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ゲラティ修道院

索引 ゲラティ修道院

ラティ修道院(The Monastery of the Virgin - Gelati)は、ジョージア(グルジア)西部地方のクタイシ郊外にある修道院で、1106年にグルジア王国の王ダヴィド4世によって創設された。 ゲラティ修道院は長い間ジョージアにおける知的・文化的な中心地の一つとして機能していた。この修道院にはアカデミーがあり、ジョージアを代表する科学者、神学者、哲学者たちを擁していた。彼らの多くは、それ以前に外国の様々な正教会系修道院で活動していた者たちで、コンスタンティノポリスのthe Mangan Academyにいた者たちも含まれていた。そうした学者たちの中には、Ioane Petritsiや Arsen Ikaltoeliといった著名人もいた。ゲラティ・アカデミーによって実現した広範囲な業績によって、当時の人々は「新しいヘラス」や「第二のアトス」と呼んだ。 ゲラティ修道院には12世紀から17世紀にかけての膨大な量の壁画や写本が収蔵されている。また、創設者でもあるジョージア史上の偉大な王の一人ダヴィドの亡骸も安置されている。.

27 関係: 危機にさらされている世界遺産壁画不朽体世界遺産委員会修道院修道院の一覧バグラティ大聖堂ヘレニズムダヴィド4世アトス山アカデミーイコンクタイシグルジア王国コンスタンティノープルジョージア (国)写本全能者ハリストス神の母神学GNU Free Documentation License正教会1106年12世紀17世紀1994年2010年

危機にさらされている世界遺産

危機にさらされている世界遺産(ききにさらされているせかいいさん、World Heritage in Danger)とは、ユネスコの世界遺産登録物件のうち、その物件の世界遺産としての意義を揺るがすような何らかの脅威にさらされている、もしくはその恐れがある物件のことである。日本では単に危機遺産と呼ばれることも多い。本項目でも、以下「危機遺産」と表記する。 世界遺産委員会によって危機遺産と認定された物件は、「危機にさらされている世界遺産リスト」(危機遺産リスト)に加えられる。危機遺産は、脅威が去ったと判断されれば危機遺産リストから除外されるが、逆に危機にさらされた結果、世界遺産としての価値が失われたと判断された場合、世界遺産リストそれ自体から削除される可能性もある。 ケルン大聖堂、ガランバ国立公園、スレバルナ自然保護区などのように従来から抹消が議論された物件は存在していたが、2009年の第33回世界遺産委員会において、上記の理由による初めての登録抹消が決議された(ドレスデン・エルベ渓谷)。.

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壁画

壁画(へきが)は、建築物や洞窟の壁・天井などに描かれた絵画。 人類の最も古い絵画は、洞窟の凹凸を利用して描いた壁画(洞窟壁画)であり、人類が建物を作るようになって以後もその壁面に絵画が描かれるなど、絵画は居住空間や神聖な空間の壁と切り離せない存在だった。絵画は次第に洞窟や建物の壁面から離れ、独立した板や布(タブロー)に描かれるようになった。しかし、多くの人が同時に見ることができ、しかも空間全体を変容させて見る人を包み込む効果のある壁画・天井画は、今でも数多く制作されている。.

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不朽体

不朽体(ふきゅうたい)は正教会(日本ハリストス正教会)の用語で、聖人の遺体のこと。聖人は来世の生命を先取りして得ていると信じられ、このため来世の光栄体(聖書では「朽ちない身体」)同様、その今生における身体も神の恩寵によって不朽のものとされたと捉えてこのように呼ぶ。 聖像(イコン)と同様崇敬の対象となる。 正教会においては、教会の宝座(祭壇)の下には不朽体を安置することが望ましいと考えられている。堂の献じられた聖人は、宝座の下に安置された不朽体の聖人と、同一であることを要さない。(つまり、聖人に献じた堂であっても、必ずしもその同一の聖人の不朽体を宝座の下に安置する必要はなく、別人であってもよい。) 信者が崇敬を表するには、十字を二回画き、そののち不朽体に接吻し、しかるのち祈祷し、再び十字を画く。接吻は必ずしも直接なされることを要さず、ガラスケース等を介して行われることがしばしばある。ある聖人の聖像にその不朽体の一部を釘などで固定することもある。この場合多く保存の便を顧慮し、不朽体の上に覆いを施す。 一部の聖人には、不朽体の発見、移動などが特別の祭日とされるものがある。次のものが特によく知られている。.

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世界遺産委員会

世界遺産委員会(せかいいさんいいんかい)は、世界遺産に関して話し合うための国際連合教育科学文化機関の委員会。世界遺産条約締約国のうち、世界遺産条約締約国総会で選出された21か国の委員国で構成されるが、選出に当たっては地域のバランスが配慮される。委員国の任期は6年だが、自発的に4年に短縮することが可能である世界遺産アカデミー (2012) pp.17-18。会議には諮問機関である国際自然保護連合 (IUCN)、国際記念物遺跡会議 (ICOMOS)、文化財の保存及び修復の研究のための国際センター (ICCROM) の代表者や非政府組織なども参加する。 事務局は世界遺産センターが務めている。.

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修道院

イスラエルにあるカトリック教会のトラピスト修道院 シナイ山にある正教会の聖カタリナ修道院 カラー写真。 パドゥーラ修道院(イタリア、カトリック教会) グレゴール・ヨハン・メンデル。修道士であると共に、遺伝学の研究も行った 修道院(しゅうどういん、Abbey)は、キリスト教において修道士がイエス・キリストの精神に倣って祈りと労働のうちに共同生活(修道生活)をするための施設。 男子修道院と女子修道院とがあり、いずれにおいても修道士・修道女は独身を守る。いくつかの修道院の集まった修道院群のことを、大修道院と呼ぶ。修道院を有する教派としては、東方諸教会、正教会、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会がある。ルーテル教会を除き、プロテスタントには極めて僅かな例外を除いて修道院は無い。 カトリック教会には修道会の制度がある。このうち観想修道会の会員は原則的に修道院の敷地内を出ずに生活するため、修道院が修道士たちが自由に行き来することが可能な唯一の場所になる。トラピスト会のような観想修道会に所属する会員(修道士)は、基本的には自分の意思で修道院から出ることは出来ない。 帝国代表者会議主要決議の第35条は、各領主に修道院を自由に処分する権限を与えた。有力なプロイセン王国・バーデン王国・ヴュルテンベルク王国・バイエルン王国において、修道院はどんどん解体されていった。バイエルン選帝侯領の修道院は身分制議会に議席を持ち、また選帝侯領の32%を保有していた。このころの修道院は科学研究機関をかねており、解散により保有していた学術的収集品が資産として処分されてしまった。.

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修道院の一覧

修道院の一覧(しゅうどういんのいちらん)はキリスト教の修道院(男子修道院・女子修道院)に関する記事項目を、教派別に記載する。教派ごとの記載順は原則として五十音順。 カトリック教会の修道会の一覧は主な修道会とその略称を参照。.

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バグラティ大聖堂

バグラティ大聖堂(バグラティだいせいどう、ბაგრატი; ბაგრატის ტაძარი, Bagratis tadzari)は、11世紀に現在のジョージアの地方の古都クタイシに建てられた、ジョージア正教会(グルジア正教会)の生神女就寝祭を記憶する大聖堂である。17世紀にオスマン帝国軍の砲撃で廃墟になったが、ジョージア(グルジア)の中世建築史における傑作として伝えられていた。現存する建物は再建されたものだが、この再建が、一度は世界遺産となったバグラティ大聖堂が、世界遺産リストから除外される理由になった。.

