398 関係: 加賀国、埼玉県、印波国造、千島国、千葉国造、千葉県、単位、南北朝時代 (日本)、古代、吉川弘文館、吉備国、壱岐島、壱岐国、多禰国、大名、大宝 (日本)、大宝律令、大化、大化の改新、大分県、大和国、大国 (令制国)、大相撲、大隅国、大阪府、大正、天平、外地、奥羽越列藩同盟、奈良県、奈良時代、奄美群島、室町時代、宮城県、宮崎県、守護、守護大名、守護代、守護領国制、安土桃山時代、安国造、安芸国、安閑天皇、安房国、安房郡、対馬、対馬国、富山県、小市国造、小豆島、...、尾張国、尾張国造、山城国、山口県、山名氏、山形県、山背国造、山梨県、岐阜県、岡山県、岩代国、岩手県、島、島根県、島津国造、己亥、上国、上総国、上野国、上毛野国造、上海上国造、師長国造、中心、中国 (令制国)、中通り、常陸国、常陸国風土記、丹後国、丹波国、丹波国造、三野後国造、三野前国造、三重県、三河国、下国、下総国、下野国、下毛野国造、下海上国造、一宮、平城京、平安時代、久味国造、久自国造、京都府、府中、広島県、五畿七道、令制国一覧、廬原国造、仲国造、延喜式、廃藩置県、付庸国、伊予国、伊余国造、伊勢国、伊勢国造、伊甚国造、伊豆半島、伊豆国、伊豆国造、伊豆諸島、伊賀国、伊賀国造、会津、伯耆国、佐賀県、佐渡国、但馬国、但馬牛、徳島県、信夫国造、信濃国、志摩国、土佐国、地誌、地方、北海道 (令制)、ユトレヒト大学、周防国、和人地、和銅、和歌山県、和泉、和泉国、アメリカ合衆国、オランダ、備中国、備後国、備前国、凡河内国造、出羽国、出雲国、出雲国風土記、出雲国造、共通法、元明天皇、兵庫県、光明皇后、因幡国、図書館、国、国史大辞典 (昭和時代)、国司、国境、国主、国一揆、国人、国府、国分寺、国衙、国郡里制、国造、知々夫国造、石城国、石城国造、石川県、石見国、石背国、石背国造、火国、珠流河国造、琉球国、琉球王国、琉球藩、磐城国、神奈川県、福岡県、福島県、福井県、科野国造、秋田県、穂国造、筑後国、筑前国、筑紫国、筑豊、筑波国造、箱館戦争、粟国造、紀伊国、紀伊国造、総国、美作国、美濃国、群馬県、羽後国、羽前国、県主、疫病、甲斐国、甲斐国造、熊野国造、熊本県、番付、畿内、牟義都国造、直島諸島、相模国、相武国造、白河国造、隠岐国、隠岐諸島、芳野監、鎌倉時代、遠国、遠江国、遠淡海国造、遷都、聖武天皇、道口岐閉国造、道奥菊多国造、菊麻国造、青森県、静岡県、須恵国造、額田国造、行政区画、風土記、風速国造、飛騨国、馬来田国造、香川県、駿河国、角鹿国造、詔、評、諏方国、高国造、高知県、讃岐うどん、讃岐国、讃岐国造、豊後国、豊後国風土記、豊前国、豊国、豪族、鳥取県、越境合併、越中国、越後国、越前国、越国、鹿児島県、近代以前の日本の人口統計、近国、近江国、茨城国造、茨城県、郡、郷、郷里制、都佐国造、能登国、都道府県、郵便、阿尺国造、阿波国、阿波国造、薩摩国、薩摩焼、薩摩藩、藤原京、藩、闘鶏国造、葛城国造、那須国造、肥後国、肥前国、肥前国風土記、長崎県、長国造、長狭国造、長門国、長門本山駅、長野県、若狭国、英語、陸奥国、陸奥国 (1869-)、陸中国、陸前国、東山道、東京都、東国、東海道、栃木県、樺太庁、武社国造、武蔵国、毛野、江戸幕府、江戸時代、河内国、河内国司、沼島、沼田国造、沖縄県、沖縄県の歴史、波多国造、法務局、淡道国造、淡路島、淡路国、淡海国造、滋賀県、木簡、末羅国造、本巣国造、惣村、戊辰戦争、戦国大名、戦国時代 (日本)、戸籍、明治、昭和、浜通り、斐陀国造、新治国造、新潟県、文部科学省検定済教科書、无邪志国造、日向国、日豊本線、日露戦争、日本、日本統治時代の台湾、日本統治時代の朝鮮、日本書紀、旧国名、早川庄八、摂津国、摂津本山駅、播磨国、播磨国風土記、支庁、愛媛県、愛知県、怒麻国造、12月7日 (旧暦)、1869年、1902年、1943年、1947年、1967年、1970年代、1984年、1月19日、20世紀、2月、534年、645年、680年、689年、699年、6世紀、701年、702年、704年、712年、713年、716年、718年、721年、731年、738年、739年、740年、741年、742年、743年、747年、752年、757年、769年、770年、771年、784年、793年、794年、7世紀、823年、824年、8世紀、8月15日 (旧暦)、9月20日。 インデックスを展開 (348 もっと) »
加賀国
加賀国(かがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.
埼玉県
埼玉県(さいたまけん)は、関東地方の中央西側内陸部に位置する県。県庁所在地はさいたま市。都道府県別の人口は東京、神奈川、大阪、愛知に次ぐ全国第5位。人口密度は東京、大阪、神奈川に次ぐ全国第4位である。県の愛称は「彩の国」。.
印波国造
印波国造(いんばのくにのみやつこ・いんばこくぞう)は下総国中部を支配した国造。.
千島国
千島国(ちしまのくに)は、大宝律令の国郡里制を踏襲し戊辰戦争(箱館戦争)終結直後に制定された日本の地方区分の国の一つで、五畿八道のうち北海道 (令制)に含まれた。領域は最初国後島と択捉島のみであったが、後に得撫島以北の千島列島と色丹島が加わった。現在の根室振興局管内の東部にあたる。.
千葉国造
千葉国造(ちはのくにみやつこ・ちはこくぞう)は、律令制確立以前に置かれていた国造。知波国造とも表記される。令制国の下総国中南部、現在の千葉県千葉市付近を支配したものと考えられている。.
千葉県
千葉県(ちばけん)は、日本の関東地方の南東側、東京都の東方に位置する県。房総半島と関東平野の南部にまたがる。県庁所在地は千葉市。 平野と丘陵が県土の大半を占め、海抜500m以上の山地がない日本で唯一の都道府県である。地勢上、広大な可住地と、長大な海岸線を有している。.
単位
単位(たんい、unit)とは、量を数値で表すための基準となる、約束された一定量のことである。約束ごとなので、同じ種類の量を表すのにも、社会や国により、また歴史的にも異なる多数の単位がある。.
南北朝時代 (日本)
南北朝時代(なんぼくちょう じだい)は、日本の歴史区分の一つ。建武の新政の崩壊を受けて足利尊氏が新たに光明天皇(北朝側)を擁立したのに対抗して京都を脱出した後醍醐天皇(南朝側)が吉野行宮に遷った1336年(延元元年/建武3年)から、南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位するかたちで両朝が合一を見た1392年(元中9年/明徳3年)までの、56年間をいう。また両朝の並立はひとえに後醍醐天皇の皇位に対する執念が生み出したものであることから、彼を中心に歴史が動いた南北朝時代の序章とでもいうべき1331年(元弘元年)の元弘の乱から建武新政の終焉に至る5年間もまたこの時代に含めるのが一般的である。 鎌倉時代の後半から半世紀にわたって両統迭立という不自然なかたちの皇位継承を繰り返した皇統は、すでに持明院統と大覚寺統という二つの相容れない系統に割れた状態が恒常化するという実質的な分裂を招いていた。それが倒幕と新政の失敗を経て、この時代になると両統から二人の天皇が並立し、それに伴い京都の北朝と吉野の南朝の二つの朝廷が並存するという、王権の完全な分裂状態に陥った。両朝はそれぞれの正統性を主張して激突し、幾たびかの大規模な戦が起こった。また日本の各地でも守護や国人たちがそれぞれの利害関係から北朝あるいは南朝に与して戦乱に明け暮れた。 こうした当時の世相を、奈良興福寺大乗院の第20代門跡・尋尊は自らが編纂した『大乗院日記目録』の中で「一天両帝南北京也」と表現した。これを中国の魏晋南北朝の時代を模して南北朝時代と呼ぶようになったのはかなり後のことである。なお明治以後に南朝の天皇を正統とする史観が定着すると、この時代の名称が「北朝」の語を含むことが問題視されるようになったため、吉野朝時代(よしのちょう じだい)という新語が作られたが、第二次世界大戦後に皇国史観が影を潜めるとともに死語同然となった。.
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古代
古代(こだい、)とは、世界の歴史の時代区分で、文明の成立から古代文明の崩壊までの時代を指す。「歴史の始まり」を意味する時代区分である。古典的な三時代区分の一つであり、元来は古代ギリシア・古代ローマを指した(古典古代)。歴史家にとっては語ることのできる歴史の始まり(書き出し)を意味した。考古学の発達が歴史記述の上限を大幅に拡大したと言える。.
吉川弘文館
吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.
吉備国
吉備国(きびのくに)は、古代日本の地方国家である。現在の岡山県全域と広島県東部と香川県島嶼部および兵庫県西部(佐用郡の一部と赤穂市の一部など)にまたがり、筑紫、出雲、大和などと並ぶ有力な勢力の一つだった。 別名は、吉備道(きびのみち、きびどう)、備州(びしゅう)。.
壱岐島
壱岐島(いきのしま)は、九州北方の玄界灘にある南北17km・東西14kmの島である。九州と対馬の中間に位置する。『古事記』によれば、別名を天比登都柱(あめひとつばしら)という。 周囲には23の属島(有人島4・無人島19)が存在し、まとめて壱岐諸島と呼ぶ。ただし、俗にこの属島をも含めて壱岐島と呼び、壱岐島を壱岐本島と呼ぶこともある。官公庁の定義では「壱岐島」と呼ぶ場合、周囲の属島は含めない。 現在は長崎県壱岐市の1市体制で、長崎県では島内に壱岐振興局(旧・壱岐支庁、壱岐地方局)を置いている。また、全域が壱岐対馬国定公園に指定されている。.
壱岐国
壱岐国(いきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.
多禰国
多禰国の位置(702年) 多禰国(たねのくに)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。西海道に位置する。領域は現在の鹿児島県大隅諸島(種子島・屋久島)にあたる。 702年から824年まで122年間存続した。.
大名
大名(だいみょう)は、大名主より転じた語。大いに名の轟く者のことを指す。対義語は小名である。.
大宝 (日本)
大宝(たいほう、だいほう、正字体:大寶)は、日本の元号のひとつで慶雲の前。701年 - 704年の期間を指す。この時代の天皇は文武天皇。 大宝年間には完成した大宝律令が施行され、都城としての藤原京や遣唐使派遣ならび、元号制定も律令国家成立の一環として行われた。『日本書紀』に拠れば、大宝以前にも大化(645年 - 650年)、白雉(650年 - 654年)、1年だけ存在した朱鳥(686年)などの年号があったとされるが、日本における元号制度は断絶状態にあり、「大宝」の改元により元号使用は再開される。以降、元号制度は途切れることなく現在に至るまで続いている。.
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大宝律令
大宝律令(たいほうりつりょう)は、701年(大宝1年)に制定された日本の律令である。「律」6巻・「令」11巻の全17巻。唐の律令を参考にしたと考えられている。大宝律令は、日本史上初めて律と令が揃って成立した本格的な律令である。.
大化
大化(たいか)は、日本で最初の元号。西暦でいう645年から650年までの期間を指す。.
大化の改新
大化の改新(たいかのかいしん)は、飛鳥時代の孝徳天皇2年(大化2年)春正月甲子朔(西暦646年)に発布された改新の詔に基づく政治的改革。改新の詔は、ヤマト政権の土地・人民支配の体制(氏姓制度)を廃止し、天皇を中心とする律令国家成立を目指す内容となっている。 この政治改革は、皇極天皇の皇居における蘇我入鹿暗殺により、当時天皇を次々と擁立したり廃したりするほど権勢を誇っていた蘇我氏を滅亡させた乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん)から始まった。当初、飛鳥から難波への形式上の遷都が行われたが、改革そのものは、天皇ではなく、皇極太上天皇とその親友とされる中臣鎌足(内臣)の主導のもと、年若い両皇子(中大兄、大海人)の協力によって推進された。 この改革によって豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと移り変わったとされている。また「大化」は日本最初の元号である。この改革により、「日本」という国号と「天皇」という称号の使用が始まったとされる。.
大分県
大分県(おおいたけん)は、日本の九州地方東部に位置する県。県庁所在地は大分市である。 全国的に知名度が高い別府温泉や、由布院温泉をはじめとする温泉は源泉数(4,538ヶ所)、湧出量(291,340L/分)ともに日本一で、また地熱発電の発電量でも日本一でありさらに栽培、養殖などの産業、食文化、美容やと医療に至るまで豊かな温泉の恵みが幅広く活かされている。「日本一のおんせん県おおいた」をキャッチフレーズに温泉をアピールしている。.
大和国
大和国(やまとのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.
大国 (令制国)
大国(たいこく、たいごく)とは、律令国の等級区分の一つである。.
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大相撲
大相撲(おおずもう)は、.
大隅国
大隅国(おおすみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.
大阪府
大阪府(おおさかふ)は、近畿地方に属する日本の都道府県の一つ。府庁所在地は大阪市。.
大正
大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.
天平
天平(てんぴょう)は、日本の元号の一つ。神亀の後、天平感宝の前。729年から749年までの期間を指す。この時代の天皇は聖武天皇。 奈良時代の最盛期にあたるため、東大寺、唐招提寺などに残るその時代の文化を天平文化と呼ぶことが多い。.
外地
外地(がいち)とは、戦前の日本において、いわゆる内地以外の統治区域をいう。属地ともいった。日本の現行法において単に「外地」という場合は「本邦以外の地域」を意味し、日本の旧統治区域に限定されない(#外地の語の用法参照)。.
