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幻想曲

索引 幻想曲

幻想曲(げんそうきょく)は、ファンタジア(fantasia, Fantasie, Phantasie, fantaisie, fantasye, phantaisie, fancie, fancy, fansye, fantasy, fantazia, fantazie, fantazy, phansie, phantasy, phantazia)の訳語。作曲者の自由な想像力に基づいて創作される器楽作品の名称として用いられる。即興的なものから、厳格な対位法によるものまでその内容は多岐にわたっている。.

35 関係: さすらい人幻想曲合唱幻想曲対位法巡礼の年中森明菜幻想曲 (シューマン)幻想曲 (ショパン)幻想曲 (スクリャービン)幻想曲D940マックス・ブルッフハンガリー田園幻想曲ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンクヨハネス・ブラームスヨハン・ゼバスティアン・バッハルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンレイフ・ヴォーン・ウィリアムズロベルト・シューマンヴァイオリン協奏曲ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトトマス・タリスの主題による幻想曲パブロ・デ・サラサーテフランツ・リストフランツ・ドップラーフランツ・シューベルトフレデリック・ショパンフェリックス・メンデルスゾーンフェルナンド・ソルアレクサンドル・グラズノフアレクサンドル・スクリャービンカルメン幻想曲 (サラサーテ)グリーンスリーヴスによる幻想曲ゲオルク・フィリップ・テレマンスコットランド幻想曲絢香7つの幻想曲 (ブラームス)

さすらい人幻想曲

幻想曲ハ長調 D760『さすらい人』(げんそうきょくはちょうちょう・さすらいびと、 D.760 Op.15)は、1822年に出版されたフランツ・シューベルト作曲のピアノ独奏曲である。作品15。 一般的に『さすらい人幻想曲』(さすらいびとげんそうきょく)の名で親しまれている曲である。.

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合唱幻想曲

合唱幻想曲 ハ短調(がっしょうげんそうきょく、独:Fantasie für Klavier, Chor und Orchester c-Moll) 作品80は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1808年に作曲した、独奏ピアノと管弦楽を含む合唱曲。バイエルン国王マクシミリアン1世に献呈されている。管弦楽に加えてピアノ独奏・独唱者6人・4部合唱が必要であるということもあり、他のベートーヴェンの楽曲に比べて演奏される機会は非常に少ない。.

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対位法

対位法(たいいほう)(counterpoint, Kontrapunkt )とは、音楽理論のひとつであり、複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ互いによく調和して重ね合わせる技法である。 対位法と並び、西洋音楽の音楽理論の根幹をなすものとして和声法がある。和声法が主に楽曲に使われている個々の和音の種類や、和音をいかに連結するか(声部の配置を含む和音進行)を問題にするのに対し、対位法は主に「いかに旋律を重ねるか」という観点から論じられる。もっとも、和声法においても和音を連結する際に各声部の旋律の流れは論じられるし、対位法においても旋律間の調和を問題とする以上、音の積み重ねとしての和音を無視するわけではないので、これら二つの理論は単に観点の違いであって、全く相反するような性質のものではないと言える。 また対位法とは、狭義にはフックスの理論書を淵源とする厳格対位法(類的対位法)の理論、並びにその実習のことであり、作曲の理論・実習のひとつである。.

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巡礼の年

《巡礼の年》(じゅんれいのとし、巡礼の年報とも訳される、フランス語:Années de pèlerinage)はフランツ・リストのピアノ独奏曲集。《第1年:スイス》《第2年:イタリア》《ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)》《第3年》の4集からなる。 20代から60代までに断続的に作曲したものを集めたもので、彼が訪れた地の印象や経験、目にしたものを書きとめた形をとっている。若年のヴィルトゥオーソ的・ロマン主義的・叙情的な作品から、晩年の宗教的、あるいは印象主義を予言するような作品まで様々な傾向の作品が収められており、作風の変遷もよくわかる。〈泉のほとりで〉、〈ダンテを読んで〉、〈エステ荘の噴水〉などが特に有名。.

