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冠山城

索引 冠山城

冠山城(かんむりやまじょう)は、岡山県岡山市下足守にあった日本の城。 足守川東岸にある標高40mほどの独立丘陵上に位置し、丘陵全てを城郭に利用していたと考えられる。 現在、最上段に本丸跡があり、城地の名残をよくとどめている。 二の丸・三の丸跡は畑地となっている。 天正10年、羽柴秀吉の高松城攻めの前哨戦で攻められ、4月25日、宇喜多勢の攻撃により、守将林重真が自害して陥落した。.

10 関係: 天正宇喜多氏岡山市岡山県備中高松城の戦い高松城 (備中国)豊臣秀吉林重真日本の城日本の城一覧

天正

天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.

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宇喜多氏

宇喜多氏(うきたうじ、うきたし)は、備前国の戦国大名。本来は、地形に由来する「浮田」姓と思われるが、嫡流は「宇喜多」(宇喜田)、庶流は「浮田」を称した。通字は代々「家」(いえ)、後に「秀」(ひで)を用いた。代々相伝の幼名は、宇喜多興家から宇喜多秀家の子・宇喜多秀規まで「八郎」が継承されている。家紋は剣片喰(剣酢漿草)、他に雨竜や亀など。近世では五七の桐や五三の桐を用いている。旗紋は兒文字と考えられているが、剣片喰や唐太鼓も散見され、兒文字は他の武将の旗紋の可能性もある。.

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岡山市

岡山市(おかやまし)は、中国地方、岡山県の南東部に位置する市。政令指定都市および同県の県庁所在地である。.

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岡山県

岡山県(おかやまけん)は、日本の都道府県のひとつ。中国地方南東部に位置し、瀬戸内海に面する県。県庁所在地は岡山市である。.

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備中高松城の戦い

備中高松城の戦い(びっちゅうたかまつじょうのたたかい)は、日本の戦国時代におきた戦い。天正10年(1582年)に織田信長の命を受けた家臣の羽柴秀吉が毛利氏配下の清水宗治の守備する備中国高松城を攻略した戦いである。秀吉は高松城を水攻めによって包囲したことから、高松城の水攻め(水責め)とも呼ばれる。 水攻めの最中に主君である織田信長が明智光秀に討たれる本能寺の変が起きた。その報を聞いた秀吉はただちに毛利方と和睦を結んで、城主清水宗治の切腹を見届けた後、明智光秀を討つために軍を姫路へ引き返した。.

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高松城 (備中国)

備中高松城水攻め堰堤跡から発掘された蛙ヶ鼻堰堤基礎部分 水攻め堰堤址(蛙ヶ鼻) 赤松之城水責之図/東京都立中央図書館所蔵 高松城(たかまつじょう)は、戦国時代、備中国高松(現・岡山県岡山市北区高松)に存在した日本の城。讃岐高松城と区別して備中高松城とも呼ばれる。羽柴秀吉による水攻めで有名である(詳細は「備中高松城の戦い」参照)。.

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豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。 初め木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、初め平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、正親町天皇から豊臣氏を賜姓された。 尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる(出自参照)。当初、今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信長の孫・三法師を擁して織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、朝廷から豊臣の姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした。天下統一後は太閤検地や刀狩令、惣無事令、石高制などの全国に及ぶ多くの政策で国内の統合を進めた。理由は諸説あるが明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没した。秀吉の死後に台頭した徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握し、豊臣家は凋落。慶長19年(1614年)から同20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。 墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城などが機知に富んだ功名立志伝として広く親しまれ、農民から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。.

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林重真

林 重真(はやし しげざね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏家臣。備中国冠山城主。父は林重明。.

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日本の城

日本の城(にっぽんのしろ・にほんのしろ)では、日本国内に築かれた城について解説する。アイヌのチャシや沖縄県および鹿児島県の奄美群島にあったグスクについても一部解説する。 姫路城(世界遺産・現存天守) 日本における城は、古代の環濠集落から石垣と天守を持つ近世の城まで多様なものが含まれる。幕末の台場や砲台も、城に含めることがある。造営は、堀や土塁を築く普請(ふしん、土木工事)と、門や塀を造る作事(さくじ、建築)からなる。屋敷や櫓・天守も作事に含まれる。 中世の城では、戦闘員である武士がおもに駐在し、その武士たちを抱える主君の武家や豪族は、城のある山とは別の場所に館を構えて居住していた。戦国時代には、主君も城内に居住するスタイルが現れ、おもな家臣たちも城内に屋敷を与えられ、その家族や日常の世話をする女性も居住した。戦国末期から近世の城郭では、外郭を築き、城下町も取り込む城も現れた。江戸時代の1615年に一国一城令が発布されるまでは、城は各地に多数存在し、砦のような小さなものも含めると数万城あったといわれる。中世・近世に、平地に築かれた館や館造りの陣屋等は城には含まないものの城郭構の陣屋や館、少しでも城に近づけて造られたものは、城とすることがある。.

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日本の城一覧

日本の城の一覧(にほんのしろのいちらん)は、日本の城(および朝鮮半島の倭城)の都道府県ごとの一覧索引である。財団法人日本城郭協会が選定した100名城の一覧については「日本100名城」を参照のこと。また、天守を主とする「画像」の一覧については、「日本の城の画像」を参照のこと。.

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