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TA37 (水雷艇)

索引 TA37 (水雷艇)

TA37はドイツ海軍の水雷艇。トリエステで建造中であったイタリアのアリエテ級水雷艇グラディオ(Gladio)をイタリアの降伏後ドイツが捕獲したものである。1943年1月9日起工。1943年6月15日進水。1944年1月8日就役。.

16 関係: トリエステピレウステッサロニキドイツ海軍アリエテ級水雷艇アドリア海エーゲ海オトラント海峡ガッビアーノ級コルベットギリシャタスカン (駆逐艦)サロニコス湾TA36 (水雷艇)TA38 (水雷艇)TA39 (水雷艇)水雷艇

トリエステ

トリエステ(Trieste)は、イタリア共和国北東部にある都市で、その周辺地域を含む人口約20万人の基礎自治体(コムーネ)。フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の州都であり、トリエステ自治県の県都でもある。アドリア海に面した港湾都市で、スロベニアとの国境に位置している。 第一次世界大戦までは長らくオーストリア=ハンガリー帝国の統治下にあり、その重要都市として繁栄した。第一次世界大戦後にイタリア王国領となるが、第二次世界大戦後はイタリアとユーゴスラビアとの間で帰属をめぐる紛争が生じ、一時期は国際連合管理下の「トリエステ自由地域」が置かれていた。.

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ピレウス

ピレウス(Πειραιάς / Pireás)は、ギリシャのアッティカ地方にある港湾都市で、アテネの首都圏を構成する。古代にはペイライエウス (Πειραιεύς / Peiraieús)と呼ばれ、アテナイの外港都市として発展した。アテネ市中心部から南西12km、サロニコス湾の東に位置する。今日ではエーゲ海の島々への船が、ピレウス港から出ていて、エーゲ海クルーズの拠点である。ピレウスは2011年時点ではギリシャ第4の都市であり、アテネ首都圏ではアテネに次いで人口が多い。はギリシャ最大の港で、年間2000万人が利用するヨーロッパ最大且つ世界第2位の旅客港である。貨物でも年間140万TEUを誇り、ヨーロッパ上位10港且つ東地中海最大である。1896年と2004年のアテネオリンピックで会場となった。 現代ギリシャ語での発音は であり、ピレアスと転記される。このほか、ピレエウス、ピラエウス、ピレエフスなどとも表記される。.

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テッサロニキ

アギア・ソフィア聖堂。貴重なイコンや壁画が多く残されている。ギリシャ正教会。 テッサロニキ(Θεσσαλονίκη、ラテン文字転写:Thessaloniki )またはテサロニカ (Thessalonica)(or)は歴史的にはサロニカ(Salonica)の名で知られたギリシャの都市である。テサロニキとも表記する。同国では首都アテネに次ぐ2番目に大きな都市で、中央マケドニアの首府であり マケドニア・トラキア行政管区(Αποκεντρωμένη Διοίκηση Μακεδονίας-Θράκης)の首府でもある。テッサロニキには Συμπρωτεύουσα (Symprotévusa、共同の首都)と言う称号があり、東ローマ帝国時代にはコンスタンティノープルと並びビザンティンに君臨した都市であった。 2011年の国勢調査による統計でのテッサロニキ自治体の人口は322,240人でテッサロニキ自治体と隣接する自治体で構成される都市的地域のテッサロニキ都市圏の人口は790,824人 であった。バルカン半島ではイスタンブール、アテネ、ブカレスト、ソフィア、ベオグラードに次いで6番目に大きな都市圏を形成し、首都でない都市ではイスタンブールに次いで人口が多い都市である。テッサロニキ大都市圏は周辺地域 1455.62km2の範囲で広がり、2011年現在の人口は1,006,730人に達する。テッサロニキはギリシャ第2の都市として、経済や産業、商業、政治の中心であると共に南東ヨーロッパの交通の一大拠点で、テッサロニキ港はギリシャや南東ヨーロッパの後背地にとっては重要な役割を果たしている。 ギリシャにおいて有名な行事が行われたり、様々な時代の遺構が残されていることから文化的な首都であると考えられている。行事には毎年行われるテッサロニキ国際トレードフェアやテッサロニキ国際映画祭などがあり、半年ごとに行われるギリシャ・デゥアスポラの会議が開催される。 2014年の欧州青年首都に選ばれている。 テッサロニキは紀元前315年カッサンドロスによって創建され、以来2,300年の歴史がある都市で、ローマ時代には重要な大都市であった。テッサロニキはビザンティン時代には2番目に富める都市になっており、市内には多くの著名なビザンティン建築が残されている。その中には世界遺産に登録されたテッサロニキの初期キリスト教とビザンティン様式の建造物群も含まれ、同様にローマ時代やオスマン帝国時代のもの、セファルディムの遺構も残されている。 アテネが古代ギリシャを象徴する街なのに対して、中世東ローマ時代のギリシャを象徴する街と言われており、アトス山の修道院共同体もこのテッサロニキが入り口となる。テッサロニキ市のメインとなる大学のアリストテレス大学はギリシャやバルカンでは最大の学生数を誇っている。.

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ドイツ海軍

ドイツ海軍(ドイツかいぐん)とは、ドイツの海上兵力を指す。ここでは帝政ドイツ以降の海上兵力について述べる。 ドイツ海軍の保有した艦艇は戦艦、巡洋戦艦、ポケット戦艦、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦であるUボート、小型艦としてRボートやSボートなどが挙げられる。 現在のドイツ海軍の軍艦旗.

