ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
ダウンロード
ブラウザよりも高速アクセス!
 

元暁

索引 元暁

元暁(がんぎょう、或いはげんぎょう、ハングル表記 원효、本名:薛思、 諡号:和諍国師、617年 - 686年3月30日)は新羅の華厳宗の僧侶である。新羅浄土教の先駆者。俗姓は薛、名前は誓幢、新幢である。 新羅の押梁郡(現在の慶尚北道)に生まれ、29歳のときに皇龍寺で出家。興輪寺の法蔵に華厳を学ぶ。教学と論争に優れた人物であった。650年, 義湘と共に唐に渡ろうとしようとしたが、高句麗軍に阻まれ失敗した。661年また義湘と唐に渡ろうとしようとしたが、党項城の古塚にとどまっているときに、偶然に骸骨に溜まった水を飲んで、「真理は遠くにあるものではない。枕元で甘く飲めた水が、起きた後に骸骨に溜まっていたことを知った時、気に障り吐きたくなった。だが、世の中への認識は心にこそある」と悟って帰って来た。その後は華厳学の研究に専念し、240巻もの著作を成した。 ある日、元曉が街で「誰許沒柯斧 我斫支天柱」という歌を歌った。誰も意味が分からなかったが, 武烈王だけは意味を理解し未亡人だった瑤石宮の公主を嫁がせ、彼女は薛聡を生んだ。その後、元曉は「小姓居士」と名を変えて、芸人が与えた瓠に「無碍」という名を付けて、歌を作って仏教を庶民に普及させた。 弟子の審祥が日本に華厳宗を伝えたため、東大寺を始めとする南都の諸寺院でもてはやされるようになり、高山寺にある『華厳縁起』には、元暁にまつわる様々な伝説が語られている。.

22 関係: 奈良審祥寺院ハングル国師義湘華厳宗華厳経高山寺薛聡東大寺武烈王木村清孝新羅日本日本印度学仏教学会慶尚北道3月30日617年686年

奈良

奈良(なら)は、日本国の発祥とされる歴史的地名である。 異表記として那羅・平城・寧楽などがある(読みは全て「なら」)。平安京(京都)に都が遷った後は南都(なんと)とも呼ばれた。古くは大和と呼ばれ、また平城京にも相当した。.

新しい!!: 元暁と奈良 · 続きを見る »

審祥

審祥(しんしょう・しんじょう、生没年不詳)は、奈良時代の華厳宗の僧。出自については不詳。審詳とも書く。 従来は新羅の人と言われていたが、新羅学生と名乗ることについては、近年、「新羅に留学した」という意味に解されている。また、唐に渡って法蔵から華厳を学んだ。 天平年間(729年-749年)に帰国して、奈良大安寺に住した。 740年(天平12年)、良弁が金鐘寺で始めた華厳経の講説では3年間講師をつとめた。 当時、有数の経論の所蔵者であったようで、写経所に対して頻繁に経論を貸し出していたようである。.

新しい!!: 元暁と審祥 · 続きを見る »

寺院

日本の寺院の地図記号 寺院(じいん、梵、)は、仏像が祀られ、仏教の出家者が起居し、修行を行う施設である。寺(てら)、仏閣(ぶっかく)ともいう。 本来は仏教用語であるが、神道を除く諸宗教の教会・神殿を指す語としても広く用いられている(ごく稀に神社にも用いられることがある)。.

新しい!!: 元暁と寺院 · 続きを見る »

ハングル

ハングル(한글)は、朝鮮語を表記するための表音文字である。1446年に李氏朝鮮第4代国王の世宗が「訓民正音」(훈민정음、Hunmin Jeong-eum、略称: 正音)の名で公布した。 意味は「偉大なる(ハン)・文字(グル)」である東京外国語大学・趙義成「チアチア語のハングル表記体系について」学術論文集28、2011.朝鮮奨学会が、「ハン」を「大韓帝国」の「韓(ハン)」とする説もある。.

新しい!!: 元暁とハングル · 続きを見る »

僧(そう、संघ Saṃgha)はサンガを音写した「僧伽」の略で仏教の戒律を守る、男性の出家修行者である「比丘(びく)」と女性の出家修行者である「比丘尼(びくに)」の集団のこと。仏教の三宝の一つ。在家信者を含めた教団を僧(サンガ)とは呼ばず、出家者が四人以上集まったとき僧となる。男性の出家修行者の集団を比丘僧といい、女性の場合は比丘尼僧という。衆あるいは和合衆と訳される。.

新しい!!: 元暁と僧 · 続きを見る »

唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、例えば朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、結果としてそれ以降遣唐使は送られず、それまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられた。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではない。詳しくは中国を参照のこと。.

新しい!!: 元暁と唐 · 続きを見る »

国師

国師(こくし 、くす)は、高僧に対して皇帝(朝廷)から贈られる諡号の1つであり、特に皇帝の師への尊称である。 僧侶に贈られる諡号としては、他にも大師号、禅師号などがある。 中国では、北宋初の賛寧による『大宋僧史略』巻中「国師」によれば、北斉の法常に国師号が贈られたのが最初であるとする。また、陳隋の頃には、天台智顗を国師と号していた。唐代に入ると、禅宗の北宗六祖の神秀を国師とした。憲宗の元和年間には、知玄を悟達国師とした、という例を挙げている。 また日本では奈良時代に1国(地方行政単位)ずつに国師を置き、それぞれの国の仏教行政を統括させた。.

新しい!!: 元暁と国師 · 続きを見る »

義湘

義湘(ぎしょう、625年 - 702年)は、新羅の僧で、新羅における華厳宗の祖。海東華厳宗の祖ともいわれる。.

新しい!!: 元暁と義湘 · 続きを見る »

華厳宗

華厳宗(けごんしゅう)は、大乗仏教の宗派のひとつ。『大方広仏華厳経』(『華厳経』)を拠り所とした宗派で、開祖は杜順。日本仏教における華厳宗は、審祥により736年に伝えられた。南都六宗の一つ。東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)が建立された。.

新しい!!: 元暁と華厳宗 · 続きを見る »

華厳経

『華厳経』(けごんぎょう、Avataṃsaka Sūtra, アヴァタンサカ・スートラ)、正式名称『大方広仏華厳経』(だいほうこうぶつけごんきょう、Buddhāvataṃsaka-nāma-mahāvaipulya-sūtra, ブッダーヴァタンサカ・ナーマ・マハーヴァイプリヤ・スートラ)は、大乗仏教経典の1つ。 経名は「大方広仏の、華で飾られた(アヴァタンサカ)教え」の意。「大方広仏」、つまり時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典である。 元来は『雑華経』(ぞうけきょう、Gaṇḍavyūha Sūtra, ガンダヴィユーハ・スートラ)、すなわち「様々な華で飾られた・荘厳された(ガンダヴィユーハ)教え」とも呼ばれていた。.

新しい!!: 元暁と華厳経 · 続きを見る »

高山寺

境内風景 高山寺(こうざんじ、こうさんじ)は、京都市右京区梅ヶ畑栂尾町(とがのおちょう)にある寺院。栂尾は京都市街北西の山中に位置する。高山寺は山号を栂尾山と称し、宗派は真言宗系の単立である。創建は奈良時代と伝えるが、実質的な開基(創立者)は、鎌倉時代の明恵である。もともとここにあった神護寺の子院が荒廃した跡に神護寺の文覚の弟子であった明恵が入り寺としたものである。「鳥獣人物戯画」をはじめ、絵画、典籍、文書など、多くの文化財を伝える寺院として知られる。境内が国の史跡に指定されており、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。.

新しい!!: 元暁と高山寺 · 続きを見る »

薛聡

薛聡(せつそう、(ソルチョン)、生没年不詳)は、7世紀後半から8世紀前半頃の新羅の儒学者。号は于堂。 新羅時代の高僧として知られる元暁の子。当時の新羅きっての大学者で、翰林に任ぜられた。儒教の経典を新羅語(朝鮮語)で読む方法(「吐」)や、新羅語を漢字で表現する方法(「吏読」)を考案したとされる。 後世、新羅時代を代表する儒学者として尊敬を受け、孔子を祀る文廟に合祀された。 せつそう.

新しい!!: 元暁と薛聡 · 続きを見る »

東大寺

東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。 金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である。現別当(住職・222世)は狹川普文。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。 東大寺は1998年12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。.

新しい!!: 元暁と東大寺 · 続きを見る »

武烈王

武烈王(ぶれつおう、朝鮮語:무열왕、603年 - 661年)は、新羅の第29代の王(在位:654年 - 661年)であり、姓は金、諱は春秋。父は第25代真智王の子の伊飡(2等官)の金龍春金龍樹とも表記する。(後に文興王と追封)、母は第26代真平王の長女である天明公主(後に文貞太后と追封)。王妃は角干(1等官)の金舒玄の娘の文明王后金氏(文姫)であり、金庾信の妹に当たる。654年3月に先代の真徳女王が死去し、群臣に推戴されて王位に就いた。在位中に百済を滅ぼし、三国統一の基盤を為した。死後、太宗の廟号を贈られ、太宗武烈王とも称せられる。韓国では古代の君主の廟号を受けた最初の君主でもある。.

新しい!!: 元暁と武烈王 · 続きを見る »

木村清孝

木村 清孝 (きむら きよたか、1940年12月19日 - )は、日本の仏教学者、僧侶、曹洞宗龍宝寺(函館市)住職、総持学園常務理事、東京大学名誉教授、国際仏教学大学院大学特任教授、仏教伝道協会理事、元鶴見大学学長。専攻は、華厳思想を基にした東アジア仏教研究。 熊本県天草生まれ、幼少時に北海道函館へ移住。1963年東京教育大学文学部倫理学科卒、71年東京大学大学院博士課程満期退学。75年「初期華厳思想の研究」で東大文学博士。79年四天王寺女子大学教授、83年東京大学文学部助教授、88年教授。2001年定年退官、名誉教授、鶴見大学短期大学部教授、学長。2014年退任。.

新しい!!: 元暁と木村清孝 · 続きを見る »

新羅

新羅(しらぎ/しんら、前57年- 935年)は、古代の朝鮮半島南東部にあった国家。当初は「斯蘆」(しろ)と称していたが、503年に「新羅」を正式な国号とした。朝鮮半島北部の高句麗、半島南西部の百済との並立時代を経て、7世紀中頃までに朝鮮半島中部以南をほぼ統一し、高麗、李氏朝鮮と続くその後の半島国家の祖形となった。内乱や飢饉で国力を弱体化させ、高麗に降伏して滅亡した。 朝鮮の歴史区分では、新羅、高句麗、百済の3か国が鼎立した7世紀中盤までの時代を三国時代、新羅が朝鮮半島唯一の国家であった時代(668年-900年)を統一新羅時代、新羅から後高句麗と後百済が分裂した10世紀の時代を後三国時代という。.

新しい!!: 元暁と新羅 · 続きを見る »

日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

新しい!!: 元暁と日本 · 続きを見る »

日本印度学仏教学会

日本印度学仏教学会(にほんいんどがくぶっきょうがっかい、英名 JAPANESE ASSOCIATION OF INDIAN AND BUDDHIST STUDIES、略称JAIBS)は、印度学及び仏教学の発展を目指すとともに、世界の学者とも連携し、世界文化の進運を目的として1951年に創立された会員数2,400余名を擁する日本最大の人文社会系学会。 事務局を東京都文京区本郷3-33-5本郷ビル2階に置いている。.

新しい!!: 元暁と日本印度学仏教学会 · 続きを見る »

慶尚北道

慶尚北道(キョンサンプクト、けいしょうほくどう、韓国語表記:)は、大韓民国の東南部(朝鮮半島南東部)に位置する行政区。「慶尚」とはかつての中心都市であった慶州(新羅の古都)、尚州を組み合わせた合成地名であり、この周辺地域を慶尚道と呼ぶ。行政区画としては李氏朝鮮の時代に東西に分けられたりなど試行錯誤が行われ、1896年勅令第36号で朝鮮八道における慶尚道の北半分を慶尚北道と定めた。かつて慶尚北道の一部であった大邱市は1981年に「大邱直轄市」(1995年より大邱広域市)として分離した。その後も道庁は大邱広域市に置かれていたが、2016年2月12日に安東市に移転した。通常は慶北と略される。.

新しい!!: 元暁と慶尚北道 · 続きを見る »

3月30日

3月30日(さんがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から89日目(閏年では90日目)にあたり、年末まであと276日ある。.

新しい!!: 元暁と3月30日 · 続きを見る »

617年

記載なし。

新しい!!: 元暁と617年 · 続きを見る »

686年

記載なし。

新しい!!: 元暁と686年 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

薛思

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »