ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

木曾 (軽巡洋艦)

索引 木曾 (軽巡洋艦)

木曾(きそ)は、大日本帝国海軍の球磨型軽巡洋艦の5番艦。艦名は東海地方を流れる木曽川に由来して命名された。.

126 関係: 卯月 (睦月型駆逐艦)多摩 (軽巡洋艦)大川内傳七大井 (軽巡洋艦)大野竹二大波 (駆逐艦)大日本帝国海軍太平洋戦争官報小松輝久山雲 (駆逐艦)岡新川井巌川内型軽巡洋艦上海市三年式機関銃三菱重工業長崎造船所九六式二十五粍高角機銃幌筵島二式二号電波探信儀一型二・二六事件予備役五十鈴 (軽巡洋艦)五月雨 (駆逐艦)伊号第三十五潜水艦伊藤整一北上 (軽巡洋艦)ミッドウェー海戦ノットマニラポンペイ島レナウンレイテ沖海戦トン数ブルネイピンタド (潜水艦)フィリピンドーリットル空襲ニューアイルランド島ダーバン初霜 (初春型駆逐艦)初春 (初春型駆逐艦)利根 (重巡洋艦)アリューシャン方面の戦いアッツ島アストリア (重巡洋艦)エドワード8世 (イギリス王)カロリン諸島カタパルトキスカ島...キスカ島撤退作戦シンガポールシベリア出兵セント・ジョージ岬四十口径三年式八糎高角砲四十口径八九式十二糎七高角砲球磨 (軽巡洋艦)球磨型軽巡洋艦磯風 (陽炎型駆逐艦)礼砲秋霜 (駆逐艦)竹 (松型駆逐艦)第五艦隊 (日本海軍)練習艦真珠湾攻撃父島隼鷹 (空母)香港角田覚治護国丸 (特設巡洋艦)谷風 (陽炎型駆逐艦)霞 (朝潮型駆逐艦)舞風 (駆逐艦)舞鶴鎮守府那珂 (軽巡洋艦)野分 (陽炎型駆逐艦)長良型軽巡洋艦若葉 (初春型駆逐艦)進水式排水量東京湾梶岡定道森電三水上機水雷戦隊沖波 (駆逐艦)清澄丸 (特設巡洋艦)潮 (吹雪型駆逐艦)朝霜 (駆逐艦)木曽川有馬寛浦風 (陽炎型駆逐艦)海軍砲術学校海里斎藤博 (外交官)日中戦争日枝丸曙 (吹雪型駆逐艦)時雨 (白露型駆逐艦)10月30日11月10日11月13日12月10日12月14日1917年1919年1920年1921年1942年1943年1944年1945年1955年1956年2月3月20日50口径三年式14cm砲5500トン型軽巡洋艦5月5月4日6月10日6月30日7月7月3日8月11日8月30日 インデックスを展開 (76 もっと) »

卯月 (睦月型駆逐艦)

卯月(うづき)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第二十五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 卯月(ウヅキ)トス』。睦月型駆逐艦の4番艦である。艦名は旧暦で4月のこと。艦名は初代神風型駆逐艦の「卯月」に続いて2代目。姉妹艦「睦月」の沈没に伴い、睦月型駆逐艦は卯月型駆逐艦と改定された#内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十三号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦一等ノ部中「睦月型」ヲ「卯月型」ニ改メ同項中「睦月、」ヲ削リ、同吹雪型ノ項中「、朝霧」ヲ削ル』。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と卯月 (睦月型駆逐艦) · 続きを見る »

多摩 (軽巡洋艦)

多摩(たま#海軍制度沿革8(1971)p.362、大正6年(1917年)8月20日附達第97号『軍備補充費ヲ以テ建造ニ著手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル 横須賀海軍工廠ニ於テ製造 戰艦 陸(ム)奥(ツ) 佐世保海軍工廠ニ於テ製造 二等巡洋艦 球(ク)磨(マ) 三菱合資會社長崎造船所ニ於テ製造 二等巡洋艦 多(タ)摩(マ)』)は、日本海軍の二等巡洋艦 (軽巡洋艦)。 球磨型の2番艦。 その艦名は、多摩川に因んで命名された#艦船名考(1928)pp.236-237。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と多摩 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

大川内傳七

大川内 傳七(おおかわち でんしち、1886年(明治19年)9月2日 - 1958年(昭和33年)2月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。佐賀県塩田町出身。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と大川内傳七 · 続きを見る »

大井 (軽巡洋艦)

大井(おおい/おほゐ)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。球磨型の4番艦。その艦名は、静岡県の中部を流れる大井川から因んで命名された。大井の艦名はローマ字表記(英語表記)にした場合「Oi」と僅か2文字であるため、鵜来型海防艦の伊王と並び、艦名としては世界一短いものだとされている。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と大井 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

大野竹二

大野 竹二(おおの たけじ、1894年10月1日 - 1976年12月18日)は、日本海軍の軍人。 戦艦「大和」第4代艦長。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と大野竹二 · 続きを見る »

大波 (駆逐艦)

大波(おおなみ/おほなみ)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和17年6月p.25『達第百八十六號 昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、潜水艦二隻及掃海艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十七年六月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 大波(オホナミ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 清波(キヨナミ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第百八十五潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 呂號第三十七潜水艦|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十四號掃海艇』。夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の7番艦である。その艦名は大波に由来し、海上自衛隊の護衛艦「おおなみ(初代)」、「おおなみ(2代)」に引き継がれた。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と大波 (駆逐艦) · 続きを見る »

大日本帝国海軍

大日本帝国海軍(だいにっぽんていこくかいぐん、旧字体:大日本帝國海軍、英:Imperial Japanese Navy)は、1872年(明治5年) - 1945年(昭和20年)まで日本(大日本帝国)に存在していた軍隊(海軍)組織である。通常は、単に日本海軍や帝国海軍と呼ばれた。戦後からは、別組織であるもののその伝統を重んじる傾向にある海上自衛隊との区別などのため、旧日本海軍もしくは旧帝国海軍とも呼ばれる。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と大日本帝国海軍 · 続きを見る »

太平洋戦争

太平洋戦争(たいへいようせんそう、Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争である。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた(昭和16年12月12日 閣議決定)、国立国会図書館リンク切れ --> - 国立国会図書館リサーチ・ナビ(2012年12月20日版/2016年9月16日閲覧)。 日本軍のイギリス領マレー半島攻撃により始まり、その後アメリカ西海岸、アラスカからタヒチやオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から、東南アジア全域、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と英米蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と太平洋戦争 · 続きを見る »

官報

官報を販売していた霞が関政府刊行物サービス・センター 『官報』(かんぽう)は、日本国の機関紙である。国としての作用に関わる事柄の広報および公告をその使命とする。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と官報 · 続きを見る »

小松輝久

小松 輝久(こまつ てるひさ、1888年(明治21年)8月12日 - 1970年(昭和45年)11月5日)は、北白川宮家出身の華族、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。皇族時代は(北白川宮)輝久王(てるひさおう)という。従二位勲一等侯爵。墓所は東京都文京区にある護国寺。 伊勢神宮大宮司の小松揮世久は孫にあたる。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と小松輝久 · 続きを見る »

