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新徴組

索引 新徴組

新徴組(しんちょうぐみ)は、江戸時代後期の文久3年(1863年)1月に結成された、江戸幕府による警備組織である。 江戸で将軍上洛の警護を目的とした浪士組結成募集が行われ、京都へ上洛した際に、清河八郎より将軍上洛の警護でなく尊王攘夷の先鋒を唱える。同意した者は清河八郎に率いられて江戸に戻るが、同意できなかった近藤勇や芹沢鴨など24名は袂を分かち壬生浪士組を経て新選組を旗揚げすることになる。 4月に清河が暗殺されると清河の同志達も次々と捕縛されたため、浪士組は組織目的を失う。幕府は浪士組を新徴組として再組織した。屯所は江戸の本所(東京都墨田区)に設置し取締責任者は高橋泥舟と山岡鉄太郎が就いた。 結成以来、 10月に幕府より江戸市中警護、海防警備の命令を受け規律を取り戻すと、元治元年(1864年)には庄内藩酒井家の御預かりとなる。 慶応4年(1868年)、放火・掠奪・暴行などを繰り返して旧幕府側を挑発する薩摩藩に対し江戸薩摩藩邸の焼討事件を引き起こし戊辰戦争の発端になる。この焼き討ちで品川などで火災が一日中続く。後の赤報隊隊長相楽総三(小島四郎)などは焼き討ちを逃げ、沖合にいた鳳翔丸へ逃げ込んだ。 戊辰戦争後は数少ない生き残りが庄内地方にて開墾作業に従事した。 新選組幹部の沖田総司の義兄、沖田林太郎が組頭を務めているなど、新選組との交流もあった。.

49 関係: 墨田区壬生浪士大山柏子母澤寛山岡鉄舟中山信安中村維隆中條金之助京都庄内藩元治石井武膳玉城織衛神代仁之助祐天仙之助相楽総三白井重遠芹沢鴨遠藤丈庵高橋泥舟鳳翔 (砲艦)近藤勇鈴木長蔵 (武士)薩摩藩酒井忠篤 (庄内藩主)柏尾馬之助松平忠敏根岸友山江戸江戸幕府江戸薩摩藩邸の焼討事件江戸時代河津祐邦沖田総司沖田芳次郎沖田林太郎清水吾一清河八郎朝日新聞名古屋本社本所 (墨田区)戊辰戦争浪士組新選組文久慶応時事通信社1863年1864年1868年

墨田区

墨田区(すみだく)は、東京都の特別区の一つで、23区東部に区分される。 全国的に有名な東京スカイツリーがある。.

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壬生浪士

壬生浪士(みぶろうし)あるいは精忠浪士(せいちゅうろうし)は、新選組の前身集団。 文久3年(1863年)清河八郎が京へ率いた浪士組を壬生にある、新徳寺に代表を集め、尊皇攘夷を目的とする反幕勢力に変化させようとの策略を演説した。 これに同意した者は新徴組として江戸へ帰る事となる。これに同意しなかった近藤勇や芹沢鴨らはその場に残り、新選組を結成するに至る。構成内容は以下参照。新選組となる以前の壬生浪士たちは身なりの貧しさから、「みぼろ」(壬生浪=みぶろ・みぶろう)と一部の京の人たちに揶揄されていた。また、女性隊士がいたという説もある。.

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大山柏

大山 柏(おおやま かしわ、1889年(明治22年)6月2日 - 1969年(昭和44年)8月20日)は、日本の考古学者、戊辰戦争研究家、陸軍軍人、貴族院議員。陸軍少佐、従二位、公爵、文学博士(慶應義塾大学、1945年)。 職業軍人時代には第三十二警備隊第三十三警備大隊大隊長、室蘭防衛隊第八独立警備隊隊長などを務めた。その後は大山史前学研究所所長、慶應義塾大学文学部教授などを歴任。日本の考古学の基礎を築いた考古学者であり、また戊辰戦争研究家としても知られている。.

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子母澤寛

子母澤 寛 (しもざわ かん、1892年2月1日 - 1968年7月19日)は日本の小説家。北海道厚田郡厚田村(現・石狩市)出身。本名・梅谷 松太郎。洋画家の三岸好太郎は異父弟にあたる。.

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山岡鉄舟

山陣屋前の若き日の山岡鉄舟像 山岡 鉄舟(鐵舟、やまおか てっしゅう)は、幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家。剣・禅・書の達人としても知られる。 鉄舟は居士号、他に一楽斎。通称は鉄太郎(鐵太郎、てつたろう)。諱は高歩(たかゆき)。一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。「幕末の三舟」のひとり。栄典は従三位勲二等子爵。愛刀は粟田口国吉や無名一文字。.

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中山信安

中山 信安(なかやま のぶやす、1832年8月22日(天保3年7月27日)『明治過去帳』新訂初版、597頁。 - 1900年(明治33年)6月19日『幕末維新大人名事典』下巻「中山修輔」218-219頁。)は、幕末の幕臣、明治期の内務官僚。茨城県権令。通称・修輔、修助『百官履歴 下巻』367-368頁。。.

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中村維隆

中村 維隆(なかむら これたか、天保12年(1841年) - 大正6年(1917年))は、幕末の相馬中村藩士で、新徴組隊士。後、水戸天狗党員。剛三・剛蔵とも。旧姓は草野。.

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中條金之助

中條 金之助(ちゅうじょう きんのすけ、1827年7月12日(文政10年6月19日) - 1896年(明治29年)1月19日)は、江戸時代後期の旗本。諱は景昭。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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庄内藩

庄内藩または荘内藩(しょうないはん)は、江戸時代の日本で、出羽国田川郡庄内(現在の山形県鶴岡市)を本拠地として、現在の庄内地方を知行した藩である。 譜代大名の酒井氏が一貫して統治した。明治時代初頭に大泉藩(おおいずみはん)と改称した。 藩庁は鶴ヶ岡城。枝城として酒田市に亀ヶ崎城を置おいた。支藩に大山藩・松山藩がある。.

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元治

元治(げんじ)は日本の元号の一つ。文久の後、慶応の前。1864年から1865年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。.

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石井武膳

石井 武膳(いしい ぶぜん、文政2年7月5日(1819年8月25日)- 明治14年(1881年)10月17日)は、庄内藩士、大泉藩権少参事。.

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玉城織衛

玉城 織衛(たまき おりえ)は、豊後(現 大分県)出身の幕末の直心影流剣術の剣客。新徴組の剣術教授方の一人で、剣の腕では新徴組随一と謳われた。.

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神代仁之助

神代 仁之助(かみしろ じんのすけ、天保9年(1838年) - 没年不詳)は、壬生浪士組結成時メンバー24名の一人。水戸藩浪人。名前は上城順之助、上城仁之助とも。 文久3年2月、清河八郎らに同調し上洛。上洛後は、須永宗司が組長を勤める七番組に所属。清河らの帰東の際は、京都に残留。しかし、殿内義雄の暗殺や、家里次郎の切腹などで、隊内に居づらくなり、脱走し帰東。 帰東後は、新徴組に入隊するが、元治元年6月16日、病身につき、相勤め難く、脱退。 以後の消息は不明。 Category:幕末水戸藩の人物 Category:新徴組隊士 Category:1838年生 Category:没年不明.

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祐天仙之助

天 仙之助(ゆうてん せんのすけ、文政元年(1818年)頃 - 文久3年10月15日(1863年11月25日))は、江戸時代末期(幕末)の侠客。別名山本仙之助。甲州博徒の一人。.

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相楽総三

楽 総三(さがら そうぞう、天保10年(1839年) - 慶応4年3月3日(1868年3月26日))は、江戸時代末期(幕末)の尊皇攘夷派志士。江戸出身。赤報隊隊長。.

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白井重遠

白井 重遠(しらい しげとお、天保8年2月18日(1837年3月24日) - 大正2年(1913年)9月4日)は、日本の政治家、西田川郡西郷村村長、庄内藩新徴組取扱役。号は右為衛門。.

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芹沢鴨

芹沢 鴨(せりざわ かも、芹澤 鴨、天保3年(1832年)?- 文久3年9月16日(1863年10月28日)もしくは9月18日(10月30日))は、幕末の水戸藩浪士、新選組(壬生浪士)の初代筆頭局長(頭取)。前名は下村嗣次(継次、嗣司、嗣治とも)と推定されている。諱は光幹で、本姓は桓武平氏繁盛流大掾氏とするが、出自、出生年には諸説あり、確定されていない(後述)。.

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遠藤丈庵

遠藤 丈庵(えんどう じょうあん、天保7年(1836年) - 没年不詳)は壬生浪士組の同士。生年は、天保5年(1834年)、天保10年(1839年)とも。 武蔵国忍藩出身の浪人。文久3年(1863年)に浪士組に参加。根岸の一番隊に配属される。 根岸友山らと京(現在の京都府京都市)に残留。 残留後は、芹沢一派(新見錦、平山五郎など)や試衛館一派(近藤勇中心。土方歳三・沖田総司など)には属さず、殿内・家里一派(根岸、清水吾一など)に属した。 同月下旬に根岸、清水、鈴木長蔵らと共に江戸に戻る。 江戸に戻った後、新徴組に入隊したが、同年9月12日に総員小普請方伊賀者次席に召抱えられたため脱退。その後の消息は不明。 Category:新徴組隊士 Category:忍藩の人物 Category:1836年生.

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高橋泥舟

橋 泥舟(たかはし でいしゅう、天保6年2月17日(1835年3月15日) - 明治36年(1903年)2月13日)は、日本の武士・幕臣。.

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鳳翔 (砲艦)

鳳翔(ほうしょう)は日本海軍の砲艦。長州藩がイギリスに発注したが、日本に回航後に明治政府に献納された。排水量300トン強の小型砲艦ながら初期の日本海軍の貴重な戦力となった。 艦名は「鳳が翅を伸ばして上空を飛び舞う」こと。.

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近藤勇

近藤 勇(こんどう いさみ)は、江戸時代末期の武士。新選組局長。後に幕臣に取り立てられ、甲陽鎮撫隊隊長。勇は通称で、諱は昌宜(まさよし)という。慶応4年(1868年)からは大久保剛を名乗り、後にさらに大久保大和と改めた。家紋は丸の内に三つ引。天然理心流、豪傑の剣の使い手。.

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鈴木長蔵 (武士)

鈴木 長蔵(すずき ちょうぞう、天保5年(1834年) - 没年不詳)は壬生浪士組の同士。仙台藩浪人。生年は天保15年(1844年)とも。 文久3年(1863年)2月、清河八郎らに同調し上洛。上洛後は、須永宗司が組長を勤める七番組に所属。清河らの帰東の際は、京都に残留。壬生浪士組結成後は、殿内義雄、家里次郎らの勢力と共に行動。しかし、殿内の暗殺や、家里の切腹などで、隊内に居づらくなり、根岸友山、清水吾一、遠藤丈庵と帰東。 帰東後は、新徴組に入隊するが、清河の死後(明治5年(1872年))、脱退。 以後の詳しい消息は不明だが、後年、秋田の市会議員になったという。 Category:幕末仙台藩の人物 Category:新徴組隊士 Category:1844年生 Category:没年不明.

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薩摩藩

薩摩藩庁が置かれた鹿児島城 薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代に薩摩・大隅の2か国及び日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩。現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部を領有したほか、間接的に沖縄県の大部分を服属させた。.

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酒井忠篤 (庄内藩主)

酒井 忠篤(さかい ただずみ)は、出羽庄内藩11代藩主、左衛門尉酒井家13代、15代当主。.

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柏尾馬之助

柏尾 馬之助(かしお うまのすけ、天保9年(1838年) - 明治元年4月8日(1868年4月30日))は、幕末の阿波国出身の人物で、北辰一刀流剣術大目録皆伝の剣豪。北辰一刀流剣術桶町千葉道場で千葉定吉、千葉重太郎に師事した。八丁堀に北辰一刀流剣術道場も。主立った役職は新徴組剣術教授方(代稽古)や肝煎役。新徴組での配下には新撰組沖田総司の義兄沖田林太郎もいた。元々公武合体論者であったが、新徴組を脱隊後は維新の志士として尊皇開国・倒幕運動も支援し、明治維新に助力している。.

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松平忠敏

松平 忠敏(まつだいら ただとし)は、江戸時代末期(幕末)の幕臣(旗本)。長沢松平家の第18代当主。通称の主税助(ちからのすけ、創作などでは「主税之助」「主税之介」などとも表記される)、上総介で知られる。.

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根岸友山

根岸 友山(ねぎし ゆうざん、文化6年11月27日(1810年1月2日) - 明治23年(1890年)12月3日)は、壬生浪士組隊士、庄内藩新徴組取締役。本名、伴七。号は友山。諱は信輔。北辰一刀流振武所。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

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江戸薩摩藩邸の焼討事件

江戸薩摩藩邸の焼討事件(えどさつまはんていのやきうちじけん)は、薩摩藩が江戸市中取締の庄内藩屯所を襲撃した為、幕末の慶応3年12月25日(1868年1月19日)の江戸の三田にある薩摩藩の江戸藩邸が江戸市中取締の庄内藩新徴組らによって襲撃され、砲火により焼失した事件のことである。この事件からの一連の流れが戊辰戦争のきっかけとなった。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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河津祐邦

河津 祐邦(かわづ すけくに、文政4年(1821年) - 明治6年(1873年))は、江戸幕府の旗本。幕末に勘定奉行、関東郡代、長崎奉行、外国事務総裁などの重職を歴任した。家禄は100俵高。官職名は伊豆守。墓は東京谷中五林寺にある『長崎県大百科事典』 長崎新聞社 「河津伊豆守祐邦」(同書178頁)。。遠祖は伊豆国河津荘の地頭で、曾我兄弟の仇討ちで有名な工藤祐経の子孫『長崎奉行 江戸幕府の耳と目』 外山幹夫著 中公新書 「長崎を脱出した河津伊豆守」(178 - 180頁)。。大津事件の際に刑事局長を務めた官僚の河津祐之は祐邦の女婿、孫の暹は経済学者(東京帝国大学経済学部教授)である。.

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沖田総司

沖田 総司(おきた そうじ、天保13年(1842年)? - 慶応4年5月30日(1868年7月19日)は、幕末の武士、新選組一番隊組長及び撃剣師範。本姓は藤原を称した。諱は春政、後に房良(かねよし)。幼名は宗次郎。.

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沖田芳次郎

沖田 芳次郎(おきた よしじろう、嘉永6年1月26日(1853年3月5日)- 明治28年(1895年)1月26日)は、江戸時代末期(幕末)の新徴組隊士。沖田林太郎とみつの長男。叔父は新選組一番組長沖田総司。弟に貞吉。諱は房政。.

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沖田林太郎

沖田 林太郎(おきた りんたろう 文政9年2月22日(1826年3月30日)- 明治16年(1883年)2月13日)は、江戸時代末期(幕末)の新徴組隊士。妻は沖田みつ。弟(義弟か実弟かは不明)に櫛羅藩士(卒族)島田勝次郎。義弟に新選組隊士沖田総司。義妹に沖田キン。諱は房政、元常。.

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清水吾一

清水 吾一(しみず ごいち、天保8年(1837年) - 明治5年5月27日(1872年7月2日))は、壬生浪士組の同士。 五一とも書く。根岸友山は母方の伯父に当たる。 武蔵国埼玉郡羽生村(現在の埼玉県羽生市)の酒造業・清水弥右衛門の五男として生まれる。 文久3年(1863年)2月、浪士組に入隊。3月、根岸らと京都に残留。 同月下旬に根岸、遠藤丈庵らと共に江戸に戻り、新徴組に参加。 新徴組預りの庄内藩の帰国に妻子と共に随行し、戊辰戦争に参戦。 明治5年(1872年)、36歳で病死。 Category:戊辰戦争の人物 Category:新徴組隊士 category:武蔵国の人物 Category:1837年生 Category:1872年没.

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清河八郎

清河 八郎(きよかわ はちろう、文政13年10月10日(1830年11月24日) - 文久3年4月13日(1863年5月30日))は、江戸時代末期(幕末)の庄内藩出身の志士。田中河内介とともに九州遊説をして尊王攘夷派の志士を京都に呼び寄せ、一方で浪士組を結成し新選組・新徴組への流れを作り、虎尾の会を率いて明治維新の火付け役となった。 幼名は元司、諱は正明、号は旦起、木鶏。本名は齋藤正明で、清川八郎と改名したのち、清河八郎を名乗った。山形県庄内町の清河神社に祭神として祀られている。位階は贈正四位。.

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朝日新聞名古屋本社

朝日新聞名古屋本社(あさひしんぶんなごやほんしゃ)は、東海地方(愛知県・岐阜県・三重県〔伊賀・東紀州除く〕・静岡県〔浜松市の一部及び湖西市〕)の一部地域向けに朝日新聞を印刷・発行する朝日新聞社の地域本社である。.

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本所 (墨田区)

本所(ほんじょ)は、東京都墨田区の町名。または、旧東京市本所区の範囲を指す地域名である。.

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戊辰戦争

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。 明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。 以下の日付は、断りのない限り旧暦でしるす。.

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浪士組

浪士組(ろうしぐみ)は、文久3年(1863年)2月の江戸幕府将軍・徳川家茂上洛にあわせて、将軍警護のために作られた組織。実は幕府が江戸にいる過激な尊皇攘夷浪士達を体よく追い出すための策だったとする説もある。新選組・新徴組の前身。.

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新選組

新選組(しんせんぐみ)は、江戸時代末期(幕末)に、京都において反幕府勢力を取り締まる警察活動に従事したのち、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った武装組織である。 なお、「選」の字は「撰」とも表記されることが有り、「新撰組」と表記された史料もある。新選組の局長の近藤勇を始め、隊士たちが残した手紙でも両方の字が表記に用いられている。隊の公印が押された文献は「選」の文字が使用されているため、2004年頃から高校日本史教科書では「新選組」の表記が増えてきている。.

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文久

文久(ぶんきゅう)は日本の元号の一つ。万延の後、元治の前。1861年から1864年までの期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。.

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慶応

慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.

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時事通信社

株式会社時事通信社(じじつうしんしゃ、Jiji Press Ltd.)は、1945年11月に創立された日本の通信社である国際地域研究センター『世界のメディア』p90。同盟通信社の法人サービス部門が母体。国内78カ所、海外28カ所の支社や支局を有する。 以前は略語に JP (JijiPress) を使用していたが、現在は Jiji を使用している。.

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1863年

記載なし。

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1864年

記載なし。

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1868年

記載なし。

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