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T-75式60ミリ迫撃砲

索引 T-75式60ミリ迫撃砲

T-75式60ミリ迫撃砲(T-75式60公厘迫擊炮)とは中華民国国軍が使用する迫撃砲である。 実態はアメリカ軍の60mm迫撃砲M224のライセンス生産品で、民国73年(1984年)にXT-73の名称で研究が始められ、民国75年(1986年)にT-75式として採用された 75式とは民国75年に由来している。 構造や性能は原型となった60mm迫撃砲M224と同じで、完全なコピー品である。 31式60ミリ迫撃砲を更新するために民国75年(1986年)から生産開始された。 Category:迫撃砲 Category:60mm砲 Category:台湾の兵器.

4 関係: 中華民国国軍M224 60mm 迫撃砲民国紀元31式60ミリ迫撃砲

中華民国国軍

中華民国国軍(ちゅうかみんこくこくぐん)は、中華民国(台湾)の軍隊。徴兵制を採用しており下士官、兵は主に徴兵、将校は志願により構成されている。また戦時には海岸巡防署(各国の沿岸警備隊に相当)が国軍に編入される。 中華民国軍は中華民国憲法第36条に規定されており、中華民国総統が陸海空軍の統帥権を持つ。国防部組織法・国防部参謀本部組織法・国防部政治作戦局組織法・国防部軍備局組織法・国防部軍医局組織法・国防部主計局組織法の、いわゆる国防六法で定義されている。第20条の規定により、徴兵制が敷かれていて、満19歳以上の男子は、12カ月間の兵役義務(2003年までは22カ月、現在は12ヶ月)を課せられていたが、2012年に停止された。なお、4ヶ月の軍事教練期間は残す予定である。基礎訓練と専門訓練をそれぞれ8週間ずつ行う。基礎訓練は1日8時間の計320時間、専門訓練は1日7時間の計280時間。訓練終了後は予備役に編入される。訓練終了時の合格基準は、基礎は腹筋運動と腕立てを2分間25回ずつと19分以内の3000メートル完走、専門段階では腹筋と腕立てを2分間32回ずつと17分以内の3000メートル完走となっている。国軍である中華民国軍は、正規軍で陸軍約20万人、海軍約4万5000人(内海軍陸戦隊約1万5000人)、空軍約5万5000人、憲兵隊約1万2000人、予備役で約165万人の兵力を擁している。主力戦車926両以上、駆逐艦・フリゲート艦26隻、潜水艦4隻、作戦機約477機となっている。 2016年5月には馮世寬国防部長が、サイバー部隊を陸海空軍と並ぶ「第4軍種」として設立する計画を表明した。 1949年以降の中華人民共和国との軍事的対立を背景として、中華民国の軍事施設には最新鋭の兵器、軍用機、軍用船を装備する努力を続けており、2005年度の国防関係予算は国家予算全体の約15%に相当する2,453億元(約7,400億円)となっている。2010年度の国防予算は、3,150億元(約9,450億円)となり、馬英九総統はGDPの約3%を下回らないように努力している。近年では国防関係予算の削減が行なわれており、政府は特別予算を組むなどして対応している。将来的には総兵力を27万5,000人から21万5,000人まで削減、現在には17万人まで削減予定。女性兵士の割合は7.7%で、女性軍人は約1万5000人となっている。上限は8%だが、将来的には女性定員枠を拡大する方針を明らかにしている。.

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M224 60mm 迫撃砲

M224迫撃砲 M224 60mm 迫撃砲(M224 Mortar)は、アメリカ軍が使用している口径60mmの軽迫撃砲である。.

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民国紀元

民国紀元(みんこくきげん、繁体字中国語:民國紀元・民國紀年)は、中華民国が成立した1912年を紀元(元年)とする紀年法である。中華民国暦(ちゅうかみんこくれき)、略して民国ともいう。 西暦(キリスト紀元)との差は1911年で、民国年に1911を加えると西暦年、西暦年から1911を減ずると民国年となる。 西暦+9hours年は、中華民国(民国)年である。.

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31式60ミリ迫撃砲

31式60ミリ迫撃砲(三一式60公釐迫擊炮)は日中戦争の時期に50兵工廠で生産された迫撃砲。アメリカ製のM2 60mm 迫撃砲をモデルにして開発されたものである。中華民国政府が台湾に移転した後、陸軍が迫撃砲生産の必要性に迫られたが、50兵工廠は台湾に移転しておらず、やむなく61兵工廠(後に202兵工廠と改称)が模倣し製造を続けた。 31式とは中華民国暦31年(1942年)に由来している。 61兵工廠の前身は兵工署駐滬修理処戦車製造廠であり、台湾移転後に61兵工廠と改称されたものである。元来砲火兵器の製造能力に欠如しており、31式迫撃砲の関連図面も全て大陸にあったため、61兵工廠では実物をスケッチする方法で生産を開始した。工作機械が不十分な状況下であったが、約1ヶ月で製品を完成させている。 50兵工廠で生産された型のベースプレートは鉄板を手作業で叩いて製造したが、60兵工廠では量産化させるためにこの工程を省略している。1949年8月に試作品が兵工署の検収合格後に量産が開始され、1952年までに2,113門が製造された。 また朝鮮戦争においては、不足がちな榴弾砲を補完して、山岳浸透戦術の際の直接支援火力として重宝された。.

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