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ロレーヌ十字

索引 ロレーヌ十字

レーヌ十字(ロレーヌじゅうじ)は、十字の一種である。この「複十字」は1本の縦棒とそれに交差する2本の横棒からなる。古い種類のものは2本の横棒が同じ長さであり、縦棒の上端と上側の横棒、縦棒の下端と下側の横棒との距離は等しい。しかし、現代で一般的なものはこの2つの棒を「格付け」して描かれる。下の棒が上の棒より長く、よって総主教十字(パトリアーカル十字)と似ており、しばしば同一視されるが、紋章学では2本の横棒が上に寄っていない点で区別する。 下ロートリンゲン公ゴドフロワ・ド・ブイヨンが彼の旗にこの十字を描き、第1回十字軍に参加し指導的役割を果たしたところから、「ロレーヌ十字」と呼ばれるようになった。.

55 関係: 十字代父母ハンガリーハンガリーの国章ハーケンクロイツポーランド王国モラヴィア王国ヤギェウォ朝ラウンデルリトアニアの国章リトアニア大公国ロレーヌ地域圏ロレーヌ公ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)ヴィシー政権パンノニアツヴェンティボルトフランスフランス空軍フランス語ド・ゴール主義ベラルーシベラルーシの国章アルヌルフ (東フランク王)アルザス地域圏アルザス=ロレーヌキリスト教ゴドフロワ・ド・ブイヨンシャルル・ド・ゴールジャンヌ・ダルクスロバキアスロバキアの国章スロバキアの国旗共和国連合第1回十字軍第一次世界大戦第二次世界大戦紋章学結核結核予防会複十字シール西方教会自由フランスJIS X 0213Unicode東ローマ帝国東フランク王国東方教会文字参照日本...愛国心1386年1871年1902年1918年 インデックスを展開 (5 もっと) »

十字

十字(じゅうじ、クロス、英:cross)とは幾何学図形の1つで、2つの線(棒)が互いに直角に交差して、片方または両方の線が中央で分割されている。線は通常は水平と垂直だが、斜めの場合は斜め十字(ななめじゅうじ、サルタイアー、英:saltire、聖アンデレ十字)とも呼ばれる。 なお日本では、線が垂直な場合は漢字の「十」と同じ形のため「十文字」(じゅうもんじ)、斜めの場合は「×」(バツ、ペケ)と呼ばれる事もある。.

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代父母

代父母(だいふぼ、godparent)とは、キリスト教の伝統的教派において、洗礼式に立会い、神に対する契約の証人となる役割の者を言う。男性の場合代父(だいふ、godfather)、女性の場合代母(だいぼ、godmother)という。また正教会では代父母による被後見人を代子(だいし、godchild)という。聖公会などでは教父母との語が相当する。 代父母は、洗礼の立会人となるばかりでなく、洗礼後も、教会生活における親として、信仰生活の導き手となることが求められている。しかし現代ではこうした信仰面での代父母の役割は形骸化しているとする指摘もある。 幼児洗礼の場合、多くの教会で、代父母は必須である。一部の教派では、成人洗礼の場合教会法では代父母を必須としないことがある。しかし多くの場合、慣例に基づき、成人洗礼でも代父母を立てることが多い。プロテスタント教会には、多く代父母を立てない教派がみられる。 教派によって、婚姻上の禁忌を、血縁上親を同じくする兄弟姉妹らと同じく、代父母の子に適用するところがある。たとえば正教会の教会法では、代父母が代子と結婚することは禁止される。一方、聖公会では教父母が代子と結婚することが禁じられているのは正教会と同様であるが、正教会では代父母の両方を夫婦一組で務める事は稀なのに対し、聖公会の教父母は夫婦で務める事が一般的である。 ユダヤ教では代父母のような役割はサンダークが担っている。.

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ハンガリー

ハンガリー(Magyarország)は、中央ヨーロッパの共和制国家。西にオーストリア、スロベニア、北にスロバキア、東にウクライナ、ルーマニア、南にセルビア、南西にクロアチアに囲まれた内陸国。首都はブダペスト。 国土の大部分はなだらかな丘陵で、ドナウ川などに潤される東部・南部の平野部には肥沃な農地が広がる。首都のブダペストにはロンドン、イスタンブールに次いで世界で3番目に地下鉄が開通した。.

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ハンガリーの国章

ハンガリーの国章(ハンガリーのこくしょう)は1990年7月3日に制定された。 1990年までの社会主義的紋章を廃して、ハンガリー王国時代の国章を復活したもの。.

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ハーケンクロイツ

ハーケンクロイツ(Hakenkreuz)は、鉤十字のドイツ語。.

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ポーランド王国

ポーランド王国(ポーランドおうこく)は、1025年から1569年(リトアニアとの二重王国時代を含めると1795年)までポーランド一帯を支配していた王国。14世紀にリトアニア大公国と合同し、14世紀から16世紀にかけて北はエストニア、南はウクライナまでをも含む大王国を形成、人口や領土において当時のヨーロッパ最大の国家「ポーランド・リトアニア共和国」を形成し、その連邦の盟主となったが、ヨーロッパの経済構造が変化すると共に対外戦争と内乱が続き、18世紀に共和国が周辺諸国に領土を分割されると同時に消滅して、その領土的実態としての歴史を終えた。法的には1918年に成立したポーランド共和国(第二共和国)、1939年からのポーランド亡命政府、このポーランド亡命政府を1989年に継承した現在のポーランド共和国(第三共和国)がその法的継承国家。.

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モラヴィア王国

ワトプルクの治世期 (871-894) に最も拡大したモラヴィア王国の版図。 キュリロスの像(モラヴィア地方・オロモウツにある三位一体柱の一部) モラヴィア王国 (Veľkomoravská ríša) は、9世紀から10世紀初頭にかけて栄えたスラヴ人の王国。大モラヴィア王国などとも表記される。現在のモラヴィア、スロヴァキア辺りの地域を支配した。.

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ヤギェウォ朝

ヤギェウォ朝(Dynastia Jagiellonów)は、ポーランド、リトアニア、ボヘミアおよびハンガリーの王朝。ヤギェロ朝、ヤゲロ朝とも呼ばれる。1386年にリトアニア大公国の大公ヨガイラにより、ハンガリー王をも兼ねたポーランド王ルドウィク1世(ハンガリー王としてはラヨシュ1世)を継承した女王ヤドヴィガ(在位:1384年 - 1399年)との結婚により成立した。 王朝の年代は各君主位によって異なるが、それぞれ以下の通りになる。.

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ラウンデル

ラウンデル(Roundel)は、円を基調としたロゴタイプやシンボルのこと。日本語では(とくにイギリス空軍のものを指して)蛇の目と通称されることもある軍用機の国籍マークに代表されるほか、ロンドン地下鉄などにも採用されている。 軍用機において最初にラウンデルを使用したのは、第一次世界大戦中のフランス軍によるものである。それは、フランスの国旗を円形に変形させたものであった。イギリス連邦諸国の空軍においては、イギリス空軍のラウンデルの中心部を変更したラウンデルが国籍マークとして使用されている。.

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リトアニアの国章

リトアニアの国章(リトアニアのこくしょう)は1918年9月20日に採用されたリトアニアの徽章。.

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リトアニア大公国

フ県などが置かれた地域)を獲得した。 合同により、現在のウクライナにあたる地域がポーランドの領土となっている。 ヤン・マテイコ画『リトアニア大公国の洗礼』(1387年) リトアニア大公国(リトアニアたいこうこく、、)は、13世紀から1795年のあいだにリトアニアを中心とした地域を支配した国家である。その全盛期には、広大な領土を擁するヨーロッパの強国であった。この国家の支配層の民族構成は人口においてはリトアニア人はむしろ少数派で、特にルーシ人と呼ばれる東スラヴ人が多かった。このルーシ人は、のちのベラルーシ人やウクライナ人の先祖に当たり、やがてリトアニア人とあわせてと呼ばれるようになった。 リトアニア人が支配した当初はその領土もいわゆる「原リトアニア」と呼ばれる、現代のリトアニア共和国とほぼ同じ狭い地域に限られており、小さな異教国家(非キリスト教国家、Romuva)であったが、複雑な政治的経緯により人口の膨大なルーシ(現在のロシア・スモレンスク地方、ベラルーシ、西部ウクライナ)の正教徒の人々が住む広大な地域(すなわちヴォルィーニ公国やハールィチ公国の地域)も徐々に広く包含するようになると、そういった地方の支配層も取り込むようになったため結果として大公国全体で徐々に正教徒の東スラヴ人が政治的に優勢となった。原リトアニアでも東スラヴの文化を広く受け入れるようになり、大公国の唯一の公用語として教会スラブ語が採用された。1387年にローマ・カトリックを正式に国教としたが、正教徒の信仰も認められた。1430年以後、ポーランド王国と実質的な同君連合となり(ポーランド・リトアニア合同)、支配階層のポーランド文化への同質化が進んだ。1569年のルブリン合同をもってリトアニア大公国はポーランド王国との連合政体であるポーランド・リトアニア共和国を形成した。.

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ロレーヌ地域圏

レーヌ地域圏(フランス語:Lorraine、ドイツ語:Lothringen ロートリンゲン、アレマン語:Lothringe ロートリンゲ)は、フランス北東部にあり、ドイツ国境に近いかつて存在した地域圏である。東にかつてのアルザス、西にかつてのシャンパーニュ=アルデンヌ、南にかつてのフランシュ=コンテが隣接している。地域圏の広さは東京都の約10倍(九州の6割程度)、人口は宮城県と同じぐらいである。.

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ロレーヌ公

レーヌ公の紋章 ロレーヌ公(仏:duc de Lorraine)またはロートリンゲン公(独:Herzog von Lothringen)は、現在はフランス領となっているロレーヌ(ロートリンゲン)地方に存在したロレーヌ(ロートリンゲン)公国の君主。初期はフランク王国の部族大公であり、ロートリンゲン大公(ロタリンギア大公)とも呼ばれるが、訳語の違いに過ぎない。フランスとドイツの国境に位置し、歴史的にもフランス王国と神聖ローマ帝国との間で帰属の変遷があり、日本語での呼称はフランス語に基づくものとドイツ語に基づくものが混用されるほか、称号自体も時代によって定訳が(「大公」と「公」で)異なる。.

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ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)

ヨガイラ(Jogaila)、後のヴワディスワフ2世ヤギェウォ(彼は以下の複数の名で知られている: Jogaila Algirdaitis; Władysław II Jagiełło; Jahajła (Ягайла)。:en: Names and titles of Władysław II Jagiełłoを参照のこと、1362年頃–1434年6月1日)はリトアニア大公(1377年–1434年)、ポーランドの王配(1386年–1399年)及び単独のポーランド国王(1399年–1434年)。1377年からリトアニアを統治し、最初は叔父のケーストゥティスと共同で統治した。1386年にクラクフでヴワディスワフの名で洗礼を受けて若き女王ヤドヴィガ・アンジューと結婚し、ポーランド国王ヴワディスワフ2世ヤギェウォとして戴冠した。1387年にはリトアニア全土をキリスト教に改宗させた。ヤドヴィガの死を受けて1399年からヴワディスワフ2世による単独の統治が始まり、それは35年以上にも続き、数世紀に及ぶポーランド・リトアニア合同の土台が築かれた。ヴワディスワフ2世は己の名前を帯びたヤギェウォ朝の創設者である一方、異教徒としてのヨガイラはリトアニア大公国を創設したゲディミナス朝の後継者であった。王朝は両国を1572年まで支配し1596年に没したアンナ・ヤギェロンカがヤギェウォ家最後の男系の人物である。、中世後期及び近世の中・東欧で最も影響力のある王朝の一つとなっている。その統治期間中、ポーランド=リトアニア合同はキリスト教世界で最大の国家であった。 ヨガイラは中世リトアニア最後の異教の君主であった。クレヴォ合同の結果、ポーランド国王になった後に新たに形成されたポーランド・リトアニア合同はドイツ騎士団勢力の台頭に直面することとなった。1410年のタンネンベルクの戦いでの合同の勝利は、第一次トルンの和約により、ポーランドとリトアニアの国境線を確固たるするものとなり、ヨーロッパに重要な戦力としてのポーランド=リトアニア合同の出現を印象付けた。ヴワディスワフ2世ヤギェウォの統治はポーランドの国境を拡張させ、大概はポーランド黄金時代の幕開けと見做されている。.

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ヴィシー政権

ヴィシー政権(ヴィシーせいけん、Régime de Vichy)は、第二次世界大戦中における、フランスの政権(1940年 - 1944年)。フランス中部の町、ヴィシーに首都を置いたことからそう呼ばれた。「ヴィシー政府」、「ヴィシー・フランス」ともいい、この政権下の体制を「ヴィシー体制」と呼ぶ。正式国名はフランス国(État français、エタ・フランセ)。.

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パンノニア

パンノニア(Pannonia)は、古代に存在した地方名。ローマ帝国の時代には皇帝属州であった。北と東はドナウ川に接し、西はノリクムと上イタリア、南はダルマティアと上モエシアに接した。パンノニアの領域は現在のオーストリア、クロアチア、ハンガリー、セルビア、スロベニア、スロバキア、およびボスニア・ヘルツェゴビナの各国にまたがる。 今日では、パンノニアという地名は、ハンガリーのトランスダニュービア地方(Transdanubia、ハンガリー語:Dunántúl)およびセルビア等に広がるパンノニア平原を指して使われる。.

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ツヴェンティボルト

ツヴェンティポルト(Zwentibold、870年または871年 - 900年8月13日)は、カロリング朝のロタリンギア王(在位:895年 - 900年)。ツヴェンティポルト(Zwentipold)とも呼ばれる。 東フランク王国の王アルヌルフの庶長子で、生母の名は不詳。ルートヴィヒ4世の異母兄にあたる。.

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フランス

フランス共和国(フランスきょうわこく、République française)、通称フランス(France)は、西ヨーロッパの領土並びに複数の海外地域および領土から成る単一主権国家である。フランス・メトロポリテーヌ(本土)は地中海からイギリス海峡および北海へ、ライン川から大西洋へと広がる。 2、人口は6,6600000人である。-->.

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フランス空軍

フランス空軍(Armée de l'air française )はフランスの空軍である。.

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フランス語

フランス語(フランスご)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属する言語。ロマンス諸語のひとつで、ラテン語の口語(俗ラテン語)から変化したフランス北部のオイル語(またはウィ語、langue d'oïl)が母体と言われている。日本語では、仏蘭西語、略して仏語とも書く。 世界で英語(約80の国・地域)に次ぐ2番目に多くの国・地域で使用されている言語で、フランス、スイス、ベルギー、カナダの他、かつてフランスやベルギーの領域だった諸国を中心に29カ国で公用語になっている(フランス語圏を参照)。全世界で1億2,300万人が主要言語として使用し、総話者数は2億人以上である。国際連合、欧州連合等の公用語の一つにも選ばれている。このフランス語の話者を、'''フランコフォン''' (francophone) と言う。.

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ド・ゴール主義

ド・ゴール主義またはゴーリスム(仏:)とはシャルル・ド・ゴールの思想と行動を基盤にしたフランスの政治イデオロギーのことである。イデオローグ達は「ゴーリスト」と呼ばれ、これは彼の姓であるド=ゴール(フランス語:de Gaulle)に由来する。 ド・ゴール主義の最も大きな主張は外国の影響力(特に米英)から脱し、フランスの独自性を追求することである。また、ド・ゴール主義は哲学的な形で社会や経済にも言及しており、政府が積極的に市場や経済に介入することを志向する。.

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ベラルーシ

ベラルーシ共和国(ベラルーシきょうわこく、Рэспу́бліка Белару́сь、Республика Беларусь)、通称ベラルーシは、東ヨーロッパに位置する共和制国家。日本語では白ロシア(はくロシア)とも呼ばれる。東にロシア、南にウクライナ、西にポーランド、北西にリトアニア、ラトビアと国境を接する、世界最北の内陸国である。首都はミンスク。ソビエト連邦から独立した。国際連合にはウクライナと共に、ソ連時代からソ連とは別枠で加盟していた。また、ヨーロッパ州で最も北にある内陸国の一つでもある。.

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ベラルーシの国章

ベラルーシの国章(ベラルーシのこくしょう)は、1919年に白ロシア・ソビエト社会主義共和国(白ロシアSSR)が制定し1950年に修正された白ロシア・ソビエト社会主義共和国の国章に由来する。 小麦の束が円形に取り囲み、左の麦束にはピンクのクローバーが、右の麦束には水色のアマが挿されている。麦束を赤と緑のベラルーシの国旗の色のリボンが束ね、リボンにはベラルーシ語で「ベラルーシ共和国」と書かれている。国章の中央にはベラルーシの国土の形が緑の輪郭で描かれ、その下の地球から上る黄色い太陽の光線に照らされている。国章の頂上には赤い星が描かれている。 白ロシアSSR時代の国章との違いは、赤旗の色のリボンが赤と緑の国旗色に変えられ、ベラルーシ語とロシア語とで書かれていた「万国の労働者団結せよ」という言葉が除去され、「БССР」(白ロシアSSRの略称)が「ベラルーシ共和国」に代えられ、中央の鎌と槌がベラルーシの国土に変わったくらいであり、あとは赤い星などソ連時代の特徴がそのまま残っている。.

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アルヌルフ (東フランク王)

アルヌルフ(ドイツ語:Arnulf von Kärnten, スロベニア語:Arnulf Koroški, 850年頃 - 899年12月8日)は、東フランク王国(カロリング朝)の国王(在位:887年 - 899年)、のち西ローマ皇帝を兼ねた(在位:896年 - 899年)。.

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アルザス地域圏

アルザス地域圏(アルザスちいきけん、アルザス語: Elsàss、アレマン語: Elsäß、標準Elsass、Alsace、Alsace)は、フランス中東部にかつて存在した地域圏である。ストラスブール(独:シュトラースブルク)を首府とする。ヴォージュ山脈のある西側の大部分をかつてのロレーヌ地域圏と接し、残りはかつてのフランシュ=コンテ地域圏と接している。東はドイツとスイスに接する。地域圏内にはバ=ラン県とオー=ラン県二つの県を含む。中フランクと重なるブルーバナナ圏に属している。 2016年1月1日より、グラン・テスト地域圏となった。.

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アルザス=ロレーヌ

伝統的な衣装を着たアルザスの女性とフランスの将校(1919年) アルザス=ロレーヌ(、 エルザス=ロートリンゲン、 エルゼス=ロートリンゲ)は、フランス共和国北東部のドイツ国境に近いアルザス地域圏(エルザス)とロレーヌ地域圏(ロートリンゲン)のうちモゼル県を合わせた地域。.

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キリスト教

リスト教で最も頻繁に用いられるラテン十字 アギア・ソフィア大聖堂にある『全能者ハリストス』と呼ばれるタイプのモザイクイコン。 キリスト教(キリストきょう、基督教、Χριστιανισμός、Religio Christiana、Christianity)は、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教「キリスト教」『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、146頁。「キリスト教」『大辞泉』増補・新装版、小学館、1998年11月20日、第一版、714頁。 小学館、コトバンク。。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会正教会からの出典:・東方諸教会東方諸教会からの出典:・カトリック教会カトリック教会からの出典:・聖公会聖公会からの出典:・プロテスタントルーテル教会からの出典:改革派教会からの出典:バプテストからの出典:メソジストからの参照:フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p103 - p105, 教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353など)は「父なる神」「御父」(おんちち、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)。と「その子キリスト」「御子」(みこ、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)・「子なる神」。と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。 世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。.

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ゴドフロワ・ド・ブイヨン

インスブルックにあるブロンズ像 ゴドフロワ・ド・ブイヨン(, 1060年頃 - 1100年7月18日)は、第1回十字軍の指導者の一人。エルサレムの初代聖墓守護者となる。下ロートリンゲン公(在位:1087年 - 1100年)。.

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シャルル・ド・ゴール

ャルル・アンドレ・ジョゼフ・ピエール=マリ・ド・ゴール(Charles André Joseph Pierre-Marie de Gaulle、1890年11月22日 - 1970年11月9日)は、フランスの貴族、陸軍軍人、政治家。フランス第18代大統領。第二次世界大戦で本国失陥後、ロンドンにロレーヌ十字の自由フランスを樹立しレジスタンスと共闘した。戦後すぐ首相に就任し、ロスチャイルド家やシュナイダー家といった金融資本家と関わりながら経済政策を展開した。1959年には大統領に就任した。.

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ジャンヌ・ダルク

ャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc、古綴:Jehanne DarcD'Arc という綴りは近世になって変化してできたもので、15世紀当時には姓にアポストロフをつける習慣は無かった。公式の記録などでは Darc, Dars, Day, Darx, Dare, Tarc, Tart, Dart などと書かれる。ジャンヌ自身は Jehanne と綴ったといわれている and; it is also noted in Pernoud and Clin).

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スロバキア

バキア共和国(スロバキアきょうわこく、)、通称スロバキアは、中央ヨーロッパの共和制国家。首都はブラチスラバで、北西にチェコ、北にポーランド、東にウクライナ、南にハンガリー、南西にオーストリアと隣接する。 古代には(623年-658年)・モラヴィア王国として独立を保った期間もあったが、この地のスラブ人は1000年間少数民族としてハンガリー王国の支配下にあって、ハンガリーにとっても歴史的に重要な地域であり、多くのハンガリー人の出身地、ハンガリー貴族の発祥地でもある(元来スラブ系で、ハンガリー文化に同化した者も多い)。 第一次世界大戦後オーストリア・ハンガリー帝国からチェコと合併するかたちで独立し、その後、1989年のビロード革命による共産党政権崩壊を経て、1993年1月1日にチェコスロバキアから分離独立し現在に至る。.

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スロバキアの国章

バキアの国章(スロバキアのこくしょう)とは1990年3月1日に制定されたスロバキアの徽章のこと。 赤い盾に青い3つの丘と白い複十字が描かれている。.

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スロバキアの国旗

バキアの国旗は、1992年9月3日にスロバキア憲法にて制定された。 他のスラブ国家同様、汎スラヴ主義の三色、赤・青・白(汎スラヴ色)が使われている。国章のあるなしを除くと、このデザインは1848年、スロバキアがオーストリア帝国と同盟したハンガリー王国(マジャル人)と戦争をした際から使われている(オーストリア・ハンガリー帝国の1848年革命)。また第二次世界大戦以前に非公式にチェコスロバキアでも使用され、また第二次大戦中はスロバキア共和国で使用され、公式的には1990年3月1日にチェコスロバキア内のスロバキア共和国の国旗となった。1992年9月3日に国章が追加され、1993年2月には国旗についての特別法が制定された。 国章のないスロバキア旗は現在のロシアの国旗と全く同じデザインとなり、またスロベニアの国旗ともよく似ているため、1992年の憲法で国章を追加。 縦に掲揚する場合は、国章も縦向きにする。''注'': 正式に掲揚する際は、白地の方を旗柱の先端へ向けることになっている。 国章の複十字(ダブル・クロス、またはPatriarchal cross「総主教の十字」)はビザンチン帝国(東ローマ帝国)の正教会のシンボルであり、その下の三つの丘は実在する三つの小山(タトラ山、ファトラ山、マートラ山)を表す。マートラ山はハンガリーにある。これらの小山はハンガリー王国の北部の山がちな国土を示し、ハンガリー王国の国章に15世紀以前から使用されていた。現在は、スロバキアの山がちな国土を示しているとされている。なお、このスロバキアの国章の「複十字と三つの丘」のシンボルはハンガリーの国章にも使われている。 File:Presidential Standard of Slovakia.svg|大統領旗 File:Flag of Slovakia vertical.svg|縦方向掲揚時.

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共和国連合

共和国連合(きょうわこくれんごう、仏:Rassemblement Pour la Republique,RPR)は、1976年12月に結成されたフランス共和国の政党である。略称は。解党直前の党首はジャック・シラク。.

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第1回十字軍

中世の写本に描かれた第1回十字軍のエルサレム攻撃 第1回十字軍(だいいっかいじゅうじぐん、1096年 – 1099年)は、1095年にローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけにより、キリスト教の聖地エルサレムの回復のために始められた軍事行動。クレルモンにおける教会会議の最後に行われた聖地回復支援の短い呼びかけが、当時の民衆の宗教意識の高まりとあいまって西欧の国々を巻き込む一大運動へと発展した。 十字軍運動においては、一般に考えられているような騎士たちだけではなく一般民衆もエルサレムへ向かった。彼らは戦闘の末にイスラム教徒を破って、同地を1099年7月15日に占領した。そして、エルサレム王国など「十字軍国家」と呼ばれる一群の国家群がパレスティナに出現した。西欧諸国が初めて連携して共通の目標に取り組んだという点で、十字軍運動は欧州史における重大な転換点となった。そしていわゆる「十字軍」を名乗った運動で当初の目的を達成することができたのは、この第1回十字軍が最初で最後となる。.

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第一次世界大戦

一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、World War I、略称WWI)は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて戦われた世界大戦である。.

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第二次世界大戦

二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.

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紋章学

15世紀後期に作られたドイツの Hyghalmen Roll 紋章学(もんしょうがく、)とは、中世ヨーロッパ以来貴族社会において用いられてきた、氏族・団体・地方の紋章の意匠考案や紋章記述を行う慣習であり、また、この紋章を様々な共通点又は相違点から整理・分類することによって体系化し、そこからその意義や由来を研究する学問である。 「ヘラルドリー (Heraldry) 」という英単語には、日本では「紋章学」などの言葉が訳語にあてられることが多い。しかしheraldryの概念は本来学問にとどまるものではない。一般的には、紋章官 (officers of arms) の職務と責任にまつわるさまざまな事案をさすし、最も広く捉えるなら、コート・オブ・アームズ及びヘラルディック・バッジ (Heraldic badge) の意匠・図案を考案、表示、記述、記録する人の営みである。この概念は「歴史速記術 (the shorthand of history) 」とか「歴史の庭をふちどる花壇 (the floral border in the garden of history) 」など、さまざまに形容されてきた。 本項は「紋章学」を項目名とするものの、学問にとどまらず、ヘラルドリーのさまざまな側面を記述する。そのため、客観的な研究の主題としてのヘラルドリーを「学問としての紋章学」と呼び、人の営為としてのヘラルドリーを「慣習としての紋章学」と呼ぶ。.

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結核

結核(けっかく、Tuberculosis)とは、マイコバクテリウム属の細菌、主に結核菌 (Mycobacterium tuberculosis) により引き起こされる感染症Kumar, Vinay; Abbas, Abul K.; Fausto, Nelson; & Mitchell, Richard N. (2007).

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結核予防会

公益財団法人結核予防会(けっかくよぼうかい、Japan Anti-Tuberculosis Association)とは、診療所・病院が結核について専門的機能で診断し、関連する疾患の治療を行うことで国民の疾病予防と健康増進に寄与するとともに、結核研究所を中心に世界的課題である途上国の結核対策に国際的に貢献することを目的にしている。 元厚生労働省(健康局結核感染症課)所管。 全国の都道府県に存在し、本部との密接な連携のもと事業を行っている。支部には専業支部と統合団体(地元の法人格をもった団体が兼業で事業を行っている)がある。.

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複十字シール

複十字シール(ふくじゅうじシール)は公益財団法人結核予防会が寄付のために作っているシール。.

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西方教会

西方教会(せいほうきょうかい、Western Christianity) は、西ヨーロッパに広がり成長したキリスト教諸教派(ローマ・カトリック教会、聖公会、プロテスタント、アナバプテストなど)の総称。ローマ・カトリック教会のみを指す場合もある。東方教会の対語。 ただし、東方典礼カトリック教会は完全にローマ・カトリック教会の一員であるが、基本的に東方教会に分類される(まれに西方教会に分類されることもある)。.

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自由フランス

自由フランス(じゆうフランス、France libre)は、第二次世界大戦中にドイツによるフランス占領に反対して成立した組織。亡命フランス人による独自の自由フランス軍(Forces Françaises Libres)を率いるとともに、フランス国内のレジスタンス活動(:en:French Resistance)を支援した。1942年7月21日からは「戦うフランス(France combattante)」と改称されている。.

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JIS X 0213

JIS X 0213(ジス X 0213)はJIS X 0208:1997を拡張した、日本語用の符号化文字集合を規定する日本工業規格 (JIS) である。規格名称は「7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合」である。 2000年に制定、2004年、2012年に改正された。2000年に制定されたJIS X 0213:2000は通称「JIS2000」と呼ばれている。2004年に改正されたJIS X 0213:2004は通称「JIS2004」と呼ばれている。 JIS X 0208を拡張した規格で、JIS X 0208が規定する6879字の図形文字の集合に対して、日本語の文字コードで運用する必要性の高い4354字が追加され、計1万1233字の図形文字を規定する。JIS X 0208を拡張する点においてJIS X 0212:1990と同目的であるが、JIS X 0212とJIS X 0213との間に互換性はない。JIS X 0212がJIS X 0208にない文字を集めた文字集合であるのに対し、JIS X 0213はJIS X 0208を包含し更に第三・第四水準漢字などを加えた上位集合である。.

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Unicode

200px Unicode(ユニコード)は、符号化文字集合や文字符号化方式などを定めた、文字コードの業界規格である。文字集合(文字セット)が単一の大規模文字セットであること(「Uni」という名はそれに由来する)などが特徴である。 1980年代に、Starワークステーションの日本語化 (J-Star) などを行ったゼロックス社が提唱し、マイクロソフト、アップル、IBM、サン・マイクロシステムズ、ヒューレット・パッカード、ジャストシステムなどが参加するユニコードコンソーシアムにより作られた。1993年に、国際標準との一致が図られ、DIS 10646の当初案から大幅に変更されて、Unicodeと概ね相違点のいくつかはDIS 10646に由来する互換のISO/IEC 10646が制定された。.

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東ローマ帝国

東ローマ帝国(ひがしローマていこく)またはビザンツ帝国、ビザンティン帝国は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域、国家である。ローマ帝国の東西分割統治は4世紀以降断続的に存在したが、一般的には最終的な分割統治が始まった395年以降の東の皇帝の統治領域を指す。西ローマ帝国の滅亡後の一時期は旧西ローマ領を含む地中海の広範な地域を支配したものの、8世紀以降はバルカン半島、アナトリア半島を中心とした国家となった。首都はコンスタンティノポリス(現在のトルコ共和国の都市であるイスタンブール)であった。 西暦476年に西ローマ帝国がゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされた際、形式上は最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥスが当時の東ローマ皇帝ゼノンに帝位を返上して東西の帝国が「再統一」された(オドアケルは帝国の西半分の統治権を代理するという体裁をとった)ため、当時の国民は自らを古代のローマ帝国と一体のものと考えていた。また、ある程度の時代が下ると民族的・文化的にはギリシャ化が進んでいったことから、同時代の西欧からは「ギリシア帝国」とも呼ばれた。.

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東フランク王国

東フランク王国(ラテン語:regnum Francorum orientalium、独:Ostfrankenreich)は9~10世紀に渡って西ヨーロッパに存在した王国。ドイツの原型にあたる。 西ヨーロッパは9世紀初頭にローマ教皇から西ローマ皇帝の地位を授けられたフランク王カール大帝によって統一されていた。しかし大帝の死後早くから内部紛争により国家分裂の危機が生じていた。840年に第2代皇帝ルートヴィヒ1世が崩御すると翌年にフォントノワの戦いが勃発。843年のヴェルダン条約によって帝国は正式に三分割された。その東部分がルートヴィヒ1世の三男であるルートヴィヒ2世の統治領域となった東フランク王国である。 ルートヴィヒ2世は父帝に反抗的だったため、東フランク王国は西ローマ帝国の権威を引き継ぐことができなかった。西ローマ帝国として正統だったのは中フランク王国である。しかし中フランク王国はまもなく北イタリアのみを統治するイタリア王国へと縮小した。西フランク王国もまた内憂外患で政情が安定しなかった。そのような状況で東フランク王国は着々と力を蓄えて西ヨーロッパの中心となっていった。9世紀末には西ローマ帝国の盟主としてふるまい、10世紀中ごろにはオットー1世の皇帝即位とイタリア併合によって西ローマ帝国そのものとなった。その後約200年は西ヨーロッパ最強だった帝国だが、やがて衰えてイタリアを失い神聖ローマ帝国、そして現在のドイツとなった。 カール大帝の直系であるカロリング朝の統治は911年までだった。西ローマ帝国の理念は女系のザクセン朝、ザーリアー朝、ホーエンシュタウフェン朝に引き継がれていった。 帝国はごく一時期を除いて西フランク王国(フランス)を併合できなかった。これは西ローマ帝国がゲルマン系のドイツとラテン系のフランスに分かれる原因となった。.

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東方教会

東方教会(とうほうきょうかい、Eastern Christianity)は、中東・ギリシャ・アナトリア・東ヨーロッパに広がり成長したキリスト教諸教派(正教会、東方諸教会)の総称。正教会のみを指す場合もある。西方教会の対語。 広義の東方教会には以下の諸教会が含まれる"The Blackwell Dictionary of Eastern Christianity" Wiley-Blackwell; New edition (2001/12/5), p168 - p169, ISBN 9780631232032。;正教会;非カルケドン派;アッシリア東方教会;東方典礼カトリック教会;上記諸教会から異端とされるグループ.

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文字参照

文字参照(もじさんしょう、character reference)とはHTMLなどのSGML文書においては、直接記述できない文字や記号(マークアップで使われる、半角の不等号「<」や「>」など)を表記する際に用いられる方法である。SGML構成素のひとつとして定義されており、文書文字集合中の文字を参照する為の手段を提供する。HTMLにおける文字参照には、表記方法により数値文字参照と文字実体参照の二種が存在する。XMLにおいては、HTMLにおける「数値文字参照」を「文字参照」と呼ぶ。なおHTMLにおける「文字実体参照」は、XMLでは実体参照と呼び区別する。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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愛国心

愛国的であれ」1917年、第一次世界大戦中のアメリカ合衆国食品管理局によるポスター。 愛国心(あいこくしん)または愛国主義(あいこくしゅぎ、パトリオティズム、patriotism)は、自分の国家に対し、愛着や忠誠を抱く心情。.

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1386年

記載なし。

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1871年

記載なし。

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1902年

記載なし。

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1918年

記載なし。

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