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松平光重 (大草松平家)

索引 松平光重 (大草松平家)

松平 光重(まつだいら みつしげ、? - 永正5年2月20日(1508年3月21日)没年および法名は『朝野旧聞裒藁』所載の「大樹寺過去帳」の記述に拠る。また西郷氏との講和を文正年中とし、頼嗣の娘を 妻とするのは「大林寺由緒」(『新編岡崎市史』6巻851項)および「岡崎領主古記」に拠るものである。)は、戦国時代の武将。岡崎市南部および大草(愛知県幸田町北部)を所領とした大草松平家初代当主。三河松平氏3代当主松平信光の五男。紀伊守を称した。 文正年中(1466年 - 67年)岡崎旧領主の西郷氏と講和するとともに、西郷頼嗣(弾正左衛門)の娘を妻として、岡崎城(明大寺旧城)主となった。そのため安城松平家松平清康による岡崎城奪取(大永4年・1524年)までの大草松平家を岡崎松平家と呼ぶことがある。また山中(岡崎市舞木町周辺)の地に砦を構えて、これを詰の城とした。「新編岡崎市史2」は、現存する明応3年(1494年)の大樹寺あて発給文書から、彼が惣領家の支配を受けつつ、その元で活動する「奉行」としての地位にあったとしている(438項)。 永正3年(1506年)、遠江国から斯波氏の勢力を駆逐した今川氏親らの三河国への侵入をうけ、矢作川以東の岡崎市中心部で安城家松平長親がこれと交戦したとの「三河物語」の記事がある(ただし年月を欠く)。しかし川をはさんで南に所領をもつ岡崎家の動向は明らかではなく、また永正5年に没した光重の死が今川軍との戦闘によるものなのかどうかも不明である。 子は左馬允親貞(大草松平家2代)、弾正左衛門昌安(信貞・同3代)、左近将監「貞光」。蒲郡市形原の光忠寺はその開基を光重とし、また没年を永正5年2月9日として伝えるという(「新編岡崎市史」2巻439項)。法名は高月院光重栄金大禅定門。.

39 関係: 大草松平家大樹寺大永天文 (元号)山中城 (三河国)岡崎城岡崎市三河国三河物語幸田町今川氏親形原松平家矢作川遠江国舞木町 (岡崎市)蒲郡市松平与副松平信光松平親貞 (大草松平家)松平長親松平氏松平清康松平昌安武将永正戦国時代 (日本)明応斯波氏文正愛知県1466年1494年1506年1508年1524年1550年2月20日 (旧暦)2月9日 (旧暦)3月21日

大草松平家

大草松平家(おおくさまつだいらけ)は、三河国額田郡大草郷(現在の愛知県額田郡幸田町)出身の松平氏。岩津の松平信光五男・松平光重を祖とする。十四松平・十八松平の一つとされる。初めは岡崎松平家と称した。 宗家に対抗的で、3代・松平昌安(信貞・弾正左衛門)の時に松平清康に叛したが敗れ、4代・松平昌久は三河一向一揆で一揆側に付いた。このため大草松平家は一時追放されたが、再び一門に復し、7代・松平康安の時、徳川家康に忠を尽くして旗本(6千石)となった。しかし9代・松平正永の代で無嗣のため絶家した。.

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大樹寺

大樹寺(だいじゅじ/だいじゅうじ)は、愛知県岡崎市(三河国)にある浄土宗の寺院。山号は成道山。正式には成道山松安院大樹寺(じょうどうさん しょうあんいん だいじゅじ)と称する。 徳川氏(松平氏)の菩提寺であり、歴代当主の墓や歴代将軍(大樹公)の位牌が安置されている。大樹寺から岡崎城が眺望でき、直線上にマンション等の高層建築物を建てることはできない。.

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大永

大永(だいえい、たいえい)は、日本の元号の一つ。永正の後、享禄の前。1521年から1527年までの期間を指す。この時代の天皇は後柏原天皇、後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義稙、足利義晴。.

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天文 (元号)

天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝。.

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山中城 (三河国)

山中城(やまなかじょう)は、三河国額田郡山中(現在の愛知県岡崎市羽栗町)にあった戦国期の愛知県内最大級の山城。山中城は鎌倉街道(旧東海道)を北に見下ろし、舞木、山綱の両方から南行分岐する鎌倉街道(吉良道)を南の眼下に見下ろす、通称城山、岩尾山、医王山とも呼ばれる標高約195m(比高約100m)の山上一帯に築かれている。現在残る遺構は東西約400m、南北約250mの規模である。.

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岡崎城

岡崎城(おかざきじょう)は、愛知県岡崎市康生町にある日本の城。徳川家康の生地である。別名、龍城。岡崎公園の中にある。 戦国時代から安土桃山時代には松平氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁であった。 岡崎城は当初、「岡竒城」と記された。また、『三河国名所図会』には、「岡崎は享禄(1528年(享禄元年) - 1531年(享禄4年))以来の名號にして、其以前は菅生郷なり、」と記載されている。.

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岡崎市

乙川と岡崎市街地遠景 岡崎市中心部(康生地区) 西康生通り 岡崎市中心部を通る国道1号 岡崎市(おかざきし)は、愛知県の旧三河国のほぼ中央に位置する市。全国的には「八丁味噌」の産地として知られ、豊田市とともに西三河を代表する都市。中核市に指定されている。.

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三河国

三河国(みかわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。三の大字を用いて参河国(參河國)とも表記する。現在の愛知県東半部。.

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三河物語

『三河物語』(みかわものがたり)は、大久保忠教(彦左衛門)によって書かれた、徳川氏と大久保氏の歴史と功績を交えて武士の生き方を子孫に残した家訓書である。.

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幸田町

幸田町(こうたちょう)は、愛知県額田郡にある町。.

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今川氏親

今川 氏親(いまがわ うじちか)は戦国時代の武将・守護大名・戦国大名である。駿河今川家9代当主。駿河・遠江守護。父は今川義忠、母は幕臣伊勢盛定の娘・北川殿で、北条早雲の甥、今川義元の父に当たる。.

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形原松平家

形原松平家(かたのはらまつだいらけ )は、松平信光の四男・与副(与嗣とも)を祖とする松平氏の庶流。三河国宝飯郡形原(現・愛知県蒲郡市形原町)を領したことから形原松平家と称した。 なお、与副の弟である松平光重(大草松平家)及びその三男である貞光も形原に拠点を持っていたとされ、初期(天文年間まで)には与副系統と貞光系統があったとする説もある。.

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矢作川

作川(やはぎがわ)は、長野県、岐阜県および愛知県を流れ三河湾に注ぐ河川。一級水系矢作川の本流。矢作川の水は明治用水などに使われている。矢矧川とも書く。.

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遠江国

遠江国(とおとうみのくに/とほたふみのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。東海道に属する。.

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舞木町 (岡崎市)

舞木町(まいぎちょう)は愛知県岡崎市東部地区の町名。郵便番号は444-3511。.

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蒲郡市

蒲郡市(がまごおりし)は、愛知県南東部、東三河地方にある市。現在愛知県に10域ある、国土交通省の指定する都市雇用圏の1つ、「蒲郡都市圏」の中心地である。「蒲郡競艇(BOAT RACE蒲郡)」の「ムーンライトレース」や、リゾート施設「ラグーナテンボス」のテーマパーク「ラグナシア」、「蒲郡温室みかん」の産地、また西浦温泉、三谷温泉、形原温泉、蒲郡温泉など愛知を代表する温泉街を有する都市として知られる。.

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松平与副

松平 与副(まつだいら ともすけ)は、室町時代中期から戦国時代頃の人物。形原松平家の祖。松平信光の五男。 三河国宝飯郡形原郷に住し、750貫を領する。 弟の光重は形原松平家との繋がりが強く、与副の没後菩提寺として光忠寺を建てたと言われる。.

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松平信光

大樹寺(愛知県岡崎市)内にある松平八代墓の信光の墓 松平 信光(まつだいら のぶみつ/しんこう)は、室町時代中期から戦国時代初期頃の武将。三河松平氏の第3代当主で、岩津松平家の祖。妻は一色氏(一色満範あるいは一色宗義平野明夫 「信光の妻子」『三河松平一族』 新人物往来社、97 - 101頁。)の娘。 信光は、『朝野旧聞裒藁』や江戸期の系譜類は第2代当主・松平泰親の子とされるが、『松平氏由緒書』では初代当主・松平親氏の子であるとする。生母は賀茂氏の系統の松平信重の娘とする。当時の資料では源姓新田氏、あるいは賀茂朝臣を称していたことが知られる。.

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松平親貞 (大草松平家)

松平 親貞(まつだいら ちかさだ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。大草松平家第2代当主。父は同家初代・松平光重。弟は松平昌安(弾正左衛門信貞・大草3代当主)、松平貞光(左近将監)。「左馬允」と称した。 具体的な動向を示す資料は乏しいが、文亀元年(1501年)の「大樹寺連判状」(注)に岡崎左馬允「親貞」の名があり、この時期には彼が家督を継いでいたと推測できる。また永正3年(1506年)から同6年にかけての今川氏親、伊勢新九郎長氏(北条早雲)による三河への進入の際に、あるいは戦死したことが考えられる。永正5年(1508年)の父「光重」の没後、永正8年(1511年)の「信貞」(昌安)発給文書があることとも符合する(『新編岡崎市史』2巻562項)。 「親貞」には嗣子がなく、弟の「昌安」が家督を継いだ。一説に、昌安は岡崎の旧領主西郷頼嗣の子であるといわれ(『新編岡崎市史』6巻851項所収「大林寺由緒」)、家督継承は光重が頼嗣の娘を娶った縁故によるものと考えることもできる。墓所は岡崎市魚町1-6の大林寺。しかし霊供養は行うが、没年と法名はいずれも不明であるという(前掲『岡崎市史』2巻562項)。 注 『新編岡崎市史』6巻752項所収の「松平一門連判状」。 ちかさた Category:戦国武将.

