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チャムド市

索引 チャムド市

チャムド市(チャムドし)は中華人民共和国のチベット自治区に位置する地級市のひとつ。自治区の東部、カム地方の西部を占める。 チベット名チャムド・サクル (chab mdo sa khul)。「チャプ(chab)」は「水(敬語)」を、「ド(mdo)」は「合流地点」を意味し、中国名はチベット名を音写したもの。日本では、チベット語に基づく「チャムド」のほか、漢字表記からの重訳である「チャンドゥ」等の表記がみられる。中国名「昌都」の音読みは「しょうと」。 四川省のカンゼ・チベット族自治州、雲南省デチェン・チベット族自治州とともに、チベットの伝統的な地方区分カム地方を構成し、その住人を「カムパ(khams pa, 康巴)」と称する。.

70 関係: 吐蕃中国中国人民解放軍中華人民共和国三岩県土司地級市ペンバル県ナシ族ミャンマーマルカム県チャムドの戦いチベットチベット仏教チベット自治区バチェン県ポメ県メコン川モンゴル帝国ラリ県ラサリウォチェ県レタスロロン県パシュー県ビル県テンチェン県デチェン・チベット族自治州ニンティ市ニェンロン県ダクヤプ県アムドカム (チベット)カルプ区カンゼ・チベット族自治州ガンデンポタングシ・ハン王朝ゴンジョ県ザユル県ジャン王ジョムダ県ソク県ゾンゾガン県サルウィン川サキャ派四川総督四川省玉樹チベット族自治州...青海省衛所西康省西蔵地方趙爾豊麗江市辛亥革命雍正のチベット分割雲南省東女国13世紀14世紀16世紀17世紀18世紀1905年1911年1918年1950年 インデックスを展開 (20 もっと) »

吐蕃

吐蕃(とばん、拼音:TŭbōまたはTŭfān、チベット語:、ワイリー転写:Bod chen po)は、7世紀初めから9世紀中ごろにかけてチベットにあった統一王国。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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中国人民解放軍

中国人民解放軍(ちゅうごくじんみんかいほうぐん、)は、中国共産党が指導する中華人民共和国の軍隊である。 (中国人民解放軍の中華人民共和国における公的・法的位置については後述の「#法的規定」を参照すること。) 単に、日本などでは「中国軍」、中国国内では「解放軍」と略されて呼ばれている。 陸軍・海軍・空軍・ロケット軍・戦略支援部隊の5軍を軍種とする。 また、正規軍たる人民解放軍とは別に、民兵・省人民武装部(州軍)が中国共産党および人民共和国の武装力量(武装兵力)に定められている。.

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中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、中华人民共和国、中華人民共和國、People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、China)は、東アジアに位置する主権国家である。 中華人民共和国は、13億8千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。.

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三岩県

三岩県(さんがん-けん, サゲン県)(ས་ངན་རྫོང་། サゲン・ゾン)は中華人民共和国チベット自治区にかつて存在した県。現在のチャムド市ゴンジョ県南東部に相当する。 1913年(民国2年)に三岩宗として設置され、後に三岩県に改編された。1960年に貢覚宗に統合されゴンジョ県とされた。.

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土司

土司(どし)は、中国王朝が、中国に隣接する諸民族の支配者たちに授ける特定タイプの官職に対する総称。 中国の歴代王朝は、近隣の諸国・諸民族との間で冊封・朝貢という君臣関係に擬した外交関係を築き、その際、中国との交際を求める諸国・諸民族の勢力の大小に応じて、王号や州・県の知事職、軍事指揮官の称号を与えた。土司は、それらの諸民族の首長のうち、軍事指揮官の称号をうけたものに対する総称。.

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地級市

地級市(ちきゅうし)は、中華人民共和国の地方行政単位。地区、自治州、盟とともに二級行政単位を構成する。省クラスの行政単位と県クラスの行政単位の中間にある地区クラスの行政単位である。地方によっては「区級市」と呼ぶこともある。 1983年11月5日に制度化され、地区から地級市への改編が行われた。地級市はその内部に都市部の何倍もの面積を有す農村部を内包しており、厳密な意味での市とは定義を異にする。地級市は地区の後身であり、下部に市轄区、県、自治県、旗、自治旗を管轄し、また県級市を代理管轄している。 これまでの地方行政区画再編成の結果、雲南省、貴州省、青海省や新疆ウイグル自治区、チベット自治区以外の地域では地級市の比重が増加傾向にある。.

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ペンバル県

ペンバル県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県の一つ。県名はチベット語で「吉祥の光」の意。ニェンチェンタンラ山脈の南の渓谷地形に属す。 県政府所在地は草卡鎮。.

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ナシ族

ナシ族(ナシぞく/納西族)は中華人民共和国の少数民族のひとつ。.

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ミャンマー

ミャンマー連邦共和国(ミャンマーれんぽうきょうわこく、ပြည်ထောင်စု သမ္မတ မြန်မာနိုင်ငံတော်、Myanmar)、通称ミャンマー/ビルマは、東南アジアのインドシナ半島西部に位置する共和制国家。独立した1948年から1989年までの国名はビルマ連邦。ASEAN加盟国、通貨はチャット、人口は 5,142万人(2014年)、首都はネピドー(2006年まではヤンゴン)。 南西はベンガル湾、南はアンダマン海に面する。南東はタイ、東はラオス、北東と北は中国、北西はインド、西はバングラデシュと国境を接する。インド東部とミャンマー南西部はベンガル湾をはさみ相対している。 多民族国家で、人口の6割をビルマ族が占め、ビルマ語が公用語である。他に、カレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族、チン族、モン族、ビルマ族、シャン族、北東部に中国系のコーカン族などの少数民族がおり、独自の言語を持つ民族も多い(言語参照)。.

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マルカム県

マルカム県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県の一つ。東経98度00分~99度05分、北緯28度37分~30度20分に位置する。東は金沙江を隔てて四川省バタン県、南は雲南省デチェン県、西は瀾滄江(メコン川上流)を挟みゾガン県、北はゴンジョ県、ダクヤプ県に隣接。金沙江と瀾滄江の分水嶺であるマルカム山脈(芒康山脈、寧静山脈)が走っている。 県名はチベット語で「善妙なる地域」の意。井塩を産することで名高い。清末には寧静県が置かれ、後に芒康宗(芒康県、または江卡宗)と改名した。1960年には塩井宗(塩井県)と合併して寧静県となったが、1965年にまた現在の名となった。.

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チャムドの戦い

チャムドの戦い(昌都之战)は、中華人民共和国が、チベットとの交渉の失敗後、事実上チベット地域で独立していたチベットに対して行った戦役Shakya 1999 pp.28–32。目的はチャムドにいたチベット軍を攻略し、ガンデンポタンの士気を下げ、チベットに対する中国の主権を認めさせるために北京に交渉人を送るように強力な圧力をかけることであった。戦闘の結果中国はチャムドを攻略し、その後の両者の代表者による交渉で最終的に中華人民共和国によるチベットの編入が行われた。.

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チベット

チベットの旗(雪山獅子旗) チベット(英語:Tibet,,,, )は、東経77-105度、北緯27-40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。.

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チベット仏教

チベット仏教(チベットぶっきょう)は、チベットを中心に発展した仏教の一派。チベット仏教は、根本説一切有部律の厳格な戒律に基づく出家制度から、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教である。また、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持ち、漢訳経典に依拠する北伝仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統をなす。 教義としては、智慧と方便を重視する。インド後期密教の流れを汲む無上ヨーガ・タントラが実践されている。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在するが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする。チベットでは、7世紀から14世紀にかけてインドから直接に仏教を取り入れた。そのため、インド仏教の伝統が途絶える寸前の時代に伝来した後期密教が保存されていることが特徴である。 ラマと呼ばれる高僧、特に化身ラマを尊崇することから、かつては一般にラマ教(喇嘛教、Lamaism)と呼ばれ、ややもすると、仏教とは異質な宗教と見なす向きもあったが、その実態が一般の認識を得るにつれ、ラマ教という呼称は不適切だとして、現在では使用されなくなっている。.

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チベット自治区

チベット族 チベット自治区(チベットじちく、チベット語: プー・ランキョン・ジョン, )、或いは西蔵自治区(せいぞうじちく)は、中華人民共和国(以下、「中国」)の西南部を占める区域自治区である。.

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バチェン県

バチェン県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ナクチュ市の県の一つ。県名はチベット語で「大牛の毛のテント」の意。県政府所在地は拉西鎮。.

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ポメ県

ポメ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ニンティ市の県の一つ。県名はチベット語で「祖先」を意味する。県政府所在地は扎木鎮。.

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メコン川

メコン川(メコンがわ、Mekong River、แม่น้ำโขง(ラテン文字転写:Mae Nam Khong)、Sông Cửu Long/瀧九龍)は、東南アジアを流れる河川。東南アジアで最長、アジア全体でも7番目に長い川である。.

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モンゴル帝国

モンゴル帝国(モンゴルていこく)は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが1206年に創設した遊牧国家。中世モンゴル語ではイェケ・モンゴル・ウルス ( Yeke Mongγol Ulus)すなわち「大モンゴル・ウルス(大蒙古国)」と称した。 モンゴル帝国の創始者チンギス・カンと『四駿四狗』やその他の後継者たちはモンゴルから領土を大きく拡大し、西は東ヨーロッパ、アナトリア(現在のトルコ)、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する帝国を作り上げた。最盛期の領土面積は約3300万km²で、地球上の陸地の約25%を統治し、当時の人口は1億人を超えていた。三大洋全てに面していた。 モンゴル帝国は、モンゴル高原に君臨するモンゴル皇帝(カアン、大ハーン)を中心に、各地に分封されたチンギス・カンの子孫の王族たちが支配する国(ウルス)が集まって形成された連合国家の構造をなした。 中国とモンゴル高原を中心とする、現在の区分でいう東アジア部分を統治した第5代皇帝のクビライは1271年に、大都(現在の北京)に遷都して緩やかな連邦と化した帝国の、モンゴル皇帝直轄の中核国家の国号を大元大モンゴル国と改称するが、その後も皇帝を頂点とする帝国はある程度の繋がりを有した。この大連合は14世紀にゆるやかに解体に向かうが、モンゴル帝国の皇帝位は1634年の北元滅亡まで存続した。また、チンギス・カンの末裔を称する王家たちは実に20世紀に至るまで、中央ユーラシアの各地に君臨し続けることになる。.

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ラリ県

ラリ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ナクチュ市に位置する県。県名はチベット語で「神山」の意。県政府所在地は阿扎鎮。.

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ラサ

ラサ(,lha sa)は吐蕃時代の7世紀に成立したチベットの古都。吐蕃時代(7世紀 - 842年)やダライ・ラマ政権時代(1642年 - 1959年)に政権の本拠地がおかれて政治的中枢となり、また政権の変遷をこえて文化的中枢でありつづけた。チベット、モンゴル、満州などの諸民族から構成されるチベット仏教文化圏の中枢でもある。 トゥルナン寺のチョカン(本殿)をとりまくナンコル、トゥルナン寺の境内をとりまくパルコル、パルコルを東の中心、ポタラ宮があるマルポリの丘・薬王山チャクポリを西の中心とする楕円状をなすリンコルの、三重の環状巡礼路をメインストリートとし、ダライ・ラマ政権の末期には、古都ラサの市長「ミプン」はリンコルの内部を管轄していた。 1960年、中国政府により、古都ラサと郊外、ウー地方北部諸県を領域とする地級市拉薩市(ラサ市)が設置された。 中国の統治下で、リンコルの西縁をはさんでマルポリ・チャクポリの周辺に新市街が開発された。 表記はチベット語:ལྷ་ས་ ワイリー方式:lha sa/蔵文ピンイン:Lhasa、中国語簡体字:拉萨/繁体字:拉薩、英語:Lhasa。.

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リウォチェ県

リウォチェ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県の一つ。1960年成立。高山や峡谷の地形である。.

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レタス

レタス(学名:Lactuca sativa)は、地中海沿岸、西アジア原産のキク科アキノノゲシ属の一年草または二年草。野菜として利用される。和名は、チシャ(萵苣・苣、チサとも)。.

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ロロン県

ン県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県の一つ。県名はチベット語で「南の谷」の意。 東経95°20'-96°32',北緯30°15'-31°15'に位置する。東はパシュー県,南はポメ県,西はバンバル県,北はテンチェン県、リウォチェ県に接する。県政府所在地は孜托鎮。 1959年に洛隆宗と碩督宗が合併して成立した。.

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パシュー県

パシュー県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県の一つ。4鎮10郷に1社区109行政村を管轄。.

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ビル県

ビル県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ナクチュ市に位置する県。 県名はチベット語で「雌ヤクの群れ」の意。怒江上流に位置する。県政府所在地はビル鎮(比如鎮)。.

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テンチェン県

テンチェン県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県の一つ。蔵東峡谷地区に属する地形で、高山や峡谷の起伏あり。.

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デチェン・チベット族自治州

デチェン・チベット族自治州(デチェンチベットぞくじちしゅう、, デチェン・プーリー・ランキョン・クル)は中華人民共和国雲南省西北部に位置するチベット族自治州でありチベット族が人口の33%を占めている。チベットの伝統的な地域区分ではカム地方南部に位置する。 迪慶(てきけい)はチベット語のデチェンを音写したもので、「デ(bde)」は「安楽」を意味する名詞、「チェン(chen)」は「大いなる」を意味する形容詞で、合わせて「大いなる安楽」を意味する。.

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ニンティ市

ニンティ市(林芝市=ニンティし)は中華人民共和国チベット自治区に位置する地級市)。ニャンティ(nyang kri)とも呼ばれ、「ニャン」とはニャン河(nyang chu)一帯を指す地名、「ティ」とは「褥」、「座」等を意味する。中国名はチベット名を音写した命名。日本では、チベット語に基づく「ニンティ」のほか、漢字表記からの重訳である「リンチー」などの表記がみられる。.

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ニェンロン県

ニェンロン(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ナクチュ市に位置する県。県名はチベット語で「耳に心地よい谷」の意。県政府所在地はニェンロン鎮(聶栄鎮)。.

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ダクヤプ県

ダクヤプ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県。県名はチベット語で「岩穴」の意。.

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アムド

アムド( a mdo、、拼音: Ānduō)は、チベット(チベット高原)を構成する地方のひとつで、その東北部を指す。 伝統的にチベット人とともにオイラトのホシュート部を中心とするモンゴル人や一部のテュルク系などが多数居住してきた。当地に居住するチベット人はアムド方言を用い、アムドーワ(a mdo ba)と自称した。 現在も青海省には多数のチベット仏教寺院が残り、チベット人・モンゴル人の僧侶によって守られている。.

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カム (チベット)

ム (khams、、拼音: Kāng) はチベットの東部地方。元、明代中国の地理史料では、アムドとともに「吐蕃」の「朶甘」と一括して呼ばれた。現在は中華人民共和国チベット自治区東部・青海省東南部・四川省西部・雲南省北西部に分割されている。東部のダルツェンド(康定)と、西部のチャムドが中心的都市である。この地方の住民はチベット語で「カムパ(.

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カルプ区

ルプ区(‐く)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の市轄区の一つ。チャムド市政府の所在地。チベット族が90%を占める。年平均気温7.6℃、1月の平均気温-2.3℃、7月の平均気温16.3℃、年降水量467mm。区政府所在地は城関鎮。.

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カンゼ・チベット族自治州

ンゼ・チベット族自治州(カンゼ・チベットぞくじちしゅう)は、中華人民共和国四川省に位置する自治州。チベット語名の「カンゼ(dkar mdzes)」とは、「白く美しい」の意で、中国語名の「甘孜」はその音写である。 日本語ではチベット語にもとづく「カンゼ」というカナ転写のほか、漢字の表記を音写した「カンツー」などの表記例が見られる。漢字名の音読みは「かんし」。「プーリー」は「チベット民族」、「ランキョン」とは「自治」の意で、クルは州に相当する地方行政単位。チベットの伝統的な地理区分ではカム地方の東部に相当する。.

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ガンデンポタン

ンデンポタンは、ダライ・ラマを長とし、ラサを本拠として1642年に成立したチベットの政府。1959年、チベット動乱の際、ダライ・ラマとともにインドに脱出、現在はチベット亡命政府として十数万人からなるチベット難民組織の頂点に位置する。.

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グシ・ハン王朝

・ハン王朝(グシ・ハンおうちょう)は、1642年にオイラト族のホショト部の指導者グシ・ハン(トゥルバイフ)がチベットに樹立した王朝。4代約80年続いた。1717年、オイラト本国を支配するジュンガル部の奇襲により嫡系が断絶。さらに1723-24年、清朝の雍正帝はグシハン王家の傍系一族を攻撃して屈服させ、彼らがチベットに有していた様々な権限や権益を剥奪、この攻撃によりグシ・ハン一族はチベット王権も喪失して王朝は終焉をむかえた。.

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ゴンジョ県

ンジョ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県の一つ。.

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ザユル県

ユル県(‐けん)は中国チベット自治区ニンティ市の県の一つ。県名はチベット語で「人の居る地」の意。東は雲南省デチェン県、チベット自治区ゾガン県、南はミャンマーとインド、西はメトク県、北はゾガン県、パシュー県、ポメ県に隣接する。南部はインドの実効統治下(アルナーチャル・プラデーシュ州)にあり、国境問題が残っている。.

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ジャン王

ジャン王(じゃん-おう)は、麗江の領主木氏がチベット語史料に登場する場合の名称。ジャン・サータム・ギャルポ。チベット仏教カルマ派の大施主として知られ、17世紀前半の最盛期には、ギャルタン、リタン、バタンなどカム地方南部を支配した。 ジャンとは、過去の南詔、大理など雲南地方に存在した諸王国に対するチベット語の通時的な呼称で、中世から近世にかけてのチベットでは、麗江の木氏政権が、これらの諸王国の継承政権と見なされていた。 Category:チベットの歴史 Category:雲南の歴史.

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ジョムダ県

ョムダ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県の一つ。1959年に江達宗と郖柯宗の合併で成立した。銅の生産が盛ん。川蔵公路が通過する。.

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ソク県

は中華人民共和国チベット自治区東北のナクチュ市東北部、怒江上流の索曲河の流域にあたる。耕地面積4.l万畝、森林面積35.9万畝、草原面積52万畝。「ソク」はチベット語でモンゴルを意味する。日本語の地図では「ソッシェン」と漢語ピンイン転写による地名が使用されることが多い。.

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ゾン

パロのゾン ゾン とは、チベット文化圏に多く見られる城塞建築である。ブータンでは最上位の地方区分単位の庁舎であり、その庁舎が管轄する行政単位をゾンカク (རྫོ་ཁག།, rdzong khag) と称する。.

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ゾガン県

ゾガン県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県の一つ。1959年に左貢宗から県になった。.

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サルウィン川

ྱལ་མོ་རྔུལ་ཆུ། 怒江 | other_name_1.

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サキャ派

ャ派(、)はチベット仏教4大宗派の1つ。時として赤帽をかぶることから、ニンマ派、カギュ派とともに西欧人に赤帽派と呼ばれている宗派の1つでもあり、古くは「花派」と表記されたこともある。 後期密教の代表的な経典の1つである「喜金剛タントラ」(ヘーヴァジュラ・タントラ)を依経として、初発心と行道とが覚りの境地に等しいと説く「ラムデ」(道果:どうか)を最奥義とする密教の教義、大成就法が他の宗派と異なる。チベット仏教の古い流れを伝えてはいるが、無上瑜伽タントラの主要な五タントラを体系化した「五大金剛法」を取り入れ、顕教と密教の双方を重んじている。.

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唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、例えば朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、結果としてそれ以降遣唐使は送られず、それまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられた。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではない。詳しくは中国を参照のこと。.

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四川総督

四川総督(しせんそうとく、 転写:sycuwan i uheri kadalara amban)は、中国清朝の地方長官の官職である。四川省の総督として管轄地域の軍政・民政の両方を統括した。.

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四川省

三星堆遺跡の青銅仮面 四川省の伝統芸能『川劇』 四川省(しせんしょう、、、)は、中華人民共和国西南部に位置する省。略称は川あるいは蜀。省都は成都。西北部はチベットの伝統的な地方区分でいうアムド地方の東南部、西部はカムの東部にあたる。また、東部の重慶は直轄市として1997年に分離した。.

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玉樹チベット族自治州

玉樹チベット族自治州(ぎょくじゅ-チベットぞく-じちしゅう)は中華人民共和国青海省に位置するチベット族自治州。 チベット名ユフ・プーリー・ランキョンクル()。中国語名「玉樹」は、この地方の伝統的呼称ユルシュル (yul shul) の音写であるが、現行のチベット名はこの「玉樹」から再音写した表記である。 チベットの伝統的な地理区分では大部分がアムド地方に属するが、東南部はカム地方の北部に相当する。 州人民政府は玉樹市のケグ(skye rgu、Gyêgu、結古)鎮にある。西洋や古いチベットの文献ではジェクンド(Jyekundo, skye dgu mdo, skye rgu mdo)の名でも登場する。.

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青海省

青海省(せいかいしょう、中国語:青海省、拼音:Qīnghǎi Shěng、英語:Qinghai、チベット語: མཚོ་སྔོན་ཞིང་ཆེན།、 モンゴル語:)は、中華人民共和国の西部に位置する省のひとつ。省都は西寧市。1928年に青海省成立。省名は、省内に国内最大の湖沼である青海湖(チベット名ツォティショギャルモ、モンゴル名フフノール)があることにちなむ。.

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衛所

衛所(えいしょ)とは、十進法に基づく明朝の軍事組織の制度。及びその単位。 唐の府兵制を範とする兵農一致の軍事編成で、明代軍事体制の中核をなす。.

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西康省

西康省(せいこうしょう)は、中華民国から中華人民共和国にかけてかつて存在した省。 その歴史は.

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西蔵地方

西蔵地方(せいぞう-ちほう)は中華民国でかつて名目的に存在していた省級の行政区画。 チベット政府ガンデンポタンは、1911-12年の辛亥革命によってダイチン・グルン(清国)が滅亡して以来、モンゴルとともに、中国とは別個の独立国家を主張し、国際承認をもとめる外交活動を行っていた。中華民国は、チベットの全域を中国領と主張し、実行支配を確立していたアムド地方とカム地方の北部を甘粛省と青海特別地区(1928年より青海省)に、カム地方の東部を川辺特別地区と雲南省に組み込み、ガンデンポタンが実行していたウー・ツァン地方、ガリ地方、カム地方の西部のうち、ウー・ツァン地方とガリ地方をまとめて西藏地方と称した。  カム地方西部については、中華民国の実行支配下にはなかったが、川辺特別地区(1939年より西康省)に帰属すると主張し、西藏地方には含めなかった。.

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趙爾豊

趙 爾豊(ちょう じほう)は清末の政治家。字は季和。奉天省鉄嶺県(現在の遼寧省鉄嶺市)の人で、漢軍正藍旗に属した。清末に四川省、チベット等で地方政府長官級の各職を務めた人物である。兄は、清末民初の政治家である趙爾巽。.

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麗江市

麗江の街並み。街の中には水路が数多く走っている。右の女性の着ている青い服装はナシ族の民族衣装。麗江では普通に見かけることができる。 麗江の家並み。瓦や煉瓦はこの地方の土の性質で燻銀色になる。 商店の看板にもトンパ文字が見られる。 ナシ族の踊りとそれを見る観光客(2004年)。 麗江市(れいこうし)は中華人民共和国雲南省西北部に位置する地級市。 麗江古城はかつて少数民族のナシ族の王都であり、現在でもナシ族の人々が多く居住している。またナシ族のほかにリス族、プミ族、ペー族、イ族が居住し、漢族より少数民族人口の多い地域となっている。1996年の大地震で大きな被害を受けたが、翌年の古城区の麗江古城の旧市街の世界遺産への登録などを契機に復興が進められた。4年ほどで地震被害はほぼ修復されたうえ、古すぎた建物も修復された。その後の人気化とともに以前は旧市街ではなく、近代的な建物があった場所まで旧市街と同様の建物が建てられ、「旧市街」の範囲が広がりつつある。.

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辛亥革命

辛亥革命(しんがいかくめい)は、1911年(宣統3年)から1912年(民国元年)にかけて、清(中国)で発生した共和革命である。名称は、革命が勃発した1911年の干支である辛亥に因む。 この結果、アジアにおいて史上初の共和制国家である中華民国が誕生した。.

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雍正のチベット分割

雍正のチベット分割(ようせいのチベットぶんかつ)は、清朝の雍正帝が1723年 - 1724年に青海地方に出兵し、グシ・ハン一族を征服した際の事後措置。 この措置により、チベットはタンラ山脈よりディチュ河にかけての線により二分され、その西南部はガンデンポタンに委ねられ、その東北部のモンゴル王公、チベット人諸侯らは青海地方と甘粛省、四川省、雲南省などの諸省に分属させられることとなった。中華人民共和国の、チベット民族の自治区を西蔵部分のみに限定し、その他のチベット各地を青海省と甘粛・四川・雲南などの「内地(中国本土)」諸省に分割して組み込む行政区画は、この分割の際の境界を踏襲したものである。.

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雲南省

雲南省(うんなんしょう、中国語:云南省、拼音:Yúnnán Shěng、英語:Yunnan)は、中華人民共和国西南部に位置する省。略称は滇(てん)。省都は昆明市。省名は雲嶺(四川省との境の山地)の南にあることに由来する。.

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東女国

東女国 (とうじょこく).

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明(みん、1368年 - 1644年)は、中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。 朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。.

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13世紀

チンギス・ハーン像。 モンゴル帝国の発展。 モンゴル帝国の最大領域。 13世紀(じゅうさんせいき)は、西暦1201年から西暦1300年までの100年間を指す世紀。.

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14世紀

ナスル朝。イベリア半島最後のイスラム王朝であるこの王朝はすでに半島南端を占めるだけの小国となっていたが文化や芸術は最後の輝きを見せていた。画像はイスラム特有のアラベスクに彩られたアルハンブラ宮殿の「二姉妹の間」。 Gilles Le Muisitの年代記』の挿絵)。 エドワード3世率いるイングランド軍にフランス軍が大敗を喫した。画像はこの戦いを描いたジャン・フロワサールの『年代記』写本の挿絵。 ユダヤ人迫害。中世末期の不穏な情勢の中でスケープゴートとして標的にされたのがユダヤ人であった。画像は15世紀にまとめられた『ニュルンベルク年代記』の木版挿絵で、1338年に起きたバイエルン地方のデッゲンドルフでの「聖餅󠄀冒瀆」の罪により、生きながら火炙りにされたユダヤ人たちが描かれている。 カルマル同盟。デンマーク摂政(事実上の女王)マルグレーテ1世がデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの三国を統合した。画像はロスキレ大聖堂に安置されたマルグレーテの石棺。 七選帝侯。神聖ローマ帝国では諸侯の分権化が強く選帝侯を味方につけることで帝権は維持された。やがてこの選出方法は金印勅書で法制化されることになる。 原初同盟は14世紀にはハプスブルク家との戦いに勝利し自立への道を踏み固めていった。画像は1315年のモルガルテンの戦いを描いたもの。 アヴィニョン教皇宮殿の正面入り口。 ダンテとベアトリーチェ。ダンテは地獄・煉獄・天国をまわる壮大な『神曲』を書いた詩人。画像は19世紀のヘンリー・ホリデーによるもの(ウォーカー・アート・ギャラリー蔵)。 シエナ。この街は黒死病の被害の影響が大きかったため景観が変化せず中世都市の面影を強く残した街となっている。画像はアンブロージョ・ロレンツェッティによるシエナのプブリコ宮殿(現シエナ市役所)九頭の間の壁画「善政の効果」。 セルビア人の帝国。ネマニッチ朝のステファン・ウロシュ4世ドゥシャンは東ローマ帝国を抑えバルカン最強の国家を樹立した。画像はウロシュ4世により創建されたコソボのデチャニ修道院にあるネマニッチ一族の系譜を描いたフレスコ画。 Codex Mendoza」。 後醍醐天皇。鎌倉幕府を亡ぼし建武の新政を行ったが、政権崩壊後には逃れて吉野に南朝を立てた。画像は清浄光寺所蔵の肖像画。 足利義満。室町幕府3代将軍で南北朝の統一を行い、将軍位を息子義持に譲ってからも法体で実際の政治を握っていた。画像は鹿苑寺所蔵の肖像画。 西アフリカのマリ王国の王マンサ・ムーサ。イスラム教徒としてメッカに巡礼に向かう旅路で黄金を惜しみなく使った逸話で知られる。 Baptistère de Saint Louis」。フランス歴代国王が実際に用いた洗礼盤だが、聖王ルイの時代より正確には半世紀ほど後のもので、マムルーク朝時代のエジプトまたはシリアで作られたイスラム工芸を代表する名品。現在はルーヴル美術館が所蔵している。 歴史家ラシードゥッディーン。その当時の知られていた世界の歴史を『集史』としてまとめ上げた。画像は彼が仕えたイル・ハン国の君主ガザンとオルジェイトゥの兄弟を描いた『集史』の挿絵。 草原の英雄ティムール。モンゴル帝国の分裂後の中央アジア・西アジアはティムールによって統一された。画像は1370年のバルフ包囲戦を描いたホーンダミール『清浄園』の16世紀の写本の挿絵。 ハンピ)のヴィルーパークシャ寺院。 チベット仏教の改革者ツォンカパ。綱紀粛正に努め左道密教を退けて現在のダライラマに連なるゲルク派(黄帽派)を大成した。 青花の誕生。元朝後期に西アジア産のコバルト顔料を用いて白磁に紋様を描く青花(染付)の技法が開発された。画像はこの世紀に造られた「青花魚藻文壺(ブルックリン美術館蔵)」。 明の洪武帝朱元璋。モンゴル人の元朝を北方に追いやり、漢民族の王朝を復興した。画像は洪武帝の肖像画(台北国立故宮博物院蔵)。 14世紀(じゅうよんせいき)は、西暦1301年から西暦1400年までの100年間を指す世紀。.

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16世紀

16世紀(じゅうろくせいき)は、西暦1501年から西暦1600年までの100年間を指す世紀。 盛期ルネサンス。歴代ローマ教皇の庇護によりイタリア・ルネサンスの中心はローマに移動した。画像はこの時代に再建がなされたローマのサン・ピエトロ大聖堂の内部。 カール5世。スペイン王を兼ねイタリア各地やネーデルラントも支配したが周辺諸国との戦いにも明け暮れた。画像はティツィアーノによる騎馬像(プラド美術館蔵)。 「太陽の沈まない帝国」。カール5世の息子フェリペ2世の時代にスペインは目覚ましい発展を遂げ貿易網は地球全体に及んだ。画像はフェリペ2世によって建てられたエル・エスコリアル修道院。ここには王宮も併設されておりフェリペ2世はここで執務を行った。.

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17世紀

ルイ14世の世紀。フランスの権勢と威信を示すために王の命で壮麗なヴェルサイユ宮殿が建てられた。画像は宮殿の「鏡の間」。 スペインの没落。国王フェリペ4世の時代に「スペイン黄金時代」は最盛期を過ぎ国勢は傾いた。画像は国王夫妻とマルガリータ王女を取り巻く宮廷の女官たちを描いたディエゴ・ベラスケスの「ラス・メニーナス」。 ルネ・デカルト。「我思う故に我あり」で知られる『方法序説』が述べた合理主義哲学は世界の見方を大きく変えた。画像はデカルトとその庇護者であったスウェーデン女王クリスティナ。 プリンキピア』で万有引力と絶対空間・絶対時間を基盤とするニュートン力学を構築した。 オランダの黄金時代であり数多くの画家を輩出した。またこの絵にみられる実験や観察は医学に大きな発展をもたらした。 チューリップ・バブル。オスマン帝国からもたらされたチューリップはオランダで愛好され、その商取引はいつしか過熱し世界初のバブル経済を生み出した。画像は画家であり園芸家でもあったエマヌエル・スウェールツ『花譜(初版は1612年刊行)』の挿絵。 三十年戦争の終結のために開かれたミュンスターでの会議の様子。以後ヨーロッパの国際関係はヴェストファーレン体制と呼ばれる主権国家を軸とする体制へと移行する。 チャールズ1世の三面肖像画」。 ベルニーニの「聖テレジアの法悦」。 第二次ウィーン包囲。オスマン帝国と神聖ローマ帝国・ポーランド王国が激突する大規模な戦争となった。この敗北に続いてオスマン帝国はハンガリーを喪失し中央ヨーロッパでの優位は揺らぐことになる。 モスクワ総主教ニーコンの改革。この改革で奉神礼や祈祷の多くが変更され、反対した人々は「古儀式派」と呼ばれ弾圧された。画像はワシーリー・スリコフの歴史画「貴族夫人モローゾヴァ」で古儀式派の信仰を守り致命者(殉教者)となる貴族夫人を描いている。 スチェパン・ラージン。ロシアではロマノフ朝の成立とともに農民に対する統制が強化されたが、それに抵抗したドン・コサックの反乱を率いたのがスチェパン・ラージンである。画像はカスピ海を渡るラージンと一行を描いたワシーリー・スリコフの歴史画。 エスファハーンの栄華。サファヴィー朝のシャー・アッバース1世が造営したこの都市は「世界の半分(エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン・アスト)」と讃えられた。画像はエスファハーンに建てられたシェイク・ロトフォラー・モスクの内部。 タージ・マハル。ムガル皇帝シャー・ジャハーンが絶世の美女と称えられた愛妃ムムターズ・マハルを偲んでアーグラに建てた白亜の霊廟。 アユタヤ朝の最盛期。タイでは中国・日本のみならずイギリスやオランダの貿易船も来訪し活況を呈した。画像はナーラーイ王のもとで交渉をするフランス人使節団(ロッブリーのプラ・ナーライ・ラーチャニーウエート宮殿遺跡記念碑)。 イエズス会の中国宣教。イエズス会宣教師は異文化に対する順応主義を採用し、中国の古典教養を尊重する漢人士大夫の支持を得た。画像は『幾何原本』に描かれたマテオ・リッチ(利瑪竇)と徐光啓。 ブーヴェの『康熙帝伝』でもその様子は窺える。画像は1699年に描かれた読書する40代の康熙帝の肖像。 紫禁城太和殿。明清交代の戦火で紫禁城の多くが焼亡したが、康熙帝の時代に再建がなされ現在もその姿をとどめている。 台湾の鄭成功。北京失陥後も「反清復明」を唱え、オランダ人を駆逐した台湾を根拠地に独立政権を打ち立てた。その母が日本人だったこともあり近松門左衛門の「国姓爺合戦」などを通じて日本人にも広く知られた。 江戸幕府の成立。徳川家康は関ヶ原の戦いで勝利して征夷大将軍となり、以後260年余にわたる幕府の基礎を固めた。画像は狩野探幽による「徳川家康像」(大阪城天守閣蔵)。 日光東照宮。徳川家康は死後に東照大権現の称号を贈られ日光に葬られた。続く三代将軍徳川家光の時代までに豪奢で絢爛な社殿が造営された。画像は「日暮御門」とも通称される東照宮の陽明門。 歌舞伎の誕生。1603年に京都北野社の勧進興業で行われた出雲阿国の「かぶき踊り」が端緒となり、男装の女性による奇抜な演目が一世を風靡した。画像は『歌舞伎図巻』下巻(名古屋徳川美術館蔵)に描かれた女歌舞伎の役者采女。 新興都市江戸。17世紀半ばには江戸は大坂や京都を凌ぐ人口を擁するまでとなった。画像は明暦の大火で焼失するまで威容を誇った江戸城天守閣が描かれた「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)。 海を渡る日本の陶磁器。明清交代で疲弊した中国の陶磁器産業に代わり、オランダ東インド会社を通じて日本から陶磁器が数多く輸出された。画像は1699年に着工されたベルリンのシャルロッテンブルク宮殿の「磁器の間」。 海賊の黄金時代。西インド諸島での貿易の高まりはカリブ海周辺に多くの海賊を生み出した。画像はハワード・パイルが描いた「カリブ海のバッカニーア」。 スペイン副王支配のリマ。リマはこの当時スペインの南米支配の拠点であり、カトリック教会によるウルトラバロックとも呼ばれる壮麗な教会建築が並んだ。画像は1656年の大地震で大破したのちに再建されたリマのサン・フランシスコ教会・修道院。 17世紀(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、西暦1601年から西暦1700年までの100年間を指す世紀。.

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18世紀

Jean-Pierre Houëlが描いたバスティーユ襲撃(フランス国立図書館蔵)。 国立マルメゾン城美術館蔵)。 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)。 18世紀(じゅうはっせいき)は、西暦1701年から西暦1800年までの100年間を指す世紀。.

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1905年

記載なし。

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1911年

記載なし。

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1918年

記載なし。

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1950年

記載なし。

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