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中森明菜

中森 明菜(なかもり あきな、1965年7月13日 - )は、日本の歌手、女優。80年代アイドル。本名同じ。東京都大田区生まれ、清瀬市育ち。明治大学付属中野高等学校定時制中退。研音、コレクション、コンティニュー、N.A.P.C、楽工房を経てFAITH(ファイス)所属。所属レーベルはユニバーサルJ、ユニバーサルミュージック内の私設レーベル歌姫レコーズ。血液型A型。.

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幻想曲 (シューマン)

幻想曲 ハ長調(げんそうきょく はちょうちょう:Fantasie C-Dur)作品17は、ロベルト・シューマン作曲のピアノのための幻想曲。シューマン初期のピアノ曲で、『クライスレリアーナ』などと並び、彼のロマン主義志向が顕著に現れた代表的作品である。3楽章からなるソナタ風幻想曲で、演奏時間は30分程度。.

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幻想曲 (ショパン)

『幻想曲』(げんそうきょく:Fantasie)ヘ短調 作品49は、フレデリック・ショパンが1841年に作曲した幻想曲。このジャンルは元々、形式に捉われない自由な楽曲を意味し、バロック時代から多くの作品が書かれたが、その作風は時代によって変化してきた。バッハからモーツァルトに至っては、それは思いつくままに楽想を並べていったようなものであった。.

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幻想曲 (スクリャービン)

アレクサンドル・スクリャービンの《幻想曲ロ短調》作品28は、1900年のピアノ曲。《ソナタ第3番》と《ソナタ第4番》の間に完成された、ソナタ形式による単一楽章の作品。スクリャービンがモスクワ音楽院ピアノ科教授として忙殺されていた時期に作曲された唯一の作品である。 対位法的構想や劇的な性格においては《ソナタ第3番》の特徴を引き継いでいるが、超絶技巧の要求において《ソナタ第4番》の前触れとなっている(ただし、左手の超絶技巧に関して言えば、《第3番》の延長上にあると言える)。全般的に、主題のカノン的な処理が顕著である。3つのソナタ主題で構成され、情熱的な第1主題、26小節にわたって繰り広げられる霊感に満ちた第2主題、力強い密集和音で半音階的に進行する第3主題が含まれる。このうち第3主題は、《神聖なる詩》の世界を予告している。再現部は後で拡張され、さらに敷衍される。息の長いコーダを通じて情緒的な旋律線が進んで行く。このような工夫は、後年の《「白ミサ」ソナタ》においても現れることとなる。 ロシアのピアニストには人気のある楽曲だが、作曲者自身は本作を顧ることがなかった。レオニード・サバネーエフがスクリャービンの自宅のピアノで《幻想曲》の主題を弾いたところ、スクリャービンは隣の部屋から「誰の曲だい?覚えがあるな」と叫んだ。サバネーエフが「あなたの幻想曲ですが」と答えると、スクリャービンは「何て幻想曲?」と聞き返したという。.

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幻想曲D940

幻想曲 ヘ短調(げんそうきょく へたんちょう、Fantasie f-Moll)作品103、D 940は、フランツ・シューベルトが死去の年、1828年に作曲したピアノ連弾曲。シューベルトの数多い4手ピアノ曲の中でも、とりわけ印象深い晩年の傑作として、多く演奏されている。.

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マックス・ブルッフ

マックス・クリスティアン・フリードリヒ・ブルッフ(Max Christian Friedrich Bruch, 1838年1月6日 - 1920年10月2日)は、ケルンに生まれベルリンで没したドイツの作曲家、指揮者、教育者。教師で有名な歌手であった母親から教育を受け、音楽、特に作曲に早くから才能を示した。ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調が、ロマン派の協奏曲として特に有名でよく演奏される。他にもヴァイオリンと管弦楽のための『スコットランド幻想曲』や、チェロと管弦楽のための『コル・ニドライ』がしばしば演奏される。.

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ハンガリー田園幻想曲

ハンガリー田園幻想曲(ハンガリーでんえんげんそうきょく、Fantaisie Pastorale Hongroise )作品26は、フランツ・ドップラーが作曲したフルートと管弦楽のための作品。ドップラーの作品の中でもっとも有名な作品である。.

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ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク

ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク(Jan Pieterszoon Sweelinck, 1562年4月 - 1621年10月16日 アムステルダム)は、オランダの作曲家・オルガニスト。ルネサンス音楽の末期からバロック音楽の最初期において、北ドイツ・オルガン楽派の育成に寄与した。音楽家としても教育者としても、イタリアのフレスコバルディに匹敵する存在である。スヴェーリンクと表記されることもある。 彼の肖像は1970年代のオランダの25ギルダー紙幣に描かれていた。.

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ヨハネス・ブラームス

ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms、1833年5月7日 - 1897年4月3日)は、19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。J.S.バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)と共に、ドイツ音楽における三大Bとも称される。ハンブルクに生まれ、ウィーンに没する。作風はおおむねロマン派音楽に属するが、古典主義的な形式美を尊重する傾向も強い。 ベートーヴェンの後継者ととらえる人もおり、指揮者のハンス・フォン・ビューローは彼の『交響曲第1番』を「ベートーヴェンの交響曲第10番」と評した。.

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ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

ライプツィヒ・聖トーマス教会前に立つバッハ像 バッハにゆかりのある土地 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(, 1685年3月31日(ユリウス暦1685年3月21日) - 1750年7月28日)は、18世紀のドイツで活躍した作曲家・音楽家である。 バロック音楽の重要な作曲家の一人で、鍵盤楽器の演奏家としても高名であり、当時から即興演奏の大家として知られていた。バッハ研究者の見解では、バッハはバロック音楽の最後尾に位置する作曲家としてそれまでの音楽を集大成したとも評価されるが、後世には、西洋音楽の基礎を構築した作曲家であり音楽の源流であるとも捉えられ、日本の音楽教育では「音楽の父」と称された。 バッハ一族は音楽家の家系で(バッハ家参照)数多くの音楽家を輩出したが、中でも、ヨハン・ゼバスティアン・バッハはその功績の大きさから、大バッハとも呼ばれている。J・S・バッハとも略記される。.

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い、1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。.

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レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ

レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(Ralph Vaughan Williams, 1872年10月12日-1958年8月26日) は、イギリスの作曲家である。Vaughan Williams が姓であり、RVW または VW と略される。Ralph は通常「ラルフ」と読むが、本人が古風な発音の「レイフ」にこだわったという経緯から「レイフ」が用いられる。グロスターシャー州ダウンアンプニーに生まれる。ロンドンの王立音楽大学で作曲を学び、在学中にホルストと知り合い親交を深める。民謡の採集や教会音楽の研究を通して独特の作風を確立し、イギリス人による音楽の復興の礎を築いた。イギリスの田園風景を彷彿とさせる牧歌的な作風は、広くイギリス国民に愛されている。日本では『惑星』で知られるホルストに比べて知名度が低いが、欧米ではホルストより高く評価されている。生涯に9つの交響曲を遺し、また、イングランドの民謡を題材にした作品も多い。 生涯にわたってシベリウスを尊敬していたといわれ、第5交響曲はシベリウスに献呈されている。.

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ロベルト・シューマン

ベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810年6月8日 - 1856年7月29日)は、ドイツ・ロマン派を代表する作曲家。に基づきローベルト・シューマンと表記されることもある。 ベートーヴェンやシューベルトの音楽のロマン的後継者として位置づけられ、交響曲から合唱曲まで幅広い分野で作品を残した。 とくにピアノ曲と歌曲において評価が高い。 ツヴィッカウの裕福な家庭に生まれ、ライプツィヒ大学の法科に進むも、ピアニストをめざしてフリードリヒ・ヴィーク(1785年 - 1873年)に師事する。しかし、指の故障によりピアニストを断念、作曲家となる。ヴィークの娘でピアニストのクララ(1819年 - 1896年)との恋愛と結婚はシューマンの創作活動に多大な影響を及ぼした。文学への造詣も深く、1834年に「新音楽時報」の創刊に携わり、以後10年間にわたって音楽評論活動を行う。このころから精神障害の症状に悩まされるようになる。1844年にライプツィヒからドレスデンへ、1850年にデュッセルドルフへと移住して指揮者としても活動する。この間、子供向けのピアノ曲を作曲するなど教育分野での貢献も残した。1853年にヨハネス・ブラームス(1833年 - 1897年)と出会い、「新しい道」と題する論文で若き天才として紹介するが、翌1854年にライン川に投身自殺を図る。救助されたシューマンはボン近郊のエンデニヒの療養所に収容され、2年後の1856年に46歳で死去した。.

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ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリンきょうそうきょく)は、ヴァイオリンのための協奏曲。通常はヴァイオリン独奏者(ソリスト)と管弦楽による伴奏によって構成される。まれに複数のヴァイオリン奏者がいる場合もある。バロックの時代から現代まで、多くの有名な作曲家がヴァイオリン協奏曲を作曲しており、協奏曲の重要なジャンルとみなされている。ヴィヴァルディ、J.S.バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、シベリウス、チャイコフスキー、ヴィエニャフスキのものは有名で、特に、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64、ブラームスのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35から3作品を選んで三大ヴァイオリン協奏曲と称したり、4作品で四大ヴァイオリン協奏曲とすることもある。 ヴァイオリン協奏曲のなかには、管弦楽ではなくて室内楽の編成による伴奏を伴うものもある。たとえばヴィヴァルディのL'estro armonicoは、4つのヴァイオリン、2つのヴィオラ、チェロ、通奏低音のための作品であり、またアラン・ペッタション(Allan Pettersson)の第1番はヴァイオリンと弦楽四重奏のための作品である。.

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ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(、洗礼名:ヨハンネス・クリュソストムス・ウォルフガングス・テオフィルス・モザルト 、1756年1月27日 - 1791年12月5日)はオーストリアの音楽家である。古典派音楽の代表であり、ハイドン、ベートーヴェンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人である。称号は神聖ローマ帝国皇室宮廷作曲家、神聖ローマ帝国皇室クラヴィーア教師、ヴェローナのアカデミア・フィラルモニカ名誉楽長などを務めた。.

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トマス・タリスの主題による幻想曲

《トマス・タリスの主題による幻想曲》(英語:Fantasia on a Theme of Thomas Tallisもしくは《タリス幻想曲》(同:Tallis Fantasia)は、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズがスリー・クワイアーズ・フェスティヴァルに出品するため1910年に作曲した作品であり、作曲者の最初の出世作である。1910年9月6日にグロースター大聖堂において作曲者自身の指揮と、ロンドン交響楽団員の演奏により初演された。後に1913年と1919年に2度にわたって改訂された。全曲の演奏に16分程度を要する。 本作品で用いられている楽器編成は、3群に分けられた弦楽合奏である。即ち、典型的な弦楽オーケストラから成る第1アンサンブル、1パートにつき譜面台1台(つまり2人)ずつの小編成による第2アンサンブル(第1アンサンブルから離れた空間に置くのが望ましいとされている)、それと弦楽四重奏である。印象的なのは、ヴォーン・ウィリアムズが弦楽合奏のこのような空間配置を採ってオルガンに似た響きの印象を作り出していることであり、それによって弦楽四重奏に(オルガンの)スウェルボックスの役割をさせている。本作を鑑賞すれば、必ずや教会内部の音響効果を想像することになる。 本作は、楽曲構造においてエリザベス朝の「ファンシー」または「ファンタジー」に似せられている。「タリスの主題」は、全曲を通して3度にわたって聞こえるが、楽曲の大部分は主題の構成素となる断片ないしはモチーフを基礎としており、従ってそれらに変奏も依拠している。楽曲が3分の1ほど進むと、主題に基づく副次的な旋律が最初ヴィオラ独奏で現れる。この副次主題が、最後の5分間におけるクライマックスを形作るのである。 トマス・タリスのフリギア旋法による原曲は、イングランド国教会の初代カンタベリー大主教マシュー・パーカーのために捧げた、1567年の9曲の詩篇のうちの1つである。ヴォーン・ウィリアムズは1906年に『イングランドの賛美歌 English Hymnal 』を校訂した際、その詩篇を第92曲として取り上げた。タリスの原曲には以下のような英詩が付けられていた。 《タリス幻想曲》は、ラッセル・クロウ主演映画『マスター・アンド・コマンダー』(2003年)や、2004年の映画『パッション』に使われている。「ニューヨーカー」誌の批評家アレックス・ロスは自身のブログにおいて、映画『トロイ』の愛のテーマの音楽が《タリス幻想曲》に類似していると指摘している。.

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パブロ・デ・サラサーテ

パブロ・マルティン・メリトン・デ・サラサーテ・イ・ナバスクエス(Pablo Martín Melitón de Sarasate y Navascuéz, 1844年3月10日 - 1908年9月20日)は、スペイン・パンプローナ出身の作曲家、ヴァイオリン奏者。バスク人である。.

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フランツ・リスト

フランツ・リスト(、、1811年10月22日 - 1886年7月31日)は、王政ハンガリー出身で、現在のドイツやオーストリアなどヨーロッパ各地で活躍したピアニスト・作曲家。 自身の生地であるハンガリー王国(当時はオーストリア帝国支配下の版図内)を祖国と呼び、ハンガリー人としてのアイデンティティを抱いていたことから、死後も「ハンガリー」の音楽家として認識・記述されることが多い。しかしながら、その一方で生涯ハンガリー語を習得することはなく、両親の血統、母語、最も長い活動地のいずれも「ドイツ」に属し、当時の中東欧に多数存在したドイツ植民の系統でもある。このような複雑な出自や、ハンガリー音楽を正確に把握していたとは言い難い作品歴から、非音楽大国系の民族運動としての国民楽派に含めることは殆どなく、多くはドイツロマン派の中に位置づけられる。ただし、祖父母4人ともがドイツ圏に出自を持つその民族性を強調することは、その作品を好み『前奏曲』などをテーマ音楽的に用いたナチスの記憶につながることもあり、今日ではあまり奨励されない。 ピアニストとしては演奏活動のみならず、教育活動においてもピアニズムの発展に貢献をした。また、作曲家としては新ドイツ楽派の旗手、および交響詩の創始者として知られる。ハンス・フォン・ビューローをはじめとする多くの弟子を育成した。.

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フランツ・ドップラー

アルベルト・フランツ・ドップラー(Albert Franz Doppler, Doppler Albert Ferenc, 1821年10月16日 オーストリア帝国領ガリツィア・ルヴフ - 1883年7月27日 バーデン・バイ・ウィーン)は、フルート曲で有名なハンガリー人の作曲家。生前は、むしろオペラやバレエなどの舞台音楽の作曲家として評価が高かった。また、リスト・フェレンツの『ハンガリー狂詩曲』のいくつかを編曲したことでも知られている。 1828年から1831年まで、オーボエ奏者であった父親からフルートの指導を受ける。18歳でブダペスト歌劇場の首席フルート奏者に就任する。その後はウィーン宮廷歌劇場の首席フルート奏者から首席指揮者の地位へと昇り詰め、1864年から1867年までウィーン音楽院のフルート科の教授も務めた。 オペラやいくつかのフルート協奏曲のほか、超絶技巧を要する華麗なフルート小品を残している。フルート二重奏曲やフルート二重奏のための協奏曲といった作品は、フルートのヴィルトゥオーソ兄弟としてヨーロッパ中を席巻した、弟カール・ドップラー(ドップレル・カーロイ)との共演のために作曲されている。日本では、東洋的な曲想をもつ『ハンガリー田園幻想曲』作品26が人気が高い。 弟カールともどもフルートのヴィルトゥオーソにして作曲家であった(兄弟ともベーム式フルートを好まず、旧式のフルートを使い続けた)。カールの子である甥アールパード・ドップラー(ドップレル・アールパード、Árpád Doppler)も作曲家となり、米国で活動した。.

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フランツ・シューベルト

フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert, 1797年1月31日 - 1828年11月19日)は、オーストリアの作曲家。各分野に名曲を残したが、とりわけドイツ歌曲において功績が大きく、歌曲の王と呼ばれることもある。 後述の理由により、本稿ではシューベルトの作品番号として「D.○○」を用いず「D○○」という表記を採用する。.

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フレデリック・ショパン

フレデリック・フランソワ・ショパン(Frédéric François Chopin 、国際音声記号による発音表記は 。 、1810年3月1日(2月22日(出生証明の日付)、1809年3月1日説もあり) - 1849年10月17日)は、ポーランドの前期ロマン派音楽を代表する作曲家。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家として有名だった。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人フランス語 le poète du piano、ポーランド語 poeta fortepianu、英語 the poet of the piano、ドイツ語 der Poet am Klavierなど。とも呼ばれるように、様々な形式・美しい旋律・半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。夜想曲やワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが多い作曲家の一人でもある。また、強いポーランドへの愛国心からフランスの作曲家としての側面が強調されることは少ないが、父の出身地で主要な活躍地だった同国の音楽史に占める重要性も無視できない。 1988年からポーランドで発行されていた5000ズウォティ紙幣に肖像が使用されていた。また、2010年にもショパンの肖像を使用した20ズウォティの記念紙幣が発行されている。2001年、ポーランド最大の空港「オケンチェ空港(Port lotniczy Warszawa-Okęcie)」が「ワルシャワ・ショパン空港」に改名された。.

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フェリックス・メンデルスゾーン

ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809年2月3日 - 1847年11月4日)、通称フェリックス・メンデルスゾーンは、ドイツ・ロマン派の作曲家、指揮者、ピアニスト、オルガニスト。 哲学者モーゼスを祖父、作曲家ファニーを姉として生まれたメンデルスゾーンは、神童として幼少期から優れた音楽の才能を示したことで知られる。彼はバッハの音楽の復興、ライプツィヒ音楽院の設立など、19世紀の音楽界に大きな影響を与えた。また、作曲家としても「ヴァイオリン協奏曲」『夏の夜の夢』『フィンガルの洞窟』「無言歌集」など今日でも広く知られる数々の作品を生み出している。 ユダヤ人の家系であったメンデルスゾーン家は言われなき迫害を受けることが多く、それはキリスト教への改宗後もほとんど変わらなかった。そのような状況にも関わらずフェリックスの業績・影響力は強く、終生ドイツ音楽界の重鎮として君臨した。死後は再び反ユダヤ主義のあおりを受けて彼の音楽への貢献は過小評価されてきたが、今日では再評価の機運が高まりを見せている。.

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フェルナンド・ソル

フェルナンド・ソル(スペイン語:Fernando Sor, カタルーニャ語:Ferran Sor i Muntadesファラン・ソル・イ・ムンタデース, 1778年2月13日?(洗礼日は2月14日) - 1839年7月10日)は、スペイン・バルセロナ生まれの作曲家・ギター奏者。スペインでは「ギターのベートーヴェン」とも呼ばれる。ソルは、ギターの音楽レベルを可能な限り高め、ギターを世に広める努力をしたギターの第1期黄金期に活躍した一人である。また、過去200年において、コンサート楽器としてのギターのための曲を最も書いた作曲家の一人である。.

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アレクサンドル・グラズノフ

アレクサーンドル・コンスタンティーノヴィチ・グラズノーフ(, 1865年8月10日 - 1936年3月21日)は、ロシア帝国末期およびソビエト連邦建国期の作曲家・音楽教師・指揮者。ペテルブルク音楽院の院長を1906年から1917年にかけて務め、ペトログラード音楽院およびロシア革命後のレニングラード音楽院への改組を担った。1930年まで院長職を任されてはいたが、1928年にソ連を脱出してからというもの、二度と帰国しなかった。任期中の門弟で最も有名な一人がショスタコーヴィチである。 グラズノフは、ロシア楽壇における民族主義(ペテルブルク楽派)と国際主義(モスクワ楽派)を巧みに融和させた点において重要である。グラズノフはバラキレフの国民楽派の直系であり、ボロディンの叙事詩的な壮大さに靡きながらも、その他多くの影響を吸収した。例えば、リムスキー=コルサコフの巧みな管弦楽法や、チャイコフスキーの抒情性、タネーエフの対位法の手腕などである。しかし、時として形式主義が霊感を翳めそうになったり、折衷主義が独創性の痕跡を作品中からすっかり拭い去りそうになったりするという弱点も見られる。プロコフィエフやショスタコーヴィチのような新進作曲家は、実のところグラズノフの作品は時代遅れだと看做していたが、それでもグラズノフが、変化と波瀾の時期において、依然として際立った名声と不動の影響力をもった芸術家であるということは認めていた。.

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アレクサンドル・スクリャービン

アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(Александр Николаевич Скрябин, 1872年1月6日 - 1915年4月27日)は、ロシアの作曲家、ピアニスト。作曲者自身はフランス語風に Alexandre Scriàbine(もしくは Scriabine)と綴ることを好んだ。英語では Alexander Scriabin, ドイツ語では Alexander Skrjabin となる。.

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カルメン幻想曲 (サラサーテ)

『カルメン幻想曲』(Fantaisie sur Carmen)作品25は、スペインのヴァイオリニストであるパブロ・デ・サラサーテが1883年に作曲したヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲。ピアノ伴奏で演奏されることも多い。演奏時間は約12分。.

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グリーンスリーヴスによる幻想曲

リーンスリーヴスによる幻想曲(Fantasia on Greensleeves)は、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズの作品中、最も有名なもので、イングランドの古い歌『グリーンスリーヴス』に基づく小管弦楽のための小品である。『グリーンスリーヴス』はエリザベス朝時代から知られており、シェイクスピアの喜劇『ウィンザーの陽気な女房たち』の中でも言及されている。ヴォーン・ウィリアムズはこの喜劇を基にしたオペラ『恋するサー・ジョン』(Sir John in Love)を1928年に完成したが、その第3幕の間奏曲でこの旋律を用いた。この間奏曲をラルフ・グリーヴズ(Ralph Greaves)が編曲し、独立させた作品が『グリーンスリーヴスによる幻想曲』である。初演は1934年9月27日、ロンドンにおいてヴォーン・ウィリアムズ自身の指揮で行われた。 なお、このグリーヴズの編曲以外にも様々な編成のための編曲が、数多くの人の手で行われている。 全曲で約4分30秒の小品である。.

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ゲオルク・フィリップ・テレマン

ルク・フィリップ・テレマン(Georg Philipp Telemann、(ゲオルク・フィーリプ・テーレマン)、1681年3月14日 - 1767年6月25日) は、ドイツの作曲家。.

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スコットランド幻想曲

ットランド幻想曲(Schottische Fantasie)作品46は、マックス・ブルッフが1879年から1880年にかけて作曲したヴァイオリン独奏とオーケストラのための協奏的作品である。正式な題名は「スコットランド民謡の旋律を自由に用いた、管弦楽とハープを伴ったヴァイオリンのための幻想曲」(Fantasie für Violine mit Orchester und Harfe, unter freier Benützung Schottisher Volksmelodien)。作曲当初は「スコットランド協奏曲(Scottische Konzert)」「ヴァイオリン協奏曲第3番」などと呼ばれることもあった。.

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絢香

絢香(あやか、1987年12月18日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。 大阪府守口市出身。血液型は O型。身長157cm。 本名は「齋藤 絢香(さいとう あやか)」、旧姓は「飯田(いいだ)」。 所属事務所・レコード会社はA stAtion。かつては研音(所属事務所)・ワーナーミュージック・ジャパン(レコード会社)に所属していた。 夫は俳優の水嶋ヒロ。.

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7つの幻想曲 (ブラームス)

『7つの幻想曲』(作品116)は、ヨハネス・ブラームスが作曲したピアノ曲集。『幻想曲集』とも称される。1879年に作曲した『2つのラプソディ』以来12年ぶりのピアノ曲であった。.

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