Google PlayストアでUnionpediaアプリを復元するために作業中です
出ていきます入ってきます
🌟ナビゲーションを改善するためにデザインを簡素化しました!
Instagram Facebook X LinkedIn

佐田の山晋松

索引 佐田の山晋松

佐田の山 晋松(さだのやま しんまつ、1938年2月18日 - 2017年4月27日)は、長崎県南松浦郡有川町(現・新上五島町)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。第50代横綱。本名は市川(旧姓:佐々田)晋松(いちかわ しんまつ)。

目次

  1. 214 関係: 力士ぶつかり稽古千代の山雅信南松浦郡及川煌久双葉山定次君錦利正大坂相撲大工大相撲大相撲優勝力士一覧大麒麟將能大錦一徹大鵬幸喜大雄辰實天津風征夫太刀持ち外ヶ濱弥太郎好酸球性消化管疾患婿養子室雄二宇多川勝太郎安念山治富士錦猛光小城ノ花昭和小結山形県岡ノ山喜郎岩風角太郎上手投げ不戦勝不文律両國勇治郎両国国技館両国梶之助中立 (相撲)帰化常ノ花寛市常陸山谷右エ門三賞三重ノ海剛司三段目一升瓶一人称年寄名跡年間最多勝年間最優秀力士賞幕下幕内序二段... インデックスを展開 (164 もっと) »

  2. 長崎県出身の大相撲力士

力士

力士(りきし、ちからひと)とは、相撲を行う者のこと。厳密には、相撲部屋に所属して四股名を持ち、番付に関わらず大相撲に参加する選手の総称。力士は皆、日本相撲協会の専従職員という扱いだが、一方で相撲協会と力士との間で結ばれている契約は「準委任契約(力士は個人事業主)」であるとする東京地裁の判例も存在する。相撲取り(すもうとり)とも呼ばれる。しばしば関取(せきとり)と呼ばれることもあるが、元来は大関のことを指す異称であり、現代では中卒以上の義務教育修了・身長167cm以上・体重67kg以上の男性に受験資格が与えられる日本相撲協会による検査に合格した十両以上の力士のことを指す。 幕下以下の力士は力士養成員(りきしようせいいん)と呼ばれる。また、本来は神事に関わる者であるため、日常会話では親愛と尊敬をこめてお相撲さんとも呼ばれる。

見る 佐田の山晋松と力士

ぶつかり稽古

ぶつかり稽古(ぶつかりけいこ)とは受ける側とぶつかる側に分かれて行う相撲の稽古のことである。当たる側は押す力、出足をつけて当り、倒れる際に受け身の稽古をする『大相撲ジャーナル』2017年6月号70頁。当たった時に押せなかった場合は、首を押さえられながらすり足をさせられ、転がされる。受ける側はぶつかる側より、やや力の強い力士が行う。受ける側は、足幅を広めにして腰を割り、両手を広げて右足を前に踏み込み、相手の当たりを受け、おっつけなども行う。左足を踏み込むと心臓のある左胸が前に出てしまうので安全面の問題が生じるが、貴闘力などは平気で行っていたという。防御と押しの姿勢を繰り返すことにより、受け身を覚える。これが怪我の防止にもつながる。

見る 佐田の山晋松とぶつかり稽古

千代の山雅信

千代の山 雅信(ちよのやま まさのぶ、1926年6月2日 - 1977年10月29日)は、北海道松前郡福島町出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。第41代横綱。本名は杉村 昌治(すぎむら まさはる)。

見る 佐田の山晋松と千代の山雅信

南松浦郡

長崎県南松浦郡の位置(緑:新上五島町) 南松浦郡(みなみまつうらぐん)は、長崎県の郡。 長崎県内では所在・管轄する地域を示す郡名の略称として南松(なんしょう)とも呼ばれる。 以下の1町を含む。

見る 佐田の山晋松と南松浦郡

及川煌久

及川 煌久(おいかわ てるひさ、1936年12月16日 - 没年不明)は、岩手県胆沢郡前沢町(現役当時、現在の同県奥州市)出身で高砂部屋(入門時は尾上部屋)に所属した大相撲力士。本名は及川 耕貢(おいかわ こうぐ)。現役時代は、身長176cm、体重120kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭10枚目(1960年9月場所)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p22。

見る 佐田の山晋松と及川煌久

双葉山定次

双葉山 定次「双」は「雙」の略字だが、番付では初土俵のときの誤記とおぼしき「二葉山」以外は全て「双葉山」と表記されていた。(ふたばやま さだじ、1912年2月9日 - 1968年12月16日)は、大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。第35代横綱。位階は従四位。本名は龝吉 定次(あきよし さだじ)。 現在も破られていない69連勝の大相撲記録を樹立し、太平洋戦争前の日本で国民的人気を得た。横綱在任時代に双葉山相撲道場を創立して指導者(親方)となり後進力士を育て時津風一門を形成、日本相撲協会理事長として運営の改善にも取り組んだ。

見る 佐田の山晋松と双葉山定次

君錦利正

君錦 利正(きみにしき としまさ、1937年7月6日 - 2013年7月16日)は、千葉県木更津市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は五味 利正(ごみ としまさ)。現役当時の体格は177cm、125kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭3枚目(1963年5月場所)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p27。

見る 佐田の山晋松と君錦利正

大坂相撲

大坂相撲(おおさかずもう、大阪相撲)は、江戸時代から大正の末まで存在した相撲の興行組織。

見る 佐田の山晋松と大坂相撲

大工

大工(だいく)とは、主として木造建造物の建築・修理を行う職人のこと。古くは建築技術者の職階を示し、木工に限らず各職人を統率する長、または工事全体の長となる人物をさしていた古代造寺司においては、建築に限らず工匠の長を「大工」、副を「少工」と呼んでいた。、番匠(ばんじょう)とも。現在の建築業界においてはさまざまな新しい技術や工法、新建材の知識はもとより、建築工程をまとめる過程において建築業務に携わる他職人や業者の関連業務知識が必要とされる場合があり、現在でも木造建築の建築業務などにおいては実質的現代棟梁であるとされる場合が多い。

見る 佐田の山晋松と大工

大相撲

大相撲(おおずもう)は、。

見る 佐田の山晋松と大相撲

大相撲優勝力士一覧

大相撲優勝力士一覧(おおずもうゆうしょうりきしいちらん)とは現在成績と番付がたどれる江戸時代からの江戸相撲本場所の幕内最高成績力士の一覧である。

見る 佐田の山晋松と大相撲優勝力士一覧

大麒麟將能

大麒麟 將能(だいきりん たかよし、1942年6月20日 - 2010年8月4日) は、佐賀県佐賀郡東川副村(のち諸富町、現・佐賀市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は堤 隆能(つつみ たかよし)。最高位は東大関。現役時代の体格は181cm、140kg。得意手は右四つ、寄り、吊り、うっちゃり。

見る 佐田の山晋松と大麒麟將能

大錦一徹

大錦 一徹(おおにしき いってつ、1953年9月11日 - )は、新潟県佐渡郡羽茂町(現役当時、現・同県佐渡市羽茂)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾堀 盛夫(おほり もりお)。身長185cm、体重145kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げ。最高位は東小結(1973年11月場所)。

見る 佐田の山晋松と大錦一徹

大鵬幸喜

大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月29日 - 2013年(平成25年)1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町出身(出生地は樺太敷香郡敷香町、現在のロシア極東連邦管区サハリン州ポロナイスク市)で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。第48代横綱。優勝32回(6連覇:2回)・45連勝などを記録した。昭和時代の大横綱。位階は正四位。本名は納谷 幸喜(なや こうき)、出生名はイヴァーン・マルキャノヴィチ・ボリシコ(Іван Маркіянович Боришко)で、ウクライナ人の父親を持つ。母親の再婚により住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていた時期もあった。

見る 佐田の山晋松と大鵬幸喜

大雄辰實

大雄 辰實(だいゆう たつみ、1940年5月27日 - )は、鹿児島県肝属郡大根占町(現在の肝属郡錦江町)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は柳田 辰実(やなぎだ たつみ)→横山 辰実(よこやま - )。現役時代の体格は179cm、115kg。最高位は東前頭筆頭(1968年9月場所)。得意手は右四つ、寄り。

見る 佐田の山晋松と大雄辰實

天津風征夫

天津風 征夫(あまつかぜ まさお、1937年12月1日 - 2013年4月30日)は、石川県鳳至郡門前町(現・同県輪島市)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は宮永 征夫(みやなが ゆきお)。最高位は西前頭3枚目(1962年9月場所)。得意手は右四つ、寄り。現役時代の体格は179cm、124kgベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p26。

見る 佐田の山晋松と天津風征夫

太刀持ち

横綱土俵入り(左が太刀持ち・右が露払い) 太刀持ち(たちもち)とは、大相撲で横綱土俵入りの際に、横綱に従い「太刀」を持って出てくる力士のことである。

見る 佐田の山晋松と太刀持ち

外ヶ濱弥太郎

外ヶ濱 弥太郎(そとがはま やたろう、1897年8月27日 - 1966年5月30日)は、現在の青森県弘前市出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は斉藤 弥作。174cm、92kg。最高位は東前頭筆頭。引退後は3代峰崎から13代千賀ノ浦を襲名し、年寄として後進の指導につとめた。

見る 佐田の山晋松と外ヶ濱弥太郎

好酸球性消化管疾患

好酸球性消化管疾患(こうさんきゅうせいしょうかかんしっかん、Eosinophilic gastroenteritis)は、白血球の一種である好酸球が消化管に沢山集まり炎症を起こす病気。食品などが抗原となってアレルギー反応が起こり、食道や胃腸の正常な機能が障害されてしまう。アレルギー性消化管疾患(あれるぎいせいしょうかかんしっかん)ともいう。 炎症が発生する部位によって好酸球性食道炎(こうさんきゅうせいしょくどうえん)と好酸球性胃腸炎(こうさんきゅうせいいちょうえん)に分かれる。 幅広い年齢層で発症がみられ、好酸球性食道炎は男性に多いとされる。気管支喘息やアトピー性皮膚炎などの他のアレルギー疾患を持っている人に合併しやすい。

見る 佐田の山晋松と好酸球性消化管疾患

婿養子

婿養子(聟養子、むこようし)とは、養子縁組と同時に養親の娘と婚姻を行う養子縁組の一形態、またその養男子。日本では、特有の家族観・系譜観のもとで家父長制的家督相続を目的として中世に成立した。 明治民法にも規定があったが、第二次世界大戦後の民法改正で削除された。ただ現在でも、夫が妻の氏(名字)を婚姻氏とするとともに妻の親と養子縁組することで妻側の家・土地や家業(それを構成する資産)を継承することはあり、これを俗に婿養子と称する場合がある。さらに、妻の親と養子縁組することなく単に妻の氏を婚姻氏とした夫を婿養子と呼んでいる例も見られるが、養子縁組がない限り姻族1親等にすぎず、本来の婿養子とは法的地位の全く異なるものである。

見る 佐田の山晋松と婿養子

室雄二

室 雄二(むろ ゆうじ、1949年4月30日 - )は、元報知新聞社取締役編集局長。

見る 佐田の山晋松と室雄二

宇多川勝太郎

宇多川 勝太郎(うだがわ かつたろう、1939年12月3日 - 1989年7月24日)は、東京都足立区出身で宮城野部屋(入門時は高嶋部屋)に所属した大相撲力士。本名は宇田川 秀男(うだがわ ひでお)。最高位は東前頭3枚目(1962年1月場所)。得意手は左四つ、寄り。現役時代の体格は179cm、110kg。

見る 佐田の山晋松と宇多川勝太郎

安念山治

安念山 治(あんねんやま おさむ、1934年2月23日 - 2021年2月8日)は、北海道上川郡下川町出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は安念 治(あんねん おさむ)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p24。最高位は東関脇。 現役中に羽黒山に四股名を改めるが、同名の新潟県出身の横綱が存在するためここでは初名の安念山で表記する。

見る 佐田の山晋松と安念山治

富士錦猛光

富士錦 章(ふじにしき あきら、1937年3月18日 - 2003年12月17日)は、山梨県甲府市出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は一宮 章(旧姓は渡辺)。身長175cm、体重136kg。得意手は突き、押し。最高位は東小結。長男はプロレスラーの一宮章一、次男は元横綱・朝青龍のマネージャーの一宮章広。その風貌と優しく穏やかな性格から、「平和ちゃん」の愛称で親しまれたベースボールマガジン社『大相撲戦後70年史』25ページベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p20。

見る 佐田の山晋松と富士錦猛光

小城ノ花昭和

小城ノ花 昭和(おぎのはな あきかず、1967年11月18日 - )は、千葉県市川市出身(出生地は東京都港区)で出羽海部屋所属の元大相撲力士。本名は小岩井 昭和(こいわい あきかず)。最高位は東前頭2枚目(1990年5月場所・1996年3月場所)。現役時代の体格は身長188cm、体重137kg。得意手は左四つ、上手投げ。現在は年寄・出羽海。父は元関脇・小城ノ花正昭、弟は元小結・小城錦康年。

見る 佐田の山晋松と小城ノ花昭和

小結

小結(こむすび)とは、大相撲の力士の地位の一つ。三役の最下位三役は大関・関脇・小結を指すが、現在では大関は特別な地位であることから、三役を狭義に関脇・小結のみとすることがある。。幕内では横綱から数えると第4位に当たる(横綱・大関・関脇・小結・前頭(平幕))。

見る 佐田の山晋松と小結

山形県

山形県(やまがたけん)は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は山形市。 県名の「山形」は、『和名類聚抄』に今の山形市の南側を「郷」と言ったことに由来すると言われている。 県域の西側は日本海に面する。

見る 佐田の山晋松と山形県

岡ノ山喜郎

岡ノ山 喜郎(おかのやま よしろう、1935年11月3日 - 没年不明)は、岡山県小田郡矢掛町出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は山部 喜一郎(やまべ きいちろう)。最高位は東前頭5枚目(1962年5月場所)。現役時代の体格は185cm、112kg。得意手は右四つ、寄りベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p26。

見る 佐田の山晋松と岡ノ山喜郎

岩風角太郎

岩風 角太郎(いわかぜ かくたろう、1934年1月22日 - 1988年4月30日)は、東京都江戸川区春江町出身(出生地は宮城県)で若松部屋(一時、西岩部屋)に所属した大相撲力士。本名は岡本 義和(おかもと よしかず)→大藤 義和(おおふじ - )→岡本 義和(おかもと - )→小沢 義和(おざわ - )。最高位は東関脇(1961年7月場所)。現役時代の体格は174cm、117kg。得意手は右四つ、寄り、上手捻り。

見る 佐田の山晋松と岩風角太郎

上手投げ

上手投げ(うわてなげ)とは、相撲の決まり手の一つである。上手から相手の褌を引き、その上手から相手を投げる技。

見る 佐田の山晋松と上手投げ

不戦勝

ジョン・テイラーとウィリアム・ロビンスは抗議のためレースを棄権した。 不戦勝(ふせんしょう)は、スポーツなどにおいて競合相手がいない場合、または競合相手が失格等の理由により除外された場合、勝利と同等の権利が与えられるもの。日本語では相手の不戦勝で敗れた場合に不戦敗(ふせんぱい)とも称する。英語圏では後述の語源からウォークオーバー(、WOまたはw/o)と称する。英語圏での「ウォークオーバー」の用例は、1829年から見られる。 当該試合が没収されたOxford English Dictionary, 2nd ed.: walkoverか、対戦相手が競技会等から撤退した場合に生ずる。この用語はスポーツ以外にも選挙など、無条件で勝利を収めることができる状況に用いられる。

見る 佐田の山晋松と不戦勝

不文律

不文律(ふぶんりつ、unspoken rule, unwritten rule)とは、明言されていない・もしくは明文化されていない規則のこと。暗黙のルール、暗黙の掟と言うこともある。「規則」とまではいえないが口にせずともなされる了解のことは暗黙の了解と呼ばれる。 Category:社会問題 Category:社会制度。

見る 佐田の山晋松と不文律

両國勇治郎

両國 勇治郎(りょうごく ゆうじろう、1892年3月18日 - 1960年8月10日)は、秋田県仙北郡外小友村(旧:秋田県仙北郡南外村、現:秋田県大仙市)出身の大相撲力士。本名は伊藤 勇治郎(いとう ゆうじろう)(旧姓:西村)。最高位は東関脇。

見る 佐田の山晋松と両國勇治郎

両国国技館

両国国技館(りょうごくこくぎかん)は、東京都墨田区横網一丁目にある大相撲の興行のための施設。公益財団法人日本相撲協会が所有している。 プロレス、ボクシングなどの格闘技の興行会場、その他のスポーツ競技の会場、ポピュラー音楽のライブでも使用される。クラシック音楽のコンサートが開かれた事例もある。 なお「両国国技館」という呼称は日本相撲協会が一般向けに用いる通称であり、同協会による正式な呼称は国技館である。番付では、旧字体で國技館󠄁と表記している。

見る 佐田の山晋松と両国国技館

両国梶之助

両国 梶之助(りょうごく かじのすけ、1962年7月30日 - )は、長崎県長崎市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は小林 秀昭(こばやし ひであき)。出羽海部屋伝統の四股名である両國(兩國)梶之助を襲名した者は9人存在するが新字体の両国表記のみの者は当人だけである。巨腹を活かした右四つでの寄りが武器であったベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p27。現在は年寄・境川。境川部屋師匠を務めている。

見る 佐田の山晋松と両国梶之助

中立 (相撲)

中立(なかだち)は、日本相撲協会の年寄名跡のひとつ。初代・中立庄之助より3代までは行司であり、元は行司系の名跡であった。

見る 佐田の山晋松と中立 (相撲)

帰化

帰化(きか、)は、ある国家の国籍を有しない外国人が、国籍の取得を申請して、ある国家がその外国人に対して新たに国籍を認めること。

見る 佐田の山晋松と帰化

常ノ花寛市

常ノ花 寛市(つねのはな かんいち、1896年11月23日 - 1960年11月28日)は、岡山県岡山市出身で出羽ノ海部屋に所属した大相撲力士。第31代横綱。本名は山野辺 寛一(やまのべ かんいち)。 大正時代に栃木山守也らと競い合って活躍し、現役引退後は第二次世界大戦中に日本相撲協会理事長に就任、終戦直後の東京で大相撲復興の基盤を築き、理事長在任中初の還暦土俵入りを行った。

見る 佐田の山晋松と常ノ花寛市

常陸山谷右エ門

常陸山 谷右エ門(ひたちやま たにえもん、1874年1月19日 - 1922年6月19日)は、茨城県東茨城郡(現在の水戸市)出身の大相撲力士。第19代横綱。本名は市毛 谷右衛門(いちげ たにえもん)。 大相撲を「国技」に押し上げ、その品格力量から角聖と呼ばれた。出羽ノ海部屋師匠として3横綱4大関など多くの力士を育て、出羽海一門を角界の保守本流として確立したほか、ちゃんこ鍋や後援会などの風習を始めたとされる。

見る 佐田の山晋松と常陸山谷右エ門

三賞

三賞(さんしょう)とは、一般には各業界における三種類の賞の総称を指す。 本記事で記述する三賞は、大相撲の本場所において、成績優秀な関脇以下の幕内力士に贈られる三種類の賞の総称である。

見る 佐田の山晋松と三賞

三重ノ海剛司

三重ノ海 剛司(みえのうみ つよし、1948年2月4日 - )は、三重県松阪市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。第57代横綱。本名は石山 五郎(いしやま ごろう)。現役引退後は年寄として後進の指導に尽くし、日本相撲協会理事長、退職後は、相撲博物館館長を務めた。

見る 佐田の山晋松と三重ノ海剛司

三段目

三段目(さんだんめ)は、大相撲の番付上の階級で、6つある番付上の階級(幕内・十両・幕下・三段目・序二段・序ノ口)の内、上から4番目の階級となる。

見る 佐田の山晋松と三段目

一升瓶

並べられた日本酒の一升瓶 一升瓶(いっしょうびん)とは、日本で用いられている液体専用のガラス製容器(瓶)で、容量は1800ミリリットル±15ミリリットルである。その容量は一升に由来する。瓶の起源が日本酒用だったこと、リターナブル瓶であることの2点から、商品として充填される液体はほとんどが飲料や調味料などの食用品であり、食用に適さない製品が充填販売されることは非常に稀である。

見る 佐田の山晋松と一升瓶

一人称

一人称(いちにんしょう)とは、人称の一つで、話し手自身を指す。自称とも呼ぶ。一般に数の区別がある。

見る 佐田の山晋松と一人称

年寄名跡

年寄名跡(としよりめいせき、みょうせき)とは、日本相撲協会(以下、「協会」)の「年寄名跡目録」に記載された年寄の名を襲名する権利であり、俗に年寄株、親方株とも呼ばれる。

見る 佐田の山晋松と年寄名跡

年間最多勝

「年間最多勝」(ねんかんさいたしょう)とは、大相撲本場所において、その1年間に幕内で最も多く勝ち星を挙げた力士に対して贈られる賞である。表彰としての正式名称は「最多勝力士賞」。

見る 佐田の山晋松と年間最多勝

年間最優秀力士賞

年間最優秀力士賞(ねんかんさいゆうしゅうりきししょう)は、報知新聞社が制定する、その一年間に最も活躍した力士を顕彰する賞。年6場所制になった1958年(昭和33年)に制定され、報知年間最優秀力士賞(ほうち-)として表彰されている。 12月に行われる選考委員会において、勝星数、優勝回数、相撲内容等を総合的に審査して受賞者を決定する。翌年1月場所初日に表彰式が行われ、受賞者には副賞としてスポーツ報知杯と賞金50万円が贈られる。 なお、「年間最多勝(ねんかんさいたしょう)」と混同される場合もあるが、両者は全く別の表彰である(「年間最多勝」は相撲内容等は考慮せず、一年間の幕内での勝星数のみで受賞者を決定する)。本賞は年間最多勝力士がそのまま受賞することが多く、それ以外の力士が受賞する場合は最多勝力士を幕内での年間勝率(休場を除く)で上回った力士が大半を占めており、いずれにも該当しない力士の受賞は1972年の貴ノ花、1975年の三重ノ海、1977年の輪島、2016年の日馬富士、2019年の白鵬の5例のみである。

見る 佐田の山晋松と年間最優秀力士賞

幕下

幕下(まくした)は、大相撲の番付上の階級。 6つある番付上の階級(幕内・十両・幕下・三段目・序二段・序ノ口)の内、上から3番目の階級である。

見る 佐田の山晋松と幕下

幕内

幕内(まくのうち、まくうち)は、大相撲の番付において前頭以上の地位にある力士たちが取り組みを行う枠組みのこと。十両の上であり、角界の最高位の枠組みを構成し、番付でも最上段に大きな字で記載されている。 大相撲では、十両以上を関取と呼び、そのうち十両よりも上の全ての番付が幕内となる。幕下以下については、幕下・三段目・序二段・序ノ口の4階層があり、それぞれが十両と同様に独立した存在であるが、幕下以下を一括する場合は力士養成員(取的)と呼ぶ。 幕内力士土俵入り(2005年5月場所) 投げを打つ横綱・白鵬翔。

見る 佐田の山晋松と幕内

序二段

序二段(じょにだん)は、大相撲の番付上の階級。 6つある番付上の階級(幕内・十両・幕下・三段目・序二段・序ノ口)の内、上から5番目の階級である。

見る 佐田の山晋松と序二段

二子岳武

二子岳 武(ふたごだけ たけし、1943年11月15日 - )は、青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)出身で、二子山部屋(入門時は花籠部屋)に所属した大相撲力士。本名は山中 武(やまなか たけし)。現役時代の体格は178cm、113kg。最高位は西小結(1967年11月場所、1968年3月場所、同年5月場所)。得意手は左四つ、内無双、下手投げなどベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p26。

見る 佐田の山晋松と二子岳武

五ツ嶋奈良男

五ツ嶋 奈良男(いつつしま ならお、1912年12月22日 - 1973年5月6日)は、長崎県南松浦郡奈良尾村(現:長崎県南松浦郡新上五島町)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は金崎 伊佐一(かなさき いさいち)。最高位は東張出大関。

見る 佐田の山晋松と五ツ嶋奈良男

廣川泰三

廣川 泰三(ひろかわ たいぞう、1937年5月28日 - 1989年6月19日)は、神奈川県横須賀市出身で宮城野部屋(入門時は高嶋部屋)に所属した大相撲力士。本名は山村 泰三(やまむら たいぞう)。現役時代の体格は177cm、141kg。得意手は左四つ、押し。最高位は東小結(1964年5月場所)。血液型はB型ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p29。

見る 佐田の山晋松と廣川泰三

付出

付出(つけだし)とは、大相撲において学生・アマチュア時代に優秀な成績を収めた力士の地位を優遇する制度である。附出、付け出しとも表記する。 2023年11月現在、幕下最下位格付出と、三段目最下位格付出の2種類が存在する。付出となった力士の名は、付け出された場所の番付には載らず、幕下・三段目で相撲を取り、その本場所の成績によって翌場所の地位が決められ正式に番付に記載される。

見る 佐田の山晋松と付出

引退相撲

引退相撲(いんたいずもう)は、力士が現役引退、年寄襲名後に行うイベント。花相撲の一つ。

見る 佐田の山晋松と引退相撲

佐田の海鴻嗣

佐田の海 鴻嗣(さだのうみ こうじ、1956年7月19日 - )は、大阪府堺市中区出身(出生地は熊本県阿蘇郡一の宮町(現・同県阿蘇市一の宮町))で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は松村 宏司(まつむら こうじ)。最高位は東小結(1982年1月場所、1982年3月場所、1983年11月場所)。現役当時の体格は182cm、132kg。得意手は右四つ、寄り。 右差し、またはもろ差しからの速攻を得意とした、技能派力士であった『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p27。

見る 佐田の山晋松と佐田の海鴻嗣

保守本流

保守本流(ほしゅほんりゅう)とは、自由民主党において、吉田茂が率いた自由党の系譜に連なる派閥やその勢力をいう。日米安全保障条約による軍備縮小、経済優先、社会保障の拡大などの傾向がある。 対して、日本民主党の流れをくむ勢力を保守傍流という。

見る 佐田の山晋松と保守本流

心筋梗塞

心筋梗塞(しんきんこうそく、myocardial infarction)は、虚血性心疾患の一つ。心臓の筋肉細胞に酸素や栄養を供給している冠動脈に閉塞や狭窄などが起きて血液の流量が下がり、心筋が虚血状態になり壊死してしまう症状。通常は急性に起こる「急性心筋梗塞(AMI)」のことを指す。心臓麻痺・心臓発作(heart attack)とも呼ばれる。 心筋が虚血状態に陥っても壊死にまで至らない前段階を狭心症といい、狭心症から急性心筋梗塞までの一連の病態を総称して急性冠症候群(acute coronary syndrome, ACS)という概念が提唱されている。

見る 佐田の山晋松と心筋梗塞

北の富士勝昭

北の富士 勝昭(きたのふじ かつあき、1942年3月28日 - )は、北海道旭川市(出生は網走郡美幌町)出身で九重部屋(入門時は出羽海部屋)に所属した元大相撲力士。第52代横綱。本名は竹澤 勝昭(たけざわ かつあき)。得意技は突っ張り、左四つ、寄り、上手投げ、外掛け。

見る 佐田の山晋松と北の富士勝昭

北の洋昇

北の洋 昇(きたのなだ のぼる、1923年2月1日 - 2002年1月8日)は、北海道網走郡網走町(現:網走市)北浜出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は緒方 昇(おがた のぼる)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p23。最高位は西関脇。

見る 佐田の山晋松と北の洋昇

北勝海信芳

北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし、1963年6月22日 - )は、北海道広尾郡広尾町出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。第61代横綱。本名は保志 信芳(ほし のぶよし)。現役時代の体格は身長181センチメートル、体重150キログラム。得意技は押し、左四つ、寄り。愛称は海外公演で付けられた「ブルドッグ」。「花のサンパチ組」(昭和38年生まれ)の一人。血液型はA型。 現在は、年寄・として八角部屋(高砂一門)の師匠。第13代日本相撲協会理事長 朝日新聞 2015年12月18日閲覧。

見る 佐田の山晋松と北勝海信芳

北葉山英俊

北葉山 英俊(きたばやま ひでとし、1935年5月17日 - 2010年7月20日)は、北海道室蘭市出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は山田 英俊(やまだ ひでとし)ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p23。最高位は東大関。

見る 佐田の山晋松と北葉山英俊

初土俵

初土俵(はつどひょう)とは、大相撲界に入門した力士、呼び出し、行司、床山などが初めて土俵に上がること。床山など土俵上で仕事をしない場合は「入門」ともいう。

見る 佐田の山晋松と初土俵

コンクリート

コンクリートを使った構造物、高速道路(阪神高速道路) コンクリートブロック コンクリート(concrete)は、広義には骨材を結合剤(セメント、石灰、石膏、アスファルト、硫黄、プラスチックなどを利用)によって固めた複合材料の総称。結合剤の種類によりセメントコンクリート、アスファルトコンクリート、レジンコンクリートなどという。狭義には結合剤にセメントを用い、骨材をセメントペースト(セメントに水を加えたペースト)で固めた複合材料(セメントコンクリート)をいう。この項目では特にセメントコンクリートについて述べる。

見る 佐田の山晋松とコンクリート

ショーン・コネリー

サー・トーマス・ショーン・コネリー(, 1930年8月25日 - 2020年10月31日)は、イギリス(英国)スコットランド出身の映画俳優。『007』シリーズの初代ジェームズ・ボンド役で有名。2000年、英王室よりナイト(サー)に叙任された。

見る 佐田の山晋松とショーン・コネリー

ジンクス

ジンクス(Jinx)は、縁起の悪い言い伝え。さまざまなものがあり、生活に密着した教訓・習慣・法則の一つ。科学的根拠に基づかず、経験に基づき唱えられる場合が多いため、前後即因果の誤謬に陥っているものが少なくないが、近世になってから裏付けがとれたものもあり、全てが迷信と言いきれるわけではない。また、縁起担ぎに関するものでは類感呪術的な発想も多い。 語源は不鮮明だが、ギリシア語のイユンクス(, アリスイ。キツツキの一種)に起因するという説がある。アリスイは、自らの首を180度回転させ真後ろを向けられるため、不吉とされてきた背景があり、しばしば魔法と占いに用いられた。 なお、語義は「縁起が悪い」「運が悪い」など悪い意味であるが、日本においては良い縁起の意味でも使われることがある。

見る 佐田の山晋松とジンクス

ジェームズ・ボンド

「ジェームズ・ボンド」(James Bond)シリーズは、作家イアン・フレミングが1953年に生み出した架空の英国秘密情報部のエージェントを主人公とする小説群であり、彼は12の小説と2つの短編小説集に登場している。1964年にフレミングが亡くなって以降は、8人の作家がボンドの小説やノベライズを執筆している。彼が登場する最新の小説は、2018年5月に出版されたアンソニー・ホロヴィッツの『Forever and a Day』。さらに、チャーリー・ヒグソンは若き日のボンドを題材にしたシリーズを書き、ケイト・ウェストブルックはシリーズの準レギュラーであるマネーペニーの日記を題材にした3つの小説を書いた。

見る 佐田の山晋松とジェームズ・ボンド

スポーツ報知

スポーツ報知(スポーツほうち)は、報知新聞社および読売新聞中部支社、スポーツ報知西部本社が発行する日本のスポーツ新聞。

見る 佐田の山晋松とスポーツ報知

優勝決定戦 (相撲)

優勝決定戦(ゆうしょうけっていせん)は、大相撲において、各地位での最高成績者が複数出た場合に、優勝者を決めるための本割以外の取組である。

見る 佐田の山晋松と優勝決定戦 (相撲)

出羽の花義貴

出羽の花 義貴(でわのはな よしたか、1951年5月13日 - )は、青森県北津軽郡中泊町(旧・同郡中里町)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は野村 双一(のむら そういち)。現役当時の体格は185cm、125kg、最高位は、東関脇。得意手は右四つ、寄り、出し投げ、小股掬い。 引退後は年寄・出来山を名乗り、出羽海部屋付きの親方として後進を指導する傍ら、日本相撲協会では理事を1期務めた。

見る 佐田の山晋松と出羽の花義貴

出羽ノ花國市

出羽ノ花 國市(でわのはな くにいち、1909年3月1日 - 1987年5月30日)は、石川県能美郡(現:石川県小松市)出身(出生地は東京都江東区)で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は市川 國一(いちかわ くにいち)(旧姓:駒澤)。

見る 佐田の山晋松と出羽ノ花國市

出羽錦忠雄

出羽錦 忠雄(でわにしき ただお、1925年7月15日 - 2005年1月1日)は、東京府南葛飾郡(現:東京都墨田区)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は奈良崎 忠雄(ならざき ただお)(旧姓:小倉)。最高位は東関脇。

見る 佐田の山晋松と出羽錦忠雄

出羽海一門

出羽海一門(でわのうみいちもん)は大相撲の一門のひとつ。

見る 佐田の山晋松と出羽海一門

出羽海部屋

出羽海部屋(でわのうみべや)は、日本相撲協会所属の相撲部屋。現存する部屋では最多の9人の横綱を育てたほか、3人が協会理事長を務めるなど相撲界随一の名門とされている。13の相撲部屋からなる出羽海一門の本家。

見る 佐田の山晋松と出羽海部屋

公益法人

日本法における公益法人(こうえきほうじん)とは、公益を目的とする事業を行う法人。一般には公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律(公益法人認定法)により公益性の事業を実施しているかの審査認定を受ける(公益法人認定法2条3号)。

見る 佐田の山晋松と公益法人

前の山太郎

前の山 太郎(まえのやま たろう、1945年3月9日 - 2021年3月11日)は、大阪府北河内郡庭窪村(現在の守口市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は清水 和一(しみず かずいち)、旧姓は金島(かねしま)。身長186cm、体重133kg。最高位は東張出大関。得意手は突っ張り、左四つ、寄りベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p17。 元前頭・朝若との養子縁組時は中矢(なかや)を名乗った。実弟に同部屋の幕下力士・佐田岬(後に前の湖と改名)がいる。

見る 佐田の山晋松と前の山太郎

前田川克郎

前田川 克郎(まえだがわ かつろう、1939年2月9日 - 1998年11月4日)は、岩手県江刺市稲瀬(現役当時、現・同県奥州市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は高橋 勝郎(たかはし かつろう)。最高位は西関脇(1961年7月場所・1962年7月場所)。現役当時の体格は170cm、117kg。得意手は左四つ、寄り、突き、押しベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p19。大相撲の黄金時代の一つである、「柏鵬時代」に活躍した力士の1人である。

見る 佐田の山晋松と前田川克郎

勝負審判

勝負審判(しょうぶしんぱん)は、大相撲において、行司とは別に相撲勝負の判定に加わる審判のことである。日本相撲協会寄附行為相撲規則によると審判委員(しんぱんいいん)と定義されている。 土俵での行司・勝負審判・控え力士配置 勝負審判の装束(紋付羽織袴)。

見る 佐田の山晋松と勝負審判

四股名

四股名(しこな)とは、相撲における力士の名前である。 もともとは醜名と書いた。この場合の「醜」とは「みにくい」という意味ではなく、「逞しい」という意味である。いつからか四股と相まって「四股名」と当て字で書かれるようになった。しこ名と書かれることも多い。 日本相撲協会に所属する力士が改名するときは、各場所の千秋楽から番付編成会議までの間に改名届を提出し、編成会議において承認される。

見る 佐田の山晋松と四股名

玉の海正洋

玉の海 正洋(たまのうみ まさひろ、1944年〈昭和19年〉2月5日 - 1971年〈昭和46年〉10月11日)は、大阪府大阪市出生、愛知県宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)出身で片男波部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。第51代横綱。 本名は谷口正夫、後に竹内正夫(たけうち まさお)。得意技は突っ張り、右四つ、寄り、吊り、上手投げベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p22。。

見る 佐田の山晋松と玉の海正洋

玉乃海太三郎

玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう、1923年1月2日 - 1987年9月27日)は、大分県大分市出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は三浦 朝弘(みうら ともひろ)。最高位は東関脇。全盛期の体格は181cm、120kg。得意手は右四つ、櫓投げ、外掛けベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p21。 引退後は年寄・12代片男波を襲名し、片男波部屋を興した。

見る 佐田の山晋松と玉乃海太三郎

玉嵐孝平

玉嵐 孝平(たまあらし こうへい、1941年8月1日 - 1993年2月28日)は、北海道河西郡芽室町出身で片男波部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。本名は成田 幸平(なりた こうへい)。最高位は東前頭4枚目(1962年11月場所、1963年7月場所、1964年1月場所)。現役時代の体格は173cm、116kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ、押しベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p35。

見る 佐田の山晋松と玉嵐孝平

玉響克己

玉響 克巳(たまひびき かつみ、1935年10月3日 - 没年不明 )は、大分県別府市向浜出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は新川 克巳(しんかわ かつみ)→灘 克巳(なだ -)。最高位は東前頭2枚目(1959年9月場所・1960年7月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げなど。現役時代の体格は178cm、98kgベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p35。

見る 佐田の山晋松と玉響克己

現役中に死亡した力士一覧

現役中に死亡した力士一覧(げんえきちゅうにしぼうしたりきしいちらん)は、現役中に死亡した大相撲の力士の一覧である。

見る 佐田の山晋松と現役中に死亡した力士一覧

琴ヶ濱貞雄

琴ヶ濵 貞雄(ことがはま さだお、1927年10月10日 - 1981年6月7日)は、香川県三豊郡(現在の同県観音寺市)出身(出生地は宮崎県)で佐渡ヶ嶽部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。本名は宇草 貞雄(うくさ さだお)。最高位は東大関。現役時代の体格は177cm、117kg。得意手は左四つ、内掛け、上手投げベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p23。

見る 佐田の山晋松と琴ヶ濱貞雄

琴光喜啓司

琴光喜 啓司(ことみつき けいじ、1976年4月11日 - )は、愛知県岡崎市出身(出生地は豊田市)で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は田宮 啓司(たみや けいじ)。最高位は東大関。得意技は右四つ、寄り、内無双。日本大学卒業。 2010年に発覚した大相撲野球賭博問題にて日本相撲協会から解雇処分を下され、協会に対し地位確認を求めて係争していたが、2014年に2月に東京高裁で敗訴し、帰参を断念した。

見る 佐田の山晋松と琴光喜啓司

琴櫻傑將

鳥取県倉吉市にある「第五十三代横綱琴櫻記念館」 琴桜 傑將(ことざくら まさかつ、1940年11月26日 - 2007年8月14日)は、鳥取県東伯郡倉吉町(のちの鳥取県倉吉市)出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士。第53代横綱。本名は鎌谷 紀雄(かまたに のりお)。

見る 佐田の山晋松と琴櫻傑將

琴欧洲勝紀

琴欧洲 勝紀(ことおうしゅう かつのり、1983年2月19日 - )は、旧・ブルガリア人民共和国(現在のブルガリア共和国)ヴェリコ・タルノヴォ州ヴェリコ・タルノヴォ市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は安藤 カロヤン。ブルガリア国籍時代の本名はカロヤン・ステファノフ・マハリャノフ(ブルガリア語:Калоян Стефанов Махлянов、ラテン文字転写例:Kalojan Stefanov Mahljanov)、愛称はカロヤン。身長202cm、体重155kg、握力120kg、血液型はO型。得意手は右四つ・寄り・上手投げ。最高位は東大関。現在は年寄・鳴戸。鳴戸部屋の師匠を務めている。

見る 佐田の山晋松と琴欧洲勝紀

理事会

理事会(りじかい)とは、法人の機関であって、全ての理事で構成され、法人の業務執行の決定等を行うもの。株式会社においては、理事会に代わるものとして取締役会がある。 一般財団法人においては、理事で組織する理事会とともに、評議員で組織する評議員会が設置される。一般社団法人では、最高意思決定機関は社員総会(株式会社では株主総会)であり、重要案件はそこで審議されるため、理事会はこれを踏まえて業務執行に関する事項を決定する執行機関となる。 地方公共団体の組合である一部事務組合及び広域連合はその長(管理者及び広域連合長)にかえて理事会を置く事が出来る。国際機関においても国際連合の安全保障理事会等をはじめとして理事会と名の付く機関が置かれることがある。

見る 佐田の山晋松と理事会

福の花孝一

福の花 孝一(ふくのはな こういち、1940年7月1日 - 2021年)は、熊本県菊池郡合志町(現役当時、現在の同県合志市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は松井 孝一(まつい こういち)(入門時の姓は福島(ふくしま))。得意手は右四つ、突っ張り、寄り。身長183cm、体重135kg。岳父は元小結・和歌嶌。最高位は東関脇(1971年1月場所)。

見る 佐田の山晋松と福の花孝一

突っ張り

突っ張り(つっぱり)は、相撲の技の1つである。

見る 佐田の山晋松と突っ張り

笠置山勝一

笠置山 勝一(かさぎやま かついち、1911年1月7日 - 1971年8月11日)は、奈良県生駒郡(現:奈良県大和郡山市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は仲村 勘治(なかむら かんじ)。最高位は西関脇。

見る 佐田の山晋松と笠置山勝一

羽黒花統司

羽黒花 統司(はぐろはな とうじ、1936年3月28日 - 1984年6月3日)は、北海道紋別郡西興部村出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は千葉 進(ちば すすむ)。最高位は東関脇(1963年3月場所・1964年7月場所)。現役時代の体格は181cm、125kg。得意手は左四つ、吊り、上手投げ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p24。大相撲の黄金時代の1つである「柏鵬時代」に、幕内力士として活躍した。

見る 佐田の山晋松と羽黒花統司

照ノ富士春雄

照ノ富士 春雄(てるのふじ はるお、1991年11月29日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は間垣部屋)所属の現役大相撲力士、第73代横綱(2021年9月場所 - )。本名は杉野森 正山(すぎのもり せいざん)。帰化前はガントルガ・ガンエルデネ(モンゴル語キリル文字表記:Гантулгын Ган-Эрдэнэ)。身長192cm、体重176kg、6kg、血液型はO型。大関昇進後に怪我や病気による負け越しや休場が続いて序二段まで陥落した後、そこから大関復帰・横綱昇進を果たした史上初の力士である。2021年(令和3年)8月4日に日本国籍を取得。

見る 佐田の山晋松と照ノ富士春雄

盲腸

盲腸(もうちょう、cecum)とは、回盲弁(回腸-盲腸弁)より下方に伸び結腸へとつながる器官Gillian Pocock, Christopher D. Richards『オックスフォード・生理学 原書3版』 (植村慶一、岡野栄之訳)丸善、2009年、462頁内田さえ、原田玲子、佐伯由香 編『人体の構造と機能 第4版』 医歯薬出版、2015年、278頁。ヒトの盲腸の長さは約5cm~7cm。盲端に位置することから盲腸という。盲腸という語は『解体新書』で初めて使われ、オランダ語の blinde darm(blinde ブリンデ=盲、darm ダルム=腸)を意訳したものである。盲腸の後内側表面からは虫垂 (appendix) と呼ばれる細長い器官が伸びている。

見る 佐田の山晋松と盲腸

相撲茶屋

相撲茶屋(すもう ぢゃや)とは、大相撲の本場所において、入場券の売買仲介および会場での接客や案内を行う店舗である。単にお茶屋(おちゃや)ともいう。正式名称は相撲案内所(すもう あんないしょ)だが、あまり普及はしていない。 なお「相撲茶屋○○」と名乗るちゃんこ料理店があるが、後述の相撲案内所の業務とは全く関係ない。

見る 佐田の山晋松と相撲茶屋

相撲教習所

相撲教習所(すもうきょうしゅうじょ)は、公益財団法人日本相撲協会が、新たに入門した力士を指導教育する施設である。 相撲教習所の目的は、相撲の基本を習得させ、相撲部屋での稽古に耐える体力・気力を養うこと等である。設備としては3面の稽古土俵および講義室からなる。1957年10月に当時の蔵前国技館内に開設され、1984年12月に現在の両国国技館が落成すると、国技館敷地内の向正面側に移転した。

見る 佐田の山晋松と相撲教習所

花光節夫

花光 節夫(はなひかり せつお、1940年6月21日 - 没年不明)は、岩手県岩手郡松尾村(現在の同県八幡平市)出身で、花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は遠藤 節夫(えんどう せつお)。身長178cm、体重130kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭3枚目(1968年1月場所)。

見る 佐田の山晋松と花光節夫

荒波秀義

荒波 秀義(あらなみ ひでよし、1940年11月16日 - 2010年9月2日)は、佐賀県東松浦郡鎮西町馬渡島(※現役当時、現・唐津市)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は牧山 通雄(まきやま みちお)。得意手は左四つ、吊り、突っ張りなど。最高位は西前頭4枚目(1965年3月場所)。現役時代の体格は184cm、106kgベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p27。 同じ東松浦郡鎮西町出身で、小結まで昇進した松浦潟達也(本名・牧山強臣、錦島部屋→立田山部屋)とは、血縁関係にあった。 カトリック教徒でもあった。

見る 佐田の山晋松と荒波秀義

青ノ里盛

青ノ里 盛(あおのさと さかり、1935年11月13日 - 2008年5月16日)は、青森県三戸郡倉石村(現役当時、現在は同郡五戸町)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は小笠原 盛(おがさわら さかり)。最高位は西張出関脇(1963年5月場所)。現役時代の体格は182cm、120kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。

見る 佐田の山晋松と青ノ里盛

衆議院議員総選挙

衆議院議員総選挙(しゅうぎいんぎいん そうせんきょ)とは、日本国の下院である衆議院旧憲法下では貴族院議員と並び帝国議会議員、現行憲法下では参議院議員と並び国会議員。の議員を選出する選挙である。 略称は「総選挙」、「衆議院議員選挙」、「衆院選」。また、事実上の「政権選択選挙」とも呼ばれる。

見る 佐田の山晋松と衆議院議員総選挙

高鐵山孝之進

高鐵山 孝之進(こうてつやま こうのしん、1942年7月9日 - 1996年4月14日)は、北海道小樽市廐町出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は菅 孝之進(すが こうのしん)。身長178cm、体重128kg、得意手は左四つ、寄り、押し。最高位は西関脇(1967年1月場所)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p31。

見る 佐田の山晋松と高鐵山孝之進

高血圧

高血圧(こうけつあつ、Hypertension、高血圧症)とは、血圧が正常範囲を超えて高く維持されている状態のことを指す。高血圧自体の自覚症状は何もないことが多いが、虚血性心疾患、脳卒中、腎不全などの発症原因となるので臨床的には重大な状態である。 生活習慣病のひとつとされ、厚生労働省(2013年度)は男女共に最も通院者率が高い疾患として公表している(2位は男性が糖尿病、女性が腰痛)。 アメリカ合衆国では1995年に、成人全体の24%には高血圧があり、そのうちの53%の人は降圧剤を服用していた。日本高血圧学会によると、日本には4000万人の高血圧の人がいると推定されている。肥満、脂質異常症、糖尿病との合併は死の四重奏、syndrome X、インスリン抵抗性症候群などと称されていたが、これらは現在メタボリックシンドロームと呼ばれる。

見る 佐田の山晋松と高血圧

高見山大五郎

髙見山 大五郎番付上では、高見山の「高」は「」(はしご高)である。なお、高見盛の「高」ははしご高ではない。なお高砂の「高」ははしご高(“砂”が本当)である。(たかみやま だいごろう、1944年〈昭和19年〉6月16日 - )は、アメリカ合衆国・ハワイ準州 (Territory of Hawaii) マウイ島出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は渡辺 大五郎(わたなべ だいごろう)、米国籍時の本名:ジェシー・ジェームス・ワイラニ・クハウルア(Jesse James Wailani Kuhaulua)。最高位は東関脇。身長192cm、体重205kg。愛称はジェシー。 横綱経験者対戦人数16人は歴代1位。また、正確性のある体重の測定記録では大相撲史上初の200kg超の力士という説もある。

見る 佐田の山晋松と高見山大五郎

魁傑將晃

魁傑 將晃(かいけつ まさてる、1948年2月16日 - 2014年5月18日)は、山口県岩国市で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は西森 輝門(にしもり てるゆき)。最高位は東大関。得意手は突っ張り、左四つ、寄り。身長187cm、体重129kg。黒いダイヤや怪傑黒頭巾、クリーン大関の異名がある。引退後は年寄・放駒として放駒部屋の師匠となり、日本相撲協会第11代理事長(在任期間:2010年8月-2012年1月)を務めたベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p23。 日本大学文理学部中退。

見る 佐田の山晋松と魁傑將晃

豊山勝男

豊山 勝男(ゆたかやま かつお、1937年8月18日 - )は、新潟県新発田市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は内田 勝男(うちだ かつお)。最高位は東大関。現役時代の体格は189cm、137kg。得意手は突っ張り、右四つ、吊り、寄り、上手投げベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p23。元日本相撲協会理事長(第8代)。

見る 佐田の山晋松と豊山勝男

財団法人

日本法における財団法人(ざいだんほうじん)は、法人格を付与された財団のことであり、ある特定の個人や企業などの法人から拠出された財産(基本財産)で設立され、これによる金利・配当金及びその他の運用益を主たる事業原資として運営する法人である。 2008年11月までは公益目的が主たる財団法人のみであったが、公益法人制度改革に伴い、2008年12月より公益目的でなくても「一般財団法人」という財団法人を設立できるようになった。また、以前の財団法人(特例民法法人)も所管機関での手続きを経て一般財団法人へ移行できるようになった。

見る 佐田の山晋松と財団法人

貴乃花光司

貴乃花 光司(たかのはな こうじ、1972年〈昭和47年〉8月12日 - )は、東京都中野区出身の二子山部屋(入門時は藤島部屋)に所属した元大相撲力士で第65代横綱。 本名は花田 光司(はなだ こうじ)。愛称は「貴」、「コウジ」。相撲協会退職後は本名や元 貴乃花親方・貴乃花氏・貴乃花さんと表記されることが多い。 引退のとき現役時代の功績に対して一代年寄貴乃花が認められ、貴乃花部屋の師匠を務めた。日本相撲協会では2010年に理事に当選以来、相撲教習所所長、審判部長、地方場所部長(大阪)、総合企画部長、巡業部長を歴任した2018年1月4日に横綱(事件当時)の日馬富士が起こした傷害事件に関連して理事を解任された。

見る 佐田の山晋松と貴乃花光司

鶴ヶ嶺昭男

鶴ヶ嶺 昭男(つるがみね あきお、1929年4月26日 - 2006年5月29日)は、鹿児島県姶良市(旧:姶良郡加治木町)出身で井筒部屋(ただし初土俵は時津風部屋名義)に所属した大相撲力士。本名は福薗 昭男(ふくぞの あきお)ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p28。最高位は西関脇(1956年5月場所・1962年9月場所)。得意技はもろ差し、右四つ、寄り、上手出し投げ。現役時代の体格は177cm、114kg。

見る 佐田の山晋松と鶴ヶ嶺昭男

鷲羽山佳和

鷲羽山 佳和(わしゅうやま よしかず、1949年4月2日 - )は、岡山県児島市(現在の倉敷市)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は石田 佳員(いしだ よしかず、旧姓は鈴木)。身長175cm、体重112kg。得意手は突っ張り、押し、いなし。最高位は東関脇(1976年5月場所)。 引退後は年寄・境川を経て、1996年2月から2014年1月まで年寄・出羽海を襲名し、出羽海部屋の師匠も務めた。

見る 佐田の山晋松と鷲羽山佳和

鹿児島県

鹿児島県(かごしまけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は鹿児島市。 九州島の南側には離島(薩南諸島)が点在する。九州島の部分は県本土と表現され、2つの半島(薩摩半島・大隅半島)を有する。

見る 佐田の山晋松と鹿児島県

龍興山一人

龍興山 一人(りゅうこうざん かずと、1967年6月23日 - 1990年2月2日)は、大阪府堺市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は宮田 一人(みやた かずと)。

見る 佐田の山晋松と龍興山一人

胃腸炎

胃腸炎(いちょうえん、)とは、感染性下痢(infectious diarrhea)、ガストロとも知られ、消化管 胃 ("gastro"-)および小腸 ("entero"-)の炎症を特徴とする疾患であり、発熱、下痢、嘔吐、腹痛および腹部痙攣などの症状を呈する。食物によって生じるものは食中毒とも称される。山陰地方では、感染性胃腸炎の事を腸感冒とも呼ぶ。 世界的にみて小児の発症例のほとんどがロタウイルスによるものである。成人ではノロウイルスおよびカンピロバクターに起因するものが最も多い。次いでその他の細菌 (またはその毒素)や寄生虫を原因とするものがよくみられる。調理が不適切な食品や汚染された水を摂取したり、感染者との密接な接触などによって感染する。

見る 佐田の山晋松と胃腸炎

胃腸薬

漢方薬や生薬は、伝統的な胃腸薬として使われてきた。(六君子湯) 胃腸薬(いちょうやく)とは、胃および腸の疾患の治療や、症状の緩和に用いられる医薬品の総称である。俗に胃薬(いぐすり)と呼ばれることも多い。

見る 佐田の山晋松と胃腸薬

舞の海秀平

舞の海 秀平(まいのうみ しゅうへい、1968年2月17日 - )は、青森県西津軽郡鰺ヶ沢町舞戸町出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は長尾 秀平(ながお しゅうへい)。最高位は東小結。現役引退後は、NHK大相撲専属解説者、マルチタレント、スポーツキャスター、境川部屋の師範代もつとめている。 有限会社舞の海カンパニー所属。愛称は「舞ちゃん」「シュウヘイ」のほか、関取時代は「平成の牛若丸」、「技のデパート」(旭鷲山入幕後は「技のデパート・本舗」)とも呼ばれた北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)170ページから171ページ。現在の体格は身長169cm、体重85kg。血液型B型、左利き。

見る 佐田の山晋松と舞の海秀平

関脇

関脇(せきわけ、せきわき)は、大相撲の力士の地位の一つ。大関の下、小結の上。いわゆる「三役」と呼ばれる地位の一つであり、(本来の意味では)その中では二番目に当たる(詳細は後述)。幕内に属し、幕内の地位の中では横綱から数えると第三位に当たる。

見る 佐田の山晋松と関脇

開隆山勘之亟

開隆山 勘之亟(かいりゅうやま かんのじょう、1939年(昭和14年)8月28日 - 1986年(昭和61年)9月10日、本名・青木 勘之丞(あおき かんのじょう))は、秋田県南秋田郡大久保町(現・潟上市)出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は荒磯部屋)に所属した大相撲力士。 最高位は西関脇(1964年5月場所・1964年11月場所)。現役時代の体格は180cm、116kg。得意手は右四つ、寄り、上手捻り、首投げベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p31。

見る 佐田の山晋松と開隆山勘之亟

藤ノ川武雄

藤ノ川 武雄(ふじのかわ たけお、1946年9月26日 - )は、北海道河東郡音更町出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は森田 武雄→祥玄→武雄。身長178cm、体重108kg。得意手は突き、押し、右四つ。最高位は西関脇。拓殖大学第一高等学校卒業ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p28。小柄さと機動型の相撲から土俵のキャッチフレーズが取り分け多かったことで知られており活字になったものだけでも今・牛若丸、ちびっ子ギャング、小さな巨人、鉄腕アトム、土俵のクレイ、ベトコン、忍者、土俵の魔術師など多数確認されるお相撲さん -その世界.野崎誓司(著).恒文社.1979年.。

見る 佐田の山晋松と藤ノ川武雄

肺炎

肺炎(はいえん)とは、肺の炎症性疾患の総称である。 治療法はその原因によって異なり、細菌性のものであれば抗生物質が用いられる。重症の場合は一般的に入院となる。酸素飽和度(SpO2)が低い場合は酸素吸入を行う。 肺炎の予防方法としては、肺炎レンサ球菌による感染性の肺炎に限ればワクチンによって予防可能ではある。他の予防方法としては、手洗い、禁煙などがある。 肺炎は世界で年間4.5億人(人口の7%)が発症しており、うち400万人が死亡している。日本の死亡統計においても、肺炎は死亡原因としては2018年で第5位である。 肺炎は19世紀にはウイリアム・オスラーに「男性死因の代表格」として描かれていたが、20世紀には抗生物質とワクチンの普及によりが改善された。しかしながら途上国では、現在も主要な死因の一つとされ、高齢者と若年者、5歳未満の子供において代表的な慢性疾患である。上で述べたように現代日本の全世代の死亡統計でも死因の第4位であり、しかも85 - 89歳では死因第3位、90 - 99歳では第2位、と年齢が上がるにつれ次第に順位が上がる(高齢化社会になればなるほど肺炎で死亡する人の割合が増え、医療側もそれを重視し、念入りに予防策を講じなければならないことになる)。

見る 佐田の山晋松と肺炎

還暦

は、年祝い(算賀、賀の祝い)の一つ。誕生年に60を加えた年つまり数え61歳(≒満60歳)をいう。ただし、地域によっては長寿祝いではなく厄年として厄払い儀礼を行う場合もある。、とも表現する。

見る 佐田の山晋松と還暦

還暦土俵入り

還暦土俵入り(かんれきどひょういり)は、相撲において現役時代の最高位が横綱の元力士が還暦(60歳)を迎えた際に、「長寿祝い」として行われる特別な横綱土俵入りのことである。

見る 佐田の山晋松と還暦土俵入り

蔵前国技館

蔵前国技館(くらまえこくぎかん、)は、1984年(昭和59年)秋場所まで、東京での大相撲の本場所が開催されていた施設である。外観は純和風で独特の雰囲気のあるものであった。

見る 佐田の山晋松と蔵前国技館

金星 (相撲)

金星(きんぼし)とは、大相撲で平幕の力士が横綱と取組をして勝利することである。このため、三役以上(小結以上)が横綱に勝っても金星にはならず、単に白星と呼ばれる。

見る 佐田の山晋松と金星 (相撲)

長崎県

長崎県(ながさきけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は長崎市。 五島列島、壱岐島、対馬など数多くの島嶼を含み、47都道府県中最も島が多いことで知られる。また、多島であるうえにリアス式海岸を多く擁することから海岸線の長さは47都道府県中第2位となっている(※「地形」節にて詳説)。

見る 佐田の山晋松と長崎県

長崎県立上五島高等学校

長崎県立上五島高等学校(ながさきけんりつ かみごとうこうとうがっこう, Nagasaki Prefectural Kamigoto High School)は、長崎県南松浦郡新上五島町浦桑郷にある県立高等学校。

見る 佐田の山晋松と長崎県立上五島高等学校

長谷川勝敏

長谷川 勝敏(はせがわ かつとし、1944年7月20日 - )は、北海道空知郡栗沢村(現在の岩見沢市)出身(出生地は樺太恵須取支庁恵須取郡珍内町)で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。現役時代の体格は身長183cm、体重128kg。得意手は左四つ、寄り、掬い投げ。最高位は東関脇。一時期、四股名を長谷川 戡洋(はせがわ かつひろ)としていた時期もあった。 叔父に宮城野部屋の十両力士・四季の花範雄がいる。

見る 佐田の山晋松と長谷川勝敏

鉋(かんな、かな)は、木工用の工具の一種。主として材木の表面を削って加工する目的で使われ、一般には台鉋を指す。通常は材木の表面を平滑にするために使われるが、材木に溝を作るなど特殊な目的用の鉋も存在する。 台鉋は四角形の木製の台(鉋台)の中に刃を組み込んだ鉋である。日本では明治初期以降、図のような刃が2枚ある二枚鉋がヨーロッパの鉋から導入され、現代ではこちらのほうが主流である。2枚の刃うち、下側の刃を「鉋身(鉋刃)」といい、上側の刃を「裏金」という。鉋身は鉋台に斜めに取り付けられており、刃の付いている側は僅かに鉋台から下側に出ており(この部分で木材を削る)、その反対側の部分は鉋台から上側に出ている(その上端の部分を「頭」という)。また、鉋台のうち、刃が組み込まれている側の端を「台頭」、反対側の端を「台尻」といい、加工材と接する部分を「下端」という。鉋身を出すには鉋身の頭(刃の反対側の部分)を叩いて出し、反対に引っ込めるには台頭(刃の取り付けられている側の鉋台の先端)を叩いて調整する。台には主にシラカシ、アカガシが用いられる。

見る 佐田の山晋松と鉋

若天龍祐三

若天龍 祐三(わかてんりゅう ゆうぞう、1940年1月1日 - 没年不明)は、京都府京都市中京区出身で花籠部屋に所属した元大相撲力士。本名は中川 辰夫(なかがわ たつお)→粥川 辰夫(かゆかわ -)。最高位は東前頭筆頭(1965年11月場所)。現役時代の体格は175cm、106kg。得意手は左四つ、上手投げ。

見る 佐田の山晋松と若天龍祐三

若三杉彰晃

若三杉 彰晃(わかみすぎ あきてる、1937年(昭和12年)9月24日 - 1983年(昭和58年)11月2日)は、香川県丸亀市土居町出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は杉山 昇(すぎやま のぼる)。最高位は東関脇(1963年(昭和38年)5月場所、同年7月場所など)。現役時代の体格は188cm、133kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。若乃花幹士 (初代)の義弟であり、貴ノ花利彰の義兄である。

見る 佐田の山晋松と若三杉彰晃

若乃花幹士 (2代)

2代目 若乃花 幹士(わかのはな かんじ、1953年4月3日 - 2022年7月16日)は、青森県南津軽郡大鰐町出身で二子山部屋に所属した大相撲力士、第56代横綱。本名は下山 勝則(しもやま かつのり)。引退後は年寄・間垣。 大関時代までの四股名は「若三杉」だったが、横綱昇進を機に師匠の四股名「若乃花」を継承した(大関まで名乗った若三杉も当時部屋付き年寄だった11代荒磯の元関脇若三杉彰晃の四股名を継承したものである)。一般には「若三杉」の四股名で認知されている。身長186cm、体重133kg。血液型はA型。現役時代の愛称は下の名前の勝則から「カンボ」と呼ばれていた。師匠であった初代若乃花の娘婿となったが、後に離婚。

見る 佐田の山晋松と若乃花幹士 (2代)

若乃花幹士 (初代)

初代 若乃花 幹士(わかのはな かんじ)、1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)は、青森県弘前市青女子(あおなご)出身で、入門当時は二所ノ関部屋(1953年に花籠部屋の独立とともに移籍)に所属した大相撲力士、第45代横綱。本名は花田 勝治(はなだ かつじ。身長179cm、体重107kgで、血液型はB型。弘前市名誉市民。通称土俵の鬼と呼ばれ、戦後最軽量横綱である。 引退後二子山部屋を創設し、のち弟でもある大関・初代貴ノ花(のち藤島→二子山)、横綱・2代目若乃花(のち間垣)、横綱・隆の里(のち鳴戸)、大関・若嶋津(のち松ヶ根→二所ノ関)らを育て、日本相撲協会の理事長も務めた。

見る 佐田の山晋松と若乃花幹士 (初代)

若二瀬唯之

若二瀬 唯之(わかふたせ ただゆき、1942年2月20日 - 1997年5月20日)は、愛知県幡豆郡一色町(現役当時、現・同県西尾市)出身で朝日山部屋(入門時は大鳴戸部屋)に所属した大相撲力士。本名は戸嶋 忠輝(としま ただてる)。現役時代の体格は176cm、150kg。得意手は右四つ、寄り、押し。最高位は西小結(1968年11月場所・1969年7月場所)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p31。

見る 佐田の山晋松と若二瀬唯之

若ノ國豪夫

若ノ國 豪夫(わかのくに たけお、1936年4月4日 - 没年不明)は、岐阜県海津郡南濃町(※現役当時、現在の同県海津市)出身で花籠部屋(入門時は芝田山部屋)に所属した元大相撲力士。本名は伊藤 照夫(いとう てるお)。現役時代の体格は181cm、125kg。得意手は右四つ、突っ張り、寄り。最高位は東前頭8枚目(1960年7月場所、1963年7月場所など)。

見る 佐田の山晋松と若ノ國豪夫

若ノ海周治

若ノ海 周治(わかのうみ しゅうじ、1931年2月2日 - 1999年5月3日)は、秋田県南秋田郡井川町出身で花籠部屋(入門時は二所ノ関部屋、その後師匠の独立により転籍)に所属した大相撲力士。本名は鎌田 周治(かまた しゅうじ)。最高位は東小結(1960年3月場所)。現役時代の体格は169cm、114kg。得意手は左四つ、掛け投げ、内掛け、出し投げ、渡し込み。引退後は年寄として、後進の指導に尽力した。

見る 佐田の山晋松と若ノ海周治

若前田英一朗

若前田 英一朗(わかまえだ えいいちろう、1930年11月24日 - 2007年6月3日)は、愛知県清須市(現役当時は、同県西春日井郡西枇杷島町)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は由井 秀夫(ゆい ひでお)。最高位は東関脇(1958年5月場所、同年7月場所)。現役時代の体格は174cm、129kg。得意手は右四つ、寄り、押し。

見る 佐田の山晋松と若前田英一朗

若秩父高明

若秩父 高明(わかちちぶ こうめい、1939年3月16日 - 2014年9月16日)は、埼玉県秩父郡高篠村(現:埼玉県秩父市)出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は加藤 高明(かとう こうめい)。最高位は西関脇(1963年7月場所・同年9月場所)。現役時代の体格は175cm、150kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。 本名は周囲から「たかあき」と読まれることが多いそうだが、本名・四股名共に読みは「こうめい」である。

見る 佐田の山晋松と若秩父高明

若羽黒朋明

若羽黒 朋明(わかはぐろ ともあき、1934年11月25日 - 1969年3月3日)は、神奈川県横浜市中区曙町出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は草深 朋明(くさぶか ともあき)。最高位は東大関。

見る 佐田の山晋松と若羽黒朋明

若見山幸平

若見山 幸平(わかみやま こうへい、1943年4月16日 - 没年不明)は、富山県富山市西田地方町出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は熊野 敏彦(くまの としひこ)。最高位は西関脇(1965年11月場所・1966年1月場所)。現役当時の体格は177cm、176kg。得意手は右四つ、寄り、極め出し ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p24。

見る 佐田の山晋松と若見山幸平

若杉山豊一

若杉山 豊一(わかすぎやま とよいち、1933年1月24日 - 1999年11月4日)は、福岡県糟屋郡志免町出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は熊本 豊一(くまもと とよいち)。最高位は西前頭筆頭(1965年3月場所)。現役時代の体格は177cm、120kg。得意手は右四つ、寄りベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p26。

見る 佐田の山晋松と若杉山豊一

若浪順

若浪 順(わかなみ じゅん、1941年3月1日 - 2007年4月16日)は、茨城県猿島郡七郷村(のち同郡岩井町→岩井市、現・坂東市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は冨山 順(とみやま じゅん)。最高位は東小結(1968年5月場所)。現役時代の体格は178cm、103kg。得意手は左四つ、寄り、吊り、うっちゃり ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p24。 引退後は、年寄・大鳴戸から同・玉垣を襲名した。

見る 佐田の山晋松と若浪順

雷電賞

雷電賞(らいでんしょう)は、かつて存在した、大相撲の優秀力士を表彰した賞である。 1955年、読売新聞社は、雑誌「大相撲」の刊行と、雷電爲右エ門を主人公とする尾崎士郎の小説「雷電」を「週刊読売」において連載開始した。その宣伝も兼ねて、1955年3月場所から制定され、1965年11月場所まで続いた。大相撲の様々な表彰の中で、力士の名を冠したものは雷電賞が唯一である。 選考委員会の決議で決まる三賞とは異なり、関脇以下で最高成績をあげた力士が自動的に受賞する。また同成績の場合は決定戦を行わず番付上位の者が受賞となる。最初の受賞者は関脇大内山(1955年3月、13勝2敗)、最後の受賞者は前頭6枚目大豪(1965年11月、12勝3敗)、最多受賞者は時津山・羽黒山・豊山・鶴ヶ嶺の4回。

見る 佐田の山晋松と雷電賞

陸奥嵐幸雄

陸奥嵐 幸雄(むつあらし ゆきお、1943年1月12日 - 2002年7月30日)は、青森県上北郡甲地村(現在の東北町)出身で宮城野部屋所属の元大相撲力士。本名は南 幸雄(みなみ ゆきお)。身長177cm、体重113kg。得意手は左四つ、吊り、河津掛け。最高位は東関脇。

見る 佐田の山晋松と陸奥嵐幸雄

押し出し (相撲)

押し出し(おしだし)とは、相撲の決まり手の一つである。相手の胸や喉、腋を押し、土俵の外に出す技。寄り切りと並んで最も基本的な技のひとつ。相手が倒れれば押し倒しになる。まわしをつかんでいても体を密着させずに腕を伸ばして攻めれば押し出しになる。 まわしを取って押した場合にも、「土俵際ではまわしを離して押せ」との実践訓があり、これに従えば押し出しになる。 少なくとも幕内取組の場合、寄り切りに次いで出現頻度が高い決まり手である。

見る 佐田の山晋松と押し出し (相撲)

柏戸剛

柏戸 剛(かしわど つよし、1938年11月29日 - 1996年12月8日)は、山形県東田川郡山添村(現・鶴岡市)出身で伊勢ノ海部屋に所属した大相撲力士。第47代横綱。本名は富樫 剛(とがし つよし)ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p28。位階は従五位。

見る 佐田の山晋松と柏戸剛

枡席

枡席(ますせき、桝席・升席とも)とは、日本の伝統的な観客席。土間や板敷きの間を木組みによって人数人が座れるほどの四角形に仕切り、これを「一枡」として観客に提供したことからこう呼ばれるようになった。同じく日本の伝統的な観客席である桟敷(さじき)についても本項で扱う。

見る 佐田の山晋松と枡席

東海村

東海村(とうかいむら)は、茨城県県央地域の村。那珂郡に属する。

見る 佐田の山晋松と東海村

松登晟郎

松登 晟郎(まつのぼり しげお、1924年7月20日 - 1986年4月21日)は、千葉県東葛飾郡松戸町(現在の松戸市松戸)出身で大山部屋に所属した大相撲力士。本名は永井福太郎(ながい ふくたろう)。最高位は西大関。身長172cm、体重154kg。得意技は押し、左四つ、寄り、吊り。

見る 佐田の山晋松と松登晟郎

栃ノ心剛史

栃ノ心 剛史(とちのしん つよし、1987年10月13日 - )は、ジョージア(旧呼称グルジア)・ムツケタ出身で春日野部屋所属の元大相撲力士。本名はレヴァン・ゴルガゼ(ლევან გორგაძე、)。愛称は「角界のニコラス・ケイジ」。身長192.0cm、体重189.0kg。得意技は右四つ、寄り、上手投げ。最高位は東大関2(2019年3月場所、9月場所)。好物は魚類(サバ、サンマ、ホッケなど)『大相撲ジャーナル』2018年3月号 p4 - 7。

見る 佐田の山晋松と栃ノ心剛史

栃ノ海晃嘉

栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし、1938年(昭和13年)3月13日 - 2021年(令和3年)1月29日)は、青森県南津軽郡光田寺村(現:青森県南津軽郡田舎館村)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。第49代横綱。本名は花田 茂廣(はなだ しげひろ)。 名字が「花田」で同じ青森県出身ではあるが、若乃花幹士・貴ノ花利彰との血縁は無い。また、現役引退後に年寄・春日野を襲名した際に姓を「宮古」としたが、停年(定年。以下同)退職後は再び「花田」に戻っている。

見る 佐田の山晋松と栃ノ海晃嘉

栃光正之

栃光 正之(とちひかり まさゆき、1933年8月29日 - 1977年3月28日)は、熊本県牛深市深海町(現在の天草市深海町)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は中村 有雄(なかむら ありお)。最高位は東大関(1962年9月場所、1963年5月場所など)。身長176cm、体重128kg。得意手は左四つ、押し、寄り、上手投げ。

見る 佐田の山晋松と栃光正之

栃王山裕規

栃王山 裕規(とちおうやま ゆうき、1943年3月1日 - 2001年3月31日)は、愛知県名古屋市中村区出身で、春日野部屋に所属した大相撲力士。最高位は西前頭筆頭(1969年1月場所、1970年9月場所)。本名は神谷 静(かみたに しずか)。現役時代の体格は174cm、112kg。得意手は右四つ、寄り、上手出し投げ、下手投げ、突き落とし。

見る 佐田の山晋松と栃王山裕規

栃錦清隆

栃錦 清隆(とちにしき きよたか、1925年2月20日 - 1990年1月10日)は、東京府南葛飾郡小岩村下小岩(現・東京都江戸川区南小岩)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。第44代横綱。本名は大塚 清(おおつか きよし)で、のちに栃木山守也の養子となって中田 清(なかた きよし)となる。

見る 佐田の山晋松と栃錦清隆

栃東大裕

栃東 大裕(とちあずま だいすけ、1976年(昭和51年)11月9日 - )は、東京都足立区出身(出生地は東京都墨田区)で玉ノ井部屋に所属した元大相撲力士。本名は志賀 太祐(しが だいすけ)。現在は年寄・14代玉ノ井。最高位は東大関、現役時代の体格は身長180cm、体重155kg。得意手は、おっつけ、ハズ押し、叩き、いなし、右四つ、寄り、上手出し投げ。血液型はA型、星座は蠍座。趣味は若い頃はラジコン、大関昇進後はゴルフ。

見る 佐田の山晋松と栃東大裕

栃東知頼

栃東 知頼(とちあずま ともより、1944年9月3日 - )は、福島県相馬郡日立木村(現在の相馬市)出身(出生地は茨城県筑波郡)で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は志賀 駿男(しが はやお)。最高位は東関脇(1970年3月場所)。現役時代の体格は178cm、115kg。得意手は左四つ、上手出し投げ、右四つ、寄り。 引退後は年寄・玉ノ井(13代)を襲名し、春日野部屋付きを経て玉ノ井部屋を創設した。次男・太祐は四股名栃東を譲り受けて大関まで昇進。現役引退後は年寄・栃東を襲名して父の下で部屋付き親方となった後、部屋を継承した。なお、日本相撲協会を停年退職した後は、玉ノ井部屋の師範代となった。

見る 佐田の山晋松と栃東知頼

栃木山守也

栃木山 守也(とちぎやま もりや、1892年2月5日 - 1959年10月3日)は、栃木県下都賀郡赤麻村(現:栃木県栃木市藤岡町赤麻)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。第27代横綱。本名は中田 守也(なかた もりや)(旧姓:横田)。

見る 佐田の山晋松と栃木山守也

横綱

'''現役横綱の照ノ富士春雄(第73代横綱)'''横綱(よこづな)は、大相撲の力士の地位の一つで、最高位のものである。大関の上。幕内に属する。

見る 佐田の山晋松と横綱

横綱一覧

横綱一覧(よこづないちらん)では、大相撲の歴代横綱を一覧する。

見る 佐田の山晋松と横綱一覧

沢光幸夫

沢光 幸夫(さわひかり ゆきお、1941年6月18日 - 没年不明)は、北海道常呂郡佐呂間村(現・同郡佐呂間町)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は沢向 幸夫(さわむかい ゆきお)。最高位は東小結(1964年7月場所)。大相撲の黄金時代のひとつである「柏鵬時代」の中期に、幕内力士として活躍した。現役時代の体格は173cm、105kg。得意手は右四つ、突っ張り、寄りベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p24。 本名は上記の通りだが、一時期だけ「梅村 幸夫(うめむら~)」と名乗っていた事もある。

見る 佐田の山晋松と沢光幸夫

沖縄県

沖縄県(おきなわけん、沖縄語: ウチナー 、Okinawa Prefecture)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は那覇市。

見る 佐田の山晋松と沖縄県

淺瀬川健次

淺瀬川 健次(あさせがわ けんじ、1942年5月4日 - 2017年9月22日)は、大阪府大阪市浪速区(出生地は同府河内長野市)出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は荒磯部屋)に所属した大相撲力士。本名は亀山 健治(かめやま けんじ)。現役時代の体格は身長177cm、体重139kg。最高位は東前頭筆頭(1965年1月場所、1966年5月場所)。得意手は左四つ、寄り。

見る 佐田の山晋松と淺瀬川健次

清國勝雄

清國 勝雄(きよくに かつお、1941年11月20日 - )は、秋田県雄勝郡雄勝町(現・湯沢市)出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は荒磯部屋)に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 忠雄(さとう ただお)。最高位は東大関。現役時代の体格は182cm、133kg。得意手は左四つ、寄り、押しベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p30。 元十両・玉ノ国、元関脇・玉乃島の兄弟は甥。二男の嘉由生は林家木久扇門下の落語家、林家希林。 現夫人は国宝犬山城12代目城主平岩親吉の末裔。

見る 佐田の山晋松と清國勝雄

清ノ森政夫

清ノ森 政夫(きよのもり まさお、1935年4月8日 - 2019年4月20日)は、秋田県横手市(現役当時は平鹿郡大森町)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した大相撲力士。出生名は佐々木 政夫(ささき まさお)。後年、桂川(檀崎質郎)・春枝夫妻の婿養子となり、檀崎 政夫(だんざき -)に改名。現役時代の体格は183cm、92kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭9枚目(1960年9月場所)。大正時代の幕内力士、日本海忠藏は大叔父に当たる。

見る 佐田の山晋松と清ノ森政夫

漢方薬

漢方薬(かんぽうやく)とは、日本の漢方医学の中で用いられる生薬を用いた医薬品全般を指す。 漢方薬は、中国伝統学を中華人民共和国が統一化した中医学で用いられる生薬製剤「中医薬、中成薬」や韓医学で用いられる「韓薬」と共通するものも多いが、一般的に漢方薬といった場合には、日本の漢方医学で用いられる生薬製剤を意味する。ただし中国でも「中国漢方」などと言った言い方がされることがある。これは主に日本人観光客を対象に日本人になじみが無い「中薬、中成薬」では無く分かりやすく売りやすいいいかたとして「中国漢方」というのであって、学問的には一応区別される。 古代の中医薬学においては、複数の生薬を組み合わせることにより、薬理作用が強く倍増することが発見された。さらに、その薬理作用は減衰することができ、優れた生薬の組み合わせによって、西洋薬と比べると医療目的への指向性は強化されているのが最大の特徴である。

見る 佐田の山晋松と漢方薬

潮錦義秋

潮錦 義秋(しおにしき よしあき、1924年9月25日 - 2005年6月24日)は、熊本県熊本市南区(現役当時は、同県下益城郡城南町)出身で時津風部屋(入門時は荒汐部屋)に所属した大相撲力士。本名は村上 義秋(むらかみ よしあき)。最高位は西張出小結(1959年7月場所)。身長183cm、体重110kg。得意手は左四つ、上手投げベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p24。

見る 佐田の山晋松と潮錦義秋

朝乃山広暉

朝乃山 広暉(あさのやま ひろき、1994年(平成6年)3月1日 - )は、富山県富山市出身で、高砂部屋所属の現役大相撲力士。本名は石橋 広暉(いしばし ひろき)。身長189cm、体重169kg、血液型はA型。得意技は右四つ、寄り、上手投げ。最高位は東大関(2020年9月場所、2021年5月場所)。好物はブリの塩焼きと寿司。好きな音楽は洋楽、好きな漫画は『ザ・ファブル』 日本相撲協会 (2023年3月22日閲覧)。

見る 佐田の山晋松と朝乃山広暉

朝潮太郎 (3代)

朝潮 太郎(あさしお たろう、1929年(昭和4年)11月13日 - 1988年(昭和63年)10月23日)は、鹿児島県徳之島出身(出生地は兵庫県武庫郡、現在の神戸市)で高砂部屋に所属した大相撲力士。第46代横綱。本名は米川 文敏(よねかわ ふみとし)、現役時代の体格は身長189cm、体重145kg。得意技は左四つ、寄り。

見る 佐田の山晋松と朝潮太郎 (3代)

有川町

有川町(ありかわちょう)は、長崎県の五島列島の北部にかつてあった町。中通島の東部を主な町域とした。 2004年8月1日に南松浦郡若松町、上五島町、新魚目町、奈良尾町と合併し、新上五島町となった。

見る 佐田の山晋松と有川町

房錦勝比古

房錦 勝比古(ふさにしき かつひこ、1936年(昭和11年)1月3日 - 1993年(平成5年)7月21日)は、東京府東京市(現:東京都大田区)生まれで千葉県東葛飾郡南行徳村(現:市川市相之川)出身で若松部屋(一時期、西岩部屋)に所属した大相撲力士。本名は櫻井 正勝(さくらい まさかつ)→松崎 正勝(まつざき -)。現役時代の体格は176cm、118kg。得意手は右四つ、寄り、押し、いなし。“褐色の弾丸”と異名を取った。最高位は西関脇(1959年(昭和34年)7月場所・同年9月場所)。

見る 佐田の山晋松と房錦勝比古

明武谷力伸

明武谷 力伸(みょうぶだに りきのぶ、1937年4月29日 - 2024年3月10日)は、北海道阿寒郡阿寒町(現:北海道釧路市)出身の元大相撲力士。本名は明歩谷 清(みょうぶだに きよし)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p28。最高位は東関脇。

見る 佐田の山晋松と明武谷力伸

春日野部屋

春日野部屋(かすがのべや)は、日本相撲協会に所属する出羽海一門の相撲部屋。

見る 佐田の山晋松と春日野部屋

海乃山勇

海乃山 勇(かいのやま いさむ、1940年6月28日 - 1997年7月5日)は、茨城県龍ケ崎市出身で小野川部屋(のち出羽海部屋)に所属した大相撲力士。本名は入井 勇(いりい いさむ)。最高位は東関脇(1968年1月場所)。現役時代の体格は172cm、120kg。得意手は左四つ、寄り、蹴手繰り、突き落とし。

見る 佐田の山晋松と海乃山勇

新上五島町

アコウの大木(奈良尾郷) 新上五島町(しんかみごとうちょう)は、長崎県の五島列島の中通島・若松島とその周囲の島を町域とする町。現在は南松浦郡唯一の地方自治体となっている。『青方文書 』を記した松浦党の青方氏の本拠地。

見る 佐田の山晋松と新上五島町

日本相撲協会

公益財団法人日本相撲協会(にほんすもうきょうかい、)は、大相撲興行の幕内最高優勝者に対して「摂政宮賜杯」(のちの天皇賜杯)を授与するために1925年に財団法人として設立され、2014年に公益財団法人に移行した相撲興行団体である。 公益財団法人に移行する前は、文部科学省スポーツ・青少年局競技スポーツ課所管特例財団法人であった。通称「相撲協会」。日本国外のメディアでは「Japan Sumo Association」および、その略称の「JSA」が使われる。

見る 佐田の山晋松と日本相撲協会

旭道山和泰

旭道山 和泰(きょくどうざん かずやす、1964年10月14日 - )は、鹿児島県大島郡徳之島町出身(東京都世田谷区三軒茶屋生まれ)で大島部屋に所属した元大相撲力士、元政治家、タレント、実業家。新進党→新党平和→無所属の元衆議院議員(1期)。本名は波田 和泰(はた かずやす)。実弟は、三役格行司の木村寿之介、元五等呼出の松男(2023年現在でも現役の十両呼出とは別人)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p29。2015年に帝拳ジムよりプロボクサーデビューした波田大和は甥(寿之介の次男)に当たる。

見る 佐田の山晋松と旭道山和泰

扇山民雄

扇山 民雄(おうぎやま たみお、1938年3月27日 -没年不明 )は、宮城県栗原郡金成町(現役当時、現・同県栗原市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p26。本名は高橋 民雄(たかはし たみお)。 プロレスラーとして国際プロレスに籍を置いていた時期もあり、レスラー時代のリングネームは扇山 大五郎(おうぎやま だいごろう)であった。 大相撲時代の体格は177cm、103kg。プロレスラー時代の体格は178cm、105kg。力士としての自己最高位は、東前頭5枚目(1963年1月場所・1967年1月場所)。

見る 佐田の山晋松と扇山民雄

007は二度死ぬ

『007は二度死ぬ』(You Only Live Twice)は、イアン・フレミングの長編小説。『007』シリーズ第11作(単行本としては12冊目)。1964年にジョナサン・ケープより出版された。原題はフレミングが来日した際に「松尾芭蕉の俳句にならって」詠んでみたという英文俳句「人は二度しか生きることがない、この世に生を受けた時、そして死に臨む時」に由来する。また英語の慣用句「You Only Live Once(人生は一度っきり)」のもじりである。日本でも同年に『007号は二度死ぬ』のタイトルで早川書房のハヤカワ・ポケット・ミステリで発売された。フレミングの生前に出版されたものとしては、最後の作品である(フレミングは次作であり遺作となった小説『黄金の銃をもつ男』の校正中に心臓麻痺で死亡した)。輸入版ペーパーバックの帯やハードカバー表紙には『二度だけの生命』の和訳がつけられていた。

見る 佐田の山晋松と007は二度死ぬ

10月30日

10月30日(じゅうがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から303日目(閏年では304日目)にあたり、年末まであと62日ある。

見る 佐田の山晋松と10月30日

1960年

アフリカにおいて当時西欧諸国の植民地であった地域の多数が独立を達成した年であることにちなみ、アフリカの年と呼ばれる。

見る 佐田の山晋松と1960年

1964年

この項目では、国際的な視点に基づいた1964年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1964年

1968年

この項目では、国際的な視点に基づいた1968年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1968年

1969年

この項目では、国際的な視点に基づいた1969年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1969年

1972年

協定世界時による計測では、この年は(閏年で)閏秒による秒の追加が年内に2度あり過去最も長かった年である。 この項目では、国際的な視点に基づいた1972年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1972年

1976年

この項目では、国際的な視点に基づいた1976年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1976年

1980年

この項目では、国際的な視点に基づいた1980年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1980年

1980年代

1980年代(せんきゅうひゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1980年から1989年までの10年間を指す十年紀。この項目では、国際的な視点に基づいた1980年代について記載する。

見る 佐田の山晋松と1980年代

1982年

この項目では、国際的な視点に基づいた1982年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1982年

1988年

この項目では、国際的な視点に基づいた1988年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1988年

1990年

この項目では、国際的な視点に基づいた1990年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1990年

1990年代

1990年代(せんきゅうひゃくきゅうじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1990年から1999年までの10年間を指す十年紀。この項目では、国際的な視点に基づいた1990年代について記載する。

見る 佐田の山晋松と1990年代

1991年

この年にソビエト連邦が崩壊したため、世界史の大きな転換点となった。なお、この項目では、国際的な視点に基づいた1991年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1991年

1992年

この項目では、国際的な視点に基づいた1992年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1992年

1995年

この項目では、国際的な視点に基づいた1995年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1995年

1996年

この項目では、国際的な視点に基づいた1996年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1996年

1997年

この項目では、国際的な視点に基づいた1997年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1997年

1998年

本項においては国際的な視点に基づいた1998年について記載する。

見る 佐田の山晋松と1998年

2000年

400年ぶりの世紀末閏年(20世紀最後の年)である100で割り切れるが、400でも割り切れる年であるため、閏年のままとなる(グレゴリオ暦の規定による)。。西暦2000年代最初の年でもありミレニアムとも呼ばれ、Y2Kと表記されることもある。 この項目では、国際的な視点に基づいた2000年について記載する。

見る 佐田の山晋松と2000年

2001年

21世紀最初の年である。 この項目では、国際的な視点に基づいた2001年について記載する。

見る 佐田の山晋松と2001年

2002年

この項目では、国際的な視点に基づいた2002年について記載する。

見る 佐田の山晋松と2002年

2003年

この項目では、国際的な視点に基づいた2003年について記載する。

見る 佐田の山晋松と2003年

2007年

この項目では、国際的な視点に基づいた2007年について記載する。

見る 佐田の山晋松と2007年

2009年

この項目では、国際的な視点に基づいた2009年について記載する。

見る 佐田の山晋松と2009年

2010年

この項目では、国際的な視点に基づいた2010年について記載する。

見る 佐田の山晋松と2010年

2011年

この項目では、国際的な視点に基づいた2011年について記載する。

見る 佐田の山晋松と2011年

2013年

この項目では、国際的な視点に基づいた2013年について記載する。

見る 佐田の山晋松と2013年

2014年

この項目では、国際的な視点に基づいた2014年について記載する。

見る 佐田の山晋松と2014年

2015年

この項目では、国際的な視点に基づいた2015年について記載する。

見る 佐田の山晋松と2015年

2016年

この項目では、国際的な視点に基づいた2016年について記載する。

見る 佐田の山晋松と2016年

2017年

この項目では国際的な視点に基づいた2017年について記載する。

見る 佐田の山晋松と2017年

2019年

この項目では、国際的な視点に基づいた2019年について記する。

見る 佐田の山晋松と2019年

2月18日

2月18日(にがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から49日目にあたり、年末まであと316日(閏年では317日)ある。

見る 佐田の山晋松と2月18日

3月18日

3月18日(さんがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から77日目(閏年では78日目)にあたり、年末まであと288日ある。

見る 佐田の山晋松と3月18日

4月27日

4月27日(しがつにじゅうななにち、しがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から117日目(閏年では118日目)にあたり、年末まではあと248日ある。

見る 佐田の山晋松と4月27日

5月1日

5月1日(ごがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から121日目(閏年では122日目)にあたり、年末まであと244日ある。

見る 佐田の山晋松と5月1日

9月1日

9月1日(くがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から244日目(閏年では245日目)にあたり、年末まではあと121日ある。

見る 佐田の山晋松と9月1日

参考情報

長崎県出身の大相撲力士

佐田の山、境川尚 別名。

二子岳武五ツ嶋奈良男廣川泰三付出引退相撲佐田の海鴻嗣保守本流心筋梗塞北の富士勝昭北の洋昇北勝海信芳北葉山英俊初土俵コンクリートショーン・コネリージンクスジェームズ・ボンドスポーツ報知優勝決定戦 (相撲)出羽の花義貴出羽ノ花國市出羽錦忠雄出羽海一門出羽海部屋公益法人前の山太郎前田川克郎勝負審判四股名玉の海正洋玉乃海太三郎玉嵐孝平玉響克己現役中に死亡した力士一覧琴ヶ濱貞雄琴光喜啓司琴櫻傑將琴欧洲勝紀理事会福の花孝一突っ張り笠置山勝一羽黒花統司照ノ富士春雄盲腸相撲茶屋相撲教習所花光節夫荒波秀義青ノ里盛衆議院議員総選挙高鐵山孝之進高血圧高見山大五郎魁傑將晃豊山勝男財団法人貴乃花光司鶴ヶ嶺昭男鷲羽山佳和鹿児島県龍興山一人胃腸炎胃腸薬舞の海秀平関脇開隆山勘之亟藤ノ川武雄肺炎還暦還暦土俵入り蔵前国技館金星 (相撲)長崎県長崎県立上五島高等学校長谷川勝敏若天龍祐三若三杉彰晃若乃花幹士 (2代)若乃花幹士 (初代)若二瀬唯之若ノ國豪夫若ノ海周治若前田英一朗若秩父高明若羽黒朋明若見山幸平若杉山豊一若浪順雷電賞陸奥嵐幸雄押し出し (相撲)柏戸剛枡席東海村松登晟郎栃ノ心剛史栃ノ海晃嘉栃光正之栃王山裕規栃錦清隆栃東大裕栃東知頼栃木山守也横綱横綱一覧沢光幸夫沖縄県淺瀬川健次清國勝雄清ノ森政夫漢方薬潮錦義秋朝乃山広暉朝潮太郎 (3代)有川町房錦勝比古明武谷力伸春日野部屋海乃山勇新上五島町日本相撲協会旭道山和泰扇山民雄007は二度死ぬ10月30日1960年1964年1968年1969年1972年1976年1980年1980年代1982年1988年1990年1990年代1991年1992年1995年1996年1997年1998年2000年2001年2002年2003年2007年2009年2010年2011年2013年2014年2015年2016年2017年2019年2月18日3月18日4月27日5月1日9月1日