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四神足

索引 四神足

四神足(しじんそく、cattāro iddhipādā, チャッターロー・イッディパーダー)とは、仏教における修行内容の1つ。瞑想において自在力・神通力を得るための4種の基礎。「四如意足」(しにょいそく)とも。「三十七道品」の中の1つ。.

10 関係: 大般涅槃経 (上座部)大正新脩大蔵経三十七道品仏教修行心 (仏教)瞑想精進霊能力法顕

大般涅槃経 (上座部)

『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう、Maha-parinibbana Sutta(nta)(マハーパリニッバーナ・スッタ(ンタ))とは、パーリ仏典経蔵長部の中に第16経として収録されている上座部仏教の一経典。『大パリニッバーナ経』とも。 類似の伝統漢訳経典として、『長阿含経』(大正蔵1)の第2経「遊行経」や、『仏般泥洹経』(大正蔵5)、『般泥洹経』(大正蔵6)、『大般涅槃経』(大正蔵7)等がある。 80歳の釈迦が、王舎城東部の霊鷲山から最後の旅に出発し、マッラ国のクシナーラーにて入滅(般涅槃)するまでの言行、及び、その後の火葬・遺骨分配の様子が描かれる。.

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大正新脩大蔵経

大正新脩大藏經(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう、大正一切経刊行会)は、大正13年(1924年)から昭和9年(1934年)の10年間をかけて、北宋代に蜀(四川省)で開版された漢訳大蔵経である『開宝蔵』を最もよく保存していた韓国海印寺の高麗大蔵経再彫本を底本としつつ、日本にあった各地・各種の漢訳仏典をすべて調査校合した、民間人の手による、「漢訳仏典の総集」とも言える大蔵経である。大正大蔵経、大正蔵とも。 プロデューサー(編纂責任者)は、高楠順次郎・渡辺海旭・小野玄妙(おの げんみょう、1883-1939年、浄土宗僧侶)の3名。当時の仏教関係の大学研究者が一致協力し、校訂作業に当たった。 出版・刊行は、大蔵出版が担っており、この出版社からは、大正蔵を底本として新たな学術研究の成果を踏まえた現代日本語訳の大蔵経である『新国訳大蔵経』も、1990年代から刊行中である。大正蔵を底本とした日本語訳の大蔵経としては、他には、大東出版社から「印度撰述部155巻」と「和漢撰述部100巻」が刊行されている、より文量・翻訳量が多く網羅性が高い『国訳一切経』がある。(なお、その他の日本語訳大蔵経としては、日本の各宗派の需要が高い仏典だけに的を絞った、比較的小部の『国訳大蔵経』『昭和新纂国訳大蔵経』などがある。).

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三十七道品

三十七道品(さんじゅうしちどうほん)とは、パーリ語経典長部の大般涅槃経 (上座部)、漢訳の中阿含経などに説かれた 中華佛學學報第011期 (p049-072): (民國87年),臺北:中華佛學研究所。、仏教において悟りに至るための三十七の修行法のこと。道品とは修行項目のことで、菩提分法(ぼだいぶんぽう、bodhipakkhiyā dhammā, ボーディパッキヤー・ダンマー)、三十七品、三十七分法、三十七菩提分法、三十七覚分ともいう。 四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道の七科に分かれる。漢訳の中阿含経から見られるが、該当するパーリ語長部には三十七の数は出現せず、解釈は一様ではなくコトバンクに収録された事典・辞典類の概説も様々である。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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修行

修行(しゅぎょう、異音:すぎょう)は、仏教における精神の鍛錬に関する用語の一つ。 財産・名誉・性欲といった人間的な欲望(相対的幸福)から解放され、生きていること自体に満足感を得られる状態(絶対的幸福)を追求することを指す。 この仏教用語を元に、古代インド宗教における同質の行為や、他の宗教における精神鍛錬にも、固有の用語が無い場合にはこの語が用いられる(例:イスラーム修行)。 また一般的には、世俗的な習練、習い修めを表す語である「修業」と混同されて呼ばれることも少なくない(詳しくは後述する)。.

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心 (仏教)

心(しん、巴: citta チッタ)とは、仏教における心概念。学派・宗派によってその内容は諸説分かれる。一般に、知性・感情・意志などの総称として用いられ、もの()や身体とは区別されると考えられている。また、意識下の心、深層心理が説かれる場合もある。語源的には、種々の(citra)対象を認識するからとも、集める(cinoti)からとも解釈される。.

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瞑想

瞑想(めいそう、英:Meditation)とは、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。 精神科医の安藤治は、現代的視点から瞑想研究を紹介する『瞑想の精神医学』で、「伝統的により高度な意識状態あるいはより高度な健康とされる状態を引き出すため、精神的プロセスを整えることを目的とする注意の意識的訓練のことであるが、現代においてはリラクセーションを目的としたり、ある種の心理的治療を目的として行われることもある。」と定義している安藤治 著 『瞑想の精神医学 トランスパーソナル精神医学序説』 春秋社、2003年。「通常の意識状態、通常の健康よりも優れた」という価値の設定は、現在一般に認められている科学的世界観をはみ出しており、こういった価値付与を避けて、瞑想を「変性意識状態」として位置付ける見方もある。.

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精進

精進(しょうじん)は、vīryaの意訳語。撥音を無表記して「しょうじ」ともいう。 漢訳仏典では毘梨耶、毘離耶(びりや)と音写して「勤」「精勤(しょうごん)」などとも訳す。神道では精進を「そうじ」と読んで物忌と同意に用いる。.

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霊能力

霊能力(れいのうりょく)とは、霊(霊魂)や魂、生霊、精霊などを感覚したり、霊的な力を行使して、通常の人間ではなし得ないことを行なうとされる能力のことである。単に霊能(れいのう)と呼ばれることがある。また、ほぼ同意語として神通力(じんつうりき、じんずうりき)、法力(ほうりき)等が用いられることもある。能力と呼べるほど自在に行使できるほどではないが、受動的に霊的なものを感知する感性は霊感と呼ばれる。超心理学の研究対象でもある。霊能力を使う者や霊感が発達している者を、霊能者(れいのうしゃ)または、霊能力者(れいのうりょくしゃ)と呼ぶことがある。.

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法顕

法顕(ほっけん、337年(咸康3年) - 422年(永初)3年)は、中国東晋時代の僧。姓は龔、平陽郡武陽県(今の山西省)の人。.

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四如意足

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