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宮中伯

索引 宮中伯

宮中伯(きゅうちゅうはく、)は、中世ドイツの爵位の一つ。ファルツ伯(プファルツ伯)とも呼ばれ、神聖ローマ帝国における「宮廷の書記」という意味であり、今日では「大臣」に相当するものと解釈される。宮廷伯、帝領伯、王領伯、王領地伯、地方伯とも訳される。 いわばローマ皇帝の側近で、通常は宮廷に10人前後の宮中伯がおり、それぞれ担当する部署において政務を処理した。しかし、やがて地方において諸侯が台頭し、帝国が分裂状態になると、皇帝により諸侯を監視、あるいは諸侯の力を抑えるために各地に宮中伯が派遣されるが、そのほとんどが諸侯との争いの中で没落した。 唯一、ライン宮中伯だけは任地のライン地方に土着し、自ら諸侯化することで存続した。そのため、「宮中伯」というと固有名詞的にライン宮中伯を指すようになり、その所領は「プファルツ(宮中伯領)」と呼ばれるようになった。1356年の「金印勅書」によってライン宮中伯は選帝侯となったため、「プファルツ選帝侯」(「宮中伯領選帝侯」)と通称される。 のちにはプファルツ選帝侯系のヴィッテルスバッハ家の男子がみな代々宮中伯の称号を用いるようになり、公爵位を有する者は「プファルツ=○○公爵」と呼ばれるようになった。.

15 関係: 大臣中世ハンガリー王国ライン宮中伯ラインラントヴィッテルスバッハ家プファルツパラディンドイツ神聖ローマ帝国爵位選帝侯諸侯金印勅書1356年

大臣

大臣(だいじん)は、本来は皇帝・国王等を輔弼(ほひつ)して国政を司る重要官職だが、今日一般的には君主制と共和制とに関わらず、政府を構成し、各行政部門の長に位置する官職。.

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中世

中世(ちゅうせい、英語:middle ages)は、狭義には西洋史の時代区分の一つで、古代よりも後、近代または近世よりも前の時代を指す。17世紀初頭の西洋では中世の観念が早くも定着していたと見られ、文献上の初見は1610年代にまでさかのぼる。 また、広義には、西洋史における中世の類推から、他地域のある時代を「中世」と呼ぶ。 ただし、あくまでも類推であって、西洋史における中世と同じ年代を指すとは限らないし、「中世」という時代区分を用いない分野のことも多い。 また、西洋では「中世」という用語を専ら西洋史における時代区分として使用する。 例えば英語では日本史における「中世」を通常は「feudal Japan」(封建日本)や「medieval Japan」(中世日本)とする。.

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ハンガリー王国

ハンガリー王国(ハンガリーおうこく、Magyar Királyság)は、現在のハンガリーを中心とする地域をかつて統治した王国。.

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ライン宮中伯

ライン宮中伯(ラインきゅうちゅうはく、独:Pfalzgraf bei Rhein)は、神聖ローマ帝国の諸侯。ドイツ西部のライン地方を支配した宮中伯。また、選帝侯の1人として国王選出権その他の特権を有した。ライン帝領伯とも。また、ライン・プファルツ(ファルツ)伯とも訳され、単にプファルツ(ファルツ)伯(Pfalzgraf)とも呼ばれる(後述)。選帝侯である場合には、プファルツ(ファルツ)選帝侯(Kurfürst von der Pfalz)とも呼ばれる。.

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ラインラント

ラインラントの位置 1905年のラインラント ラインラント(Rheinland)は、ドイツ西部、ライン川沿岸の一帯を指す地方の名称。ラインラント=プファルツ州のほぼ全域とノルトライン=ヴェストファーレン州西部を中心に、ヘッセン州西部、バーデン=ヴュルテンベルク州北部にまたがる。沿岸一帯といっても、南部の上流域であるアルザスやバーデン地方は含まず、カールスルーエ付近からオランダ国境付近までを指す。ベネルクス三国やフランスのロレーヌ地方に接し、西欧の経済・産業の一大中心地である。 フランク族発祥地ということもあって方言系統はフランク語系に属し、宗教的には比較的カトリックが強い。観光名所が集まり、ドイツワインの中心的産地としても世界的に知られる。.

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ヴィッテルスバッハ家

ヴィッテルスバッハ家 は、ドイツのバイエルン地方を発祥とするヨーロッパの有力な君主、諸侯の家系。バイエルンの君主(バイエルン公(選帝侯)、バイエルン王)の家系として有名だが、その他にもプファルツ選帝侯(ライン宮中伯)、ブランデンブルク辺境伯(選帝侯)、スウェーデン王の家系として続いていた。また神聖ローマ皇帝、ギリシャ王も一族から出ている。プファルツ系その他の全ての家系を含めて「バイエルン家」(フランス語: Maison de Bavièreなど)とも呼ばれる。 長い歴史を有する家系であるが、三十年戦争におけるプファルツ選帝侯フリードリヒ5世とバイエルン公マクシミリアン1世に顕著なように、同族内でしばしば内紛を繰り返し、ハプスブルク家やホーエンツォレルン家に後れを取ることになった。.

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プファルツ

プファルツ、またはファルツ、プァルツ(Pfälz, )は、以下の事物を指す。.

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パラディン

250px 250px パラディン(Paladin)は、「パラティン」(palatine)、そしてラテン語の「パラティヌス」(palatinus)」から派生した語で、中世および初期近代ヨーロッパの多くの国で見られた、一定の高位にある騎士である。.

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ドイツ

ドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく、Bundesrepublik Deutschland)、通称ドイツ(Deutschland)は、ヨーロッパ中西部に位置する連邦制共和国である。もともと「ドイツ連邦共和国」という国は西欧に分類されているが、東ドイツ(ドイツ民主共和国)の民主化と東西ドイツの統一により、「中欧」または「中西欧」として再び分類されるようになっている。.

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神聖ローマ帝国

聖ローマ帝国(しんせいローマていこく、,,, Holy Roman Empire)は、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた国家。9~10世紀に成立し、1806年まで続いた。西ローマ帝国の後継国家を称した。.

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爵位

爵位(しゃくい、)とは主に古代から中世にかけての国家や現代における君主制に基づく国家において、貴族の血統による世襲または国家功労者への恩賞に基づき授与される栄誉称号のことである。別称として勲爵、爵号など。官職と爵位を総称して官爵ということもある。.

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選帝侯

ハインリヒ7世時代) 選帝侯(せんていこう、Kurfürst)は、神聖ローマ帝国において、ローマ王(ドイツ王)すなわち神聖ローマ帝国の君主に対する選挙権(選定権)を有した諸侯のことである。選挙権以外にも他の帝国諸侯とは一線を画した数々の特権を有した。選挙侯(せんきょこう)または選定侯(せんていこう)ともいう。.

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諸侯

諸侯(しょこう)とは、主君である君主の権威の範囲内で一定の領域を支配することを許された臣下である貴族のことである。 原義においては、古代中国において、春秋時代まで天子である周王朝などの王から封土を与えられて、封土の内側(国家)において天子にかわって「君」として振る舞うことが許された、あるいは許されたと観念されていた諸都市国家や都市国家連合の世襲的な首長のことであった。戦国時代に整理された周の理想的制度においては、諸侯は公・侯・伯・子・男の五等の爵位を与えられていたと考えられ、前漢以後は郡国制において王・公などの爵位と「藩国」と呼ばれる封土を与えられた者を諸侯と呼んだ。.

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金印勅書

1356年の金印勅書の金の印章 金印勅書(きんいんちょくしょ、ラテン語:bulla aurea)は、皇帝の命令が記され、黄金製の印章が付された公文書である。黄金文書(おうごんもんじょ)とも称する。中世からルネサンス期の中・西ヨーロッパや中世ビザンツ帝国において発布された。.

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1356年

記載なし。

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