山雲 (駆逐艦)

山雲(やまぐも)は#達昭和11年p.11『達第百六十四號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻工作艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十一年十月二十二日 海軍大臣永野修身|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 朝雲(アサグモ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 山雲(ヤマグモ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 工作艦 明石(アカシ)』、大日本帝国海軍の駆逐艦。一等駆逐艦朝潮型(満潮型)の6番艦である。1944年(昭和19年)10月下旬のレイテ沖海戦で西村艦隊に所属しスリガオ海峡へ突入、米艦隊の砲雷撃を受けて沈没した。艦名は海上自衛隊のやまぐも型護衛艦「やまぐも」に継承された。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と山雲 (駆逐艦) · 続きを見る »

岡新

岡 新(おか あらた、1890年(明治23年)7月16日 - 1958年(昭和33年)3月23日)は、日本の海軍軍人。海兵40期、海大甲種第22期、海軍砲術学校高等科第18期(首席)。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と岡新 · 続きを見る »

川井巌

川井 巌(かわい いわお、1896年(明治29年)9月2日 - 1972年(昭和47年)5月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県山形市出身。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と川井巌 · 続きを見る »

川内型軽巡洋艦

川内型軽巡洋艦(せんだいがたけいじゅんようかん)は、日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。同型艦3隻。いわゆる5500トン型軽巡洋艦の第3グループ(最終グループ)にあたる#東・石橋(1990)川内型p.22。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と川内型軽巡洋艦 · 続きを見る »

上海市

上海市(シャンハイし、、 ()、呉語発音: 、)は、中華人民共和国の直轄市である。 有数の世界都市であり、同国の商業・金融・工業・交通などの中心地、香港・北京と並ぶ中国最大の都市の一つである。アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界9位と評価された。 2012年6月時点の常住人口は2,400万人を超え、市内総生産は2兆3,560億元(約45兆円)であり、いずれも首都の北京市を凌ぎ中国最大である。中華人民共和国国務院により国家中心都市の一つに指定されている。 略称は滬(/こ:フー)だが、古称の申(しん:シェン)も用いられる。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と上海市 · 続きを見る »

三年式機関銃

三年式機関銃(さんねんしききかんじゅう)は、1914年(大正3年)に制式化された、大日本帝国陸軍(以下陸軍という)の制式機関銃である。生産は当初東京砲兵工廠で行われ、後に東京瓦斯電気会社に生産委託、推定3000挺が作られた。大日本帝国海軍でも三年式機砲及び三年式機銃の名称で使用されていた。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と三年式機関銃 · 続きを見る »

三菱重工業長崎造船所

長崎造船所本館(右上の白い建物) 三菱重工業長崎造船所(みつびしじゅうこうぎょう ながさきぞうせんじょ)は、長崎県長崎市と諫早市にある三菱重工業の造船所・工場。正式名称は三菱重工業株式会社長崎造船所。略称長船(ながせん)。長崎造船所のうち、小菅修船場跡、第三船渠、ジャイアント・カンチレバークレーン、旧木型場(現在は史料館)、占勝閣の5資産が世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(全23資産)の構成資産となっている。 本工場、香焼工場、幸町工場には三菱日立パワーシステムズ長崎工場が併設されている。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と三菱重工業長崎造船所 · 続きを見る »

九六式二十五粍高角機銃

九六式二十五粍高角機銃(きゅうろくしきにじゅうごみりこうかくきじゅう)とは、第二次世界大戦中に日本海軍で使用された対空機銃である。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と九六式二十五粍高角機銃 · 続きを見る »

幌筵島

幌筵島(ぱらむしるとう、ほろむしろとう)は、千島列島の北東部にある島。波羅茂知島(ぱらもしるとう)と表記されることもある。ロシア名はパラムシル島 (о.Парамушир)、英語表記はParamushir。 島の名前の由来は、アイヌ語の「パラ・モシル(広い・島)」「ポロ・モシル(大きい・島)」から。千島アイヌは「ウレシパモシリ(人を多く育てた島)」とも呼んでいた。 ただ、漢字表記で「幌(ほろ)」を「ぱら」や「筵(むしろ)」を「むしる」と読ませるのは無理矢理ではあるが、いわゆる北方領土や北海道本島においてもアイヌ語由来地名の漢字表記にそのような例は数多くあり、こちらは「ほろむしろ」と読む例もあるが一般的には「ぱらむしる」と読むことが普通である。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と幌筵島 · 続きを見る »

二式二号電波探信儀一型

二式二号電波探信儀一型(2しき2ごうでんぱたんしんぎ1がた)は、日本海軍の開発した艦艇搭載用の対空警戒レーダー。二号一型電探、21号電探などに略称される。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と二式二号電波探信儀一型 · 続きを見る »

二・二六事件

二・二六事件(ににろくじけん、にいにいろくじけん)は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こした日本のクーデター未遂事件である。 この事件の結果岡田内閣が総辞職し、後継の廣田内閣が思想犯保護観察法を成立させた。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と二・二六事件 · 続きを見る »

予備役

予備役 (よびえき)は、軍隊における役種の一種。一般社会で生活している軍隊在籍者や、軍隊に就役していた艦艇・航空機のことを指し、有事の際や訓練の時のみ軍隊に戻る。在郷軍人とも呼ばれる。ほとんどすべての軍隊に存在し、自衛隊の場合は予備自衛官と称される。 予備役にある人で構成されるのが在郷軍人会である。 予備役の兵で編成された軍隊を予備軍という。ただし、この語は予備兵力のことも意味する。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と予備役 · 続きを見る »

五十鈴 (軽巡洋艦)

五十鈴(いすず)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。長良型の2番艦である。その艦名は、三重県を流れる五十鈴川より名づけられた。完成時は高速軽巡洋艦として水雷戦隊の旗艦に適した優秀な艦であり、歴代艦長からは堀悌吉、山本五十六、高須四郎、松永貞市、山口多聞など後に著名になった指揮官も輩出した。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と五十鈴 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

五月雨 (駆逐艦)

五月雨(さみだれ)は、日本海軍の駆逐艦。白露型駆逐艦の6番艦である#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|白露型|白露、時雨、村雨、夕立、春雨、五月雨、海風、山風、江風、涼風』。艦名は海上自衛隊のむらさめ型護衛艦6番艦「さみだれ」に継承された。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と五月雨 (駆逐艦) · 続きを見る »

伊号第三十五潜水艦

伊号第三十五潜水艦(いごうだいさんじゅうごせんすいかん、旧字体:伊號第三十五潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十五型潜水艦(巡潜乙型)の16番艦。 当初は伊号第四十五潜水艦と命名されていたが、1941年(昭和16年)11月1日に伊号第三十五潜水艦と改名されている。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と伊号第三十五潜水艦 · 続きを見る »

伊藤整一

伊藤 整一(いとう せいいち、1890年(明治23年)7月26日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校39期。最終階級は海軍大将。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と伊藤整一 · 続きを見る »

北上 (軽巡洋艦)

北上(きたかみ)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。球磨型の3番艦。その艦名は、岩手県・宮城県を流れる北上川より名づけられた。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と北上 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

