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大岡忠俊

索引 大岡忠俊

大岡 忠俊(おおおか ただとし)は、安土桃山時代の武将。大岡忠右衛門忠政の嫡男。 父忠政とともに徳川家康に仕え、慶長5年8月1日(1600年9月8日)、伏見城の戦いで鳥居元忠隊に属して伏見城へ篭城し、西軍側の攻撃を受けて討ち死にした。享年28。.

21 関係: 大岡忠吉大岡忠世大岡忠行大岡忠政大岡氏天正安土桃山時代伏見城伏見城の戦い徳川家康元亀系図纂要鳥居元忠松平康親武将慶長1572年1583年1600年8月1日 (旧暦)9月8日

大岡忠吉

大岡 忠吉(おおおか ただよし)は江戸時代初期の旗本。従五位下美濃守。旗本・大岡忠右衛門忠政の四男。相模国高座郡高田村の地頭。.

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大岡忠世

大岡 忠世(おおおか ただよ)は、江戸時代初期の旗本。大岡忠政の三男。相模国高座郡下大曲村の領主。 父忠政とともに徳川家康に仕え、1597年(慶長2年)、父より相模国高座郡下大曲村に220石を分け与えられる。慶長5年(1600年)、長兄の忠俊が伏見城の戦いで討ち死にしたため、家督を継ぎ、父の遺領は次兄の忠行が継いだ。 長男の忠種を本家の次兄・忠行の養子としたため、次男の忠真に家督を継がせた。寛永17年(1641年)12月28日に死去。享年65。 たたよ Category:戦国武将 Category:江戸幕府旗本 Category:1576年生 Category:1641年没.

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大岡忠行

大岡 忠行(おおおか ただゆき、天正4年(1576年) - 慶長20年5月7日(1615年6月3日))は、江戸時代初期の武将、旗本。大岡忠種の養父。旗本・大岡忠右衛門忠政の次男。母は松井松平康親。通称は伝蔵、忠四郎。妻は筒井次左衛門正吉女。子は横地一郎右衛門忠重妻、加藤甚之助治次妻。 慶長5年(1600年)、兄忠俊が関ヶ原の戦いで討ち死にすると、家督は弟の忠世が継ぎ、忠行は相模国高座郡堤村の知行地を引き継ぐ。 慶長19年(1614年)の大坂夏の陣に参戦し、高木正次隊に属して父・忠政に先立って、討ち死にする。享年40。法名は覚夢。家督は養子忠種が継いだ。後に忠行の家系は2300余石となった。.

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大岡忠政

大岡 忠政(おおおか ただまさ)は安土桃山時代の武将。江戸幕府旗本。大岡忠勝の三男。相模国高座郡の領主。.

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大岡氏

大岡氏(おおおかし)は、日本の氏族。家紋は大岡七宝(剣輪違)。.

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天正

天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.

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安土桃山時代

安土桃山時代(あづちももやまじだい)は、日本の歴史において、織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代である。2人の名前を取って、織豊時代(しょくほうじだい)ともいう。 なお、美術史では1615年(慶長20年)の豊臣氏滅亡までを「安土桃山時代」と称するのが一般的である。.

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伏見城

伏見城(ふしみじょう)は、現在の京都市伏見区桃山地区にあった日本の城。.

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伏見城の戦い

伏見城の戦い(ふしみじょうのたたかい)は、1600年8月26日(慶長5年7月18日)から1600年9月8日(8月1日)まで行なわれた関ヶ原の戦いの前哨戦。.

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徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。 勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し遅くとも天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。.

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元亀

元亀(げんき)は、日本の元号の一つ。永禄の後、天正の前。1570年から1573年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義昭。.

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系図纂要

『系図纂要』(けいずさんよう)は、江戸時代末期の系譜集成。全102巻(103冊)。著者は『大日本野史』の著者でもある飯田忠彦とみられる。既存の系譜集や記録などを広く集めて再編纂しており、史料価値が高いとされる。.

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鳥居元忠

鳥居 元忠(とりい もとただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川氏の家臣。下総矢作藩(千葉県香取市矢作)の藩祖。.

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松平康親

松平 康親(まつだいら やすちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め松井 忠次(まつい ただつぐ)と称す。通称は金四郎、左近将監、左近尉、左近、後に松平周防守康親と改称したとされるが異説もある。松井忠直の子。松井松平家(三河松井氏)の祖。.

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武将

武将(ぶしょう)とは、軍勢を統率する将軍、特に武道に秀でた将のこと。 日本の戦国時代においては、武士や農民・町人から徴用された足軽たちを統率する戦国大名やその家臣を指すことがある(戦国武将)。なお、部隊を率いる将を部将と呼ぶ。 明治政府が当時の事象や日本の歴史について文献に基づきまとめた古事類苑に「武将」の文言は見られない。.

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慶長

慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.

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1572年

記載なし。

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1583年

記載なし。

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1600年

400年に一度の世紀末閏年(16世紀最後の年)である100で割り切れるが、400でも割り切れる年であるため、閏年となる(グレゴリオ暦の規定による)。。.

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8月1日 (旧暦)

旧暦8月1日(きゅうれきはちがつついたち)は旧暦8月の1日目である。六曜は友引である。.

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9月8日

9月8日(くがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から251日目(閏年では252日目)にあたり、年末まであと114日ある。.

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