連合軍の作戦概況」、艦上機で日本の攻略部隊を空襲したため、日本海軍が空母部隊で敵空母を捕捉しようとして発生した戦史叢書80巻369-370頁「五 ポートモレスビー攻略作戦失敗/攻略作戦の概要/作戦準備」。5月8日の戦闘では、米空母2隻(レキシントン、ヨークタウン)と日本海軍の空母2隻(瑞鶴、翔鶴)が攻撃を交わした戦史叢書80巻370-372頁「作戦経過」。この海戦は対抗する両艦隊が互いに相手の艦を視界内に入れずに行われた、歴史上最初の海戦となったニミッツ、ポッター P.59。

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硫黄島の戦い

硫黄島の戦い(いおうとうのたたかい、いおうじまのたたかい、Battle of Iwo Jima, 1945年2月19日 - 1945年3月26日)は、第二次世界大戦末期に小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間で行われた戦いである。アメリカ軍側の作戦名はデタッチメント作戦。

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神父

神父(しんぷ、πατήρ、pater、padre(ばてれん)、pater, kerkvader, pastool, priester、Father, don、отец (батюшка))とは、正教会・東方諸教会・カトリック教会で、司祭に対して呼びかける際に用いられる敬称正教会の出典:カトリック教会の出典:。

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神風特別攻撃隊

1945年3月21日、戦友の遺骨を抱いて出撃する神風特攻隊神雷部隊三橋謙太郎大尉 バンカーヒルに突入した神風特別攻撃隊「第7昭和隊」小川清少尉 彗星艦爆(白黒写真に着色) 神風特別攻撃隊(かみかぜとくべつこうげきたい、しんぷうとくべつこうげきたい、)は、第二次大戦で大日本帝国海軍によって編成された爆装航空機による体当たり攻撃部隊(特別攻撃隊)と直接掩護並びに戦果確認に任ずる隊で構成された攻撃隊。攻撃目標は艦船。略称は「神風」「神風特攻隊」。隊名の発案者これは猪口の証言によるものであり、によれば、大西瀧治郎がフィリピンに出発する前に軍令部で航空特攻開始について参謀の源田と打ち合わせした際に「神風攻撃隊」との特攻隊全体の名称と、敷島、朝日隊等の部隊名は既に決まっており、その隊名に基づいて大海機密第261917番電も作成されており、「神風特別攻撃隊」の実際の命名者は誰であるのか判然としない。本文(歴史>創設の項目)を参照。

見る 太平洋戦争と神風特別攻撃隊

神戸

神戸(こうべ)は、兵庫県南東部に位置する都市。また、その市街地を中心とする地域。付近一帯が生田神社の神戸だったことに由来する。当地においては、平安時代の「神戸郷」から、「神戸村」(江戸時代)、「神戸町」(1868年)、「神戸区」(1879年)、「神戸市」(1889年)と、神戸の地名が継承されている。

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祥伝社

株式会社祥伝社(しょうでんしゃ)は、日本の総合出版社。一ツ橋グループに属する。 文芸新書「ノン・ノベル」、ノンフィクション文庫「黄金文庫」、祥伝社新書などの書籍のほか、小説誌『小説NON』を出版。雑誌部門では、月刊女性漫画雑誌『FEEL YOUNG』を刊行。かつては女子中高生向けファッション雑誌『Zipper』、大人になったZipper読者を対象とした主婦向けライフ・ファッション雑誌『nina's』などを出版していた。2011年5月に本社を移転した。

見る 太平洋戦争と祥伝社

秦郁彦

秦 郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日 - )は、日本の歴史家、元大蔵官僚。自身の専門は日本近現代史、軍事史とする。拓殖大学教授、千葉大学教授、日本大学法学部教授を歴任秦郁彦『旧制高校物語』文藝春秋(文春新書)、2005年、著者紹介。。学位は、法学博士(東京大学・1974年)。

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空襲

アメリカ軍によって空爆されるフランスのサン・マロ 空襲(くうしゅう、Airstrike / Air-raid)または空爆(くうばく)は、空中から目標に対して爆弾の投下や機銃掃射などを行うことである。

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立教大学

立教大学(りっきょうだいがく、英語: Rikkyo University/Saint Paul's(スクール・ニックネーム))は、東京都豊島区西池袋に本部を置く日本の私立大学。1874年創立、1883年大学設置。大学の略称は立大(りつだい)。

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第15軍 (日本軍)

第15軍(だいじゅうごぐん)は、大日本帝国陸軍の軍の一つ。1941年(昭和16年)11月に編成された軍でビルマ方面を担当した。

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第1次近衛内閣

1938年(昭和13年)5月26日留任。

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第2次近衛内閣

第2次近衛内閣は、新体制運動・日独伊三国同盟に消極的であった米内内閣のあとを受けて、新体制運動の主導者であった元首相・貴族院議員の近衛文麿が組閣した内閣である。組閣直後の昭和15年(1940年)7月26日、「大東亜新秩序建設」(大東亜共栄圏)を国是とし、国防国家の完成を目指すことなどを決めた「基本国策要綱」を閣議決定する。同年9月27日には日独伊三国軍事同盟を締結し、同年10月12日に新体制運動の指導的組織となる大政翼賛会を結成。翌昭和16年(1941年)4月13日には日ソ中立条約を締結した。同年7月16日に、松岡外相を外すことを目的とした内閣改造を断行するためにいったん内閣総辞職した(大日本帝国憲法下の首相には閣僚罷免権がなかった)。

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第3方面軍 (日本軍)

第3方面軍(だいさんほうめんぐん)は、大日本帝国陸軍の方面軍の一つ。

見る 太平洋戦争と第3方面軍 (日本軍)

第442連隊戦闘団

第442連隊戦闘団(だい442れんたいせんとうだん、442nd Regimental Combat Team)は、第二次世界大戦中のアメリカ陸軍が有した連隊規模の部隊である。士官などを除くほとんどの隊員が日系アメリカ人により構成されていた。に投入され、枢軸国相手に勇戦敢闘した。アメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊としても知られる中嶋p.194。 第二次世界大戦中、約33,000人の日系二世がアメリカ軍に従軍し、そのほとんどは本団、第100歩兵大隊、アメリカ陸軍情報部の3部隊のいずれかに配属された。 ロサンゼルス東南東、にあるには、442連隊を含め日系二世兵の墓石がならんでいる。墓地の後方正面に立つ大きな白い大理石の塔には大きく漢字で「殉国碑」、その右下には同連隊を指揮したマーク・W・クラークが、左下にはドワイト・D・アイゼンハワーによるメッセージが、それぞれ刻まれている。

見る 太平洋戦争と第442連隊戦闘団

第5艦隊 (アメリカ軍)

第5艦隊(だい5かんたい、U.S. Fifth Fleet)は、アメリカ海軍の艦隊。ペルシア湾、紅海、アラビア海から、ケニアまでの東アフリカを責任地域とし、バーレーンに司令部を置く。人員・機材は太平洋艦隊および大西洋艦隊から提供される為、専任艦船は保持していない。艦隊司令官(COMFIFTHFLT)は、アメリカ中央海軍司令官(COMUSNAVCENT)および対テロ戦争における多国籍部隊・合同海上部隊(Combined Maritime Forces)司令も兼務している。

見る 太平洋戦争と第5艦隊 (アメリカ軍)

第8空軍 (アメリカ軍)

第8空軍(だい8くうぐん、Eighth Air Force)は、アメリカ空軍の航空軍の一つ。特に第二次世界大戦中の欧州戦線における対ドイツ戦略爆撃を行ったことで知られる。司令部はルイジアナ州バークスデール空軍基地。司令官職は少将をもって充てられるポストである。

見る 太平洋戦争と第8空軍 (アメリカ軍)

第三次ソロモン海戦

第三次ソロモン海戦(だいさんじソロモンかいせん)は、1942年11月12日 - 15日にソロモン海で行われた日本海軍とアメリカ海軍、オーストラリア海軍との間で行われた海戦。

見る 太平洋戦争と第三次ソロモン海戦

第一次世界大戦

第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、World War I、略称:WWI)は、1914年(大正3年)7月28日から1918年(大正7年)11月11日にかけて、連合国と中央同盟国間で行われた世界規模の戦争である。 7000万人以上の軍人(うちヨーロッパ人は6000万人)が動員され、世界史上最大の戦争の一つとなった。第二次産業革命による技術革新と塹壕戦による戦線の膠着で死亡率が大幅に上昇し、ジェノサイドの犠牲者を含めた戦闘員900万人以上と非戦闘員700万人以上が死亡した。史上死亡者数の最も多い戦争の一つである。 戦争が長引いたことで、各地で革命が勃発し、4つの帝国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国)が崩壊した。終戦後(戦間期)も参戦国の間に対立関係が残り、その結果21年後の1939年に第二次世界大戦が勃発した。

見る 太平洋戦争と第一次世界大戦

第一次ソロモン海戦

第一次ソロモン海戦(だいいちじソロモンかいせん)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)時の1942年8月8日 - 9日に日本海軍と連合国軍(アメリカ海軍、オーストラリア海軍)の間で行われた海戦で、連合軍側の呼称はBattle of Savo Island。日本側の戦記でも伊藤正徳の「連合艦隊の栄光」等ではこちらの呼称が使用されている。また、「ツラギ夜襲戦」(もしくは「ツラギ海峡夜襲戦」)とも呼ばれる(例:三輪晁勢 画)。 なお Battle of Savo Island と紛らわしい、日本軍側で「サボ島沖海戦」と呼称する海戦のことを連合軍側は「Battle of Cape Esperance」と呼び、第一次ソロモン海戦から2か月後に行われている。

見る 太平洋戦争と第一次ソロモン海戦

第二次上海事変

第二次上海事変(だいにじシャンハイじへん)は、1937年(昭和12年)8月13日から始まった、中華民国軍と日本軍との軍事衝突のこと同事変の間、両国は互いに宣戦布告を行わなかった。中華民国が日本に宣戦布告したのは、日本が米国および英国に宣戦布告した翌日の1941年12月9日であった。。上海の戦い(シャンハイのたたかい)とも。中国側の呼称は淞滬会戦(淞沪会战)。本事変の勃発によって北支事変は支那事変へと拡大し日中全面戦争に発展した。

見る 太平洋戦争と第二次上海事変

第二次ソロモン海戦

第二次ソロモン海戦(だいにじソロモンかいせん)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)中、1942年8月24日にソロモン諸島の北で戦われた日本軍とアメリカ軍との間の海戦。連合軍側の呼称は東部ソロモン海戦(Battle of the Eastern Solomons)。日本海軍は空母1隻を喪失、ガダルカナル島への兵員輸送にも失敗して敗北した。

見る 太平洋戦争と第二次ソロモン海戦

第五航空戦隊

第五航空戦隊(だい5こうくうせんたい)とは、日本海軍の部隊の1つ。太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)9月1日『世界の艦船 新版・連合艦隊華やかなりし頃』p.29-32「航空母艦」。に編成された空母機動部隊。略称は五航戦。

見る 太平洋戦争と第五航空戦隊

筑摩書房

株式会社筑摩書房(ちくましょぼう)は、日本の出版社。筑摩書房のマーク(空を截る鷹)のデザインは青山二郎作。 文学者を中心に個人全集は、増補改訂し繰り返し刊行するので、「全集の筑摩」と称される。特に『世界文学全集』は多くの類書シリーズを刊行した。ほかに古典・現代文の教科書を現在まで毎年出版する。月刊PR誌に『ちくま』がある。

見る 太平洋戦争と筑摩書房

箱根町

箱根町全域のCG画像 箱根町(はこねまち)は、神奈川県西部にあり、足柄下郡に属する町。 箱根峠の東側にあり、箱根温泉や芦ノ湖、箱根神社で有名。

見る 太平洋戦争と箱根町

359x359ピクセル 米(こめ)は、稲の果実である籾から外皮を取り去った粒状の穀物である。穀物の一種として米穀(べいこく)とも呼ぶ。食用とする場合、系統や品種の性質によっては調理法が異なるため注意が必要(イネの系統と米、および、種類を参照)。 日本では主食の一つであり、日本語では「稲」「米」「飯」といった、植物としての全体と実、収穫前と収穫後さらに調理前と後などにより使い分けられる多様な語彙がある。日本を含む東アジアおよび東南アジア、南アジア以外では一般的に主食として特別視することが希薄であり、こうした区別がない言語が多数ある。例えば英語圏では全てという同一の単語で扱われる(反対に、日本では「大麦」「小麦」「エン麦」などが余り区別されず「麦」という総称で言われる)。また、日本語で「飯」は食事全般も指すため、「朝御飯はパンを食べた」という表現も極一般的である。

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米墨戦争

メキシコ。アルタ・カリフォルニアは領土の最北西に位置する。 米墨戦争(べいぼくせんそう、, )は、1846年から1848年の間にアメリカ合衆国とメキシコ合衆国の間で戦われた戦争。アメリカ・メキシコ戦争とも呼ばれる。 アメリカ合衆国においては、メキシコ戦争()として知られている。メキシコにおいてはアメリカ合衆国のメキシコ介入(, )、。

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米内光政

米内 光政(よない みつまさ、、1880年〈明治13年〉3月2日 - 1948年〈昭和23年〉4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。海兵29期・海大12期。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。 連合艦隊司令長官(第23代)、海軍大臣(第19・24代)、内閣総理大臣(第37代)を歴任した。

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米西戦争

米西戦争(べいせいせんそう、Spanish–American War、Guerra hispano-estadounidense)は、1898年4月にアメリカ合衆国とスペイン帝国の間で発生した戦争である。

見る 太平洋戦争と米西戦争

米比戦争

米比戦争(べいひせんそう、Philippine–American War)は、1899年2月から1902年7月にかけて、アメリカ合衆国とフィリピンの間で発生した戦争である。

見る 太平洋戦争と米比戦争

細川護貞

細川 護貞(ほそかわ もりさだ、1912年(明治45年)7月17日 - 2005年(平成17年)10月3日)は、旧肥後熊本藩細川家の第17代当主。第2次近衛内閣で内閣総理大臣秘書官を務めた。

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総務省

総務省(そうむしょう、Ministry of Internal Affairs and Communications、略称: MIC)は、日本の行政機関のひとつ。行政組織、地方自治、地方公務員制度、選挙、政治資金、情報通信、郵便、統計、消防など国家の基本的諸制度を所管している。

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練習機

練習機(れんしゅうき、英:Trainer)とは、操縦士の操縦訓練に使用される航空機のことである。訓練機とも呼ばれる。 自社養成を行う航空会社や民間のフライトスクール、軍の訓練部隊などで利用される。

見る 太平洋戦争と練習機

義号作戦

義号作戦(ぎごうさくせん)とは。

見る 太平洋戦争と義号作戦

翔鶴 (空母)

翔鶴(しょうかく/しやうかく、)は、大日本帝国海軍の航空母艦(空母)#達昭和14年5月 p.11〔 達第七十號 横須賀海軍工廠ニ於テ建造中ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十四年五月十六日 海軍大臣 米内光政 航空母艦 翔鶴(シヤウカク) 〕。翔鶴型航空母艦の1番艦として、太平洋戦争で活躍した。

見る 太平洋戦争と翔鶴 (空母)

真珠湾攻撃

大日本帝国海軍艦隊の航跡図 大日本帝国海軍攻撃隊の侵入経路図 真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、、)は、日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明(ハワイ時間12月7日)、第二次世界大戦において大日本帝国海軍が、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して行った、航空母艦(空母)艦載機および特殊潜航艇による攻撃である。当時の日本側呼称は、布哇比(ハワイ)海戦、布哇比(ハワイ)作戦と言う。 太平洋戦争における南方作戦の一環として、イギリスに対するマレー作戦開始(太平洋戦争開戦)に次いで実施された。当初はマレー作戦と「同時」の予定だったが、一部の練度の低い戦隊に暗闇の中で編隊を組ませる危険を避けるために夜明けを待ち、攻撃予定が1時間半繰り下げられたためである。

見る 太平洋戦争と真珠湾攻撃

統帥権

統帥権(とうすいけん)とは、大日本帝国憲法下の日本における軍隊を指揮監督する最高の権限(最高指揮権)のことをいう。

見る 太平洋戦争と統帥権

絶対国防圏

絶対国防圏(ぜったいこくぼうけん)とは、太平洋戦争において、劣勢に立たされた大日本帝国が本土防衛上及び戦争継続のために必要不可欠である領土・地点を定め、防衛を命じた地点・地域である。

見る 太平洋戦争と絶対国防圏

経済制裁

経済制裁(けいざいせいさい、economic sanctions)とは、経済の力をもって制裁を加える国家行為である。 ある国家の行った、不当もしくは違法な行為に対して、行政府や議会などが民間企業や大衆に呼びかける道義的ボイコットから、封鎖海域や港湾などを設定し、区域を航行・停泊する商船に臨検を行い、敵性国家に所属する貨物等を拿捕・没収するなど、さまざまな手段がある。また資産凍結など、金融制裁の手段がとられることがある。

見る 太平洋戦争と経済制裁

瑞鶴 (空母)

瑞鶴(ずいかく、ずゐかく、ズヰカク)は、大日本帝国海軍の航空母艦#達昭和14年9月 p.19〔 達第百六十號 株式會社川崎造船所ニ於テ建造中ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十四年九月三十日 海軍大臣 吉田善吾 航空母艦 瑞鶴(ズヰカク) 〕。「ズイカク」とタイプされた物の「イ」に斜線を入れて手書きで「ヰ」に直されている。。翔鶴型航空母艦の2番艦。艦名には「鶴」に、めでたいという意味の「瑞」をあてた。 日本の太平洋戦争(大東亜戦争)突入後、真珠湾攻撃、セイロン沖海戦、珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦等の海戦に参加し、姉妹艦の翔鶴と共に日本海軍の主力艦として活躍したが、翔鶴と対照的に、マリアナ沖海戦まで一発も被弾しなかった幸運艦であった。翔鶴沈没後の1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦のエンガノ岬沖海戦で沈没。

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生物兵器

生物兵器(せいぶつへいき)とは、細菌やウイルス、それらが作り出す毒素などを使用し、人間や動物に対して使われる兵器のこと。1925年国際法(ジュネーヴ議定書)で使用が禁止された。生物兵器を使用した戦闘を生物戦(せいぶつせん)という。

見る 太平洋戦争と生物兵器

田中角栄

田中 角栄(たなか かくえい戦後すぐの1946年衆院選挙に立候補した際には、自身の名前の読み方を「タナカ カクヱ」としていた。、、1918年〈大正7年〉5月4日 - 1993年〈平成5年〉12月16日)は、日本の政治家、実業家、建築士。 衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第31代)、自由民主党総裁(第6代)、内閣総理大臣(第64・65代)を歴任した。 自民党内最大派閥の田中派を率い、日本列島改造論を計画・実行し、他にも様々な政策を成し遂げたことでも有名であり、今太閤や影の総理など呼ばれ多大な影響力をもった政治家として知られる。

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無条件降伏

無条件降伏(むじょうけんこうふく、unconditional surrender)とは、普通には軍事的意味で使用され、軍隊または艦隊が兵員・武器一切を挙げて条件を付することなく敵の権力に委ねることを言う。

見る 太平洋戦争と無条件降伏

焼夷弾

焼夷弾(しょういだん、incendiary bomb、incendiary ammunition)は、焼夷剤を装填した兵器である。 通常の銃砲弾・爆弾とは異なり、目標を爆発で破壊するのではなく、攻撃対象に着火させて焼き払うために使用する。そのため、発生する爆風や飛散する破片で対象物を破壊する爆弾と違い、焼夷弾は中に入っている燃料が燃焼することで、対象物を火災に追い込む。 このような、燃焼を利用する銃砲弾が全て焼夷弾ということではなく、同様の機構を持ちながらも目的の異なる、照明弾・曳光弾・発煙弾・ガス弾などもある。

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牡丹江

牡丹江 (仮名:ボタン コウ, 拼音:Mǔdanjiāng) は、中華人民共和国東北部 (旧満州) を流れる河川の一つ。松花江最大の支流である。 長白山北麓 (吉林省敦化市) から東流し、鏡泊湖 (黒龍江省寧安市) を経てハルピン市イラン県で松花江に合流する。