ミッドウェー海戦

ミッドウェー海戦(ミッドウェーかいせん; Battle of Midway)は、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)6月5日(アメリカ標準時では6月4日)~7日(6月3日から5日とする場合もある)、ミッドウェー島付近での海戦。同島攻略をめざす日本海軍をアメリカ海軍が迎え撃つ形で発生、日本海軍の機動部隊と米国の機動部隊及び同島基地航空部隊との航空戦の結果、日本海軍は航空母艦4隻とその艦載機多数を一挙に喪失する大損害を被り、この戦争における主導権を失った。ミッドウェー海戦はMI作戦の一部であり、この敗北で同作戦は中止された。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とミッドウェー海戦 · 続きを見る »

ノット

ノット(knot, 記号 kn,kt)は速さの単位であり、1時間に1海里(1.852km)進む速さである。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とノット · 続きを見る »

マニラ

マニラ市(Maynilà 、Manila )は、フィリピン共和国の首都。メトロ・マニラとも呼ばれるマニラ首都圏に所属する都市。フィリピンのルソン島中西部にあり、マニラ湾東岸に位置している。 『東洋の真珠』などの美称があり、フィリピンがスペイン人によって植民地化された16世紀末よりフィリピンの首府であり、独立後も一貫して首都でありつづけている。市域人口は166万人(2007年)であり、人口1,155万人を抱えるメトロ・マニラの中核都市である。さらに近郊を含む都市圏人口は2016年時点で2,293万人であり、世界有数の大都市圏を形成している。 アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界66位の都市と評価された。東南アジアでは、シンガポール、バンコク、クアラルンプール、ジャカルタに次ぐ5位である。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とマニラ · 続きを見る »

ポンペイ島

ポンペイ島(ポンペイとう、Pohnpei)は西太平洋、カロリン諸島にある島。ミクロネシア連邦のポンペイ州に属し、同連邦の首都パリキール (Palikir) の所在地である。かつてはポナペ島と呼称された。ポンペイとはポンペイ語で「石積み (pehi) の上に (pohn) 」という意味。ポーンペイ島とも呼ばれる。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とポンペイ島 · 続きを見る »

レナウン

レナウン レナウンは「名声」を意味する英単語。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とレナウン · 続きを見る »

レイテ沖海戦

レイテ沖海戦(レイテおきかいせん、Battle of Leyte Gulf)は、第二次世界大戦中の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピンおよびフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍・オーストラリア海軍からなる連合国軍との間で交わされた一連の海戦の総称。当時の呼称でフィリピン沖海戦当時の戦闘詳報やそれを元にして戦後製作された戦史叢書では『フィリピン沖海戦』としている。「比島」「菲島」はフィリピン島の略字。実際当時の大本営による発表でもフィリピン沖海戦とされ、当時のニュース映像でもそう紹介されている。。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とレイテ沖海戦 · 続きを見る »

トン数

トン数(トンすう、噸数)とは、船の大きさをトンを単位として表したものである。大別して容積によって表すものと重量によって表すものがある。 日本の計量法体系は「トン数」の語は用いず、「トン」を特殊な計量である「船舶の体積の計量」に限定して用いる体積の計量単位、と認めており、後述の国際総トン数を採用して1000/353m3と定義している。計量法は単位「トン」の記号は「T」と定めている。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とトン数 · 続きを見る »

ブルネイ

ブルネイ・ダルサラーム国(ブルネイ・ダルサラームこく)、通称ブルネイは、東南アジアのイスラム教国で、イギリス連邦加盟国である。ボルネオ島(カリマンタン島)北部に位置し、北側が南シナ海に面するほかは陸地ではマレーシアに取り囲まれている。首都はバンダルスリブガワン。元首はハサナル・ボルキア国王(スルターン)。 石油や天然ガスなどの資源を多く埋蔵しており、ASEANの一員になっている。環太平洋戦略的経済連携協定の原加盟国でもある。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とブルネイ · 続きを見る »

ピンタド (潜水艦)

ピンタド (USS Pintado, SS-387) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級潜水艦の一隻。艦名はスペイン語で「まだら」を意味し、種を問わず斑模様の魚を指すが、アメリカ公文書では、フロリダ沖および西インド諸島に生息するサバ科のセロ・マッケレルのスペイン名に因んで命名された可能性を示唆している。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とピンタド (潜水艦) · 続きを見る »

フィリピン

フィリピン共和国(フィリピンきょうわこく、Republika ng Pilipinas、Republic of the Philippines、) 通称フィリピンは、東南アジアに位置する共和制国家である。島国であり、フィリピン海を挟んで日本とパラオ、ルソン海峡を挟んで台湾、スールー海を挟んでマレーシア、セレベス海を挟んでインドネシア、南シナ海を挟んで中国およびベトナムと対する。フィリピンの東にはフィリピン海、西には南シナ海、南にはセレベス海が広がる。首都はマニラで、最大の都市はケソンである。国名のフィリピンは16世紀のスペイン皇太子フェリペからちなんでいる。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とフィリピン · 続きを見る »

ドーリットル空襲

ドーリットル空襲(ドーリットルくうしゅう、英語:Doolittle Raid)は、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)4月18日に、アメリカ軍がアメリカ陸軍航空軍の爆撃機(航空母艦より発進)によって実施した日本本土に対する初めての空襲である。名称は爆撃機隊の指揮官であったジミー・ドーリットル中佐に由来する。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とドーリットル空襲 · 続きを見る »

ニューアイルランド島

ニューアイルランド島(ニューアイルランドとう、New Ireland island)は、ビスマルク諸島に属する島。全島パプアニューギニアのニューアイルランド州に属し、北端に州都で島内最大の街カビエンがある。南東から北西に伸びた細長い島であり長さ約300km、面積約13,000km。最高峰は2,379mのタロン山である。西はビスマルク海に面する。第一次世界大戦まではドイツ帝国領であり、島の名前はノイメクレンブルク島 (Neumecklenburg) と呼ばれた。 にゆあいるらんと にゆあいるらんと.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とニューアイルランド島 · 続きを見る »

ダーバン

ダーバン(ズールー語:eThekwini、)は、南アフリカ共和国クワズール・ナタール州エテクウィニ都市圏にある地区。2000年までは単独の市であった。ブルームフォンテンから830km、ヨハネスブルグから795kmの所にある。南部アフリカ有数の世界都市である。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とダーバン · 続きを見る »

初霜 (初春型駆逐艦)

初霜(はつしも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年12月(5)pp.6『達第百七十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和七年十二月十日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 初霜(ハツシモ)/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 有明(アリアケ)/舞鶴要港工作部ニ於テ建造 夕暮(ユフグレ)|潜水艦 株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第六潜水艦/佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十潜水艦/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第七十一潜水艦|水雷艇 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 友鶴(トモヅル)/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 初雁(ハツカリ)|掃海艇 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 第十五號掃海艇/三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第十六號掃海艇|敷設艇 横濱船渠株式會社ニ於テ建造 猿島(サルシマ)/株式會社播磨造船所ニ於テ検図 那沙美(ナサミ)』。一等駆逐艦初春型の4番艦である。太平洋戦争緒戦では南方作戦・蘭印作戦に従事、以降は北方戦線で行動した。坊ノ岬沖海戦からも生還し、終戦直前に機雷に触雷して沈没した。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「初霜」に続いて2隻目となる。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と初霜 (初春型駆逐艦) · 続きを見る »