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アリエテ級水雷艇

アリエテ級水雷艇 (Ariete Class Torpedo Boats) とは、第二次世界大戦中にイタリア王立海軍が建造した水雷艇。.

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アドリア海

アドリア海(Adriatic Sea; Mar Adriatico; Jadransko more)は、地中海の海域の一つ。イタリア半島とバルカン半島に挟まれている。.

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エーゲ海

ーゲ海(エーゲかい、Aegean Sea)は、地中海の一部を構成する海域。地中海の東北部にあたり、西と北をバルカン半島(ギリシャ共和国)、東をアナトリア半島(トルコ共和国)に囲まれた入り江状の海である。 古くは固有名詞で「多島海」(the Archipelago)と呼ばれたこともある、代表的な多島海であり、多くの島々(エーゲ海諸島)が所在する。.

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オトラント海峡

トラント海峡(Canale d’Otranto, Strait of Otranto)は、イタリアのブリンディジとギリシャのコルフ島の間にある海峡。最狭地点の幅は約85キロメートル。地中海のイオニア海とアドリア海を隔てている。 その名は、イタリア東南のサレント半島内で、イタリア全体の東端に位置する港町オトラント(Otranto)にちなんでいる。.

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ガッビアーノ級コルベット

ッビアーノ級コルベット()は、第二次世界大戦におけるイタリア海軍のコルベットの艦級。.

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ギリシャ

リシャ共和国(ギリシャきょうわこく、ギリシャ語: Ελληνική Δημοκρατία)、通称ギリシャは、南ヨーロッパに位置する国。2011年国勢調査によると、ギリシャの人口は約1,081万人である。アテネは首都及び最大都市であり、テッサロニキは第2の都市及び中央マケドニアの州都である。.

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タスカン (駆逐艦)

タスカン (HMS Tuscan, R56) はイギリス海軍の駆逐艦。T級。.

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サロニコス湾

ニコス湾(Σαρωνικός κόλπος / Saronikós kólpos)は、ギリシャ中部にある、エーゲ海が形成する湾。アッティカ半島、コリントス地峡、アルゴリダ半島(ペロポネソス半島の一部)に囲まれている。 ギリシャの首都アテネは、湾の東北に広がるアッティカ平野の中央に位置している。.

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TA36 (水雷艇)

TA36はドイツ海軍の水雷艇。フィウメで建造中であったイタリアのアリエテ級水雷艇ステラ・ポラーレ(Stella Polare)をイタリアの降伏後ドイツが捕獲したものである。1942年4月1日起工。1943年7月11日進水。1944年1月15日就役。 1944年2月29日、TA36は同型艦TA37や他の小型艦艇と共に貨物船Kapitän Diederichsenを護衛してポーラを出港した。同日夜船団はイスト島沖でフランスの駆逐艦ル・テリブル、ル・マランの攻撃を受けた。この攻撃でUJ210(元ガッビアーノ級コルベットのEgeria)が沈没、Kapitän Diederichsenも損傷して翌朝沈没した。また、TA37が大破し、TA36も軽微な損害を受けた。 3月18日、TA36はフィウメ南南西沖15海里のアドリア海で触雷して沈没した。 Category:ドイツの水雷艇 ていえー36 Category:第二次世界大戦の沈没船.

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TA38 (水雷艇)

TA38はドイツ海軍の水雷艇。トリエステで建造中であったイタリアのアリエテ級水雷艇スパーダ(Spada)をイタリアの降伏後ドイツが捕獲したものである。1943年1月9日起工。1943年7月1日進水。1944年2月12日就役。 9月、TA38と同型艦TA37、TA39の3隻はアドリア海からエーゲ海へ送られることになり、9月20日、3隻はトリエステを出港した。9月22日、オトラント海峡を通過中にイギリスの駆逐艦ベルヴォアとウェッドンと遭遇し攻撃を受けたが、逃走に成功し損害は受けなかった。そして9月24日に無事にギリシャのピレウスに到着した。 エーゲ海到着後10月5日にはイギリスの機動艇HDML1227をTA39と共同で沈めたが、TA38はイギリスの護衛空母ストーカー艦載機による空襲で13日にヴォロスで沈没した。 Category:ドイツの水雷艇 ていえー38 Category:第二次世界大戦の沈没船.

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TA39 (水雷艇)

TA39はドイツ海軍の水雷艇。トリエステで建造中であったイタリアのアリエテ級水雷艇ダーガ(Daga)をイタリアの降伏後ドイツが捕獲したものである。1943年1月9日起工。1943年7月15日進水。1944年3月27日就役。 9月、TA39と同型艦TA37、TA38の3隻はアドリア海からエーゲ海へ送られることになり、9月20日、3隻はトリエステを出港した。9月22日、オトラント海峡を通過中にイギリスの駆逐艦ベルヴォアとウェッドンと遭遇し攻撃を受けたが、逃走に成功し損害は受けなかった。そして9月24日に無事にギリシャのピレエウスに到着した。 エーゲ海到着後10月5日にはイギリスの機動艇HDML1227をTA38と共同で沈めたが、TA39は10月16日にサロニカ湾西岸で触雷し沈没した。 Category:ドイツの水雷艇 ていえー39 Category:第二次世界大戦の沈没船.

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水雷艇

水雷艇(すいらいてい、torpedo boat)とは、各国海軍で使用されていた水雷装備で敵を攻撃する小型艦艇である。日本では通常、魚雷を主兵装とする魚雷艇とは区別されるが、水雷艇を魚雷艇ということもある。.

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