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仏教

索引 仏教

仏教(佛敎、ぶっきょう、बौद्धधर्म、ພຸດທະສາສະໜາ、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教。仏陀(仏、目覚めた人、Buddha)の説いた教え。キリスト教・イスラム教に次ぐ世界宗教の1つで、世界で4番目に大きな宗教である(信者の数はヒンドゥー教の方が多いが、ヒンドゥー教は信者がほぼインドに限られているため、世界宗教とは言いがたい)。世界人口の7%である5億2000万人以上が仏教徒(信者)であり、特に東アジア、東南アジア、南アジアで広まっている。 教義は苦の輪廻からの解脱を目指す。原因と結果の理解に基づき、諸々の現象が縁起するとされる。

目次

  1. 336 関係: 十二因縁印相即身成仏南アジア南条文雄台湾名色吉祥天大乗仏教大韓民国大衆部大黒天大迦葉大般涅槃経大毘盧遮那成仏神変加持経大日如来天 (仏教)天台宗外道奈良康明如来娼婦宮田幸一宗教安那般那念寺請制度密教山岳仏教上座部上座部仏教不動明王帝釈天並川孝儀中原中央アジア中世中国中国の仏教中道中華人民共和国中観派中部 (パーリ)中村元中村元 (哲学者)常見七覚支布施... インデックスを展開 (286 もっと) »

  2. アースティカ
  3. 多神教
  4. 釈迦

十二因縁

十二因縁(じゅうにいんねん)、あるいは、十二縁起(じゅうにえんぎ、dvādaśāṅgika-pratītyasamutpāda)とは、仏教において、現実の人生の苦悩の根源を断つことによって苦悩を滅するための12の条件を系列化したもの。仏教の基本的な考えの一つである。 鳩摩羅什訳では十二因縁とし、玄奘訳では十二縁起や十二有支と訳す。他にも十二支縁起、十二支因縁などと表記する場合がある。

見る 仏教と十二因縁

印相

印相(いんそう、いんぞう、)は、仏教において、手の指で様々な形を作り、仏・菩薩・諸尊の内証を標示することを指す。印(いん)、印契(いんげい)、密印、契印ともいう。修行者が本尊と渉入し融合するために、その本尊の印相を結ぶこともある。本来は仏教において印相に関する定まった軌則は無かったが、密教の発達に伴って相が定まり、意味が説かれるようになった。儀軌の成立した時代の違いや地方の別によって、印相には差異がある。

見る 仏教と印相

即身成仏

即身成仏(そくしんじょうぶつ)は、仏教の修行者が「密教」の実践を通じ、今生のうちに成仏を達成すること。 大乗仏教圏の中で、生きた密教の伝統をつたえる地域にチベット仏教、日本仏教・ネパール仏教の三系統があるが、それぞれにおいて、「さとりとは何か」についての理解に大きな相違があり、それにともない、「即身成仏」の意義や意味内容にもおおきな差異がある。

見る 仏教と即身成仏

南アジア

南アジア(みなみアジア、South Asia, Southern Asia)は、アジアの南部を指す地域区分である。一般的には中央アジアより南側、東南アジアより西側、西アジアより東側に位置し、インド洋の島国を含む地域を指す。

見る 仏教と南アジア

南条文雄

南条 文雄(なんじょう ぶんゆう、嘉永2年5月12日〈1849年7月1日〉 - 昭和2年〈1927年〉11月9日)は、日本の明治・大正期に活躍した仏教学者・宗教家。旧字体で「南條文雄」とも表記される。字は「碩果」、「松坡」。 近代以前からの伝統的な仏教研究の上に、西洋近代の実証的・客観的な学問体系と方法論を初めて導入した。早い時期から仏典の原典であるサンスクリット(梵語)テキストの存在に注目。主要な漢訳経典との対校を行なうとともに、それらの成果をヨーロッパの学界に広く紹介するなど、近代的な仏教研究の基礎形成に大きな役割を果たした。

見る 仏教と南条文雄

台湾

台湾(たいわん、)は、東アジアの島(台湾島)、およびそれを中心とした地域の名前であり、フォルモサ(Formosa、福爾摩沙)という別称がある。全域が中華民国の実効支配下にある。

見る 仏教と台湾

取(しゅ)とは、サンスクリット語およびパーリ語のウパーダーナ(upādāna)に由来する言葉であり、「ある活動を活性化させ維持させる源や手段となる、燃料、物質的原因、気質」という意味である。 仏教では、アタッチメント、執着、掌握といった意味を指す重要概念である。これは渇愛(tṛṣṇā、トリシュナー)の結果として生じるものであり、煩悩の一種とされ、最終的には苦に繋がる。

見る 仏教と取

受(じゅ)、ヴェーダナー (巴: vedanā)とは、人間の感受作用を意味する仏教用語。触れたことを感じることである。 六識が六根を通じ六境に接触し、まずそれを感受すること。肉体的、生理的に感じる「暑い」「痛い」などの感じの他にも、「苦しい」「快い」などの、心で知覚的に感じるものも含んでいる。例えば、桜の木を見て「美しい」と感じること。 仏教において、受は以下とされている。

見る 仏教と受

名色

名色(みょうしき)とは、パーリ語およびサンスクリット語のNāmarūpa(ナーマルーパ)に由来し、名前(nāma,ナーマ, 名)+姿(rūpa,ルーパ,色)による熟語である。

見る 仏教と名色

吉祥天

吉祥天(きっしょうてん / きちじょうてん、Śrī-mahādevī 、音写:摩訶室利など)は、仏教の守護神である天部の1つ。もとヒンドゥー教の女神であるラクシュミー が仏教に取り入れられたもの。功徳天、宝蔵天女ともいう。ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の妃とされ、また愛神カーマの母とされる。仏教においては、父は、母は鬼子母神であり、夫を毘沙門天とする。妹に黒闇天がいる。毘沙門天の脇侍として善膩師童子と共に祀られる事もある。 早くより帝釈天や大自在天などと共に仏教に取り入れられた。後には一般に弁才天と混同されることが多くなった。北方・毘沙門天の居所を住所とする。不空訳の密教経典『大吉祥天女十二契一百八名無垢大乗経』では、未来には成仏してになると説かれる。

見る 仏教と吉祥天

大乗仏教

大乗仏教(だいじょうぶっきょう、महायान, Mahāyāna、Mahāyāna Buddhism、)は、伝統的にユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の宗派。出家者に限らず在家者を含めた一切の衆生の救済を掲げる仏教宗派の総称であり、単一の派を指しているわけではない保坂俊司監修 『決定版 よくわかる世界三大宗教―キリスト教・イスラム教・仏教』 学研パブリッシング、2012年、118頁。。日本の仏教は全て大乗仏教であるが、大乗仏教の経典は釈迦の死後、500年以降に成立しており、仏陀(ゴータマ・シッダッタ)の直説ではなく、後世に成立した偽経という批判(大乗非仏説)にあった。 大乗仏教は、出家による自力救済を説く初期仏教(阿含経に色濃く反映)の世界観・救済観を乗り越える形で形成・発展されてきたという経過があるため、釈迦の教えそのものから(少なくとも言語表現上)変容している面があり、その特色は初期仏教(阿含経)の内容と対比することでより鮮明になる。大乗仏教に分類される代表的な仏教経典としては、般若経(般若心経はその核心を簡潔に記したもの)、法華経、浄土三部経、華厳経、(大乗の)涅槃経、大日経、金剛頂経などが挙げられる。

見る 仏教と大乗仏教

大韓民国

大韓民国(だいかんみんこく、、)、通称韓国(かんこく、、)は、東アジアに位置する共和制国家。首都はソウル特別市。 主要20か国(G20)、経済協力開発機構 (OECD) 、開発援助委員会、主要債権国からなるパリクラブのメンバー。『完全な民主主義』に分類され、経済複雑性指標は世界4位。国際通貨基金における『先進国』である Dijima.

見る 仏教と大韓民国

大衆部

大衆部(だいしゅぶ、Mahāsaṃgītika, マハーサンギーティカ, महासांघिक, Mahāsāṃghika, マハーサーンギカ)は、古代インド仏教の部派の1つ。音訳して摩訶僧祇部(まかそうぎぶ)とも呼ばれる。 釈迦の没後100年ほど後、十事の非法・大天の五事などの「律」の解釈で意見が対立し、教団は上座部と大衆部とに根本分裂した(部派仏教時代)。 その後、それぞれの教団はさらに枝末分裂を繰り返し、大衆部からは下記のグループなどに分裂した。

見る 仏教と大衆部

大黒天

大黒天(マハーカーラ) 大黒天(だいこくてん、Mahākāla、、音写:摩訶迦羅など)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の異名であり、これが仏教に取り入れられたもの。七福神の一柱。

見る 仏教と大黒天

大迦葉

大迦葉(だいかしょう、Mahākāśyapa महाकाश्यप マハーカーシヤパ、Mahākassapa महाकस्सप マハーカッサパ)は、釈迦の十大弟子の一人。仏教教団における釈迦の後継(仏教第二祖)とされ、釈迦の死後、初めての結集(第1結集、経典の編纂事業)の座長を務めた。頭陀第一といわれ、衣食住にとらわれず、清貧の修行を行った。 摩訶迦葉、摩訶迦葉波、迦葉、迦葉波とも呼ばれる。なお「迦葉」は古代インドではありふれた名であったといわれ、仏弟子中には三迦葉という三人兄弟や十力迦葉という名前も見受けられるが、摩訶迦葉とは別人である。

見る 仏教と大迦葉

大般涅槃経

『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう、महापरिनिर्वाणसूत्र(Mahāparinirvāṇa Sūtra、マハーパリニルヴァーナ・スートラ)、महापरिनिब्बानसुत्तन्त Mahaaparinibbaana Sutta(nta)(マハーパリニッバーナ・スッタ(ンタ))は、釈迦の入滅(=大般涅槃(だいはつねはん))を叙述し、その意義を説く経典類の総称である。

見る 仏教と大般涅槃経

大毘盧遮那成仏神変加持経

『大毘盧遮那成仏神変加持経』(だいびるしゃなじょうぶつじんべんかじきょう)、略して『大毘盧遮那経』(だいびるしゃなきょう)、あるいは『大日経』(だいにちきょう)は、大乗仏教における密教経典である。八世紀に、善無畏・一行の共訳による漢訳、およびシーレーンドラボーディとペルツェクの共訳であるチベット語訳が相次いで成立したが、梵文原典は現存しない。『金剛頂経』とともに真言密教における根本経典の一つとされる、小学館。 。

見る 仏教と大毘盧遮那成仏神変加持経

大日如来

大日如来(だいにちにょらい、Mahāvairocana)は、大乗仏教における信仰対象である如来の一尊。真言密教の教主たる仏で、密教の本尊である。日本密教においては一切の諸仏菩薩の本地とされる。 胎蔵曼荼羅の胎蔵界大日如来(中央)。

見る 仏教と大日如来

天 (仏教)

仏教における天(てん、देव )とは、衆生が生死流転する六道のうちの最上部にある世界のことであり、天界、天上界(てんじょうかい)、天道とも呼ばれる。天界は、この地上から遙か上方にあると考えられている。 天界の住民の総称を天人、天部(てんぶ)、天衆といい、神やその眷族が住んでいる。諸天部、天部神ともいう。インドの古来の神が仏教に取り入れられて護法善神となったものである。

見る 仏教と天 (仏教)

天台宗

天台宗(てんだいしゅう, Tiantai)は、中国を発祥とする大乗仏教の宗派のひとつである。妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とするため、とも呼ばれる - コトバンク/世界大百科事典。名称は、実質的開祖の智顗が天台山に住んでいたということに由来する。 天台教学は入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。今日では中国、日本、朝鮮、ベトナムに信徒を持つ。

見る 仏教と天台宗

外道

外道(げどう、、titthiya)とは、仏教用語で、悟りを得る内道(ないどう)に対する言葉である。経典によっては「異道・邪道」などとも呼ばれる。 転じて、一般に道に外れた人全般も意味する。 インドにおける本来の意味は渡し場・沐浴場・霊場を作る人のことで、一派の教祖を意味する。外道という漢訳語の原語にあたる言葉としては、他の教えを語る者()と、他の宗派の僧・教祖()がある。 中国や日本においては元来、外道とは、仏教以外の教え、またそれを信奉する人びとを総称した呼称である。もともとインドに仏教が興った紀元前5〜6世紀ごろマガダ国に存在した、ヴェーダの思想から外れた自由思想家たちの中でも極端なものや異教の思想を指して言った。それらをもう少し特定する形で仏教用語では六師外道とも呼ぶ。

見る 仏教と外道

奈良康明

奈良 康明(なら やすあき、1929年12月2日 - 2017年12月10日)は、日本の仏教学者・曹洞宗の僧侶である。東京大学から文学博士を授与されている。役職として駒澤大学学長、総長を経て、同大学の名誉教授となっている。僧侶として法清寺の住職を経て東堂となり、また、永平寺の西堂を務めた。

見る 仏教と奈良康明

如来

如来(にょらい)とは、サンスクリットのタターガタ(तथागत, )の漢訳であり、語義は諸説あるが、仏教で釈迦や諸仏の称呼に用いられる『岩波 仏教辞典』第二版、岩波書店、2002年。。 仏陀の10の称号である十号の一つ。如来を総名として十号の内に数えない場合もある(十号#異説を参照)。

見る 仏教と如来

娼婦

娼婦(しょうふ、prostitute)は、性的サービスを提供することによって金銭を得る女性のこと。男性の場合は男娼という。

見る 仏教と娼婦

仏教における定(じょう)、サマーディ(巴、)は、心をひとつの対象に集中し心の散乱がないという精神の作用や、そのようにすることや、定まっているその状態を指す。また、一般に心を散乱させないようにする修行、及びそれによってもたらされた特殊な精神状態をも総称して定という。samādhiの音写が三昧(さんまい)であり、三摩地とも書かれた。 定すなわち三昧は、仏教の三学である戒・定・慧の一つであって、仏教の実践道の大綱である。また、八正道の一つには正定が挙げられており、五根には定根が、五力には定力が挙げられている。。定はの一つでもある。定に反して心が散り乱れて動く状態を散といい、定散(じょうさん)と呼ばれる。

見る 仏教と定

宮田幸一

宮田 幸一(みやた こういち、1904年 - 1989年)は、日本の英文学者、博士。鶴見大学教授。

見る 仏教と宮田幸一

宗教

は、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり、また、その体系にもとづく教義、行事、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。 なお広辞苑では、「神または何らかの超越的絶対者あるいは神聖なものに関する信仰・行事」としている。

見る 仏教と宗教

安那般那念

安那般那念(あんなはんなねん、ānāpāna-sati:アーナーパーナ・サティ、ānāpāna-smṛti:アーナーパーナ・スムリティ)とは、仏教の瞑想の一種。安般念(あんぱんねん)、安般守意(あんぱんしゅい)、阿那波那(あなはな)、入出息念、出入息念、持息念、数息観などとも。 安那般那念は、狭義には文字通り、入出息(呼吸)を意識する(あるいは、呼吸を数える)ことで、意識を鎮静・集中させる止行(サマタ)の一種、ないしは導入的な一段階を意味するが、広義には、そこから身体の観察へと移行していき、四念処に相当する観行(ヴィパッサナー)の領域も含む。 上座部仏教圏では、パーリ語経典経蔵中部の『入出息念経』(安般念経、Anapanassati-sutta)、相応部の『入出息相応』(安般相応、Anapana-samyutta)等で説かれ、多くの宗派で必須の行法となっている。

見る 仏教と安那般那念

寺請制度

寺請制度(てらうけせいど)は、江戸幕府が宗教統制の一環として設けた制度。寺請証文を受けることを民衆に義務付け、キリシタンではないことを寺院に証明させる制度である。必然的に民衆は寺請をしてもらう寺院の檀家となったため、檀家制度や寺檀制度とも呼ばれるが、厳密には檀家制度と寺請制度は異なる(詳しくは檀家制度を参照)。 その目的において、邪宗門とされたキリスト教や不受不施派の発見や締め出しを狙った制度であったが、宗門人別改帳など住民調査の一端も担った。

見る 仏教と寺請制度

密教

密教(みっきょう)は、秘密の教えを意味する大乗仏教の中の秘密教で、秘密仏教の略称。金剛乗、金剛一乗教、金剛乗教ともいう。

見る 仏教と密教

山岳仏教

熊野の山岳で修行中の山伏 山岳仏教(さんがくぶっきょう)とは、日本において、平安時代に、仏教の一派である密教(天台宗・真言宗)において行われるようになった、山岳での修行を重視する仏教である。山岳仏教は、政治と結びつきの強くなった奈良仏教の世俗化などに反発するかたちで始まったが、やがて、日本古来の山岳信仰とも融合し、急速に発達していくこととなった。なお、「山岳仏教」を仏教とは異なる独自の宗教とするとき、修験道ともいう。

見る 仏教と山岳仏教

上座部

上座部(じょうざぶ、स्थविरवाद, Sthaviravāda, スタヴィラヴァーダ, theravādaは、部派仏教の部派の1つ。上座部から分派してできた複数の部派の総称を指して上座部と呼ぶ用法もある。

見る 仏教と上座部

上座部仏教

上座部仏教(じょうざぶぶっきょう、Theravāda、Sthaviravāda、เถรวาท, 、Theravada Buddhism)は、仏教の分類のひとつで「長老派」を意味しており、現存する最古の仏教の宗派である。上座仏教 、テーラワーダ仏教(テーラヴァーダ仏教)。 上座部仏教は、南伝仏教とも呼ばれ、パーリ語の三蔵を伝えていることからパーリ仏教ともいう。 仏典にはパーリ仏典を採用し、釈迦の教えが保存されている。 パーリ仏典は古代インド言語であるパーリ語で記され、現存する唯一の完全な仏典であり、上座部においては典礼言語および リングワ・フランカCrosby, Kate (2013), Theravada Buddhism: Continuity, Diversity, and Identity, p.

見る 仏教と上座部仏教

不動明王

不動明王(ふどうみょうおう、अचलनाथ acalanātha)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。 真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。大日如来、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王、金剛愛染明王らと共に祀られる。

見る 仏教と不動明王

帝釈天

帝釈天(たいしゃくてん)は、仏教の守護神である天部の一つ。天主帝釈・天帝・天皇ともいう。。バラモン教・ヒンドゥー教・ゾロアスター教の武神(天帝)でヒッタイト条文にも見られるインドラ(इन्द्र)と同一の神。妻は阿修羅の娘であるシャチー(舎脂)。梵天と一対の像として表されることが多く、両者で「梵釈」ともいう。釋提桓因(しゃくだいかんいん)とも記載される。

見る 仏教と帝釈天

並川孝儀

並川 孝儀(なみかわ たかよし、1947年- )は、日本の仏教学者、佛教大学名誉教授。

見る 仏教と並川孝儀

中原

中原 冬の華北平原 中原(ちゅうげん)は中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原のこと。狭義では春秋戦国時代に周の王都があった現在の河南省一帯を指していたが、後に漢民族の勢力拡大によって広く黄河中下流域を指すようになり、河南省を中心として山東省の西部から、河北省・山西省の南部、陝西省の東部にわたる華北平原を指すようにもなった。 古代でいわゆる「中国」や「中州」、「中土」と同義で、異民族から隔てられる文明の中心地という意味があった。その後、南方へと発展していった漢族にとって中原は民族の発祥の地とされてきた。また、周王のいたこの地域は権力の象徴とみられることがあり、即ち覇権争いの場、または覇権そのものを指す言葉として用いられ、魏徴の詩から「中原に鹿を逐う」という成語が生まれた。

見る 仏教と中原

中央アジア

UNESCOの定義 中央アジアの位置 中央アジア(ちゅうおうアジア、Central Asia)は、ユーラシア大陸またアジア中央部の内陸地域である。18世紀から19世紀にかけては一般にトルキスタントルキスタンとは「テュルクの土地」を意味し、その名が示す通りにテュルク(突厥他)系民族が居住しており、現今において当該民族の拠点地域は西トルキスタンと東トルキスタンの東西に分割されている。を指したが、現在でも使用される。

見る 仏教と中央アジア

中世

中世(ちゅうせい、Middle Ages)は、狭義には西洋史の時代区分の一つで、古代よりも後、近代または近世よりも前の時代を指す。17世紀初頭の西洋では中世の観念が早くも定着していたと見られ、文献上の初見は1610年代にまでさかのぼる。 広義には、西洋史における中世の類推から、他地域のある時代を「中世」と呼ぶ。ただし、あくまでも類推であって、西洋史における中世と同じ年代を指すとは限らないし、「中世」という時代区分を用いない分野のことも多い。また、西洋では「中世」という用語を専ら西洋史における時代区分として使用する。 例えば、英語では通常日本史における「中世」を、「feudal Japan」(封建日本)や「medieval Japan」(中世日本)とする。

見る 仏教と中世

中国

中国(ちゅうごく、中國)は、ユーラシア大陸(アジア大陸)の東部を占める地域、及びそこで成立した国家をさす用語。日本では、1972年の日中国交正常化以降、中華人民共和国の略称としても使用されている。 中国統一問題を参照)。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。

見る 仏教と中国

中国の仏教

中国の仏教(ちゅうごくのぶっきょう)では、中華圏における仏教について詳述する。現在の中華人民共和国の仏教徒は、1億8500万人から2億5000万人と推定されているCook, Sarah (2017). Freedom House Report. Rowman & Littlefield.。 中華人民共和国の宗教区分では漢族仏教(大乗仏教)、チベット仏教、南仏教(上座部仏教)の3つに分けられる。

見る 仏教と中国の仏教

中道

仏教用語としての中道(ちゅうどう、Madhyamā-pratipad, マディヤマー・プラティパッド、Majjhimā-paṭipadā, マッジマー・パティパダー)は、2つのものの対立を離れていること。断・常の二見、あるいは有・無の二辺を離れた不偏にして中正なる道のこと中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、1183頁。。中行、中路あるいは単に中ともいう。 中道の語は仏教において広く重んじられているため、その意味には浅深があるが、各宗がその教理の核心を中道の語で表す点は一致する総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、997-999頁。。

見る 仏教と中道

中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、)、通称中国(ちゅうごく、)は、東アジアに位置する社会主義共和制国家。首都は北京市。

見る 仏教と中華人民共和国

中観派

中観派(ちゅうがんは、माध्यमिक,, マーディヤミカ)は、インド大乗仏教において、瑜伽行派(唯識派)と並ぶ2大学派のひとつ総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、994-995頁。。龍樹(りゅうじゅ、Nāgārjuna, ナーガールジュナ、150年 - 250年頃)を祖師とし、その著作『中論』などを基本典籍とする学派。『中論』を根底として般若空観を宣揚した中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、1179-1180頁。。縁起と空の思想を説き、中(madhyama)もしくは中道(madhyamā pratipat)の立場を重んじる中村・2005年250頁。

見る 仏教と中観派

中部 (パーリ)

中部(ちゅうぶ、Majjhima Nikāya, MN, マッジマ・ニカーヤ)とは、仏教のパーリ語経典の経蔵を構成する「五部」(Pañca Nikāya, パンチャ・ニカーヤ)の内の、第2番目の「部」(nikāya, ニカーヤ)のこと。中編の経典を集めた領域である。 漢訳仏典における『阿含経』の内の『中阿含経』(ちゅうあごんぎょう)に相当する。

見る 仏教と中部 (パーリ)

