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ヴェネツィアの獅子

索引 ヴェネツィアの獅子

ヴェネツィアの獅子(Leone di Venezia)は、イタリアの都市ヴェネツィアの象徴である「有翼の獅子(翼を持ったライオン)」のこと。9世紀、ヴェネツィア商人はアレクサンドリアにあった聖マルコの聖遺物をヴェネツィアに持ち帰った。それ以来、ヴェネツィアの守護聖人は聖マルコとされ、聖マルコを表す「有翼の獅子」もまたヴェネツィアを象徴するものとされるようになった。 12世紀頃に、ヴェネツィアのサン・マルコ広場にある円柱上に聖マルコを表す有翼の獅子像が設置された。以来、ヴェネツィアの獅子といえばこの像のことを指すことが一般的である。.

12 関係: マルコ (福音記者)ヴェネツィアヴェネツィア共和国ドゥカーレ宮殿イタリアキリキアタルススサン・マルコ広場聖マルコと聖テオドーロの円柱聖遺物9世紀

マルコ (福音記者)

福音記者マルコ(San Marco Evangelista、Mark the Evangelist)は新約聖書の『マルコによる福音書』の著者とされる人物。ギリシア語ではマルコス。マルクとも表記する。マルコスというのはギリシャ名としては一般的なものであり、また同書の中には筆者の名は直接には記されていないが、伝承は『使徒行伝』からパウロの書簡にたびたびあらわれるマルコなる人物を同一人物と考え、福音記者とみなしてきた。聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されている。カトリック教会・正教会での記念日(記憶日・聖名祝日)は4月25日(ユリウス暦を使用する正教会では5月8日に相当)。.

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ヴェネツィア

ヴェネツィア(Venezia)は、イタリア共和国北東部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約26万人の基礎自治体(コムーネ)。ヴェネト州の州都、ヴェネツィア県の県都である。ヴの表記によりベネチアと表記されることもある。 中世にはヴェネツィア共和国の首都として栄えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」などの別名をもつ。英語では「Venice」と呼ばれ、これに由来して日本語でもヴェニス、ベニスと呼ばれることもある。.

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ヴェネツィア共和国

ヴェネツィア共和国(薄赤)の領域はポー平原北部からイストリア半島、ダルマチアに及んでいた。1494年時点の状況 最も高貴な共和国ヴェネツィア(もっともこうきなきょうわこく ヴェネツィア、Serenìsima Repùblica de Venexia(Venessia)、Serenissima Repubblica di Venezia)、通称ヴェネツィア共和国(ヴェネツィアきょうわこく、、)は、現在の東北イタリアのヴェネツィアを本拠とした歴史上の国家である。7世紀末期から1797年まで1000年以上の間に亘り、歴史上最も長く続いた共和国である。「最も高貴な国」や「アドリア海の女王」とも呼ばれる。東地中海貿易によって栄えた海洋国家であった。また、信教の自由や法の支配が徹底されており、元首の息子であっても法を犯せば平等に処罰された。.

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ドゥカーレ宮殿

*ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale、Doge's Palace)。イタリア語で、総督や○○公の宮殿のこと。英語からの訳で「ドージェ宮」と呼ばれることもある。イタリア各地を中心に所在する。.

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イタリア

イタリア共和国(イタリアきょうわこく, IPA:, Repubblica Italiana)、通称イタリアは南ヨーロッパにおける単一国家、議会制共和国である。総面積は301,338平方キロメートル (km2) で、イタリアではロスティバル(lo Stivale)と称されるブーツ状の国土をしており、国土の大部分は温帯に属する。地中海性気候が農業と歴史に大きく影響している。.

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キリキア

リキア (Cilicia) は、トルコ南部にある、地中海に面した一地域の名前。地中海をへだててキプロスと向かい合い、また南東部にシリアの位置する地域である。北は、世界遺産で有名なカッパドキアと接している。キリキアは海岸沿いのチュクロワ平野と、西部のトロス山脈(タウルス山脈)をはじめとして平野部をとりかこむように広がる山地の部分とで成り立つ。聖パウロの生誕地であるタルスス(タルソス)の町があることで知られる。現在はトルコ第4の都市アダナがある。 アナトリア半島の東部および南部は険しい山地や高原が広がっているため、平野部のあるキリキアは古くから小アジアやヨーロッパと中東を結ぶ交通・貿易・戦略の要衝であった。トロス山脈には細く険しい道があり、とくに交通の重要地として「キリキアの門」と呼ばれた。ヨーロッパと中東を結ぶ中継地であるため、地政学的に言う緩衝地帯であり、古代から何度も支配者が入れ替わった地域でもある。.

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タルスス

タルスス(Tarsus)はトルコ中南部メルスィン県の都市。アダナから西へ約40km離れた地中海沿岸に位置する。古代ローマ帝国の属州キリキアの首都で、タルソス(Tarsos)とよばれていた。聖パウロの生誕の地である。.

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サン・マルコ広場

ン・マルコ広場(サン・マルコ ひろば、イタリア語:Piazza San Marco)はヴェネツィアの中心的な広場で、回廊のある建物に囲まれ、ドゥカーレ宮殿やサン・マルコ寺院などがある。ヴェネツィアの広場は方言でカンポ(campo)と呼ばれるが、サン・マルコ広場は別格であり、ピアッツァ(piazza)と呼ばれる。世界で最も美しい広場とも言われており、観光名所のほか、海からの玄関口でもある。 サン・マルコは、ヴェネツィアの守護聖人である福音記者マルコに、由来する。サン・マルコ寺院の聖堂の正面部分は柱廊に囲まれた台形になっていて、実際より奥行きがあるようにみえる。この台形広場(piazza)に、海に面したサン・マルコ小広場(Piazetta San Marco)が続いており、全体としてL字型になっている。小広場にはカナル・グランデに面して2本の円柱があり、それぞれ頂上には聖マルコを象徴する「有翼の獅子」像と、「」像がある。中世にはこの柱の間に死刑執行台を設置したため、ヴェネツィアっ子は柱の間を通り抜けないという。.

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九龙壁 竜(りゅう、りょう、たつ、龍)は、神話・伝説の生きもの。西洋のドラゴンとの違いについては当該項目参照。 旧字体では「龍」で、「竜」は「龍」の略字であるが、古字でもある。「龍」は今日でも広く用いられ、人名用漢字にも含まれている。中華人民共和国で制定された簡体字では「龙」の字体が用いられる。 英語の (や他の西洋諸語におけるこれに相当する単語)の訳語として「竜」が用いられるように、巨大な爬虫類を思わせる伝説上の生物を広く指す場合もある。さらに、恐竜をはじめとする爬虫類の種名や分類名に用いられる saurus(σαῦρος、トカゲ)の訳語としても「竜」が用いられている。このように、今日では広範な意味を持つに至っている。.

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聖マルコと聖テオドーロの円柱

聖マルコと聖テオドーロの円柱(Colonne di San Marco e San Todaro)は、イタリア ヴェネツィアのサン・マルコ広場の小広場に、カナル・グランデに面して立っている2本の円柱のことである。 または、かつてヴェネツィア共和国の影響下にあった都市に立てられた、同国の象徴としての円柱のことを指す場合もある。 それぞれ頂上には聖マルコを象徴する「有翼の獅子」像と、「」像がある。.

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聖遺物

fr)が所蔵する聖ウルスラの聖遺物。 ディジョンの宗教芸術美術館所蔵の聖ベニーニュの聖遺物。 フランスのティーレンバッハ小修道院の聖母聖堂所蔵の聖遺物。 en) の聖血。 聖遺物(せいいぶつ、Reliquiae)は、キリスト教の教派、カトリック教会において、イエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの受難にかかわるもの、また諸聖人の遺骸や遺品をいう。これらの品物は大切に保管され、日々の祭儀で用いられてきた。聖遺物のうち聖人の遺骸については、正教会での不朽体に相当する。古代から中世において、盛んに崇敬の対象となった。.

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9世紀

船葬用の船体(オスロのヴァイキング船博物館蔵)。 イングランドを襲撃するデーン人(ヴァイキング)。画像は12世紀に書かれた『聖エドマンド殉教王伝』の挿絵。 マルウィヤ・ミナレット(サーマッラーのミナレット)。アッバース朝第8代カリフのムウタスィムが建築したサーマッラーの大モスク付属の螺旋式のミナレット。 ハールーン・アッラシード。アッバース朝最盛期のカリフで、『千夜一夜物語』では夜ごとにバグダードの街に繰り出す風流な君主として描かれている。 「知恵の館(バイト・アル・ヒクマ)」。アッバース朝カリフ・マアムーンの治世にバグダードには翻訳事業や学問研究のための「知恵の館」が設置された。画像はここに集まる学者たちを描いた13世紀の細密画(フランス国立図書館蔵)。 インド最後の仏教王朝のパーラ朝。ダルマパーラ王により9世紀末に北インドの大半が支配下に置かれた。画像は9世紀に造られたパーラ様式の文殊菩薩石像(ホノルル美術館)。 敦煌文書。敦煌には3万とも4万とも数えられる膨大な古文書が収蔵されている。画像は大英博物館所蔵の「金剛般若波羅蜜経」。これは現存する世界最古の木版印刷の巻子本(書籍)で唐の懿宗の治世の868年に作成されたもの。 禁止出境展览文物でもある「八重宝函」。 密教招来。空海らによって日本に密教がもたらされ平安時代の仏教に大きな影響を与えた。画像は密教で用いる胎蔵界曼荼羅で京都東寺所蔵のもの。 応天門の変。藤原氏による他氏排斥が進んで摂関政治が確立し、律令国家体制から王朝国家体制へと政体が変化した。画像は12世紀に応天門の変の経緯を描いた「伴大納言絵詞」(出光美術館蔵)。 ラパス県の4000メートル近くの標高にある遺跡で、最盛期である9世紀には人口は1万人を越えたと想定されている。画像は半地下式方形広場で人面の装飾がなされている。 Galerie des Batailles蔵)。 ラドガにて東スラブ人と出会うヴァリャーグのリューリク一行を描いたヴィクトル・ヴァスネツォフの歴史画。 ハギア・ソフィア教会アプス半ドームにある聖母子のモザイク画。 スラブ人への宣教。東ローマ帝国出身のキュリロス・メトディオス兄弟はグラゴール文字を作成しキリスト教の宣教に努めた。画像は18-19世紀にロシアで描かれたこの兄弟のイコン(聖画像)。 プリスカ遺跡。 9世紀(きゅうせいき)は、西暦801年から西暦900年までの100年間を指す世紀。.

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