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ヴァイシェーシカ学派

索引 ヴァイシェーシカ学派

ヴァイシェーシカ学派(-がくは)はダルシャナ(インド哲学, darśana)の学派。六派哲学(ṣad darśana)の1つ。カナーダが書いたとされる『ヴァイシェーシカ・スートラ』を根本経典とする。一種の自然哲学と見なされることもある。 『ヴァイシェーシカ・スートラ』では、全存在を6種のカテゴリーから説明する。言葉は実在に対応しており、カテゴリーは思惟の形式ではなく客観的なものであるとする。 カテゴリーは実体・属性・運動・特殊・普遍・内属の6種である。.

5 関係: アートマンインド哲学カナーダ六派哲学自然哲学

アートマン

アートマン(आत्मन् Ātman)は、ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我とも訳される。.

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インド哲学

インド哲学(インドてつがく、darsana、ダルシャナ)は、哲学の中でもインドを中心に発達した哲学で、特に古代インドを起源にするものをいう。インドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく、インド哲学の元になる書物は宗教聖典でもある。インドの宗教にも哲学的でない範囲も広くあるので、インドの宗教が全てインド哲学であるわけではない。しかし、伝統的に宗教的な人々は哲学的な議論をしてその宗教性を磨いている伝統がある。 古来の伝統と思われる宗教会議が現在も各地で頻繁に行われている様子で、会議では時には宗派を別にする著名な人々が宗教的な議論を行う。これは数万人の観衆を前にして行われることもあり、白熱した議論が数日にかけて、勝敗が明らかになるまで行われることもある。この場合、判定をする人物がいるわけではなく、議論をする当人が議論の成行きをみて、自らの負けを認める形を取るようである。 インドの宗教、哲学はこのような伝統の中で磨かれたものと思われる。 インド哲学の研究、特にインド仏教学(チベット仏教学も内包する)では、第二次世界大戦前にはドイツがリードしていたが、現代では日本の学会が世界の研究をリードしている。.

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カナーダ

ナーダ(Kaṇāda)は、ヒンドゥー教の聖人で、ヴァイシェーシカ学派を創始した哲学者である。ヴァイシェーシカ・スートラ(Vaiśeṣika sūtra)の編纂者。異名として、カナブジュ(Kaṇabhuj)、カナバクシャ(Kaṇabakṣa)があるが、カナーダと同様、これらは「原子を食べるもの」を意味する。ふくろうを意味するウルーカ(ulūka)というあだ名も持つ。 2つの原子による複合体(Dvyaṇuka)と3つの原子による複合体(Tryaṇuka)について言及した。恐らく紀元前2世紀頃の人であると考えられているが、紀元前6世紀に生きたとする文献もある。グジャラート州のPrabhas Kshetraで生まれたと信じられている。 彼の主な研究領域は、ある種の錬金術(Rasavāda)とされる。また彼は、Gurutva(重力)は地球上で物体が落下する原因になっていると理論化した。 多くの人は、カナーダは原子論の概念の考案者であると信じている。彼が手に食物を持って歩いていた時にこの説を閃いたという話も伝えられている。彼は手の中の食物を齧って小片を遠くに投げた時に、彼はこれ以上細かく食物を分けることはできず、それ以上分割不可能な物体が存在するというアイデアに至ったとされる。彼はこの分割不可能な物体をアヌ(Aṇu)即ち原子と呼んだ。 ヴァイシェーシカ学派の彼の支持者は、原子を破壊できず永遠なものと考えた。また彼らは原子は裸眼で見ることが出来ないほど小さなもので、一瞬のうちに生成したり消滅したりすると信じた。このインド独自の原子の概念はギリシア-ローマの原子論とは独立に、そして恐らく先行して発展した。インド哲学における原子論は、個人的な経験や実験ではなく純粋な論理に基づくものとして、非常に抽象的、包括的な概念であった。 作家のDilip M. Salwiは、「カナーダのスートラ(経文)を分析すると、彼の原子論は後にギリシアのレウキッポスやデモクリトスが考えたものよりも遙かに進んでいることが分かる」と述べている。.

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六派哲学

六派哲学(ろっぱてつがく、Ṣad-darśana )はダルシャナ(darśana、日本ではインド哲学と訳す)のうち、ヴェーダの権威を認める6つの有力な正統学派の総称。インドでは最も正統的な古典的ダルシャナとされてきた。.

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自然哲学

自然哲学(しぜんてつがく、羅:philosophia naturalis)とは、自然の事象や生起についての体系的理解および理論的考察の総称であり、自然を総合的・統一的に解釈し説明しようとする形而上学である「自然哲学 physica; philosophia naturalis」『ブリタニカ国際大百科事典」。自然学(羅:physica)と呼ばれた。自然、すなわちありとあらゆるものごとのnature(本性、自然 英・仏: nature、Natur)に関する哲学である。しかし同時に人間の本性の分析を含むこともあり、神学、形而上学、心理学、道徳哲学をも含む。自然哲学の一面として、自然魔術(羅:magia naturalis)がある。自然哲学は、学問の各分野の間においても宇宙の様々な局面の間でも、事物が相互に結ばれているという感覚を特徴とする。 現在では、「自然科学」とほぼ同義語として限定された意味で用いられることもあるが、その範囲と意図はもっと広大である。「自然哲学」は、主にルネサンス以降の近代自然科学の確立期から19世紀初頭までの間の諸考察を指すといったほうが良いだろう。自然哲学的な観点が、より専門化・細分化された狭い「科学的な」観点に徐々に取って代わられるのは、19世紀になってからである。 自然哲学の探求者の多くは宗教的な人間であり、抑圧的な宗教者と科学者の戦いという図式ではなかった。世界は「自然という書物」であり、神のメッセージだと考えられていたのである。ヨーロッパでは近代まで、ほとんど全ての科学思想家はキリスト教を信じ実践しており、神学的真実と科学的真実の間の相互連結に疑いはなかった。ジョンズ・ホプキンス大学教授は、科学の探求に無神論的な視点が必要であるという考え方は、20世紀に作られた神話にすぎないと指摘している。.

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