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索引 FMU

* 福島県立医科大学。

目次

  1. 1 関係: 福島県立医科大学

福島県立医科大学

戊辰戦争の終結後、1871年(明治4年)9月に白河県の初代権知事清岡公張により、白河医術講議所が設置された。これが現在の福島県下、明治期になって初の近代西洋医学教育機関であり、福島県立医科大学の淵源である。  清岡公張はこの地に医師が乏しいことを憂いて近代西洋式病院の設立を計画し、政府に医師の派遣を求めるとともに医師の養成を上申した結果、大学東校(現在の東京大学医学部)から横川正臣中教授が派遣され、1871年(明治4年)8月に白河町本町の野戦病院跡地に白河仮病院が開院した。白河医術講議所は、この病院内に併設された。  1871年(明治4年)11月、白河県が廃止されて二本松県が成立し、さらに二本松県が福島県と改称されると、白河仮病院と白河医術講議所は須賀川市に移転し、福島県病院、須賀川医学所となった。この須賀川医学所には、後に日清戦争帰還兵の検疫事業など国の衛生行政に辣腕を振るい、台湾総督府民政局長や満鉄総裁、関東大震災当時の帝都復興院総裁などを歴任した後藤新平も学び、寄宿舎の舎長を務めている。

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