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常備艦隊

索引 常備艦隊

常備艦隊(じょうびかんたい)は、旧日本海軍の部隊の一つ。1889年に「常備小艦隊」を改編した艦隊である。1903年に第一艦隊と第二艦隊に分割するまで存続した。 この項では、常備艦隊に至る日本海軍の艦隊を含めて記述する。.

115 関係: 加藤友三郎厳島 (防護巡洋艦)千代田 (防護巡洋艦)千歳 (防護巡洋艦)千早 (通報艦)吉野 (防護巡洋艦)吉松茂太郎坪井航三大将大島 (砲艦)大佐大和 (スループ)大日本帝国海軍天城 (スループ)天龍 (スループ)太政官宮古 (通報艦)富士 (戦艦)小鷹 (水雷艇)少将山崎景則島村速雄上村彦之丞中佐中牟田倉之助常磐 (装甲巡洋艦)井上良馨仁礼景範伊地知彦次郎伊東祐亨伊東祐麿伊東義五郎初瀬 (戦艦)和泉 (防護巡洋艦)出羽重遠函館港児玉利国八重山 (通報艦)八雲 (装甲巡洋艦)兵部省磐城 (砲艦)神戸港秦郁彦秋津洲 (防護巡洋艦)第一艦隊 (日本海軍)第二艦隊 (日本海軍)筑紫 (巡洋艦)真木長義片岡七郎相浦紀道...鎮守府 (日本海軍)観艦式角田秀松高千穂 (防護巡洋艦)高砂 (防護巡洋艦)高雄 (巡洋艦)鮫島員規鳥海 (砲艦)赤城 (砲艦)葛城 (スループ)長崎港艦隊連合艦隊柴山矢八東京大学出版会東郷平八郎松島 (防護巡洋艦)松村淳蔵横須賀鎮守府横浜港橋立 (防護巡洋艦)比叡 (コルベット)潮岬朝日 (戦艦)有地品之允明石 (防護巡洋艦)明治浪速 (防護巡洋艦)海軍省海門 (スループ)浅間 (装甲巡洋艦)日高壮之丞日清戦争摩耶 (砲艦)操江 (砲艦)愛宕 (砲艦)扶桑 (甲鉄艦)普仏戦争10月12日10月25日10月28日 (旧暦)12月10日12月28日1870年1871年1872年1875年1876年1882年1885年1889年1894年1895年1897年1903年2月28日 (旧暦)4月5日5月18日 (旧暦)5月8日 (旧暦)6月23日6月25日7月24日7月28日 (旧暦)8月24日8月31日 インデックスを展開 (65 もっと) »

加藤友三郎

加藤 友三郎(かとう ともさぶろう、1861年4月1日(文久元年2月22日) - 1923年(大正12年)8月24日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将、没後 元帥海軍大将。日露戦争で連合艦隊参謀長(日本海海戦時、第一艦隊参謀長兼任)、ワシントン会議で日本首席全権委員を務める。海軍大臣(第20-24代)、内閣総理大臣(第21代)を歴任し、山梨軍縮やシベリア出兵撤兵を成し遂げた。位階は正二位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。.

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厳島 (防護巡洋艦)

厳島(いつくしま)は日清戦争及び日露戦争で活躍した旧日本海軍の防護巡洋艦である。1891年9月3日竣工し、第一種に編入。1898年3月21日、二等巡洋艦に類別された。「三景艦」と呼ばれた松島型防護巡洋艦の二番艦である。.

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千代田 (防護巡洋艦)

千代田(ちよだ)は、日本海軍の防護巡洋艦(日本海軍の法令上は三等巡洋艦)#達明治21年9月p.12『達第九十九號 英國ニ註文セル巡洋艦ヲ千チ代ヨ田ダト命名セラレ風帆練習艦第一回漕ヲ館タテ山ヤマト改名セラル此旨心得ヘシ 明治二十一年九月廿七日 海軍大臣伯爵西郷從道』。 艦名は江戸城(宮城)の別称に由来する#幕末以降帝国軍艦写真と史実第17コマ(原本11頁)『千代田形(ちよだがた) 艦種砲艦 二檣「スクーナー」型 艦名考千代は徳川幕府の治所江戸城(現今の宮城)の別稱なり、艦名の下に「形」の字を付したるは其形式(タイプ)を意味するものならん、幕府時代の船舶中、伊豆下田に於て建造せるものに君澤形、長崎に於て建造せるものに長崎形の名のあるを見る、蓋し同指なり。艦歴本艦は外國人の手を假らず本邦人に依て設計建造せられたる最初の蒸汽船なり、文久2年戌年5月起工、同3亥年7月進水、慶應2寅年5月竣工即ち進水より竣工まで約3ヶ年を費したるは、其間機關計畫者和蘭國へ出張の事あり、歸朝後、機關据付を爲したる等、工程に遅延を生ぜしことありしに由る。明治2年5月函館の役に於て官軍に収容せられ爾來帝國軍艦籍に在りて種々の役務に服せしが、明治21年1月除籍せられ、船體は之を千葉縣に交付せり。(要目略)』#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ37(原本46頁)『千代田(ちよだ) 艦種巡洋艦 三檣(戰闘檣あり) 艦名考前掲「千代田形」の項(p.11)参照。艦歴亡失艦畝傍代艦として建造せられたる艦にして明治14年4月11日本邦に到着。明治27・8年戰役從軍:同27年8月威海衛砲撃に、同9月黄海々戰に、同11月大連港及び旅順口占領に從事、同28年2月威海衛總攻撃及同地占領に從事、同3月澎湖島攻略及同島占領に從事、同31年3月三等巡洋艦に列す。同37・8年戰役に從軍(第六戰隊):同37年2月9日仁川沖海戰に参加(艦長大佐村上格一)、同38年5月日本海々戰に参加(艦長大佐依仁親王殿下)、大正元年8月2等海防艦に編入。同3年乃至9年戰役に從軍:大正3年8月青島戰参加(艦長中佐島内桓太)、同8年12月第三艦隊に属し南支那海方面警備、同10年水雷母艦に編入、同11年4月1日軍艦より除籍、特務艦となり、昭和2年2月28日特務艦籍より除かる。―要目― 長308呎/幅43呎/吃水17呎/排水量2,450噸/機關 三聯成汽機2基雙螺旋ベルビル罐12/馬力5,400/速力19/乗組人員350/船材 鋼/兵装 12拇安式速射砲 10/47粍砲 14/備砲 3/發射管 3/起工 明治21-12-4/進水 同23-6-4/竣工 同24-1-1/建造所 英國グラスゴートムソン會社』。 「千代田」の艦名は、明治初期の千代田形『○海軍省丙第九拾號 海軍一般 今般佛國ヘ新造注文セシ軍艦ヲ畝ウネ傍ビト命名ス此旨爲心得相達候事 海軍卿 川村純義|○海軍省丙第九拾壱號 海軍一般今般横須賀造船所ニ於テ製造スヘキ一等砲艦ヲ愛アタ宕ゴ 巡洋鉄艦ヲ高タカ雄ヲト命名ス此旨爲心得相達候事 海軍卿 川村純義○海軍省丙第九拾貳號 海軍一般 東海鎮守府所轄千代田形艦自今豫備艦ト相定ム此旨相達候事 明治十七年六月五日 海軍卿 川村純義』に続いて2代目。.

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千歳 (防護巡洋艦)

千歳(ちとせ)は、日本海軍の防護巡洋艦(日本海軍の類別は二等巡洋艦)#達明治30年3月(4)p.3『達第三十三號 英國ニ於テ製造ノ第一號甲鐡戰艦及第三號二等巡洋艦米國ニ於テ製造ノ第一號及第二號ニ等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|明治三十年三月二十六日 海軍大臣侯爵 西郷從道|第一甲鐡戰艦 敷シキ島シマ|第一號二等巡洋艦 笠カサ置キ|第二號二等巡洋艦 千チ歳トセ|第三號二等巡洋艦 高タカ砂サゴ』。旧式化により二等海防艦。 笠置型の2番艦である。 艦名は「永遠・永久」の意味#幕末以降帝国軍艦写真と史実第56コマ(原本78頁)『千歳(ちとせ) 艦種二等巡洋艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考千年・千載・千代、其の意皆同じ、永遠の義なり。艦歴明治32年3月1日、米國桑港「ユニオン・アイヨン・ウォーク社」年にて竣工、同年3月21日同地出發、4月20日横須賀到着。同37・8年戰役に從軍(第三戰隊):同37年8月10日黄海々戰に参加(艦長大佐高木助一)、次で同月20日、敗走せる露國巡洋艦「ノーヴヰック」を對馬と共に追撃し之を「コルサコフ」港に自沈せしむ、同3年5月日本海々戰に参加、大正3年乃至9年戰役に從軍:同3年8月第二艦隊第六戰隊に属し、青島戰に参加(第六戰隊司令官少将上村翁輔旗艦、艦長大佐本田親民)、同7年11月第二特務艦隊に属し南支那海印度洋方面軽微(艦長大佐橋本虎之助)、同10年二等海防艦に編入、昭和3年4月1日除籍。―要目― 長378呎2吋/幅49呎2吋/喫水17呎2吋/排水量4,692噸/機關 直立三段膨張式2基/馬力15,7000/速力22.5/乗組人員434/船材 鋼/兵装 8吋砲2/4.7吋砲10/12听砲12/47粍砲6/發射管4|起工 明治30-5-1/進水 同31-1-22/竣工 同32-3-1/建造所 米國桑港』。 外交上の問題からアメリカのユニオン鉄工所に発注された。 艦名は千歳型水上機母艦(空母)「千歳」に引き継がれた。.

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千早 (通報艦)

千早(ちはや)は、日本海軍の通報艦。艦名は歌枕の「千早振る」、大阪府所在の「千早城」にちなんで名づけられた。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。.

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吉野 (防護巡洋艦)

吉野(よしの)、は、日本海軍の巡洋艦(二等巡洋艦)#達明治25年8月p.8『達第六十四號 英國ニ於テ製造ノ巡洋艦ヲ吉ヨシ野ノト命名セラル 明治二十五年八月三十日 海軍大臣 子爵仁禮景範』。 吉野型防護巡洋艦の1番艦である。設計はフィリップ・ワッツが手掛けた。 艦名は奈良県の吉野山に由来する#幕末以降帝国軍艦写真と史実第40コマ(原本53頁)『吉野(よしの) 艦種巡洋艦 二檣(戰闘檣あり)艦名考山名に採る、吉野山は大和國吉野郡吉野村に在り、吉野川の南、金峰山の下、川名に採る、夾地に據り一郷邑を爲す、吉野山とは此山地の總稱なり。艦歴明治26年9月30日英國に於て竣工、同年10月英國出發、同27年3月呉到着。同27・8年戰役從軍:同27年7月25日豊島海戰に参加(艦長大佐河原要一、第一遊撃隊旗艦司官少将坪井航三)、同8月威海衛砲撃に参加、同9月17日黄海々戰に参加、同11月大連及び旅順港占領に從事、同28年2月威海衛總攻撃及び同地占領に從事、同31年3月二等巡洋艦に列す。同33年北清國事變從軍:同37・8年戰役に從軍(第三戰隊):同年5月15日旗艦千歳(出羽第三戰隊司令官座乗)吉野・春日・八雲・富士と編隊航行中、深夜遽然濃霧に遭遇し、變針の際、後續艦春日に衝かれ沈没、艦長大佐佐伯誾、副長少佐廣渡目頁一其の他准士官以上30名、下士卒284名、傭人3名殉難。―要目― 長350呎/幅46.5呎/吃水20呎/排水量4,160噸/機關 縦置汽關隻螺旋高圓罐12/馬力15,000/速力23/乗組人員385/船材 鋼/兵装 15拇安砲4/12拇安砲8/47粍砲22/發射管5/起工 明治25-3-1/進水 同25-12-20/竣工 同26-9-30/建造所 英國エルスウィック安社』。 日清戦争で活躍#日露戦争史(1906)コマ124-125(原本223-225頁)『吉野も初瀬も、其の沈没は同じく五月十五日の事なりき、吉野は第三戰隊と共に、深夜旅順口封鎖の任務より歸航の途に就き、艦上少数の哨兵を殘して、艦員皆眠につきぬ。此の日午前一時四十分頃、恰も山東角の北方海面に來りし時、濃霧の爲めに咫尺を辧せず。将に針路を轉ぜむとする時、忽ち一大響音を聞く、是れ春日が其の左舷艦尾に衝突したるなり。前艦橋に在りし佐伯艦長は、依りて直に衝突防水を命じ、全力を擧げて、之が防水に努めしも其の効なく、浸水益々甚しくして「總員上へ」の命下りし時は、潮水既に甲板に及び、艦長が「總端艇卸し方」を命じ次いで「總員乗艇退去」を命じたる時は、後部○に浸入を見ざるのみなりき。斯くて佐伯艦長は、御眞影を奉じて、廣渡副長と共に、天皇陛下萬歳を發聲するや。總員は之に和して、萬歳の聲は波間に響きぬ。第二唱未だ唱へ終らざるに、吉野は早や右舷に傾斜して、佐伯艦長、廣渡副長以下、三百の将校下士卒は、既に其の艦に殉じて、皆水底に沈みぬ。殊に佐伯艦長が、廣渡副長、竹内航海長と共に最後に至るまで、吃然として司令塔に卓立し、從容迫らず、音吐朗々、號令整然たりし最後の威厳は、以て帝國海軍の模範となすに足る。救助されし者は将校六名、准士官一名、下士以下九十七名にて、戰死せしは、佐伯艦長以下将校三十一名、下士以下二百八十六名なりき。顧れば去る二十七年、花の吉野と歌はれて、英國より回航せし當時、我が、國民が、花の姿に比べしも、短かヽりき十年の夢となりぬ。殊に日清戰争の際、最も快速なる堅艦として、第一遊撃隊の旗艦となり、坪井少将を頂きて、勇壮活溌なる行動をなし、吉野櫻に武士の姿など謡はしめたるは、今猶吾人の記憶を新たならしむ。爾來十年を經て、日露戰開戰以來、敵地に出入せし事前後十六回、あはれ暗夜濃霧の裡、舷燈を許さぬ戰場に於いて、空しく悲惨の最後を遂げたるは、惜しむべく、悼むべきにこそ。』。 日露戦争に従事中の1904年(明治37年)5月15日、味方艦「春日」と衝突して沈没#旅順附近海戦一覧p.5『五月十五日|夜|港口封鎖任務中濃霧ニ會シ我吉野ハ春日ト衝突ス|艦長以下三百十八名艦ニ殉セリ/敵驅逐艦「ウエマテリスイ」渤海灣ニテ坐礁放棄/晝|我「初瀬」及「八島」ハ敵監視中老鐡山ノ南東約十海里ノ地点ニテ敵機雷ニ觸レ此時敵驅逐艦十六隻大擧我艦隊ヲ襲撃セシモ我巡洋艦ノ爲撃退サル|初瀬八島沈没|五月初旬ヨリ海軍ノ援護ニヨリ續々我陸軍關東半島ニ上陸開始』。.

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吉松茂太郎

吉松 茂太郎(よしまつ しげたろう、安政6年1月7日(1859年2月9日) - 昭和10年(1935年)1月2日)は日本の海軍軍人、海軍大将。名は「もたろう」と読む場合がある。.

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坪井航三

坪井 航三(つぼい こうぞう、天保14年3月7日(1843年4月6日) - 明治31年(1898年)2月1日)は、日本の幕末から明治期の長州藩士、海軍軍人。海軍中将従三位勲二等功三級男爵。幼名・信次郎、のち則光。ミスター単縦陣のあだ名を持つ。.

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大将

大将(たいしょう)は、軍隊の階級の一つ。将官に区分され、中将の上に位置する。北大西洋条約機構の階級符号ではOF-9に相当する。陸海空軍でそれぞれ呼称の異なる大将を総称しFour-star rankと呼ぶこともある。.

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大島 (砲艦)

大島(おおしま)は、日本海軍の砲艦。摩耶型砲艦の改良型である。.

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大佐

大佐(たいさ、だいさ)とは、軍隊の階級のひとつ。.

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大和 (スループ)

初代・大和(やまと)は、初代・葛城型の二番艦、3本マストの汽帆兼用の鉄骨木皮スループ。日本海軍最初のケースとして民間の神戸小野浜造船所で建造された。.

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大日本帝国海軍

大日本帝国海軍(だいにっぽんていこくかいぐん、旧字体:大日本帝國海軍、英:Imperial Japanese Navy)は、1872年(明治5年) - 1945年(昭和20年)まで日本(大日本帝国)に存在していた軍隊(海軍)組織である。通常は、単に日本海軍や帝国海軍と呼ばれた。戦後からは、別組織であるもののその伝統を重んじる傾向にある海上自衛隊との区別などのため、旧日本海軍もしくは旧帝国海軍とも呼ばれる。.

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天城 (スループ)

天城(あまぎ)は、大日本帝国海軍の木製スループである。艦名は、静岡県の天城山にちなんで名づけられた。.

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天龍 (スループ)

天龍(てんりゅう)は、大日本帝国海軍のスループである。艦名は、遠州灘に注ぐ天竜川にちなんで名づけられた。.

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太政官

太政官.

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宮古 (通報艦)

宮古(みやこ)は、日本海軍の通報艦。艦名は沖縄県の「宮古列島」にちなんで名づけられた。呉で建造された最初の軍艦である。日露戦争において戦没。.

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富士 (戦艦)

富士(ふじ)は日本海軍の戦艦#達明治28年8月p.12『達第七十八號 英國ニ於テ製造中ノ甲號及乙號甲鐡戰艦並ニ呉鎮守府ニ於テ製造中ノ甲號報知艦左ノ通命名セラル 明治二十八年八月十六日 海軍大臣 侯爵西郷從道|甲號甲鐡戰艦 富フ士ジ|乙號甲鐡戰艦 八ヤ島シマ|甲號報知艦 宮ミヤ古コ』。 富士型戦艦の1番艦。日本海軍が初めて保有した近代的戦艦の1隻。 日本海軍の軍艦で最高厚の装甲を持つ(最高457mm)。 旧式化により海防艦へ類別変更。その後、練習艦として使用された。 艦名は日本の最高峰富士山にちなむ#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ54(原本74頁)『富士(ふじ) 艦種戰艦 二檣(戰闘檣あり)艦名考初代「富士山」の項(p.8)参照。艦歴戰艦富士は姉妹艦八島及び通報艦宮古と共に明治26年度に計畫せられたる艦なり。此三艦建造費は第二帝國議會に於て否決せられたるを以て、皇室費の内より支出し給へる年額30萬圓及び官吏俸給の10分の1を此軍艦製造に充て、實際は同25年より其の製造に着手し、次の議會に之が協賛を得て中途より國庫の支辨となりたる由來あり。明治30年6月14日領収、英國女皇陛下御即位60年祝典観艦式に日本代表艦として参加、同年8月17日竣工、同日英國出發、同10月31日横須賀到着。同31年3月一等戰艦に列す。同37・8年戰役に從軍(第一艦隊第一戰隊、艦長大佐松本和):同37年8月黄海々戰参加、同38年5月日本海々戰参加、同38年12月戰艦の等級を廢せられる。大正元年8月一等海防艦に編入、同3年乃至9年戰役に從軍:同11年9月1日軍艦籍より除き、特務艦とし、同年12月1日運用術練習特務艦とし、現在に至る。―要目― 長374呎/幅73呎/吃水26呎/排水量12,300噸/機關 四汽笛直立三聯成汽機2基、圓罐/馬力13,500/速力18.25/乗組人員600/船材 ハーベイ鋼(甲鐡帶457粍)/兵装 12吋安式砲4/6吋安式砲10/12听安式砲16/2.5听安安砲4/發射管5/起工 明治27-8-1/進水 同29-3-31/竣工 同30-8-17/建造所 英國テームス』。 艦名としては明治初期の軍艦「富士山」に続いて2代目#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ16(原本8頁)『富士山(ふじやま) 艦種三檣「シップリグ」型「スループ」艦名考山名に採る。富士山は駿河國富士・駿東の二郡甲斐國南都留西八代の二郡に跨る。富士郡大宮町より7里30町駿東郡須走村より5里18町、南都留郡上吉田より3里餘にして其山頂に達す。標高12,467尺なり、富士山は別稱36あり、其の中、不二山・芙蓉峰・八葉嶽・四面山等は最も人口に膾炙する所なり。艦歴元治元年(1864)米國「ニュヨーク」にて製造、徳川幕府の軍艦、「富士山」と命名す、慶應元年横濱到着。明治元年4月徳川幕府より朝廷に納む、同9年10月機關を撤去す、同13年1月繋留練習艦とし、同18年12月運用術練習船とす。同22年5月軍艦籍より除き、船體を呉鎮守府海兵團に属し、後ち呉水雷隊敷設部に充て、同29年8月該船體を賣却す。(要目略)』。.

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小鷹 (水雷艇)

小鷹(こたか)は、日本海軍の水雷艇。艦名は小型の鷹類の総称を意味する『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p489による。。.

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少将

少将(しょうしょう)はもともとは律令制における官職の一つ。転じて軍隊の階級の一。 将官に区分され、中将の下、大佐または准将または代将の上に位置する。 北大西洋条約機構の階級符号(NATO階級符号)では、OF-7に相当する。 また、陸海空軍でそれぞれ呼称の異なる少将を総称しTwo-star rankと呼ぶこともある。 将官のなかでは、最下級、又は准将がある場合には下から2番目の階級となる。 英呼称は、陸軍:major general(メイジャー ジェネラル)、海軍:rear admiral(リア アドミラル)。 なお、将官の階級を部隊階梯で表現する国々では「師団将軍」あるいは「旅団将軍」と呼称する。詳細はフランスの項を参照。アメリカ軍やフランス陸軍および空軍(海軍は中将)では、正規階級(regular rank)における最高位とされ、それよりも上の二階級は役職に応じた臨時階級(temporary rank)である。.

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山崎景則

山崎 景則(やまさき かげのり、1838年3月2日〈天保9年2月7日〉 – 1909年〈明治42年〉10月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将『帝国海軍将官総覧』203項。.

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島村速雄

島村 速雄(しまむら はやお、安政5年9月20日(1858年10月26日) - 大正12年(1923年)1月8日)は、日本の海軍軍人。元帥海軍大将正二位勲一等功二級男爵。高知県出身。海南学校出身。二男は立花和雄(立花伯爵家を継承)。 「非常な秀才で智謀は底が知れない、軍人には珍しいほど功名主義的な所が無い、生涯はつねに他者に功を譲ることを貫いた、天性のひろやかな度量のある人物」などと評される。.

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上村彦之丞

上村 彦之丞(かみむら ひこのじょう、嘉永2年5月1日(1849年6月20日) - 大正5年(1916年)8月8日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。従二位勲一等功一級男爵。渾名は「船乗り将軍」。.

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中佐

中佐(ちゅうさ)は軍隊の階級の一。佐官に区分され、大佐の下、少佐の上に位置する。北大西洋条約機構の階級符号では、OF-4に相当する。.

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中牟田倉之助

中牟田 倉之助(なかむた くらのすけ、天保8年2月24日(1837年3月30日) - 大正5年(1916年)3月30日)は、日本の海軍軍人。海軍大学校長、枢密顧問官、子爵。幼名は武臣。金丸孫七郎の次男だったが、中牟田家の養子となる。.

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常磐 (装甲巡洋艦)

常磐(ときわ/ときは)は、大日本帝国海軍の装甲巡洋艦#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.60『常磐(ときは) 艦種一等巡洋艦 二檣(戰闘檣あり)淺間と姉妹艦なり。艦名考永久不變の義なり。(p.81) 艦歴明治32年5月18日英國にて竣工、同月19日英國出發、7月15日横須賀到着、淺間と姉妹艦なり。同33年北清事變に從軍:同33年5月太沽砲臺攻撃に從事(東郷司令長官旗艦、艦長大佐中山長明)、同37・8年戰役に從軍(第二戰隊):同37年8月蔚山沖海戦に参加(艦長大佐吉松茂太郎):同38年5月日本海々戰に参加、大正3年乃至9年戰役に從軍(第二艦隊第四戰隊):膠州灣封鎖に從事(艦長大佐片岡榮太郎)、同10月第三戰隊に属し、印度洋方面警備に從事、同4年2月北米沿岸通商保護に從事(第二艦隊第四戰隊、艦長大佐坂本則俊)、同4年12月浦鹽を経て加奈陀に回航、特別任務に從事(艦長同前)、同6年11月布哇及び南洋諸島警備に從事(艦長大佐森本義寛)、同10年一等海防艦に編入、同11年9月30日敷設艦に編入、昭和6・7年(日支)事變從軍:同7年1月第一遣外艦隊に属し、北支・上海方面警備に從事(艦長大佐山田定男、同大佐高須三二郎。)|要目其の他「淺間」に同じ 起工明治31-1-6 進水明治31-7-6 竣工名詞32-5-18 建造所英國安社』#日本補助艦艇物語47-48頁『(2)常磐ときわ』。 旧式化にともない機雷敷設艦に改造#日本軍艦集2600年版p.65『―敷設艦―常磐(ときは) 基準排水量9,240噸、長さ124.36米、幅20.45米、平均吃水7.42米、速力21.25節、備砲20糎砲2門、15糎砲8門、8糎砲2門、8糎高角砲1門、起工明治30年1月6日、進水明治31年7月6日、竣工明治32年5月18日、建造所英國アームストロング社―本艦は巡洋艦を改装したもの。なほ、ほかに勝力がある。』。 敷設艦として太平洋戦争に参加した#日本補助艦艇物語43-45頁『わが敷設艦の概要』。.

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井上良馨

井上 良馨(いのうえ よしか、弘化2年11月3日(1845年12月1日) - 昭和4年(1929年)3月22日)は、幕末から明治時代の日本の軍人。元帥海軍大将・従一位・大勲位・功二級・子爵。薩摩国(現鹿児島県)出身。.

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仁礼景範

仁礼 景範(にれ かげのり、天保2年2月24日(1831年4月6日) - 明治33年(1900年)11月22日)は、江戸時代末期(幕末)の武士、明治時代の海軍軍人。海軍中将従二位勲一等子爵。通称は源之丞、平助。海軍軍令部総長、海軍大臣を歴任した。.

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伊地知彦次郎

伊地知 彦次郎(いぢち ひこじろう、安政6年12月14日(1860年1月6日) - 明治45年(1912年)1月4日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。.

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伊東祐亨

伊東 祐亨(いとう ゆうこう / すけゆき、天保14年5月20日『平成新修旧華族家系大成』上巻、159頁。(1843年6月17日) - 大正3年(1914年)1月16日)は、日本の武士(薩摩藩士)、海軍軍人、華族。元帥海軍大将・従一位・大勲位・功一級・伯爵。初代連合艦隊司令長官を務めた。通称は四郎左衛門、四郎。号は碧海。家紋は庵木瓜。.

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伊東祐麿

伊東 祐麿(いとう すけまろ、1832年9月19日(天保3年8月25日) - 1906年2月26日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将。元老院議官、貴族院議員、子爵。.

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伊東義五郎

伊東 義五郎(いとう よしごろう、1858年6月26日(安政5年5月16日) - 1919年2月22日)は、日本海軍の軍人、最終階級は海軍中将。男爵。.

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初瀬 (戦艦)

初瀬(はつせ)は日本海軍の戦艦#達明治31年4月p.25『達第七十六號 英國ニ於テ製造中ノ第三號甲鐡戰艦及第六號一等巡洋艦左ノ通命名セラル 明治三十一年四月二十七日 海軍大臣 侯爵西郷從道|第三號甲鐡戰艦 初ハツ瀬セ|第六號一等巡洋艦 出イツ雲モ』#達明治32年10月pp.6-7『達第百七十八號 明治三十一年達第三十五號軍艦及水雷艇類別等級表中別紙ノ通追加ス 明治三十二念十月十八日 海軍大臣 山本権兵衛 |軍艦|戰艦|一等|初瀬 三笠|/|巡洋艦|一等|出雲 磐手|』。敷島型戦艦の3番艦である。 艦名の由来は奈良県を流れる初瀬川(大和川上流部別称)による#幕末以降帝国軍艦写真と史実第60コマ(原本87頁)『初瀬(はつせ) 艦種戰艦 二檣(戰闘檣あり)艦名考川名に採る、初瀬川は大和國磯城郡上之郷小を夫ふの山中に發し、南流長谷寺の傍を過ぎ西流、朝倉三輪を過ぎ、西北に屈折し、山邊郡二階堂村に至りて佐保川となる、長さ凡そ十里。艦歴明治37・8年日露戰役に從軍:第一戰隊司令官少将梨羽時起の旗艦として行動中、同37年5月15日旅順口外に於て2回に亙り敵の機械水雷に觸れて沈没、副長中佐有森元吉外准士官以上35名、下士卒443名、傭人12名殉難。司令官及び艦長大佐中尾雄以下337名救助せらる。―要目― 長400呎/幅75呎/吃水27呎/排水量15,000噸/機關 三聯成汽罐2基、ベルビル罐25臺/馬力1,000/速力18/乗組人員741/船材 鋼/兵装 12吋砲4/6吋砲14/3吋砲20/3听砲8/2.5听砲6/發射管4/起工 明治31-1-10/進水 同32-6-27/竣工 同34-1-18/建造所 英國エルスウィック安社』。 日露戦争における旅順港閉塞作戦に従事中の1904年(明治37年)5月15日、ロシア海軍が敷設した機雷により爆沈した#日露戦争大本営公報集コマ36-37(原本51-52頁)『三、初瀬が敵の水雷に罹りしは老鐡山の南東約十海里の所にして當時同方面には霧なく又其附近に敵の驅逐艦もあらざりしと云ふ此事實より判断するときは敵は其附近に機械水雷を沈置したるか或は又潜水艇を利用したるものならん初瀬は約三十分間を隔て二回の被害にて瞬時に沈没したるも敷島、八島、笠置、龍田等にて梨羽少将中尾大佐以下三百名を救助収容せり初瀬沈没の頃的の驅逐艦十六隻旅順口内より出で來り我を追尾せしが會々其他に來りし明石、千代田、秋津洲、大島、赤城、宇治及高砂は前記諸艦と協力して之を撃退し初瀬生存者の収容を果たすことを得たり以上の報告は混信の爲め文意不明瞭なる無線電信と今朝遭難報告の爲め來し龍田の少尉並に八島の艦載水雷艇指揮官の口頭報告等を綜合して制作したるものなり當地近傍霧未だ霽れず(五月十六日午後四時三十七分大本營着電)』#旅順附近海戦一覧p.5『五月十五日|夜|港口封鎖任務中濃霧ニ會シ我吉野ハ春日ト衝突ス|艦長以下三百十八名艦ニ殉セリ/敵驅逐艦「ウエマテリスイ」渤海灣ニテ坐礁放棄/晝|我「初瀬」及「八島」ハ敵監視中老鐡山ノ南東約十海里ノ地点ニテ敵機雷ニ觸レ此時敵驅逐艦十六隻大擧我艦隊ヲ襲撃セシモ我巡洋艦ノ爲撃退サル|初瀬八島沈没|五月初旬ヨリ海軍ノ援護ニヨリ續々我陸軍關東半島ニ上陸開始』。.

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和泉 (防護巡洋艦)

和泉(いずみ)は、日本海軍の防護巡洋艦。艦名は旧国名「和泉国」にちなんで名づけられた。元はチリ海軍所属、「エスメラルダ」()。「エスメ」ラルダと「和泉」の音の類似に基づく命名。.

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出羽重遠

出羽 重遠(でわ しげとお、安政2年12月10日(1856年1月17日) - 昭和5年(1930年)1月27日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍大将。栄典は正二位・勲一等・功二級・男爵。.

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函館港

函館港(はこだてこう)は、北海道函館市に位置している港湾。港湾管理者は函館市。港湾法上の重要港湾、港則法上の特定港に指定されている。.

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児玉利国

児玉 利国(こだま としくに、1840年5月24日(天保11年4月23日) - 1925年4月26日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。貴族院議員。幼名・平輔。.

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八重山 (通報艦)

八重山(やえやま)は、日本海軍の通報艦。艦名は沖縄県の八重山列島にちなんで名づけられた。.

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八雲 (装甲巡洋艦)

八雲(やくも)は大日本帝国海軍が日露戦争前にドイツから購入した最初の装甲巡洋艦。六六艦隊の装甲巡洋艦の第一期拡張計画で整備された艦で、日露戦争から太平洋戦争の戦後まで活動した。.

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兵部省

兵部省(ひょうぶしょう、つわもののつかさ)はかつて日本にあった軍政(国防)を司る行政機関。.

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磐城 (砲艦)

城(ばんじょう)は、大日本帝国海軍の砲艦。艦名は静岡県の磐城岳(別名万次郎岳)にちなんで名づけられた。.

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神戸港

戸港(こうべこう)は、兵庫県神戸市にある港湾。港湾法上の国際戦略港湾に指定されている。 日本の主要な国際貿易港(五大港)の一つで、スーパー中枢港湾の指定を大阪港と共に受けている。1868年1月1日(慶応3年12月7日)に開港。現在の日本三大旅客港の一つ。 神戸港夕景(新港第一突堤から西を望む).

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秦郁彦

郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日 - )は、日本の元官僚、歴史学者、現代史家。元日本大学法学部教授。法学博士(東京大学、1974年)。.

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秋津洲 (防護巡洋艦)

秋津洲(あきつしま)は、日本海軍の防護巡洋艦。設計から建造までの全てを初めて日本国内で行った巡洋艦である。.

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第一艦隊 (日本海軍)

一艦隊(だいいちかんたい)は、旧日本海軍の部隊の一つ。もっぱら戦艦を主力とした決戦艦隊に位置づけられていた。.

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第二艦隊 (日本海軍)

二艦隊(だいにかんたい)は、日本海軍の部隊の一つ。第一艦隊とともに常設の艦隊で、ワシントン軍縮条約による大量廃艦の影響を受けた1921年度の1年間を除くと、1903年の創設から1945年の壊滅まで常時編制された。巡洋艦および巡洋戦艦を主力とした。.

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筑紫 (巡洋艦)

チリ軍艦としての就役想像図(1883年) 筑紫(つくし)は、大日本帝国海軍の巡洋艦で、日本海軍初の帆走設備を全廃した艦である。.

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真木長義

真木 長義(まき ながよし、1836年6月28日(天保7年5月15日) - 1917年3月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。男爵。幼名、鉄太郎、安左衛門。.

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片岡七郎

片岡 七郎(かたおか しちろう、嘉永6年12月14日(1854年1月12日) - 大正9年(1920年)1月11日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。男爵。位階は正二位。.

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相浦紀道

浦 紀道(あいうら のりみち、天保12年6月23日(1841年8月9日) - 明治44年(1911年)4月1日)は、日本の海軍軍人、政治家、華族。最終階級は海軍中将。貴族院議員、従二位、勲一等、功三級、男爵。旧名、忠一郎。.

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鎮守府 (日本海軍)

鎮守府(ちんじゅふ)は、かつて日本海軍の根拠地として艦隊の後方を統轄した機関。その前身は1871年(明治4年)に兵部省内に設置された海軍提督府である。 各鎮守府は、所轄海軍区の防備、所属艦艇の統率・補給・出動準備、兵員の徴募・訓練、施政の運営・監督にあたった。鎮守府司令長官(海軍大将・中将)は、軍政に関して海軍大臣、作戦計画に関して海軍軍令部長(軍令部総長)、からそれぞれ指示を受けた。.

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観艦式

観艦式(かんかんしき)とは、軍事パレードのひとつで、軍艦を並べて壮行する式のことである。国家の祝典の際や、海軍の記念行事の一環として行なわれるのが一般的である。2005年(平成17年)には、トラファルガー海戦200周年を記念する国際観艦式がイギリス・ポーツマスで行われた。 現代では水上艦や潜水艦だけでなく海軍航空隊の航空機も参加することが多い。.

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角田秀松

角田 秀松(つのだ ひでまつ、1850年3月25日(嘉永3年2月12日) - 1905年12月13日)は、幕末の会津藩士、明治期の日本海軍軍人。最終階級は海軍中将。戊辰戦争において「朝敵」とされた会津藩出身者として最初の海軍将官となった人物である。.

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高千穂 (防護巡洋艦)

千穂(たかちほ)は、日本海軍の防護巡洋艦(二等巡洋艦)。浪速型の2番艦。艦名は天孫降臨の地とされている宮崎県の「高千穂峰」にちなんで名づけられた#幕末以降帝国軍艦写真と史実第31コマ(原本34頁)『高千穂(たかちほ) 艦種巡洋艦 二檣(スクーナー) 艦名考山名に採る、高千穂峯は霧島山東嶽の古名なり(霧島の條参照)。艦歴明治17年3月英國安社に於て起工、同19年7月横濱に來着。同27・8年戰役に從軍:同27年8月威海衛砲撃に、同9月黄海海戰に、同11月大連港及旅順港占領に参加。同28年2月威海衛總攻撃及同占領に、同3月澎湖島攻略に参加。同31年3月巡洋艦二等に列す。同37・8年戰役從軍(第四戰隊):同37年2月仁川沖海戰に、同8月蔚山沖海戰に参加。同38年5月日本海々戰に参加(艦長大佐毛利一兵衛)。大正6年海防艦二等に編入す。同3年乃至9年戰役に從軍:〃3年8月青島戰に参加(第二艦隊、艦長大佐伊藤祐保)、同3年10月膠州灣に於て敵水雷艇(S90號)の雷撃を受け爆沈す(艦長同前)。 ―要目― 長300呎/幅46呎/喫水18呎7吋/排水量3,759噸/機關 横置二聯成汽機2臺、雙螺旋、圓罐/馬力7,600/速力18.5/乗組人員357/船材 鋼(防禦甲板51粍)/兵装 26拇克砲2/15栂克砲6/6听ノルデン砲2/備砲14/發射管(水上)4/起工 明治17-3-22/進水 同18-5-16/竣工 同19-4/建造所 英國エルスウィック安社』。 第一次世界大戦従軍中の1914年(大正3年)10月18日未明、膠州湾においてドイツ軍魚雷艇(小型駆逐艦)の魚雷攻撃を受け、沈没した。.

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高砂 (防護巡洋艦)

(たかさご)は、日本海軍の二等巡洋艦(防護巡洋艦)#達明治30年3月(4)p.3「達第三十三號 英國ニ於テ製造ノ第一號甲鐡戰艦及第三號二等巡洋艦米國ニ於テ製造ノ第一號及第二號ニ等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|明治三十年三月二十六日 海軍大臣侯爵 西郷從道|第一甲鐡戰艦 敷シキ島シマ|第一號二等巡洋艦 笠カサ置キ|第二號二等巡洋艦 千チ歳トセ|第三號二等巡洋艦 高タカ砂サゴ」。 艦名は加古郡加古川河口の高砂浦に由来する#幕末以降帝国軍艦写真と史実第55コマ(原本76頁)「高砂(たかさご)艦種二等巡洋艦 二檣(戰闘檣あり)艦名考名所の名にして播磨國加古郡加古川口の高砂浦に採る、此地古來船の場にして景勝を以て奢はる。又本邦人往時より臺灣を呼んで高砂と稱せしことあるも、此の艦名は前記播磨の高砂に因めるものなり。艦歴明治31年5月17日英國にて竣工、同月25日英國出發、8月14日横須賀到着、同33年北清事變に從軍、同35年6月、淺間と共に英國皇帝陛下の戴冠式に参列(司令官伊集院五郎)、同37・8年戰役に從軍(第三戰隊):同37年12月、黄海々戰に参加(艦長大佐石橋甫)、同37年12月、旅順口外哨區行動中、同月13日機械水雷に觸れ沈没、副長中佐中山鋋次郎外准士官以上22名、下士官卒傭人251名殉難。―要目― 長360呎/幅47呎/喫水17呎/排水量4,160噸/機關 直立三段膨張式 2臺 圓罐雙螺/馬力15,900/速力22.5/乗組人員400/船材 鋼/兵装 8吋砲2/12拇砲10/12听砲12/47mm砲6/發射管5/起工 明治29-5-29/進水 同30-5-17/竣工 同31-5-17/建造所 英國エルスウィック安社」。 日露戦争中の1904年(明治37年)12月13日、旅順港閉塞作戦に従事中(旅順攻囲戦)、ロシア海軍の機雷により沈没した。.

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高雄 (巡洋艦)

(たかお)は、大日本帝国海軍の国産初の巡洋艦。艦名は京都府の高雄山にちなんで名づけられた。.

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鮫島員規

鮫島 員規(さめしま かずのり、弘化2年5月10日(1845年6月14日) - 明治43年(1910年)10月14日)は、日本の海軍軍人。階級は海軍大将。勲等は勲一等。功級は功二級。爵位は男爵。.

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鳥海 (砲艦)

鳥海(ちょうかい)は、日本海軍の砲艦。摩耶型砲艦の2番艦である。艦名は秋田・山形県境の鳥海山にちなんで命名された。.

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赤城 (砲艦)

赤城(あかぎ)は、大日本帝国海軍の砲艦。摩耶型の4番艦である。艦名の由来は赤城山。.

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葛城 (スループ)

葛城(かつらぎ)は、大日本帝国海軍の初代・葛城型の1番艦、3本マストの汽帆兼用の鉄骨木皮スループ。艦名は、奈良県にある葛城山にちなんで名づけられた。.

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長崎港

長崎水辺の森公園 長崎港(ながさきこう)は長崎県長崎市に位置する港湾である。港湾管理者は長崎県。港湾法上の重要港湾、港則法上の特定港に指定されている。.

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艦隊

ゆうぎりが写っている。 艦隊(かんたい、英:Fleet)は、海軍の部隊単位の一つ。英語の Fleet とは、古い英語のflēot(船)に由来する。.

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連合艦隊

連合艦隊(れんごうかんたい、旧字表記聯合艦隊)は、大日本帝国海軍が二個以上の常設の艦隊で編成した艦隊。海軍部内での略称はGF。.

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柴山矢八

柴山 矢八(しばやま やはち、嘉永3年7月13日(1850年8月20日) - 大正13年(1924年)1月27日)は、幕末から明治期の海軍軍人、華族。最終階級は海軍大将。男爵。鹿児島県出身。.

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東京大学出版会

一般財団法人東京大学出版会(とうきょうだいがくしゅっぱんかい、英称:University of Tokyo Press)は、東京大学の出版部に当たる法人。東京大学総長を会長とし、東京大学の活動に対応した書籍の出版を主に行う。.

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東郷平八郎

東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、弘化4年12月22日(1848年1月27日) - 昭和9年(1934年)5月30日)は、日本の幕末から明治時代の薩摩藩士、軍人。階級は元帥海軍大将。日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。日露戦争では連合艦隊司令長官として指揮を執り日本海海戦での完勝により英雄視され、「陸の大山 海の東郷」「アドミラル・トーゴー」「東洋のネルソン」と呼ばれた。世界三大提督(ジョン・ポール・ジョーンズ、ホレーショ・ネルソン、東郷平八郎)の1人。各地の東郷神社に名を残す。位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵。.

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松島 (防護巡洋艦)

松島(まつしま)は日清戦争及び日露戦争で活躍した日本海軍の防護巡洋艦である。1892年4月5日、竣工し第一種に編入。1898年3月21日、二等巡洋艦に類別された。 清国が保有していた戦艦「鎮遠」と「定遠」の2隻に対抗する軍艦として建造された、松島型(三景艦)のネームシップ。日清戦争時の連合艦隊旗艦である。同型艦は厳島、橋立。.

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松村淳蔵

松村 淳蔵(まつむら じゅんぞう、1842年6月26日(天保13年5月18日) - 1919年1月7日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。男爵。旧名は市来政徳、変名は市村勘十郎。のち松村と改姓。.

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横須賀鎮守府

横須賀鎮守府(よこすかちんじゅふ)は、神奈川県横須賀市にあった日本海軍の鎮守府。通称、横鎮(よこちん)。.

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横浜港

横浜港(よこはまこう)は、神奈川県横浜市の東京湾岸にある港湾である。港湾管理者は横浜市。港湾法上の正式名称は横浜港だが、港内の船舶交通を図る港則法では京浜港横浜区と称される京浜港は他に、川崎区(川崎港)と東京区(東京港)がある。。その範囲は鶴見区沖合いより金沢区八景島の辺りまで7,315.9haに及ぶ。 東アジアの大規模港に対抗するため新たに設けられた国際戦略港湾・京浜港(ハブ港)の一翼を担い、国土交通省より「国際コンテナ戦略港湾」の指定も受けている。1859年7月1日(安政6年6月2日)開港。いわゆる「安政の開国」による開港五港である。金港の美称を持つ。他に関税法施行令上の開港で国際貿易港(五大港)、日本三大貿易港などに含まれる。.

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橋立 (防護巡洋艦)

橋立(はしだて)は、大日本帝国海軍の防護巡洋艦。松島型防護巡洋艦の3番艦である。.

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比叡 (コルベット)

比叡(ひえい)は、日本海軍の軍艦。船体が鉄骨木皮の金剛型コルベット艦の2番艦である。のちに三等海防艦。艦名は、滋賀県にある比叡山にちなんで名づけられた。.

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潮岬

潮岬南端部、クレ崎 潮岬灯台空撮 潮岬(しおのみさき)は、和歌山県東牟婁郡串本町に属し、太平洋(フィリピン海)に面する岬。。本州最南端(クレ崎)に位置する。 東にある紀伊大島とともに、熊野地方を代表する観光地となっている。また、吉野熊野国立公園および南紀熊野ジオパークの一角をなす。 日本でも有数の台風銀座であり、台風の位置を示す指標にされることが多い。.

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朝日 (戦艦)

朝日(あさひ)は、日本海軍の戦艦日本補助艦艇物語217頁『工作艦(1)朝日』。.

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有地品之允

有地 品之允(ありち しなのじょう、天保14年3月15日(1843年4月14日) - 大正8年(1919年)1月17日)は日本の軍人、政治家。海軍中将、貴族院議員、男爵。別名・信政。.

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明石 (防護巡洋艦)

明石(あかし)は、日本海軍の防護巡洋艦。須磨型の2番艦である。艦名は兵庫県の景勝地「明石の浦」にちなんで名づけられた。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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浪速 (防護巡洋艦)

浪速(なにわ/なには)は、日本海軍の防護巡洋艦(二等巡洋艦)#幕末以降帝国軍艦写真と史実第30コマ(原本33頁)『浪速(なには) 艦種巡洋艦 二檣(スクーナー) 艦名考浪華又は難波に同じ、浪速は摂津國大阪より尼ケ崎邊までの地方を總稱したる古名なり、神武天皇の御世、皇舟師此海を過ぎし折、奔潮に出會ひ其流るること太だ急なるを見て、浪速の國又浪華の國とも名け給ひたるに起因せるものなりと傳ふ、今ま難波と讀むは轉訛なりと云ふ。艦歴明治19年2月英國に於て竣工、同年6月品川灣に來着す。此艦は此時代に於ける世界優秀艦の一と稱せらる、當時「ロンドン・タイムス」紙は之に關して長文の記事を掲げたり。其の要に曰く、浪速は目下海上に浮泛せる諸國軍艦中、速力最も速く、備砲最も強勢、且つ防護最も完全なる巡洋艦なり。其の大砲及び砲架、水壓器、電燈、水雷等亦た最も新しき發明の兵器を以て艤装せられたるものなり。今後日本海及び支那海に於いて戰爭ある時は、日本海軍は該艦を使用して偉勲を建つべきことは昔日の比にあらざるべし云々と、次に記する所の高千穂亦同時に建造せられたるものにして姉妹艦なり。明治27・8年戰役に從軍(艦長大佐東郷平八郎):同27年7月豊島沖海戰に参加、敵陸軍を搭載せる英國商船高陞號を撃沈す。同8月威海衛砲撃に、同9月黄海海戰に、同11月大連港及旅順港占領に参加、同28年2月威海衛總攻撃及同占領に從事、同3月澎湖島攻略に從事、同31年3月巡洋艦二等に列す、同37・8年戰役從軍(第四戰隊):同37年2月9日仁川沖海戰に参加(第二艦隊司令官少将瓜生外吉旗艦)、同8月蔚山沖海戰に参加(艦長大佐和田賢助)。同5月日本海々戰に参加(第四戰隊旗艦、中将瓜生外吉乗艦、艦長同前)、同45年7月18日北海道に於て警備兼測量任務中擱坐沈没す。 ―要目― 長300呎/幅46呎/喫水18呎7吋/排水量3,759噸/機關 横置二聯成汽機2臺、雙螺旋、圓罐/馬力7,600/速力18.5/乗組人員385/船材 鋼(防禦甲板31粍)/兵装 26拇克砲2/15栂克砲6/6听ノルデン砲2/備砲14/發射管(水上)4/起工 明治17-3-22/進水 同18-3-18/竣工 同19-2/建造所 英國エルスウィック安社』。 浪速型の1番艦。日本海軍にとって、最初の防護巡洋艦(鋼鉄製艦)である。 艦名は大阪(摂津国)の古称「浪速」にちなんで名づけられた。日清戦争時、東郷平八郎艦長(当時、大佐)の指揮下で活躍した。.

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海軍省

海軍省(かいぐんしょう)は、日本の第二次世界大戦以前の行政官庁各省の中の一つである。大日本帝国海軍の軍政機関。主任大臣は海軍大臣。軍令は最高司令官である天皇に直属する軍令部が担当する。.

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海門 (スループ)

海門(かいもん)は、大日本帝国海軍の鉄骨木皮スループである。艦名の由来は鹿児島県の開聞岳。.

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浅間 (装甲巡洋艦)

浅間(あさま)は、大日本帝国海軍に所属した装甲巡洋艦(一等巡洋艦)#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.56『淺間(あさま)【二代】 艦種一等巡洋艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考初代「淺間」の項(p.15)参照。艦歴常磐と姉妹艦なり、我國に於ける装甲巡洋艦として最初の艦なり。明治33年北清事變從軍:同33年8月22日英・獨・露・伊・墺の聯合郡と共に参戰、太沽攻撃に從事(艦長大佐細谷資氏)、同35年6月、高砂と共に英皇戴冠式に参列(司令官伊集院五郎)、同37・8年戰役に從軍(第二戰隊):同37年仁川沖海戰に参加(第四戰隊司令官少将瓜生外吉旗艦、艦長大佐八代六郎)、同年8月黄海々戰に参加(艦長同前)、同38年5月日本海々戰に参加(艦長同前)、大正3年乃至9年戰役(日獨)に從軍:同3年9月南洋方面に行動し、獨領南洋島占領に從事(艦長大佐吉岡範策)、同3年10月又遣米支隊に属し布哇・北米・中米方面警備に從事(艦長同前)、同4年1月31日遣米枝隊として北米沿岸に活動中、南加州「サンパルトロメー」に於て海圖上に指示されざる無名の暗岩に坐礁し常磐・關東等の掩護の下に非常なる辛酸を嘗めて同5月8日離礁、「エスカイモルト」に於て應急處置を行ひ、工作艦「關東」護衛の下に横須賀に歸着、同所に於て修理完了。同10年一等海防艦に編入、御召艦なること屢次、次の如し。33年4月28日-30日 大演習/36年4月10日-30日大演習/38年10月23日観艦式/41年11月18日-30日大演習(観艦式共) 尚ほ明治43年以來練習艦隊として海軍少尉候補生等の練習任務に服し今日に至る。―要目―(略)起工 明治29年-10-20/進水同31-3-22/竣工同32-3-18/建造所 英國エルスウィック安社』。 日本海軍の法令上は旧字体の淺間だが、本記事では浅間とする。 浅間型装甲巡洋艦のネームシップ。 旧式化に伴い、1921年(大正10年)9月1日附で海防艦に類別変更された。 艦名は群馬県と長野県の境にある「浅間山」にちなんで名づけられた。この名を持つ日本海軍の艦船としては明治初期のコルベット艦「浅間」に続いて2隻目#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.19『淺間(あさま)【初代】 艦種軍艦 三檣「シップリグ・コルベット」 艦名考山名に採る、淺間山は信濃國北佐久郡、上野國吾妻郡に跨る、標高8,184尺。艦歴明治元年佛國に於て建造、同7年7月開拓使より受領、當時北海丸と號す。同年10月淺間艦と改名、後ち砲術練習艦として當時有名なり。同9年萩の亂從軍、同10年西南役從軍、同24年3月3日除籍、船體は同25年6月横須賀水雷隊攻撃部に付属せしが同29年12月賣却。』。.

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日高壮之丞

日高 壮之丞(ひだか そうのじょう、嘉永元年3月23日(1848年4月26日) - 昭和7年(1932年)7月24日)は、日本の海軍軍人。海軍大将勲一等功二級男爵。.

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日清戦争

日清戦争(にっしんせんそう)は、1894年(明治27年)7月25日(光緒20年6月)から1895年(明治28年)3月(光緒21年2月)にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる日本と大清国の戦争である。前者がイギリス帝国に接近し、治外法権を撤廃させる実質的な外交材料となった。日清講和条約を結ばせた日本は戦勝国であったが、多くの兵を病死させている。また、利率の高い国内軍事公債も戦後に借り替えた。条約により台湾を譲り受けた日本は、台湾総督府や台湾製糖を設置し、民間からは大日本製糖などの製糖会社が台湾に進出した。また日清汽船(大阪商船)などの水運会社が上海に進出した。.

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摩耶 (砲艦)

摩耶(まや)は、日本海軍の砲艦。摩耶型砲艦の1番艦である。艦名は当初「吉野」「飛鳥」の2つが候補とされていたが、最終的には兵庫県神戸市の摩耶山にちなんで命名された。.

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操江 (砲艦)

操江(そうこう)は、日本海軍の砲艦。元清国海軍の砲艦「操江 」(ツァオキアン Tsao-kiang/ Caojiang)で日清戦争の戦利艦である。.

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愛宕 (砲艦)

愛宕(あたご)は、日本海軍の砲艦。摩耶型の3番艦である。艦名は京都府の愛宕山にちなんで命名された。.

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扶桑 (甲鉄艦)

扶桑(ふそう)は、日本海軍が保有した中央砲郭装甲艦である。当初は一等軍艦、のち、二等戦艦から二等海防艦に類別された。同型艦はない。.

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普仏戦争

普仏戦争(ふふつせんそう、Guerre franco-allemande de 1870、Deutsch-Französischer Krieg)は、フランス第二帝政期の1870年7月19日に起こり、1871年5月10日まで続いたフランスとプロイセン王国の間で行われた戦争である。ドイツ諸邦もプロイセン側に立って参戦したため独仏戦争とも呼ぶ他、フランス側では1870年戦争と呼称する。なお、日本の世界史の教科書ではプロイセン=フランス戦争と呼称する場合もある。プロイセンは北ドイツ連邦と南ドイツのバーデン大公国・ヴュルテンベルク王国・バイエルン王国と同盟を結び圧勝した。 もともとスペイン王位継承問題でプロイセンとフランスの対立が最高潮に達していたが、ドイツ首相ビスマルクはエムス電報事件でフランスとの対立を煽り開戦させた。フランスは7月19日にプロイセンのみに宣戦したが、ドイツ諸邦はプロイセン側に立って参戦した。野戦砲と鉄道輸送を巧みに活用したプロイセン軍の精強さは、ドイツ国境に侵攻したフランス軍を叩きのめした。防戦一方となったフランス軍は9月2日にセダンの戦いで包囲に置かれ、10万人のフランス兵と皇帝ナポレオン3世が降伏した。 第二帝政は終焉を迎えて第三共和政に移行した。新たに編成されたフランス軍も帝政時代と同じくプロイセン軍に一蹴され、5ヶ月間の北フランス攻撃を経て、1871年1月28日に首都パリを占領された。1871年5月10日、フランクフルト講和条約が締結され、正式にフランスはプロイセンに降伏した。 ジャコブ・マイエール・ド・ロチルドが1817年に設立したロチルド・フレール(de Rothschild Frères ロスチャイルド兄弟とも)は、50億フランにのぼる賠償金を支払うためのシンジケートを組成した。フランスはオスマン帝国に対する膨大な債権を回収してロチルドらに返済するつもりであったが、オスマン債務管理局の利権にドイツ帝国が割りこみ東方問題に佳境をもたらした。そして新たにカリブ海問題も生まれた。.

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10月12日

10月12日(じゅうがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から285日目(閏年では286日目)にあたり、年末まであと80日ある。.

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10月25日

10月25日(じゅうがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から298日目(閏年では299日目)にあたり、年末まであと67日ある。.

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10月28日 (旧暦)

旧暦10月28日は旧暦10月の28日目である。六曜は先勝である。.

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12月10日

12月10日(じゅうにがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から344日目(閏年では345日目)にあたり、年末まであと21日ある。.

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12月28日

12月28日(じゅうにがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から362日目(閏年では363日目)にあたり、年末まであと3日ある。.

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1870年

記載なし。

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1871年

記載なし。

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1872年

記載なし。

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1875年

記載なし。

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1876年

記載なし。

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1882年

記載なし。

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1885年

記載なし。

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1889年

記載なし。

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1894年

記載なし。

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1895年

記載なし。

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1897年

記載なし。

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1903年

記載なし。

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2月28日 (旧暦)

旧暦2月28日は旧暦2月の28日目である。六曜は大安である。.

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4月5日

4月5日(しがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から95日目(閏年では96日目)にあたり、年末まであと270日ある。誕生花はカイドウ、コデマリ。.

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5月18日 (旧暦)

旧暦5月18日は旧暦5月の18日目である。六曜は仏滅である。.

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5月8日 (旧暦)

旧暦5月8日は旧暦5月の8日目である。六曜は赤口である。.

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6月23日

6月23日(ろくがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から174日目(閏年では175日目)にあたり、年末まであと191日ある。誕生花はササユリ、ムラサキツユクサ。.

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6月25日

6月25日(ろくがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から176日目(閏年では177日目)にあたり、年末まであと189日ある。誕生花はアガパンサス、ヒルガオ。.

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7月24日

7月24日(しちがつにじゅうよっか、しちがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から205日目(閏年では206日目)にあたり、年末まであと160日ある。誕生花はエンレイソウ、オシロイバナ。.

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7月28日 (旧暦)

旧暦7月28日は旧暦7月の28日目である。六曜は仏滅である。.

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8月24日

8月24日(はちがつにじゅうよっか、はちがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から236日目(閏年では237日目)にあたり、年末まであと129日ある。.

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8月31日

8月31日(はちがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から243日目(閏年では244日目)にあたり、年末まであと122日ある。8月の最終日である。.

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