ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

播磨の国一揆

索引 播磨の国一揆

播磨の国一揆(はりまのくにいっき)は、室町時代の1429年(正長2年)2月、前年の正長の土一揆の影響を受け起こった政治的要求に基づく一揆である。播磨の土一揆(はりまのつちいっき)とも。 播磨国(兵庫県南西部)守護・赤松満祐の配下の軍兵の国外退去、荘園代官の排除を要求して蜂起するが、赤松満祐に鎮圧される。国一揆の始まりとも言われる。 中山定親の『薩戒記』に記述がある。 「…或る人曰く播磨国の土民旧冬の京辺の如く蜂起し、国中の侍悉く攻むるの間、諸庄園代、加之守護方軍兵彼等の為に、或ひは命を失ひ、或ひは追ひ落とさる。一国の騒動希代の法なりと云々。凡そ土民、侍をして国中にあらしむべからざる所と云々。乱世の至なり。よりて赤松入道発向し了んぬ者」 Category:一揆 category:室町時代の事件 category:兵庫県の歴史 Category:播磨国 Category:1429年の日本 Category:1429年の戦闘.

12 関係: 室町時代守護一揆兵庫県国一揆荘園 (日本)赤松満祐薩戒記正長正長の土一揆播磨国1429年

室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

新しい!!: 播磨の国一揆と室町時代 · 続きを見る »

守護

守護(しゅご)は、日本の鎌倉幕府・室町幕府が置いた武家の職制で、国単位で設置された軍事指揮官・行政官である。令外官である追捕使が守護の原型であって、後白河法皇が源頼朝に守護・地頭の設置と任免権を認めたことによって、幕府の職制に組み込まれていった。将軍により任命され、設立当時の主な任務は、在国の地頭の監督であった。鎌倉時代はといい、室町時代にはといった。 制度としては室町幕府滅亡後、織豊政権成立により守護が置かれなくなり守護制度が自然消滅するまで続いた。.

新しい!!: 播磨の国一揆と守護 · 続きを見る »

一揆

一揆(いっき)とは、日本において何らかの理由により心を共にした共同体が心と行動を一つにして目的を達成しようとすること、またはそのために盟約、契約を結んで、政治的共同体を結成した集団及び、これを基盤とした既成の支配体制に対する武力行使を含む抵抗運動。ドイツ語のPutschの訳語としても使われる(カップ一揆や、アドルフ・ヒトラーらが起こしたミュンヘン一揆など)。.

新しい!!: 播磨の国一揆と一揆 · 続きを見る »

兵庫県

兵庫県(ひょうごけん)は、日本の都道府県の一つ。本州の中西部に位置し、近畿地方に属する。県庁所在地は神戸市。.

新しい!!: 播磨の国一揆と兵庫県 · 続きを見る »

国一揆

国一揆(くにいっき)は南北朝時代、室町時代の領主層による領主権の確保を目的とした連合形態(一揆)を言う。国一揆が形成される要因のひとつとして外部からの政治的圧力の介入などが挙げられ、それらに対抗する為の軍事的共同形態的な結び付きが強く、目的が達成される、あるいは脅威が去った際には国一揆は解体される。代表的な国一揆として播磨の国一揆、伊賀惣国一揆、加賀一向一揆などが挙げられる。.

新しい!!: 播磨の国一揆と国一揆 · 続きを見る »

荘園 (日本)

ここでは日本の荘園(にほんのしょうえん)について扱う。.

新しい!!: 播磨の国一揆と荘園 (日本) · 続きを見る »

赤松満祐

赤松 満祐(あかまつ みつすけ/まんゆう)は、室町時代中期の武将、守護大名である。室町幕府侍所頭人、播磨・備前・美作守護。赤松義則の嫡男。兄弟に義雅、祐尚(祐之)、則繁など。従兄弟に有馬持家、満政。子に教康。生年は文中2年/応安6年(1373年)説もある。.

新しい!!: 播磨の国一揆と赤松満祐 · 続きを見る »

薩戒記

『薩戒記』(さっかいき)は藤原北家花山院流の公卿中山定親の日記。『霜台記』『定親卿記』『中山霜台禅門記』などの別名で呼ばれることもある。書名の「薩戒」は、筆者名である「さだちか」の唐風反名、すなわち名前の最初の文字「さ」と最後の文字「か」に由来する。別名『霜台記』の書名は、定親が権大納言と共に兼任した弾正尹の唐名、「霜台」に由来する。 1418年(応永25年)から1443年(嘉吉3年)までの記載があるが、抜書、部類抄、消息、宣下などを含むと収録範囲は1448年にまで及ぶ。完全に存在するのは、1425年-26年(応永32・33年)のみであるが、古くから目録・抜書・部類記などの形での引用が多くなされたことがあり、途中の7年分を除けばその内容の多くが把握できる。定親は有職故実に詳しく後小松院から重用され、武家伝奏も務めたことから朝廷・幕府双方の動向に通じていたため、内容は豊富で文献としての価値は高く、『満済准后日記』『建内記』『看聞日記』と並んで、室町時代中期の重要な史料とされる。 原本は東大史料編纂所に6巻、京都大学に1巻、写本は宮内庁書陵部、尊経閣文庫などに所収されている。全8巻の予定で『大日本古記録』の一として刊行中。.

新しい!!: 播磨の国一揆と薩戒記 · 続きを見る »

正長

正長(しょうちょう)は、日本の元号の一つ。応永の後、永享の前。1428年の期間を指す。この時代の天皇は称光天皇、後花園天皇。室町幕府将軍は空位。.

新しい!!: 播磨の国一揆と正長 · 続きを見る »

正長の土一揆

正長の土一揆(しょうちょうのどいっき、-つちいっき)は、1428年(正長元年)8月から9月に起きた、室町時代の一揆の一つ。別名は正長の徳政一揆。農民が起こした初めての一揆でもある。.

新しい!!: 播磨の国一揆と正長の土一揆 · 続きを見る »

播磨国

播磨国(はりまのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。山陽道に属する。.

新しい!!: 播磨の国一揆と播磨国 · 続きを見る »

1429年

記載なし。

新しい!!: 播磨の国一揆と1429年 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

播磨の土一揆播磨土一揆播磨国一揆

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »