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南旺映画

索引 南旺映画

南旺映画(なんおうえいが)は、かつて存在した日本の映画会社。 1933年に「映画国策樹立に関する建議案」を衆議院に提出して国家による映画統制を基礎づけた代議士岩瀬亮が南旺商事会社を1939年に設立し、そこに大日本児童映画協会を設立して教育映画を製作した。しかし収益が上がらないので南旺映画株式会社に拡大して東宝と配給契約を結び、一般映画も製作した。 1940年に製作された『煉瓦女工』(千葉泰樹監督)が検閲で公開不許可(1946年に公開)になるなど経営は思わしくなく、1941年には東宝の傘下となる。その時、藤本真澄が東宝から出向してくる。同年末、東宝に吸収されて解散する。 戦後1953年に『純情社員』(新東宝配給)、1954年に『少年ケニヤ』(大映配給)を製作して復活したが2作限りとなった。.

22 関係: 千葉泰樹大映少年ケニヤ岩沢庸徳今井正秀子の車掌さん空想部落煉瓦女工衆議院鷹狩藤本真澄東宝東宝映画松竹検閲成瀬巳喜男映画会社の一覧斎藤達雄新東宝日本における検閲日本の国会議員日本映画社

千葉泰樹

千葉 泰樹(ちば やすき、1910年(明治43年)6月24日 - 1985年(昭和60年)9月18日)は、日本の映画監督。.

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大映

大映株式会社(だいえい)は、.

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少年ケニヤ

『少年ケニヤ』(しょうねんケニヤ)は、山川惣治作の絵物語。また、それを原作とした派生作品。.

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岩沢庸徳

岩澤 庸徳(いわさわ つねのり、1912年2月12日 - 1970年10月3日)は、日本の映画監督、脚本家であるキネ旬, p.59.

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今井正

今井 正(いまい ただし、1912年1月8日 - 1991年11月22日)は、日本の映画監督。 戦後日本映画の左翼ヒューマニズムを代表する名匠である。東京帝国大学中退後、東宝の前身J.O.スタヂオに入り、入社2年で監督に昇進。戦後は独立プロ運動の中心人物として数多くの社会派映画を手がけた。『純愛物語』でベルリン国際映画祭銀熊賞 (監督賞)、『武士道残酷物語』で同映画祭グランプリを受賞、キネマ旬報ベスト・テンでは5本の監督作がベスト・ワンに選出されるなど、賞歴も多く作品の評価は高い。日本映画復興会議初代議長でもある。主な監督作に『青い山脈』『また逢う日まで』『真昼の暗黒』『キクとイサム』など。.

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秀子の車掌さん

『秀子の車掌さん』は、1941年に公開された南旺映画製作の日本映画。原作は井伏鱒二の『おこまさん』、脚色・演出は成瀬巳喜男、主演高峰秀子。後に数々の傑作を生み、「名コンビ」と謳われた監督:成瀬、主演:高峰の初共演作品である。.

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空想部落

『空想部落』(くうそうぶらく)は、1936年から朝日新聞の夕刊に連載された尾崎士郎の小説。翌年単行本として出版され、1939年に映画化された。作家が多く住んだことから昭和初期に馬込文士村と呼ばれた大田区馬込に暮らす作家たちの暮らしをモデルにしたフィクション。.

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煉瓦女工

『煉瓦女工』(れんがじょこう)は、野澤富美子の短編小説またはそれを表題とする短篇集、およびその映画化作品、舞台作品である。 野澤の文壇デビュー作「隣近所の十ヶ月」(『ホトゝギス』1940年4月号掲載)、表題作「煉瓦女工」(『公論』1940年5月号掲載)を含む7編を収録した同名の短編集(鈴木信太郎装幀)。1940年5月、第一公論社から刊行され、ベストセラーになった。 短編集『煉瓦女工』は八田尚之によって脚色されて、1940年に南旺映画で千葉泰樹監督により映画化された。戦後、1946年になってようやく映画が公開されたこともあり、原作が再評価されて、1947年の新教育社版、小池富美子名義の新日本文学会版(1948年)が出ている。また、1954年に奈良岡朋子の初主演で劇団民藝が舞台化した。.

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衆議院

衆議院(しゅうぎいん、House of Representatives)は、日本の立法府たる国会の議院の一つで、参議院とともにこれを構成する(日本国憲法第42条)。 1890年(明治23年)の大日本帝国憲法の施行に伴い帝国議会の一院として成立した議院であり、1947年(昭和22年)の日本国憲法の施行に伴って国会の一院として成立した。いずれも下院にあたる。.

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鷹狩

鷹狩(たかがり、falconry、)は、鷹などの鳥を使った狩猟の一種。鷹野、放鷹とも言う。タカ科のイヌワシ、オオタカ、ハイタカ、およびハヤブサ科のハヤブサ等を訓練し、鳥類や哺乳類(兎・狼・狐など)を捕らえさせ、餌とすりかえる。 こうして鷹を扱う人間は、と呼ばれる。日本語の古語においては、鷹田、放鷹、鷹野などとも称する。また、鷹を訓練する場所はと称される。.

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藤本真澄

藤本 真澄(ふじもと さねずみ、1910年7月15日 - 1979年5月2日)は、日本の映画プロデューサー。元東宝株式会社副社長、株式会社東宝映画初代社長。日本映画黄金期の名作を多数手掛けた同社看板プロデューサー。.

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東宝

東宝株式会社(とうほう)は、映画・演劇の製作配給・興行や不動産賃貸を行う日本の企業。一般には映画会社として知られる。 阪急阪神ホールディングスの持分法適用会社で、2015年現在、2つの直営演劇劇場(帝国劇場、新館シアタークリエ)を保有する。阪急阪神ホールディングス(阪急電鉄、阪神電気鉄道)、エイチ・ツー・オー リテイリング(阪急百貨店、阪神百貨店)とともに、阪急阪神東宝グループの中核企業となっている。本社は東京都千代田区有楽町一丁目2番2号。 他の阪急阪神東宝グループ同様三和グループのメンバーであるが、阪急電鉄と異なり三水会には参加せず、みどり会のみに参加している。.

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東宝映画

東寶映畫株式會社(とうほうえいが-、1937年9月10日 設立 - 1943年12月10日 合併、最高裁判所、2009年10月11日閲覧。)は、かつて東京に存在した日本の映画会社である。第二次世界大戦前に阪急資本が設立した「東宝映画配給」を含めた4社が合併して設立、わずかの間にメジャー映画会社の一角となり、東宝の前身となったことで知られる。.

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松竹

松竹株式会社(しょうちく)は、日本の映画、演劇の制作、興行、配給を手掛ける会社。歌舞伎の興行については現在ほぼ独占的に手がけている。創業は1895年で設立は1920年11月8日(帝国活動写真株式会社の設立日)である。.

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検閲

検閲(けんえつ)は、狭義には国家等の公権力が、表現物(出版物等)や言論を検査し、国家が不都合と判断したものを取り締まる行為をいう - 弁護士ドットコム(2018年5月19日閲覧)。.

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成瀬巳喜男

成瀬 巳喜男(なるせ みきお、1905年8月20日 - 1969年7月2日)は、東京府(現東京都)四谷出身の映画監督。.

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映画会社の一覧

以下は、現存する世界の映画会社の一覧。会社の実体を持たない部門やブランドなども含まれる。五十音順。.

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斎藤達雄

斎藤 達雄(さいとう たつお、1902年6月10日 - 1968年3月2日)は、日本の俳優、映画監督。 松竹蒲田撮影所に入り、独特の存在感を持つ飄々とした演技で、脇役や短篇喜劇映画の主役として多くの作品に出演した。初期の小津安二郎監督作品に欠かせない俳優でもあり、『肉体美』『会社員生活』『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』などの小津作品に主演した。戦後も貴重な脇役として活躍し、監督作も発表している。.

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新東宝

新東宝株式会社(しんとうほう)は、かつて東京に存在した日本の映画会社である。1947年(昭和22年)3月に株式会社新東宝映画製作所(-しんとうほうえいがせいさくしょ)として創業、1948年(昭和23年)4月に株式会社新東宝として設立され、1958年(昭和33年)2月に同商号に変更している、国際放映(新東宝の継承会社)公式サイト、2009年9月10日閲覧。。1961年(昭和36年)に倒産し、1964年(昭和39年)に国際放映株式会社に商号変更した。 同社が存続した1947年 - 1961年の14年間に800本以上の映画を製作。初期は文芸色が強く、ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞した『西鶴一代女』のように高く評価される作品もあった。後期は作品カラーを大きく変え、「エログロ」に代表される徹底した娯楽、大衆路線となる。 同社の倒産以降に「新東宝」を名乗る「新東宝興行株式会社」、「新東宝映画株式会社」とは別会社である。⇒ #倒産後、新東宝映画.

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日本における検閲

日本における検閲(にほんにおけるけんえつ)では、日本における検閲の歴史を述べる。 近代以降では、戦前の内務省や、連合国占領下の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)によって検閲が実施されていた。和田洋一 『人文學』87、同志社大学人文学会、1966年3月、pp.3-8参照。これと逆に、戦前の発売頒布禁止は「頒布・流布の前であって、印刷・発行の前ではない」ことを理由に事前検閲に分類する浜田純一の異説もあるが(「事前抑制の理論」芦部信喜編『講座 憲法訴訟 第2巻』有斐閣、1987年5月、p.274)、発売して書店に出た後に禁止処分を受けて回収する事が普通に見られたので歴史的事実に合致しない。同じ浜田純一が『日本大百科全書 8』(小学館、1986年3月)の の項で「形式的には事後検閲にあたるが、実質的には事前検閲と同視できる効果をもっていた」と述べた所見の方が適切である。。 --> 現在の日本において、検閲(行政による事前検閲)は日本国憲法第21条によって正式に禁止されているが、刑法175条とその適用が事実上の検閲であるとの批判もある。.

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日本の国会議員

衆議院会派別勢力図 (2017年(平成29年)10月23日現在 参議院会派別勢力図(2016年(平成28年)7月14日現在) 日本の国会議員(にほんのこっかいぎいん)では、日本国憲法下の日本の国会(衆議院・参議院)の議員について解説する。.

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日本映画社

日本映画社(にっぽんえいがしゃ)とは、昭和前期に存在した映画会社である。略称、日映。ロゴは略称をもとにした「日央日」(左右対称で、右横書きで日映と読める)。.

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