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松平長親

松平 長親(まつだいら ながちか)は、戦国時代の武将。松平氏の第5代当主。松平親忠の三男。徳川家康の高祖父。.

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松平氏

松平氏(まつだいらし)は、室町時代に興った三河国加茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)の在地の小豪族であり、後に江戸幕府の征夷大将軍家となった徳川氏の母体である。室町時代は伊勢氏の被官として活躍した。江戸時代は徳川将軍家の一門、あるいは将軍家と祖先を同じくする譜代の家臣の姓となり、あるいは将軍家が勢力・格式ある外様大名に授けた称号としての役割をも果たした姓である。.

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松平清康

松平 清康(まつだいら きよやす)は、戦国時代の武将。三河松平氏(安祥松平家)の第7代当主。第6代当主・松平信忠の子。三河国安祥城城主および岡崎城主。安祥松平家は清康の代に安城岡崎を兼領し、武威をもって離反していた一族・家臣の掌握を進め西三河の地盤を固めた。徳川家康の祖父にあたる。.

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松平昌安

松平 昌安(まつだいら まさやす、? - 大永5年7月22日(1525年8月10日))は、戦国時代の武将。通称は弾正左衛門。彼のものとみられる文書の写しには信貞とあり、そのように記す史書がある(『改正三河後風土記』『朝野旧聞裒藁』など)。 大草松平家初代当主・松平光重の子とするのが一般的であるが(『寛政重修諸家譜』など)、実父は西郷弾正左衛門頼嗣であるとも言われ、それゆえ西郷信貞として呼ばれることがある。 兄親貞の後を継いで同家の第3代当主となり、岡崎城(明大寺旧城)を居所として、岡崎市南部および大草城(愛知県幸田町北部)を支配したと考えられる。大永4年(1524年)に松平清康による山中城(岡崎市舞木町城山)への攻撃を受け、岡崎城とその所領を明け渡した。山中城攻略は大久保忠茂(七郎右衛門忠茂)の調略によるものとする『三河物語』の記述がある。 岡崎の地を明け渡すとともに、娘「於波留」を清康に嫁がせ、自らは大草に隠遁した。墓所は大林寺(岡崎市魚町1-6)。法名・泰叟昌安禅定門。 子は七郎「昌久」とされ(「干城録」巻2)、また娘は上記・清康の妻のほかに水野忠政の妻がいる(「寛政譜」新訂6巻33項)。.

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武将

武将(ぶしょう)とは、軍勢を統率する将軍、特に武道に秀でた将のこと。 日本の戦国時代においては、武士や農民・町人から徴用された足軽たちを統率する戦国大名やその家臣を指すことがある(戦国武将)。なお、部隊を率いる将を部将と呼ぶ。 明治政府が当時の事象や日本の歴史について文献に基づきまとめた古事類苑に「武将」の文言は見られない。.

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永正

永正(えいしょう)は、日本の元号の一つ。文亀の後、大永の前。1504年から1521年までの期間を指す。この時代の天皇は後柏原天皇。室町幕府将軍は足利義澄、足利義稙。.

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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明応

明応(めいおう)は、日本の元号の一つ。延徳の後、文亀の前。1492年から1501年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇、後柏原天皇。室町幕府将軍は足利義材、足利義澄。.

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斯波氏

斯波氏(しばし)は、日本の武家のひとつ。室町幕府将軍足利氏の有力一門であり、かつ細川氏・畠山氏と交替で管領に任ぜられる有力守護大名であった。越前・尾張・遠江などの守護を世襲し、また分家の大崎氏は奥州探題、最上氏は羽州探題を世襲した。明治維新後に男爵家となった源姓津田氏も、その末裔の一つである。.

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文正

文正(ぶんしょう)は、日本の元号の一つ。寛正の後、応仁の前。1466年の期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政。.

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愛知県

愛知県(あいちけん)は、太平洋に面する日本の県の一つ。県庁所在地は名古屋市。.

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1466年

記載なし。

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1494年

記載なし。

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1506年

記載なし。

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1508年

土曜日から始まる。.

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1524年

記載なし。

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1550年

記載なし。

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2月20日 (旧暦)

旧暦2月20日は旧暦2月の20日目である。六曜は先負である。.

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2月9日 (旧暦)

旧暦2月9日(きゅうれきにがつここのか)は、旧暦2月の9日目である。六曜は仏滅である。.

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3月21日

3月21日(さんがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から80日目(閏年では81日目)にあたり、年末まであと285日ある。.

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