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ヘレニズム

ヘレニズム(Hellenism)とは、ギリシア人(ヘレネス)の祖、ヘレーンに由来する語。その用法は様々であり、アレクサンドロスの東方遠征によって生じた古代オリエントとギリシアの文化が融合した「ギリシア風」の文化を指すこともあれば、時代区分としてアレクサンドロス3世(大王)(在位前336年 - 前323年)の治世からプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの約300年間を指すこともある。また、ヨーロッパ文明の源流となる2つの要素として、ヘブライズムと対置してヘレニズムが示される場合もある。この場合のヘレニズムは古典古代の文化(ギリシア・ローマの文化)におけるギリシア的要素を指す。.

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ダヴィド4世

ダヴィド4世(დავით აღმაშენებელი, 1073年 - 1125年1月24日)は、グルジア王国の国王である。建設王と呼ばれる。.

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アトス山

アトス山( / )は、ギリシャ北東部・エーゲ海に突き出したアトス半島の先端にそびえる標高2033mの山。その周辺は正教会の聖地となっており、「聖山」(、Holy Mountain)の名でも呼ばれる。アトス山周辺には現在20もの修道院が所在し、東方正教の一大中心地である。「アトス山」の名は、聖地となっている半島の全域や、修道士たちの共同体についても用いられることがある デイリー新潮 国際 2017年8月18日掲載 2017年9月1日閲覧。 ギリシャ共和国の領内ではあるが「聖山の修道院による自治国家」として大幅な自治が認められており、いわば「独立宗教国」ともいえる存在となっている。1988年にはユネスコによって世界遺産に認定された。.

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アカデミー

アカデミー(academy、Academie、académie、academia)は、元々古代ギリシャの哲学者プラトンがアテネに開いたアカデーメイアー(Ἀκαδημ(ε)ια/Akadēm(e)íā)に由来し、ルネサンス以降、学術団体、学会といった意味に使われていった。現在では塾の名称まで様々な意味で使われることがある。翰林院と訳されることもある。 派生語としてacademic(アカデミック;学問的な、学術的な)、academician(学士院会員、芸術院会員;伝統主義者、学者を指すことも)、academism(アカデミズム;学問至上主義、権威主義)などがある。 転じて、各種養成機関や学校名として使われることがあるほか、企業名として使われることもある。日本の例としてJFAアカデミー福島、カープアカデミー、JALアカデミー、東映アカデミー、テアトルアカデミー、A&Gアカデミー、ヒューマンアカデミー、東京アカデミー、ヤクルト野球アカデミー、早稲田アカデミーなどがみられる。.

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イコン

イコン(εικών, Икона, Icon, Ikon)とは、イエス・キリスト(イイスス・ハリストス)、聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を画いた画像(多くは平面)である。"εικών"をイコンと読むのは中世から現代までのギリシャ語による(ειは中世・現代ギリシャ語では「イ」と読む)。古典ギリシャ語再建音ではエイコーン。正教会では聖像とも呼ぶ。.

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クタイシ

タイシ(グルジア語でქუთაისი, Kutaisi)は、ジョージア西部イメレティ州の中心都市。リオニ川の河畔に広がる。人口は約186,000人(2002年)。旧ソビエト連邦時代には、ジョージア(グルジア)第2の工業都市として自動車工場などが有名であった。首都トビリシから221km。国会の所在地。 古代ギリシアの『アルゴナウタイ』物語で知られるコルキス王国(あるいはコルヒダ王国、紀元前6世紀-紀元前2世紀)の首都であった。975年から1122年までグルジア王国の首都。また、15世紀以降は(1260年–1810年)の首都でもあった。1810年にロシア帝国に併合された。 町を見下ろす丘に立つバグラティ大聖堂(11世紀に完成)や、近郊のゲラティ修道院が有名。この2つはユネスコの世界遺産に登録されている。 1840年に開設されたクタイシのギムナジウムは、言語学者ニコライ・マルや心理学者ディミトリ・ウズナゼ、詩人ウラジーミル・マヤコフスキー、グリゴル・ロバキゼ、政治家ニノ・ブルジャナゼらを輩出している。 グルジアにおけるアヴァンギャルド運動の中核を担ったグループ「青い角」が1916年に結成され、30年代まで活動を続けていた。 2012年にジョージア議会議事堂がトビリシより移転してきた。.

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グルジア王国

ルジア王国(საქართველოს სამეფო サカルトヴェロス・サメポ)は、1008年ごろに成立した中世の王国。グルジア連合王国、またはグルジア帝国とも呼ばれる。11世紀から13世紀にかけて、ダヴィド4世とタマル女王の治世の下、を現出した。その最盛期には今日のウクライナ南部とイラン北部までを版図に収め、アトス山とエルサレムに修道院を保持した。住民の多くはグルジア語を話す正教徒であり、現代のグルジアの前身となった。 13世紀、王国はモンゴルの侵攻に晒されたが、1340年代に再独立した。しかし、その後も遊牧民がもたらした黒死病とティムールの数回にわたる侵攻に悩まされ、王国の人口は減少、経済は大打撃を受けた。さらに1453年、コンスタンティノープルの陥落により王国の古くからの同盟国である東ローマ帝国が滅亡した。15世紀末までに王国はテュルク系民族とイラン系民族の国に囲まれ、キリスト教のグルジア王国は孤立した。1386年にティムールの侵攻がはじまり、最終的に1466年の王国崩壊をもたらした。無政府状態はその後、1490年に、、カルトリ王国が独立を相互承認するまで続いた。グルジアの再統一は1762年にカルトリ王国とカヘティ王国が統合され、が成立するまで待たなければならない。カルトリ・カヘティ王国はさらに18世紀、ロシア帝国に併合された。.

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コンスタンティノープル

ンスタンティノープル(Constantinople、: Constantinopolis、: Κωνσταντινούπολις)は、東ローマ帝国の首都であった都市で、現在のトルコの都市イスタンブールの前身である。 強固な城壁の守りで知られ、330年の建設以来、1453年の陥落まで難攻不落を誇り、東西交易路の要衝として繁栄した。正教会の中心地ともなり、現在もコンスタンディヌーポリ総主教庁が置かれている。.

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ジョージア (国)

ョージア(, )は、南コーカサスにある共和制国家。東ヨーロッパInternational Geographic Encyclopaedia and Atlas. Springer, 24 November 1979, 欧州議会,, 17 July 2014: "...pursuant to Article 49 of the Treaty on European Union, Georgia, Moldova and Ukraine – like any other European state – have a European perspective and may apply to become members of the Union provided that they adhere to the principles of democracy..."(CIA "The World Fact Book") 2016-08-28閲覧。、もしくは西アジアに区分される(国際連合), "Western Asia - 268 Georgia" 2016-08-27閲覧。。日本では2015年4月まで政府が使用していた外名の「グルジア」(, Gruziya)としても知られている(詳細は後述)日本国外務省「」。首都はトビリシ。 ソビエト連邦の構成国であったが、1991年に独立した。南オセチアとアブハジアの2地域が事実上の独立状態となっており、ロシアなど一部の国から国家承認を受けている。中央部のゴリは旧ソビエト連邦の最高指導者であったヨシフ・スターリンの出身地である。ロシア帝国とその後に成立したソビエト連邦の支配が長く続いたことから、独立後はロシアとの対立路線を取ることが多い。1997年にはウクライナの呼び掛けに応じてアゼルバイジャン・モルドバと共にGUAMを結成し、2009年には独立国家共同体 (CIS) を脱退した。1999年から欧州評議会のメンバーである。 コーカサス山脈の南麓、黒海の東岸にあたる。北側にロシア、南側にトルコ、アルメニア、アゼルバイジャンと隣接する。古来数多くの民族が行き交う交通の要衝であり、幾たびもの他民族支配にさらされる地にありながら、キリスト教信仰をはじめとする伝統文化を守り通してきた。また、温暖な気候を利用したワイン生産の盛んな国としても知られる。 なお、本項では2015年4月22日の「在外公館名称を変更するための法改正案」成立以前の国家名称については「グルジア」、それ以後については「ジョージア」と表記する。また、「グルジア語」「グルジア紛争(南オセチア紛争)」等すでに用語として定着したものについては「グルジア」を使用することとする。.