初春 (初春型駆逐艦)

初春(はつはる)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ|潜水艦 呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第六十八潜水艦|神戸三菱造船所ニ於テ建造 伊號第六十九潜水艦|水雷艇 舞鶴要港工作部ニ於テ建造 千鳥チドリ|藤永田造船所ニ於テ建造 眞鶴マナヅル|掃海艇 藤永田造船所ニ於テ建造 第十三號掃海艇|大阪鐡工所ニ於テ建造 第十四號掃海艇|敷設艇 石川島造船所ニ於テ建造 夏島ナツシマ』#海軍制度沿革(巻8、1940)p.209『◎驅逐艦初春外二隻伊號第六十八潜水艦外一隻水雷艇千鳥外一隻掃海艇第十三號外一隻敷設艇夏島命名ノ件』。 一等駆逐艦初春型の1番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「初春」に続いて2隻目。 大改装前の子日と初春.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と初春 (初春型駆逐艦) · 続きを見る »

利根 (重巡洋艦)

利根(とね)は、大日本帝国海軍の重巡洋艦。利根型重巡洋艦(二等巡洋艦利根型)の1番艦#艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.2『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|二等|利根型|利根、筑摩|』。その艦名は二等巡洋艦の命名慣例に従い、関東地方を流れる利根川からちなんで名づけられた。この名を持つ帝国海軍の艦船としては4隻目。艦前部に主砲塔4基を集中し後部を飛行機発進甲板・水上偵察機待機所とした、第二次世界大戦当時としては珍しい艦型である。艦内神社は香取神宮である。艦名は海上自衛隊のあぶくま型護衛艦「とね」に継承された。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と利根 (重巡洋艦) · 続きを見る »

アリューシャン方面の戦い

アリューシャン方面の戦い(アリューシャンほうめんのたたかい)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中、日本軍と連合国軍(アメリカ軍とカナダ軍)の間でアリューシャン列島周辺で行われた戦い。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とアリューシャン方面の戦い · 続きを見る »

アッツ島

1~5 - ニア諸島 1 - アッツ島 2 - アガッツ島 3~5 - セミチ諸島 3 - アライド島 4 - ニズキ島 5 - シェムリャ島 6 - ブルダー島 7~15 - ラット諸島 7 - キスカ島 8 - 小キスカ島 9 - セグラ島 10 - クヴォストフ島 11 - ダヴィドフ島 12 - 小スィッキン島 13 - ラット島 14 - アムチトカ島 15 - セミソポクノイ島 アッツ島(アッツとう、)はアラスカ州アリューシャン列島のニア諸島最西部にあるアメリカ領の島。東西70km、南北30kmの大きさアッツ島迫る「玉砕」…米軍上陸直前の写真残る 読売新聞 2015年7月11日(土)20時48分配信。熱田島(あつたとう)とも呼ばれる。2015年現在、厳しい上陸規制があるため無人であり、アメリカ沿岸警備隊の巡回以外に上陸者はいない。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とアッツ島 · 続きを見る »

アストリア (重巡洋艦)

アストリア (USS Astoria, CA-34) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ニューオーリンズ級重巡洋艦の2番艦。艦名はオレゴン州アストリアに因む。その名を持つ艦としては2隻目。ニューオーリンズ級重巡洋艦は、もともとはアストリアがネームシップとなる予定だった。しかし、アストリアの竣工がニューオーリンズ (USS New Orleans, CA-32) より遅れたため、ネームシップの座もニューオーリンズに譲らざるを得なかった。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とアストリア (重巡洋艦) · 続きを見る »

エドワード8世 (イギリス王)

ドワード8世(、エドワード・アルバート・クリスチャン・ジョージ・アンドルー・パトリック・デイヴィッド、Edward Albert Christian George Andrew Patrick David、1894年6月23日 - 1972年5月28日)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)ならびに海外自治領(The British Dominions beyond the Sea)の国王、インド皇帝(在位:1936年1月20日 - 1936年12月11日)。ウィンザー朝の第2代国王。退位後の称号でウィンザー公爵(The Prince Edward, Duke of Windsor)としても知られる。 離婚歴のある平民のアメリカ人女性ウォリス・シンプソンと結婚するためにグレートブリテン王国成立以降のイギリス国王としては歴代最短の在任期間わずか325日で退位した「王冠を賭けた恋」で知られている。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とエドワード8世 (イギリス王) · 続きを見る »

カロリン諸島

リン諸島(カロリンしょとう、Caroline Islands)は、西太平洋、ミクロネシア南部にある諸島。主島は、パラオ諸島(パラオ共和国)ならびにヤップ島、チューク諸島(トラック諸島)、ポンペイ島(ポナペ島)およびコスラエ島(クサイ島)(以上、ミクロネシア連邦)の各島。その他、ウルシー環礁や戦前に日本人画家の土方久功が7年間を過ごしたサタワル島なども有名である。特にサタワル島系の航法師は、1970年代に始まるミクロネシア・ポリネシア諸地域の航海カヌー文化復興運動において中心的な役割を果たし、1975年にはルイス・レッパンルックがチェチェメニ号によってサタワル島から沖縄海洋博公園までの航海を成功させた他、ピウス・ピアイルックはハワイ先住民にミクロネシアの航法術を伝え、ハワイでは「パパ・マウ」と呼ばれている。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とカロリン諸島 · 続きを見る »

カタパルト

F-14 カタパルト (aircraft catapult) は、艦艇(現代では主に航空母艦)から航空機を射出するための機械である。また宇宙船やロボットなどを射出する装置もカタパルトと呼ばれる。射出機(しゃしゅつき)とも呼ばれる。また、地上から滑走路を使わずに離陸する場合に使われる、動力つきの発射台もカタパルトと呼ばれる。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とカタパルト · 続きを見る »

キスカ島

島(キスカとう、Kiska)は、アリューシャン列島西部のラット諸島に位置し、アメリカ合衆国アラスカ州に属する島である。 “キスカ”の名は、この地方に居住していた先住民族であるアレウト族がこの島の呼称として用いていたアレウト語(英字転化:Qisxa)に由来する。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とキスカ島 · 続きを見る »

キスカ島撤退作戦

島撤退作戦(キスカとうてったいさくせん)は、1943年(昭和18年)5月27日から7月29日に行われた日本軍の北部太平洋アリューシャン列島にあるキスカ島からの守備隊撤収作戦のことである。正式名称はケ号作戦。北方部隊指揮官河瀬四郎第五艦隊司令長官が総指揮をとる。 5月下旬から実施された潜水艦による第一期撤収作戦は成果の割には損害が多く、また効率も悪かったため6月下旬をもって打ち切られ板倉光馬 『あゝ伊号潜水艦』 、水上艦艇による撤退作戦に切り替えられた戦史叢書98巻247-249頁「第二期第一次作戦」。第一水雷戦隊司令官木村昌福少将が収容部隊を指揮した第二期撤収作戦において、同艦隊がキスカ島を包囲していた連合軍に全く気づかれず日本軍が無傷で守備隊全員の撤収に成功したことから「奇跡の作戦」と呼ばれる。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とキスカ島撤退作戦 · 続きを見る »

シンガポール

ンガポールの衛星写真 シンガポール共和国(シンガポールきょうわこく)、通称シンガポールは、東南アジアの主権都市国家かつ島国である。マレー半島南端、赤道の137km北に位置する。同国の領土は、菱型の本島であるシンガポール島及び60以上の著しく小規模な島々から構成される。 同国は、北はジョホール海峡によりマレーシア半島から、南はシンガポール海峡によりインドネシアのリアウ諸島州から各々切り離されている。同国は高度に都市化され、原初の現存植生はほとんどない。同国の領土は、一貫して埋立てにより拡大してきた。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とシンガポール · 続きを見る »

シベリア出兵

ベリア出兵(シベリアしゅっぺい、Siberian Intervention)とは、1918年から1922年までの間に、連合国(大日本帝国・イギリス帝国・アメリカ合衆国・フランス・イタリアなど)が「革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出する」という大義名分でシベリアに出兵した、ロシア革命に対する干渉戦争の一つ。社会主義を封じるという説明は抽象的である。より具体的には帝国時代の外債と、露亜銀行などのさまざまな外資を保全する狙いがあった。 日本は兵力7万3,000人(総数)、4億3,859万円から約9億円(当時)という巨額の戦費を投入。3,333人から5,000人の死者を出し撤退した。アメリカが7,950人、イギリスが1,500人、カナダが4,192人、イタリアが1,400人の兵力を投入。ソビエト・ロシア側の兵力・死者・損害は現在まで不明(後述する1920年「四月四・五事件」だけでも5,000名以上が殺害されたとされる)。また別資料では、死傷者8万人、6億ルーブル以上の被害とされる。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とシベリア出兵 · 続きを見る »

セント・ジョージ岬

ント・ジョージ岬(セント ジョージみさき、英:Cape St.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)とセント・ジョージ岬 · 続きを見る »

四十口径三年式八糎高角砲

四十口径三年式八糎高角砲大正11年3月29日付 海軍内令兵 第9号。四〇口径ではない。(40こうけいさんねんしき8せんちこうかくほう)は、日本海軍の開発した高角砲。通称8センチ高角砲。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と四十口径三年式八糎高角砲 · 続きを見る »

四十口径八九式十二糎七高角砲

四十口径八九式十二糎七高角砲昭和7年2月6日付 海軍内令兵 第6号。四〇口径ではない。(40こうけいはちきゅうしき12せんち7こうかくほう)は、日本海軍が他の砲の設計を転用せず、はじめから高角砲として設計された砲である。通称12.7センチ高角砲。1932年(昭和7年)2月6日正式採用された。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と四十口径八九式十二糎七高角砲 · 続きを見る »

球磨 (軽巡洋艦)

球磨(くま#海軍制度沿革8(1971)p.362、大正6年(1917年)8月20日附達第97号『軍備補充費ヲ以テ建造ニ著手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル 横須賀海軍工廠ニ於テ製造 戰艦 陸(ム)奥(ツ) 佐世保海軍工廠ニ於テ製造 二等巡洋艦 球(ク)磨(マ) 三菱合資會社長崎造船所ニ於テ製造 二等巡洋艦 多(タ)摩(マ)』)は、日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。 球磨型の1番艦である。 その艦名は、熊本県を流れる球磨川にちなんで命名された#艦船名考(1928)p.224。 帝国海軍の命名慣例については日本艦船の命名慣例を参照のこと。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と球磨 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

球磨型軽巡洋艦

球磨型軽巡洋艦(くまがたけいじゅんようかん)は、日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。同型艦5隻。いわゆる5500トン型軽巡洋艦の第1グループにあたる#日本巡洋艦史(2011)p.82。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と球磨型軽巡洋艦 · 続きを見る »

磯風 (陽炎型駆逐艦)

磯風(いそかぜ)は、太平洋戦争(大東亜戦争)での大日本帝国海軍の駆逐艦。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と磯風 (陽炎型駆逐艦) · 続きを見る »

礼砲

(れいほう)とは、国際儀礼上行われている、大砲を使用した、軍隊における礼式の一種である。空包を発射し、敬意を表明する。英語では「Gun Salutes」という。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と礼砲 · 続きを見る »

秋霜 (駆逐艦)

秋霜(あきしも)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和18年8月(2)pp.45-46「達第二百二號 昭和十七七年度及昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、海防艦四隻、掃海艇一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 秋霜(アキシモ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 清霜(キヨシモ) 海防艦 笠戸(カサド)|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 淡路(アハヂ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 倉橋(クラハシ) 海防艦 千振(チブリ)|株式會社東京石川造船所ニ於テ建造 第三十號掃海艇|株式會社新潟鐵工所ニ於テ建造 第五十八號驅潜艇」。夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の18番艦である。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と秋霜 (駆逐艦) · 続きを見る »

竹 (松型駆逐艦)

竹 (たけ) は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和19年1月(2)pp.31-33『達第十七號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦七隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 竹(タケ) 伊號第三百六十八號潜水艦 伊號第三百六十九號潜水艦|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 梅(ウメ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 桃(モモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十五潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 屋代(ヤシロ) 海防艦 日振(ヒブリ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 鵜来(ウクル) 第十三號海防艦 第十五號海防艦 第十七號海防艦 第十九號海防艦|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第三十四號掃海艇|株式會社新潟鐡工所ニ於テ建造 第六十三號駆先手|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 特務艦 大濱(オホハマ)』。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と竹 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

第五艦隊 (日本海軍)

五艦隊(だいごかんたい)は、旧日本海軍の部隊の1つ。最初の第五艦隊は日中戦争時の1938年(昭和13年)2月1日に新編され支那方面艦隊に所属して華南方面に進出したが、1939年(昭和14年)11月15日に「第二遣支艦隊」に改称された。二代目の第五艦隊は、太平洋戦争直前の1941年(昭和16年)7月25日に本土東方警備・アリューシャン列島攻略を目的に新編され、1945年(昭和20年)2月5日に解隊されて第十方面艦隊に吸収された。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と第五艦隊 (日本海軍) · 続きを見る »

練習艦

練習艦(れんしゅうかん)は、海軍において士官教育のため、主として遠洋航海に使用される艦である。 一般的な航海練習船と異なり、兵装の運用に習熟するために通常の艦艇を転用するかそれに準ずる装備を有する艦と、航海術を習得し艦船の乗組員を涵養する航海練習船と同様の艦に分けられる。前者については専任の艦を保有せず、遠洋航海時にのみ他艦艇を転用、もしくは練習艦以外の任務を兼務させる海軍もあり、後者として、練習帆船を保有する海軍も存在する。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と練習艦 · 続きを見る »

真珠湾攻撃

大日本帝国海軍艦隊の航跡図 大日本帝国海軍攻撃隊の侵入経路図 真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、、日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明、ハワイ時間12月7日)は、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾"Pearl Harbor"を「真珠湾」と訳すことには異論もある。詳細は真珠湾を参照。にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空機および潜航艇による攻撃である。当時の日本側呼称はハワイ海戦(布哇海戦)。太平洋戦争における南方作戦の一環として、開戦劈頭でマレー作戦に次いで実施された。戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を一時的に喪失した。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と真珠湾攻撃 · 続きを見る »

父島

島(ちちじま)は、東京都・小笠原諸島の父島列島の島。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と父島 · 続きを見る »

隼鷹 (空母)

鷹(じゅんよう)は、大日本帝国海軍の航空母艦写真日本の軍艦第4巻2頁『艦名の由来 ― 隼鷹(じゅんよう』。 艦名は猛禽類のハヤブサとタカに由来する。 隼鷹型航空母艦の1番艦。 飛鷹の建造番号(仮称艦名)は1001号艦、隼鷹の建造番号(仮称艦名)は1002号艦である日本特設艦船物語81頁『第6表 商船改造航空母艦軍艦籍入籍までの経歴』。一部の資料(文献)では、隼鷹を飛鷹型航空母艦の2番艦とする日本特設艦船物語81-85頁『(2)飛鷹型』。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と隼鷹 (空母) · 続きを見る »

香港

中華人民共和国香港特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくホンコンとくべつぎょうせいく)、通称香港(ホンコン、、)は、中華人民共和国の南部にある特別行政区(一国二制度)である。同じ特別行政区の澳門からは南西に70km離れている。東アジア域内から多くの観光客をひきつけ、150年以上のイギリス植民地の歴史で世界に知られる。 広大なスカイライン及び深い天然の港湾を抱える自由貿易地域であり、の面積に700万人を超す人口を有する世界有数の人口密集地域である。 .

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と香港 · 続きを見る »

角田覚治

角田 覚治(かくだ かくじ、1890年(明治23年)9月23日-1944年(昭和19年)8月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。テニアン島で戦死。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と角田覚治 · 続きを見る »

護国丸 (特設巡洋艦)

護国丸(ごこくまる)は、大阪商船が南アフリカ航路へ投入するために建造した貨客船のうちの1船。貨客船として使用されないまま日本海軍に徴用され、太平洋戦争では特設巡洋艦となるが事実上輸送船として運用される。のちに正式に特設運送船に転じたが、1944年(昭和19年)11月10日に潜水艦の雷撃に遭い沈没した。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と護国丸 (特設巡洋艦) · 続きを見る »

谷風 (陽炎型駆逐艦)

谷風(たにかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和15年8月p.19『達第百六十七號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十四年度及同十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦一隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻、測量艦一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年八月三十日海軍大臣吉田善吾|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香椎(カシヒ)|株式会社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 谷風(タニカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 野分(ノワキ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十三潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十九潜水艦|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 測量艦 筑紫(ツクシ)|鶴見製鉄造船株式会社ニ於テ建造 第十六驅潜艇』。陽炎型駆逐艦の14番艦である。第17駆逐隊に所属した姉妹艦と共に機動部隊の護衛、ガダルカナル島の戦い、ソロモン諸島の戦い、輸送・護衛任務に至るまで、太平洋戦争の各方面で活動した。1944年6月、マリアナ沖海戦の前哨戦においてタウイタウイ沖で米潜水艦の雷撃により戦没した。艦名は初代「谷風」(江風型駆逐艦)に続いて2代目。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と谷風 (陽炎型駆逐艦) · 続きを見る »

霞 (朝潮型駆逐艦)

霞(かすみ)は、大日本帝国海軍の朝潮型駆逐艦9番艦である。この名を持つ帝国海軍の艦船は暁型駆逐艦「霞」に続いて2隻目。1945年4月、坊ノ岬沖海戦で沈没した。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と霞 (朝潮型駆逐艦) · 続きを見る »

舞風 (駆逐艦)

舞風(まいかぜ/まひかぜ)#達昭和16年2月(1)pp.3-4『達第二十四號 昭和十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等駆逐艦二隻、一等潜水艦一隻、駆潜艇一隻及運送艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年二月五日 海軍大臣及川古志郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 一等駆逐艦 舞風(マヒカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等駆逐艦 夕雲(ユフグモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十一潜水艦|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 第十七號駆潜艇|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 運送艦 伊良湖(イラコ)』は、大日本帝国海軍(日本海軍)の駆逐艦、陽炎型駆逐艦(一等駆逐艦陽炎型)の第18番艦である#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』。ミッドウェー海戦では第4駆逐隊僚艦と共に南雲機動部隊旗艦/空母「赤城」を雷撃で処分した。1944年(昭和19年)2月、トラック諸島沖でアメリカ軍艦隊の砲撃によって戦没した(トラック島空襲)。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と舞風 (駆逐艦) · 続きを見る »

舞鶴鎮守府

舞鶴鎮守府(まいづるちんじゅふ)とは、京都府舞鶴市にあった旧日本海軍の鎮守府。通称、舞鎮(まいちん)。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と舞鶴鎮守府 · 続きを見る »

那珂 (軽巡洋艦)

那珂(なか)は、日本海軍の軽巡洋艦。川内型軽巡洋艦の3番艦。艦名は栃木県、茨城県を流れる那珂川に因んで命名された。艦内神社は皇大神宮からの分祀。進水絵葉書には那珂川と筑波山が描かれた。 太平洋戦争序盤は第四水雷戦隊旗艦として活動。1942年(昭和17年)4月のクリスマス島攻略作戦で損傷。復帰後は第十四戦隊旗艦として輸送・護衛任務に従事した。1944年(昭和19年)2月17日、軽巡洋艦阿賀野救援のため出動したところトラック島空襲に遭遇、アメリカ軍機動部隊艦載機の攻撃を受けて沈没した。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と那珂 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

野分 (陽炎型駆逐艦)

野分(のわき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和15年8月p.19『達第百六十七號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十四年度及同十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦一隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻、測量艦一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年八月三十日海軍大臣吉田善吾|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香椎(カシヒ)|株式会社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 谷風(タニカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 野分(ノワキ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十三潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十九潜水艦|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 測量艦 筑紫(ツクシ)|鶴見製鉄造船株式会社ニ於テ建造 第十六驅潜艇』。陽炎型駆逐艦の第15番艦である#艦艇類別等級(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』。ミッドウェー海戦では空母赤城を雷撃で処分した。1944年10月下旬、比島沖海戦で重巡筑摩の救援中に沈没した。艦名は初代「野分」(初代神風型駆逐艦)に続いて2代目。野分とは台風の旧名であり、初風から舞風のうち野分のみ「風」の字が付かないが、風の名前に由来している。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と野分 (陽炎型駆逐艦) · 続きを見る »

長良型軽巡洋艦

長良型軽巡洋艦(ながらがたけいじゅんようかん)は、日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。同型艦6隻。いわゆる5,500トン型軽巡洋艦のひとつで、球磨型に続く第2グループにあたる。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と長良型軽巡洋艦 · 続きを見る »

若葉 (初春型駆逐艦)

若葉(わかば)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ|潜水艦 呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第六十八潜水艦|神戸三菱造船所ニ於テ建造 伊號第六十九潜水艦|水雷艇 舞鶴要港工作部ニ於テ建造 千鳥チドリ|藤永田造船所ニ於テ建造 眞鶴マナヅル|掃海艇 藤永田造船所ニ於テ建造 第十三號掃海艇|大阪鐡工所ニ於テ建造 第十四號掃海艇|敷設艇 石川島造船所ニ於テ建造 夏島ナツシマ』。 一等駆逐艦初春型の3番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「若葉」に続いて2隻目。艦名は海上自衛隊の護衛艦「わかば」(旧橘型駆逐艦「梨」)に継承された。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と若葉 (初春型駆逐艦) · 続きを見る »

進水式

呉竹(「第四駆逐艦」)(若竹型駆逐艦)の進水 進水式(しんすいしき)は、造船において造船台で組み立てられた新造船舶を初めて水に触れさせる作業・儀式のこと。 進水式と同時に船の命名式が行われるのが通例。ただし大型船でドックにて建造された場合、進水はドックへの注水となるため命名式のみとすることがある。式次第は船台進水もドック進水もほぼ同様だが進水式が終わると、艤装が開始され、それが終了するとようやく竣工し船舶として完成体となる。進水式の場合はそれがたとえ量産型の船舶であっても必ず一隻ごとに催す。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と進水式 · 続きを見る »

排水量

排水量(はいすいりょう、)とは、艦船の重量を示す数値。主として艦艇について用いられる。トン数の一種であり、排水トン数とも称される。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と排水量 · 続きを見る »

東京湾

東京湾の衛星画像(2005年)人工衛星「ランドサット」による。 東京湾(とうきょうわん)は、日本の関東地方にある、太平洋に開けた湾である。南に向けて開いた湾であり、浦賀水道が湾口となっている。 現代の行政上、広義では、千葉県館山市の洲埼灯台から神奈川県三浦市の剣埼灯台まで引いた線および陸岸によって囲まれた海域を指す 。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と東京湾 · 続きを見る »

梶岡定道

梶岡 定道(かじおか さだみち、1891年5月18日 - 1944年9月12日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と梶岡定道 · 続きを見る »

森電三

森 電三(もり でんぞう、1881年(明治14年)3月15日 - 1945年 (昭和20年)4月1日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。阿波丸事件により死亡した。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と森電三 · 続きを見る »

水上機

水上機(すいじょうき)とは、水面上に浮いて滑走が可能な船型の機体構造、あるいは浮舟(フロート)のような艤装を持つことによって、水上にて離着水できるように設計された航空機である。水上機として最初から設計されたものと、通常の航空機が水上機として再設計されたものがある。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と水上機 · 続きを見る »

水雷戦隊

水雷戦隊(すいらいせんたい)は、機雷・魚雷・爆雷などを使った水雷戦を行うことを目的に編成された、大日本帝国海軍の部隊の一つ。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と水雷戦隊 · 続きを見る »

沖波 (駆逐艦)

沖波(おきなみ)は、日本海軍の駆逐艦。夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の14番艦である。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と沖波 (駆逐艦) · 続きを見る »

清澄丸 (特設巡洋艦)

清澄丸(きよすみまる「きよずみまる」(Kiyozumi Maru)とする資料やサイトもある(、)。しかし、#日本汽船名簿・清澄丸での振り仮名は「キヨスミ」と、「ス」に濁点を振っていない。)は、かつて国際汽船が運航していた貨物船。太平洋戦争では特設巡洋艦および特設運送船として運用された。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と清澄丸 (特設巡洋艦) · 続きを見る »

潮 (吹雪型駆逐艦)

潮(うしお / うしほ)は日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦吹雪型(特型)の20番艦(特II型の10番艦)。吹雪型の後期型(朧型)#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.160『吹雪型(十六隻) 艦種 一等驅逐艦 艦名考 風波等気象に採る。|朧型(八隻)/朧(おぼろ)【二代】、曙(あけぼの)【二代】、潮(うしほ)【二代】、漣(さざなみ)【二代】、響(ひびき)【二代】、雷(いかづち)【二代】、電(いなづま)【二代】、暁(あかつき)【二代】 (要目建造日略)』。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「潮」に続いて2隻目。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と潮 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

朝霜 (駆逐艦)

朝霜(あさしも)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和18年5月(3)pp.4-6『達第百二十一號 昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦二隻、驅潜艇二隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年五月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 沖波(オキナミ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 岸波(キシナミ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 朝霜(アサシモ)|佐世保海軍工廠ニ於テ検図 伊號第四十六潜水艦|三菱重工會社神戸造船所ニ於テ建造 呂號代四十五潜水艦 呂號第四十七潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 平戸(ヒラト)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 御藏(ミクラ)|日立造船所株式會社因島造船所ニ於テ建造 第四十六號驅潜艇|川南工業株式會社香焼島造船所ニ於テ建造 第四十七號驅潜艇|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 特務艦 波勝(ハカチ)』。夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦夕雲型)の16番艦である。戦艦大和(第二艦隊)の沖縄水上特攻作戦(坊ノ岬沖海戦)に参加したが機関故障により落伍、米艦載機の攻撃により大破したあと行方不明となった(沈没認定。)#S20.02二水戦詳報(3)pp.49-50『七.機関(イ)艦隊速力二十二節巡航運転中朝霜ハ會敵約二時間前ヨリ舟左巡航「タービン」減速装置温度過昇シ(温度不明)巡航「タービン」ヲ离(離)脱セントシニ离脱ニ約五時間ヲ要スル應急作業トナリ(同艦ヨリノ信號報告ニ依ル)解列シ艦隊ノ視界内続行中對空戰闘トナリ遂ニ行方不明トナリ』。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と朝霜 (駆逐艦) · 続きを見る »

木曽川

木曽川(きそがわ)は、長野県から岐阜県、愛知県、三重県を経て伊勢湾に注ぐ木曽川水系の本流で一級河川、いわゆる木曽三川の一つ。源流部では、「味噌川」(みそがわ)とも呼ばれる。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と木曽川 · 続きを見る »

有馬寛

有馬 寛(ありま ゆたか、1885年2月14日 - 1951年1月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と有馬寛 · 続きを見る »

浦風 (陽炎型駆逐艦)

浦風(うらかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和14年11月p.10『達第百九十號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及同十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ海防艦一隻及驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十四年十一月六日 海軍大臣吉田善吾|株式會社玉造船所ニ於テ建造 海防艦 占守(シムシュ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 浦風(ウラカゼ)』。陽炎型駆逐艦の11番艦である。第17駆逐隊の姉妹艦と共に真珠湾攻撃からレイテ沖海戦に至るまで、空母機動部隊や輸送船団の護衛、輸送任務、対水上艦戦闘など太平洋戦争中のあらゆる方面で活動したが、1944年(昭和19年)11月21日、台湾海峡にて米潜水艦の雷撃により金剛型戦艦金剛と共に撃沈された。艦名は初代「浦風」(浦風型駆逐艦)に続いて2代目。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と浦風 (陽炎型駆逐艦) · 続きを見る »

海軍砲術学校

海軍砲術学校(かいぐんほうじゅつがっこう)は、大日本帝国海軍の砲術指揮官・技官を養成する機関のことである。初級士官を養成する普通科(少尉対象、海軍水雷学校普通科と合わせて1年間必修)、砲術専門士官を養成する高等科(大尉・少佐対象、半年から1年程度)、兵科・機関科の予備士官を養成する練習科(予備少尉候補者たる高等商船学校生徒(海軍予備生徒)対象、半年)、下士官を養成する予科を設置し、海軍将校として必要な対艦・対空・対地砲術の技能、陸戦の操練術、火薬・銃砲の開発研究などを教育する。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と海軍砲術学校 · 続きを見る »

海里

海里(かいり、浬、nautical mile)は、長さの計量単位であり、国際海里 (international nautical mile) の場合、正確に 1852 m である。元々は、地球上の緯度1分に相当する長さなので、海面上の長さや航海・航空距離などを表すのに便利であるために使われている。英語では、sea mile とも呼ばれる。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と海里 · 続きを見る »

斎藤博 (外交官)

斎藤 博(さいとう ひろし、1886年(明治19年)12月24日 - 1939年(昭和14年)2月26日)は、大正・昭和期の日本の外交官。新潟県出身。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と斎藤博 (外交官) · 続きを見る »

日中戦争

日中戦争(にっちゅうせんそう)は、1937年(民国26年、昭和12年)から1945年まで、中華民国と大日本帝国の間で行われた戦争である。日本政府は、勃発当時は支那事変としたが、1941年12月の対英米蘭との開戦に伴い、支那事変から対英米蘭戦までを大東亜戦争とした。中華民国側は、抗日戦争と呼称している。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と日中戦争 · 続きを見る »

日枝丸

日枝丸(ひえまる)は、かつて日本郵船が保有していた貨客船である。氷川丸級の2番船として建造された。船名は日枝神社(東京都千代田区)に依る。 戦前はシアトル航路に就航し、戦争中は海軍の特設潜水母艦となったが、米潜水艦の雷撃により沈没した。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と日枝丸 · 続きを見る »

曙 (吹雪型駆逐艦)

曙(あけぼの)は日本海軍の駆逐艦。吹雪型(特型)の18番艦(特II型の8番艦)である。この名を持つ日本海軍の艦船としては雷型駆逐艦「曙」に続いて2隻目。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と曙 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

時雨 (白露型駆逐艦)

時雨(しぐれ)は、日本海軍の駆逐艦。白露型駆逐艦(白露型一等駆逐艦)の2番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「時雨」に続いて2隻目。「呉の雪風、佐世保の時雨」と並び称された武勲艦でもあった。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と時雨 (白露型駆逐艦) · 続きを見る »

10月30日

10月30日(じゅうがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から303日目(閏年では304日目)にあたり、年末まであと62日ある。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と10月30日 · 続きを見る »

11月10日

11月10日(じゅういちがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から314日目(閏年では315日目)にあたり、年末まであと51日ある。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と11月10日 · 続きを見る »

11月13日

11月13日(じゅういちがつじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から317日目(閏年では318日目)にあたり、年末まであと48日ある。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と11月13日 · 続きを見る »

12月10日

12月10日(じゅうにがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から344日目(閏年では345日目)にあたり、年末まであと21日ある。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と12月10日 · 続きを見る »

12月14日

12月14日(じゅうにがつじゅうよっか、じゅうにがつじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から348日目(閏年では349日目)にあたり、年末まであと17日ある。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と12月14日 · 続きを見る »

1917年

記載なし。

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と1917年 · 続きを見る »

1919年

記載なし。

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と1919年 · 続きを見る »

1920年

記載なし。

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と1920年 · 続きを見る »

1921年

記載なし。

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と1921年 · 続きを見る »

1942年

記載なし。

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と1942年 · 続きを見る »

1943年

記載なし。

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と1943年 · 続きを見る »

1944年

記載なし。

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と1944年 · 続きを見る »

1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と1945年 · 続きを見る »

1955年

記載なし。

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と1955年 · 続きを見る »

1956年

記載なし。

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と1956年 · 続きを見る »

2月

2月(にがつ)はグレゴリオ暦で年の第2の月に当たり、通常は28日、閏年では29日となる。 他の月の日数が30または31日なのに対して、 英語の呼び名である February はローマ神話のフェブルウス (Februus) をまつる祭りから取ったと言われている。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と2月 · 続きを見る »

3月20日

3月20日(さんがつはつか、さんがつにじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から79日目 (閏年では80日目)にあたり、年末まであと286日ある。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と3月20日 · 続きを見る »

50口径三年式14cm砲

50口径三年式14cm砲(50こうけいさんねんしき14せんちほう)は、日本海軍の開発した艦載砲。 伊勢型戦艦や長門型戦艦の副砲、天龍型軽巡洋艦、5500トン型軽巡洋艦や各種艦艇の主砲として使われた。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と50口径三年式14cm砲 · 続きを見る »

5500トン型軽巡洋艦

5500トン型軽巡洋艦 (5500とんかたけいじゅんようかん)は、日本海軍の軽巡洋艦の型の通称のひとつ。5500トン級軽巡洋艦 (5500とんきゅう-)とも言う。以下の14隻の総称。 5500トン型軽巡洋艦の5番艦、北上.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と5500トン型軽巡洋艦 · 続きを見る »

5月

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より5月 5月(ごがつ)はグレゴリオ暦で年の第5の月に当たり、31日ある。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と5月 · 続きを見る »

5月4日

5月4日(ごがつよっか)はグレゴリオ暦で年始から124日目(閏年では125日目)にあたり、年末まではあと241日ある。誕生花はヤマブキ。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と5月4日 · 続きを見る »

6月10日

6月10日(ろくがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から161日目(閏年では162日目)にあたり、年末まであと204日ある。誕生花はジャスミン、ラベンダー。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と6月10日 · 続きを見る »

6月30日

6月30日(ろくがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から181日目(閏年では182日目)にあたり、年末まであと184日ある。6月の最終日である。誕生花はビヨウヤナギ、ヘリオトロープ。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と6月30日 · 続きを見る »

7月

7月(しちがつ)はグレゴリオ暦で年の第7の月に当たり、31日ある。 日本では、旧暦7月を文月(ふづき、ふみづき)と呼び、現在では新暦7月の別名としても用いる。文月の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっている。しかし、七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので、元々日本にはないものである。そこで、稲の穂が含む月であることから「含み月」「穂含み月」の意であるとする説もある。また、「秋初月(あきはづき)」、「七夜月(ななよづき)」の別名もある。 英語での月名 July は、ユリウス暦を創った共和政ローマ末期の政治家、ユリウス・カエサル(Julius Caesar)からとられた。カエサルは紀元前45年にユリウス暦を採用するのと同時に、7月の名称を「5番目の月」を意味する "Quintilis" から自分の家門名に変更した。なお、8月の英名 August はアウグストゥスにちなんでいる(ギリシャ語で Αύγουστος は8月を表す)。詳細は8月を参照。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と7月 · 続きを見る »

7月3日

7月3日(しちがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から184日目(閏年では185日目)にあたり、年末まではあと181日ある。誕生花はハス、バラ。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と7月3日 · 続きを見る »

8月11日

8月11日(はちがつじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から223日目(閏年では224日目)にあたり、年末まであと142日ある。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と8月11日 · 続きを見る »

8月30日

8月30日(はちがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から242日目(閏年では243日目)にあたり、年末まであと123日ある。.

新しい!!: 木曾 (軽巡洋艦)と8月30日 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »