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外様大名

索引 外様大名

外様大名(とざまだいみょう)は、譜代大名に対して、関ヶ原の戦い前後に新しく徳川氏の支配体系に組み込まれた大名を指す。.

107 関係: 加賀藩加藤氏南部氏大名大久保忠教大阪大村藩大村氏天童藩外交外様姫路藩室町時代家政宗氏宇和島藩対馬府中藩対馬国小出氏小倉藩岡山藩岡田藩岩富藩岸和田藩島津氏上田藩上杉氏中津藩丸亀藩三河物語三日月藩平戸藩久保田藩久留米藩京都京極氏広島藩亀井氏今治藩仙台藩仙石氏伊達氏伊東氏弘前藩佐竹氏佐賀藩徳島藩徳川家康徳川氏後北条氏...土佐山内氏土佐藩園部藩出石藩前田氏福岡藩福島氏秋月藩米沢藩細川氏織田氏真田氏熊本藩狭山藩盛岡藩鍋島氏蠣崎氏願譜代飫肥藩親藩高井野藩譜代大名豊岡藩鳥取藩黒田長政黒田氏龍野藩蜂須賀氏赤穂藩関ヶ原の戦い関東関氏薩摩藩藤堂氏長州藩老中柏原藩李氏朝鮮東海道松平状松前藩松浦氏森氏毛利氏江戸江戸幕府池田氏津山藩津和野藩津軽氏津藩木下氏浅野氏新見藩旗本摂津有馬氏改易 インデックスを展開 (57 もっと) »

加賀藩

金沢城石川門(重文) 加賀藩(かがはん)は、江戸時代に加賀、能登、越中の3国の大半を領地とした藩。藩祖前田利家の妻である芳春院(まつ)の死後、芳春院の化粧料(婦女に対して生活補助として与えられた領地(石高))だった近江弘川村(現在の滋賀県高島市今津町)を飛び地として加える。.

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加藤氏

加藤氏(かとうし)は、日本の氏族のひとつ。 加藤氏は藤原氏の一族。日本の戦国時代から江戸時代の大名である加藤光泰や嘉明らが出自とする藤原北家利仁流や加藤清正らが出自とする藤原北家道長流などがある。そして、加藤氏の「加」は加賀の藤原からきたものと一般にいわれる。.

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南部氏

南部氏(なんぶし)は、陸奥の武家で本姓は源氏。本貫地は甲斐国南部郷で家祖は南部光行。南部氏初代の光行は、平安時代に活躍した清和源氏の一流である河内源氏 源義光や、その孫で平安時代末期に活躍した黒源太清光、その子である甲斐源氏・加賀美遠光の子孫である。.

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大名

大名(だいみょう)は、大名主より転じた語。大いに名の轟く者のことを指す。対義語は小名である。.

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大久保忠教

大久保 忠教(おおくぼ ただたか)は、戦国時代から江戸時代前期の武将。江戸幕府旗本。徳川氏家臣・大久保忠員の八男。通称の彦左衛門で有名。幼名は平助。一時忠雄とも名乗った。兄に大久保忠世、大久保忠佐、大久保忠為ら。子に大久保忠名、大久保包教、大久保政雄らがいる。妻は馬場信成の娘。『三河物語』の著者としても知られる。.

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大阪

大阪(おおさか、Ōsaka)は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。.

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大村藩

大村藩(おおむらはん)は、肥前国彼杵地方を領した藩。藩庁は玖島城(現在の長崎県大村市)。.

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大村氏

大村氏(おおむらし)は、日本の氏族のひとつ。戦国時代の戦国大名。江戸時代の肥前大村藩主。.

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天童藩

天童藩(てんどうはん)は、羽前国(旧出羽国)高畠藩から移転した織田氏が同国天童周辺(現在の山形県天童市)を支配した藩。藩庁は天童陣屋。.

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外交

外交(がいこう、diplomacy)とは、国家間の国際関係における交渉のことで、関連するさまざまな政治活動を指す。一般に、外交官や首相などの国家の代表と、外国の代表とが国際社会における問題に対応している。 外交戦略に基づき立案される政策を外交政策、または実際に二国間ないし多国間で行われる具体的な国家間交渉を外交交渉という。.

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外様

外様(とざま)とは、主君(上位権力者)を中心とした人間関係において、主君の親族・一門や累代にわたって仕えてきた譜第(譜代)と比較して疎遠にある者(家臣)を指す。 鎌倉幕府において実権を掌握した執権北条氏(特に得宗家)の直臣を御内人と呼んだのに対して、将軍と主従関係を持つ一般の御家人のことを指して「外様」と称した。御内人平頼綱と幕府御恩奉行安達泰盛との対立に端を発する霜月騒動は、御内人と安達氏を中心とする外様勢力との抗争としての一面を有した。 室町幕府においては、足利将軍家と元々関係が希薄であった守護大名(相伴衆や国持衆に列していない)を「外様衆」と称した。また、この頃から朝廷においても天皇との親疎によって譜代に相当する「内々」と「外様」に分類されるようになり、役職や宮中行事において格差を付けられたとされている。 また、南北朝や戦国の内乱を通じて、大名が周辺の有力な地頭や国人を自発的あるいは軍事的に取り込んでいく過程において、家臣団に編入された者たちも「外様」と称するようになった。 江戸幕府においては、関ヶ原の戦い後に徳川氏に臣従した上方衆と呼ばれる旧織田・豊臣系大名や地方の名門・旧家の大名を指して外様大名と称した。 現代の日本においては、組織や団体に後から参加した個人や集団を「外様」と呼ぶことがある。同様に日本のプロ野球などのチームスポーツにおいては、そのチーム(球団)における生え抜き選手に対して移籍してきた選手を外様と呼ぶ。生え抜きの人材が重宝される慣習がいまだ根強く残ってる現代の日本において、この用法には、一定の差別的な意味が含まれている場合がある。 Category:武士.

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姫路藩

姫路藩歴代藩主居城姫路城 姫路藩(ひめじはん)は、播磨国飾東郡にあって現在の兵庫県西南部を治めた藩。藩庁は姫路城(姫路市)。藩主ははじめ外様の池田氏で、のち譜代大名が転々とした末に、1749年(寛延2年)から廃藩置県までは徳川譜代の名門酒井氏があった。石高ははじめ52万石、のち15万石。.

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室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

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家政

家政(かせい)とは、.

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宗氏

宗氏(そうし、むねし)は、日本の氏族のひとつ。中世から近世にかけて対馬国を支配した守護・戦国大名・近世大名の氏族。秦氏の末裔惟宗氏の支族だが、室町時代中期頃より平知盛を祖とする桓武平氏を名乗るようになった。.

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宇和島藩

宇和島城天守 竹輪笹に阿吽の向かい雀の宇和島紋 宇和島藩(うわじまはん)は、伊予国宇和島(現在の愛媛県宇和島市)周辺を治めた藩。藩庁は宇和島城に置かれた。.

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対馬府中藩

対馬府中藩(つしまふちゅうはん)は、江戸時代に対馬国(長崎県対馬市)全土と肥前国田代(佐賀県鳥栖市東部及び基山町)及び浜崎(佐賀県唐津市浜玉町浜崎)を治めていた藩で、別名厳原藩(いづはらはん)。一般には単に対馬藩(つしまはん)と呼称される事が多い。「府中」は当時厳原の城下町をこう称していたことに由来する。藩庁は当初金石城(対馬市厳原町西里)、のち桟原城(対馬市厳原町桟原)。藩主は宗氏で初代藩主義智以来、位階は従四位下を与えられ、官職は主に対馬守・侍従を称した。 対馬府中藩の在郷支配は近世諸藩のなかでも特殊な性格を有しており、兵農分離はあまり明確でなく、多くの地方給人があり、給人の下に名子・被官がいて、多くの点で中世的性格を保った。.

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対馬国

対馬国(つしまのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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小出氏

小出氏(こいでし)は、日本の氏族の一つ。.

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小倉藩

小倉藩(こくらはん)は、江戸時代の豊前国にあった藩。藩庁は小倉城(福岡県北九州市小倉北区)に置かれた。幕末から明治維新にかけては香春藩(かわらはん)、のち豊津藩(とよつはん)となった。.

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岡山藩

後楽園と岡山城 岡山藩(おかやまはん)は、備前一国及び備中の一部を領有した外様の大藩である。藩庁は岡山城(備前国御野郡、現 岡山県岡山市北区)。ほとんどの期間を池田氏が治めた。国主、本国持。支藩に鴨方藩と生坂藩、また短期間児島藩があった。.

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岡田藩

岡田藩(おかだはん)は、備中国下道郡岡田(岡山県倉敷市真備町岡田)の岡田陣屋に藩庁を置いた藩。 江戸時代初期から廃藩置県まで伊東氏が一貫して10代にわたり藩主を務めた。石高は1万石余。陣屋は幾度かの移転を経ており、元禄年間には西国街道川辺宿(倉敷市真備町川辺)に陣屋を置いたことから川辺藩(かわべはん)とも呼ばれる。.

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岩富藩

岩富藩(いわとみはん)は、下総国岩富(現在の千葉県佐倉市岩富字城手)に存在した藩。藩庁は弥富城(岩富城)。.

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岸和田藩

和泉国岸和田城絵図/国立公文書館内閣文庫所蔵 岸和田藩(きしわだはん)は、かつて和泉国南郡・日根郡などを領有した藩。藩庁は南郡岸和田(現在の大阪府岸和田市)の岸和田城。.

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島津氏

島津氏(しまづし)は、日本の氏族。鎌倉時代から江戸時代まで続いた、薩摩を根拠地とする大名家のほかに、多数の分家がある。通字に「忠」「久」(初名も含めると基本的な通字は全時代を通じて「忠」の字が多く、江戸時代初期までは執権や将軍の偏諱を受けた場合に『「偏諱」+「久」』が多い。明治以降現在は嫡男に「忠」、次男に「久」)を用いる。また、公式文章の面では「嶋津氏」の表記を用いられてきた。本項は主に、薩摩の島津氏を主軸とした記述である。その他の島津氏についてはそれぞれ越前島津氏、信濃島津氏、若狭島津氏、江州島津氏などの項目または島津氏族の段を参照の事。.

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上田藩

上田藩(うえだはん)は、江戸時代に信濃国小県郡上田(現在の長野県上田市)周辺を支配した藩。藩庁は上田城。.

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上杉氏

上杉氏(うえすぎし / うえすぎうじ)は、公家である藤原家の支族の一つ。1252年、公家である藤原重房が、宗尊親王の鎌倉幕府・将軍(皇族初の征夷大将軍)就任に従って京都から鎌倉へ下向して、武家化し「上杉」姓を賜われたのが上杉氏の祖。室町時代には関東管領を世襲し、越後・上野・武蔵・相模の守護を務める有力守護大名として栄えた。室町幕府の初代将軍・足利尊氏の生母は上杉家出身。鎌倉時代、室町時代から江戸時代にかけて栄えた武家の一族(山内上杉家)が著名。山内上杉家15代当主・上杉憲政は北条氏康に敗北し、長尾家出身の長尾景虎(のちの上杉謙信)に上杉家の家督を譲った。豊臣政権の五大老の一人であった山内上杉家17代当主・上杉景勝は、関ヶ原の戦いにて西軍に付いて敗北し出羽国米沢に移転・減封されたが、幕末まで大名としての地位を維持し、明治時代には華族に列して伯爵を授けられた。本貫地は丹波国何鹿郡上杉荘(現在の京都府綾部市上杉)。 江戸時代には、大名2家、旗本4家(うち高家1家)があり、子孫は現代まで続いている。.

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中津藩

中津藩(なかつはん)は、豊前国下毛郡中津(現在の大分県中津市)周辺を領有した藩。藩庁は中津城に置かれた(一時、藩庁は小倉城に移る)。.

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丸亀藩

丸亀藩(まるがめはん)は、讃岐国(香川県)の西部を領し、丸亀城(丸亀市)を本城とした藩。藩主は生駒氏、山崎氏、京極氏と続きそれぞれ藩主独特の城下町を形成し廃藩置県を迎えた。 なお生駒氏は、高松城を本城とし讃岐一国を領したため、生駒氏が領した西讃を丸亀藩と呼ぶには適さないとも考えられるが、現在ではその頃も丸亀藩の歴史の一部として語られることが多いため、ここにも含める。.

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三河物語

『三河物語』(みかわものがたり)は、大久保忠教(彦左衛門)によって書かれた、徳川氏と大久保氏の歴史と功績を交えて武士の生き方を子孫に残した家訓書である。.

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三日月藩

三日月藩(みかづきはん)は播磨国佐用郡三日月(兵庫県佐用郡佐用町三日月)周辺を領した藩。藩庁は三日月陣屋。別名・乃井野藩(のいのはん)。.

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平戸藩

平戸藩(ひらどはん)は、肥前国松浦郡と彼杵郡の一部、および壱岐国を領した藩。藩庁は平戸城(現在の長崎県平戸市)。.

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久保田藩

『天保国絵図』より「出羽国秋田領」 久保田藩(くぼたはん)は、江戸時代の藩の一つである。秋田藩(あきたはん)とも呼ばれる「秋田市史 第四巻」7頁。。久保田城を居城とした。藩主は佐竹氏で、室町時代以来の常陸守護の家柄であったが、関ヶ原の戦いにおける挙動を咎められて出羽国(後の羽後国)秋田へ移封された。石高は約20万石(実高は約40万石)。家格は大広間詰国持大名。 支藩として、新田分知された家が2家有る他、2代義隆の実家亀田藩(岩城氏)が事実上の支藩となっていた時期もあった。.

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久留米藩

久留米藩(くるめはん)は、筑後国御井郡の久留米城(現在の福岡県久留米市)に藩庁を置いた藩。1620年以降幕末まで摂津有馬氏が藩主を務め、21万石を領した。 米藩(べいはん)とも称される。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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京極氏

京極氏(きょうごくし)は、日本の武家の一つ。本姓は源氏。宇多源氏の流れを汲む近江源氏、佐々木氏の別家である。.

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広島藩

広島藩(ひろしまはん)は、安芸国一国と備後国の半分を領有した大藩で、現在の広島県の概ね半分にあたる。藩庁は広島城(現在の広島市)に置かれた。芸州藩(または安芸藩)と呼ばれることも多い。.

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亀井氏

亀井氏、龜井氏(かめいし)は、日本の武家のひとつ。本姓は源氏、または穂積氏。家系は宇多源氏佐々木氏流を称するが、穂積氏流藤白鈴木氏の流れを汲むとも云われる。.

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今治藩

今治藩(いまばりはん)は、伊予国北中部と島嶼を領有した藩。藩庁は今治城(現在の愛媛県今治市)。.

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仙台藩

仙台藩(せんだいはん)は、江戸時代に陸奥国の仙台城(現・宮城県仙台市)に藩庁を置いた、表高62万石の藩である。現在の岩手県南部から宮城県全域までと福島県新地町の約60万石を一円知行で治め、現在の茨城県および滋賀県に合計約2万石の飛び地があった。 江戸時代を通じて外様大名の伊達氏本家が治めた藩であり、伊達藩(だてはん)と呼ばれることもある。.

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仙石氏

仙石氏(せんごくし)は、日本の氏族のひとつ。美濃国の豪族出身。清和源氏頼光流土岐流を称した。.

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伊達氏

伊達氏(だてし/いだてし)は、鎌倉時代から江戸時代まで東北地方南部を本拠とした一族で、桓武平氏繁盛流常陸大掾と称する。伊予国・但馬国・駿河国などに庶流家がある。.

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伊東氏

伊東氏(いとうし、いとううじ)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて伊豆国田方郡伊東荘(現静岡県伊東市)を本貫地としていた豪族。藤原南家・藤原為憲の流れを汲む工藤氏の一支族。通字は「祐」(すけ)。 一族である工藤祐経の子孫が日向国へ下向して戦国大名の日向伊東氏・日向国飫肥藩藩主となり、伊東祐親の子孫が尾張国岩倉に移り住んで、後に備中伊東氏・備中国岡田藩藩主となる。.

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弘前藩

弘前藩の拠点であった弘前城 弘前藩(ひろさきはん)は、陸奥国にあった藩である。通称は津軽藩(つがるはん)。弘前改称以前を鷹岡藩(高岡藩)、鷹岡移転以前を堀越藩ともいう。藩主は津軽氏で、家格は柳間詰め外様大名、幕末に家格向上して大広間詰めもある国主に準ずる扱いを受けた。藩庁は 弘前城(青森県弘前市下白銀町)に置いた。.

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佐竹氏

佐竹氏(さたけし)は、日本の氏族のひとつ。日本の武家。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系 河内源氏の流れをくみ、新羅三郎義光を祖とする常陸源氏の嫡流。武田氏に代表される甲斐源氏と同族である。通字は「義」。佐竹氏は家紋として定紋の「扇に月」(一般的には日の丸扇と呼ばれている)の他に、源氏香(花散里)・笹竜胆・佐竹桐・丸に釘貫・丁子巴・鉄線を加えた七つの家紋を「御当家七ッ御紋」としている。源氏から中近世大名、華族として明確な系譜として現代まで残った中ではもっとも大きな流れの一つである。.

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佐賀藩

佐賀藩(さがはん)は、肥前国佐賀郡にあった外様藩。肥前藩(ひぜんはん)ともいう。鍋島氏が藩主であったことから鍋島藩(なべしまはん)と呼ばれることもある。明治維新を推進した薩長土肥のひとつである。現在の佐賀県、長崎県の一部にあたる。藩庁は佐賀城(現在の佐賀市)。 藩主ははじめ龍造寺氏、後に鍋島氏。石高は35万7千石。支藩として蓮池藩、小城藩、鹿島藩があった。.

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徳島藩

徳島藩(とくしまはん)は、阿波国(徳島県)・淡路国(兵庫県淡路島)の2国を領有した藩。藩庁は徳島城(徳島県徳島市)に置かれた。藩主は外様大名の蜂須賀氏。支藩として一時、富田藩があった。.

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徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。 勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し遅くとも天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。.

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徳川氏

徳川氏(とくがわし/とくがわうじ、)は、徳川家康が創始した日本の氏族。新田氏系得河氏・得川氏の末裔を称した際に嘉字を用いて徳川と称したことが始まりとなり、江戸幕府将軍家と親族の家名とした。しかし『徳川家譜』に記される家系に関しては『尊卑分脈』の該当記録に似通った流れはあるものの、当代史料による検証がならず、得川氏と家康の家系との同一性は実証できていない。.

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後北条氏

後北条氏(ごほうじょうし/ごほうじょううじ、旧字体表記:後北條氏)は、関東の戦国大名の氏族。本姓は平氏。家系は武家の桓武平氏伊勢氏流。室町幕府の御家人・伊勢氏の一族にあたる「北条早雲」こと伊勢盛時(1432年/1456年 - 1519年)をその祖とする。正式な名字は「北条(北條)」だが、代々鎌倉幕府の執権をつとめた北条氏とは傍系の遠い血縁関係にあるとされるものの直接の後裔ではないことから、後代の史家が両者を区別するため伊勢氏流北条家には「後」を付して「後北条」と呼ぶようになった。また居城のあった相模国小田原の地名から小田原北条氏(おだわら ほうじょうし/おだわら ほうじょううじ)あるいは相模北条氏とも呼ばれる。最大時(氏政)には関八州で240万石の一大版図を支配していた。 通字は「氏(うじ)」。代々の家督は御本城様(ごほんじょうさま)と呼ばれ、「祿壽應穏(禄寿応穏)」と刻銘された「虎の印章」を使用した。これは「禄(財産)と寿(生命)は応(まさ)に穏やかなるべし、領民全ての禄を寿を北条氏が守っていく」という政治宣言であった。 近代には、初代・早雲(盛時)の素性が伊勢の素浪人と誤認され、下克上を初めて現実のものとして伊豆一国の主となり、そこから戦国大名にまでのし上がったとされていたが、後述のように近年の研究で否定されている。.

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土佐山内氏

土佐山内氏(とさやまうちし)は、日本の氏族。本家は山内を「やまうち」、各分家は「やまのうち」と称する。通字は「豊」。本来庶流の家ならば、読み仮名は変わらないが何故一説を持ってこのように、土佐山内氏の本家が備後山内氏の(庶流)を称して(やまうち)となって、その分家(支流の支流)が本流の(やまのうち)に回帰しているのか、不明である。.

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土佐藩

土佐藩(とさはん)は、廃藩置県以前に土佐国(現在の高知県)一円を領有した外様藩。明治初年の正称は高知藩(こうちはん)。藩庁は高知城(高知市)にあった。大広間詰国持大名。一貫して山内氏が支配した。 高知城 土佐藩邸跡 京都三条木屋町下ル 山之内氏が用いた家紋『土佐柏(とさかしわ)』 伏見土佐藩邸跡 京都市伏見区.

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園部藩

園部藩(そのべはん)は、丹波国船井郡(現在の京都府南丹市園部町小桜町)に存在した藩。.

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出石藩

出石藩(いずしはん)は、但馬国に存在した藩。藩庁は出石城(兵庫県豊岡市出石町)。 出石城本丸から城下町を俯.

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前田氏

前田氏(まえだし)は、日本の氏族の一つ。戦国時代に尾張の前田家が台頭し、江戸時代には大名家となった。通字は「利」(とし)。.

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福岡藩

福岡藩(ふくおかはん)は、筑前国のほぼ全域を領有した大藩。筑前藩とも呼ばれる。藩主が黒田氏であったことから黒田藩という俗称もある。藩庁は福岡城(現在の福岡県福岡市)に置かれた。歴代藩主は外様大名の黒田氏。支藩として秋月藩、また一時、東蓮寺藩(直方藩)があった。 福岡藩領域図(慶長期).

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福島氏

#福島氏(ふくしまし)→尾張系正則流.

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秋月藩

秋月藩(あきづきはん)は江戸時代の藩。.

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米沢藩

戦国時代から江戸時代初期にかけての上杉氏系図。米沢藩の初代藩主・上杉景勝から第3代藩主・上杉綱勝まで。 江戸時代中期から昭和時代までの上杉氏系図。4代藩主・上杉綱憲から現当主まで。 米沢藩(よねざわはん)は、出羽国(明治維新以降の羽前国)置賜郡(現在の山形県東南部置賜地方)を治めた藩。藩庁は米沢城(米沢市)。藩主は上杉氏。家格は外様で国主、石高は30万石、のち15万石から18万7千石。.

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細川氏

細川氏(ほそかわし)は、本姓は源氏、鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた武家。清和源氏の名門足利氏の支流。名字は鎌倉時代に三河国額田郡細川郷(現在の愛知県岡崎市細川町周辺)に土着したことに由来する。 南北朝時代に足利尊氏に従って発展し、嫡流は室町幕府の管領家に列する有力守護大名となる。また江戸時代には、傍流から肥後熊本藩54万石の藩主家を出した。.

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織田氏

家紋あげはちょう'''揚羽蝶''' 織田氏(おだし)は、日本の氏族・武家。斯波氏の家臣の家柄。家紋は揚羽蝶、織田木瓜など。通し字は嫡流・伊勢守家の「広」、大和守家の「定」、後に近世大名となる弾正忠家の「信」など。.

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真田氏

真田氏(さなだし)は、信濃国の豪族として興った氏族である。.

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熊本藩

本藩(くまもとはん)は、1600年から1871年まで存在した藩。52万石。1871年肥後国(熊本県)の球磨郡・天草郡を除く地域と豊後国(大分県)の一部(鶴崎・佐賀関等)を知行した。肥後藩(ひごはん)とも呼ばれる。藩庁は熊本城(熊本市)に置かれた。.

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狭山藩

狭山藩(さやまはん)は、河内国に存在した藩。藩主家は外様大名の後北条氏(北條氏)。藩庁として丹南郡池尻村および半田村(現・大阪府大阪狭山市狭山)に狭山陣屋を構えた。.

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盛岡藩

盛岡藩(もりおかはん)は、陸奥国北部(明治以降の陸中国および陸奥国東部)、すなわち現在の岩手県中部から青森県東部にかけての地域を治めた藩。一般に南部藩とも呼ばれるが、後に八戸藩と七戸藩が分かれるなどの変遷を経る。藩主は南部氏で、居城は盛岡城(陸中国岩手郡、現在の岩手県盛岡市)である。家格は外様大名で、石高は長らく表高10万石であったが、内高はこれより大きく、幕末に表高20万石に高直しされた。 同じ南部氏領の八戸藩、支藩の七戸藩(盛岡新田藩)があるが、八戸藩の詳細を除き、ここにまとめて記述する。.

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鍋島氏

鍋島氏(なべしまし)は、近世の佐賀藩藩主の氏族。血縁的には武藤氏の一族・少弐氏の男系である(系譜を参照)。.

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蠣崎氏

蠣崎氏(かきざきし)/松前氏(まつまえし)は、戦国時代から蝦夷地を本拠とした大名の氏族。糠部郡蠣崎(青森県むつ市川内町)を領して蠣崎氏を称する家系があり、その子孫との説がある。江戸時代に松前と改姓したが、庶流の中には引き続き蠣崎と名乗る者もいた。本姓は源氏で、清和源氏(河内源氏)義光流で甲斐源氏の庶流と称した。実際には陸奥の土豪が蝦夷へ移住して甲斐源氏武田氏を仮冒したとする説もある。.

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願譜代

譜代(ねがいふだい)は、江戸時代に外様大名のうちで願い出て譜代大名の扱いとなった者をいう。主に譜代大名の血筋の者が外様大名の家を継ぎ、幕閣において長年の功績を立てるなどした場合、もしくは外様大名が幕政に参画しようとして譜代への格上げを望んだ時にこの扱いとなった。願い譜代とも記され、譜代格、御譜代に準ずる大名という場合もある。後世には準(准)譜代大名の呼称も使用されるが、歴史学的な用語である。.

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飫肥藩

飫肥藩(おびはん)は、日向国那珂郡と宮崎郡の一部(現在の宮崎県日南市の全域および宮崎市南部)を支配した藩。藩庁は飫肥城。藩主は伊東氏。家格は外様大名である。なお藩主家の日向伊東氏は備中国岡田藩主家の備中伊東氏と同族である。.

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親藩

親藩しんぱんは、江戸時代の藩の分類の一つで、徳川家康の男系男子の子孫が始祖となっている藩を指す。特に、徳川姓を名乗った御三家・御三卿の当主は家康の男系男子・子孫に限られ、将軍家の血筋が絶えた場合などに、将軍を出す役割を担った。その他の家は松平姓を名乗った。 下記以外に、家康の女系男子・子孫である奥平松平家、家康の異父弟・子孫である久松松平家(伊予松山藩主と、伊勢桑名藩主の系統)、徳川家光・徳川綱吉の正室の実家鷹司家の出身である鷹司松平家も親藩に準じて扱われることもある。なお、狭義の親藩には御三家・御三卿は含まれない。.

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高井野藩

井野藩(たかいのはん)は、信濃国高井郡に存在した藩。藩庁は、現在の長野県上高井郡高山村堀之内に置かれ、高井野陣屋(高井野館とも)と呼ばれた。藩主家は福島氏。領地は現在の須坂市、高山村、小布施町、中野市、山ノ内町にまたがる。.

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譜代大名

譜代大名(ふだいだいみょう)は、江戸時代の大名の出自による分類の一つである。もともと「譜第(譜代)の臣」と言うように、数代にわたり主家に仕え(譜第/譜代)、家政にも関わってきた家臣のことをさす。主家との君臣関係が強く、主家滅亡時に離反すると、世間から激しく非難されることが多かった。 譜代大名のはじまりは徳川家康が豊臣政権のもとで関東地方に移封された際に、主要な譜代の武将に城地を与えて大名格を与えて徳川氏を支える藩屏としたことに由来する。それに対してそれ以外の家臣は徳川氏の直轄軍に編成されて後の旗本や御家人の元となった。.

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豊岡藩

豊岡藩(とよおかはん)は、但馬国城崎郡周辺を領有した藩。藩庁は当初、豊岡城(現在の兵庫県豊岡市)のち豊岡陣屋。 豊岡県庁正門と豊岡市立図書.

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鳥取藩

鳥取藩(とっとりはん)は、因幡国・伯耆国(現在の鳥取県)の2国を領有した大藩である。石高は32万5千石。藩庁は因幡の鳥取城(鳥取市東町)に置いた。久松山城とも称した。.

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黒田長政

黒田 長政(くろだ ながまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。筑前福岡藩初代藩主。 戦国武将・黒田孝高(官兵衛・如水)の嫡男。九州平定、文禄・慶長の役で活躍した。特に関ヶ原の戦いでは東軍につき大きな戦功を挙げたことから、徳川家康より筑前国名島に52万3千余石の大封を受け、福岡藩を立藩し、初代藩主となった。父の孝高と同じくキリシタン大名であったが、棄教した。.

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黒田氏

黒田氏(くろだし)は、日本の氏族のひとつ。 江戸時代の大名家となった黒田氏には次の2氏がある。.

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龍野藩

龍野藩(たつのはん)は、播磨国龍野周辺を領有した藩。藩庁は龍野城(現兵庫県たつの市)に置かれた。.

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蜂須賀氏

蜂須賀氏(はちすかし)は、日本の氏族の一つ。羽柴秀吉に仕えた蜂須賀正勝(小六・小六郎)の一族が著名。.

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赤穂藩

赤穂城 赤穂藩(あこうはん)は、播磨国赤穂郡(兵庫県赤穂市、相生市、上郡町)周辺を領有した藩。藩庁は同郡加里屋の赤穂城。 浅野氏の『元禄赤穂事件』で有名だが、池田氏でも輝興が狂乱し正室などを殺す『正保赤穂事件』、森氏でも攘夷派が敵対する家老の森主税を暗殺するという『文久赤穂事件』が起きている。 なお、武鑑では元禄以前は藩主居城を「播州加里屋」「播州かりや」「播州之内苅屋」と表記するものもあった。.

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関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦。関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われ、関ヶ原の合戦、関ヶ原合戦とも呼ばれる。合戦当時は南北朝時代の古戦場・「青野原」や「青野カ原」と書かれた文献もある近衛前久書状(慶長5年9月20日付)、三河物語には「青野カ原ニテノ合戦」となっている。東照宮御実紀においては「関原青野が原に陣取て、関原の戦」と記載されている。また、吉川広家の書状や「慶長記略抄」所収の狂歌でも「青野か原」と記されている( 毎日新聞 2016年4月4日)。近衛前久書状では「大垣表」という記載もある。。 主戦場となった関ヶ原古戦場跡は国指定の史跡となっている。.

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関東

関東(かんとう)とは、日本の中の、特定の地域・地方を指す言葉・概念である。.

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関氏

関氏(せきし、旧字体:關氏)は、日本の氏族のひとつ。いくつかの血流があり、伊勢国の豪族で桓武平氏の平姓関氏および、藤原秀郷を祖とする常陸国の藤姓関氏、美濃国を根拠地とする美濃関氏などがある。.

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薩摩藩

薩摩藩庁が置かれた鹿児島城 薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代に薩摩・大隅の2か国及び日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩。現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部を領有したほか、間接的に沖縄県の大部分を服属させた。.

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藤堂氏

藤堂氏(とうどうし、とうだうし)は、日本の氏族。近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県犬上郡甲良町在士)が発祥。戦国時代に藤堂高虎が出て発展し、江戸時代は津藩を領する外様大名となった。.

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長州藩

長州藩邸跡、碑文は屋敷址、京都河原町御池東入ル 長州藩(ちょうしゅうはん)は、江戸時代に周防国と長門国を領国とした外様大名・毛利氏を藩主とする藩。家格は国主・大広間詰。 藩庁は長く萩城(萩市)に置かれていたため、萩藩(はぎはん)とも呼ばれた。幕末には周防山口の山口城(山口政事堂)に移ったために、周防山口藩(すおうやまぐちはん)と呼ばれる事例もでてきた。一般には、萩藩・(周防)山口藩時代を総称して「長州藩」と呼ばれている。 幕末には討幕運動・明治維新の中心となり、明治時代には明治新政府に政治家を多数輩出した(2014年8月5日時点のアーカイブ)。.

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老中

老中(ろうじゅう)は、江戸幕府の役職のひとつ。複数名がその職にあって月番制で政務を執った。名称は三河時代の徳川家でその家政を司った宿老の年寄(としより)に由来する。年寄りを「老」一字で表し、これに「〜の仲間一同」を意味する「中」(連中、氏子中、長屋中などに同じ)がついたものである。 老中の任用要件は、当初は家禄が2万5000石以上の譜代大名であることだった。しかしこの要件は薄禄の大名を排除するためのものではなく、家禄が要件に満たなくても譜代大名であれば才能次第で老中格(ろうじゅうかく)に登用される道が開かれていた。老中格は文字どおり老中より一段格が落ちるが、その職掌や責任はほとんど老中のそれと比べても遜色がないものだった。 なお諸藩では通常藩政を統括する者のことを家老といったが、藩によってはこれを老中と呼ぶところもあった。.

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柏原藩

柏原藩(かいばらはん)は、丹波国氷上郡柏原(現在の兵庫県丹波市柏原)に存在した藩。藩庁は柏原陣屋に置かれた。 柏原藩織田家旧邸長屋.

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李氏朝鮮

李氏朝鮮(りしちょうせん、朝鮮語ハングル表記:이씨조선)は、1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した国家。朝鮮王朝、朝鮮封建王朝とも呼ばれる。朝鮮民族国家の最後の王朝で、現在までのところ朝鮮半島における最後の統一国家でもある。李朝(りちょう)ともいう(「李王朝」の意)。高麗の次の王朝にあたる。 1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる)が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。李成桂は翌1393年に中国の明から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられた。朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたものであり、明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。中国の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の冊封体制下にあった。東人派や西人派、老論派、南人派など党派対立が激しく、政権交代は対立する派閥の虚偽の謀反を王に通報で粛清という形が多く、多くの獄事が起こった。1894年の日清戦争後に日本と清国との間で結ばれた下関条約は李氏朝鮮に清王朝を中心とした冊封体制からの離脱と近代国家としての独立を形式的かつ実質的にもたらした。これにより李氏朝鮮は1897年に国号を大韓帝国(だいかんていこく)、君主の号を皇帝と改め、以後日本の影響下に置かれた。大韓帝国の国家主権は事実上、冊封体制下における清朝から日本へと影響を受ける主体が変化するものであった。1904年の第一次日韓協約で日本人顧問が政府に置かれ、翌1905年第二次日韓協約によって日本の保護国となり、1907年の第三次日韓協約によって内政権を移管した。こうした過程を経て1910年8月の「韓国併合ニ関スル条約」調印によって大韓帝国は日本に併合され、朝鮮民族の国家は消滅した。.

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東海道

東海道(とうかいどう、うみつみち)は、五畿七道の一つ。本州太平洋側の中部の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から近世)を指す。.

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松平状

松平状(まつだいらじょう)あるいは松平氏下賜状(まつだいらうじかしじょう)は、松平の名字(苗字)を授与する機能をもつ文書。武家政権の大名支配策として、官位官職への叙位任官(口宣案など)、一字書出(一字状)などがあるが、日本近世においては名字(苗字)の授与もある。徳川将軍が松平氏を下賜(授与)する文書(もんじょ)が松平状である(以上、村川の論文による)。.

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松前藩

松前藩(まつまえはん)は、渡島国津軽郡(現在の北海道松前郡松前町)に居所を置いた藩である。藩主は江戸時代を通じて松前氏であった。後に城主となり同所に松前福山城を築く。居城の名から福山藩とも呼ばれる。慶応4年、居城を領内の檜山郡厚沢部町の館城に移し、明治期には館藩と称した。家格は外様大名の1万石格、幕末に3万石格となった。 江戸時代初期の領地は、現在の北海道南西部。渡島半島の和人地に限られた。残る北海道にあたる蝦夷地は、しだいに松前藩が支配を強めて藩領化した。藩と藩士の財政基盤は蝦夷地のアイヌとの交易独占にあり、農業を基盤にした幕藩体制の統治原則にあてはまらない例外的な存在であった。江戸時代後期からはしばしば幕府に蝦夷地支配をとりあげられた。.

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松浦氏

松浦氏(まつらし)は、日本の氏族の一つ。.

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森氏

森氏(もりし)は清和源氏の一流、河内源氏の流れを汲む武家である。八幡太郎源義家の七男源義隆が相模国愛甲郡毛利庄の領主となって、森冠者と名乗った。その三男、源頼隆は後に若槻を号するが、出家の後は森蔵人入道西阿と称した。本格的に森を名字としたのは、宝治合戦後に頼隆の次男であるとされる森頼定が森姓を称したことによるとされる。遠祖陸奥七郎義隆の長男・義広(頼定の伯父)にはじまる源姓毛利氏とは、名字に多少の差異はあるものの、「名字の地」即ち名字発祥の地を同じくするされる。森忠政を祖とする近世大名の家系はこの子孫である(ただし、仮冒という説もある)。.

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毛利氏

毛利氏(もうりし)は、日本の武家の氏族で、本姓は大江氏。家紋は一文字三星。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

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池田氏

池田氏(いけだし)は、日本の氏族の一つ。諸国の「池田」の地名(池田荘・池田郷など)を発祥とする氏族。.

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津山藩

津山城古写真(撮影:松平国忠) 津山藩(つやまはん)は、美作国の大半を領有した藩。藩庁は津山城(岡山県津山市)に置かれた。.

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津和野藩

津和野藩(つわのはん)は、江戸時代に石見国津和野(島根県鹿足郡津和野町)周辺を治めていた藩。藩庁は津和野城に置かれた。.

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津軽氏

津軽氏(つがるし、)は、16世紀末から廃藩置県まで、現在の青森県のうち津軽地方を支配した大名の氏族。通字は「信(のぶ)」。.

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津藩

津藩(つはん)は伊勢安濃郡安濃津(現在の三重県津市)に置かれた藩。安濃津藩(あのつはん)と呼ばれることもある。藩庁は安濃津城(津城)。石高は伊勢・伊賀2国を合わせた22万石(大坂の陣後、32万3,000石に加増で大和国などにも飛び地領が存在)。.

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木下氏

木下氏(きのしたし)は、日本の氏族の一つ。.

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浅野氏

浅野氏(あさのし、)は、日本の氏族。関白豊臣秀吉の正室・北政所の養家。宗家は安芸広島藩主、分家は播磨赤穂藩主。通字は「長」。.

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新見藩

新見藩(にいみはん)は、江戸時代中期より廃藩置県まで備中国にあった藩。藩庁は阿賀郡(現:岡山県新見市)の新見陣屋。立藩以来、外様大名の関氏が藩主を務め、石高は1万8千石であった。.

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旗本

旗本(はたもと)は、中世から近世の日本における武士の身分の一つ。主として江戸時代の徳川将軍家直属の家臣団のうち石高が1万石未満で、儀式など将軍が出席する席に参列する御目見以上の家格を持つ者の総称。旗本格になると、世間的には「殿様」と呼ばれる身分となった。旗本が領有する領地、およびその支配機構(旗本領)は知行所と呼ばれた。 元は中世(戦国時代)に戦場で主君の軍旗を守る武士団を意味しており、主家からすると最も信頼できる「近衛兵」の扱いであった。.

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摂津有馬氏

有馬氏(ありまし)は、日本の氏族の一つ。赤松氏(村上源氏)の庶流で、室町時代に摂津国有馬郡を拠点とした。他流の有馬氏とは区別して摂津有馬氏、赤松有馬氏とも呼ばれ、江戸時代、一族からは久留米藩主家などが出た。.

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改易

改易(かいえき)は、律令制度では現職者の任を解き新任者を補任することを、鎌倉時代・室町時代には守護・地頭の職の変更を意味した。江戸時代においては大名・旗本などの武士から身分を剥奪し所領と城・屋敷を没収すること。除封ともいう。所領を削減されることを減封という。.

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