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1946年の音楽

索引 1946年の音楽

1946年の音楽(1946ねんのおんがく)では、1946年(昭和21年)の音楽分野の動向についてまとめる。.

12 関係: 岡本敦郎並木路子二葉あき子リンゴの唄音楽越路吹雪近江俊郎松島詩子渡辺はま子朝はどこから1946年6月

岡本敦郎

岡本 敦郎(おかもと あつお、1924年12月25日 - 2012年12月28日)は、小樽市出身の歌手。武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)声楽科卒業。日本コロムビア所属。.

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並木路子

並木 路子(なみき みちこ、1921年(大正10年)9月30日 - 2001年(平成13年)4月7日)は、日本の歌手。本名は南郷 庸子(なんごう つねこ(旧姓:小林))。東京浅草出身、台湾育ち。 松竹歌劇団の娘役スターとして、戦前から戦中戦後と活躍。戦後の混乱期に主演した松竹映画「そよかぜ」の挿入歌として歌った「リンゴの唄」が爆発的なヒットとなり、日本の代表的歌手と評されている。「リンゴの唄」は、歌謡史のみならず日本の歴史に残る歌となった。 芸名の並木路子は、ミス・コロムビアの「並木の雨」と、歌詞に出てくる、並木の路に~の「路」に子を付けたもの。.

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二葉あき子

二葉 あき子(ふたば あきこ、1915年2月2日 - 2011年8月16日)は、日本の女性歌手。.

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リンゴの唄

リンゴの唄」(リンゴのうた)は、1945年の日本の楽曲。並木路子、霧島昇(霧島の共唱はオリジナル版のみ)によって発売され、日本の戦後のヒット曲第1号となった楽曲。作詞はサトウハチロー、作曲は万城目正。編曲はオリジナル版が仁木他喜雄、並木のソロ歌唱によるステレオ録音版が松尾健司。 第二次世界大戦敗戦後の日本で戦後映画の第1号『そよかぜ』(1945年〈昭和20年〉10月10日公開、松竹大船)の挿入歌として発表された。なお、『そよかぜ』は並木が主演を務め、霧島も出演している。.

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音楽

音楽(おんがく、music)の定義には、「音による芸術」といったものから「音による時間の表現」といったものまで、様々なものがある。 音楽は、ある音を選好し、ある音を選好しない、という人間の性質に依存する。 音楽には以下の3つの要件がある。.

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越路吹雪

越路 吹雪〈こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子(ないとう みほこ)、旧姓;河野(こうの)、1924年(大正13年)2月18日 - 1980年(昭和55年)11月7日〉は、元宝塚歌劇団男役トップスター、シャンソン歌手、舞台女優。 愛称は「コーちゃん」「コッシー」(旧姓から)。 東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区麹町)出身。 所属レコード会社は日本コロムビア→東芝音楽工業(その後東芝EMIに改称、現:ユニバーサルミュージック)。代表曲から「(日本の)シャンソンの女王」と呼ばれた。.

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近江俊郎

近江 俊郎(おうみ としろう、1918年7月7日 - 1992年7月5日)は、東京都出身の歌手、作曲家、映画監督である。本名大蔵 敏彦(おおくら としひこ)。兄は新東宝、大蔵映画社長を務めた大蔵貢、姉はコロムビア専属歌手となった香取みほ子。孫にアイドルグループ「エレクトリックリボン」のメンバー、ericaがいる。.

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松島詩子

松島 詩子(まつしま うたこ、本名:内海 シマ、1905年5月12日 - 1996年11月19日)は、日本の歌手。山口県玖珂郡日積村(現在の柳井市の一部)出身。夫は戦前期浅草オペラやニットーレコードで歌手として活躍した内海一郎(1898年 - 1972年)。.

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渡辺はま子

渡辺 はま子(わたなべ はまこ、1910年(明治43年)10月27日 - 1999年(平成11年)12月31日)は戦前から戦後にかけて活躍した日本の流行歌手。神奈川県横浜市出身。本名 加藤 浜子。生涯横浜で過ごした。愛称は「おはまさん」。.

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朝はどこから

朝はどこから」(あさはどこから)は、1946年(昭和21年)6月にコロムビアレコードから発売された日本のラジオ歌謡。朝日新聞の懸賞応募曲である。 作詞は森まさる。作曲は橋本国彦。歌は岡本敦郎、安西愛子。 1946年(昭和21年)3月、敗戦直後の日本を励ますため朝日新聞が健康的なホームソングを全国に募集したものである。そして、10526通の応募の中から一等当選歌となったものが、ホームソング「朝はどこから」と児童向きの曲「赤ちゃんのお耳」であった。 ラジオ歌謡の第2弾として、安西愛子指導の東京放送合唱団の歌唱によってラジオで流された。戦後第1回のコロムビアレコードのオーディションでコロムビアに入った岡本敦郎のデビュー曲でもある。.

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1946年

記載なし。

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6月

6月(ろくがつ)はグレゴリオ暦で年の第6の月に当たり、30日ある。 梅雨の季節である。.

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