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特別攻撃隊

ミズーリに突入直前の神風特別攻撃隊第5建武隊の零式艦上戦闘機(石野節雄二飛曹搭乗)。 一式戦闘機「隼」(穴沢利夫少尉搭乗)と、それを見送る知覧町立高等女学校(現鹿児島県立薩南工業高等学校)「なでしこ隊」の女学生達 レキシントン博物館。レキシントンが1944年11月5日に受けた特攻の説明(旭日旗の箇所に特攻機が命中。) 特別攻撃隊(とくべつこうげきたい、)は、決死の任務を行う部隊戦史叢書17 沖縄方面海軍作戦 702頁。略称は「特攻隊」(とっこうたい、)。 当記事では攻撃自体を指す特別攻撃(とくべつこうげき)およびその略称の特攻(とっこう)についても述べる。

見る 太平洋戦争と特別攻撃隊

特命全権大使

特命全権大使(とくめいぜんけんたいし、ambassadeur extraordinaire et plénipotentiaire、ambassador extraordinary and plenipotentiary、Außerordentlicher und bevollmächtigter Botschafter)は、外交使節団の長で最上級の階級である。接受国の元首に対して派遣され、外交交渉、全権代表としての条約の調印・署名、滞在する自国民の保護などの任務を行う。国際連合などの国際機関の政府代表部に対しても派遣される。

見る 太平洋戦争と特命全権大使

特殊潜航艇

特殊潜航艇(とくしゅせんこうてい)とは、敵海軍の泊地襲撃や、工作員潜入などに使われる軍用潜水艇・小型潜水艦。ミゼット・サブマリン(Midget submarine)とも呼ばれる。日本の甲標的をはじめとして、世界各国で製造・運用された。

見る 太平洋戦争と特殊潜航艇

独ソ不可侵条約

独ソ不可侵条約(どくそふかしんじょうやく、Deutsch-Russischer Nichtangriffspakt, Договор о ненападении между Германией и Советским Союзом, German-Soviet Nonaggression Pact)は、1939年8月23日にナチス・ドイツとソビエト連邦の間に締結された不可侵条約。 天敵と言われたアドルフ・ヒトラーとヨシフ・スターリンが手を結んだことは、世界中に衝撃を与えた。

見る 太平洋戦争と独ソ不可侵条約

独ソ戦

独ソ戦(どくソせん、German-Soviet War)、または東部戦線(die Ostfront)は、第二次世界大戦中の1941年から1945年にかけて、ナチス・ドイツを中心とする枢軸国とソビエト連邦との間で戦われた戦争を指す。 大戦の当初はポーランドを共に占領していたドイツとソ連であったが、1941年6月22日に突如ドイツ国防軍がソ連に侵入し(バルバロッサ作戦)、戦争状態となった。当時のソ連は国民を鼓舞するため、ナポレオン・ボナパルトに勝利した祖国戦争に擬えて大祖国戦争(Великая Отечественная война)と呼称。一方、ドイツ側では主に東部戦線と表現される。 ソ連は首都モスクワ周辺まで攻め込まれたものの、英米を主力とする連合国とともに反撃に転じ、ベルリンの戦いでナチス・ドイツを敗北させた。戦後はアメリカ合衆国と並ぶ超大国となり、占領した東欧諸国に共産主義政権を樹立して東側ブロックを形成して冷戦に至った。戦場はドイツ東部を含む東欧諸国とソ連西部のほか、北欧(ノルウェー北部およびフィンランド)に広がり、さらに英米からソ連への援助を断つべく通商破壊が北極海やインド洋でも行われた。

見る 太平洋戦争と独ソ戦

独立

独立(どくりつ、)とは、。

見る 太平洋戦争と独立

盧溝橋事件

盧溝橋事件(ろこうきょうじけん、)は、1937年(昭和12年)7月7日に中華民国北平市(現:北京市)西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件である。1937年7月7日夜、豊台に駐屯していた支那駐屯歩兵第一聯隊第三大隊第八中隊の将兵が盧溝橋付近の河原で夜間演習中、実弾を撃ち込まれ、点呼時に兵士の1人が所在不明だったため、中国側の攻撃があったと判断して起きたと言われる。比較的小規模な戦闘が繰り返された後、9日には中国側からの申し入れにより一時停戦状態となったが、その後も小競り合いが続き、幾つかの和平交渉が行われたものの(後述)、結果として日中戦争(支那事変)の発端となったとされる。中国では一般的に七七事変と呼ばれる。まれに、後述する英語名を直訳してマルコ・ポーロ橋事件と表記される場合もある。英語ではMarco Polo Bridge Incident、Battle of Marco Polo Bridgeと呼ばれる。

見る 太平洋戦争と盧溝橋事件

発電所

発電所(はつでんしょ)は発電設備を備え、発電を主目的に行う施設である。 発電所は、電力を作るための発電装置とこれに関連する設備、および電気を消費側に送出する送電設備、そして運用・管理を行う人的組織から構成される。 電力会社のような企業体が公共の電力供給用の発電を行う施設を指す場合が多いが、一部には製鉄所やショッピングセンターのような自家消費を主目的とする私的な発電施設も発電所である。風力発電塔も発電所であるが、一般には「風力発電の風車」と呼ばれることが多く、発電所とは呼ばれない傾向がある。

見る 太平洋戦争と発電所

白人

戦国時代、日本に到来したイエズス会員などの南蛮人たち。白人の他、黒人も描かれている。 バルトと北欧起源のそれぞれ。 金髪碧眼の白人女性 白人(はくじん、White (people)、Caucasian)は、通俗的人種概念の一つで、肌の色が薄く白に近い人種の総称。白色人種(はくしょくじんしゅ)。 いずれも文化的・宗教的・社会的・政治的に形成され、便宜的に使用される用語であり、生物学的分類として有効な概念ではない。

見る 太平洋戦争と白人

白人至上主義

「白人の誇り」をアピールするネオナチ(カナダ、カルガリー、2007年8月25日) 白人至上主義(はくじんしじょうしゅぎ、white supremacy)は、人種差別的思想のひとつであり、スローガンとして「ホワイト・パワー」White Power・「ホワイトプライド」という言葉が頻繁に用いられる。 白色人種がそれ以外の人種(インド系やアラブ系、北アフリカ系などの有色のコーカソイドを含む「有色人種」)より優れているという理念であり、この思想を持っている者達を白人至上主義者(はくじんしじょうしゅぎしゃ、white supremacist)と呼ぶ。

見る 太平洋戦争と白人至上主義

白系ロシア人

白系ロシア人(はっけいロシアじん、белоэмигрант、White émigré)は、ロシア革命に反対して国外に亡命したロシア人である。

見る 太平洋戦争と白系ロシア人

白水社

株式会社白水社(はくすいしゃ)は、日本の出版社。語学書や翻訳書の出版を多く手がける。新人劇作家の登竜門といわれる岸田國士戯曲賞を主催していることでも知られる。 社名は、屈原の長詩「離騒」の註の「淮南子に言ふ、白水は崑崙(こんろん)の山に出で、これを飲めば死せず(白水出崑崙之山、飲之不死)と。神泉なり」に由来する。

見る 太平洋戦争と白水社

白旗

無地の白旗 白旗(しろはた、しらはた、はっき)は、広義では無地で白色の旗を指す。

見る 太平洋戦争と白旗

菊水作戦

ラングレー 菊水作戦(きくすいさくせん)は、太平洋戦争末期の天号作戦中、沖縄に来攻する連合国軍に対し特攻攻撃を実施した日本海軍の作戦戦史叢書17 沖縄方面海軍作戦 360頁。作戦名の「菊水」は楠木正成の旗印に由来する。 第一機動基地航空部隊(第三航空艦隊、第五航空艦隊、第十航空艦隊)によって1945年4月6日の菊水一号作戦から6月22日の菊水十号作戦まで行われ、これらに策応し、海軍の第一航空艦隊や陸軍の第六航空軍、初期には第八飛行師団も総攻撃を行った。これらの作戦において、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、海軍では2,045名、陸軍では1,022名が特攻により戦死したが、連合軍も約10,000名の兵士が死傷し、36隻の艦船を失い368隻が損傷するといった甚大な損害を被った。

見る 太平洋戦争と菊水作戦

華北

華北(かほく、North China)とは、中国北部地域の呼称である。華北平原とは、多分に重なっているが、必ずしも完全に一致しない。

見る 太平洋戦争と華北

華僑

華僑 (かきょう) とは、かつて中国に生まれて後に外国に移住していた人々やその子孫のこと。「華僑」の元の意味は、本籍地を離れて異国を流浪する華人の意である。 ※国際連合の定義の中国とは、中国本土を実質支配する政府であることを指す。すなわち、初期は中華民国(1949年まで)、現在は中華人民共和国(1949年以降)と認めている。

見る 太平洋戦争と華僑

靖国神社

靖国神社(やすくにじんじゃ、)は、東京都千代田区九段北にある神社。招魂社に起源を発し、明治維新以後の国家のために殉難した人の霊(英霊)246万6千余柱を祀る。 1869年(明治2年)に勅命により東京招魂として創建され、1879年(明治12年)に現社名に改称された。旧別格官幣社。1887年(明治20年)から陸海軍が管轄。第二次世界大戦後、国家の管理を離れて宗教法人となった。

見る 太平洋戦争と靖国神社

青函連絡船

青函連絡船(せいかんれんらくせん)は、本州の幹線鉄道の北端の青森駅と北海道の幹線鉄道の南端に位置する函館駅間の連絡航路で、鉄道国有化後の国営の国鉄、戦後の公共事業体の国鉄ならびに民営化後の北海道旅客鉄道(JR北海道)により、運航された鉄道連絡船である。航路長は61海里、営業キロ上の距離は113.0 km、貨物営業キロ程300 kmであった。陸岸から最も離れる津軽海峡中央部でも20海里以内のため、就航船の航行資格は沿海区域であった。 国鉄・JR以外の組織が青森港 - 函館港間に運航する航路は「津軽海峡フェリー」「青函フェリー」を、帝国鉄道庁(国鉄)による連絡船就航以前の沿革については「青函航路」を参照。

見る 太平洋戦争と青函連絡船

領域 (国家)

領域(りょういき)は、国家の主権下にある区域である「領域」、『国際法辞典』、339頁。。国家領域(こっかりょういき)ともいわれる。国家の3要素のひとつであり、領土、領水、領空からなる。これらのうちで最も基本的なものは領土であり、単に領域といった場合には領土のことを指す場合もある。天然資源の開発などについて主権的権利が及ぶ大陸棚や排他的経済水域は領域に準ずるものではあるが、こうした主権的権利は主権に付随して認められる権利であって、主権そのものではない「主権的権利」、『国際法辞典』、178頁。。

見る 太平洋戦争と領域 (国家)

領土

領土(りょうど、territory)は、広義には領海や領空を含めた国家の主権が及ぶ全ての国家領域を指すが、狭義にはこれらのうち土地からなる領域を指す『国際法辞典』、344頁。。版図(はんと)とも呼ばれる。 本項目では、狭義の領土について述べる。

見る 太平洋戦争と領土

風船爆弾

風船爆弾(ふうせんばくだん)とは、太平洋戦争において日本軍が開発・実戦投入した気球に爆弾を搭載した爆撃兵器である戦史叢書45巻、83-85頁「潜水艦による対米風船爆弾、攻撃を断念す」戦史叢書81巻、73-74頁「「ふ」号兵器」。日本本土から偏西風を利用して北太平洋を横断させ、時限装置による投下でアメリカ本土空襲を企図した【戦後77年】投稿者を訪ねて(4)風船爆弾消えなかった疑問『読売新聞』朝刊2022年8月12日(投書面)。 1944年(昭和19年)11月初旬から放球を開始。1945年(昭和20年)3月まで約9000個余りが放たれた。少なくとも300個程度が北アメリカ大陸に到達したとみられる。

見る 太平洋戦争と風船爆弾

被爆

被爆(ひばく)とは、爆撃によって被害を受けること、及び原子爆弾や水素爆弾で被害を受けることである。

見る 太平洋戦争と被爆

飢饉

飢饉(ききん、famine)とは、何らかの要因によりその集落に住む住人が飢餓状態に陥ることを指す。狭義においては、一地域における死亡率を急激に上げるような極端な食料不足の事態を指すことが多い。「饑饉」と書くこともあり「饑」は穀物が稔らないこと、「饉」は蔬菜(野菜)が熟さないことを指す。 主食とする農産物の大規模な不作を契機とする場合が多い。歴史上は長く戦乱や各国の領土拡張の理由ともなってきたが、1940から60年代の緑の革命による収量の増大、その後の輸送網の発達、21世紀に入ってからの国際的な人道援助の広がりなどによって飢饉の発生は大幅に減っている。

見る 太平洋戦争と飢饉

製鉄所

製鉄所(せいてつじょ・せいてつしょ)とは、製鉄を行い鉄鋼製品を作る一連の設備がまとまって存在する工場のことである。 本稿では、その中でも日本の鉄鋼業の主流である、鉄鉱石から鉄を取り出すところから最終製品の製造までを一つの敷地内で行う(間接製鋼法による)銑鋼一貫製鉄所を取り上げる。 日本における事実上の銑鋼一貫製鉄所は、日本製鉄7(室蘭・鹿島・君津・名古屋・和歌山・八幡・大分)、JFEスチール6(千葉・京浜・倉敷・福山・知多・仙台)、神戸製鋼所1(神戸・加古川)の14か所である(2019年現在)。 日本初の銑鋼一貫製鉄所としては一般的に北九州の官営八幡製鐵所(1901年(明治34年)操業開始)が挙げられるが、操業当初には生産が不安定で、開始の翌年から2年間稼動が停止(1904年まで)されている。一方、民間では岩手県の釜石鉱山田中製鉄所(1887年(明治20年)創業)が1903年(明治36年)より銑鋼一貫製鉄所となって稼動しているので、こちらの方が時期的に早い。

見る 太平洋戦争と製鉄所

補給

補給(ほきゅう、military supply-chain management)は、軍事行動に必要な資源を供給し、管理し、配給するための兵站の機能の一つである。

見る 太平洋戦争と補給

飛龍 (空母)

飛龍(ひりゅう/ひりう)は、大日本帝国海軍の航空母艦#達昭和10年11月p.6『達第百三十九號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十年度ニ於テ建造ニ着手ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十年十一月二十二日 海軍大臣大角岑生|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 航空母艦 飛龍ヒリュウ』。1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦にて沈没した。

見る 太平洋戦争と飛龍 (空母)

西安事件

西安事件(せいあんじけん)は、1936年(民国25年)12月12日に中華民国陝西省長安県(現:西安市)で起きた、張学良・楊虎城らによって蔣介石委員長が拉致・監禁された事件。中国では西安事変と呼ばれる。事件収束に至る真相の詳細はいまだ不明だが、この事件によって、その後の共同抗日と国共合作が促されたとされる。

見る 太平洋戦争と西安事件

西田幾多郎

哲学の道(春) 哲学の道にある歌碑 西田 幾多郎(にしだ きたろう、1870年5月19日〈明治3年4月19日〉 - 1945年〈昭和20年〉6月7日)は、日本の哲学者。京都学派の創始者。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1913年)。京都大学名誉教授。著書に『善の研究』(1911年)、『哲学の根本問題』(1933年)など。 東大哲学選科卒。参禅と深い思索の結実である『善の研究』で「西田哲学」を確立。「純粋経験」による「真実在」の探究は、西洋の哲学者にも大きな影響を与え、高く評価される。

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西部戦線

西部戦線(せいぶせんせん, Western Front)とは、複数の戦線が存在する大規模な戦争において、西に位置する戦線の名称として用いられる。一般的には第一次世界大戦または第二次世界大戦において、フランス、ドイツおよびベネルクス三国に形成された前線をさす事が多い。(アメリカ独立戦争に関しては西部戦線 (アメリカ独立戦争)を、南北戦争に関しては西部戦線 (南北戦争)を参照のこと)。

見る 太平洋戦争と西部戦線

西欧

西欧(せいおう)。

見る 太平洋戦争と西欧

西洋

西洋(せいよう、、Occident(オクシデント))は、東洋(the East, Orient、オリエント)の対概念。歴史的にはユーラシア大陸の西端と東端に数千年にわたる二つの文化圏が存在し、現代日本語では二つの文化圏を西洋と東洋という概念で表現する。一方、中国では歴史学の東西比較研究がテーマとなる場合、西洋と東洋という表現の代わりに西方と東方と表現する。 日本語では洋が西洋の略語として使われており、明治頃には、洋式・洋風とは西洋の方式および西洋風を意味し、洋画、洋風建築、洋式トイレ、和洋折衷、洋服、洋傘、洋食、洋楽などの語句が広く使われるようになった。中国語圏でも:zh:洋服、:zh:洋葱(タマネギ)、:zh:洋酒など洋に西洋の意味を持たせている熟語もあるが、日本語の洋式にあたる中国語は西式である。

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親衛隊

とは、主に君主や元首、それに類する重要人物の身辺警護をする武装組織。

見る 太平洋戦争と親衛隊

首都

アメリカ合衆国の首都・ワシントンD.C. イギリスの首都・ロンドン 北京 ブラジルの首都・ブラジリア 南アフリカ共和国の首都、プレトリア エジプトの首都・カイロ 東京 首都(しゅと、capital / capital city)とは、一国の中心となる都市のことを指す。 多くの場合にはその国の中央政府が所在し、国家元首等の国の最高指導者が拠点とする都市のことであるが例外もあり、場合によっては中央政府の所在とは別に、その国のシンボル的存在として認められている都市が法律上の首都とされることもある。首都の存在を一国の法律上の地位として規定する社会もあれば慣習上の存在とみなす社会もあり、また国政上「首都」という概念を重視しない国もある。

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角川文庫

角川文庫(かどかわぶんこ)は、株式会社KADOKAWAが発行している文庫レーベル(角川書店ブランド)。

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駆逐艦

駆逐艦(くちくかん、)は、多様な作戦任務につく重装備・高速の水上戦闘艦。当初は主力艦を護衛して敵の水雷艇を駆逐するための大型水雷艇として登場したが、まもなく水雷艇の代わりにそれ自体が敵艦隊への水雷襲撃を行うようになり、また潜水艦に対する攻撃や偵察・哨戒、船団護衛など、多岐にわたる任務に酷使される便利な艦種に成長していった。

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騎兵

騎兵(きへい、cavalry, trooper)は、兵種の一つで、動物、主に馬に騎乗して戦闘行動を取る兵士である。最初はロバが使用されていたが、後に馬が主流になった。最古の騎兵は動物が曳行する戦車に乗った兵士であったが、後に動物に跨る騎兵に移行していったサイモン・アングリム『戦闘技術の歴史1 古代編』創元社142頁。 騎兵は相対的に高い機動力・攻撃力を誇り、作戦の幅を広げ、偵察、伝令、警戒など後方支援でも活躍した。また、軽騎兵・重騎兵と分類されることもあり、前者は機動力を、後者は攻撃力及び防御力を重視している。狭義には乗馬したまま戦闘するものだけを騎兵と呼び、下馬して戦闘するものを乗馬歩兵 (mounted infantry) と呼んで区別することもある。

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高度経済成長

高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)または、高度成長(こうどせいちょう)、高成長(こうせいちょう)とは、飛躍的に経済規模が継続して拡大することである。日本においては、実質経済成長率が年平均で10%前後を記録した1955年頃から1973年頃までを高度経済成長期と呼ぶ。

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高砂義勇隊

高砂義勇隊(たかさごぎゆうたい)とは、太平洋戦争期に台湾原住民により編成された日本軍の部隊である。高砂義勇軍とも。

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高松宮宣仁親王

高松宮宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう、1905年〈明治38年〉1月3日 - 1987年〈昭和62年〉2月3日)は、日本の皇族、海軍軍人。有栖川宮の祭祀を継承。御称号は光宮(てるのみや)。身位は親王。お印は若梅(わかうめ)。栄典は大勲位功四級。 大正天皇と貞明皇后の第三皇子。皇長兄に昭和天皇、皇次兄に秩父宮雍仁親王、皇弟に三笠宮崇仁親王がいる。第125代天皇明仁は甥、第126代天皇徳仁と秋篠宮文仁親王は大甥にあたる。妃は公爵・徳川慶久の次女・喜久子。

