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1978年の音楽

索引 1978年の音楽

1978年の音楽(1978ねんのおんがく)では、1978年(昭和53年)の世界の音楽分野についてまとめる。 1977年の音楽-1978年の音楽-1979年の音楽。

目次

  1. 784 関係: "E"qualA.miaABBAACIDMANAice5AK-69AkeboshiAKIRA (M.O.S.A.D.)ALICE VALICE VIAngeloAnother sunnydayAqua TimezARB (バンド)ART-SCHOOLASIAN2加藤登紀子劇団スペース・サーカス原田真二たそがれマイ・ラブそして3人が残ったそんな女のひとりごとつじあやのてぃーんず ぶるーすどぶろっくばんばひろふみまきのめぐみしあわせの予感しあわせ芝居あなたの空を翔びたいあ・り・が・と・うあんたのバラードあんべ光俊この人生に賭けてこの空を飛べたらこんな夜はさだまさしさとう宗幸さよならだけは言わないでさらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 音楽集かぐや姫 (フォークグループ)かぐや姫・今日かもめはかもめかもめが翔んだ日かんざきひろ千のナイフ南里文雄賞南沙織古賀政男右向け右... インデックスを展開 (734 もっと) »

"E"qual

"E"qual(イコール、本名:渡辺 宏志、1978年4月23日 - )は、日本のヒップホップミュージシャン、プロデューサー。グループM.O.S.A.D.、グループBALLERSのリーダー。2005年にコロムビアミュージックエンタテインメントよりメジャーデビュー。名古屋出身。

見る 1978年の音楽と"E"qual

A.mia

a.mia(エイミア)(1978年 - )は横浜市出身のリズム・アンド・ブルース歌手である。 2002年ユニバーサルJよりデビュー。現在はLittle Hippiesというバンドで活動している。

見る 1978年の音楽とA.mia

ABBA

ABBA(アバ、)は、スウェーデンのポップ・グループ。1974年から1982年まで世界中の音楽チャートを席巻した、ポピュラー音楽界で商業的に成功したグループの1つ。アグネタ・フォルツコグ、ビョルン・ウルヴァース、ベニー・アンダーソン、アンニ=フリッド・リングスタッド(フリーダ)によってストックホルムで1972年に結成。イギリスので行われたユーロビジョン・ソング・コンテスト1974に出場し、スウェーデン代表として初めて優勝した。

見る 1978年の音楽とABBA

ACIDMAN

ACIDMAN(アシッドマン)は、日本のスリーピースロックバンド。所属事務所はFREE STAR。レーベルはユニバーサルミュージック内のVirgin Music。

見る 1978年の音楽とACIDMAN

Aice5

Aice(アイス)は、日本の声優ユニット。2005年10月29日から2007年9月20日までスターチャイルドで活動した後、2015年7月17日からEVIL LINE RECORDSで活動している。

見る 1978年の音楽とAice5

AK-69

AK-69(エーケーシックスティナイン、1978年8月28日 - )は、日本のヒップホップMC。本名は武士 尋己(たけし ひろき)。所属芸能事務所は自身が代表取締役を務める。所属レコード会社はユニバーサルミュージックで、所属レーベルはVirgin Music傘下のDef Jam Recordings。公式ファンクラブは「」。

見る 1978年の音楽とAK-69

Akeboshi

Akeboshi(アケボシ、男性、1978年7月1日 - )は、日本のシンガーソングライター、ミュージシャン。 明星、AKEBOSHI、明星/Akeboshiとクレジットされる事もある。神奈川県横浜市出身。本名・明星 嘉男(あけぼし よしお)。

見る 1978年の音楽とAkeboshi

AKIRA (M.O.S.A.D.)

AKIRA(アキラ、本名:市川 あきら、1978年 - )は、愛知県名古屋市出身のヒップホップ・ミュージシャンである。グループM.O.S.A.D.、グループBALLERSのメンバーである。

見る 1978年の音楽とAKIRA (M.O.S.A.D.)

ALICE V

『ALICE V』(アリス・ファイヴ)は1976年7月にリリースされたアリスの5枚目のオリジナル・アルバム。

見る 1978年の音楽とALICE V

ALICE VI

『ALICE VI』(アリス・シックス)は1978年4月にリリースされたアリス6枚目のオリジナル・アルバム。

見る 1978年の音楽とALICE VI

Angelo

Angelo(アンジェロ)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド。

見る 1978年の音楽とAngelo

Another sunnyday

another sunnyday(アナザー・サニーデイ)は、2011年に結成された日本のロックバンド。ghost records(自主レーベル)略称「アナサニ」。

見る 1978年の音楽とAnother sunnyday

Aqua Timez

Aqua Timez(アクア・タイムズ)は、日本のロックバンド ソニーミュージック。 略称・愛称は「アクア」など。

見る 1978年の音楽とAqua Timez

ARB (バンド)

ARB(エーアールビー)は、日本のロックバンド。

見る 1978年の音楽とARB (バンド)

ART-SCHOOL

ART-SCHOOL(アートスクール)は、日本のロックバンド。所属レーベルはメンバーの木下が立ち上げたWarszawa-Label。略称は「アート」。

見る 1978年の音楽とART-SCHOOL

ASIAN2

ASIAN2(エイジアンツー)は長野県松本市出身のミクスチャーロックバンドである。2011年6月解散。

見る 1978年の音楽とASIAN2

加藤登紀子

加藤 登紀子(かとう ときこ、本名:藤本 登紀子、1943年〈昭和18年〉12月27日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優。「おときさん」の愛称で親しまれている。 東京大学在学中の1965年に第2回「日本アマチュアシャンソンコンクール」で優勝。1966年 「誰も誰も知らない」でレコード・デビュー。2枚目のシングル「赤い風船」で、「第8回日本レコード大賞」新人賞受賞。1969年 「ひとり寝の子守唄」で第11回日本レコード大賞歌唱賞受賞。1971年 「知床旅情」で、2度目の第13回日本レコード大賞歌唱賞受賞。「百万本のバラ」(1987年 のヒット曲)の日本語歌詞作詞を行ったことや、「難破船」の作詞作曲などでも知られる。日本訳詩家協会6代目会長。

見る 1978年の音楽と加藤登紀子

劇団スペース・サーカス

劇団スペース・サーカス(げきだんスペース・サーカス)は、1974年に創立された日本の劇団。

見る 1978年の音楽と劇団スペース・サーカス

原田真二

原田 真二(はらだ しんじ、1958年12月5日 - )は、日本のシンガーソングライター。広島市榎町(現:中区榎町)出身。

見る 1978年の音楽と原田真二

たそがれマイ・ラブ

「たそがれマイ・ラブ」は、1978年8月5日に日本フォノグラム(現:ユニバーサル ミュージック ジャパン)より発売された大橋純子の10枚目のシングルである。

見る 1978年の音楽とたそがれマイ・ラブ

そして3人が残った

『そして3人が残った』(原題:...And Then There Were Three...)は、イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド、ジェネシスが1978年に発表した9作目のスタジオ・アルバム。タイトル通り、ジェネシスは本作より3人編成となった。

見る 1978年の音楽とそして3人が残った

そんな女のひとりごと

「そんな女のひとりごと」(そんなおんなのひとりごと)は、1977年9月に当時大相撲現役力士・増位山太志郎(のち年寄名・三保ヶ関)が発表したシングルである。

見る 1978年の音楽とそんな女のひとりごと

つじあやの

つじ あやの(1978年1月6日 - )は、日本のシンガーソングライターである。ビクターエンタテインメント・SPEEDSTAR RECORDS所属。龍谷大学文学部史学科卒業。 眼鏡をかけたルックスとウクレレ弾き語りという音楽スタイルで知られる。図書館が大好きで、小説や仏教の本を好んで借りて読んでいる。ウクレレはKeliiのものを中心に数本を使用。 携帯音楽コンテンツ配信サイト『レコード会社直営♪サウンド』では、自身のウクレレ演奏にて「着レレ」を配信している。

見る 1978年の音楽とつじあやの

てぃーんず ぶるーす

「てぃーんず ぶるーす」(TEENS' BLUES)は、1977年10月25日にリリースされた、原田真二のデビュー・シングル。

見る 1978年の音楽とてぃーんず ぶるーす

どぶろっく

どぶろっくは、浅井企画に所属する日本のお笑いコンビ。コンビ名の由来は、「どぶのような男(森)」と「ろくでもない男(江口)」から。キングオブコント2019王者。

見る 1978年の音楽とどぶろっく

ばんばひろふみ

ばんば ひろふみ(1950年〈昭和25年〉2月20日 - )は、日本のフォークシンガー、ラジオパーソナリティ。本名は馬場弘文(読みは同じ)。京都市東山区祇園出身週刊現代2023年7月15・22日号「私の地図」第560回・ばんばひろふみp78-80。既婚。離婚1回。愛称は「ばんばん」。ペンネームは馬場章幸。血液型はB型。京都市立清水小学校、中高一貫校である立命館中学校・高等学校を経て、立命館大学経済学部卒業。所属事務所はヤングジャパン→アップフロントエージェンシー(現:アップフロントプロモーション)→アップフロントクリエイト。

見る 1978年の音楽とばんばひろふみ

まきのめぐみ

まきの めぐみ(本名:牧野惠巳、1978年9月11日 - )は、日本の歌手。宮城県本吉郡南三陸町(旧歌津町)出身。所属。

見る 1978年の音楽とまきのめぐみ

しあわせの予感

「しあわせの予感」(しあわせのよかん、With a Little Luck)は、1978年にポール・マッカートニー&ウイングス(Paul McCartney & Wings)が発表した楽曲、および同曲を収録したシングル。なお邦題は当初「愛の幸運」だった。 アルバム『ロンドン・タウン』の9曲目に収録。LP版ではB面冒頭の曲だった。また『グレイテスト・ヒッツ』『オール・ザ・ベスト』『夢の翼〜ヒッツ&ヒストリー〜』『ピュア・マッカートニー~オール・タイム・ベスト』にも収録されている。 『ロンドン・タウン』の洋上セッションでレコーディングされた。シングルカットは1978年4月23日で、『ロンドン・タウン』からのカットでは1枚目に当たる。同じ『ロンドン・タウン』から「なつかしの昔よ」(Backwards Traveller)~「カフ・リンクをはずして」(Cuff Link)をB面に採って発売された。

見る 1978年の音楽としあわせの予感

しあわせ芝居

「しあわせ芝居」(しあわせしばい)は、1977年11月5日にリリースされた、桜田淳子の21枚目のシングルである。

見る 1978年の音楽としあわせ芝居

あなたの空を翔びたい

「あなたの空を翔びたい」(あなたのそらをとびたい)は、1978年11月25日に発売された髙橋真梨子のペドロ&カプリシャス脱退後のソロデビューシングル。

見る 1978年の音楽とあなたの空を翔びたい

あ・り・が・と・う

『あ・り・が・と・う』は、1977年6月25日に発表された、中島みゆきの3作目のオリジナルアルバムである。

見る 1978年の音楽とあ・り・が・と・う

あんたのバラード

『あんたのバラード』は、1977年11月にリリースされた世良公則&ツイストのデビュー・シングルである。

見る 1978年の音楽とあんたのバラード

あんべ光俊

あんべ 光俊(あんべ みつとし、1953年9月16日 - )は、日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティである。 岩手県釜石市出身。バンド『飛行船』のメンバー。那覇市(2020年で観光大使制度終了)、岩手県、遠野市、釜石市、花巻市、熊本県の民間大使。

見る 1978年の音楽とあんべ光俊

この人生に賭けて

「この人生に賭けて」(原題: Life's Been Good)は、ジョー・ウォルシュが作詞作曲し、1978年に発表した楽曲。

見る 1978年の音楽とこの人生に賭けて

この空を飛べたら

「この空を飛べたら」(このそらをとべたら)は、1978年3月10日に加藤登紀子が発売したシングル。

見る 1978年の音楽とこの空を飛べたら

こんな夜は

『こんな夜は』(こんなよるは)は、1978年1月25日にリリースされた松山千春の2枚目のオリジナル・アルバムである。

見る 1978年の音楽とこんな夜は

さだまさし

さだ まさし(本名:佐田 雅志〈読み同じ〉、1952年4月10日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優、タレント、小説家。國學院大學、東京藝術大学客員教授。ファンとスタッフの間では「まっさん」の愛称で親しまれている。 フォークデュオのグレープでメジャーデビュー。「精霊流し」のヒットにより全国にその名を知られるようになった。ソロシンガーになってからも「雨やどり」「案山子」「関白宣言」「道化師のソネット」「親父の一番長い日」「北の国から〜遥かなる大地より〜」など、数々のヒット曲を生み出す。2019年10月6日時点で、日本で最も多くのソロ・コンサートを行った歌手でもあり、その回数は4,400回を越えている。

見る 1978年の音楽とさだまさし

さとう宗幸

さとう 宗幸(さとう むねゆき、本名:佐藤 宗幸(読み同じ)、1949年1月25日 - )は、日本の歌手・俳優・司会者。所属事務所はさとう音楽事務所。岐阜県可児市生まれ、宮城県古川市(現・大崎市)育ち。現在は宮城県仙台市泉区在住。東北学院大学経済学部卒業。愛称は「宮城のじいじ」「宗さん」。 トレードマークの髭は、敬愛する歌手ジョルジュ・ムスタキを意識してのものである。 宮城県出身のフィギュアスケート選手羽生結弦からは、宮城のじいじと称される。

見る 1978年の音楽とさとう宗幸

さよならだけは言わないで

「さよならだけは言わないで」(さよならだけはいわないで)は、1978年3月21日に発売された五輪真弓の13枚目のシングル。

見る 1978年の音楽とさよならだけは言わないで

さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 音楽集

『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 音楽集』(さらばうちゅうせんかんヤマト あいのせんしたち おんがくしゅう)は、劇場アニメ映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のサウンドトラック・アルバム。1978年8月1日にLPレコードとして、日本コロムビアより発売された。型番はCQ-7011。 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 映画音楽集』、『さらば宇宙戦艦ヤマト 音楽集』とも。 その後、1995年1月1日にCD(COCC-12228)の形で復刻され、『生誕30周年記念 ETERNAL EDITION PREMIUM 宇宙戦艦ヤマト CD-BOX』(COCX-33021~COCX-33030)にも収録された。

見る 1978年の音楽とさらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 音楽集

かぐや姫 (フォークグループ)

かぐや姫(かぐやひめ)は、日本のフォークバンドである。1970年にデビューし、1973年に発売した『神田川』は160万枚のヒットを記録した。

見る 1978年の音楽とかぐや姫 (フォークグループ)

かぐや姫・今日

『かぐや姫・今日』(かぐやひめ・トゥディ)は、第2期かぐや姫が期間限定の再結成をして発売したアルバムである。

見る 1978年の音楽とかぐや姫・今日

かもめはかもめ

「かもめはかもめ」は、1978年3月25日に発売された、研ナオコ16枚目のシングル。

見る 1978年の音楽とかもめはかもめ

かもめが翔んだ日

「かもめが翔んだ日」(かもめがとんだひ)は、渡辺真知子のセカンド・シングル曲。1978年4月21日にCBS・ソニー(現・ソニー・ミュージックレーベルズ / ソニー・ミュージックレコーズ)より発売。 渡辺の代表曲として知られ、「迷い道」「ブルー」「唇よ、熱く君を語れ」などと並んでヒット曲となった。渡辺の個人事務所やオフィシャルウェブサイト、公式ファンクラブの名称にも、シンボルとして「かもめ」の名が用いられている。 A・B面曲ともに、同年5月21日発売のファースト・アルバム『海につれていって』に収録された。

見る 1978年の音楽とかもめが翔んだ日

かんざきひろ

かんざき ひろ(1978年5月5日 - )は、日本のイラストレーター、アニメーター、作曲家、編曲家、リミキサー、DJ。 アニメーターとしては本名の織田 広之(おだ ひろゆき)、ミュージシャンとしてはHiroyuki ODAもしくは鼻そうめんP(はなそうめんピー)という名義で活動している。個人サークル「tabgraphics」(タブグラフィックス)から全年齢向け同人誌を刊行している。

見る 1978年の音楽とかんざきひろ

千のナイフ

『千のナイフ』(せんのナイフ、Thousand Knives)は、1978年10月25日に日本コロムビアから発売された坂本龍一の1作目のオリジナルアルバム及び楽曲。タイトルはベルギーの詩人アンリ・ミショーがメスカリン体験を記述した書物『』冒頭の一節より。

見る 1978年の音楽と千のナイフ

南里文雄賞

南里文雄賞(なんりふみおしょう)とは、かつてジャズ情報誌『スイングジャーナル』が主催していたジャズの賞である。過去1年間を通じて日本ジャズ界の発展に最も大きく貢献した人に対して贈られていた。 ジャズ・トランペット奏者南里文雄が亡くなった1975(昭和50)年に設立され、『スイングジャーナル』が休刊となった2010年(平成22年)まで続いた。同誌の事実上の後継である『Jazz Japan』では、年1回「Jazz Japan Award」を選定して掲載している。

見る 1978年の音楽と南里文雄賞

南沙織

南 沙織(みなみ さおり、1954年〈昭和29年〉7月2日 - )は、日本の元歌手、元アイドル。本名:篠山 明美(旧姓:内間)。沖縄県中頭郡嘉手納町生まれ、宜野湾市育ち。夫は写真家・篠山紀信。3児の母。次男は篠山輝信。

見る 1978年の音楽と南沙織

古賀政男

古賀 政男(こが まさお、1904年(明治37年)11月18日 - 1978年(昭和53年)7月25日)は、昭和期の代表的作曲家であり、ギタリスト。国民栄誉賞受賞者。栄典は従四位、勲三等瑞宝章、紫綬褒章。明治大学商学部(旧制)卒業。本名は古賀正夫(読み同じ)。 少年時代に弦楽器に目覚め、青年期はマンドリン・ギターのクラシック音楽を研鑽しつつ、大正琴を愛した。その後は、プレクトラム音楽家の「古賀正男」から流行歌王の「古賀政男」になり、昭和期を代表する国民的作曲家としての地位を確立し、数多くの流行歌をヒットさせた。生涯で制作した楽曲は5,000曲ともいわれ、「古賀メロディー」として親しまれている。

見る 1978年の音楽と古賀政男

右向け右

「右向け右」(みぎむけみぎ)は、1978年5月25日に発売された、石川ひとみのデビューシングル。

見る 1978年の音楽と右向け右

合田道人

合田 道人(ごうだ みちと、1961年12月13日 - ) は、北海道釧路市出身の日本の歌手・作家・構成作家・ソングライター・音楽プロデューサー。 ミュージック・オフィス合田代表取締役社長。(有)オフィスキコ、(有)キタガワサウンズ代表取締役会長。日本歌手協会理事長。日本音楽著作権協会正会員。日本報道協会理事。父はノンフィクション作家の合田一道。

見る 1978年の音楽と合田道人

吉田拓郎

吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年〈昭和21年〉4月5日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、俳優。本名同じ。旧芸名は平仮名のよしだたくろう。鹿児島県伊佐郡大口町(現在の伊佐市)生まれ 、広島県広島市育ち。

見る 1978年の音楽と吉田拓郎

君のために作った歌

『君のために作った歌』(きみのためにつくったうた)は、1977年6月25日にキャニオンレコードからリリースされた松山千春のファースト・アルバム(規格品番:FF-9003)。なお、同内容でタイトルと曲順が異なる、カセットアルバム「かざぐるま 松山千春ファースト」が同時にポニーからリリースされている(規格品番:CF-9038)。

見る 1978年の音楽と君のために作った歌

君のひとみは10000ボルト

「君のひとみは10000ボルト」(きみのひとみはいちまんボルト)は1978年8月5日にアリスの堀内孝雄がソロとしてリリースしたシングルである。資生堂ベネフィークのキャンペーンソングでもあり、1978年の年間第4位に輝くなど、90万枚を越す大ヒットとなった。

見る 1978年の音楽と君のひとみは10000ボルト

坂本龍一

坂本 龍一 (さかもと りゅういち、Ryūichi Sakamoto、1952年〈昭和27年〉1月17日 - 2023年〈令和5年〉3月28日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、音楽プロデューサー。東京都出身。 音楽性は幅広く、クラシック音楽が根幹にあり、民俗音楽、ポピュラー音楽(特にテクノポップ)にも造詣が深かった。1987年には日本人で唯一アカデミー作曲賞を受賞しており、映画音楽でも世界的に評価されている。愛称は「教授」。晩年は環境や憲法に関する運動にも積極的に参加していた。1990年代中盤にはインターネットの普及に先んじて逸早くライブや作品に取り入れるなど、新技術にも興味を示していた。

見る 1978年の音楽と坂本龍一

堂珍嘉邦

堂珍 嘉邦(どうちん よしくに、1978年〈昭和53年〉11月17日 - )は、日本のミュージシャン、俳優。広島県安芸高田市(旧高田郡八千代町)出身。2001年にCHEMISTRYとしてデビュー。2012年7月25日からソロとしても活動を展開している。

見る 1978年の音楽と堂珍嘉邦

堀川まゆみ

堀川 まゆみ(ほりかわ まゆみ、1958年5月2日 - )は沖縄県宜野湾市出身の作曲家、ラジオパーソナリティ及び元モデル、元女優、元歌手。 スペイン系フィリピン人の父と日本人の母との間に生まれた。身長163cm(1978年12月)。シンガーソングライターREMEDIOSこと麗美は実妹にあたる。

見る 1978年の音楽と堀川まゆみ

堀内孝雄

堀内 孝雄(ほりうち たかお、1949年10月27日 - )は、日本の歌手、作曲家、俳優、タレント。アリスのメンバー。愛称は「ベーヤン」。大阪府大阪市阿倍野区出身。血液型はO型。既婚。 所属事務所はアップフロントクリエイト(アップフロントグループ)。

見る 1978年の音楽と堀内孝雄

増位山太志郎

増位山 太志郎(ますいやま だいしろう、歌手活動時は「たいしろう」、1948年9月16日 - )は、東京都墨田区(大相撲の登録上は兵庫県姫路市)出身の元大相撲力士。本名は澤田 昇(さわだ のぼる)、最高位は東大関。現役時代の体格は身長182cm、体重116kg。血液型はO型。得意手は右四つ、上手出し投げ、内掛け。 引退後は10代三保ヶ関として三保ヶ関部屋師匠を務めた。現在は歌手(ムード歌謡・演歌)として活動しており、ゴールデンミュージックプロモーションに所属している。経営する「ちゃんこ増位山」はミシュラン東京2017にて掲載された事がある。 趣味はカラオケ、ゴルフ。

見る 1978年の音楽と増位山太志郎

夢想花

「夢想花」(むそうばな)は、日本のシンガーソングライターである円広志のデビューシングル。1978年11月21日にキャニオン・レコードのAARD-VARKレーベルより発売された。

見る 1978年の音楽と夢想花

大いなる人

『大いなる人』(おおいなるひと)は、1977年11月25日に吉田拓郎がリリースした8枚目のスタジオアルバムである。31歳の時の作品。この年の6月に小室等に代わってフォーライフの社長に就任して初めてリリースした作品である。

見る 1978年の音楽と大いなる人

大友裕子

大友 裕子(おおとも ゆうこ、1959年6月25日 - )は、日本の歌手である。宮城県名取郡岩沼町(現在の岩沼市)出身。

見る 1978年の音楽と大友裕子

大佑

大佑(だいすけ、本名:押田 大佑〈おしだ だいすけ〉、1978年7月30日 - 2010年7月15日)は日本の歌手、ドラマー。東京都出身。

見る 1978年の音楽と大佑

大萩康司

大萩 康司(おおはぎ やすじ、1978年4月7日 - )は、日本のギタリスト。宮崎県小林市出身。

見る 1978年の音楽と大萩康司

大谷靖夫

大谷 靖夫(おおたに やすお、1978年5月23日 - ) は、日本の作曲家、編曲家。山形県山形市出身。

見る 1978年の音楽と大谷靖夫

大橋卓弥

大橋 卓弥(おおはし たくや、1978年5月9日 - )は、日本の歌手 シンガーソングライター、ボーカリスト。スキマスイッチでボーカル、ギター、ハーモニカを担当。通称「タクヤ」「スター」「ヤサ」など。愛知県東海市出身。既婚。血液型AB型。

見る 1978年の音楽と大橋卓弥

大橋トリオ

大橋トリオ(おおはしトリオ、1978年7月12日 - )は、日本の男性シンガーソングライター、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。本名は大橋 好規(おおはし よしのり)。兵庫県西宮市生まれ。千葉県出身。所属レーベルはrhythm zone、所属事務所はディケイド。

見る 1978年の音楽と大橋トリオ

大橋純子

大橋 純子(おおはし じゅんこ、1950年〈昭和25年〉4月26日 - 2023年〈令和5年〉11月9日)は、日本の歌手。身長153cm。 所属事務所はオフィスウォーカー。所属レコード会社はフィリップス・レコード/日本フォノグラム、EPIC/SONY RECORDSを経て、最終所属はVap。 圧倒的な歌唱力で知られていた。

見る 1978年の音楽と大橋純子

大橋恵里子

大橋 恵里子(おおはし えりこ、1959年6月25日明星(集英社)1979年11月号 p.129「今月の新人」 - )は、岡山県玉島市(現・倉敷市)出身の元アイドル歌手、女優。愛称はフランスのファッション雑誌から「エル(ELLE)」。所属していた事務所は「NPプロ」明星 1979年9月号 p.127 本人記事。

見る 1978年の音楽と大橋恵里子

大正九年

大正九年(たいしょうきゅうねん、本名:渡邊 一重(わたなべ ひとえ)、1978年(昭和53年)5月16日 - )は、日本の音楽家。O型。静岡県沼津市出身。電子音楽プロデューサー。作詞・作曲からボーカル、編曲・打ち込み・サンプリングまで全て一人でこなしている。

見る 1978年の音楽と大正九年

天馬ルミ子

天馬 ルミ子(てんま るみこ、1964年5月28日週刊TVガイド 1978年2月17日号 166頁「ちょっと気になりませんか」 - )は、日本の元歌手。本名は小林るみこ(こばやし るみこ、旧姓:天間舘 - てんまだて)。神奈川県川崎市出身。品川高等学校(現在の品川女子学院高等部)卒業。身長167cm。血液型O型。妹が3人おり、そのうちの一人ははモデルの天間舘典子。娘は天馬桜子。

見る 1978年の音楽と天馬ルミ子

天野浩成

天野 浩成(あまの こうせい、1978年4月9日 - )は、日本の俳優。愛知県名古屋市名東区出身。妻は女優の雛形あきこ。

見る 1978年の音楽と天野浩成

太陽神 (アルバム)

『太陽神』(たいようしん、All 'N All)は、アース・ウィンド・アンド・ファイアーが1977年に発表したスタジオ・アルバム。 ダブル・プラチナ・アルバム獲得。全米アルバム・チャート最高3位。 ヒット曲「Fantasy」「Jupiter」を収録。「Brazilian Rhyme」は1分足らずの間奏曲ながら根強い人気があり、ダニー・クラヴィットによる3分の再編集版もある。 アートワークは長岡秀星が描いており、イラストのようにピラミッド、神殿と宇宙というコンセプトによるもの。「時の流れ」と「人間の情熱」をテーマに、オリエンタルな“無常感”を表現した。全体に漂う雰囲気を「古代エジプト調で」と注文されたが、モーリス・ホワイトからは、どうしても天使を入れたいと言われ、さらにアートディレクターを加えた三者間で意見が衝突し、苦しまぎれに描き上げたとも語る。結果的に白とも黒ともつかない不思議な天使に仕上がった長岡秀星『長岡秀星の世界』日本放送出版協会、1982年、74、79頁。

見る 1978年の音楽と太陽神 (アルバム)

失恋記念日

「失恋記念日」(しつれんきねんび)は、1978年10月5日に発売された、石野真子の通算3枚目のシングル。

見る 1978年の音楽と失恋記念日

奥華子

奥 華子(おく はなこ、1978年3月20日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。本名同じ。千葉県船橋市出身。東邦音楽大学トランペット専攻卒業。ポニーキャニオン所属。血液型はO型。

見る 1978年の音楽と奥華子

女たち (アルバム)

『女たち』()は、にリリースされた、ローリング・ストーンズのアルバム。全英2位、全米1位を記録。

見る 1978年の音楽と女たち (アルバム)

妄走族

妄走族(もうそうぞく)は、日本のヒップホップユニット。1998年に結成され、2015年に解散。

見る 1978年の音楽と妄走族

季節の中で

「季節の中で」(きせつのなかで)は、松山千春が1978年8月21日にリリースした5枚目のシングルである。

見る 1978年の音楽と季節の中で

宿無し

「宿無し」(やどなし)は、1978年4月にリリースされた世良公則&ツイスト(後にツイストと改名)の2枚目のシングルである。ファーストアルバム収録のものとは別テイクになる。

見る 1978年の音楽と宿無し

小西真奈美

小西 真奈美(こにし まなみ、1978年10月27日 - )は、日本の女優、タレント、歌手、シンガーソングライター。愛称は、こにたん。。 鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)出身。エレメンツ所属を経てフリー。

見る 1978年の音楽と小西真奈美

小野大輔

小野 大輔(おの だいすけ、1978年5月4日 - )は、日本の男性声優、歌手。高知県高岡郡佐川町出身、フリー。 代表作に『黒執事』(セバスチャン・ミカエリス)、『ジョジョの奇妙な冒険』(空条承太郎)、『glee/グリー』(フィン・ハドソン)、『宇宙戦艦ヤマト2199』(古代進)、『涼宮ハルヒの憂鬱』(古泉一樹)、『進撃の巨人』(エルヴィン・スミス)、『おそ松さん』(松野十四松)、『斉木楠雄のΨ難』(燃堂力)、『デュラララ!!』シリーズ(平和島静雄) などがある。

見る 1978年の音楽と小野大輔

小湊昭尚

小湊 昭尚(こみなと あきひさ、1978年12月7日 - )は福島県須賀川市出身の尺八奏者、音楽プロデューサー。

見る 1978年の音楽と小湊昭尚

山口百恵

山口 百恵(やまぐち ももえ、1959年〈昭和34年〉1月17日 - )は、日本の元歌手、元女優で、現在はフリーランスのキルト作家として活動。芸能活動時の所属事務所は「ホリプロダクション」で、レコード会社は「CBS・ソニーレコード」に所属していた。 本名:三浦 百惠(みうら ももえ、旧姓:山口)。現役時代にはペンネームの「横須賀恵」で自曲の作詞を行い、芸能界引退後には本名の三浦百恵名義で、他の歌手への作詞を行っている。夫は俳優の三浦友和、長男はシンガーソングライター・俳優の三浦祐太朗、次男は俳優の三浦貴大。長男の妻は声優・歌手の牧野由依。 以下、氏名の表記は特記を除き「百恵」で統一する。

見る 1978年の音楽と山口百恵

山田隆夫

山田 隆夫(やまだ たかお、芸名:山田 たかお2014年4月からは『笑点』出演時を除き芸名の名前部分をひらがなに変更。、高座名:鈴々舎 鈴丸〈れいれいしゃ すずまる〉、1956年〈昭和31年〉8月23日 - )は、日本のタレント、シンガーソングライター、落語家、俳優。5代目鈴々舎馬風門下でもある。東京都江東区深川出身。親類は、山田純大、杉良太郎(山田勝啓)がいる。

見る 1978年の音楽と山田隆夫

山森大輔 (ミュージシャン)

山森 大輔(やまもり だいすけ、1978年10月3日 - )は、ROCK'A'TRENCH、SKA SKA CLUBのボーカル。沖縄県出身。EDMプロデュース名義としてThe Rooftopを使用。

見る 1978年の音楽と山森大輔 (ミュージシャン)

山本コウタロー

山本 コウタロー(やまもと コウタロー、本名:山本 厚太郎(やまもと こうたろう)、1948年〈昭和23年〉9月7日 - 2022年〈令和4年〉7月4日)は、日本のシンガーソングライター、タレント、政治活動家、環境学者。白鷗大学名誉教授。オフィスプロフィット所属。芸名は山本 コウタロー(コータローではない)だが、作曲や大学で教鞭を執るときは本名で行っていた。

見る 1978年の音楽と山本コウタロー

山本翔 (ロック歌手)

山本 翔(やまもと しょう、1950年3月8日 - 1995年6月18日)は、日本の歌手。本名は山本俊三(やまもと しゅんぞう)。ロック歌手としての全盛期には歌い方と容姿が似ていることもあり「和製ミック・ジャガー」とも言われた。

見る 1978年の音楽と山本翔 (ロック歌手)

山本達彦

山本 達彦(やまもと たつひこ、1954年3月4日 - )は、日本のシンガーソングライター。東京都新宿区出身。千代田区立富士見幼稚園、暁星小学校、暁星中学校・高等学校、成蹊大学卒業。身長164cm。

見る 1978年の音楽と山本達彦

岩崎宏美

岩崎 宏美(いわさき ひろみ、1958年11月12日 - )は、日本の女性歌手。愛称はヒロリン。岩崎良美は妹。東京都江東区深川出身『週刊朝日』1982年10月1日号、40、41ページ(本人のインタビューも含む記事)。。所属事務所は芸映プロダクションから、個人事務所「スリー・ジー」に移籍。レコード会社はビクターから、インペリアルレコード(テイチクエンタテインメント)に移籍。ミュージカル俳優の今拓哉は元夫。1975年デビュー。身長156cm。B78cm、W62cm、H82cm(1976年2月)。

見る 1978年の音楽と岩崎宏美

岩瀬敬吾

岩瀬 敬吾(いわせ けいご、1978年8月29日 - )は日本のシンガーソングライター。広島県出身。血液型はB型岡平健治と組んだフォークデュオ「19」の元メンバー。

見る 1978年の音楽と岩瀬敬吾

中原理恵

中原理恵(なかはら りえ、1958年〈昭和33年〉6月17日 - )は、日本の元歌手・女優・タレント・司会者。かつて田辺エージェンシーに所属していた。本名は目加田 貴美恵(めかた きみえ)週刊テレビ番組(東京ポスト)1984年3月9日号「芸名由来記」54頁。

見る 1978年の音楽と中原理恵

中島みゆき

中島 みゆき(なかじま みゆき、1952年〈昭和27年〉2月23日 - )は、日本のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。北海道札幌市出身。本名は中島 美雪(読み同じ)。1975年にシングル「アザミ嬢のララバイ」でデビュー。公式ファンクラブ名は『なみふく』。 オリコンにおいて、4つの年代にわたってシングルチャート1位を獲得した唯一のソロ・アーティストであり、他のアーティストへの提供曲が、5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得している(後述参照)。また、自身の歌唱も含めると、作詞・作曲を手掛けた作品が5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得したことになる。

見る 1978年の音楽と中島みゆき

中島卓偉

中島 卓偉(なかじま たくい、1978年10月19日 - )は、日本のロックシンガー、作詞家、作曲家、編曲家。本名は同じ。 山口県大島郡周防大島町生まれ、福岡県古賀市出身。血液型A型。身長166cm、体重48kg - 52kg。既婚、二児の父。 トップライン、トップラインエージェンシー2004年、レーベル移籍に伴いアップフロントグループの系列会社となる。、ジェイピィールーム2012年、アップフロントグループ内でのマネージメント会社変更。を経て、2022年4月に独立してフリーとなり、株式会社FOR ROOTSを設立。公式ファンクラブは「BEAT&LOOSE」。

見る 1978年の音楽と中島卓偉

中村邦子

中村 邦子(なかむら くにこ、1936年(昭和11年)1月21日 - 1996年(平成8年)9月1日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。旧姓:大庭。

見る 1978年の音楽と中村邦子

常田真太郎

常田 真太郎(ときた しんたろう、1978年2月25日 - )は、日本のキーボーディスト、音楽プロデューサー。スキマスイッチでピアノ、コーラス、オルガン、トータルサウンドトリートメントを担当。相方からの愛称は「シンタくん」。愛知県名古屋市緑区出身。既婚。血液型はO型。身長は176cm、体重は85kg。エキシビションマッチ専門サッカーチーム「SWERVES」の代表も務める。

見る 1978年の音楽と常田真太郎

世界に捧ぐ

『世界に捧ぐ』 は、イギリスのロックバンド、クイーンの6枚目のアルバムである。

見る 1978年の音楽と世界に捧ぐ

世界歌謡祭

世界歌謡祭(せかいかようさい、World Popular Song Festival)は、ヤマハ音楽振興会が主催し1970年から1989年まで毎年秋頃に日本武道館で開催されたポピュラーソングのコンテスト。通称「東洋のユーロビジョン・ソング・コンテスト」。

見る 1978年の音楽と世界歌謡祭

世良公則&ツイスト

ツイストは、世良公則を中心に結成された日本のロックバンド。ロックをメジャーにした ロックバンドである。

見る 1978年の音楽と世良公則&ツイスト

世良公則&ツイスト (アルバム)

世良公則&ツイスト(せらまさのり アンド ツイスト)は、1978年7月にリリースされた世良公則&ツイストのファースト・アルバムである。

見る 1978年の音楽と世良公則&ツイスト (アルバム)

三浦康嗣

三浦 康嗣(みうら こうし、1978年 - )は、□□□(クチロロ)主宰。東京スカイツリー合唱団長。作詞、作曲、編曲、演奏、エディット、歌唱、サウンドエンジニア、舞台演出等を一人でこなし、多角的に創作に携わる総合作家。

見る 1978年の音楽と三浦康嗣

下成佐登子

下成 佐登子(しもなり さとこ、本名:亀田 佐登子(旧姓:下成)、1961年8月26日 - ) は、日本の女性歌手、スタジオミュージシャン。ヤマハポピュラーソングコンテスト出身。

見る 1978年の音楽と下成佐登子

一十三十一

一十三十一(ひとみとい、1978年12月1日 - )は、日本のシンガーソングライターである。本名、天野 一十三(あまの ひとみ)。旧姓本名及び旧芸名、下村 一十三。 北海道札幌市出身。所属レコード会社はプライエイド・レコーズ(ポリスター系インディーズレーベル)→徳間ジャパンコミュニケーションズ→GARURU RECORDS→Billboard Records。北海道札幌啓成高等学校卒業。

見る 1978年の音楽と一十三十一

九州男

九州男(くすお、1978年10月24日 - )は、日本の男性シンガーソングライター。長崎県出身。血液型はB型。所属事務所はエンズエンターテイメント。

見る 1978年の音楽と九州男

平尾昌晃

平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月24日 - 2017年〈平成29年〉7月21日 - 朝日新聞 2017年7月22日)は、日本の作曲家、作詞家、歌手。社団法人日本作曲家協会・常務理事、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)理事などを歴任した。

見る 1978年の音楽と平尾昌晃

久保田真悟

久保田 真悟(くぼた しんご、1978年2月10日 - )は日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。「第60回日本レコード大賞」編曲賞受賞。2022年、編曲したMrs. GREEN APPLEの「ダンスホール」が『第64回輝く!日本レコード大賞』優秀作品賞受賞。 静岡県沼津市出身。血液型はA型。

見る 1978年の音楽と久保田真悟

乙女座 宮

「乙女座 宮」(おとめざ きゅう)は、1978年2月1日にリリースされた山口百恵の21枚目のシングルである。発売元はCBSソニー。

見る 1978年の音楽と乙女座 宮

交響組曲 宇宙戦艦ヤマト

『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』(こうきょうくみきょく うちゅうせんかんヤマト)は、『宇宙戦艦ヤマト』のBGMをオーケストラ向けに再編曲・再編成したインストゥルメンタル・アルバム。『Symphonic Suite Yamato』とも。 1984年に演奏会ライブ収録、LP音盤とVHSビデオにより販売された『交響曲宇宙戦艦ヤマト』(羽田健太郎作曲・ピアノ独奏、宮川泰・羽田健太郎テーマモチーフ作曲、徳永二男ヴァイオリン独奏、大友直人指揮、NHK交響楽団演奏)は宇宙戦艦ヤマト 完結編のBGMを元にした異なる音楽作品である。

見る 1978年の音楽と交響組曲 宇宙戦艦ヤマト

二千花

二千花(にちか)は、日本の音楽ユニット。

見る 1978年の音楽と二千花

五輪真弓

五輪 真弓(いつわ まゆみ、本名:鈴木眞弓。1951年1月24日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。東京都中野区出身。桜水商業高校卒業。

見る 1978年の音楽と五輪真弓

五木ひろし

五木 ひろし(いつき ひろし、1948年〈昭和23年〉3月14日 - 、本名:松山 数夫(まつやま かずお)) は、日本の歌手、作曲家、俳優。元々はムード歌謡で数多くのヒット曲を放ったが、現在は演歌歌手として記されることが多い。身長173cm、血液型はA型。京都府生まれ『週刊現代』2011年8月20日、27日号、86頁(講談社)、福井県三方郡美浜町出身。所属事務所は株式会社五木プロモーション。レコード会社は、ファイブズ・エンタテインメント。妻は元女優の和由布子。

見る 1978年の音楽と五木ひろし

庄野真代

庄野 真代(しょうの まよ、1954年12月23日 - )は、日本の女性シンガーソングライターである。本名:庄野 眞代(読み同じ)。血液型B型。大阪府 Mayo Shono 庄野真代オフィシャルサイト大阪市西淀川区出身。ルフラン所属。 サーカスの叶正子、同期デビューの渡辺真知子とは友人関係にあり、共演することも多い。 2000年代以降は、音楽を通じた社会貢献・国際貢献を志してボランティア活動やNPO法人の設立なども行っている。また参議院選挙への立候補歴もある(後述)。2014年より法政大学人間環境学部兼任講師。子ども食堂しもきたキッチン主宰。

見る 1978年の音楽と庄野真代

井上裕治

井上 裕治(いのうえ ゆうじ、1978年9月3日 - )は、日本のギタリスト、ソングライター、編曲家。元ボーカリスト。本名同じ。福島県福島市出身。Wish*、girl next doorの元メンバー。所属していた芸能事務所はエイベックス・マネジメント。血液型はA型。

見る 1978年の音楽と井上裕治

伊藤かずえ

伊藤 かずえ(いとう かずえ、1966年12月7日 - )は、日本の女優・タレント・歌手・YouTuberである。本名、伊藤 和枝(いとう かずえ)。 神奈川県横浜市出身、ホリプロ所属。

見る 1978年の音楽と伊藤かずえ

引田天功 (2代目)

二代目・引田 天功(ひきた てんこう)は、日本のイリュージョニスト。別名プリンセス・テンコー (PRINCESS TENKO)。日本奇術協会国際交流委員長。 新潟県新井市(現・妙高市)生まれ。初代引田天功の死後、1980年12月15日に襲名した。その後日本を経てラスベガス在住。近年はイタリアに居住。 「UFCに出場するため地球に降り立った」と米国のプロフィールでは紹介されている。公式プロフィールでは、1995年より全てのパーソナル・データが不詳または未公開になっている。アメリカでテンコー人形が800万体売れるなど、海外で人気の高い日本人の一人である。

見る 1978年の音楽と引田天功 (2代目)

佐野元春

佐野 元春(さの もとはる、1956年3月13日 - )は、日本のミュージシャン、シンガーソングライター。東京都出身。 1980年に、シングル『アンジェリーナ』でデビュー。詩人としてのメッセージを内包した歌詞、多様なリズムとアレンジ、ラップやスポークン・ワーズなどの手法を実践。さまざまなジャンルの音楽を折衷させた曲を数多く発表して作品の商業的ヒットに関係なく高い評価を得ている。現在は独立系レーベル「Daisy Music」を主宰し、インターネットを通じた音楽活動等でも先駆的な試みを続けている。

見る 1978年の音楽と佐野元春

微笑がえし

「微笑がえし」(ほほえみがえし)は、1978年2月25日にリリースされたキャンディーズの活動期間内ラスト・シングルである。

見る 1978年の音楽と微笑がえし

後楽園球場

後楽園球場(こうらくえんきゅうじょう、 Korakuen Stadium)は、かつて日本の東京都文京区(建設当時は東京府東京市小石川区)にあった野球場。正式名称は「後楽園スタヂアム」(こうらくえんスタヂアム)。株式会社後楽園スタヂアム(現:株式会社東京ドーム)が管理していた。

見る 1978年の音楽と後楽園球場

北公次

北 公次(きた こうじ、1949年〈昭和24年〉1月20日 - 2012年〈平成24年〉2月22日)は、日本の歌手、俳優、タレント。男性アイドルグループ・フォーリーブスのリーダー。和歌山県田辺市出身。本名:松下 公次(まつした こうじ)。

見る 1978年の音楽と北公次

北村英治

北村 英治(きたむら えいじ、1929年4月8日 - )は、東京府出身のジャズ・クラリネット奏者。 慶應義塾商工学校、慶應義塾大学予科を経て慶應義塾大学文学部を中途退学。

見る 1978年の音楽と北村英治

北海道

北海道(ほっかいどう)は、日本の北海道地方に位置する道。道庁所在地は札幌市で、47都道府県中唯一の「道」である。 行政区画の「北海道」を構成する最大の島自体も北海道と称されるが、区別するときには北海道本島とも称する。

見る 1978年の音楽と北海道

ペトロールズ

ペトロールズ(PETROLZ)は、2005年に結成された日本のスリーピース・バンド。

見る 1978年の音楽とペトロールズ

ミトカツユキ

ミト カツユキ(三戸 克幸、1978年3月23日 - )は、日本のシンガーソングライター。

見る 1978年の音楽とミトカツユキ

ミドリカワ書房

ミドリカワ書房(ミドリカワしょぼう、本名:緑川 伸一(みどりかわ しんいち)、1978年12月6日 - )は、日本のシンガーソングライター。北海道上川郡上川町出身。自称、「J-POP界の無頼派」。血液型A型。身長173cm。愛称は「ミドシン」。

見る 1978年の音楽とミドリカワ書房

ミス・ユー (ローリング・ストーンズの曲)

「ミス・ユー」()は、ローリング・ストーンズがに発表した楽曲。同年発表のアルバム『女たち』からの先行シングルとしてリリースされた。

見る 1978年の音楽とミス・ユー (ローリング・ストーンズの曲)

ノヴァ (バンド)

ノヴァ(Nova)は、1975年にオザンナとチェルヴェッロのメンバーから結成されたイタリアのプログレッシブ・ロック / フュージョン・バンドである。そのキャリアの大半でロンドンに拠点を置いた彼らは、マハヴィシュヌ・オーケストラ、ウェザー・リポート、リターン・トゥ・フォーエヴァーなど、1970年代のフュージョン・スタイルのバンドの影響を受けた4枚のアルバムをリリースした。

見る 1978年の音楽とノヴァ (バンド)

マキシマム ザ ホルモン

マキシマム ザ ホルモン(MAXIMUM THE HORMONE、英略:MTH)は、日本のロックバンド。所属事務所はミミカジル。レーベルはワーナーミュージック・ジャパン。略称は「ホルモン」。

見る 1978年の音楽とマキシマム ザ ホルモン

マシコタツロウ

マシコ タツロウ(1978年3月1日 - )は、日本の作曲家、作詞家、編曲家、歌手、ラジオパーソナリティ。茨城県常陸太田市出身。よしもとミュージックパブリッシング所属。 本名は増子 達郎(ましこ たつろう)。身長175cm。常陸太田大使。茨城町ふるさと大使。

見る 1978年の音楽とマシコタツロウ

チャック・マンジョーネ

チャック・マンジョーネ チャック・マンジョーネ(Chuck Mangione、英語での発音により忠実な日本語表記は「マンジオーネ」、本名:Charles Frank Mangione、1940年11月29日 - )は、アメリカ合衆国出身のトランペット奏者、フリューゲルホルン奏者、作曲家。ジャズ・フュージョンの活動で知られる。イーストマン音楽学校卒業。

見る 1978年の音楽とチャック・マンジョーネ

チープ・トリック

チープ・トリック()は、1974年にシカゴ郊外にあるイリノイ州ロックフォード市で結成されたアメリカのロックバンド。メンバーは、ロビン・ザンダー、、、の4人。 1977年にオリジナル・アルバム『チープ・トリック』でデビューし、同年後半に発売された2ndアルバム『蒼ざめたハイウェイ』で日本での成功を収めた。1979年に発売されたライブ・アルバム『チープ・トリックat武道館』はヒット作となり、同作からシングル・カットされた「甘い罠 (Live)」もBillboard Hot 100でトップ10入りし、1988年に発売されたシングル『』で第1位を獲得した。 2016年3月時点で3700回以上のライブを行なっていて、世界でのアルバムの売上枚数は2000万枚(2013年12月時点)を超えている。

見る 1978年の音楽とチープ・トリック

チープ・トリックat武道館

『チープ・トリックat武道館』(Cheap Trick at Budokan)は、チープ・トリックが1978年に行った武道館大ホール公演の模様を収録したライヴ・アルバム。1978年10月に日本で先行発売され、翌年には本国アメリカでも発売された。 『ローリング・ストーン』誌が選んだ「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」と「オールタイム・ベスト・ライヴ・アルバム50」に於いて、それぞれ426位と13位にランクイン。

見る 1978年の音楽とチープ・トリックat武道館

チック・コリア

チック・コリア(Chick Corea、1941年6月12日 - 2021年2月9日)は、アメリカのジャズピアニスト、キーボーディスト、作曲家、ミュージシャンである。本名はアルマンド・アンソニー・コリア()。

見る 1978年の音楽とチック・コリア

ハヤシヒロユキ

ハヤシ ヒロユキ(1978年8月8日 - )とは、日本のミュージシャンである。ロックバンド、POLYSICSのヴォーカリスト兼ギタリスト、フロントマン。同バンドの大半の楽曲の作詞・作曲を手掛ける。「ハヤシ」の名前でも活動している。血液型はA型。

見る 1978年の音楽とハヤシヒロユキ

ハービー・ハンコック

ハービー・ハンコック(Herbie Hancock、1940年4月12日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身のジャズ・ピアニスト、シンセサイザー奏者、作曲家、編曲家、プロデューサーである。クロスオーバー、フュージョンなど多彩なジャンルで活動した。来日回数も多い。 1960年プロとしてデビュー。1963年から1968年まではマイルス・デイヴィス・クインテットのメンバーとして活躍。1970年代以降もジャズ・ファンクの『ヘッド・ハンターズ』、アコースティック・ジャズ人気を復活させたV.S.O.P.クインテットの諸作、ジャズ・ヒップホップのアルバム『フューチャー・ショック』など、ジャズの新しい時代を切り開く話題作を発表してきた。代表的な楽曲に「ウォーターメロン・マン」、「」、「処女航海」、「」など多くのジャズ・スタンダードの他、ヒップホップとのクロスオーバーを図った楽曲「」もある。

見る 1978年の音楽とハービー・ハンコック

ハイ・ファイ・セット

ハイ・ファイ・セット (Hi-Fi Set) は、日本のコーラスグループ。1974年結成、1994年解散。

見る 1978年の音楽とハイ・ファイ・セット

ハジメノヨンポ

ハジメノヨンポは、日本の男性4人組の音楽グループ。

見る 1978年の音楽とハジメノヨンポ

バリー・マニロウ

バリー・マニロウ(Barry Manilow, 1943年6月17日 - )は、アメリカ合衆国の歌手、作曲家、プロデューサー。代表曲は「哀しみのマンディ」、「歌の贈りもの」(この2曲は全米No.1)、「コパカバーナ」。

見る 1978年の音楽とバリー・マニロウ

バンダイ・ミュージックエンタテインメント

株式会社バンダイ・ミュージックエンタテインメント (Bandai Music Entertainment) は、1964年から2000年まで存在した日本のレコード会社である。設立時の社名は、アポロン音楽工業株式会社(アポロンおんがくこうぎょう)。

見る 1978年の音楽とバンダイ・ミュージックエンタテインメント

バック・オン・ザ・ストリーツ

『バック・オン・ザ・ストリーツ』(Back on the Streets)は、北アイルランドのギタリスト、ゲイリー・ムーアが1978年に発表した、個人名義では初のスタジオ・アルバム。

見る 1978年の音楽とバック・オン・ザ・ストリーツ

バイシクル・レース

「バイシクル・レース」(Bicycle Race)は、イギリスのロック・バンド、クイーンの楽曲。1978年にEMIよりシングルとしてリリースされており、同年発売のアルバム『ジャズ』に収録された。

見る 1978年の音楽とバイシクル・レース

ポリス (バンド)

ポリス(The Police)は、1970年代後半から1980年代半ばにかけて活躍した、イギリスのロックバンドである。ロックに、レゲエの要素を加えた音楽性は、ホワイト・レゲエとしばしば呼称された(2ndアルバムのタイトルとなった「Reggatta de blanc」とは、「White Reggae」の意味である)。当初は、パンク・ブームメントに乗ってデビューしたが、その後は、メンバーの音楽的資質を柔軟に取り入れたロックをリリースし続けている。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第70位。 トータルセールスは7,500万枚以上。

見る 1978年の音楽とポリス (バンド)

ポール・マッカートニー

ジェイムズ・ポール・マッカートニー(、1942年6月18日 - )は、イギリス出身のシンガーソングライター。ファーストネームはジェイムズであるが、父のファーストネームも同じくジェイムズであることからミドルネームであるポールを用いている労働者階級では自分のファースト・ネームを長男に付けることが慣習のため。身内に同じ名前の人がいる場合、識別するためにミドル・ネームを主に用いるのはよくあることである。因みにポールの長男であるジェイムズ・ルイーズ・マッカートニーもファーストネームは祖父・父と同じジェイムズであるが、父・ポールのようにミドルネームではなくファーストネームの(ジェイムズ)で呼ばれることが多い。

見る 1978年の音楽とポール・マッカートニー

モンテカルロで乾杯

『モンテカルロで乾杯』(モンテカルロでかんぱい)は、1978年7月10日にちあき哲也作詞、筒美京平作曲、庄野真代の歌で発表されたポップスの楽曲である。 前作の大ヒット・ソング『飛んでイスタンブール』に続くリリース・シングル。庄野自身2番目のヒット曲となった。 「モンテカルロ」は西ヨーロッパ・モナコ公国の4つの地区(カルティエ)の1つ、同国の北東部・モナコ湾の北岸に位置する場所である。 イントロから間奏、後奏にわたってインド発祥の弦楽器「シタール」が使われて演奏されている。

見る 1978年の音楽とモンテカルロで乾杯

モンスター (ピンク・レディーの曲)

「モンスター」は、1978年6月にビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)からリリースされた日本のアイドルグループ・ピンク・レディーの8枚目のシングルである。

見る 1978年の音楽とモンスター (ピンク・レディーの曲)

モーニング娘。

モーニング娘。(モーニングむすめ)は、ハロー!プロジェクトに所属する日本の女性アイドルグループ。所属事務所はアップフロントプロモーション(アップフロントグループ)。

見る 1978年の音楽とモーニング娘。

モーター・ブーティー・アフェア

『モーター・ブーティー・アフェア』(Motor Booty Affair)は、アメリカ合衆国のファンク・バンド、パーラメントが1978年11月に発表した7作目のスタジオ・アルバム。

見る 1978年の音楽とモーター・ブーティー・アフェア

ヤマハポピュラーソングコンテスト

ヤマハポピュラーソングコンテストは、ヤマハ音楽振興会の主催で1969年から1986年まで行われたフォーク、ポップス、ロックの音楽コンテストである。略称「ポプコン」(POPCONとも)。後に年2回開かれるようになった。グランプリ優勝者には自動的にレコードデビューが約束され、世界歌謡祭の出場資格を得ることができた。もともと第5回まではプロを対象にしたコンテストで、アマチュア向けのプロへの登龍門として開催されるようになったのは第6回からである。 1970年代はフォーク・ニューミュージック、1980年代はニューミュージック全盛期であったが1980年代後半にかけてバンドブームの隆盛やロックへの移行傾向とともにこの名称での大会は終了。1987年以降は世界最大のアマチュアバンドコンテストBAND EXPLOSIONやTEENS' MUSIC FESTIVALに受け継がれ、さらに2007年には「MUSIC REVOLUTION」と名称を変更した。

見る 1978年の音楽とヤマハポピュラーソングコンテスト

ヤマトより愛をこめて

「ヤマトより愛をこめて」(ヤマトよりあいをこめて)は、日本の歌手である沢田研二の24枚目のシングルである。 1978年8月1日にポリドール・レコードより発売された。

見る 1978年の音楽とヤマトより愛をこめて

ヤング歌謡大賞・新人グランプリ

『ヤング歌謡大賞・新人グランプリ』(ヤングかようたいしょう・しんじんグランプリ)は、かつてテレビ朝日系列で全国放送されていた朝日放送主催・制作の音楽特番。

見る 1978年の音楽とヤング歌謡大賞・新人グランプリ

ユー・リアリー・ガット・ミー

「ユー・リアリー・ガット・ミー」(You Really Got Me)は、ロックバンド、キンクスの楽曲。レイ・デイヴィス作。1964年の8月にシングルが発売され、全英ナンバー1に輝いた。この曲のヒットでバンドはブレイクを果たし、アメリカのチャート7位を記録し、ブリティッシュ・インヴェイジョンの代表的バンドのひとつとしての地位を確立した。その後、この曲はデビュー・アルバム『キンクス』に収録された。 「ユー・リアリー・ガット・ミー」はパワーコードによって成立しているヒット曲の嚆矢でありWalser, Robert (1993).

見る 1978年の音楽とユー・リアリー・ガット・ミー

ユー・ビロング・トゥ・ミー (カーリー・サイモンの曲)

「ユー・ビロング・トゥ・ミー」 (You Belong to Me) は、いずれもアメリカ合衆国のシンガーソングライターであるカーリー・サイモンとマイケル・マクドナルドが共作して書いた楽曲。オリジナル録音は、マクドナルドが所属していたロック・グループであるドゥービー・ブラザーズが7枚目のスタジオ・アルバム『運命の掟』(1977年)に収録したものであったが、この曲が有名になったのは、カーリー・サイモンが7枚目のスタジオ・アルバム『男の子のように (Boys in the Trees)』に吹き込んだバージョンによってであった。アルバムからの最初のシングルとなったこの曲は、ポップ・シングル・チャートのトップ10入りを果たし、最高6位に達し、18週間にわたってチャートに留まった。サイモンは、1979年のグラミー賞で、にノミネートされた。その後、1983年8月には、ドゥービー・ブラザーズのライブ・アルバム『フェアウェル・ツアー (Farewell Tour)』に収録されたバージョンがポップ・シングル・チャートで79位まで上昇した。

見る 1978年の音楽とユー・ビロング・トゥ・ミー (カーリー・サイモンの曲)

ラビット (バンド)

ラビット(Rabbitt)は、1972年に結成された南アフリカのロックバンドで、トレヴァー・ラビン、ダンカン・フォール、ロニー・ロボット、ニール・クラウドのメンバーで構成されるザ・コングロメレーション (The Conglomeration)というバンドから発展した。彼らの成功には、1976年にヒットした「Charlie」で南アフリカ・チャートのトップに立ったことが含まれていた。ラビットは1978年に解散した。ラビンは後にイエスのメンバーになり、フォールはベイ・シティ・ローラーズに参加した。

見る 1978年の音楽とラビット (バンド)

ライヴ・ブートレッグ

『ライヴ・ブートレッグ』(Live! Bootleg)は、エアロスミスが1978年に発表したライヴ・アルバム。

見る 1978年の音楽とライヴ・ブートレッグ

ライヴ・アンド・デンジャラス

『ライヴ・アンド・デンジャラス』(Live and Dangerous)は、アイルランド出身のハードロック・バンド、シン・リジィが1978年に発表したライヴ・アルバム。

見る 1978年の音楽とライヴ・アンド・デンジャラス

リンダ・ロンシュタット

リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt、1946年7月15日 - )は、アメリカ合衆国出身の女性歌手、ミュージシャン。 ウエスト・コーストを代表する音楽アーティストの一人で、"ウエスト・コーストの永遠の歌姫"とも称される。1970年代にソロシンガーとして開花し、1980年代までトップの地位を確立した。1990年代半ばからの病気による影響で、2010年代以降は引退を余儀なくされている。 2014年『ロックの殿堂』入り。

見る 1978年の音楽とリンダ・ロンシュタット

ルドルフ・コーリッシュ

ルドルフ・コーリッシュ(Rudolf Kolisch, 1896年7月20日 - 1978年8月1日)は、オーストリア出身のヴァイオリニストで、弦楽四重奏団のリーダー。教育者や音楽学者としても重要である。左利きであり、右肩にヴァイオリンを構えて左手で弓を弾く数少ないヴァイオリニストだった。

見る 1978年の音楽とルドルフ・コーリッシュ

ルイ・プリマ

ルイ・プリマ(Louis Prima、1910年12月7日 - 1978年8月24日)は、アメリカ合衆国のジャズ・ミュージシャンである。トランペッター、ボーカリスト、作曲家として、主にスウィング期からジャンプ・ブルースの時代に活躍した。

見る 1978年の音楽とルイ・プリマ

レ・フレール

レ・フレール(Les Frères)は、日本の兄弟ピアノデュオ。「レ・フレール」はフランス語で「兄弟」という意味。略称は「LF」「レフ」など。

見る 1978年の音楽とレ・フレール

レニー・トリスターノ

レニー・トリスターノ(Lennie Tristano、1919年3月19日 – 1978年11月18日)は、アメリカ合衆国の盲目のジャズ・ピアニストで作曲家。演奏家としては、クール・ジャズやビバップ、ポスト・バップ、アヴァンギャルド・ジャズのジャンルで活動した。ジャズの歴史においてはいささか過小評価されてはいるが、即興演奏家としては、顕著な独創性や驚異的な活動ゆえに、通のジャズ愛好家から長らく称賛されてきた。さらに教師として、リー・コーニッツやビル・エヴァンスらを通じてジャズ界に抜本的な影響を与えてきた。

見る 1978年の音楽とレニー・トリスターノ

レイモン・ルフェーブル

レイモン・ルフェーヴル(Raymond Lefèvre、1929年11月20日 - 2008年6月27日)はフランスの編曲家、指揮者、作曲家、ピアニスト、フルート奏者。イージーリスニング界の第一人者として有名。特に日本では、キングレコードを発売元としていた時期に、ポール・モーリアの「ラブ・サウンドの王様」に対して、「ラブ・サウンドのシャルマン」がキャッチフレーズとして使用された。

見る 1978年の音楽とレイモン・ルフェーブル

レインボー (バンド)

レインボー()は、イングランド出身のハードロック・バンド。 ディープ・パープルのギタリストだったリッチー・ブラックモアが1975年に脱退して結成した。HR/HMサウンドのバンドの代表格として後発のバンドに多大な影響を与えた。1984年にディープ・パープルが再結成されたことによって活動を停止したが、ブラックモアが1993年にディープ・パープルを再び脱退して再始動。2024年現在に至るまで断続的に活動を行っている。

見る 1978年の音楽とレインボー (バンド)

レコード会社

レコード会社(レコードがいしゃ、record label)は、音楽作品が録音・録画された記録媒体を専門に制作、流通・販売や広告代理業務などを行う事業者のことを指す。レコードレーベルと同じ意味だと誤解されることがあるが、厳密にはレコード会社とレーベルはまったく別の物である。

見る 1978年の音楽とレコード会社

ロバータ・フラック

ロバータ・フラック(Roberta Flack、1937年2月10日 - )は、アメリカ合衆国ノース・カロライナ州出身の歌手。「やさしく歌って」、「愛は面影の中に」などのヒットで知られる。ダニー・ハサウェイやピーボ・ブライソンなどの男性ボーカリストとのデュエット曲(「恋人は何処に」「愛のセレブレイション」など)のヒットでも知られる。

見る 1978年の音楽とロバータ・フラック

ロンドンのオオカミ男

「ロンドンのオオカミ男」()は、ウォーレン・ジヴォンが1978年に発表した楽曲。

見る 1978年の音楽とロンドンのオオカミ男

ロンドン・タウン

『ロンドン・タウン』()は、1978年3月31日にリリースされたウイングスのアルバム。ビートルズ解散後のポールのアルバムとしては8作目、ウイングス名義では6作目にあたる。イギリスで4位、アメリカで2位を記録した。

見る 1978年の音楽とロンドン・タウン

ローリング・ストーンズ

ローリング・ストーンズ()は、イギリスのロックバンド。1962年4月のロンドンで、ブライアン・ジョーンズ、イアン・スチュワート、ミック・ジャガー、キース・リチャーズによって結成、その後間もなくビル・ワイマンとチャーリー・ワッツが参加した。 1960年代前半から現在まで半世紀以上、1度も解散することなく第一線で活躍を続ける、ロック界の最高峰に君臨するバンドである。エアロスミス、プライマル・スクリームやジェット、日本では沢田研二とザ・タイガース、萩原健一とザ・テンプターズなど多くのグループ・サウンズのバンド、忌野清志郎とRCサクセション、鮎川誠とシーナ&ロケット、THE STREET SLIDERSなど、ローリング・ストーンズに影響を受けたアーティストは数多く存在する。ストーンズは労働者バンドというイメージが強いが、ミック・ジャガーとブライアン・ジョーンズは中流階級の出身である。

見る 1978年の音楽とローリング・ストーンズ

ロッド・スチュワート

サー・ロデリック・デイヴィッド・“ロッド”・スチュワート(Sir Roderick David "Rod" Stewart、1945年1月10日 - )は、スコットランド家系のイギリスのポップ・ロック・ミュージシャン、ヴォーカリストである。

見る 1978年の音楽とロッド・スチュワート

ロック・ロブスター

「ロック・ロブスター」()は、The B-52'sが1978年に発表した楽曲。 ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2010年版)では147位にランクされている。

見る 1978年の音楽とロック・ロブスター

ロイヤルナイツ (ボーカルグループ)

ロイヤルナイツ(Royal Knights)は、1959年に結成された男性4人の合唱団(コーラス・グループ)。ロイヤル・ナイツと表記されることもある。 ロシア民謡、ジャズ、ポピュラーソングまで幅広いレパートリーを持つ。 1978年に1979年説もあり。「ノート」参照。一度解散するが、1988年に再結成される。

見る 1978年の音楽とロイヤルナイツ (ボーカルグループ)

ロクサーヌ

「ロクサーヌ」(Roxanne)は、ポリスによる曲であり、1978年にシングルとして発売され、アルバム『アウトランドス・ダムール』に収録された。南フランスの娼婦について書かれた曲である。

見る 1978年の音楽とロクサーヌ

ワンダフル・ワールド (サム・クックの曲)

「ワンダフル・ワールド」()は、サム・クックが1960年に発表した楽曲。クックの代表作の一つであり、数多くのカバー・バージョンがある。 ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2010年版)では382位にランクされている。

見る 1978年の音楽とワンダフル・ワールド (サム・クックの曲)

ワーナーミュージック・ジャパン

株式会社ワーナーミュージック・ジャパン()は、米国・ワーナーミュージック・グループ傘下の日本のレコード会社、芸能事務所ワーナーミュージック・ジャパン内のワーナーミュージック・アーティスツとして、マネジメント業務を行っている。。 2024年5月現在、日本に拠点を置く大手外資系レコード会社の中ではユニバーサルミュージック合同会社に次いで長い歴史を有する日本の大手レコード会社でもある。

見る 1978年の音楽とワーナーミュージック・ジャパン

ワディム・サルマノフ

ワディム・サルマノフ(Вади́м Никола́евич Салма́нов;Vadim Nikolayevich Salmanov, 1912年11月4日 レニングラード - 1978年2月27日 レニングラード)は、ソ連の交響曲作家。とりわけ森を描写した《交響曲 第2番》で広く知られる。

見る 1978年の音楽とワディム・サルマノフ

ヴァン・ヘイレン

バンドのロゴ ヴァン・ヘイレン () は、アメリカ合衆国出身のハードロック・バンド。 米国西海岸におけるアメリカンHR/HM系バンドの先駆者であり、「ジャンプ」などのヒット曲で知られる。また、リーダー兼ギタリストのエドワード・ヴァン・ヘイレンはその後のロックミュージックに多大な影響を与えた非常にテクニカルなギター奏法であるタッピング(日本でのみ「ライトハンド奏法」と呼ばれた)を広く普及させた事でも知られる、世界的に有名なロックバンドである。 全米で5,650万枚以上、全世界で8,000万枚以上のアルバムセールスを記録。1992年、グラミー賞受賞。2007年、ロックの殿堂入り。 ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」にて17位。

見る 1978年の音楽とヴァン・ヘイレン

ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター

ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター (Van der Graaf Generator)は、イングランド出身のプログレッシブ・ロック・バンド。略称「VDGG」。 同ジャンルの草創期から活動しているグループの一つ。主宰者にして詩人ピーター・ハミルのスタイルを色濃く反映させた、陰鬱な音楽性を特徴とする。1970年代で解散していたが、2000年代半ばより再始動している。バンド名の由来は「ヴァンデグラフ起電機」。

見る 1978年の音楽とヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター

ボルチモア (アルバム)

『ボルチモア』(Baltimore)は、アメリカ合衆国のジャズ・ボーカリスト、ニーナ・シモンが1978年に発表したスタジオ・アルバム。シモンのアルバムとしては唯一CTIレコードからリリースされた。

見る 1978年の音楽とボルチモア (アルバム)

ボブ・ディラン

ボブ・ディラン(、出生名:ロバート・アレン・ジマーマン()、1941年5月24日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャン。 出生名は上記の通りだが、後に戸籍上の本名もボブ・ディランに改名している。“ボブ”はロバートの愛称、“ディラン”は詩人ディラン・トマスにちなむ。 「風に吹かれて」「時代は変る」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「見張塔からずっと」「天国への扉」他多数の楽曲により、1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたり多大なる影響を人々に与えてきた。現在でも、「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる年間100回ほどの公演活動を中心に活動している。

見る 1978年の音楽とボブ・ディラン

ボブ・ウェルチ (ミュージシャン)

ボブ・ウェルチ(Bob Welch、1945年8月31日 - 2012年6月7日)は、フリートウッド・マックの元メンバーである。1970年代後半にソロで成功を収めている。シングルには「ホット・ラヴ, コールド・ワールド」、「エボニー・アイズ」、「プレシャス・ラヴ」「悲しい女」などがある。

見る 1978年の音楽とボブ・ウェルチ (ミュージシャン)

ボブ・シーガー

ボブ・シーガー(Bob Seger、1945年5月6日 - )は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャン、シンガーソングライター。本名は、ロバート・クラーク・シーガー(Robert Clark Seger)。全世界の総レコード・カセット・CD等の売り上げは7,500万枚以上とされている。 2004年、ロックの殿堂入りを果たした。

見る 1978年の音楽とボブ・シーガー

ボシー・バンド

ボシー・バンド(The Bothy Band) は1970年代半ばに活動したアイルランド伝統音楽バンドである。アイルランド伝統音楽を演奏する最も影響を与えたバンドの1つとの評価をすぐに手にした。その技術的に裏付けされた熱い音楽は、1979年の解散の後もアイルランド伝統音楽の動きに意義深い影響を与え続けた。

見る 1978年の音楽とボシー・バンド

ボズ・スキャッグス

ウィリアム・ロイス・「ボズ」・スキャッグス(、1944年6月8日 - )は、アメリカ合衆国の歌手。1970年代後半から1980年代にかけてヒットを放った。

見る 1978年の音楽とボズ・スキャッグス

トミー・ガン (曲)

「トミー・ガン」 (Tommy Gun) は、ロンドン・パンク・ロックバンド ザ・クラッシュの7枚目のシングル。セカンドアルバム『動乱』の収録曲である。

見る 1978年の音楽とトミー・ガン (曲)

トム・スコット (ミュージシャン)

トム・スコット(Tom Scott、1948年5月19日 - )は、アメリカ合衆国ロサンゼルス出身の、ウェスト・コースト・ジャズ、フュージョンを代表するサックス奏者で作曲家、編曲家。10回以上グラミー賞にノミネートされており、3度受賞してもいる。

見る 1978年の音楽とトム・スコット (ミュージシャン)

トライアングル (アイドルグループ)

トライアングル(TRIANGLE)は、かつて渡辺プロダクションに所属していた日本の女性アイドルグループ。

見る 1978年の音楽とトライアングル (アイドルグループ)

トーキング・ヘッズ

トーキング・ヘッズ (Talking Heads) は、1974年に結成、1991年に解散したアメリカ合衆国のロックバンド。 「」において第100位。メンバーのうち、ティナ・ウェイマスとクリス・フランツは1981年にトム・トム・クラブを結成し、トーキング・ヘッズと並行して活動を行った。

見る 1978年の音楽とトーキング・ヘッズ

ヘンリー・カウ

ヘンリー・カウ (Henry Cow)は、1968年にケンブリッジ大学でマルチ奏者のフレッド・フリスとティム・ホジキンソンによって結成された英国の前衛的なグループである。ヘンリー・カウのメンバーは10年にわたって変動したが、ドラマーのクリス・カトラー、ベーシストのジョン・グリーヴス、バスーン奏者/オーボエ奏者のリンジー・クーパーは、フリスとホジキンソンとともに重要な長期にわたって参加したメンバーであった。 独自の反商業的な態度をもって、彼らは主流の音楽ビジネスから距離を置き、自由に実験することができた。批評家のマイルズ・ボイセンはこう書いている。「彼らのサウンドは非常に冷静で大胆で、模倣者がほとんどいませんでした。大西洋を挟む国と国の間で自発性や、複雑な構造、哲学、ユーモアを融合させながら、『プログレッシブ』というタグを付けられつつ、それを超越していました」。

見る 1978年の音楽とヘンリー・カウ

ブルースは絆 (ブルース・ブラザーズのアルバム)

『ブルースは絆』(原題:Briefcase Full of Blues)は、ブルース・ブラザーズが1978年に録音・発表したライブ・アルバム。バンドのデビュー・アルバムに当たる。

見る 1978年の音楽とブルースは絆 (ブルース・ブラザーズのアルバム)

ブルース・ブラザーズ

ブルース・ブラザーズ (The Blues Brothers、または The Blues Brothers' Show Band and Revue) は二人のコメディアン、ジョン・ベルーシとダン・エイクロイドを中心に結成されたブルース・R&B・ソウルのリバイバルバンド。略称はBB。メインボーカルのベルーシがジョリエット・ジェイク・ブルース (Joliet Jake Blues) 、ハーモニカ/バッキングボーカルのエイクロイドがエルウッド・ブルース (Elwood Blues) という義兄弟のキャラクターに扮した。演奏のブルース・ブラザーズ・バンドには実名の一流ミュージシャンたちが参加した。

見る 1978年の音楽とブルース・ブラザーズ

ブルース・スプリングスティーン

ブルース・フレデリック・ジョセフ・スプリングスティーン(, 1949年9月23日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身のシンガーソングライターである。

見る 1978年の音楽とブルース・スプリングスティーン

ブルースカイ ブルー

「ブルースカイ ブルー」は、西城秀樹の26枚目のシングル。1978年8月25日にRCAから発売された。

見る 1978年の音楽とブルースカイ ブルー

ブレッド (バンド)

ブレッド(Bread)は1968年にアメリカ合衆国・ロサンゼルスで結成されたソフトロックバンド。当初のメンバーはデヴィッド・ゲイツ(David Gates)、ジェイムス・グリフィン(James Griffin)、ロブ・ロイヤー(Robb Royer)の3人である。

見る 1978年の音楽とブレッド (バンド)

ブロンディ (バンド)

ブロンディ(Blondie)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド。 女性ボーカリスト デボラ・ハリーが在籍し、1970年代末から隆盛した「ニュー・ウェイヴ」の代表的グループとして知られる。1982年に一度解散したが、1997年に再結成。 全世界のアルバム・セールスは4000万枚以上。2006年『ロックの殿堂』入り。

見る 1978年の音楽とブロンディ (バンド)

ブッシュ・ドクター

『ブッシュ・ドクター』(Bush Doctor)は、ジャマイカのレゲエ・ミュージシャン、ピーター・トッシュが1978年に発表した、ソロ名義では3作目のスタジオ・アルバム。ローリング・ストーンズ・レコード移籍第1弾アルバムとしてリリースされ、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズが参加した。

見る 1978年の音楽とブッシュ・ドクター

プレイバックPart2

「プレイバックPart2」(プレイバック パート・ツー)は、1978年5月1日にリリースされた山口百恵の22枚目のシングルである。発売元はCBSソニー。「赤い衝撃」以来となる50万枚以上のセールスを記録。ギター演奏は矢島賢。

見る 1978年の音楽とプレイバックPart2

パンプ・イット・アップ

「パンプ・イット・アップ」(Pump It Up) は、エルヴィス・コステロの1978年の楽曲。コステロの2枚目のアルバムで、をバックに録音した最初の作品である『ディス・イヤーズ・モデル』に収録された。

見る 1978年の音楽とパンプ・イット・アップ

パークマンサー

パークマンサー(本名:三箇 一稔〈さんが かずとし〉、1978年〈昭和53年〉5月1日 - )は、日本の俳優、歌手、振付師、お笑いタレント、農家。富山県射水市(旧:新湊市)出身。

見る 1978年の音楽とパークマンサー

パット・マッグリン

パット・マッグリン(Pat McGlynn) の通称としても知られている、パトリック・ジェームス・マッグリン(Patrick James McGlynn、1958年3月31日 - )は、スコットランドのエディンバラ出身の元ベイ・シティ・ローラーズのメンバーで、おもにリズムギターを担当した。 ベイ・シティ・ローラーズ脱退後には、自らのバンド、パット・マッグリンとスコッティーズ(Pat McGlynn's Scotties)でもヒットを出した。

見る 1978年の音楽とパット・マッグリン

パティ・スミス

パティ・スミス(Patti Smith, 1946年12月30日 - )は、アメリカ合衆国出身の女性シンガーソングライター、ミュージシャン、詩人。 ニューヨーク・パンクシーンで台頭し、1970年代は「パティ・スミス・グループ」名義で活動、「クイーン・オブ・パンク(パンクの女王)」とも称された。早くから詩や文学の方面にも進出し、それらをテーマにした創作活動を展開している。 2007年『ロックの殿堂』入り。ローリング・ストーン誌選出『歴史上最も偉大な100人のシンガー』第83位、同『歴史上最も偉大な100組のアーティスト』第47位、Q誌選出『歴史上最も偉大な100人のシンガー』第49位を記録。

見る 1978年の音楽とパティ・スミス

ビリー・ジョエル

ウィリアム・マーティン・ジョエル(William Martin Joel、1949年5月9日 - )は、アメリカのニューヨーク州サウス・ブロンクス出身のシンガーソングライター、歌手、ピアニスト、作曲家。ポップなメロディと、都会的なアダルト・コンテンポラリー・サウンドで、1970年代後半から1990年代前半にかけてヒットを連発した。全世界で1億5000万枚以上のレコード・セールスを記録している。代表曲に、「ピアノ・マン」、「素顔のままで」、「アップタウン・ガール」、「ストレンジャー」、「オネスティ」などがある。イギリスのエルトン・ジョンと共に、20世紀後半〜21世紀前半、ピアノ・ロックというジャンルを確立した。

見る 1978年の音楽とビリー・ジョエル

ビー・バップ・デラックス

ビー・バップ・デラックス (Be-Bop Deluxe)は、イギリスのロックバンドである(「ビ・バップ・デラックス」と表記される場合もある)。リーダーであるビル・ネルソンを中心に1972年にヨークシャーで結成され、1974年にメジャー・デビューした後、1978年まで活動した。 音楽スタイルはギター・サウンドを基調にしたポップなロックが中心であるが、後期にはシンセポップへのアプローチも見せた。芸術家肌であるビルのワンマンバンド的色彩が強く、彼の嗜好を反映したSF感覚や、夢想的な暗喩を含むメランコリックな曲から、ストレートに見えてどこか奇妙な味わいを持つブギーなどが特徴的である。

見る 1978年の音楽とビー・バップ・デラックス

ビージーズ

ビージーズ(Bee Gees)は、英国王室属領マン島生まれのイギリス人のギブ三兄弟を中心に構成された男性ボーカルグループ。1963年にオーストラリアでレコードデビューし、1973年からは米国を中心に活動。1960年代前半から息の長い活動を続け、「ラヴ・サムバディ」、「マサチューセッツ」、「メロディ・フェア」、「若葉のころ」、「イン・ザ・モーニング」、「ホリディ」、「ジョーク」、「傷心の日々」、「ラン・トゥ・ミー」、「ブロードウェイの夜」、「獄中の手紙」、「ステイン・アライヴ」など、数多くの名曲を発表した。ポップなメロディメイカーとしては、レノン=マッカートニー(ビートルズ)やビヨルン&ベニー(ABBA)らと並ぶ名ソングライターチームとして知られている。

見る 1978年の音楽とビージーズ

ビースト・オブ・バーデン

「ビースト・オブ・バーデン」()は、ローリング・ストーンズが1978年に発表した楽曲。

見る 1978年の音楽とビースト・オブ・バーデン

ビコーズ・ザ・ナイト

「ビコーズ・ザ・ナイト」(Because the Night)は、パティ・スミスとブルース・スプリングスティーンが共作し、1978年にパティ・スミス・グループ名義のアルバム『イースター』からの先行シングルとして発表された楽曲。

見る 1978年の音楽とビコーズ・ザ・ナイト

ピンク・レディー

ピンク・レディー(Pink Lady)は日本の女性デュオ。1970年代後半、斬新な振付と衣装を伴ったユニークなヒット曲の数々で、アイドルとして爆発的なブームを巻き起こした。 メンバーは、根本美鶴代(ミー、現:未唯mie)と増田啓子(ケイ、現:増田惠子)。1976年から1981年当時の所属事務所はT&C。レコード会社はビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント〈二代目〉)。

見る 1978年の音楽とピンク・レディー

ピンク・レディー ベスト・ヒット・アルバム (1977年版)

『ピンク・レディー ベスト・ヒット・アルバム』はピンク・レディーのベスト・アルバム。

見る 1978年の音楽とピンク・レディー ベスト・ヒット・アルバム (1977年版)

ピーター・ポール&マリー

ピーター・ポール&マリー(Peter, Paul and Mary)は、1960年代アメリカのフォークグループの一つ。ピーター・ヤーロウ(Peter Yarrow、1938年5月31日 - )、ノエル・ポール・ストゥーキー(Noel Paul Stookey、1937年12月30日 - )と マリー・トラヴァース(Mary Travers、1936年11月9日 - 2009年9月16日)のトリオ。60年代にベトナム反戦のメッセージを全世界に送り出した。通称PP&M、またはPPM。

見る 1978年の音楽とピーター・ポール&マリー

ピーター・トッシュ

ピーター・トッシュ(Peter Tosh、1944年10月19日 - 1987年9月11日)、本名ウィンストン・ヒュバート・マキントシュ (Winston Hubert McIntosh) は、ジャマイカのレゲエ・ミュージシャン。同国のバンド、ウェイラーズの一員として活躍した後、ソロ・ミュージシャンとしても成功を収めた。また、ラスタファリ運動の先駆者としても知られる。

見る 1978年の音楽とピーター・トッシュ

ピーター・フランプトン

ピーター・フランプトン(Peter Frampton、1950年4月22日 - )は、イングランド出身のロックミュージシャン、シンガーソングライター、ギタリスト。 同国のロックバンド「ザ・ハード」「ハンブル・パイ」を経て、ソロに転向し大きな成功を収める。50年以上のキャリアを誇り、ギターボーカル先駆者の一人として認知されている。

見る 1978年の音楽とピーター・フランプトン

テリー・キャス

テリー・キャス(Terry Alan Kath、1946年1月31日 - 1978年1月23日)はアメリカ合衆国のロック・ミュージシャン、ギタリスト、ソングライターである。 ロック・バンドのシカゴの創立メンバーでギタリスト兼ヴォーカリスト。1978年、32歳の誕生日を迎える8日前、自動拳銃の暴発事故で急逝した。

見る 1978年の音楽とテリー・キャス

テッド・ニュージェント

テッド・ニュージェント(Ted Nugent、1948年12月13日 - )は、アメリカ合衆国のギタリスト。ハードロック、ヘヴィメタルの分野で活動している。共和党支持者としても知られている。

見る 1978年の音楽とテッド・ニュージェント

テディ・ペンダーグラス

テディ・ペンダーグラス(、1950年3月26日 - 2010年1月13日)は、アメリカ合衆国のR&B歌手である。本名はセオドア・デリーズ・ペンダーグラス・ジュニア() philly.com 2018年8月12日閲覧。。

見る 1978年の音楽とテディ・ペンダーグラス

デヴィッド・ボウイ

デヴィッド・ボウイ(、1947年1月8日 - 2016年1月10日)は、イングランド出身のロックミュージシャン、シンガーソングライター、俳優。本名はデヴィッド・ロバート・ヘイウッド・ジョーンズ()。 グラムロックの先駆者として台頭し、ポピュラー音楽の分野で世界的名声を得た。役者の世界にも進出し、数々の受賞実績を持つマルチ・アーティストとして知られている。 1996年にロックの殿堂入りを果たした。グラミー賞は5回受賞し、19回ノミネートされている。NME誌の「史上最も影響力のあるアーティスト」に選出されている。

見る 1978年の音楽とデヴィッド・ボウイ

デニス (曲)

「デニス」()は、ランディ&ザ・レインボウズが1963年に発表した楽曲。全米10位を記録した。ブロンディのカバー・バージョン(邦題「デニスに夢中」)はオランダとベルギーでそれぞれ1位を記録。ヨーロッパ各国で大ヒットした。

見る 1978年の音楽とデニス (曲)

ディーヴォ

ディーヴォ(Devo)は、アメリカ合衆国オハイオ州アクロンで1973年に結成されたロックバンド。

見る 1978年の音楽とディーヴォ

フランキー・ヴァリ

フランキー・ヴァリ(Frankie Valli、1934年5月3日 - )は、アメリカ合衆国のポピュラー・シンガー。1960年に結成されたフォー・シーズンズのリード・ヴォーカルとして一世を風靡しソロでも成功。非常に鋭く力強いファルセットを生かした唯一無二の魅力的な歌声でよく知られている。独特の声色を持つヴァリの声域はとても広く、その高音はポップ史上最も高い男性ファルセットだと言われている(2001年時点)。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」においては第80位。 ヒット曲は、トップ40にフォー・シーズンズとして29曲、別名であるワンダー・フーとして1曲、ソロとして9曲がランクインしている。フォー・シーズンズの一員として全米第1位の曲は「シェリー」(1962年)、「恋のヤセがまん (Big Girls Don't Cry)」(1962年)、「恋のハリキリ・ボーイ (Walk Like a Man)」(1963年)、「悲しきラグ・ドール (Rag Doll)」(1964年)、「1963年12月 (あのすばらしき夜)」(1975年)などがある。

見る 1978年の音楽とフランキー・ヴァリ

フルカワユタカ

フルカワ ユタカ(1978年2月28日 - )は、日本のミュージシャン。古川裕、と表記することもある。ロックバンド・DOPING PANDAのボーカル・ギター。DOPING PANDAではYutaka Furukawaの名義で活動している。自称・愛称ともに「ロックスター」、または「スター」。山口県山口市出身。山口県立山口高等学校、電気通信大学卒。A型。身長174cm。

見る 1978年の音楽とフルカワユタカ

ファンカデリック

ファンカデリック(Funkadelic)は、ジョージ・クリントンがパーラメントと並行して1960年代末に結成したファンクバンド。Pファンクの主要プロジェクトのひとつ。

見る 1978年の音楽とファンカデリック

ファンキー加藤

ファンキー加藤(ファンキーかとう、本名:加藤 俊介(かとう しゅんすけ)、1978年12月18日 - )は、日本の歌手・俳優。男性音楽グループFUNKY MONKEY BΛBY'SのMCとしても活動している。所属事務所はイドエンターテインメント。2020年4月よりホリプロ・ブッキング・エージェンシーと業務提携。既婚。4児の父。東京都八王子市出身。身長174cm。血液型はA型。

見る 1978年の音楽とファンキー加藤

フィンチ (オランダのバンド)

フィンチ(Finch、1974年 – 1978年)は、オランダのプログレッシブ・ロック・グループである。1978年11月14日、デン・ハーグのワールド・フォーラム・コンベンション・センターにおける最後のコンサートの後も、国際的に高い認知度を誇っている。

見る 1978年の音楽とフィンチ (オランダのバンド)

フィンガー5

フィンガー5(フィンガーファイブ、Finger 5)は、日本の男女混合歌謡アイドルグループ。主に1970年代に活動した。沖縄県出身の男性4人と女性1人の5人兄妹が踊りながら歌い、四男の晃は変声期前のハイトーンボイスでメインボーカルを担当し、彼らの歌唱力やルックスなどが人気を博してミリオンセラーとなった。 バンドを自称するも、全盛期は演奏する場がほとんどなかった。解散後も音楽活動やテレビ出演などを時折している。

見る 1978年の音楽とフィンガー5

フォリナー

フォリナー(Foreigner)は、イングランド系アメリカ人によりアメリカ合衆国で結成されたロックバンド。 1970年代後半に始まった産業ロックのアメリカ版である、「スタジアム・ロック」で大成功を収めたバンドの一つ。アルバム総セールスは8000万枚以上を記録した。ミック・ジョーンズ、ルー・グラムを中心とした英国人・米国人混合グループである。

見る 1978年の音楽とフォリナー

フォーリーブス

フォーリーブスは、日本の男性アイドルグループ。所属事務所はジャニーズ事務所。1967年4月1日結成、1968年9月5日レコードデビュー、1978年8月31日解散。解散から24年を経た2002年に再結成を果たした。初期のジャニーズ事務所を代表するグループでもあった。

見る 1978年の音楽とフォーリーブス

フォーカス (バンド)

フォーカス(Focus)は、1970年に結成されたオランダ出身のプログレッシブ・ロック・バンド。「ショッキング・ブルー」などと並んで、国際的に成功したオランダのロック・バンドの最古参としても知られる。 1970年代にはタイス・ファン・レール名字はLeerではなくvan Leer。「ティッジス・ヴァン・レール」「ティジス・ファン・レール」「ターツ・ファン・レール」「タイス・ファン・レア」「タイス・ヴァン・レアー」といった表記も存在する。(キーボード、フルート、ボーカル)とヤン・アッカーマン(ギター)を中心メンバーとして活動した。1978年に解散したが、2002年にファン・レールが新しいメンバーを集めてフォーカスとして正式に活動を再開した。

見る 1978年の音楽とフォーカス (バンド)

ドナ・サマー

ドナ・サマー(Donna Summer、1948年12月31日 - 2012年5月17日)は、アメリカ合衆国の歌手、ソングライター。マサチューセッツ州ボストン近郊のドーチェスター出身。グラミー賞を5回受賞した。 ディスコの女王(Queen of Disco)の異名を持つ。

見る 1978年の音楽とドナ・サマー

ドラマチック (山口百恵のアルバム)

『ドラマチック』(Dramatic)は、山口百恵の15枚目のスタジオ・アルバム。1978年9月1日にCBSソニーよりリリースされた。

見る 1978年の音楽とドラマチック (山口百恵のアルバム)

ドアーズ

ドアーズ()は、アメリカ合衆国のロックバンド。1965年にカリフォルニア州ロサンゼルスで結成された。メンバーは、ボーカル:ジム・モリソン、キーボード:レイ・マンザレク、ギター:ロビー・クリーガー、ドラム:ジョン・デンズモア。バンド名は18世紀の詩人ウィリアム・ブレイクが1790年から1793年の間に著した『天国と地獄の結婚』収録の詩から取ったオルダス・ハクスリーの著書『知覚の扉(The Doors of Perception)』に由来する。 エレクトラ・レコードとの契約後、5年間で発売した6作のアルバムの内、1967年に発売された『ハートに火をつけて』と『まぼろしの世界』、1971年に発売された『L.A.ウーマン』は、ローリング・ストーン誌が発表した「歴史最高のアルバム500選」に選出されている。

見る 1978年の音楽とドアーズ

ドクター・ジョン

286x286ピクセル ドクター・ジョン(Dr. John、本名Malcolm John Rebennack Jr.、1941年11月21日 - 2019年6月6日)は、アメリカ合衆国出身のミュージシャン。 10代の頃より60年以上に渡って活動した、ブルース界の重鎮として知られる。ジャズの本場ニューオーリンズを拠点に多くの足跡を残し、同地音楽文化の象徴となっている。芸名ドクター・ジョンとは、19世紀のニューオーリンズにいたブードゥー教司祭の名から。

見る 1978年の音楽とドクター・ジョン

ニューヨーク52番街

『ニューヨーク52番街』(ニューヨークごじゅうにばんがい、原題: 52nd Street)は、ビリー・ジョエルが1978年に発表したアルバム。通算6作目。1982年、世界初の商業用CDとして発売されたことでも知られる。グラミー賞の最優秀アルバム賞と、男性ポップ・ボーカル部門の2部門を受賞した。

見る 1978年の音楽とニューヨーク52番街

ニーナ・シモン

ニーナ・シモン(Nina Simone/ˈniːnə sɨˈmoʊn/、1933年2月21日 - 2003年4月21日)は、アメリカ合衆国のアフロアメリカンのジャズ歌手、フォーク、ブルース、R&B、ゴスペル歌手、ピアニスト、公民権活動家、市民運動家である。本名はユニース・キャスリン・ウェイモン(Eunice Kathleen Waymon)。スタンダード・ナンバー「悲しき願い」のオリジナル歌手として知られる。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第29位。 「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第21位。

見る 1978年の音楽とニーナ・シモン

ニール・ヤング

ニール・パーシヴァル・ヤング(、1945年11月12日 - )は、カナダ・トロント出身のフォーク、フォーク・ロックのシンガーソングライターである。クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングやバッファロー・スプリングフィールドのメンバーとしても活躍し、1969年にソロデビューした。代表曲には「孤独の旅路」、代表アルバムには『ハーヴェスト』などがある。1995年にはロックの殿堂入りを果たしている。 1972年、80年、96年、2018年にサウンドトラック・アルバムを発表している。バンクーバーオリンピックの閉会式では、カナダ代表のミュージシャンとしてライブ・パフォーマンスをした。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第83位、2011年の改訂版では第17位。

見る 1978年の音楽とニール・ヤング

ニコレット・ラーソン

ニコレット・ラーソン(Nicolette Larson、1952年7月17日 - 1997年12月16日)は、アメリカ合衆国の歌手。1978年にワーナー・ブラザース・レコードからソロ・デビューを果たし、1980年代中期にはカントリーの分野でも活動した。

見る 1978年の音楽とニコレット・ラーソン

ホリエアツシ

ホリエアツシ(1978年7月8日 - )は、日本のミュージシャン、ボーカリスト、ギタリスト、作詞家、作曲家。ロックバンド・ストレイテナーのボーカル、ギター、ピアノ、シンセサイザー担当。「ent」名義でソロでも活動。

見る 1978年の音楽とホリエアツシ

ホワイト・ミュージック

『ホワイト・ミュージック』 (原題: White Music)は、1978年にヴァージン・レーベルからリリースされた XTCのファースト・アルバム。レコーディングは1977年10月に、オックスフォードにあるマナー・スタジオ (The Manor Studio) で行われた。 元のタイトルは「ブラック・ミュージック」であり、ブラックユーモアと同じ理由でアンディは気に入っていたが、黒人音楽と間違われる可能性を危惧して、白人のやっている音楽という意味を込めて「ホワイト・ミュージック」に変更される。 デビュー作であるが、評論家からは高く評価された。

見る 1978年の音楽とホワイト・ミュージック

ダーリング (沢田研二の曲)

ダーリングは、沢田研二の23枚目のシングル。1978年5月21日にポリドール・レコードより発売された。

見る 1978年の音楽とダーリング (沢田研二の曲)

ダブル・ヴィジョン (フォリナーのアルバム)

『ダブル・ヴィジョン』 (Double Vision) は、イギリス人・アメリカ人のロックバンド、フォリナーが1978年にリリースした2枚目のアルバム。バンドの代表曲で、Billboard Hot 100で最高3位となった「ホット・ブラッディッド」が収録されている。タイトルとなった「ダブル・ヴィジョン」もヒット曲となり、最高2位となった。 「ホット・ブラッディッド」は、ギターヒーロー・ワールドツアーやロックバンド3のダウンロードコンテンツになっている。「蒼い朝」もロックバンドシリーズでダウンロード可能である。 「トラモンテイン」は、フォリナーのスタジオアルバムでリリースされた唯一のインストゥルメンタルである。

見る 1978年の音楽とダブル・ヴィジョン (フォリナーのアルバム)

ダニー・ハサウェイ

ダニー・ハサウェイ(Donny Hathaway、1945年10月1日 - 1979年1月13日)は、アメリカのソウル・シンガー、ミュージシャン、シンガーソングライター。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第49位。

見る 1978年の音楽とダニー・ハサウェイ

ダイアナ・ロス

ダイアナ・ロス(Diana Ross、Diane Ernestine Earle Ross、1944年3月26日 - )は、アメリカ合衆国のポップ・ソウルの女性歌手。

見る 1978年の音楽とダイアナ・ロス

ダイアー・ストレイツ

ダイアー・ストレイツ(Dire Straits)は、イギリスのロックバンド。1970年代末から90年代初頭に掛けて、ポップシーンにありながらも流行とは一線を画した音楽で世界的な人気を誇ったグループである。1983年に来日。

見る 1978年の音楽とダイアー・ストレイツ

ベイ・シティ・ローラーズ

ベイ・シティ・ローラーズ()は、イギリス・スコットランドのエディンバラ出身のポップ・ロック・バンド。1970年代半ばから若い女性を中心に人気になったアイドル・グループである。

見る 1978年の音楽とベイ・シティ・ローラーズ

嵐が丘 (ケイト・ブッシュの曲)

「嵐が丘」(あらしがおか、原題:Wuthering Heights)は、1978年1月20日に発売されたケイト・ブッシュのデビューシングル、及びそのタイトル曲。

見る 1978年の音楽と嵐が丘 (ケイト・ブッシュの曲)

□□□

□□□(クチロロ)は、日本のポップユニット。1998年結成、2007年メジャーデビュー。

見る 1978年の音楽と□□□

わな (キャンディーズの曲)

「わな」は、1977年12月5日に発売されたキャンディーズの16枚目のシングルである。

見る 1978年の音楽とわな (キャンディーズの曲)

わかれうた

「わかれうた」は、中島みゆきの楽曲で、5枚目のシングル。1977年9月10日にキャニオン・レコードよりリリース。累計売上はミリオンセラーに達した富澤一誠『フォーク名曲事典300曲〜「バラが咲いた」から「悪女」まで誕生秘話〜』ヤマハミュージックメディア、2007年、426-427頁。ISBN 978-4-636-82548-0。

見る 1978年の音楽とわかれうた

アラム・ハチャトゥリアン

アラム・イリイチ・ハチャトゥリアン(Արամ Խաչատրյան, არამ ხაჩატურიანი, Ара́м Ильи́ч Хачатуря́н/Хачатря́н (Aram Il'ich Khachaturian/Khachatrian), 1903年5月24日(グレゴリオ暦6月6日) - 1978年5月1日)は、旧ソビエト連邦の作曲家、指揮者。アルメニア人であり姓は、ハチャトゥリャーン、ハチャトゥリャンなどとも表記される。ソ連人民芸術家。プロコフィエフ、ショスタコーヴィチと共にソ連を代表する作曲家である。

見る 1978年の音楽とアラム・ハチャトゥリアン

アラベスク (歌手)

アラベスク (Arabesque) は、当時の西ドイツで音楽界の大立物であったウォルフガング・メーヴェス(Wolfgang Mewes)により結成された『女性3人組のボーカルグループ』である。1977年に西ドイツでデビューし(日本デビューは、1978年4月)、1985年頃まで活動していた。なお、2006年よりオリジナル・メンバーの一人によりArabesque original Michaela Rose として活動が再開されている。

見る 1978年の音楽とアラベスク (歌手)

アリス (フォークグループ)

アリス()は、日本のフォークグループ。

見る 1978年の音楽とアリス (フォークグループ)

アル・グリーン

アル・グリーン(Al Green、1946年4月13日 - )は、アメリカ合衆国の歌手、ソングライター。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第14位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第66位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第41位。

見る 1978年の音楽とアル・グリーン

アルファ (音楽グループ)

アルファは、日本のヒップホップユニット。1996年に結成。

見る 1978年の音楽とアルファ (音楽グループ)

アン・マレー

モーナ・アン・マレー(、1945年6月20日 - )は、カナダ・ノバスコシア州スプリングヒル出身の女性ポップス、ポップ・カントリー歌手。

見る 1978年の音楽とアン・マレー

アンディ・ギブ

アンディ・ギブ(Andy Gibb、1958年3月5日 - 1988年3月10日)は、イギリスの歌手。1970年代後半から1980年代初めにかけて世界的にアイドル的な人気を博した。ビージーズの3人(バリー・ギブ、ロビン・ギブ、モーリス・ギブ)の弟。

見る 1978年の音楽とアンディ・ギブ

アート・ガーファンクル

アーサー・アイラ・ガーファンクル(、1941年11月5日 - )は、アメリカ合衆国出身のシンガーソングライター、俳優。 ポール・サイモンとのデュオ「サイモン&ガーファンクル」の活動で知られる。ソロアーティストとしても成功を収め、そのハスキーで伸びやかな高音部を中心とした美しい歌声は「天使の歌声」と評された。 ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100人のシンガー」第86位。

見る 1978年の音楽とアート・ガーファンクル

アース・ウィンド・アンド・ファイアー

アース・ウィンド・アンド・ファイアー()は、アフリカ系アメリカ人によるファンクミュージック・バンドである。R&B、ファンク、ソウル、ジャズなどのジャンルを融合させ、新たなポップミュージックの世界を開拓した。ファンクやディスコが全盛だった1970年代を象徴するバンドとして知られる。略称はEWF、EW&F。 1970年代半ば以降の全盛期は、ファンキーなサウンドとモーリス・ホワイトとフィリップ・ベイリーのツインヴォーカル、重厚なが特徴であった。1980年代前半には、コンピューターを利用した電子音を採り入れたが、人気を復活させるのは困難だった。アメリカ合衆国国内だけでなく日本をはじめ世界的な人気も高く、1970年代から何度か活動停止と再開を繰り返しつつも定期的にヒット曲を放ち、世界でのCD・レコード総売上は9000万枚以上。

見る 1978年の音楽とアース・ウィンド・アンド・ファイアー

アッシャー (歌手)

アッシャー(Usher, 1978年10月14日 - )は、アメリカの歌手、ソングライター、ダンサー、俳優。本名はアッシャー・テリー・レイモンド4世 (Usher Terry Raymond IV)。テネシー州チャタヌーガ出身。身長174cm。 現在最も人気、実績のあるR&B男性アーティストの1人。2ndアルバムでブレイクし、その後に送り出したアルバムも大ヒットを続けている。代表曲に「Yeah!」「バーン」「コンフェッションズ・パート2」「アイ・ドント・マインド」などがある。

見る 1978年の音楽とアッシャー (歌手)

アトランタ・リズム・セクション

アトランタ・リズム・セクション (Atlanta Rhythm Section) は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタを本拠地とするサザン・ロック・バンドである。

見る 1978年の音楽とアトランタ・リズム・セクション

アウトランドス・ダムール

『アウトランドス・ダムール』(Outlandos d'Amour)は、イギリスのスリーピース・バンド、ポリスのデビュー・アルバム。 「ロクサーヌ」や「キャント・スタンド・ルージング・ユー」など、バンドの幕開けを飾るに相応しいヒットシングルが収録されている。 ライヴ活動がメインだったポリスは、医師であったナイシェル・グレイが持つサリー・サウンド・スタジオでファーストアルバムを製作することにした。録音自体は、10日間でかつ1500ポンド未満で済んだという。アルバム製作時点で長いこと作曲していたスティングが、楽曲の大半を製作している。後にマネージャーになるマイルズ・コープランド(スチュアート・コープランドの兄)が「ロクサーヌ」を聴いて気に入り、インディーズで発売される予定であったアルバムが、A&Mに持ち込まれた。「ロクサーヌ」をシングル・カットした時はチャートの上位には食い込まず、アルバムは「キャント・スタンド・ルージング・ユー」との同時発売になった。

見る 1978年の音楽とアウトランドス・ダムール

アグネス・チャン

アグネス・チャン(1955年8月20日 - )は、香港出身の日本の歌手、エッセイスト。カトリック信徒で、「アグネス」は聖アグネスにちなむ洗礼名である。本名は陳 美齡(ちん みれい、北京語:チェン・メイリン、広東語:チャン・メイリン)。英語名はAgnes Meiling Kaneko Chan、日本名は金子 陳 美齢(かねこ チャン メイリン)、 メリーマウント中学(瑪利曼中學)、トロント大学卒業。1992年6月スタンフォード大学大学院教育学博士課程を修了。1994年には博士号が授与された。初代日本ユニセフ協会大使(UNICEF国内大使)を経て、2016年より国際連合(UN)の機関である国際連合児童基金(UNICEF)の東アジア太平洋地域親善大使(UNICEF地域大使)。

見る 1978年の音楽とアグネス・チャン

イルマ (作曲家)

イルマ(이루마、Yiruma, Lee Ru-ma、李閏珉, 1978年2月15日 - )は、大韓民国の作曲家、ピアニスト、音楽プロデューサーである。

見る 1978年の音楽とイルマ (作曲家)

イルカ (歌手)

イルカ(1950年〈昭和25年〉12月3日 - )は、日本のフォークシンガー、絵本作家。本名は神部 としえ(かんべ としえ)、旧姓は保坂(ほさか)。

見る 1978年の音楽とイルカ (歌手)

インティメット・ストレンジャー

『インティメット・ストレンジャー』(原題:Intimate Strangers)は、1978年に発売されたトム・スコットのアルバム。ロサンゼルスのスタジオ・ミュージシャン仲間が多く参加しており、TOTOとしても活動し始めていたデヴィッド・ペイチとスティーヴ・ポーカロなどロック系スタジオ・ミュージシャンも交え錚々たる顔ぶれで制作されている。スコットの母国アメリカでは、総合チャートのBillboard 200で123位、『ビルボード』誌のジャズ・アルバム・チャートでは6位に達した。

見る 1978年の音楽とインティメット・ストレンジャー

イースター (アルバム)

『イースター』(Easter) は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、パティ・スミスが1978年に「パティ・スミス・グループ」名義で発表したスタジオ・アルバム。スミスのアルバムとしては通算3作目に当たる。

見る 1978年の音楽とイースター (アルバム)

イアン・ミッチェル

イアン・ミッチェル(Ian Mitchell、1958年 - 2020年)は、ベイ・シティ・ローラーズやのメンバーだったことで知られる、北アイルランド出身のミュージシャン。

見る 1978年の音楽とイアン・ミッチェル

イアン・ギラン・バンド

イアン・ギラン・バンド(Ian Gillan Band)は、イアン・ギランがディープ・パープル脱退、復帰に際して結成したジャズ・ロック・バンド。

見る 1978年の音楽とイアン・ギラン・バンド

イエロー・マジック・オーケストラ

イエロー・マジック・オーケストラ (Yellow Magic Orchestra)は、1978年に細野晴臣からの誘いで結成された音楽グループ。略称、通称はY.M.O.(ワイ・エム・オー)。メンバーは基本的に細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人であり、他の「サポートメンバー」が参加することもあった。 1980年代初頭に巻き起こったテクノ / ニュー・ウェイヴのムーブメントの中心にいたグループの一つであり、シンセサイザーとコンピュータを駆使した斬新な音楽で、1978年の結成から1983年の「散開」(解散)までの5年間で、世界で一大旋風を巻き起こし、活動は日本国内だけにとどまらず米国等でのレコードリリースやコンサートツアーも行い大盛況で、世界的に著名となった日本人音楽グループである。1993年に一時的に「再生」(再結成)し、また2007年にも再々結成した。

見る 1978年の音楽とイエロー・マジック・オーケストラ

イエロー・マジック・オーケストラ (アルバム)

『イエロー・マジック・オーケストラ』 (YELLOW MAGIC ORCHESTRA) は、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のデビュー・アルバムクレジットは細野晴臣名義。。1978年11月25日にアルファレコードからリリースされた。日本ではオリコンチャートにて最高位69位を記録した。 作詞はクリス・モズデルB面4曲目「マッド・ピエロ」の作詞者は不明。、作曲は細野晴臣、高橋ユキヒロ、坂本龍一および3人の共作となっている他、マーティン・デニーの曲「ファイアー・クラッカー」のカバーを収録、プロデュースは細野が手掛けている。後にアメリカ合衆国にてリミックス版がA&Mレコードよりリリースされたが、その際に「アクロバット」が削除されている。

見る 1978年の音楽とイエロー・マジック・オーケストラ (アルバム)

ウルトラヴォックス

ウルトラヴォックス(Ultravox)は、イングランド出身のロックバンド。1980年代は、ポストパンクの代表的グループとして活動。その後、オリジナル・メンバー1人の時期を経て解散していたが、2008年に全盛期のメンバーが再集結し活動再開を果たした。

見る 1978年の音楽とウルトラヴォックス

ウー・ベイビー・ベイビー

「ウー・ベイビー・ベイビー」("Ooo Baby Baby")はスモーキー・ロビンソンとが作った楽曲。モータウンのタムラ・レーベルからのによる1965年のクラシック・ヒットとなった。多年にわたってエラ・フィッツジェラルド、トッド・ラングレン、、、リンダ・ロンシュタットなどといった様々なアーティストによるて数多くのカバーバージョンを生み出した。ミラクルズのオリジナルバージョンはローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500で266位にランクされた。

見る 1978年の音楽とウー・ベイビー・ベイビー

ウィグワム (バンド)

ウィグワム(Wigwam)は、フィンランドのプログレッシブ・ロック・バンド。

見る 1978年の音楽とウィグワム (バンド)

ウイングス

ウイングス は、1971年に結成された、元ビートルズのメンバーであるポール・マッカートニーと彼の妻リンダ・マッカートニー、元ムーディー・ブルースのデニー・レインの3人を中心に構成されたロックバンドである。1981年の解散までに7枚のオリジナル・アルバムと1枚のライヴ・アルバムを発表した。多くのヒット曲を発表し、代表曲に「ハイ・ハイ・ハイ」「C・ムーン」「マイ・ラヴ」「007 死ぬのは奴らだ」「ジェット」「バンド・オン・ザ・ラン」「ジュニアズ・ファーム」「あの娘におせっかい」「心のラブ・ソング」「幸せのノック」「夢の旅人」「しあわせの予感」「グッドナイト・トゥナイト」などがある。 なお、一時期の作品はポール・マッカートニー&ウイングス()という名義で発表されている。

見る 1978年の音楽とウイングス

ウォンテッド (指名手配)

「ウォンテッド(指名手配)」(しめいてはい)は、1977年9月5日にリリースされた、日本のアイドルグループ・ピンク・レディーの5枚目のシングル。通常は単に「ウォンテッド」と呼ばれる。売り上げ枚数は約120万枚(オリコン)、165万枚(ビクター)。

見る 1978年の音楽とウォンテッド (指名手配)

ウォーレン・ジヴォン

ウォーレン・ジヴォン(Warren Zevon、1947年1月24日 - 2003年9月7日)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター・ミュージシャン。

見る 1978年の音楽とウォーレン・ジヴォン

ウォーカー・ブラザーズ

ウォーカー・ブラザーズ (The Walker Brothers) は、アメリカ合衆国のバンド。1960年代中頃に英国で大きな成功を収めた。クリス・ケナーのカバー「」や、フランキー・ヴァリのカバー「」のヒットで知られる。ブラザーズと名乗っているが兄弟ではない。

見る 1978年の音楽とウォーカー・ブラザーズ

エルヴィス・コステロ

デクラン・パトリック・アロイシャス・マクマナス( OBE、1954年8月25日 - )は、エルヴィス・コステロ()の名で知られるイングランドのミュージシャン、作曲家、プロデューサーである。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第80位。

見る 1978年の音楽とエルヴィス・コステロ

エレクトリック・ライト・オーケストラ

エレクトリック・ライト・オーケストラ(Electric Light Orchestra)は、イングランド出身のロックバンド。通称「ELO」。 前身のロックバンド、ザ・ムーブから発展。1972年から1986年の間、米国で最も多くの(ビルボード40位以内の)ヒット曲を放ちギネスブックに認定されている、1980年代まで世界的な人気を博した。1990年代以降は創設メンバー ジェフ・リンやベヴ・ベヴァンらが、冠名義で活動している。2017年『ロックの殿堂』入り。ウォール・ストリート・ジャーナルが選ぶ史上最も人気のバンド100組でELOは第47位。。

見る 1978年の音楽とエレクトリック・ライト・オーケストラ

エピックレコードジャパン

旧会社情報 エピックレコードジャパン(Epic Records Japan)は、ソニー・ミュージックレーベルズの社内レコードレーベルであり、「エピック」という通称で知られている。 かつては「エピックソニー」というレーベル名であり、規格品番の「ES」はこれにちなむ。 EPICの名は1953年に米・コロムビアレコードが傘下に設立した、ジャズ・クラシック音楽部門を販売するためのサブレーベル名エピック・レコードにその起源をもつ。メインレーベル「Epic Records」は、会社名とは異なり「Japan」の表記はない。 2001年10月にソニー・ミュージックエンタテインメントの製作部門からソニー・ミュージックレコーズ、キューンレコード、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズと共に分離・独立した。2014年4月にレーベルビジネスグループ再編により発足した、株式会社ソニー・ミュージックレーベルズの社内レーベルとなる。エピックのレーベルは、ソニー・ミュージックレコーズに次いで二番目に歴史が古い。EPICと言えばニューミュージックやロックのイメージが強いが、設立当初はばんばひろふみや因幡晃のフォーク系や、真田広之や渡辺徹の俳優系、内海美幸やオール巨人の演歌系も手掛けていた。

見る 1978年の音楽とエピックレコードジャパン

エピック・レコード

エピック・レコード(Epic Records)はアメリカ合衆国のレコード・レーベルで、米ソニー・ミュージックエンタテインメントの子会社。 日本ではソニー・ミュージックレーベルズ(SML)の社内カンパニーであるソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(SMJI)より発売。

見る 1978年の音楽とエピック・レコード

エアロスミス

エアロスミス(Aerosmith)は、アメリカ合衆国のロックバンド。 東海岸(ボストン)出身で、第一次ブリティッシュ・インヴェイジョン期の英国バンド等を主な対象として青写真を描きながらも、同時に自国のルーツ・ミュージック(ブルース、ロックンロール、R&B、カントリー・ミュージック、ファンク等)から、より自然な影響を受け、結果的にR&Bとロック、ハードロックの懸け橋となるようなサウンドを確立することに成功する。本国においては「America's Greatest Rock and Roll Band」、「The Bad Boys from Boston」などの紹介のされ方が定着している。 2001年に「ロックの殿堂」入り。

見る 1978年の音楽とエアロスミス

エイジアエンジニア

エイジアエンジニア (ASIAENGINEER) は、日本の4人組ヒップホップグループである。 1998年結成。2005年rhythm zoneよりメジャーデビュー。グループ名には「アジアに進出したい!」という勢いと「楽しいことを創りだす職人でいたい!」という2つの気持ちが込められている。 2012年3月24日のライブをもって活動休止に入った。 2020年1月1日、活動再開を宣言。

見る 1978年の音楽とエイジアエンジニア

エグザイル (アメリカ)

エグザイルまたはイグザイル(Exile)はアメリカ合衆国ケンタッキー州出身のカントリー・ミュージックバンド。アメリカらしいサウンドとコーラスが特徴。

見る 1978年の音楽とエグザイル (アメリカ)

オリビア・ニュートン=ジョン

オリビア・ニュートン=ジョン(Dame Olivia Newton-John オウリーヴィア・ニュートゥン。

見る 1978年の音楽とオリビア・ニュートン=ジョン

オリビアを聴きながら

「オリビアを聴きながら」(オリビアをききながら)は、1978年11月5日にフォーライフ・レコードから発売された杏里のデビュー・シングル。

見る 1978年の音楽とオリビアを聴きながら

オリコンチャート

オリコンチャート(オリコンランキング)は、オリコングループのデータサービス事業会社であるオリコンリサーチ株式会社が発表する日本国内の音楽・映像ソフトなどの売り上げを集計したランキング。 2023年5月現在の正式名称は「オリコンランキング」であるが、2000年代前半以前はオリコンが刊行する雑誌・年鑑において「ヒットチャート」や「オリコンチャート」といった語が多用されていた年間に関しては、2005年までは年間チャートだったが、2006年以降は年間ランキングに変更されている。。

見る 1978年の音楽とオリコンチャート

オーノキヨフミ

オーノ キヨフミ(本名:大野 清文、1978年9月29日 - )は日本の男性シンガーソングライター。 所属芸能事務所は「りぼん」。血液型A型。身長174cm。自身の作曲以外に、CM音楽/ゲームミュージック制作等、活動は多岐にわたる。

見る 1978年の音楽とオーノキヨフミ

オール・モッド・コンズ

オール・モッド・コンズ (All Mod Cons) はイギリスのバンド、ザ・ジャムの1978年のアルバム。アメリカでは1979年に、「ビリー・ハント」を「バタフライ・コレクター」に入れ替えて発売された。 評論家からは絶賛を受け、2作目の『ザ・モダン・ワールド』と比べると商業的にも大成功した。シングルカットされた「チューブ・ステイション」も全英チャート15位と、アルバム未収録の「オール・アラウンド・ザ・ワールド」以来のヒットとなり、バンドの成功した曲の1曲となる。2000年にQ誌はこのアルバムを「イギリスの最も偉大な100のアルバム」の50位に位置付けた。

見る 1978年の音楽とオール・モッド・コンズ

カナダからの手紙

「カナダからの手紙」(カナダからのてがみ)は、1978年1月10日にビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から発売された、平尾昌晃・畑中葉子によるデュエット・シングルである。畑中葉子にとっては、本曲がデビュー曲となった。 この曲がヒットしたことにより、1978年にカナダを訪れた日本人観光客は3割も増加することとなった。

見る 1978年の音楽とカナダからの手紙

カム・トゥゲザー

「カム・トゥゲザー」()は、ビートルズの楽曲である。1969年9月に発売された11作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『アビイ・ロード』に収録された。翌10月に「サムシング」との両A面シングルとしてシングル・カットされ、アメリカのBillboard Hot 100で第1位、全英シングルチャートで最高位4位を記録した。レノン=マッカートニー名義となっているが、実質的にはジョン・レノンによって書かれた楽曲。 発売以降、アイク&ティナ・ターナー、エアロスミス、マイケル・ジャクソンなど多数のアーティストによってカバーされている。

見る 1978年の音楽とカム・トゥゲザー

カルロス・チャベス

カルロス・アントニオ・デ・パドゥア・チャベス・イ・ラミレス(Carlos Antonio de Padua Chávez y Ramírez, 1899年6月13日 - 1978年8月2日)は、メキシコの作曲家、指揮者、音楽教育者。メキシコシティ近郊の生まれ。

見る 1978年の音楽とカルロス・チャベス

カーリー・サイモン

カーリー・エリザベス・サイモン(、1943年6月25日 - )は、アメリカ合衆国出身の女性シンガーソングライター、ミュージシャン。フォークソング出身で、1970年代からソロに転向し、開花。1980年代にはアカデミー賞を受賞するなど、米国の代表的アーティストとして知られる。 第14回グラミー賞受賞。1988年度アカデミー歌曲賞受賞。1994年に入りを果たした。

見る 1978年の音楽とカーリー・サイモン

カーズ (バンド)

カーズ(The Cars)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン出身のニュー・ウェイヴのロック・バンドである。

見る 1978年の音楽とカーズ (バンド)

キャント・スタンド・ルージング・ユー

「キャント・スタンド・ルージング・ユー」 (Can't Stand Losing You) は、ポリスによる曲である。1978年にシングルとして発売され、アルバム『アウトランドス・ダムール』に収録された。自殺についてをテーマにした曲である。オリジナルのシングルは自殺を助長しかねないと言うことでBBCが放送禁止とした。カバーに問題があり、アイスキューブの上に立つ人(スチュワート・コープランド)が溶けるのを待つというものだったのである。(一部の地域では別カバーによって発売された。)スティングは2000年の"Revolver"によるインタビューでこう述べている。 インストゥルメンタル曲である「白いレガッタ」は「キャント・スタンド・ルージング・ユー」のライヴ演奏中にあったジャムの中から生まれた。このインストゥルメンタル曲は1981年にグラミー賞最優秀ロックインストゥルメンタル演奏の座に輝いた。

見る 1978年の音楽とキャント・スタンド・ルージング・ユー

キャンディ (原田真二の曲)

「キャンディ」(Candy)は、原田真二の楽曲。 1977年11月25日に2枚目のシングルとしてリリース。

見る 1978年の音楽とキャンディ (原田真二の曲)

キャンディーズ

キャンディーズ(Candies)は、1970年代に活躍した日本の女性3人組のアイドルグループ・コメディエンヌである。所属事務所は渡辺プロダクション。多くの楽曲は、当時渡辺音楽出版の社員だった松崎澄夫のプロデュースによるものであった。

見る 1978年の音楽とキャンディーズ

キャンディーズ ファイナルカーニバル プラス・ワン

『キャンディーズ ファイナルカーニバル プラス・ワン』 (CANDIES FINAL CARNIVAL Plus One) は、1978年5月21日にリリースされた、キャンディーズの3作目で最後のライブ・アルバム。そしてすべての活動に終止符を打った作品である。

見る 1978年の音楽とキャンディーズ ファイナルカーニバル プラス・ワン

キリンジ

KIRINJI(キリンジバンド名の正式表記は、結成から2013年までは片仮名、2014年からはローマ字表記。)は、日本のバンドである。

見る 1978年の音楽とキリンジ

キース・ムーン

キース・ムーン(Keith Moon、本名:Keith John Moon, 1946年8月23日 - 1978年9月7日)は、イングランドのロック・ミュージシャン、ドラマー、俳優。 ザ・フーのメンバーとして、「マイ・ジェネレーション」「恋のピンチ・ヒッター」「恋のマジック・アイ」「シー・ミー・フィール・ミー」「サマータイム・ブルース」「ピンボールの魔術師」「ロング・リブ・ロック」などの代表曲でドラムスを担当した。 2016年の「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」に於いて、親友のジョン・ボーナムに次ぐ第2位。2013年のギブソン社の選ぶ「史上最高のロック・ドラマー×10人」に於いて第3位と、現在も高く評価されている。

見る 1978年の音楽とキース・ムーン

キース・ジャレット

キース・ジャレット(Keith Jarrett、1945年5月8日 - )は、アメリカ合衆国出身のジャズ、クラシック音楽のピアニスト、作曲家。 ジャズ・ピアニストとして知られているが、クラシック音楽のピアニストでもある。演奏楽器もピアノ以外に、ソプラノサックス・パーカッション・ハープシコード・リコーダーなども演奏できるマルチ・プレイヤーでもある。2003年にはを受賞。

見る 1978年の音楽とキース・ジャレット

キッス

キッス()は、アメリカ合衆国のハードロック・バンド。アメリカンハードロック草創期から活動する、同東海岸を代表する世界的グループとして知られる。早くからロック界にフェイスペイントを取り入れ、世界観をギミックしたメディアフランチャイズ(マーチャンダイズ)を展開するなど、版権ビジネスモデルの先駆けともなった。2014年『ロックの殿堂』入り。

見る 1978年の音楽とキッス

クラトゥ

クラトゥかつては「クラトゥー」と表記されていた。()は、ジョン・ウォロシャクとディー・ロングによって1973年に結成されたカナダ・オンタリオ州トロントのプログレッシブ・ロック・バンド。結成当時はメンバーの詳細が明らかにされていなかったが、スタジオ・ミュージシャンが集合したバンドである。ポップ・ミュージックの影響を受けたプログレッシブ・ロックという音楽性から、「カナダのビートルズ」として知られる。 バンド名の由来は、1951年のSF映画『地球の静止する日』においてマイケル・レニー演ずる宇宙からの訪問者「」である。

見る 1978年の音楽とクラトゥ

クリスタルキング

クリスタルキングは、日本のロックバンド。ツインボーカルによる7人組ロックバンドとして活動していた時期もあるが、現在はムッシュ吉﨑によるソロプロジェクト。略称は「クリキン」。 累計150万枚以上のミリオンセラーである博多の街を唄った「大都会」をはじめ、75万枚の売り上げを記録した「蜃気楼」や「セシル」、映画「瀬戸内少年野球団」の主題歌「瀬戸内行進曲 (IN THE MOOD)」、アニメ『北斗の拳』主題歌「愛をとりもどせ!!」といったヒット曲がある。 ムッシュ吉﨑の低音ボーカルと、田中昌之(1998~2002年までは内田聖治)によるハイトーンボーカルの組み合わせによるツインボーカルが特徴的で、。

見る 1978年の音楽とクリスタルキング

クインシー・ジョーンズ

クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones、1933年3月14日 - )は、アメリカ合衆国のジャズ・ミュージシャン、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家。マイケル・ジャクソンと共同プロデュースしたアルバムにて売上世界一のギネス記録保持者。1950年代から第一線で活躍を続け、グラミー賞をはじめとする音楽賞を多数受賞している。ブラックミュージック界のみならず、アメリカのポピュラー音楽界における著名人の一人。また、米FOXテレビの人気コメディ番組『MADtv』の製作総指揮も担当。

見る 1978年の音楽とクインシー・ジョーンズ

クイーン (バンド)

クイーン(英語: Queen)は、イギリス・ロンドン出身のロックバンド。1970年代前半のハードロック・ブーム中にデビューし、その後も時代によってスタイルを変化させ、世界中で2億5000万枚から3億枚の音楽作品を売り上げたとされ、最も売れたアーティストの1組となった。 ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」にて第3位、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」にて第52位に選出されている。2001年には、マイケル・ジャクソン、エアロスミスらと共にロックの殿堂入りを果たしている。 1991年にボーカルのフレディ・マーキュリーが死去したものの、現在も活動は断続的に続いている。

見る 1978年の音楽とクイーン (バンド)

グリーン (スティーヴ・ヒレッジのアルバム)

『グリーン』(Green)は、イギリスのギタリスト、スティーヴ・ヒレッジが1978年に発表した4作目のスタジオ・アルバム。

見る 1978年の音楽とグリーン (スティーヴ・ヒレッジのアルバム)

グッド・ナイト・ベイビー (甲斐よしひろの曲)

「グッド・ナイト・ベイビー」は1978年5月21日に発売された甲斐よしひろのソロ・デビューシングル。ザ・キング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」のカバー曲となっている。

見る 1978年の音楽とグッド・ナイト・ベイビー (甲斐よしひろの曲)

グッド・ラック

「グッド・ラック」(Good luck)は、1978年9月1日に発売された野口五郎の28枚目のシングルである。

見る 1978年の音楽とグッド・ラック

ケンウッド

株式会社ケンウッド()は、かつて家庭用オーディオ機器、およびカーマルチメディア機器(カーオーディオ・カーナビゲーションなど)、無線通信機器(アマチュア無線、業務無線など)などを製造・販売していた日本の電機メーカーである。本社は東京都八王子市北八王子工業団地内に所在した。 2008年(平成20年)10月1日に同業の日本ビクターと経営統合し、JVC・ケンウッド・ホールディングス(現・JVCケンウッド)を設立、その後2011年(平成23年)10月1日に日本ビクター、J&KカーエレクトロニクスとともにJVCケンウッドへ吸収合併された。 ブランドステートメントは 「Listen to the Future」。

見る 1978年の音楽とケンウッド

ケイト・ブッシュ

ケイト・ブッシュ(Kate Bush、CBE、1958年7月30日 - )は、イングランド出身の女性シンガーソングライター。 同国を代表するアーティストの一人で、「嵐が丘」などの代表曲で知られる。長年の功績を称えられ、2013年に大英帝国勲章を叙勲した。 Q誌が選ぶ「歴史上最も偉大な100人のシンガー」第19位。2023年ロックの殿堂入り。

見る 1978年の音楽とケイト・ブッシュ

ゲイリー・ムーア

ゲイリー・ムーア(Gary Moore、1952年4月4日 - 2011年2月6日)は、北アイルランド出身のロック・ギタリスト、歌手、作曲家。 1974年のシン・リジィ参加で有名になり、以降1980年代はハードロック、フュージョン等を中心に、1990年代以降はブルースロックを軸に活躍。

見る 1978年の音楽とゲイリー・ムーア

コロシアムII

コロシアム II(Colosseum II)は、イングランド出身のフュージョン / プログレッシブ・ロックバンド。 元コロシアムのジョン・ハイズマンを中心に、ゲイリー・ムーア、ドン・エイリー、ニール・マーレイといったHR/HM畑のミュージシャンが、若き日に参加していたスーパーグループ。

見る 1978年の音楽とコロシアムII

コトリンゴ

コトリンゴ(ローマ字表記はkotringo、本名:三吉里絵子、1978年7月17日 - )は、日本の音楽家。

見る 1978年の音楽とコトリンゴ

コパカバーナ (曲)

「コパカバーナ」(原題: Copacabana (At The Copa) )は、1978年にバリー・マニロウが発表した楽曲で、マニロウとブルース・サスマン、ジャック・フェルドマンによって書かれた。また、同年のアルバム『愛と微笑の世界』 (Even Now) に収録されている。

見る 1978年の音楽とコパカバーナ (曲)

コシミハル

コシ ミハル(1960年1月3日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。本名・旧芸名は越 美晴(読み同じ)。

見る 1978年の音楽とコシミハル

ゴールデン・アロー賞

ゴールデン・アロー賞(ゴールデン・アローしょう)とは、一般社団法人日本雑誌協会の日本雑誌記者会・芸能記者クラブにより設立された、その年の芸能界に大きく活躍した芸能人に贈られる賞 日本雑誌協会 p134-139。別名「雑誌芸能記者会賞」。1964年3月17日に第1回(1963年度)授賞式が行なわれた。以来この賞は芸能雑誌と「芸能界との窓口役、パイプ役」となり「芸能取材の円滑化につながっていく」ものとされた。第45回(平成19年度)を最後に終了した。

見る 1978年の音楽とゴールデン・アロー賞

ゴールドラッシュ (アルバム)

『ゴールドラッシュ』は、矢沢永吉4作目のスタジオ・アルバム。1978年6月1日、CBS・ソニーから発売。

見る 1978年の音楽とゴールドラッシュ (アルバム)

ザ・ハンダース

ザ・ハンダースは、日本のお笑いグループ。1975年結成、1980年解散。名前の由来は、メンバーが6人(=1ダースの半分)であることによる。

見る 1978年の音楽とザ・ハンダース

ザ・フー

1975年のシカゴ公演 ザ・フー()は、イギリスのロックバンド。ビートルズ、ローリング・ストーンズと並んで、イギリスの3大ロックバンドの一つに挙げられる。 1964年にデビュー。ビート・バンドとしてブリティッシュビート・ブームの一端を担い、スモール・フェイセスと並ぶ2大モッズ・バンドとも称された。アルバム『トミー』(1969年)でロック・オペラを発表。1970年代にはシンセサイザーを導入するなど、その音楽性には、ハードロック、サイケデリアに加えてプログレッシヴ・ロックの傾向もあった。 ローリング・ストーン誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第29位。

見る 1978年の音楽とザ・フー

ザ・ベストテン

『ザ・ベストテン』(英称:The Best Ten)は、1978年(昭和53年)1月19日から1989年(平成元年)9月28日までTBS系列で、毎週木曜日の21:00 - 21:54 (JST) に生放送されていた音楽番組。全603回放送。 1976年から1977年にかけて放送された『トップスターショー・歌ある限り』の後番組としてスタート。最高視聴率41.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム) を記録した。愛称は『ベストテン』『ベッテン』『ザベテン』。第11回テレビ大賞優秀番組賞受賞。

見る 1978年の音楽とザ・ベストテン

ザ・クラッシュ

ザ・クラッシュ(The Clash)は、1976年から1985年にかけて活動した、イングランド出身のパンク・ロックバンドである。

見る 1978年の音楽とザ・クラッシュ

シン・リジィ

シン・リジィ (Thin Lizzy) は、アイルランド出身のロック・バンド。 アイリッシュ音楽を取り入れた音楽性、ツイン・リードスタイルのハード・ロックで人気を博し、「アイルランドの英雄」と形容された同国の国民的グループとして知られる。英国圏では、創始者フィル・ライノット没後30年以上が経過した現在でも、レジェンドとして大きな支持を得ている。

見る 1978年の音楽とシン・リジィ

シンデレラ・ハネムーン

「シンデレラ・ハネムーン」は、1978年7月25日にビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)からリリースされた岩崎宏美の14枚目のシングル。

見る 1978年の音楽とシンデレラ・ハネムーン

シーナ&ザ・ロケッツ

シーナ&ザ・ロケッツ()は、日本のロックンロール・バンド。略してシナロケと表現する場合もある。 1970年から福岡で活動していたブルースロックバンド・サンハウスのリードギター兼作曲家である鮎川誠と、妻のシーナを中心に1978年に結成。

見る 1978年の音楽とシーナ&ザ・ロケッツ

シティ・ライツ (ドクター・ジョンのアルバム)

『シティ・ライツ』(City Lights)は、アメリカ合衆国のミュージシャン、ドクター・ジョンが1978年に発表したスタジオ・アルバム。A&M傘下のジャズ・レーベル、移籍第1弾アルバムとしてリリースされた。

見る 1978年の音楽とシティ・ライツ (ドクター・ジョンのアルバム)

シェルイ・ティボール

シェルイ・ティボール(Serly Tibor, 1901年11月25日 - 1978年10月8日)は、ハンガリーの作曲家、ヴァイオリニスト、ヴィオリスト。

見る 1978年の音楽とシェルイ・ティボール

シカゴ (バンド)

シカゴ()は、アメリカのロックバンド。ロックにブラス・セクションを取り入れた形式のバンドとして有名な存在であり、同じがプロデュースしたバンド、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズと共に“ブラス・ロック”と呼ばれた。代表曲に「ぼくらに微笑を」「ビギニングス」「サタデイ・イン・ザ・パーク」「君とふたりで」「素直になれなくて」「君こそすべて」など多数。 シカゴで結成されたが、プロ・デビュー後の活動拠点はロサンゼルスである。

見る 1978年の音楽とシカゴ (バンド)

システム・オブ・ロマンス

システム・オブ・ロマンス (Systems of Romance)は、イギリスのバンド、ウルトラヴォックスのサードアルバム。1978年9月4日リリース。

見る 1978年の音楽とシステム・オブ・ロマンス

ジャック・ブレル

ジャック・ブレル(、Jacques Brel、1929年4月8日 - 1978年10月9日)は、ベルギーで生まれフランスで成功したシャンソン歌手、作詞作曲家、またその作詞の素晴らしさから詩人とも評された人物。英語圏においてもその詩は数多く翻訳され知られている。またフランス語圏では俳優および映画監督としても有名である。

見る 1978年の音楽とジャック・ブレル

ジャニス・イアン

ジャニス・イアン (Janis Ian, 1951年4月7日 -) は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター。本名、ジャニス・エディ・フィンク(Janis Eddy Fink)。15歳のときに発表した自作曲「ソサエティーズ・チャイルド」で華々しくデビュー。「17才の頃」により、第18回グラミー賞で最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した。

見る 1978年の音楽とジャニス・イアン

ジャズ (クイーンのアルバム)

『ジャズ』()は、イギリスのロックバンド、クイーンの7作目のスタジオ・アルバム。1978年11月10日にEMI(イギリス)とエレクトラ・レコード(アメリカ)から発売され、同年11月25日に日本でもワーナー・パイオニア/エレクトラより発売された。 1975年発売の『オペラ座の夜』以来、ロイ・トーマス・ベイカーをプロデューサーに迎えた作品。ディスクジャケットにはロジャー・テイラーの提案で、ベルリンの壁に描かれていたものと同じデザインが採用された。 全英アルバムチャートで最高位2位、Billboard 200で最高位6位を獲得するなどのヒットを記録した。

見る 1978年の音楽とジャズ (クイーンのアルバム)

ジョン・トラボルタ

ジョン・トラボルタ(John Travolta、1954年2月18日 - )は、アメリカ合衆国の俳優。ダンサー。歌手。ジョン・トラヴォルタとも表記される。世界的に大ヒットし若者文化に大きな影響を与えた『サタデー・ナイト・フィーバー』や『グリース』などの出演により、70年代後半に一世を風靡した。

見る 1978年の音楽とジョン・トラボルタ

ジョー山中

ジョー 山中(ジョー やまなか、1946年〈昭和21年〉9月2日 - 2011年〈平成23年〉8月7日 日本経済新聞(2011年8月7日).2021年5月19日閲覧。)は、日本のミュージシャン・俳優・プロボクサー。神奈川県横浜市出身。 本名は山中 明(やまなか あきら)。プロボクサー時代のリングネームは城 アキラ。芸名のジョーは親交のあった画家・城景都がロックバンド活動をしていた頃に、その名前を気に入り、自ら「城」と付けたことに由来。 3オクターヴの声の持ち主。ライブ活動を中心に、映画・テレビドラマへ出演するなど、幅広い活動を行っていた。

見る 1978年の音楽とジョー山中

ジョー・ウォルシュ

ジョー・ウォルシュ(1975年) ジョー・ウォルシュ(Joe Walsh, 1947年11月20日 - 、本名・ジョセフ・ウォルシュ・フィドラー)は、アメリカのカントリー・ロック・バンド、イーグルスのギタリストである。マルチ・ミュージシャンとしても知られている。 2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第54位。

見る 1978年の音楽とジョー・ウォルシュ

ジョニーの子守唄

「ジョニーの子守唄」(ジョニーのこもりうた)は、アリスが1978年6月20日に東芝EMIからリリースした13枚目のシングル。

見る 1978年の音楽とジョニーの子守唄

ジョニー・マティス

ジョニー・マティス ジョニー・マティス(Johnny Mathis, 1935年9月30日 - )は、アメリカ合衆国のポピュラー音楽の歌手。テキサス州出身。本名はJohn Royce Mathis。

見る 1978年の音楽とジョニー・マティス

ジロー・オペラ賞

ジロー・オペラ賞(GIRAUD OPERA)は、かつて存在したジローレストランシステム社長である沖広治が創設したオペラ賞である。

見る 1978年の音楽とジロー・オペラ賞

ジ・オーケストラ

ジ・オーケストラ (The Orckestra)は、1977年3月にアヴァン・ロック・グループのヘンリー・カウ、マイク・ウェストブルック・ブラスバンド、フォーク歌手のフランキー・アームストロングが合流して結成された12人編成によるイギリスのアヴァンギャルド・ジャズとアヴァン・ロックのアンサンブルである。彼らは 1977年3月と6月にロンドンで2度の公演を行い、その後、1977年9月から1978年5月の間に2度のヨーロッパ・ツアーに出て、イタリア、フランス、スウェーデンで公演を行った。

見る 1978年の音楽とジ・オーケストラ

ジェネシス (バンド)

ジェネシス(Genesis)は、イングランド出身のロックバンド。1970年代、シアトリカルなプログレッシブ・ロックで地位を確立。フィル・コリンズらを中心とした1980年代にはスタジアム・ロックを展開し、世界的な成功を収めた。2010年「ロックの殿堂」入り。

見る 1978年の音楽とジェネシス (バンド)

ジェーン・バーキン

ジェーン・バーキン(Jane Birkin OBE、本名:Jane Mallory Birkin, OBE、1946年12月14日 - 2023年7月16日)は、イングランドのロンドン生まれのイギリスとフランスの女優、歌手、モデル。 イギリスとフランスにまたがる代表的マルチ・アーティストで、女優のシャルロット・ゲンズブールら三姉妹の実母としても知られる。モデルとしてファッション界にも影響を及ぼし、フランスの老舗メゾンエルメスの定番バッグ「'''バーキン'''」の由来にもなった。 2001年『大英帝国勲章』受章。

見る 1978年の音楽とジェーン・バーキン

ジェフ・ベック

ジェフリー・アーノルド・ベック(Geoffrey Arnold "Jeff" Beck、1944年6月24日 - 2023年1月10日 )は、イングランドのギタリスト。 日本では、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジと並ぶ3大ロック・ギタリストの一人とされている。『ローリング・ストーン』誌の選ぶ「最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第14位、2011年の改訂版では第5位。

見る 1978年の音楽とジェフ・ベック

ストレンジャー (ビリー・ジョエルのアルバム)

『ストレンジャー』 (The Stranger) は、アメリカのシンガーソングライター、ビリー・ジョエルのスタジオ・アルバム。

見る 1978年の音楽とストレンジャー (ビリー・ジョエルのアルバム)

ストレンジャー (ビリー・ジョエルの曲)

「ストレンジャー」(The Stranger)は、ビリー・ジョエルの楽曲。1977年発売の同名アルバムに収録されている。日本では、同アルバム収録の曲「」をセットにしたシングルが1978年に発売された。

見る 1978年の音楽とストレンジャー (ビリー・ジョエルの曲)

ストレイテナー

ストレイテナー(STRAIGHTENER)は、日本のロックバンド。所属事務所はピンナップスアーティスト。レーベルはVirgin Music。略称は「テナー」。 バンド名には「真っ直ぐにする人」という意味がある hotexpress。

見る 1978年の音楽とストレイテナー

スパイロ・ジャイラ

スパイロ・ジャイラ(Spyro Gyra)は、1977年にアメリカで結成されたフュージョン・グループである。代表曲に「モーニング・ダンス」などがある。 現在までに20枚以上のアルバムを出し、1000万枚以上を売り上げ、フュージョン系バンドとしてはもっとも成功を収めたグループの一つであるといわれる。

見る 1978年の音楽とスパイロ・ジャイラ

スティーリー・ダン

スティーリー・ダン()は、アメリカ合衆国・ニューヨーク州ニューヨーク出身のロックバンド。主にドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーによるデュオ体制で活動し、世界的な成功を収めた。2017年にベッカーが死去し、以降はフェイゲンのソロユニットとして継続している。 2000年度グラミー賞を3部門で受賞。2001年、ロックの殿堂入り。世界の作品の売り上げは4000万枚を超える。

見る 1978年の音楽とスティーリー・ダン

スティーヴ・ヒレッジ

スティーヴ・ヒレッジ(Steve Hillage、1951年8月2日 - Artist Biography by Jason Ankeny - )は、カンタベリー・ロックを代表する、1960年代末より活躍しているイギリスのミュージシャンである。一般的にはソロ活動、ないしゴングやシステム7といったグループに参加したことで知られている。

見る 1978年の音楽とスティーヴ・ヒレッジ

ステイン・アライヴ

「ステイン・アライヴ」(Stayin' Alive)は、ポップ・グループのビージーズの楽曲である。メンバーのギブ三兄弟が制作し、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックから2枚目のシングルとして、1977年12月13日に発売された。 1978年2月4日から、全米シングルチャートで4週連続1位を記録した。また、2021年に発表された『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500』において、99位にランクイン。

見る 1978年の音楽とステイン・アライヴ

スキマスイッチ

スキマスイッチは、大橋卓弥と常田真太郎からなる日本の音楽ユニット。所属事務所はオフィスオーガスタ。レーベルはオーガスタレコード。 1999年結成。2003年メジャー・デビュー。略称は「スキマ」。

見る 1978年の音楽とスキマスイッチ

スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望

『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(原題: Star Wars: Episode IV A New Hope)は、1977年のアメリカのスペースオペラ映画。公開時のタイトルは、『スター・ウォーズ』(Star Wars)。監督、脚本はジョージ・ルーカスが務め、マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、ピーター・カッシング、アレック・ギネスらが出演する。「スター・ウォーズ」オリジナル三部作の第1作目であり、シリーズで初めて製作された作品で、「スカイウォーカー・サーガ」の第4作目にあたる。

見る 1978年の音楽とスター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望

センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド

センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド「センセイショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド」の表記もある。(The Sensational Alex Harvey Band、SAHB) は、1972年に結成されたイギリスのロック・バンドである。1970年代にイギリスの庶民から支持を得た。

見る 1978年の音楽とセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド

セックス・ピストルズ

セックス・ピストルズ は、イングランドのパンク・ロックバンド。 1970年代後半にロンドンで勃興した、パンク/ニュー・ウェイヴ・ムーヴメントを代表する象徴的グループ。自国の王室、政府、大手企業、ロックシーンを攻撃した歌詞等、反体制派のギミックが特徴。また、活動期間は短命ながら、後世のミュージック・シーンやファッション界にも多大な影響を与えた。 2006年『ロックの殿堂』入り。ローリング・ストーン誌選出「歴史上、最も偉大な100組のアーティスト」第60位。

見る 1978年の音楽とセックス・ピストルズ

セプテンバー (EW&Fの曲)

「セプテンバー」()は、アメリカ合衆国のバンドであるアース・ウィンド・アンド・ファイアーの楽曲。1978年11月18日に コロムビア・レコードからシングル盤として発売された。アメリカ合衆国の『ビルボード』誌では、1979年2月10日に週間ランキング最高位の第8位を記録。全英チャート3位。『ビルボード』誌1979年度年間ランキングは第80位。 「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」(2021年版)において第65位に挙げられている。

見る 1978年の音楽とセプテンバー (EW&Fの曲)

セゾングループ

セゾングループ()は、かつて存在した流通系の企業グループ。西武グループの流通部門を母体とし、西武百貨店や西友、クレディセゾンなどを中核とした流通グループであり、堤清二が代表を務めた。かつて小売業として日本有数の規模の売り上げを誇った。グループ名の「セゾン」は、フランス語で「季節」を意味する。

見る 1978年の音楽とセゾングループ

ソニー・ミュージックレーベルズ

株式会社ソニー・ミュージックレーベルズ()は、日本のレコード会社。株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントの完全子会社。 2014年4月より、ソニー・ミュージックエンタテインメント(以下SMEJ)傘下のレーベルビジネスグループ8社が合併して新たに発足した(後に後述するソニー・ミュージックダイレクトやアルファミュージックもそれぞれ合併)。

見る 1978年の音楽とソニー・ミュージックレーベルズ

ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)

株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント(Sony Music Entertainment (Japan) Inc.、略称:SMEJ)は、東京都千代田区に本社を置く、ソニーグループの音楽系事業統括会社(中間持株会社)。 ソニーグループ直接子会社であり、米国のソニー・ミュージック エンタテインメント (SME) からは独立して運営されている。

見る 1978年の音楽とソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)

タヴァレス

タヴァレス、タバレス(Tavares)は、ブラジル、ポルトガル、カーボベルデなどのポルトガル語圏や、ウルグアイ、キューバ、ドミニカ共和国などのスペイン語圏でみられる姓。

見る 1978年の音楽とタヴァレス

タテタカコ

タテタカコ(1978年7月24日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。長野県飯田市出身、在住。国立音楽大学音楽教育学科卒業。

見る 1978年の音楽とタテタカコ

タイム・トラベル/ジョイ

『タイム・トラベル/ジョイ』(TIME TRAVEL/JOY)は、1978年4月10日にリリースされた原田真二4作目、本人初の両A面シングル。

見る 1978年の音楽とタイム・トラベル/ジョイ

サムライ (沢田研二の曲)

サムライは、沢田研二の22枚目のシングル。1978年1月21日にポリドール・レコードより発売された。

見る 1978年の音楽とサムライ (沢田研二の曲)

サラヴァ!

『サラヴァ!』(Saravah!)は、1978年6月21日にキングレコード/SEVEN SEASから発表された高橋ユキヒロの1枚目のソロ・スタジオ・アルバム。

見る 1978年の音楽とサラヴァ!

サンハウス

サンハウス (SONHOUSE) は、1970年に結成された日本のブルースロックバンドである。

見る 1978年の音楽とサンハウス

サントリー音楽賞

サントリー音楽賞(サントリーおんがくしょう)は,公益財団法人サントリー芸術財団が主催する音楽の賞。 財団法人鳥井音楽財団が設立された1969年から、日本に洋楽の振興を目的として、毎年、その前年度において日本の洋楽文化の発展に最も功績のあった個人又は団体を顕彰して贈呈される。1978年10月からサントリー音楽財団、2009年9月から公益財団法人サントリー芸術財団に移行した。旧名は「鳥井音楽賞」。賞金は700万円。

見る 1978年の音楽とサントリー音楽賞

サンディ・デニー

サンディ・デニー(Alexandra Elene MacLean Denny、1947年1月6日 - 1978年4月21日)はイングランドのシンガーソングライター。ブリティッシュ・フォーク・ロック・バンドのフェアポート・コンヴェンション、フォザリンゲイでリードシンガーを務めた後、1971年から死の前年の1977年までの間に4作のソロ・アルバムを発表した。 「卓越したブリティッシュ・フォーク・ロック・シンガー」と評されている。

見る 1978年の音楽とサンディ・デニー

サンタ・エスメラルダ

サンタ・エスメラルダ(Santa Esmeralda)は、1977年に「悲しき願い」の大ヒットを放ったアメリカ・フランス混成のディスコ・グループ。

見る 1978年の音楽とサンタ・エスメラルダ

サー・アーミー・スーツ

『サー・アーミー・スーツ』(原題: Sir Army Suit)は、1978年8月にDaffodil Recordsとキャピトル・レコードからリリースされたカナディアン・プログレッシブ・ロック・バンド、クラトゥのサード・アルバム。プロデュースは前作に引き続きテリー・ブラウンが担当。以前のアルバム2作品とは方向性が異なり、よりポップな方向性を打ち出したアルバムになっている。 このアルバムは、DUN - アルカンジェロ (Arcangelo) から、2009年12月18日にリマスター+リイシュー版の紙ジャケット仕様(ARC-7324)として再発された。

見る 1978年の音楽とサー・アーミー・スーツ

サーカス (コーラスグループ)

サーカスは、1978年にデビューした男女2人ずつからなる4人組コーラス・グループ。

見る 1978年の音楽とサーカス (コーラスグループ)

サディスティックス

サディスティックス(Sadistics)は、1976年から1978年まで活動した日本のバンド。

見る 1978年の音楽とサディスティックス

サウンドトラック

サウンドトラック(soundtrack)は、映画および映画音楽の用語で、映画のフィルム上における音声が収録されている部分を指す。映画用語から派生した言葉であり、ドラマ、映画、テレビゲーム、アニメ、コマーシャルソングなどの「劇伴音楽」や「付随音楽」を収録したアルバムを指す場合もある。略称はサントラとされることが多いが、OST(original soundtrack(オリジナルサウンドトラック)の頭字語)とされることもある。

見る 1978年の音楽とサウンドトラック

サウスポー (ピンク・レディーの曲)

「サウスポー」は、1978年3月にビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)からリリースされた日本のアイドルデュオ・ピンク・レディーの7枚目のシングルである。

見る 1978年の音楽とサウスポー (ピンク・レディーの曲)

サガユウキ

サガユウキ(本名:佐賀優喜、1978年12月17日 - )は日本のシンガーソングライター。青森県風間浦村出身。青森県立大湊高等学校卒業。血液型はO型。所属事務所は有限会社 千松、所属レーベルは日本コロムビア。

見る 1978年の音楽とサガユウキ

サザンオールスターズ

サザンオールスターズ(Southern All Stars)は、日本の5人組ロックバンド。所属芸能事務所はアミューズ、所属レコード会社はJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント、所属レーベルはタイシタレーベル。略称は「サザン」「SAS」。公式ファンクラブ名は「サザンオールスターズ応援団」。

見る 1978年の音楽とサザンオールスターズ

サタデー・ナイト・フィーバー (サウンドトラック)

『サタデー・ナイト・フィーバー』 (Saturday Night Fever: The Original Movie Sound Track) は、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックである。

見る 1978年の音楽とサタデー・ナイト・フィーバー (サウンドトラック)

冬の稲妻

「冬の稲妻」(ふゆのいなづま)は、アリスが1977年10月5日に東芝EMIからリリースした11枚目のシングル。

見る 1978年の音楽と冬の稲妻

冬が来る前に

「冬が来る前に」(ふゆがくるまえに)は、日本のフォーク・グループである紙ふうせんが、1977年11月にシングル・リリースしたフォークソング。作詞は紙ふうせんのメンバーである後藤悦治郎、作曲はそのバックバンドのベーシストだった浦野直。45万枚の売上を記録した、紙ふうせんの最大のヒット曲である。

見る 1978年の音楽と冬が来る前に

円広志

円 広志(まどか ひろし、1953年〈昭和28年〉8月21日 - )は、日本の歌手、タレント、作曲家、シンガーソングライター。本名は篠原 義彦(しのはら よしひこ)で、その名義での活動もある。 シンガーソングライター、作曲家としてデビュー曲「夢想花」や『探偵!ナイトスクープ』のテーマ曲である「ハートスランプ二人ぼっち」、森昌子に楽曲提供した「越冬つばめ」でも知られる。歌手としてはデビュー曲の「夢想花」以外に目立ったヒット曲がなかったことから、それゆえにネタで「一発屋」扱いされるものの、関西ではテレビタレントとして高い知名度を誇る。 本人設立の個人事務所「オフィスとんで」所属。血液型B型。現在も大阪府在住。

見る 1978年の音楽と円広志

全日本歌謡音楽祭

全日本歌謡音楽祭(ぜんにほんかようおんがくさい)は、1975年から1990年までテレビ朝日(旧:NETテレビ)およびテレビ朝日系列局の主催により開催された、日本の音楽祭、音楽番組である。後援は朝日新聞社。

見る 1978年の音楽と全日本歌謡音楽祭

全日本有線放送大賞

全日本有線放送大賞(ぜんにほんゆうせんほうそうたいしょう)は、1968年から2000年まで讀賣テレビ放送と大阪有線放送社(現在のUSEN)が共催していた歌謡曲の年間表彰である。初期を中心に上半期と年間の2回に分けて表彰された年もあるが、後に年1回(年間)のみの開催となった。ABC『歌謡ゴールデン大賞・新人グランプリ』と並ぶ大阪で開催された音楽賞レースの1つである。

見る 1978年の音楽と全日本有線放送大賞

八代亜紀

八代 亜紀(やしろ あき、1950年〈昭和25年〉8月29日 - 2023年〈令和5年〉12月30日)は、日本の演歌歌手、女優、タレント、画家。熊本県八代郡金剛村(現:八代市)出身。本名は橋本 明代(はしもと あきよ)。血液型はB型。

見る 1978年の音楽と八代亜紀

八神純子

八神 純子(やがみ じゅんこ、1958年1月5日 - )は、日本の歌手・シンガーソングライター。アメリカ合衆国在住、スポーツニッポン、2011年6月1日 日刊ゲンダイ、2012年9月26日、2021年5月23日閲覧。。ジューン・スタンレー (June Stanley) 名義での活動もある。

見る 1978年の音楽と八神純子

剣桃太郎 (ラッパー)

剣 桃太郎(つるぎ ももたろう、本名:山田純史、1978年 - )は、東京都世田谷区下馬出身のヒップホップMCである。妄走族のメンバー。

見る 1978年の音楽と剣桃太郎 (ラッパー)

勝手にシンドバッド

「勝手にシンドバッド」(かってにシンドバッド)は、サザンオールスターズの楽曲。自身のデビューシングルとして、Invitation(≒ビクター音楽産業〈現・ビクターエンタテインメント〉)から7インチレコードで1978年6月25日に発売された。 1988年6月25日と1998年2月11日に8cmCDとして、2003年6月25日にはデビュー25周年の記念ボックスセットとして『「勝手にシンドバッド」胸さわぎのスペシャルボックス』を発売、2005年6月25日には12cmCDで再発売されている。2014年12月17日からはダウンロード配信、2019年12月20日からはストリーミング配信が開始されている。

見る 1978年の音楽と勝手にシンドバッド

B-52's

(ビー・フィフティートゥーズ)は、1976年にジョージア州アセンズで結成されたアメリカ合衆国のニュー・ウェイヴ・バンド。 バンド名はケイトとシンディの特徴的な盛り上がった髪型(いわゆるビーハイブヘア)の俗称(ボーイング社の爆撃機、B-52のノーズコーン部分に似ているため)から名付けられている。 なお、バンド名として他に"Tina-Trons"、"Fellini's Children"といった名前も候補に上がっていたが、ある日、メンバーのキース・ストリックランドがホテルのラウンジでバンド演奏をしている夢を見た時に、その夢の中で誰かがそのバンドの名前を"The B-52's"だと囁いていたことから、彼はThe B-52'sというバンド名を提案したという。

見る 1978年の音楽とB-52's

BASI

BASI(バシ、1978年 - )は、日本のラッパー。 大阪府泉佐野市生まれ。血液型はO型。 HIP-HOP BAND「韻シスト」のMC。

見る 1978年の音楽とBASI

BENNIE K

BENNIE K(ベニー ケー)は、シンガーのYUKIとラッパーのCICOの2人からなる音楽ユニット。

見る 1978年の音楽とBENNIE K

BES (ラッパー)

BES(ベス、1978年 - )は日本のヒップホップMC。 ヒップホップ・ユニットSWANKY SWIPE、SCARSの一員としても活動している。

見る 1978年の音楽とBES (ラッパー)

BIGZAM

BIGZAM(ビグザム、本名:新谷 広幸、1978年1月18日 - )は、日本のヒップホップMC。NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのMCとしても知られる。北海道小樽市出身。

見る 1978年の音楽とBIGZAM

BREAKERZ

BREAKERZ(ブレイカーズ)は、日本の男性3人組ロックバンドである。所属芸能事務所はB ZONE傘下のZAIN PRODUCTS。所属レコードレーベルはB ZONE傘下のZAIN RECORDS。略称は「BRZ」、「壊し屋」。ファンの総称は「TEAM BREAKERZ」。

見る 1978年の音楽とBREAKERZ

BUCCI

BUCCI(ブッチ、1978年11月20日 - )は、日本のJ-POPグループであるET-KINGの元メンバーで、2021年11月1日よりグループを脱退しソロ活動を行っている。兵庫県西宮市山口町出身。血液型はAB型。

見る 1978年の音楽とBUCCI

BUNGEE JUMP FESTIVAL

BUNGEE JUMP FESTIVAL(バンジー・ジャンプ・フェスティバル)は、日本のロックバンド。2005年に解散した。

見る 1978年の音楽とBUNGEE JUMP FESTIVAL

C-999

C-999(シースリーナイン)は日本のロックバンドである。2001年結成。結成当初はundercover(アンダーカバー)という名前だったが2004年に改名。2006年2月binyl recordsからメジャーデビュー。 2009年5月30日の下北沢CLUB Queでのライブをもって解散する事を公式サイトで発表した。

見る 1978年の音楽とC-999

CHAGE and ASKA

CHAGE and ASKA(チャゲ・アンド・アスカ)は、日本の音楽ユニット。通称はチャゲアス。略表記はC&A。公式ファンクラブはTUG OF C&A。

見る 1978年の音楽とCHAGE and ASKA

Char

Char(チャー、1955年〈昭和30年〉6月16日 - )は、日本のギタリスト、シンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサー。 サテライト・サービス放送番組審議会委員でもある。本名:竹中 尚人(たけなか ひさと)。東京都品川区戸越出身。

見る 1978年の音楽とChar

CHEMISTRY

CHEMISTRY(ケミストリー)は、日本の男性ヴォーカルデュオ。公式ファンクラブ名は「chemistry club」。 テレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』が行った男性ボーカリストオーディションで選ばれた2人により結成される。2人の声が「音楽的化学反応」を起こすことを期待して、21世紀初日の2001年1月1日にアメリカ合衆国で松尾潔から「CHEMISTRY」(化学の意味)と名づけたことを聞かされたオリコン https://web.archive.org/web/20080309075621/http://www.oricon.co.jp/artists/266851/ 2008年1月17日閲覧。

見る 1978年の音楽とCHEMISTRY

Chocolat

Chocolat(ショコラ、1978年2月15日 - )は東京都出身の歌手・元モデルである。 1997年 エピックレコードジャパン - NeOSITE DISCSレーベルより歌手デビュー。歌手兼モデルのheaco(ヒーコ)は双子の妹。名前の由来は、本名の「まさこ」より、皇后雅子(当時皇太子妃)の飼い犬の名前(ヨークシャテリアの「ショコラ」)から。夫はGREAT3の片寄明人。2000年にワーナーミュージック・ジャパンに移籍。2000年に片寄明人 featuring Chocolatとしてデュエットシングル「VERANDA」を発売。2005年にユニットChocolat&Akitoを結成。

見る 1978年の音楽とChocolat

CLIFF EDGE

クリフエッジ (CLIFF EDGE) は、日本の3人組グループ。2008年にVenus-B/KING RECORDSからデビューした。

見る 1978年の音楽とCLIFF EDGE

矢井田瞳

矢井田 瞳(やいだ ひとみ、1978年〈昭和53年〉7月28日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。大阪府豊中市出身。愛称は「ヤイコ」。所属事務所はシーエスミュージック。レコード会社は日本コロムビア。既婚。

見る 1978年の音楽と矢井田瞳

矢沢永吉

矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年〈昭和24年〉9月14日 - )は、日本のロックミュージシャン、俳優。広島県広島市仁保(現南区)出身。身長180cm、血液型はB型。

見る 1978年の音楽と矢沢永吉

石川ひとみ

石川 ひとみ(いしかわ ひとみ、1959年〈昭和34年〉9月20日 - )は、日本の歌手、声優。本名、山田ひとみ(旧姓石川)。愛称はひっちゃん。血液型はB型。

見る 1978年の音楽と石川ひとみ

石川さゆり

石川 さゆり(いしかわ さゆり、本名:石川 絹代(いしかわ きぬよ)週刊テレビ番組(東京ポスト)1985年5月3日号「芸名由来記」80頁、1958年1月30日 - )は、日本のアイドル・演歌歌手・女優。所属音楽レーベルはテイチクエンタテインメント、所属事務所は個人事務所さゆり音楽舎。 熊本県飽託郡飽田村(現・熊本市南区)出身。堀越高等学校卒業。

見る 1978年の音楽と石川さゆり

石黒彩

石黒 彩(いしぐろ あや、1978年5月12日 - )は、日本のタレントである。北海道札幌市中央区出身。有限会社ココナッツカンパニー、クラッチ.(業務提携)所属。元モーニング娘。の1期メンバー。夫はLUNA SEAの真矢。 服飾関係の道を選びモーニング娘。を卒業。その後、LUNA SEAのドラマー・真矢と結婚。子育て記のエッセイ、料理本を出版しカリスマ主婦としても活動している。

見る 1978年の音楽と石黒彩

石野真子

石野 真子 (いしの まこ、1961年〈昭和36年〉1月31日 - ) は、日本の女優、歌手。別名、石野 眞子クレジット表記に「石野眞子」名義を用いる場合もある。。 兵庫県神崎郡神崎町(現:神河町)生まれ、同県芦屋市伊勢町出身。フロム・ファーストプロダクション所属。日本テレビ『スター誕生!』出身。第20回日本レコード大賞新人賞受賞、NHK紅白歌合戦出場歴2回。実妹に女優のいしのようこ (旧表記・石野陽子)と宝乃純。

見る 1978年の音楽と石野真子

研ナオコ

研 ナオコ(けん ナオコ、本名:野口 なを子、旧姓:浅田、1953年〈昭和28年〉7月7日 - )は、日本の歌手、タレント、女優、コメディエンヌ。田辺エージェンシー所属夫が代表を務めるケンズファミリーと業務提携し、自らプロデュースも行っている。 静岡県田方郡天城湯ケ島町(現・伊豆市)出身。静岡県立三島南高等学校中退。「ナオコ節」とも称される独特のアンニュイな歌声と歌唱法で、1970年代中盤から1980年代中盤にかけて数々のヒット曲を世に送り出した。代表曲には「あばよ」「かもめはかもめ」「夏をあきらめて」などが挙げられるオリコンチャートシングル売上順。

見る 1978年の音楽と研ナオコ

神田朱未

神田 朱未(かんだ あけみ、1978年11月10日 - )は、日本の女性声優、俳優。声優ユニットのDROPS、Aice5のメンバー。愛知県名古屋市出身。 代表作は『ウルトラマニアック』(佐倉仁菜/ニナ・サクレイル)、『魔法先生ネギま!』シリーズ(神楽坂明日菜)、『ウィッチブレイド』(天羽梨穂子)、『となグラ!』(有坂香月)、『乙女はお姉さまに恋してる』(周防院奏)、『英雄伝説VI 空の軌跡』(エステル・ブライト)、『D.C.

見る 1978年の音楽と神田朱未

神部冬馬

神部 冬馬(かんべ とうま、1978年12月14日 - )は、東京都出身のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティ、タレント。

見る 1978年の音楽と神部冬馬

福山潤

福山 潤(ふくやま じゅん、1978年11月26日 - )は、日本の男性声優、ナレーター、歌手である。BLACK SHIP代表取締役CEO。

見る 1978年の音楽と福山潤

福島邦子

福島 邦子(ふくしま くにこ、1954年5月26日 - )は、日本のシンガーソングライター。岡山県総社市生まれ『プレイファイブ』1979年4月号、78-79頁、プレイファイブ社。。血液型B型。 作詞家としては水色玉青名義も用いる(後述)。

見る 1978年の音楽と福島邦子

私の声が聞こえますか

『私の声が聞こえますか』(わたしのこえがきこえますか)は、1976年4月25日に発表された中島みゆきの1作目のオリジナルアルバムである。

見る 1978年の音楽と私の声が聞こえますか

私花集 (さだまさしのアルバム)

『私花集』(アンソロジィ)は、シンガーソングライターさだまさしの1978年(昭和53年)3月25日発表のソロ3枚目のオリジナル・アルバムである。

見る 1978年の音楽と私花集 (さだまさしのアルバム)

竹下景子

竹下 景子(たけした けいこ、1953年〈昭和28年〉9月15日 - )は、日本の女優・タレント・声優。 愛知県名古屋市東区出身。東京女子大学文理学部社会学科を卒業した。アイ・バーグマン所属。父は弁護士の竹下重人。夫は写真家の関口照生。長男は俳優の関口まなと。次男は関口アナン。身長157cm(1976年4月)。B83cm、W57cm、H86cm(1976年2月)。

見る 1978年の音楽と竹下景子

竹内まりや

竹内 まりや(たけうち まりや、1955年〈昭和30年〉3月20日 - )は、日本のシンガーソングライター・作詞家・作曲家・ミュージシャン・音楽プロデューサー。出生名も竹内まりや。結婚後の本名は山下まりや。島根県簸川郡大社町杵築南(現・島根県出雲市大社町杵築南)出身。 生家・実家は出雲大社・二の鳥居近くに在る1877年(明治10年)創業の老舗旅館「竹野屋旅館」(※)。父親は4代目竹内繁蔵(旅館経営者。のちには大社町町長も務めた)。夫は山下達郎(シンガーソングライター、ミュージシャン)(※)。山下との間に一女がいる(※)。 現在所属するレコード会社はワーナーミュージック・ジャパン。現在所属する芸能事務所はスマイルカンパニー、および、夫と共同経営する(著作権管理用)個人事務所のテンダベリー&ハーヴェスト。

見る 1978年の音楽と竹内まりや

第20回日本レコード大賞

第20回日本レコード大賞(だい20かいにほんレコードたいしょう)は、1978年(昭和53年)12月31日に帝国劇場で行われた、20回目の『日本レコード大賞』である。

見る 1978年の音楽と第20回日本レコード大賞

第29回NHK紅白歌合戦

『第29回NHK紅白歌合戦』(だいにじゅうきゅうかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1978年(昭和53年)12月31日にNHKホールで行われた、通算29回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHKで生放送された。

見る 1978年の音楽と第29回NHK紅白歌合戦

粟國安彦

粟國 安彦(あぐに やすひこ、1941年2月6日 - 1990年1月14日)は、日本のオペラ演出家。

見る 1978年の音楽と粟國安彦

紅雀 (アルバム)

『紅雀』(べにすずめ)は、松任谷由実(ユーミン)の5枚目のオリジナルアルバム。1978年3月5日に東芝EMIからリリースされた(LP:ETP-72303、CT:ZT25-189)。1981年5月5日再発(LP:ETP-90081、CT:ZT28-781)。 1985年6月1日に初CD化(CA32-1131)。1999年2月24日にLPのブックレットを復刻し、バーニー・グランドマンによるデジタルリマスタリングで音質を大幅に向上したリマスタリングCD(TOCT-10638)とLP(TOJT-10638)をリリース。

見る 1978年の音楽と紅雀 (アルバム)

紙ふうせん

紙ふうせん(かみふうせん)は、1974年(昭和49年)に結成された日本のフォークデュオである。関西を中心に息の長い活動を続けている。

見る 1978年の音楽と紙ふうせん

翼あるもの

『翼あるもの』(つばさあるもの)は、1978年にリリースされた甲斐よしひろの初のソロカバー・アルバムである。

見る 1978年の音楽と翼あるもの

絶体絶命 (山口百恵の曲)

「絶体絶命」(ぜったいぜつめい)は、1978年8月21日にリリースされた山口百恵の23枚目のシングルである。発売元はCBSソニー。

見る 1978年の音楽と絶体絶命 (山口百恵の曲)

炎の導火線

『炎の導火線』(ほのおのどうかせん、原題:Van Halen)は、ヴァン・ヘイレンのデビュー・アルバム。

見る 1978年の音楽と炎の導火線

田澤孝介

田澤孝介(たざわ・たかゆき、1978年11月23日 - )は、日本のミュージシャンである。Waive解散後、ストロボを経て、ソロ活動を軸に、ロックバンド・Rayflowerや、エルニシオン、Karma、Waive、fuzzy knotなどのヴォーカリストとして活動。血液型はA型。愛称は「たか」「たっさん」「たちあん」「おとと」など。

見る 1978年の音楽と田澤孝介

甲斐よしひろ

甲斐 よしひろ(かい よしひろ、男性、1953年〈昭和28年〉4月7日 - )は、日本のミュージシャン、タレント。本名、甲斐 祥弘(読み同じ)。「祥」は正確には衣偏につくりが羊。福岡県出身。所属事務所は、自身で設立した甲斐オフィス。血液型はB型。 妻は、元女優の竹田かほり。次女は、シンガーソングライターの甲斐名都。

見る 1978年の音楽と甲斐よしひろ

町田直隆

町田直隆(まちだなおたか、1978年12月25日 - )は、日本のシンガーソングライター、詩人。元BUNGEE JUMP FESTIVALのボーカル/ギター。東京都出身。楽曲のジャンルは幅広いがロックンロール・パンク・ロックが多い。

見る 1978年の音楽と町田直隆

熊谷賢一

熊谷 賢一(くまがい けんいち、1934年2月16日 - 2017年10月9日)は、日本の作曲家。神奈川県横浜市生まれ。名古屋市立菊里高等学校音楽課程、1954年愛知学芸大学(現・愛知教育大学)卒業。 1974年より1994年まで暁学園短期大学(現・四日市大学)教授。 1978年創作合唱曲公募受賞。1990年に朝日作曲賞受賞。日本作曲家協議会会員。日本室内管弦楽団代表。1949年に桜台高等学校の校歌を作曲している(出典:桜台高校広報紙「図書館の窓」)。NHKドラマ「中学生日記」の音楽も担当した。 2017年、腎不全で死去。

見る 1978年の音楽と熊谷賢一

畑中葉子

畑中 葉子(はたなか ようこ、1959年4月21日 - )は、日本の歌手、女優。

見る 1978年の音楽と畑中葉子

狼なんか怖くない (石野真子の曲)

「狼なんか怖くない」(おおかみなんかこわくない)は、1978年3月25日に発売された石野真子のデビューシングル。

見る 1978年の音楽と狼なんか怖くない (石野真子の曲)

白石稔

白石 稔(しらいし みのる、1978年10月18日 - )は、日本の声優、ラジオパーソナリティ、俳優、司会者、シンガーソングライター。愛媛県四国中央市(旧・川之江市)出身。ガジェットリンク所属。 代表作は、『蒼穹のファフナー』(近藤剣司)、『涼宮ハルヒの憂鬱』(谷口)、『らき☆すた』(白石みのる)、『日常』(阪本さん)など。

見る 1978年の音楽と白石稔

百田留衣

百田 留衣(ももた るい、1978年7月25日 - )は、日本の作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。大阪府大阪市出身。agehasprings所属。

見る 1978年の音楽と百田留衣

D'espairsRay

D'espairsRay(ディスパーズレイ)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド。バンド名の意味は絶望と光。略称はディスパ。1999年9月9日結成。2011年6月15日解散。

見る 1978年の音楽とD'espairsRay

D.O

D.O(ディー・オー、1978年7月3日 - )は、日本のヒップホップMC。練マザファッカーの元リーダー。本名は君塚 慈容(きみづか しげやす)、旧姓は須藤(すどう)。

見る 1978年の音楽とD.O

DA PUMP

DA PUMP(ダ・パンプ)は、日本の男性ダンス&ボーカルグループ。ライジングプロダクション所属。レーベルはSONIC GROOVE。デビュー時から2003年にセルフプロデュースに移行するまでの約6年間、富樫明生(別名義でm.c.A・T)がプロデューサーを務めた。m.c.A・Tの楽曲と同様に、ヒップホップで、キャッチーなメロディーの歌唱を基本としながら、ラップも織り交ぜて歌うスタイルが特徴である。 初期メンバーは全員沖縄県および沖縄アクターズスクール出身である。グループ名の「DA」は「THE」のスラング、「PUMP」は「JUMP」で「音楽にのって飛び跳ねる仲間」という意味で名付けられた。

見る 1978年の音楽とDA PUMP

DAIGO

DAIGO(ダイゴ、1978年〈昭和53年〉4月8日 - )は、日本のミュージシャン、ボーカリスト、シンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、タレント、俳優、絵本作家、司会者、プロデューサー。東京都世田谷区出身。血液型AB型。身長178cm。2児の父親。ロックバンド・BREAKERZのボーカル。妻は女優の北川景子。 2003年にメジャーデビュー。2007年にBREAKERZ結成を機にDAIGOに改名。

見る 1978年の音楽とDAIGO

DE DE MOUSE

DÉ DÉ MOUSE(デデマウス)は、遠藤大介によるソロプロジェクト。日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、キーボーディスト、DJ。自身の曲のプログラミングやミキシング、映像もこなす。

見る 1978年の音楽とDE DE MOUSE

Diggy-MO'

Diggy-MO'(ディギーモー)は、日本のMC。所属レコード会社はSME Records。所属事務所はSPACE SHOWER MUSIC。ヒップホップ・ミュージックグループであるSOUL'd OUTの元メンバー。

見る 1978年の音楽とDiggy-MO'

DIR EN GREY

DIR EN GREY(ディル・アン・グレイ)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド。1997年に大阪府で結成。

見る 1978年の音楽とDIR EN GREY

DJ BAKU

DJ BAKU(ディージェイ・バク)は日本のDJ、トラックメイカーである。般若、RUMIとともにヒップホップユニット「般若」を結成。解散後ソロデビュー。

見る 1978年の音楽とDJ BAKU

DOES

DOES(ドーズ)は、日本のスリーピースロックバンド。

見る 1978年の音楽とDOES

DOPING PANDA

DOPING PANDA(ドーピング・パンダ)は、日本のスリーピースロックバンド。所属事務所はソニー・ミュージックアーティスツ。所属レーベルはソニー・ミュージックレコーズ内のgr8!records。略称は「ドーパン」。

見る 1978年の音楽とDOPING PANDA

DROPS

DROPS(ドロップ)は、青二プロダクション所属(当時)現在は金田のみ移籍している(アクロスエンタテインメント所属)の女性声優5人による声優ユニット。なお、読みは「ドロップ」であり、「ドロップス」は誤りである。2004年デビュー。解散発表はしていないが、2004年末の活動を最後に活動していない。

見る 1978年の音楽とDROPS

ENEOS音楽賞

ENEOS音楽賞(エネオスおんがくしょう)は、ENEOSグループが主催していた音楽賞。

見る 1978年の音楽とENEOS音楽賞

芸能事務所

芸能事務所(げいのうじむしょ)は、芸能人の活動支援を業務とする企業で、タレント事務所(タレントじむしょ)、芸能プロダクション(げいのうプロダクション)とも称される。

見る 1978年の音楽と芸能事務所

銃爪

「銃爪」(ひきがね)は、世良公則&ツイスト(後にツイストと改名)の楽曲で、3枚目のシングルである。1978年8月10日に発売。

見る 1978年の音楽と銃爪

銀座音楽祭

銀座音楽祭(ぎんざおんがくさい)は、銀座音楽祭実行委員会(ニッポン放送)の主催により1973年から1990年にかけて開催された、新人歌手対象の音楽祭である。開催時期は10月第1月曜日。文化放送「新宿音楽祭」、ラジオ日本「横浜音楽祭」、ABC「ABC歌謡新人グランプリ」と並んでラジオ局による歌謡新人賞レース序盤の重要な大会であった。後援はフジテレビジョン。

見る 1978年の音楽と銀座音楽祭

ET-KING

ET-KING(イーティー・キング)は、ボーカルとDJとMCで構成されるJ-POPユニット。1999年に大阪で結成。一時活動休止時の2014年までは7人組のユニットであったが、その後、メンバーの脱退等により2023年現在は4人で活動している。ライブ時はメンバー全員が「大阪大国町纒屋 ET-KING」と記された法被を着用する。

見る 1978年の音楽とET-KING

Every Little Thing

Every Little Thing(エヴリー・リトル・シング)は、日本の男女2人組からなる音楽ユニット。1996年結成。所属芸能事務所はエイベックス・マネジメント。所属レコード会社はエイベックス・エンタテイメントで、レーベルはavex trax。公式ファンクラブは「ciao」。略称は「ELT」。

見る 1978年の音楽とEvery Little Thing

音響機器

音響機器(おんきょうきき)とは、音楽など音を録音再生したり変換したりするための機器。オーディオ機器または、機器を省略してオーディオという場合もある。 高性能な音響半導体チップやスピーカーを内蔵したパソコン、サブスクリプション方式を含めた音楽コンテンツを受信・再生できるスマートフォン、iPod(2022年生産中止)なども音響機器となっている『朝日新聞』朝刊2022年6月23日(文化面)2022年7月3日閲覧。 この項目は、音響機器に関連する項目の一覧である。あわせて音響技術および音響機器メーカーについても収録する。

見る 1978年の音楽と音響機器

音楽

音楽(おんがく、Music、Musique、Musica、Música)とは、音による芸術である。音楽はあらゆる人間社会にみられる普遍文化だが、その定義は文化によって様々である。音楽は先史時代から存在したとされる。

見る 1978年の音楽と音楽

音楽之友社

株式会社音楽之友社(おんがくのともしゃ、英文社名:ONGAKU NO TOMO SHA CORP.)は、東京都新宿区に本社を置く日本の音楽出版社。1941年(昭和16年)12月1日、戦時統合により当時の音楽雑誌発行元3社の合併により設立された 株式会社音楽之友社、2021年5月21日閲覧。。 音楽雑誌の出版社として創業し、第二次世界大戦後に楽譜や音楽に関する書籍の出版を開始した。その後は音楽教科書の発行、音楽学習者向けの辞典類・理論書・教材の発行なども手がける、クラシック音楽の総合出版社である。 神楽坂の本社ビルには220名を収容可能な小ホール「音楽の友ホール」を併設し、室内楽・声楽などの演奏会を開催している。創立70周年を記念して、コーポレート・スローガン「音楽の力を信じ 音楽の心を伝えたい」を制定した。

見る 1978年の音楽と音楽之友社

音楽番組

音楽番組(おんがくばんぐみ、)は、音楽を視聴者に届けるための番組、あるいは音楽に関する番組である。

見る 1978年の音楽と音楽番組

韻シスト

韻シスト(いんシスト)は日本のヒップホップグループである。1998年結成。

見る 1978年の音楽と韻シスト

荒神直規

荒神 直規(こうじん なおき、1978年4月15日 - )は、日本のシンガーソングライター。福岡県北九州市若松区出身。血液型A型。

見る 1978年の音楽と荒神直規

青山孝史

青山 孝史(あおやま たかし、旧名:青山 孝〈あおやま たかし〉、1951年8月10日 - 2009年1月28日)は、日本の歌手・俳優・タレント。佐賀県佐賀市高木瀬町生まれ、小学校4年生から神奈川県川崎市育ち。 1970年代を代表する男性アイドルグループ・フォーリーブスのメンバー。 愛称はター坊。

見る 1978年の音楽と青山孝史

青葉城恋唄

「青葉城恋唄」(あおばじょうこいうた)は、仙台城(青葉城)の城下町を基礎に発展した宮城県仙台市の風景を用いた、星間船一による失恋の叙情詩で、さとう宗幸によってイ長調の曲が付けられ歌謡曲となった。 1978年(昭和53年)5月5日にさとうのメジャー・デビュー曲としてシングル発売され、同年6月1日にダークダックスもシングル発売した。 仙台市、宮城県はもちろん、東北地方を代表するご当地ソングとみなされており、歌詞にある仙台の雅称「杜の都」を広めた。 同年に日本作詞家協会大賞を受賞した。

見る 1978年の音楽と青葉城恋唄

頽廃的美学論

頽廃的美学論(たいはいてきびがくろん、原題:Q:Are We Not Men? A:We Are Devo!)は、アメリカのロックバンド、ディーヴォのメジャーデビュー・アルバム。 タイトルはH・G・ウェルズ原作の「モロー博士の島」を原作とした1933年の映画「獣人島」(”Island of Lost Souls”)の獣人たちの台詞にちなむ。 ケルンのコニー・プランクのスタジオとサンフランシスコのDifferent Furで収録された。 ブライアン・イーノによるプロデュース 及び、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」を大胆なアレンジによるカヴァーが話題を呼んだ。 2008年現在、リマスターされた紙ジャケットの限定版がリリースされている。

見る 1978年の音楽と頽廃的美学論

須藤元気

須藤 元気(すどう げんき、1978年〈昭和53年〉3月8日 - )は、日本の政治家、総合格闘家、レスリング指導者、ダンスパフォーマー、書家、居酒屋二代目、英会話学校代表。参議院議員(1期)を務めた。 東京都江東区出身。関東第一高等学校、拓殖短期大学経営科卒業、サンタモニカカレッジ芸術学部中退、拓殖大学大学院地方政治行政研究科修了。総合格闘技の選手として活躍し、2006年の現役引退は、拓殖大学レスリング部監督として最優秀監督賞を受賞するなど実績を残す。他にも、ダンスパフォーマンス集団「WORLD ORDER」を率いるなど多岐にわたる活動を行う。2019年に参議院議員に初当選(後に2024年4月の衆議院東京都第15区補欠選挙に立候補したため、退職)。

見る 1978年の音楽と須藤元気

風 (歌手)

風(かぜ)は、かぐや姫の伊勢正三と、猫の大久保一久が1975年に結成したフォークデュオ。「風」というデュオ名は伊勢が名付け、「空気のように留まらず、音楽的に常に進化していくことを目指す」という意味が込められている。

見る 1978年の音楽と風 (歌手)

風味堂

風味堂(ふうみどう)は、日本の音楽グループである。2000年10月に結成。所属レーベルはSPEEDSTAR RECORDS。

見る 1978年の音楽と風味堂

風見鶏 (さだまさしのアルバム)

『風見鶏』(かざみどり)は、シンガーソングライターさだまさしの1977年7月25日発表のソロ2枚目のオリジナル・アルバムである。

見る 1978年の音楽と風見鶏 (さだまさしのアルバム)

飛んでイスタンブール

「飛んでイスタンブール」(とんでイスタンブール)は庄野真代の楽曲。5枚目のシングルとして、1978年4月1日にBLOW UP/日本コロムビアより発売された。

見る 1978年の音楽と飛んでイスタンブール

西城秀樹

は、日本の歌手、俳優、タレント。新御三家の1人。本名は木本 龍雄(きもと たつお)。広島県広島市出身。アースコーポレーション所属。血液型はAB型。

見る 1978年の音楽と西城秀樹

西村まゆ子

西村 まゆ子(にしむら まゆこ、1960年(昭和35年)12月28日月刊平凡 1978年3月号 p.176 - 179「'78ビッグホープ座談会」 - )は、日本の元アイドル。デビュー当時の本名は、西村真優美(にしむらまゆみ)。

見る 1978年の音楽と西村まゆ子

高見知佳

高見 知佳(たかみ ちか、本名:高橋 房代〈たかはし ふさよ〉週刊テレビ番組(東京ポスト)1983年8月19日号「芸名由来記」54頁、1962年〈昭和37年〉7月9日 - 2022年〈令和4年〉12月21日)は、日本の女優、歌手、タレント、政治活動家。愛媛県新居浜市出身。

見る 1978年の音楽と高見知佳

高部

は、漢字を部首により分類したグループの一つ。康熙字典214部首では189番目に置かれる(10画の3番目、亥集の3番目)。

見る 1978年の音楽と高部

高橋幸宏

高橋 幸宏(たかはし ゆきひろ、1952年〈昭和27年〉6月6日 - 2023年〈令和5年〉1月11日)は日本のシンガーソングライター、ドラマー、音楽プロデューサー、ファッション・デザイナー、文筆家。 ソロ・デビューした1978年から1980年代前半までは「高橋ユキヒロ」の名義を使用していた。

見る 1978年の音楽と高橋幸宏

髙橋真梨子

髙橋 真梨子(たかはし まりこ、1949年〈昭和24年〉3月6日 - )は、日本の女性歌手、作詞家。本名は広瀬 まり子(ひろせ まりこ)。旧姓は髙橋。広島県廿日市市生まれ、福岡県福岡市育ち。身長155cm。血液型はA型。夫はミュージシャンのヘンリー広瀬。 スポーツ観戦を趣味とする。所属レコード会社はビクターエンタテインメント。所属芸能事務所はザ・ミュージックス。公式ファンクラブはPaper Moon(ペーパームーン)。

見る 1978年の音楽と髙橋真梨子

鬼 (ラッパー)

鬼(おに、1978年 - )は、福島県いわき市小名浜出身の日本のヒップホップMC。ヒップホップ・ユニット鬼一家のメンバー(リーダー)。

見る 1978年の音楽と鬼 (ラッパー)

財津和夫

財津 和夫(ざいつ かずお、1948年〈昭和23年〉2月19日 - )は、日本のシンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサー、ラジオDJ、俳優。大阪芸術大学芸術学部演奏学科教授2004年から。血液型O型。福岡県福岡市出身。 ブリティッシュロックグループ「チューリップ」のリーダーで、和製ポール・マッカートニーと呼ばれる日本のメロディメーカーと評されている。

見る 1978年の音楽と財津和夫

資本

資本(しほん、)とは、事業活動などの元手のことである。また、主流派経済学における生産三要素のひとつ、マルクス経済学においては自己増殖する価値の運動体のこと、あるいは会計学や法学における用語である。

見る 1978年の音楽と資本

麻井寛史

麻井寛史(あさいひろし、1978年4月26日 - )は、日本のベーシスト、作曲家、編曲家。the★tambourinesの元メンバー、Sensationのメンバー。岡山県出身。ABO式血液型はA型。

見る 1978年の音楽と麻井寛史

麻生よう子

麻生 よう子(あそう ようこ、1955年12月3日 - )は、日本の歌手。

見る 1978年の音楽と麻生よう子

軟式globe

軟式globe(なんしきグローブ)は、男女2人組の音楽ユニット。かつてTBS系列で放送されていたバラエティ番組『学校へ行こう!』内の企画「B-RAP HIGH SCHOOL」に出演していた。登場回数は20回(2002年6月 - 2003年3月)。その後解散するが、新しいメンバーを迎えて「新生 軟式globe」として再結成を果たした。その後は「軟式globe。'15」→「軟式globe。'14」→「軟式globe。'13」→「軟式globe。'12」→「軟式globe。'11」とグループ名を改名している。

見る 1978年の音楽と軟式globe

黒須克彦

黒須 克彦(くろす かつひこ、1978年3月19日 - ) は、日本の作曲家、編曲家、ベーシスト。神奈川県横浜市出身。Peak A Soul+所属。

見る 1978年の音楽と黒須克彦

黒沢年雄

黒沢 年雄(くろさわ としお、1944年〈昭和19年〉2月4日 - )は、日本の俳優・歌手・タレント。本名・旧芸名(2000年に改名)、黒沢 年男(読み同じ)。株式会社プロダクション・クロ代表取締役。弟は黒沢博(寺内タケシとバニーズ&ヒロシ&キーボー元メンバー)。妻は街田リーヌ(本名・街子、旧姓・宮崎)、娘は元女優の黒沢レイラ(旧芸名・三井万裕美、本名・裕美)。 神奈川県横浜市西区出身。日本大学高等学校中退。

見る 1978年の音楽と黒沢年雄

迷い道

「迷い道」(まよいみち)は、渡辺真知子の楽曲で、1枚目のシングル。1977年(昭和52年)11月1日にCBS・ソニー(現・ソニー・ミュージックレーベルズ ソニー・ミュージックレコーズ)より発売。

見る 1978年の音楽と迷い道

郷ひろみ

郷 ひろみ(ごう ひろみ、1955年〈昭和30年〉10月18日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント、実業家、アイドル。新御三家の1人。本名は原武 裕美(はらたけ ひろみ)。福岡県出身。所属芸能事務所はバーニングプロダクション。所属レコード会社はソニー・ミュージックレーベルズ、レーベルは同社の社内レーベルであるSony Records。男性ソロアーティストとして歴代4位のCDシングルセールスを誇る。血液型A型、身長176 cm。

見る 1978年の音楽と郷ひろみ

般若 (ラッパー)

般若(はんにゃ、本名:武田 嘉穂(たけだ よしほ)、1978年10月18日 - )は、日本のヒップホップMC。東京都世田谷区三軒茶屋出身。レコードレーベルの昭和レコード、やっちゃったエンタープライズ主宰。 テレビ朝日のバラエティ番組の「フリースタイルダンジョン」にラスボスとして出演していた。2019年1月11日、日本武道館で初のワンマンライブ「おはよう武道館」を開催。

見る 1978年の音楽と般若 (ラッパー)

鈴木大輔 (ミュージシャン)

鈴木 大輔(すずき だいすけ、1978年10月27日 - )は、日本のキーボーディスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。本名同じ。神奈川県出身。Rubii、day after tomorrow、girl next doorの元メンバー。所属していた芸能事務所はエイベックス・マネジメント。血液型はA型。

見る 1978年の音楽と鈴木大輔 (ミュージシャン)

阿川泰子

は、日本のジャズシンガー、元女優。本名は佐藤 康子。旧芸名は、麻理 ともえ、佐藤 康子。現在、タイムランドに所属。血液型A型。「シュガー・ボイス」、「ネクタイ族のアイドル」「オジサマ族のアイドル」などと称された。身長158cm、46kg。 神奈川県鎌倉市出身。椙山女学園高等学校卒業。父親は鎌倉在住の洋画家。趣味・特技は絵画・イラスト・エッセイ。

見る 1978年の音楽と阿川泰子

阿部尚徳

阿部 尚徳(あべ よしのり、1978年3月5日 - )は、日本のソングライター、編曲家、キーボーディスト、シンセサイザー奏者、マニピュレーター、音楽プロデューサー、ボカロP。主にとく、toku、とくPという名義で活動している。 東京都出身。ニコニコ動画にてVOCALOIDを用いたオリジナル楽曲を発表している他、千秋、アンジェラ・アキ、竹仲絵里、LiSA、原田ひとみなどの楽曲を手掛けている。また、音楽制作ユニットへっどほんトーキョーと活動休止中のバンドbeaticaの中心メンバーでもあり、現在はGARNiDELiAのキーボーディストとして活動中。 他の活動名義に あべよしのり、Yoshinoli“TOKU”ABE、阿部“beatica”尚徳、阿部“TOKU”阿部尚徳、pliomなどがある。

見る 1978年の音楽と阿部尚徳

阿部薫 (サックス奏者)

阿部 薫(あべ かおる、1949年5月3日 - 1978年9月9日)は、フリー・ジャズのアルトサックスプレイヤー。他にソプラニーノサックス、バスクラリネット、ハーモニカ等もプレイする。神奈川県川崎市出身。

見る 1978年の音楽と阿部薫 (サックス奏者)

闇に吠える街

『闇に吠える街』(原題:Darkness on the Edge of Town)は、ブルース・スプリングスティーンが1978年に発表した4作目のスタジオ・アルバム。本項目では、2010年にリリースされたボックス・セット『闇に吠える街〜ザ・プロミス:ザ・ダークネス・オン・ジ・エッジ・オブ・タウン・ストーリー』についても解説する。

見る 1978年の音楽と闇に吠える街

野口五郎

野口 五郎(のぐち ごろう、1956年〈昭和31年〉2月23日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント、情報技術者、実業家。岐阜県美濃市出身。本名は佐藤 靖(さとう やすし)。オフィス・ジー所属、ティーオーエア(Take Out Air)代表。1970年代のアイドルで新御三家の1人。身長174 cm(1972年3月)--->。 妻は三井ゆりで、一女一男がいる。兄は佐藤寛、長女は佐藤文音。

見る 1978年の音楽と野口五郎

野川さくら

野川 さくら(のがわ さくら、1978年3月1日 - )は、日本の女性声優、歌手、司会者。愛知県豊橋市出身。オフィスアネモネ所属。愛称は「さくにゃん」(新谷良子による命名)など。 代表作は『D.C. 〜ダ・カーポ〜』(朝倉音夢)、『マジカノ』(魔宮あゆみ)、『ストライクウィッチーズ』(エーリカ・ハルトマン)、『ローゼンメイデン』(雛苺)、『瀬戸の花嫁』(江戸前留奈)、『よばれてとびでて!アクビちゃん』(眠田ころん)『モンチッチ』(モンチッチちゃん)、『舞-HiME』(宗像詩帆)『クレヨンしんちゃん』(もえP)など。

見る 1978年の音楽と野川さくら

野村陽一郎

野村 陽一郎(のむら よういちろう、本名同じ、1978年7月14日 - )は、日本のシンガーソングライター、作曲家、編曲家、ギタリスト。音楽ユニット「二千花」のトラックコンポーザー。 現在はいしわたり淳治、中村泰輔らと共に音楽ユニットTHE BLACKBANDとしても活動中。 岐阜県出身。株式会社グロール所属。

見る 1978年の音楽と野村陽一郎

金井夕子

金井 夕子(かない ゆうこ、1958年7月7日 - )は、北海道札幌市出身の歌手、作詞家である。作詞家名は青木 茗(あおき めい)。北海道札幌藻岩高等学校卒業。所属事務所は第一プロダクションから、後に尾崎亜美の所属するメロディ・パークに移籍した。

見る 1978年の音楽と金井夕子

長友誠

長友 誠(ながとも まこと)。

見る 1978年の音楽と長友誠

長岡亮介 (ギタリスト)

長岡 亮介(ながおか りょうすけ、1978年10月7日 - )は、日本の音楽家、ギタリスト、歌手。千葉県千葉市出身。ロックバンド・東京事変(第二期以降)のメンバー。本項では、浮雲(うきぐも)名義の活動についても併せて記述する。

見る 1978年の音楽と長岡亮介 (ギタリスト)

長崎歌謡祭

長崎歌謡祭(ながさきかようさい)は、長崎放送が主催し、1977年(昭和52年)から1998年(平成10年)まで開催されていた新人歌手のコンテストである。

見る 1978年の音楽と長崎歌謡祭

長瀬智也

長瀬 智也(ながせ ともや、1978年〈昭和53年〉11月7日 - )は日本のミュージシャン、シンガーソングライター、俳優、タレントで、ロックバンド・KODE TALKERS(コード・トーカーズ)のボーカリスト兼ギタリスト。神奈川県横浜市青葉区出身。ジャニーズ事務所在籍中はバンド形態の男性アイドルグループ・TOKIOの最年少メンバーであり、ボーカル、ギターを担当していた。身長182cm。

見る 1978年の音楽と長瀬智也

長渕剛

長渕 剛(ながぶち つよし、本名:同じ、1956年〈昭和31年〉9月7日 - )は、日本のシンガーソングライター。 Office REN(オフィス・レン)所属。 1977年、シングル『雨の嵐山』でビクター・レコードからデビュー。「乾杯」「とんぼ」「しあわせになろうよ」など、多数のヒット曲があり、『家族ゲーム』『親子ゲーム』『とんぼ』『RUN』などのテレビドラマや『オルゴール』『ウォータームーン』『英二』などの映画に主演し俳優としても知られる。

見る 1978年の音楽と長渕剛

雷鼓

雷鼓(らいこ)は、6人組のミクスチャー・ロックバンド。北海道知床出身。2000年結成。2003年DJ nakano加入。2004年メジャーデビュー。メンバーのヒデミとハルは兄弟。2007年10月14日の雷鼓電にて活動休止を発表。 同年12月23日の札幌ワンマンをもって活動休止。 現在はソロ活動や新バンドをやっているメンバーもいる。

見る 1978年の音楽と雷鼓

透明人間 (ピンク・レディーの曲)

「透明人間」(とうめいにんげん)は、1978年9月にリリースされた日本のアイドルグループ・ピンク・レディーの9枚目のシングルである。

見る 1978年の音楽と透明人間 (ピンク・レディーの曲)

Feel Happy

『Feel Happy』(フィール・ハッピー)は、1978年2月25日にリリースされた、原田真二の1枚目のオリジナル・アルバムである。

見る 1978年の音楽とFeel Happy

FNS歌謡祭

会場として使用されて番組の生放送が行われているグランドプリンスホテル新高輪「飛天」(2015年から「第1夜」で使用されている。2020・2021・2023年を除く) 2015年から「第2夜」の会場として使用されて番組の生放送が行われているフジテレビ本社「FCGビル」(2014年までは中継先の会場として使用されていた。2020・2021・2023年は全編に渡って使用) 『FNS歌謡祭』(FNSかようさい、英:FNS MUSIC FESTIVAL)は、フジテレビ系列(FNS)で1974年から毎年12月上旬2015年以降は12月中旬にも放送。 のゴールデンタイム・プライムタイム(JST)に生放送されている年末大型音楽番組。公式な通称は特にないが、主に『FNS』と呼ばれることが多い本来はフジネットワークの略称で、同組織を指す言葉であるため意味としては正しい使い方ではないが、近年は『FNSうたの夏まつり』(現・『FNS歌謡祭 夏』)と共に音楽特番を指す言葉として使われている。

見る 1978年の音楽とFNS歌謡祭

FUNKY MONKEY BΛBY'S

FUNKY MONKEY BΛBY'S(ファンキー・モンキー・ベイビーズ)は、ファンキー加藤とモン吉からなる日本の男性2人組音楽ユニット。旧名義は「FUNKY MONKEY BABYS」。2004年に結成され、2006年にメジャーデビュー。元々はDJケミカルとの3人組で活動していたが、2013年に解散。その後、2021年に2人組ユニットとして活動を再開した。

見る 1978年の音楽とFUNKY MONKEY BΛBY'S

GARNiDELiA

GARNiDELiA(ガルニデリア)は、日本の音楽ユニット。略称は「ガルニデ」。 ユニット名の由来は「Le Palais Garnier de Maria」(フランス語でメイリアの歌劇場の意味)と、tokuの生まれた年に発見された同名の小惑星「コーデリア」(Cordelia)からのアナグラム。ライブタイトルの「stellacage」には「星を閉じこめた箱」という意味がこめられている。 アニメソング・ゲームソング・番組主題歌などのテーマ曲を多数手がけ、中国圏の動画サイトでは『極楽浄土』をヒットさせた。

見る 1978年の音楽とGARNiDELiA

GHOSTY BLOW

Ghosty Blow(ゴースティー・ブロウ)は札幌出身の6人組ミクスチャー・ロックバンドである。 2002年に札幌市にて結成。2005年コロムビアミュージックエンタテインメントよりメジャーデビュー。2008年活動休止。

見る 1978年の音楽とGHOSTY BLOW

GIRAFFE (音楽グループ)

GIRAFFE(ジラフ)は、百田留衣、澤村パブロ良明の男性二人組による日本のギター・ロック・ユニット。ギタリスト2人のみという構成で、サンプリングを多用した手法で独自の世界観を表現。所属レコードレーベルはSPEEDSTAR RECORDS。事務所はスピードスター・ミュージック。 2001年末に解散後、百田は音楽プロデューサー、澤村はライブサポートやPay money To my Painのギター「PABLO」として活動。

見る 1978年の音楽とGIRAFFE (音楽グループ)

Girl next door

girl next door(ガール・ネクスト・ドア)は、日本の男女混成3人組音楽ユニット。2008年結成。所属していた芸能事務所はエイベックス・マネジメント。所属していたレコード会社はエイベックス・エンタテインメントで、レーベルはavex trax。略称はガルネク、GND。運営していた公式ファンクラブは『NEXT DOOR』。2013年解散。

見る 1978年の音楽とGirl next door

GOING UNDER GROUND

GOING UNDER GROUND(ゴーイング・アンダー・グラウンド)は、日本のロックバンド。略称は「ゴーイング」、「GUG」など。

見る 1978年の音楽とGOING UNDER GROUND

GOOD4NOTHING

GOOD4NOTHING(グッドフォーナッシング)は、日本のロックバンド。所属事務所およびレーベルは、L.M.N.O.P.。

見る 1978年の音楽とGOOD4NOTHING

H ZETT M

H ZETT M(エイチ・ゼット・エム、別名:ヒイズミマサユ機、本名:樋泉 昌之〈ひいずみ まさゆき〉、1978年2月12日 - )は、日本のシンガーソングライター、ピアニスト、キーボーディスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。

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H ZETTRIO

H ZETTRIO(エイチゼットリオ)は、日本のピアノトリオである。

見る 1978年の音楽とH ZETTRIO

HIBARI

HIBARI(ひばり)は、角口香織(かどぐち かおり、1978年8月1日 - 、福岡市南区出身)のソロ・プロジェクト。デビュー当初はAYUMIという相棒がいた。福岡県立柏陵高等学校卒業。 2005年8月18日にHIBARIとしての活動を打ち切り、同年9月25日にHi-Endorphin名義でバンドとして再デビューした。

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HOME MADE 家族

HOME MADE 家族(ホームメイドかぞく)は、2MC+1DJスタイルの日本のヒップホップグループ。 エンズエンターテイメントに所属。メンバーの身長が大・中・小と大きく分かれており、歌詞の中にもしばしば「大・中・小」という言葉を用いているのが特徴である。主に愛知県名古屋市を拠点として音楽活動を行っている。

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ISSA (歌手)

ISSA(イッサ、1978年〈昭和53年〉12月9日 - )は、日本の歌手、ラッパー、ダンサー、俳優、DA PUMPのリーダー、ボーカル担当。メンバーカラーは赤。血液型はB型。ライジングプロダクション所属。沖縄県沖縄市出身。本名は邊土名 一茶(へんとな いっさ)。旧芸名は辺土名 一茶(読み同じ)。所属レコード会社はエイベックス(レーベルはSONIC GROOVE)。既婚。2児の父。

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JABBERLOOP

JABBERLOOP(ジャバループ)は日本の4人組のクラブジャズ・バンドである。

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Jazzin' park

Jazzin’ park(ジャジン・パーク)は久保田真悟と栗原暁からなる音楽プロデューサーユニット。 各々が作詞家・作曲家・編曲家・リミキサー・DJ・ギタリストとして活動。J-POP、ダンス・ミュージック、アイドルなど数多のジャンルに携わる。

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JBA下谷賞

JBA下谷賞(ジェイビーエーしたやしょう)は、日本吹奏楽指導者協会(JBA)により吹奏楽作品の開発と吹奏楽作曲家の育成による吹奏楽の振興・発展を目的として制定された作曲賞。 1968年に「JBA作曲賞」として制定、1975年からは株式会社千修歴代社長の下谷修久、下谷隆之がスポンサーとなり「下谷賞」と改称された。2007年からはJBAとしての作品募集は取り止め、「21世紀の吹奏楽実行委員会」が主催する「響宴」に選ばれ演奏された作品の中から「下谷奨励賞」(2016年に「JBA下谷賞」に改名)が選考された。2020年から2022年までは新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)により響宴が開催されなかったため選考を取りやめる。2022年からJBAが独自に作品募集と選考を行っている。

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JFNリスナーズアウォード

JFNリスナーズアウォード(ジェイエフエヌリスナーズアウォード)は、全国FM放送協議会(JFN)に加盟するFM局の共催で開かれていた音楽賞。

見る 1978年の音楽とJFNリスナーズアウォード

JVCケンウッド

株式会社JVCケンウッド(ジェイブイシーケンウッド、)は、神奈川県横浜市神奈川区に本社を置く音響機器・カメラ・カー用品を中心とした電機メーカーである。

見る 1978年の音楽とJVCケンウッド

Kagrra,

Kagrra, (カグラ) は、かつて存在した日本のヴィジュアル系ロックバンド。PS COMPANY所属。

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KAMINARI-KAZOKU.

KAMINARI-KAZOKU.(カミナリカゾク)は、日本のヒップホップユニット。YOU THE ROCK★主催のイベント「BLACK MONDAY」の出演者を中心に1997年に結成された雷(カミナリ)のメンバー中心に、メンバーを加えて2003年にKAMINARI-KAZOKU.を結成。漢字表記は、雷家族。

見る 1978年の音楽とKAMINARI-KAZOKU.

KAREN (バンド)

KAREN(カレン)は、日本のロックバンド。 ART-SCHOOLとdownyのメンバーの間で結成され、女性シンガーアチコをボーカリストとしている。結成初期は音源を発表していなかったが、2008年5月2日にフルアルバム「MAGGOT IN TEARS」を発売した。2010年12月31日をもって解散することをMySpace上で発表した。

見る 1978年の音楽とKAREN (バンド)

Karyu

Karyu(カリュウ、1978年12月7日 - )は、日本のギタリスト・作曲家。Angeloのギタリスト。H.U.GのギタリストD'espairsRayの元ギタリスト。山口県宇部市出身。

見る 1978年の音楽とKaryu

KEN-U

KEN-U(ケン・ユー、)はレゲエシンガー。RACY BULLET(レーシー・バレット)のメンバーでもある。

見る 1978年の音楽とKEN-U

Killing Boy

killing Boy(キリング・ボーイ)は、日本のロックバンド。

見る 1978年の音楽とKilling Boy

KLUTCH

KLUTCH(クラッチ、1978年9月15日 - )は、日本のJ-POPグループであるET-KINGのメンバーで、ボーカルを担当。大阪府泉南市出身。血液型はA型。泉南市特命観光大使。

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La;Sadie's

La:Sadie's(ラ・サディース)は、日本のヴィジュアル系バンド。

見る 1978年の音楽とLa;Sadie's

Little Hippies

Little Hippies(リトル・ヒッピーズ)はa.miaが2006年に新しく結成したバンドである。2007年ユニバーサルJよりデビュー。

見る 1978年の音楽とLittle Hippies

LOVE (抱きしめたい)

LOVE (抱きしめたい)(ラブ だきしめたい)は、日本の歌手である沢田研二の25枚目のシングルである。 1978年9月10日にポリドール・レコードより発売された。

見る 1978年の音楽とLOVE (抱きしめたい)

Lucky Summer Lady

『Lucky Summer Lady』(ラッキー・サマー・レディ)は、THE SQUAREのデビュー・アルバム。 1978年9月21日にリリース。

見る 1978年の音楽とLucky Summer Lady

M.O.S.A.D.

M.O.S.A.D.(モサド)は、日本の名古屋に拠点を置き、活動していたヒップホップグループ。2000年に結成。 ユニット名はM.O.S.(MASTER OF SKILLZ)にA.D.(西暦、紀元の意)をつけたもので、自分達の世紀を意味している。

見る 1978年の音楽とM.O.S.A.D.

MAX (音楽グループ)

MAX(マックス)は、日本の4人組・女性ダンスグループ。メンバー全員が沖縄県出身。所属事務所はライジングプロダクション。所属レコードレーベルはSONIC GROOVE。2021年5月からはオンラインサロンによる公式ファンクラブ「J-MAX NEO」を開設。

見る 1978年の音楽とMAX (音楽グループ)

MERRY

MERRY(メリー) は、日本のロックバンド。ボーカルのガラをリーダーとする4人組のバンド。所属事務所はSunKrad、所属レコード会社はFire Wall Division。公式ファンクラブ名は『CORE』。2001年10月、ガラを中心にメンバーが集められる。華やかな雰囲気のバンドが人気だった当時の風潮に反し、アンダーグラウンドな匂いのするバンドをコンセプトに、告知をしないライヴ(シークレットライブ)で活動を開始した。

見る 1978年の音楽とMERRY

Microsoftコードページ932

MS932とその他の日本語に関連した文字集合との関係オイラー図 Microsoft コードページ 932(マイクロソフト コードページ 932)は(以下 CP932)、マイクロソフト及び、MS-DOSのOEMベンダがShift_JISを独自に拡張した文字コードである。また、同時にCP932は、Shift_JISのWindowsアプリケーションにおける「実装」を指す用語であるとも言える。 この項では、主にShift_JISにおけるマイクロソフトおよび各ベンダの独自拡張部分について言及する。ベンダ独自拡張部分以外の内容については、Shift_JISを参照されたい。 また、マイクロソフト標準キャラクタセットの項目も併せて参照されたい。

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MISIA

MISIA(ミーシャ、1978年7月7日 - )は、日本の女性歌手。長崎県出身。所属事務所はリズメディア。所属レーベルはSME傘下のアリオラジャパン。血液型はO型。

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MONKEY MAJIK

MONKEY MAJIK(モンキーマジック)は、日本の4人組ロックバンド。所属レーベルはエイベックス・エンタテインメント内のA.S.A.B。所属事務所はスパイスコミュニケーション。略称は「モマジ」または「モンマジ」「モンキー」。

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Mr.サマータイム

「Mr.サマータイム -夏物語-」(ミスター・サマータイム なつものがたり)は、1978年3月25日にリリースされた、コーラスグループ「サーカス」の2枚目のシングル。

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MSC (音楽グループ)

MSC(エム・エス・シー)は、日本のヒップホップクルー。2000年に結成し、新宿を拠点に活動。2003年からレーベルLibra Recordsに所属し、2014年からは中心メンバーの漢 a.k.a. GAMIが設立した株式会社鎖グループ内のレーベル「BLACK SWAN」に所属。旧名はMS CRU。

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NAOKO VS MIYUKI (研ナオコ、中島みゆきを唄う)

『NAOKO VS MIYUKI/研ナオコ、中島みゆきを歌う』(ナオコ・バーサス・ミユキ/けんナオコ、なかじまみゆきをうたう)は、研ナオコの6枚目のオリジナルアルバム。 1978年7月25日発売。販売・発売元はキャニオン・レコード。規格品番はLP:AF-6027、CT:25P7014。

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NITRO MICROPHONE UNDERGROUND

NITRO MICROPHONE UNDERGROUND(ニトロ・マイクロフォン・アンダーグラウンド)は、日本のヒップホップグループ。略称はニトロ、ナイトロ、NMU。2012年に突然の活動休止を発表。その後、7年の月日を経て、デビュー20年の節目にあたる2019年に活動再開。

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Nobodyknows+

nobodyknows+(ノーバディーノウズ)は、日本の男性5人組ヒップホップグループ。1999年結成。所属レコード会社兼レーベルは$TAX RECORDS。

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OLIVE OIL

OLIVE OIL(オリーブオイル、1978年 - )は、日本出身の音楽プロデューサー、DJである。

見る 1978年の音楽とOLIVE OIL

ORCA

ORCA(オルカ)は、日本のツインボーカルユニットである。 そのスタイルから「輪唱ロック」を称される。2002年活動開始。2004年日本クラウンよりメジャーデビュー。

見る 1978年の音楽とORCA

PE'Z

PE'Z(ペズ)は、1999年に結成された5人組ジャズ器楽曲バンド。

見る 1978年の音楽とPE'Z

POLYSICS

POLYSICS(ポリシックス)は、日本のニュー・ウェイヴ・バンド。1997年に結成、2000年にメジャー・デビュー。所属レーベルはKi/oon Music。メンバーは、ハヤシヒロユキ、フミ、ヤノマサシの3人。

見る 1978年の音楽とPOLYSICS

RAM RIDER

RAM RIDER(ラムライダー、1978年7月17日 - )は、日本の音楽家、音楽プロデューサー、シンガー、DJ。男性。所属事務所はASOBI SYSTEM。所属レーベルは401。

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Rayflower

Rayflower(レイフラワー)は、SOPHIAの都啓一を中心に結成された日本のヴィジュアル系ロックバンド。2009年に結成。

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Reina (歌手)

Reina(レイナ、1978年1月6日 - )は、日本の歌手。MAXのメンバー。本名(旧姓)・宮内 玲奈 (みやうち れいな)。沖縄県那覇市出身。

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ROCK'A'TRENCH

ROCK'A'TRENCH(ロッカトレンチ)は、日本のロックバンド。 2007年ワーナーミュージック・ジャパンよりメジャーデビュー。バンド名はボブ・マーリーの曲「Trench Town Rock」に由来している。 2011年に活動休止を発表。2011年12月3日に大阪・なんばHatchで行われたライブを最後に無期限の活動休止となった。その後、2020年に9年ぶりに5人でのリモートセッションを行ったことをきっかけに、音楽制作を再開。活動休止前の最後のライブの日から10年後の2021年12月3日に新曲(配信シングル)のリリースを発表した。

見る 1978年の音楽とROCK'A'TRENCH

ROTTENGRAFFTY

ROTTENGRAFFTY(ロットングラフティー)は、日本のロックバンド。所属レーベルはGetting Better。略称は「ロットン」。

見る 1978年の音楽とROTTENGRAFFTY

RUMI

RUMI(ルミ 本名:荒居留美)(1978年9月11日 - )は日本のヒップホップMCである。

見る 1978年の音楽とRUMI

RYUKYUDISKO

RYUKYUDISKO(リュウキュウディスコ)は、沖縄県出身の廣山哲史(ひろやま てつし)と廣山陽介(ひろやま ようすけ)の双子の兄弟による音楽ユニットである。沖縄音楽とテクノを融合させた音楽スタイルを特徴としている。 RYUKYUDISKOとしての活動のほかに、廣山哲史はORIONBEATS、廣山陽介はYAPANのソロプロジェクトを持つ。

見る 1978年の音楽とRYUKYUDISKO

SCARS (グループ)

SCARS(スカーズ)は、2003年頃に結成された7人のMCと2人のトラックメイカーからなる日本のヒップホップユニット。グループ名の由来は、リーダーのA-THUGが映画『スカーフェイス』に影響され命名した。

見る 1978年の音楽とSCARS (グループ)

Sensation (バンド)

Sensation(センセーション)は、日本のインストゥルメンタルロックバンド。2012年結成。所属芸能事務所はギザアーティスト。所属レコード会社はGIZA studioで、レーベルはD-GO。

見る 1978年の音楽とSensation (バンド)

Shinya

Shinya(シンヤ、1978年2月24日 - )は、DIR EN GREYおよびソロプロジェクトであるSERAPHのドラマー。大阪府出身、血液型B型。 身長171cm。 愛称はやもちゃん。

見る 1978年の音楽とShinya

SKA SKA CLUB

SKA SKA CLUB(スカスカクラブ)は、日本のスカコア・バンドである。 1997年に東京大学のバンドサークルにて結成。メンバーのほとんどが東大生ということも話題となった。2004年よりメンバーの就職等により個々の活動が開始。2004年12月のライブにて活動休止。2012年、復活ライブ開催を発表した。

見る 1978年の音楽とSKA SKA CLUB

SOIL&"PIMP"SESSIONS

社長(2016年) SOIL&"PIMP"SESSIONS(ソイル・アンド・ピンプ・セッションズ)は、日本の4人組インスト・ジャズバンド。 メジャー・デビューをきっかけに、バンド名を「SOIL&HEMP SESSIONS」から「SOIL&"PIMP"SESSIONS」に改名。SOILは「塵、埃、土壌、大地」を、PIMPは「女衒」を表す。SOILが土壌というどこか暖かいニュアンスであるのに対してPIMPというのは国によっては放送禁止用語扱いになるような言葉であるが、陰影的で人工的で、よく言えば煌びやかなものという反対の意味を指しており、通常であればあり得ない組み合わせだが、ひとつのバンドに相反するふたつのエッセンスが存在しているということを象徴しており、彼らの音楽の重要なエッセンスに共通するものである。

見る 1978年の音楽とSOIL&"PIMP"SESSIONS

Sonar Pocket

Sonar Pocket(ソナーポケット)は、日本の3人組音楽ユニット。2005年結成。所属芸能事務所はテレビ朝日ミュージック。レーベルはワーナーミュージック・ジャパン。略称はソナポケ。徳間ジャパンコミュニケーションズ在籍時に発売された作品にはソナーポケット表記が使用された。 グループの由来は、いつでも「ポケット」に入れて持ち運べるような、心に寄り添う歌を届けたいという願いから命名された。

見る 1978年の音楽とSonar Pocket

Soul Camp (音楽ユニット)

Soul Camp(そうる きゃんぷ)は、沖縄出身の3人組J-POP・グループである。レーベルはワーナーミュージック・ジャパン。「Climax Entertainment」所属。

見る 1978年の音楽とSoul Camp (音楽ユニット)

SOUL'd OUT

SOUL'd OUT(ソウルド アウト)は、日本の2MC+Trackmasterのヒップホップグループ。所属事務所はARTIMAGE。所属レコード会社はSME Records。通称『S.O』(エス・オー)。 ブラックミュージック、ダンスクラシック、1980年代の洋楽ポップスなどの要素を取り入れた、多彩な音楽性を持つ。 メンバー、Shinnosukeの私的な理由により脱退の申し入れがあり、2014年7月に行われたライヴをもって解散となった。

見る 1978年の音楽とSOUL'd OUT

T-SQUARE

T-SQUARE(ティー・スクェア)は、日本のインストゥルメンタルバンド。1988年までTHE SQUARE(ザ・スクェア)名義で活動。通称スクェア。 一般的にはジャズ・フュージョンのスタイルとして認知され、メディアでもそのように取り扱われているが、当人らは自身を「ポップ・インストゥルメンタル・バンド」と称している。サックスやウィンドシンセを前面に出した音楽が特徴。 T-SQUARE Music Entertainment Inc.所属。

見る 1978年の音楽とT-SQUARE

TBSテレビ

株式会社TBSテレビ - TBSテレビ(ティビーエステレビ、)は、TBSホールディングスの連結子会社であり、関東広域圏を放送対象地域としてテレビジョン放送事業を行う特定地上基幹放送事業者。東京都港区赤坂のTBS放送センター(赤坂サカス)に本社を置く。 略称はTBSであるが、ラテ兼営の過去からグループ会社の中波ラジオ単営局TBSラジオ(TBS R、旧TBSラジオ&コミュニケーションズ〈TBS R&C〉)もしばしばそのように表記されるこのためTBSラジオの新サイトでTBSテレビは「TBS TV」と表記されている。。ジャパン・ニュース・ネットワーク(JNN)のキー局である。 本項目では、法人としての「株式会社TBSテレビ」、及び地上基幹放送局としての「TBSテレビ」について記述する。

見る 1978年の音楽とTBSテレビ

TENN

TENN(テン、本名:森脇 隆宏(もりわき たかひろ)、1978年12月11日 - 2014年9月25日)は、ET-KINGでMCを担当する日本のミュージシャン。大阪府東大阪市出身。血液型はAB型。 TENNという名前の由来は、専門学校時代サッカー部のキャプテンを任されかけたが、嫌だったので無理矢理キャプテンをキャプとテンに分けてテンを担当していたことから。好きな本は矢沢永吉の「成り上がり」。

見る 1978年の音楽とTENN

THE BACK HORN

THE BACK HORN(ザ・バックホーン)は、日本のオルタナティヴ・ロックバンド。所属事務所およびレーベルはSPEEDSTAR RECORDS。略称は「バクホン」。公式ファンクラブは「銀河遊牧民」。 「KYO-MEI」という言葉をテーマとして、「聞く人の心をふるわせる音楽を届けていく」という意思を掲げて活動する。

見る 1978年の音楽とTHE BACK HORN

The band apart

the band apart(ザ・バンド・アパート)は、日本の4人組ロックバンド。所属レーベルはasian gothic。略称は「バンアパ」。

見る 1978年の音楽とThe band apart

THE PREDATORS

THE PREDATORS(ザ・プレデターズ)は、2005年に結成された、日本のスリーピース・ロックバンドである。「ポップなニルヴァーナ」を意識した音楽がコンセプトであったが、2015年の活動でラモーンズを意識しつつもテーマをあまり設けずに曲作りをしていて、2018年の活動では特にテーマなどは設けずに曲作りをしている。

見る 1978年の音楽とTHE PREDATORS

Tick

tick(ティック)は、石川県出身の日本の3人組バンドである。EMIミュージック・ジャパンに所属。2010年12月31日に解散。

見る 1978年の音楽とTick

Tobaccojuice

tobaccojuice(タバコジュース)は日本のロックバンドである。1999年結成。2004年キングレコードからメジャーデビュー。2007年からユニバーサルミュージックに在籍。2010年、自主レーベルASOBIを設立。2011年8月、2011年8月末のライブをもって約2年間の活動を終えた。2013年夏、SUMMER SONIC 2013にて活動再開。

見る 1978年の音楽とTobaccojuice

TOKIO

TOKIO(トキオ)は、日本の男性アイドルグループ、ロックバンドである。所属事務所は株式会社TOKIO、所属レコード会社はストームレーベルズ。本記事では、所属する株式会社TOKIOについても述べる。

見る 1978年の音楽とTOKIO

UFO (ピンク・レディーの曲)

「UFO」(ユーフォー)は、1977年12月にビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)からリリースされた日本のアイドルグループ・ピンク・レディーの6枚目のシングルである。ピンク・レディーのシングルとしては、最大のヒット作品となった。都倉俊一がシンセサイザーを使って制作した最初の楽曲。

見る 1978年の音楽とUFO (ピンク・レディーの曲)

Waive

Waive(ウェイブ)は、日本の4人組ロックバンド。2005年に解散後、幾度かの再演プロジェクトを経て、2023年4月11日、正式な再結成および2025年日本武道館単独公演をもっての解散を発表。

見る 1978年の音楽とWaive

WHY (バンド)

WHY(ホワイ)は、ビーイングに所属していた日本のロックバンド。

見る 1978年の音楽とWHY (バンド)

WORLD ORDER

WORLD ORDER(ワールド・オーダー)は、日本のダンスパフォーマンスグループ、音楽グループ。専属契約している音楽レーベルはなく、作品ごとに音楽レーベルを変えている。

見る 1978年の音楽とWORLD ORDER

Wyse (音楽バンド)

wyse(ワイズ)は、日本のロックバンドである。1999年結成。2001年にメジャーデビュー。2005年解散。2011年に再結成し2017年には所属事務所を独立、再メジャーデビューを果たす。 バンド名の「wyse」は「wise(賢い、賢明な)」を元にして作られた造語。 2004年に表記を「Wyse」に変更していたが、再結成に伴い結成当時の「wyse」に戻した。

見る 1978年の音楽とWyse (音楽バンド)

XTC (バンド)

XTC(エックス・ティー・シー)は、イングランド・ウィルトシャー州スウィンドン出身のロック・バンド。バンド名はアンディ・パートリッジが「Ecstasy」をもじったもの。 ビートルズやザ・ビーチ・ボーイズといった英米問わず、オールディーズなポップスや、サイケデリック・ロックなどからの幅広い影響をもとに、その活動を通じてポップミュージックのオルタナティヴな可能性を追求した。独特のポップセンスとこだわりに満ちたアレンジを志向しながらポップス・ロックとしてのフォーマットを損なわない大胆なアプローチは、のちのブリットポップ・ムーヴメントにも大きな影響を与えた。 日本のミュージシャンでは、P-MODEL、ムーンライダーズ、カーネーション、坂本龍一、スピッツ、L⇔R、POLYSICS、ホフディラン、People In The Box、サカナクション、カジヒデキ、Base Ball Bear、トータス松本、奥田民生、布袋寅泰、福山雅治、くるり、家主などに影響を与えている。

見る 1978年の音楽とXTC (バンド)

ZAN

ZAN(ザン)は、日本の音楽バンド。日本の伝統楽器である箏、尺八、篠笛、民謡で音楽活動を行う、和楽器専門のバンド。

見る 1978年の音楽とZAN

Zantö

Zantö(ザントー)は、2017年に結成された日本のミクスチャー・ロックバンド。3月10日を「ザントーの日」とし自主企画ライブを行っている。

見る 1978年の音楽とZantö

Zwei

Zwei(ヅヴァイ「ツヴァイ」ではなく「ヅヴァイ」と一文字目も濁る。)は、日本のガールズバンド。

見る 1978年の音楽とZwei

柴田まゆみ

柴田 まゆみ(しばた まゆみ 1959年2月3日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。

見る 1978年の音楽と柴田まゆみ

林檎殺人事件

「林檎殺人事件」(りんごさつじんじけん)は、 1978年6月21日に発売された郷ひろみの27作目のシングル。

見る 1978年の音楽と林檎殺人事件

恋するデビー

「恋するデビー」デビー・ブーン版につけられた邦題。「恋するデビー(マイ・ソングのテーマ)」と副題がついた表記もある。、または「マイ・ソングのテーマ」ケイシー・シシク版につけられた邦題。(原題:)は、1977年8月31日公開の映画『』(原題同じ)の主題歌。主演のディディ・コンの歌唱シーンの吹き替えをCMソング歌手兼セッション歌手のが務めたhuffingtonpost 2017年11月17日。アカデミー歌曲賞・ゴールデングローブ賞 主題歌賞を受賞。作詞・作曲はCMソング作家出身で同映画の監督でもある作曲家の(ジョー・ブルックス)。 その後、デビー・ブーン版のCDへの収録時には、原題を片仮名表記した「ユー・ライト・アップ・マイ・ライフ」の邦題が用いられることもある。

見る 1978年の音楽と恋するデビー

杏里

杏里(あんり、1961年8月31日 - )は、日本の歌手、シンガーソングライター、作曲家、作詞家。作詞作曲時およびフォーライフ・レコード所属時織田哲郎とのコラボレート時含む。のアーティスト名、ANRI(アンリ)。本名は川島 栄子(かわしま えいこ)GBスペシャル年鑑 YEAR BOOK '88-89(CBSソニー出版 1988年12月)p.143。 神奈川県出身。アメリカ・ロサンゼルス在住。所属レーベルはIVY Records。所属事務所はサンミュージック。身長168cm--->。血液型A型。

見る 1978年の音楽と杏里

東京厚生年金会館

東京厚生年金会館(とうきょうこうせいねんきんかいかん)は、東京都新宿区新宿5丁目にあった、厚生年金保険加入者の福祉増進を目的として社会保険庁が設置した厚生年金福祉施設。全国に所在した厚生年金会館の一つで、通称ウェルシティ東京。社会保険庁に関連する財団法人厚生年金事業振興団が運営していた。所在地から、「新宿厚生年金会館」と呼ばれることも多かったが、正式名称は「東京厚生年金会館」である。

見る 1978年の音楽と東京厚生年金会館

東京事変

東京事変(とうきょうじへん、英称:Tokyo Incidents、Incidents Tokyo)は、日本の5人組ロックバンド。所属事務所は黒猫堂。レコード会社はユニバーサルミュージック。愛称は「事変」。 2012年2月29日の日本武道館公演をもって活動を終了したが、その後2020年に「再生」と称して解散時のメンバーで再始動した。

見る 1978年の音楽と東京事変

東京ドーム

東京ドーム(とうきょうドーム)は、東京都文京区後楽にあるドーム球場。プロ野球・セントラル・リーグ(セ・リーグ)の読売ジャイアンツ(読売巨人軍)が専用球場(本拠地)としている。 1988年(昭和63年)3月18日に開場した日本初の屋根付き球場で“広い!高い!東京ドーム 上棟式で初公開”.

見る 1978年の音楽と東京ドーム

東京ららばい

「東京ららばい」(とうきょうららばい)は、中原理恵のデビュー・シングル。1978年3月21日発売。発売元は、CBS・ソニー。

見る 1978年の音楽と東京ららばい

東京音楽祭

東京音楽祭(とうきょうおんがくさい、Tokyo Music Festival)は、1972年から1992年まで開催されていた音楽祭である。

見る 1978年の音楽と東京音楽祭

松山千春

松山 千春(まつやま ちはる、1955年〈昭和30年〉12月16日 - )は、日本の男性フォークシンガー、シンガーソングライター。 北海道足寄郡足寄町出身。身長170cm。体重55kg。血液型はO型。主な代表曲に「大空と大地の中で」「季節の中で」「長い夜」「君を忘れない」などがある。

見る 1978年の音楽と松山千春

松任谷由実

松任谷 由実(まつとうや ゆみ、1954年〈昭和29年〉1月19日 - )は、日本のシンガーソングライターである。本名同じ。旧姓名及び旧芸名は、荒井 由実(あらい ゆみ)。 1972年にシングル「返事はいらない」でデビュー。一部企画では、愛称の「ユーミン(Yuming)」名義での活動もある。紫綬褒章受章者(2013年〈平成25年〉)。シンガーソングライターでは初めて文化功労者に選出された人物。(後述)公式ファンクラブは「Yuming Fan Club」。所属レコード会社はユニバーサルミュージック(旧:EMIミュージック・ジャパン)。血液型はO型。 他のアーティストへの作品提供の際には、本名のほか、グレタ・ガルボをもじったペンネームである呉田 軽穂(くれだ かるほ)を使用する場合もある。

見る 1978年の音楽と松任谷由実

松村禎三

松村 禎三(まつむら ていぞう、1929年1月15日 - 2007年8月6日)は、日本の作曲家、俳人。東京芸術大学名誉教授。

見る 1978年の音楽と松村禎三

松本素生

松本 素生(まつもと そう、1978年12月22日 - )は、日本のシンガーソングライター、音楽家、ボーカリスト、ギタリスト、作詞家、作曲家、DJ、ナレーター。日本のロックバンドGOING UNDER GROUNDのメンバー(担当はボーカル・ギター)。埼玉県桶川市出身、血液型A型。同バンドの楽曲の多くを作詞・作曲するほか、他のミュージシャンへの楽曲提供も行っている。2009年夏より「SxOxU(ソウ)」名義、「松本素生」名義でソロ活動も行っている。

見る 1978年の音楽と松本素生

松本英彦

松本 英彦(まつもと ひでひこ、1926年10月12日 - 2000年2月29日)は、日本のテナー・サックス奏者。ニックネームは「スリーピー松本」。 戦後日本のジャズ界を代表するプレイヤーとして国際的に活躍し、モントルー・ジャズ・フェスティバルには日本人として初めて出場した。甥に松本晃彦がいる。

見る 1978年の音楽と松本英彦

村治佳織

村治 佳織(むらじ かおり、1978年4月14日 - )は、日本のギタリスト。東京都台東区出身。 同じくギタリストの村治奏一は実弟。

見る 1978年の音楽と村治佳織

栄光への脱出〜武道館ライブ

『栄光への脱出〜武道館ライブ』(えいこうへのだっしゅつ ぶどうかんライブ)は、1978年10月にリリースされたアリスの4枚目となるライブ・アルバム。

見る 1978年の音楽と栄光への脱出〜武道館ライブ

桜田淳子

桜田 淳子(さくらだ じゅんこ、1958年〈昭和33年〉4月14日 - )は、日本の元女優・歌手。サンミュージック所属(活動当時)。身長161cm。秋田県秋田市新屋表町出身。愛称は「ジュンペイ」「淳ちゃん」「ズン子」。3児の母。

見る 1978年の音楽と桜田淳子

桂木文

桂木 文(かつらぎ あや、1960年〈昭和35年〉12月16日 - )は、日本の女優、元アイドル。本名:蟹江 文(かにえ あや)。 愛知県名古屋市出身。 血液型はO型。オー・エンタープライズに所属していた。身長159.8cm、体重50kg。B79.4cm、W58.5cm、H90cm週刊サンケイ1981年1月22日号 p.163。

見る 1978年の音楽と桂木文

森まどか (歌手)

森まどか(もりまどか、11月7日プレイファイブ(連合通信社)1978年7月号 当人のページ。なお、ここでは当人の生年が公開されている。 - )は日本の歌手。北海道札幌市豊平区出身。血液型A型。

見る 1978年の音楽と森まどか (歌手)

椎名林檎

椎名 林檎(しいな りんご、1978年11月25日 - )は、日本のシンガーソングライター。有限会社黒猫堂所属。レコードレーベルはEMI Records。2004年からはロックバンド・東京事変のボーカリストとしても活動している。 2009年、平成20年度芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)受賞。2017年12月、東京オリンピックの『4式典総合プランニングチーム』に選出。 アメリカ最大の音楽レビューサイト「Rate Your Music」では、J-Rockジャンルにて最高評価を得ている。 2000年に弥吉淳二と結婚。一男をもうけ、2002年に離婚した。 現時点で事実婚状態にあるのは映像ディレクターの児玉裕一。児玉との間に二児を儲けた。2024年現在、3人の子を持つ母である。

見る 1978年の音楽と椎名林檎

横浜音楽祭

横浜音楽祭(よこはまおんがくさい)は、アール・エフ・ラジオ日本(当時はラジオ関東)の主催により1974年から1991年ごろ(1988年は昭和天皇の容態悪化に配慮して中止)にかけて開催された音楽祭である。開催時期は10月。文化放送「新宿音楽祭」、ニッポン放送「銀座音楽祭」、ABC「ABC歌謡新人グランプリ」と並んでラジオ局による歌謡新人賞レース序盤の重要な大会であった。後援は神奈川県・横浜市・テレビ神奈川など。

見る 1978年の音楽と横浜音楽祭

樹木希林

樹木 希林(きき きりん、1943年〈昭和18年〉1月15日 - 2018年〈平成30年〉9月15日)は、日本の女優。戸籍名:内田 啓子(うちだ けいこ)、旧姓:中谷(なかたに)。旧芸名は悠木 千帆(ゆうき ちほ、初代)。 東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。 2番目の夫は内田裕也。間に娘・内田也哉子がいる。夫とは長く別居を続けていた。 父は薩摩琵琶奏者・錦心流の中谷襄水(辰治)(1917年 - 1989年)。妹も薩摩琵琶奏者の荒井姿水(昌子)。その息子も薩摩琵琶奏者の荒井靖水。

見る 1978年の音楽と樹木希林

歩き続ける時

『歩き続ける時』(あるきつづけるとき)は、1978年10月21日にリリースされた松山千春の3枚目のオリジナル・アルバムである。

見る 1978年の音楽と歩き続ける時

水原弘

水原 弘(みずはら ひろし、1935年(昭和10年)11月1日 - 1978年(昭和53年)7月5日)は、日本の歌手・俳優である。愛称は「おミズ」。東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)出身。東京都立赤坂高等学校商業科卒業。

見る 1978年の音楽と水原弘

水越けいこ

水越 けいこ(みずこし けいこ、1954年2月4日 - )は、山梨県南都留郡道志村出身のシンガーソングライター、作詞家、作曲家。作詞家・作曲家としては「水越恵子」。歌手としても「水越恵子」として活動した時期もあった。

見る 1978年の音楽と水越けいこ

永井龍雲

永井 龍雲(ながい りゅううん、1957年11月4日 - )は、日本のシンガーソングライター。作詞・作曲家。

見る 1978年の音楽と永井龍雲

江口夜詩

江口 夜詩(えぐち よし、1903年7月1日 - 1978年12月8日)は、日本の作曲家、海軍軍人。海軍軍楽隊員。本名江口 源吾(えぐち げんご)。

見る 1978年の音楽と江口夜詩

池田綾子

池田 綾子(いけだ あやこ、1978年6月1日 - )は、日本の女性シンガーソングライター、作詞家、作曲家。東京都出身。武蔵野音楽大学声楽科卒業。血液型はB型。

見る 1978年の音楽と池田綾子

沢田研二

沢田 研二(さわだ けんじ、1948年〈昭和23年〉6月25日 - )は、日本の歌手、俳優、ソングライター。ザ・タイガース及び、PYGのボーカル。本名:澤田 研二(読み同じ)。身長171cm。血液型A型。 両親の実家がある鳥取県岩美郡津ノ井村(現・鳥取市)生まれで京都府京都市育ち。ニックネームは『ジュリー』『我が名は、ジュリー』p.3。妻は女優の田中裕子。義弟は俳優の田中隆三。前妻は歌手の伊藤エミ。 1960年代後半のグループ・サウンズ全盛期から最前線で活躍し、ソロとしてのシングル総売上は1,241万枚を記録。1982年から1991年までの9年間は歴代1位の座を保つ「オリコン」調べ。1982年8月9日付で歴代1位になった。

見る 1978年の音楽と沢田研二

河野丈洋

河野 丈洋(こうの たけひろ、1978年9月18日 - )は、日本の作曲家、音楽家。埼玉県上尾市出身。

見る 1978年の音楽と河野丈洋

涙の誓い

「涙の誓い」(なみだのちかい)は、1978年3月5日に東芝EMIから発売されたアリスの12枚目のシングル。

見る 1978年の音楽と涙の誓い

涙色の微笑

「涙色の微笑」(なみだいろのほほえみ、Can't Smile Without You)は、バリー・マニロウが1978年にカバーしヒットしたことで知られる楽曲。本来は1961年のニール・セダカの「Smile」が原曲で、カーペンターズがカバー、彼らのバージョンの邦題は「微笑の泉」といった。

見る 1978年の音楽と涙色の微笑

渡辺プロダクション

株式会社渡辺プロダクション(わたなべプロダクション、Watanabe Productions Co., Ltd.)は、芸能事務所など10社1財団(自社含む)を統括する持株会社である。しばしばナベプロと呼ばれる。 創業者は渡辺晋。晋の妻の渡邊美佐は名誉会長兼グループ代表。代表取締役会長は晋・美佐夫妻の長女である渡辺ミキ(ワタナベエンターテインメント社長)、代表取締役社長は同次女の渡邊万由美(トップコート社長)が務める。

見る 1978年の音楽と渡辺プロダクション

渡辺真知子

渡辺 真知子(わたなべ まちこ、1956年〈昭和31年〉10月23日 - )は、日本のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。本名:渡邉 真知子(読み同じ)。神奈川県横須賀市出身。緑ヶ丘女子高等学校、洗足学園短期大学音楽科卒業 渡辺真知子オフィシャルウェブサイト Kamome's nest、Kamome Music、2021年3月26日閲覧。。

見る 1978年の音楽と渡辺真知子

渡辺貞夫

渡辺 貞夫(わたなべ さだお、1933年〈昭和8年〉2月1日 - )は、日本のジャズサクソフォーン奏者・ジャズミュージシャン・作曲家。栃木県宇都宮市出身。 「ナベサダ」の愛称でサックス奏者・フルート奏者としてジャズ、フュージョンの分野で活動を展開。 ちなみに、妹はジャズシンガーのチコ本田、弟はジャズドラマーの渡辺文男、娘に絵本作家の渡辺眞子がいる。

見る 1978年の音楽と渡辺貞夫

渋谷哲平

渋谷 哲平(しぶや てっぺい、1961年5月5日 - )は、日本の俳優、元アイドル歌手。本名、澁谷 恵紀(しぶや しげのり)。サンミュージックプロダクション、を経て、現在に所属。

見る 1978年の音楽と渋谷哲平

漢 (ラッパー)

漢(かん、本名:川上 国彦、1978年6月7日 - )は、新潟県長岡市生まれ、東京都新宿区育ちの日本のヒップホップMC。新宿を拠点に活動するヒップホップグループ・MSCのリーダー。漢 a.k.a. GAMI(カン・エーケーエー・ガミ)表記での活動が多い。MCネームの「漢」は不動明王を表す梵字の読み「カーン」、「GAMI」は幼少期の渾名である「ガミちゃん」から来ている。元妻はラッパーのMC麻起。

見る 1978年の音楽と漢 (ラッパー)

演歌チャンチャカチャン

演歌チャンチャカチャン(えんかチャンチャカチャン)は、平野雅昭のデビューシングル。1977年11月25日発売。発売元はテイチク(現・テイチクエンタテインメント)。

見る 1978年の音楽と演歌チャンチャカチャン

持田香織

持田 香織(もちだ かおり、1978年3月24日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。Every Little Thingのボーカリスト。旧芸名は『持田かおり』。 東京都江東区亀戸出身。血液型はA型。愛称は「もっちー」、「もっち」、「かおりん」、「だもきち」など。甥と姪からは「かっか」、Every Little Thing元メンバーの五十嵐充からは「かんちゃん」という愛称で呼ばれている(五十嵐のブログより)。

見る 1978年の音楽と持田香織

朝日作曲賞 (合唱)

朝日作曲賞(あさひさっきょくしょう、Asahi Composition Award for Chorus)は、朝日新聞社と社団法人全日本合唱連盟が主催する1971年から開催されている作曲コンクール。(1971年〜1989年は「創作合唱曲公募」という名称) 新しい合唱曲の開発を目指すとともに、全日本合唱コンクール(朝日新聞社・社団法人全日本合唱連盟主催)で使用する課題曲の公募として開催されている。(課題曲に選出されるようになったのは1979年から)。

見る 1978年の音楽と朝日作曲賞 (合唱)

木下理樹

木下 理樹(きのした りき、1978年10月14日 - )は日本のシンガーソングライター。ソロ活動を経て、ART-SCHOOL、killing Boyのボーカル、ギター担当として活動している。2010年末まではART-SCHOOLの戸高賢史らとともにKARENでも活動していた。大阪府大阪市出身。血液型はO型。 2015年にはART-SCHOOLを休止し、自主レーベル「Warszawa-Label」を立ち上げていた。

見る 1978年の音楽と木下理樹

木之内みどり

木之内 みどり(きのうち みどり、1957年6月10日「」国立国会図書館デジタルコレクション - )は、日本の元アイドル歌手、元女優である。出生名は木之内みどり。1976年時点の公称サイズは、身長163cm、体重42kg、B78cm・W57cm・H84cm。血液型O型。北海道小樽市出身。

見る 1978年の音楽と木之内みどり

想い出のロックン・ローラー

『想い出のロックン・ローラー』(おもいでのロックン・ローラー、原題: 「1960年代のかつてのファン」という意味。「ex」はフランス語・英語ともに「元」、「旧」、「かつての」などの接頭辞。「」(英語)は「ファン」、「」(フランス語)は前置詞と冠詞の縮約()で「の」、「」(英語)は「1960年代」。)は、ジェーン・バーキンのスタジオ・アルバムである。ソロ・アルバムとして3枚目になるこのアルバムは1978年にリリースされた。アルバムのすべての歌がバーキンの内夫セルジュ・ゲンスブールによる作である。1960年代のロック・スターを歌った表題曲の他、ニューオーリンズ風のビート、エレガントなポップなど多様なサウンドアプローチがある斬新なアルバムであり、この内夫ゲンスブールの才能が存分に発揮されている。この作品によりバーキンの歌手としての地位が確立した。

見る 1978年の音楽と想い出のロックン・ローラー

戸田敏子

戸田 敏子(とだ としこ、1922年(大正11年)5月10日 - 2015年(平成27年)9月24日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ、アルト)、オペラ歌手、音楽教育者。東京藝術大学名誉教授。

見る 1978年の音楽と戸田敏子

戻っておいで・私の時間

「戻っておいで・私の時間」(もどっておいで わたしのじかん)は、竹内まりやのデビュー・シングル。1978年11月25日にRCA(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)より発売された。

見る 1978年の音楽と戻っておいで・私の時間

明日へのキック・オフ

『明日へのキック・オフ』(原題:Foot Loose & Fancy Free)は、ロッド・スチュワートが1977年に発表したソロ・アルバム。スタジオ・アルバムとしては8作目。

見る 1978年の音楽と明日へのキック・オフ

海風 (アルバム)

『海風』(うみかぜ)は、日本のフォークデュオ、風の4枚目のアルバムである。

見る 1978年の音楽と海風 (アルバム)

浜崎あゆみ

浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、1978年〈昭和53年〉10月2日 - )は、日本の女性歌手。所属レーベルはavex trax。2000年前後に自身作詞でミリオンセラーを連発し、CD総売上枚数が5000万枚を越えて日本の歴代女性ソロアーティスト1位。愛称は「ayu」。

見る 1978年の音楽と浜崎あゆみ

浅田美代子

浅田 美代子(あさだ みよこ、本名同じ、1956年〈昭和31年〉2月15日 - ) は、日本の女優・タレント・元アイドル歌手である。愛称は「美代ちゃん」「美代子さん」。身長157cm、血液型はB型。所属事務所は芸映プロダクション→テアトル・ド・ポッシュ、歌手活動当時の所属レコード会社はCBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックレーベルズ、当時の所属レーベルはEpic)。 東京都港区出身。港区立南山小学校から東京女学館中学校を経て東京女学館高等学校。

見る 1978年の音楽と浅田美代子

斎藤圭土

斎藤 圭土(さいとう けいと、Keito Saito、1978年11月18日 - )はブギウギ・ピアニスト、作曲家。神奈川県横須賀市出身。

見る 1978年の音楽と斎藤圭土

新宿音楽祭

新宿音楽祭(しんじゅくおんがくさい)は、1968年から1994年(1988年は昭和天皇の容態悪化に配慮して中止となったため、入賞した歌手20組は全員銅賞扱い)にかけて開催された、新人歌手対象の音楽祭である。開催時期は毎年10月初旬から中旬となっており、ニッポン放送「銀座音楽祭」、ラジオ日本「横浜音楽祭」、ABC「ABC歌謡新人グランプリ」と並んでラジオ局による歌謡新人賞レース序盤の重要な大会であった。

見る 1978年の音楽と新宿音楽祭

日本作詩大賞

日本作詩大賞(にほんさくしたいしょう)は、日本作詩家協会主催の演歌・歌謡曲の育成を目的としている音楽祭である。2021年現在、演歌・歌謡曲における唯一の賞レースとして位置づけられている。

見る 1978年の音楽と日本作詩大賞

日本テレビ音楽祭

日本テレビ音楽祭(にほんテレビおんがくさい)は、日本テレビの主催により1975年から1990年まで開催された音楽祭であり、日本テレビ系列局で放送されたテレビ番組でもある。正式名称は「輝け!!第○回日本テレビ音楽祭」である。 本項では後継企画として1991年から放送された日本テレビ音楽の祭典(にほんテレビおんがくのさいてん)についても扱う。

見る 1978年の音楽と日本テレビ音楽祭

日本演歌大賞

日本演歌大賞(にほんえんかたいしょう)は、1975年から1991年まで開催されていたTBSの音楽祭である。

見る 1978年の音楽と日本演歌大賞

日本有線大賞

日本有線大賞(にほんゆうせんたいしょう)は、1968年から2017年まで開催されていた、音楽に関する賞である。主催は全国有線音楽放送協会(通称:全音協)。 有線放送シェア第2位の「キャンシステム」へ寄せられるリクエスト回数を基準に決定する賞である。なお、国内シェア80%を占める 最大手のUSENは主催者である全音協に加盟していないため、この賞に関与していなかった。

見る 1978年の音楽と日本有線大賞

早春譜 (アルバム)

『早春譜』(そうしゅんふ)は、1978年3月21日にリリースされた、キャンディーズ10枚目、かつ最後のアルバムである。

見る 1978年の音楽と早春譜 (アルバム)

悲しきサルタン (アルバム)

『悲しきサルタン』(原題:Dire Straits)は、イギリスのロック・バンド、ダイアー・ストレイツが1978年に発表した初のスタジオ・アルバム。

見る 1978年の音楽と悲しきサルタン (アルバム)

悲しき願い (1964年の曲)

「悲しき願い」(かなしきねがい、Don't Let Me Be Misunderstood )は、ベニー・ベンジャミン、グロリア・コールドウェル、ソル・マーカスが作詞・作曲した1964年の楽曲。歌手兼ピアニストのニーナ・シモンが1964年に初めてレコーディングして以降、多数のミュージシャンに採りあげられ、幾多のバージョンが生まれたスタンダード・ナンバー。特に有名なものとしては、1965年のアニマルズのバージョン、1977年のサンタ・エスメラルダによるディスコ・アレンジのバージョンなどがある。

見る 1978年の音楽と悲しき願い (1964年の曲)

愛のデュエット

「愛のデュエット」(英)は、1978年のミュージカル映画『グリース』の為に制作された楽曲で、ジョン・トラボルタとオリビア・ニュートン=ジョンによって歌われた。

見る 1978年の音楽と愛のデュエット

愛は魔術師

「愛は魔術師」(あいはマジシャン、)は、オーストラリアのシンガーソングライター、オリビア・ニュートン=ジョンの楽曲。スタジオ・アルバム『さよならは一度だけ』に収録されており、先行シングルとしてリリースされた。

見る 1978年の音楽と愛は魔術師

愛していると云ってくれ

『愛していると云ってくれ』(あいしているといってくれ)は、1978年4月10日に発表された、中島みゆきの4作目のオリジナルアルバムである。

見る 1978年の音楽と愛していると云ってくれ

愛しのニコレット

『愛しのニコレット』(原題:Nicolette)は、アメリカ合衆国の歌手ニコレット・ラーソンが1978年に発表した初のスタジオ・アルバム。

見る 1978年の音楽と愛しのニコレット

思いきり気障な人生

『思いきり気障な人生』(おもいきりきざなじんせい)は、日本の歌手である沢田研二の10作目となるオリジナル・アルバム。 1977年11月15日にポリドール (現ユニバーサルミュージック)からLP盤でリリースされた。なお、当時所属していた渡辺プロダクション系のアポロン音楽工業(後のバンダイ・ミュージックエンタテインメント)からリリースされた音楽テープ版は『勝手にしやがれ』のタイトルであった。 その後CD化され、1987年にポリドールから「沢田研二 2オリジナル・アルバムス」の2枚目(1枚目は「いくつかの場面」)として、1991年と1996年に東芝EMIから、また2005年にはユニバーサルミュージックから再リリースされている。

見る 1978年の音楽と思いきり気障な人生

思い出は美しすぎて

『思い出は美しすぎて』は、1978年1月5日にリリースされた八神純子の3枚目のシングル。八神のプロ歌手としてのメジャー・デビュー曲でもある。同年6月25日には、このシングルが収録されたアルバム『思い出は美しすぎて』を発売した。

見る 1978年の音楽と思い出は美しすぎて

思い出は美しすぎて (アルバム)

『思い出は美しすぎて』(おもいではうつくしすぎて)は、1978年6月25日に発売された八神純子の1枚目のアルバム。

見る 1978年の音楽と思い出は美しすぎて (アルバム)

時には娼婦のように

「時には娼婦のように」(ときにはしょうふのように)は、1978年2月10日に日本の俳優・歌手である黒沢年男 (現:黒沢年雄)と、作詞家・歌手であるなかにし礼の競作として発売されたシングル。また同年9月に同名の映画も公開された。

見る 1978年の音楽と時には娼婦のように

時間よ止まれ (矢沢永吉の曲)

「時間よ止まれ」(じかんよとまれ)は、矢沢永吉の楽曲で5枚目のシングル。1978年3月21日発売。

見る 1978年の音楽と時間よ止まれ (矢沢永吉の曲)

10月

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より10月 10月(じゅうがつ)は、グレゴリオ暦で年の第10の月に当たり、31日間ある。 日本では、旧暦10月を神無月(かみなづき、かんなづき(「かむなづき」とも表記)、かみなしづき、かみなかりづき)と呼び、新暦10月の別名としても用いる。 英語での月名 October は、ラテン語表記に同じで、これはラテン語で「第8の」という意味の octo の語に由来している。一般的な暦では10番目の月であるが、紀元前46年まで使われていたローマ暦では、一般的な暦の3月が年始であり、3月から数えて8番目という意味である。 平年の場合、10月はその年の1月と同じ曜日で始まる。

見る 1978年の音楽と10月

10月13日

10月13日(じゅうがつじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から286日目(閏年では287日目)にあたり、年末まであと79日ある。

見る 1978年の音楽と10月13日

10月14日

10月14日(じゅうがつじゅうよっか、じゅうがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から287日目(閏年では288日目)にあたり、年末まであと78日ある。

見る 1978年の音楽と10月14日

10月17日

10月17日(じゅうがつじゅうななにち、じゅうがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から290日目(閏年では291日目)にあたり、年末まであと75日ある。

見る 1978年の音楽と10月17日

10月18日

10月18日(じゅうがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から291日目(閏年では292日目)にあたり、年末まであと74日ある。

見る 1978年の音楽と10月18日

10月19日

10月19日(じゅうがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から292日目(閏年では293日目)にあたり、年末まであと73日ある。

見る 1978年の音楽と10月19日

10月24日

10月24日(じゅうがつにじゅうよっか、じゅうがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から297日目(閏年では298日目)にあたり、年末まであと68日ある。

見る 1978年の音楽と10月24日

10月27日

10月27日(じゅうがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から300日目(閏年では301日目)にあたり、年末まであと65日ある。

見る 1978年の音楽と10月27日

10月2日

10月2日(じゅうがつふつか)は、グレゴリオ暦で年始から275日目(閏年では276日目)にあたり年末まであと90日ある。

見る 1978年の音楽と10月2日

10月31日

10月31日(じゅうがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から304日目(閏年では305日目)にあたり、年末まであと61日ある。10月の最終日である。

見る 1978年の音楽と10月31日

10月3日

10月3日(じゅうがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から276日目(閏年では277日目)にあたり、年末まであと89日ある。

見る 1978年の音楽と10月3日

10月7日

10月7日(じゅうがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から280日目(閏年では281日目)にあたり、年末まであと85日ある。

見る 1978年の音楽と10月7日

10月8日

10月8日(じゅうがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から281日目(閏年では282日目)にあたり、年末まであと84日ある。

見る 1978年の音楽と10月8日

10月9日

10月9日(じゅうがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から282日目(閏年では283日目)にあたり、年末まであと83日ある。

見る 1978年の音楽と10月9日

11月10日

11月10日(じゅういちがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から314日目(閏年では315日目)にあたり、年末まであと51日ある。

見る 1978年の音楽と11月10日

11月11日

11月11日(じゅういちがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から315日目(閏年では316日目)にあたり、年末まであと50日ある。

見る 1978年の音楽と11月11日

11月17日

11月17日(じゅういちがつじゅうななにち、じゅういちがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から321日目(閏年では322日目)にあたり、年末まであと44日ある。 毎年この日ごろしし座流星群が観測できる。

見る 1978年の音楽と11月17日

11月18日

11月18日(じゅういちがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から322日目(閏年では323日目)にあたり、年末まであと43日ある。

見る 1978年の音楽と11月18日

11月20日

11月20日(じゅういちがつはつか、じゅういちがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から324日目(閏年では325日目)にあたり、年末まであと41日ある。

見る 1978年の音楽と11月20日

11月23日

11月23日(じゅういちがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から327日目(閏年では328日目)にあたり、年末まであと38日ある。

見る 1978年の音楽と11月23日

11月25日

11月25日(じゅういちがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から329日目(閏年では330日目)にあたり、年末まであと36日ある。

見る 1978年の音楽と11月25日

11月26日

11月26日(じゅういちがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から330日目(閏年では331日目)にあたり、年末まであと35日ある。

見る 1978年の音楽と11月26日

11月27日

11月27日(じゅういちがつにじゅうしちにち、じゅういちがつにじゅうななにち)は、グレゴリオ暦で年始から331日目(閏年では332日目)にあたり、年末まであと34日ある。

見る 1978年の音楽と11月27日

11月29日

11月29日(じゅういちがつにじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から333日目(閏年では334日目)にあたり、年末まであと32日ある。

見る 1978年の音楽と11月29日

11月7日

11月7日(じゅういちがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から311日目(閏年では312日目)にあたり、年末まであと54日ある。

見る 1978年の音楽と11月7日

12月11日

12月11日(じゅうにがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から345日目(閏年では346日目)にあたり、年末まであと20日ある。

見る 1978年の音楽と12月11日

12月13日

12月13日(じゅうにがつじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から347日目(閏年では348日目)にあたり、年末まであと18日ある。

見る 1978年の音楽と12月13日

12月14日

12月14日(じゅうにがつじゅうよっか、じゅうにがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から348日目(閏年では349日目)にあたり、年末まであと17日ある。

見る 1978年の音楽と12月14日

12月17日

12月17日(じゅうにがつじゅうななにち、じゅうにがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から351日目(閏年では352日目)にあたり、年末まであと14日ある。

見る 1978年の音楽と12月17日

12月18日

12月18日(じゅうにがつ じゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から352日目(閏年では353日目)にあたり、年末までは、あと13日となる。

見る 1978年の音楽と12月18日

12月19日

12月19日(じゅうにがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から353日目(閏年では354日目)にあたり、年末まであと12日ある。

見る 1978年の音楽と12月19日

12月1日

12月1日(じゅうにがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から335日目(閏年では336日目)にあたり、年末まであと30日ある。

見る 1978年の音楽と12月1日

12月22日

12月22日(じゅうにがつにじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から356日目(閏年では357日目)にあたり、年末まであと9日ある。

見る 1978年の音楽と12月22日

12月25日

12月25日(じゅうにがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から359日目(閏年では360日目)にあたり、年末まであと6日ある。この日はクリスマスである。

見る 1978年の音楽と12月25日

12月31日

12月31日(じゅうにがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦において年始・1月1日から365日目(閏年においては366日目)にあたり、12月の末日、1年の末日(大晦日)である。この日の23時59分を過ぎると翌日0時0分から翌年1月1日となる。また、平年の場合にはその年の1月1日と同じ曜日になる。

見る 1978年の音楽と12月31日

12月5日

12月5日(じゅうにがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から339日目(閏年では340日目)にあたり、年末まであと26日ある。

見る 1978年の音楽と12月5日

12月6日

12月6日(じゅうにがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から340日目(閏年では341日目)にあたり、年末まであと25日ある。

見る 1978年の音楽と12月6日

12月7日

12月7日(じゅうにがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から341日目(閏年では342日目)にあたり、年末まであと24日ある。

見る 1978年の音楽と12月7日

12月8日

12月8日(じゅうにがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から342日目(閏年では343日目)にあたり、年末まであと23日ある。

見る 1978年の音楽と12月8日

12月9日

12月9日(じゅうにがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から343日目(閏年では344日目)にあたり、年末まであと22日ある。

見る 1978年の音楽と12月9日

19 (音楽グループ)

19(ジューク)は、日本のフォークデュオ。岡平健治と岩瀬敬吾によるデュオ。デビュー当初は326(みつる)がビジュアルプロデュース・作詞を担当メンバーとして参加していた。1998年結成・2002年3月解散。

見る 1978年の音楽と19 (音楽グループ)

1901年

20世紀最初の年である。

見る 1978年の音楽と1901年

1946年

この項目では、国際的に注目されたものを列挙する。

見る 1978年の音楽と1946年

1947年

この項目では、国際的な視点に基づいた1947年について記載する。

見る 1978年の音楽と1947年

1949年

この項目では、国際的な視点に基づいた1949年について記載する。

見る 1978年の音楽と1949年

1970年代の音楽

1970年代の音楽(1970ねんだいのおんがく)では、1970年代の洋楽・邦楽の代表的シングル曲を、年別に記述する。 (曲数は30曲前後が目安。カッコ内:作品リリース年月。任意)。

見る 1978年の音楽と1970年代の音楽

1977年

この項目では、国際的な視点に基づいた1977年について記載する。

見る 1978年の音楽と1977年

1977年の音楽

1977年の音楽(1977ねんのおんがく)では、1977年(昭和52年)の音楽分野の動向についてまとめる。 1976年の音楽-1977年の音楽-1978年の音楽。

見る 1978年の音楽と1977年の音楽

1978年

この項目では、国際的な視点に基づいた1978年について記載する。

見る 1978年の音楽と1978年

1979年の音楽

1979年の音楽(1979ねんのおんがく)では、1979年(昭和54年)の音楽分野の動向についてまとめる。 1978年の音楽-1979年の音楽-1980年の音楽。

見る 1978年の音楽と1979年の音楽

1988年

この項目では、国際的な視点に基づいた1988年について記載する。

見る 1978年の音楽と1988年

1989年

この年にベルリンの壁が崩壊したり冷戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。 この項目では、国際的な視点に基づいた1989年について記載する。

見る 1978年の音楽と1989年

1996年

この項目では、国際的な視点に基づいた1996年について記載する。

見る 1978年の音楽と1996年

1月12日

1月12日(いちがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から12日目に当たり、年末まであと353日(閏年では354日)ある。

見る 1978年の音楽と1月12日

1月18日

1月18日(いちがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から18日目に当たり、年末まであと347日(閏年では348日)ある。

見る 1978年の音楽と1月18日

1月19日

1月19日(いちがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から19日目に当たり、年末まであと346日(閏年では347日)ある。

見る 1978年の音楽と1月19日

1月23日

1月23日(いちがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から23日目に当たり、年末まであと342日(閏年では343日)ある。

見る 1978年の音楽と1月23日

1月27日

1月27日(いちがつにじゅうななにち、いちがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から27日目に当たり、年末まであと338日(閏年では339日)ある。

見る 1978年の音楽と1月27日

1月28日

1月28日(いちがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で 年始から28日目に当たり、年末まであと337日(閏年では338日)ある。

見る 1978年の音楽と1月28日

1月6日

1月6日(いちがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から6日目にあたり、年末まであと359日(閏年では360日)ある。

見る 1978年の音楽と1月6日

1月7日

1月7日(いちがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から7日目に当たり、年末まであと358日(閏年では359日)ある。

見る 1978年の音楽と1月7日

2002年

この項目では、国際的な視点に基づいた2002年について記載する。

見る 1978年の音楽と2002年

2007年

この項目では、国際的な視点に基づいた2007年について記載する。

見る 1978年の音楽と2007年

2009年

この項目では、国際的な視点に基づいた2009年について記載する。

見る 1978年の音楽と2009年

2010年

この項目では、国際的な視点に基づいた2010年について記載する。

見る 1978年の音楽と2010年

2011年

この項目では、国際的な視点に基づいた2011年について記載する。

見る 1978年の音楽と2011年

2012年

この項目では、国際的な視点に基づいた2012年について記載する。

見る 1978年の音楽と2012年

2014年

この項目では、国際的な視点に基づいた2014年について記載する。

見る 1978年の音楽と2014年

2月

2月(にがつ)は、グレゴリオ暦で年の第2の月に当たり、通常は28日間、閏年では29日間となる。 英語の呼び名である February はローマ神話のフェブルウス(Februus)をまつる祭りから取ったと言われている。 古代ローマの暦である「ヌマ暦」では1年の最後の月(閏月のある年を除く)であり平年は28日、閏月(メルケディヌスという)のある年は23日であった。その後のユリウス暦(現在のグレゴリオ暦の元となった暦)では旧ローマ暦11番目の月であった「ヤーヌアーリウス」を正月とし、12番目の月である「フェブルアーリウス」を2月としたが、ヌマ暦を踏襲して平年は28日、閏年には1日足して29日となった。

見る 1978年の音楽と2月

2月12日

2月12日(にがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から43日目にあたり、年末まであと322日(閏年では323日)ある。

見る 1978年の音楽と2月12日

2月15日

2月15日(にがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から46日目にあたり、年末まであと319日(閏年では320日)ある。

見る 1978年の音楽と2月15日

2月22日

2月22日(にがつにじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から53日目にあたり、年末まであと312日(閏年では313日)ある。

見る 1978年の音楽と2月22日

2月23日

2月23日(にがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から54日目にあたり、年末まであと311日(閏年では312日)ある。

見る 1978年の音楽と2月23日

2月24日

2月24日(にがつにじゅうよっか、にがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から55日目にあたり、年末まであと310日(閏年では311日)ある。グレゴリオ暦では、閏年の場合に限り、閏日とも呼ばれる。詳細は閏日の項を参照。

見る 1978年の音楽と2月24日

2月25日

2月25日(にがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から56日目にあたり、年末まであと309日(閏年では310日)ある。

見る 1978年の音楽と2月25日

2月27日

2月27日(にがつにじゅうななにち、にがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から58日目にあたり、年末まであと307日(閏年では308日)ある。

見る 1978年の音楽と2月27日

2月28日

2月28日(にがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦においては年始から59日目にあたり、年末まであと306日(閏年では307日)ある。平年では、この日が2月の末日になる。

見る 1978年の音楽と2月28日

2月3日

2月3日(にがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から34日目に当たり、年末まであと331日(閏年では332日)ある。

見る 1978年の音楽と2月3日

2月7日

2月7日(にがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から38日目に当たり、年末まであと327日(閏年では328日)ある。

見る 1978年の音楽と2月7日

3月10日

3月10日(さんがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から69日目(閏年では70日目)にあたり、年末まであと296日ある。

見る 1978年の音楽と3月10日

3月19日

3月19日(さんがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から78日目(閏年では79日目)にあたり、年末まであと287日ある。

見る 1978年の音楽と3月19日

3月1日

3月1日(さんがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から60日目(閏年では61日目)にあたり、年末まであと305日ある。

見る 1978年の音楽と3月1日

3月20日

3月20日(さんがつはつか、さんがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から79日目 (閏年では80日目)にあたり、年末まであと286日ある。

見る 1978年の音楽と3月20日

3月23日

3月23日(さんがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から82日目(閏年では83日目)にあたり、年末まであと283日ある。

見る 1978年の音楽と3月23日

3月24日

3月24日(さんがつにじゅうよっか、さんがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から83日目(閏年では84日目)にあたり、年末まであと282日ある。

見る 1978年の音楽と3月24日

3月27日

3月27日(さんがつにじゅうななにち、さんがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から86日目(閏年では87日目)にあたり、年末まであと279日ある。

見る 1978年の音楽と3月27日

3月5日

3月5日(さんがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から64日目(閏年では65日目)にあたり、年末まであと301日ある。

見る 1978年の音楽と3月5日

3月7日

3月7日(さんがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から66日目(閏年では67日目)にあたり、年末まであと299日ある。

見る 1978年の音楽と3月7日

3月8日

3月8日(さんがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から67日目(閏年では68日目)にあたり、年末まであと298日ある。

見る 1978年の音楽と3月8日

4月14日

4月14日(しがつじゅうよっか、しがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から104日目(閏年では105日目)にあたり、年末まではあと261日ある。

見る 1978年の音楽と4月14日

4月15日

4月15日(しがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から105日目(閏年では106日目)にあたり、年末まではあと260日ある。

見る 1978年の音楽と4月15日

4月1日

4月1日(しがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から91日目(閏年では92日目)にあたり、年末まであと274日ある。 日本や一部の国では4月1日は会計年度・学校年度の初日でなお且つ、学年の終わりに当たる。ある。この日は政府機関、企業などで多くの制度の変更、新設、発足が行われ、異動や新入学などが起こることが多い。

見る 1978年の音楽と4月1日

4月21日

4月21日(しがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から111日目(閏年では112日目)にあたり、年末まではあと254日ある。

見る 1978年の音楽と4月21日

4月23日

4月23日(しがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から113日目(閏年では114日目)にあたり、年末まではあと252日ある。

見る 1978年の音楽と4月23日

4月26日

4月26日(しがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から116日目(閏年では117日目)にあたり、年末まではあと249日ある。

見る 1978年の音楽と4月26日

4月4日

4月4日(しがつよっか)は、グレゴリオ暦で年始から94日目(閏年では95日目)にあたり、年末まであと271日ある。

見る 1978年の音楽と4月4日

4月7日

4月7日(しがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から97日目(閏年では98日目)にあたり、年末まではあと268日ある。

見る 1978年の音楽と4月7日

4月8日

4月8日(しがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から98日目(閏年では99日目)にあたり、年末まではあと267日ある。

見る 1978年の音楽と4月8日

4月9日

4月9日(しがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から99日目(閏年では100日目)にあたり、年末まではあと266日ある。

見る 1978年の音楽と4月9日

5月11日

5月11日(ごがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から131日目(閏年では132日目)にあたり、年末まではあと234日ある。

見る 1978年の音楽と5月11日

5月12日

5月12日(ごがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から132日目(閏年では133日目)にあたり、年末まではあと233日ある。

見る 1978年の音楽と5月12日

5月13日

5月13日(ごがつじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から133日目(閏年では134日目)にあたり、年末まではあと232日ある。

見る 1978年の音楽と5月13日

5月16日

5月16日(ごがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から136日目(閏年では137日目)にあたり、年末まではあと229日ある。

見る 1978年の音楽と5月16日

5月18日

5月18日(ごがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から138日目(閏年では139日目)にあたり、年末まではあと227日ある。

見る 1978年の音楽と5月18日

5月1日

5月1日(ごがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から121日目(閏年では122日目)にあたり、年末まであと244日ある。

見る 1978年の音楽と5月1日

5月23日

5月23日(ごがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から143日目(閏年では144日目)にあたり、年末まではあと222日ある。

見る 1978年の音楽と5月23日

5月24日

5月24日(ごがつにじゅうよっか、ごがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から144日目(閏年では145日目)にあたり、年末まではあと221日ある。

見る 1978年の音楽と5月24日

5月26日

5月26日(ごがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から146日目(閏年では147日目)にあたり、年末まではあと219日ある。

見る 1978年の音楽と5月26日

5月4日

5月4日(ごがつよっか)は、グレゴリオ暦で年始から124日目(閏年では125日目)にあたり、年末まではあと241日ある。

見る 1978年の音楽と5月4日

5月5日

5月5日(ごがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から125日目(閏年では126日目)にあたり、年末まではあと240日ある。

見る 1978年の音楽と5月5日

5月9日

5月9日(ごがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から129日目(閏年では130日目)にあたり、年末まではあと236日ある。

見る 1978年の音楽と5月9日

6月15日

6月15日(ろくがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から166日目(閏年では167日目)にあたり、年末まであと199日ある。

見る 1978年の音楽と6月15日

6月19日

6月19日(ろくがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から170日目(閏年では171日目)にあたり、年末まであと195日ある。

見る 1978年の音楽と6月19日

6月1日

6月1日(ろくがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から152日目(閏年では153日目)にあたり、年末まであと213日ある。

見る 1978年の音楽と6月1日

6月4日

6月4日(ろくがつよっか)は、グレゴリオ暦で年始から155日目(閏年では156日目)にあたり、年末まであと210日ある。

見る 1978年の音楽と6月4日

6月7日

6月7日(ろくがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から158日目(閏年では159日目)にあたり、年末まであと207日ある。

見る 1978年の音楽と6月7日

7月12日

7月12日(しちがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から193日目(閏年では194日目)にあたり、年末まであと172日ある。

見る 1978年の音楽と7月12日

7月14日

7月14日(しちがつじゅうよっか、しちがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から195日目(閏年では196日目)にあたり、年末まであと170日ある。

見る 1978年の音楽と7月14日

7月17日

7月17日(しちがつじゅうななにち、しちがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から198日目(閏年では199日目)にあたり、年末まであと167日ある。

見る 1978年の音楽と7月17日

7月18日

7月18日(しちがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から199日目(閏年では200日目)にあたり、年末まであと166日ある。

見る 1978年の音楽と7月18日

7月1日

7月1日(しちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から182日目(閏年では183日目)にあたり、年末まであと183日ある。

見る 1978年の音楽と7月1日

7月24日

7月24日(しちがつにじゅうよっか、しちがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から205日目(閏年では206日目)にあたり、年末まであと160日ある。

見る 1978年の音楽と7月24日

7月25日

7月25日(しちがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から206日目(閏年では207日目)にあたり、年末まであと159日ある。

見る 1978年の音楽と7月25日

7月28日

7月28日(しちがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から209日目(閏年では210日目)にあたり、年末まであと156日ある。

見る 1978年の音楽と7月28日

7月2日

7月2日(しちがつふつか)は、グレゴリオ暦で年始から183日目(閏年では184日目)にあたり、年末まではあと182日ある。平年では1年のちょうど真ん中にあたる日である。

見る 1978年の音楽と7月2日

7月30日

7月30日(しちがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から211日目(閏年では212日目)にあたり、年末まであと154日ある。

見る 1978年の音楽と7月30日

7月3日

7月3日(しちがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から184日目(閏年では185日目)にあたり、年末まではあと181日ある。

見る 1978年の音楽と7月3日

7月5日

7月5日(しちがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から186日目(閏年では187日目)にあたり、年末まであと179日ある。

見る 1978年の音楽と7月5日

7月6日

7月6日(しちがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から187日目(閏年では188日目)にあたり、年末まであと178日ある。

見る 1978年の音楽と7月6日

7月7日

7月7日(しちがつなのか、なながつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から188日目(閏年では189日目)にあたり、年末まであと177日ある。

見る 1978年の音楽と7月7日

7月8日

7月8日(しちがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から189日目(閏年では190日目)にあたり、年末まであと176日ある。

見る 1978年の音楽と7月8日

8月

8月(はちがつ)は、グレゴリオ暦で年の第8の月に当たり、31日間ある。 日本では、旧暦8月を葉月(はづき)と呼び、現在では新暦8月の別名としても用いる。葉月の由来は諸説ある。木の葉が紅葉して落ちる月「葉落ち月」「葉月」であるという説が有名である。他には、稲の穂が張る「穂張り月(ほはりづき)」という説や、雁が初めて来る「初来月(はつきづき)」という説、南方からの台風が多く来る「南風月(はえづき)」という説などがある。また、「月見月(つきみづき)」の別名もある。 英語名 August は、ローマ皇帝アウグストゥスに由来する。アウグストゥスは紀元前1世紀、誤って運用されていたユリウス暦の運用を修正するとともに、8月の名称を「6番目の月」を意味する Sextilis から自分の名に変更した。よく見かけられる通説に、彼がそれまで30日であった8月の日数を31日に増やし、その分を2月の日数から減らしたため2月の日数が28日となったというものがある。これは11世紀の学者ヨハネス・ド・サクロボスコが提唱したものであり、8月の名称変更以前からすでに2月は短く、8月は長かった事を示す文献が複数発見されているため、この通説は現在では否定されている(詳細はユリウス暦を参照)。

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8月10日

8月10日(はちがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から222日目(閏年では223日目)にあたり、年末まであと143日ある。

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8月14日

8月14日(はちがつじゅうよっか、はちがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から226日目(閏年では227日目)にあたり、年末まであと139日ある。

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8月17日

8月17日(はちがつじゅうななにち、はちがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から229日目(閏年では230日目)にあたり、年末まであと136日ある。

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8月1日

8月1日(はちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から213日目(閏年では214日目)にあたり、年末まではあと152日ある。

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8月21日

8月21日(はちがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から233日目(閏年では234日目)にあたり、年末まであと132日ある。

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8月24日

8月24日(はちがつにじゅうよっか、はちがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から236日目(閏年では237日目)にあたり、年末まであと129日ある。

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8月28日

8月28日(はちがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から240日目(閏年では241日目)にあたり、年末まであと125日ある。

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8月29日

8月29日(はちがつにじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から241日目(閏年では242日目)にあたり、年末まであと124日ある。

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8月2日

8月2日(はちがつふつか)は、グレゴリオ暦で年始から214日目(閏年では215日目)にあたり、年末まではあと151日ある。

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8月31日

8月31日(はちがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から243日目(閏年では244日目)にあたり、年末まであと122日ある。8月の最終日である。

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8月5日

8月5日(はちがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から217日目(閏年では218日目)にあたり、年末まであと148日ある。

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8月8日

8月8日(はちがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から220日目(閏年では221日目)にあたり、年末まではあと145日ある。

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9月

9月(くがつ)は、グレゴリオ暦で年の第9の月にあたり、30日間ある。 夏と秋の境目とした季節である。 日本では、旧暦9月を長月(ながつき)と呼び、現在では新暦9月の別名としても用いる。長月の由来は、「夜長月(よながつき)」の略であるとする説が最も有力である。他に、「稲刈月(いねかりづき)」が「ねかづき」となり「ながつき」となったという説、「稲熟月(いねあがりづき)」が略されたものという説がある。また、「寝覚月(ねざめつき)」の別名もある。 英語での月名 September は、ラテン語表記に同じで、これはラテン語で「第7の」という意味の septem の語に由来しているのに不一致が生じているのは、紀元前153年に、それまで3月を年の始めとしていた慣例を1月に変更したにもかかわらず、名称を変えなかった為であり、7月と8月にローマ皇帝の名が入ってずれたというのは俗説である。これは7月がガイウス・ユリウス・カエサルによって Julius に改める以前は Quintilisといい、これがラテン語で「第5の」という意味の quintus の語に由来していて、既にずれが発生していたことからもわかる。

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9月11日

9月11日(くがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から254日目(閏年では255日目)にあたり、年末まであと111日ある。

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9月15日

9月15日(くがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から258日目(閏年では259日目)にあたり、年末まであと107日ある。

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9月18日

9月18日(くがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から261日目(閏年では262日目)にあたり、年末まであと104日ある。

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9月20日

9月20日(くがつはつか、くがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から263日目(閏年では264日目)にあたり、年末まであと102日ある。

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9月28日

9月28日(くがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から271日目(閏年では272日目)にあたり、年末まであと94日ある。

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9月29日

9月29日(くがつにじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から272日目(閏年では273日目)にあたり、年末まであと93日ある。

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9月3日

9月3日(くがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から246日目(閏年では247日目)にあたり、年末まであと119日ある。

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9月7日

9月7日(くがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から250日目(閏年では251日目)にあたり、年末まであと115日ある。

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9月9日

9月9日(くがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から252日目(閏年では253日目)にあたり、年末まであと113日ある。

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合田道人吉田拓郎君のために作った歌君のひとみは10000ボルト坂本龍一堂珍嘉邦堀川まゆみ堀内孝雄増位山太志郎夢想花大いなる人大友裕子大佑大萩康司大谷靖夫大橋卓弥大橋トリオ大橋純子大橋恵里子大正九年天馬ルミ子天野浩成太陽神 (アルバム)失恋記念日奥華子女たち (アルバム)妄走族季節の中で宿無し小西真奈美小野大輔小湊昭尚山口百恵山田隆夫山森大輔 (ミュージシャン)山本コウタロー山本翔 (ロック歌手)山本達彦岩崎宏美岩瀬敬吾中原理恵中島みゆき中島卓偉中村邦子常田真太郎世界に捧ぐ世界歌謡祭世良公則&ツイスト世良公則&ツイスト (アルバム)三浦康嗣下成佐登子一十三十一九州男平尾昌晃久保田真悟乙女座 宮交響組曲 宇宙戦艦ヤマト二千花五輪真弓五木ひろし庄野真代井上裕治伊藤かずえ引田天功 (2代目)佐野元春微笑がえし後楽園球場北公次北村英治北海道ペトロールズミトカツユキミドリカワ書房ミス・ユー (ローリング・ストーンズの曲)ノヴァ (バンド)マキシマム ザ ホルモンマシコタツロウチャック・マンジョーネチープ・トリックチープ・トリックat武道館チック・コリアハヤシヒロユキハービー・ハンコックハイ・ファイ・セットハジメノヨンポバリー・マニロウバンダイ・ミュージックエンタテインメントバック・オン・ザ・ストリーツバイシクル・レースポリス (バンド)ポール・マッカートニーモンテカルロで乾杯モンスター (ピンク・レディーの曲)モーニング娘。モーター・ブーティー・アフェアヤマハポピュラーソングコンテストヤマトより愛をこめてヤング歌謡大賞・新人グランプリユー・リアリー・ガット・ミーユー・ビロング・トゥ・ミー (カーリー・サイモンの曲)ラビット (バンド)ライヴ・ブートレッグライヴ・アンド・デンジャラスリンダ・ロンシュタットルドルフ・コーリッシュルイ・プリマレ・フレールレニー・トリスターノレイモン・ルフェーブルレインボー (バンド)レコード会社ロバータ・フラックロンドンのオオカミ男ロンドン・タウンローリング・ストーンズロッド・スチュワートロック・ロブスターロイヤルナイツ (ボーカルグループ)ロクサーヌワンダフル・ワールド (サム・クックの曲)ワーナーミュージック・ジャパンワディム・サルマノフヴァン・ヘイレンヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターボルチモア (アルバム)ボブ・ディランボブ・ウェルチ 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