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一無、二少、三多

索引 一無、二少、三多

一無、二少、三多(いちむ、にしょう、さんた、none of one, less of two, more of three)は、池田義雄(東京慈恵会医科大学元教授)が考案した健康習慣のスローガン。一無は無煙・禁煙、二少は少食・少酒、三多は多動・多休・多接を表す。 西園寺公望は明治から昭和まで政治の中枢で活躍した政治家で、伊藤内閣で文部大臣、外務大臣、立憲政友会総裁などを務めた。西園寺は人にその健康法を問われると、少食、多動、多休、多接の「一少、三多」であると答えるのが常だった。池田義雄はそれを発展させて、喫煙、また昔から飲酒は健康障害の大きな要因であったことをふまえ「一無、二少、三多」を1991年に提唱した。 生活習慣病の予防には健康習慣の実践が重要である。基本的な健康習慣には他にもブレスロー(Breslow Lester)の7つの健康習慣、森本兼曩(もりもとかねひさ)の8つの健康習慣などがあるが、2009年5月に日本内科学会が発行する英文の医学雑誌『Internal Medicine』に掲載されたTakashi Wadaらによる論文は「日本におけるメタボリックシンドロームのリスク軽減には3つのモデルのうち池田義雄の『一無、二少、三多』が最も有用だった」と結論づけている。 1月23日は「一無、二少、三多の日」として日本記念日協会の認定記念日として制定。また、毎年2月は全国生活習慣病予防月間であり、一無、二少、三多の6つの健康習慣の中から1つを年次テーマとして全国的に様々なイベントが開催されている。健康増進、健康啓発のスローガンとしても大阪府医師会など全国の自治体や団体で使用されている。「一無、二少、三多」は商標登録済み。.

8 関係: 伊藤内閣メタボリックシンドローム生活習慣病西園寺公望池田義雄日本日本内科学会2009年

伊藤内閣

伊藤内閣(いとうないかく)は、伊藤博文を内閣総理大臣とする日本の内閣。.

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メタボリックシンドローム

メタボリックシンドローム(Metabolic syndrome)とは、内臓脂肪型肥満(内臓肥満・腹部肥満)に高血糖・高血圧・脂質異常症のうち2つ以上の症状が一度に出ている状態をいう。日本語に訳すと代謝症候群、単にメタボとも言われる。 以前よりシンドロームX、死の四重奏、インスリン抵抗性症候群、マルチプルリスクファクター症候群、内臓脂肪症候群などと呼称されてきた病態を統合整理した概念である。WHO、アメリカ合衆国、日本ではそれぞれ診断基準が異なる。.

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生活習慣病

生活習慣病(せいかつしゅうかんびょう、lifestyle disease、maladie de comportement、Zivilisationskrankheit)は、糖尿病・脂質異常症・高血圧・高尿酸血症など、生活習慣が発症原因に深く関与していると考えられている疾患の総称である。日本では、かつて加齢によって発病すると考えられたために成人病(せいじんびょう)と呼ばれたが、1980年代から若者の発症が目立つようになり、その後の調査で生活習慣が深く関与していることが判明してきた。このため、1997年頃から予防できるという認識を醸成することを目的として呼び方が変わった。 このような疾患と肥満を複合する状態を、医学的にメタボリックシンドロームと総称する。また、がん、脳血管疾患、心臓病の3大死因も生活習慣との関わりが強い。肥満はこれらの疾患になるリスクを上げる。この生活習慣とは、食事の内容、喫煙習慣、運動習慣、飲酒の習慣のことである。.

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西園寺公望

1871年〜1880年、パリ留学時代 西園寺 公望(さいおんじ きんもち、嘉永2年10月22日(1849年12月6日)グレゴリオ暦導入後、西園寺は10月23日を戸籍上の誕生日として登録している - 昭和15年(1940年)11月24日)は、日本の公家、政治家、教育者。位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。雅号は陶庵、不読、竹軒京都市北区等持院ちかくの別邸「萬介亭」の竹に因んだ号(出典: 藤井松一「西園寺公望関係文書について」『立命館大学人文科学研究所紀要(27)』p.32) 。 戊辰戦争において官軍の方面軍総督を務め、フランス留学後には伊藤博文の腹心となった。第2次伊藤内閣にて文部大臣として初入閣し外務大臣を兼任、第3次伊藤内閣でも文部大臣として入閣した。第4次伊藤内閣では班列として入閣し、内閣総理大臣の伊藤博文の病気療養中は内閣総理大臣臨時代理を務め、のちに伊藤が単独辞任すると内閣総理大臣臨時兼任を務めた。 その後、伊藤の立憲政友会の総裁に就任した。明治39年(1906年)内閣総理大臣に任じられ、第1次西園寺内閣、第2次西園寺内閣を組閣した。この時代は西園寺と桂太郎が交互に政権を担当したことから「桂園時代」と称された。その後は首相選定に参画するようになり、大正5年(1916年)に正式な元老となった。大正13年(1924年)に松方正義が死去した後は、「最後の元老」として大正天皇、昭和天皇を輔弼、実質的な首相選定者として政界に大きな影響を与えた。.

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池田義雄

池田 義雄(いけだ よしお、1935年3月29日『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.357 - )は内科学を専門とする日本の医学者。日本生活習慣病予防協会理事長、セルフメディケーション推進協議会会長、タニタ体重科学研究所所長、糖尿病治療研究会代表幹事などを務める。長野県出身。1961年に東京慈恵会医科大学を卒業、同大学講師、助教授、教授を務め、2000年に退任 東京慈恵会医科大学同窓会。医学博士。 1997年度日本肥満学会会長。厚生労働省薬事・食品衛生審議会新開発食品調査部会委員。2005年日本糖尿病学会坂口賞を梶沼宏と共同で受賞。日本糖尿病・肥満動物学会第5回平成24年後藤賞受賞。2014年度(平成26年)日本肥満学会功労賞受賞。 2011年の池田の著書『量る・計る・食べるダイエット』がトーハン調べ「2011年 年間ベストセラー」に入った。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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日本内科学会

一般社団法人 日本内科学会(にほんないかがっかい、英文名称:The Japanese Society of Internal Medicine)は、内科学に関する学理およびその応用についての研究発表、知識の交換、会員の生涯教育の奨励ならびに会員相互および内外の関連学会との連携協力を行うことにより、内科学の進歩普及を図り、もって日本の学術の発展に寄与することを目的とする日本最大の学術団体。会員数は11万人超。学会事務局を東京都文京区本郷3-28-8 日内会館ビルに置く。.

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2009年

この項目では、国際的な視点に基づいた2009年について記載する。.

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