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講談社

株式会社講談社(こうだんしゃ、)は、東京都文京区音羽に本社を置く日本の大手総合出版社。系列企業グループ「音羽グループ」の中核企業。 「週刊少年マガジン」「モーニング」「週刊現代」「FRIDAY」「ViVi」「群像」など30を超える雑誌のほか、文芸書からコミック、実用書や学術書まで多様な書籍を発行している。 小学館・集英社(両社とも一ツ橋グループに所属)と並ぶ日本国内の出版業界最大手であり、一時は年間売上高が2000億円を超えていたこともあった。しかし、近年はいわゆる「出版不況」により売上が減少、2002年(平成14年)には戦後初の赤字決算となった。近年は紙の出版物への依存体質の改善に注力し、2015年(平成27年)以降は電子書籍などのデジタル関係、および国際や権利関係の収入が急増したことにより増収増益が続いている。

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講談社学術文庫

講談社学術文庫(こうだんしゃがくじゅつぶんこ)は、講談社刊の文庫判・学術書レーベル、1976年(昭和51年)6月に発足講談社サイトでは「学術文庫」と表記している担当者(出版部長)による回想記は下記池永陽一『学術の森の巨人たち 私の編集日記』(熊本日日新聞社、2015年)宇田川眞人『日本に碩学がいたころ』(三恵社、2013年)。シンボルマークは、古代エジプトで知識や学問の象徴とされていた「トキ」(アフリカクロトキ)の姿をした神トートである。 単行判・選書新書の(改訂・改題も含む)再刊、古典新訳のみならず、文庫書き下ろしでの出版も多い。約40年間で2000冊代を刊行、重版多数の書目がある一方で、初版のみで品切絶版となった書目も多いが、合本改版や改訂再刊、電子書籍化されることもある。

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講談社現代新書

講談社現代新書(こうだんしゃげんだいしんしょ、Kodansha's new library of knowledge)とは、講談社が発行する教養新書のシリーズである。1964年(昭和39年)4月に創刊。

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魚雷

Mk54魚雷。 魚雷(ぎょらい、 トーピード)は、魚形水雷の略称であり、水中を自走する葉巻形の兵器ブリタニカ国際大百科事典【魚雷】。水中を航行し、目標の艦船類を浸水や爆発によって破壊することを目的とした兵器である。他の兵器と比較してその発射装置、維持管理が困難であるため、国家規模で運営される軍隊でしか運用されておらず、攻撃兵器としてしか用いられていない。海洋障害物の除去などに用いられることはほとんどない。 基本構造として弾頭・エンジン・推進機が組み合わされている。高度なものでは航行の深度を感知するセンサー、水平方向の針路はジャイロスコープでそれぞれ感知している。 魚雷は、水上の艦船の喫水下の部分を破壊するため、多大な浸水を与え、機関部については行動力を奪う。潜水艦を攻撃目標とする場合、沈没につながる致命傷を与えやすい。また、弾頭を搭載しない特殊な用途の魚雷も一部存在する。

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護衛空母

護衛空母(ごえいくうぼ、Escort carrier、Escort aircraft carrier)は、第二次世界大戦においてアメリカ合衆国・イギリス・大日本帝国の3カ国で運用された小型・低速の航空母艦である。船団護送や上陸作戦の支援目的に使われ、護送空母(ごそうくうぼ)とも呼称した。

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豊後水道

豊後水道(ぶんごすいどう)は、九州の大分県と四国の愛媛県に挟まれた水道である。

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豊田副武

豊田 副武(とよだ そえむ、1885年(明治18年)5月22日 - 1957年(昭和32年)9月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第29代・第30代連合艦隊司令長官。海兵33期・海大甲種15期首席。最後となる第19代軍令部総長を務めた。

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財団法人

日本法における財団法人(ざいだんほうじん)は、法人格を付与された財団のことであり、ある特定の個人や企業などの法人から拠出された財産(基本財産)で設立され、これによる金利・配当金及びその他の運用益を主たる事業原資として運営する法人である。 2008年11月までは公益目的が主たる財団法人のみであったが、公益法人制度改革に伴い、2008年12月より公益目的でなくても「一般財団法人」という財団法人を設立できるようになった。また、以前の財団法人(特例民法法人)も所管機関での手続きを経て一般財団法人へ移行できるようになった。

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財閥解体

財閥解体(ざいばつかいたい)は、国際政治方針で財閥などの巨大企業が解体される現象である。

見る 太平洋戦争と財閥解体

貧血

貧血(ひんけつ)とは血液が薄くなった状態である。医学的には、血液(末梢血)中のヘモグロビン(Hb)濃度、赤血球数、赤血球容積率(Ht)が減少し基準値未満になった状態として定義されるが浅野『三輪血液病学』p952、一般にはヘモグロビン濃度が基準値を下回った場合に貧血とされる小川『内科学書』 p64。 医療業界では、アネミー、アネミ、アニーミア(Anemia)ということもある。

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資本主義

サンパウロ証券取引所(2007年4月)。 資本主義(しほんしゅぎ、capitalism)または資本制は、国政によってよりも営利目的の個人的所有者たちによって貿易と産業が制御(コントロール)されている、経済的・政治的システム。特に近現代の資本主義の根幹は、自由資本主義・リベラルキャピタリズム(liberal capitalism)と呼ばれており、資本主義を肯定・擁護・推進する思想や主張は、普通は自由主義とされる。資本主義に基づく社会は「資本主義社会」「市民社会」「近代社会」「ブルジョア社会」等という。 資本主義は封建主義の後に現れた体制である。産業革命および、アメリカ独立革命やフランス革命等の資本主義革命(市民革命)によって確立された。資本主義は、一切全てを商品化していく「市場システム」であり、かつ、諸々の近代国家に蓄積・競合をさせる「世界システム」でもあるという。その主体は企業であり、これが物財やサービスを生産し流通させている。構造的には、資本(としての生産手段)を私有する資本家が、労働者から労働力を買い、それを上回る価値のある商品を生産し、利潤を得ている。

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超大国

2012年2月、アメリカ合衆国のワシントンD.C.で行われた新冷戦時代のライバル超大国のリーダー、ジョー・バイデン大統領(当時は副大統領)と習近平総書記(当時は国家副主席)の会談。 超大国(ちょうたいこく、superpower)とは、世界規模で影響力を行使したり戦力投射したりする広範な能力を特徴とする、支配的な地位を持つ国家である。これは政治力・経済力・軍事力・技術力・文化力に加え、外交力やソフトパワーによる影響力を組み合わせることで実現する。伝統的に、超大国は大国の中でも傑出した存在である。 最初は第二次世界大戦中の1944年に、アメリカ・イギリス・ソ連に初めて適用された。

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鹿児島市

かごしま県民交流センター 鹿児島市(かごしまし)は、鹿児島県の中部に位置する市。鹿児島県の県庁所在地であり、中核市に指定されている。 鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観がイタリアのナポリからヴェスヴィオ火山を望む風景に似ていることから、「東洋のナポリ」と称される。

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軍属

軍属(ぐんぞく)とは、軍人(武官または徴集された兵)以外で軍隊に所属する者のことをいう。 ただし、日米地位協定においては意味が異なり、軍の組織に所属しない民間の米軍関係者をそう呼称している。

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軍令部

1930年代の海軍省及び軍令部。 軍令部(ぐんれいぶ)は、大日本帝国海軍の軍令機関。海軍省が内閣に従属し軍政・人事を担当するのに対し、軍令部は天皇に直属し、その統帥を輔翼する立場から、海軍全体の作戦・指揮を統括する。旧正式名称は海軍軍令部(かいぐんぐんれいぶ)。

見る 太平洋戦争と軍令部

軍令部総長

軍令部総長(ぐんれいぶそうちょう)は、大日本帝国海軍の軍令部(海軍軍令部)の長。現在の海上自衛隊海上幕僚長に相当する。 1933年(昭和8年)の軍令海第5号軍令部令により海軍軍令部長から軍令部総長に改名されたが、所属を明確化するために海軍軍令部総長とも呼ばれた。

見る 太平洋戦争と軍令部総長

軍国主義

軍国主義(ぐんこくしゅぎ、militarism, Militarismus)または軍事主義(ぐんじしゅぎ)もしくはミリタリズムとは、外交の手段として戦争を重視し、政治、経済、教育、文化などのあらゆる活動は、軍事力強化のために行わなければならないとする国家体制や思想をいう。 軍国主義を採る人物を「軍国主義者」という。

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軍需産業

軍需産業(ぐんじゅさんぎょう)とは、軍隊で使われる武器や軍需品を製造したり、販売したりする産業のことを指す。

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軽巡洋艦

軽巡洋艦(けいじゅんようかん、Light Cruiser)は、軍艦の一種。

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黒川創

黒川 創(くろかわ そう、1961年6月15日 - )は、日本の思想評論家・小説家。本名、北澤 恒。 評論家の北沢恒彦は父。編集グループSURE主催の北沢街子は妹。作家の秦恒平は叔父。劇作家・脚本家の秦建日子は従兄弟。

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輸送機

輸送機(ゆそうき)は、人や貨物の輸送を目的とする航空機。民間機の場合は、主として旅客の輸送を目的とする旅客機と、貨物の輸送を目的とする貨物機に大別される。 本項では軍用機としての輸送機について述べる。

見る 太平洋戦争と輸送機

龍驤 (空母)

龍驤(りゅうじょう/りうじやう)は、大日本帝国海軍の航空母艦。一部の資料では、軽空母とも。

見る 太平洋戦争と龍驤 (空母)

農地改革

農地改革(のうちかいかく)は、農地をめぐる所有者の変更や法制度の変更などの土地改革政策。農地解体あるいは農地開放とも称する。 特に第二次世界大戦直後の一時期、資本主義圏の東アジア(日本、韓国、台湾)、社会主義のもとで人民公社制に移行した中国、社会主義的要請から実施された東欧諸国などで農地改革が行われた。これらの第二次世界大戦直後の東アジアや東欧諸国の農地改革は、いずれも当初は小土地所有の散布(形式的小農創出策)という方法がとられた。しかし、その後、小土地所有による自作農体制が結実したのは日本など一部の東アジア諸国のみで、東欧諸国では社会主義的な大経営化、中国では人民公社制に至る集団化の道をたどった。

見る 太平洋戦争と農地改革

迫撃砲

迫撃砲(はくげきほう、mortar、臼砲と同語)は、簡易な構造からなる火砲。高い射角をとることから砲弾は大きく湾曲した曲射弾道を描く。 少人数で運用でき操作も比較的簡便なため、砲兵ではなく歩兵の装備であることが一般的で、最前線の戦闘部隊にとっては数少ない間接照準による直協支援火器の一つである。 射程を犠牲にして砲口初速を低く抑えることで、各部の必要強度を低減し全体を小型かつ軽量にできる。また、射撃時の反動を地面に吸収させる方式によるため駐退機や復座機といった反動制御機構を省略し、機構を簡素化することができる。多くは砲口装填式(前装式)のため閉鎖機も不要であり、同口径の榴弾砲と比べ極めて軽量・コンパクトである。小中口径迫撃砲は分解して携行でき、120 mmクラスの重迫撃砲も小型車輌で牽引できるなど可搬性に優れる。

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近衛文麿

近衛 文麿(このえ ふみまろ、、1891年〈明治24年〉10月12日 - 1945年〈昭和20年〉12月16日)は、日本の政治家。位階は従二位。勲等は勲一等。爵位は公爵。 貴族院議員、貴族院副議長(第10代)、貴族院議長(第9代)、枢密院議長(第18代)、内閣総理大臣(第34・38・39代)、外務大臣(第57代)、拓務大臣(第13代)、班列、農林大臣(臨時代理)、司法大臣(第43代)、国務大臣、麝香間祗候、大政翼賛会総裁(初代)、東亜同文書院院長(第5代)、日本放送協会総裁(第2代)などを歴任した。

見る 太平洋戦争と近衛文麿

霧島 (戦艦)

霧島(きりしま)は、日本海軍の軍艦。建造時は巡洋戦艦。後に戦艦に艦種が変更された。金剛型の4番艦。

見る 太平洋戦争と霧島 (戦艦)

震洋

震洋(しんよう)は、太平洋戦争で日本海軍が開発・使用した特攻兵器(小型特攻ボート)戦史叢書102巻、357頁「震洋(まるよん艇)」。 構造が簡単で、大量生産された。 英語では、Suicide Boatあるいは、Kami Kazi boat または ''Shinyo'' suicide motorboat と呼ばれた。

見る 太平洋戦争と震洋

舞鶴港

舞鶴港(まいづるこう)は、日本海に面する舞鶴湾にある港。所在地は京都府舞鶴市、港湾管理者は京都府。港湾法上の重要港湾(準特定重要港湾)、港則法上の特定港に指定されている。2004年より京都舞鶴港の通称が与えられている。 古来より北前船の寄港地とも知られ、日本海側でも有数の商業港として栄えていた。明治時代に日本海側唯一の海軍鎮守府舞鶴鎮守府が開府し、軍港として飛躍的に発展した。日露戦争の際、そのほとんどの船がここから出港した。戦時中も東港が軍港として整備され、西港は対岸貿易拠点港として整備され、朝鮮や満州への定期航路を有するまでに発展した。 戦後はシベリア抑留等からの引き揚げの際も多数の船が舞鶴港に帰港している。

見る 太平洋戦争と舞鶴港

航空母艦

航空母艦(こうくうぼかん、aircraft carrier)は、航空機を多数搭載し、海上での航空基地の役割を果たす軍艦。略称は空母(くうぼ)。 第一次世界大戦で登場し、その当時は飛行機母艦の名称も使われた p.2〔 英國飛行機母艦「ハルメス」「ハーミーズ」ニ就テ 〕。艦内に格納庫を有し、飛行甲板より艦載機(艦上機)を発着させることが可能な、海洋を移動する飛行場にして根拠地である。 航空機の性能が低かったこともあって補助艦艇として扱われていたが、後に航空機の性能が向上して航空主兵論が台頭するとともに、機動部隊の中核となる主力艦としての地位を確立していった。

見る 太平洋戦争と航空母艦

航空戦艦

航空戦艦(こうくうせんかん、:en:Battlecarrier)とは、戦艦としての大口径砲を装備し、かつ航空母艦又は水上機母艦に準じた航空機運用能力を有する軍艦の通称である。 世界の建艦史上に当初から航空戦艦として建造された艦は存在せず、公式な艦種として存在したこともない。 また、竣工・実戦投入された唯一の例である伊勢型戦艦も戦艦からの改装であり、日本海軍の艦艇類別等級においては「戦艦」のままであった。 なお、同様に巡洋艦としての火砲を装備し、かつ航空母艦又は水上機母艦に準ずる航空機運用能力を有する軍艦の通称として航空巡洋艦と呼ばれるものもある。 これについても当項目で併せて記述する。

見る 太平洋戦争と航空戦艦

鈴木貫太郎

鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、1868年1月18日〈慶応3年12月24日〉- 1948年〈昭和23年〉4月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。栄典は従一位勲一等功三級男爵。 海軍士官として海軍次官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長(第8代)などの顕職を歴任した。予備役編入後に侍従長に就任。さらに枢密顧問官も兼任した。 枢密院副議長(第14代)、枢密院議長(第20・22代)を務めたあと、小磯國昭の後任として内閣総理大臣(第42代)に就任した。一時、外務大臣(第70代)、大東亜大臣(第3代)も兼任した。陸軍の反対を押し切ってポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦を終戦へと導いた。また江戸時代生まれの最後の内閣総理大臣である。

見る 太平洋戦争と鈴木貫太郎

鈴木貫太郎内閣

鈴木貫太郎内閣は、前の小磯内閣の総辞職を受け、枢密院議長だった鈴木貫太郎が組閣した内閣である。 内閣が発足した1945年(昭和20年)4月30日にはベルリンでドイツ国(ナチス・ドイツ)総統アドルフ・ヒトラーが自殺し、5月8日にはドイツ軍が無条件降伏した(欧州戦線における終戦)ことによって、日本は有力な同盟国を失った。国内各都市への日本本土空襲が日増しに激化する中、内閣総合企画局は『国力の現状』と題する報告書を6月6日の最高戦争指導会議に提出、産業の現状から継戦は困難という見解を示したが、徹底抗戦を求める軍部の圧力を受けて「敢闘精神を補えば本土決戦は可能」という結論となり、6月8日の御前会議において「皇土保衛」「国体護持」を目的とした「戦争指導大綱」が決定される。これを前提とした決戦体制作りに向けた法案(義勇兵役法など)審議のため、6月9日に帝国議会が開会され、わずか4日の審議でこれらの法案は可決成立した。この間、鈴木が本会議でおこなった演説の言質を議員が問題として議事が紛糾した天罰発言事件も起きている。しかし、6月23日には沖縄における組織的戦闘が終結するなど、日本の敗色は濃厚となっていった。

見る 太平洋戦争と鈴木貫太郎内閣

''アメリゴ・ヴェスプッチ''(1976年、ニューヨーク港にて) カナダの現代の漁船。 船(ふね、舟、舩、)は、人や物などをのせて水上を渡航(移動)する目的で作られた乗り物の総称広辞苑 第五版 p.2354「ふね【船・舟・槽】」。船(船舶)は浮揚性・移動性・積載性の三要素をすべて満たす構造物をいう。 基本的には海、湖、川などの水上を移動する乗り物を指しているが、広い意味では水中を移動する潜水艇や潜水艦も含まれる。動力は人力・帆・原動機などにより得る。 大和言葉の「ふね」「フネ」は広範囲のものを指しており、規模や用途の違いに応じて「船・舟・槽・艦」などの漢字が使い分けられている。船舶(せんぱく)あるいは船艇(せんてい)などとも呼ばれる(→日本語表現参照)。

見る 太平洋戦争と船

防衛研究所

防衛研究所(ぼうえいけんきゅうしょ、National Institute for Defense Studies, NIDS)は、東京都新宿区の防衛省市ヶ谷地区にある防衛省施設等機関の一つである。

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防衛省

防衛省(ぼうえいしょう、Ministry of Defense、略称: MOD)は、日本の行政機関のひとつ。自衛隊の管理・運営及び日米安全保障条約に係る事務を所管する。 本省は「防衛省」と呼称されるが、英称は国防省と日本語訳されるものと同じである。

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阿南惟幾

阿南 惟幾(あなみ これちか、1887年(明治20年)2月21日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級。1945年(昭和20年)4月に鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣に就任。大東亜戦争(太平洋戦争)末期に降伏への賛否を巡り混乱する政府で本土決戦への戦争継続を主張したが、昭和天皇の聖断によるポツダム宣言受諾が決定され、同年8月15日に割腹自決。日本の内閣制度発足後、現職閣僚が自殺したのはこれが初であった。 侍従武官、陸軍省兵務局長、人事局長、第109師団長、陸軍次官、第11軍司令官、第2方面軍司令官、陸軍航空総監部兼航空本部長、陸軍大臣を歴任。その人柄・人格には定評があり、昭和天皇からは信頼され、陸軍大学校同期の石原莞爾も認めるほどであった。また、最後の陸軍大臣と紹介されることが多いが、歴代最後の陸軍大臣は下村定(幣原内閣)である。

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赤痢

赤痢(せきり)は、発熱、下痢や血便・下血、腹痛などを伴う大腸感染症である。古称は。血液の混じった赤い下痢を伴うことが病名の由来となっている。 かつて赤痢と呼ばれていた病気は、現代では細菌性赤痢とアメーバ性赤痢に分けられ、一般的に赤痢と呼ばれているものは赤痢菌による細菌性赤痢のことを指す。 日本の俳句文化では夏の季語として扱われる。

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赤軍

赤軍(せきぐん、Красная армия、読み:クラースナヤ・アールミヤ)は、1918年1月から1946年2月までロシア帝国およびソビエト連邦に存在した軍隊。ソビエト連邦軍の前身に当たる。十月革命後に勃発したロシア内戦の最中である1918年1月に労働者・農民赤軍(ろうどうしゃ・のうみんせきぐん、Рабоче-крестьянская Красная армия、ラボーチェ・クリスチヤーンスカヤ・クラースナヤ・アールミヤ、略称:労農赤軍、РККА、エールカーカーアー。Workers' and Peasants' Red Army)として設立され、1937年12月にソ連海軍が赤軍から独立した後は、ソ連地上軍(陸軍)を指す呼称となった。

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関行男

関 行男(せき ゆきお、1921年(大正10年)8月29日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。最終階級は海軍中佐。 レイテ沖海戦において、初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」(爆装零戦5機)を指揮して、アメリカ海軍の護衛空母「セント・ロー」を撃沈し、さらに護衛空母3隻を撃破した武功で知られる。

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関門海峡

航空機内から撮影した関門海峡。上が下関市、下が北九州市門司区。 火の山駅より撮影) 夜景(同上) 関門海峡(かんもんかいきょう)は、日本の本州(山口県下関市)と九州(福岡県北九州市)を隔てる海峡。名称は両岸の地名である、馬関(現在の下関市)の「関」と、門司(現在の北九州市門司区)の「門」を取ったものである。穴戸海峡(あなとかいきょう)、馬関海峡(ばかんかいきょう)、下関海峡(しものせきかいきょう)とも称された。 2017年、山口県下関市と福岡県北九州市にまたがる42件が「『関門“ノスタルジック”海峡』〜時の停車場、近代化の記憶〜」として日本遺産に認定された。

見る 太平洋戦争と関門海峡

関東軍

関東軍(かんとうぐん、)は、大日本帝国陸軍の総軍の一つ(1942年(昭和17年)10月1日以前は軍の一つ)。 関東都督府(関東州と南満洲鉄道附属地の行政府)の守備隊が前身。司令部は当初旅順に置かれた。満洲事変を引き起こして満洲国を建国し、日満議定書(1932年9月15日)後は満洲国の首都である新京(現中華人民共和国吉林省長春市)に移転した。 現地の佐官級参謀陣が自らの判断で、政府の不拡大方針を無視して柳条湖事件や張作霖爆殺事件などの謀略事件を強行し、その後の日中戦争や太平洋戦争に至る日本の政治外交過程を大きく揺るがす要因となった。なお、満洲事変は参謀本部や陸軍省といった当時の陸軍中央の国防政策からも逸脱していた上、陸軍大元帥で統帥権を持つ天皇の許可なしに軍事行動をする事は明確な軍規違反であったが、首謀者達は処罰されるどころか出世した。以降、関東軍は規模を拡大させ、1941年(昭和16年)の最大規模時には総員74万人を数えるほどになり、1945年(昭和20年)8月9日のソ連侵攻で壊滅するまで、満洲国の実質的な統治を行った。

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関東軍特種演習

関東軍特種演習(かんとうぐんとくしゅえんしゅう)は、日本軍が実施した対ソビエト連邦作戦準備。略称は関特演。1941年(昭和16年)6月22日に独ソ戦が開始されると、7月2日の御前会議は『情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱』を採択し、独ソ戦が有利に進展したら武力を行使して北方問題を解決するとの方針を決定した。これに基づいて7月7日に関特演の大動員令が下り、第1次動員として13日に内地から約300の各部隊を動員、16日には第2次動員として14個師団基幹の在満洲・朝鮮部隊を戦時定員に充足かつ内地より2個師団を動員、北満に陸軍の膨大な兵力と資材が集積された。

見る 太平洋戦争と関東軍特種演習

閣議 (日本)

総理大臣官邸で開催された初めての閣議(小泉純一郎首相の第1次小泉内閣、2002年5月7日) 日本の閣議(かくぎ)とは、日本の内閣の意思を決定するために開く会議である。総理大臣官邸で開催された最後の閣議(小泉純一郎首相の第1次小泉内閣、2002年4月26日) 歴代内閣総理大臣の花押(初代から44代まで)。閣議で作成される文書には、署名の代わりに花押が用いられる。

見る 太平洋戦争と閣議 (日本)

薩英戦争

薩英戦争(さつえいせんそう、文久3年7月2日 – 4日〈新暦: 1863年8月15日 – 17日〉)は、薩摩藩と大英帝国 (イギリス当時はアイルランド島全体がイギリス領であった。)の間で起こった戦闘である。文久2年8月21日(1862年9月14日)に武蔵国橘樹郡生麦村で発生した生麦事件の解決と補償を艦隊の力を背景に迫るイギリスと、主権統治権のもとに兵制の近代化で培った実力でこの要求を拒否し防衛しようとする薩摩藩兵が、鹿児島湾で激突した。 薩摩方は鹿児島城下の約1割を焼失したほか砲台や弾薬庫に損害を受けたが、イギリス軍も旗艦「ユーライアラス」の艦長や副長の戦死や軍艦の大破・中破など大きな損害を被った。この戦闘を通じて薩摩とイギリスの双方に相手方のことをより詳しく知ろうとする機運が生まれ、これが以後両者が一転して接近していく契機となった。

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葛根廟事件

葛根廟事件(かっこんびょうじけん)は、1945年8月14日、満洲国興安総省の葛根廟付近において日本人避難民千数百人(一説には1,300名)が攻撃を受け、1,000名以上が虐殺され、あるいは自決した事件秦郁彦「日本開拓民と葛根廟の惨劇 (満州)」秦郁彦・佐瀬昌盛・常石敬一編『世界戦争犯罪事典』文藝春秋、2002年8月10日 第1刷、ISBN 4-16-358560-5、260~261頁。坂部晶子「開拓民の受難」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』吉川弘文館、二〇一二年 (平成二十四年) 十二月十日 第一刷発行、ISBN 978-4-642-01469-4、543頁。。葛根廟駅事件ともいう。避難民の約9割以上が女性や子供であった。ソ連軍が去った後に、生存者も自決したり、その後の避難の途上で中国人暴民やソ連兵などの襲撃を再び受けるなどして、日本帰還を目指す多くの日本人居留民が犠牲となった。はっきり確認された生存者は百十数名、後に発見された残留孤児を入れても百数十名に過ぎないという。

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蒼龍 (空母)

蒼龍(そうりゅう / さうりう)は、大日本帝国海軍の航空母艦。二航戦所属艦。

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野村吉三郎

野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1877年(明治10年)12月16日 - 1964年(昭和39年)5月8日)は、昭和初期に活躍した海軍軍人、外交官、政治家。海兵26期次席。位階勲功等は海軍大将従二位勲一等功二級。 和歌山県和歌山市出身。国際法の権威として知られ、阿部内閣で外務大臣をつとめたのち、第二次近衛内閣のとき駐米大使に任じられ、真珠湾攻撃の日まで日米交渉に奔走して戦争回避を模索した。

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重巡洋艦

摩耶 重巡洋艦(じゅうじゅんようかん、英:Heavy Cruiser)とは、軍艦の一艦種である巡洋艦のなかで大型のものをいう。1930年のロンドン海軍軍縮条約で定義された艦種で、条約においては6.1インチを超え8インチ以下の艦砲を搭載する10,000トン以下の「カテゴリーA」の巡洋艦を指した。条約失効後は、10,000トンを超える艦も建造されている。重巡と略す。当時は大巡、甲巡とも呼ばれた。

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重光葵

重光 葵(しげみつ まもる、1887年〈明治20年〉7月29日 - 1957年〈昭和32年〉1月26日)は、日本の外交官・政治家。外交官の重光晶は甥。

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自動小銃

自動小銃(じどうしょうじゅう、Automatic rifle)は、発射時の反動・ガス圧などを利用した機構により弾薬の装填・排莢が自動的に行われる小銃である。狙撃銃や対物狙撃銃を除いた現在の軍用小銃は、一般に自動小銃である。 装填のみが自動で、発射は一発ずつ手動で引き金を引くセミオートマチックライフル(半自動小銃)と、引き金を引けば装填・発射がともに自動で連続する全自動小銃(フルオート)に分けられる。通常、全自動小銃は単発、全自動の切り換え機能を有する。また、軍での運用では弾薬浪費を防ぐため、全自動小銃であっても単発射撃または2発~3発の制限点射射撃(3発出たら指を一旦離す)を基本とする。

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自由フランス

自由フランス(じゆうフランス、France libre)は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツによるフランス占領に反対して成立した組織である。亡命フランス人による独自の自由フランス軍(Forces Françaises Libres)を率いるとともに、を支援した。1942年7月21日からは「戦うフランス(France combattante)」と改称されている。

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自由インド仮政府

自由インド仮政府(自由印度假政府、じゆうインドかりせいふ、आज़ाद हिन्द、 عارضی حکومت‌ِ آزاد ہند。、英語: Azad Hind)は、1943年10月21日から1945年8月18日にかけて存在したインド独立運動の活動家による政府。「インドの暫定政府」として日本占領時期のシンガポールで樹立され、日本軍の軍政に関与する形でアンダマン諸島とニコバル諸島を統治した。

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自衛戦争

自衛戦争(じえいせんそう)とは、国家が自らの主権(縄張り)を維持・防衛するために自衛権の行使として行う戦争のことである。 一般的な概念として、領空侵犯・領海侵犯等、国家主権の侵害を行使した武力に対して順当に適応できる概念であるが、時代と共に自衛権自体が、非武力に対する武力行使をはじめとする各種の拡張解釈を含むようになり、正確な定義が困難となりつつある。 内外に対して自国の正当性を主張する為にこの語が用いられることが多く、そこから自衛戦争の概念は拡大解釈される傾向にあり、国民参加を導くためのプロパガンダとして多用される。第一次世界大戦後の不戦条約においては自衛戦争のみが許される戦争とされたため自衛戦争の概念がさらに多く用いられた。

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自決

自決(じけつ)。

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釜山広域市

釜山広域市(プサンこういきし、ふざん こういきし、부산광역시 Busan Metropolitan City)は、大韓民国南東部に位置する広域市。 ソウルに次ぐ韓国第2の都市であり、古来より日本と朝鮮半島を結ぶ交通の要衝として知られる。コンテナ取扱量で世界7位の釜山港を有する大規模港湾都市でもある。

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釜石市

釜石市中心部周辺の空中写真。2013年9月20日撮影の46枚を合成作成。国土航空写真。 釜石製鐵所(現・北日本製鉄所釜石地区)(2013年6月1日) 釜石市の街並み 釜石市(かまいしし)は、岩手県南東部、三陸海岸の中心に位置する市。旧上閉伊郡、気仙郡。世界三大漁場の一つである北西太平洋漁場の一角をなす三陸漁場と典型的なリアス式海岸を持つ。 近代製鉄業発祥の地であり、最盛期の人口は9万人を超えた。

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金日成

金日成の肖像(1960年代に撮影)。 金日成(きん にっせい、キム・イルソン、김일성、Kim Il-sung、1912年〈明治45年〉4月15日 - 1994年7月8日)は、北朝鮮の政治家、軍人、独裁者。同国初代最高指導者(1948年9月9日 - 1994年7月8日)。称号は朝鮮民主主義人民共和国大元帥、朝鮮民主主義人民共和国英雄(3回受章しており「三重英雄」と称される)。北朝鮮の最高指導者に就任してから死去するまで権力を握り続け、死後はに位置付けられた。

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長谷川毅

長谷川 毅(はせがわ つよし、1941年2月23日 - )は、アメリカ在住の歴史学者。アメリカ国籍。専門はロシア史、日露関係。

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長沙市

長沙市(ちょうさし/チャンシャーし、、、長沙語:t͡sã13 sɔ33sɿ21、Changsha City)は、中華人民共和国湖南省の省都。略称は長、別称は星城。中国中南部に位置する特大都市で、「新一線都市」及び全国交通ハブ都市の一つとして位置づけられている。2,400年以上の歴史を持つ古都であり、隣接する市とともに「長株潭都市圏」を形成する。 建設機械や新材料をはじめとした工業、サービス業を主な産業とし、娯楽と文化産業、特にマスコミ・バラエティー番組制作も全国的に知名度が高い 中国新聞出版広電報,2017年12月7日。21世紀初頭からの十年間で中国の主要都市の中でGDP成長率が最も高く、一人当たりGDPは2万米ドル超。

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艦載機

ロドニー」とスーパーマリンウォーラス(1940年) 艦載機(かんさいき)は、軍艦に搭載され、かつそこから運用可能な航空機のこと。広義には艦船に搭載・運用される全ての航空機を指し、狭義には航空母艦以外の艦船に搭載・運用される航空機(第二次世界大戦時までは主に水上機で、戦後はヘリコプターがとってかわった)を指す。狭義の艦載機に対し、航空母艦に搭載され飛行甲板で発着艦する飛行機は艦上機と呼ばれる。 ただし、艦載機と艦上機の区分は厳密なものではない。艦載機という用語は艦船に搭載・運用される航空機の総称の意味で用いられることも多く、この場合には厳密には艦上機と称すべき飛行機であっても艦載機と呼ばれる。本項では、狭義の艦載機について説明する。

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色丹島

泊村、8.留夜別村、9.留別村、10.紗那村、11.蘂取村 春苅茂尻島・勇留島・秋勇留島) 色丹島(しこたんとう)は、北海道根室半島の東に位置する島である。島の名の由来は、アイヌ語の「シ・コタン(大きな村)」に由来する。古くは「斜古丹」「支古丹」とも表記された。ロシアによる実効支配が続く北方領土の1つである。ロシア語名はシコタン(Шикотан)。

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鉄鉱石

赤鉄鉱 (Fe2O3) 鉄鉱石(てっこうせき、iron ore)とは、製鉄原料となる鉱石である。

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若狭湾

若狭湾(わかさわん)は、福井県から京都府にかけての海岸地形を形成する日本海が深く入り込んでできた湾である。

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英語圏

英語圏(えいごけん、)は、公用語や国語に英語が定められている、もしくはそこに住む人々の主に話す言語が英語である国・地域の総称。 かつてイギリスやアメリカなどの植民地であった地域が、英語圏になっている場合が多い。 英語は、世界80カ国以上で話されている。

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通州事件

通州事件(つうしゅうじけん)は、日本軍への発砲により盧溝橋事件が発生したあとの1937年(昭和12年)7月29日に中華民国河北省通県(現:北京市通州区)において、日本が設立した冀東防共自治政府の中国人保安隊が反乱を起こし、日本軍の通州守備隊と通州特務機関および日本人・朝鮮人居留民を襲撃して200人以上を虐殺した事件(産経ニュース、2017年7月29日)。通州虐殺事件とも呼ばれる。 通州は北平(現:北京市)の東約30kmにあった通県(現:北京市通州区北部)の中心都市で、日本が政治的目的のため北支五省で行った華北分離工作の結果、殷汝耕が南京政府から離脱して設立した冀東防共自治政府が置かれていた。

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通化市

通化市(つうか-し)は、中華人民共和国吉林省西南部に位置する地級市で集安市も含んでいる。1985年通化地区所署から省轄市に昇格した。国家歴史文化名城である。 なお、1945年8月9日から18日まで当時の満洲国の臨時首都だった。

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通商破壊

通商破壊(つうしょうはかい)とは戦時に、通商物資や人を乗せた商船を攻撃することによって、海運による物資の輸送を妨害することである。

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逐次刊行物

逐次刊行物(ちくじかんこうぶつ)とは、出版物の一種で、同一標題の元に終期を定めずに刊行される分冊刊行物である。代表的な物に雑誌・新聞・年鑑がある。

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連合国 (第二次世界大戦)

第二次世界大戦における連合国(れんごうこく、聯合国()、AlliesまたはUnited Nations(現在の国際連合と同名))とは、枢軸国(ドイツ、イタリア、日本など)と敵対した国家連合。具体的にはアメリカ、ソビエト連邦、中華民国、イギリス、フランスなど26カ国が該当する。 第二次世界大戦における連合国は、1939年9月1日、ドイツによるポーランド侵攻にはじまる欧州戦線でドイツの陣営と戦った国々と、1941年12月8日の日本によるマレー作戦及び真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争において日本の陣営と戦った国々がある。このうちイギリス、アメリカ合衆国、中華民国、オーストラリアを含む大部分の諸国は参戦の時点から終戦までの期間に日独両陣営と戦争状態にあったが、日ソ中立条約によってソビエト連邦が対日戦に参戦したのは1945年8月のことである。日ソ中立条約は、法的有効期間中にソ連によって破棄された。

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連合国軍最高司令官総司令部

連合国軍最高司令官総司令部(れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ、聯合国軍最高司令官総司令部()、General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers)は、第二次世界大戦終結に伴うポツダム宣言を執行するために日本で占領政策を実施した連合国軍機関である。連合国軍最高司令部、連合国最高司令官総司令部とも。 極東委員会の下に位置し、最高責任者は連合国軍最高司令官(連合国最高司令官とも、Supreme Commander of the Allied Powers、SCAP、スキャップ)。日本では、総司令部(General Headquarters)の頭字語であるGHQ(ジーエイチキュー)や進駐軍(しんちゅうぐん)という通称が用いられた。

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連合軍

連合軍(れんごうぐん、Allied forces)。

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連合艦隊

連合艦隊(れんごうかんたい、聯合艦隊())は、大日本帝国海軍が二個以上の常設の艦隊で編成した艦隊。海軍部内での略称はGF。

見る 太平洋戦争と連合艦隊

連合艦隊司令長官

東郷平八郎元帥海軍大将。日露戦争時の連合艦隊司令長官。 連合艦隊司令長官(れんごうかんたいしれいちょうかん、、英: Commander-in-Chief of the Combined Fleet)は、日本海軍の外戦部隊である連合艦隊の指揮官。略称はGF長官(GFちょうかん)。

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週刊現代

『週刊現代』(しゅうかんげんだい)は、講談社から発行されている週刊誌である。発行部数38.2万部で『週刊新潮』に次いで業界第3位。

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陸上自衛隊

陸上自衛隊(りくじょうじえいたい、Japan Ground Self-Defense Force、略称: JGSDF)は、日本の行政機関のひとつ。自衛隊のうちの陸上部門にあたる防衛省の特別の機関の総称である。日本語略称は、陸自(りくじ)。諸外国からは、Japanese Army(日本陸軍の意)に相当する語で表現されることがある。

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陸軍大臣

陸軍大臣(りくぐんだいじん)は、旧日本陸軍の軍政を管轄する陸軍省を担当した日本の国務大臣。略称として、陸相(りくしょう)とも呼ばれた。陸軍三長官の一つである。軍部大臣武官制により中将の階級にある者が就任する事もあった。閣僚としての大臣であり親任官であるため、軍階級では中将であっても、法律上大将に対し行政命令を発することが出来た。

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陸軍省

陸軍省(りくぐんしょう)は、かつて存在した日本の中央官庁。旧日本陸軍の軍政を管轄した機関。主任の大臣は陸軍大臣。 1903年(明治36年)以降、1945年(昭和20年) に至るまでの主な附属官庁に航空本部・技術本部・兵器廠・造兵廠・科学研究所・被服廠・糧秣廠などがあり、内局に、大臣官房・人事局・軍務局・整備局・兵器局・経理局・医務局・法務局があった。

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F6F (航空機)

グラマン F6F ヘルキャット(Grumman F6F Hellcat)は、アメリカ合衆国のグラマン社が開発しアメリカ海軍が第二次世界大戦中盤以降に使用した艦上戦闘機。愛称の「ヘルキャット(Hellcat)」は、直訳すれば「地獄の猫」であるが、スラングでは「性悪女」や「意地の悪い女」の意味も持つ。 アメリカ海軍の本命は1940年に初飛行したF4Uであったが、実際には開発時期が遅いこちらのヘルキャットが艦上戦闘機の主力となった。

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FS作戦

FS作戦(FSさくせん)は、第二次世界大戦(大東亜戦争)中に計画された日本軍の作戦である。陸海軍中央協定で定められた作戦名称は「F作戦」。F作戦は、ニューカレドニヤ作戦(ニ号作戦またはNK作戦)、フィジー作戦(フ号作戦またはFI作戦)、サモア作戦(サ号作戦またはSA作戦)の総号呼称。米豪分断のためにフィジー、サモア方面への進攻を計画したが、使用予定の空母をMI作戦で失ったため、基地航空部隊を使用する案に変更されて延期し、後に中止された。

見る 太平洋戦争とFS作戦

NHK出版

株式会社NHK出版(エヌエイチケイしゅっぱん、)は、1931年(昭和6年)に設立された日本の出版社である。日本放送協会(NHK)の関連会社で、2010年までの旧社名は株式会社日本放送出版協会(にっぽんほうそうしゅっぱんきょうかい)であった。

見る 太平洋戦争とNHK出版

NTT出版

エヌ・ティ・ティ出版株式会社(エヌ・ティ・ティしゅっぱん、NTT出版、英:NTT Publishing Co., Ltd.)は、東京都港区にあるNTTグループの出版社である。

見る 太平洋戦争とNTT出版

Ogg

Ogg(オッグ、オグ)は、パテントフリーのマルチメディアコンテナフォーマットである。主にOggファイル、Oggコンテナなどと呼ばれている。

見る 太平洋戦争とOgg

P-38 (航空機)

P-38 ライトニング(Lockheed P-38 Lightning)は、ロッキード社が開発し、アメリカ陸軍などで運用された三胴設計の双発単座戦闘機。 愛称の「ライトニング (Lightning)」は「稲妻」の意。ただし、これはアメリカではなくイギリス空軍が採用した際の機体名として「ライトニング I」と命名された物の逆輸入である。

見る 太平洋戦争とP-38 (航空機)

P-51 (航空機)

P-51 マスタング(North American P-51 Mustang)は、アメリカ合衆国のノースアメリカン社が開発しアメリカ陸軍航空軍などで運用されたレシプロ単発単座戦闘機。 同世代機を凌駕する速力に加え充分な運動性と積載量を有しつつ、戦闘機としてはやや長い航続距離や安定した高高度性能により、爆撃機の護衛や対地攻撃で活躍した。とくにイギリスのロールス・ロイス製エンジンを搭載した後期型は「第二次世界大戦中後期の最優秀戦闘機」と評されたグリンセル 2000, p48。 愛称の「マスタング(Mustang)」とは、スペイン人によって北アメリカ大陸に持ち込まれ野生化した小型の馬のことである。日本語ではムスタングと表記する場合もあるが、本項ではより発音の近いマスタングに統一する。

見る 太平洋戦争とP-51 (航空機)

PHP研究所

株式会社PHP研究所(ピーエイチピーけんきゅうしょ、PHP Institute, Inc.)は、日本の出版社。 1946年創業で、松下幸之助が創設した企業の1つ。当初は株式会社PHP総合研究所という名称でトータルシンクタンクを標榜していたが、2010年10月1日に子会社で出版社であった株式会社PHP研究所を吸収合併し、現在の名称に改名した。

見る 太平洋戦争とPHP研究所

Vorbis

Vorbis(ヴォルビス、ヴォービス)は、Xiph.orgが開発したオープンフォーマットの非可逆圧縮音声ファイルフォーマット。

見る 太平洋戦争とVorbis

W・アヴェレル・ハリマン

ウィリアム・アヴェレル・ハリマン(, 1891年11月15日 - 1986年7月26日)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官、銀行家、実業家。商務長官、ニューヨーク州知事などを歴任した。アメリカ対日協議会のスポンサーであった。

見る 太平洋戦争とW・アヴェレル・ハリマン

Yahoo!

Yahoo(ヤフー、、定型: yahoo!)は、インターネット関連サービスを展開するアメリカのIT企業。カリフォルニア州サニーベールに本社を置く。YahooブランドのWebサービスに加え、TechCrunch、AOL、Engadget、などのメディアブランドも運営している。2021年から50億ドルで買収したアポロ・グローバル・マネジメントが所有している。 Yahoo!は、1994年1月にジェリー・ヤン(楊致遠)とデビッド・ファイロによって設立され、1995年3月2日に Yahoo,Inc.(2017年: Altaba Inc.(アルタバ)に改称)として法人化された。同社は、1990年代の初期インターネット時代の先駆者の1つであり、2000年には、最も人気のあるウェブサイトだった。しかし、Googleにシェアを奪われたため、利用者は徐々に減少、2017年にベライゾングループに買収された。しかし、Yahooドメインのウェブサイトは、アレクサ・インターネットでは世界のエンゲージメントランキングで11位、SimilarWebでは10位と、今でも最も人気のあるウェブサイトの1つである。2021年にアポロ・グローバル・マネジメントがベライゾンから買収した。

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択捉島

択捉島(えとろふとう)は、北海道千島列島南部に位置する同列島内で面積が最大の島。複数の活火山が存在する火山島である。ロシアによる実効支配が続く北方領土の一つである。中心集落は紗那村(クリリスク)。 地名の由来は、アイヌ語の「エトゥ・オロ・オ・ㇷ゚(etu-oro-o-p,鼻・の所・にある・所〈岬のある所〉)」あるいは「エトゥ・オㇿ・オ・ㇷ゚(etu-or-o-p,鼻・水・ある・もの〈クラゲ〉)」。ロシア名はイトゥルップ島(Итуруп、Iturup)。 漢字名の「択捉」は「えとろふ」への当て字であるが、読み分けとしては択(え)捉(とろふ)になる。

見る 太平洋戦争と択捉島

枢軸国

枢軸国(すうじくこく、、Achsenmächte、Les forces de l'axe、Potenze dell'Asse、Axis powers)とは、第二次世界大戦時に連合国と戦った諸国のことである。 具体的にはドイツ、イタリア、日本の日独伊三国同盟を中心に、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアの東欧諸国、さらにフィンランド、タイなどの国が含まれる。他に連合国が承認していない国家としては、フィリピン第二共和国、ビルマ国、スロバキア第一共和国、クロアチア独立国、満洲国、中華民国南京政府などがあるが、これらは全て日独伊などの傀儡政権とされるため、枢軸国には含まれない場合もある。 ヴェルサイユ体制における植民地を「持たざる国」であることと反共主義を共通の基盤としていた。

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林房雄

林 房雄(はやし ふさお、1903年(明治36年)5月30日 - 1975年(昭和50年)10月9日)は、日本の小説家、文芸評論家。大分県大分市出身。本名は後藤 寿夫(ごとう ひさお)。戦後の一時期の筆名は白井 明。戦後は中間小説の分野で活動し、『息子の青春』、『妻の青春』などを出版し舞台上演され流行作家となった。

見る 太平洋戦争と林房雄

李承晩

李 承晩(り しょうばん、イ・スンマン、1875年3月26日 - 1965年7月19日)は、朝鮮の独立運動家で、大韓民国の初代大統領(在任1948年 - 1960年)。本貫は全州李氏。号は「雩南」(ウナム、우남)。字は「承龍」(スンニョン、승룡)。 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では「リ・スンマン(리승만)」と呼ばれるが、これは韓国では語頭子音ㄹの脱落が起こるためである(朝鮮語の南北間差異参照。)。韓国でも1950年代以前には「리승만(リ・スンマン)」と綴られていた(英文での本人の署名も“Syngman Rhee”となっている)。

見る 太平洋戦争と李承晩

来栖三郎 (外交官)

来栖 三郎(くるす さぶろう、1886年(明治19年)3月6日 - 1954年(昭和29年)4月7日)は、日本の外交官。駐ドイツ特命全権大使としてベルリンで日独伊三国同盟に調印。その後、特命全権大使としてアメリカ合衆国に派遣され、大東亜戦争直前の日米交渉にあたる。戦後GHQにより公職追放された。

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東南アジア

東南アジア(とうなんアジア、Southeast Asia, Southeastern Asia)は、アジアのうち南シナ海周辺に位置している国々を指す地域区分である。インドシナ半島、マレー半島、インドネシア諸島、フィリピン諸島アジアと島嶼部東南アジアに分けられる。

見る 太平洋戦争と東南アジア

東京大空襲

両国)付近で撮影されたもの。右側にある川は隅田川、手前の丸い屋根の建物は両国国技館。 航空写真。左の縦に流れる川が隅田川、右上の川が荒川 仲見世とその周辺 B-29爆撃機(1945年のものであるが詳細な日時は不明) 東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期にアメリカ合衆国により行われた、東京都区部に対するM69焼夷弾などの焼夷弾を用いた大規模な戦略爆撃の総称。日本各地に対する日本本土空襲、アメリカ軍による広島・長崎に対する原爆投下、沖縄戦と並んで、東京の都市部を標的とした無差別爆撃によって、市民に大きな被害を与えた。爆撃被災者は約310万人、死者は11万5千人以上、負傷者は15万人以上、損害家屋は約85万戸以上の件数となった。

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東京ローズ

「東京ローズ」の1人であるアイバ・戸栗・ダキノ(GHQによる取調べ時) 東京ローズ(とうきょうローズ、)は、日本軍が第二次世界大戦中におこなった連合国側向けプロパガンダ放送の女性アナウンサーに、アメリカ軍将兵がつけた愛称。 複数存在したが、特定されているのは一人のみである。

見る 太平洋戦争と東京ローズ

東京都慰霊堂

東京都慰霊堂(とうきょうと いれいどう)は東京都墨田区横網の横網町公園内にある慰霊施設。1930年(昭和5年)に関東大震災の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る震災記念堂(しんさい きねんどう)として創建され、1948年(昭和23年)より東京大空襲の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀して、1951年(昭和26年)に現在の姿となった。東京都の施設であるが、仏教各宗により祭祀されている。震災と戦災の犠牲者16万3000柱を供養し、また毎年3月10日と9月1日に大法要が営まれる。現在は公益財団法人東京都慰霊協会が管理運営を行っている。

見る 太平洋戦争と東京都慰霊堂

東京湾

東京湾(とうきょうわん)は、日本の関東地方南部に広がる海域で、首都圏臨海部、房総半島、三浦半島に囲まれ、南の浦賀水道で太平洋につながっている湾である。

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東ティモール

東ティモール民主共和国(ひがしティモールみんしゅきょうわこく、)、通称東ティモールは、アジア(東南アジア)地域に位置する共和制国家。首都はディリ。 島国であり、小スンダ列島にあるティモール島の東半分とアタウロ島、ジャコ島、飛地オエクシで構成されている。南方には、ティモール海を挟んでオーストラリアがあり、それ以外はインドネシア領東ヌサ・トゥンガラ州(西ティモールを含む)である。 1999年8月30日に国連の主導で独立についてのを実施。インドネシアの占領から2002年5月20日に独立した(国際法上はポルトガルから独立)。21世紀最初の独立国である。ポルトガル語諸国共同体加盟国。

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東條内閣

任命なし。

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東條英機

東條 英機(とうじょう ひでき、1884年〈明治17年〉12月30日 - 1948年〈昭和23年〉12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。 陸軍次官、陸軍航空総監(初代)、陸軍大臣(第29代)、参謀総長(第16代)、大政翼賛会総裁(第2代)、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣(第57代)、外務大臣(第59代)、文部大臣(第53代)、商工大臣(第24代)、軍需大臣(初代)を歴任した。現在の百科事典、辞典類、学術誌、研究書、文部科学省検定教科書 などにおける歴史人物名としての表記は「東条英機」。存命当時の『職員録』など印刷物における表記は「東條英機」、御署名原本における大臣副書は「東條英機」であった。

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松岡洋右

松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月4日 - 1946年(昭和21年)6月27日)は、日本の外交官、政治家。 南満洲鉄道(満鉄)総裁を務め、満洲国の実力者「弐キ参スケ」の一人とされた。第2次近衛内閣では外務大臣に就任し、日独伊三国同盟や日ソ中立条約締結を推進。しかしドイツのソ連侵攻後は南進論が大勢を占める政府で北進論を主張し、第3次近衛内閣発足を機に事実上外相を解任された。アメリカ合衆国外交官ジョセフ・グルーと親交があり、佐藤栄作は義理の甥にあたる(妹の娘婿で養子)。

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杉山元

杉山 元(すぎやま げん/はじめ、1880年(明治13年)1月1日 - 1945年(昭和20年)9月12日)は、大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将。 福岡県出身。陸軍士官学校卒業(12期)、陸軍大学校卒業(22期)。陸軍大臣、教育総監、太平洋戦争開戦時の参謀総長。 陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官を全て経験し元帥にまでなったのは二人しかいない(もう一人は上原勇作)。

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栗林忠道

栗林 忠道(くりばやし ただみち、1891年〈明治24年〉7月7日 - 1945年〈昭和20年〉3月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。位階勲等は従四位勲一等(旭日大綬章)。陸士26期・陸大35期。長野県埴科郡西条村(現:長野市松代町)出身。 第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)末期の硫黄島の戦いにおける、日本軍守備隊の最高指揮官(小笠原兵団長。小笠原方面陸海軍最高指揮官)であり、その戦闘指揮によって敵であったアメリカ軍から「アメリカ人が戦争で直面した最も手ごわい敵の一人であった」と評された。

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桜花 (航空機)

桜花(おうか、)は、日本海軍が太平洋戦争中に開発した特殊滑空機。特攻兵器として開発され、実戦に投入された。

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桂林市

桂林市(けいりん-し)は中華人民共和国広西チワン族自治区に位置する地級市。珠江の支流である漓江に沿う街である。カルスト地形でタワーカルストが林立し、絵のように美しい風景に恵まれ、世界的な観光地である。国家歴史文化名城。

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梵鐘

滋賀・園城寺(三井寺)の「弁慶引き摺り鐘」(奈良時代) 梵鐘(ぼんしょう)は、東アジアの寺院などで使用される仏教法具としての釣鐘(つりがね)。撞木(しゅもく)で撞(つ)き鳴らし、重く余韻のある響きが特徴。一般には除夜の鐘で知られる。 「梵」は梵語(サンスクリット)の Brahma (神聖・清浄)を音訳したものである。作られた国によって中国鐘、朝鮮鐘(高麗鐘・新羅鐘)、和鐘(日本鐘)と呼ばれる。別名に大鐘(おおがね)、洪鐘(おおがね、こうしょう)、蒲牢(ほろう)、鯨鐘(げいしょう)、巨鯨(きょげい)、華鯨(かげい)などがある。 法要など仏事の予鈴として撞(つ)くという、仏教の重要な役割を果たす。朝夕の時報(暁鐘 - ぎょうしょう、昏鐘 - こんしょう)にも用いられる。ただし、梵鐘は単に時報として撞かれたものではなく、その響きを聴く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされる。こうした梵鐘の功徳については多くの鐘の銘に記されている。

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梅津美治郎

梅津 美治郎(うめづ よしじろう大尉時代に「はるじろう」から読み方を変更。 、、1882年〈明治15年〉1月4日 - 1949年〈昭和24年〉1月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。栄典は正三位勲一等功二級。 極東国際軍事裁判(東京裁判)で終身刑の判決を受け、服役中に獄中死。1978年(昭和53年)に靖国神社に合祀される。

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植民地

植民地(しょくみんち、殖民地、英: colony)とは、本国からの移住者によって経済的に開発され(植民・移民)、本国に従属する地域18世紀末から20世紀末に至る約200年間に例えば、アメリカ合衆国がイギリスから独立したのは1776年であり、仏領ルイジアナをフランスからアメリカが購入したのは1803年である。アルゼンチンやパラグアイは1810年代にスペインから独立している。一方、多くのアフリカ諸国は1960年に至るまで植民地として残っていた。西サハラからは1975年にスペインが撤退しているが、2004年現在も独立できていない。グリーンランドとフェロー諸島も2018年現在デンマークの自治領である。

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極東

広義の極東 極東(きょくとう、Far East)とは、ヨーロッパから見て遠方にあるアジアの地域概念を指す。狭義では東アジア及び東南アジアの国々、広義ではロシアの一部地域を含める。

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極東国際軍事裁判

陸軍士官学校講堂 公判中の法廷内 極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん、、The International Military Tribunal for the Far East、1946年(昭和21年)5月3日 - 1948年(昭和23年)11月12日)とは、広田弘毅・東条英機元内閣総理大臣など日本の指導者28名が「1928年(昭和3年)1月1日から1945年(昭和20年)9月2日」にかけて「侵略戦争」を起こす共同謀議を行い 、「平和愛好諸国民の利益並びに日本国民自身の利益を毀損」したとして、極東高裁裁判起訴状。(国会図書館デジタルコレクションのオンライン版で)。、平和に対する罪(A級犯罪)、通常の戦争犯罪(B級犯罪)及び人道に対する罪(C級犯罪)の容疑で裁いたものである。

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横須賀港

横須賀港のランドサット衛星写真 横須賀港の地図 横須賀港(よこすかこう)は、神奈川県横須賀市にあり、東京湾に面する港湾。港湾管理者は横須賀市。港湾法上の重要港湾、港則法上の特定港に指定されている。また、周辺地区は都市景観100選に選定されている。

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横浜

横浜、橫濱(よこはま、よこばま) 横浜市(神奈川県)。

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横浜港

横浜港(よこはまこう)は、神奈川県横浜市の東京湾岸にある港湾である。港湾管理者は横浜市。港湾法上の正式名称は横浜港だが、港内の船舶交通を図る港則法では京浜港横浜区と称される京浜港は他に、川崎区(川崎港)と東京区(東京港)がある。。その範囲は鶴見区沖合いより金沢区八景島の辺りまで7,260.5haに及ぶ。 東アジアの大規模港に対抗するため新たに設けられた国際戦略港湾・京浜港(ハブ港)の一翼を担い、国土交通省より「国際コンテナ戦略港湾」の指定も受けている。1859年7月1日(安政6年6月2日)開港。いわゆる「安政の開国」による開港五港である。金港の美称を持つ。他に関税法施行令上の開港で国際貿易港(五大港)、日本三大貿易港などに含まれる。

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武蔵 (戦艦)

300px 武蔵(むさし、#達昭和15年11月(1)p.1『』)は、大日本帝国海軍の大和型戦艦の2番艦。艦名は武蔵国から因んで命名された。この名を持つ大日本帝国海軍の艦船としては3隻目にあたる#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ33(原本39頁)『武蔵(むさし) 艦種巡洋艦 三檣「バーク」 艦名考国名に採る。 艦歴明治27・8年戦役従軍:同27年8月威海衛砲撃に、同11月大連港及旅順国占領に従事、同28年2月威海衛総攻撃及同占領に従事、同31年月三等海防艦に編入、同37・8年戦役に従軍:大正元年8月二等海防艦に列す。同3年乃至9年戦役に従軍:露領沿岸警備に従事、11年4月1日軍艦籍より除き、更めて特務艦(測量艦)と定めらる。昭和3年4月1日除籍。

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武蔵野

武蔵野(むさしの)は関東の一地域を指す地域名。 「どこまでもつづく原野」として、あるいは「月の名所」として、古来さまざまな文芸作品、美術・工芸作品に題材とインスピレーションを与えてきた。 名称に「武蔵野」を持つ地名、作品、その他については以下に記載。

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歯舞群島

歯舞群島(はぼまいぐんとう)は、北海道島の東端である根室半島の納沙布岬の沖合3.7キロメートルから北東に点在する島々である。ロシアによる実効支配が続く北方領土の1つである。ロシア名はハボマイ諸島(Острова Хабомаи)。

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歴史認識

歴史認識(れきしにんしき)とは、歴史に関する認識、歴史観のこと。狭義では、ある歴史観を持つものが、歴史上のある事象をその歴史観で理解・解釈することであり、広義には歴史そのものに対する認識を指す。

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毎日新聞社

株式会社毎日新聞社(まいにちしんぶんしゃ、The Mainichi Newspapers Co., Ltd.)は、全国紙『毎日新聞』を発行する日本の新聞社。ニュースサイトの「毎日新聞デジタル」の運営も行う。大阪毎日新聞と東京日日新聞を源流とし、1970年代までは本社と本店を大阪に置いていたが、その後東京に移転した。選抜高等学校野球大会(春の選抜高校野球)などのスポーツや文化事業の企画開催も行っている。 毎日新聞グループホールディングス(毎日新聞GHD)傘下の中核事業会社である。株式会社毎日新聞社と名乗る企業名は通算3代目(現在のそれは、毎日新聞GHDの設立後に新たに設立されたもの)である。

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比叡 (戦艦)

比叡 (ひえい)は、大日本帝国海軍(以下日本海軍)の巡洋戦艦、後に戦艦、練習戦艦となる。

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毛沢東

毛 沢東字は詠芝、潤芝、潤之で、筆名は子任である。(もう たくとう、マオ・ツォートン、、Mao Zedong/Mao Tse-Tung、1893年12月26日〈光緒19年11月19日〉 - 1976年9月9日)は、中華人民共和国の政治家、思想家。1921年7月に創立された中国共産党の創立党員の1人で、長征と日中戦争を経て党内の指導権を獲得した、1945年より中国共産党中央委員会主席を務めた。日中戦争後の国共内戦では蔣介石率いる中華民国政府を台湾に追放し、1949年10月1日に中華人民共和国の建国を宣言した。1949年10月から1976年9月まで同国の最高指導者であった。

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水葬

水葬(すいそう)は葬儀方法の一種で、遺体を海や川、湖に葬るやり方である。国によっては宗教上の理由から、土をかけて一旦土に還した形(土葬)をとった後に行う場合もある。

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気球

気球(ききゅう、 バルーン)とは、空気より軽い気体を風船に詰め込むことで浮力を得て、空中に上がる物体。バーナーなどで加熱して比重を小さくした空気を利用する熱気球と、同じ温度でも空気より軽い水素やヘリウムを利用するガス気球、両方を併用するロジェ気球がある。 風を利用して空中を移動(飛行)できるほか、地上とロープなどで固定されている繋留気球(係留気球)がある。

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民主主義

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民兵

民兵(みんぺい、 ミリシア)は、民間人で編成された軍隊のこと。 本来的には、平時においてその他の職業についている民間人が、緊急的な軍事要員として短期的な軍事訓練を受けた上で戦時において召集されたもので、正規の戦力である陸海空の軍隊とは区別されて考えられる。組織形態は多彩で、正規軍の一部であったり、戦争が勃発してから緊急的に編成されるものであったりと一概には言えない。ただし傾向としては、訓練期間は比較的短期間で、投入される費用も限定的であることなどがあげられる。

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民族

民族(みんぞく、英語:Ethnicity)とは、言語・人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団である。以下のように英語における概念を日本語に翻訳したものなど、複数の概念が存在する。

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汪兆銘

汪 兆銘(おう ちょうめい、ワン・ジャオミン、1883年5月4日〈光緒9年3月28日〉 - 1944年〈民国33年〉11月10日)は、中華民国の政治家里井(1975)p.155。行政院長(第4代)・中国国民党副総裁。辛亥革命の父、孫文の側近として活躍して党の要職を占めた。 字は季新。号は精衛(中華圏では「汪精衛」と呼ぶのが一般的である)戦前・戦中期の日本でも、「汪精衛」の呼称を使用する例は決して少なくなかった。東亜問題調査会『最新支那要人伝』朝日新聞社(昭和16年)や『写真週報』などの出版物、さらに週間ニュース映画「日本ニュース」などでも「汪精衛」と表記している。。 広東省広州府三水県(現:仏山市三水区)の生まれ。原籍は浙江省紹興府山陰県 愛知学院大学教養部紀要第66巻第2・3合併号(2019)pp.13-63。

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汪兆銘政権

汪兆銘政権(おうちょうめいせいけん)は、1940年3月30日から1945年8月16日にかけて存在した、中華民国の国民政府。日中戦争における日本軍占領地に成立した政権であり、一般に日本の傀儡政権と見做されている。 政府の正式名称は中華民国国民政府(ちゅうかみんこくこくみんせいふ)だが、初代元首(国民政府主席)兼行政院長)である汪兆銘(汪精衛)の名を冠した政権名で称されることが多い(名称に関しては後述)。統治原理は三民主義であり、スローガンは「和平・反共・建国」。首都は南京、最大都市は上海。

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沢本頼雄

沢本 頼雄(さわもと よりお、1886年(明治19年)11月15日 - 1965年(昭和40年)6月29日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。 山口県出身。海軍兵学校36期、海軍大学校17期。兵学校の同期生に南雲忠一大将、清水光美中将、塚原二四三大将、有栖川宮栽仁王少尉などがいる。

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河出書房新社

株式会社河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)は、日本の出版社である。 本社は東京都渋谷区千駄ヶ谷にあるが、2024年3月に移転(5月7日より新宿区東五軒町2-13)が公表された。 3代目社長の河出朋久は歌人でもあり、歌集『白葉集』1 - 3(短歌研究社、2004年 - 2006年)がある。佐佐木幸綱、高野公彦、小野茂樹など学生歌人を社員登用していたこともある。

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治安維持法

治安維持法(ちあんいじほう)は、国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律。 1925年(大正14年)に治安維持法(大正14年4月22日法律第46号)として制定された。その後、1928年(昭和3年)6月29日公布の緊急勅令(昭和3年勅令129号)で修正が加えられた。さらに1941年(昭和16年)にも全面改正(昭和16年3月10日法律第54号)された。 第二次世界大戦敗戦直後の1945年(昭和20年)10月15日、GHQの人権指令を受け、『昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク治安維持法廃止等ノ件』により廃止された。

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沖縄県

沖縄県(おきなわけん、沖縄語: ウチナー 、Okinawa Prefecture)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は那覇市。

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沖縄諸島

沖縄諸島(おきなわしょとう)は、南西諸島の中央部に位置し田里友哲「沖縄諸島」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)p.531、琉球諸島北半分を占める島嶼群である。

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沖縄返還

沖縄返還(おきなわへんかん)は、1972年(昭和47年)5月15日に、沖縄県(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還されたこと(沖縄本土復帰)を指す。日本国政府とアメリカ合衆国政府との間で署名された協定の正式名称は、「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」(沖縄返還協定)である。日本の法令用語としては、沖縄の復帰(おきなわのふっき)という。

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沖縄本島

沖縄島の地形図。 沖縄本島(おきなわほんとう)、または沖縄島(おきなわじま)は、日本の沖縄県を構成する160の島の中で最大の島であり『日本歴史地名大系』「総論 自然環境」(2002年)p.23上段 - 中段、本州など本土4島を除くと択捉島(面積1位)、国後島(同2位)に次ぎ、日本で面積3位の島である。また東シナ海と太平洋(フィリピン海)の間に位置する南西諸島においても最大の島で、大阪府や鳥取県よりは狭いが、東京都区部や琵琶湖よりも広い。

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沖縄戦

沖縄戦(おきなわせん)または沖縄の戦い(おきなわのたたかい)とは、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸した米軍と英軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いの総称である。連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦(Operation Iceberg、氷山作戦)。琉球語では、Ucinaaikusa 【ウチナー〈沖縄〉いくさ〈戦、軍〉】ともいう。

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泰緬鉄道

泰緬鉄道の経路 泰緬鉄道(たいめんてつどう)は、太平洋戦争中にタイとミャンマーを結んでいた鉄道。旧日本陸軍によって建設・運行されたが、戦後英国軍が日本軍捕虜に命じて部分的に撤去され、現在はナムトックサイヨークノイ停車場で途切れている。日本軍の公式名称は泰緬連接鉄道。英語名称は「Thai-Burma Railway(またはBurma Railway)」だが、大量の死者を出した過酷な建設労働から、英語圏ではむしろ「死の鉄道 (Death Railway) 」の名で知られる。存置部分はタイ国有鉄道南本線ナムトック支線として運行されている。深い自然の中を通っているため風光明媚であり、「チョンカイの切り通し」「タム・クラセー桟道橋(アルヒル桟道橋)」など見所も多いため、観光客に人気の路線となっている。

見る 太平洋戦争と泰緬鉄道

法律

法律(ほうりつ)とは、国家や連邦国家の構成単位の議会の議決を経て(statute)、あるいは、統治者ないし国家により制定される、主に国民の自由と財産を制限する実定法規範(law、Gesetz、loi、lex)。

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洋泉社

洋泉社(ようせんしゃ)は、東京都千代田区神田小川町にあった日本の出版社。1985年設立。宝島社の子会社だった。

見る 太平洋戦争と洋泉社

渾作戦

渾作戦(こんさくせん)とは、太平洋戦争中の日本軍の作戦。ビアク島の戦いを支援するための作戦で、3次にわたり行われた。

見る 太平洋戦争と渾作戦

済州島四・三事件

済州島四・三事件(チェジュドよんさんじけん)は、1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮李承晩政権下の済州島で起こった島民の蜂起に伴い、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察など朝鮮半島の李承晩支持派が1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す 大阪産業大学藤永壯教授HP。李承晩の統治下で 1948年8月15日に韓国が独立すると、暴動に対する暴力的な鎮圧が激化した。南朝鮮当局側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察及びその支援を受けた反共団体による大弾圧をおこない、武装蜂起した多くの民間人が死亡した。犠牲者は少なくとも約1万4200人、推定では合計25,000人から30,000人が死亡したとされ、一部の情報源は80,000人もの死者を出したとしているともいわれる。また、済州島の村々の70%(山の麓の村々に限れば95%とも)が焼き尽くされたという。

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清水市

清水市(しみずし)は、静岡県中部(駿河国)にかつて存在した市。現在の静岡市清水区の大半で、旧蒲原町および旧由比町を除いた部分に当たる。特例市に指定されていた。 2003年4月1日、静岡市(〜2003年3月)との合体合併(新設合併)により、現在の静岡市(2003年4月〜)の一部となった。静岡市と清水市を合わせて静清〈せいしん、せいせい「静清」には「せいしん」と「せいせい」の二通りの読み方がある。「せいしん」と読まれる機関は静清信用金庫や静清バイパスなどであり、「せいせい」と読まれる機関は静清中央卸売市場、静清合併協議会、静清高等学校などである。 第三者からは、清水(しみず)から「しん」という風に、「せいしん」と読まれることが多い。しかし、戦後の学校教育において「清」の音読みは「せい」が一般的となった影響か、地元では新に命名される場合は「せいせい」と読まれることが多い。テレビなどの報道においては、「静清合併」は、合併協議会の読みに倣い、「せいせい」と発音される。(参考:『SBSテレビ夕刊』静岡放送)なお、静清高等学校は、開校当初(当時:静清工業高等学校)は旧静岡市に立地していたが、現在は藤枝市に移転した。

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満洲

満洲(まんしゅう、、Manchuria)は、黒竜江(アムール川)・松花江流域を中心とするユーラシア東北部、現在の中国東北地方からロシア沿海地方にかけての地域を指す呼称。「満州」と表記されることも多いが、語源上「満洲」が正式な漢字表記である(後述)。 歴史的にツングース系諸集団の活動空間であり、ヨーロッパ人が「東のタルタリ (la Tartarie orientale)」と呼び、日本語で東韃と訳され、満洲族の台頭とともに「満洲族の地 (terres des Mantchoux)」とも言われた。19世紀以降、日本や欧米では地域名として一般的に用いられるようになり、ロシア沿海地方も含まれていたが、1860年の北京条約により沿海地方を清がロシア帝国へ割譲して以降、日本や欧米では「満洲」とは「東三省」地方を意味するようになった。

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満洲事変

満洲事変(まんしゅうじへん、、英語: Mukden incident)は、1931年(昭和6年、民国20年)9月18日に中華民国遼寧省瀋陽市郊外の柳条湖で、関東軍満洲駐留の大日本帝国陸軍がポーツマス条約により日本に譲渡された南満洲鉄道の線路を爆破した事件(柳条湖事件石原莞爾と板垣征四郎は否定したが、極東国際軍事裁判の田中隆吉の証言と、当時関東軍司令部付であった花谷正の手記という形の原稿「満洲事変はこうして計画された」(別冊『知性』昭和31年12月号)により関東軍の関与が明らかとなった。ただし、南満洲鉄道の日本爆破説の真偽を確証できないと主張するものもある(中西輝政・北村稔『歴史通』2011年3月号『さきに「平和」を破ったのは誰か』))に端を発し、関東軍による満洲(中国東北部)全土の占領を経て、1933年(昭和8年)5月31日の塘沽協定成立に至る、日本と中華民国との間の武力紛争(事変)のこと。中国側の呼称は九一八事変現在柳条湖の事件現場には九・一八歴史博物館が建てられている。この博物館には事件の首謀者としてただ2人、板垣と石原のレリーフが掲示されている。関東軍は約6か月で満洲全土を占領した。

見る 太平洋戦争と満洲事変

満洲国

満洲国の地図 満洲国(まんしゅうこく、、)は、満洲事変により日本軍が占領した満洲(現在の中国東北3省遼寧省、吉林省、黒竜江省)、内蒙古、熱河省を領土として1932年(昭和7年/大同元年)に成立した国家。一般に日本の傀儡国家と見做されている。 首都は新京(旧長春)。日本民族・満洲民族・漢民族・モンゴル民族・朝鮮民族の「五族協和」による「王道楽土」建設をスローガンとし、清朝の廃帝愛新覚羅溥儀を執政に迎え、1934年(昭和9年/康徳元年)から溥儀を皇帝とした帝制へ移行し、各大臣は満洲族で占められたが、要職は関東軍司令官のもと日本人が掌握した。1945年(昭和20年/康徳12年)8月に対日参戦したソ連軍に占領されたことで消滅した。ただし完全占領前の8月17日に重臣会議により満洲国の廃止が決定され、翌日に皇帝溥儀が退位を宣言している。

見る 太平洋戦争と満洲国

漁船

カナダ、ノバスコシア州の漁船。 日本の北海道、釧路港に接岸する漁船 漁船(ぎょせん、)とは、漁業に用いられる船舶である。

見る 太平洋戦争と漁船

潜水艦

潜水艦(せんすいかん、submarine)は、水中航行可能な軍艦である。小型の軍用・民間用の水中航行可能な船は潜水艇と呼び区別される。

見る 太平洋戦争と潜水艦

潜水艦搭載偵察機

潜水艦搭載偵察機(せんすいかんとうさいていさつき)とは、潜水艦の索敵能力を向上させるべく、潜水艦に搭載された偵察用航空機である。主に水上機が用いられ、偵察以外の活動にも従事することがあった。

見る 太平洋戦争と潜水艦搭載偵察機

朝鮮半島

は、アジア大陸東部から南南東に突出した半島。大韓民国(韓国)においては、という。

見る 太平洋戦争と朝鮮半島

朝鮮人

朝鮮人(ちょうせんじん)。

見る 太平洋戦争と朝鮮人

朝日ソノラマ

株式会社朝日ソノラマ(あさひソノラマ)は、かつて存在した日本の出版社。朝日新聞社の全額出資子会社であった。2007年(平成19年)9月30日をもって営業停止し解散した。 「ソノラマ」とはラテン語で「音」を意味する "sonus" と、ギリシャ語で「見もの」を意味する "horama" を合わせた造語である。かつて販売していた「ソノシート」の商標権を取得していた。

見る 太平洋戦争と朝日ソノラマ

木戸幸一

木戸 幸一(きど こういち、1889年(明治22年)7月18日 - 1977年(昭和52年)4月6日)は、日本の官僚、政治家。侯爵。 昭和天皇の側近の一人として東條英機を内閣総理大臣に推薦するなど、太平洋戦争前後の政治に関与した。敗戦後にGHQによって戦争犯罪容疑で逮捕され、極東国際軍事裁判において終身刑のA級戦犯となったが後に仮釈放された。

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本土決戦

本土決戦(ほんどけっせん、)とは、第二次世界大戦(太平洋戦争)において想定された日本本土への連合軍陸上戦闘に対する日本側の呼称である。 アメリカ軍とイギリス軍、フランス軍を中心とした連合国軍は1945年秋以降に「ダウンフォール作戦」として実施を予定し、日本軍は全てを決するという意味で「決号作戦」と称する防衛作戦を計画していたまた、ソ連軍による北海道や東北地方での陸上戦闘の可能性も含まれる。。しかし、1945年(昭和20年)8月に日本がポツダム宣言を受諾して降伏したため、本土決戦は行われることがなかった。

見る 太平洋戦争と本土決戦

本間雅晴

本間 雅晴(ほんま まさはる、1887年(明治20年)11月27日 - 1946年(昭和21年)4月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は従三位勲一等。陸士19期恩賜・陸大27期恩賜。 太平洋戦争においてフィリピン攻略戦を指揮した。英国通の人道主義者であったことは連合国にも知られていたが、バターン死の行進における部下の行為の責任を問われて戦後銃殺刑に処された。

見る 太平洋戦争と本間雅晴

朱徳

乗馬姿の朱徳(1930年代)。 朱 徳(しゅ とく、簡体字:朱 德、繁体字:朱 德、英語:(ヂュー・ドゥー)、1886年12月1日 - 1976年7月6日)は、中華人民共和国の政治家、軍人。原名は朱 代珍、朱 建徳、字は玉階。中国共産党入党以来軍事部門を指導し、中国人民解放軍の「建軍の父」と評される。1949年10月1日の中華人民共和国建国後は元帥の首席に列せられ、国家副主席、中国共産党中央委員会副主席、全国人民代表大会常務委員会委員長(国会議長に相当)などの要職を歴任した。 なお晩年の1975年1月の憲法改正により、国家主席が廃止され、全人代常務委員会が国家元首の権能を果たすようになったので、1976年に死去するまでの短期間だが、朱徳が中華人民共和国の国家元首格(在任:1975年1月17日 - 1976年7月6日)だった。

見る 太平洋戦争と朱徳

月光 (航空機)

月光(げっこう)は、日本海軍の夜間戦闘機。連合軍が本機に与えたコードネームはIrving(アーヴィング)。

見る 太平洋戦争と月光 (航空機)

有色人種

有色人種(ゆうしょくじんしゅ)とは、帝国主義の時代から20世紀中頃まで使用された人種分類である。有色人種という言葉は、白色人種と対で使用される言葉であり、ヨーロッパ系のコーカソイドを除いた、その他人種を指す。 有色人種という概念は優生学の思想に基づき、イギリス・フランス・アメリカ合衆国などを中心としたヨーロッパ系コーカソイドが、植民地の拡大・奴隷制の維持を正当化する根拠として唱えられたものであり、そのため、自分たちと被植民地国の国民および奴隷との、外見で区別しやすい皮膚の色や血統などの特徴を利用し、人種を細分化したものである。 そのため、有色人種と対で使用される場合の白色人種とは、現在の一般的人種分類(コーカソイド・ネグロイド・オーストラロイド・モンゴロイド)とは定義の範囲が異なり、人種差別と密接に結びついた概念であるため、用語毎にその対象範囲が異なる。

見る 太平洋戦争と有色人種

有末精三

有末 精三(ありすえ せいぞう、1895年(明治28年)5月22日『日本陸海軍総合事典』第2版、10頁。『日本陸軍将官辞典』40頁。 - 1992年(平成4年)2月14日)は、日本の陸軍軍人、米国CIA(中央情報局)のエージェント。最終階級は陸軍中将。

見る 太平洋戦争と有末精三

情報局

情報局(じょうほうきょく、、)は、第二次世界大戦当時の日本の内閣直属の情報機関である。戦争に向けた世論形成、プロパガンダと思想取締の強化を目的に、内閣情報部と外務省情報部、陸軍省情報部、海軍省軍事普及部、内務省警保局検閲課、逓信省電務局電務課、以上の各省・各部課に分属されていた情報事務を統一化することを目指して、1940年12月6日に発足した。職員は情報官以上55名、属官89名の合計144名。 国内の情報収集、戦時下における言論・出版・文化の検閲・統制、マスコミの統合や文化人の組織化、および銃後の国民に対するプロパガンダを内務省・陸軍省・海軍省・大本営陸軍部・海軍部などと並行して行った政府機関である。

見る 太平洋戦争と情報局

戦争

戦争(せんそう、war)とは、兵力による国家間の闘争である「戦争」『国際法辞典』、217-219頁。。広義には内戦や反乱も含む(戦争一覧)。集団を形成するようになる有史以来、人類が繰り返してきたものである。戦争に対を為すのは国際紛争の平和的解決である「国際紛争の平和的解決」『国際法辞典』、118-119頁。。銀行などが引受けた巨額の戦費は慢性的な租税負担となる。市民生活に対する制限と攻撃は個人の尊厳を蹂躙する。時代ごとの考え方によって、違法性が認定されてきた。 21世紀に入り、地球規模で敷設されたITインフラを通して膨大な情報が世界中で流通するようになると、物理的な攻撃を伴わない国家間の争いが増加した。そのような争いの比喩として、情報戦・経済戦争・貿易戦争・サイバー戦争・受験戦争などという言葉も用いられるようになった。

見る 太平洋戦争と戦争

戦争犯罪

戦争犯罪(せんそうはんざい、War crime)とは、戦争における国際法に反する行為の中でも、狭義には第二次世界大戦以前より認められてきた戦時法規の違反者が敵国にとらえられた場合に処罰されるものであり、広義には第二次世界大戦後に認められた平和に対する罪と人道に対する罪を狭義の戦争犯罪に加えたものである「戦争犯罪」『国際法辞典』、219頁。。 狭義の戦争犯罪である戦時法規の違反とは、例えば捕虜虐待、毒ガスなど国際法上禁じられた武器の使用、文民による武力を用いた敵対行為、スパイ行為、戦時反逆といった、軍隊構成員が行う交戦法規違反である。広義の戦争犯罪のうち平和に対する罪とは侵略戦争の実行などで、また、人道に対する罪とはジェノサイドや人体実験に代表される非人道的行為である。

見る 太平洋戦争と戦争犯罪

戦争責任

戦争責任(せんそうせきにん)とは、戦時においてとった行動に対してとるべき責任のこと。しばしば戦争犯罪と混同されるが、戦争責任にはいくつかの側面があり、。

見る 太平洋戦争と戦争責任

戦略

戦略(せんりゃく、strategy)は、一般的には特定の目的を達成するために、長期的視野と複合思考で力や資源を総合的に運用する技術・応用科学である。

見る 太平洋戦争と戦略

戦陣訓

戦陣訓(せんじんくん)は、。

見る 太平洋戦争と戦陣訓

戒厳

戒厳(かいげん)とは、戦時や自然災害、暴動等の緊急事態において兵力をもって国内外の一地域あるいは全国を警備する場合に、憲法・法律の一部の効力を停止し、行政権・司法権の一部ないし全部を軍隊の指揮下に移行することをいう。軍事法規のひとつであり、戒厳について規定した法令を戒厳令()という。

見る 太平洋戦争と戒厳

昭和

は、日本の元号の一つ。 1958年(昭和33年)に竣工した東京タワー。 大正の後、平成の前。大化以降230番目、246個目南北朝時代の北朝の元号を除くか含めるかによる。の元号である。昭和天皇の在位期間昭和天皇は父・大正天皇の病状を受け1921年(大正10年)11月25日に「摂政宮」に就いている。 である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで昭和天皇は1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分に崩御し、皇太子明仁親王(現・上皇)が同時刻に直ちに皇位継承。同日中に元号を改める政令が新天皇の署名によって公布され、同政令の附則の施行期日の定めに基づき、昭和は同日午後12時を以て幕を閉じ、翌1月8日午前0時を以て平成と改元された。

見る 太平洋戦争と昭和

昭和天皇

昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇(在位: 1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は裕仁(ひろひと)、御称号は迪宮(みちのみや)。お印は若竹(わかたけ)。 1921年(大正10年)11月25日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの5年余りにわたって、父帝・大正天皇の健康状態の悪化により、摂政となり、自身の天皇即位まで務めた。現在、日本で最後に摂政に就任した人物である。60年余りの在位中に第二次世界大戦を挟み、大日本帝国憲法下の「統治権の総攬者」としての天皇と日本国憲法下の「象徴天皇」の両方を経験した唯一の天皇である。大日本帝国憲法下においては最高司令官として大本営で実戦の指揮も執った。4 現在、天皇に在位する第126代今上天皇 (徳仁)の祖父。

見る 太平洋戦争と昭和天皇

海南島

海南島(かいなんとう、ハイナンとう、海南岛、)は、南シナ海北部に位置する中華人民共和国の島。

見る 太平洋戦争と海南島

海上護衛総司令部

海上護衛総司令部(かいじょうごえいそうしれいぶ、)とは大日本帝国海軍において太平洋戦争後期に通商護衛を司った部署である。設置は1943年11月15日、廃止は1945年8月25日。正式な呼称は「海上護衛総司令部」であったが、しばしば海上護衛総隊(かいじょうごえいそうたい、)とも呼ばれ、また海護総隊(かいごそうたい、)とも略称された。

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海軍大将

海軍大将(かいぐんたいしょう、英語: admiral, full admiral、仏語: amiral)は、海軍の階級の一つ。通常は海軍中将の上に位置する。一般に将官の最高位であり、海軍軍人の最高位である。提督(ていとく)とも訳される。 NATO階級符号は通常OF-9とされるが、旧ドイツ海軍やロシア海軍のような上級大将四階級制を採っている国々の海軍では上級大将がOF-9に相当するため、そしてスペイン海軍では海軍大将が陸軍および空軍中将と同格で、海軍上級大将が陸軍および空軍大将と同格となっているため、これらの国々では一部の国を除いて海軍大将はOF-8に相当する。

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海軍大臣

海軍大臣(かいぐんだいじん)は、旧日本海軍の軍政を管轄する海軍省を担当した日本の閣僚。

見る 太平洋戦争と海軍大臣

海軍兵学校 (アメリカ合衆国)

正門 キャンパス 礼拝堂 卒業式での伝統である帽子投げ。2007年撮影。 ハインライン) アメリカ合衆国海軍兵学校(英語: United States Naval Academy、USNA)は、アメリカ海軍及びアメリカ海兵隊の士官学校。アメリカ海軍作戦部長直轄。1845年設立。所在地は、メリーランド州アナポリス。通称:アナポリス(Annapolis)。

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海軍兵学校 (日本)

海軍兵学校生徒館(現在の海上自衛隊幹部候補生学校) 海軍兵学校(かいぐんへいがっこう、)は、1876年(明治9年)から1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦まで存続した、大日本帝国海軍の将校たる士官の養成を目的とした教育機関である。通称・略称として海兵と呼ばれる事例もある。

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海軍甲事件

海軍甲事件(かいぐんこうじけん)とは、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)4月18日に、前線を視察中の連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将の搭乗機がアメリカ軍戦闘機に撃墜され、山本が戦死した事件である。アメリカ側名称はヴェンジェンス作戦(Operation Vengeance)。

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海龍 (潜水艇)

海龍(かいりゅう)『内令兵第二五號(軍極秘) 回天、海龍及蛟龍ヲ兵器ニ採用ス 昭和二十年五月二十八日 海軍大臣』は、大日本帝国海軍の特殊潜航艇の一種で、敵艦に対して魚雷もしくは体当りにより攻撃を行う二人乗りの有翼特殊潜航艇・水中特攻兵器である。海軍工作学校教官、浅野卯一郎機関中佐(階級呼称は1943年1月当時)の発案で開発された。開発段階では機密を図るため「SS金物」と呼ばれた。 本土決戦用の特攻兵器として開発され、飛行機の部品などを使用し横須賀海軍工廠などで終戦までに224隻が建造され、約207隻が製造中だった。通常の潜水艦と異なり、翼を有し、飛行機のように上昇と下降を行うため、構造が単純で建造を短期間に行うことができた。各地に基地を設け、海龍を配備したものの、終戦によって本土決戦が回避されたため実戦に大規模投入されることはなかった。

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新京特別市

新京駅の駅名標は漢字・ローマ字・キリル文字で書かれており、日本語・中国語・英語・モンゴル語・ロシア語に対応する。なお、ローマ字のHSIN-KING(シンキン)は郵政式に基づくもの。 新京特別市(しんきょうとくべつし)は、満洲国の首都。現在の中華人民共和国吉林省長春市にあたる。

見る 太平洋戦争と新京特別市

新四軍

新四軍(しんしぐん。シンスーグン、簡体字:新四军、)は、中国工農紅軍が第二次国共合作により華南地区で再編された軍隊組織。正式名称は国民革命軍新編第四軍、別名陸軍新編第四軍。主力は中国共産党軍であったが、抗日統一戦線に向けた国民軍である。

見る 太平洋戦争と新四軍

新疆ウイグル自治区

新疆ウイグル自治区(しんきょうウイグルじちく、شىنجاڭ ئۇيغۇر ئاپتونوم رايونی / Shinjang Uyghur Aptonom Rayoni / Шинҗаң Уйғур автоном райони、新疆维吾尔自治区、、、略称: XUAR)は、中華人民共和国の北西部に位置する自治区である。 東アジアと中央アジアが交わる自治区であり、面積は約166万km2で省または自治区の中で最大で、また世界で8番目に大きな国家行政区画でもある。 人口は2020年国勢調査によると約2,585万人で、ウイグル族が45%、漢民族が41%を占める。

見る 太平洋戦争と新疆ウイグル自治区

新聞

ウォール・ストリート・ジャーナル創刊号の1面 は、社会情勢一般(ニュース)または特定分野の出来事を報じ、対象とする層の中で広く読まれることを前提に定期刊行される紙媒体である。 新聞紙と呼ばれる低質の紙に印刷し、折り畳んだ状態で発売される。 日本の新聞社の発行する新聞紙の大きさは、ブランケット判と呼ばれている。

見る 太平洋戦争と新聞

新潮社

株式会社新潮社(しんちょうしゃ)は、日本の出版社。

見る 太平洋戦争と新潮社

文化

文化(ぶんか、)には、いくつかの定義が存在するが、総じていうと人間が社会の構成員として獲得する多数の振る舞いの全体のことである。社会組織(年齢別グループ、地域社会、血縁組織などを含む)ごとに固有の文化があるとされ、組織の成員になるということは、その文化を身につける(身体化)ということでもある。人は同時に複数の組織に所属することが可能であり、異なる組織に共通する文化が存在することもある。もっとも文化は、次の意味で使われることも多い。

見る 太平洋戦争と文化

文藝春秋

株式会社文藝春秋(ぶんげいしゅんじゅう)は、日本の出版社。東京都千代田区紀尾井町に本社を置く。

見る 太平洋戦争と文藝春秋

文春文庫

文春文庫(ぶんしゅんぶんこ)は、株式会社文藝春秋が発行している文庫レーベル。毎月の刊行が新潮文庫と同様に多い。

見る 太平洋戦争と文春文庫

文書

200px 文書(ぶんしょ、もんじょ)は、参照されることを前提として記録される情報を指す。一般には漢音でぶんしょという。もんじょ(呉音)と呼ぶ場合、特に古文書学(こもんじょがく)では、差出人が相手方に意思、用件を伝えるために書いたものをいう(この読みは「古文書」以外には用いられない)。

見る 太平洋戦争と文書

日中戦争

は、盧溝橋事件により発生した、1937年(昭和12年)7月7日から1945年(昭和20年)8月15日まで、大日本帝国と蔣介石率いる中華民国国民政府の間で行われた戦争である。支那事変(しなじへん)、日華事変(にっかじへん)、日支事変(にっしじへん)とも呼ばれる日支事変 (満洲事変と上海事変の総称として使用された例もある)や日華事変とも呼称される。英語圏では、1894年 - 1895年の日清戦争を「Sino-Japanese War of 1894-95」、「Sino-Japanese War of 1894-1895」、「First Sino-Japanese War ("第一次支那日本戦争")」などと称し、1937年 - 1945年の日中戦争は「Sino-Japanese War of 1937-45」、「Sino-Japanese War of 1937-1945」、「Second Sino-Japanese War ("第二次支那日本戦争")」などと呼称される。

見る 太平洋戦争と日中戦争

日ソ中立条約

日ソ中立条約(にっソちゅうりつじょうやく、Пакт о нейтралите́те ме́жду СССР и Япо́нией)とは日本とソビエト連邦(以下ソ連)が1941年(昭和16年)4月13日に締結した中立条約。 正式名称は大日本帝國及「ソヴィエト」社會主義共和國聯邦間中立條約。

見る 太平洋戦争と日ソ中立条約

日系人の強制収容

マンザナー強制収容所 強制収容される日系アメリカ人 アメリカ軍により発せられた強制立ち退き令を報じる羅府新報。文中の「PE赤電車」はパシフィック電鉄(Pacific Electric)を指す。 日系人の強制収容(にっけいじんのきょうせいしゅうよう、)とは、第二次世界大戦時において連合国、特にアメリカ合衆国やアメリカの影響下にあったペルーやブラジル、メキシコなどのラテンアメリカ諸国、またカナダやオーストラリア、ニュージーランドなどのイギリス連邦において行われた、日系人や日本人移民に対する強制収容所への収監政策で、予防拘禁の一種である。1942年から終戦後の1949年に亘って実施された。

見る 太平洋戦争と日系人の強制収容

日独伊三国同盟

日独伊三国同盟(にちどくいさんごくどうめい、、Dreimächtepakt、Patto tripartito)は、1940年(昭和15年)9月27日にベルリンの総統官邸で調印された日本、ドイツ、イタリアの軍事同盟である。正式名称は「日本国、独逸国及伊太利国間三国条約」である。 ヨーロッパ戦争、日中戦争に参戦していない国(主にアメリカを想定)からの攻撃に対する相互援助を約束した。第二次世界大戦における枢軸国の原型となり、その後複数の枢軸側に与した国や友好国も加盟した。

見る 太平洋戦争と日独伊三国同盟

日露戦争

日露戦争(にちろせんそう、Русско-японская война〈ルースカ・イポーンスカヤ・ヴァイナー〉)は、1904年(明治37年)2月から1905年9月にかけて大日本帝国(日本)とロシア帝国との間で行われた戦争である。 三国干渉後、満洲(中国東北部)と朝鮮半島の支配権を巡る争いが原因となって引き起こされた。陸戦では満洲南部の遼東半島や奉天が主な戦場となり、海戦では日本近海にて大規模な艦隊戦が繰り広げられた。最終的に両国はアメリカ合衆国政府の斡旋の下で、講和条約としてポーツマス条約を締結した。 講和条約の中で日本の朝鮮半島における権益をロシアが認め、ロシア領であった樺太の南半分が日本に割譲された。また日本はロシアが清国から受領していた大連と旅順の租借権、東清鉄道の旅順 - 長春間支線の租借権も獲得した。しかし賠償金を獲得するには至らず、戦後に外務省に対する不満が軍人や民間人などから高まった。

見る 太平洋戦争と日露戦争

日英同盟

日英同盟(にちえいどうめい、Anglo-Japanese Alliance)は、日本とイギリスとの間の軍事同盟(攻守同盟条約)である。 1902年(明治35年)1月30日にロシア帝国の極東進出政策への対抗を目的として、駐英日本公使・林董とイギリス外相・第5代ランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスの間で、ランズダウン侯爵邸()オーバルルームにおいて調印された。 その後、第二次(1905年:明治38年)、第三次(1911年:明治44年)と継続更新されたが、1921年(大正10年)のワシントン海軍軍縮会議の結果、調印された四カ国条約成立に伴って、1923年(大正12年)8月17日に失効した。

見る 太平洋戦争と日英同盟

日清戦争

日清戦争(にっしんせんそう、)は、1894年(明治27年)7月25日から1895年(明治28年)4月17日にかけて日本と清国の間で行われた戦争である。なお、正式に宣戦布告されたのは1894年8月1日で、完全な終戦は台湾の平定を終えた1895年11月30日とする見方もある。李氏朝鮮の地位確認と朝鮮半島の権益を巡る争いが原因となって引き起こされ、主に朝鮮半島と遼東半島および黄海で交戦し、日本側の勝利と見なす日清講和条約(下関条約)の調印によって終結した。 壬午軍乱以後、閔妃によって清国が李氏朝鮮に対する宗主権を一方的に主張していたため、講和条約の中で日本帝国は李氏朝鮮に対する清国の一方的な宗主権の放棄を承認させた他、清国から台湾、澎湖諸島、遼東半島を割譲され、巨額の賠償金も獲得した。しかし、講和直後の三国干渉により遼東半島は手放すことになった。戦争に勝利した日本は、アジアの近代国家と認められ、国際的地位が向上し、支払われた賠償金の大部分は軍備拡張費用、軍事費に充てられた。

見る 太平洋戦争と日清戦争

日本の原子爆弾開発

日本の原子爆弾開発(にほんのげんしばくだんかいはつ)では、大日本帝国による原子爆弾を含む核兵器の開発について述べる。

見る 太平洋戦争と日本の原子爆弾開発

日本のいちばん長い日

『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』(にほんのいちばんながいひ うんめいのはちがつじゅうごにち)は、半藤一利による日本のノンフィクション書籍。1965年(昭和40年)の初版刊行時は文藝春秋新社から大宅壮一編のクレジットで発売され、1995年(平成7年)6月に文藝春秋から半藤名義で『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版』として再版された。 昭和天皇や鈴木貫太郎内閣の閣僚たちが御前会議において日本の降伏を決定した1945年(昭和20年)8月14日の正午から宮城事件、そして国民に対してラジオ(日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を描いている。

見る 太平洋戦争と日本のいちばん長い日

日本の降伏

加瀬俊一 日本の降伏(にほんのこうふく)とは、通常、第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)末期の日本による、連合国(事実上のアメリカ合衆国)のポツダム宣言受諾(1945年8月10日)から玉音放送および日本軍の戦闘停止(8月15日)、降伏文書署名(9月2日)に至るまでの過程を指す。以下、日本及びその各占領地における経過を説明する。 なお、掲げられたのは星条旗(アメリカ合衆国の国旗)のみで、日本の国旗や他の連合国の国旗も掲げられなかった。

見る 太平洋戦争と日本の降伏

日本会議

日本会議(にっぽんかいぎ、英称: Japan Conference)は、日本の保守系政治団体。右派から極右にあたる、日本最大の保守主義・ナショナリスト団体である。1997年5月30日設立。 2016年時点で、会員は約3万8,000名、全47都道府県に本部が、また241の市町村支部がある塚田穂高「日本会議と宗教―宗教と現代がわかる本 2016」、平凡社、2016年。。会長は空席。関連団体に「日本会議国会議員懇談会」、「日本会議地方議員連盟」、「皇室の伝統を守る国民の会」、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」、「日本女性の会」などがある。

見る 太平洋戦争と日本会議

日本国との平和条約

日本国との平和条約(にっぽんこくとのへいわじょうやく、、昭和27年条約第5号)は、1951年9月8日に第二次世界大戦・太平洋戦争後に関連して連合国諸国と日本との間に締結された平和条約。通称はサンフランシスコ平和条約。サンフランシスコの英語の頭文字(San Francisco)を取ってSF条約とも呼ばれる)。

見る 太平洋戦争と日本国との平和条約

日本国籍

日本国籍(にほんこくせき、にっぽんこくせき)は、日本国憲法第10条を受けた国籍法によって規定される日本の国籍。 日本の国籍法(昭和25年法律第147号)では「日本国民たる要件」を定めており、日本国籍を所有する者が、すなわち日本国民(にほんこくみん、にっぽんこくみん、日本の国民)であるとされている。原則として父母両系血統主義を採用しているが、例外的に生地主義による取得及び帰化による取得も認められている。

見る 太平洋戦争と日本国籍

日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明

日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(にっぽんこくせいふとちゅうかじんみんきょうわこくせいふのきょうどうせいめい、中华人民共和国政府和日本国政府联合声明、通称: )は、日本国と中華人民共和国が国交を結ぶために1972年9月29日、中華人民共和国の北京で調印された共同声明。

見る 太平洋戦争と日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明

日本国憲法

は、現在の日本における国家形態等を規定している憲法。 この憲法は、象徴君主制('''無権天皇'''ともいう。)・国民主権(直接民主主義が中心)・日本人一人ひとりの権利の尊重・三権分立を基本原理とする大日本帝国憲法(後述)の改正という形で制定されたが、改正元の憲法と異なり、国民主権(間接民主制が中心)・基本的人権の尊重・平和主義の三つを基本原理としている。同じように見える権利の尊重でも、大日本帝国憲法が天皇を除く日本民族の権利を国内外問わずに保障する「民族の権利」の立場なのに対し、この憲法は日本国籍を有する者の権利を日本国内だけで保障する立場をとっている。 草案作成から議会審議まで一貫してGHQの統制がおよび、国際法違反で無効ではないかという指摘もある(後述)。

見る 太平洋戦争と日本国憲法

日本国憲法第9条

けんぽう だい9じょう)は、日本国憲法の条文の一つ。憲法前文とともに三大原則の一つである平和主義を規定しており、この条文だけで憲法の第2章「戦争の放棄」を構成する。この条文は、憲法第9条第1項の内容である「戦争の放棄」(戦争放棄)、憲法第9条第2項前段の内容である「戦力の不保持」(戦力不保持)、憲法第9条第2項後段の内容である「交戦権の否認」の3つの規範的要素から構成されている。

見る 太平洋戦争と日本国憲法第9条

日本標準時

明石天文科学館、親時計 日本標準時(にほんひょうじゅんじ、Japan Standard Time、略語:JST)は、総務省所管の国立研究開発法人情報通信研究機構('''NICT''')の原子時計で生成・供給される協定世界時(UTC)を9時間(東経135度分の時差)進めた時刻(すなわちUTC+9)をもって、日本において標準時(STDT)としたものである。同機構が決定するUTCは「UTC(NICT)」と称され、、国際度量衡局が決定する協定世界時(UTC)との差が±10ナノ秒以内であることを目標として調整・管理されている。単に日本時間と呼ばれることもある。NICTが通報する標準時は、日本全国で日本放送協会(NHK)などの放送局やNTT(117)の時報などに用いられている.

見る 太平洋戦争と日本標準時

日本海

は、西太平洋の縁海で、日本列島、朝鮮半島、沿海州などに囲まれた海である。

見る 太平洋戦争と日本海

早川書房

株式会社早川書房(はやかわしょぼう)は、日本の出版社。創業者は早川清。

見る 太平洋戦争と早川書房

旗艦

旗艦(きかん、 flagship; フラグシップ)とは、司令官(司令・司令長官などを含む)やその幕僚が座乗し、指令・命令を発する艦を指す海軍用語「歴代旗艦物語」勝山拓 世界の艦船2011年11月号 P92-97 株式会社海人社。海上自衛隊ではとの混同を防ぐためか、「はたぶね」とも読む。

見る 太平洋戦争と旗艦

旅客船

コンチェルト(レストラン船)、ロイヤルプリンセス(遊覧船)、飛鳥II(クルーズ客船), 神戸港にて 旅客船(りょかくせん)とは、旅客輸送のみが行える船舶である。客船ともいう。

見る 太平洋戦争と旅客船

播磨灘

播磨灘(はりまなだ)は、瀬戸内海東部の海域。兵庫県南西部(旧播磨国)の南側に位置し、東は淡路島、西は小豆島、南は四国で区切られて西北部に家島諸島がある。

見る 太平洋戦争と播磨灘

支那派遣軍

支那派遣軍(しなはけんぐん)は、大日本帝国陸軍の総軍の一つ。支那事変(日中戦争)解決を目的として編成され、在中国戦線の全陸軍部隊を統括した。軍隊符号はCGA。

見る 太平洋戦争と支那派遣軍

感染症

感染症(かんせんしょう、infectious disease、infección。)とは、感染する病気の総称であり、寄生虫・細菌・真菌・ウイルス・異常プリオンなどの病原体の感染により宿主に生じる病気の総称。感染症体内に微生物が侵入し、増殖することでおこる。 感染症のうち、伝染性(ヒトや動物から他のヒトや動物へと次々に病気がうつる)をもつものを伝染病と言い、集団発生して流行する伝染病を疫病と言う。瘟疫(うんえき、おんえき)、疫癘(えきれい)とも言う(瘟、疫、癘ともに「はやりやまい」の意)。 感染症の歴史は生物の発生と共にあり、先史時代(有史以前)から近代までヒトの病気の大部分を占めてきた。医学史は感染症の歴史に始まったと言っても過言ではない。人類の歴史を通して根本的な治療法が全く無かった時代が圧倒的に長く、伝染病は大きな災害と捉えられてきた。古今東西の歴史書には頻繁に疫病の記述が登場する。

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愛新覚羅溥儀

愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ、アイシンギョロ・プーイー、満洲語:、転写:aisin gioro pu i、1906年2月7日 - 1967年10月17日)は、清の第12代にして最後の皇帝(在位:1908年12月2日 - 1912年2月12日)、後に満洲国執政(1932年3月9日 - 1934年3月1日)、満洲国皇帝(在位:1934年3月1日 - 1945年8月18日)。1960年から中華人民共和国中国人民政治協商会議(政協)文史研究委員会専門委員、1964年から政協全国委員を兼任。 字は「耀之」。号は「浩然」。辛亥革命後の呼称としては、廃帝と中華民国側から呼ばれる一方、旧清朝の立場からは遜帝(「遜」は「ゆずる」の意)とも呼ばれた。末代皇帝(末帝)と呼ばれる場合もある。また、唯一火葬された皇帝のため「火龍(龍は皇帝を指す)」とも呼ばれる。

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敗戦

敗戦(はいせん)は、争いごと・勝負・スポーツの試合などに負けること。

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10月21日

10月21日(じゅうがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から294日目(閏年では295日目)にあたり、年末まであと71日ある。

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10月2日

10月2日(じゅうがつふつか)は、グレゴリオ暦で年始から275日目(閏年では276日目)にあたり年末まであと90日ある。

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10月5日

10月5日(じゅうがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から278日目(閏年では279日目)にあたり、年末まであと87日ある。

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11月1日

11月1日(じゅういちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から305日目(閏年では306日目)にあたり、年末まであと60日ある。

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11月20日

11月20日(じゅういちがつはつか、じゅういちがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から324日目(閏年では325日目)にあたり、年末まであと41日ある。

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11月23日

11月23日(じゅういちがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から327日目(閏年では328日目)にあたり、年末まであと38日ある。

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11月5日

11月5日(じゅういちがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から309日目(閏年では310日目)にあたり、年末まであと56日ある。

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12月11日

12月11日(じゅうにがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から345日目(閏年では346日目)にあたり、年末まであと20日ある。

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12月15日

12月15日(じゅうにがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から349日目(閏年では350日目)にあたり、年末まであと16日ある。

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12月1日

12月1日(じゅうにがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から335日目(閏年では336日目)にあたり、年末まであと30日ある。

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12月8日

12月8日(じゅうにがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から342日目(閏年では343日目)にあたり、年末まであと23日ある。

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1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。 この項目では、国際的な視点に基づいた1945年について記載する。

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1946年

この項目では、国際的に注目されたものを列挙する。

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1948年

この項目では、国際的な視点に基づいた1948年について記載する。

見る 太平洋戦争と1948年

1949年

この項目では、国際的な視点に基づいた1949年について記載する。

見る 太平洋戦争と1949年

1951年

この項目では、国際的な視点に基づいた1951年について記載する。

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1952年

この項目では、国際的な視点に基づいた1952年について記載する。

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1972年

協定世界時による計測では、この年は(閏年で)閏秒による秒の追加が年内に2度あり過去最も長かった年である。 この項目では、国際的な視点に基づいた1972年について記載する。

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2001年

21世紀最初の年である。 この項目では、国際的な視点に基づいた2001年について記載する。

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2024年

この項目では、国際的な視点に基づいた2024年について記載する。

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2月19日

2月19日(にがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から50日目にあたり、年末まであと315日(閏年では316日)ある。

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3月9日

3月9日(さんがつここのか)はグレゴリオ暦で年始から68日目(閏年では69日目)にあたり、年末まであと297日ある。

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4月11日

4月11日(しがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から101日目(閏年では102日目)にあたり、年末まではあと264日ある。

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4月28日

4月28日(しがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から118日目(閏年では119日)にあたり、年末まではあと247日ある。

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5月15日

5月15日(ごがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から135日目(閏年では136日目)にあたり、年末まではあと230日ある。

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5月8日

5月8日(ごがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から128日目(閏年では129日目)にあたり、年末まではあと237日ある。

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6月17日

6月17日(ろくがつじゅうななにち、ろくがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から168日目(閏年では169日目)にあたり、年末まであと197日ある。

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7月16日

7月16日(しちがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から197日目(閏年では198日目)にあたり、年末まであと168日ある。

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7月17日

7月17日(しちがつじゅうななにち、しちがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から198日目(閏年では199日目)にあたり、年末まであと167日ある。

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7月28日

7月28日(しちがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から209日目(閏年では210日目)にあたり、年末まであと156日ある。

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7月2日

7月2日(しちがつふつか)は、グレゴリオ暦で年始から183日目(閏年では184日目)にあたり、年末まではあと182日ある。平年では1年のちょうど真ん中にあたる日である。

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8月13日

8月13日(はちがつじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から225日目(閏年では226日目)にあたり、年末まであと140日ある。

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8月14日

8月14日(はちがつじゅうよっか、はちがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から226日目(閏年では227日目)にあたり、年末まであと139日ある。

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8月15日

8月15日(はちがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から227日目(閏年では228日目)にあたり、年末まであと138日ある。

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8月16日

8月16日(はちがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から228日目(閏年では229日目)にあたり、年末まであと137日ある。

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8月17日

8月17日(はちがつじゅうななにち、はちがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から229日目(閏年では230日目)にあたり、年末まであと136日ある。

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8月18日

8月18日(はちがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から230日目(閏年では231日目)にあたり、年末まであと135日ある。

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8月1日

8月1日(はちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から213日目(閏年では214日目)にあたり、年末まではあと152日ある。

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8月22日

8月22日(はちがつにじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から234日目(閏年では235日目)にあたり、年末まであと131日ある。

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8月28日

8月28日(はちがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から240日目(閏年では241日目)にあたり、年末まであと125日ある。

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8月2日

8月2日(はちがつふつか)は、グレゴリオ暦で年始から214日目(閏年では215日目)にあたり、年末まではあと151日ある。

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8月8日

8月8日(はちがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から220日目(閏年では221日目)にあたり、年末まではあと145日ある。

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8月9日

8月9日(はちがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から221日目(閏年では222日目)にあたり、年末まであと144日ある。

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9月21日

9月21日(くがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から264日目(閏年では265日目)にあたり、年末まであと101日ある。

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9月2日

9月2日(くがつふつか)は、グレゴリオ暦で年始から245日目(閏年では246日目)にあたり、年末まではあと120日ある。

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9月6日

9月6日(くがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から249日目(閏年では250日目)にあたり、年末まであと116日ある。

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9月8日

9月8日(くがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から251日目(閏年では252日目)にあたり、年末まであと114日ある。

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9月9日

9月9日(くがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から252日目(閏年では253日目)にあたり、年末まであと113日ある。

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第二次世界大戦における太平洋戦域 別名。

大東亜戦争大正大正天皇大本営大本営発表大日本帝国陸軍大日本帝国海軍大日本帝国憲法大政翼賛会太平洋太平洋艦隊 (アメリカ海軍)太平洋戦争 (1879年-1884年)太平洋戦争の年表外交官外地外務大臣 (日本)外務省女性のためのアジア平和国民基金奴隷奄美群島奇襲奉天委任統治学研ホールディングス実効支配宣戦布告室蘭市宮内省家永三郎官営八幡製鐵所宗主国宇垣纏宇部市寺内寿一小倉小磯國昭小笠原諸島尾形光琳山川出版社山下奉文岩国市岩波新書岩波書店巡洋艦巡洋戦艦工場上海市上智大学不戦条約帝国主義中央公論新社中将中島飛行機中国中国大陸中国国民党中国残留日本人中立中華人民共和国中華民国中華民国国軍中野正剛中村粲主砲主権世界大戦万世一系三隈 (重巡洋艦)下関港下関戦争一式陸上攻撃機一式戦闘機一橋大学九州九七式中戦車九龍幣原外交平和公園平凡社幻冬舎亡命政府京都大学人道に対する罪二式複座戦闘機二・二八事件二・二六事件広田弘毅五・一五事件五百籏頭眞今村均仏印進駐延安市伊十五型潜水艦弁護人伍長強制連行引き揚げ佐藤卓己佐藤尚武佐藤賢了侍従徐州会戦御名御璽御前会議侵略化学兵器北九州港北京市北海道ナチス・ドイツナチス・ドイツのフランス侵攻ペリリューの戦いペリリュー島ペルーナパーム弾ミンダナオ島ミッドウェー島ミッドウェー海戦ミクロネシアミズーリ (戦艦)マハトマ・ガンディーマハティール・ビン・モハマドノモンハン事件マラリアマラッカ王国マリアナ諸島マリアナ沖海戦ノルマンディー上陸作戦ノルウェーマルタ島マレー人マレー沖海戦マンハッタン計画マーシャル諸島マニュエル・ケソンマニラマニラ大虐殺マニラ湾マダガスカルマダガスカルの戦いマイケル・シャラーマカオマスターマスタードガスチャールズ・スウィーニーチューク諸島チラシチリチェスター・ニミッツハヤカワ文庫ハリー・S・トルーマンハワイ州ハーバート・ジョージ・ウェルズハイチバルバロッサ作戦バルジの戦いバレルバンザイクリフバー・モウバオ・ダイバターン半島バタビア沖海戦ポルトガルポール・ティベッツポートモレスビーポツダムポツダム宣言ポツダム会談ムアンパッターニー郡ムスリムモンゴル人民共和国モスクワヤルタヤルタ会談ユーラシアヨークタウン (CV-5)ラバウルラバウル空襲ラダ・ビノード・パールラオスラオス王国リンガエン湾リットルリトルボーイリトルビッグホーンの戦いリベリアルックイースト政策ルクセンブルクルソン島レバノンレンネル島沖海戦レーダーレパルス (巡洋戦艦)レイテ島レイテ沖海戦レイテ戦記レキシントン (CV-2)レキシントン・コンコードの戦いレコードレズリー・グローヴスロッキー山脈ロケットロシアロシア帝国ロタ島ワシントンD.C.ワシントン海軍軍縮条約ワスプ (CV-7)ヴィシー政権ボリビアボルネオ島ボックスカートラック島空襲トルコヘンリー・アーノルドブリュッセルブーゲンビル島プリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)プレーク・ピブーンソンクラームプロパガンダパナマパラグアイパンプキン爆弾パプアニューギニアパフラヴィー朝ビスマルク諸島テニアンの戦いテニアン島デング熱フランス領インドシナファットマンファシズムフィリピンフィンランドドミニカ国ドーバー海峡ドイツ帝国ドイツ国ニューメキシコ (戦艦)ニューギニアニューギニア島ニカラグアホノルルホンジュラスホーネット (CV-8)ホー・チ・ミンホーカー ハリケーンホスゲンホセ・ラウレルダーウィン (ノーザンテリトリー)ダイヤモンド社ダイビングダウンフォール作戦ダグラス・マッカーサーベネズエラベルリンの戦いベンガル湾ベトナム帝国ベトナム国ベトミンベアトリクス (オランダ女王)制海権列強周南市周防灘周恩来呉港和田春樹アメリカ南方軍アメリカ合衆国大統領アメリカ合衆国ドルアメリカ合衆国国務省アメリカ合衆国国務長官アメリカ統合参謀本部アメリカ軍アメリカ本土空襲アメリカ海兵隊アメリカ海軍アメリカ海軍作戦部長アラモの戦いアラスカ州アリューシャン列島アルゼンチンアンドレイ・グロムイコアーノルド・J・トインビーアーネスト・キングアッツ島アイデンティティーアイオワ (戦艦)アウンサンアジアアジア・太平洋戦争アジア系民族イランインディアナポリス (重巡洋艦)インフレーションインドインドネシアインドネシア独立戦争インドシナ戦争インド国民軍インド洋イギリス帝国イギリス人イギリス海軍イタリア王国イタリア社会共和国ウラジオストクウルグアイウィルヘルミナ (オランダ女王)ウィンストン・チャーチルウスリー川エノラ・ゲイエルヴィン・ロンメルエルサルバドルエンタープライズ (CV-6)エニウェトク環礁エニグマ (暗号機)エアボーンエクアドルエセックス級航空母艦オランダ領東インドオレゴン州オーストラリア海軍オブザーバー (イギリスの新聞)オアフ島オセアニアカリフォルニア州カルタゴカロリン諸島カーチス・ルメイカサブランカ会談ガダルカナル島ガダルカナル島の戦いキューバギルバート諸島クラーク空軍基地クリミア半島クレメント・アトリークロード・イーザリークェゼリン環礁グレート・アーティストグアムグアテマラケニアコルカタコレヒドール島コロンボコロンビアコンセプトコーデル・ハルコスタリカシャルル・ド・ゴールシルバープレートシンガポールの戦いシーレーンシベリア出兵シベリア鉄道シベリア抑留シカゴシカゴ・トリビューンジミー・ドーリットルジャワ島ジャワ沖海戦ジョン・ロールズジョン・ダワージョージ6世 (イギリス王)ジョージ・マーシャルジョホールバルジェット気流スペイン語スマトラ島スバス・チャンドラ・ボーススラバヤ沖海戦スリランカストレートフラッシュ (航空機)スイススカルノスクラップセルヒオ・オスメニャセイロン沖海戦ソロモン諸島ソロモン諸島の戦いソビエト連邦ソビエト連邦軍ソ連対日宣戦布告タラワタイム (雑誌)タイコンデロガ (空母)タイ王国タイ王国軍サラトガ (CV-3)サンディエゴサンフランシスコサンタバーバラサツマイモサイパンの戦いサイパン島サウジアラビア傀儡政権冷戦内大臣内務省 (日本)内閣総理大臣官邸内閣総辞職函館准将啓徳空港八路軍元帥兵站光文社回天図們市国力国家の承認国家主義国家総力戦国家総動員法国体国共合作国共内戦国立公文書館国立国会図書館国際連合国際連盟国東半島国民総生産国民政府四式戦闘機四カ国条約四日市市倒閣個性B-17 (航空機)B-29 (航空機)BC級戦犯短機関銃石家荘市石油精製玉砕玉音放送火災旋風灯火管制珊瑚海海戦硫黄島の戦い神父神風特別攻撃隊神戸祥伝社秦郁彦空襲立教大学第15軍 (日本軍)第1次近衛内閣第2次近衛内閣第3方面軍 (日本軍)第442連隊戦闘団第5艦隊 (アメリカ軍)第8空軍 (アメリカ軍)第三次ソロモン海戦第一次世界大戦第一次ソロモン海戦第二次上海事変第二次ソロモン海戦第五航空戦隊筑摩書房箱根町米墨戦争米内光政米西戦争米比戦争細川護貞総務省練習機義号作戦翔鶴 (空母)真珠湾攻撃統帥権絶対国防圏経済制裁瑞鶴 (空母)生物兵器田中角栄無条件降伏焼夷弾牡丹江特別攻撃隊特命全権大使特殊潜航艇独ソ不可侵条約独ソ戦独立盧溝橋事件発電所白人白人至上主義白系ロシア人白水社白旗菊水作戦華北華僑靖国神社青函連絡船領域 (国家)領土風船爆弾被爆飢饉製鉄所補給飛龍 (空母)西安事件西田幾多郎西部戦線西欧西洋親衛隊首都角川文庫駆逐艦騎兵高度経済成長高砂義勇隊高松宮宣仁親王講談社講談社学術文庫講談社現代新書魚雷護衛空母豊後水道豊田副武財団法人財閥解体貧血資本主義超大国鹿児島市軍属軍令部軍令部総長軍国主義軍需産業軽巡洋艦黒川創輸送機龍驤 (空母)農地改革迫撃砲近衛文麿霧島 (戦艦)震洋舞鶴港航空母艦航空戦艦鈴木貫太郎鈴木貫太郎内閣防衛研究所防衛省阿南惟幾赤痢赤軍関行男関門海峡関東軍関東軍特種演習閣議 (日本)薩英戦争葛根廟事件蒼龍 (空母)野村吉三郎重巡洋艦重光葵自動小銃自由フランス自由インド仮政府自衛戦争自決釜山広域市釜石市金日成長谷川毅長沙市艦載機色丹島鉄鉱石若狭湾英語圏通州事件通化市通商破壊逐次刊行物連合国 (第二次世界大戦)連合国軍最高司令官総司令部連合軍連合艦隊連合艦隊司令長官週刊現代陸上自衛隊陸軍大臣陸軍省F6F (航空機)FS作戦NHK出版NTT出版OggP-38 (航空機)P-51 (航空機)PHP研究所VorbisW・アヴェレル・ハリマンYahoo!択捉島枢軸国林房雄李承晩来栖三郎 (外交官)東南アジア東京大空襲東京ローズ東京都慰霊堂東京湾東ティモール東條内閣東條英機松岡洋右杉山元栗林忠道桜花 (航空機)桂林市梵鐘梅津美治郎植民地極東極東国際軍事裁判横須賀港横浜横浜港武蔵 (戦艦)武蔵野歯舞群島歴史認識毎日新聞社比叡 (戦艦)毛沢東水葬気球民主主義民兵民族汪兆銘汪兆銘政権沢本頼雄河出書房新社治安維持法沖縄県沖縄諸島沖縄返還沖縄本島沖縄戦泰緬鉄道法律洋泉社渾作戦済州島四・三事件清水市満洲満洲事変満洲国漁船潜水艦潜水艦搭載偵察機朝鮮半島朝鮮人朝日ソノラマ木戸幸一本土決戦本間雅晴朱徳月光 (航空機)有色人種有末精三情報局戦争戦争犯罪戦争責任戦略戦陣訓戒厳昭和昭和天皇海南島海上護衛総司令部海軍大将海軍大臣海軍兵学校 (アメリカ合衆国)海軍兵学校 (日本)海軍甲事件海龍 (潜水艇)新京特別市新四軍新疆ウイグル自治区新聞新潮社文化文藝春秋文春文庫文書日中戦争日ソ中立条約日系人の強制収容日独伊三国同盟日露戦争日英同盟日清戦争日本の原子爆弾開発日本のいちばん長い日日本の降伏日本会議日本国との平和条約日本国籍日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明日本国憲法日本国憲法第9条日本標準時日本海早川書房旗艦旅客船播磨灘支那派遣軍感染症愛新覚羅溥儀敗戦10月21日10月2日10月5日11月1日11月20日11月23日11月5日12月11日12月15日12月1日12月8日1945年1946年1948年1949年1951年1952年1972年2001年2024年2月19日3月9日4月11日4月28日5月15日5月8日6月17日7月16日7月17日7月28日7月2日8月13日8月14日8月15日8月16日8月17日8月18日8月1日8月22日8月28日8月2日8月8日8月9日9月21日9月2日9月6日9月8日9月9日