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春風亭柳橋 (6代目)

索引 春風亭柳橋 (6代目)

6代目春風亭 柳橋(しゅんぷうてい りゅうきょう、1899年(明治32年)10月15日 - 1979年(昭和54年)5月16日)は、東京都文京区出身の落語家。本名、渡辺金太郎。出囃子は『大阪せり』。日本芸術協会を創設し、44年もの間、会長として君臨した。.

111 関係: お見立てとんち教室古今亭今輔 (5代目)古今亭志ん生 (5代目)古典落語名跡吉田茂大山詣り大和書房大正妾馬子別れ宿替え小山観翁川戸貞吉帝王学中公文庫中里町 (新宿区)三遊亭圓生 (6代目)一目上がり平凡社ライブラリー京須偕充二番煎じ北村銀太郎ポニーキャニオン冨田均出囃子 (落語)石黒敬七秩父宮立川談志筑摩書房真打目黒のさんま落語協会落語家落語研究会 (落語会)落語芸術協会青菜 (落語)西片試し酒講談社麗々亭柳橋 (初代)鈴本演芸場興津要関東大震災野ざらし電通柳家小さん柳家金語楼柳派...東宝名人会東京あんみつ娘東京市東京都桂小文治 (2代目)桂三木助 (3代目)桂文楽 (8代目)横網町公園橘家圓蔵 (4代目)湯屋番本郷区本所区星野屋明治春風亭小柳枝春風亭小柳枝 (7代目)春風亭華柳春風亭柏枝春風亭柳好春風亭柳語楼春風亭柳枝春風亭柳枝 (4代目)春風亭柳枝 (6代目)春風亭柳桜春風亭柳橋春風亭柳橋 (7代目)春風亭柳橋 (8代目)春風亭柳昇春風亭枝雀春風亭栄橋春風亭梅橋春風亭橋之助春風亭昇太春風亭扇枝昭和昔々亭桃太郎新宿区新宿末廣亭文京区日本放送協会早慶戦10月15日1899年1909年1910年1915年1917年1921年1925年1926年1927年1929年1930年1949年1954年1968年1974年1979年1993年1999年5月16日 インデックスを展開 (61 もっと) »

お見立て

お見立て(おみたて)は古典落語の演目の一つ。主に東京で演じられる。別題は墓違い(はかちがい)。.

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とんち教室

とんち教室(とんちきょうしつ)は、1949年1月3日から1968年3月28日にかけて放送されたNHKラジオのバラエティ番組である。19年間にわたって放送された長寿番組であった。テーマ曲は「むすんでひらいて」であった。.

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古今亭今輔 (5代目)

5代目古今亭 今輔(ここんてい いますけ、1898年(明治31年)6月12日 - 1976年(昭和51年)12月10日)は、群馬県佐波郡境町(現:伊勢崎市)出身の落語家。本名は、鈴木 五郎(すずき ごろう)(旧姓:斎藤)。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)所属。出囃子は『野毛山』。俗にいう「お婆さん落語」で売り出し、「お婆さんの今輔」と呼ばれた。実子は曲芸師の鏡味健二郎。.

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古今亭志ん生 (5代目)

5代目古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう、1890年〈明治23年〉6月5日 - 1973年〈昭和48年〉9月21日)は、明治後期から昭和期にかけて活躍した東京の落語家。本名、美濃部 孝蔵(みのべ こうぞう)。生前は落語協会所属。出囃子は「一丁入り」。戦後の東京落語界を代表する落語家の一人と称される。 長男は10代目金原亭馬生(初代古今亭志ん朝)、次男は3代目古今亭志ん朝。孫に女優の池波志乃(10代目馬生の娘)。俳優の中尾彬は池波の夫で、義理の孫に当たる。.

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古典落語

古典落語(こてんらくご)とは、落語の演目のうち、一般に江戸時代から明治時代・大正時代にかけて作られたものを指すことが多いCD付 落語入門(2008)p.74。それよりも新しい時代に作られた演目は、「新作落語」と呼んで区別される。なお、「創作落語」は関西の落語家たちによる造語である。.

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名跡

名跡(みょうせき)は、家制度と密接に結びつき、代々継承される個人名。もしくは家名。「めいせき」と発音するのは誤り。.

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吉田茂

吉田 茂(よしだ しげる、1878年(明治11年)9月22日 - 1967年(昭和42年)10月20日)は、日本の外交官、政治家。位階は従一位。勲等は大勲位。 外務大臣(第73・74・75・78・79代)、貴族院議員(勅選)、内閣総理大臣(第45・48・49・50・51代)、第一復員大臣(第2代)、第二復員大臣(第2代)、農林水産大臣(第5代)、衆議院議員(当選7回)、皇學館大学総長(初代)、学校法人二松学舎舎長(第5代)などを歴任した。.

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大山詣り

大山詣り(おおやままいり)は古典落語の演目。原話は、狂言の演目の一つである「六人僧」。 主な演者は、五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生、八代目春風亭柳枝、三代目古今亭志ん朝など。.

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大和書房

大和書房(だいわしょぼう)は、日本の出版社。主に自己啓発書、女性書、生活実用書、歴史書などを刊行している。.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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妾馬

妾馬(めかうま、めかんま)は古典落語の演目の一つ。 別題は『八五郎出世』(はちごろうしゅっせ)。主な演者として、5代目古今亭志ん生や3代目古今亭志ん朝、10代目金原亭馬生、6代目三遊亭圓生、上方では桂文太などがいる。.

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子別れ

子別れ(こわかれ)は古典落語の演目の一つ。柳派の初代春風亭柳枝の創作落語で、3代目麗々亭柳橋や4代目柳家小さんの手を経て磨かれた人情噺の大ネタである。 別題は「子は鎹」「強飯の女郎買い」「子宝」「逢戻り」等多数。主な演者には、5代目古今亭志ん生や6代目三遊亭圓生、5代目柳家小さんなどがいる。上方では2代目桂ざこばが演じている。.

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宿替え

『宿替え』(やどがえ)は、上方落語の演目の一つ。江戸落語では『粗忽の釘』(そこつのくぎ)の名で演じられている。 長屋の慌てものが引越しをする際のドタバタを描いた作品で、全て演じ通せば長時間のネタとなるが、途中を省略、もしくは打ち切って時間調整をすることが可能な演目である。上方では初代桂春團治、2代目三遊亭百生、2代目桂枝雀、5代目桂文枝などが、東京では6代目春風亭柳橋、5代目柳家小さんが得意とした。 原話は1816年の初代都喜蝶の「噺栗毛」の中の『田舎の粋』。.

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小山観翁

小山 観翁(こやま かんおう、1929年(昭和4年)8月8日 - 2015年(平成27年)3月30日)は、日本の古典芸能評論家。学習院大学国劇部創立メンバー。伝統歌舞伎懇話会会長、江戸勘亭流書道家元、国立劇場講師、日本演劇興行協会理事、松竹顧問。本名は小山昭元(こやま てるもと)。 歌舞伎座や国立劇場などにおいて歌舞伎と文楽のイヤホンガイド導入の中心的人物として著名。.

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川戸貞吉

川戸 貞吉(かわど さだきち、1938年 - )は、演芸評論家。代表的な名跡は都家西北。神奈川県横浜市出身で、早稲田大学第一文学部を卒業した。アナウンサー・ジャーナリストの川戸恵子は妻である。.

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帝王学

帝王学(ていおうがく)とは、王家や伝統ある家系・家柄などの特別な地位の跡継ぎに対する、幼少時から家督を継承するまでの特別教育を指す。学と名はついているが明確な定義のある学問ではなく、一般人における教育には該当しない。.

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中公文庫

中公文庫(ちゅうこうぶんこ)は、株式会社中央公論新社(読売新聞グループ)が発行している文庫レーベル。.

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中里町 (新宿区)

中里町(なかざとちょう)は、東京都新宿区の町名。住居表示未実施。郵便番号は162-0804。.

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三遊亭圓生 (6代目)

6代目三遊亭 圓生(さんゆうてい えんしょう、1900年〈明治33年〉9月3日 - 1979年〈昭和54年〉9月3日)は、大阪市西区出身で東京の落語家、舞台俳優。本名、山﨑 松尾(「﨑」は右上が「大」ではなく「立」)。東京の新宿に長年住み、当時の地名から「柏木(の師匠)」とも呼ばれた。昭和の落語界を代表する名人の一人と称される。出囃子は『つくま祭』、のち『正札付』。 5代目三遊亭圓生は継父、5代目三遊亭圓窓は義理の叔父にあたる。また、橘家圓晃(本名:柴田啓三郎)は異父弟。.

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一目上がり

七福神」(歌川国芳画) 一目上がり(一目上り、ひとめあがり)は古典落語の演目のひとつで、「七福神(しちふくじん)」「軸ほめ(じくほめ)」とも称する(デジタル大辞泉プラス)。無教養な男の厚顔ぶりを洒落のめす噺で、落ちはトントン落ちトントン落ちとは、トントンと調子よく進んで落ちるオチのことである。。主な登場人物は、市井に住む町人(八五郎または熊五郎)と隠居。前座噺(前座の口慣らしの噺)とされるが、真打も好んで手がけることの多い演目である。.

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平凡社ライブラリー

平凡社ライブラリー(へいぼんしゃライブラリー)は、平凡社が刊行する叢書レーベルである。.

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京須偕充

京須 偕充(きょうす ともみつ、1942年11月12日『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.540 - )は、落語の録音プロデューサー、落語評論家。日本文芸家協会会員読売人物データベース。.

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二番煎じ

二番煎じ(にばんせんじ).

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北村銀太郎

北村 銀太郎(きたむら ぎんたろう, 1890年(明治23年)12月12日-1983年(昭和58年)10月3日)は日本の興行主・建築業者。建築業を経て寄席経営にかかわり、特に新宿末廣亭の席亭を37年にわたって務めて「大旦那」と尊称され、噺家とは違った立場で落語界に重きをなした。.

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ポニーキャニオン

株式会社ポニーキャニオン()は、フジサンケイグループの大手映像・音楽ソフトメーカーである。通称は「ポニキャン」「ぽにきゃん.jp」(アニメ情報サイト)、「ぽにきゃんBOOKS」、『ぽにきゃん!アイドル倶楽部』等、ひらがな表記の「ぽにきゃん」を使用する事例もある。。フジ・メディア・ホールディングスの連結子会社で、同社映像音楽グループに属する。 日本映像ソフト協会(JVA)、日本レコード協会(RIAJ)の正会員であり、過去両協会に会長を輩出しているJVAの前身である日本ビデオ協会発足(1971年)後で、両協会に会長を輩出した唯一の会員企業でもある。 日本で初めてミュージックテープ、ビデオソフトを販売したことで知られ、欧米メジャーに属さない独立系レコード会社としては世界有数の規模であるフジパシフィックミュージックのWebサイト(英語版〈〉)に"PONY CANYON is one of the largest independent labels in the world."の記述がある。。.

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冨田均

冨田 均(とみた ひとし、1946年8月27日 - )は東京都出身のエッセイスト。都市歩行家を名乗っている。富田 均とも表記。 東京都荒川区尾久出身。荒川区立尾久西小学校から荒川区立荒川第七中学校を経て駒込学園高等学校を卒業。映画監督を志望し、アングラフィルムを5本ほど制作。1966年、『ガラスと鏡』によってモントリオール国際映画祭優秀賞受賞。なお、この作品には、東京日仏学院で冨田と知り合った東郷茂彦・東郷和彦兄弟が出演している。 テレビ制作を経て、立松和平たちと共に『早稲田文学』に参加。のち『東京徘徊』『私を愛した東京』『住所と日付のある東京風景』の東京三部作を完成。東京の露地や坂道、殊に道灌山一帯を喪山(もやま)と名付けてこよなく愛する。永井荷風の『日和下駄』に感動したことがきっかけで、毎日5時間は東京都内を散歩し続けている。.

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出囃子 (落語)

落語における出囃子(でばやし)は、落語家が高座に上がる際にかかる音楽であり、寄席囃子のひとつである。寄席や落語会では、落語家に限らず、芸人が登場する際の音楽全てを指すことがある。.

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石黒敬七

石黒 敬七(いしぐろ けいしち、1897年8月10日 - 1974年10月1日日外アソシエーツ現代人物情報)は、日本の柔道家(講道館8段、大日本武徳会10段)、随筆家、古写真収集家。 徳川夢声が創設した「ゆうもあくらぶ」の二代目会長。レジオンドヌール勲章受章者。長男は写真コレクションを引き継いだ石黒敬章。.

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秩父宮

秩父宮(ちちぶのみや)は、宮家の一つ。 1922年(大正11年)6月25日、大正天皇の第二皇子淳宮雍仁親王が、20歳の誕生日を迎えるとともに創設。.

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立川談志

7代目(ただし自称5代目)立川 談志(たてかわ だんし、1936年〈昭和11年〉1月2日 - 2011年〈平成23年〉11月21日)は、東京府小石川区(現:東京都文京区)出身の落語家。落語立川流家元。本名、松岡 克由(まつおか かつよし)。 古典落語に広く通じ、現代と古典との乖離を絶えず意識しつつ、長年にわたって理論と感覚の両面から落語に挑み続けた。古典落語を現代的価値観・感性で表現し直そうとする野心的努力が高く評価されたが、その荒唐無稽・破天荒ぶりから好き嫌いが大きく分かれる落語家の一人でもあった。落語のみならず、講談、漫談をも得意とするなど、芸域の広さで知られた。初高座は新宿末廣亭における『浮世根問』。 自ら落語立川流を主宰し、「家元」を名乗る。出囃子は「あの町この町」「木賊刈」(とくさがり)。5代目三遊亭圓楽、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝(柳朝没後は8代目橘家圓蔵)と共に「江戸落語若手四天王」と呼ばれた。 参議院議員(1期)、沖縄開発庁政務次官(三木内閣において36日間)、サイバー大学客員教授などを歴任した。.

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筑摩書房

株式会社筑摩書房(ちくましょぼう)は、日本の出版社。筑摩書房のマーク(空を截る鷹)のデザインは青山二郎作。 文学者を中心に個人全集は、増補改訂し繰り返し刊行するので、「全集の筑摩」と称されている。特に『世界文学全集』は多くの類書シリーズを刊行した。ほかに古典・現代文の教科書を現在まで毎年出版している。月刊PR誌に『ちくま』がある。.

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真打

真打(しんうち)とは、.

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目黒のさんま

黒のさんま(めぐろのさんま)とは落語の噺の一つである。さんまという下魚(低級な魚)を庶民的な流儀で無造作に調理したら美味かったが、丁寧に調理したら不味かった、という滑稽噺。落語界の中では秋の噺としてよく知られている。成立時期は不明。 3代目三遊亭金馬が得意としていた演目である。.

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落語協会

一般社団法人落語協会(いっぱんしゃだんほうじん らくごきょうかい)は、東京の落語家・講談師などが組織する一般社団法人。2014年6月から四代目柳亭市馬が会長を務める。日本芸能実演家団体協議会(芸団協)演芸部門 正会員。.

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落語家

落語家(らくごか)は、落語を演じることを職業とする人。戦前は、寄席がおもな活動の拠点で、グループを組んで地方公演も行っていたが、戦後はその話術を生かしテレビやラジオの司会業、パーソナリティなどを行うことも多かった。話家・噺家・咄家(はなしか)は、「落語家」の古い表現である。 落語家の演ずる噺は大別して二種類ある。.

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落語研究会 (落語会)

落語研究会(らくごけんきゅうかい)は、落語の興行の名の一つである。1905年から現在まで継続している。純粋な商業目的でなく、理念を追求する運動体としての一面を持つ。 その理念の高邁さから、落語家たちにとって、出演することがステータスの一つになっている。通常、寄席や余興(営業)では、落語のほかにいくつか色物が添えられることが多いが、第二次以降の落語研究会ではそのようなことはなく、落語家一人一人の出演時間もたっぷりととっている。客にとっては、落語をじっくり聞くことができる恰好の場となっている。.

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落語芸術協会

公益社団法人落語芸術協会(こうえきしゃだんほうじん らくごげいじゅつきょうかい)は、東京の落語家・講談師などが組織する公益社団法人。1977年まで日本芸術協会の名称であった。現在は桂歌丸が会長を務める。東京の落語家だけでなく、上方落語家の笑福亭鶴光や提携団体の日本講談協会所属の講談師も多数加入している。春風亭柳昇や桂米丸など新作落語の大家を多数輩出して永年「古典の協会、新作の芸協」と称されたが、米丸の弟子の桂歌丸が会長を務めるなど古典落語の名人も多く所属している。.

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青菜 (落語)

青菜(あおな)は、古典落語の演目の一つ。.

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西片

西片(にしかた)は、東京都文京区の町名。現行行政地名は西片一丁目及び西片二丁目。郵便番号は113-0024。.

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試し酒

試し酒(ためしざけ)は、落語の演目のひとつ。.

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講談社

株式会社講談社(こうだんしゃ、英称:Kodansha Ltd.)は、日本の総合出版社。創業者の野間清治の一族が経営する同族企業。.

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麗々亭柳橋 (初代)

初代麗々亭 柳橋(れいれいてい りゅうきょう、生年不詳 - 1840年4月25日(21日とも))は、本名、不明、名字は久世?。俳名、柳橋庵亀好。人情噺の元祖。俗に「久世柳橋」。 初代船遊亭扇橋の門人で初名を扇遊亭?新橋から新鳥、舞遊亭扇蝶となった。扇橋と不和になり一時柳好。和解し麗々亭柳橋と改名した。 俳諧を良くした。辞世の句は「ほととぎす明かしかねたる此世かな」(『墓碣余誌』) 門人には2代目、3代目柳橋、初代春風亭柳枝、柳馬、柳鳥(後の2代目柳好)、柳里、柳佐、などがいた。 Category:江戸時代の落語家 Category:江戸時代の俳人 Category:1840年没.

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鈴本演芸場

鈴本演芸場(2009年) 鈴本演芸場(すずもとえんげいじょう)は、東京都台東区上野二丁目上野鈴本ビルにある寄席。 都内にある落語定席の一つであり、落語を中心に色物芸も多数上演する。他の寄席とは違い、落語協会所属の芸人しか出演できない。.

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興津要

興津 要(おきつ かなめ、1924年(大正13年)4月21日 - 1999年(平成11年)10月20日)は、近世文学研究家、落語研究家。早稲田大学名誉教授。.

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関東大震災

関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒頃(日本時間、以下同様)に発生した関東大地震によって、南関東および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害である。.

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野ざらし

野ざらし(のざらし)は、古典落語の演目のひとつ。野晒しとも表記する。 同演目の元となったとされる上方落語の骨釣り(こつつり)についても、この項目で記述する。.

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電通

株式会社電通(でんつう、Dentsu Inc.)は、日本の広告代理店である。.

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柳家小さん

柳家 小さん(やなぎや こさん)は、落語家の名跡。柳派に属する。当代は6代目(ただし、初代は柳家の亭号を用いていない) 2002年に5代目が死去して以来空き名跡となっていたが、2006年9月21日に5代目の長男である3代目柳家三語楼が6代目を襲名した。 柳家小さんの名跡は、東京の落語界の勢力を三遊派と二分してきた柳派の大看板であり、3代目が文豪夏目漱石によって三四郎などの作品中で作中人物の口を借りる形で絶賛されたり、5代目が落語家として初の人間国宝に認定されたりするなど実力者が多い。 名前の由来は初代が「鬼」という渾名(あだな)を持ち非常に不器用であり、その逆効果を狙って当時芸者や花魁で流行っていた愛嬌のある芸名だった「小さん」を用いたとされている。.

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柳家金語楼

初代柳家 金語楼(やなぎや きんごろう 1901年2月28日 - 1972年10月22日)は、喜劇俳優、落語家、落語作家・脚本家(筆名・有崎勉)、発明家、陶芸家。本名・山下敬太郎(やました けいたろう)。落語家時代の出囃子は『琉球節』。禿頭を売り物にし、エノケン・ロッパと並ぶ三大喜劇人として知られた。戦前は主に吉本興業(東京吉本)に所属し、戦後は自ら「金星プロ」を立ち上げた。旧字体による芸名表記は柳家金語樓。.

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柳派

柳派(やなぎは)は、江戸(東京)落語の一派のことである。.

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東宝名人会

東宝名人会(とうほうめいじんかい)は東宝が東京で手掛けていた演芸公演。および興行。1934年の第1回から2005年の第1260回まで続いた。本項では、主に開催されていた演芸場・日比谷東宝演芸場についても記載する。.

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東京あんみつ娘

東京あんみつ娘(とうきょうあんみつとりお)は、女性3人組ボーイズグループ。.

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東京市

東京市役所(東京府庁との合同庁舎) 東京市(とうきょうし)は、旧東京府(現東京都)東部に1889年(明治22年)から1943年(昭和18年)までの間に存在していた市である。東京府の府庁所在地。最終的な市域は現在の東京都区部(東京23区)に相当する。 東京市が存在していた時期以外の旧東京市地域の歴史については東京都の歴史を参照のこと。旧東京市地域の現状については東京都区部を参照のこと。.

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東京都

東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.

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桂小文治 (2代目)

2代目(一説には初代)桂 小文治(かつら こぶんじ、1893年(明治26年)3月28日 - 1967年(昭和42年)11月28日は、大正・昭和期に活躍した落語家。本名は稲田 裕次郎。出囃子は『野崎』。.

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桂三木助 (3代目)

3代目桂 三木助(かつら みきすけ、1902年3月28日〈戸籍上は1903年2月17日〉 - 1961年1月16日)は、日本の落語家。本名小林 七郎(こばやし しちろう)。出囃子は「つくま」。NHKとんち教室落第生。日本芸術協会所属だったが最晩年に脱退し、フリーを経て落語協会に移籍。当時まではとりわけて注目もされていなかった、円朝作と云われる落語芝浜を独自に練り上げ得意にした。以降、芝浜は夫婦の情愛を美しく描いた名作落語として認識されるようになり、多くの落語家が口演するようになった。現在でも3代目三木助のものが傑作と云われることから通称「芝浜の三木助」他にも通称は「田端の三木助」、「隼の七」。.

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桂文楽 (8代目)

8代目桂 文楽(かつら ぶんらく、1892年(明治25年)11月3日 - 1971年(昭和46年)12月12日)は、東京の落語家。本名、並河 益義(なみかわ ますよし)。自宅住所の住居表示実施以前の旧町名から、「黒門町(くろもんちょう)」「黒門町の師匠」と呼ばれた。 落語における戦後の名人のひとりといわれ、2歳年上の5代目古今亭志ん生と併び称された。志ん生の八方破れな芸風とは対照的に、細部まで緻密に作り込み、寸分もゆるがせにしない完璧主義により、当時の贔屓を二分する人気を博した。 演じた演目の種類は多くはなかったが徹底的に練りこまれているとの定評がある。.

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横網町公園

公園内にある東京都慰霊堂 慰霊堂の施設である三重塔 関東大震災直後。被服廠の敷地を埋める避難民の遺体 東京都復興記念館 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑 東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑 日本庭園 横網町公園(よこあみちょうこうえん)は、東京都墨田区横網にある東京都立の公園である。東京都慰霊堂や復興記念館があるところとして知られている。.

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橘家圓蔵 (4代目)

4代目橘家 圓蔵(たちばなや えんぞう、1864年 - 1922年2月8日)は、明治・大正期に活躍した落語家。本名、松本栄吉。 北品川に住んでいたため、「品川の圓蔵」、「品川の師匠」と呼ばれた。 立て板に水の能弁で、作家芥川龍之介は「この噺家は身体全体が舌だ。」と感嘆した。「嘘つき弥次郎」「首提灯」「蔵前駕籠」「お血脈」「反魂香」「釜どろ」「百川」「松山鏡」「廓の穴」「芝居の穴」「三人旅」などが得意ネタ。 地噺などを得意とした。弟子6代目三遊亭圓生の話では、「山門」で石川五右衛門が欄干に足をかけて久吉を睨みつけるのを「その顔色ってのは、噺家が永代橋でシャッポを飛ばしたようなもんで。」と警句を飛ばし、その上手さとおかしさに客席を沸かせたという。.

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湯屋番

湯屋番(ゆやばん)は古典落語の演目の一つ。『滑稽噺』の一つで、落語によく出てくる【道楽者の若旦那】が主人公。タイトルの『湯屋番』は【湯屋の番台】の略。 江戸時代から続く古い話で、明治の大看板、初代三遊亭圓遊が得意としていた。その後は代々柳家一門が得意とし、特に3代目柳家小さんが現代に通じるスタンダードな型を作った。またその弟子の新作派の4代目柳家小さんは「帝国浴場」として大胆にアレンジして演じた。 現代では10代目柳家小三治やその弟子である柳家三三が手がけている。また、3代目笑福亭仁鶴が大阪に持ち帰りそのまま『湯屋番』の演目で演じている。.

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本郷区

本郷区(ほんごうく、)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の文京区の東部に位置していた。.

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本所区

本所区(ほんじょく)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の墨田区の南部に位置していた。.

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星野屋

星野屋(ほしのや)は、古典落語の演目の一つ。 原話は元禄11年に刊行された『初音草大噺大鑑』の一遍である「恋の重荷にあまる知恵」。ちなみに、作中に登場する水茶屋の女『桜木のお花』は実在人物であり、河竹黙阿弥作の歌舞伎「加賀鳶」にも登場している。分類は「廓噺」。 6代目春風亭柳橋が得意とした。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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春風亭小柳枝

春風亭 小柳枝(しゅんぷうてい こりゅうし)は落語の名跡。当代は9代目。.

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春風亭小柳枝 (7代目)

7代目春風亭 小柳枝(しゅんぷうてい こりゅうし、1921年1月2日 - 1962年9月27日)は、落語家。本名は染谷 晴三郎。出囃子は『喜撰』。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)、一時TBSの専属だった時期もある。俗に『染谷の小柳枝』。 出身は千葉県野田市。1937年に7代目林家正蔵門下で正平となる。1939年に6代目春風亭柳橋門下で青枝、1944年に再度正蔵門下で正太郎と名乗る。正蔵の死後は再度6代目柳橋門下で小柳枝襲名し、真打昇進。 軽く飄々とした芸風で「甲府い」「野ざらし」などを得意とした。大食漢であったが、それがもとで晩年は糖尿病と結核に悩まされたため、若くして没した。「医者から結核なので栄養をつけなきゃいけないってんですがね。そしたら糖尿がひどくなっちまうンで、あたしゃどうしたらいいんだ。」とこぼしていた。 性格は大変粗忽で物忘れ勘違いが多かったという。 弟子には2代目春風亭華柳がいたが死後大師匠6代目春風亭柳橋門下へ移籍。.

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春風亭華柳

春風亭 華柳(しゅんぷうてい かりゅう)は、落語家の名跡。.

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春風亭柏枝

春風亭 柏枝(しゅんぷうてい はくし)は落語の名跡。10名前後確認されている。柳派の落語家が主に二つ目に昇進する時やその前後で名乗っている。その他にも小燕枝、小柳枝もそれにあたる。.