奥羽越列藩同盟
奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)は、戊辰戦争中の1868年(慶応4年/明治元年)5月6日に成立した同盟でTBS系列「水トク!林修の歴史ミステリー」2017年11月15日放送。仙台藩主・伊達慶邦の命を受け、『仙台藩の坂本龍馬』とも称された仙台藩士・玉虫左太夫が、薩長を中心とする新政府軍に対抗する「奥羽越列藩同盟」を成立させるために東北諸藩を回った。、陸奥国(奥州)、出羽国(羽州)、越後国(越州)の諸藩が、輪王寺宮・北白川宮能久親王を盟主とし、薩長中心の新政府の圧力に対抗するために結成された。 新政府軍に対抗すべく、現在の東北地方と新潟県に位置する諸藩が『東日本』として独立することが同盟の目的であるが、最初は、奥羽諸藩が会津藩、庄内藩の「朝敵」赦免嘆願を目的として結んだ同盟(奥羽列藩同盟)であった。よって両藩は同盟の盟約書には署名していなが会庄同盟を結成した。しかし、この赦免嘆願が拒絶された後は、同盟は新たな政権(北部政権)の確立を目的とした軍事同盟に変化した。 同盟のイデオローグ・理論的指導者として仙台藩の大槻磐渓の存在が挙げられる。そして、同じく仙台藩の玉虫左太夫は、仙台藩主の伊達慶邦の命を受けて東北諸藩を回り同盟を成立させた立役者の一人として知られる。なお、加盟各藩はいずれも当初は、薩長など新政府が仙台に設置した奥羽鎮撫総督(おううちんぶそうとく)に従っていた。 .
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奈良県
奈良県(ならけん)は、日本の都道府県の一つ。本州中西部、紀伊半島内陸部、近畿地方の中南部に位置する県である。 令制国の大和国の領域を占め、県庁所在地は奈良市。北西部の盆地部を除き、険しい山々がそびえている。都道府県面積は全国で8番目に狭く内陸8県では最も狭いが、最小の香川県の約2倍でもある。.
奈良時代
奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、平城京(奈良)に都が置かれた時代である。平城時代(へいじょうじだい)ともいう。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代である。.
奄美群島
奄美群島(薩南諸島南部) 奄美群島(あまみぐんとう)は、南西諸島の内薩南諸島南部にある島嶼群である。鹿児島県奄美市および大島郡の区域をいう。「奄美群島」が正式名称となっているが、未統一だったころの奄美諸島(あまみしょとう)がまだ用いられることもある。長さ約200km、面積約1250km、人口約12万人。全域が亜熱帯気候に属し、固有種を含めて、珍しい生き物も多数生息する。.
室町時代
室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.
宮城県
地形図 宮城県(みやぎけん)は、日本の東北地方にある県。東は太平洋に面し、西は奥羽山脈に接する。県庁所在地は仙台市。.
宮崎県
宮崎県(みやざきけん)は、九州地方南東部に位置する日本の県である。県庁所在地は宮崎市。 県木である「フェニックス」に代表される南国情緒豊かな気候から、1960年代には日南地区を中心とした新婚旅行のメッカだった。現在も春季のプロ野球などのキャンプ地として知られる。.
守護
守護(しゅご)は、日本の鎌倉幕府・室町幕府が置いた武家の職制で、国単位で設置された軍事指揮官・行政官である。令外官である追捕使が守護の原型であって、後白河法皇が源頼朝に守護・地頭の設置と任免権を認めたことによって、幕府の職制に組み込まれていった。将軍により任命され、設立当時の主な任務は、在国の地頭の監督であった。鎌倉時代はといい、室町時代にはといった。 制度としては室町幕府滅亡後、織豊政権成立により守護が置かれなくなり守護制度が自然消滅するまで続いた。.
守護大名
守護大名(しゅごだいみょう)は、軍事・警察権能だけでなく、経済的権能をも獲得し、一国内に領域的・一円的な支配を強化していった室町時代の守護を表す日本史上の概念。守護大名による領国支配の体制を守護領国制という。15世紀後期 - 16世紀初頭ごろに一部は戦国大名となり、一部は没落していった。.
守護代
守護代(しゅごだい)とは、鎌倉時代と室町時代に守護の下に置かれた役職である。.
守護領国制
守護領国制(しゅごりょうごくせい)とは、室町時代の守護大名による一円的な領国支配体制を指す歴史概念。.
安土桃山時代
安土桃山時代(あづちももやまじだい)は、日本の歴史において、織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代である。2人の名前を取って、織豊時代(しょくほうじだい)ともいう。 なお、美術史では1615年(慶長20年)の豊臣氏滅亡までを「安土桃山時代」と称するのが一般的である。.
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安国造
安国造(やすのくにのみやつこ・やすこくぞう)は近江国東部(琵琶湖東岸)を支配した国造。淡海安国造、近淡海安国造とも。.
安芸国
安芸国(あきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.
安閑天皇
安閑天皇(あんかんてんのう、雄略天皇10年?(466年?) - 安閑天皇2年12月17日(536年1月25日?))は、第27代天皇(在位:継体天皇25年2月7日(531年3月10日?) - 安閑天皇2年12月17日(536年1月25日?))。.
安房国
安房国(あわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
安房郡
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対馬
対馬(つしま)は、日本の九州の北方の玄界灘にある、長崎県に属する島である。面積は日本第10位である国立天文台編『平成19年 理科年表』p.565 ISBN 4621077635。島内人口は3万1105人である(2018年4月現在)。.
対馬国
対馬国(つしまのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.
富山県
富山県(とやまけん)は、日本の都道府県の一つ。中部地方の日本海側、北陸地方のほぼ中央に位置する。県庁所在地は富山市。.
小市国造
小市国造(おちのくにのみやつこ・おちこくぞう)は、後の令制国の伊予国東部、現在の愛媛県東部を支配した国造。 『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、応神天皇の御世に、物部連と同祖の大新川命の孫の子致命を国造に定められたとされる。また、「天孫本紀」の物部系譜には、大新川命の子の物部大小市連が小市直の祖とされている。 子致命の子孫はひろく越智郡に居住して越智氏となった。越智氏は代々国造や郡司に任じられ、一族の越智玉澄は大三島大山祇神社を創建したと伝えられている。.
小豆島
北東方向より見た小豆島 小豆島(しょうどしま)は、瀬戸内海・播磨灘にある島。行政区分は香川県小豆郡に属し小豆島の西方3.7kmに位置する豊島も、行政区分は香川県小豆郡に属す。、小豆島町、土庄町の2町からなり、人口は28,764人(2016年度推計)。近年、人口が減少の一途をたどっており、2013年6月24日に隣接する沖之島とあわせて、国土交通省より「離島振興法」の指定を受けた。離島振興法の活用で、今後10年間の人口減少率を10%以内に抑えることを目指す2013年6月25日四国新聞記事より。 古代には「あずきしま」と呼ばれ、その後中世までは「しょうずしま」と呼ばれた。素麺、醤油、佃煮、胡麻油、オリーブなどの生産が盛んであり、いずれも日本有数の生産地となっている。特にオリーブは国内栽培の発祥地として広く知られる。また、小説『二十四の瞳』の作者壺井栄の故郷としても知られ 1952年(昭和27年)に発表された小説の『二十四の瞳』では、冒頭に「瀬戸内海べりの一寒村」とあるだけで、全編に渡って具体的な地名は示されず、「離島」か「本土」かも示していない。しかし、2年後の1954年(昭和29年)公開の映画『二十四の瞳』では、舞台を、作者の故郷である香川県の小豆島と設定した。、小豆島をロケ地として、同小説はこれまで2回映画化された。.
尾張国
尾張国(おわりのくに/をはりのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
尾張国造
尾張国造(おわりのくにのみやつこ・おわりこくぞう)は、尾張国を支配した国造。尾治国造とも。.
山城国
山城国(やましろのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.
山口県
山口県(やまぐちけん)は、日本の県の一つ。本州最西端に位置する。中国地方を構成する五県のうちの一つで、九州地方との連接点の地域となっている。県庁所在地は山口市。.
山名氏
日本の氏族。幾つかの流れがある。.
山形県
山形県の地形図 山形県(やまがたけん)は、日本の東北地方南西部の県。日本海に面する。県庁所在地は山形市。.
山背国造
山背国造・山代国造(やましろのくにのみやつこ・やましろこくぞう)は山城国南西部を支配した国造。.
山梨県
山梨県(やまなしけん)は、本州の内陸部に位置する日本の県の一つ。県庁所在地は甲府市。令制国の甲斐国に相当する。.
岐阜県
岐阜県(ぎふけん)は、日本の中部地方に位置する県で内陸県の一つ。 日本の人口重心中央に位置し、その地形は変化に富んでいる。県庁所在地は岐阜市。.
岡山県
岡山県(おかやまけん)は、日本の都道府県のひとつ。中国地方南東部に位置し、瀬戸内海に面する県。県庁所在地は岡山市である。.
岩代国
岩代国(いわしろのくに)は、東北戦争終結直後に陸奥国より分立した、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。別称は岩州(がんしゅう)。領域は現在の福島県西半部にあたる。.
岩手県
岩手県(いわてけん)は、東北地方に属する日本の都道府県の一つ。県庁所在地は盛岡市である。.
島
世界の島 島(とう、しま)は、大陸の面積より小さく、四方を海洋に囲まれた陸地である。.
島根県
島根県(しまねけん)は、日本の中国地方の日本海側である山陰地方の西部をなす県。県庁所在地は松江市。離島の隠岐島、竹島なども島根県の領域に含まれる。旧国名は出雲国・石見国・隠岐国であり、現在でも出雲地方・石見地方・隠岐地方の3つの地域に区分されることが多い。全国では鳥取県に次いで2番目に人口が少ない。.
島津国造
島津国造(しまづのくにのみやつこ・しまづこくぞう)は志摩国を支配した国造。.
己亥
己亥(つちのとい、きがい)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの36番目で、前は戊戌、次は庚子である。陰陽五行では、十干の己は陰の土、十二支の亥は陰の水で、相剋(土剋水)である。.
上国
上国(じょうこく、じょうごく)とは、律令国の等級区分の一つである。.
上総国
上総国(かずさのくに、正仮名遣:かづさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。 常陸国・上野国とともに親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は上総介であった。.
上野国
上野国(こうずけのくに、かみつけぬのくに、かみつけののくに、かみつけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 常陸国・上総国とともに親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は上野介であった類聚三代格。.
上毛野国造
上毛野国造(かみつけぬのくにのみやつこ・かみつけぬこくぞう・かみつけののくにのみやつこ・かみつけのこくぞう)は上野国を支配した国造。もと毛野国造で、仁徳天皇朝~孝徳天皇朝に下毛野国造と分裂した。.
上海上国造
上海上国造(かみつうなかみのくにみやつこ・かみつうなかみこくぞう)は、上総国海上郡(現在の千葉県市原市の一部)を支配した国造。上菟上国造とも。.
師長国造
師長国造(しながのくにのみやつこ・しながこくぞう)は相模国西部を支配した国造。磯長国造とも表記する。.
中心
中心(ちゅうしん)とは一般に図形のちょうど真ん中に位置する1点のことをいい、円や楕円、球などの図形では重心に一致する。記号では原点を表す O や、center の頭文字の C と表記されることが多い。 円の場合は中心から円周上の点までの距離は一定であり、それは円の半径の長さに等しい。 球の場合も中心から球面上の点までの距離はどの方向でも一定で球の半径の長さに等しい。 円の中心は全ての直径の中点であり、直径は互いに円の中心で交わる。球の中心も全ての直径の中点かつ交点である。 楕円の場合は中心から楕円周上の点までの距離は一定ではない。 楕円の中心は長軸と短軸の交点である。 その他には長方形や菱形、平行四辺形のような点対称な図形の重心のことを中心(もしくは対称の中心)と呼ぶこともある。.
中国 (令制国)
中国(ちゅうごく)とは、律令国の等級区分の一つである。国力(規模)による分類と、畿内からの距離による分類の2種類の分け方が存在した。.
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中通り
濃い緑の部分が中通り地区 中通り(なかどおり)は、福島県の中部にあたり、西に奥羽山脈と東に阿武隈高地に挟まれた太平洋側内陸の地域である。 福島県は2つの山地(奥羽山脈と阿武隈高地)によって会津と中通りと浜通りの3地域に区分されている。.
常陸国
常陸国(ひたちのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。 上総国・上野国とともに親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は常陸介であった。.
常陸国風土記
『常陸国風土記』(ひたちのくにふどき)は、奈良時代初期の713年(和銅6年)に編纂され、721年(養老5年)に成立した、常陸国(現在の茨城県の大部分)の地誌である。 口承的な説話の部分は変体の漢文体、歌は万葉仮名による和文体の表記による。.
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丹後国
丹後国(たんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.
丹波国
丹波国(たんばのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。山陰道に属する。.
丹波国造
丹波国造(たんばのくにのみやつこ)は、後の令制国の丹波国および但馬国と丹後国、現在の京都府中部および北部から兵庫県北部と中部東辺に加え大阪府の一部に相当する地域を支配した国造。.
三野後国造
三野後国造(みののみちのしりのくにのみやつこ・みののみちのしりのこくぞう)は美濃国東部を支配した国造。.
三野前国造
三野前国造(みののさきのくにのみやつこ・みののさきのこくぞう・みののみちのくちのくにのみやつこ・みののみちのくちこくぞう)は美濃国を支配した国造。美濃国造とも。.
三重県
三重県(みえけん)は、日本の都道府県の一つで紀伊半島の東側に位置する。県庁所在地は県中部の津市。.
三河国
三河国(みかわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。三の大字を用いて参河国(參河國)とも表記する。現在の愛知県東半部。.
下国
下国(げこく)とは、律令国の等級区分の一つである。小国とも言う。.
下総国
下総国(しもうさのくに、しもふさのくに、しもつふさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
下野国
下野国(しもつけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.
下毛野国造
下毛野国造(しもみつけぬのくにのみやつこ・しもつけぬこくぞう・しもつけののくにのみやつこ・しもつけのこくぞう)は下野国を支配した国造。もと毛野国造で、仁徳天皇朝~孝徳天皇朝に上毛野国造と分裂した。.
下海上国造
下海上国造(しもつうなかみのくにみやつこ・しもつうなかみこくぞう)は、後の令制国の下総国東部、現在の千葉県旭市、銚子市および香取郡一帯を支配した国造。下菟上国造とも。.
一宮
一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。一の宮・一之宮などとも書く。.
平城京
平城宮跡 平城京(へいじょうきょう/へいぜいきょう)は、奈良時代の日本の首都。唐の都「長安」や北魏洛陽城などを模倣して建造されたとされ、現在の奈良県奈良市及び大和郡山市近辺に位置していた。.
平安時代
平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.
久味国造
久味国造(くみのくにのみやつこ・くみこくぞう)は、後の令制国の伊予国中部、現在の愛媛県中部を支配した国造。 『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、応神天皇の御世に、神魂尊の13世孫の伊與主命を国造に定められたとされる。 久味国造は、のちの久米郡すなわち温泉郡の南部地区を統括し、その子孫がこの地域に土着し久米氏として繁栄した。律令制において設置された久米郡は、当国造の領域に一致すると推定され、郡司には久米直が任じられている。.
久自国造
久自国造(くじのくにのみやつこ、くじこくぞう)はのちに常陸国北中部となる地域(久自国)を支配した国造である。.
京都府
京都府(きょうとふ)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。延暦13年(794年)の平安京遷都以来、天皇の御所がある。令制国でいう山城国の全域、丹波国の東部および丹後国の全域を府域とする。府庁所在地は京都市。.
府中
府中(ふちゅう).
広島県
広島県(ひろしまけん)は、日本の中国地方に位置する都道府県の一つ。瀬戸内海に面する。県庁所在地は広島市。.
五畿七道
西海道 五畿七道(ごきしちどう)とは、古代日本の律令制における、広域地方行政区画である。畿内七道(きないしちどう)とも呼ばれた。 1869年(明治2年)、北海道 (令制)が新設されてからは五畿八道と呼ばれる(道 (行政区画)#令制後)。 1871年(明治4年)の廃藩置県以降も、五畿八道は廃止されておらず、令制国も併用されていたが、1885年(明治18年)以降はすたれ、現在は、五畿八道としての地方区分はあまり用いられなくなっている。 しかし、現在の日本各地の地方名の多く(東海、東山、北陸、山陽、山陰、北海道など)は、五畿八道に由来している。また、東海道新幹線や山陽新幹線、北陸自動車道などの交通網や、今後想定される東海地震や南海地震、また地震発生帯の南海トラフなどの名称にもその名残が見られる。.
令制国一覧
大宝元年)から702年(大宝2年)まで。黄色で示す地域が制度の及ぶ範囲。 鎌倉時代から1868年(明治元年)まで 明治初期の令制国の配置 令制国一覧(りょうせいこくいちらん)は、7世紀後半からの日本国内の地方行政区分、国(令制国)の一覧である。 令制国の改廃は、奈良時代までと明治時代になされ、その間の平安時代から江戸時代には長期にわたって変更がなかった。.
廬原国造
廬原国造(いおはらのくにみやつこ・いおはらこくぞう)は駿河国西部を支配した国造。五百原国造とも。.
仲国造
仲国造(なかのくにのみやつこ・なかこくぞう)は常陸国東部を支配した国造。那珂国造・那賀国造・常道仲国造とも。.
延喜式
延喜式(えんぎしき)は、平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、三代格式の一つである。.
廃藩置県
廃藩置県(はいはんちけん)とは、明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。 各藩の武装解除の過程については「鎮台」を参照。.
付庸国
主権国家体制において付庸国(附庸国、ふようこく)、従属国(じゅうぞくこく)(vassal state)とは、宗主国から一定の自治権を認められているが、その内政・外交が宗主国の国内法により制限を受ける国家を指す。大国の一部が分離独立する過程で誕生する。宗主国との関係は付庸関係と言う。個々の付庸国ごとに宗主国との関係は一様でなく、国際法主体として対外主権の行使が認められていることもある。しかしながら、いずれにしても国際社会においては宗主国の一部とみなされ、宗主国が締結した条約に付庸国も拘束されうる。この点で被保護国とは異なる。ブルガリア、エジプトなどオスマン帝国を宗主国とする事例が多い。 主権を不完全にしか持たないため、被保護国と合わせて半主権国(semisovereign state)、従属国(dependent state)とも呼ばれる。 現在、この意味での付庸国は存在しない。新たに大国の一部が分離独立するも引き続き大国の保護が必要な場合、付庸関係ではなく、国家主権が対等である自由連合が採用されている。.
伊予国
伊予国(いよのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。.
伊余国造
伊余国造(いよのくにのみやつこ・いよこくぞう)は、後の令制国の伊予国伊予郡、現在の愛媛県伊予郡を支配した国造。 『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、成務天皇の御世に、印幡国造と同祖の敷桁彦命の子の速後上命を国造に定められたとされる。8世紀初頭に確立した律令国家が松山平野に位置した「伊余国造」の名をとって令制国を「伊予国」としたのは、ヤマト王権にとって対九州との関係で重要な拠点であり、来住台地上に久米官衙群が存在したためともされる。.
伊勢国
伊勢国(いせのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
伊勢国造
伊勢国造(いせ の くにのみやつこ、いせこくぞう)は、伊勢国・伊賀国・志摩国を支配した国造。本姓は中臣氏。.
伊甚国造
伊甚国造(いじみのくにのみやつこ・いじみこくぞう)は、後の令制国の上総国埴生郡、現在の千葉県茂原市の一部と長生郡長南町および睦沢町の一部を支配した国造。伊甚屯倉設置以前は夷灊郡も支配していたと考えられている。表記については、『先代旧事本紀』「国造本紀」と『日本書紀』は伊甚国造とするが、『古事記』は伊自牟国造(いじむ-)とする。.
伊豆半島
伊豆半島のランドサット。スペースシャトル 伊豆半島(いずはんとう、Izu peninsula)は、日本列島のうち本州の南東部に位置する半島。出典: - 静岡県、2012年11月6日閲覧。★この部分は、「行政」という主語が広すぎるのと、伊豆半島の定義というよりも静岡県の海岸保全行政における所管区域にすぎないため非表示にしました(ちなみに、静岡県では県内の沿岸を「伊豆半島沿岸」(神奈川県境~大瀬崎)、「駿河湾沿岸」(大瀬崎~御前崎)、「遠州灘沿岸」(御前崎~伊良湖岬(御前崎から愛知県の伊良湖岬))の三つに分けて海岸保全を行っています)。★-->明治以前は伊豆国として東海道の1国を構成していた。.
伊豆国
伊豆国(いずのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
伊豆国造
伊豆国造(いずのくにみやつこ・いずこくぞう)は、伊豆国を支配した国造。.
伊豆諸島
伊豆諸島(いずしょとう)は、太平洋(フィリピン海)に連なる日本領の島々の総称。 伊豆半島の南東方向、伊豆大島から孀婦岩までの間にある100余りの島嶼からなる。最南部のベヨネース列岩、須美寿島、鳥島、孀婦岩は「豆南諸島(ずなんしょとう)」とも呼ばれる。行政区画としてはいずれも東京都であるが、歴史的経緯から「伊豆諸島」の名称が定着している。 現在、人が定住している島(有人島)の数は9。大島のほか、利島・新島・式根島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島・青ヶ島の8島がそれである。かつては鵜渡根島や八丈小島・鳥島にも定住者がいたが、今は無人島になっている。また、地内島・早島・大野原島・藺灘波島・ベヨネース列岩・須美寿島・孀婦岩などは有史以来の無人島である。 伊豆諸島の八丈島以北が富士箱根伊豆国立公園に属する。.
伊賀国
伊賀国(いがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
伊賀国造
伊賀国造(いがのくにのみやつこ・いがこくぞう)は伊賀国を支配した国造。.
会津
会津(あいづ)は、福島県の西部に当たり、西に越後山脈と東に奥羽山脈に挟まれた日本海側内陸の地域である。福島県は、奥羽山脈と阿武隈高地によって区切られており、西から順に「会津」と「中通り」と「浜通り」の三地域に区分されている。 なお、イントネーションについて、福島県内では、「あいづ」と、いにアクセントを置く。.
伯耆国
伯耆国(ほうきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.
佐賀県
佐賀県(さがけん)は、日本の九州地方の北西部にある県である。県庁所在地は佐賀市。 唐津・伊万里・有田などは古くから陶磁器の産地として有名。玄界灘と有明海の2つの海に接する。令制国の肥前国東部に相当する。明治の府県制成立の際、同国は佐賀県と長崎県の2県として分立した。.
佐渡国
佐渡国(さどのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.
但馬国
但馬国(たじまのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.
但馬牛
但馬牛(たじまうし)は、兵庫県産の黒毛和種の和牛のこと。このうち、神戸肉流通推進協議会による基準を満たして生産され、同協議会が定める格付け基準を満たした牛肉を、但馬牛(たじまぎゅう)という。.
徳島県
徳島県(とくしまけん)は、日本の県の一つ。四国の東部に位置する。県庁所在地は徳島市。.
信夫国造
信夫国造(しのぶのくにのみやつこ)は阿武隈川を擁する福島盆地、令制国での陸奥国信夫郡(しのぶのこおり)(現福島県福島市(旧信夫郡を包含)、伊達市及び伊達郡)にあった信夫国を支配した国造。.
信濃国
信濃国(しなののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 『万葉集』での枕詞は「水薦苅(みこもかる )」。.
志摩国
志摩国(しまのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
土佐国
土佐国(とさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.
地誌
地誌(ちし)とは、地理上の特定地域を様々な諸要素(自然・地形・気候・人口・交通・産業・歴史・文化など)を加味してその地域性を論じた書籍。郷土誌。 また、その地域性について研究する学問分野を地誌学(ちしがく)という。近代以後、地誌学は特殊地理学(地域地理学)、地域文化へと発展する事になった。.
地方
地方(ちほう)とは、.
北海道 (令制)
明治時代の日本地図。北海道の令制国も記されている。 北海道(ほっかいどう)は、1869年9月20日(明治2年8月15日)に制定された日本の広域行政区画名である。 それまでの五畿七道に、北海道(令制) を加えたことで五畿八道の一つとなった。 その範囲は、北海道本島(江戸時代までは蝦夷地・北州・十州島などと呼ばれた)とその付随する島々を含んだ。(#行政区画) この名が制定されたのは、戊辰戦争(箱館戦争)終結直後であり、また、箱館府(箱館奉行の後身)を置き換えるように開拓使(「使」という名称は、律令制下で使用された臨時の独自な任務をこなす令外官である)を設置した年であった。この開拓使の開拓判官であった松浦武四郎の『北海道々国郡名撰定上書』をもとに命名された。 松浦のこの書から、北海道という名は、7世紀後半成立の律令制下の五畿七道における東海道、西海道、南海道などを踏襲し、命名されたものである。 なお、明治維新後の近代行政区画としての北海道については北海道の項を、近代行政機関については三県一局時代および北海道庁 (1886-1947)、北海道庁の項目を参照。.
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ユトレヒト大学
大学の本部棟 ユトレヒト大学(Universiteit Utrecht)は、オランダのユトレヒトにある公立大学。1636年に設立され、オランダの大学としてはライデン大学(創立1575年)、フローニンゲン大学(創立1614年)に次いで3番目に設立された歴史のある大学である。ヨーロッパの大学としても最も規模の大きな大学の一つである。1584年に設立されたユトレヒト市図書館は、大学の設立と一体のもので、これはオランダ北部では最大規模のものである。2004年の時点で、大学の26,787人の学生、8,224人の教授陣を有する。 特に1934年に設立された刑法学研究所は、進歩的な刑法学者達からなる、後に「ユトレヒト学派」と呼称される人物達を輩出する事となる。 Academic Rankings of World Universities(2014年)では世界57位、大陸ヨーロッパの大学としては10位、オランダ国内では1位に選ばれている。また、これまでに卒業生・教員の中から12人のノーベル賞受賞者を輩出している。.
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周防国
周防国(すおうのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.
和人地
和人地(わじんち)は、近世の北海道における地域区分のひとつ。松前地(まつまえち)ともいう。主に蝦夷と呼ばれるアイヌが居住する蝦夷地に対して、もっぱら和人が居住する渡島半島南部の一帯を指した。.
和銅
和銅(わどう)は、日本の元号のひとつで慶雲の後、霊亀の前。708年から715年までの期間を指す。この時代の天皇は女帝元明天皇である。.
和歌山県
和歌山県(わかやまけん)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。県庁所在地は和歌山市。日本最大の半島である紀伊半島の西側に位置し、県南部には大規模な山地を有する。.
和泉
和泉(いずみ)は、令制国の和泉国に由来する地域名称。現在の大阪府南西部にあたる。 かつて旧国名と同名の和泉郡や和泉町があり、現在も和泉市があるため、泉州(せんしゅう)と和泉国の別称で呼ばれることが多い。 大阪府の地域区分では泉北と泉南に二分される。健康・医療や農林・水産業などでは両地域をあわせた区分を用いるが、その場合でも、和泉ではなく別称の泉州が用いられている。.
和泉国
和泉国(いずみのくに/いづみのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、50の州および連邦区から成る連邦共和国である。アメリカ本土の48州およびワシントンD.C.は、カナダとメキシコの間の北アメリカ中央に位置する。アラスカ州は北アメリカ北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡をはさんでロシアと国境を接している。ハワイ州は中部太平洋における島嶼群である。同国は、太平洋およびカリブに5つの有人の海外領土および9つの無人の海外領土を有する。985万平方キロメートル (km2) の総面積は世界第3位または第4位、3億1千7百万人の人口は世界第3位である。同国は世界で最も民族的に多様かつ多文化な国の1つであり、これは多くの国からの大規模な移住の産物とされているAdams, J.Q.;Strother-Adams, Pearlie (2001).
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オランダ
ランダ(Nederland 、; Nederlân; Hulanda)は、西ヨーロッパに位置する立憲君主制国家。東はドイツ、南はベルギーおよびルクセンブルクと国境を接し、北と西は北海に面する。ベルギー、ルクセンブルクと合わせてベネルクスと呼ばれる。憲法上の首都はアムステルダム(事実上の首都はデン・ハーグ)。 カリブ海のアルバ、キュラソー、シント・マールテンと共にオランダ王国を構成している。他、カリブ海に海外特別自治領としてボネール島、シント・ユースタティウス島、サバ島(BES諸島)がある。.
備中国
備中国(びっちゅうのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.
備後国
備後国(びんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.
備前国
備前国(びぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.
凡河内国造
凡河内国造(おおしこうちのくにのみやつこ・おおしこうちこくぞう・おおしかわちのみやつこ・おおしかわちのこくぞう)は、河内国・摂津国・和泉国を支配した国造。凡川内国造・大河内国造とも。.
出羽国
出羽国(でわのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。.
出雲国
出雲国(いずものくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.
出雲国風土記
『出雲国風土記』(いずものくにふどき)は、出雲国の風土記。編纂が命じられたのは和銅6年(713年)5月、元明天皇によるが、天平5年(733年)2月30日に完成し、聖武天皇に奏上されたといわれている()。「国引き神話」を始めとして出雲に伝わる神話などが記載され、記紀神話とは異なる伝承が残されている。現存する風土記の中で一番完本に近い。.
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出雲国造
出雲国造(いずものくにのみやつこ、いずもこくそう)は、出雲国(現在の島根県東部地方)を上古に支配した国造。その氏族の長が代々出雲大社の祭祀と出雲国造の称号を受け継いだ。 『先代旧事本紀』の巻10『国造本紀』によれば、第10代崇神天皇のとき、天穂日命(あめのほひのみこと)の11世の孫である宇賀都久怒(うかつくぬ)を国造に定めたとある。『古事記』によれば、无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・遠江国造も天穂日命の子神・建比良鳥命(たけひらとりのみこと)を同祖とする。 祭祀継承は、『古事記』・『日本書紀』と『出雲国風土記』、千家家が伝える系譜書『出雲国造伝統略』に記されている。.
共通法
共通法(きょうつうほう、大正7年法律第39号)は、かつての日本において、朝鮮・台湾・関東州(後に南洋群島も加わる。いわゆる外地)が日本の統治下にあり、かつ、それぞれ内地(樺太を含む。)とは異なる法令が施行されていたことを前提に、これらの法域に施行されていた法令の適用範囲の確定及び異法地域間の法令の連絡統一を図るために制定された法律である。 この法律は、準国際私法を定める(第2条)ほか、国内の各法域間における、いわゆる国際民事訴訟法に準ずる規定や刑事手続に関する規定も含むものであった。 なお、本法は正式には廃止されていないが、現在の日本の領土には外地が存在しないため、実効性を喪失したとされている。もっとも、外地が存在していた頃の法律関係が問題になる場合には、現在においても本法の適用が問題となる。.
元明天皇
元明天皇(げんめいてんのう、斉明天皇7年(661年) - 養老5年12月7日(721年12月29日))は、日本(飛鳥時代 - 奈良時代)の第43代天皇。女帝(在位:慶雲4年7月17日(707年8月18日) - 和銅8年9月2日(715年10月3日))。名は阿閇皇女(あへのひめみこ)。阿部皇女とも。和風諡号は「日本根子天津御代豊国成姫天皇」(やまと ねこ あまつみよ(みしろ) とよくに なりひめの すめらみこと、旧字体:−豐國成姬−)である。 天智天皇の皇女で、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘・姪娘(めいのいらつめ)。持統天皇は父方では異母姉、母方では従姉で、夫の母であるため姑にもあたる。大友皇子(弘文天皇)は異母兄。天武天皇と持統天皇の子・草壁皇子の正妃であり、文武天皇と元正天皇の母。 藤原京から平城京へ遷都、『風土記』編纂の詔勅、先帝から編纂が続いていた『古事記』を完成させ、和同開珎の鋳造等を行った。.
兵庫県
兵庫県(ひょうごけん)は、日本の都道府県の一つ。本州の中西部に位置し、近畿地方に属する。県庁所在地は神戸市。.
光明皇后
光明皇后(こうみょうこうごう、大宝元年(701年) - 天平宝字4年6月7日(760年7月27日))は、奈良時代の聖武天皇の皇后。藤原不比等と県犬養橘三千代の女子で、聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉。諱は安宿媛(あすかべひめ)。通称に光明子(こうみょうし)、藤三娘(とうさんじょう)。 正式な尊号は天平応真仁正皇太后(てんぴょう おうしん にんしょう こうたいごう)。皇族以外から立后する先例を開いた。.
因幡国
因幡国(いなばのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.
図書館
図書館(としょかん、library、Bibliothek、bibliothèque)とは、図書、雑誌、視聴覚資料、点字資料、録音資料等のメディアや情報資料を収集、保管し、利用者への提供等を行う施設もしくは機関である。 基礎的な蓄積型文化施設の一種であり、博物館が実物資料を中心に扱い、公文書館が非定型的文書資料を中心に扱うのに対して、図書館は 出版物を中心に 比較的定型性の高い資料を蓄積するものである。 「図書館」は、明治中期に英語のlibraryから訳された訳語(和製漢語)である。「図書館」は、地図(図版)の「図」、書籍の「書」を取って、図書とし、図書を保存する建物という意味であった。.
国
国(くに、こく)は、一般的に、住民・領土・主権及び外交能力(他国からの承認)を備えた地球上の地域のこと。ほとんどの国が憲法を成文法で作成し、自国の権利や能力を他国に表明している。新しい国を作ることに関し、すでに在る国が憲法改正や革命など「新憲法制定」によって生まれ変わる場合もある。.
国史大辞典 (昭和時代)
國史大辭典(こくしだいじてん)とは、昭和54年(1979年)から平成9年(1997年)にかけて吉川弘文館から刊行された、日本で最大級の歴史百科事典である。四六倍判で全15巻(17冊)、総収録項目数は54000余である。各巻は平均して1000ページ、うち平均150ページは原色図版など。第45回菊池寛賞を受賞した。 2010年7月1日よりデジタル版「国史大辞典」が、インターネット百科事典「ジャパンナレッジ」の新しいコンテンツとして公開された。.
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国司
国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を指す(詳細は古代日本の地方官制も併せて参照のこと)。守の唐名は刺史、太守など。 郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので、中央からの支配のかなめは国司にあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司は国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。.
国境
国境.
国主
江戸幕藩体制における国主(こくしゅ)は、近世江戸時代の大名の格式のひとつで、領地が一国以上である大名を言い、国持大名ともいう。また、大名家をその居地・居城から格付けする国主(国持大名) - 準国主 - 城主 - 城主格 - 無城(陣屋)のうちの一つである。ここでは国主・準国主について記述する。大国守護でありながら管領や御相伴衆にならない家柄をさす中世室町時代の国持衆が語源。本国持10家(後12家)及び一国持ちではないが、大領を有した大身国持がある。 陸奥国・出羽国についてはその領域が広大であることから、一部しか支配していない仙台藩(伊達氏)・盛岡藩(南部氏)・秋田藩(佐竹氏)・米沢藩(上杉氏)を国主扱いにしている。また肥後国には熊本藩の他に人吉藩や天草諸島(唐津藩領、島原の乱以後は天領)があったが、熊本藩を国主扱いにしている。逆に、国の範囲が狭少であることから壱岐一国一円知行の松浦肥前守(平戸藩)、志摩一国一円知行の稲垣和泉守(鳥羽藩)はそれぞれ国主・国持とはされない。小浜藩(酒井氏)は若狭一国および越前敦賀郡を領するも本家である姫路藩酒井氏との釣り合いから国持とはされない(ただし酒井忠勝は徳川家光により一代限りの国持となったとされる)。 また、大身であっても徳川御三家、松平肥後守(会津藩)、松平讃岐守(高松藩)、井伊掃部頭(彦根藩)も国主・国持という家格には加えない。 また、一部に四品に昇任する家系を国主格ということもある。.
国一揆
国一揆(くにいっき)は南北朝時代、室町時代の領主層による領主権の確保を目的とした連合形態(一揆)を言う。国一揆が形成される要因のひとつとして外部からの政治的圧力の介入などが挙げられ、それらに対抗する為の軍事的共同形態的な結び付きが強く、目的が達成される、あるいは脅威が去った際には国一揆は解体される。代表的な国一揆として播磨の国一揆、伊賀惣国一揆、加賀一向一揆などが挙げられる。.
国人
国人(こくじん、くにびと、くにゅうど)とは、広くその国の国民、住民のこと大辞泉(小学館)。 六国史(日本後紀および三代実録)において国衙領の国民または住民を指す言葉として用いられ、越前国人、大和国人、河内国人などが見える日本後紀三代実録。 また、国人領主(こくじんりょうしゅ)は中世の史料において、在京の名目上の領主である中央官吏に対して在地の実質上の領主を指す言葉として用いられ(国人領主制)、国衆(くにしゅう)や在国衆(ざいこくしゅう)とほぼ同義ないし明確な違いは無い。.
国府
国府(こくふ、こう)は、日本の奈良時代から平安時代に、令制国の国司が政務を執る施設(国庁)が置かれた都市。 国府付近には国庁のほかにも国分寺・国分尼寺、総社(惣社)が設置され、各国における政治的中心都市であるとともに司法・軍事・宗教の中心部であった。なお『和名抄』によると、古くは「国」ではなく「島」とされた壱岐や対馬には「島府」が置かれたとされる(まだ確定はされていない)。 律令制の衰退にともない立地の優位性を失い廃れたり所在不明になった国府もある一方、いくつかの国府所在地は、現在でも静岡市・姫路市・岡山市・大分市など大きな都市として発展している。.
国分寺
国分寺(こくぶんじ)は、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる。 正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」。なお、壱岐や対馬には「島分寺(とうぶんじ)」が建てられた。.
国衙
国衙(こくが)は、日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区画である。 国衙に勤務する官人・役人(国司)や、国衙の領地(国衙領)を「国衙」と呼んだ例もある。 各令制国の中心地に国衙など重要な施設を集めた都市域を国府、またその中心となる政務機関の役所群を「国衙」、さらにその中枢で国司が儀式や政治を行う施設を国庁(政庁)と呼んだ。.
国郡里制
国郡里制(こくぐんりせい)とは、古代日本において大宝律令により施行された地方行政・地方官制の方式である。.
国造
国造(くに の みやつこ・こくぞう・こくそう)は、古代日本の行政機構において地方を治める官職のこと。また、その官職に就いた人のこと。軍事権、裁判権などを持つその地方の支配者であったが、大化の改新以降は主に祭祀を司る世襲制の名誉職となった。 訓の「みやつこ」とは「御奴(ミヤツコ)」または「御家つ子」の意味とされる。.
知々夫国造
知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ、ちちぶこくぞう)は、のちに武蔵国北西部となる地域(知々夫国)を支配した国造である。.
石城国
石城国(いわきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。奈良時代に陸奥国から分立したが、短期間しか存続しなかった。718年に設置され、720年と724年の間に廃止された。.
石城国造
石城国造(いわきのくにのみやつこ)とは、7世紀前半に、現在の福島県浜通りのうち、いわき市北半分から大熊町までを統治した国造である。律令制度下の陸奥国石城郡(いわきのこおり)に当たる地域である。.
石川県
石川県(いしかわけん)は、日本の都道府県の一つ。本州の中央部、日本海側の北陸地方に位置する。県域は令制国 の加賀国と能登国 に当たる。県庁所在地は金沢市。.
石見国
石見国(いわみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.
石背国
石背国(いわせのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。奈良時代に陸奥国から分立したが、短期間しか存続しなかった。.
石背国造
石背国造(いわせのくにのみやつこ)は令制国での陸奥国石背郡(いわせのこおり)、現在の福島県須賀川市岩瀬地区辺りにあったとされる石背国を支配した国造。 『先代旧事本紀』の巻十『国造本紀』によれば、成務天皇の時代、建許侶命(たけころのみこと)の子である建彌依米命(建弥依米命、たけみよりめのみこと)を国造に定めたことに始まるとされる。.
火国
火国・肥国(ひのくに)は、令制国以前に存在した国の一つ。 『国造本紀』によれば、大分国造と同祖で神八井耳命の後裔の志貴多奈彦命の子遅男江命が、崇神朝に火国造に任じられたとされる。また、健磐龍命を火国造の祖とする説もある。 後の肥前国と肥後国であり、あわせてまたはいずれか一国を指して肥州(ひしゅう)と呼ぶことがある。また、肥前国と肥後国の両国をさす語としては、二肥(にひ)も用いられる。のちには火の国・肥の国とも書くが、火の国と書いた場合は、阿蘇山を擁する肥後(あるいは熊本県)の意味で使われることが多い。 この地方は元々火山が多いことから「火の国」と呼ばれ、転じて「肥の国」となったのち、前・後に分けられ「肥前」「肥後」となった。肥前国の長崎には雲仙普賢岳、肥後国には阿蘇山があるからである。肥前国の佐賀には、多良山系に火山があるが、しばらく活動をしていない。 有明海を挟むことから、肥前国と肥後国を一つの国と考えていたというより、一地方と捉えていたと考えられる。 廃藩後曲折を経て、肥前は「長崎県」「佐賀県」となり、肥後は「熊本県」となった。 『古事記』・国産み神話においては、隠岐の次、壱岐の前に生まれた筑紫島(九州)の四面のひとつとして語られ、別名を「建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)」といったとされる。.
珠流河国造
流河国造(するがのくにみやつこ・するがこくぞう)は駿河国東部を支配した国造。駿河国造とも。.
琉球国
琉球国(りゅうきゅうのくに)は、かつての琉球王国の版図(沖縄県)に相当する地域に用いられた地名。 なお、本項目においては簡便のため、太平洋戦争以降の期間は考慮しない。.
琉球王国
琉球王国(りゅうきゅうおうこく)は、1429年から1879年の450年間、琉球諸島を中心に存在した王国。当時、正式には琉球國(りゅうきゅうこく、沖縄方言:ルーチュークク)と称した。 最盛期には奄美群島と沖縄諸島及び先島諸島までを統治した。この範囲の島々の総称として、琉球列島(琉球弧)ともいう。王家の紋章は左三巴紋で「左御紋(ひだりごもん、フィジャイグムン)」と呼ばれた。 勢力圏は小さな離島の集合で、総人口17万に満たない小さな王国ではあったが、隣接する大国明・清の海禁や日本の鎖国政策の間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たした。その交易範囲は東南アジアまで広がり、特にマラッカ王国との深い結び付きが知られる。 外交的に貿易上の理由から、明及びその領土を継承した清の冊封を受けていたが、1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入った。ただし対外的には独立した王国として存在し、中国大陸、日本の文化の影響を受けつつ、交易で流入する南方文化の影響も受けた独自の文化を築き上げた。.
琉球藩
琉球藩の印 琉球藩(りゅうきゅうはん)は、明治初期に現在の沖縄県を治めた藩。藩庁は首里城(沖縄県那覇市首里)。藩王は第二尚氏。.
磐城国
城国の位置 磐城国(いわきのくに)は、戊辰戦争終結直後の1869年1月19日(明治元年旧暦12月7日)に、陸奥国が分割されて設立された、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。別称は磐州(ばんしゅう)。領域は、現在の福島県浜通り、福島県中通り南部、宮城県南部に当たる。.
神奈川県
奈川県(かながわけん)は、日本の県の一つ。関東地方の南西端、東京都の南に位置する。県庁所在地は横浜市。県名は東海道筋に古くから栄えた宿場町神奈川宿(現・横浜市神奈川区)、および幕末に戸部町(現・横浜市西区紅葉ヶ丘)に置かれた神奈川奉行所に由来する。これら「神奈川」の由来は、京急仲木戸駅近くに流れていた長さ300メートル (m) ほどの小川の名前からで、現在は道路になっている。 都道府県別の人口は東京都に次ぐ第2位、人口密度は東京都、大阪府に次ぐ第3位である。県内総生産も東京都、大阪府、愛知県に次ぐ第4位となっている。県内の政令指定都市数は3つと日本最多で、面積は第43位の規模である(平成19年度面積)、国土地理院。。.
福岡県
福岡県(ふくおかけん)は、日本の九州地方北部にある県。県庁所在地は福岡市。2017年現在の人口は約511万人で、全国の都道府県中9位である。.
福島県
福島県(ふくしまけん)は、日本の都道府県の一つ。県庁所在地は福島市。 東北地方の南部(南東北)に位置し、東北で宮城県に次ぐ2番目の人口と県内総生産を擁する。面積は北海道、岩手県に次ぐ全国3位、都道府県別の人口は全国21位、人口密度は全国40位である(いずれも2015年10月1日時点の国勢調査および全国都道府県市区町村別面積調による)。 市町村別では概ね、日本海側に面積の4割弱と人口の15%弱が、太平洋側に面積の6割強と人口の85%以上が分布する。.
福井県
福井県(ふくいけん)は、日本海や若狭湾に面する日本の県。県庁所在地は福井市である。.
科野国造
科野国造(しなののくにのみやつこ・しなのこくぞう)は、信濃国を支配した国造。.
秋田県
秋田県(あきたけん)は、日本の東北地方の県の一つで日本海に面する。県庁所在地は秋田市である。.
穂国造
国造(ほのくにのみやつこ・ほのこくぞう)は、古墳時代に宝飯郡に置かれ東三河一帯を支配したヤマト政権の地方官(国造)である。ただしその実態に定説はない。この「国」は令制以前の国造国を指し、後の令制国とは異なる。.
筑後国
筑後国(ちくごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。7世紀末までに成立した。.
筑前国
筑前国(ちくぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.
筑紫国
筑紫国(つくしのくに)は、のちの令制国での筑前国と筑後国にあたり、現在の行政区分では、福岡県のうち東部(豊前国の一部だった部分)を除いた大部分にあたる地域に大化の改新・律令制成立以前の日本古代にあった国である。 本項では、この筑紫国を支配した国造である筑紫国造についても併せて解説する。.
筑豊
筑豊(ちくほう)は、福岡県の4地域(福岡地方・北九州地方・筑後地方・筑豊地方)の一つで、その内陸部(中央部)をさす地域名である。広義では遠賀郡・京築地域を含む場合がある。.
筑波国造
筑波国造(つくばのくにのみやつこ・つくばこくぞう)は常陸国南部を支配した国造。.
箱館戦争
永嶌孟斎画 箱館戦争(はこだてせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、戊辰戦争の局面のひとつで、新政府軍と旧幕府軍との最後の戦闘である。旧幕府軍の蝦夷地での根拠地から五稜郭の戦いとも呼ばれる。この戦いの最中に干支が戊辰から己巳に替わったことから、己巳の役(きしのえき)と呼ばれることもある。.
粟国造
粟国造(あわのくにのみやつこ・あわこくぞう)は、後の令制国の阿波国北部、現在の徳島県北部を支配した国造。 『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、応神天皇の御世に、高皇産霊尊の9世孫の千波足尼を国造に定められたとされる。 「粟」の名は、アワを多く産したことに因むという。現在の徳島県は山地が多く、地形による制約を受ける初期の農耕生産は、畑作に重点を置いたものであったためともされる。徳島県名西郡石井町にある中王子神社には阿波国造墓碑があり、国造氏族は粟凡直氏とされる。一般に凡直姓の国造は直姓の国造より広い地域を支配し、令制国に継承される規模を有していたとされ、律令制直前の粟国造の領域は令制国の「粟国(阿波国)」にそのまま継承された地域を版図としていたともみられている。.
紀伊国
紀伊国(きいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.
紀伊国造
紀伊国造(きのくにのみやつこ、きいこくそう)は、紀伊国(現在の和歌山県)を古代に支配した豪族、紀氏の長の流れをくむ氏で、古代には代々紀伊国の国造職とともに日前神宮・國懸神宮の祭祀を受け継ぎ、律令制施行により国造制が廃された後も同神宮の宮司として「国造」を称した。.
総国
総国(ふさのくに、捄国)は、上古の坂東の国。現在の千葉県を主たる地域とし、茨城県や東京都の一部にわたる律令制以前の旧国名。.
美作国
美作国(みまさかのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.
美濃国
美濃国(みののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.
群馬県
群馬県(ぐんまけん)は、日本の都道府県の一つ。関東地方の北西部に位置する。県庁所在地は前橋市。 米麦栽培・養蚕・繊維工業などの伝統産業に加え、畜産・野菜栽培・機械工業が盛んで、県北西部は温泉・保養地であるとともに、利根川上流ダム群による電力・上水道供給地となっている。県南東部は都市化が進み、首都圏整備法の都市開発区域に指定され、工業地域を形成している。.
羽後国
羽後国(うごのくに)は、東北戦争終結直後に出羽国を分割し制定された、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。別称は羽前国とあわせて、または単独で羽州(うしゅう)。領域は秋田県のうち鹿角市と小坂町を除いた大部分と、山形県の飽海郡、同じく山形県の酒田市の最上川以北部分にあたる。.
羽前国
羽前国(うぜんのくに)は、東北戦争終結直後に出羽国を分割し制定された、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。別称は羽後国とあわせて、または単独で羽州(うしゅう)。領域は現在の山形県のうち、飽海郡と酒田市北部(最上川以北)を除いた大部分にあたる。.
県主
主(あがたぬし)は、律令制が導入される以前のヤマト王権の職種・姓(かばね)の一つである。.
疫病
疫病とは、集団発生する伝染病・流行のこと。.
甲斐国
斐国(かいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
甲斐国造
斐国造(かいのくにのみやつこ・かいこくぞう)は、甲斐国を支配した国造。氏神は不明。.
熊野国造
野国造(くまののくにのみやつこ、くまのこくそう)とは、熊野国(紀伊国牟婁郡、現在の和歌山県南部と三重県南部)を古代に支配した国造。饒速日命の後裔で、物部氏や穂積氏とは同祖とされる。は初め熊野直、後に熊野連。 「和田氏系図」によると、子孫の一部は和田氏を称したという。.
熊本県
本県(くまもとけん)は、九州地方の中央に位置する県。 県庁所在地は熊本市(政令指定都市)。令制国の肥後国に当たる。有明海、不知火海、東シナ海に面していて、また日本第2位の阿蘇カルデラを持つ阿蘇山が知られる。.
番付
付表 番付(ばんづけ)は大相撲における力士の順位表。正式には「番付表」という。ここから転じてその他さまざまなものの順位付けの意味でも用いられる(長者番付など)。格下のものが上位のものを倒す「番狂わせ」などの言葉はここから発している。すでに江戸時代にはこの形式を借りて、古典園芸植物の品種や各地の名所、温泉、三味線演奏家、遊女、本拳(数拳/崎陽拳/豁拳)や藤八拳(東八拳)といった拳遊び、落語・講談などの寄席芸人や歌舞伎役者など、ありとあらゆるものをランク付けし、それを番付表として出版することが盛んに行われた。これら相撲以外の様々なものを番付にしたものは「見立て番付」「変わり番付」などと呼ばれる。.
畿内
畿内(きない、きだい、うちつくに)とは、.
牟義都国造
牟義都国造(むげつのくにのみやつこ・むげつこくぞう)は美濃国北中部を支配した国造。牟宜都国造・身毛津国造などとも。.
直島諸島
島諸島(なおしましょとう)は、瀬戸内海(東備讃瀬戸)の備讃諸島に属する島嶼群で、井島の一部を除いて香川県香川郡直島町の区域に属する。所属する27の島嶼のうち有人島は5島(直島、向島、家島、牛ケ首島、屏風島)、無人島は22島で、その中心となる直島は同県高松市の北約13km、岡山県玉野市の南約2kmに位置する。 江戸時代は男木島、女木島と合わせて「直島3島」と総称され、郡に相当する広域単位としての「小豆島」に属していたが、明治5年(1872年)に分離されて香川郡へ編入された。 主な産業は漁業と観光と直島の金属精錬。近年は直島を中心にリゾートと近代美術で有名になり、2010年にはいくつかの島が瀬戸内国際芸術祭の舞台となった。.
相模国
模国(さがみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
相武国造
武国造(さがむのくにのみやつこ・さがむこくぞう)は、相模国東部を支配した国造。武相国造と表記される場合もある。.
白河国造
白河国造(しらかわのくにのみやつこ)は令制国での陸奥国白河郡(しらかわのこおり)(現福島県白河市、西白河郡、東白川郡及び石川郡)辺りにあった白河国を支配した国造。 『先代旧事本紀』の巻10『国造本紀』によれば、成務天皇の時代、天降天由都彦命11世孫である鹽伊乃己自直 (しほいのこじのあたい)を国造に定めたことに始まるとされる。 天降天由都彦命(あまくだるあまのゆつひこのみこと)は阿岐国造の祖とされる天湯津彦命と同じとされ、東山道系の国造では、信夫国造、染羽国造、伊久国造、思国造が同祖となる。 律令制下に入って、養老2年(718年)から養老6年(722年)または神亀元年(724年)3月にかけての短期間であるが陸奥国から石背国へ分割された経緯を持つ当地には、ヤマト王権の及ぶ北限の地として蝦夷を防ぐ白河の関があったとされ、大和朝廷の北進を代表する多賀城築城後はそこを守備した白河団の根拠地となった。.
隠岐国
岐国(おきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.
隠岐諸島
島前 隠岐諸島(おきしょとう)は、島根半島の北方約50kmにある諸島。隠岐群島(おきぐんとう)、隠岐島(おきのしま)とも呼ばれる。現在は島根県隠岐郡に所属。山陰地方では今でも隠岐諸島を指して隠岐国(おきのくに)と呼ぶ場合がある。 当諸島は、島前(どうぜん)と島後(どうご)に分かれている。.
芳野監
芳野監(よしののげん)は、8世紀の日本で吉野地方に設けられた特別な地方行政区分、機関である。畿内に含まれる。領域は現在の奈良県南部にあたる。.
鎌倉時代
伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).
遠国
遠国(おんごく、えんごく)とは、律令国の等級区分の一つである。 古代日本の律令制の下において、地方行政区画の一環として、畿内からの距離によって国を分けた。その結果、「遠い位置にある国」が遠国とされた。「近国」「中国」「遠国」の3分類の中で最も数が多い。.
遠江国
遠江国(とおとうみのくに/とほたふみのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。東海道に属する。.
遠淡海国造
遠淡海国造(とおつおうみのくにみやつこ・とおつおうみこくぞう)は遠江国西部を支配した国造。遠江国造とも。.
遷都
遷都(せんと)は、都(みやこ)を他所へうつす(遷す)こと広辞苑 第五版。、都を替えることを意味する漢字文化圏の語。日本語では古くは都遷り大辞林 第三版。/都移り(みやこうつり)とも言った。反対に、かつて都であった場所に都を戻す(還す)ことは還都(かんと)と言い(cf. #還都の一覧)、日本語では古くは都還り(みやこがえり)とも言った。ただし、日本語に限っては、還都は遷都と同義で用いられることもある。現代では、首都機能の全部もしくは重要な一部を他に遷すことを指して首都機能移転という語も用いられる(後述)。.
聖武天皇
聖武天皇(しょうむ てんのう、大宝元年(701年) - 天平勝宝8歳5月2日(756年6月4日)、在位:神亀元年2月4日(724年3月3日) - 天平勝宝元年7月2日(749年8月19日))は、日本(奈良時代)の第45代天皇。即位前の名は首皇子(おびとのみこ)。 尊号(諡号)を天璽国押開豊桜彦天皇(あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみこと)、勝宝感神聖武皇帝(しょうほうかんじんしょうむこうてい)、沙弥勝満(しゃみしょうまん)とも言う。文武天皇の第一皇子。母は藤原不比等の娘・宮子。.
道口岐閉国造
道口岐閉国造(みちのくちのきへのくにみやつこ・みちのくちのきへこくぞう)は、古代に常陸国北端を支配した国造。道前岐閉(みちのくちのきへ)国造とも書く。.
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道奥菊多国造
道奥菊多国造(みちのおくのきくたのくにのみやつこ)は、令制国での陸奥国菊多郡(きくたのこおり)(後の福島県菊田郡(旧勿来市、現いわき市南部)にあった菊多国を支配した国造。 『先代旧事本紀』の巻10『国造本紀』によれば、応神天皇の時代、茨城国造の祖・建許侶命の子である屋主刀禰 (やぬしのとね)を国造に定めたことに始まるとされる。後に多珂国(助川から熊川まで)の一角に加わった。 律令制が敷かれた時、当初は常陸国に編入され、その北限が「苦麻」こと熊川とされたが、後に陸奥国へ編入された。この経緯を持つ当地は、大和朝廷の北進が始まるまでヤマト王権の及ぶ北限の地として蝦夷と対峙し、勿来関に先立つ菊多関があったとされる。.
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菊麻国造
菊麻国造(きくまのくにのみやつこ)は現在の市原市北部から千葉市南部の村田川流域を支配していた国造。支配領域は菊麻国と呼ばれる。.
青森県
青森県(あおもりけん)は、日本の本州最北端に位置する県。県庁所在地は青森市である。県の人口は全国31位、面積は全国8位。令制国の陸奥国(むつのくに、りくおうのくに)で構成されている。.
静岡県
静岡県(しずおかけん)は、太平洋に面する日本の県の一つ。県庁所在地は静岡市。中部地方及び東海地方に含まれる。2017年(平成29年)現在、県の人口は約367万人であり都道府県別で第10位である。.
須恵国造
恵国造(すえのくにのみやつこ)は現在の千葉県小糸川流域にあった須恵国(後の上総国周淮郡)を支配した国造。周淮国造と表記されることもある。.
額田国造
額田国造(ぬかたのくにみやつこ・ぬかたこくぞう)は美濃国西部(または近江国東部)を支配した国造。.
行政区画
行政区画(ぎょうせいくかく)とは、国家が円滑な国家機能を執行するために領土を細分化した区画のこと。行政区分(ぎょうせいくぶん)、行政区域(ぎょうせいくいき)ともいう。それらの行政区画を施政・統治する機構を行政単位という。 通常、複数の行政区画が集まり、より上級の行政区画を形成する。また、ある行政区画Aが上級の行政区画Bに所属するとき、AがBと同級の行政区画CやDに所属することもない。 国土の面積、人口の分布、政体のあり方などにより各国の制度が異なり、それぞれ行政区画の名称、等級、構造、数も異なる。モナコやナウルなどの小国のように、行政区画が存在しない国もある。.
風土記
土記(ふどき)とは、一般には地方の歴史や文物を記した地誌のことをさすが、狭義には、日本の奈良時代に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、天皇に献上させた報告書をさす。正式名称ではなく、ほかの風土記と区別して「古風土記」ともいう。律令制度の各国別で記されたと考えられ、幾つかが写本として残されている。.
風速国造
速国造(かざはやのくにのみやつこ・かざはやこくぞう)は、後の令制国の伊予国中部、現在の愛媛県中部を支配した国造。 『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、応神天皇の御世に、物部連の先祖の伊香色男命の4世孫の阿佐利を国造に定められたとされる。 風速国造は、のちの風早郡すなわち温泉郡の北部一帯を統治し、その子孫はこの地区に繁栄し豪族化するに至った。愛媛県松山市八反地にある国津比古命神社は、初代国造の物部阿佐利が創建したと伝えられる延喜式内社で、風早氏や物部氏の氏神として崇拝も厚かったという。.
飛騨国
飛騨国(ひだのくに、)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.
馬来田国造
来田国造(うまくたのくにのみやつこ、まくたのくにのみやつこ、うまくたこくぞう、まくたこくぞう)は、上総国中西部を支配した国造。.
香川県
香川県(かがわけん)は、瀬戸内海に面し四国の北東部に位置する日本の県の一つ。令制国の讃岐国に当たる。県庁所在地は高松市。県名は旧讃岐国のほぼ中央に存在し、かつて高松が属していた古代以来の郡である香川郡から採られた。面積が全国一小さい県だが、災害が少なくコンパクトな中に都市の利便性と豊かな自然が調和した生活環境を併せ持つ特徴を有するかがわ暮らしガイドブック(香川県発行)。.
駿河国
駿河国(するがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
角鹿国造
角鹿国造(つぬがのくにのみやつこ、つぬがこくそう、つのがこくそう)は越前国旧敦賀郡(現在の福井県敦賀市、越前町、南越前町近辺)を支配した国造。現在も社家として存続している。.
詔
詔(みことのり)は、天皇の命令、またその命令を直接に伝える文書。御言宣、大御言。首都を移す「東京奠都の詔」などがその例である。これを文書にしたものを詔書(しょうしょ)(英:Imperial Rescript)と言う。主に、広く一般に天皇の意思を伝えるために用いられた。言葉としては秦の始皇帝が初めて造った。おおみせ、おおみこと、とも言う。.
評
評(こおり、ひょう)とは、古代朝鮮および古代日本での行政区域の単位。 『日本書紀』は「大化の改新」の時に「郡」が成立したと記すが、「郡」という用語が用いられるのは、大宝律令制定以降であり、それ以前は「評」を使っていた文書(木簡類)が見つかっている。.
諏方国
諏方国(すわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に位置する。諏訪国とも表記。領域は現在の長野県西部にあたるが、短期間しか存続しなかった。.
高国造
国造(たかのくにみやつこ・たかこくぞう)は、常陸国北部を支配した国造。多珂国造とも。.
高知県
知県(こうちけん)は、日本の県の一つ。四国の太平洋側に位置する。県庁所在地は高知市。.
讃岐うどん
かけうどんと稲荷寿司(観音寺市)。 讃岐うどん(さぬきうどん)は、香川県の特産うどんである。.
讃岐国
讃岐国(さぬきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.
讃岐国造
讃岐国造(さぬきのくにのみやつこ・さぬきこくぞう)は、後の令制国の讃岐国、現在の香川県を支配した国造。 『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、応神天皇の御世に、景行天皇の子の神櫛王の3世孫の須賣保禮命を国造に定められたとされる。 『続日本後紀』延暦10年9月18日条に凡直千継の改姓申請が記されている。これには、凡直氏の祖先は星直氏といい、敏達天皇期に国造として「紗抜大押直」の姓を賜ったが、庚午年籍で「大押」を改め「凡直」となり、奈良時代には「讃岐直」や「凡直」となったとし、申請者の千継らは先祖の業により「讃岐公」への改姓が許可されたとある。 のちに讃岐永直を輩出する。.
豊後国
豊後国(ぶんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.
豊後国風土記
『豊後国風土記』(ぶんごのくにふどき)は、奈良時代初期に編纂された豊後国(ほぼ現在の大分県に相当)の風土記である。現存する5つの風土記のうちのひとつ。.
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豊前国
豊前国(ぶぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.
豊国
豊国(とよのくに)は、かつて日本にあった律令制以前の国の一つ。『国造本紀』によれば、成務朝に伊甚国造と同祖の宇那足尼が豊国造に任じられたとされる。.
豪族
豪族(ごうぞく)とは、国家や諸侯などの広域政権の領域の内部に存在し、ある地方において多くの土地や財産や私兵を持ち一定の地域的支配権を持つ一族のこと。地域的支配権の源泉は自分自身の所有する財産や武力であり、広域政権の権威を権力の源泉とする地方官は豪族とは呼ばれない。ただし地方官と豪族は排他的なカテゴリーではなく、同一人物が双方を兼ねたり、カテゴリー間を移行したりするケースは多くある。広域政権側が政権安定のために豪族層の政権内への取り込みを行ったり、逆に広域政権の支配力が弱まると地方官が豪族化することがあるからである。.
鳥取県
鳥取県(とっとりけん)は、日本の県の一つである。中国地方の日本海側、いわゆる山陰地方の東側を占め、東は兵庫県、西は島根県、南は中国山地を挟んで岡山県・広島県に隣接し、西日本または中国地方有数の豪雪地帯でもある。また鳥取県は全国47都道府県中面積は7番目に小さく、人口は最も少ない。市の数も最も少なく、4市である。県庁所在地は県東部の鳥取市である。.
越境合併
越境合併(えっきょうがっぺい)とは市町村合併の内、都道府県の境界にわたる市町村の合併で越県合併または県境合併ともいう。.
越中国
越中国(えっちゅうのくに)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。北陸道に属する。現在の富山県にあたる地域である。.
越後国
越後国(えちごのくに)は、かつて日本の行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.
越前国
越前国(えちぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.
越国
越国(こしのくに)は、現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域の、大化の改新以前の日本古代における呼称である。その後、7世紀に設けられた地方行政区分としての「国」に引き継がれた。当時は高志国と書かれ、越国は8世紀以降の書き方である。のちに令制国への移行に際して分割され、越後国・越中国・能登国・加賀国・越前国となった。越州(えっしゅう)・三越(さんえつ)などの地域名称の語源である。.
鹿児島県
鹿児島県(かごしまけん)は、九州地方南部に位置する日本の都道府県。九州島の南側には離島(薩南諸島)が点在する。九州島の部分は県本土と表現され、2つの半島(薩摩半島・大隅半島)を有する。南北の距離は600km、海岸線は2,722kmに及ぶ。県庁所在地は鹿児島市。 世界遺産の屋久島や種子島宇宙センター、霧島山、桜島などがあり、自然・文化・観光・産業などの面において、豊富な資源を有している。.
近代以前の日本の人口統計
近代以前の日本の人口統計は、先史時代、古代、中世の日本の人口調査および推定人口をまとめたものである。.
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近国
近国(きんごく)とは、律令国の等級区分の一つである。 律令制のもとで国家体制を整えていた古代の日本において、地方行政区画の一環として、畿内からの距離によって国を分けた。その結果、「近い位置にある国」が近国とされた(畿内の国は分類されない)。.
近江国
近江国(おうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.
茨城国造
茨城国造(いばらきのくにのみやつこ・いばらきこくぞう)は常陸国中部を支配した国造。茨木国造とも。.
茨城県
茨城県(いばらきけん)は、日本の県の一つ。関東地方の北東に位置し、東は太平洋に面する。県庁所在地は水戸市。都道府県人口は全国11位、面積は全国24位である。.
郡
郡(ぐん)は、行政区画の一種。中国・日本・朝鮮などの漢字文化圏に導入されたものである。 なお、欧米などの行政区画の一部を日本語に翻訳するときに、訳語としてこの語を当てることがある(カウンティも参照)。.
郷
郷(ごう、きょう、さと)とは田舎または里を意味し、地方行政の単位(村の集合体)である。.
郷里制
郷里制(ごうりせい/きょうりせい)は、中国で成立した地方行政制度のことである。.
都佐国造
都佐国造(とさのくにのみやつこ・とさこくぞう)は、後の令制国の土佐国東部、現在の高知県東部を支配した国造。 『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、成務天皇の御世に、長阿比古と同祖の三島溝杭命の9世孫の小立足尼を国造に定められたとされる。 長阿比古は事代主の子孫を称しており、小立足尼の後裔の都佐国造も事代主命系の豪族とされ、その氏姓は凡直を称したという。その他、『続日本紀』神護景雲2年(768年)十一月戊子条で賀茂姓を賜った神依田公も当地の豪族であり土佐高賀茂大社が存在したとされ、式内社都佐坐神社に比定される。 名称については、建依別の示す剛健勇武さに由来する「敏聡」の約語によると見る説、遠狭・土狭・処離といった地勢に基づくとする説などがある。.
能登国
能登国(のとのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.
都道府県
都道府県(とどうふけん)は、日本の広域普通地方公共団体である「都」、「道」、「府」、「県」の総称である。現在では、都が東京都の1、道が北海道の1、府が京都府および大阪府の2、県が43で、「1都1道2府43県」、総数は「47都道府県」である。市町村とともに普通地方公共団体(ふつうちほうこうきょうだんたい)の一種で、包括的地方公共団体(ほうかつてきちほうこうきょうだんたい)、広域的地方公共団体(こういきてきちほうこうきょうだんたい)ともいう。.
郵便
郵便(ゆうびん)とは、郵便物を送達する(送り届ける)制度のことである。また、郵便物のこと。 250px日本の郵便配達の様子.
阿尺国造
阿尺国造(あさかのくにのみやつこ)は東辺を阿武隈川が流れる安積平野、令制国での陸奥国安積郡(あさかのこおり)(現福島県郡山市(旧安積郡を包含))に相当する地域にあった阿尺国を支配した国造。 『先代旧事本紀』の巻10『国造本紀』によれば、成務天皇の時代、阿岐国造と同祖の天湯津彦命(あまのゆつひこのみこと)の10世の孫である比止禰命(ひとねのみこと)を国造に定めたとある。 天湯津彦命を同じ祖をとする東山道系の国造に、染羽国造、伊久国造、思国造がいる。また、天降天由都彦命(あまくだるあまのゆつひこのみこと)も同一とする説によれば、白河国造も同祖となる。 律令制下に入って、養老2年(718年)から養老6年(722年)または神亀元年(724年)3月にかけての短期間であるが陸奥国から石背国へ分割された経緯を持つ阿尺国は、大和朝廷の北進を代表する多賀城築城までは、蝦夷と対峙するヤマト王権の北限の地域にあり、多賀城築城後は守備兵となった古代の軍団「安積団」の本拠地になったと推定されている。.
阿波国
阿波国(あわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.
阿波国造
阿波国造(あわのくにのみやつこ、あわこくぞう)は、のちに安房国西部となる地域(阿波国)を支配した国造である。.
薩摩国
薩摩国(さつまのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.
薩摩焼
薩摩焼(さつまやき)は、鹿児島県内で焼かれる陶磁器。竪野系、龍門司系、苗代川系がある。主な窯場は姶良市の龍門司窯、日置市(旧東市来町)の苗代川窯、鹿児島市の長太郎窯など。「白もん」と呼ばれる豪華絢爛な色絵錦手の陶器と「黒もん」と呼ばれる大衆向けの雑器に分かれる。初期の薩摩焼においては豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際に同行してきた朝鮮人が島津義弘の保護の下に発展させた。2002年(平成14年)1月に国の伝統的工芸品に指定された。 ぢょか.
薩摩藩
薩摩藩庁が置かれた鹿児島城 薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代に薩摩・大隅の2か国及び日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩。現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部を領有したほか、間接的に沖縄県の大部分を服属させた。.
藤原京
藤原京条坊(拡大してご覧ください) 列柱は実際位置から南30メートルで標示。奥に大極殿跡(樹叢)。 藤原京(ふじわらきょう)は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にあった飛鳥時代の都城。日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもある。平城京に遷都されるまでの日本の首都とされた。 『日本書紀』には新益京持統天皇6年正月12日(692年2月4日)条。読みを「あらましのみやこ」「あらましきょう」「しんやくのみやこ」「しんやくきょう」などとしている。と著されている。藤原京の名は、宮が同じく『日本書紀』で藤原宮と呼ばれていることから飛鳥京と同様に近世になって名づけた学術用語である。本項ではこの藤原宮についても述べる。.
藩
藩(はん)は、諸侯が治める領地、およびその統治組織のことである。.
闘鶏国造
鶏国造(つげのくにのみやつこ・つげこくぞう)は大和国北東部を支配した国造。都祁国造・都下国造とも。.
葛城国造
葛城国造(かずらきのくにのみやつこ・かずらきこくぞう・かつらぎのくにのみやつこ・かつらぎこくぞう)は大和国南西部を支配した国造。葛木国造とも言う。.
那須国造
那須国造(なすのくにのみやつこ、なすこくぞう)は、のちに下野国北東部となる地域を支配した国造である。.
肥後国
肥後国(ひごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.
肥前国
肥前国(ひぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.
肥前国風土記
『肥前国風土記』(ひぜんのくにふどき)は、奈良時代初期に編纂された肥前国(現在の佐賀県・長崎県)の風土記である。現存する5つの風土記のうちの1つ。.
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長崎県
長崎県(ながさきけん)は、日本の九州地方北西端に位置する県である。県庁所在地は長崎市。 五島列島、壱岐島、対馬など、数多くの島嶼を含み、47都道府県中最も島が多いことで知られる。また、多島であるうえにリアス式海岸を多く擁することから、海岸線の長さは47都道府県中第2位もしくは第1位である(※「地形」節にて詳説)。.
長国造
長国造(ながのくにのみやつこ・ながこくぞう)は、後の令制国の阿波国南部、現在の徳島県南部を支配した国造。 『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、成務天皇の御世に、観松彦伊呂止命の9世孫の韓背足尼を国造に定められたとされる。 長国造の領域は、那賀川流域を中心とする、現在の徳島市、小松島市、阿南市、勝浦郡、那賀郡、海部郡にわたる地域とされ、国造氏族は長直氏とされる。だが、一般に直姓の国造は凡直姓の国造より支配地域は狭かったたとみられており、長直氏の姓が直であることから粟国造である粟凡直氏より下に置かれたともされる。このため、律令制直前には粟国造の領域に併合されていたとも考えられている。.
長狭国造
長狭国造(ながさのくにのみやつこ、ながさこくぞう)は、のちに安房国東部となる地域(長狭国)を支配した国造である。 『先代旧事本紀』巻10の「国造本紀」には全国の国造の設置時期と任命された者らの記録があるが、この長狭国造に関する記載はなく、この国造の存在は、『古事記』神武天皇段の記載より確認される。.
長門国
長門国(ながとのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.
長門本山駅
夜の長門本山駅ホーム。左の建物は待合室で、右の建物はトイレ(2007年1月) 終端側から見た駅構内(2007年8月) 長門本山駅(ながともとやまえき)は、山口県山陽小野田市大字小野田字三の奈良原332番にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)小野田線支線(通称:本山支線)の駅。同支線の終着駅である。 列車は朝と夕方しか発着がないが、2002年(平成14年)3月22日までは22時台まで列車が設定されていた。.
長野県
長野県空撮画像。長野盆地、富士山、浅間山、日本アルプスなどを望む。 長野県の地形図 長野県(ながのけん)は、本州内陸部に位置する日本の県の一つ。令制国名の信濃国に因み「信州」とも呼ばれている。海に面していないいわゆる内陸県であり、大規模な山岳地があるため可住地面積率は小さい。県庁所在地は長野市。善光寺の門前町として発展し第18回冬季オリンピックの開催地となった自治体でもある。.
若狭国
若狭国(わかさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.
英語
アメリカ英語とイギリス英語は特徴がある 英語(えいご、)は、イ・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属し、イギリス・イングランド地方を発祥とする言語である。.
陸奥国
奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。 明治維新後、出羽国とともに分割された後の陸奥国については、陸奥国 (1869-)を参照。.
陸奥国 (1869-)
旧陸奥:従前の陸奥国(むつのくに)の範囲 陸奥国(りくおうのくに(岩手大学教育学部)、むつのくに)は、東北戦争終結直後に従前の陸奥国(むつのくに)から分立した、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。領域は現在の青森県および岩手県二戸郡にあたる。現代仮名遣いの「りくおうのくに」は、歴史的仮名遣いでは「りくあうのくに」となる(発音同じ)。 陸奥国は、7世紀に設置された地方区分としての令制国の1つであり、その範囲は変遷してきたが、分割直前は現在の福島県・宮城県・岩手県・青森県および秋田県鹿角郡にあたる。.
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陸中国
中国(りくちゅうのくに)は、東北戦争終結直後に陸奥国から分立した、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。領域はほぼ現在の岩手県にあたるが、岩手県南東部の気仙郡、陸前高田市、大船渡市、釜石市南部及び岩手県西北の二戸郡を欠き、秋田県北東部の鹿角市と小坂町を含む。.
陸前国
前国(りくぜんのくに)は、東北戦争終結直後に陸奥国から分立した、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。領域はほぼ現在の宮城県にあたるが、宮城県南部の亘理郡、伊具郡、刈田郡、角田市、白石市を欠き、岩手県南東部の気仙郡、陸前高田市、大船渡市、釜石市南部を含む。.
東山道
東山道(とうさんどう)は、五畿七道の一つ。本州内陸部を近江国から陸奥国に貫く行政区分、および同所を通る古代から中世にかけての幹線道路を指す。.
東京都
東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.
東国
関東地方 東国(とうごく、あづまのくに)とは、近代以前の日本における地理概念の一つ。東国とは主に、関東地方(坂東と呼ばれた)や、東海地方、即ち今の静岡県から関東平野一帯と甲信地方を指した。実際、奈良時代の防人を出す諸国は東国からと決められており、万葉集の東歌や防人歌は、この地域の物である。尚、東北地方は蝦夷(えみし)や陸奥(みちのく)と呼ばれていた。.
東海道
東海道(とうかいどう、うみつみち)は、五畿七道の一つ。本州太平洋側の中部の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から近世)を指す。.
栃木県
栃木県(とちぎけん)は、日本の都道府県の一つ。関東地方北部に位置する。県庁所在地は宇都宮市。県内には日光国立公園が立地し、日光・那須などの観光地・リゾート地を有する。.
樺太庁
樺太庁(からふとちょう、Префектура Карафуто)は、日本の領有下において樺太を管轄した地方行政官庁である。 この場合、樺太とは樺太島の内、ポーツマス条約により日本へと編入された北緯50度以南の地域(いわゆる南樺太)及びその付属島嶼を指す。.
武社国造
武社国造(むさのくにのみやつこ・むさこくぞう)は、後の令制国の上総国武射郡、現在の千葉県山武市と山武郡芝山町および横芝光町付近を支配した国造横芝光町のうち栗山川東岸は、下海上国造の領域とされ、あるいは、小川台古墳群を物部匝瑳氏の奥都城とし、物部小事の建てた匝瑳郡の領域ともされる。。.
武蔵国
武蔵国(むさしのくに、)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。東山道のち東海道に属する。.
毛野
墳丘長210メートルで東日本最大の前方後円墳。墳丘長が200メートルを超す古墳は畿内・吉備・毛野に限られる。 毛野を含む古墳時代の主な勢力 毛野(けの/けぬ)は、日本の古墳時代の地域・文化圏の1つ。群馬県と栃木県南部を合わせた地域を指すとされる『世界大百科事典』(平凡社)毛野項。。.
江戸幕府
江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.
江戸時代
江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.
河内国
河内国(かわちのくに/かはちのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.
河内国司
河内国司(かわちこくし)は河内国の国司で、大国であるため、養老律令の職員令にて守・介・大掾・少掾・大目・少目の各1名が定員とされたが、それぞれの権官が置かれることもあった。官位相当は守(従五位上)、介(正六位下)、大掾(正七位下)、少掾(従七位上)、大目(従八位上)、少目(従八位下)。このほか、官位相当外の下級官人として史生3名が定められた。 河内国は藤原京、平城京、長岡京、平安京などの各時代の都の隣国という位置にあり、都と海を繋ぐ要衝の地であったために重要視され、都に近いことから権力の中枢にある権力者の与党が任命されたり兼務することが多かった。.
沼島
諭鶴羽山から見る沼島 沼島(ぬしま)は、淡路島の南4.6km、紀伊水道北西部に浮かぶ島。兵庫県南あわじ市に属する。面積2.71km2、周囲9.53km、 最高地点は117.2m。瀬戸内海国立公園の一部。人口473人(2017年4月末現在)。本項ではかつて同区域に所在した三原郡沼島村(ぬしまむら)についても述べる。.
沼田国造
沼田国造(ぬたのくにのみやつこ)は、古代には、現在の広島県三原市の沼田川(ぬたがわ)周辺地域を支配していた。だが、律令制が徐々に及び、中世になると、この地域は西園寺家の荘園沼田荘(ぬたのしょう)となった。荘の下司は楽音寺縁起絵巻由来の在豪族の沼田氏(藤原倫実?)であった。その後、西園寺家は力を失い、戦国時代には土肥実平が地頭職となり、以降小早川氏の支配下に置かれたが、その間、飽速玉命から始まった沼田国造家である筑紫家は、現在の三原市沼田東町本市にある沼田神社(旧渟田宮)の社家として存続し戦後まで続いた。尚、明治12年の届出記録よるとこの他沼田東町片島にある小方島神社、沼田東町七宝にある七宝厳島神社、亀山神社他の沼田東にある全ての神社も祠官されていた。筑紫家所蔵の旧記によると「寛永2年(1625年)大宮司国造宮内太夫藤原直正書之」とある。筑紫家の墓地は沼田東町七宝の亀山などに残されている。最後の当主は神話学者の筑紫申真。なお、筑紫の読みは「つくし」であり、九州発祥の筑紫(ちくし)氏とは無関係である。 ただし、国造が列記される「国造本紀」(『先代旧事本紀』第10巻)を初めとして、史料に「沼田国造」の記載はない。「国造本紀」には、沼田川を含む安芸地域(のちの安芸国)全体で「阿岐国造」の記載がある。これに関して『三原市史』では、「国造本紀」が全国の国造を網羅したものでないとする説を基に、沼田川流域に国造があった可能性を指摘している。.
沖縄県
沖縄県(おきなわけん)は、日本で最も西に位置する県。沖縄本島・宮古島・石垣島など多くの島々から構成される。県庁所在地は那覇市。.
沖縄県の歴史
沖縄県の歴史(おきなわけんのれきし)は、現在の沖縄県にあたる領域を中心とした歴史である。沖縄県となる以前の、先史時代、琉球王国時代、琉球藩時代もここで述べる。.
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波多国造
波多国造(はたのくにのみやつこ・はたこくぞう)は、後の令制国の土佐国西部、現在の高知県西部を支配した国造。 『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、崇神天皇の御世に、韓襲命を神の教えにより国造に定められたとされる。 波多国造は後の令制国の土佐国のうち幡多郡を支配したと考えられ、その中心地は、現在の四万十市(しまんとし)中村説と、宿毛市平田の平田曽我山古墳のある平田古墳群の地とする説がある。「国造本紀」に見える都佐国造は波多国造より後の設置とされ、また律令制以前の南海道は伊予から当地を経て都佐国造の地に至っており、土佐中央部よりも先進地帯であったといわれている。.
法務局
法務局(ほうむきょく、英語表記:Legal Affairs Bureau)とは、法務省の地方支分部局の一つ。法務省の事務のうち、登記・戸籍・国籍・供託・公証・司法書士及び土地家屋調査士、人権擁護、法律支援、国の争訟の事務を処理するための地方機関である。.
淡道国造
淡道国造(あわじのくにのみやつこ・あわじこくぞう)は、後の令制国の淡路国、現在の兵庫県の淡路島を支配した国造。 『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、仁徳天皇の御世に、神皇産霊尊の9世孫の矢口足尼を国造に定められたとされる。ただし、矢口足尼は伝承的なものであり、実際には『延喜式』神祇践祚大嘗祭の由加物条引導者として出てくる凡直氏が国造と考えられるが、歴史上の活躍はみられない。 淡路島は神代の国産みの神話で最初に生まれた島とされ、地名の由来は、『日本書紀』では伊弉諾命が島の誕生を不快として胞とし「淡路洲」と名付けたとあり、『釈日本紀』は、思いのほか小島だったため胞として児の数に入れず、深く恥じた故に「吾恥」としたと解している。『古事記伝』では、阿波へ渡る海原にある島だからとしている。また、淡路は古くからヤマト王権との結びつきが強く、伝承では食物を献ずる御食国であったとされる。.
淡路島
淡路島(あわじしま)は、瀬戸内海東部に位置し、瀬戸内海では最大の島で、人口は離島の中では最も多い。令制国の淡路国の主要国域を占める。近畿地方の兵庫県に属し、現在は北から淡路市・洲本市・南あわじ市の3市で区分される。.
淡路国
淡路国(あわじのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.
淡海国造
淡海国造(おうみのくにのみやつこ・おうみこくぞう)は近江国西部(琵琶湖西岸)を支配した国造。近淡海(ちかつおうみ)国造とも。.
滋賀県
こちら) 滋賀県(しがけん)は、琵琶湖を擁する日本国・近畿地方北東部の内陸県である。県庁所在地は大津市。.
木簡
木簡(もっかん)とは、古代の東アジアで墨で文字を書くために使われた、短冊状の細長い木の板である。紙の普及により廃れたが、荷札には長く用いられた。.
末羅国造
末羅国造(まつらのくにのみやつこ、まつらこくそう)とは、末羅国(現在の長崎県松浦、佐賀県唐津市、伊万里市、東松浦郡)を古代に支配した国造。穂積氏とは同祖の関係とされる。.
本巣国造
本巣国造(もとすのくにみやつこ・もとすこくぞう)は美濃国中西部を支配した国造。.
惣村
惣村(そうそん)は、中世日本における百姓の自治的・地縁的結合による共同組織(村落形態)を指す。惣(そう)ともいう。.
戊辰戦争
戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。 明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。 以下の日付は、断りのない限り旧暦でしるす。.
戦国大名
戦国大名(せんごくだいみょう)は、日本の戦国時代に数郡から数カ国規模の領域を一元的に支配した大名を指す。.
戦国時代 (日本)
日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.
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戸籍
戸籍(こせき)とは、戸と呼ばれる家族集団単位で国民を登録する目的で作成される公文書である。 かつては東アジアの広い地域で存在していた。21世紀の現在では中華人民共和国(事実上形骸化している)と日本と中華民国(台湾)のみに現存する制度である。.
明治
明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.
昭和
昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.
浜通り
浜通り(はまどおり)は、福島県の東部にあたり、西に阿武隈高地と東に太平洋に挟まれた太平洋側沿岸の地域である。 濃い緑の部分の右側が浜通り地区 福島県は奥羽山脈と阿武隈高地、その2つの山地によって会津と中通りと浜通りの3地域に区分されている。.
斐陀国造
斐陀国造(ひだのくにのみやつこ・ひだこくぞう)は飛騨国を支配した国造。斐太国造・飛騨国造とも。.
新治国造
新治国造(にいはりのくにのみやつこ/にいはりこくぞう)は常陸国西部を支配した国造。.
新潟県
新潟県(にいがたけん)は、日本の県の一つ。中部地方の日本海側に位置する。県庁所在地は新潟市。.
文部科学省検定済教科書
文部科学省検定済教科書(もんぶかがくしょう けんていずみきょうかしょ)とは、学校教育のうち、初等教育の課程、中等教育の課程(高等専門学校の課程を除く)に用いられる、文部科学大臣の検定を経た図書のことである。.
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无邪志国造
无邪志国造(むさしのくにのみやつこ、むさしこくぞう)はのちに武蔵国東部となる地域(无邪志国)を支配した国造である。 『先代旧事本紀』の「国造本紀」において无邪志国造条の次に胸刺国造条があるが、この2国造は同一のものであるとする説と別であるとする説がある。.
日向国
日向国(ひゅうがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.
日豊本線
日豊本線(にっぽうほんせん)は、福岡県北九州市小倉北区の小倉駅から大分駅、延岡駅、宮崎駅および都城駅を経由して、鹿児島県鹿児島市の鹿児島駅までを結ぶ九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線(幹線)である。.
日露戦争
日露戦争(にちろせんそう、Русско-японская война 、Russo-Japanese War、1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。講和の結果、ロシア領の南樺太は日本領となり樺太庁が設置され、ロシアの租借地があった関東州については日本が租借権を得て、関東都督府が設置されるなど日本の勝利で終わった。.
日本
日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.
日本統治時代の台湾
日本統治時代の台湾(にほんとうちじだいのたいわん)は、日清戦争の結果下関条約によって台湾が清朝(当時の中国)から日本に割譲された1895年(明治28年、光緒21年)4月17日から、第二次世界大戦の結果ポツダム宣言によって台湾が日本から中華民国に編入された1945年(昭和20年、民国34年)10月25日までの時代である。 台湾では、この時期を「日據」か「日治」と呼ばれるが、日本に占領されたか統治されたかと意味が少し違う。ただ、この「日據」「日治」表記は、違いがあまり意識されない場合もあり、民間の新聞記事などでは、1つの記事中で2つの単語が混在している時もある。.
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日本統治時代の朝鮮
日本統治時代の朝鮮(にほんとうちじだいのちょうせん)は、1910年8月29日の大日本帝国による韓国併合から、1945年9月9日の朝鮮総督府の降伏まで、35年間続いた。.
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日本書紀
日本書紀(平安時代の写本) 『日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体にて記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。.
旧国名
旧国名(きゅうこくめい)は、令制国(これに準じて取り扱われる国も含み得る)名を指す明治以降の呼称。.
早川庄八
早川 庄八(はやかわ しょうはち、1935年2月24日 - 1998年10月10日)は、日本の日本史学者。 東京出身.
摂津国
摂津国(せっつのくに、旧字体:攝津國)は、日本の令制国の一つ。畿内に属する。現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部にあたる。.
摂津本山駅
旧南口駅舎 ホーム 旧北口駅舎(2012年解体) 摂津本山駅(せっつもとやまえき)は、兵庫県神戸市東灘区岡本一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅である。駅番号はJR-A56。「JR神戸線」の愛称区間に含まれている。.
播磨国
播磨国(はりまのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。山陽道に属する。.
播磨国風土記
『播磨国風土記』(はりまのくにふどき)は、奈良時代初期に編纂された播磨国の風土記である。平安時代末期に書写された写本が国宝に指定されている。.
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支庁
支庁(しちょう)とは、都道府県知事の権限に属する事務を分掌させるため、必要な地に条例により設けられる都道府県の総合出先機関を言う(地方自治法155条)。また、その管轄地域自体を指す場合もある。同様の機関として地方事務所、支庁出張所が同条に挙げられている。なお、これら都道府県の出先機関である支庁や支庁出張所、地方事務所には議会や知事などはおかれず、旅券発給や納税証明書発行等の窓口業務など、管轄地域ごとに行った方が効率のよい一部の業務を担当している。.
愛媛県
愛媛県(えひめけん)は、日本の都道府県の一つで四国地方の北西部から北中部に位置する県。県庁所在地は松山市。令制国の伊予国に当たる。.
愛知県
愛知県(あいちけん)は、太平洋に面する日本の県の一つ。県庁所在地は名古屋市。.
怒麻国造
怒麻国造(ぬまのくにのみやつこ・ぬまこくぞう)は、後の令制国の伊予国北部、現在の愛媛県北部を支配した国造。 『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、神功皇后の御世に、阿岐国造と同祖の飽速玉命の3世孫の若彌尾命を国造に定められたとされる。 怒麻国造は、のちの野間郡、すなわち越智郡の西部地域を統治したと考えられている。愛媛県今治市神宮にある野間神社は初代国造の若彌尾命が、その祖である飽速玉命を奉斎したことに始まる神社と考えられている。.
12月7日 (旧暦)
旧暦12月7日(きゅうれきじゅうにがつなのか)は旧暦12月の7日目である。六曜は赤口である。.
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1869年
記載なし。
1902年
記載なし。
1943年
記載なし。
1947年
記載なし。
1967年
記載なし。
1970年代
1970年代(せんきゅうひゃくななじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1970年から1979年までの10年間を指す十年紀。この項目では、国際的な視点に基づいた1970年代について記載する。.
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1984年
この項目では、国際的な視点に基づいた1984年について記載する。.
1月19日
1月19日(いちがつじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から19日目に当たり、年末まであと346日(閏年では347日)ある。.
20世紀
摩天楼群) 20世紀(にじっせいき、にじゅっせいき)とは、西暦1901年から西暦2000年までの100年間を指す世紀。2千年紀における最後の世紀である。漢字で二十世紀の他に、廿世紀と表記される場合もある。.
2月
2月(にがつ)はグレゴリオ暦で年の第2の月に当たり、通常は28日、閏年では29日となる。 他の月の日数が30または31日なのに対して、 英語の呼び名である February はローマ神話のフェブルウス (Februus) をまつる祭りから取ったと言われている。.
534年
記載なし。
645年
記載なし。
680年
記載なし。
689年
記載なし。
699年
記載なし。
6世紀
地中海の再統一。画像はラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂の東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世と随臣のモザイク。 Cabinet des Médailles所蔵のもの。 無明時代のアラビア語詩人たち。イスラム教勃興直前のこの時代にアラビアでは優れた詩人たちが活躍した。画像はその代表的な詩人アンタラ・イブン・シャッダードの細密画で、勇猛な戦士の姿で描いている。 前期チャールキヤ朝。デカン地方から南インドに展開した王朝で都はバーダーミにあった。画像はキールティヴァルマン1世の弟マンガレーシャにより建立されたバーダーミのヒンドゥー教石窟寺院第3窟でヴィシュヌ神の像が安置されている。 禅宗の祖師達磨。仏教の保護者として有名な梁の武帝との問答でも知られるが、経歴に不明な点も多い。画像は雪舟等楊の「慧可断臂図」(愛知県常滑市斉年寺蔵)。 建康。現在の南京であるこの地は中国南朝の歴代の都となり、貴族による文化が花開いた。画像は南京にある梁の武帝の異母弟蕭恢の墓を守る辟邪の石刻。 文帝。南北朝時代を終わらせて300余年ぶりに中国を統一し、「開皇の治」と呼ばれる安定期をもたらした。 関東の人物埴輪。6世紀に畿内での埴輪作成は減少するが、関東では最盛期を迎える。画像は「国宝武装男子立像(群馬県太田市出土)」で東京国立博物館蔵となっている。 東ゴート王国の盛衰。オドアケルを倒した東ゴート王テオドリックのもとイタリアはつかの間の平和を享受した。やがてこの国は6世紀半ばには東ローマ帝国の膝下に屈服することになる。画像はラヴェンナにあるテオドリック廟。 『ロッサーノの福音書』。古代末期の混乱で散逸した写本は数知れないが、この福音書は『ウィーン創世記』や『シノペの福音書』と並び現存するこの世紀に造られた数少ない写本で、「コデックス・プルプレウス」という紫染めの羊皮紙を用いた豪華なものである。 コプト織でエジプトで熱心に崇敬された「神の母(テオトコス)」がデザインされている。 6世紀(ろくせいき)とは、西暦501年から西暦600年までの100年間を指す世紀。.
701年
記載なし。
702年
記載なし。
704年
記載なし。
712年
記載なし。
713年
記載なし。
716年
記載なし。
718年
記載なし。
721年
記載なし。
731年
記載なし。
738年
記載なし。
739年
記載なし。
740年
記載なし。
741年
記載なし。
742年
記載なし。
743年
記載なし。
747年
記載なし。
752年
記載なし。
757年
記載なし。
769年
記載なし。
770年
記載なし。
771年
記載なし。
784年
記載なし。
793年
記載なし。
794年
記載なし。
7世紀
ブリールから啓示を受けるムハンマドで、14世紀に描かれた『集史』「預言者ムハンマド伝」載録の細密画(エディンバラ大学蔵)。 聖地メッカ。ムハンマドはメッカからメディナに逃れた後、イスラム教共同体(ウンマ)を組織し、再びこの都市に現れてイスラム教の支配下に置いた。画像はメッカのカアバとそれを取り囲むマスジド・ハラーム。 岩のドーム。ユダヤ教徒やキリスト教徒にとって重要な聖地であるエルサレムはイスラム教徒にとっては預言者ムハンマドが「夜の旅(イスラー)」を行った場所であり、それを記念してこの建物が建てられた。 ハルシャ王に歓待された。旅の記録は『大唐西域記』にまとめられ、有名な伝奇小説『西遊記』のもとともなった。 ナーランダ寺院。創立はグプタ朝時代にさかのぼるが、この時代までにインド随一の仏教総合大学に発展し、唐僧玄奘もこの地で唯識派のシーラバドラ(戒賢)に学んでいる。画像は現在のビハール州に残るナーランダ寺院跡。 シュリーヴィジャヤ王国。スマトラ島を中心にマレー半島周辺に交易圏を築き上げた海洋王国で、唐僧義浄が『南海寄帰内法伝』で記録したように多くの寺院が立ち並ぶ大乗仏教の拠点でもあった。画像はシュリーヴィジャヤ様式の青銅鍍金四臂観世音菩薩像。 「天寿国繍帳」。飛鳥時代を代表する工芸の一つで聖徳太子の妃である橘大郎女の発願で作成されたとされ、斑鳩中宮寺に伝来した。 吐蕃の王ソンツェン・ガンポと二人の妃(唐から来た文成公主とネパールから来たチツン)。吐蕃はチベットを統一し唐に倣った律令体制を発展させた。 太宗。父李淵の後を継いで二代皇帝となった太宗李世民は、唐の律令体制を完成させ「貞観の治」と呼ばれる安定期をもたらした。画像は台湾国立故宮博物院が所蔵する太宗の肖像画。 洛陽郊外の龍門にある奉先寺大仏。則天武后の命で造営されたもので、大仏の顔は則天武后をモデルにしているといわれる。 National Museum of Anthropology (Mexico)蔵)。 「ギリシア火」。イスラム軍の猛攻で劣勢に置かれた東ローマ帝国もこの新兵器を用いて帝都の防衛に成功する。画像は『スキュリツェス年代記(歴史概観)』の挿絵(マドリッド国立図書館蔵)。 スペイン国立考古学博物館蔵)。 7世紀(ななせいき、しちせいき)とは、西暦601年から西暦700年までの100年間を指す世紀。.
823年
記載なし。
824年
記載なし。
8世紀
イスラム帝国の拡大。ウマイヤ朝時代までにイスラム帝国は中央アジアからイラン・イラクを経て、エジプト・北アフリカを超えてイベリア半島まで拡がった。 ウマイヤド・モスク。ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世により705年にシリアのダマスカスに建築された現存する世界最古のモスクで、カアバ・預言者のモスク・岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として巡礼者が絶えない。 イスラムの書法。すでに正統カリフ時代にはクルアーンの編纂が行われていたが、この世紀になると洗練された書体が生み出され用いられた。画像はアッバース朝初期に置かれた都クーファの名から「クーフィー体」と呼ばれた書体によるクルアーンの一節。 円城(ムダッワラ)都市バグダード。アッバース朝の第二代カリフ・マンスールによって766年に完成したこの都市はティグリス川に面した交通の要衝で最盛期にはその人口は100万人を擁した。アラビア語で「平安の都」を意味するマディーナ・アッ=サラームとも呼ばれる。画像はアッバース朝時代のバグダードの再現地図。 エローラ石窟群。画像は8世紀にインドのラーシュトラクータ朝の君主クリシュナ1世によりヒンドゥー教のシヴァ神の住むカイラス山(須弥山)になぞらえて建てられた第16窟のカイラサナータ寺院。 ボロブドゥール遺跡。インドネシアのジャワ島ケドゥ盆地にある大規模な仏教遺跡で、シャイレンドラ朝のダルマトゥンガ王時代に造営された。 唐の世界帝国。西域での覇権を確立した唐は華やかな異文化交流で知られることになる。画像は706年に造営された章懐太子李賢の墓の壁画「賓客図」で、黒衣で禿頭の人物は東ローマ帝国の使節と考えられている。 楊貴妃。絶世の美女として名高いばかりでなく、治世後半の玄宗皇帝の寵愛をほしいままにしたことで「傾城」とも「傾国」とも呼ばれる。安禄山の乱に巻き込まれ悲劇的な最期を遂げた。画像は日本の上村松園による歴史画。 大秦景教流行中国碑。781年にキリスト教ネストリウス派(景教)信者で中央アジア出身の伊斯がその伝来の経緯を記録した石碑。画像はその拓本の一部で、碑題の上に十字架があるのが読み取れる。 唐三彩の駱駝。8世紀前半まで唐は中央アジアの覇権を握り交通の要衝を保持していた。画像は駱駝に乗るソグド人と思われる西域の商人(上海博物館蔵)。 国立アジア美術館(ベルリン美術館)蔵)。 天平文化。遣唐使の頻繁な行き来により盛唐の文物が招来され、710年に遷都された平城京では国際色の豊かな文化が花開いた。画像はこの時代を代表する東大寺法華堂執金剛神。 平安遷都。桓武天皇により平城京から長岡京を経て平安京に都が遷った。平安京は長きにわたって都となり「千年の都」と呼ばれるようになる。画像は桓武天皇の肖像(延暦寺蔵)。 キー・ローのモノグラムの頁(Folio 34r)でトリニティ・カレッジ (ダブリン大学)図書館が所蔵している。 アーヘン大聖堂宝物館のカール大帝の胸像。カール大帝の800年の「西ローマ帝国復興」は東ローマ帝国との間に「二帝問題」の軋轢を生んだ。 8世紀(はちせいき、はっせいき)は、西暦701年から西暦800年までの100年間を指す世紀。.
8月15日 (旧暦)
旧暦8月15日は旧暦8月の15日目である。六曜は仏滅である。.
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9月20日
9月20日(くがつはつか、くがつにじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から263日目(閏年では264日目)にあたり、年末まであと102日ある。.