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写本

13世紀ヨーロッパの彩色写本 写本(しゃほん、Manuscript)とは、手書きで複製された本や文書、またはその行為そのものを指して示す用語。時に、原本(オリジナル)である正本(しょうほん・せいほん)と対応させて、それを書き写した書写本であることを強調するために用いられることもある。.

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全能者ハリストス

全能者ハリストス(Παντοκράτωρ, Вседержи́тель もしくは Пантокра́тор)は、イイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語読みに由来する、日本正教会で用いられる転写)のイコンにおける主要な形式であり、ハリストスが天上の王であり審判者である事を示しているものである。デイシスの一部から発展した形式である。ギリシャ語からそのままパントクラトールと転写される事もある。ロシア語では"Спас Вседержитель"(救世主全能者)とも呼ばれる。 主に正教会で用いられるが、ビザンティン美術の影響を受けた西方教会においても用いられない訳ではない。また、「全能者ハリストス」はイコンの名として使われる事が多いが、全能者ハリストス(全能のキリスト)といった敬称そのものが使われる場面は、イコンに限定されない。また、「全能者」は至聖三者のうち、神父(かみちち)に対する称号でもある。.

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神の母

の母(かみのはは:ギリシア語 translit  英語Theotokos テオトコスもしくはセオトコスと転写)とは、キリスト教の用語でイエス・キリストの母マリア(聖母マリア)に対する称号。 マリアが神の母であるとは、キリストの神的位格(υπόστασις)を生む母であることを意味し、キリストを神の本性(φύσις)において生んだ母という意味ではないとしている。ここでいう位格(自立存在ともいわれる)とは、他の存在に依存することなく存在するものをいう。アレクサンドリアのアタナシオスはマリアをロゴス(λόγος:神の御言葉)の母と称していた。つまり、マリアは神の位格のひとつロゴス(子なる神、神子:かみこ)の母であるとの意味である。 これに対して、コンスタンディヌーポリ総主教のネストリオスは、この称号を否定して人的位格を生んだクリストトコス(Χριστοτόκος:救世主(Χριστός)を産む者(τόκος))という新たな称号を提唱し、聖人ではあるが神の母ではないと主張した。この争いを調停するため、エフェソス公会議が召集され、ネストリオスの教義は異端と宣告され、マリアが神の母であることが宣言された。.

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神学

学(しんがく、英語:theology、ドイツ語:Theologie、ラテン語:theologia)は、信仰を前提とした上で、神をはじめとする宗教概念についての理論的考察を行う学問である。神道や仏教では、教学(きょうがく)や宗学(しゅうがく)と呼称することが多い。護教学(ごきょうがく)と呼ばれることもある文脈によっては、護教学という言葉は神学の立場を批判する意味を込めて用いられる。。各宗教ごとに存在するものではなく、自身の信仰について考察する学問として、一般的な神学が存在しうるとの理解も可能である一部のキリスト教大学の神学部では、信者以外の入学も認めており、神学部を卒業した仏教僧侶もいる。。Theologyの語源はギリシア語のθεολογια。θεος (神)および λογος(言葉)の合成語。「神についての議論(学問)」という意味。.

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GNU Free Documentation License

GNU Free Documentation License (グニュー・フリー・ドキュメンテーション・ライセンス)は、GNUプロジェクトの一環としてフリーソフトウェア財団から配布されているコピーレフトなライセンスの一つである。 略称として GNU FDL(グニュー・エフディーエル)、GFDL(ジーエフディーエル)などと書かれることもある。GNUはグニューあるいはグヌーと発音する。 日本語訳では、「GNU フリー文書利用許諾契約書」という語が用いられることがあるが、一般的に「契約」と言えるか否かは、異論も存在する(ライセンス#著作物全般の利用許諾のライセンスを参照)。なお、GNUの公式サイトで使われる日本語訳はGNU自由文書ライセンスである。.

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正教会

Σημειώσεις από τις παραδόσεις τού καθηγητού Ι. Δ. Ζηζιούλαより)。 正教会(せいきょうかい、Ορθόδοξη Εκκλησία、Православие、Orthodox Church)は、ギリシャ正教もしくは東方正教会(とうほうせいきょうかい、Eastern Orthodox Church)とも呼ばれる、キリスト教の教会(教派)の一つ。 日本語の「正教」、英語名の"Orthodox"(オーソドックス)は、「正しい讃美」「正しい教え」を意味するギリシャ語のオルソドクシア "ορθοδοξία" に由来する。正教会は使徒継承を自認し、自身の歴史を1世紀の初代教会にさかのぼるとしている『正教会の手引き』8頁 - 11頁。 なお「東方教会」(とうほうきょうかい)が正教会を指している場合もある。 例外はあるものの、正教会の組織は国名もしくは地域名を冠した組織を各地に形成するのが基本である。コンスタンディヌーポリ総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、アンティオキア総主教庁、エルサレム総主教庁、ロシア正教会、セルビア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、グルジア正教会、ギリシャ正教会、日本正教会などは個別の組織名であって教会全体の名ではない。いずれの地域別の教会組織も、正教として同じ信仰を有している。教会全体の名はあくまで正教会であり、「ロシア正教に改宗」「ルーマニア正教に改宗」といった表現は誤りである。 なお、アルメニア使徒教会、シリア正教会、コプト正教会、エチオピア正教会なども同じく「正教会」を名乗りその正統性を自覚しているが、上に述べたギリシャ正教とも呼ばれる正教会とは別の系統に属する。英語ではこれらの教会は"Oriental Orthodox Church"とも呼ばれる。詳細は非カルケドン派正教会を参照。.

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1106年

記載なし。

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12世紀

アンコールの地にアンコール朝の王スーリヤヴァルマン2世はアンコール・ワットの建設を行い、続くジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムを築いた。画像はアンコール・トムのバイヨン四面像(観世菩薩像)。 12世紀(じゅうにせいき)とは、西暦1101年から西暦1200年までの100年間を指す世紀。.

