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日本プロレタリア作家同盟

索引 日本プロレタリア作家同盟

日本プロレタリア作家同盟(にほんプロレタリアさっかどうめい)は、昭和戦前期に存在したプロレタリア文学の団体である。略称はナルプ。.

12 関係: 宮本百合子宮本顕治小林多喜二中野重治徳永直プロレタリア文学全日本無産者芸術連盟鹿地亘蔵原惟人林房雄戦旗日本プロレタリア文化連盟

宮本百合子

宮本 百合子(みやもと ゆりこ、1899年(明治32年)2月13日 - 1951年(昭和26年)1月21日)は昭和期の小説家、評論家。旧姓は中條(ちゅうじょう)、本名はユリ。日本女子大学英文科中退。17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に登場、天才少女として注目を集め、その後もプロレタリア文学の作家、民主主義文学のリーダー、左翼運動家として活動した。日本共産党元委員長宮本顕治の妻で、宮本と共に投獄、執筆禁止などを繰り返した。.

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宮本顕治

宮本 顕治(みやもと けんじ、1908年(明治41年)10月17日 - 2007年(平成19年)7月18日)は、日本の政治家、文芸評論家。通称ミヤケン。 戦前の非合法政党時代からの日本共産党の活動家であり、戦後、1958年に党の書記長に就任してから40年間、日本共産党を指導した。参議院議員(2期)を務め、日本共産党書記長、同委員長、同議長を歴任。国会に議席を持つ国政政党の党首でありながら、国会議員ではなかった時期がある。.

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小林多喜二

下川沿駅前の生誕碑 小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12月1日戸籍上の日付。なお、従来いわれてきた『10月13日』は、1903年12月1日の旧暦での日付にあたる。 - 1933年(昭和8年)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家、小説家である。.

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中野重治

中野 重治(なかの しげはる、1902年(明治35年)1月25日 - 1979年(昭和54年)8月24日)は、日本の小説家、詩人、評論家、政治家。福井県坂井市出身。東京帝国大学文学部独文科卒。 四高時代に窪川鶴次郎らを知り、短歌や詩や小説を発表するようになる。東大入学後、窪川、堀辰雄らと『驢馬』を創刊、一方でマルクス主義やプロレタリア文学運動に参加し、「ナップ」や「コップ」を結成。この間に多くの作品を発表した。1931年に日本共産党に入ったが、検挙され1934年に転向する。 戦後再び日本共産党に入り、また『新日本文学』の創刊に加わった。平野謙、荒正人らと「政治と文学論争」を引き起こし、戦後文学を確立させた。1947年から50年まで参議院議員を務める。 しかし1964年には日本共産党と政治理論で対立をして除名された。神山茂夫とともに『日本共産党批判』を出版している。 代表作に小説『歌のわかれ』『むらぎも』『梨の花』『甲乙丙丁』、評論『斎藤茂吉ノオト』、詩集『中野重治詩集』など。 詩人の中野鈴子は実妹、女優の原泉は妻。.

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徳永直

徳永 直(とくなが すなお、1899年(明治32年)1月20日 - 1958年(昭和33年)2月15日)は、熊本県飽託郡花園村(現熊本市西区)生まれの小説家。.

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プロレタリア文学

プロレタリア文学(プロレタリアぶんがく)とは、1920年代から1930年代前半にかけて流行した文学で、虐げられた労働者の直面する厳しい現実を描いたものである。.

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全日本無産者芸術連盟

全日本無産者芸術連盟(ぜんにほんむさんしゃげいじゅつれんめい)は、プロレタリア文学・芸術運動の組織である。略称(エスペラント表記Nippona Artista Proleta Federacioの頭文字をつないだもの)のNAPF(ナップ)でも知られる。 1927年、プロレタリア文学運動の組織は、分裂した3団体(プロ芸・労芸・前芸)がお互いに対立していた。この状況を打破しようと、1928年、蔵原惟人は、組織はそのままでの連携を呼びかけ、日本左翼文芸家総連合が、3月に結成された。しかし、その直後、三・一五事件と呼ばれる日本共産党への弾圧が起きると、共産党と距離をおいていた労芸は、連携に消極的になった。一方、プロ芸と前芸とは、逆にこの弾圧をきっかけに、分裂状態の解消に動き、組織を合同して、全日本無産者芸術連盟を結成した。 ナップは、機関誌『戦旗』を刊行し、プロレタリア文学の雑誌として、広く読者を獲得した。 その年12月、組織形態を少し改め、名称を全日本無産者芸術団体協議会(略称ナップはそのまま)とし、以下の分野別の組織を充実させる方向をとった。.

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鹿地亘

鹿地 亘(かじ わたる、本名:瀬口貢(せぐち みつぎ)、1903年5月1日 - 1982年7月26日)は、日本の小説家。大分県西国東郡岬村(現・豊後高田市)出身。東京帝国大学国文科卒業、東京帝国大学大学院博士課程修了。.

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蔵原惟人

蔵原 惟人(くらはら これひと、1902年(明治35年)1月26日 - 1991年(平成3年)1月25日)は、日本の評論家である。ペンネームは古川荘一郎。駄じゃれが好きという一面もある。.

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林房雄

林 房雄(はやし ふさお、1903年(明治36年)5月30日 - 1975年(昭和50年)10月9日)は、日本の小説家、文芸評論家。大分県大分市出身。本名は後藤 寿夫(ごとう ひさお)。戦後の一時期の筆名は白井 明。戦後は中間小説の分野で活動し、『息子の青春』、『妻の青春』などを出版し舞台上演され流行作家となった。.

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戦旗

'''戦旗'''1930年2月号。エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)所蔵品。 『戦旗』(せんき)は、1928年5月から1931年12月にかけて刊行されていた日本の文芸雑誌である。全41号。プロレタリア文学の作品の重要な発表舞台となっていた。 1928年、当時プロレタリア文学の陣営は、いくつかの団体が乱立していた。その中で、日本共産党の影響を強く受けていた、〈日本プロレタリア芸術連盟(プロ芸)〉(中野重治たちが所属)と、〈前衛芸術家同盟(前芸)〉(蔵原惟人たちが所属)とは、3月15日のいわゆる〈三・一五事件〉の弾圧をきっかけに、組織の合同をはかり、全日本無産者芸術連盟(ナップ)を結成した。その機関誌として発行されることになったのが雑誌『戦旗』であった。 『戦旗』は、小林多喜二の「一九二八年三月十五日」「蟹工船」、徳永直の「太陽のない街」などの話題作を次々と掲載し、プロレタリア文学の代表的な雑誌となった。発禁処分もしばしば受けたが、処分が出る前に定期購読者への直接頒布や、発売と同時に購入する読者たちに支えられて、発行を継続できた。1931年に、日本プロレタリア文化連盟(コップ)へと、組織が発展する中で、雑誌は『プロレタリア文化』・『コップ』へと発展的解消をとげた。 別冊から発展した姉妹誌として、『少年戦旗』『婦人戦旗』も刊行された。.

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日本プロレタリア文化連盟

日本プロレタリア文化連盟(にほんプロレタリアぶんかれんめい)は、1930年代のプロレタリア文化運動の組織である。略称はコップ(Federacio de Proletaj Kultur Organizoj Japanaj、の頭文字をとったもの.

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