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春風亭柳好

春風亭 柳好(しゅんぷうてい りゅうこう)は落語の名跡。 代数のカウントは文献によりまちまちである(著名な「野ざらしの柳好」を3代目と記すのか5代目と記すのかという違いである。彼は自ら3代目と名乗った)。 先行する同名跡として.

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春風亭柳語楼

春風亭 柳語楼(しゅんぷうてい りゅうごろう、1891年(明治24年)1月26日 - 1954年(昭和29年)2月16日)は、落語家。本名、中村 菊次郎。.

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春風亭柳枝

春風亭 柳枝(しゅんぷうてい りゅうし)は、落語家の名跡。江戸及び東京の落語・柳派の由緒ある名。1959年以降、現在まで50年余にわたって空位。.

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春風亭柳枝 (4代目)

初代春風亭華柳(しゅんぷうてい かりゅう)・4代目春風亭 柳枝(しゅんぷうてい りゅうし)1868年9月(慶応4年 - 明治元年)9月~1927年(昭和2年)4月20日は、和歌山県の落語家。本名:飯森 和平。通称は住所から「牛込の柳枝」。また、俗に小ぢんまりとした顔つきから「鼠(ねずみ)の殿様」。得意演目は人情噺、滑稽噺、狂歌噺などいろいろ演じきった。姉の養子が、後の3代目桂三木助である。.

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春風亭柳枝 (6代目)

6代目春風亭 柳枝(しゅんぷうてい りゅうし、1881年(明治14年)1月 - 1932年(昭和7年)3月1日)は、神奈川県横浜市出身の落語家。本名、松田 幸太郎。俗に「ゴミ六の柳枝」「横浜の柳枝」「桃太郎の柳枝」など。 横浜の消防団の組頭で居留地のごみ清掃を家業とする家の長男に生まれる。「ゴミ六」とは実家の屋号。横浜商業学校(現:横浜市立横浜商業高等学校)卒業後に勤めながら天狗連で一枝を名乗り宴会や端席で一席やったり演芸会を開いたりしていて人気になった。それが高じ3代目柳家小さんの門を叩く。1910年3月にさん枝で初高座。1913年2月に4代目春風亭柳枝(初代春風亭華柳)門下で真打となり3代目春風亭小柳枝を名乗る。3年目の真打で異例のスピード出世だった。1917年8月、師匠柳枝が結成した睦会に加入。 1921年3月、睦会「三柳の改名」 師弟トリプル襲名.

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春風亭柳桜

春風亭 柳桜(しゅんぷうてい りゅうおう、1952年10月22日 - 2014年5月19日)は、東京都港区生まれの落語家。本名は吉沢 正雄(よしざわ まさお)。落語芸術協会所属。俗に初代であり春錦亭柳桜から数えると4代目にあたる。出囃子は「小鍛冶」。.

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春風亭柳橋

春風亭 柳橋(しゅんぷうてい りゅうきょう)は、落語家の名跡。柳派の祖。2008年9月21日に当代の8代目が襲名した。 3代目、4代目、5代目は親子の関係である。 初代から5代目までの亭号は麗々亭(れいれいてい)であった。そのため6代目柳橋を「初代春風亭柳橋」と表記する人もごく少数存在する。この項では便宜上、全て「春風亭 柳橋」として一括に表記をする。.

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春風亭柳橋 (7代目)

7代目春風亭 柳橋(しゅんぷうてい りゅうきょう、1935年8月12日 - 2004年10月31日)は落語芸術協会に所属した落語家。本名 駒木根 正男(こまきね まさお)。東京都出身。出囃子は『せり』。.

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春風亭柳橋 (8代目)

8代目春風亭 柳橋(しゅんぷうてい りゅうきょう、本名:竹内 秀男(たけうち ひでお)、1956年5月30日 - )は、茨城県古河市出身の落語家。落語芸術協会所属。.

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春風亭柳昇

春風亭 柳昇(しゅんぷうてい りゅうしょう)とは落語の名跡である。2003年(平成15年)に5代目が逝去して以来、襲名者不在となっている。代数に関しては場合によりまばらであり3代目と表記されているものもある(落語芸術協会では5代目となっている)。柳曻として名乗ることもある。.

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春風亭枝雀

春風亭 枝雀(しゅんぷうてい しじゃく)は落語家、音曲の名跡。7代目以降、断絶している。 上方には桂枝雀という同名の名跡が存在する。 7代目は色物の音曲で戦後、東京の寄席で重宝された。.

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春風亭栄橋

春風亭 栄橋(しゅんぷうてい えいきょう、1939年3月5日 - 2010年1月12日 )は、東京都秋川市(現:あきる野市)出身の落語家。落語芸術協会(日本芸術協会)真打。東京都立国立高等学校卒業。本名、山田 昌男。出囃子は『喜撰』。.

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春風亭梅橋

春風亭 梅橋(しゅんぷうてい ばいきょう)は、落語家の名跡。現在は空き名跡となっている。.

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春風亭橋之助

春風亭 橋之助(しゅんぷうてい きょうのすけ、1927年 - 1958年6月7日)は、落語家。日本芸術協会所属。本名、小野沢 富芳。出囃子は『まっくろけのけ』。.

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春風亭昇太

春風亭 昇太(しゅんぷうてい しょうた)は、落語家の名。先代は前座の時に名乗っただけであるため、代数をつけて呼ぶことはない。.

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春風亭扇枝

春風亭 扇枝(しゅんぷうてい せんし、1934年8月26日 - 2002年7月13日)は、群馬県吾妻郡中之条町出身の落語家。生前は落語芸術協会所属。本名、本多 五夫。出囃子は『三下がり鞨鼓』。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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昔々亭桃太郎

昔々亭 桃太郎(せきせきてい ももたろう)は落語の名跡。当代は2代目(落語芸術協会のHP上では3代目)。 昔々亭桃太郎(山下喜久雄)は自称「二十四代目」と称していたが、近年の調査では過去にそれほど多い数はなく、当代桃太郎(柳澤尚心)を入れても『古今東西落語家事典』によれば5代目か6代目くらいではないかと言われている(尚、当代は亭号を昔昔亭とし落語芸術協会のHP上では3代目としている)。 このように、落語家の名跡の代数は概していい加減なものが多い。.

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新宿区

新宿区(しんじゅくく)は、東京都の特別区のひとつで、23区西部に区分される。 郵便番号(上3桁)は160・161・162・163・169。.

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新宿末廣亭

新宿末廣亭(しんじゅくすえひろてい)は、東京都新宿区新宿三丁目にある寄席である。.

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文京区

文京区(ぶんきょうく)は、東京都の特別区のひとつ。郵便番号(上3桁)は112・113。.

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日本放送協会

日本放送協会(にっぽんほうそうきょうかい、英称:Japan Broadcasting Corporation)は、日本の公共放送を担う事業者。よく誤解されるが国営放送ではない。日本の放送法(昭和25年法律第132号)に基づいて設立された放送事業を行う特殊法人。総務省(旧・郵政省)が所管する外郭団体である。 公式略称は、「NIPPON HOSO KYOKAI」の頭文字を取り「」と呼称・記される。 公共放送としての事業規模は、英国放送協会 (BBC) などと並び、国内にNHKエンタープライズ、NHKグローバルメディアサービス、NHK出版など13の連結子会社を持つ。また、関連会社として日本国外にNHKコスモメディアアメリカ、NHKコスモメディアヨーロッパが設立されている。1986年には子会社である株式会社NHKエンタープライズを出資母体として、NHKエンタープライズ25%、株式会社電通25%の共同出資による株式会社総合ビジョンを設立した。しかし、これは事業の縮小を経て2013年7月1日付けでNHKエンタープライズに吸収合併した。 愛宕山。 中継車(いすゞ・フォワード).

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早慶戦

早慶戦(そうけいせん)または慶早戦(けいそうせん)は、'''早'''稲田大学(以下、「早稲田」)と'''慶'''應義塾大学(以下、「慶應」)との対校戦である。主にスポーツ(特に野球、サッカー、ラグビー、レガッタ)での対戦であるが、スポーツ分野以外でもこの両校の学生サークルが実施する討論会などで使用されることがある。 なお、慶早戦(けいそうせん)は慶應義塾側の呼称であり、同大学の学生や卒業生の間では一般的な呼称であるが必ずしも「慶早」に統一されているわけではなく、慶應義塾でも「早慶戦」の語が用いられることがある。.

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10月15日

10月15日(じゅうがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から288日目(閏年では289日目)にあたり、年末まであと77日ある。.

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1899年

記載なし。

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1909年

記載なし。

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1910年

記載なし。

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1915年

記載なし。

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1917年

記載なし。

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1921年

記載なし。

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1925年

記載なし。

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1926年

記載なし。

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1927年

記載なし。

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1929年

記載なし。

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1930年

記載なし。

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1949年

記載なし。

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1954年

記載なし。

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1968年

記載なし。

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1974年

記載なし。

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1979年

記載なし。

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1993年

この項目では、国際的な視点に基づいた1993年について記載する。.

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1999年

1990年代最後の年であり、1000の位が1になる最後の年でもある。 この項目では、国際的な視点に基づいた1999年について記載する。.

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5月16日

5月16日(ごがつじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から136日目(閏年では137日目)にあたり、年末まではあと229日ある。誕生花はイキシア。.

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