中村元

中村元。

見る 仏教と中村元

中村元 (哲学者)

中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者、比較思想学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。

見る 仏教と中村元 (哲学者)

常見

常見(じょうけん)とは、仏教用語で、「アートマン(自我:霊魂)」は永遠に続くもので不滅である(常住;sassata)とする見解のこと。常住論(sassatavādā)ともされ、邪見のひとつ。反対語は断見(だんけん)。 原始仏教、つまり釈迦が在世の頃にあった六十二見のうちの1つで、この世界・世間やアートマン(梵我)が永遠に存続すると主張したものであるパーリ仏典 長部, 梵網経。「見」(ディッティ,dṛṣṭi)とは見解・意見・見方のこと。 人の一生・人生はこの世の一回限りであるが、死後もこの世界においてアートマンという固定の実体が不滅で永続するものであると肯定する見解をいう。梵網経では「我と世界は常住である。死後山頂の如く不動で石柱の如く固定したものである」などと述べている。

見る 仏教と常見

七覚支

七覚支(しちかくし、satta bojjhaṅgā, サッタ・ボッジャンガー)とは、仏教における修行内容の1つ。悟りの7つの支分をなす項目。「七等覚支」(しちとうがくし)、「七菩提分」(しちぼだいぶん)とも。「三十七道品」の中の1つ。 釈迦は五上分結の証知、遍知、遍尽、断捨のため、七覚支を修習すべきと説いている。

見る 仏教と七覚支

布施

布施(ふせ)は、梵語では「檀那(旦那)(ダーナ、दान、dāna)」と呼び他人に財物などを施したり、相手の利益になるよう教えを説くことなど、贈与、与えることを指す。英語の Donation (ドネーション、寄贈者)やDonor(ドナー)とダーナは、同じインド・ヨーロッパ語族の語源をもつ。 仏教においては、全ての宗派において主要な実践項目のひとつである。六波羅蜜のひとつでもある。布施には「財施」「法施」「無畏施」の三種がある(大智度論)。布施をする人をダーナパティ(dānapati)といい、施主(せしゅ)、檀越(だんおつ、だんえつ、だんのつ)、檀徒(だんと)などと訳される。なお、菩提寺にお布施をする家を檀家(だんか)という言葉も、檀那、檀越から来たものである。また、古くは皇族などが自らの領地(荘園)などを寺院に寄せる(寄付する)ことを施入(せにゅう)(する)ということがある。

見る 仏教と布施

世界宗教

世界宗教(せかいしゅうきょう)は、人種、民族を超え世界規模でその思想が浸透し、様々な国と地域で信仰されている宗教を指す。 全人類の平等、愛、共通の生活規準を含む信条や儀礼を特色としている。宗教の発達を概観した時、新しい段階に到達した宗教だと考えられている。 発祥地は問題ではなく、人種や地域によって人を差別せず、全人類を平等に扱い、その結果として、世界中でその教えが受け入れられている宗教が世界宗教である。 今日、世界宗教とみなされている宗教は、キリスト教、イスラム教、仏教である。 この記事では、あきらかに世界宗教とされているキリスト教、イスラム教、仏教を中心に説明し、曖昧なものについては言及を避ける。

見る 仏教と世界宗教

世界三大宗教

世界三大宗教(せかいさんだいしゅうきょう)とは、仏教、キリスト教、イスラム教の三つを指す言葉である。単に「三大宗教」ともいう。地理的、民族的な壁を越えて世界中に広まり社会や文化に大きな影響を与えている宗教である。 信者数は、程度なので仏教よりも多く、信者数だけならキリスト教、イスラム教、そしてヒンドゥー教が世界三大宗教になるはずだが、ヒンドゥー教が三大宗教に入らない理由として、民族宗教であることが考えられる。 また、これにユダヤ教、ヒンドゥー教を加え、世界五大宗教とする場合もある。ちなみに、 イスラエルのエルサレムは、世界三大宗教のうちキリスト教、イスラム教の聖地に加えてユダヤ教の聖地でもある。

見る 仏教と世界三大宗教

世界人口

世界人口(せかいじんこう, World population)とは、世界において生存しているヒト(人)の数。国際連合(国連)の推計では2022年11月15日に80億人に達した。2024/5/19現在、およそ81億1045万700人である。 なお、統治している地域の人口を正確に把握できていない政府も多く、世界人口は国際機関や各国政府、大学などの研究者による推定による部分が大きいため、各資料を閲覧する際には注意を払う必要がある。人口1億人を超えている国は全部で15か国ある(2024年現在)。

見る 仏教と世界人口

世界遺産

は、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リスト(世界遺産一覧表)に登録された、文化財、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産が対象となっている。慣例的な用法として、その中の文化遺産を世界文化遺産、自然遺産を世界自然遺産と呼ぶことがある。 なお、世界遺産の制度では正式な文書は英語とフランス語で示され、日本語文献では英語が併記されることがしばしばある一方、フランス語が併記されることは普通ないため、以下では参照しやすさを考慮し、主たる用語には英語を併記する。

見る 仏教と世界遺産

世界観

世界観(せかいかん、、)とは、世界を一体的に意味づける見方広辞苑第六版【世界観】。一般に、人生観より広い範囲を包含し、単なる知的な理解にとどまらず、より情意的な評価を含むものであり、情意的な面、主体的な契機が重要視される平凡社『哲学事典』。 現代の日本では、漫画、アニメ、テレビゲームなどフィクション作品の舞台となる世界の設定という意味で誤用されることが多いが、人によってはフィクション作品の世界そのもの、あるいは作風や雰囲気といった意味で使う場合もある。

見る 仏教と世界観

三十七道品

三十七道品(さんじゅうしちどうほん)とは、初期アビダルマの時代に体系化された、仏教において菩提(悟り)に至るための三十七の修行法(修習・実践)のこと。菩提分法(ぼだいぶんぽう、bodhipakkhiyā dhammā)、三十七法(sattatimsa dhamma)三十七品、三十七分法、三十七菩提分法(sattatimsa bodhipakkhiya dhamma)、三十七覚分ともいう。四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道の七科に分かれる。 道(Magga)とは解脱への道、涅槃を求める者が探求されるべきこと。分(pakkhiyā)とはpakkhaまたはpaksaに由来し、鳥の翼を意味する。これから派生したpakkhiyaまたはpaksya、paksikaとは親族の支援であり、転じて助けと利益を意味する。

見る 仏教と三十七道品

三学

三学(さんがく, tisikkhā)とは、釈迦によって示された、仏道を修行する者がかならず修めるべき3つの基本的な修行項目をいう。三勝学(さんしょうがく)とも。具体的には、戒学・定学・慧学の3つを指す。この戒 ・定 ・慧は、修習の順番が重要である。

見る 仏教と三学

三宝

三宝(さんぼう、さんぽう、ratna-traya, trīṇi ratnāni)とは、仏教における「仏・法・僧」(ぶっぽうそう)と呼ばれる3つの宝物を指し、仏陀(釈迦)と法(ダルマ)と僧伽(そうぎゃ、さんが)のこと。この三宝に帰依し、その上で授戒することで正式に仏教徒とされる。なお、3つという数については、3を聖数とする習俗や信仰とのかかわりも指摘されている。 上座部仏教においては、涅槃を独自に発見した「仏」、その仏の説いた教え「法」、その教えを受けることで四向四果に達した者の集団である「僧伽」、であるとされる。ただし、一般には出家比丘の集団がサンガと同一視される。 聖徳太子が制定したと言われる「十七条憲法」には、第二番目の条項に「篤く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧となり」という文言がみられる。

見る 仏教と三宝

三武一宗の法難

三武一宗の法難(さんぶいっそうのほうなん、中国語:三武之禍、拼音: sān wǔ zhī huò)は、中国の歴代王朝が仏教を弾圧した事件のうち、とりわけ規模が大きく、また後世への影響力も大きかった4人の皇帝による廃仏事件のことである。各皇帝の廟号や諡号をとってこう呼ばれている。三武一宗の廃仏とも。

見る 仏教と三武一宗の法難

三毒

三毒(さんどく)、三不善根(; )とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を指し、煩悩を毒に例えたものである。

見る 仏教と三毒

下田正弘

下田 正弘(しもだ まさひろ、1957年 - )は、日本の仏教学・デジタル・ヒューマニティーズの研究者、元東京大学大学院人文社会系研究科教授(~2023年)、武蔵野大学教授(2023年~)、大蔵経テキストデータベース研究会代表委員、日本印度学仏教学会前理事長(第9代、2017~2023)。

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一切皆苦

一切皆苦(いっさいかいく、sabbe saṅkhārā dukkhā)は、一切行苦ともされ、一切のサンカーラ(有為)は無常であるために、それは苦であるという仏教の教説。

見る 仏教と一切皆苦

平川彰

平川 彰(ひらかわ あきら、1915年1月21日 - 2002年3月31日)は、日本の仏教学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。

見る 仏教と平川彰

五力

五力(ごりき、pañca balāni, パンチャ・バラーニ)とは、仏教における修行内容の1つ。修行者を悟り・解脱に至らしめる5種の力。「三十七道品」の中の1つ。

見る 仏教と五力

五蘊

五蘊(ごうん、pañca-kkhandha(パンチャッカンダ)、पञ्च स्कन्ध, (パンチャ・スカンダ))とは、原義では「5つの集合体・グループ・コレクション」をさす。蘊(skandha、khandha )とは集まり、同類のものの集積を意味する。 仏教においては五取蘊(Pañcupādāna-kkhandhā)として色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の総称。物質界と精神界との両面にわたる一切の有為法を示すであり、省略して五蘊とする。五陰(ごおん)とも書く。 人間の肉体と精神を5つの集まりに分けて示したもの。取(upādāna)とは、それに執着するということ。 なお、五蘊と、十二処、十八界を並べて三科と称する。

見る 仏教と五蘊

五蓋

五蓋(ごがい、pañca nīvaraṇāni, パンチャ・ニーヴァラナーニ)とは、仏教における瞑想(禅定)を邪魔する5つの障害、つまり5つの煩悩の総称。蓋(がい、nīvaraṇa, ニーヴァラナ)とは文字通り、認識を覆う障害のこと。 解脱道論によれば、十結には五蓋すべてが含まれる。 なお、これと似た概念として、生存者を欲界へと結び付ける5つの束縛としての五下分結(ごげぶんけつ、pañca orambhāgiyāni saṃyojanāni)という概念もある。下分(げぶん)とは、下の領域すなわち欲界のこと。結(けつ、saṃyojana, サンヨージャナ)とは「束縛」のこと。

見る 仏教と五蓋

五戒

五戒(ごかい, pañcaśīla, pañcasīla)とは、仏教において性別を問わず、在家信者が守るべき基本的な五つの戒(シーラ)のこと。

見る 仏教と五戒

仏像

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見る 仏教と仏像

仏典

仏典(ぶってん)とは、仏教典籍の略称で、仏教の聖典の総称である。「律蔵」「経蔵」「論蔵」という分類形態から三蔵とも呼ばれる。言語的には、パーリ語・サンスクリット語などのインドのものを初めとして、漢語、チベット語、モンゴル語、満州語のものがあり、西夏語のものも一部現存する。漢語やパーリ語から日本語に訳したものもこれに準じる。 大きく原始仏典と大乗仏典に分かれる。原始仏典にはパーリ五部および漢訳の阿含経典群があり、その一部は釈尊の言葉を比較的忠実に伝えているといわれる。Buddhavacana は「仏陀の言葉」という意味である。 大乗仏教の代表的な仏典としては、『般若経』、『維摩経』、『涅槃経』、『華厳経』、『法華三部経』、『浄土三部経』、『金剛頂経』などが挙げられる。大乗仏典は西暦紀元前後以降、大乗仏教教団によってサンスクリット語で編纂された。歴史上の釈尊の説ではないとする大乗非仏説もあるが、そのため抽象化された非人間的存在としてのブッダの説すなわち仏説であるとしている。般若経典群、『法華経』、『華厳経』その他がこれに含まれる。

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仏足石

善養密寺蔵) 仏足石(ぶっそくせき)は、釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたもの。 古いものは紀元前4世紀に遡るとも考えられている。また仏足石は釈迦のものとは限らず、シバ神の足跡も信仰の対象とされている。両足を揃えたものがより古い形式のもので、片足のものは比較的新しく紀元後のものと考えられる。実際の足跡ではなく三十二相八十種好の説にもとづいて、足下安平立相、足下二輪相(下記参照)などが刻まれていることが多い。古代インドでは像を造る習慣がなかったため、このような仏足石や菩提樹などを用いて、釈迦やブッダを表現した。;足下安平立相(そくげあんびょうりゅうそう);足下二輪相(そくげにりんそう);長指相(ちょうしそう);手足指網相(しゅそくしまんそう)。

見る 仏教と仏足石

仏陀

仏陀の座像(石窟庵、新羅時代) 仏陀(佛陀、ぶつだ、ぶっだ、बुद्ध、(ブッダ))は、仏(ぶつ)やほとけとも称され、悟りの最高位「仏の悟り」を開いた人を指す。歴史的には実在した釈迦を意味する。 ブッダ(「仏陀」は漢字による音写の一つ)という呼称は、インドでは仏教の成立以前から使われていた。釈迦が説いた原始仏教では、仏陀は「目覚めた人」を指す普通名詞であり、釈迦だけを指す固有名詞ではなかった。現に原始仏典にはしばしば仏陀の複数形(buddhā)が登場する。しかし釈迦の死後、初期仏教では、仏教を開いた釈迦ただ一人が仏陀とされるようになった。初期の大乗経典でも燃燈仏や過去七仏や、弥勒菩薩が未来に成仏することなど過去や未来の仏陀の存在を説いたものもあるが、現在の仏陀は釈迦一人だけであり、釈迦の死後には現在まで現れていないとされている。

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仏滅

仏滅(ぶつめつ)とは、仏・如来の入滅・滅度、すなわち死のこと。特に釈迦仏の滅度を指していわれる。   釈迦仏および阿羅漢などの死は煩悩を滅ぼしているものの、身体という重荷があるゆえの苦しみからの解放であり、絶対平安の境地そのものに入ることと考えられており、この涅槃を訳して「滅」あるいは「滅度」と呼んだ。

見る 仏教と仏滅

仏滅紀元

仏滅紀元(ぶつめつきげん、英:Buddhist calendar)とは、釈迦が入滅したとされる年、またはその翌年を元年とする紀年法である。 仏暦(ぶつれき)ともいう。東南アジアの仏教徒の多い国などで用いられている。

見る 仏教と仏滅紀元

仏教

仏教(佛敎、ぶっきょう、बौद्धधर्म、ພຸດທະສາສະໜາ、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教。仏陀(仏、目覚めた人、Buddha)の説いた教え。キリスト教・イスラム教に次ぐ世界宗教の1つで、世界で4番目に大きな宗教である(信者の数はヒンドゥー教の方が多いが、ヒンドゥー教は信者がほぼインドに限られているため、世界宗教とは言いがたい)。世界人口の7%である5億2000万人以上が仏教徒(信者)であり、特に東アジア、東南アジア、南アジアで広まっている。 教義は苦の輪廻からの解脱を目指す。原因と結果の理解に基づき、諸々の現象が縁起するとされる。

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仏教公伝

仏教の東方伝播 仏教公伝(ぶっきょうこうでん)は、国家間の公的な交渉として仏教が伝えられることを指す。上代の日本においては6世紀半ばの欽明天皇期、百済から古代日本(大和朝廷)への仏教公伝のことを指すのが一般的であり、この項でもそれについて説明する。従来は単に仏教伝来と称されたが、公伝以前にすでに私的な信仰としては伝来していたと考えられるため、区別のため「公伝」と称されることが多い。

見る 仏教と仏教公伝

仏教用語一覧

仏教用語一覧(ぶっきょうようご いちらん)では、仏教の用語を、日本語にしているものを中心として一覧形式で表す。 仏教用語は、仏教発祥の地であるインドが起源であり、そこで生まれた様々な用語は中国において、「般若」「三昧」など発音に漢字を当てはめた音訳、あるいは、「識」「空」など意味の該当する漢字に置き換えた意訳の、2種の方法によって中国語化された。さらに、それらの漢字化された仏教用語は日本にも伝わり、「有頂天」や「玄関」などといった一部の語は、一般社会においても日常語として使用されるようになった。 また、「瓦」(kapāla、鉢、頭蓋骨)や「鳥居」(torāna、仏塔の垣門)も仏教用語が起源であるとする説がある。

見る 仏教と仏教用語一覧

仏教混淆サンスクリット

仏教混淆サンスクリット(ぶっきょうこんこうサンスクリット、Buddhist Hybrid Sanskrit、BHS)とは、仏典の主に韻文の部分に見られる特殊なサンスクリットで、プラークリットの語彙がサンスクリットの語形変化を行ったり、逆にサンスクリットの語彙がプラークリットの語形変化を行うなどの特徴を持つ。仏教混淆梵語、仏教徒混淆梵語とも呼ばれる。 アメリカ合衆国の言語学者フランクリン・エジャートンが1953年に『仏教混淆サンスクリット文法および辞典』を出版してからこの名で知られるようになった。エジャートンは仏教混淆サンスクリットについて、プラークリット的な要素を持つサンスクリットではなく、サンスクリットの強い影響を受けたプラークリットの一種であると主張した。

見る 仏教と仏教混淆サンスクリット

廃仏毀釈

廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)とは、仏教を廃すること。「廃仏」は仏法を廃し、「毀釈」は釈迦(仏教の開祖)の教えを棄却するという意味である。

見る 仏教と廃仏毀釈

弁才天

蔵-->京都府木津川市・浄瑠璃寺伝来(鎌倉時代 吉祥天像厨子絵) 弁才天(べんざいてん、梵、Sarasvatī、Sarassatī)は、仏教の守護神である天部の一つ。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名である。神仏習合によって神道にも取り込まれ、様々な日本的変容を遂げた。

見る 仏教と弁才天

弾圧

弾圧(だんあつ)とは、一般に支配者がその権力を用いて反対勢力を抑圧・抑制すること。特に政治的支配層が国家権力(警察・軍事・司法)を用いて、強制的に反体制勢力を抑制しようする場合に、この用語が用いられる。一般に支配層はあらゆる機会を通して、被支配層を馴化しようとするため、いかなる政治体制であっても反対勢力の政治的影響力を抑止しようとする活動は見られ、その手法として教育、宣伝(広報)、説得などがある。

見る 仏教と弾圧

佐々井秀嶺

佐々井 秀嶺(ささい しゅうれい、1935年8月30日 - )は、インドの僧。インドラ寺住職。インド名はアーリヤ・ナーガールジュナ (Bhadant-G Arya Nagarjuna Shurai Sasai)。なお、本名については Bhadant Arya Nagarjuna Surai Sasai、Bhadant Nagarjun Surai Sasai などの表記もある。インド国籍取得前の本名は佐々井 実。

見る 仏教と佐々井秀嶺

佼成出版社

株式会社佼成出版社(こうせいしゅっぱんしゃ)は、東京都杉並区に本部を置く、立正佼成会の出版部。 立正佼成会関係の雑誌や書籍のほか、広く仏教関係の書籍、児童書、吹奏楽の楽譜などを刊行している。

見る 仏教と佼成出版社

復興

復興(ふっこう)とは、一度衰えたものが再び勢いを取り戻す事を指す。

見る 仏教と復興

律 (仏教)

律(りつ、巴:Vinaya, ヴィナヤ、漢:毘奈耶)とは、仏教において僧団(サンガ)に属する出家修行者(比丘, bhikkhu, bhikshu)が守らなければならない、規則の事である。様々な律蔵が漢訳によって伝えられたが、日本においては主に四分律が用いられた。僧侶(比丘・比丘尼)のみに課される戒である波羅提木叉(別解脱戒、具足戒)のことであり、僧団で守るべき集団規則である。 戒の中でも波羅夷罪と呼ばれる四つの罪を破った場合には僧団を追放され、再び僧侶となることはできない。また、僧残罪では、僧団を追放されるということはないが、一定期間、僧としての資格を剥奪されるなど、罪により罰則の軽重が異なる。

見る 仏教と律 (仏教)

保守

保守(ほしゅ)または保守主義(ほしゅしゅぎ、conservatism)とは、従来からの伝統・習慣・制度・考え方を維持し、社会的もしくは政治的な改革・革新・革命に反対する思想のこと、goo辞書。過激な傾向を拒否し、穏健な立場を奉ずる人物を保守主義者、勢力を保守勢力、政党を保守政党(conservative)と呼ぶ。対義語は進歩主義。

見る 仏教と保守

信(しん)は、一般的には真実で偽りのないこと小川「信」(2004)。信用。信仰。宗教・倫理の分野においてさまざまに用いられる。

見る 仏教と信

快楽主義

快楽主義(かいらくしゅぎ、hedonism)は、感覚的な快楽を幸福と捉え、これを産出する行為を正しい・善いとみなす倫理学上の立場であり幸福主義の一種である。 快楽主義はその存在の側面と当為の側面から二種に分けられる。

見る 仏教と快楽主義

修行

修行(しゅぎょう、異音:すぎょう)は、仏教における精神の鍛錬に関する用語の一つ。 財産・名誉・性欲といった人間的な欲望から解放され、生きていること自体に満足感を得られる状態を追求することを指す。 この仏教用語を元に、古代インド宗教における同質の行為や、他の宗教における精神鍛錬にも、固有の用語が無い場合にはこの語が用いられる(例:イスラーム修行)。 また一般的には、世俗的な習練、習い修めを表す語である「修業」と混同されて呼ばれることも少なくない(詳しくは後述する)。

見る 仏教と修行

心(こころ)は、非常に多義的・抽象的な概念であり文脈に応じて多様な意味をもつ言葉であり、人間(や生き物)の精神的な作用や、それのもとになるものなどを指し、感情、意志、知識、思いやり他人の心情や身の上などに心を配ることやその気持ちを指すこと、情などを含みつつ指している。

見る 仏教と心

在家

在家(ざいけ)は、仏教において、出家せずに、家庭にあって世俗・在俗の生活を営みながら仏道に帰依する者のこと。出家に対する語で、仏教用語の1つ。比丘(出家した男性信者)・比丘尼(出家した女性信者)と合わせて四衆(ししゅ)という。 仏教徒のなかで、在家の信者は、男性は優婆塞(うばそく、upāsaka, ウパーサカ)、女性は優婆夷(うばい、upāsikā, ウパーシカー)と呼ばれる。「upāsaka」という語には、仕える、敬う、礼拝するという意味があり、一般に在家信者は出家者に布施を行うことによって功徳を積む。また、出家者からは教えを受けて(法施)、生活の指針とする。 在家の仏教徒は、出家者と同じく仏・法・僧の三宝に帰依するが、戒律の種類は出家者ほど多くなく、五つの生活規則、即ち五戒と、さらに進んで八斎戒を守り、戒律を維持するための「布薩会」(懺法)に参加することが前提とされる。(ただし末法無戒を唱える一部の法華系宗派では、在家であっても五戒は無用とされる。) 真言宗および伊勢神宮の忌み言葉では角筈と呼ばれる。

見る 仏教と在家

地蔵菩薩

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。釈尊が入滅してから弥勒菩薩が成仏するまでの無仏時代の衆生を救済することを釈迦から委ねられたとされる(諸岡哲也)仏教大学大学院紀要文学研究科篇第47号(二〇一九2019年3月)。 サンスクリット語では「クシティガルバ」(क्षितिघर्भ )という。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」としている。また持地、妙憧、無辺心とも訳される。三昧耶形は、如意宝珠と幢幡、錫杖。種字は ह (カ、)𑖮。 大地が全ての命を育む力を蔵するように苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。

見る 仏教と地蔵菩薩

北インド

北インド(英語:North India または Northern India、ヒンディー語:उत्तर भारत 、شمالی ھندوستان )は、インドの北半部を大まかに示す地理的概念である。ヒンドゥスターン(Hindustan)とも呼ばれる。文化圏として広く見る場合には現在のインドだけでなく、パキスタンやバングラデシュ、ネパールにもまたがる概念である()。いっぽう同じインド領内でも南インドのほか、北東インドもあまり含まれない。

見る 仏教と北インド

ミャンマー

ミャンマー連邦共和国(ミャンマーれんぽうきょうわこく、ပြည်ထောင်စု သမ္မတ မြန်မာနိုင်ငံတော်)、通称ミャンマーは、東南アジアのインドシナ半島西部に位置する共和制国家。首都はネピドー(2006年まではヤンゴン)。 イギリスから独立した1948年から1989年までの国名はビルマ連邦、通称ビルマ。東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国、人口は5441万人(2021年)。

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マトゥラー

マトゥラー(英語:Mathura、ヒンディー語:मथुरा Mathurā、ウルドゥー語:متھرا)は、インド北部のウッタル・プラデーシュ州にある都市。インドの首都ニューデリーから145kmほど南に、タージ・マハルが在ることで知られるアーグラから50kmほど北に位置し、ヤムナー川に面している。人口298,827人(2001年)。 ヒンドゥー教の7大聖地の1つで、町の中を流れるヤムナー川にはガートと呼ばれる沐浴場があり、巡礼者が身を浸す。

見る 仏教とマトゥラー

マインドフルネス

マインドフルネス(mindfulness)とは、現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であるMindfulness Training as a Clinical Intervention: A Conceptual and Empirical Review, by Ruth A. Baer, available at http://www.wisebrain.org/papers/MindfulnessPsyTx.pdf。 瞑想、およびその他の訓練を通じて発達させることができるとされる。 語義として「今この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに捕らわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされることもある。

見る 仏教とマインドフルネス

マウリヤ朝

マウリヤ朝(マウリヤちょう、मौर्यसाम्राज्यम् 、Maurya-sāmrājya、紀元前322年頃 - 紀元前185年頃)は、古代インドで栄えたマガダ国に興った王朝である。紀元前317年頃、チャンドラグプタによって建国された。第3代のアショーカの時に全盛期を迎え、南端部分を除くインド亜大陸全域を統一した。しかしアショーカの死後国家は分裂し、紀元前2世紀初頭、シュンガ朝の勃興により滅亡した。

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チャーンドーギヤ・ウパニシャッド

チャーンドーギヤ・ウパニシャッド(छान्दोग्योपनिषत् chāndogya-upaniṣad)とは、ウパニシャッドの1つ。サーマ・ヴェーダに付属し、古ウパニシャッドの中では初期の「古散文ウパニシャッド」に分類され、『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』と並び、最初期・最古層のウパニシャッドとされる。

見る 仏教とチャーンドーギヤ・ウパニシャッド

チベット

'''チベット高原''' チベット(英語:Tibet,,,, )は、チベット高原を含む東経77から105度、北緯27から40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。チベット民族の祖国とされるこの地域は、1949年以来、中華人民共和国が実効支配しており、その主権と領有についてインドにあるチベット亡命政府と対立している。

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チベット仏教

チベット仏教(チベットぶっきょう、བོད་བརྒྱུད་ནང་བསྟན།)は、チベットを中心に発展した仏教の一派。根本説一切有部律の厳格な律に基づく出家制度、仏教の基本である四聖諦の教えから、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教であり、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持つ。中国、日本、チベットなどに伝わる北伝仏教のうち、漢訳経典に依拠する東アジア仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統のひとつをなす。 教義としては、智慧と方便を重視する。インド後期密教の流れを汲む無上瑜伽タントラが実践されている。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在するが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする。7世紀から14世紀にかけて、インドから仏教が直接チベットに伝来したので、インド仏教の伝統が途絶える寸前の時代に伝来した後期密教が継承されている。

見る 仏教とチベット仏教

チベット・ビルマ語派

チベット・ビルマ語派(チベット・ビルマごは)は、シナ・チベット語族の一語派。シナ語派(中国語)とともにこの語族を構成し、。 チベットからヒマラヤ・アッサム・中国南西部・ミャンマー・タイにかけて分布する。 シナ語派とは約5900年前に分岐したと推定されている。

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チベット語

チベット語(チベットご)は、ユーラシア大陸の中央、およそ東経77-105度・北緯27-40度付近で使用されているシナ・チベット語族(漢-蔵系)のチベット・ビルマ語派チベット諸語に属する言語。 形態論において孤立語に分類されるが膠着語的な性質ももつ。方言による差はあるが、2種ないし4種の声調をもつが、声調が存在しない方言もある。なお古典チベット語には声調は存在しなかったとされる。チベット高原における約600万人、国外に移住した約15万人のチベット人が母語として使用している。 ラサ方言を含む中央チベット方言、カム・チベット方言、アムド・チベット方言は通常は同一の言語の方言とみなされ、この3方言を総称してチベット語といわれる。特にラサ方言は標準チベット語と呼ばれる。本記事は標準チベット語を中心に記述するが、他方言についても言及する。

見る 仏教とチベット語

チベット民族

チベット民族(チベットみんぞく、Tibetan peopleまたはTibetans)は、ユーラシア大陸中央部のチベット高原上に分布する民族。チベット語を話し、人種的にはモンゴロイドに属する。

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ネワール仏教

ネワール仏教(ネワールぶっきょう、)は、ネパールのカトマンズ盆地に住むネワール族によって信仰されている密教の一派。 ネワール仏教は、や父系制に基づく非出家僧院的な仏教社会をはじめ、独自の社会宗教的な要素を発達させてきた。儀礼祭司(guruju)カーストであるヴァジュラーチャールヤ(Vajracharya、)やシャーキャ(shakya)釈迦族の末裔を自称する。もっぱら家族内で祭祀を行う。が、妻帯を伴う僧侶階級を成す一方、(Urāy、在家)ウレ―、ウダスとも。などのその他の仏教徒カーストが檀家層を担っている。ウラエ・カーストの人々は、チベット密教、上座部仏教、台密にも布施を行っている。知られている密教の宗派のうちでは最古であり、チベットの密教よりも600年以上前に成立した。また、現存する伝統的仏教としては唯一サンスクリット語が使用され続けている。

見る 仏教とネワール仏教

ネパール

ネパール()は、南アジアに位置する連邦共和制国家。首都であり最大の都市はカトマンズ。 東、西、南の三方をインドに、北方を中華人民共和国チベット自治区に接する西北から東南方向に細長い内陸国である。国土は世界最高地点エベレスト(サガルマータ)を含むヒマラヤ山脈および中央部丘陵地帯と、南部のタライ平原から成る。ヒマラヤ登山の玄関口としての役割を果たしている。面積は約147,000 km2。多民族・多言語国家であり、民族とカーストが複雑に関係し合っている。また、宗教も仏教の開祖釈迦(仏陀)の生誕地であり、ヒンドゥー教(元国教)、仏教、アニミズムなどとその習合が混在する。 農業を主たる産業とし、ヒマラヤ観光などの観光業も盛んである。

見る 仏教とネパール

バラモン

バラモン バラモン(ब्राह्मण, ブラーフマナ、婆羅門)とは、インドのカースト制度の頂点に位置するバラモン教やヒンドゥー教の司祭階級の総称。ブラフミン(brahmin)ともいう。

見る 仏教とバラモン

バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群(バーミヤンけいこくのぶんかてきけいかんとこだいいせきぐん)は、アフガニスタンの首都カーブルの北西230kmの山岳地帯に位置するバーミヤン渓谷(バーミヤーン渓谷)に設定されたユネスコの世界文化遺産(危機遺産指定中)。

見る 仏教とバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

バーヴァナー

バーヴァナー(パーリ語: BhāvanāRhys Davids & Stede (1921-25), p. 503, entry for "Bhāvanā," retrieved 9 Dec 2008 from "U. Chicago" at http://dsal.uchicago.edu/cgi-bin/philologic/getobject.pl?c.2:1:3558.pali.、サンスクリット語: bhāvanaMonier-Williams (1899), p.

見る 仏教とバーヴァナー

モンゴル国

モンゴル国(モンゴルこく、Монгол Улс,、英語:Mongolian State)は、東アジア北部にある共和制国家。首都はウランバートル。東と南の二方向を中華人民共和国、北をロシアとそれぞれ接する内陸国である。モンゴル高原のうち、外蒙古(がいもうこ、そともうこ)と呼ばれたゴビ砂漠以北の一帯にほぼ該当する領域を国土とし、国連加盟国の中で人口密度が最も低い国である。

見る 仏教とモンゴル国

モンゴル系民族

モンゴル系民族(Mongolic peoples)は、モンゴル語族の言語を母語とする諸民族の総称。主な居住域はモンゴル高原(現在のモンゴル国と中華人民共和国の内モンゴル自治区を合わせたものにほぼ一致する地域)にバイカル湖~興安嶺の一帯とバイカル湖~アルタイ山脈の一帯を合わせた地域(中央ユーラシア)。 大雑把な人口の内訳は、モンゴル国に200万、中国・内モンゴル自治区に400万、ロシア・ブリヤート共和国に20万である。詳細に見るとモンゴル国では人口約253万3100人のうち95%(約241万人)がモンゴル族(2004年統計年鑑)であり、中国には約1000万人(内モンゴル自治区に約400〜500万、それ以外の中国内に約500〜600万)のモンゴル族がいる。

見る 仏教とモンゴル系民族

僧(そう、संघ Saṃgha)は、サンガを音写した「僧伽」の略で仏教の戒律を守る男性の出家修行者である「比丘(びく)」と女性の出家修行者である「比丘尼(びくに)」の集団のこと。仏教の三宝の一つ。在家信者を含めた教団を僧(サンガ)とは呼ばず、出家者が四人以上集まったとき僧となる。男性の出家修行者の集団を比丘僧といい、女性の場合は比丘尼僧という。衆あるいは和合衆と訳される。 「僧伽に属する人々」の意である僧侶(そうりょ)が転じて個人を僧と呼ぶことが多くなっていったが、原義として僧とは戒師により親しく具足戒(波羅提木叉)を授けられ(=受戒)、これを守る出家修行者たちの集団そのものを集合的に指す。

見る 仏教と僧

僧院

僧院(そういん、monastery、sangharama)とは同一の信仰を持つ出家修行者僧が、共同生活を行うための施設。広義には寺院のことをいう。Monasteryという用語は、一般的に、さまざまな種類の宗教団体の修行施設を意味する語で、各宗教ごとに独自の修行施設を意味する用語が存在する。 基本的には、儀式の実施、聖典の学習、信仰物品の製作などを集団生活しながら行う。各僧院で定めた規則の下、鐘などの鳴らし物で時間を管理しながら、厳格に一日が進行する。

見る 仏教と僧院

ラマ (チベット)

ラマ(チベット語:བླ་མ་, ワイリー方式:, ラテン文字慣用表記:, 漢語表記:喇嘛)とは、チベット仏教における僧侶の敬称の1つ。「上師」と訳されることがある。サンスクリット語のグル(師匠・導師など)に相当する。

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ラオス

ラーンサーン王国の創設者ファ・グム(1316年-73年)の像。 ラオスの衛星写真。 ラオス人民民主共和国(ラオスじんみんみんしゅきょうわこく、ສາທາລະນະລັດ ປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ、Lao People's Democratic Republic)、通称ラオスは、東南アジアのインドシナ半島に位置する共和制国家。ASEAN加盟国、フランコフォニー国際機関参加国である。通貨はキープ、人口約733万人、首都はヴィエンチャン。 ASEAN加盟10カ国中、唯一の内陸国。面積は日本の約63%に相当し、国土の約70%は高原や山岳地帯である。北は中国、東はベトナム、南はカンボジア、南西はタイ、西はミャンマーと国境を接する。計画経済から社会主義市場経済に移行したが、ラオス人民革命党による一党独裁が続いている。

見る 仏教とラオス

リグ・ヴェーダ

リグ・ヴェーダ 『リグ・ヴェーダ』(ऋग्वेद、、Rigveda)は、古代インドの聖典であるヴェーダの1つ。サンスクリットの古形にあたるヴェーダ語で書かれている。全10巻で、1028篇の讃歌(うち11篇は補遺)からなる。

見る 仏教とリグ・ヴェーダ

レバノン

レバノン共和国(レバノンきょうわこく、)、通称レバノンは、中東のレバントに位置する共和制国家。首都はベイルート。北と東ではシリアと、南ではイスラエルと国境を接し、西には地中海を挟んでキプロスがある。

見る 仏教とレバノン

トゥバ人

トゥバ人(Тыва (Tïva);Тывалар (Tïvalar);Тыва кижи(Tïva kiži))は、エニセイ川源流域に居住するテュルク語系言語であるトゥバ語を母語とする民族である。日本語表記でツーバ人とも表記される。人種はモンゴロイドに属する。 古くは『北史』鉄勒伝、『隋書』あるいは『旧唐書』・『新唐書』にみられる「都播」や「都波」は、このトゥバ人、もしくはトゥバを自称するトファラル人やのことであると考えられている。

見る 仏教とトゥバ人

トゥヴァ共和国

トゥヴァ共和国(トゥヴァきょうわこく、、トゥバ共和国、トゥーヴァ共和国とも)は、アジアの中央部に位置し、ロシア連邦を構成する共和国の1つ。1990年12月12日、トゥヴァ自治ソビエト社会主義共和国はトゥヴァソビエト最高会議第7会議で国家主権宣言を採択し、1991年11月に独立を宣言した。国歌は「我、トゥヴァ人なり」。 東はブリヤート共和国、南はモンゴル国、西はアルタイ共和国、北西はハカス共和国、北はクラスノヤルスク地方、北東はイルクーツク州と接している。

見る 仏教とトゥヴァ共和国

ブラーフミー文字

ブラーフミー文字(ブラーフミーもじ、Brāhmī script)は、初期のブラーフミー系文字の一種である。ブラーフミー文字で書かれた最も有名な碑文としては、紀元前3世紀頃の石に刻まれたアショーカ王法勅がある。これは長い間、ブラーフミー文字の最初期の使用例であると考えられてきた。しかし、最近の南インドとスリランカにおける考古学的知見は、ブラーフミー文字が最も初期に使われたのは紀元前6世紀前後であると示唆している。年代は放射性炭素法と熱ルミネッセンス法で測定された。 ブラーフミー文字は南アジア、東南アジア、チベット、モンゴルのほとんどの文字体系の祖である。ブラーフミー数字は、現在世界中で使われているアラビア数字の元になっている。

見る 仏教とブラーフミー文字

ブリヤート共和国

ブリヤート共和国(ブリヤートきょうわこく、、ブリヤート語: )は、ロシア連邦を構成する共和国の一つ。バイカル湖の南東部に位置する。

見る 仏教とブリヤート共和国

ブリタニカ百科事典

『ブリタニカ百科事典』(ブリタニカひゃっかじてん、)は、1768年に初版が発行された英語で書かれた百科事典である。 110人のノーベル賞受賞者と5人のアメリカ合衆国大統領を含む4,000人以上の寄稿者と専任の編集者約100人によって書かれており、学術的に高い評価を受けている。日本語版は『ブリタニカ国際大百科事典』の題名で刊行されている。

見る 仏教とブリタニカ百科事典

ブータン

ブータン王国(ブータンおうこく、、)、通称ブータンは、南アジアに位置する立憲君主制国家。首都はティンプー。北は中国、東西南はインドと国境を接する。 国教は仏教(ロ・ドゥク派)。民族はチベット系8割、ネパール系2割。公用語はゾンカ語。 国旗はその模様が複雑で、竜のうろこが細かく描かれている。国花はメコノプシス=ホリドゥラ、国樹はイトスギ、国獣はターキン、国鳥はワタリガラス、国蝶はブータンシボリアゲハ。 長年鎖国政策をとっていたが、1971年に国際連合加盟。翌年に国民総幸福量という功利主義を採用した。

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ブッダガヤ

ブッダガヤ(仏陀伽耶、 )は、インド北東部ビハール州、ガヤー県にある仏教の聖地。ガンジス川の支流ニーラージャナー川(リラージャーン川、ナイランジャナー、尼連禅河)に臨む。ボードガヤー(Bodhgaya)あるいはボード・ガヤー(Bodh Gaya)、単にガヤー(Gaya) とも表記する。 釈迦(如来)が菩提樹の下で成道(悟り)を開いたとされる地として知られる八大聖地の1つで、仏教では最高の聖地とされている。紀元前3世紀頃にアショーカ王の建立とされる寺院を起源とするマハーボディ寺院がある。マラーター王国の宰相バーラージー・バージー・ラーオといった権力者も訪れている。

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ブッダガヤの大菩提寺

ブッダガヤの大菩提寺(ブッダガヤのだいぼだいじ)またはマハーボーディ寺院(महाबोधी मंदिर Mahābōdhi Vihāra、Mahabodhi Temple)はインド、ブッダガヤにある寺院。釈迦牟尼の生涯、特に悟りの達成に関連する四大聖地の1つである。古い煉瓦構造建築様式の1つである。9層からなり、52メートルの高さをもつ。ユネスコにより世界遺産に登録されている。 釈迦牟尼が悟りを開いた場所であり、ビハール州パトナーからおよそ96km離れたところに位置している。 紀元前約530年、僧として放浪している釈迦牟尼がガンジス川支流の森の岸に着いたその位置を示すために造られた。 境内には悟りの菩提樹の直系の子孫であるゴータマ・ブッダの菩提樹と9層の煉瓦造の主塔のほか、菩提樹の下にある砂岩の金剛宝座()、仏塔、アジャパラ・ニグローダ樹の跡地、ラージャタナ樹とハスの池がある。

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プンナ教誡経

プンナ教誡経(プンナきょうかいきょう、Puṇṇovāda-sutta, プンノーヴァーダ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第145経。『教富楼那経』(きょうふるなきょう)とも。類似の伝統漢訳経典としては、『満願子経』(大正蔵108)等がある。 釈迦が、比丘プンナ(富楼那)に仏法を説く。六処より入る刺激に基づいて生起する「喜悦」によって、苦が発生することを明らかにする。

見る 仏教とプンナ教誡経

パーリ語

パーリ語(パーリご、、巴利語、ภาษาบาลี)は、南伝上座部仏教の典籍(『パーリ語経典』)で主に使用される言語。バーリ語とも。なお日本における仏教関連の辞典や書物では pl などと略称される。 古代中西部インドにおけるアーリヤ系言語、プラークリット(俗語)を代表する言語である。使用歴は長く、パーリ語で書かれた偈の歴史は紀元前3世紀頃まで遡る。プラークリットの中でも最も古い言語の一つである『バウッダ 』 中村元 講談社学術文庫 p.100。パーリ語で書かれた上座部仏教経典の散文やその注釈は、5-6世紀以後にまで及び、その後も今日までスリランカ(セイロン島)を中心として、パーリ語を使用した新しい文献がある。

見る 仏教とパーリ語

パータリプトラ

パータリプトラ(サンスクリット語:Pātaliputra、パーリ語:Pātaliputta, パータリプッタ、ギリシア語:Palibothra、漢:華氏城)は、マガダ国、マウリヤ朝、およびグプタ朝の都として繁栄した古代インド世界の中心都市の1つ。現在のビハール州の州都パトナにあたる。

見る 仏教とパータリプトラ

パキスタン

パキスタン・イスラム共和国(パキスタン・イスラムきょうわこく、اِسْلامی جَمْہُورِیَہ پَاکِسْتَان)、通称パキスタンは、南アジアに位置する連邦共和制国家である。東にインド、西にアフガニスタン、南西にイラン、北東に中華人民共和国と国境を接している。北はアフガニスタンのワハーン回廊でタジキスタンと狭く隔てられており、オマーンとも海上で国境を接している。首都はイスラマバード。

見る 仏教とパキスタン

ヒンドゥー教

ヒンドゥー教(ヒンドゥーきょう、ヒンドゥーイズム、Hinduism、हिन्दू धर्म、सनातनधर्मः)、慣用表記でヒンズー教、ヒンヅー教、ヒンド教、ヒンドゥ教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教、またはインド的伝統を指す。西欧で作られた用語である。ヒンドゥー教徒の数はインド国内で10億人、その他の国の信者を合わせると約11億人以上とされ、キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目の宗教である。

見る 仏教とヒンドゥー教

ビームラーオ・アンベードカル

ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル(भीमराव रामजी आंबेडकर、Bhimrao Ramji Ambedkar、1891年4月14日 - 1956年12月6日)は、インドの政治家(ネルー内閣の法務大臣)、思想家。インド憲法の草案作成者。反カースト(不可触民改革)運動の指導者。 カースト制度の最下層(ダリット)の家庭に生まれ、同国で長く続く身分差別の因習を打破するための活動に尽力したほか、死の2か月前に約50万人の人々と共に仏教に集団改宗し、仏教復興運動を始めたことで知られている。ナーグプルの集団改宗の場所はディークシャーブーミと呼ばれ、多くの巡礼者が訪れており、「バーバーサーヒブ・アンベードカル」(Babasaheb、baba は父、saheb は敬称で、「師父」といった意味)の敬称でも呼ばれる。

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ピュー研究所

ピュー研究所(ピュー・リサーチ・センター、Pew Research Center、ピュー研究センター)は、アメリカ合衆国のワシントンD.C.を拠点としてアメリカや世界における人々の問題意識や意見、傾向に関する情報を調査するシンクタンクである。2013年1月現在の所長は前ウォールストリート・ジャーナル副編集長のAlan Murrayである。

見る 仏教とピュー研究所

ツングース系民族

ツングース系民族(ツングースけいみんぞく、Тунгусо-маньчжурские народы; Tungusic peoples; 通古斯民族, )は、中国東北部から極東ロシア、シベリアにかけての北東アジア地域に住み、ツングース語族に属する言語を母語とする諸民族のこと。 ツングース系民族は、北部 (エヴェンキ=ツングース) と南部(女真-ナナイ)の主要な2系統に分けられ、また、両者の中間グループ(オロチ-ウデヘ)が認められることがある。

見る 仏教とツングース系民族

テュルク系民族

世界のテュルク系民族の分布。濃い青色の部分はテュルク系言語を公用語にしている国。薄い青色の部分はテュルク系言語を公用語にしている自治地域。 テュルク系民族の分布。 テュルク系民族(テュルクけいみんぞく、 または、、)とは、チュルク語族の言語を使用する民族集団である、コトバンク。。ユーラシア大陸の中央部を斜めに貫く、東シベリアからトルコ共和国にまで及ぶ乾燥地域を中心にシベリア、中央アジアおよび西アジア、東欧などに広く分布する。トルコ系諸民族、テュルク系諸族などとも。

見る 仏教とテュルク系民族

ベトナム

ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく、)、通称ベトナムあるいは越南(えつなん、、ヴィエッナム/ヴィエットナム、)は、東南アジアのインドシナ半島東部に位置する共和制国家。首都はハノイ(河内)。人口約9936万人(2021年)。通貨はドン。 ベトナム共産党による一党独裁体制下にあり、東南アジア諸国連合の加盟国であり、フランコフォニー国際機関の参加国でもある。インドシナ半島の東海岸をしめるベトナムの国土は南北に長く、北は中華人民共和国、西はラオス、南西はカンボジアと国境を接する。東と南は南シナ海に面し、フィリピン、ボルネオ島(マレーシア連邦やブルネイ、インドネシア)そしてマレー半島(マレーシア連邦およびタイ王国南部)と相対する。

見る 仏教とベトナム

ベトナム共産党

ベトナム共産党(ベトナムきょうさんとう、)は、ベトナム唯一の政党。マルクス・レーニン主義やホー・チ・ミン思想を国家の指導理念として掲げ、共産主義の実現を目指す一方、1986年以降はドイモイにより、市場経済を容認・推進している。ベトナム社会主義共和国憲法第4条において「国家・社会の指導的勢力」と規定され、一党独裁を敷いている。

見る 仏教とベトナム共産党

ベトナム戦争

ベトナム戦争(べとなむせんそう、、Vietnam War)は、当時南北に分断されていたベトナムで社会主義陣営の北ベトナム(ベトナム民主共和国)と資本主義陣営の南ベトナム(ベトナム共和国)との間で勃発した戦争であり、冷戦中に起こったアメリカ合衆国とソビエト連邦の代理戦争とされる。経済力・物量の差から「象と蟻」の戦いと揶揄された。 建国当初よりベトナム南北両国は対立関係にあり、南ベトナム国内では北ベトナムに支援された反政府組織である南ベトナム解放民族戦線(解放戦線)が活動して軍や警察などと衝突していた。南ベトナムの同盟国であるアメリカ合衆国(アメリカ)は軍事顧問を送り込むなどして以前より南ベトナムを援助していたが、1964年8月のトンキン湾事件を契機として全面的な軍事介入を開始した。しかしアメリカ軍は北ベトナム軍や解放戦線側によるゲリラ戦を相手に苦戦し、最終的に和平協定を結んでこの戦争から撤退することとなった。戦争はその後、1975年4月30日に北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン市)を陥落させるまで継続した。

見る 仏教とベトナム戦争

初転法輪

初転法輪(しょてんぽうりん)とは、釈迦が初めて仏教の教義(法輪)を人びとに説いた出来事を指す。伝統的な理解においては、そこでは仏教の中核概念である四諦、八正道、中道が説かれたとされる。 釈迦は菩提樹下で悟りを開いた後(成道)、ヴァーラーナスィー(波羅奈国)のサールナート(仙人堕処)鹿野苑(施鹿林)において、元の5人の修行仲間(五比丘)に初めて仏教の教義を説いた。

見る 仏教と初転法輪

初期仏教

初期仏教(しょきぶっきょう、Early Buddhism)とは、根本分裂による部派仏教成立以前、釈迦が生きていた時代を含む初期の形態をいう。 原始仏教、根本仏教とも呼ばれるが、「原始」「根本」という言葉にはさまざまな価値的な判断の意味が含まれるため、ここでは中立的な時間的に先であることを示す「初期仏教」という用語も使用される。しかし、必ずしも時代区分ではなくオリジナルという意味で「原始仏教」という用語を用いる学者も多い。Stanislaw SchayerとJ.

見る 仏教と初期仏教

善行

善行(ぜんぎょう、ぜんこう)。

見る 仏教と善行

呪文

呪文(じゅもん)は、呪術的な効果を得るために使われる言葉であり、呪術の一要素を成す。多くは定式化されており、期待する効果に応じてそれらを使い分ける。呪文のフレーズには直喩・隠喩が多用されたり、擬音語・節回しなどの音声的な工夫がなされたりする。また神秘性によって効力が高まると考え、古語や意味不明な語句を用いたり、秘密にされたりする場合もある。またはそこから転じて、意味不明な言葉の羅列などを"呪文"と喩える場合もある。 呪術の要素として、言葉(呪文)、行為(呪法)、道具(呪具)の三つが挙げられるが、各々を単独で用いるか・組み合わせて用いるか、またどれを重視するかは文化によって異なる。従って呪文はしばしば儀式と結び付けて用いられる。また呪文を特に尊び、一言一句正確な詠唱を求める文化もあれば、呪法や呪具の効力を認めて、術者による多少の呪文改変を許す文化もある。前者の例としてはポリネシアのマオリ族やトロブリアンド島民がある。

見る 仏教と呪文

アメリカニゼーション

アメリカニゼーションまたはアメリカナイゼーション(Americanization)とは、世界各国が政治、経済、社会、文化の各面がアメリカ合衆国のようになる現象である。また、米国のメディア、食習慣、商習慣、大衆文化、テクノロジーを模倣したり嗜好したりする現象もいう。日本語ではアメリカ化や米国化と呼ばれることが多い。アメリカ化する現象・行為を和製英語で「アメリカナイズする」ともいう。 アメリカニゼーションは、1991年のソビエト連邦の崩壊と2000年代中盤の高速インターネットの登場により一般的となった。近年のヨーロッパではGoogle、Facebook、Twitter、Amazon、Apple、Uberなどの巨大ハイテク産業によるアメリカニゼーション、また課税問題と寡占のさらなる懸念が高まっている。

見る 仏教とアメリカニゼーション

アラブ首長国連邦

アラブ首長国連邦(アラブしゅちょうこくれんぽう、الإِمَارات العربِيَّة المُتَّحِدة、United Arab Emirates)略称UAE は、中東に位置し、7つの首長国からなる連邦制国家。首都はアブダビ市。 1959年に石油発見以降、「オイルマネー」で急速な経済発展を果たした国である。絶対君主制の下で、他国への軍事介入や内政干渉、外交的圧力などの積極的な外交政策を取っている。アラビア半島の、ペルシア湾南岸およびオマーン湾西岸にあり、対岸のイランと向かい合う。東部ではオマーンと、南部および西部ではサウジアラビアと陸上国境を接する。カタールとは国境を接していないが、カタールとの間のサウジアラビアの一部地域の領有権をめぐる論争が発生している。

見る 仏教とアラブ首長国連邦

アルボムッレ・スマナサーラ

アルボムッレ・スマナサーラ(අලුබෝමුල්ලේ සුමනසාර Alubomulle Sumanasara、1945年4月 - )は、イギリス領セイロン(現・スリランカ)出身の僧侶。スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老であり、スリランカ上座仏教シャム派の日本大サンガ主任長老、日本テーラワーダ仏教協会長老、スリランカ・キリタラマヤ精舎住職。日本において仏教伝道、および瞑想指導を行う。『怒らないこと』(サンガ新書)など多数の著書がある。仏教とは今この場で役に立ち、自ら実践し理解する智慧の教えであると説く。

見る 仏教とアルボムッレ・スマナサーラ

アートマン

アートマン(आत्मन् Ātman)は、ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我とも訳される。 インド哲学の様々な学派における中心的な概念であり、アートマン、個人の自己(Jīvātman)、至高の自己(Paramātmā)、究極の現実(Brahman)の関係について学派によって異なる見解を持っている。これらは、完全に同一である(Advaita, 非二元論者)、完全に異なる(Dvaita, 二元論者)、非異なると同時に異なる(Bhedabheda, 非二元論者+二元論者)、などといった見解らがある。 ヒンドゥー教の6つの正統派では、すべての生命体(Jiva)にはアートマンが中に存在しているとの見解を持ち、これは「体と心の複合体」とは異なるものである。この見解は仏教と大きく異なる点であり、仏教では(永遠に存続し・自主独立して存在し・中心的な所有主として全てを支配する)な我の存在を否定して無我説を立てた。

見る 仏教とアートマン

アフリカ

国連による世界地理区分 衛星画像 NASA) 南部アフリカ アフリカ(、)は、広義にはアフリカ大陸およびその周辺のマダガスカル島などの島嶼・海域を含む地域の総称で、大州の一つ。漢字表記は阿弗利加であり阿州(阿洲、あしゅう)とも呼ぶ。省略する場合は「阿」を用いる。

見る 仏教とアフリカ

アウェアネス

アウェアネス(awareness)は、意識、気づき、といった意味を持つ英語。日本語圏でこのカタカナ語が使われるのは、主に次の二つの文脈。

見る 仏教とアウェアネス

アショーカ

アショーカ(अशोकः、IAST:、Asoka、訳:無憂〈むう〉、在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)は、マウリヤ朝の第3代のラージャである。 漢訳音写では阿育王と書かれる。インド亜大陸をほぼ統一した(インド史上最大)。 釈尊滅後およそ100年(または200年)に現れたという伝説もあるアショーカは、古代インドにあって仏教を守護したことで知られる。アショカとも表記される。アショーカの名前は花のアソッカ(無憂樹)を由来とする。

見る 仏教とアショーカ

アジア

アジアを中心とする地域の衛星写真 アジア(英語, ラテン語, ギリシャ語) は、世界の大州の一つ。現在では一般的にヨーロッパを除くユーラシア大陸全般を指すが、政治的・経済的な立場の違いにより、さまざまな定義がなされる場合がある。漢字表記は亜細亜で、亜州(亜洲、あしゅう)とも呼ぶ。省略する場合は亜の一字を用いる。 古代メソポタミアのアッカド語 “ 出る ” が語源で、本来は “東、東方” を意味する言葉である。現在の一般的な定義は、ヨーロッパの人たちから見た東・西の区分を反映したものになっている。

見る 仏教とアジア

イラン

イラン・イスラム共和国(イラン・イスラムきょうわこく、جمهوری اسلامی ایران)、通称イランは、アジア・中東に位置するイスラム共和制国家。首都はテヘラン。 北西にアルメニアとアゼルバイジャン、北にカスピ海、北東にトルクメニスタン、東にアフガニスタンとパキスタン、南にペルシア湾とオマーン湾、西にトルコ、イラク(クルディスタン)と境を接する。また、ペルシア湾を挟んでクウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦に、オマーン湾を挟んでオマーンに面する。ペルシア、ペルシャともいう。公用語はペルシア語。

見る 仏教とイラン

インド

インド(भारत、India)インド憲法上の正式名称。 またはインド共和国(インドきょうわこく、भारत गणराज्य、Republic of India)ヒンディー語の名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ)を日本語訳したもの。 は、南アジアに位置し、インド亜大陸の大半を領してインド洋に面する連邦共和制国家。首都はデリー(ニューデリー)、最大都市はムンバイ。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、ミャンマー、バングラデシュと国境を接する。海を挟んでインド本土がスリランカやモルディブと、インド洋東部のアンダマン・ニコバル諸島がインドネシアやタイ南部、マレーシアに近接している。

見る 仏教とインド

インドにおける仏教の弾圧

インドにおける仏教の弾圧(インドにおけるぶっきょうのだんあつ)では、5世紀頃にインドで起きた仏教の弾圧について述べる。これにより、13世紀までにインド国内の仏教はほぼ完全に一掃された。

見る 仏教とインドにおける仏教の弾圧

インドにおける仏教の衰退

インドにおける仏教の衰退(インドにおけるぶっきょうのすいたい)は、仏教が誕生の地インドを越えて繁栄する時も、様々な理由で発生したPromsak, pg.14。現在のインドでは仏教徒の占める人口は1%に満たない。

見る 仏教とインドにおける仏教の衰退

インドの仏教

インドの仏教(インドのぶっきょう)は、2011年国勢調査によると840万人以上の仏教徒がおり、人口の約0.7%を占める。うちの87%が新仏教徒(ナヴァヤーナ仏教)であり、彼らは他の宗教、主にヒンドゥー教のカースト制度から逃れるために改宗した不可触民であった。その他13%は、ヒマラヤ北東部と北部地域の伝統的コミュニティ(上座部仏教、大乗仏教、密教)に属している。 仏教は、古代インド十六大国の一つ、コーサラ国に生まれた釈迦牟尼(ガウタマ・シッダールタ)が、インダス川中流域で提唱し、発生した。インド亜大陸に広まった仏教は、ヒンドゥー教社会のなかで、バラモン教・ヒンドゥー教といったヴェーダの宗教や、ゾロアスター教・ギリシア宗教といった外来の宗教、そして民間信仰といった、他の宗教と相互に影響を及ぼしながら発展した。

見る 仏教とインドの仏教

インド仏教復興運動

インド仏教復興運動(いんどぶっきょうふっこううんどう)は、近現代のインドにおいて主に支配的な宗教であるヒンドゥー教に対抗し、仏教を再興しようとする動きを指す。新仏教運動(しんぶっきょううんどう、Dalit Buddhist movement, neo-Buddhist movement)、仏教復興運動、仏教再興運動ともいう。明確な者は、この運動をナヴァヤーナ(梵, Navayāna, 「新しい乗り物」の意)と呼ぶ。 インド政府の宗教統計によれば、インドにおける仏教徒の割合は2001年には総人口の0.8%である。一方で、インド仏教徒の指導者で、現在インド仏教組織の頂点に立っている佐々井秀嶺らは、インドの仏教徒はすでに1億人を超えていると主張している。他に信徒の実数を2000万人とする推計もある。

見る 仏教とインド仏教復興運動

インド哲学

インド哲学(インドてつがく、、ダルシャナ)は、哲学の中でもインドを中心に発達した哲学で、特に古代インドを起源にするものをいう。インドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく、インド哲学の元になる書物は宗教聖典でもある。インドの宗教にも哲学的でない範囲も広くあるので、インドの宗教が全てインド哲学であるわけではない。しかし、伝統的に宗教的な人々は哲学的な議論をしてその宗教性を磨いている伝統がある。 古来の伝統と思われる宗教会議が現在も各地で頻繁に行われている様子で、会議では時には宗派を別にする著名な人々が宗教的な議論を行う。これは数万人の観衆を前にして行われることもあり、白熱した議論が数日にかけて、勝敗が明らかになるまで行われることもある。この場合、判定をする人物がいるわけではなく、議論をする当人が議論の成行きをみて、自らの負けを認める形を取るようである。

見る 仏教とインド哲学

イスラム教

イスラム教(イスラムきょう)、イスラーム教、イスラム、イスラーム(アラビア語:الإسلام, al-Islām, アル=イスラーム)は中東で生まれた一神教の名称。 唯一絶対の神(アッラー)を信仰し、神が最後の預言者を通じて人々に下した(啓示した)とされるクルアーンの教えを信じ、従う一神教である。漢字圏においては回教(かいきょう)または回々教(フイフイきょう)と呼ばれる。 ユダヤ教やキリスト教と同じセム系の一神教で、偶像崇拝なお、いわゆる「偶像崇拝」が神像を用いた礼拝と同義であるのかを巡っては、宗教や個人により大きな開きがあるを徹底的に排除し、神への奉仕を重んじるとともに、全ての信徒がウンマと呼ばれる信仰共同体に属すると考えて、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色があるとされる。

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カルムイク人

カルムイク人(カルムイクじん、オイラト語: хальмг,хальмгуд,Kalmyk)とは、ロシア(主にカルムイク共和国)とキルギスに住むモンゴル系民族(オイラト)の一部族。カルムイキア、カルミック、カルムックとも。

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カンボジア

カンボジア王国(カンボジアおうこく、ព្រះរាជាណាចក្រកម្ពុជា)、通称カンボジアは、東南アジアのインドシナ半島南部に位置する立憲君主制国家。東南アジア諸国連合加盟国であり、通貨はリエルである。人口1671万人、首都はプノンペン。 南はタイランド湾に面し、西はタイ王国、北はラオス、東はベトナムと国境を接する。国民の90%以上が、クメール語(カンボジア語)を話し、仏教(上座部仏教)を奉ずるクメール人(カンボジア人)である。国歌は『王国』である。

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カースト

スペイン植民地におけるカーストを描いた図。この語がインドのヴァルナとジャーティにも使われるようになった カースト(Caste19世紀までの英語綴りは cast であった。語源は、ポルトガルの航海者がインドで目にした社会慣行に対して与えたカスタ(Casta)である。)とは、ヒンドゥー教における身分制度・ヒエラルキー(ヴァルナとジャーティ、ヴァルナ・ジャーティ制)を指すポルトガル語・英語だが藤井(2007)、インドでは、現在も「カースト」でなく「ヴァルナとジャーティ」と呼ぶ。本来はヒンドゥーの教えに基づく区分であるが、インドではヒンドゥー以外の宗教でも、カーストの意識を持つ者がいる。 紀元前13世紀頃に、インド亜大陸の先住民を征服したアーリア人諸部族に根付く原始信仰による神権政治の元、バラモン(祭司)・クシャトリヤ(武士)・ヴァイシャ(平民)・シュードラ(隷属民)の4つの身分の括りが取り決められヴァルナとして定着した。時代が下るにつれ、さらに世襲の職業に基づく現実の内婚集団であるジャーティへと細分化され、親の身分が子へと引き継がれていく。今生の者は、前世の業の報いによりその身分のもとに生まれ、生涯役目を全うすることによって来世の福が保証されるという、徹底した宿命観を篤く信仰している。

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カトマンズの渓谷

カトマンズの渓谷(カトマンズのけいこく、Kathmandu Valley)は、ネパールの首都カトマンズのある盆地一帯のこと。ユネスコの世界遺産に登録されている。通常はカトマンズ盆地(काठमाडौं उपत्यका)と呼ばれる。周囲を標高の高い年中雪を抱くヒマラヤの山々に囲まれ緑深く、世界的にも貴重な歴史のあるカトマンズ、パタン、バクタプルという3つの芸術、文化性の高い都市を抱く。

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カギュ派

カギュ派 (བཀའ་བརྒྱུད་、ワイリー方式)は、チベット仏教の四大宗派の一つ。11世紀頃のチベットへの後伝期に翻訳されたタントラに主として従う、に属する。開祖はマルパ訳経師(マルパ・ロツァワ)と弟子のミラレパであり、ミラレパ以来の伝統として「レパ」と呼ばれる在家の瑜伽行者が白い綿衣を身に纏うことから古くは「白派」と漢訳された。 後期密教の代表的な経典の一つである『勝楽タントラ』(チャクラサンヴァラ)を依経として、倶生智(くしょうち)の体得と理解を説く「マハームドラー」(大印契)を最奥義とする密教の教義や、大成就法の分類方法が古派や他派と異なる。

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カタール

1966年から1976年までの国章 カタール国(カタールこく、、Dawlat Qaṭar、ダウラト・カタル)、通称カタールは、西アジアに位置する国家。中東のアラビア半島北東部に位置するカタール半島を領土とし、南はサウジアラビアと国境を接し、残りの領土はペルシャ湾に囲まれている。ペルシャ湾の入り江であるバーレーン湾が、カタールとバーレーンを隔てている。首都は国民の8割以上が住むドーハで、国土の大部分は平坦な低地の砂漠で構成されている。 1868年にムハンマド・ビン・サーニーがイギリスと条約を結び、独立国としての地位を認められて以来、カタールはサーニー家による世襲君主制国家として統治されてきた。

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ガンダーラ

ガンダーラ(健馱邏、犍陀羅、Gandhāra、Gāndhāraḥ)は、現在のパキスタン北西部に存在した古代王国。首都バクラームなどを中心に栄えた。カーブル川北岸に位置し、その西端は現在のアフガニスタンの首都カーブル付近まで、東端はインダス川を越えてカシミール渓谷の境界部まで達していた。 ガンダーラ王国は紀元前6世紀から11世紀に存続し、1世紀から5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えた。1021年にガズナ朝のスルタン・マフムードにより征服された後、ガンダーラの地名は失われた。イスラム支配下ではラホールやカーブルが地域の中心都市となり、ムガル帝国の支配下ではカーブル州の一部とされた。

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ガンジス川

ガンジス川(ガンジスがわ、गंगा)は、ヒマラヤ山脈の南側、インド亜大陸の北東部を流れる大河である。長さは約2525km、流域面積は約173万km2(ただしブラフマプトラ川水系を除くと約84万km2)。

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キリスト教

キリスト教(キリストきょう、Χριστιανισμός、Christianitas、Christianity)は、イエスを救い主(キリスト、メシア)として信仰する宗教「キリスト教」『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、146頁。「キリスト教」『大辞泉』増補・新装版、小学館、1998年、第一版、714頁。「」デジタル大辞泉、小学館、コトバンク。。キリスト教では、イエスが神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。ほとんどのキリスト教派は、「父なる神」と「その子キリスト」と「聖霊」を唯一の神(「三位一体」)として信仰する。基督教とも表記される。 2020年時点で、世界における信者数(キリスト教徒)は23億8200万人ほどで、世界人口に占める比率は約31%であり全ての宗教の中で最も多い。

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キーターギリ経

キーターギリ経(キーターギリきょう、Kīṭāgiri-sutta, キータギリ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第70経。『枳吒山邑経』(きたくさんゆうきょう)、『阿湿貝経』(あしつかいきょう)とも。 類似の伝統漢訳経典としては、『中阿含経』(大正蔵26)の第195経「阿湿貝経」がある。 釈迦が、キーターギリ(キーター山)で比丘たちに心得を説く。

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シルクロード

シルクロード(絹の道、Silk Road, Seidenstraße, 絲綢之路, 丝绸之路;; )は、紀元前2世紀から15世紀半ばまで活躍したユーラシア大陸の交易路網である。全長6,400キロメートル以上、東西の経済・文化・政治・宗教の交流に中心的な役割を果たした。

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シンハラ人

県別のシンハラ人のパーセンテージ(1981年または2001年の国勢調査より) シンハラ人(シンハラじん、; Sinhala Jathiya、)は、スリランカの民族。シンハリ人とも呼ばれる。先住民のドラヴィダ人とインド・アーリア人が混合した民族である。

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シベリア

       シベリア連邦管区        シベリア        広義の(歴史的)シベリア シベリア(Siberia 、Сибирь )は、ロシア連邦領内のおよそウラル山脈分水嶺以東の北アジア地域である。漢字表記で西比利亜、または西伯利亜とも書く。かつては日本語でシベリヤという表記も多くみられた。シベリアの名称はシビル・ハン国に由来する。1世紀頃の現在のモンゴル国の領域には鮮卑が暮らしており、鮮卑は西域からはシビルと呼ばれており、この名前が代々使用され、シベリアの語源となった。

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スリランカ

スリランカ民主社会主義共和国(スリランカみんしゅしゃかいしゅぎきょうわこく)、通称スリランカは、南アジアのインド亜大陸の南東にポーク海峡を隔てて位置する共和制国家。旧国称はセイロンで、現在もこの国が占める主たる島をセイロン島と呼ぶ。最大都市はコロンボで、首都はコロンボ郊外に位置するスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ。人口は約2,167万人(2018年)である。 1948年2月4日にイギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立。1972年にはスリランカ共和国に改称し、英連邦内の共和国となり、1978年から現在の国名となった。 国語はシンハラ語とタミル語で、国民の3/4がシンハラ人で構成される。また、国民の7割が仏教徒(上座部仏教)である。国の花はスイレンの花、国の宝石はブルーサファイア、国技はバレーボール。

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スリランカの仏教

スリランカの仏教(スリランカのぶっきょう)はスリランカ人口の約70%が信仰しており、2012年では1422万人の信徒を持つ。スリランカ憲法第9条において、仏教に「第一の地位」を与えると明記されている。しかし仏教が公的には国教ではないことは確かである。 南伝仏教とも呼ばれるスリランカの仏教は、分別説部(赤銅鍱部)の流れを汲み、パーリ語経典を奉じる上座部仏教と称する仏教であり、シンハラ人を中心に信仰を集める。ミャンマー・タイなど東南アジアに広まった上座部仏教は、このスリランカの仏教が起源である。 比丘サンガのシステムが堅持されており、出家者は比丘の戒律(具足戒)を守り、瞑想修行を通じて、涅槃への到達を目指す。北伝仏教の大乗仏教側からは、個人の覚りを優先する小乗仏教と呼ばれることもあったが、この語は蔑称である。

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スッタニパータ

『スッタニパータ』(Sutta Nipāta)は、セイロン(スリランカ)に伝えられた、いわゆる南伝仏教のパーリ語経典(原始仏典)の小部に収録された経のこと。 「スッタ」(Sutta)はパーリ語で「経」の意、「ニパータ」(Nipāta)は「集まり」の意、あわせて『経集』の意となり、『南伝大蔵経』のようなパーリ語経典日本語訳の漢訳題名でも、この名が採用されている。 文字通り古い経を集めたものであり、その一部に対応する漢訳経典としては『義足経』(大正蔵198)がある - 中央学術研究所。第4章と第5章に対する註釈として、サーリプッタ(舎利弗)の作と伝承される同じく小部に収録されている『義釈』がある。

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スタンフォード大学

スタンフォード大学(スタンフォードだいがく、Stanford University 略称SU)は、カリフォルニア州スタンフォードに本部を置くアメリカ合衆国の私立大学。登記上の正式名称はリーランド・スタンフォード・ジュニア大学(Leland Stanford Junior University)。 1891年に創立され、第二次大戦後の数十年間でとくにリモート・センシング技術や地震観測技術、情報工学・コンピューターサイエンスなどの発展で大きな役割を果たし、アメリカを代表する名門校のひとつに成長した。 現在の大学ランキングでは、タイムズ・ハイヤー・エデュケーションで世界・米国内ともに第2位(2024年)、USニューズ誌で米国内第3位と(2024年)、研究・教育に秀でた総合大学として高い評価を受ける。また学部段階での合格率は 3.68%と、ハーバード大学と並んで全米最難関のグループである。

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セイロン島

セイロン島(セイロンとう、Ceylon )は、インド洋に浮かぶ島嶼の一つ。現在はスリランカの呼称を使う場合もある。

見る 仏教とセイロン島

タミル人

273x273ピクセル Thillai Nataraja Temple, Chidambaram。タミルの王達は芸術のパトロンとなり、多くの寺院を建てた タミル人(タミルじん、英語:Tamil、タミル語:தமிழர்)は、主に南インドのタミル・ナードゥ州やスリランカの北部・東部に住み、タミル語を話すドラヴィダ系民族。タミル語を話すことに加えて、タミル氏族で生まれた人々を、タミル人と見なす場合もある。

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タルムード

タルムード(תלמוד Talmud、「研究」の意)は、モーセが伝えたもう一つの律法とされる「口伝律法」を収めた文書群である。6部構成、63編から成り、ラビの教えを中心とした現代のユダヤ教の主要教派の多くが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活・信仰の基となっている。ただし、聖典として認められるのはあくまでヘブライ語で記述されたもののみであり、他の言語に翻訳されたものについては意味を正確に伝えていない可能性があるとして聖典とはみなされない。と対比してバビロニア・タルムード(ヘブライ語版)と呼ばれることがある。

見る 仏教とタルムード

タントラ

タントラ(तन्त्र Tantra)とは、。

見る 仏教とタントラ

ターリバーン

ターリバーン、タリバーン、タリバン(طالبان、、TalibanまたはTaleban、「学生たち」または「神学生、求道者」の意)とは、アフガニスタンを実効支配するイスラム教スンナ派(多数派)諸派デーオバンド派のイスラム原理主義組織である。 指導部はパキスタンのカラチやカイバル・パクトゥンクワ州のデーオバンド派マドラサで宗教教育を受けたパシュトゥーン人が多数を占める。

見る 仏教とターリバーン

タイの仏教

タイの仏教(タイのぶっきょう)では、タイ王国の仏教について述べる。同国では主に上座部仏教が信仰されている。

見る 仏教とタイの仏教

タイ王国

タイ王国(タイおうこく、ราชอาณาจักรไทย )、通称タイ(ประเทศไทย )は、東南アジアに位置する立憲君主制国家。首都はバンコク都。 東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国、通貨はバーツ、人口6609万人(2022年、 内務省による)である。

見る 仏教とタイ王国

サンカーラ

仏教用語のサンカーラ(Saṅkhāra)、サンスカーラ(Saṃskāra)とはパーリ語およびサンスクリット語に由来し、一緒になったもの、纏めるものという意味合いである。伝統的に行(ぎょう)と訳される。 サンカーラには主に二つの意味がある。 一つ目の意味では、サンカーラは一般的に「条件づけられたものごと」「因縁によって起こる現象」をさす。諸行無常として説かれる。 二つ目の意味では、サンカーラは行蘊(Saṃskāra-Skanda)として業をさし、それらは縁起の原因とされる。心の中の「なにかをしたい」という衝動のことであり、その衝動はその直前の状態から生まれているのである。ある行動(karma, 業)を取ることで、その次の行動をしたいという欲求が自動的に現れるのである。

見る 仏教とサンカーラ

サンスクリット

Bhujimolという書体を使って書かれており、椰子の葉からできている (貝葉)。 サンスクリット(संस्कृतम् 、Sanskrit日本語の「サンスクリット」という単語は英語由来: )は、古代インド・アーリア語に属する言語。北西方からインドを訪れたとされるアーリア人によって話された古代語。後に文法家パーニニが文法を詳細に研究した。 アーリア人らが定住した北インドを中心に南アジアで用いられ、その影響を受けた東アジア、東南アジアの一部でも使用された。文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられ、特に大乗仏教の多くの仏典がこの言語で記され、ヒンドゥー教では現在でも礼拝用言語である。現在では母語話者は少ないが権威は大きく、現代インドでは憲法第8附則で当初から公用語に指定されており、紙幣での金額記載にも含まれる。

見る 仏教とサンスクリット

サティ (仏教)

パーリ語でサティ(sati、smṛti:スムリティ)とは、特定の物事を心に(常に)留めておくことである。日本語ではや、気づき、英語ではマインドフルネス (mindfulness)などと表現する。漢訳で念。仏教の実践において正念(しょうねん、sammā-sati)とは、の一つとして重視される。正しい念は、三十七道品のなかのなどにおける念とあるように、基本概念の一つである。対象に執着あるいは嫌悪などの価値判断を加えることなく、中立的な立場で注意を払うことを意味し、仏教における瞑想の基礎的な技術の一つであり、念を深めると心が固定され、何事にも惑わされないの状態に至るとされる。

見る 仏教とサティ (仏教)

サウジアラビア

サウジアラビア王国(サウジアラビアおうこく、المملكة العربية السعودية)、通称サウジアラビアは、中東・西アジアに位置する絶対君主制国家。首都はリヤド。 世界2位の原油埋蔵量を持つ国であり、世界最大級の石油輸出国でもある。イスラム教最大の聖地メッカ(マッカ)と第2のマディーナ(メディナ)を擁する。世界銀行の定義では高所得国に分類され、アラブ諸国で唯一G20に加盟しているが、産業の多様性には乏しく、天然資源開発が主要産業となっている。 死刑制度や信教の自由・女性の人権が抑制されている状況など、欧州と異なる文化・法体制に対して国際社会から批判もある(詳細は#人権)。

見る 仏教とサウジアラビア

唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国であり、中央アジアや東南アジア、北東アジア諸国(朝鮮半島や渤海、日本など)に政制・文化などの面で多大な影響を与えた。首都は長安に置かれた。

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儒教

儒教の始祖、孔子 儒教(じゅきょう)は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上に亘り強い影響力を持つ。その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。

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内蒙古

内蒙古(ないもうこ、うちもうこ、満洲語: 転写:dorgi monggo、モンゴル語: 転写:dotood mongol、内蒙古 )は、清朝に服属する「外藩蒙古」に属する諸部族・諸侯を南北に大別したうち、南方に位置する諸部族・諸侯。清朝時代、内蒙古は「内扎薩克」()とも呼ばれた。 19世紀後半、伝祁韻士著『皇朝藩部要略』(1839–1845編、1884刊)や張穆『蒙古遊牧記』 (1859) などの文献で初めて出現した概念だが、法制上使用された呼称ではなく、清朝の最末期の1908年に編纂された『理藩部則例』では、上記2書のいう「内蒙古」や「外蒙古」に対して「内扎薩克」、「外扎薩克」という呼称が使用されている。

見る 仏教と内蒙古

仏教用語の処(しょ、梵・āyatana )は、感覚器、感覚媒体、感覚範囲を意味する。仏教では、6つの内部感覚器六根(ろっこん)と、6つの外部感覚器六境(ろっきょう)に分類される。 内部と外部の感覚器は、以下に対応する。

見る 仏教と処

出家

出家(しゅっけ、pabbajjā、प्रव्रज्या ) とは、師僧から正しい戒律である『沙弥戒』や『具足戒』を授かって世俗を離れ、家庭生活を捨て仏教コミュニティ(僧伽)に入ることである。落飾(らくしょく)ともいう。帰依する者(信者)の中では在家(Upāsaka; ざいけ)と対比される。対義語は還俗(げんぞく、“俗界に還る”の意)。 インドでは、紀元前5世紀頃、バラモン教の伝統的権威を認めない沙門(しゃもん,サマナ)と呼ばれる修行者が現れ、解脱(げだつ)への道を求めて禅定や苦行などの修行に勤しんだ。有力な沙門の下には多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、釈迦もその沙門の1人であった。仏教における出家の伝統はこれに由来する。

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出離

出離(しゅつり)、離欲(りよく)、ネッカンマ(Nekkhamma)とは、「世俗的世界から離れて、聖なる生活を送る」「欲望、渇望、五欲から自由になること」といった意味をもつ仏教用語である。カーマ(Kāma)の対義語にあたる。 仏教において、出離を思惟することは、八正道のうち正思惟の一つである。上座部仏教においては十波羅蜜の一つに出離波羅蜜がある。

見る 仏教と出離

全日本仏教会

公益財団法人全日本仏教会(ぜんにほんぶっきょうかい)は、日本の伝統仏教諸宗派(2012年4月現在59宗派)によって合同で設立された伝統仏教を代表する財団法人。略称は「全仏」(ぜんぶつ)。「ぜんふつ」は誤読。仏旗および法輪をシンボルとして掲げる。2018年時点で、59の宗派、36の都道府県仏教会、10の各種仏教団体が加盟している。日本の伝統仏教界を代表する唯一の総連合体である。 加盟団体に所属する寺院・教会等は7万を超える。日本仏教界を代表して世界仏教徒連盟に加盟しているほか、神道・キリスト教・新宗教の連合体と日本宗教連盟を構成している。その名称から、弁護士会と同様、日本の伝統仏教諸宗派・寺院全てが加盟していると思われがちだが、実際には全仏に加盟していない宗派・単立本山寺院も存在する(日蓮正宗など)。一方で、仏教系新宗教である念法眞教、孝道教団、本門佛立宗が全仏に加盟している。また、国柱会や日本山妙法寺大僧伽など、全仏を脱退した団体も存在する。

見る 仏教と全日本仏教会

八大聖地

仏教の八大聖地(はちだいせいち)は、仏教における重要な8つの聖地の総称。ゴータマ・ブッダの伝記に関わる遺跡である。7つは、歴史的なものであるが、サンカーシャだけは、伝説に基づいたものである。 印は四大聖地。

見る 仏教と八大聖地

八正道

八正道(はっしょうどう、ariya-aṭṭhaṅgika-magga, ārya-aṣṭāṅga-mārga )は、仏教において涅槃に至るための8つの実践徳目である正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のこと。八聖道(八聖道分)、八支正道、もしくは八聖道支ともいう。「道(magga)」とは仏道、すなわち解脱への道のこと。 八正道は釈迦が最初の説法(初転法輪)において説いたとされる。四諦のうちでは道諦にあたり、釈迦の説いた中道の具体的内容ともされる。

見る 仏教と八正道

公明党

公明党(こうめいとう、)は、日本の政党。宗教団体の創価学会を支持母体として中道政治の実現を目指して結成された。 略称は公明。1字表記の際は公。現在の党キャッチコピーは、「小さな声を、聴く力。」。 1999年10月5日から2009年9月16日まで、および2012年12月26日から現在まで自由民主党と自公連立政権を構成している。

見る 仏教と公明党

六道

六道(ろくどう、りくどう、ṣaḍ-gati)とは、仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(あるいは境涯)のこと。六趣、六界ともいう。 gati は「行くこと」「道」が原意で、「道」「趣」と漢訳される。 六道には下記の6つがある:。

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共産主義

主にマルクス・レーニン主義系の共産主義のシンボルともされる赤い星 共産主義(きょうさんしゅぎ、Communism、Kommunismus、Коммунизм、コミュニズム)とは、財産を私有ではなく共同体による所有(社会的所有)とすることで貧富の差をなくすことをめざす思想・運動・体制。 広義には古代からのキリスト教共産主義なども含む。 19世紀に「共産主義」の主要な潮流となったカール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスらは、資本主義による社会の私有化に対して、土地や工場などの主要な生産手段の社会的所有を主張した(マルクス主義)。なお彼らは「共産主義」と「社会主義」をほぼ同義として用いた。

見る 仏教と共産主義

前世

前世(ぜんせ)とは、ある人生を起点として、それより前の人生のことを指す。古くは転生を内包するヒンドゥー教や仏教などの宗教的世界観のなかで認められ、加えて現代ではニューエイジや、スピリチュアリティによっても支持されている。少数の研究を除き一般に科学的には認められていない概念であり、個人が前世の存在を認めるか否かは内面の信条によって異なる。

見る 仏教と前世

創価学会

創価学会の三色旗青は「平和」、黄は「栄光」、赤は「勝利」を表すとされる。 創価学会(そうかがっかい、)は、日本の宗教団体(宗教法人)。日蓮の仏法を信仰する法華経系の在家仏教団体。 1930年(昭和5年)11月18日、創価教育学会として創立。国内に公称827万世帯の会員(信者)を擁する。創価学会では、信者を「学会員」と称する。 「創価」とは、「価値創造」の意。「生命の尊厳に基づく人類の幸福と世界平和の実現を中心とした価値の創造」を意味する。 『聖教新聞』(日刊紙)、『創価新報』(月刊紙)、『大白蓮華』(月刊誌)などの機関紙誌を発行。 1964年(昭和39年)に結党された日本初の宗教政党である公明党の支持母体である渡辺和子『オールカラーでわかりやすい! 世界の宗教: 信仰の歴史といまがわかる!』西東社、2015年7月10日 ISBN 9784791623143、242ページ、「創価学会: わが国ではじめて宗教政党を結成 三代会長のもとで大教団に発展した法華経系の在家仏教」。

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因果

因果(いんが)は、原因と結果を意味する用語。仏教用語として用いられる場合は業(カルマ)論と関連せしめられて自己の境遇に関する因果関係として語られる。時代の関係を考慮し、ヴェーダ、仏教の順で解説する。 因果は 転じて原因と結果のことを指すようになった。 ある事象を惹起させる直接的なもとと、それによってもたらされた事象。一般には、事象Aが事象Bをひき起こすとき、AをBの原因といい、BをAの結果という。このとき、AとBの間には因果関係があるという。 また果報(かほう)とは、過去の行為を原因として、現在に結果として受ける報いのこと。因に対する果、業に対する報に由来する。

見る 仏教と因果

因果性

因果性(いんがせい、)とは、2つの出来事が原因と結果という関係で結びついていることや、あるいは結びついているかどうかを問題にした概念である。日本語では「因果関係」ともいう。

見る 仏教と因果性

国教

国教(こっきょう)とは、国家が法的かつ公式に保護し、活動を支援する宗教のこと。

見る 仏教と国教

四向四果

四向四果 (しこうしか)とは、原始仏教や部派仏教における声聞によって悟りに至る階位のことであり、預流向・預流果・一来向・一来果・不還向・不還果・阿羅漢向・阿羅漢果のこと。四双八輩ともいう。 果とは、到達した境地(果位)のことであり、向は特定の果に向かう段階のことである。4つの果を合わせて四沙門果(ししゃもんか)とも言う。 原始仏教・部派仏教では、阿羅漢果は修行者の到達しうる最高位であり、それ以上に学ぶ必要が無いので阿羅漢果を無学位といい、阿羅漢果に達した者を無学という。四向四果のうちで阿羅漢果未満の預流果・一来果・不還果を有学位といい、阿羅漢果未満の聖者(七輩)を有学という。

見る 仏教と四向四果

四天王

四天王(してんのう、Caturmahārāja)は仏教における神々であり、六欲天の第1天、四大王衆天(しだいおうしゅてん、四王天、Cāturmahārājika )の主。四大王(しだいおう)ともいう。 東方の持国天(じこくてん)、南方の増長天(ぞうちょうてん)、西方の広目天(こうもくてん)、北方の多聞天(たもんてん)の四神。それぞれ須弥山・中腹に在る四天王天の四方にて仏法僧を守護している。須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住む帝釈天に仕え、八部鬼衆を所属支配し、その中腹で共に仏法を守護する。

見る 仏教と四天王

四念処

四念処(しねんじょ、cattāro satipaṭṭhānā, チャッターロー・サティパッターナー)とは、仏教における悟りのための4種の観想法の総称。四念処観(しねんじょかん)、四念住(しねんじゅう)とも言う。三十七道品の中の1つ。 学術的な仏教研究によれば、釈迦の死後に編まれた最古層経典、古層経典、新層経典のうち、四念処は最も新しい新層経典が初出であることが判明している。つまり釈迦自身は四念処を説かなかった可能性がある(仏教#釈迦の修行法)。 仏教信者の主張によれば、四念処は、釈迦の初期仏教の時代から、悟りに至るための最も中心的かつ最重要な観想法であり、仏教の主な瞑想である止観の内、観(ヴィパッサナー)の中核を成す観想法である。四念処によって五蓋を捨断すると、釈迦は説いたとされる。

見る 仏教と四念処

四神足

四神足(しじんそく、cattāro iddhipādāウ・ウェープッラ、戸田忠=訳註『アビダンマッタサンガハ 』、中山書房仏書林、p.222, catvāra ṛddhipādā)とは、仏教における「三十七道品」の中の1つ。『倶舎論記』においては神通力を起こす基礎となる4つの三昧。『アビダンマッタサンガハ』(摂阿毘達磨義論)においては禅(jhāna)、道(magga)、果(phala)を得るための基礎(iddhipādā)。「四如意足」(しにょいそく)法顕 訳『大般涅槃經』(大正蔵7)などにみられる旧訳表現。とも。

見る 仏教と四神足

四禅

四禅(しぜん 、)とは、初期仏教で説かれる禅定(ジャーナ)の4段階のこと。九次第定のひとつをなす。三界の内の色界に相当し、この言葉は、禅定の段階に応じてこの色界を4分割した四禅天の略称としても用いられる - 大辞林 三省堂/コトバンク。禅天の意味で用いる場合は、初禅天から三禅天まではそれぞれ三種の天をとり、四禅天については外道天などを含む九種の天をとって合計で十八禅天あるとする。ただし、四禅天には諸説あって合計で十六禅天とすることもある。

見る 仏教と四禅

四諦

四諦(したい、catur-ārya-satya, チャトゥル・アーリヤ・サティヤ)または四聖諦(ししょうたい、cattāri ariya-saccāni, チャッターリ・アリヤ・サッチャーニ、4つの・聖なる・真理(諦))とは、仏教が説く4種の基本的な真理中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、680頁。中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、670頁。。苦諦、集諦、滅諦、道諦のこと。四真諦総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、550-551頁。や苦集滅道。

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四正勤

四正勤(ししょうごん、cattāro sammappadhānā, チャッターロ・サンマッパダーナー)とは、仏教における修行内容の1つ。「三十七道品」の中の第2の行法で、4種の正しい努力のこと『仏教学辞典』P.195「四正勤」。『岩波仏教辞典』第二版、P.520「正勤」。。「四精勤」(ししょうごん)、「四正断」(ししょうだん)、「四意断」(しいだん)とも訳される。 四正勤の内容は以下の通り。

見る 仏教と四正勤

瞑想

瞑想、冥想(めいそう、meditation、contemplation)とは、心を静めて無心になること、何も考えずリラックスすること、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことなどとされている。 各々の宗教の伝統や修行の段階、目的等により内容は様々である。本来は冥想と書くと思われる。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。現代では、健康の向上や心理的治療、自己成長、自己向上などの世俗的な目的をもって、様々な瞑想が行われている。

見る 仏教と瞑想

灌頂

灌頂(かんじょう、abhiṣeka, abhiṣecana、蔵: )とは、菩薩が仏になる時、その頭に諸仏が水を注ぎ、仏の位(くらい)に達したことを証明すること。密教においては、頭頂に水を灌いで諸仏や曼荼羅と縁を結び、正しくは種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とするための儀式のことをいう。本項では密教における灌頂について述べる。

見る 仏教と灌頂

神(かみ)は、宗教信仰の対象として尊崇・畏怖されるもの。

見る 仏教と神

神秘主義

神秘主義(しんぴしゅぎ、)とは、絶対者(神、最高実在、宇宙の究極的根拠などとされる存在)を、その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする思想的立場やその実践ことである。またそこでの哲学を神秘哲学と呼ぶ。対立的思潮・理論として理性主義などがあげられる。 などが「神秘主義」と訳されているが、この の語源をたどると (眼や口を閉じる)に由来するとされており、こうした表現が選ばれたことにより、すでに通常の表現が許されない経験が示唆されている。

見る 仏教と神秘主義

神道

樹齢約3000年の武雄神社の御神木 神道(しんとう、しんどう)は、日本の宗教。惟神道(かんながらのみち)ともいう。開祖や教祖、教典を持たず、森羅万象あらゆるものに神が宿るという思想に基づく。神話、八百万の神、自然や自然現象など、アニミズム的、祖霊崇拝的な民族宗教である。 神と自然は一体と認識され、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた。

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禅定

禅定(ぜんじょう、、ディヤーナ、, ジャーナ)あるいは禅那(ぜんな)とは、仏教で心が動揺することがなくなった一定の状態を指す。サンスクリット語の dhyāna の音写である禅と、訳した定の複合語で、静慮とも訳される。

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禅宗

禅宗(ぜんしゅう, Zen Buddhism)は、中国において発達した、禅那(ぜんな)に至る真の教えを説くとする大乗仏教の一宗派。南インド出身で中国に渡った達磨僧(ボーディダルマ)を祖とし、坐禅(座禅)を基本的な修行形態とする。ただし、坐禅そのものは古くから仏教の基本的実践の重要な徳目であり、坐禅を中心に行う仏教集団が「禅宗」と呼称され始めたのは、中国の唐代末期からである。こうして宗派として確立されると、その起源を求める声が高まり、遡って初祖とされたのが達磨である。それ故、歴史上の達磨による、直接的な著作は存在が認められていない。伝承上の達磨のもたらしたとする禅は、部派仏教における禅とは異なり、了義了義(りょうぎ)。解りやすく崩したり表現を変えるようなことをせず、完全・明白に説かれた教え。『涅槃経』の四依品には、末代の人は了義によるべきであり、不了義によってはならないとある。

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晴天時の空 曇りの空 星空 高高度を飛ぶ飛行機から見た空。地上から見る通常の空とは色が異なっている。 空(そら、霄、sky)とは、地上から見上げたときに頭上に広がる空間のこと。天。

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空 (仏教)

仏教における空(くう、śūnya またはśūnyatā 、suññatā )とは、一切法は因縁によって生じたものだから我体・本体・実体と称すべきものがなく空しい(むなしい)こと。空は仏教全般に通じる基本的な教理である。

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紀元前5世紀

パルテノン神殿。アテナイのアクロポリスに建つアテナ女神に捧げられた神殿で、ペルシア戦争に勝利した後に、将軍ペリクレスによって再建がなされ、今あるような姿となった。 デロス島。全盛期のアテナイはこのデロス島に金庫を置いてデロス同盟を支配した。画像は紀元前7世紀にナクソス人が奉納したと伝わるデロス島のライオンの回廊(レプリカ)。 「ダイバーの墓」。マグナ・グラエキア(イタリア南部)の都市パエストゥムの近郊で発見された墓で、この時代の風俗を描いた貴重なフレスコ画が残っている。 オドリュサイ王国の勃興。現在のブルガリアを拠点とするトラキア人の最初の統一国家が生まれたのは紀元前480年頃のことである。黄金による工芸に優れ多くの遺宝が残されている。画像は初代王テレス1世のものとされる黄金のマスク。 テルモピュライの悲劇。ペルシア戦争でスパルタ王レオニダス1世とその配下の兵士がペルシア軍100万人に対し300人で奮戦したが、刀折れ矢尽きて敢え無く玉砕した。画像はレオニダスの肖像彫刻として伝わる重装歩兵の大理石像 (スパルタ考古学博物館蔵)。 大菩提寺(マハーボーディー寺)には多くの信者が集まる。 儒家の孔子。政治的には不遇だったが『論語』にまとめられたその教えは後世に大きな影響を与えた。画像は唐の呉道玄によるもの。 曾侯乙墓。中国の湖北省随県で発見された戦国時代初期の墓で、青銅製の礼器の他に多くの副葬品が発掘された。画像は総重量2567kgで65個の鐘からなる編鐘で完全な形で残っており、現在は中国の一級文物となっている。 は、西暦による紀元前500年から紀元前401年までの100年間を指す世紀。

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紀元前6世紀

アケメネス朝ペルシアの栄光。オリエントの再統一を果たすとともに多民族を緩やかに包含した安定した国家システムを構築した。画像はペルセポリスのアパダナ(謁見の間)の階段側面の浮き彫りに刻まれた朝貢使節団。 ゾロアスター教の総合。宗祖ゾロアスターの生没年は現在でも意見の一致を見ていないが、アケメネス朝では王朝成立の頃からこの宗教を国家の支柱としていた。画像はペルセポリスに残るゾロアスター教の象徴でもある聖霊フラワシ(プラヴァシ)の像。 新バビロニアの盛衰。アッシリアから独立して強盛を誇ったが、後にアケメネス朝に併合された。画像はベルリンのペルガモン博物館で復元されたイシュタル門。 デルポイのアポロン神殿。紀元前548年に炎上した後、紀元前530年にアテナイの貴族クレイステネスにより新たに奉献された。巫女(ピュティア)による神託の場所としてギリシア人に重んじられた。 ギリシアの黒絵式陶器。アテナイのエクセキアスなど高度な技術を持つ絵付師が活躍した。画像は「アキレウスとアイアースのアンフォラ」(バチカン美術館蔵)。 楚の伸長。春秋五覇である荘王の時代には、楚は中原にも勢力を拡大し「鼎の軽重を問う」の故事にみられる権勢を誇るようになった。画像は楚の荘王の公子午(子庚)に捧げられた銅鼎(中国国家博物館蔵)。 は、西暦による紀元前600年から紀元前501年までの100年間を指す世紀。

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縁起

縁起(えんぎ、pratītya-samutpāda, プラティーティヤ・サムトパーダ、paṭicca-samuppāda, パティッチャ・サムッパーダ)とは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。 仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる。因縁生、縁起法、縁生、因縁法、此縁性ともいう。種々の縁起説は、〈煩悩(惑)→行為(業)→苦悩(苦)〉を骨格とするが、無明を根本原因とする12の項目からなる縁起説(十二因縁)が次第に定着した。後世には、縁起の観念を分けて、業感縁起や頼耶縁起などの諸説が立てられた。

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義浄

義浄(ぎじょう)は、唐の僧。俗姓は張。字は文明。 インドのナーランダ僧院で学んだ学生の一人であり、多くの仏典を翻訳して中国に持ち帰った。

見る 仏教と義浄

真理

"Truth". Supreme Court. Sculptor, Walter Allward 真理(しんり、ἀλήθεια、veritas、truth、vérité、Wahrheit)は、確実な根拠によって本当であると認められたこと。ありのまま誤りなく認識されたことのあり方。真実とも。 西欧哲学において、真理論()は論理学や認識論においてとりわけ主題化される。真理は、現実や事実と異なり、妨害・障害としての虚偽・誤謬を対義語としており、露わさ、明らかさ、隠れなさに重点がある。そのものありのままであり、あらわであり、その本質が覆われていない、という意義に関しては、哲学的には本質主義や同一性とも関わりが深い。

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真言

真言(しんごん)とは、サンスクリット語のマントラ(मन्त्र )の訳語で、「(仏の)真実の言葉、秘密の言葉」という意。『大日経』などの密教経典に由来し、浄土真宗を除く多くの大乗仏教の宗派で用いられる呪術的な語句である。 法華経では、「陀羅尼品第二十六」があり、すでに法華経には呪術的な語句が使用されている。 漢訳経典では、「真言」の他に「密言」、「呪」、「明呪」等と訳される「呪」は「咒」と書かれることもあるが、「咒」は「呪」の異体字(俗字)であり意味の違いもない。。 仏の真実の教えは、この宇宙の真理(法)や隠された秘密を明らかにするもので、本来は人間の言葉で表すことはできないが、方便として世俗の文字・言語を借りてそれに教えを盛り込み、これを観想しこれに心を統一することで、その教えに触れ得るようにしたものが、密教における真言であるとされる。

見る 仏教と真言

真言宗

右 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつ。空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ中国密教(唐密)を基盤としている。 空海は著作『秘密曼荼羅十住心論』『秘蔵宝鑰』で、当時に伝来していた仏教各派の教学に一応の評価を与えつつも密教を最上位に置き、十段階の思想体系の中に組み込んだ。最終的には顕教と比べて、密教(真言密教)の優位性、顕教の思想・経典も真言密教に包摂されることを説いた。 天台密教を台密と称するのに対し、真言密教は東寺を基盤としたので東密と称する - コトバンク/世界大百科事典。 教王護国寺(東寺真言宗総本山)を総本山としている。

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結集

結集(けつじゅう、संगीति、saṃgīti, サンギーティ)とは、仏教の経・論・律(三蔵)をまとめた編集会議のことである。「結集」のサンスクリット語の本来の意味は「ともに唱えること」であった。比丘たちが集まって釈迦の教えを誦出(じゅしゅつ)し、互いの記憶を確認しながら、合議のうえで阿含経を編集した事業を結集と呼んでいる。 釈迦の死後、その教えはもっぱら記憶や暗唱を頼りとして受け継がれたため、その散逸を防ぎ、異説の生じることを防いで教団の統一をはかる目的で、弟子たちが各自の伝聞にもとづく資料をもちよって阿含経の編纂がなされた。

見る 仏教と結集

結果

結果(けっか)とは、ある物事を行った後に生じた現象、状況、物象をあらわす言葉。原義は果実が実を結ぶこと。

見る 仏教と結果

瑜伽行唯識学派

瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)は大乗仏教の学派のひとつで、唯識の教学を唱導した学派である。 唯識瑜伽行派、唯識派(विज्ञानवाद, Vijñānavāda, ヴィジュニャーナヴァーダ、Vijñapti-mātra(tā), ビジュニャプティ・マートラ(ター)、Cittamātra, チッタマートラ)、瑜伽行派 (योगाचार, Yogācāra, ヨーガーチャーラ)とも言う。 ヨーガ(=瑜伽(ゆが))の実践の中に唯識の体験を得、教理にまとめた。 とりあえず心(識)だけは仮に存在すると考え、深層意識の阿頼耶識が自分の意識も外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)、最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)。

見る 仏教と瑜伽行唯識学派

生 (仏教)

仏教用語の生(しょう)は、パーリ語のJāti(ジャーティ)に由来する概念であり、サンサーラ(saṃsāra)によって新しい生命として、繰り返し存在しつづけることを指す(輪廻)。 仏教の教えでは、ジャーティは以下の文脈で使われる。

見る 仏教と生 (仏教)

生命

生命(せいめい、)とは、シグナル伝達や自立過程などの生物学的現象を持つ物質を、そうでない物質と区別する性質であり、恒常性、組織化、代謝、、適応、に対する反応、および生殖の能力によって記述的に定義される。自己組織化系など、の多くの哲学的定義が提案されている。ウイルスは特に、宿主細胞内でのみ複製するため定義が困難である。生命は大気、水、土壌など、地球上のあらゆる場所に存在し、多くの生態系が生物圏を形成している。これらの中には、極限環境微生物だけが生息する過酷な環境もある。 生命は古代から研究されており、エンペドクレスは唯物論で、生命は永遠の四元素から構成されていると主張し、アリストテレスはで、生物には魂があり、形と物質の両方を体現していると主張した。生命は少なくとも35億年前に誕生し、その結果、へとつながった。これが、多くの絶滅種を経て、現存するすべての種へと進化し、その一部は化石として痕跡を残している。また、生物を分類する試みも。現代の分類は、1740年代のカール・リンネによる二名法から始まった。

見る 仏教と生命

生物

は、無生物と区別される属性、つまり「生命」を備えているものの総称。そしてその「生命」とは、生物の本質的属性として生命観によって抽象されるものであり、その定義はなかなか難しいものとなっている。とも。

見る 仏教と生物

無常

無常(むじょう、anicca, アニッチャ、梵: anitya, アニティヤ/アニトヤ)とは、仏教における中核教義の一つであり、三相のひとつ, Quote: "All phenomenal existence is said to have three interlocking characteristics: impermanence, suffering and lack of soul or essence."。生滅変化してうつりかわり、しばらくも同じ状態に留まらないこと。非常(ひじょう)ともいう。対義語は常住。 あらゆるもの(有為法)が無常であることを諸行無常といい、三法印の1つに数える。

見る 仏教と無常

無記

無記(むき、avyākata, アヴィヤーカタ、avyākṛta, アヴィヤークリタ)とは、仏教において、釈迦がある問いに対して、回答・言及を避けたことを言う。仏説経典に回答内容を記せないので、漢語で「無記」と表現される。主として形而上学的な、「世界の存続期間や有限性」「生命と身体の関係」「修行完成者(如来)の死後のあり方」といった仏道修行に直接関わらない・役に立たない関心についての問いに対して、このような態度が採られた。 その数から、「十無記」(じゅうむき)、「十四無記」(じゅうしむき)、「十六無記」(じゅうろくむき)等とも呼ばれる。無記答(むきとう)、捨置記(しゃちき)ともいう。学説においては、釈迦は中道を意図したとの主張がある。

見る 仏教と無記

無記相応

「無記相応」(むきそうおう、Avyākata-saṃyutta, アヴィヤーカタ・サンユッタ)とは、パーリ仏典経蔵相応部に収録されている第44相応。「無記説相応」(むきせつそうおう)とも。

見る 仏教と無記相応

無著

無著(無着 むじゃく / むぢゃく、Asaṅga アサンガ、蔵: )は、インドの大乗仏教唯識派の学者。生没年は不詳である。

見る 仏教と無著

無我

無我(むが、anattā, アナッター、अनात्मन,, アナートマン,, ナイラートミャ)は、あらゆる事物は現象として生成しているだけであり、それ自体を根拠づける不変的な本質は存在しないという意味の仏教用語。非我とも訳される。我(アートマン)とは、永遠に変化せず(常)・独立的に自存し(一)・中心的な所有主として(主)・支配能力がある(宰)と考えられる実在を意味する。全てのものにはこのような我がなく、全てのものはこのような我ではないと説くのを諸法無我という。 アナッター(無我)は生物の性質であり、加えてアニッチャ(無常、非恒常、永遠でないこと)、ドゥッカ(苦、不満足なこと)を加えて仏教の三相をなし、また三法印と四法印の1つ。これはダンマパダなど多くの経典で確認される。仏教では四諦を述べ、輪廻を脱する道があると主張する。

見る 仏教と無我

無明

無明(むみょう、avidyā)とは、仏教用語で、無知のこと。とくに仏教の説く法(真理)に暗いことをいう。 この概念は、形而上学的な世界の性質、とりわけ世界が無常および無我であることの教義についての無知を指す。無明は苦の根源であり、最初の因縁の輪に結びつき、繰り返す転生の始まりとなる。 無明は仏教の教えの中で、様々な文脈での無知・誤解として取り上げられている。

見る 仏教と無明

煩悩

煩悩(ぼんのう、、クレーシャ、kilesa、キレーサ、Kleshas)とは、仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き(汚れ)を言う。同義語として、漏(ろ; 、アーシュラヴァ、asava、アーサヴァ)、随眠(ずいめん;, アヌシャヤ、anusaya、アヌサヤ)、暴流(ぼうりゅう; ogha)、軛(くびき; Yoga)など、数多くの表現が用いられたりもする。 仏教では、人の苦の原因を自らの煩悩ととらえ、その縁起を把握・克服する解脱・涅槃への道が求められた。釈迦は、まず煩悩の働きを止めるのは気づき(念)であり、そして根源から絶するものは般若(智慧)であると説いている。 部派仏教の時代になると、煩悩の深い分析が行われた。

見る 仏教と煩悩

道教

道教(どうきょう、)とは、中国三大宗教(三教、儒教・仏教・道教の三つ)の一つであり、中国の漢民族の固有の宗教。時には外来宗教を除いてその後に残る中国の宗教形式をすべて「道教」の名で呼称する場合もある。 一般には、老子の思想を根本とし、その上に不老長生を求める神仙術や、符籙(おふだを用いた呪術)・斎醮(亡魂の救済と災厄の除去)、仏教の影響を受けて作られた経典・儀礼など、時代の経過とともに様々な要素が積み重なった宗教とされる。道教は典型的な多神教であり、その概念規定は確立しておらず、さまざまな要素を含んだ宗教である。伝説的には、黄帝が開祖で、老子がその教義を述べ、後漢の張陵が教祖となって教団が創設されたと語られることが多い。

見る 仏教と道教

菩薩

菩薩(ぼさつ)とは、ボーディ・サットヴァ(बोधिसत्त्व, bodhisattva, bodhisatta)の音写である菩提薩埵(ぼだいさった)の略であり、仏教において一般的には菩提(bodhi, 悟り)を求める衆生(薩埵, sattva)を意味する。仏教では、声聞や縁覚とともに声聞と縁覚に続く修行段階を指し示す名辞として用いられた - 学研全訳古語辞典 (weblio古語辞典)。。

見る 仏教と菩薩

菩提

菩提(ぼだい、बोधि; bodhi、bodhi)とは、サンスクリット語・パーリ語のボーディ(bodhi)の音写であり、仏の正覚の智、さとり中村元 『広説佛教語大辞典』下巻 東京書籍、2001年6月、1528頁。、仏の悟りの境地、極楽往生して成仏すること - Weblio古語辞典(日外アソシエイツ難読語辞典)、悟りの智慧などを意味する仏教用語。bodhiの漢訳は智、道、覚。 菩提を得た者が仏であり、これを目指す衆生を菩薩という。声聞菩提・独覚菩提・仏菩提の3種の菩提のうち、仏菩提は至高であるため無上正等覚(阿耨多羅三藐三菩提)とも呼ばれる。 俗に冥福の意味にも用いる(#菩提を弔うを参照)。

見る 仏教と菩提

衆生

衆生(しゅじょう、sattva सत्त्व、satta)は、一切の生きとし生けるもの(生類)のこと。基本的には迷いの世界にある生類を指すが、広義には仏・菩薩をも含めることがある。

見る 仏教と衆生

西ヨーロッパ

中東 西ヨーロッパ(にしヨーロッパ、Western Europe、L’europe de l'ouest、Westeuropa)とは、ヨーロッパの西部地域を指す語である。西欧(せいおう)とも呼ばれる。具体的にどの地方や国を含めるかは、分類の仕方により異なる。

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馬場紀寿

馬場 紀寿(ばば のりひさ、1973年 - )は、日本の仏教学者、東京大学東洋文化研究所教授。

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観光

観光(かんこう、、、)は、一般的には楽しみを目的とする旅行全般(観光旅行)を指し、狭義には他の国や地方を訪ね、風景・史跡・風物などを見聞したり体験することを指す(この意味に限定する際は「観光行動」という)。広義には、人々による観光行動および、関連する事象を含めた社会現象を指す場合もある(この意味に限定する際は「観光現象」という)。

見る 仏教と観光

観音菩薩

白衣観音図 観音菩薩(かんのん ぼさつ、Avalokiteśvara)は、仏教の菩薩の一尊。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)、観自在菩薩(かんじざいぼさつ)、救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)など多数の別名がある。一般的に「観音さま」とも呼ばれる。

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解脱

宝結びの意匠 解脱(げだつ、vimokṣa, ヴィモークシャ、mokṣa, モークシャ、vimukti, ヴィムクティ、mukti, ムクティ、vimokha, vimokkha, ヴィモッカ、mokkha, モッカ、vimutti, ヴィムッティ、mutti, ムッティ)とは、インド系宗教において、解放、悟り、自由、放免を手に入れた状態を意味する語であり、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、シーク教において様々な形で語られる。解脱を果たした者は、解脱者(vimukta、vimutta)と呼ばれたりする。 もともとは紀元前7世紀前後の古ウパニシャッドで説かれたもので、インド哲学一般に継承されている観念である。解脱はインド発祥の宗教において最高目標とされてきた。

見る 仏教と解脱

触 (仏教)

触 (しょく、phassa、sparśa)とは、接触、感覚、感触などといった意味である。生物が何かとコンタクトを取ることである。これらは六根、六境、識の3要素に由来するものと定義されているGuenther (1975), Kindle Locations 401-405.Kunsang (2004), p.

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誤用

誤用(ごよう、英語:Misuse)とは、通常言葉について言われ、ある言葉の伝統的・慣用的な意味や用法とは異なる、間違った意味や用法でその言葉が使用されることを言う。 一方で、「間違っている」からといって、その存在理由の検討をしなくていいというわけでなく、成立してから現在までに、全く変化がなかった言語はおそらく一つもなく、当初は「誤用」や「ことばの乱れ」として異端扱いされても、その蓄積により現在の姿になっているのであるから、どの言語も「誤りのかたまり」のようなものである、とみなす立場がある。 言葉や単語の意味における誤用以外に、ある特定の目的や用途を持つ物品や道具などが、本来の用途以外の目的などで使用される場合にも誤用ということがある。

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説一切有部

説一切有部(せついっさいうぶ、Sarvāstivādin, Sabbatthivāda, Sabbatthavāda)は、部派仏教時代の部派の一つ。略称は有部。説因部(せついんぶ、Hetuvādin)ともよばれる。紀元前1世紀の半ば頃に上座部から分派したとされ、部派仏教の中で最も優勢な部派であったという。同じく上座部系とされる南伝の上座部大寺派と並んで、多くのアビダルマ文献が現存している。 主体的な我(人我、アートマン)は空だが、現象世界を構成する要素(法、ダルマ)は三世に渡って実在するとした。説一切有部は大衆部や経量部と対立し、大乗仏教からも批判されたが、大きな勢力を保った。

見る 仏教と説一切有部

説教

説教(せっきょう)とは、宗教の教義・教典を、その信者や民衆に、口頭で説き明かすこと。また、そこで話される内容そのものを指す場合もある。転じて、目下の者に対して、教え導くために言い聞かせることや、堅苦しい教訓をいう場合もある(「親に説教される」など)。 本来の語義における説教の場面では、説教をする者(説教者、説教家)は、一般信徒や民衆よりも高度で専門的な教義・教典についての知識や見識を有する者であること、さらにそれをわかりやすく教え伝える能力に長けていることが期待される。

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誓願

誓願(せいがん)には、次の意味がある。

見る 仏教と誓願

諸行無常

諸行無常(しょぎょうむじょう、sabbe saṅkhārā aniccā、सब्बे संखारा अनिच्चा)は、仏教用語で、この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。「諸行」とは因縁によって起こるこの世の現象(サンカーラ)を指し、「無常」とは一切は常に変化し、不変のものはない(アニッチャ)という意味。

見る 仏教と諸行無常

諸法無我

諸法無我(しょほうむが、sabbe dhammā anattā、सब्बे धम्मा अनत्ता)は、全てのものは因縁によって生じたものであって実体性がないという意味の仏教用語。三法印・四法印の一つ。 諸行無常と並べられるが、行は因縁によって起こるこの世の現象を指すのに対し、諸法(sabbe dhammā)は涅槃すらも含むあらゆる事象(一切法)を指している。

見る 仏教と諸法無我

論蔵

論蔵(ろんぞう、Abhidhamma piṭaka(アビダンマ・ピタカ)、Abhidharma piṭaka(アビダルマ・ピタカ))とは、律蔵、経蔵とともに、仏教の聖典(仏典・三蔵)の一部であり、仏陀の教えに対する解釈・注釈書である論(Abhidhamma(アビダンマ)、Abhidharma(アビダルマ)、阿毘達磨)をまとめたもの。

見る 仏教と論蔵

講談社学術文庫

講談社学術文庫(こうだんしゃがくじゅつぶんこ)は、講談社刊の文庫判・学術書レーベル、1976年(昭和51年)6月に発足講談社サイトでは「学術文庫」と表記している担当者(出版部長)による回想記は下記池永陽一『学術の森の巨人たち 私の編集日記』(熊本日日新聞社、2015年)宇田川眞人『日本に碩学がいたころ』(三恵社、2013年)。シンボルマークは、古代エジプトで知識や学問の象徴とされていた「トキ」(アフリカクロトキ)の姿をした神トートである。 単行判・選書新書の(改訂・改題も含む)再刊、古典新訳のみならず、文庫書き下ろしでの出版も多い。約40年間で2000冊代を刊行、重版多数の書目がある一方で、初版のみで品切絶版となった書目も多いが、合本改版や改訂再刊、電子書籍化されることもある。

見る 仏教と講談社学術文庫

識(しき、viññāṇa ヴィニャーナ, vijñāna ヴィジュニャーナ)とは、意識、生命力、心See, for instance, Rhys Davids & Stede (1921-25), p. 618, entry for "Viññāa," retrieved on 2007-06-17 from the University of Chicago's "Digital Dictionaries of South Asia".

見る 仏教と識

輪廻

六道輪廻をあらわしたチベット仏教の仏画。恐ろしい形相をした「死」が輪廻世界を支配している 輪廻(りんね)または輪廻転生(りんねてんしょう)とは、サンスクリット語のサンサーラ(संसार Saṃsāra)に由来する用語で、命あるものが何度も転生し、人だけでなく動物なども含めた生類として生まれ変わること。日本語読みのリンネは、連声によるものである。「生まれ変わり」は大多数のインド哲学における根本教義であるYuvraj Krishan (1988), Is Karma Evolutionary?, Journal of Indian Council of Philosophical Research, Volume 6, pp.

見る 仏教と輪廻

龍樹

龍樹(りゅうじゅ、、、、、、)は、2世紀に生まれたインド仏教の僧である。龍樹とは、サンスクリットのナーガールジュナの漢訳名で、日本では漢訳名を用いることが多い。中観派の祖であり、蓮如以後の浄土真宗では八宗の祖師と称される。龍猛(りゅうみょう)とも呼ばれる。

見る 仏教と龍樹

近世

近世(きんせい、early modern period)とは、歴史学における時代区分のひとつ。中世よりも後で、近代よりも前の時期を指す。

見る 仏教と近世

霊魂

霊魂(れいこん、anima、Ψυχή)は、肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの。肉体から離れたり、死後も存続することが可能と考えられ、体とは別にそれだけで一つの実体をもつとされる、非物質的な存在デジタル大辞泉 「霊魂」。人間が生きている間はその体内にあって、生命や精神の原動力となっている存在、個人の肉体や精神をつかさどる人格的・非物質的な存在、感覚による認識を超えた永遠の存在と考えられている。

見る 仏教と霊魂

部派仏教

部派仏教(ぶはぶっきょう、Early Buddhist schools)とは、釈尊の死後百年から数百年の間に仏教の原始教団が分裂して成立した諸派の仏教。アビダルマ仏教ともいう。部派(ぶは)とはパーリ語のNikāya(ニカーヤ)に由来し、原義では集団を意味する。仏教においては戒や仏典の伝承系統によって分岐した、出家者の集団を指す。 紀元前3世紀頃に原始教団が上座部と大衆部に分裂(根本分裂)したのち、この2部派がさらに分裂して行った。各部派は、釈尊が残した教法を研究・整理して、独自の教義を論(アビダルマ)として作り、互いに論争した。部派仏教は、釈尊と直弟子時代の初期仏教を継承し、大乗仏教の成立後も数世紀に渡りインドで大きな勢力を有していたとされる。のちに興った大乗仏教はこれらの部派仏教を小乗仏教と貶称した。

見る 仏教と部派仏教

般若

仏教用語の般若(はんにゃ)とは、(プラジュニャー)、(パンニャー)に由来し、全ての事物や道理を明らかに見抜く深い智慧のこと。 仏教瞑想の文脈では、すべての物事の特性(三相)、すなわち無常、苦、 無我を理解する力であるとしている。大乗仏教においては、それは空(シューニヤ)の理解であるとしている。

見る 仏教と般若

阿含経

阿含経(あごんきょう、あごんぎょう、梵・āgama, アーガマ)とは、最も古い仏教経典集(スートラ)であり、釈迦の言葉を色濃く反映した真正な仏教の経典ものとされる。阿含(あごん)とは、サンスクリット・パーリ語のアーガマの音写で、「伝承された教説、その集成」という意味である。阿含の類義語には部(ぶ、Nikāya)があり、パーリ仏典ではそれが用いられている。 釈迦の死後、その教説は迦葉や阿難を始めとする弟子たちを中心として何回かの結集を経てまとめられ、経蔵(sutta-piṭaka, スッタ・ピタカ)を形成した。他方、守るべき規則は律蔵(vinaya-piṭaka, ヴィナヤ・ピタカ)としてまとめられたが、一般に紀元前4世紀から紀元前1世紀にかけて徐々に作成されたものであると言われているブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿含経」 https://kotobank.jp/word/阿含経-24948。その経蔵はそれぞれ阿含(āgama, アーガマ)または部(nikāya、ニカーヤ)の名で呼ばれた。

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阿弥陀如来

阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教における信仰対象である如来の一尊。諸仏の中で最も光明が優れていて、唯一どんなに罪の重い衆生でも無条件で救うことのできる如来である。浄土教系の仏教では、  「南無阿弥陀仏」という称名念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰を説く。ただ、浄土真宗においては信心正因という、阿弥陀仏に後生の一大事について一切任せた(信心決定)ときに極楽往生が決定すると説く。西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)の教主とされる(東方は薬師如来)。五智如来においては、西方に位置する観自在王如来と同一視するが、真言宗では阿弥陀が法蔵菩薩であったときに師事した仏として、別尊とする。

見る 仏教と阿弥陀如来

薬師如来

薬師如来(やくしにょらい、、バイシャジヤグル)、あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、大乗仏教における信仰対象である如来の一尊。大医王、医王善逝(いおうぜんぜい)とも称する。 三昧耶形は薬壺、または丸薬の入った鉢。種字は尊名のイニシャルのバイ(भै、)。

見る 仏教と薬師如来

葬式仏教

葬式仏教(そうしき ぶっきょう)とは、本来の仏教の在り方から大きく隔たった、葬式の際にしか必要とされない現在の形骸化した日本の仏教の姿を揶揄した表現である。この言葉が誰によって始められたかは不明であるが、1963年(昭和38年)に出版された明治大学教授の圭室 諦成(1902年 - 1966年)の著書『葬式仏教』(大法輪閣) がきっかけとなって、巷間に知られるようになった。

見る 仏教と葬式仏教

葬儀

葬儀(そうぎ、funeral)あるいは葬式(そうしき)とは、人の死を弔うために行われる祭儀・葬制の一部である。

見る 仏教と葬儀

釈迦

釈迦(しゃか、、शाक्यमुनि、)は、北インドの人物で、仏教の開祖。ただし、存命していた時代については後述の通り紀元前7世紀、紀元前6世紀、紀元前5世紀など複数の説があり、正確な生没年は分かっていない。 姓名はサンスクリット語の発音に基づいた表記ではガウタマ・シッダールタ(गौतम सिद्धार्थ Gautama Siddhārtha)、パーリ語の発音に基づいてゴータマ・シッダッタ(Gotama Siddhattha)とも表記される。漢訳では瞿曇悉達多(くどんしっだった)である。 仏舎利と言われる遺骨は真身舎利、真正仏舎利として今も祀られ、信仰を集めている。

見る 仏教と釈迦

釈迦如来

釈迦如来(しゃかにょらい)は、歴史的に実在した仏陀であり、仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ゴータマ・シッダールタ、ガウタマ・シッダールタ、瞿曇悉達多)の如来としての名。釈迦牟尼仏、釈迦牟尼如来、釈迦牟尼世尊に同じ。

見る 仏教と釈迦如来

金剛座

金剛座(こんごうざ)とは、金剛石のように堅固で壊れない座所。 釈迦が悟りを開いたブッダガヤの菩提樹下を金剛座と呼ぶ。 金剛石とは最高に堅くて丈夫な石でダイヤモンドの事だとされる。 金剛はサンスクリット語でヴァジュラ(vajra)といい、釈迦の教えが堅固であることを譬えたもの。 釈迦の座った所は獅子座とも呼ばれる。 Category:原始仏教。

見る 仏教と金剛座

長阿含経

『長阿含経』(じょうあごんきょう、Dīrgha-āgama)とは、仏教の漢訳『阿含経』の1つ。法蔵部所伝 中央学術研究所、森章司。パーリ語経典の「長部」(ディーガ・ニカーヤ)に相当する。大正新脩大蔵経No1。

見る 仏教と長阿含経

色 (仏教)

インド哲学における色(しき、रूप rūpa)とは、一般に言う物質的存在のこと。原義では色彩(カラー)よりも、容姿、色艶、美貌をさしている。 仏教においては、色は重要な枠組みとして3つの文脈で登場する。

見る 仏教と色 (仏教)

苦 (仏教)

仏教における苦(く、dukkha、दुःख, 、蔵: )とは、苦しみや悩み、精神や肉体を悩ませる状態を指す。対義語は楽。 仏教は無常、苦、無我の3つで三相を形成する。四諦の4つすべては苦に関する真理である。仏教は、この苦の滅尽をめざす学問体系である。

見る 仏教と苦 (仏教)

苦行

苦行(くぎょう、तपस् )とは、身体を痛めつける事によって自らの精神を高めようとする宗教的行為。禁欲とも密接に関係し、主立った宗教(仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、神道など)には共通して禁欲主義的な傾向が見られる。

見る 仏教と苦行

老衰

老衰(ろうすい、英語: Senility)とは、加齢により脳を含めた全臓器・細胞の力がバランスを保ちながらゆっくり命が続かなくなるレベルまで低下していき、最後に下顎呼吸後に死亡することである。現代の医療では、どんな病気だとしても、老衰を目指した治療やケアをしている。末期癌のように、自我や意識がありながら一部の臓器だけ極端に悪く苦痛を受け続けるのと異なり、意識が無いため苦痛そのものを知覚しない。そのため、最も苦痛の無い死に方であるとも言える。

見る 仏教と老衰

李氏朝鮮

李氏朝鮮(りしちょうせん)は、1392年8月から1897年10月1910年8月まで大韓帝国として存続した。にかけて朝鮮半島に存在した国。高麗の次の王朝にあたり、朝鮮の歴史における最後の統一王朝である。

見る 仏教と李氏朝鮮

東南アジア

東南アジア(とうなんアジア、Southeast Asia, Southeastern Asia)は、アジアのうち南シナ海周辺に位置している国々を指す地域区分である。インドシナ半島、マレー半島、インドネシア諸島、フィリピン諸島アジアと島嶼部東南アジアに分けられる。

見る 仏教と東南アジア

東南アジアの仏教

東南アジアの仏教(とうなんアジアのぶっきょう) 仏教は、東南アジアへは紀元1世紀には海のシルクロードを使用する商人によってインド・スリランカから伝わり、様々な仏教遺跡を残している。

見る 仏教と東南アジアの仏教

東アジア

東アジア(ひがしアジア、East Asia)は、アジアの東部にあたる国々を指す地域区分である。東亜などとも呼ばれる。北西からモンゴル高原、中国大陸、朝鮮半島、台湾列島、日本列島などを含む。

見る 仏教と東アジア

根本分裂

根本分裂(こんぽんぶんれつ)とは、仏教教団において、釈迦の死後100年頃、第二回結集の後、それまで1つであった弟子たちの集団が、大衆部と上座部の2つの教団に分裂した出来事のことである。これが起きた時代は、『婆沙論』によればアショーカの時代とされ、マハーワンサによればカーラーショーカ王の時代とされている。

見る 仏教と根本分裂

梵天

帝釈天(左)と梵天(右) 梵天(ぼんてん, )は、仏教の天部の一尊。梵天は仏教の世界観において最高位の一つである梵天界(Brahmaloka)の主である。 古代インドの神ブラフマーが仏教に取り入れられたもので、十二天に含まれる。梵はbrahmanの漢訳。帝釈天と対になって祀られることが多く、両者を併せて「梵釈」と称することもある。 仏教の伝説では、悟りを開いた直後の釈迦は、その教えを広めることをためらったが、教えを広めるよう勧めたのが梵天サハンパティ(sahampatissa)とされ、この出来事は梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と称される。 なお、天部(六道や十界の1つである天上界)は、さらに細かく分別されるが、色界十八天のうち、初禅三天の最高位(第三天)である大梵天を指して「梵天」と言う場合もある。神としての梵天はこの大梵天に住み、その下の第二天である梵輔天には、梵天の輔相(大臣)が住み、さらにその下の第三天である梵衆天には、梵天の領する天衆が住むとされる。

見る 仏教と梵天

植木雅俊

植木 雅俊(うえき まさとし、1951年8月11日 - )は、日本の仏教学者。理科系出身で多面的な仏教思想研究を行っている。

見る 仏教と植木雅俊

業(ごう)、カルマ(कर्मन् karman)に由来し、行為、所作、意志による身心の活動、意志による身心の生活を意味する語。原義においては単なる行為(action)という意味であり、「良い」「悪い」といった色はなく、暗いニュアンスもない。 インド哲学正統派、および異端派の一部(仏教など)の説では、善または悪の業を作ると、因果の道理によってそれ相応の楽または苦の報い(果報)が生じるとされる。業は果報と対になる語だが、業の果報そのものを業という場合もある。 業の思想はインド発祥の宗教(とりわけヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、シーク教)と道教において、輪廻と強く結びつく概念である これらの多くの説では、善意と善行は良いカルマと幸福な転生をもたらし、悪意と悪行は悪いカルマと悪い再生をもたらすとされるHalbfass, Wilhelm (2000), Karma und Wiedergeburt im indischen Denken, Diederichs, München, Germany(善因善果、悪因悪果)。

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欧化主義

欧化主義(おうかしゅぎ)とは、近代化を進めるためにヨーロッパの様々な制度や文化を取り入れようとした思潮をいう。

見る 仏教と欧化主義

欽明天皇

欽明天皇(きんめいてんのう、509年〈継体天皇3年〉 - 571年5月24日〈欽明天皇32年4月15日〉)は、日本の第29代天皇(在位:539年12月30日?〈宣化天皇4年12月5日〉 - 571年5月24日?〈欽明天皇32年4月15日〉)。 和風諡号は天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)。別名、志帰嶋天皇・斯帰斯麻天皇(いずれも「しきしまのすめらみこと」と呼ぶ)。この代に、百済より仏教が公伝し、任那が滅亡した。

見る 仏教と欽明天皇

止観

止観(しかん、śamatha-vipaśyanā)、シャマタ・ヴィパッサナーとは、仏教の瞑想の主なものであり、ヨーガ行である。サンスクリット語から奢摩他・毘鉢舎那と音写されることもある。初期仏教においては、瞑想はジャーナ(jhāna)、サマーディ(samādhi)との語を用いており、止観とは呼ばれていなかった。時代を経て仏教は、瞑想を止と観の二つに大別するようになった。 止(シャマタ:奢摩他)とは、心の動揺をとどめて本源の真理に住することである。また観(ヴィパシヤナ、毘鉢舎那)とは、不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察することである。このように、止は禅定に当たり、観は智慧に相当している。ブッダは止により、人間の苦の根本原因が無明であることを自覚し、十二因縁を順逆に観想する観によって無明を脱したとされる。

見る 仏教と止観

正法眼蔵

正法眼蔵(しょうぼうげんぞう、正法眼藏)は、主に禅僧である道元が執筆した仏教思想書を指す。正法眼蔵という言葉は、本来は仏法の端的な肝心要の事柄を意味する。禅家はこれをもって教外別伝の心印となす。 著者によって大別すると、次の3種類に分かれる。

見る 仏教と正法眼蔵

毘沙門天

毘沙門天(びしゃもんてん、梵名: ヴァイシュラヴァナ(またはヴァイシュラマナ)、वैश्रवण, 、Vessavaṇa)は、仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神である。多聞天、小学館。または北方天とも呼ばれる。また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方がある。種子はベイ(वै, )。日本においては、「五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、長命長寿、立身出世」といった、現世利益を授ける七福神の一柱として信仰されている。

見る 仏教と毘沙門天

比丘

比丘(びく、Bhikkhu、Bhikṣu)は、仏教において出家し、具足戒を守る男性の修行者である。女性の出家修行者は比丘尼(びくに, Bhikkhunī)。梵語形のBhikṣuの音写から苾芻(びっしゅ)ともいう。日本では一般には僧侶、お坊さんと呼ぶ。 比丘の生活は涅槃に達することを目的としており、質素な生活を送ることで自身の修行の助けとなるよう設計されている。 インドでは紀元前六世紀ごろから、出家し各地を遊行しながら托鉢する修行者がおり、釈迦もその一人であった。釈迦の弟子が増え仏教教団(サンガ)が成立してからは、その主要な構成員として、信徒に教えを説き、教団を維持する働きをもつ。しかし日本の伝統宗派とネパールのネワール仏教、チベットのニンマ派とカギュ派(ならびにその影響下にあるブータン)においては、僧侶の妻帯と世襲が常態化しており、戒律を始めから受けていないか、あるいは受戒しても守っていない。

見る 仏教と比丘

民主化

民主化(みんしゅか、democratization)またはデモクラタイゼーションとは、一般に政治体制として民主主義が拡大する過程であり、国内政治においては民主主義の政治体制を形成していく過程、国際政治においては民主主義の政治体制をとる国家が普及していく過程を指す。

見る 仏教と民主化

沙門

沙門(しゃもん、Śramaṇa, シュラマナ、Samaṇa, サマナ)は、原義は「(とある高尚・宗教的な目的のために)労働・苦労・奮闘する者」、「質素・禁欲な生活の探求者」Monier Monier-Williams, श्रमण śramaṇa, Sanskrit-English Dictionary, Oxford University Press, p.

見る 仏教と沙門

沙門果経

沙門果経(しゃもんかきょう、Sāmaññaphalasutta, サーマンニャパラ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵長部の中に収録されている第2経。漢訳経典では、大蔵経阿含部の『長阿含経』(大正蔵1)巻17の27経目「沙門果経」、および『寂志果経』(大正蔵22)がほぼこれに相当し、『増一阿含経』(大正蔵125)巻39にも、その一部に当たる異本がある。 文字通り、仏教における沙門(出家修行者)の修行の果報を釈迦が説く内容となっている。戒律(具足戒・波羅提木叉)を守ることによる果報、止行による果報、観行による果報(六神通)が、順を追って説かれ、また、冒頭部ではいわゆる六師外道の思想と仏教との思想比較も盛り込まれるなど、初期仏教のあり方を総合的に説明するとても貴重かつ代表的な経典となっている。

見る 仏教と沙門果経

波羅蜜

波羅蜜(はらみつ、Pāramī、 パーラミー、Pāramitā、 パーラミター)とは、仏になるために菩薩が行う修行のこと。六波羅蜜と十波羅蜜がある。 到彼岸(とうひがん)、度(ど)、波羅蜜多(はらみった)などとも訳す。

見る 仏教と波羅蜜

波羅提木叉

波羅提木叉(はらだいもくしゃ、prātimokṣa:プラーティモークシャ、Pātimokkha:パーティモッカ)は、仏教の出家者である比丘・比丘尼の集団である僧伽における規則となる戒律条項を記した典籍(戒本)のこと。 戒本、別々解脱、別解脱と意訳する。

見る 仏教と波羅提木叉

法 (仏教)

仏教における法(ほう、dharma、dhamma)とは、法則・真理、教法・説法、存在、具体的な存在を構成する要素的存在などのこと。本来は「保持するもの」「支持するもの」の意で、それらの働いてゆくすがたを意味して「秩序」「掟」「法則」「慣習」など様々な事柄を示す。三宝のひとつに数えられる。仏教における法を内法と呼び、それ以外の法を外法と呼ぶ。 ダルマは「たもつ」「支持する」などの意味をもつ動詞 (dhṛ) からつくられた名詞であり、漢訳仏典では音写されて達磨(だつま)、達摩(だつま)、曇摩(どんま)、曇無(どんむ)などとなり、通常は「法」と訳されている。また、「存在」を意味する男性名詞「bhāva」が、玄奘により法(『阿毘達磨倶舎論』)と、真諦により法有(『阿毘達磨倶舎釈論』)と、それぞれ訳されていた。

見る 仏教と法 (仏教)

法句経

法句経(ほっくぎょう)、ダンマパダ(Dhammapada)は、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形(アフォリズム)で伝えた、韻文のみからなる経典である。「ダンマパダ」とは、パーリ語で「真理・法(dhamma)の言葉(pada)」という意味であり、伝統的漢訳である「法句」とも意味的に符合する。 漢訳『法句経』の名称は、元々は上座部仏教圏の『ダンマパダ』と同一系統の経典が北伝し、中国仏教にて漢訳された際の伝統的名称だが、近代以降の『ダンマパダ』の日本語訳(漢訳)名としても(『ダンマパダ』『真理のことば』等と並んで)用いられている。 パーリ語仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである。スッタニパータとならび現存経典のうち最古の経典といわれている。かなり古いテクストであるが、釈迦の時代からはかなり隔たった後代に編纂されたものと考えられている。

見る 仏教と法句経

法顕

法顕(ほっけん)は、中国東晋時代の僧。姓は龔。平陽郡襄陵県武陽(現在の山西省臨汾市襄汾県)の人。 シルクロードを経由してインドに渡り、中国に仏典を持ち帰った。彼の記した旅行記『仏国記』(別名『法顕伝』『歴遊天竺記伝』; 英訳と仏訳がある)は、当時の中央アジアやインドに関して書かれた貴重な史料となっている。

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涅槃

涅槃(ねはん)、ニルヴァーナ()、ニッバーナ()とは、一般にヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教における概念であり、繰り返す再生の輪廻から解放された状態のこと。 インド発祥の宗教においては、涅槃は解脱(モークシャ मोक्ष または ムクティ मुक्ति mukti)の別名である。すべてのインドの宗教は、涅槃は完全な静寂、自由、最高の幸福の状態であるだけでなく、誕生、生、死の繰り返しである輪廻からの解放と終了であると主張しているGavin Flood, Nirvana.

見る 仏教と涅槃

涅槃寂静

涅槃寂静(ねはんじゃくじょう, śāntaṃ nirvāṇaṃ)は、仏教用語で、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す。涅槃寂静は三法印・四法印の一つとして、仏教が他の教えと根本的に異なることを示す。 この言葉は、『雑阿含経』などには、涅槃寂滅、『大智度論』には涅槃実法印などと出てくる。「涅槃寂静」という用語が登場するのは、『瑜伽師地論』である。

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渇愛 (仏教)

渇愛(かつあい、Taṇhā, 梵: )とは、十二因縁の一つで、対象のものごとを貪ったり、執着することを指す。仏教においては中核的概念のひとつでありWalpola Sri Rahula (2007). Kindel Locations 791-809.、身体・精神的な「渇き、欲望、渇望、貪欲」を指している。愛(あい)とも訳される。

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満洲民族

満洲民族(まんしゅうみんぞく、マンジュみんぞく、z)は、ツングース系民族の一つで、中国東北部、ロシア沿海地方(旧満洲)などに発祥し、現在は中国各地に散在している民族である。満洲族(まんしゅうぞく、マンジュぞく)、満族(まんぞく、マンぞく)などとも呼ばれる。 同じく中国東北部に興り、かつて金を建国した女真を祖先とする。17世紀に現在の中華人民共和国およびモンゴル国の全土を支配する清を興した。清朝では、民族全体が八旗(z、八つの旗)に組織され(満洲八旗)、蒙古八旗、漢軍八旗と呼ばれる主にモンゴル人や漢人によって構成された軍事集団八旗のメンバーとともに旗人とも呼ばれた。同系の民族にシベ、ウデヘ、ナナイ、ウリチ、ウィルタなどがある。

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漢語

日本語における漢語(かんご)とは、語種の一区分である。比較的古い時代の中国語から借用された形態素、すなわち漢字の字音から構成される語彙体系である。漢字の音読みと対応する語彙体系であるので字音語と称することもある佐藤喜代治(1996)、88頁。。固有語である「和語」、漢語以外の借用語である「外来語(洋語)」と対立する概念である。 漢語の原義は「漢民族の言語」であり、本来は漢民族が母語である中国語を自称する際の用語なのだが、日本においては国語として定着した中国由来の語彙体系を「漢語」と総称することが多い。また、漢字の字音は複合の自由度が高く、日本で独自に造語されたいわゆる「和製漢語」も多い。 日本語以外でも、朝鮮語、ベトナム語などの言語は同様の語彙体系を有している。これら言語が有する中国由来の語彙体系をまとめて「漢語系語彙(Sinoxenic vocabulary)」と呼ぶことがある。

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漢民族

漢民族(かんみんぞく)は、主に中華人民共和国および中華民国(台湾)にいる民族。 中華人民共和国の民族識別工作では漢族と呼ばれ、中華人民共和国の人口の94%以上を占める。漢人ともいう。華僑として華人・唐人と自称することが多い。清朝の時代、人口の80%以上はどの族にも含まれていない農奴だった。支配者である満州族と被支配層の漢族のような族名は貴族と平民に降等された人々だけ持つことが許された呼称で、百姓は族という呼称を持つことができなかった。中華人民共和国が建国されて、近代化の政策が進み、苗字と族を持たなかった殆どの人口は苗字と漢族という民族名をもらうことになった。 注意すべきなのは、「漢民族」という言葉が近代になって現れたことである。これまでは「漢人」と呼ばれていた。「漢民族」は近代に西洋の概念を導入して定型化した名詞で、「漢人」という言葉は古代中国ではずっと文化共同体の名称に似ていた。

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朝鮮

統一旗 朝鮮(ちょうせん、、)は、朝鮮半島および済州島、巨文島、鬱陵島など周囲の島嶼・海域を併せた地域を表す呼称。ユーラシア大陸の東端に位置し、北西に中華人民共和国、北東にロシア、南東に対馬海峡西水道(朝鮮海峡)を隔てて日本と隣接する。 この地の全域を、韓国、北朝鮮共に自国の領土に定めており、両国の領土は完全に一致重複している。しかし現実は朝鮮戦争以降、軍事境界線(38度線)を境に南半部は韓国が、北半部は北朝鮮が実効支配している。

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朝鮮の仏教

朝鮮の仏教(ちょうせんのぶっきょう)は、朝鮮半島周辺に展開し、特に華厳教学と禅の受容と展開について独自の特徴を持つ、現在でも同地で盛んな仏教の総称。

見る 仏教と朝鮮の仏教

朝鮮半島

は、アジア大陸東部から南南東に突出した半島。大韓民国(韓国)においては、という。

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朝鮮民主主義人民共和国

朝鮮民主主義人民共和国(ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく、조선민주주의인민공화국、Democratic People's Republic of Korea, DPRK)、通称北朝鮮(きたちょうせん、North Korea)は、東アジアに位置する社会主義共和制国家。首都は平壌市。 1953年7月に朝鮮戦争休戦協定が締結されて以来、朝鮮半島は38度線を境に北側の北朝鮮と南側の大韓民国 (以下、韓国)に分断され、ドイツ再統一以後は双方が国連に加盟している国家では唯一の冷戦分断国家となった。朝鮮労働党による一党独裁体制下にあり、軍事境界線を挟み韓国と、豆満江や鴨緑江を挟んで中華人民共和国及びロシアと接している。

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朝鮮民族

朝鮮民族(ちょうせんみんぞく、조선민족)は、をそのアイデンティティー・母語とする民族。大韓民国における民族名は韓民族(한민족)。

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末法思想

末法思想(まっぽうしそう)とは、釈迦が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(像法)が来て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)が来る、とする歴史観のことである岩波 哲学思想事典 1998年 p.1523。

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本尊

本尊(ほんぞん)は、仏教寺院や仏壇などに最も大切な信仰の対象として安置される仏像・経典・仏塔、お守りとして身辺に常時携帯されるもの、仏や菩薩などの彫刻・絵画・曼荼羅(まんだら)・名号などをいう。 また比喩として派生した用法として、。

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朱子学

朱子学(しゅしがく)とは、南宋の朱熹(1130年-1200年)によって構築された儒教の新しい学問体系。日本で使われる用語であり、中国では、朱熹がみずからの先駆者と位置づけた北宋の程頤と合わせて程朱学(程朱理学)・程朱学派と呼ばれる。また、聖人の道統の継承を標榜する学派であることから、道学とも呼ばれる。 北宋・南宋期の特徴的な学問は宋学と総称され、朱子学はその一つである。また、陸王心学と同じく「理」に依拠して学説が作られていることから、これらを総称して宋明理学(理学)とも呼ぶ。

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有(う、bhava)とは、仏教用語で衆生としての生存、存在状態を表すことばである。対義語は非有(ひう、abhava)。 Monier Monier-Williams (1899), Sanskrit English Dictionary, Oxford University Press, Archive:, bhava。 前者の用語は後者から派生したもので、いくつかの状況では、「存在する、そこにある、発生する、現れる」ことを意味する。「う」と読むのは、「呉音」(ごおん)読みから。仏教では通常、漢字を呉音読みする。

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想(そう、saṃjñā、saññā)とは、事物の形象を心の中に思い浮かべること・表象作用を意味する仏教用語。心に像を思い浮かべる作用や、心に浮かぶ像のこと。例えば、眼をつむって「桜」というイメージを思い浮かべること。 五蘊の一要素(三番目(想蘊))で、説一切有部の五位七十五法のうち、心所法 - (阿毘達磨倶舎論などに言及)、唯識派・法相宗の五位百法のうち有為法 - 心所法 - 遍行心所(成唯識論などに言及)の一要素でもある。

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仏教用語の我(が)とは、サンスクリット語のアートマン(Ātman)に由来する概念。我については、仏教とヒンドゥー教で最も見解の異なる点の一つである。 ヒンドゥー教では世俗的な我意識のみを否定してニラートマン(nirātman、無我)といい、自我意識(ahaṅkāra)のない純粋な実体としての真我(paramātman)を否定しないが、仏教は、永遠に存続し、自主独立して存在し、中心的な所有主として、コントロール・支配能力を持つ我の存在、すなわち常一主宰(じょういつしゅさい)な我を否定して無我説を立てた。 また我見(がけん, atta-diṭṭh)とは、自分は単なる五蘊の集合体であるにも拘らず、我(アートマン)が存在しているという誤った見解(Ditti)のこと。しばしば有身見と同一視される。有部の阿毘達磨大毘婆沙論では「五は我見なり、謂はく等しく隨って色は是れ我なり、受想行識は是れ我なりと觀ず」と記載されている。

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戒(かい、śīla, sīla)とは、仏教の信徒が守るべき行動規範。仏教徒が守るべき、自分を律する内面的な道徳規範である。 定・慧とともに仏教の三学の一つに数えて戒学ともいう。仏教における大前提とも言える仏・法・僧の三宝への帰依を、「三帰依戒」として、広い意味での戒と捉える考え方もある。 戒は、犯した場合でも処罰の規定を伴わない。そのため、戒の特徴は自発的な努力に待つことであるという。戒は一般には三蔵の中の律蔵に説かれているとされる。 部派仏教では、在家・出家の違いと男女の違いに応じて、五戒・八戒(八斎戒)・十戒・具足戒がある。大乗仏教では、その4つを全て声聞戒と呼び、それとは別に菩薩戒(大乗戒)があるとする。

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戒律

戒律(かいりつ)。

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明王

軍荼利明王 明王(みょうおう、विद्याराज vidyā-rāja)は、密教における尊格及び称号で、如来の変化身ともされる。明王には女性の尊格もある。

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明治

明治(めいじ、)は元号の一つ。 慶応の後、大正の前。大化以降228番目、244個目南北朝時代の北朝の元号を除くか含めるかによる。の元号。明治天皇の即位に伴い定められた(代始改元)。 明治の元号下にあった1868年10月23日(明治元年9月8日)これは改元日を起点とする形式的区分であり、改元の詔書による明治の開始日とは異なる(後節参照)。から1912年(明治45年)7月30日までの45年間をと呼ぶ。本項ではこの時代についても記述する。

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浄土教

浄土教(じょうどきょう)、中国の北魏時代に慧遠が説き、唐代の善導が提唱した。阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く大乗仏教の一派。浄土門、浄土思想ともいう。阿弥陀仏の願に基づいて、観仏や念仏によってその浄土に往生しようと願う教え。

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断見

断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解で、断滅論(ucchedavādā)ともされ、邪見のひとつ。反対語は常見(じょうけん)。 原始仏教、つまり釈迦が在世の頃にあった六十二見のうちの1つで、この世界・世間や我(アートマン)の断滅を主張したものである。「見(ディッティ)」とは見解・意見・見方のこと。 人の一生・人生はこの世の一回限りであるとして、死後やその運命を否定して、この世における善と悪の行為やその果報を無視し否定する見解をいう。六師外道の順世派(アジタ・ケーサカンバリン)などが長部梵網経では「肉体は壊れることにより断滅し、死後は存在しない」と述べている。

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文殊菩薩

9世紀のインド北西部、パーラ朝で作られた石仏・文殊菩薩像 文殊菩薩(もんじゅぼさつ、mañjuśrī〈マンジュシュリー〉、mañjughoṣa〈マンジュゴーシャ〉、蔵: 〈ジャンペル〉)は、大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊。一般に智慧を司る仏とされる。その他、非人救済などの慈善事業を司るほか、日本の真言律宗では慈母供養の象徴としての一面も重視された。 文殊は文殊師利(もんじゅしり)の略称。また妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)などともいう。曼殊室利等とも音写し、妙徳菩薩(みょうとくぼさつ)、妙首菩薩などとも訳す。文珠菩薩とも書く。 三昧耶形は青蓮華(青い熱帯睡蓮の花)、利剣、梵篋(椰子の葉に書かれた経典)など。

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日本の仏教

日本の仏教(にほんのぶっきょう)は、5世紀に罽賓国よりもたらされたとする説や、西暦538年(日本書紀では552年)に百済よりもたらされたとする説などがあるが、宗派により伝来時期や伝来元の地域が異なる。 2013年の統計では約8470万人が仏教徒であるとされる。現代では、仏教と神道は区別されることが多いが、幕末までは仏と神を一体で不可分とする神仏習合と呼ばれる見方もあった。 伝統的な仏教の宗派は漢訳経典を用いる大乗仏教で、華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗の13宗がある。 文化庁の宗教年鑑の統計によると、現在の日本の仏教徒の大半はいわゆる鎌倉仏教に属し、浄土教系(浄土宗及び浄土真宗)の宗派と日蓮宗系の宗派が特に大きな割合を占めている。

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日本人

日本人(にほんじん、にっぽんじん)とは、日本の国籍を持つ人、または日本列島の民族集団(大和民族など)の構成員、もしくは日本への所属・帰属に係る意識を持つ人を指す多義的な呼称である。本記事では、現代の日本国民の歴史的主体となっている民族の起源、形成、特徴に関する事柄を中心に解説を展開する。

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日本書紀

『日本書紀』(にほんしょき、やまとぶみ、やまとふみ)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。『古事記』と並び伝存する最も古い史書の1つで、養老4年(720年)に完成したと伝わる。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。神典の一つに挙げられる。神代から持統天皇の時代までを扱い、漢文・編年体で記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。

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悟り

悟り(さとり、bodhi)は、迷いの世界を超え、真理を体得すること。覚、悟、覚悟、証、証得、証悟、菩提などともいう。仏教において悟りは、涅槃や解脱とも同義とされる。 日常用語としては、理解すること、知ること、気づくこと、感づくことなどを意味する。

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改宗

改宗(かいしゅう、 conversion)は、従来信仰してきた宗旨を捨てて、他の宗旨に改めることである。自らの家長や氏族、自治会などの意思で自発的に改宗する場合と、政策などにより強制的に改宗させられる場合(強制改宗)とに分けることができる。 日本仏教における各宗旨間の改宗は宗旨替えともいう。正教会・カトリック教会においては、他教派から自教派に宗旨を改めることを帰正と呼ぶ。

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改革開放

改革開放(かいかくかいほう、)とは、中国を共産主義経済から資本主義経済に転換させること、またその成り立ちを指す。 中華人民共和国の鄧小平の指導体制の下で、1978年12月に開催された中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議で提出、その後開始された中国国内体制の改革および対外開放政策のことであり、単なる一般名詞ではない。

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政権

政権(せいけん)とは、国の政治機構を動かす政治権力のことである。議院内閣制のもとでは、選挙を通じて議会で多数を得た政党が政権を担当する『政治・経済用語集』(山川出版社)。 なお、同じ漢字圏の中国語で「政権(政权)」と書いた場合、「レジーム(・)」の中国語訳であり、日本語における「政権」と意味が異なることに注意、また、現在日本の政権は自由民主党と公明党による自公連立政権である。

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政教分離原則

政教分離原則(せいきょうぶんりげんそく)とは、国家と宗教団体の分離の原則をいう。 また、教会と国家の分離原則(Separation of Church and State)ともいう。 ここでいう「政」とは、狭義には統治権を行動する主体である「政府」を指し広義には「君主」や「国家」を指す『宗教の事典』、山折哲雄、2012年、朝倉書店、p862。。 世界大百科事典では「国家の非宗教性、宗教的中立性の要請、ないしその制度的現実化」と定義されている。 国家により、フランスなどに見られる国家による一切の宗教的活動を禁止する厳格な分離(分離型)や、国家が平等に宗教を扱えばよいとする英国などに見られる緩やかな分離(融合型)野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法』第4版、有斐閣、2005年小原克博「日本人の知らないの多様性」『論座』2001年10月号 などに分かれる。

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感覚器

感覚器(かんかくき、)とは、動物の体を構成する器官のうち、何らかの物理的または化学的刺激を受け取る受容器として働く器官である解剖学第2版、p148、第9章 感覚器系。各器官は感覚器系と呼ばれ、それぞれが繋がる末梢神経系を通し解剖学第2版、p135-146、第8章 神経系 4.末梢神経系、受け取った情報はニューロンを介して中枢神経系へと伝えられる解剖学第2版、p116-118、第8章 神経系 1.神経系の構成。感覚器には光に対する視覚器、音に対する聴覚器、化学物質に対する嗅覚器・味覚器、温度や機械刺激に対する触覚器などが挙げられる。ヒトの場合、その代表的な感覚器には、五感に対応する目、耳、鼻、舌、皮膚などがある。また、動物の種類によって独自の感覚器が様々に発達している場合がある。これらの感覚器をまとめて感覚器系という1つの器官系として扱う場合がある。

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愛染明王

愛染明王(『図像抄』〈十巻抄〉より) 愛染明王(仏像図彙 1783年) 愛染明王(あいぜんみょうおう rāgarāja)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の憤怒相を主とする尊格である明王の一つ。愛染王とも。

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教相判釈

教相判釈(きょうそう はんじゃく)とは、中国をはじめとする漢訳仏典圏において、仏教の経典を判定し、解釈したもの。略して教判ともいう。 釈迦は成道して、涅槃に入るまでの45年前後の間に、多くの教えを説いたが、書物を残さなかった。そのため、数百年の間にインド周辺で釈迦の直説とされる大量の経典が形成された。 さらにそれらの多くの経典が、中国へ伝えられ、漢訳仏典として集成されると、実は中国撰述のものも含めてすべてが本物とされた。そして、独自の仏伝の解釈に基づき、これらの諸経典の教えの相や時期を分けて判別して、それらから仏道修行の完全なる悟りを得ようとした。これらは日本、朝鮮、ベトナムなどにも伝えられていき、日本では比叡山延暦寺から生まれた各派を中心に、近代文献学の台頭まで権威を持っていた。また、同じく大乗仏教が伝わったチベットでは独自の体系化を図っていた。

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慈悲

仏教において慈悲(じひ)とは、他の生命に対して楽を与え、苦を取り除くこと(抜苦与楽)を望む心の働きをいう。一般的な日本語としては、目下の相手に対する「あわれみ、憐憫、慈しみ」(mercy) の気持ちを表現する場合に用いられる。 慈悲は元来、4つある四無量心(四梵住)の徳目「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)の内、最初の2つをひとまとめにした用語・概念であり、本来は慈(いつくしみ)、悲(あわれみ)と、別々の用語・概念である。

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托鉢

托鉢(たくはつ、サンスクリット:pindapata)とは、仏教やジャイナ教を含む古代インド宗教の出家者の修行形態の1つで、信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞う(門付け)街を歩きながら(連行)、または街の辻に立つ(辻立ち)により、信者に功徳を積ませる修行。乞食行(こつじきぎょう)、頭陀行(ずだぎょう)、行乞(ぎょうこつ)とも。

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曼荼羅

曼荼羅(マンダラ、梵語:मण्डल maṇḍala、チベット語:དཀྱིལ་འཁོར་(キンコル, dkyil 'khor))とは、密教の経典に基づいて主尊を中心に諸仏諸尊の集会する楼閣を模式的に示した図像。 密教経典は曼荼羅を説き、その思想を曼荼羅の構造によって表し、その種類は数百にのぼる。古代インドに起源をもち、中央アジア、日本、中国、朝鮮半島、東南アジア諸国などへ伝わった。21世紀に至っても、密教の伝統が生きて伝存するチベット、ネパール、日本などでは盛んに制作されている。漢字による表記のバリエーションとして「漫荼羅」や「曼拏羅」、「曼陀羅」等があるが、日本の重要文化財等の指定名称は「曼荼羅」に統一されており、ここでも「曼荼羅」と表記する。

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智慧

智慧(ちえ)とは、一切の現象や、現象の背後にある道理を見きわめる心作用を意味する仏教用語。原語とその訳語の用いられ方を考慮すると、代表的な用例は下記の3つがあるという。

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7世紀

ジブリールから啓示を受けるムハンマドで、14世紀に描かれた『集史』「預言者ムハンマド伝」載録の細密画(エディンバラ大学蔵)。 聖地メッカ。ムハンマドはメッカからメディナに逃れた後、イスラム教共同体(ウンマ)を組織し、再びこの都市に現れてイスラム教の支配下に置いた。画像はメッカのカアバとそれを取り囲むマスジド・ハラーム。 夜の旅(イスラー)」を行った聖地であり、それを記念してこの建物が建てられた。 ハルシャ王に歓待された。旅の記録は『大唐西域記』にまとめられ、有名な伝奇小説『西遊記』のもとともなった。画像は東京国立博物館所蔵の玄奘の肖像画。 ナーランダ僧院。創立はグプタ朝時代にさかのぼるが、この時代までにインド随一の仏教総合大学に発展し、唐僧玄奘もこの地で唯識派のシーラバドラ(戒賢)に学んでいる。画像は現在のビハール州に残るナーランダ僧院跡。 シュリーヴィジャヤ王国。スマトラ島を中心にマレー半島周辺に交易圏を築き上げた海洋王国で、唐僧義浄が『南海寄帰内法伝』で記録したように多くの寺院が立ち並ぶ大乗仏教の拠点でもあった。画像はシュリーヴィジャヤ様式の青銅鍍金四臂観世音菩薩像。 「天寿国繡帳」。飛鳥時代を代表する工芸の一つで聖徳太子の妃である橘大郎女の発願で作成されたとされ、斑鳩中宮寺に伝来した。 飛鳥の石造物。奈良県明日香村は飛鳥時代に都が置かれたこともあり、幾つもの遺構が残るが、その用途が知られないものも多い。画像は酒船石遺跡の小判形石造物と亀形石造物で、斉明朝の両槻宮との関連があるとも考えられている。 吐蕃の王ソンツェン・ガンポ。この王のもと吐蕃はチベットを統一し唐に倣った律令体制を発展させた。画像は王とその二人の妃である唐から来た文成公主とネパールから来たチツン。 太宗。父李淵の後を継いで二代皇帝となった太宗李世民は、唐の律令体制を完成させ「貞観の治」と呼ばれる安定期をもたらした。画像は台湾国立故宮博物院が所蔵する太宗の肖像画。 奉先寺大仏。洛陽近郊の龍門にある石窟寺院で、仏教信仰に篤い則天武后の命で造営されたもの。中央の大仏は毘盧遮那仏で、その顔は則天武后をモデルにしているといわれる。 National Museum of Anthropology (Mexico)蔵)。 「ギリシア火」。イスラム軍の猛攻で劣勢に置かれた東ローマ帝国もこの新兵器を用いて帝都の防衛に成功する。画像は『スキュリツェス年代記(歴史概観)』の挿絵(マドリッド国立図書館蔵)。 スペイン国立考古学博物館蔵)。 7世紀(ななせいき、しちせいき)とは、西暦601年から西暦700年までの100年間を指す世紀。

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参考情報

アースティカ

多神教

釈迦

仏教徒 別名。

世界宗教世界三大宗教世界人口世界遺産世界観三十七道品三学三宝三武一宗の法難三毒下田正弘一切皆苦平川彰五力五蘊五蓋五戒仏像仏典仏足石仏陀仏滅仏滅紀元仏教仏教公伝仏教用語一覧仏教混淆サンスクリット廃仏毀釈弁才天弾圧佐々井秀嶺佼成出版社復興律 (仏教)保守快楽主義修行在家地蔵菩薩北インドミャンマーマトゥラーマインドフルネスマウリヤ朝チャーンドーギヤ・ウパニシャッドチベットチベット仏教チベット・ビルマ語派チベット語チベット民族ネワール仏教ネパールバラモンバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群バーヴァナーモンゴル国モンゴル系民族僧院ラマ (チベット)ラオスリグ・ヴェーダレバノントゥバ人トゥヴァ共和国ブラーフミー文字ブリヤート共和国ブリタニカ百科事典ブータンブッダガヤブッダガヤの大菩提寺プンナ教誡経パーリ語パータリプトラパキスタンヒンドゥー教ビームラーオ・アンベードカルピュー研究所ツングース系民族テュルク系民族ベトナムベトナム共産党ベトナム戦争初転法輪初期仏教善行呪文アメリカニゼーションアラブ首長国連邦アルボムッレ・スマナサーラアートマンアフリカアウェアネスアショーカアジアイランインドインドにおける仏教の弾圧インドにおける仏教の衰退インドの仏教インド仏教復興運動インド哲学イスラム教カルムイク人カンボジアカーストカトマンズの渓谷カギュ派カタールガンダーラガンジス川キリスト教キーターギリ経シルクロードシンハラ人シベリアスリランカスリランカの仏教スッタニパータスタンフォード大学セイロン島タミル人タルムードタントラターリバーンタイの仏教タイ王国サンカーラサンスクリットサティ (仏教)サウジアラビア儒教内蒙古出家出離全日本仏教会八大聖地八正道公明党六道共産主義前世創価学会因果因果性国教四向四果四天王四念処四神足四禅四諦四正勤瞑想灌頂神秘主義神道禅定禅宗空 (仏教)紀元前5世紀紀元前6世紀縁起義浄真理真言真言宗結集結果瑜伽行唯識学派生 (仏教)生命生物無常無記無記相応無著無我無明煩悩道教菩薩菩提衆生西ヨーロッパ馬場紀寿観光観音菩薩解脱触 (仏教)誤用説一切有部説教誓願諸行無常諸法無我論蔵講談社学術文庫輪廻龍樹近世霊魂部派仏教般若阿含経阿弥陀如来薬師如来葬式仏教葬儀釈迦釈迦如来金剛座長阿含経色 (仏教)苦 (仏教)苦行老衰李氏朝鮮東南アジア東南アジアの仏教東アジア根本分裂梵天植木雅俊欧化主義欽明天皇止観正法眼蔵毘沙門天比丘民主化沙門沙門果経波羅蜜波羅提木叉法 (仏教)法句経法顕涅槃涅槃寂静渇愛 (仏教)満洲民族漢語漢民族朝鮮朝鮮の仏教朝鮮半島朝鮮民主主義人民共和国朝鮮民族末法思想本尊朱子学戒律明王明治浄土教断見文殊菩薩日本の仏教日本人日本書紀悟り改宗改革開放政権政教分離原則感覚器愛染明王教相判釈慈悲托鉢曼荼羅智慧7世紀