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講道館四天王

索引 講道館四天王

講道館四天王(こうどうかんしてんのう)とは、柔道の講道館創成期から黎明期にかけて、他流試合の代表選手として、また講道館の師範代として活躍した4人の柔道家。西郷四郎、横山作次郎、山下義韶、富田常次郎のことを指す。 この4人は他の柔術の道場から講道館へと移り嘉納治五郎の弟子となった者などであり、その実力は並みの門下生では歯が立たなかったとされている。また、当時、警視庁などで行われた他流試合において、他の柔術の実力者に勝利、もしくは劣らなかったとされているなど柔道を広めるにあたって活躍した。.

13 関係: 富田常次郎山下義韶弥生慰霊祭記念柔道剣道試合嘉納治五郎道場西郷四郎講道館警視庁 (内務省)警視庁武術世話掛柔道柔道家柔術横山作次郎

富田常次郎

富田 常次郎(とみた つねじろう、1865年2月 - 1937年1月13日)は、日本の柔道家(講道館7段・大日本武徳会柔道範士)。旧姓山田。 青年期より講道館創始者の嘉納治五郎と寝食を共にし、同館で最初の入門者・初段位取得者となって“講道館四天王”の1人に数えられた。後に米国で指導を行うなど柔道の国際的普及にも尽力し、その多大な功績から“講道館柔道殿堂”にも選ばれている。.

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山下義韶

山下義韶 山下 義韶(やました よしつぐ、1865年3月13日(元治2年2月16日) - 1935年(昭和10年)2月26日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道十段、大日本武徳会柔道範士。講道館四天王の一人で、史上初めて十段位を授与された。.

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弥生慰霊祭記念柔道剣道試合

弥生慰霊祭記念柔道剣道試合(やよいいれいさいきねんじゅうどうけんどうしあい)は、弥生慰霊祭を記念して行なわれる柔道・剣道大会。会場は日本武道館。.

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嘉納治五郎

嘉納 治五郎(かのう じごろう、1860年12月10日(万延元年10月28日) - 1938年(昭和13年)5月4日)は、日本の柔道家、教育者である。兵庫県平民『人事興信録.

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道場

講談社旧野間道場 道場(どうじょう)は、武道の稽古を行う施設である。.

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西郷四郎

西郷 四郎(さいごう しろう、1866年3月20日(慶応2年2月4日) - 1922年(大正11年)12月22日)は、明治時代の柔道家。講道館四天王の一人。富田常雄の小説『姿三四郎』のモデル。.

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講道館

公益財団法人講道館(こうえきざいだんほうじんこうどうかん)とは、柔道家であり、教育家でもある嘉納治五郎が興した柔道の総本山。.

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警視庁 (内務省)

鍛冶橋第一次庁舎(旧津山藩江戸藩邸)。1874年(明治7年)1月15日から1882年(明治15年)12月4日まで使用。 1877年(明治10年)1月11日から1881年(明治14年)1月14日まで、内務省警視局「東京警視本署」に改編された。庁舎はそのまま使用。 鍛冶橋第二次庁舎。1882年(明治15年)12月4日から1911年(明治44年)3月30日まで使用。 日比谷赤煉瓦庁舎。1911年(明治44年)3月30日から1923年(大正12年)9月1日まで使用。 関東大震災による火災で炎上する日比谷赤煉瓦庁舎。1923年(大正12年)9月1日。 関東大震災後の仮庁舎。1930年(昭和5年)。 昭和前期の庁舎 警視庁 、1874年(明治7年)から1947年(昭和22年)まで存在した東京府(後に東京都)の警察を管轄する内務省の地方官庁である。自治体警察になる前の「東京警視庁」とも呼ばれた組織である。.

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警視庁武術世話掛

1888年(明治21年)頃の警視庁武術世話掛 警視庁武術世話掛(けいしちょうぶじゅつせわかかり)とは、明治時代の警視庁に設けられた、警察官に剣術、柔術、捕手術を指導する係。現在の剣道、柔道、逮捕術の師範等に相当する。.

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柔道

柔道(じゅうどう)は、「柔」(やわら)の術を用いての徳義涵養を目的とした芸道、武道のことである。現代では、その修養に用いられる嘉納治五郎流・講道館流の柔術技法を元にした理念を指して「柔道」と呼ぶことが一般化している。柔道は、投げ技、固め技、当身技の三つを主体とする武術・武道、そしてそれを元にした社会教育的な大系となっている。.

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柔道家

柔道家(じゅうどうか)とは、柔道を行う人(競技者)及び生業としている者のこと。また、既に引退した人物(とりわけ師範など)の呼称としても用いられる。.

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柔術

柔術(じゅうじゅつ)は、徒手あるいは短い武器による攻防の技法を中心とした日本の武術である。相手を殺傷せずに捕らえたり、身を護ること(護身)を重視する流儀の多いことは、他国の武術と比較して大きな特徴である。このような技法は広く研究され、流派が多数存在した。.

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横山作次郎

横山 作次郎(よこやま さくじろう、1864年(元治元年)- 1912年(大正元年)9月23日)は、東京都出身の講道館創成期の柔道家。身長173cm(5尺6寸)、体重86kg(23貫)。段位は八段(没後追贈)で、通称「鬼横山」。富田常次郎、西郷四郎、山下義韶と共に「講道館四天王」と称された。また、三船久蔵や前田光世の師匠としても知られる。得意技は「払腰」、俵返し、横捨身で、また、自らが編み出した天狗投という技の使い手でもある(技については文献が無く、正体不明となっている)。.

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