35 関係: 大和屋 (歌舞伎)、天保、女形、女性、家紋、小袖曾我薊色縫、尾上菊五郎 (5代目)、屋号、岩井半四郎 (5代目)、岩井半四郎 (7代目)、岩井粂三郎、中村座、市川小團次 (4代目)、市川團十郎 (8代目)、市川團十郎 (9代目)、三人吉三廓初買、幼名、幕末、座頭、俳名、八幡祭小望月賑、竹柴其水、青砥稿花紅彩画、鳴神、梅雨小袖昔八丈、歌舞伎、江戸、河竹黙阿弥、明治、文政、10月29日、10月2日 (旧暦)、1829年、1882年、2月19日。
大和屋 (歌舞伎)
大和屋(やまとや)は、歌舞伎役者の屋号。 初代坂東三津五郎が養子に入った初代坂東三八の実家の屋号が大和屋だったことに由来。 大和屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。.
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天保
天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.
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女形
女形・女方(おやま・おんながた)とは、歌舞伎において若い女性の役を演じる役者、職掌、またその演技の様式そのものを指す。.
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女性
パイオニア探査機の金属板(部分)に描かれた女性像 女性器の構造 女性器の外観 成長した女性の下半身 女性(じょせい、γυναίκα、woman)は、男性と対比されるヒト(人間)の性別のこと。一般には生物学のメスと同義だが、社会・個人の価値観や性向に基づいた多様な見方が存在する。.
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家紋
家紋(かもん)とは、日本固有の紋章である。.
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小袖曾我薊色縫
『小袖曾我薊色縫』(こそで そが あざみの いろぬい)は歌舞伎の演目。安政五年二月(1858年3月)江戸市村座初演。二代目河竹新七(黙阿弥)作、全六幕。 物語は文化二年 (1805) に打ち首獄門になった実在の大盗賊・鬼坊主清吉を主人公に、安政二年 (1856) に起った藤岡藤十郎の御金蔵破り事件や、講談で知られた剣客八重垣紋三のお家騒動を題材にとり、これに当時話題となったや寛永寺の僧侶と遊女の心中事件や初春恒例の曾我兄弟の対面を付け加えてないまぜにしたもの。 今日では清吉とその情婦・十六夜にかかわる部分のみが『花街模様薊色縫』(さともよう あざみの いろぬい)の外題で上演されている。全四幕。一般に『十六夜清心』(いざよい せいしん)の通称で知られるのはこちらの方である。.
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尾上菊五郎 (5代目)
五代目 尾上菊五郎(ごだいめ おのえ きくごろう、1844年7月18日(天保15年6月4日)- 1903年(明治36年)2月18日)は、明治時代に活躍した歌舞伎役者。本名は寺島 清(てらしま きよし)。 尾上菊五郎としての屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。俳名に梅幸。 市村羽左衛門としての屋号は菊屋。定紋は根上り橘、替紋は渦巻。俳名に家橘。 九代目市川團十郎、初代市川左團次とともに、いわゆる「團菊左時代」の黄金時代を築いた。.
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屋号
屋号、家号(やごう)とは、一門・一家の特徴を基に家に付けられる称号のことである。日本、ヨーロッパにおいて使用されている例がある。日本の場合、家紋のように屋号を記号化・紋章化した屋号紋を指すこともある。また、前述の本来の屋号から派生して企業や店の名称などを屋号と呼ぶ場合もある。.
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岩井半四郎 (5代目)
五代目 岩井 半四郎(ごだいめ いわい はんしろう、安永5年(1776年) - 弘化4年4月6日(1847年5月20日))は化政期に女形として活躍した江戸の歌舞伎役者。幼名は長松(ちょうまつ)。屋号は大和屋。俳名に梅我・杜若、通称に杜若半四郎・眼千両・大太夫などがある。.
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岩井半四郎 (7代目)
七代目 岩井 半四郎(しちだいめ いわい はんしろう、文化元年〈1804年〉 - 弘化2年4月1日〈1845年5月6日〉)とは、江戸時代後期の歌舞伎役者。屋号は大和屋、俳名は扇朝・紫若。紋は扇子。 五代目岩井半四郎の次男として生まれ岩井小紫と名乗る。文化3年(1806年)11月、江戸中村座の『睦花雪陸奥』に子役として岩井松之助の名で初舞台。のち若女形として父や兄の二代目岩井粂三郎(のちの六代目岩井半四郎)と舞台を共にする。文政5年(1822年)、岩井紫若と改名。江戸や大坂で舞台を勤める。天保7年(1836年)兄の六代目半四郎が夭折し、以降は父(すでに岩井杜若と改名)の芸の後継者として活躍する。天保15年(1844年)3月には父や兄の名跡を継ぎ、七代目岩井半四郎として中村座の舞台に立った。しかし弘化2年1月中村座に出たのを最後に、以前からの病が重くなり同年4月1日に没した。兄の六代目同様、これからという矢先に病に倒れたのだった。 容貌に優れ娘役や若衆などを当り役とし、岩井家の芸を受け継いで世話物に本領を発揮した。「紫若半四郎」とあだ名される。筆も立ち『狂言袴五ッ紋尽』などの著作がある。ただし楽屋内ではかなり辛辣な人物だったらしく、河竹黙阿弥もかなわなかったという話が伝わる。実子は幕末から明治にかけての名女形八代目岩井半四郎。.
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岩井粂三郎
岩井 粂三郎(いわい くめさぶろう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は大和屋。定紋は丸に三ツ扇、替紋は杜若丁字。.
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中村座
復元された中村座(江戸東京博物館) 京橋) 中村座の定式幕 中村座(なかむらざ)は、江戸にあった歌舞伎劇場で江戸三座のひとつ。座元は中村勘三郎代々。控櫓は都座。.
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市川小團次 (4代目)
四代目 市川小團次(よだいめ いちかわ こだんじ、文化9年(1812年)1月 - 慶応2年5月8日(1866年6月20日))は幕末の歌舞伎役者。幼名は榮太(えいた)、また榮次郎(えいじろう)とも。俳名は米升。屋号は高島屋。定紋は三升。.
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市川團十郎 (8代目)
八代目 市川 團十郎(はちだいめ いちかわ だんじゅうろう、文政6年10月5日(1823年11月7日) - 嘉永7年8月6日(1854年9月27日))は天保年間から幕末にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は成田屋。定紋は三升、替紋は杏葉牡丹。俳名に白猿がある。.
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市川團十郎 (9代目)
九代目 市川 團十郞(くだいめ いちかわ だんじゅうろう、新字体:団十郎 1838年11月29日(天保9年10月13日) - 1903年(明治36年)9月13日)は明治時代に活躍した歌舞伎役者。屋号は成田屋。定紋は三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょよう ぼたん)。俳号に紫扇(しせん)・團州(だんしゅう)・壽海(じゅかい)・三升(さんしょう)、雅号には夜雨庵(ようあん)。本名は堀越 秀(ほりこし ひでし)。 五代目 尾上菊五郎、初代 市川左團次とともに、いわゆる「團菊左時代」を築いた。写実的な演出や史実に則した時代考証などで歌舞伎の近代化を図る一方、伝統的な江戸歌舞伎の荒事を整理して今日にまで伝わる多くの形を決定、歌舞伎を下世話な町人の娯楽から日本文化を代表する高尚な芸術の域にまで高めることに尽力した。 その数多い功績から「劇聖」(げきせい)と謳われた。また歌舞伎の世界で単に「九代目」(くだいめ)というと、通常はこの九代目 市川團十郎のことをさす。.
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三人吉三廓初買
『三人吉三廓初買』(さんにんきちさ くるわの はつがい)は、安政七年 (1860) 正月、江戸市村座で初演された歌舞伎の演目。通称『三人吉三』。世話物、白浪物。二代目河竹新七(黙阿弥)作。全七幕。3人の盗賊が百両の金と短刀とをめぐる因果応報で刺し違えて死ぬまでを描いた物語。 初演時はあまり評判にならず、30年ほど経って一部の筋を省略し『三人吉三巴白浪』(さんにんきちさ ともえの しらなみ)という外題で再演された(吉原遊郭を舞台にした部分を省略し、「廓初買」が意味をなさなくなったため)。再演時には大評判となり、以後歌舞伎の代表的な作品の一つとして、今日でもよく上演される人気作品となっている。.
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幼名
幼名(ようみょう/ようめい)は、幼少時の名前の事。おさな名・童名・小字とも言う。 主に平安時代~江戸時代にかけて、武士や貴族の子が幼児である期間につけられる名前で、だいたい元服して諱をつけるまでその名前でいる。江戸期では、多くの慈善活動をした豪商が、その活動を認められ、公での苗字帯刀を許された場合、その商人の子も幼名を持つ例がある。農民の名前も幼名と呼ばれるが、武士とは違って諱をつける事は無い。 現在でも幼少時に改名した場合は、以前の名前を幼名と呼ぶ。.
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幕末
幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.
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座頭
座頭(ざとう)は、江戸期における盲人の階級の一つ。またこれより転じて按摩、鍼灸、琵琶法師などへの呼びかけとしても用いられた。今日のような社会保障制度が整備されていなかった江戸時代、幕府は障害者保護政策として職能組合「座」(一種のギルド)を基に身体障害者に対し排他的かつ独占的職種を容認することで、障害者の経済的自立を図ろうとした。.
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俳名
俳名(はい-みょう)は、本来俳号と同義であるが、江戸時代中期以降の芸能分野においては、.
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八幡祭小望月賑
『八幡祭小望月賑』(はちまん まつり よみやの にぎわい)は歌舞伎の演目。通称『縮屋新助』(ちぢみや しんすけ)。 万延元年七月(1860年8月)江戸市村座で初演された。二代目河竹新七(黙阿弥)作、全六幕。.
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竹柴其水
竹柴其水(たけしば きすい、弘化4年(1847年)- 大正12年(1923年)2月7日)は、歌舞伎作者。本名は岡田 進蔵(おかだ しんぞう)。 江戸に大工の子として生まれ、幼名を駒沢鏡之助といったが、のち京橋の材木商・岡田某の養子となる。 十二代目守田勘彌宅に寄宿し、三代目桜田治助の門人となって熨斗進蔵(のし しんぞう)を名乗り、守田座のために作品を書いた。のち二代目河竹新七(黙阿弥)に入門し、明治6年(1873年)竹柴進三(たけしば しんぞう)と改名。明治17年(1884年)には新富座の立作者となり、同20年に黙阿弥の俳名を与えられて竹柴其水を名乗る。その後明治座の立作者となり、主に初代市川左團次のために作品を書いた。代表作に『神明恵和合取組』(め組の喧嘩)、『那智滝祈誓文覚」などがある。.
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青砥稿花紅彩画
『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなの にしきえ)は、文久2年3月(1862年3月)に江戸市村座で初演された歌舞伎の演目。通称は「白浪五人男」(しらなみ ごにんおとこ)。世話物(白浪物)、二代目河竹新七(黙阿弥)作、全三幕九場。 弁天小僧の出がある場のみを上演する際には『弁天娘女男白浪』(べんてんむすめ めおの しらなみ)と外題が替わり、さらにそれを尾上菊五郎がつとめる舞台に限っては特に『音菊弁天小僧』(おとにきく べんてんこぞう)と外題が替わることもある。 何度も映画になり、名科白「知らざあ言って聞かせやしょう」があることから大衆演劇、素人芝居でよく演じられた。.
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鳴神
『鳴神』(なるかみ)とは、歌舞伎十八番のひとつ。.
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梅雨小袖昔八丈
五代目尾上菊五郎の髪結新三。 『梅雨小袖昔八丈』(つゆこそでむかしはちじょう)とは、歌舞伎の演目のひとつ。全四幕。明治6年(1873年)6月、東京中村座にて初演。二代目河竹新七(河竹黙阿弥)の作。通称『髪結新三』(かみゆいしんざ)。.
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歌舞伎
歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.
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江戸
江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.
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河竹黙阿弥
黙阿弥 河竹 黙阿弥(かわたけ もくあみ、旧字体:默阿彌、文化13年2月3日(1816年3月1日) - 明治26年(1893年)1月22日)は、江戸時代幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者。本名は吉村 芳三郎(よしむら よしさぶろう)。俳名に其水(そすい)。別名に古河 黙阿弥(ふるかわ-)。江戸日本橋生まれ。.
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明治
明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.
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文政
文政(ぶんせい)は日本の元号の一つ。文化の後、天保の前。1818年から1831年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。.
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10月29日
10月29日(じゅうがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から302日目(閏年では303日目)にあたり、年末まであと63日ある。.
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10月2日 (旧暦)
旧暦10月2日(きゅうれきじゅうがつふつか)は、旧暦10月の2日目である。六曜は大安である。.
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1829年
記載なし。
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1882年
記載なし。
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2月19日
2月19日(にがつじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から50日目にあたり、年末まであと315日(閏年では316日)ある。.
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