ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

田村丕顕

索引 田村丕顕

村 丕顕(たむら ひろあき、1875年11月29日 - 1945年1月13日)は、一関田村家の14代当主である子爵。アナポリス海軍兵学校出身の日本の海軍軍人である。最終階級は海軍少将。.

72 関係: 古賀峯一司令参謀吾妻 (装甲巡洋艦)壱岐 (戦艦)大尉大佐大日本帝国海軍大日本翼賛壮年団大政翼賛会子爵寺垣猪三少将少尉少尉候補生少佐岡村昭彦岩手県立農業大学校三笠 (戦艦)一関藩予備役井上良馨井上成美佐野常民従四位分隊アメリカ合衆国出雲 (装甲巡洋艦)八雲 (装甲巡洋艦)元帥 (日本)副官第一艦隊 (日本海軍)筑波 (巡洋戦艦)練習艦隊田村崇顕田村邦栄田村氏駐日アメリカ合衆国大使高千穂 (防護巡洋艦)高松宮宣仁親王軍人軍令部薩摩 (戦艦)陸奥国東宮武官東京東伏見宮依仁親王榛名 (戦艦)明石 (防護巡洋艦)海軍大学校...海軍大将海軍兵学校 (アメリカ合衆国)海軍兵学校 (日本)海軍省浅間 (装甲巡洋艦)新高 (防護巡洋艦)日本海海戦11月29日12月16日12月1日12月21日1875年1900年1901年1904年1906年1909年1919年1924年1925年1945年1月13日 インデックスを展開 (22 もっと) »

古賀峯一

古賀 峯一(こが みねいち、1885年(明治18年)9月25日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人。第28代連合艦隊司令長官。海軍乙事件にて殉職。最終階級は、殉職による特旨で元帥海軍大将。.

新しい!!: 田村丕顕と古賀峯一 · 続きを見る »

司令

# 軍事上の指令・命令・指揮のこと。司令部や司令官も参照。.

新しい!!: 田村丕顕と司令 · 続きを見る »

参謀

参謀(さんぼう、英:Military staff)とは、軍隊などの軍事組織において高級指揮官の幕僚として、作戦・用兵などに関して計画・指導にあたる将校の役職。.

新しい!!: 田村丕顕と参謀 · 続きを見る »

吾妻 (装甲巡洋艦)

吾妻(あづま)は、大日本帝国海軍が日露戦争前にフランスのロワール社から購入した最初期の装甲巡洋艦。艦名の由来は福島県北部の吾妻山。本艦は六六艦隊の装甲巡洋艦の第一期拡張計画で八雲型に次いで整備された艦である。日露戦争においては、航続力と速力を活かし、上村艦隊の主力として活躍した。.

新しい!!: 田村丕顕と吾妻 (装甲巡洋艦) · 続きを見る »

壱岐 (戦艦)

壱岐(いき)は、日本海軍の戦艦(のち海防艦)#海軍制度沿革(巻8、1940)第199コマ『◎戰利軍艦石見壹岐沖島見島命名ノ件 明治三十八年六月六日(達七三) 戰利軍艦「アリヨール」外三隻左ノ通命名セラル|戰艦「アリヨール」 石イハ見ミ|戰艦「インペラートルニコライ」第一世 壹イ岐キ|海防艦「ゲネラルアドミラル、アプラキシン」 沖オキノ島シマ|海防艦「アドミラル、セニヤーウヰン」 見ミ島シマ』#海軍制度沿革(巻8、1940)第53コマ『◎艦艇類別等級 明治三十八年十二月十二日(達一八二)艦艇類別等級別表中左ノ通定ム(別報)|軍艦|海防艦|一等|鎮遠、壹岐、|』。 艦名は、旧国名「壱岐国」に因む#幕末以降帝国軍艦写真と史実第67コマ(原本100頁)『壹岐(いき) 艦種二等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考國名なり、壹岐國に採る。艦歴舊露國軍艦、艦名「インペラートル・ニコライ」第一世。露國聖夜得堡造船所建造、明治21年進水。日露戰役中「バルチック」艦隊の一艦として、日本海々戰に戦果、明治38年5月28日竹島の南南西約18浬の地點に於て我が艦隊之を捕獲す、露國第三艦隊第三戰隊司令官「ネボガトフ」少将の旗艦たり。同年6月6日帝國海軍艦と定め「壹岐」と命名、同年12月一等海防艦に編入、大正4年5月1日除籍。― 要目 ― 長333.4呎/幅67.0呎/吃水24.0呎/排水量9,672噸/機關 直立三聯成機2基 ベルビル罐/馬力8,000/速力15.5/乗組人員600/船材 鋼(甲帶14吋)/兵装 12吋砲2/6吋砲6/4.7吋砲6/其他輕砲|起工(記載なし)/進水 明治23-10/竣工(記載なし)/建造所 露國セント・ピータースブルグ』。日本海軍の法令上は旧字体の壹岐だが、本項目では壱岐と表記する。 1915年(大正4年)10月4日、裕仁親王(のち昭和天皇)および東郷平八郎元帥が観戦する中(御召艦榛名)、標的艦として撃沈処分された#東郷全集1巻コマ319-320(原本613-614頁)『此の時第一艦隊は、伊勢灣外に於て廢艦壹岐(元の露艦「ニコライ」一世にして、日本海々戰の際我に降伏したるものなり。其の排水量噸數九六七二。)を標的として戰闘射撃を試みることゝなり東宮殿下には之を臺覽あらせらるゝ爲め、同月一日鶴駕東京を發し、熱田神宮に御参拝の後名古屋沖に碇泊せる第一艦隊の巡洋戰艦榛名はるな(排水量噸數二七五〇〇、速力二七、五)に御乗艦遊ばされ、供奉員の外に東郷元帥も小笠原幹事と共に之に陪乗せり。』#東郷全集1巻コマ319-320(原本613-614頁)『射撃は四日午前に於て遺憾なく施行せられたり。之に先だつて標的艦壹岐は他艦に曳かれつゝ御召艦の近傍を過ぎ行きぬ。時に殿下は武官等を随へ給ひて後甲板にあらせられしが、東郷總裁は恭しく御前に進み、重々しき口を開きて、壹岐の前身たる露艦「ニコライ」一世の日本海に於ける戰況、竝に遂に鬱陵島附近に於て我が艦隊の爲めに包圍せられ、他の三艦と共に降旗を掲げたる其の顛末を御説明申上げ、猶ほ同艦は皇國の艦籍に入りてより盡す所尠からず、今は亦射撃の標的となり、實驗上に貢献する所あらんとする旨を言上せり 此の時元帥は思はず海戰當時を追憶してや、沈箸なる其の面上にも痛烈の氣漂ひ、三笠艦上に立てる面影を髣髴し來れり。(以下略)』。.

新しい!!: 田村丕顕と壱岐 (戦艦) · 続きを見る »

大尉

大尉(たいじょう)は、古代日本の律令制の職名の一。左右衛門府および左右兵衛府に置かれた。長官・次官・判官・主典の四等官中の判官に相当する。 ---- 大尉(たいい、だいい)は軍隊の階級の一。 尉官の最上級であり、中尉の上、少佐の下に位置する。.

新しい!!: 田村丕顕と大尉 · 続きを見る »

大佐

大佐(たいさ、だいさ)とは、軍隊の階級のひとつ。.

新しい!!: 田村丕顕と大佐 · 続きを見る »

大日本帝国海軍

大日本帝国海軍(だいにっぽんていこくかいぐん、旧字体:大日本帝國海軍、英:Imperial Japanese Navy)は、1872年(明治5年) - 1945年(昭和20年)まで日本(大日本帝国)に存在していた軍隊(海軍)組織である。通常は、単に日本海軍や帝国海軍と呼ばれた。戦後からは、別組織であるもののその伝統を重んじる傾向にある海上自衛隊との区別などのため、旧日本海軍もしくは旧帝国海軍とも呼ばれる。.

新しい!!: 田村丕顕と大日本帝国海軍 · 続きを見る »

大日本翼賛壮年団

大日本翼賛壮年団(だいにほんよくさんそうねんだん)は大政翼賛会の傘下団体の1つ。翼賛壮年団とも呼ばれる。略称は「翼壮」。.

新しい!!: 田村丕顕と大日本翼賛壮年団 · 続きを見る »

大政翼賛会

大政翼賛会(大政翼贊會、たいせいよくさんかい)は、1940年(昭和15年)10月12日から1945年(昭和20年)6月13日まで存在していた日本の公事結社。左右合同の組織である。.

新しい!!: 田村丕顕と大政翼賛会 · 続きを見る »

子爵

子爵(ししゃく、 )は、中国で儒教の経典によって古代より用いられたと主張された爵位(五爵)の第4位。伯爵の下位、男爵の上位に相当する。近代日本の華族の爵位にも取り入れられた。ヨーロッパ諸国の貴族の爵位の訳語にも使われる。.

新しい!!: 田村丕顕と子爵 · 続きを見る »

寺垣猪三

寺垣 猪三(てらがき いぞう、(1857年2月22日 (安政4年1月28日) - 1938年(昭和13年)6月1日)は、日本の海軍軍人。戦艦「敷島」艦長として日本海海戦を戦った。最終階級は海軍中将。旧名猪之助。.

新しい!!: 田村丕顕と寺垣猪三 · 続きを見る »

少将

少将(しょうしょう)はもともとは律令制における官職の一つ。転じて軍隊の階級の一。 将官に区分され、中将の下、大佐または准将または代将の上に位置する。 北大西洋条約機構の階級符号(NATO階級符号)では、OF-7に相当する。 また、陸海空軍でそれぞれ呼称の異なる少将を総称しTwo-star rankと呼ぶこともある。 将官のなかでは、最下級、又は准将がある場合には下から2番目の階級となる。 英呼称は、陸軍:major general(メイジャー ジェネラル)、海軍:rear admiral(リア アドミラル)。 なお、将官の階級を部隊階梯で表現する国々では「師団将軍」あるいは「旅団将軍」と呼称する。詳細はフランスの項を参照。アメリカ軍やフランス陸軍および空軍(海軍は中将)では、正規階級(regular rank)における最高位とされ、それよりも上の二階級は役職に応じた臨時階級(temporary rank)である。.

新しい!!: 田村丕顕と少将 · 続きを見る »

少尉

少尉.

新しい!!: 田村丕顕と少尉 · 続きを見る »

少尉候補生

少尉候補生(しょういこうほせい)は、広義には軍隊で少尉になる教育を受ける者。ただしこの項では狭義の帝国海軍における海軍少尉候補生について主に述べる。.

新しい!!: 田村丕顕と少尉候補生 · 続きを見る »

少佐

少佐(しょうさ)は軍隊の階級の一。佐官に区分され、中佐の下、大尉の上に位置する。北大西洋条約機構の階級符号では、OF-3に相当する。 アメリカ軍を始めとして主要国の軍隊では、大尉から少佐に昇進する時に特別な専門教育を受ける。これは少佐以上の階級の軍人は、一つの作戦単位の指揮官となることを求められるからである。そのため能力の不十分な大尉は、少佐に昇進することができないまま除隊することが多い。士官にとっては、一つの出世の壁と言っても良い。 企業に例えれば「副部長クラス」に相当し、将来的な幹部候補として出世コースに歩むことになる。経営陣(上官)の下につき、現場での直接指揮をする役割を担う。つまり、個人での能力以外に、「現場での集団への指揮能力」を認められた者に与えられる役職であると言える。.

新しい!!: 田村丕顕と少佐 · 続きを見る »

岡村昭彦

岡村 昭彦(おかむら あきひこ、1929年(昭和4年)1月1日 - 1985年(昭和60年)3月24日)は、日本のジャーナリスト。東京出身。ベトナム戦争を撮影した報道写真で知られる。.

新しい!!: 田村丕顕と岡村昭彦 · 続きを見る »

岩手県立農業大学校

岩手県立農業大学校(いわてけんりつ のうぎょうだいがっこう)は、岩手県胆沢郡金ケ崎町にある県立の農業大学校。 農業改良助長法に基づく農業者研修教育施設として位置付けられているが、2007年度より専修学校として認可されている。.

新しい!!: 田村丕顕と岩手県立農業大学校 · 続きを見る »

三笠 (戦艦)

三笠(みかさ)は、大日本帝国海軍の戦艦で、敷島型戦艦の四番艦。奈良県にある三笠山(若草山)にちなんで命名された。船籍港は京都府舞鶴市の舞鶴港。同型艦に敷島、初瀬、朝日。1904年(明治37年)からの日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗した。現在は防衛省が所管し神奈川県横須賀市の三笠公園に記念艦として保存され、現存している。.

新しい!!: 田村丕顕と三笠 (戦艦) · 続きを見る »

一関藩

一関藩(いちのせきはん)は、江戸時代の藩の一つ。陸奥磐井郡一関(現在の岩手県一関市)に藩主居館を置いた。この地に陣屋を置いた大名家は、いずれも仙台藩・伊達氏の内分分知の分家に当たる一関伊達家と田村家の2家である。前者は11年で改易・廃藩となったが、後者は180年余り続いて明治維新を迎えた。以下、後者の田村家一関藩を主として記述する。.

新しい!!: 田村丕顕と一関藩 · 続きを見る »

予備役

予備役 (よびえき)は、軍隊における役種の一種。一般社会で生活している軍隊在籍者や、軍隊に就役していた艦艇・航空機のことを指し、有事の際や訓練の時のみ軍隊に戻る。在郷軍人とも呼ばれる。ほとんどすべての軍隊に存在し、自衛隊の場合は予備自衛官と称される。 予備役にある人で構成されるのが在郷軍人会である。 予備役の兵で編成された軍隊を予備軍という。ただし、この語は予備兵力のことも意味する。.

新しい!!: 田村丕顕と予備役 · 続きを見る »

井上良馨

井上 良馨(いのうえ よしか、弘化2年11月3日(1845年12月1日) - 昭和4年(1929年)3月22日)は、幕末から明治時代の日本の軍人。元帥海軍大将・従一位・大勲位・功二級・子爵。薩摩国(現鹿児島県)出身。.

新しい!!: 田村丕顕と井上良馨 · 続きを見る »

井上成美

井上 成美(いのうえ しげよし/せいび、1889年(明治22年)12月9日 - 1975年(昭和50年)12月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。海軍大将となった最後の軍人。.

新しい!!: 田村丕顕と井上成美 · 続きを見る »

佐野常民

佐野 常民(さの つねたみ、1823年2月8日(文政5年12月28日) - 1902年(明治35年)12月7日)は、日本の武士(佐賀藩士)、政治家。日本赤十字社の創始者。官職は枢密顧問官、農商務大臣、大蔵卿、元老院議長。勲等は勲一等。爵位は伯爵。「佐賀の七賢人」の1人。名は栄寿、栄寿左衛門。子は佐野常羽。.

新しい!!: 田村丕顕と佐野常民 · 続きを見る »

従四位

従四位(じゅしい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正四位の下、正五位の上に位する。贈位の場合、贈従四位という。.

新しい!!: 田村丕顕と従四位 · 続きを見る »

分隊

分隊(ぶんたい、squad)は、軍隊編成上の戦術単位のひとつで、比較的小規模のものを指す。分隊を更に班に分けることも多い。.

新しい!!: 田村丕顕と分隊 · 続きを見る »

アメリカ合衆国

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、50の州および連邦区から成る連邦共和国である。アメリカ本土の48州およびワシントンD.C.は、カナダとメキシコの間の北アメリカ中央に位置する。アラスカ州は北アメリカ北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡をはさんでロシアと国境を接している。ハワイ州は中部太平洋における島嶼群である。同国は、太平洋およびカリブに5つの有人の海外領土および9つの無人の海外領土を有する。985万平方キロメートル (km2) の総面積は世界第3位または第4位、3億1千7百万人の人口は世界第3位である。同国は世界で最も民族的に多様かつ多文化な国の1つであり、これは多くの国からの大規模な移住の産物とされているAdams, J.Q.;Strother-Adams, Pearlie (2001).

新しい!!: 田村丕顕とアメリカ合衆国 · 続きを見る »

出雲 (装甲巡洋艦)

出雲(いずも/いづも)は、日本海軍の装甲巡洋艦。.

新しい!!: 田村丕顕と出雲 (装甲巡洋艦) · 続きを見る »

八雲 (装甲巡洋艦)

八雲(やくも)は大日本帝国海軍が日露戦争前にドイツから購入した最初の装甲巡洋艦。六六艦隊の装甲巡洋艦の第一期拡張計画で整備された艦で、日露戦争から太平洋戦争の戦後まで活動した。.

新しい!!: 田村丕顕と八雲 (装甲巡洋艦) · 続きを見る »

元帥 (日本)

日本における元帥(げんすい)は、1872年(明治5年)から1873年(明治6年)においては階級(陸軍元帥)、1898年(明治31年)以降は元帥府に列せられた陸軍大将または海軍大将に与えられた称号(元帥)である。自衛隊にはこれに相当する称号は存在しない。.

新しい!!: 田村丕顕と元帥 (日本) · 続きを見る »

副官

副官(ふくかん、ふっかん)とは、軍隊において軍部大臣等の高級官衙の長、司令官以下高級団隊長等を補佐する将校・士官の役職。「副隊長」や「副司令官」と混同される事が多いが、「副官」とは異なる役職である.

新しい!!: 田村丕顕と副官 · 続きを見る »

第一艦隊 (日本海軍)

一艦隊(だいいちかんたい)は、旧日本海軍の部隊の一つ。もっぱら戦艦を主力とした決戦艦隊に位置づけられていた。.

新しい!!: 田村丕顕と第一艦隊 (日本海軍) · 続きを見る »

筑波 (巡洋戦艦)

一等巡洋艦 筑波のポストカード 筑波(つくば)は、大日本帝国海軍の巡洋戦艦(建造時は装甲巡洋艦)。筑波型巡洋戦艦の1番艦である。 艦名は茨城県の「筑波山」にちなんで名づけられた幕末以降帝国軍艦写真と史実第91コマ(原本144頁)「筑波(つくば)【二代】艦種一等軍巡洋艦 二檣(信號用)艦名考艦名の起源は初代「筑波」の項(p.3)参照。艦歴明治37年2月、日露開戰後僅かに數月ならずして我海軍は初瀬・八島兩艦沈没の不運に遭遇し、愈々之に代るべき大鑑の必要を痛感し筑波・生駒の建造を決し、呉海軍工廠に於て明治38年1月14日起工。同41年英國皇帝戴冠式に列する爲め同國に回航、次に欧米諸國を回航(筑波・千歳 第二艦隊司令長官伊集院五郎引率、艦長竹内平太郎)。大正元年8月巡洋戰艦に編入(昭和8年艦船類別標準改正により此の名稱廢され戰艦となる)、同3年乃至9年戰役從軍:同3年9月第一南遣支隊に属し南洋方面に行動、「マーシャル」・東「カロリン」群島の占領に任ず(艦長大佐竹内次郎)、同6年1月14日横須賀港に於て災禍の爲め爆沈。―要目― 長440呎/幅75呎/喫水26呎/排水量13,750噸/機關 往復機關2基、宮原式罐/馬力20,500/速力20.5/乗組人員830/船材 鋼(甲帶7吋)/兵装 12吋砲4/6吋砲12/4.7吋砲12/3吋砲6/機關砲4/發射管5/起工 明治38-1-14/進水 同38-12-16/竣工 40-1-14/建造所 呉工廠」。 この名を持つ日本海軍の艦船としては「筑波艦」(コルベット)に続いて2隻目。.

新しい!!: 田村丕顕と筑波 (巡洋戦艦) · 続きを見る »

練習艦隊

練習艦隊(れんしゅうかんたい)とは、海軍(それに準じる組織を含む)の要員の訓練に特化した艦隊である。 多くの場合、下士官及び水兵の訓練は、術科学校を除いては教育隊や海兵団で行われるので、初任士官又は士官候補生の教育末期に行われる。乗船実習自体は、単艦でも行いうるが、戦術運動訓練、ハイライン訓練及び曳航被曳航訓練等の重要な訓練は2隻以上なければ実施できないため、小規模な艦隊を編成することが多い。.

新しい!!: 田村丕顕と練習艦隊 · 続きを見る »

田村崇顕

村 崇顕(たむら たかあき)は、江戸時代から明治時代の大名・華族(子爵)。陸奥一関藩第11代藩主。.

新しい!!: 田村丕顕と田村崇顕 · 続きを見る »

田村邦栄

村 邦栄(たむら くによし)は、江戸時代から明治時代の大名・華族(子爵)。陸奥一関藩第10代藩主。.

新しい!!: 田村丕顕と田村邦栄 · 続きを見る »

田村氏

村氏(たむらし)は、坂上田村麻呂の末裔ともいわれ、陸奥国の田村郡を支配していた戦国大名の氏族。豊臣秀吉の奥州仕置により改易となるが、後に仙台藩伊達家の内分分家大名として再興される。明治以降は子爵となり華族に列せられた。 家紋は坂上氏の代表紋である車前草。ほかに桐、巻龍、蝶、巴を替紋とし、再興された近世大名田村家は伊達氏との縁から縦三つ引両も用いる。通字は「顕」(あき)、また近世大名田村家では代々仙台藩主から偏諱の授与を受けていた。信仰では大元帥明王や十一面観世音菩薩、帝釈天に深く帰依した。.

新しい!!: 田村丕顕と田村氏 · 続きを見る »

駐日アメリカ合衆国大使

日本国アメリカ合衆国大使(ちゅうにほんこくアメリカがっしゅうこくたいし)とは、日本に駐在するアメリカ合衆国連邦政府が派遣した特命全権大使。在日本アメリカ合衆国大使(ざいにほんアメリカがっしゅうこくたいし)、駐日米大使(ちゅうにちべいたいし)ともいう。.

新しい!!: 田村丕顕と駐日アメリカ合衆国大使 · 続きを見る »

高千穂 (防護巡洋艦)

千穂(たかちほ)は、日本海軍の防護巡洋艦(二等巡洋艦)。浪速型の2番艦。艦名は天孫降臨の地とされている宮崎県の「高千穂峰」にちなんで名づけられた#幕末以降帝国軍艦写真と史実第31コマ(原本34頁)『高千穂(たかちほ) 艦種巡洋艦 二檣(スクーナー) 艦名考山名に採る、高千穂峯は霧島山東嶽の古名なり(霧島の條参照)。艦歴明治17年3月英國安社に於て起工、同19年7月横濱に來着。同27・8年戰役に從軍:同27年8月威海衛砲撃に、同9月黄海海戰に、同11月大連港及旅順港占領に参加。同28年2月威海衛總攻撃及同占領に、同3月澎湖島攻略に参加。同31年3月巡洋艦二等に列す。同37・8年戰役從軍(第四戰隊):同37年2月仁川沖海戰に、同8月蔚山沖海戰に参加。同38年5月日本海々戰に参加(艦長大佐毛利一兵衛)。大正6年海防艦二等に編入す。同3年乃至9年戰役に從軍:〃3年8月青島戰に参加(第二艦隊、艦長大佐伊藤祐保)、同3年10月膠州灣に於て敵水雷艇(S90號)の雷撃を受け爆沈す(艦長同前)。 ―要目― 長300呎/幅46呎/喫水18呎7吋/排水量3,759噸/機關 横置二聯成汽機2臺、雙螺旋、圓罐/馬力7,600/速力18.5/乗組人員357/船材 鋼(防禦甲板51粍)/兵装 26拇克砲2/15栂克砲6/6听ノルデン砲2/備砲14/發射管(水上)4/起工 明治17-3-22/進水 同18-5-16/竣工 同19-4/建造所 英國エルスウィック安社』。 第一次世界大戦従軍中の1914年(大正3年)10月18日未明、膠州湾においてドイツ軍魚雷艇(小型駆逐艦)の魚雷攻撃を受け、沈没した。.

新しい!!: 田村丕顕と高千穂 (防護巡洋艦) · 続きを見る »

高松宮宣仁親王

松宮宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう、1905年(明治38年)1月3日 - 1987年(昭和62年)2月3日)は、日本の皇族。大正天皇と貞明皇后の第三皇子。今上天皇の叔父にあたる。有栖川宮の祭祀を継承。妃は公爵・徳川慶久の次女・喜久子。御称号は光宮(てるのみや)。身位は親王。お印は若梅(わかうめ)。栄典は大勲位功四級。.

新しい!!: 田村丕顕と高松宮宣仁親王 · 続きを見る »

軍人

大日本帝国陸軍の軍人と軍旗1931年(昭和6年) 軍人(ぐんじん)は、当該国家の正規の軍事組織に所属し、正規の軍事訓練を受け、国家により認められた階級を与えられた者を指す。軍人は国際法上交戦権として、敵対勢力を破壊する権利を持つ。また敵対勢力に投降した場合には、捕虜として基本的人権が保障されている。 文民や民間人の対義語として用いられ、軍人としての籍のことを兵籍・軍籍などといい、軍人としての履歴を軍歴という。軍属は原則として、文官(雇員・傭人等を含む。)であり軍人とは異なる。また、武官は軍人のうち、官吏でもある職業軍人を指し、徴兵された者は含まない。英語ではsoldierは通常陸軍軍人のみを指し、海軍、空軍、海兵隊の軍人はそれぞれseaman(またはsailor)、airman、marineという。全軍の軍人の総称としてはMilitary personnel、ラテン語ではmiles(ミーレス)という。 なお、自衛隊は、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めた日本国憲法第九条に従い、自衛のための必要最低限の実力組織と定義されているが、中山太郎外務大臣が国会答弁で「自衛隊は、憲法上必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の厳しい制約を課せられております。通常の観念で考えられます軍隊ではありませんが、国際法上は軍隊として取り扱われておりまして、自衛官は軍隊の構成員に該当いたします」と述べているように、諸外国における軍人にあたる自衛官は国際法上は軍隊の構成員(軍人)と扱われるとされる。.

新しい!!: 田村丕顕と軍人 · 続きを見る »

軍令部

軍令部(ぐんれいぶ)は、日本海軍の中央統括機関(海軍省と共同で行う)である。海軍省が内閣に従属し軍政・人事を担当するのに対し、軍令部は天皇に直属し、その統帥を輔翼(ほよく)する立場から、海軍全体の作戦・指揮を統括する。.

新しい!!: 田村丕顕と軍令部 · 続きを見る »

薩摩 (戦艦)

薩摩(さつま)は#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.85『薩摩(さつま) 艦種一等戰艦 二檣(信號用)安藝と姉妹艦。 艦名考國名なり、薩摩國に採る。 艦歴本艦は日露戰役の教訓により副砲を始めて10吋砲とし、所謂弩級戰艦の先驅をなしたるもの、大正3年乃至大正9年戰役(日獨)從軍:同3年9月第蓋南遣支隊に属し西「カロリン」群島の警戒及占領に任ず(司令官中将松村龍雄旗艦、艦長大佐吉島重太郎)、同12年9月20日除籍、廢棄(華府海軍々備制限條約に由る)。 ―要目― 長482呎/幅83.5呎/喫水2.75呎/排水量19,370噸/機關 直立三聯成汽罐2基 宮原式20臺/馬力17,300/速力18.25/乗組人員930/船材 鋼(甲帶9吋)/兵装 12吋砲4 10吋砲12 4.7吋砲12 12听砲12 機關砲4 發射管5/起工 明治38-5-15/進水 同39-11-15/竣工 同42-3-25/建造所 横須賀工廠』、日本海軍の戦艦#達明治39年11月p.6『達第百四十九號 横須賀海軍工廠ニ於テ製造ノ乙號戰艦ヲ薩摩ト命名セラル 明治三十九年十一月十五日 海軍大臣 斎藤實』。 艦名は薩摩国に由来する。 日本が初めて自国で建造した戦艦である。日露戦争中の明治37年度の臨時軍事費で建造された。準同型艦に「安芸」がある。.

新しい!!: 田村丕顕と薩摩 (戦艦) · 続きを見る »

陸奥国

奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。 明治維新後、出羽国とともに分割された後の陸奥国については、陸奥国 (1869-)を参照。.

新しい!!: 田村丕顕と陸奥国 · 続きを見る »

東宮武官

東宮武官(とうぐうぶかん)は、東宮武官官制(明治22年勅令第138号)によって制定された、宮中並びに陸海軍の官職。東宮即ち皇太子の軍務につき常侍奉仕した。当初の規定では陸軍のみから選ばれ佐官1名尉官3名で構成された。1891年(明治24年)6月の官制改正で将官から任用される東宮武官長が新設され、1897年(明治30年)10月の改正で初めて海軍武官による東宮武官が定められた。1898年(明治31年)、1910年(明治43年)の改正を経た東宮武官の構成は、武官長1名、陸軍からの武官5名と海軍からの武官3名の他、陸軍軍属2名、海軍軍属1名。任用される武官は陸海軍ともに大尉以上中将までで、参謀である者とされた。皇太子裕仁親王即位にあたり東宮武官は廃止された。.

新しい!!: 田村丕顕と東宮武官 · 続きを見る »

東京

西新宿東京スカイツリー/レインボーブリッジ渋谷/国会議事堂 東京(とうきょう、)は、日本の関東平野中央部の東京湾に面する都市、あるいは都市圏であり、江戸幕府の所在地・江戸が慶応4年7月(1868年9月)に「東京」に名称変更されたものである。 明治2年3月28日に、日本の都(みやこ)が京都から「東京」に遷された。そして現在の日本の事実上の首都である。 現在の東京は世界都市であり、都市圏として世界最大の人口・経済力を擁している。.

新しい!!: 田村丕顕と東京 · 続きを見る »

東伏見宮依仁親王

東伏見宮 依仁親王(ひがしふしみのみや よりひとしんのう、1867年10月16日(慶応3年9月19日) - 1922年(大正11年)6月27日)は、日本の皇族、海軍軍人。 伏見宮邦家親王第17王子。官位は元帥海軍大将・大勲位・功三級。妃は岩倉具定公爵長女周子(かねこ)。.

新しい!!: 田村丕顕と東伏見宮依仁親王 · 続きを見る »

榛名 (戦艦)

榛名(はるな)は、日本海軍の戦艦で、金剛型戦艦の3番艦。.

新しい!!: 田村丕顕と榛名 (戦艦) · 続きを見る »

明石 (防護巡洋艦)

明石(あかし)は、日本海軍の防護巡洋艦。須磨型の2番艦である。艦名は兵庫県の景勝地「明石の浦」にちなんで名づけられた。.

新しい!!: 田村丕顕と明石 (防護巡洋艦) · 続きを見る »

海軍大学校

海軍大学校(かいぐんだいがっこう)は、日本海軍の上級将校教育機関である。略語として海大とも呼称される。日本陸軍では陸軍大学校、現在の海上自衛隊では、海上自衛隊幹部学校に相当する。.

新しい!!: 田村丕顕と海軍大学校 · 続きを見る »

海軍大将

海軍大将(かいぐんだいしょう)は、海軍の階級の一。海軍中将の上に位置する。一般に将官の最高位であり、海軍軍人の最高位である。 英呼称である“admiral”はアラビア語で「海の司令官」を意味するアミール・アルハル“amīr al-baḥr”に由来する。.

新しい!!: 田村丕顕と海軍大将 · 続きを見る »

海軍兵学校 (アメリカ合衆国)

正門 キャンパス 礼拝堂 卒業式での伝統である帽子投げ。2007年撮影。 ハインライン) アメリカ合衆国の海軍兵学校(United States Naval Academy )は、アメリカ海軍およびアメリカ海兵隊の士官学校。メリーランド州アナポリスにあり、地名より、アナポリスと通称される。アメリカ海軍作戦部長直轄。.

新しい!!: 田村丕顕と海軍兵学校 (アメリカ合衆国) · 続きを見る »

海軍兵学校 (日本)

海軍兵学校(かいぐんへいがっこう)は、1876年(明治9年)から1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦まで存続した、大日本帝国海軍の将校たる士官の養成を目的とした教育機関である。.

新しい!!: 田村丕顕と海軍兵学校 (日本) · 続きを見る »

海軍省

海軍省(かいぐんしょう)は、日本の第二次世界大戦以前の行政官庁各省の中の一つである。大日本帝国海軍の軍政機関。主任大臣は海軍大臣。軍令は最高司令官である天皇に直属する軍令部が担当する。.

新しい!!: 田村丕顕と海軍省 · 続きを見る »

浅間 (装甲巡洋艦)

浅間(あさま)は、大日本帝国海軍に所属した装甲巡洋艦(一等巡洋艦)#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.56『淺間(あさま)【二代】 艦種一等巡洋艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考初代「淺間」の項(p.15)参照。艦歴常磐と姉妹艦なり、我國に於ける装甲巡洋艦として最初の艦なり。明治33年北清事變從軍:同33年8月22日英・獨・露・伊・墺の聯合郡と共に参戰、太沽攻撃に從事(艦長大佐細谷資氏)、同35年6月、高砂と共に英皇戴冠式に参列(司令官伊集院五郎)、同37・8年戰役に從軍(第二戰隊):同37年仁川沖海戰に参加(第四戰隊司令官少将瓜生外吉旗艦、艦長大佐八代六郎)、同年8月黄海々戰に参加(艦長同前)、同38年5月日本海々戰に参加(艦長同前)、大正3年乃至9年戰役(日獨)に從軍:同3年9月南洋方面に行動し、獨領南洋島占領に從事(艦長大佐吉岡範策)、同3年10月又遣米支隊に属し布哇・北米・中米方面警備に從事(艦長同前)、同4年1月31日遣米枝隊として北米沿岸に活動中、南加州「サンパルトロメー」に於て海圖上に指示されざる無名の暗岩に坐礁し常磐・關東等の掩護の下に非常なる辛酸を嘗めて同5月8日離礁、「エスカイモルト」に於て應急處置を行ひ、工作艦「關東」護衛の下に横須賀に歸着、同所に於て修理完了。同10年一等海防艦に編入、御召艦なること屢次、次の如し。33年4月28日-30日 大演習/36年4月10日-30日大演習/38年10月23日観艦式/41年11月18日-30日大演習(観艦式共) 尚ほ明治43年以來練習艦隊として海軍少尉候補生等の練習任務に服し今日に至る。―要目―(略)起工 明治29年-10-20/進水同31-3-22/竣工同32-3-18/建造所 英國エルスウィック安社』。 日本海軍の法令上は旧字体の淺間だが、本記事では浅間とする。 浅間型装甲巡洋艦のネームシップ。 旧式化に伴い、1921年(大正10年)9月1日附で海防艦に類別変更された。 艦名は群馬県と長野県の境にある「浅間山」にちなんで名づけられた。この名を持つ日本海軍の艦船としては明治初期のコルベット艦「浅間」に続いて2隻目#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.19『淺間(あさま)【初代】 艦種軍艦 三檣「シップリグ・コルベット」 艦名考山名に採る、淺間山は信濃國北佐久郡、上野國吾妻郡に跨る、標高8,184尺。艦歴明治元年佛國に於て建造、同7年7月開拓使より受領、當時北海丸と號す。同年10月淺間艦と改名、後ち砲術練習艦として當時有名なり。同9年萩の亂從軍、同10年西南役從軍、同24年3月3日除籍、船體は同25年6月横須賀水雷隊攻撃部に付属せしが同29年12月賣却。』。.

新しい!!: 田村丕顕と浅間 (装甲巡洋艦) · 続きを見る »

新高 (防護巡洋艦)

新高(にいたか/にひたか)は、日本海軍の軍艦#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ63(原本93頁)『新高(にひたか) 艦種三等巡洋艦 二檣(信號用) 艦名考山名に採る、新高山は臺灣の臺中縣・臺東縣に跨る。日清戰役後臺灣島が帝國の領土に歸せしとき、此新領土に高山あること 叡聞に達しければ、其山を「新高山」と命名せられたりとも云ふ、支那人は玉山又は八通關山と稱し、西洋人は「モリソン」山と云ふ、標高13,679尺艦歴明治37・8年戰役に從軍(第四戰隊):同37年2月仁川沖海戰に参加(艦長中佐荘司(後に庄司)義基)、同37年8月蔚山沖海戰に参加(艦長同前)、同38年5月第三戰隊に属し日本海々戰に参加(艦長同前)、大正元年8月二等巡洋艦に列す。同3年乃至9年戰役に從軍:同3年10月第三艦隊に属し南支那海・インド洋方面軽微(艦長中佐小林研藏、同野崎小十郎)、同6年9月第一特務艦隊に属し喜望峰南方警備(艦長大佐犬塚太郎、同名古屋爲毅)、同10年二等海防艦に列す、同11年露領沿岸警備中、同8月16日堪察加沖にて遭難沈没(艦長古賀琢一)、同12年4月1日除籍。―要目― 長334.5呎/幅44呎/喫水16呎/排水量3,420噸/機關 三聯成汽機2基 ニクロース式罐16臺/馬力9,500/速力20/乗組人員320/船材 鋼/兵装 6吋砲6/12听砲10/2.5听砲4/起工 明治35-1-7/進水 同35-11-15/竣工 同37-1-27/建造所 横須賀』#達明治38年11月p.2『達第百二號 横須賀海軍造船廠ニ於テ建造ノ第一號三等巡洋艦ヲ新ニヒ高タカト命名セラル 明治三十五年十一月十五日 海軍大臣 男爵山本権兵衛』。 艦名は当時日本領であった台湾の「新高山」(現「玉山」)にちなんで名づけられた。 新高型防護巡洋艦の1番艦。 建造時の艦種は三等巡洋艦#達明治38年11月p.2『達第百四號 軍艦及水雷艇類別等級別表中巡洋艦三等ノ欄内ニ「新高」ヲ加フ』。続いて二等巡洋艦に類別。旧式化により二等海防艦に類別された。 1922年(大正11年)8月26日、カムチャツカ半島で悪天候により遭難、沈没した。.

新しい!!: 田村丕顕と新高 (防護巡洋艦) · 続きを見る »

日本海海戦

東郷平八郎(1907年〈明治40年〉) ロジェストヴェンスキー 日本海海戦(にほんかいかいせん、1905年5月27日 - 28日)は、日露戦争中に行われた海戦である。日本以外ではこれを主力決戦の場所に因み対馬沖海戦(つしまおきかいせん、 (Tsusimskoye srazheniye)、英語:Battle of Tsushima)と呼ぶ。 この海戦は日本海軍の連合艦隊と、ロシア海軍の第2・第3太平洋艦隊との間で戦われた。連合艦隊はロシア海軍両艦隊を撃滅し戦力のほとんどを失わせたが、連合艦隊の損失は軽微という海戦史上稀な一方的勝利となった。これにより両国間のポーツマス講和会議への道を開いた。なお日本では上記のロシア海軍両艦隊を指して「バルチック艦隊」と呼ぶことが定着しており本稿でもこの呼び名を用いる。.

新しい!!: 田村丕顕と日本海海戦 · 続きを見る »

11月29日

11月29日(じゅういちがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から333日目(閏年では334日目)にあたり、年末まであと32日ある。.

新しい!!: 田村丕顕と11月29日 · 続きを見る »

12月16日

12月16日(じゅうにがつじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から350日目(閏年では351日目)にあたり、年末まであと15日ある。.

新しい!!: 田村丕顕と12月16日 · 続きを見る »

12月1日

12月1日(じゅうにがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から335日目(閏年では336日目)にあたり、年末まであと30日ある。.

新しい!!: 田村丕顕と12月1日 · 続きを見る »

12月21日

12月21日(じゅうにがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から355日目(閏年では356日目)にあたり、年末まであと10日ある。.

新しい!!: 田村丕顕と12月21日 · 続きを見る »

1875年

記載なし。

新しい!!: 田村丕顕と1875年 · 続きを見る »

1900年

19世紀最後の年である。100で割り切れるが400では割り切れない年であるため、閏年ではなく、4で割り切れる平年となる。.

新しい!!: 田村丕顕と1900年 · 続きを見る »

1901年

20世紀最初の年である。.

新しい!!: 田村丕顕と1901年 · 続きを見る »

1904年

記載なし。

新しい!!: 田村丕顕と1904年 · 続きを見る »

1906年

記載なし。

新しい!!: 田村丕顕と1906年 · 続きを見る »

1909年

記載なし。

新しい!!: 田村丕顕と1909年 · 続きを見る »

1919年

記載なし。

新しい!!: 田村丕顕と1919年 · 続きを見る »

1924年

記載なし。

新しい!!: 田村丕顕と1924年 · 続きを見る »

1925年

記載なし。

新しい!!: 田村丕顕と1925年 · 続きを見る »

1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.

新しい!!: 田村丕顕と1945年 · 続きを見る »

1月13日

1月13日(いちがつじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から13日目に当たり、年末まであと352日(閏年では353日)ある。誕生花はカトレア、スイセン、ベゴニア、サザンクロス。.

新しい!!: 田村丕顕と1月13日 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »