ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

大野源一

索引 大野源一

大野 源一(おおの げんいち、1911年9月1日 - 1979年1月14日)は、将棋棋士。棋士番号7。東京都台東区出身。A級在籍16期。木見金治郎九段門下。.

37 関係: あした順子・ひろし升田幸三台東区向かい飛車塚田正夫大山康晴大内延介大阪市将棋の戦法一覧将棋会館将棋棋士一覧中原誠三間飛車久保利明四間飛車米長邦雄芹沢博文順位戦角田三男近藤正和東京都東京都出身の人物一覧東京新聞社杯高松宮賞争奪将棋選手権戦棋士 (将棋)湯川博士漫才木見金治郎木村義雄最強者決定戦1911年1947年1963年1969年1975年1979年1月14日9月1日

あした順子・ひろし

あした 順子・ひろし(あした じゅんこ・ひろし)は、かつて漫才協会、落語協会に所属していた男女漫才コンビ。昭和後期から平成にかけて、体を張ったどつき漫才で人気を博した。 五代目柳家小さん一門、のちに五代目鈴々舎馬風一門(「馬風ファミリー」)へ移籍。出囃子は『啼くな小鳩よ』。ふたりは師匠と弟子のコンビであり、夫婦ではない ORICON STYLE、2015年12月4日。.

新しい!!: 大野源一とあした順子・ひろし · 続きを見る »

升田幸三

升田 幸三(ますだ こうぞう、1918年3月21日 - 1991年4月5日)は、将棋棋士。実力制第四代名人。広島県双三郡三良坂町(現三次市)生まれ。名前は正しくは「こうそう」と読むが、将棋界では「こうぞう」で通した。木見金治郎九段門下。棋士番号18。.

新しい!!: 大野源一と升田幸三 · 続きを見る »

台東区

台東区(たいとうく)は、東京都の特別区の一つ。23区東部に区分される。 面積は23区の中で最も狭い。.

新しい!!: 大野源一と台東区 · 続きを見る »

向かい飛車

向かい飛車(むかいびしゃ)は、将棋の振り飛車戦法の一種である。先手ならば飛車を8筋に、後手ならば飛車を2筋に振る。英語名称はOpposing Rook。.

新しい!!: 大野源一と向かい飛車 · 続きを見る »

塚田正夫

塚田 正夫(つかだ まさお、1914年(大正3年)8月2日 - 1977年(昭和52年)12月30日)は、将棋棋士。名誉十段。実力制第二代名人。日本将棋連盟会長(1974年 - 1976年)。勲四等旭日小綬章(追贈、1978年)。紫綬褒章(1975年)。花田長太郎九段門下。棋士番号は11。東京都文京区出身。.

新しい!!: 大野源一と塚田正夫 · 続きを見る »

大山康晴

大山 康晴(おおやま やすはる、1923年(大正12年)3月13日 - 1992年(平成4年)7月26日)は、将棋棋士。十五世名人。棋士番号26。木見金治郎九段門下。 主な記録としては、公式タイトル獲得80期(歴代2位)、一般棋戦優勝44回(歴代1位)、通算1433勝(歴代1位)等がある。十五世名人・永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将の5つの永世称号を保持。 順位戦A級に在籍しながら、1977年(昭和52年)から1988年(昭和63年)まで日本将棋連盟会長を務めた。弟子には有吉道夫、中田功、行方尚史などがいる。1990年(平成2年)には将棋界から初めて文化功労者に選ばれた。正四位勲二等瑞宝章。岡山県倉敷市出身で、倉敷市および青森県上北郡おいらせ町の名誉市民・名誉町民。.

新しい!!: 大野源一と大山康晴 · 続きを見る »

大内延介

大内 延介(おおうち のぶゆき、1941年10月2日 - 2017年6月23日)は、将棋棋士。土居市太郎名誉名人門下。棋士番号は86。東京都港区出身。中央大学卒業。.

新しい!!: 大野源一と大内延介 · 続きを見る »

大阪市

大阪市(おおさかし)は、日本の近畿地方、大阪府のほぼ中央に位置する市で、同府の府庁所在地である。政令指定都市に指定されている。.

新しい!!: 大野源一と大阪市 · 続きを見る »

将棋の戦法一覧

将棋の戦法一覧(しょうぎのせんぽういちらん) 将棋の戦法は、「居飛車」と「振り飛車」の2つに大別される。また「急戦」か「持久戦」かによっても大きく異なる。 攻めによる分類と守り(囲い)による分類がある。居飛車の場合は、囲いによって大きく分かれ、攻めによって細かく分かれる。振り飛車の場合は、攻め(飛車の位置)と囲いはかなり独立している。.

新しい!!: 大野源一と将棋の戦法一覧 · 続きを見る »

将棋会館

将棋会館(しょうぎかいかん)は、日本将棋連盟の本部のある建物。同様の施設を持つ関西将棋会館(かんさいしょうぎかいかん)、2015年に連盟所有となった北海道将棋会館(ほっかいどうしょうぎかいかん)についても紹介する。.

新しい!!: 大野源一と将棋会館 · 続きを見る »

将棋棋士一覧

将棋棋士一覧(しょうぎきしいちらん)は、日本将棋連盟の将棋の棋士の一覧である。現役・引退・物故を問わず、棋士のすべてを棋士番号順に記す。 ただし、棋士番号制定以前(棋士番号制度が始まったのは1977年4月1日)や日本将棋連盟発足以前の棋士も本記事の後半に記す。 江戸時代の棋士については、将棋の家元(大橋家、大橋分家、伊藤家)の記事を参照。 下記も参照。.

新しい!!: 大野源一と将棋棋士一覧 · 続きを見る »

中原誠

中原 誠(なかはら まこと、1947年9月2日 - )は、将棋棋士。2009年3月、引退。十六世名人、および永世十段・永世王位・名誉王座・永世棋聖という5つの永世称号を保持し、かつ、いずれも引退前から名乗る1994年4月1日に「永世十段」、2007年9月2日に「名誉王座」、同年11月17日に「十六世名人」を、2008年4月1日に「永世棋聖」および「永世王位」を名乗る。参考リンクは以下に列挙(いずれも日本将棋連盟の「お知らせ」より)。.

新しい!!: 大野源一と中原誠 · 続きを見る »

三間飛車

三間飛車(さんけんびしゃ・さんげんびしゃ)は将棋の戦法の一つ。振り飛車戦法に分類される。飛車を先手ならば7筋、後手ならば3筋に振る。英語名称はThird File Rook。.

新しい!!: 大野源一と三間飛車 · 続きを見る »

久保利明

久保 利明(くぼ としあき、1975年8月27日 - )は、将棋棋士。棋士番号は207。淡路仁茂九段門下。兵庫県加古川市出身。県立加古川南高校中退。日本将棋連盟棋士会副会長(2015年6月 - )。.

新しい!!: 大野源一と久保利明 · 続きを見る »

四間飛車

四間飛車(しけんびしゃ)は将棋の戦法の振り飛車の一種である。英語名称はFourth File Rook。 先手ならば飛車を6筋に、後手ならば飛車を4筋に振る戦法である。「四間」とは、振った位置が左から数えて四マス目であるからである。.

新しい!!: 大野源一と四間飛車 · 続きを見る »

米長邦雄

米長 邦雄(よねなが くにお、1943年(昭和18年)6月10日 - 2012年(平成24年)12月18日)は、将棋棋士。タイトル獲得数19期は歴代5位。永世棋聖の称号を保持し、引退前から名乗る。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は85。趣味は囲碁で囲碁八段(日本棋院から追贈)。 2003年(平成15年)12月、引退。日本将棋連盟会長(2005年(平成17年) - 2012年(平成24年))。 2003年(平成15年)11月、紫綬褒章受章。2013年(平成25年)1月、旭日小綬章受章(没後叙勲)。 北陸先端科学技術大学院大学特任教授(2011年(平成23年)10月1日 - 2012年(平成24年)9月30日)。 日本財団評議員(2011年(平成23年)4月 - 2012年(平成24年)12月)。財団法人JKA評議員(本来の任期満了予定日は2013年(平成25年)3月31日であったが、死去により死去日をもって自動的に退任した)。日本テレビ番組審議会委員。ニッポン放送番組審議会委員。東京都教育委員(1999年(平成11年)12月 - 2007年(平成19年)12月)などを歴任。 山梨県南巨摩郡増穂町(現・富士川町)出身。中野区立第八中学校、東京都立鷺宮高等学校卒業。中央大学経済学部4年次3月(年度末)退学。.

新しい!!: 大野源一と米長邦雄 · 続きを見る »

芹沢博文

芹沢 博文(せりざわ ひろぶみ、1936年10月23日 - 1987年12月9日)は、将棋棋士。棋士番号68。旧字体の芹澤 博文表記も使われている。 静岡県沼津市出身。高柳敏夫名誉九段門下。タレントとしても活動した(盤外での活動を参照)。.

新しい!!: 大野源一と芹沢博文 · 続きを見る »

順位戦

順位戦(じゅんいせん)は、毎日新聞社・朝日新聞社主催の将棋の棋戦。タイトル戦である名人戦の予選にあたる。順位戦A級の1位が名人への挑戦者となる。.

新しい!!: 大野源一と順位戦 · 続きを見る »

角田三男

角田 三男(かくた みつお、1910年2月2日 - 1985年5月6日)は、将棋棋士。棋士番号13。鳥取県西伯郡岸本町(現・伯耆町)出身。木見金治郎九段門下。.

新しい!!: 大野源一と角田三男 · 続きを見る »

近藤正和

近藤 正和(こんどう まさかず、1971年5月31日 - )は、将棋棋士。棋士番号220。原田泰夫九段門下。新潟県柏崎市出身。新潟県立柏崎高等学校卒業。.

新しい!!: 大野源一と近藤正和 · 続きを見る »

東京都

東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.

新しい!!: 大野源一と東京都 · 続きを見る »

東京都出身の人物一覧

東京都出身の人物一覧(とうきょうとしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する東京都出身の人物(公人・文化人・芸能人・スポーツ選手など)の一覧表である。 東京府・東京市が廃止されて東京都になったのは1943年7月からであるが、ここでは便宜的に1943年7月以前に生まれた人物も含む。.

新しい!!: 大野源一と東京都出身の人物一覧 · 続きを見る »

東京新聞社杯高松宮賞争奪将棋選手権戦

東京新聞社杯高松宮賞争奪将棋選手権戦(とうきょうしんぶんしゃはいたかまつのみやしょうそうだつしょうぎせんしゅけんせん)とは1956年(第1回)から1966年(第11回)まで開催されていた、東京新聞社主催のプロ将棋の公式棋戦。略称は東京新聞社杯または高松宮杯。 優勝者以外に、名局を生んだ棋士には高松宮宣仁親王から「高松宮賞」が贈られた。高松宮賞はのちに敢闘賞の意味合いを帯びるようになり、厳密な定義では優勝ではないが、棋士の通算タイトルを記載する場合などでは優勝と同列に扱われている。.

新しい!!: 大野源一と東京新聞社杯高松宮賞争奪将棋選手権戦 · 続きを見る »

棋士 (将棋)

棋士(きし)は、将棋用語としては俗に「将棋指し」・「プロ棋士」ともいい、本将棋を職業(専業)とする人のこと。現代では日本将棋連盟に所属し、棋戦に参加する者を指す(狭義)。女性限定の制度による「女流棋士」(女流のプロ)やアマチュアへの普及・指導を担当する「指導棋士」は(狭義の)棋士ではない。 また、日本将棋連盟は各種アマチュア大会に出場するアマチュア(愛棋家)のことを「アマチュア棋士」ではなく「選手」と呼んでいる。.

新しい!!: 大野源一と棋士 (将棋) · 続きを見る »

湯川博士

湯川 博士(ゆかわ ひろし、1945年2月25日 - )は、将棋を中心としたフリーライター、観戦記者。本名は湯川博美(ゆかわ・ひろみ)。妻は、将棋・囲碁の観戦記者で、元女流アマ名人の湯川恵子。 「将棋ペンクラブ」代表幹事。NPO「将棋を世界に広める会(ISPS)」理事。NPO「チェス将棋交流協会」理事。.

新しい!!: 大野源一と湯川博士 · 続きを見る »

漫才

漫才(まんざい)は、古来の萬歳を元にし愛知県の尾張万歳の影響を受け、日本の近畿地方で独自に発達したとされる、主に2人組で披露される演芸・話芸。2人の会話の滑稽な掛け合いの妙などで笑いを提供する。大正末期、映画の弁士によって始められた漫談にちなみ、1933年(昭和8年)頃に吉本興業宣伝部によって漫才と名付けられた。漫才を行う者を「漫才師」と呼ぶ。近畿圏の漫才を特に上方漫才(かみがたまんざい)という。.

新しい!!: 大野源一と漫才 · 続きを見る »

木見金治郎

木見 金治郎(きみ きんじろう、1878年6月24日 - 1951年1月7日)は、将棋棋士。九段。関根金次郎十三世名人門下。岡山県児島郡木見村(現・倉敷市)出身。.

新しい!!: 大野源一と木見金治郎 · 続きを見る »

木村義雄

木村 義雄(きむら よしお、1905年(明治38年)2月21日 - 1986年(昭和61年)11月17日)は、将棋棋士。十四世名人。棋士番号は2。東京都墨田区(当時は東京市本所区)表町出身。 最初の実力制による名人、かつ最初の永世名人である。.

新しい!!: 大野源一と木村義雄 · 続きを見る »

最強者決定戦

最強者決定戦(さいきょうしゃけっていせん)とは1961年(第1回)-1973年(第13回)まで開催されていた、共同通信社主催のプロ将棋の公式棋戦。1975年に棋王戦に移行した。前身は、1957年(第1回)から1960年(第4回)まで行われた日本一杯争奪戦で、これらにはB級2以上の棋士が参加した。さらにその前身は1954年(第1回)から1956年(第3回)まで行われた九、八、七段戦である。優勝者は名人と対局が組まれた。準優勝者は、大山康晴が名人時代は升田幸三と記念対局を、中原誠が名人になってからは大山と記念対局が行われた。.

新しい!!: 大野源一と最強者決定戦 · 続きを見る »

1911年

記載なし。

新しい!!: 大野源一と1911年 · 続きを見る »

1947年

記載なし。

新しい!!: 大野源一と1947年 · 続きを見る »

1963年

記載なし。

新しい!!: 大野源一と1963年 · 続きを見る »

1969年

記載なし。

新しい!!: 大野源一と1969年 · 続きを見る »

1975年

記載なし。

新しい!!: 大野源一と1975年 · 続きを見る »

1979年

記載なし。

新しい!!: 大野源一と1979年 · 続きを見る »

1月14日

1月14日(いちがつじゅうよっか、いちがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から14日目に当たり、年末まであと351日(閏年では352日)ある。誕生花はシクラメン、シンビジューム、スイートピー、サフラン。.

新しい!!: 大野源一と1月14日 · 続きを見る »

9月1日

9月1日(くがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から244日目(閏年では245日目)にあたり、年末まではあと121日ある。.

新しい!!: 大野源一と9月1日 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »