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打出浜の戦い

索引 打出浜の戦い

打出浜の戦い(うちではまのたたかい)は、南北朝時代の観応の擾乱における合戦の一つ。1351年(正平6年/観応2年)2月、摂津国打出浜(兵庫県芦屋市)において、足利直義の軍勢と足利尊氏・高師直の軍勢の間で戦われた。.

35 関係: 南北朝時代 (日本)南朝 (日本)室町幕府上杉能憲上杉重能仁木頼章伊丹市兵庫県石塔頼房細川顕氏畠山国清畠山直宗芦屋市観応観応の擾乱高師夏高師世高師直高師泰足利尊氏足利義詮足利直冬足利直義赤松範資桃井直常正平 (日本)武庫川戦闘日本の合戦一覧日本史の出来事一覧摂津国播磨国打出 (芦屋市)1350年1351年

南北朝時代 (日本)

南北朝時代(なんぼくちょう じだい)は、日本の歴史区分の一つ。建武の新政の崩壊を受けて足利尊氏が新たに光明天皇(北朝側)を擁立したのに対抗して京都を脱出した後醍醐天皇(南朝側)が吉野行宮に遷った1336年(延元元年/建武3年)から、南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位するかたちで両朝が合一を見た1392年(元中9年/明徳3年)までの、56年間をいう。また両朝の並立はひとえに後醍醐天皇の皇位に対する執念が生み出したものであることから、彼を中心に歴史が動いた南北朝時代の序章とでもいうべき1331年(元弘元年)の元弘の乱から建武新政の終焉に至る5年間もまたこの時代に含めるのが一般的である。 鎌倉時代の後半から半世紀にわたって両統迭立という不自然なかたちの皇位継承を繰り返した皇統は、すでに持明院統と大覚寺統という二つの相容れない系統に割れた状態が恒常化するという実質的な分裂を招いていた。それが倒幕と新政の失敗を経て、この時代になると両統から二人の天皇が並立し、それに伴い京都の北朝と吉野の南朝の二つの朝廷が並存するという、王権の完全な分裂状態に陥った。両朝はそれぞれの正統性を主張して激突し、幾たびかの大規模な戦が起こった。また日本の各地でも守護や国人たちがそれぞれの利害関係から北朝あるいは南朝に与して戦乱に明け暮れた。 こうした当時の世相を、奈良興福寺大乗院の第20代門跡・尋尊は自らが編纂した『大乗院日記目録』の中で「一天両帝南北京也」と表現した。これを中国の魏晋南北朝の時代を模して南北朝時代と呼ぶようになったのはかなり後のことである。なお明治以後に南朝の天皇を正統とする史観が定着すると、この時代の名称が「北朝」の語を含むことが問題視されるようになったため、吉野朝時代(よしのちょう じだい)という新語が作られたが、第二次世界大戦後に皇国史観が影を潜めるとともに死語同然となった。.

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南朝 (日本)

南朝(なんちょう)は、吉野朝廷(よしのちょうてい)とも称され、南北朝時代に京都以南の大和国の吉野(奈良県吉野郡吉野町)、賀名生(同県五條市西吉野町)、摂津国の住吉(大阪府大阪市住吉区)を本拠とした大覚寺統の後醍醐天皇に属する朝廷。1336年から1392年まで56年あまり存続し、叙位や元号の制定など政権としての機能を有した。.

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室町幕府

花の御所(室町殿) 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利尊氏が京都において軍事貴族(武家貴族)として創始した武家政権。その称は3代将軍足利義満が京都北小路室町(現在の今出川通と室町通が交わる付近)に造営した花の御所(室町殿)に由来する。足利幕府ともいう。足利氏が15代にわたって将軍職を継承したが、織田信長によって事実上の滅亡に追い込まれた。.

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上杉能憲

上杉 能憲(うえすぎ よしのり)は、南北朝時代の武将・守護大名。関東管領。上野国・武蔵国・伊豆国守護。.

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上杉重能

上杉 重能(うえすぎ しげよし)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武士。足利尊氏・直義とは従兄弟である。.

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仁木頼章

仁木 頼章(にっき よりあき)は、鎌倉時代後期から室町時代前期の武将で、室町幕府初代将軍足利尊氏の執事。.

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伊丹市

昆陽池の水鳥 伊丹市中心部周辺の空中写真。猪名川を挟んだ市街地の東方に大阪国際空港がある。1985年撮影の10枚を合成作成。国土航空写真。 伊丹市(いたみし)は、兵庫県南東部(阪神地区)に位置する市。阪神北県民局管轄区域。.

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兵庫県

兵庫県(ひょうごけん)は、日本の都道府県の一つ。本州の中西部に位置し、近畿地方に属する。県庁所在地は神戸市。.

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石塔頼房

石塔 頼房(いしどう よりふさ)は、南北朝時代の武将。足利氏支流・石塔氏の第3代当主。石塔義房の次子。兄・範家の死後に嫡子か。苗字は「石堂」とも表記される。.

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細川顕氏

細川 顕氏(ほそかわ あきうじ)は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての足利直義側の武将。細川氏の一門。細川頼貞の子。.

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畠山国清

山 国清(はたけやま くにきよ)は、南北朝時代から室町時代の武将、守護大名である。足利氏の支流畠山氏出身。和泉、紀伊守護を経て関東管領となる。伊豆守護家の祖。父は畠山家国。弟に義深など。子に義清、義晴。.

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畠山直宗

山 直宗(はたけやま ただむね、? - 貞和5年/正平4年12月20日(1350年1月28日))は、南北朝時代の人物。通称は大蔵少輔・四郎太郎。畠山時国の弟・義生を祖とする美濃畠山氏の出身。父は畠山宗国(むねくに)。叔父に南九州において一時的に勢力を誇った、日向国守護の畠山直顕がいる。.

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芦屋市

屋市(あしやし)は、兵庫県南東部にある市。阪神南県民センター管轄区域。屋の「」は、正確には「戸」の部分が旧字(「戶」)。本項では市制前の名称である精道村(せいどうむら)についても述べる。 国際観光文化都市に指定されている。兵庫県内において、摂津国であった阪神間の神戸市寄りに位置し、固有の阪神間モダニズム文化に育まれた瀟洒な街並を擁する。市内北部、平田町や松浜町といった中部は高級住宅地として名高く、市内南部は谷崎潤一郎の小説『細雪』の舞台になったことでも知られる。北に六甲山地、南に大阪湾を臨んだ豊かな自然と、南に緩やかに傾斜する地形は、美しい景観と温暖な気候を形成する。.

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観応

観応(かんのう、かんおう)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。北朝方が使用した。貞和の後、文和の前。1350年から1352年までの期間を指す。この時代の天皇は、北朝方が崇光天皇・後光厳天皇。南朝方が後村上天皇。室町幕府将軍は足利尊氏。正平一統による4か月間の中断を経たのち復活している。.

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観応の擾乱

観応の擾乱(かんのうのじょうらん)は、南北朝時代の1349年から1352年にかけて続いた抗争で、観応年間に頂点に達した足利政権(室町幕府)の内紛。実態は足利政権だけにとどまらず、対立する南朝と北朝、それを支持する武家や、公家と武家どうしの確執なども背景とする。 この擾乱の中で一時的に生じた南北朝の統一である正平一統についても併せて解説する。.

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高師夏

師夏(こう の もろなつ)は、南北朝時代の武将。足利氏の家臣。.

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高師世

師世(こう の もろよ、生年不詳 - 観応2年/正平6年2月26日(1351年3月24日))は、南北朝時代の武将。本姓は高階氏。高師泰の子。兄弟に高久武(ひさたけ)、高師秀(もろひで)、高師武(もろたけ、国司氏の祖)がおり、このうち師秀は師世の養嗣子となった。.

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高師直

師直(こう の もろなお)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。足利尊氏時代に執事をつとめた。本姓は高階氏だが、一般的には名字である「高」と、諱である「師直」の間に「の」を入れて呼ばれる。.

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高師泰

師泰(こう の もろやす)は、南北朝時代の武将。高師直の兄弟(『高階系図』ではの師直の兄とされているが、同時代の史料である『園太暦』では「舎弟師泰」と記されている)。.

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足利尊氏

足利 尊氏(あしかが たかうじ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。室町幕府の初代征夷大将軍(在職:1338年 - 1358年)。足利将軍家の祖。.

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足利義詮

足利 義詮(あしかが よしあきら)は、南北朝時代の室町幕府第2代将軍。初代将軍足利尊氏の嫡男足利竹若丸、足利直冬という二人の庶兄に次いで三男とされる。。母は鎌倉幕府最後の執権・北条守時の妹で正室の赤橋登子。.

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足利直冬

足利 直冬(あしかが ただふゆ)は、南北朝時代の武将。 室町幕府将軍・足利尊氏の落胤尊氏の庶長子(長男)とする説もあるが、竹若丸に次いで次男であったとされる。。尊氏に実子として認知されず、尊氏の同母弟・直義の養子となる。観応の擾乱を機に尊氏と徹底して対立・抗争を繰り広げて南北朝時代を激化させたが、尊氏の死後は勢力が衰え、消息不明となった。.

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足利直義

足利 直義(あしかが ただよし)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけての武将。鎌倉幕府の有力御家人足利貞氏の三男。室町幕府初代将軍足利尊氏の同母弟。 将軍尊氏を補佐して政務面を統括し、草創期室町幕府の体制は尊氏・直義兄弟による「二頭政治」だったと言われるが、実際は将軍就任当初から尊氏はすでに隠居状態にあり、幕政の運営は直義の下で行われていた。それでも、清和源氏の嫡流であり武将としての器量にも優れる尊氏は全国の武士を統合する機能を果たしており、直義が取って代わることはできなかった。 尊氏の執事高師直との間に派閥対立を生じ、師直の追い落としを図り却って失脚したものの、やがて南朝と結んで師直一族を討ち幕政を掌握した。しかし対立は尊氏・直義両者による全国を巻き込む戦乱に発展し、直義は東国に逃れたが最後は鎌倉に幽閉され急死を遂げた(観応の擾乱)。.

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赤松範資

赤松 範資(あかまつ のりすけ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将・守護大名。摂津国・播磨国守護。赤松氏5代当主。.

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桃井直常

桃井 直常(もものい ただつね)は、南北朝時代の武将、守護大名。足利氏一門で家臣。父は桃井貞頼。弟に直信、直弘。子に直和、直知、橋本直安、直久、直政、康儀、直藤、正雲禅師(高岡国泰寺住持)、養子:直弘 桃井氏は下野の足利氏の支族で、上野国群馬郡桃井(現在の群馬県榛東村、旧名桃井村)を苗字の地とする。.

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正平 (日本)

正平(しょうへい)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。南朝方にて使用された。興国の後、建徳の前。1346年から1370年までの期間を指す。この時代の天皇は南朝方が後村上天皇、長慶天皇。北朝方が光明天皇、崇光天皇、後光厳天皇。室町幕府将軍は足利尊氏、足利義詮、足利義満。 昭和、明治、応永、平成、延暦に次ぎ、歴代で6番目に長い元号である。一世一元の制制定以前の元号では3番目に長い。.

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武庫川

武庫川の始点。 真南条川と田松川の合流地点@篠山市 武庫川(むこがわ)は、兵庫県南東部を流れる河川。二級水系の本流である。.

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戦闘

戦闘(せんとう、、proeliumプロエリウム)とは、相互に敵対する二つの勢力による暴力の相互作用である。戦斗、戰闘とも。 戦闘が行われている場所を戦場(せんじょう)、戦地といい、歴史的に戦闘(合戦など)が行われた場所は古戦場(こせんじょう)と呼ぶことがある。歴史的な慣習によって、「―の戦い」、「―の合戦」、「―の会戦」という用語も用いられる。 ここでは戦闘一般に関する軍事学の研究を概説する。 戦闘とは一般的に、敵対している部隊が特定の目的を達成するために戦闘力を行使する行動、またはその行動によって引き起こされる一連の交戦状況であり、具体的には発見(索敵)、機動、攻撃・防御、追撃・後退行動と段階的に進展する。戦闘において部隊を指導するのは戦術であり、戦闘の目的や投入される戦力の装備、規模は作戦計画によって決定される。戦闘では敵と敵施設に対して武器、兵器を使用して殺傷することによって抵抗行動を排除、破壊し、作戦目標を達成することが主要な作業となる。戦闘当事者である兵士たちは非常に強い肉体的・精神的なストレスを受けながら戦闘行動をとることになるため、被弾や被爆で死傷するだけでなく、衝撃的な経験からPTSDなどの精神疾患を患う場合もある。また戦闘は戦闘当事者双方ともに生死の狭間という極限状況において活動するため、戦場心理と呼ばれる特別な心理状態になることもある。そのため、戦闘力の要素として火力や機動力などのほかに軍事的リーダーシップが含まれると考えられている。.

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日本の合戦一覧

日本の合戦一覧(にほんのかっせんいちらん)は、日本の歴史上で発生した武力を以って行った主要な争いの一覧である。 概ね「戦い」や「合戦」は軍隊同士の大規模な戦闘、「乱」は国家や公的な組織に対する内戦・反乱・クーデターに当たる争い、「変」は国家や公的な組織による内戦・反乱・クーデター、「役」は外国・異民族との戦争。.

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日本史の出来事一覧

日本史の出来事一覧(にほんしのできごといちらん)では、日本の歴史上のおもな出来事を年代順に記述する。.

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摂津国

摂津国(せっつのくに、旧字体:攝津國)は、日本の令制国の一つ。畿内に属する。現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部にあたる。.

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播磨国

播磨国(はりまのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。山陽道に属する。.

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打出 (芦屋市)

打出(うちで)は、兵庫県芦屋市東部、宮川流域、六甲山地南麓から大阪湾へかけての段丘・沖積地にあたる地域。明治22年(1889年)から昭和19年(1944年)まで芦屋・三条・津知と共に芦屋市(旧・精道村)を構成する大字の一つであった。 現在の町名では、打出町・春日町・打出小槌町・若宮町・西蔵町・浜町・南宮町・大東町・呉川町・宮川町・宮塚町・上宮川町・楠町・翠ヶ丘町・親王塚町・大原町に相当する。.

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1350年

記載なし。

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1351年

記載なし。

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