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日本の近世文学史

索引 日本の近世文学史

日本の近世文学史(にほんのきんせぶんがくし)では、江戸時代(近世)の日本文学の歴史を述べる。.

172 関係: 加藤千蔭去来抄おくのほそ道おらが春偐紫田舎源氏すみれ草十返舎一九印象派南総里見八犬伝古学古事記伝只野真葛合巻向井去来塙保己一大窪詩仏大田南畝女殺油地獄好色一代女好色一代男好色五人女契沖妹背山婦女庭訓宝井其角宇下人言安藤為章安楽庵策伝小林一茶山中共古山東京伝山本常朝屋代弘賢川柳上田秋成上方与謝蕪村常山紀談世間胸算用三人吉三廓初買三味線平田篤胤平賀源内享保人情本井原西鶴井上井月仮名草子建部綾足式亭三馬伴信友...伴蒿蹊伽婢子俳諧心中天網島志太野坡北越雪譜北村季吟傾城水滸伝儒教冥途の飛脚出世景清出版国学国性爺合戦四谷怪談石川丈山玉勝間祇園南海竹田出雲紫家七論紫文要領群書類従猿蓑為永春水男色大鑑狗張子狂言狂歌随筆荻生徂徠草双紙菅原伝授手習鑑菅茶山菅江真澄萩原広道落語青砥稿花紅彩画青空文庫頼山陽香川景樹読本誹風柳多留貞心尼賀茂真淵鶴屋南北鶉衣黄表紙近世近世説美少年録近松半二近松門左衛門都市都賀庭鐘鈴木牧之鈴木正三葉隠葛飾北斎醒睡笑野沢凡兆良寛雨月物語耳嚢折たく柴の記柳亭種彦柳沢淇園柄井川柳恋川春町東海道中膝栗毛松尾芭蕉松平定信松永貞徳松江重頼根岸鎮衛桂園一枝梨本集森川許六椿説弓張月横井也有橘曙覧歴史歌舞伎江村北海江戸江戸名所図会江戸生艶気樺焼江戸時代河竹黙阿弥湯浅常山湖月抄源氏物語年紀考源氏物語評釈源氏物語新釈源注拾遺服部南郭木下勝俊本居宣長本朝水滸伝朱楽菅江成島柳北戯曲戸田茂睡春色梅児誉美浮世床浮世絵浮世草子浮世風呂浄瑠璃浅井了意斎藤月岑新井白石文楽日本の上代文学史日本の中古文学史日本の中世文学史日本の近現代文学史日本外史日本永代蔵日本文学曲亭馬琴曽根崎心中1716年1735年 インデックスを展開 (122 もっと) »

加藤千蔭

加藤 千蔭(かとう ちかげ、享保20年3月9日(1735年4月1日) - 文化5年9月2日(1808年10月21日))は、江戸時代中期から後期にかけての国学者・歌人・書家。父は加藤枝直。姓を橘氏とすることから、橘千蔭とも称する。通称は又左衛門。字は常世麿。号は芳宜園など。.

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去来抄

『去來抄』(きょらいしょう)とは、向井去來が松尾芭蕉からの伝聞、蕉門での論議、俳諧の心構え等をまとめた俳諧論書。 1702年(元禄15年)頃から去來が没した1704年(宝永元年)にかけて成立したとみられる。1775年(安永4年)に板行されて世に流布したが、去來の没後70年以上を経ていたため、本書が真実去來の著したものであるか否かが問題視された。 しかし有力な反証もまた無く、その内容は蕉風を語る上では事毎に引用されてきた。 蕉風の根本問題に触れた批評が多く蕉門の俳諧書として良くまとまり、近世俳諧史上、蕉風俳論の最も重要な文献とされている。 『去來抄』をはじめとする元禄の俳論は現代に比しても優れたところがあり、芭蕉研究者にも、初心に俳諧を学ぶ者にも良い指針となっている。.

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おくのほそ道

『おくのほそ道』(おくのほそみち)は、元禄文化期に活躍した俳人松尾芭蕉の紀行及び俳諧。元禄15年(1702年)刊。日本の古典における紀行作品の代表的存在であり、芭蕉の著作中で最も著名で「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」という序文より始まる。 作品中に多数の俳句が詠み込まれている。「奥の細道」とも表記されるが、中学校国語の検定済み教科書ではすべて「おくのほそ道」の表記法をとっている。読み易い文庫判は、岩波文庫、角川ソフィア文庫、講談社学術文庫がある。.

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おらが春

『おらが春』(- はる)は、俳人小林一茶の俳諧俳文集で、彼が北信濃の柏原(長野県上水内郡信濃町柏原)で過ごした1819年(文政2年)、一茶57歳の一年間の折々の出来事に寄せて読んだ俳句・俳文を、没後25年になる1852年(嘉永5年)に白井一之(いっし)が、自家本として刊行したものである。『おらが春』は、まったくの時系列に沿って書き記された日記ではなく、刊行を意図して構成されたものである。さらに一茶自身、改訂や推敲を重ねたが、未刊のままに留まっていたものである。内容的には、一部脚色や時系列を事実とは若干ずらした箇所なども指摘する研究者もあり、作品として意識されたものという性格が強い。 表題の「おらが春」は、著者自身が選んだものではなく、白井一之が、本文の第一話の中に出てくる句「目出度さもちう位也おらが春」から採ってつけたものである。当初は一之の自費出版であったが、安政元年(1854年)に江戸須原屋から『一茶翁俳諧文集』の書名で再版されたのをはじめ、明治11年(1878年)版など、多数の後刷本がある。 この書の内容としては、前年1818年(文政元年)5月に生まれたばかり、長女さとの6月の死去、一茶の継子としての出自、浄土真宗の他力本願、より大きなものによって生かされてあるものとしての自分という信仰への帰依といって話題がその中心を占めている。 また、よく知られた彼の代表的な句、.

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偐紫田舎源氏

『偐紫田舎源氏』(にせむらさきいなかげんじ)は、柳亭種彦の未完の長編合巻。挿絵は歌川国貞。文政12年(1829年) - 天保13年(1842年)刊。大当たりし、14年に渡って執筆し種彦の代表作となったが、作者の筆禍と死去により、第38編(152冊)までに終わった。ただし、第39編と第40編は、遺した稿本により1928年(昭和3年)に公刊された。通称『田舎源氏』。源氏物語を通俗的に翻案した小説で、「偐」は、「似せ」「偽」の意。.

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すみれ草

『すみれ草』(すみれぐさ)とは、江戸時代に北村久備により著された『源氏物語』の注釈書である。『源氏物語すみれ草』とも呼ばれることがあり、『菫草』と表記されていることも多い。1812年(文化9年)の刊本が存在するためそれ以前の成立と見られる。『すみれ草』の題名は著者により序文末尾に記された和歌「なつかしみはる野のすみれ摘みつれどつね人からのものにぞ有りける」によるとみられる。.

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十返舎一九

十返舎 一九(じっぺんしゃ いっく、明和2年(1765年) - 天保2年8月7日(1831年9月12日))は、江戸時代後期の戯作者、絵師。日本で最初に、文筆のみで自活した。『東海道中膝栗毛』の作者として知られる。.

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印象派

モネ『印象・日の出』 印象派(いんしょうは)または印象主義(いんしょうしゅぎ)は、19世紀後半のフランスに発した絵画を中心としたであり、当時のパリで活動していた画家たちのグループが起源である。フランスの保守的な美術界からの激しい批判にさらされながらも、独立した展覧会を連続して開催することで、1870年代から1880年代には突出した存在になった。この運動の名前はクロード・モネの作品『印象・日の出』に由来する。この絵がパリの風刺新聞「」で批評家ルイ・ルロワの槍玉に挙げられ、その結果「印象派」という新語が生まれた。 印象派の絵画の特徴としては、小さく薄い場合であっても目に見える筆のストローク、戸外制作、空間と時間による光の質の変化の正確な描写、描く対象の日常性、人間の知覚や体験に欠かせない要素としての動きの包摂、斬新な描画アングル、などがあげられる。 印象派は登場当初、この時代には王侯貴族に代わって芸術家たちのパトロン役になっていた国家(芸術アカデミー)にも評価されず、印象派展も人気がなく絵も売れなかったが、次第に金融家、百貨店主、銀行家、医者、歌手などに市場が広がり、さらにはアメリカ合衆国市場に販路が開けたことで大衆に受け入れられていった。ビジュアルアートにおける印象派の発展によって、他の芸術分野でもこれを模倣する様式が生まれ、印象主義音楽や として知られるようになった。 ドガ『舞台の踊り子』(1878年、オルセー美術館).

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南総里見八犬伝

『南総里見八犬伝』(なんそうさとみはっけんでん、)は、江戸時代後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)によって著わされた大長編読本。里見八犬伝、あるいは単に八犬伝とも呼ばれる。 文化11年(1814年)に刊行が開始され、28年をかけて天保13年(1842年)に完結した、全98巻、106冊の大作である。上田秋成の『雨月物語』などと並んで江戸時代の戯作文芸の代表作であり、日本の長編伝奇小説の古典の一つである。.

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古学

古学.

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古事記伝

『古事記伝』再稿本(本居宣長記念館蔵・国重文) 『古事記伝』(こじきでん、ふることふみのつたえ)は、江戸時代の国学者・本居宣長の『古事記』全編にわたる全44巻の註釈書である。『記伝』と略される。.

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只野真葛

只野 真葛(ただの まくず、宝暦13年(1763年) - 文政8年6月26日(1825年8月10日))は、江戸時代中期・後期の女流文学者で国学者。父の影響で蘭学的知見にも通じ、ときに文明批評家杉本(1977)p.32-40や女性思想家と評されることもある。『赤蝦夷風説考』の筆者工藤平助の娘で、別号は綾女。本名は工藤あや子(綾子)、または単にあや(綾)。「工藤真葛」、「真葛子」、「真葛の媼(おうな)」とも称される。只野は婚家の姓。読本の大家として知られる曲亭馬琴とも親交があった。馬琴に批評をたのんだ経世論「独考(ひとりかんがへ)」、俗語体を駆使して往時を生き生きと語った随筆『むかしばなし』、生まれ育った江戸を離れて仙台に嫁してからの生活を綴った『みちのく日記』など多数の著作がある。.

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合巻

合巻(ごうかん)は、寛文期以降江戸で出版された草双紙類の、1804年(文化元年)頃に始まった最終形態。それまで5枚(5丁)1冊に別々に綴じていたのを、纏めて厚く綴じた。明治初期まで続いた。.

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向井去来

向井 去来(むかい きょらい、慶安4年(1651年) - 宝永元年9月10日(1704年10月8日))は、江戸時代前期の俳諧師。蕉門十哲の一人。儒医向井元升の二男として肥前国(今の長崎市興善町)に生まれる。堂上家に仕え武芸に優れていたが、若くして武士の身分をすてた。京都嵯峨野の落柿舎(らくししゃ)に住み、松尾芭蕉はここで『嵯峨日記』を執筆した。野沢凡兆と共に、蕉風の代表句集「猿蓑」を編纂した。「西国三十三ヶ国の俳諧奉行」とあだ名された。.

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塙保己一

塙 保己一(はなわ ほきいち、延享3年5月5日(1746年6月23日) - 文政4年9月12日(1821年10月7日))は、江戸時代の国学者。幼名は丙寅にちなみ寅之助(とらのすけ)、失明後に辰之助(たつのすけ)と改める。また、一時期、多聞房(たもんぼう)とも名乗る。雨富検校に入門してからは、千弥(せんや)、保木野一(ほきのいち)、保己一(ほきいち)と改名した。『群書類従』『続群書類従』の編纂者である。総検校。贈正四位。 四男は、国学者の塙忠宝である。.

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大窪詩仏

大窪詩仏(おおくぼしぶつ、明和4年(1767年) -天保8年2月11日(1837年3月17日))は、江戸時代後期の漢詩人である。書画も能くした。

常陸国久慈郡袋田村(現 茨城県久慈郡大子町)に生まれる。 名は行(こう)、字は天民(てんみん)、通称を柳太郎、のちに行光、号は詩仏のほかに柳侘(りゅうたく),痩梅(そうばい)、江山翁(こうざんおう)、玉地樵者、艇棲主、含雪、縁雨亭主、柳庵、婁庵、詩聖堂(しせいどう)、江山書屋(こうざんしょや)、既醉亭(きすいてい)、痩梅庵(そうばいあん)とも号した。号の詩仏は唐詩人 杜甫が「詩名仏」と称されたことによるものか、あるいは清の袁枚の号に因むと言われる。.

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大田南畝

大田南畝像 鳥文斎栄之筆 文化11年 東京国立博物館蔵 大田 南畝(おおた なんぽ、寛延2年3月3日(1749年4月19日) - 文政6年4月6日(1823年5月16日))は、天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。 勘定所勤務として支配勘定にまで上り詰めた幕府官僚であった一方で、文筆方面でも高い名声を持った。膨大な量の随筆を残す傍ら、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩、などをよくした。特に狂歌で知られ、唐衣橘洲(からころもきっしゅう)・朱楽菅江(あけらかんこう)と共に狂歌三大家と言われる。南畝を中心にした狂歌師グループは、山手連(四方側)と称された。 名は覃(ふかし)。字は子耕、南畝は号である。通称、直次郎、のちに七左衛門と改める。別号、蜀山人、玉川漁翁、石楠齋、杏花園、遠櫻主人、巴人亭、風鈴山人、四方山人など。山手馬鹿人(やまのてのばかひと)も南畝の別名とする説がある。狂名、四方赤良。また狂詩には寝惚(ねぼけ)先生と称した。法名は杏花園心逸日休。.

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女殺油地獄

『女殺油地獄』(おんなころし あぶらのじごく)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃。世話物。三段。 享保6年(1721年)に人形浄瑠璃で初演。人気の近松作品と言うことで歌舞伎でも上演されたが、当時の評判は芳しくなく、上演が途絶えていた。ちなみに、実在の事件を翻案したというのが定説だが、その事件自体の全容は未詳である。 明治になってから坪内逍遙の「近松研究会」で取り上げられ、明治42年(1909年)に歌舞伎で再演され大絶賛された。文楽(人形浄瑠璃)での復活はそれから更に年月を経た昭和27年(1947年)であった。 近年では歌舞伎、文楽の他に、映画化やテレビドラマ化もされており、「おんなごろし あぶらのじごく」と発音されることが多い。.

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好色一代女

『好色一代女』(こうしょくいちだいおんな)は、井原西鶴作の浮世草子である。6巻6冊。1686年(貞享3年)刊。.

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好色一代男

『好色一代男』(こうしょくいちだいおとこ)は、江戸時代前期の文芸作品。井原西鶴の処女作である。8巻8冊。1682年(天和2年)、大坂の池田屋と江戸の奈良屋から同時刊行された。西鶴41歳の作品とされている。 大坂版の挿絵は蒔絵師源三郎といわれるが、西鶴自筆という説もある。江戸版は菱川師宣筆。大坂版は1682年(天和2年)の初版以外に2種、江戸版は1687年(貞享4年)版ほか1種、都合6種の版本がある。.

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好色五人女

『好色五人女』(こうしょくごにんおんな)は、江戸時代の浮世草子。井原西鶴作。.

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契沖

契沖(けいちゅう、寛永17年(1640年) - 元禄14年1月25日(1701年3月4日))は、江戸時代中期の真言宗の僧であり、古典学者(国学者)。.

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妹背山婦女庭訓

『妹背山婦女庭訓』(いもせやまおんなていきん)とは、人形浄瑠璃及び歌舞伎の演目のひとつ。全五段、明和8年(1771年)1月28日より大坂竹本座にて初演。近松半二・松田ばく・栄善平・近松東南・三好松洛の合作。「十三鐘/絹懸柳」の角書きが付く。.

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宝井其角

宝井 其角(たからい きかく、寛文元年7月17日(1661年8月11日) - 宝永4年2月30日(1707年4月2日。一説には2月29日(4月1日))は、江戸時代前期の俳諧師。 本名は竹下侃憲(たけした ただのり)。別号は螺舎(らしゃ)、狂雷堂(きょうらいどう)、晋子(しんし)、宝普斎(ほうしんさい)など。.

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宇下人言

宇下人言(うげのひとごと)は、江戸時代中期に老中を務めた松平定信の自叙伝・回顧録。全4巻。署名は“定”の字を分解して「宇」「下」、同じく“信”の字を分解して「人」「言」の4文字にしたとされている。.

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安藤為章

安藤 為章(あんどう ためあきら、万治2年5月23日(1659年7月12日) - 享保元年10月13日(1716年11月26日))は、江戸時代初期から中期にかけての国学者。名は為明、為章。通称は右平、新介。年山と号する。兄は安藤抱琴(為実)。.

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安楽庵策伝

安楽庵 策伝(あんらくあん さくでん、天文23年(1554年) - 寛永19年1月8日(1642年2月7日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての浄土宗西山深草派の僧。金森定近の子といわれる。落語の祖ともいわれる。策伝は道号。諱は日快、号は醒翁、俗名は平林平太夫。.

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小林一茶

小林 一茶(こばやし いっさ、宝暦13年5月5日(1763年6月15日)- 文政10年11月19日(1828年1月5日))は信濃国柏原で中農の子として生まれた。本名は小林弥太郎「父の終焉日記」の前書き部分で、一茶は自らのことを「信之」と名乗っているが、信之という名乗りはこの時のみである上に、農民の名として似つかわしくないことから、小林(1986)p.23では一茶の作り話としている。、一茶とは俳号である。15歳の時に奉公のために江戸へ出て、やがて俳諧と出会い、「一茶調」と呼ばれる独自の俳風を確立して松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳諧師の一人となった。別号は圯橋小林(2002)p.4、菊明、新羅坊矢羽(1993)p.11、亜堂。庵号は二六庵、俳諧寺。.

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山中共古

山中 共古(やまなか きょうこ、1850年12月6日(嘉永3年11月3日) - 1928年(昭和3年)12月10日)は、日本の牧師、民俗学者。「共古」は筆名。幼名は平蔵で、後に保生。1872年(明治4年)に改名して笑(えむ)。日本メソジスト教会の最初の牧師の一人である。また、静岡教会初代牧師である。.

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山東京伝

山東 京伝(さんとう きょうでん、宝暦11年8月15日(1761年9月13日) - 文化13年9月7日(1816年10月27日))は、江戸時代後期の浮世絵師、戯作者。寛政の改革における出版統制により手鎖の処罰を受けた。.

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山本常朝

山本 常朝(やまもと じょうちょう、万治2年6月11日(1659年7月30日) - 享保4年10月10日(1719年11月21日)は、江戸時代の武士、佐賀藩士。『葉隠』の口述者。「じょうちょう」とは42歳での出家以後の訓で、それ以前は「つねとも」と訓じた。通称神右衛門、俳号は古丸。.

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屋代弘賢

屋代 弘賢(やしろ ひろかた、宝暦8年(1758年) - 天保12年閏1月18日(1841年3月10日)は、江戸時代後期の江戸幕府御家人(右筆)・国学者。江戸神田明神下の幕臣屋代忠太夫佳房の子。通称は太郎。号は輪池。初名は詮虎。その後、諱を詮賢、弘賢、詮丈の順に改める。.

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川柳

川柳(せんりゅう)は、五・七・五の音を持つ日本語の詩の一つ。.

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上田秋成

上田 秋成(うえだ あきなり、享保19年6月25日(1734年7月25日) - 文化6年6月27日(1809年8月8日))は、江戸時代後期の読本作者、歌人、茶人、国学者、俳人。怪異小説『雨月物語』の作者として特に知られる。.

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上方

上方(かみがた・かみかた)は、江戸時代に京都や大阪を初めとする畿内を呼んだ名称である。広義では、畿内を初めとする近畿地方一帯を指す語としても使われる。.

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与謝蕪村

与謝 蕪村(よさ ぶそん、享保元年(1716年) - 天明3年12月25日(1784年1月17日))は、江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章。通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」、「夜半亭(二世)」があり、画号は「春星」、「謝寅(しゃいん)」など複数ある。 鳶鴉図(重要文化財) 紙本着色.

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常山紀談

『常山紀談』(じょうざんきだん)は、江戸時代中期に成立した逸話集。簡潔な和文で書かれており、本文25巻、拾遺4巻、それと同じ内容を持った付録というべき「雨夜燈」1巻よりなっている。著者は備前岡山藩主池田氏に仕えた徂徠学派の儒学者・湯浅常山。.

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世間胸算用

『世間胸算用』(せけんむねさんよう)は、井原西鶴作の浮世草子で、町人物の代表作の一つ。元禄5年(1692年)に刊行され、各巻4章、5巻20章の短編からなる。 副題として「大晦日は一日千金」。 商人にとって1年の総決算である大晦日に時間を絞って、貸し手と借り手との駆け引きを中心に、年の暮れの庶民の姿を描いている。.

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三人吉三廓初買

『三人吉三廓初買』(さんにんきちさ くるわの はつがい)は、安政七年 (1860) 正月、江戸市村座で初演された歌舞伎の演目。通称『三人吉三』。世話物、白浪物。二代目河竹新七(黙阿弥)作。全七幕。3人の盗賊が百両の金と短刀とをめぐる因果応報で刺し違えて死ぬまでを描いた物語。 初演時はあまり評判にならず、30年ほど経って一部の筋を省略し『三人吉三巴白浪』(さんにんきちさ ともえの しらなみ)という外題で再演された(吉原遊郭を舞台にした部分を省略し、「廓初買」が意味をなさなくなったため)。再演時には大評判となり、以後歌舞伎の代表的な作品の一つとして、今日でもよく上演される人気作品となっている。.

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三味線

三味線(しゃみせん)は、日本の有棹弦楽器。もっぱら弾(はじ)いて演奏される撥弦楽器である。四角状の扁平な木製の胴の両面に猫や犬の皮を張り、胴を貫通して伸びる棹に張られた弦を、通常、銀杏形の撥(ばち)で弾き演奏する。.

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平田篤胤

平田 篤胤(ひらた あつたね、1776年10月6日(安永5年8月24日)-1843年11月2日(天保14年閏9月11日))は、江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者。出羽久保田藩(現在の秋田市)出身。成人後備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となる。幼名を正吉、通称を半兵衛。元服してからは胤行、享和年間以降は篤胤と称した。号は気吹舎(いぶきのや)、家號を真菅乃屋(ますげのや)。医者としては玄琢を使う。死後、神霊能真柱大人(かむたまのみはしらのうし)の名を白川家より贈られている。 復古神道(古道学)の大成者であり、大国隆正によって荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学四大人(うし)の中の一人として位置付けられている。.

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平賀源内

平賀 源内(ひらが げんない、享保13年(1728年) - 安永8年12月18日(1780年1月24日))は、江戸時代中頃の人物。本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家として知られる。.

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享保

享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

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人情本

人情本(にんじょうぼん)は、江戸の地本のうち、庶民の色恋をテーマにした読み物の呼び名。江戸時代後期の文政年間から明治初年まで流通した。女性に多く読まれた。代表的作者は為永春水。.

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井原西鶴

井原 西鶴(いはら さいかく、寛永19年(1642年)? - 元禄6年8月10日(1693年9月9日))は、江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師。別号は鶴永、二万翁、西鵬。 『好色一代男』をはじめとする浮世草子の作者として知られる。談林派を代表する俳諧師でもあった。.

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井上井月

橋爪玉斎による、羽織袴姿の井月の肖像 井上 井月(いのうえ せいげつ、文政5年(1822年)? - 明治20年2月16日(1887年3月10日)は、日本の19世紀中期から末期の俳人。本名は一説に井上克三(いのうえかつぞう)。別号に柳の家井月。「北越漁人」と号した。信州伊那谷を中心に活動し、放浪と漂泊を主題とした俳句を詠み続けた。その作品は、後世の芥川龍之介や種田山頭火をはじめ、つげ義春などに影響を与えた。.

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仮名草子

仮名草子(かなぞうし)とは、江戸時代初期に仮名、もしくは仮名交じり文で書かれた、近世文学における物語・散文作品を総称したもの。 井原西鶴の『好色一代男』が出版された天和2年(1682)頃を区切りとするのが一般的である。.

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建部綾足

建部 綾足(たけべ あやたり、享保4年(1719年) - 安永3年3月18日(1774年4月28日))は、江戸時代中期の俳人、小説家、国学者、絵師。片歌を好み、その復興に努めた。書号、寒葉齋.

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式亭三馬

式亭三馬(しきていさんば、安永5年(1776年) - 文政5年閏1月6日(1822年2月27日))は、江戸時代後期の地本作家で薬屋、浮世絵師。滑稽本『浮世風呂』『浮世床』などで知られる。名は菊地泰輔、字は久徳。通称は西宮太助。戯号は四季山人・本町庵・遊戯堂・洒落斎(しゃらくさい)など。名が久徳で字が泰輔とする文献もある。.

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伴信友

伴 信友(ばん のぶとも、1773年3月17日(安永2年2月25日) - 1846年12月2日(弘化3年10月14日))は、江戸時代後期の国学者。幼名は惟徳。通称は州五郎。号は事負。 博覧強記で、古典の考証に優れており、平田篤胤、橘守部、小山田与清とともに、「天保の国学の四大人」と呼ばれる。 若狭国小浜藩士・山岸惟智の四男として生まれたが、1786年(天明2年)、同藩の伴信当の養子となる。1801年(享和元年)村田春門を介して本居宣長没後の門人となり、宣長の養子の本居大平に国学を学ぶ。1821年(文政4年)、息子の信近に家督を譲り、以後、学問に専念した。 平田篤胤、黒川春村、本居内遠などと交流があり、篤胤からは君兄と慕われていたが、後に齟齬を来して決別した。師弟関係を好まず、弟子をとることはなかった。 1846年(弘化3年)、京都の堀川で死去。.

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伴蒿蹊

伴蒿蹊(ばん こうけい、享保18年10月1日(1733年11月7日) - 文化3年7月25日(1806年9月7日))は、江戸時代後期の歌人・文筆家。名を資芳(すけよし)と称し、別号を閑田蘆と号した。生家は近江八幡出身の京都の商家で、8歳で本家の近江八幡の豪商伴庄右衛門資之の養子となった。18歳で家督を継ぎ家業に専念したが、36歳で家督を譲り隠居・剃髪し、その後は著述に専念した。著書『主従心得草』は近江商人の典型的な家訓、他に『閑田詠草』、『閑田耕筆』、『閑田次筆』など。『近世畸人伝』は、著名・無名な人物達の生活と意見が述べられ、17.18世紀江戸時代を知るのに有益な伝記集である。.

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伽婢子

『伽婢子』(おとぎぼうこ)は江戸時代に編まれた浅井了意による仮名草子。寛文6年(1666年)刊行、全13巻。奇談(神仙奇異譚)を集めたもので、江戸時代前期に数多く編まれた同種の書物のさきがけとなった。御伽婢子とも。.

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俳諧

俳諧(はいかい)とは、主に江戸時代に栄えた日本文学の形式、また、その作品のこと。誹諧とも表記する。正しくは俳諧の連歌あるいは俳諧連歌と呼び、正統の連歌から分岐して、遊戯性を高めた集団文芸であり、発句や連句といった形式の総称である。.

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心中天網島

『心中天網島』(しんじゅう てんの あみじま)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃。享保5年(1720年)12月6日、大坂竹本座で初演。全三段の世話物。 同年に起きた、紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件を脚色。愛と義理がもたらす束縛が描かれており、近松の世話物の中でも、特に傑作と高く評価されている。また、道行「名残の橋づくし」は名文として知られる。後に歌舞伎化され、今日ではその中から見どころを再編した『河庄』(かわしょう)と『時雨の炬燵』(しぐれの こたつ)が主に上演されている。 「天網島」とは、「天網恢恢」という諺と、心中の場所である網島とを結びつけた語。近松は住吉の料亭でこの知らせを受け、早駕に乗り大坂への帰途で、「走り書、謡の本は近衛流、野郎帽子は紫の」という書き出しを思いついたという。.

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志太野坡

志太 野坡(しだ やば、寛文2年1月3日(1662年2月21日) - 元文5年1月3日(1740年1月31日))は、江戸時代前期の俳諧師。志多・志田とも称した。前号:野馬・別号:樗木社・樗子・紗方・紗帽・浅生・無名庵高津野々翁・照笛居士 蕉門十哲の一人とされ、「軽み」の俳風では随一ともいわれた。 元々は両替商の三井越後屋に奉公し、番頭にまで登りつめた。 宝井其角に俳諧を学んだがのちに松尾芭蕉に入門し直接指導を受ける。『続虚栗』で初入集。 孤屋・利牛らと共に『炭俵』を編集した。 元禄11年から14年まで商用で長崎に滞在する。一時江戸に帰るが、翌15年から翌年にかけて本格的な筑紫行脚を開始。 長崎・田代・久留米・日田・博多などに旅寝を重ね多くの弟子を獲得した。 人柄は温厚で社交的、蕉風を上方や九州に普及させた業績は大きい。 代表的な門人に後継者でもあり保護者でもあった湖白亭浮雲、広島地方で活動した多賀庵風律がいる。湖白亭浮雲の妻は諸九尼といい、おくのほそみちを追体験した「秋かぜの記」を著した。.

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北越雪譜

『北越雪譜』(ほくえつせっぷ)は、江戸後期における越後魚沼の雪国の生活を活写した書籍。初編3巻、二編4巻の計2編7巻。著者は現在の新潟県南魚沼市塩沢で縮仲買商・質屋を営んだ鈴木牧之(京山人百樹(山東京山)増修、京水百鶴(岩瀬京水)画)。雪の結晶のスケッチ(『雪華図説』からの引用)から雪国の風俗・暮らし・方言・産業・奇譚まで雪国の諸相が、豊富な挿絵も交えて多角的かつ詳細に記されており、雪国百科事典ともいうべき資料的価値を持つ。1837年(天保8年)に江戸で出版されると当時のベストセラーとなった。.

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北村季吟

北村 季吟(きたむら きぎん、寛永元年12月11日(1625年1月19日) - 宝永2年6月15日(1705年8月4日))は、江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。名は静厚、通称は久助・再昌院、別号は慮庵・呂庵・七松子・拾穂軒・湖月亭。.

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傾城水滸伝

二編、歌川國安画、文政9年 (1826年) 『傾城水滸伝』(けいせいすいこでん)は、曲亭馬琴作の合巻本。13編。文政8年(1825年)~天保6年(1835年)刊行。歌川豊国・歌川国安・歌川貞秀画。当時大変人気を博したため版木が磨耗してしまい、二度彫り直して3版まで出版されたという。.

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儒教

儒教の始祖、孔子 董仲舒 儒教(じゅきょう)は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系である。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上にわたって強い影響力を持つ。その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。.

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冥途の飛脚

『冥途の飛脚』(めいどのひきゃく)とは、人形浄瑠璃の演目のひとつ。全三段、大坂竹本座にて初演。近松門左衛門作。.

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出世景清

近松門左衛門(自画像) 『出世景清』(しゅっせ かげきよ)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃の演目。貞享2年 (1685) 大坂竹本座初演。全五段、時代物。のちに歌舞伎化された。.

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出版

出版(しゅっぱん、英語:publishing)とは、販売・頒布する目的で文書や図画を複製し、これを書籍や雑誌の形態で発行することで、上梓(じょうし)、板行(はんこう)とも呼ばれる。上梓の「梓(し)」とは、カバノキ科のミズメのことではなくノウゼンカズラ科のキササゲのことで、古く中国で木版印刷の版材にキササゲが用いられたことに基づく。書籍や雑誌など出版されたものを出版物(しゅっぱんぶつ)と呼び、出版を事業とする企業を出版社と呼ぶ。 出版(複製)は一般に印刷によって行われる。新聞も同様の方法で発行されるが、流通経路が異なり、普通は出版とは呼ばない。ただし、現在ほとんどの新聞社(またはそのグループ会社)では雑誌、書籍の出版も手がけている。 出版(書籍、雑誌)は新聞やラジオ、テレビに比べて情報伝達の速報性などの点で劣っているが、一方で正確性、蓄積性などに優れたメディアである。.

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国学

国学(こくがく、正字・國學)は、日本の江戸時代中期に勃興した学問である。蘭学と並び江戸時代を代表する学問の一つで、和学・皇朝学・古学(古道学)などの別名がある。その扱う範囲は国語学、国文学、歌道、歴史学、地理学、有職故実、神学に及び、学問に対する態度も学者それぞれによって幅広い。.

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国性爺合戦

七代目市川高麗蔵)。三段目「獅子ヶ城紅流しの場」。上演年劇場等不詳。 こくせんやかっせん(漢名:『国姓爺合戦』、『国性爺合戦』)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃。のちに歌舞伎化された。全五段。 正徳5年(1715年)、大坂の竹本座で初演。江戸時代初期、中国人を父に、日本人を母に持ち、台湾を拠点に明朝の復興運動を行った鄭成功(国性爺、史実は国姓爺)を題材にとり、これを脚色。結末を含め、史実とは異なる展開となっている。和藤内(鄭成功)が異母姉の夫・甘輝との同盟を結ぶ「甘輝館」が有名。初演から17ヶ月続演の記録を打ち立てた。.

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四谷怪談

『四ツ谷怪談』(月岡芳年『新形三十六怪撰』) 四谷怪談(よつやかいだん)とは、元禄時代に起きたとされる事件を基に創作された日本の怪談。江戸の雑司ヶ谷四谷町(現・豊島区雑司が谷)が舞台となっている。基本的なストーリーは「貞女・岩が夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というもので、鶴屋南北の歌舞伎や三遊亭圓朝の落語が有名である。怪談の定番とされ、折に触れて舞台化・映画化されているため、さまざまなバリエーションが存在する。.

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石川丈山

石川丈山像(狩野探幽筆、詩仙堂蔵) 石川 丈山(いしかわ じょうざん、天正11年(1583年) - 寛文12年5月23日(1672年6月18日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、文人。もとは武士で大坂の陣後、牢人。一時、浅野家に仕官するが致仕して京都郊外に隠棲して丈山と号した。 江戸初期における漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた。幕末の『煎茶綺言』には、「煎茶家系譜」の初代に丈山の名が記載されており、煎茶の祖ともいわれる。 名は初め重之、後に凹、通称は初め三彌、後に嘉右衛門、字は丈山、号は六六山人、四明山人、凹凸窠、詩仙堂、大拙、烏麟、山木、山村、藪里、東溪、三足など。.

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玉勝間

玉勝間(たまかつま)は江戸時代の国学者、本居宣長の随筆。14巻で目録が1巻。1795年(寛政7年) - 1812年(文化9年)の間に、3巻ずつ刊行された。1005段よりなる。.

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祇園南海

祇園 南海(ぎおん なんかい、延宝4年(1676年)- 宝暦元年9月8日(1751年10月26日)、生年について延宝5年(1677年)の説あり))は、江戸時代中期の日本の儒学者、漢詩人、文人画家。服部南郭、柳沢淇園、彭城百川とともに日本文人画の祖とされる。また、紀州藩に仕え、野呂介石、桑山玉州とともに紀州三大南画家と呼ばれている。名を与一郎、正卿、瑜とし、字は白玉、号は南海のほか、蓬莢、鉄冠道人、箕踞人、湘雲、信天翁、観雷亭など。通称は余一と呼ばれた。本姓が源であることから、中国風に修して源瑜、阮瑜と称した。.

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竹田出雲

竹田 出雲(たけだ いずも)とは、江戸時代の浄瑠璃作者。また三代に亘って竹本座の座本(興行責任者)にもなった。.

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紫家七論

『紫家七論』(しかしちろん)とは、江戸時代の水戸の国学者である安藤為章(安藤年山、1659年(万治2年)-1716年(享保元年))により著された紫式部および『源氏物語』に関する評論を内容とする『源氏物語』の注釈書。全1巻。1703年(元禄16年)9月の成立。.

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紫文要領

『紫文要領』(しぶんようりょう)は、江戸時代中・後期の国学者である本居宣長(1730年 - 1801年)による源氏物語の注釈書である。「もののあはれ」を初めて体系的な形で提唱したことで知られる。弟子による写本である東京大学図書館本居文庫蔵本は『源氏物語玉の小琴』の内題を持っている。.

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群書類従

『群書類従』(ぐんしょるいじゅう)は、塙保己一が編纂した国文学・国史を主とする一大叢書。 塙保己一が古書の散逸を危惧し、1779年(安永8年)、菅原道真を祀る北野天満宮に刊行を誓った。江戸幕府や諸大名・寺社・公家などの協力を得て、収集・編纂した。古代から江戸時代初期までに成った史書や文学作品、計1273種を収めている。寛政5年(1793年) - 文政2年(1819年)に木版で刊行された。 歴史学・国文学等の学術的な研究に、多大な貢献をしている。.

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猿蓑

猿蓑(さるみの)は、向井去来と野沢凡兆が編集した、蕉門の発句・連句集。松尾芭蕉は元禄4年(1691年)の5、6月に京都に滞在し『猿蓑』撰の監修をしている。書名は、芭蕉が詠んだ「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」の句に由来する。俳諧七部集の内の一つ。蕉門の最高峰の句集であるとされる。.

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為永春水

永春水(ためなが しゅんすい、1790年(寛政2年) - 1844年2月11日(天保14年12月23日))は、江戸時代後期の戯作者。『春色梅児誉美』など人情本の代表作家。本名は佐々木貞高、通称は長次郎。筆名には、二代目南杣楚満人・二代目振鷺亭主人・狂訓亭主人・金竜山人・鷦鷯斎春水なども使った。.

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男色大鑑

『男色大鑑』(なんしょくおほかがみ)は、井原西鶴による浮世草子。1687年(貞享4年)4月に発行。全8巻、各巻5章、計40章。男色が題材の作品は、室町時代に『稚児物語』、江戸時代初期の仮名草子に『藻屑物語』『心友記』があったが、浮世草子では初めての作品であった。.

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狗張子

『狗張子』(いぬはりこ)は江戸時代に編まれた浅井了意による仮名草子。元禄5年(1692年)刊行、全7巻。45編の物語からなる『伽婢子』の続篇。.

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狂言

言「水掛聟(みずかけむこ)」 狂言(きょうげん)は、能と同様に猿楽から発展した伝統芸能で、猿楽の滑稽味を洗練させた笑劇。明治時代以降は、能・式三番と併せて能楽と呼ぶことがある。.

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狂歌

歌(きょうか)とは、社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込み、五・七・五・七・七の音で構成した諧謔形式の短歌(和歌)。.

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随筆

随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。随想(ずいそう)、エッセイ、エッセー(essai新村出編『広辞苑』「エッセー」による直接の伝来元, essay)などともいう。「」の原義は「試み」であり、「試論(試みの論文)」という意味を経て文学ジャンルとなった。 ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』(1580年)がこのジャンルの先駆者であり、欧米においては綿密な思索を基にした論文的なスタイルを念頭に置いてこの語を用いることがあるが、日本においては後述する江戸時代後期の日記的随筆のイメージもあって、もうすこし気楽な漫筆・漫文のスタイルを指して用いることがある。.

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荻生徂徠

荻生 徂徠(おぎゅう そらい、正仮名遣:をぎふそらい、寛文6年2月16日(1666年3月21日) - 享保13年1月19日(1728年2月28日)は、江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者である。名は双松(なべまつ)、字・実名は「茂卿」で、実名としては「しげのり」、字としては「もけい」と読む。通称は総右衛門。徂徠と号し(一説では「徂來」が正しいとする)、又蘐園と号した。「徂徠」の号は『詩経』「徂徠之松」に由来し、「松が茂る」の意味である「茂卿」ともに松に関する名であることが指摘される。本姓は物部氏で、「物茂卿」とも号した。父は5代将軍・徳川綱吉の侍医・荻生景明。弟は徳川吉宗の侍医で明律研究で知られた荻生北渓。その弟の影響を受けて、『明律国字解』を著している。.

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草双紙

草双紙(くさぞうし)とは、江戸時代中頃から江戸で出版された絵入り娯楽本、赤本・黒本・青本・黄表紙・合巻の総称である。 この「草」は、草競馬・草相撲・草野球などの「草」とおなじ「一般の〜」という意味合いを含むものである。絵草紙(えぞうし)・絵双紙(えぞうし)・絵本(えほん)とも呼んだ。各頁の挿画の余白に平仮名の説明を添え、童話から始まり、次第に成人向けに進化した。江戸の大衆本・江戸地本の中心を占めた。.

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菅原伝授手習鑑

四代目中村芝翫の舎人松王丸。「寺子屋」での松王丸の姿を描く。豊原国周画。 『菅原伝授手習鑑』(すがわらでんじゅてならいかがみ)とは、人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ。五段続。延享3年(1746年)8月、大坂竹本座初演。初代竹田出雲・竹田小出雲・三好松洛・初代並木千柳の合作。平安時代の菅原道真の失脚事件(昌泰の変)を中心に、道真の周囲の人々の生き様を描く。歌舞伎では四段目切が『寺子屋』(てらこや)の名で独立して上演されることが特に多く、上演回数で群を抜く歌舞伎の代表的な演目となっている。.

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菅茶山

菅 茶山(かん ちゃざん(さざん)、延享5年2月2日(1748年2月29日)- 文政10年8月13日(1827年10月3日))は、江戸時代後期の儒学者・漢詩人。諱は晋帥(ときのり)。字は礼卿。通称は太仲・太中。幼名は喜太郎、百助。備後国安那郡川北村(現広島県福山市神辺町)の出身。.

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菅江真澄

菅江 真澄(すがえ ますみ、宝暦4年(1754年) - 文政12年7月19日(1829年8月18日))は、江戸時代後期の旅行家、博物学者。生まれは、三河国渥美郡牟呂村字公文(現在の豊橋市牟呂公文町)と伝えられる。本名は白井秀雄、幼名は英二といった。知之(ともゆき)、白超とも名乗った。.

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萩原広道

萩原 広道(はぎわら ひろみち、文化12年2月19日(1815年3月29日) - 文久3年12月3日(1864年1月11日))は、江戸時代末期の歌人・翻訳家・作家・国学者である。号は蒜園(にらぞの)。備前(現・岡山市中区網浜)出身。代表作は、『源氏物語評釈』。.

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落語

落語の口演 落語(らくご)は、江戸時代の日本で成立し、現在まで伝承されている伝統的な話芸の一種である。最後に「落ち(サゲ)」がつくことをひとつの特徴としてきた経緯があり、「落としばなし」略して「はなし」ともいう。「はなし」は「話」または「噺」とも表記する。 都市に人口が集積することによって市民・大衆のための芸能として成立した。成立当時はさまざまな人が演じたが、現在はそれを職業とする落語家によって演じられることが多い。 能楽や歌舞伎など他の芸能と異なり、衣装や道具、音曲に頼ることは比較的少なく、ひとりで何役も演じ、語りのほかは身振り・手振りのみで物語を進め、また扇子や手拭を使ってあらゆるものを表現する独特の演芸であり、高度な技芸を要する伝統芸能である。.

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青砥稿花紅彩画

『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなの にしきえ)は、文久2年3月(1862年3月)に江戸市村座で初演された歌舞伎の演目。通称は「白浪五人男」(しらなみ ごにんおとこ)。世話物(白浪物)、二代目河竹新七(黙阿弥)作、全三幕九場。 弁天小僧の出がある場のみを上演する際には『弁天娘女男白浪』(べんてんむすめ めおの しらなみ)と外題が替わり、さらにそれを尾上菊五郎がつとめる舞台に限っては特に『音菊弁天小僧』(おとにきく べんてんこぞう)と外題が替わることもある。 何度も映画になり、名科白「知らざあ言って聞かせやしょう」があることから大衆演劇、素人芝居でよく演じられた。.

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青空文庫

青空文庫(あおぞらぶんこ)は、著作権が消滅した作品や著者が許諾した作品のテキストを公開しているインターネット上の電子図書館である。富田倫生、野口英司、八巻美恵、らんむろ・さてぃの4人が呼びかけ人となって発足した。日本で著作権切れ作品をオンライン公開する動きの先駆者。2017年の年間アクセス数の合計は920万件以上。 収録作品はボランティアの手によりJIS X 0208漢字の範囲で青空文庫形式テキストファイルやHTMLとして電子化されている。また、「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に従い自由に利用出来るため、その収録作品はパーソナルコンピュータのみならずPDAや携帯電話などの環境でも利用されている。テキストファイルである事から、大きな文字で印刷したり、テキストを読み上げるソフトウェアと組み合わせるなど、視覚障害者向けとしても利用が期待されている。 青空文庫として閲覧ソフトウェアを開発したり提供したりはしていないが、電子辞書やiPhoneアプリなどで専用ビューアーがサードパーティによって開発されている。.

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頼山陽

書斎山紫水明處・京都市上京区 頼山陽の署名「頼襄」 頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日) - 天保3年9月23日(1832年10月16日))は、大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽、三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。贈正四位。.

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香川景樹

香川 景樹(かがわ かげき、明和5年4月10日(1768年5月25日)天保14年3月27日(1843年4月26日))は、江戸時代後期の歌人。父は鳥取藩藩士荒井小三次。初名は、純徳・景徳。通称は銀之助・真十郎・式部・長門介。号は桂園(けいえん)・東塢亭(とううてい)・梅月堂・観鶩亭(かんぼくてい)・臨淵社・万水楼・一月楼。出仕した徳大寺家では「景樹」を「かげしげ」と呼んでいたが、景樹自身は自身の署名で「かげき」の読みを使っており、こちらの呼称が一般に通用している。.

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読本

読本(よみほん)は、江戸時代後期に流行した伝奇小説。寛政の改革以降流行し、文化文政の頃全盛となり、明治になっても活字本として流布し読み継がれた。.

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誹風柳多留

誹風柳多留(はいふうやなぎだる)とは、江戸時代中期から幕末まで、ほぼ毎年刊行されていた川柳の句集である。単に「柳多留」と呼ぶこともある。柳樽とも。明和2年から天保11年(1765-1840)にかけて167編が刊行された。.

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貞心尼

貞心尼(ていしんに、寛政10年(1798年) - 明治5年2月11日(1872年3月19日))は、江戸時代後期の曹洞宗の尼僧。良寛の弟子。歌人。俗名は奥村ます。法名は孝室貞心比丘尼(こうしつていしんびくに)、孝室貞心尼(こうしつていしんに)。.

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賀茂真淵

賀茂 真淵(かも の まぶち)は、江戸時代中期の国学者、歌人。通称三四。真淵は出生地の敷智(ふち)郡にちなんだ雅号で、淵満(ふちまろ)とも称した。 荷田春満、本居宣長、平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされ、その門流を「県居(あがたい)学派」、あるいは「県門(けんもん)」と称した。.

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鶴屋南北

屋 南北(つるや なんぼく)は、歌舞伎の役者および作者の名跡。初代から三代目までが道化方役者、四代目以後が狂言作者。屋号は鶴屋、定紋は丸に大の字。.

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鶉衣

鶉衣」前編 下巻 鶉衣(うずらごろも)とは江戸期の俳文集である。作者は横井也有。作者の死後、大田南畝により前編が1787年(天明7年)、後編が翌1788年(天明8年)に出版された。さらに石井垂穂により続編と拾遺が1823年(文政6年)に出版されている。.

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黄表紙

表紙(きびょうし)は、江戸時代中期の1775年(安永4年)以降に流行した草双紙(一種の絵本)のジャンルの一つ。.

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近世

近世(きんせい、英語:early modern period)とは、歴史学における時代区分のひとつ。中世よりも後で、近代よりも前の時期を指す。.

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近世説美少年録

近世説美少年録(きんせせつびしょうねんろく)は、曲亭馬琴の晩年の読本。続編は『新局玉石童子訓』で、一般には両者あわせてこの題名で読まれている。 文政12年(1829年)から刊行開始、『南総里見八犬伝』と並行して書かれた。天保3年(1832年)まで刊行して中断、弘化2年(1845年)から『新局玉石童子訓』として続編を刊行、嘉永元年(1848年)まで刊行されたが馬琴の死により中絶した。 版元ははじめ千翁軒、ほどなく文渓堂に代わる。 挿画は歌川国貞(二代豊国)、魚屋北渓。.

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近松半二

近松 半二(ちかまつ はんじ、享保10年〈1725年〉 - 天明3年2月4日〈1783年3月6日〉)は、浄瑠璃作者。儒者で竹本座と関係の深かった穂積以貫の次男として大坂に生まれる。名は成章。 二代目竹田出雲に入門し、竹本座の座付作者となり、近松門左衛門に私淑して近松半二を名乗る。宝暦元年(1751年)『役行者大峰桜』の序を書いてデビュー、師の没後、竹本座の中心的な作者となり、宝暦9年(1759年)『日高川入相花王』、宝暦12年(1762年)『奥州安達原』で好評を博し、宝暦13年(1763年)39歳で立作者となる。明和3年(1766年)、『本朝廿四孝』、明和5年(1768年)『傾城阿波の鳴門』、明和6年(1769年)『近江源氏先陣館』、明和8年(1771年)『妹背山婦女庭訓』、安永9年(1780年)『新版歌祭文』と、現在も歌舞伎・文楽でしばしば上演される名作群を書き、並木宗輔に続く竹本座の全盛期を築いたが、天明3年 (1783年)初演の『伊賀越道中双六』の執筆中に死去した。本作は近松加作により完成・上演された。 岡本綺堂はその戯曲『近松半二の死』で、歌舞伎に押されて浄瑠璃が衰退していくのを憂えつつ死んでゆく半二を描いた。 浄瑠璃研究においては、近松門左衛門に研究が偏っているため、未だ、特筆すべき単独の半二研究はない。.

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近松門左衛門

近松 門左衛門(ちかまつ もんざえもん、承応2年〈1653年〉 - 享保9年11月22日〈1725年1月6日〉)とは、江戸時代の浄瑠璃及び歌舞伎の作者。本名は杉森 信盛(すぎもり のぶもり)。平安堂、巣林子(そうりんし)、不移山人(ふいさんじん)と号す。 家紋は「丸に一文字」。.

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都市

都市(とし、city)とは、商業、流通などの発達の結果、限られた地域に人口が集中している領域である。.

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都賀庭鐘

都賀 庭鐘(つが ていしょう、男性、享保3年(1718年) – 寛政6年(1794年)?)は、江戸時代中期の読本作家・儒学者・医師である。書・画・篆刻にも巧みであった。読本『繁野話』はそれまでの浮世草子とは異なり中国の影響の濃い原典がはっきりわかる内容だった。この新鮮味に上田秋成が啓発され『雨月物語』を執筆したと言われる。このため近世読本作家の祖とされる。.

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鈴木牧之

鈴木 牧之(すずき ぼくし、明和7年1月27日(1770年2月22日) - 天保13年5月15日(1842年6月23日))は、江戸時代後期の商人、随筆家。幼名は弥太郎。通称は儀三治(ぎそうじ)。牧之は俳号。屋号は「鈴木屋」。雅号は他に「秋月庵」「螺耳」など。父は鈴木恒右衛門(俳号は「牧水」)、母はとよ。.

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鈴木正三

鈴木 正三(すずき しょうさん、俗名の諱まさみつ、道号:石平老人、天正7年1月10日(1579年2月5日)- 明暦元年6月25日(1655年7月28日))は、江戸時代初期の曹洞宗の僧侶・仮名草子作家で、元は徳川家に仕えた旗本である。本姓穂積氏で、三河鈴木氏の一族。通称九太夫、号を玄々軒、正三は法名である。法名に関しては、俗名の読み方を改めただけと言われているが、俗名は重三で、正三は筆名であるとの異説もある。.

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葉隠

『葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。.

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葛飾北斎

天保13年(1842年)、82歳(数え年83歳)頃の自画像(一部) 飾 北斎(かつしか ほくさい、飾 北齋、宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉? - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)とは、江戸時代後期の浮世絵師。化政文化を代表する一人。.

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醒睡笑

醒睡笑(せいすいしょう)は庶民の間に広く流行した話を集めた笑話集。著者は茶人や文人としても知られる京(京都)の僧侶、安楽庵策伝。8巻1,039話の話を収録している。「眠りを覚まして笑う」の意味で『醒睡笑』と命名された。この命名時点を完成とみて1623年(元和9年)成立とする資料と、後述の板倉重宗への献呈と奥書の付与の時点を完成と見て1628年(寛永5年)成立とする資料とがある。「醒酔笑」と記す資料もあるが正当ではない。.

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野沢凡兆

野沢 凡兆(のざわ ぼんちょう、寛永17年(1640年) - 正徳4年(1714年))は、江戸時代前期の俳諧師。姓は越野、または宮城、宮部とも。加賀国金沢の出身と言われる。京都に出て医者になり、そのときに松尾芭蕉と出会い、師事したが後に離れた。晩年は零落したという。妻の野沢とめ(羽紅)も俳諧師である。写実的な句を得意とした。 『猿蓑』を向井去来と編集した。.

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良寛

良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕 - 天保2年1月6日〔1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。号は大愚。.

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雨月物語

『雨月物語』(うげつものがたり)は、上田秋成によって江戸時代後期に著わされた読本(よみほん)作品。 5巻5冊。明和5年(1768年)序、安永5年(1776年)刊。日本・中国の古典から脱化した怪異小説9篇から成る。近世日本文学の代表作で、現代でも引用されることが多い(→#派生作品)。.

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耳嚢

耳嚢(みみぶくろ)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本・南町奉行の根岸鎮衛が、天明から文化にかけて30余年間に書きついだ随筆。同僚や古老から聞き取った珍談、奇談などが記録され、全10巻1000編に及ぶ。耳袋と表記もされる。.

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折たく柴の記

新井白石 『折たく柴の記』(おりたくしばのき)は、江戸時代中期に新井白石(1657年(明暦3年) - 1725年(享保10年))が書いた随筆。成立は享保元年(1716年)頃と言われる。『折焚柴の記』とも書く。新井白石は江戸中期の旗本・学者で、将軍徳川家宣期の正徳の治と呼ばれる政治を主導した。 本書は生家である新井家のことや、白石の政治的体験談などが記され、自伝的・政治的要素の濃い自伝的随筆であると評される。白石が編纂した諸大名家の系譜諸である『藩翰譜(はんかんふ)』作成のいきさつが記載されている。 書名は、後鳥羽天皇の御製 に由来する。「思い出の記」というほどの意味だが、白石にとって「忘れ形見にうれしむせぶ」人は、6代将軍徳川家宣その人であった。 現在では、岩波文庫版(松村明校注 ISBN 4003021215)、中公クラシックス版(桑原武夫訳 ISBN 4121600673)などが出版されている。.

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柳亭種彦

柳亭 種彦(りゅうてい たねひこ、天明3年5月12日(1783年6月11日)- 天保13年7月19日(1842年8月24日))は、江戸時代後期の戯作者。長編合巻『偐紫田舎源氏』などで知られる。.

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柳沢淇園

柳沢 淇園(やなぎさわ きえん、元禄16年7月18日(1703年8月30日) - 宝暦8年9月5日(1758年10月6日))は、江戸時代中期の武士、文人画家、漢詩人。服部南郭、祇園南海、彭城百川らとともに日本文人画の先駆とされる。 幼名は権之助、名ははじめ貞貴、元服後は里恭(さととも)と名乗る。後に中国風に修して柳里恭(りゅうりきょう)と名乗ることを好んだ。代々権太夫と称し、字は広美(こうび)もしくは公美、淇園と号し、ほかに竹渓、玉桂の別号がある。よく知られた淇園の号は、40歳頃から使用したと推測される。.

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柄井川柳

柄井 川柳(からい せんりゅう、享保3年(1718年) - 寛政2年9月23日(1790年10月30日))は、江戸時代中期の前句付けの点者。名は正道。幼名勇之助。通称は八右衛門。柄井家は代々江戸浅草新堀端の竜宝寺門前町の名主(なぬし)の家系で、宝暦5年に家を継いで名主となった。 はじめは談林派俳諧の点者であったといわれるが定かではない。宝暦7年8月25日(1757年10月7日)前句付の点者として無名庵川柳と号し、最初の万句合を興行している。 これ以降、月3回5のつく日に句合を興行している。宝暦12年10月15日(1762年11月30日)の句合には総句1万句を超し、その流行ぶりがうかがえる。川柳(八右衛門)の出題は前句付の14字題と冠付のみであり、総句高に対する番勝句の比率も高い。新しい趣向を好み、選句眼にも優れていたことが、上級武士も含め江戸における前句付作者にこのまれた。 明和2年(1765年)7月呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)の協力を得て刊行された「誹風柳多留」は、川柳評前句付の流行に拍車をかけた。後、前付句が独立して川柳と呼ばれるようになった。1790年死去。辞世の句は「木枯らしや 跡で芽をふけ 川柳」であったと伝えられている。 なお、川柳の号は16世(尾藤川柳)まで受け継がれている。.

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恋川春町

恋川 春町(こいかわ はるまち、延享元年(1744年)- 寛政元年7月7日(1789年8月27日))は、江戸時代中期の戯作者、浮世絵師である。酒上不埒(さけのうえのふらち)という名で狂歌も詠んだ。鳥山石燕について浮世絵を学び、画もほぼ自ら描いた。また、勝川春章にも私淑していた。 本名は倉橋 格(くらはし いたる)。諱は初め勝睴、後に格。本姓は源氏、幼名は亀之助、通称は初め隼人、後に寿平。号は寿山人・寿亭、春町坊。駿河小島藩・滝脇松平家の年寄本役として藩中枢に関与していた。石高は最終的に120石。江戸藩邸のあった小石川春日町から恋川春町というペンネームを付けた。安永4年(1775年)『金々先生栄花夢』で当世風俗を描き、のちに黄表紙といわれるジャンルを開拓し、一躍売れっ子作家となる。安永天明期に自画自作の黄表紙を多数残し、洒落本や滑稽本などの挿絵も見られるが、錦絵は希少である。.

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東海道中膝栗毛

弥次さんと喜多さんの像(京都三条大橋) 『東海道中膝栗毛』(とうかいどうちゅうひざくりげ)は、1802年(享和2年)から1814年(文化11年)にかけて初刷りされた、十返舎一九の滑稽本である。「栗毛」は栗色の馬。「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意である。 大当たりして、今に至るまで読みつがれ、主人公の弥次郎兵衛と喜多八、繋げて『弥次喜多』は、派生する娯楽メディア類に、なお活躍している。文学的な価値とともに、文才とともに絵心のあった作者による挿絵が多く挿入され、江戸時代の東海道旅行の実状を記録する、貴重な資料でもある。.

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松尾芭蕉

松尾 芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日)佐藤編(2011)、p.248-249、松尾芭蕉関係年表)は、江戸時代前期の俳諧師。現在の三重県伊賀市出身。幼名は金作佐藤編(2011)、p.30-34、芭蕉の生涯 伊賀上野時代(寛永~寛文期)。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。北村季吟門下。 俳諧(連句)の芸術的完成者であり東明雅『芭蕉の連句』(岩波新書)蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風を確立し、後世では俳聖佐藤編(2011)、p.247、あとがきとして世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人である。芭蕉自身は発句(俳句)より俳諧(連句)を好んだ。 芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』が特に有名。.

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松平定信

松平 定信(まつだいら さだのぶ)は、江戸時代中期の大名、老中。陸奥白河藩第3代藩主。定綱系久松松平家第9代当主。江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たる。1787年から1793年まで寛政の改革を行った。.

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松永貞徳

松永 貞徳(まつなが ていとく、元亀2年(1571年) - 承応2年11月15日(1654年1月3日))は、江戸時代前期の俳人・歌人・歌学者。名は勝熊、別号は長頭丸(ちょうずまる)・逍遊軒(しょうゆうけん)・延陀丸(えんだまる)・保童坊・松友など。他に五条の翁・花咲の翁とも称し、明心居士の号もある。子は朱子学者の松永尺五。 父は松永永種で、母は藤原惺窩の姉。永種は松永久秀の子であったという説がある。また、永種は入江氏の出(入江政重の子)で、久秀の養子であったとも言われる。永種は出家して各地を放浪中であったため、久秀の死に巻き込まれることはなかった。キリシタンとして名を残した内藤如安は、久秀の弟・松永長頼の子であるため、貞徳とは従兄弟という関係になる。.

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松江重頼

松江 重頼(まつえ しげより、慶長7年(1602年) - 延宝8年6月29日(1680年7月24日))は、江戸時代初期の俳人である。.

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根岸鎮衛

根岸 鎮衛(ねぎし しずもり / やすもり)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本。勘定奉行、南町奉行を歴任した。.

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桂園一枝

桂園一枝(けいえんいっし)は、江戸時代後期に刊行された香川景樹(1768年-1843年)の家集。 1828年(文政11年)に完成し、1830年(天保元年)に刊行された。巻数は正編三冊、拾遺二冊。九八三首を収める。 小沢蘆庵(1723年-1801年)が提唱した「ただごと歌」(=人の心が発する自然の声をそのまま言葉にした歌)の主張を発展させ、優雅・清新な歌風をもって京都を中心とした歌壇に君臨した景樹の代表作である。景樹の家風は明治時代初期までもてはやされ、この歌集の名から桂園派と称された。景樹は「古今和歌集」の歌風を理想とし、紀貫之を歌聖と仰ぎ、それを実践するためにこの歌集を自ら撰集した。歌集の構成は四季・恋・雑・雑体(長歌・旋頭歌・俳諧歌)からなっている。 Category:歌集 Category:江戸時代の文学 Category:1830年代の書籍 Category:19世紀の詩.

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梨本集

『梨本集』(なしのもとしゅう)は、戸田茂睡の著した歌学書である。元禄11年(1698年)成立。同13年(1700年)刊行。書名は、茂睡の住居の前に一本の山梨の木が有った事にちなむと奥書に記載されている。.

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森川許六

森川 許六(もりかわ きょりく)は、江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。蕉門十哲の一人。名は百仲、字は羽官、幼名を兵助または金平と言う。五老井・無々居士・琢々庵・碌々庵・如石庵・巴東楼・横斜庵・風狂堂など多くの別号がある。近江国彦根藩の藩士で、絵師でもあった。.

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椿説弓張月

『椿説弓張月』(ちんせつ ゆみはりづき)は、曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本。文化4年(1807年)から同8年(1811年)にかけて刊行。全5篇。 『保元物語』に登場する強弓の武将鎮西八郎為朝と琉球王朝開闢の秘史を描く、勧善懲悪の伝奇物語であり、『南総里見八犬伝』とならぶ馬琴の代表作である。.

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横井也有

横井 也有(よこい やゆう)は、江戸時代の武士、国学者、俳人。.

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橘曙覧

橘 曙覧(たちばな あけみ、文化9年(1812年)5月 - 慶応4年8月28日(1868年10月13日))は、日本の歌人、国学者。身近な言葉で日常生活を詠んだ和歌で知られる。.

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歴史

Historia (Allégorie de l'Histoire). ニコラオス・ギジス(Nikolaos Gysis) (1892年) The Historian E. アービング・クーゼ(1902年) 歴史(れきし、羅: historia)は、何かしらの事物が時間的に変遷したありさま、あるいはそれに関する文書や記録のことをいう。主に国家や文明など人間の社会を対象とする。記述されたことを念頭に置いている。ヴィルヘルム・ヴィンデルバントの科学分類に拠れば、「自然科学が反復可能な一般的法則であるのに対し、歴史科学が対象とする歴史は反復が不可能である一回限りかつ個性を持つもの」と定義している。また、現在に至る歴史を「来歴」と言う。.

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歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

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江村北海

江村 北海(えむら ほっかい、正徳3年10月8日(1713年11月25日) - 天明8年2月2日(1788年3月9日))は、江戸時代中期の儒者、漢詩人。名は綬。字は君錫、通称は伝左衛門、北海と号す。福井藩の儒者・伊藤竜洲の第二子。兄は伊藤錦里、弟は清田儋叟。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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江戸名所図会

錦袋円」を売る勧学屋(『江戸名所図会』) 鶴見橋(現・鶴見川橋)。(『'''江戸名所図会'''』) 江戸名所図会(えどめいしょずえ)は江戸時代後期の天保年間に斎藤月岑が7巻20冊で刊行した、鳥瞰図を用いた江戸の名所図会(地誌紀行図鑑)。長谷川雪旦の挿図も有名。 神田の町名主であった斎藤長秋(幸雄)・莞斎(幸孝)・月岑(幸成)の3代にわたって書き継がれたもの。長秋は京都の地誌である『都名所図会』に刺激を受け、寛政期に編纂を開始。8冊本として刊行予定で、1798年に出版許可も得ていたものの、1799年(寛政11年)、長秋は63歳で病死(当初、『東都名所図会』という題であったともいわれる)。後を継いだ婿養子の莞斎は郊外分などの追補に努め、長谷川雪旦に画を依頼した。1818年(文化15年)に莞斎が死去し、その刊行は月岑に託された。 前半1–3巻(10冊)は1834年、後半4–7巻は1836年(天保7年)に刊行された(全7巻20冊)。日本橋から始まり、江戸の各町について由来や名所案内を記し、近郊の武蔵野、川崎、大宮、船橋などにも筆が及んでいる。江戸の町についての一級資料である。.

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江戸生艶気樺焼

『江戸生艶気樺焼』(えどうまれ うわきの かばやき)は、江戸時代中期の文学作品。山東京伝の黄表紙の代表的な作品。3冊。発刊は1785年(天明5年)。京伝24歳の作品。 挿絵は山東京伝(北尾政演)自作。版元は蔦屋重三郎。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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河竹黙阿弥

黙阿弥 河竹 黙阿弥(かわたけ もくあみ、旧字体:默阿彌、文化13年2月3日(1816年3月1日) - 明治26年(1893年)1月22日)は、江戸時代幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者。本名は吉村 芳三郎(よしむら よしさぶろう)。俳名に其水(そすい)。別名に古河 黙阿弥(ふるかわ-)。江戸日本橋生まれ。.

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湯浅常山

湯浅 常山(ゆあさ じょうざん)は、江戸時代中期の岡山藩士・儒学者。常山は雅号で、諱は元禎。字は之祥(士祥)。通称は新兵衛。『常山紀談』で著名。.

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湖月抄

『湖月抄』(こげつしょう)は、北村季吟が著した『源氏物語』の注釈書である。延宝元年(1673年)成立。『源氏物語湖月抄』(げんじものがたりこげつしょう)と呼ぶこともある。.

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源氏物語年紀考

『源氏物語年紀考』(げんじものがたりねんきこう)は、本居宣長による『源氏物語』の年立について考察した注釈書である。.

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源氏物語評釈

『源氏物語評釈』(げんじものがたりひょうしゃく)は、『源氏物語』の注釈書である。江戸時代に萩原広道の著したものや、昭和時代に玉上琢弥が著したものなどがある。本記事では主に前者について述べる。.

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源氏物語新釈

『源氏物語新釈』(げんしものがたりしんしゃく)とは、源氏物語の注釈書である。.

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源注拾遺

『源注拾遺』(げんちゅうしゅうい)とは、『源氏物語』の注釈書である。高山郷土館蔵本では、『源氏物語拾遺抄(げんじものがたりしゅういしょう)』の外題と、『源氏拾遺(げんじしゅうい)』や『源氏注拾遺(げんじちゅうしゅうい)』の内題とを持っている。.

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服部南郭

服部南郭像 伝忍海上人筆 服部 南郭(はっとり なんかく、天和3年9月24日(1683年11月12日) - 宝暦9年6月21日(1759年7月15日))は、江戸時代中期の日本の儒者、漢詩人、画家であり、荻生徂徠の高弟として知られる。 姓は服部、自ら修めて服と為す、名は元喬(げんきょう)、通称は幸八(こうはち)、後に小右衛門、字は子遷、南郭は号、他に芙蕖館(ふきょかん)、又芙蓉館(ふようかん)と号す、画号は周雪、観翁など。中国風に服南郭、服元喬、服子遷と名乗ることもあった。.

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木下勝俊

木下 勝俊(きのした かつとし)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名、歌人。 若狭小浜城(後瀬山城)主で、官位が従四位下式部大夫、左近衛権少将であったので、通称を若狭少将と言う。一時期はキリシタンでもあって洗礼名は「ペテロ」と伝わる。歌人としては長嘯(ちょうしょう)または長嘯子(ちょうしょうし)、あるいは挙白(きょはく)、天哉爺(てんかおう)など様々の称を用いた。一般には木下長嘯子の名が高名。 関ヶ原の戦いでは東軍に属して伏見城留守居の将とされたが、鳥居元忠に退去を迫られ、これに従った結果、敵前逃亡したと戦後に責められて改易された。次いで父家定の備中足守藩を継いで第2代藩主となったが、異母弟利房と遺領を争って公儀の沙汰で所領没収とされた。以後、京の東山に隠棲して文人となった。作風は近世初期における歌壇に新境地を開いたものとされ、その和歌は俳諧師松尾芭蕉にも影響を与えた。.

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本居宣長

本居 宣長(もとおり のりなが)は、江戸時代の国学者・文献学者・医師。名は栄貞。本姓は平氏。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵。自宅のにて門人を集め講義をしたことからと呼ばれた。また、荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに「」の一人とされる。伊勢松坂の豪商・小津家の出身で、一族には日本の映画監督・脚本家の小津安二郎がいる。.

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本朝水滸伝

『本朝水滸伝』(ほんちょうすいこでん)は、建部綾足によって江戸時代後期に著わされた読本作品。中国文学の『水滸伝』の翻案。安永2年(1773年)前編10巻刊。後編15巻は写本で伝わるが未完である。.

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朱楽菅江

朱楽 菅江(あけら かんこう、元文5年10月24日(1740年12月12日)? - 寛政10年12月12日(1799年1月17日))は、江戸時代後期の戯作者、狂歌師。大田南畝(おおたなんぽ)、唐衣橘洲(からころもきっしゅう)と共に天明狂歌ブームを築き、狂歌三大家といわれた。別号:朱楽漢江・朱楽館・准南堂・芬陀利華庵。生年は1738年とも。.

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成島柳北

成島 柳北 (なるしま りゅうほく、1837年3月22日(天保8年2月16日) - 1884年(明治17年)11月30日)は、江戸時代末期(幕末)の江戸幕府・将軍侍講、奥儒者、文学者、ジャーナリスト。明治時代以降はジャーナリストとしても活動した。姪孫に俳優の森繁久彌がいる。.

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戯曲

戯曲(ぎきょく)は、演劇の上演のために執筆された脚本や、上演台本のかたちで執筆された文学作品。戯曲を書く者のことを劇作家と呼ぶ。.

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戸田茂睡

戸田茂睡 戸田 茂睡(とだ もすい、寛永6年5月19日(1629年7月9日) - 宝永3年4月14日(1706年5月25日))は、江戸時代前期の歌学者。名は恭光。通称は茂右衛門。号は遺佚軒・不求橋・梨本など。.

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春色梅児誉美

『春色梅児誉美』(しゅんしょくうめごよみ)は、江戸時代の人情本。為永春水作。春色梅暦とも表記する。梅暦とも略称される。1832年(天保3年) - 1833年(天保4年)刊行。4編12冊。柳川重信・柳川重山画。美男子の丹次郎と女たちとの三角関係を描いたもの。人情本の代表作と言われる。.

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浮世床

浮世床(うきよどこ)は、.

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浮世絵

浮世絵(うきよえ)は、江戸時代に成立した絵画のジャンルである。本来、「浮世」という言葉には「現代風」「当世」「好色」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを多く描いている。演劇、古典文学、和歌、風俗、地域の伝説と奇談、肖像、静物、風景、文明開化、皇室、宗教など多彩な題材がある。大別すると、版本の挿絵、一枚摺の木版画、肉筆浮世絵の3種類に分けられる。当然、木版画が量産されるようになる以前には肉筆画のみしか存在しなかったわけで、巻物などの肉筆浮世絵が含まれる。肉筆浮世絵は、形式上、屏風絵、絵巻、画帖、掛け物、扇絵、絵馬、画稿、版下絵の8種類に大別される。また、浮世絵師は和装本の挿絵、表紙の仕事も並行して行った。広義には引き札、鏝絵、泥絵、ガラス絵、凧絵 ねぶた絵なども浮世絵の一種といえる。ただし、現代においては一般的には多色摺りの木版画錦絵のことを指すことが多い。.

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浮世草子

浮世草子(うきよぞうし)は、江戸時代に生まれた前期近世文学の主要な文芸形式のひとつ。浮世草紙とも書かれる。 井原西鶴の『好色一代男』(1682年刊行)以降の一連の作品を、それまでの仮名草子とは一線を画するものとして、今日では浮世草子と呼ぶ(当時は「草双紙」と呼ばれ、「仮名草子」・「浮世草子」はのちになって区別されたもの)。元禄期、大坂を中心に流行し、民衆生活の幅広い主題を扱って多くの作品が書かれた(浮世には世間一般という意味と、色事、好色といった意味がある)。京都の八文字屋自笑から出版されたものは特に「八文字屋本(はちもんじやぼん)」と呼び、元禄期から18世紀中頃の明和期まで刊行された。その内容によって好色物、町人物、武家物などに分けられる。 創始者と言える西鶴の業績が最も著名であり、江島其磧の『世間子息気質』『世間娘容姿』など一部を除き、後に続いた作品に有名なものは少ない。.

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浮世風呂

浮世風呂(うきよぶろ)は、式亭三馬が書いた滑稽本である。文化6年(1809年)から文化10年(1813年)にかけて刊行された。内容は4編9冊に分けられ、初編・四編が男湯、二編・三編が女湯となっている。角書をつけると『諢話浮世風呂』(おどけばなしうきよぶろ)となる。 当時の庶民の生活を、浴場を舞台に描いたもので、当時の生活とともに、落語の話術を取り入れた会話の軽妙さと底辺の人々を描いてほのかな明るさをしめしている。ガ行鼻濁音の記録として知られ、日本語史上の資料としても貴重なものである。.

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浄瑠璃

浄瑠璃(じょうるり)は、三味線を伴奏楽器として太夫がを語る音曲・劇場音楽である。 詞章が単なる歌ではなく、劇中人物のセリフやその仕草、演技の描写をも含み、語り口が叙事的な力強さを持つ。このため浄瑠璃を口演することは「歌う」ではなく「語る」と言い、浄瑠璃系統の音曲をまとめてと呼ぶ。 江戸時代初期以降、個々の太夫の口演が「――節」と呼ばれるようになり、その後流派として成立して、現在は義太夫節義太夫節は浄瑠璃の一流派であるが、上方では義太夫節以外の一中節・豊後節・宮薗節などが早くに廃れたため、「浄瑠璃」がもっぱら義太夫節を意味する場合がある。・河東節・一中節・常磐津節・富本節・清元節・新内節・宮薗節(薗八節)の8流派が存在する。 単独で素浄瑠璃として演じられるほか、流派によっては人形劇である人形浄瑠璃として(文楽など)、歌舞伎音楽として、日本舞踊の伴奏として演じられる(流派ごとの上演形態については後述)。 はリンク切れ)、義太夫節に特有の事項なので、当記事ではなく、記事「義太夫節#演出面から見た人形浄瑠璃と丸本歌舞伎」 での言及が妥当であろう -->.

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浅井了意

浅井 了意(あさい りょうい、慶長17年(1612年)頃 - 元禄4年1月1日(1691年1月29日))は、江戸時代前期の浄土真宗の僧・仮名草子作家。父は東本願寺の末寺本照寺の住職。本名は不詳。号は松雲・瓢水子・羊岐斎。京都の出身。.

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斎藤月岑

斎藤 月岑(さいとう げっしん、文化元年(1804年) - 明治11年(1878年)3月6日)は江戸の町名主、考証家。『江戸名所図会』『武江年表』など、江戸の町についての基本資料を著述したことで知られる。.

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新井白石

新井 白石(あらい はくせき)は、江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者。一介の無役の旗本でありながら六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を実質的に主導し、正徳の治と呼ばれる一時代をもたらす一翼を担った。家宣の死後も幼君の七代将軍・徳川家継を間部とともに守り立てたが、政権の蚊帳の外におかれた譜代大名と次第に軋轢を生じ、家継が夭折し八代将軍に徳川吉宗が就くと失脚し引退、晩年は著述活動に勤しんだ。 学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に亘る。また詩人で多くの漢詩が伝わる。白石は号で、諱は君美(きみよし、きんみ)。.

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文楽

文楽以外の人形浄瑠璃である。 『静御前』 JR新大阪駅 文楽(ぶんらく)とは、人形浄瑠璃文楽のこと。大阪で成立し本拠地とする人形浄瑠璃の系譜。 1955年に(人形浄瑠璃文楽座の座員により演ぜられる)文楽が文化財保護法に基づく重要無形文化財に指定された。2003年ユネスコ「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」、2008年「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」への掲載、そしてユネスコ無形文化遺産保護条約が発効した2009年9月の第1回登録であらためてユネスコの無形文化遺産に登録された。2017年現在は公益財団法人文楽協会を公演団体とし、大阪市の国立文楽劇場を中心に公演を行っている。 1684年、古浄瑠璃を独自に発展させた「義太夫節」の始祖である竹本義太夫が、大坂に「竹本座」を建て、自らの義太夫節の演奏と人形による三業(後述)での人形浄瑠璃の興行を始めた。その後、竹本義太夫の弟子が独立し豊竹若太夫を名のって興した「豊竹座」と競うなど、隆盛の時代には複数の興行元を数えたが、明治初期には興行元が「彦六座」と「文楽座」の2座のみとなった。その後に彦六座が解散、興行が文楽座のみとなったため、「文楽」という2字の名称が、すべての人形浄瑠璃の代表的存在、ならびにその代名詞と化したものである。 なお、文楽および文楽座という名称の直接的由来は、兵庫県淡路出身の植村文楽軒という人物が興行元であった上述の文楽座ではあるが、前述どおり、義太夫節の始祖が大坂で直接成立させた人形浄瑠璃の一形態の系譜であるため、人形浄瑠璃文楽を成立させた源流=淡路ということではない(淡路には淡路人形浄瑠璃が存在する)。 しかしながら、大坂で成立したその「義太夫節+人形」という人形浄瑠璃の系譜をしめす呼称がない(あるいは消失してしまっている)ため、その系譜を示す語の実例として、たとえば現在の人形浄瑠璃文楽の技芸員における演奏的特徴を示す語として「文楽系」と呼ぶことがある(それに呼応する語には「彦六系」などがある)。 人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)は日本の伝統芸能で、浄瑠璃と人形によって演じられる人形劇。明治以降、文楽座が一定規模以上の人形浄瑠璃の公演を行う唯一の公演団体となったため、「文楽」の名称が人形浄瑠璃と同義に用いられる場合もある。 この記事では文楽を中心に、文楽系統の成立以前の人形浄瑠璃、および文楽以外の人形浄瑠璃についても説明する。「人形浄瑠璃」については浄瑠璃も参照のこと。.

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日本の上代文学史

日本の上代文学史(にほんのじょうだいぶんがくし)は、上代(およそ奈良時代まで)の日本文学の歴史である。.

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日本の中古文学史

日本の中古文学史(にほんのちゅうこぶんがくし)は、中古(およそ平安時代)の日本文学の歴史である。.

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日本の中世文学史

日本の中世文学史(にほんのちゅうせいぶんがくし)は、中世(およそ鎌倉時代から安土桃山時代まで)の日本文学の歴史である。.

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日本の近現代文学史

日本の近現代文学史(にほんのきんげんだいぶんがくし)では、近代(戦前)と現代(戦後)における、日本文学の歴史を述べる。 明治維新後、西洋の思想や文化を取り入れる文明開化が推進され、文学にも大きな影響を与えた。言文一致運動もその一つである。言文一致の結果、日本語の書き言葉は、それまで日本文学において重きをおかれていた漢文の伝統から切り離され、明治中期には現代の日本語の書き言葉に直接連なる文体(「だ・である」調と、「です・ます」調)が確立した。文学という語自体、翻訳語として創り出されたものであり、この頃に現在一般に使われ私たちが考える文学という概念が生まれた。 第二次世界大戦の敗北の後、日本語の表記には現代仮名遣い・新字体化という改革が行われ、全国規模のメディアの発達によって、日本文学にさらに大きな変化がもたらされた。.

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日本外史

『日本外史』(にほんがいし)は、江戸時代後期に頼山陽が著した国史の史書(外史とは民間による歴史書の意)。源平2氏から徳川氏までの武家盛衰史で、すべて漢文体で記述されている。文政10年(1827年)、山陽と交流があった元老中首座の松平定信に献上され、2年後に大坂の秋田屋など3書店共同で全22巻が刊行された。明治以後、日本語口語体に訳された本も数社から刊行されている。幕末から明治にかけてもっとも多く読まれた歴史書である。.

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日本永代蔵

『日本永代蔵』(にっぽんえいたいぐら)は、井原西鶴作の浮世草子で、町人物の代表作の一つ。貞享5年(1688年)に刊行され、各巻5章、6巻30章の短編からなる。 副題として「大福新長者教」。仮名草子『長者教』になぞらえ、金持ちはいかにして金持ちになったか、町民の生活の心得を飾らずに描いた内容になっている。軽妙な文体は、後の太宰治の文体に影響を与えたといわれる。.

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日本文学

紫式部 日本文学(にほんぶんがく)とは、日本人が書いた文学、日本で発表された文学、ないしは日本語で書かれた文学作品、もしくはそれらの作品や作家を研究する学問のこと。 夏目漱石 日本文学の歴史は極めて永く、古くは7世紀までさかのぼる。同一言語・同一国家の文学が1400年近くにわたって書き続けられ読み続けられることは世界的に類例が少ない。1000年頃に紫式部によって書かれた『源氏物語』は世界的に知られ、近世の松尾芭蕉も現在の俳句ブームにより広く知られている。近代以降の日本文学においても、夏目漱石・谷崎潤一郎などが世界的に高い評価を受けており、これまで2名のノーベル文学賞受賞者(川端康成・大江健三郎)を出している。 古代・中世の日本文学は中国の文化的影響が著しく、日本が仏教を受け容れたことからインド文学の間接的影響もみられる。中国文学の影響は江戸時代にもみられるが、いずれの時代においても日本人作家の独創が顕著にみられる。明治維新以降は欧米の文化的影響を強く受けたが、英米文学・フランス文学・ドイツ文学・ロシア文学などを短期間のうちに摂取・模倣し、日本独自の高度な近代文学を創造していった。近代日本文学は中国・朝鮮の近代文学の形成に大きな影響を与えた。第2次世界大戦後の日本文学も、三島由紀夫・安部公房・村上春樹などの作品が世界的に広く読まれており、現代の世界文学に多大な影響を与えている。.

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曲亭馬琴

曲亭 馬琴(きょくてい ばきん、明和4年6月9日(1767年7月4日) - 嘉永元年11月6日(1848年12月1日))は、江戸時代後期の読本作者。本名は滝沢興邦(たきざわ おきくに、)で、後に解(とく)と改める。号に著作堂主人(ちょさくどうしゅじん)など(#名前について参照)。 代表作は『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』。ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の著述家である。.

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曽根崎心中

露天神の境内にあるブロンズ像 『曽根崎心中』(そねざきしんじゅう/旧字曾根崎心中、そねざきしんぢゅう)は世話物浄瑠璃(江戸時代における現代劇浄瑠璃)。一段。近松門左衛門作。1703年(元禄16年)竹本座初演の人形浄瑠璃・文楽。のちに歌舞伎の演目にもなる。相愛の若い男女の心中の物語である。 「此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜」で始まる有名な道行の最後の段は「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と結ばれ、お初と徳兵衛が命がけで恋を全うした美しい人間として描かれている。.

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1716年

記載なし。

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1735年

記載なし。

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