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17世紀

ルイ14世の世紀。フランスの権勢と威信を示すために王の命で壮麗なヴェルサイユ宮殿が建てられた。画像は宮殿の「鏡の間」。 スペインの没落。国王フェリペ4世の時代に「スペイン黄金時代」は最盛期を過ぎ国勢は傾いた。画像は国王夫妻とマルガリータ王女を取り巻く宮廷の女官たちを描いたディエゴ・ベラスケスの「ラス・メニーナス」。 ルネ・デカルト。「我思う故に我あり」で知られる『方法序説』が述べた合理主義哲学は世界の見方を大きく変えた。画像はデカルトとその庇護者であったスウェーデン女王クリスティナ。 プリンキピア』で万有引力と絶対空間・絶対時間を基盤とするニュートン力学を構築した。 オランダの黄金時代であり数多くの画家を輩出した。またこの絵にみられる実験や観察は医学に大きな発展をもたらした。 チューリップ・バブル。オスマン帝国からもたらされたチューリップはオランダで愛好され、その商取引はいつしか過熱し世界初のバブル経済を生み出した。画像は画家であり園芸家でもあったエマヌエル・スウェールツ『花譜(初版は1612年刊行)』の挿絵。 三十年戦争の終結のために開かれたミュンスターでの会議の様子。以後ヨーロッパの国際関係はヴェストファーレン体制と呼ばれる主権国家を軸とする体制へと移行する。 チャールズ1世の三面肖像画」。 ベルニーニの「聖テレジアの法悦」。 第二次ウィーン包囲。オスマン帝国と神聖ローマ帝国・ポーランド王国が激突する大規模な戦争となった。この敗北に続いてオスマン帝国はハンガリーを喪失し中央ヨーロッパでの優位は揺らぐことになる。 モスクワ総主教ニーコンの改革。この改革で奉神礼や祈祷の多くが変更され、反対した人々は「古儀式派」と呼ばれ弾圧された。画像はワシーリー・スリコフの歴史画「貴族夫人モローゾヴァ」で古儀式派の信仰を守り致命者(殉教者)となる貴族夫人を描いている。 スチェパン・ラージン。ロシアではロマノフ朝の成立とともに農民に対する統制が強化されたが、それに抵抗したドン・コサックの反乱を率いたのがスチェパン・ラージンである。画像はカスピ海を渡るラージンと一行を描いたワシーリー・スリコフの歴史画。 エスファハーンの栄華。サファヴィー朝のシャー・アッバース1世が造営したこの都市は「世界の半分(エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン・アスト)」と讃えられた。画像はエスファハーンに建てられたシェイク・ロトフォラー・モスクの内部。 タージ・マハル。ムガル皇帝シャー・ジャハーンが絶世の美女と称えられた愛妃ムムターズ・マハルを偲んでアーグラに建てた白亜の霊廟。 アユタヤ朝の最盛期。タイでは中国・日本のみならずイギリスやオランダの貿易船も来訪し活況を呈した。画像はナーラーイ王のもとで交渉をするフランス人使節団(ロッブリーのプラ・ナーライ・ラーチャニーウエート宮殿遺跡記念碑)。 イエズス会の中国宣教。イエズス会宣教師は異文化に対する順応主義を採用し、中国の古典教養を尊重する漢人士大夫の支持を得た。画像は『幾何原本』に描かれたマテオ・リッチ(利瑪竇)と徐光啓。 ブーヴェの『康熙帝伝』でもその様子は窺える。画像は1699年に描かれた読書する40代の康熙帝の肖像。 紫禁城太和殿。明清交代の戦火で紫禁城の多くが焼亡したが、康熙帝の時代に再建がなされ現在もその姿をとどめている。 台湾の鄭成功。北京失陥後も「反清復明」を唱え、オランダ人を駆逐した台湾を根拠地に独立政権を打ち立てた。その母が日本人だったこともあり近松門左衛門の「国姓爺合戦」などを通じて日本人にも広く知られた。 江戸幕府の成立。徳川家康は関ヶ原の戦いで勝利して征夷大将軍となり、以後260年余にわたる幕府の基礎を固めた。画像は狩野探幽による「徳川家康像」(大阪城天守閣蔵)。 日光東照宮。徳川家康は死後に東照大権現の称号を贈られ日光に葬られた。続く三代将軍徳川家光の時代までに豪奢で絢爛な社殿が造営された。画像は「日暮御門」とも通称される東照宮の陽明門。 歌舞伎の誕生。1603年に京都北野社の勧進興業で行われた出雲阿国の「かぶき踊り」が端緒となり、男装の女性による奇抜な演目が一世を風靡した。画像は『歌舞伎図巻』下巻(名古屋徳川美術館蔵)に描かれた女歌舞伎の役者采女。 新興都市江戸。17世紀半ばには江戸は大坂や京都を凌ぐ人口を擁するまでとなった。画像は明暦の大火で焼失するまで威容を誇った江戸城天守閣が描かれた「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)。 海を渡る日本の陶磁器。明清交代で疲弊した中国の陶磁器産業に代わり、オランダ東インド会社を通じて日本から陶磁器が数多く輸出された。画像は1699年に着工されたベルリンのシャルロッテンブルク宮殿の「磁器の間」。 海賊の黄金時代。西インド諸島での貿易の高まりはカリブ海周辺に多くの海賊を生み出した。画像はハワード・パイルが描いた「カリブ海のバッカニーア」。 スペイン副王支配のリマ。リマはこの当時スペインの南米支配の拠点であり、カトリック教会によるウルトラバロックとも呼ばれる壮麗な教会建築が並んだ。画像は1656年の大地震で大破したのちに再建されたリマのサン・フランシスコ教会・修道院。 17世紀(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、西暦1601年から西暦1700年までの100年間を指す世紀。.

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1994年

この項目では、国際的な視点に基づいた1994年について記載する。.

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2010年

この項目では、国際的な視点に基づいた2010年について記載する。.

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