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尚純

索引 尚純

尚 純(しょう じゅん、1660年2月15日(順治17年1月5日)- 1707年2月2日(康熙45年12月23日))は琉球第二尚氏王統11代尚貞王の長男。童名を思徳金といい、世子であり中城王子を称した。父王:尚貞より先に薨じてしまい、王位を継ぐことはなかったが、尚純の長男:尚益が12代王になると、王号を追贈された。 『中山世譜』に聡明で学問を好んだと記されており、『中山詩文集』には尚純の絶句「咏双松」が収録されている。 歴代王が眠る墓所、玉陵に葬られた。.

29 関係: 尚益王尚貞王中城王子中山世譜世子久志御殿康熙仲里御殿玉陵琉球第二尚氏絶句聞得大君順治12月23日1660年1669年1670年1676年1678年1689年1691年1693年1702年1706年1707年1月5日2月15日2月2日

尚益王

尚益王(しょうえきおう、1678年12月8日(康煕17年10月25日) - 1712年8月16日(康煕51年7月15日))は琉球第二尚氏王統第12代国王(在位:1710年 - 1712年)。第11代国王尚貞王の孫、中城王子・尚純の子。 祖父・尚貞王代に魏士哲・高嶺徳明が中国に渡り補唇術を学んだが、それは王孫・尚益が兎唇であったためらしい。伝承では、尚益は口髭を生やして傷を隠したため、その子らも父が兎唇であった事を知らなかったと伝えられる。.

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尚貞王

尚貞王(しょうていおう、1646年1月22日(順治2年12月6日) - 1709年8月18日(康煕48年7月13日))は琉球第二尚氏王朝第11代国王(在位:1669年 - 1709年)。第10代国王尚質王の子。 尚貞王のときに蔡鐸(蔡温の父)が中山世譜を編集した。 1683年(康煕22年)に冊封を受けた際、中山世土と書かれた額を与えられた。 在世中に御茶屋御殿(首里、崎山)を建造した。.

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中城王子

中城王子(なかぐすくおうじ)は、琉球王国の王世子(世子)の称号である。.

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中山世譜

『中山世譜』(ちゅうざんせいふ)は、琉球王国の代表的な歴史書のひとつである。漢文で書かれた歴代国王の伝記を中心としており、中国との関係を中心にまとめた部分(正巻)と、薩摩藩など日本との関係を中心にまとめた部分(附巻)とに分かれている。 1697年に蔡鐸が中心となって編纂がはじまり、『中山世鑑』を漢文に訳し部分的に修正して、1701年に完成した。これを蔡鐸本と呼ぶ。天孫氏に始まり、舜天王から尚益王までの事績が記載されている。正巻5、附巻1(原文には「附巻」と明記されてはいない)に加え、尚豊王の子2人の伝を収める附巻1から成っている。 のちに蔡鐸の子の蔡温が加筆、修正をほどこし、さらに王府系図座によって編纂が継承され、尚泰王までの事績をまとめた。これを蔡温本と呼び、現在用いられているテクストはこれによる。正巻13、附巻7から成る。 蔡鐸本は紛失していたが、1972年(昭和47年)の調査により沖縄県立博物館所蔵の蔡温本に混入しているのが発見された。.

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世子

世子(せいし).

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久志御殿

久志御殿(くしうどぅん)は、尚貞王の長男・尚純の三男・尚盛、越来王子朝得(1702年-1759年)を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家。王国末期に久志間切(現・東村と名護市の一部)の按司地頭を務めた琉球王国の大名。 一世・朝得の父・尚純は尚貞王の長男で王世子(中城王子)であったが即位前に亡くなり、息子の尚益王が即位したため、王の父たるをもって王号を追贈された。六世・朝熹から久志間切に転任し、以後久志を家名とした。.

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康熙

康熙(こうき、z)は、清の元号(1662年 - 1722年)。聖祖の治世に使われ、ここから聖祖は康熙帝と呼ばれる。 中国史上最も長く用いられた元号である。.

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仲里御殿

仲里御殿(なかざとうどぅん)は、尚純の次男・尚監、野国王子朝直を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家で、王国末期に仲里間切(現:久米島町(仲里地区))の按司地頭を務めた琉球王国の大名。 一世朝直は最初、与那城間切の按司地頭に任ぜられ与那城王子を称したが、さらに恩納間切按司地頭職を加増されて、恩納王子を称した。1733年、久米具志川間切の按司地頭に転任したので、野国王子朝直と称するようになった。三世朝政は9歳で卒し、弟の朝堅が家統を継いだが嗣子がなく、又従兄弟に当たる久志御殿の朝義を養子に迎えた。七世朝諄の時、琉球処分となった。.

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玉陵

玉陵(たまうどぅん、玉御殿または霊御殿とも)は、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。所在地は沖縄県那覇市首里金城町。そもそもは第3代尚真王(在位1477年 - 1526年)が父、尚円王を葬るために建築したものである。世界遺産のひとつで沖縄県最大の破風墓。なお「玉陵」と名付く墓所はほかに「伊是名玉陵」、「山川の玉陵」がある。.

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琉球

琉球(りゅうきゅう)、りゅうきゅう、リュウキュウ.

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第二尚氏

二尚氏(だいにしょうし)は、尚円王を始祖とし、尚円王即位の1469年(成化6年)から1879年(光緒5年)までの410年間、沖縄の琉球王国を統治した王家およびその姓の通称。琉球最後の王朝。正式には尚氏だが、第一尚氏と区別するため、一般には第二尚氏と呼ばれる。第二尚氏は、初代・尚円王から最後の尚泰王まで、19代続き、廃藩置県後は日本の華族となった。.

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絶句

絶句(ぜっく)は、漢詩における近体詩の代表的な詩型の一つ。4句から成る。.

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聞得大君

聞得大君(きこえおおぎみ、きこえのおおきみ、チフィジン)とは、第二尚氏時代の琉球神道における最高神女(ノロ)。.

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順治

順治(じゅんち、満州語:、転写:ijishūn dasan)は、清の世祖の治世に使われた元号。1644年 - 1661年。これより一世一元の制を採用したため、世祖は順治帝と称される。.

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12月23日

12月23日(じゅうにがつにじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から357日目(閏年では358日目)にあたり、年末まであと8日ある。.

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1660年

記載なし。

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1669年

記載なし。

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1670年

記載なし。

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1676年

記載なし。

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1678年

記載なし。

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1689年

記載なし。

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1691年

記載なし。

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1693年

記載なし。

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1702年

記載なし。

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1706年

記載なし。

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1707年

記載なし。

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1月5日

1月5日(いちがついつか)はグレゴリオ暦で年始から5日目に当たり、年末まであと360日(閏年では361日)ある。誕生花はミスミソウ。.

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2月15日

2月15日(にがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から46日目にあたり、年末まであと319日(閏年では320日)ある。.

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2月2日

2月2日(にがつふつか)は、グレゴリオ暦で年始から33日目に当たり、年末まであと332日(閏年では333日)ある。.

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