23 関係: 反切、大漢和辞典、字体、字書、宋 (王朝)、寧波市、光緒、四声、玉篇、礼部韻略、韻書、類篇、顧炎武、説文解字、諸橋轍次、金州 (陝西省)、長沙市、治平 (宋)、清、曹寅、景祐、1037年、1039年。
反切
『説文解字』艸部、大徐本系の一篆一行本。下についている反切は唐韻による 反切(はんせつ)は、漢字の発音を示す伝統的な方法のひとつ。2つの漢字を用い、一方の声母と、他方の韻母および声調を組み合わせて、その漢字の音を表す。.
大漢和辞典
『大漢和辭典』(だいかんわじてん)は、大修館書店で出版されている世界最大の漢和辞典。諸橋轍次を代表とし、数十年に及ぶ歳月(鈴木一平の依頼があった1925年から補巻が刊行された2000年までだと75年)を費やし完成。諸橋大漢和と称されることもある。.
字体
図1(刀) 図2(刃) 図3 字体(じたい)とは、図形を一定の文字体系の一字と視覚的に認識する概念、すなわち文字の骨格となる「抽象的な」概念のことである。.
字書
字書(じしょ)とは、漢字を分類した辞典のこと。字典(じてん)ともいう。狭義としては部首を設け、字形により漢字を分類したものを指すが、広義としては作詩の押韻のために韻により漢字を分類した韻書を含み、さらには語を集めて意味により分類した訓詁書を含む。.
宋 (王朝)
宋(そう、拼音 Sòng、960年 - 1279年)は、中国の王朝の一つ。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建国した。国号は宋であるが、春秋時代の宋、南北朝時代の宋などと区別するため、帝室の姓から趙宋とも呼ばれる。国号の宋は趙匡胤が宋州(河南省商丘県)の帰徳軍節度使であったことによる。通常は、金に華北を奪われ南遷した1127年以前を北宋、以後を南宋と呼び分けている。北宋、南宋もともに、宋、宋朝である。首都は開封、南遷後の実質上の首都は臨安であった。 北宋と南宋とでは華北の失陥という大きな違いがあるが、それでも文化は継続性が強く、その間に明確な区分を設けることは難しい。そこで区分し易い歴史・制度・国際関係などは北宋・南宋の各記事で解説し、区別し難い分野を本記事で解説する。.
寧波市
寧波市(ねいはし、ニンポーし、、、、呉語寧波弁:Ning Pou)は、中華人民共和国浙江省に位置する副省級市、計画単列市に指定されている。長江デルタ南翼経済中心、浙江省経済中心。 沿海部の港湾都市として商工業が発達しているが、同時に古い歴史を誇り国務院から国家歴史文化名城に指定されている。年間貨物取扱量が世界一の港ー寧波港の所在地。.
光緒
光緒(こうしょ、こうちょ、満州語:、転写:badarangga doro、)は清の徳宗の治世中に使われた元号。1875年 - 1908年。一世一元の制を採用していたため徳宗は光緒帝と称される。.
四声
四声(しせい)とは、中国語の声調を、中古漢語の調類に基づいての4種類に分類したもの。中国音韻学では平声(へいせい、ひょうせい、ひょうしょう)・上声(じょうせい、じょうしょう)・去声(きょせい、きょしょう)・入声(にゅうせい、にっしょう)をいう。また、現代中国語の北方語を基礎とした普通話などの声調をも四声というが、内容が異なり、中古漢語にあった入声は失われ、逆に平声が二つに分かれているため、陰平(第一声)・陽平(第二声)・上声(第三声)・去声(第四声)をいう。.
玉篇
玉篇(ぎょくへん、ごくへん)は、中国、南北朝時代、梁の顧野王によって編纂された部首別漢字字典。字書としては『説文解字』・『字林』(現存せず)の次に古い。原本系玉篇は部分的にしか現存しない。.
礼部韻略
部韻略(れいぶいんりゃく)は、宋代に編纂された韻書の一つ。景祐4年(1037年)、『集韻』とともに丁度らによって勅撰された。5巻。韻目は206韻。9590字を収録。「礼部」とは科挙(国家官吏登用試験)を監督していた役所であり、『礼部韻略』はもっぱら科挙試験のための参考書として作られた簡略版の韻書である。.
韻書
韻書(いんしょ)とは、漢字を韻によって分類した書物。元来、詩や詞、曲といった韻文を作る際に押韻可能な字を調べるために用いられたものであるが、音韻は押韻の必要以上に細かく分類されており、字義も記されているので、字書などの辞典のもつ役割も果たした。 韻とは声母(頭子音)・介音(半母音)を除いた音節後半部(主母音+韻尾)とかぶせ音韻である四声の違いを区別したもので、たとえば『広韻』では206韻の韻目(押韻可能な韻の類別。代表字によって~韻と呼ばれる)が立てられ、同韻内では声類、等呼の違いによる小韻(完全に声母・韻母・声調を同じくするグループ)によって漢字が分類されている。.
類篇
類篇(るいへん)は、北宋の治平4年(1067年)に皇帝に奉られた部首引きの官製字書。全45巻で、『説文解字』・『玉篇』にくらべて字数が大幅に増えている。その内容は『集韻』を『説文解字』の部首順に並べかえたものに近い。.
顧炎武
顧 炎武(こ えんぶ、ピン音:Gù Yánwŭ、万暦41年5月28日(1613年7月15日) - 康熙21年1月9日(1682年2月15日))は中国明末、清の歴史で初めての儒学者。明の滅亡に際して反清運動に参加した。経学や歴史学の研究の傍ら経世致用の実学を説き、考証学正統派の始祖とされる。.
説文解字
説文解字(せつもんかいじ、)は、最古の部首別漢字字典。略して説文(せつもん、)ともいう。後漢の許慎(きょしん)の作で、和帝の永元12年(西暦100年)に成立し、建光元年(121年)に許慎の子の許沖が安帝に奉った。本文14篇・叙(序)1篇の15篇からなり、叙によれば小篆の見出し字9353字、重文(古文・籀文および他の異体字)1163字を収録する(現行本ではこれより少し字数が多い)。漢字を540の部首に分けて体系付け、その成り立ちを解説し、字の本義を記す。 現在から見ると俗説や五行説等に基づく牽強付会で解説している部分もあるが、新たな研究成果でその誤謬は修正されつつも、現在でもその価値は減じていない。.
諸橋轍次
諸橋 轍次(もろはし てつじ、1883年6月4日 - 1982年12月8日)は、漢字の研究者で大著『大漢和辞典』や『広漢和辞典』(ともに大修館書店刊)の編者。文学博士。東京文理科大学名誉教授。都留短期大学および都留文科大学の(四年制大学としての)初代学長。本人によると直江兼続の子孫である。号は止軒。 同郷の社会学者建部遯吾は従兄にあたる。(諸橋轍次の父安平の兄慶三郎の子が建部遯吾) 三男の諸橋晋六は静嘉堂文庫理事長のほか三菱商事社長・会長も務めた。.
金州 (陝西省)
金州(きんしゅう)は中国にかつて存在した州。現在の陝西省安康市一帯に比定される。.
新しい!!: 集韻と金州 (陝西省) · 続きを見る »
長沙市
長沙市(ちょうさし、、)は中華人民共和国湖南省の省都。古い歴史をもつ国家歴史文化名城であり、経済的にも湖南省の中心として発展している。株洲市・湘潭市とともに、中国の製造業の中心の一つである「長株潭都市群」を構成する。華中地域において、武漢に次いで2番目の大都市となる。.
治平 (宋)
治平(ちへい)は中国・北宋代英宗の治世で用いられた元号。1064年 - 1067年。.
清
清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.
曹寅
曹寅(そう いん、1658年 - 1712年周汝昌『紅楼夢新証』第7章の年譜による)は、清初の政治家、文人、蔵書家、出版家。 号の楝亭(ちんてい)でも知られる。孫(本来は甥の子)に『紅楼夢』の作者として知られる曹霑(曹雪芹)がいる。.
景祐
景祐(けいゆう)は、中国・北宋の仁宗の治世で用いられた元号。1034年 - 1038年。.
1037年
記載なし。
1039年
記載なし。