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ワサッチ山脈

索引 ワサッチ山脈

ワサッチ山脈(ワサッチさんみゃく)とはアメリカ合衆国のアイダホ州、ワイオミング州南部からユタ州中央にかけて南北に伸びる山脈。ロッキー山脈の西の端、グレートベースンの東の端である。名前はこの地域のネイティブアメリカンの部族の名前からつけられている。 ユタ州の人口の85%はこの山脈の15マイル以内に住んでおり、ワサッチフロントと呼ばれる。ユタ州の州都ソルトレイクシティがこの山脈とグレートソルト湖の間に位置する。 山脈の南端、ニーファイ付近に最高峰ネボ山がある。他にはオリンポス山、Mount Timpanogosなどがある。 19世紀中頃には、カリフォルニアへの移民が利用するカリフォルニア・トレイルの短絡路として提案されたヘイスティングズ・カットオフが本山脈を越えるルートとなっていた。このワサッチ山脈を越える短絡路を使用した移民団に、大半の隊員の餓死・カニバリズムといった悲劇で知られるドナー隊がいる。.

18 関係: 山脈山脈と山地の一覧ネイティブ・アメリカンユタ州ロッキー山脈ワイオミング州ヘイスティングズ・カットオフドナー隊アメリカ合衆国アイダホ州カリフォルニア州カリフォルニア・トレイルカニバリズムグレートベースングレートソルト湖ソルトレイクシティ部族19世紀

山脈

アルプス山脈の衛星写真 山脈(さんみゃく)とは、低地の間に挟まれる、細長く連続的に伸びる山地のことである。一般的に山脈は他の山脈と峠や川で分けられている。.

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山脈と山地の一覧

山脈と山地の一覧(さんみゃくとさんちのいちらん)は、世界の山脈と山地の一覧である。.

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ネイティブ・アメリカン

ネイティブ・アメリカン(Native American ネイティヴ・アメリカン)とは、アメリカ合衆国の先住民族の総称である。1492年にヨーロッパ系白人が現在の北米地域に到達する以前に、現地に居住していた民族を総称していう。この集団のアイデンティティ形成には、地域文脈、居住地域における同胞民族の存在、ネイティブアメリカン特別保留地との距離等の要素が関連する。2013年現在、連邦政府が認める部族集団は566、州政府レベルではさらに70の集団が存在するといわれる。.

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ユタ州

ユタ州(State of Utah )は、アメリカ合衆国西部にある州である。合衆国には1896年1月4日に45番目の州として加盟した。州の北はアイダホ州とワイオミング州に接し、東側はコロラド州に、西側はネバダ州に、南側はアリゾナ州に接している。南東の隅はフォー・コーナーズと呼ばれる4つの州がその角を接するポイントであり、ここでニューメキシコ州とも接していることになる。夏時間を実施している。 州都および最大都市はソルトレイクシティであり、州人口2,763,885人(2010年国勢調査)の約80%はソルトレイク市を中心とするワサッチフロントと呼ばれる地域に住んでいる。このために州内の大半の地域にはほとんど人が住んでおらず、ユタ州は国内で6番目に都市集中が進んだ州となっている。 「ユタ」の名は、この地に先住するインディアン部族、ユテ族(「山の民」の意)に因む。.

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ロッキー山脈

ッキー山脈(ロッキーさんみゃく、Rocky Mountains、Rockies、Montagnes Rocheuses 、Rocheuses)は、北アメリカ大陸西部を北西から南東に走る山脈である。 一口に「ロッキー山脈」と言っても実際は複数の山地を連ねた山系で、北は北緯60度に近いカナダ・ブリティッシュコロンビア州最北部から、南は東京23区とほぼ同緯度に位置するアメリカ合衆国ニューメキシコ州の州都サンタフェの近くまで、その長さは4,800kmを超える。 地質学的には、この山脈は褶曲運動により形成された褶曲山脈である。同山脈はアンデス山脈や日本列島などと共に環太平洋火山帯に属している。 山脈の最高峰はアメリカ合衆国コロラド州のエルバート山(4,401m)である。「カナディアン・ロッキー」(Canadian Rockies、Rocheuses canadiennes)と呼ばれるカナダ領内では、ブリティッシュコロンビア州とアルバータ州の州境にそびえるロブソン山(3,954m)が最も高い。 全域にわたって植生や生態系が豊かで、手つかずの自然が残されている地帯も多く、国立公園や世界遺産に登録されている自然遺産も多い。.

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ワイオミング州

ワイオミング州(State of Wyoming )は、アメリカ合衆国西部の山岳地域にある州である。 州都はシャイアン市。陸地面積は全米50州の中で第10位だが、人口は563,626人(2010年国勢調査).

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ヘイスティングズ・カットオフ

ヘイスティングズ・カットオフ (Hastings Cutoff)は、アメリカ合衆国の西部開拓時代において、カリフォルニアへの移民が使用するルートとしてカリフォルニア・トレイルに代わって提案されたものである。現在のワイオミング州ウインタ郡のからユタ州を通り、最終的にネバダ州エルコ郡へと至る道である。現在はほぼ全線において道は残っておらず廃道となっている。 このルートは、が、著書『オレゴン・カリフォルニア移民への手引書(原題:The Emigrant's Guide to Oregon and California)』で提案した。西部開拓時代の悲劇で知られるドナー隊が、ヘイスティングズ・カットオフを利用したことで知られる。.

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ドナー隊

ドナー隊(ドナーたい、Donner Party)、あるいはドナー=リード隊 (Donner-Reed Party) とは、1846年5月にアメリカの東部からカリフォルニアを目指して出発した開拓民のグループである。様々な事件や誤りのために旅程は大幅に遅れ、1846年〜1847年の冬をシエラネバダ山脈で雪に閉ざされて過ごすこととなった。開拓民の一部は生存のため人肉食に及んだ。 この当時、アメリカ西部への幌馬車による旅は通常4〜6ヶ月を要した。しかしドナー隊はユタ州のワサッチ山脈とグレートソルトレイク沙漠を横断するヘイスティングスの近道と呼ばれる新ルートを選択した結果、大幅な遅れを出すことになった。荒れた地形と、今日のネバダ州内に当る沿いの旅程で遭遇した様々な困難のために、多数の家畜と幌馬車が失われ、グループ内にも分裂が生じた。 1846年11月初頭、一行はシエラネバダ山脈に差し掛かる。しかし早い冬の訪れに伴う大雪に見舞われ、高地に位置するトラッキー湖(今日の)付近で雪に閉ざされてしまう。やがて著しい食料不足に陥り、12月半ばの時点で幾人かは救けを求めて徒歩で出発した。カリフォルニアから救援が出発したが、救助隊によるドナー隊の発見は1847年2月半ばまで遅れ、この間一行が遭難してから殆ど4か月が経っていた。結局一行87人のうち、生きてカリフォルニアに着いたのは48人であり、多数が生存のため人肉を食べていた。 歴史家は、これをカリフォルニア史と西部開拓史における最も奇怪で耳目を引く悲劇的事件の一つとしている。.

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アメリカ合衆国

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、50の州および連邦区から成る連邦共和国である。アメリカ本土の48州およびワシントンD.C.は、カナダとメキシコの間の北アメリカ中央に位置する。アラスカ州は北アメリカ北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡をはさんでロシアと国境を接している。ハワイ州は中部太平洋における島嶼群である。同国は、太平洋およびカリブに5つの有人の海外領土および9つの無人の海外領土を有する。985万平方キロメートル (km2) の総面積は世界第3位または第4位、3億1千7百万人の人口は世界第3位である。同国は世界で最も民族的に多様かつ多文化な国の1つであり、これは多くの国からの大規模な移住の産物とされているAdams, J.Q.;Strother-Adams, Pearlie (2001).

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アイダホ州

アイダホ州(State of Idaho )は、アメリカ合衆国北西部のロッキー山脈にある州である。州の北はカナダ国境(ブリティッシュコロンビア州)に接し、東はモンタナ州とワイオミング州に、西はワシントン州とオレゴン州に、南はネバダ州とユタ州に接している内陸の州である。 州の大部分が山岳地帯の州であり、面積では全米50州の中で14位、ニューイングランドの面積よりも広い。農業と共に林業、鉱業が盛んである。近年は自然を活かした観光業なども州の大きな収入源になっている。コロンビア川とスネーク川のダムや閘門が整備されたことで、州東端にあるルイストン市は大陸アメリカ合衆国の太平洋岸から最も内陸にある海港になっている。 州都および最大都市はボイシである。 2010年国勢調査に拠れば、州人口は1,567,582人である。アイダホ州の愛称は「宝石の州」であり、ほとんどあらゆる種類の宝石が州内で見つかっている。さらに、スター・ガーネットが見つかった世界で2か所しかない場所の1つであり(もう1つはパキスタンとインドのヒマラヤ山脈)、六角スター・ガーネットが見つかったのはここだけである。また「ジャガイモの州(Potato State)」と呼ばれることもある。州のモットーはラテン語のEsto Perpetua (不滅ならんことを)である。.

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カリフォルニア州

リフォルニア州(State of California、Estado de California、中:加利福尼亚州、加州)は、アメリカ合衆国西部、太平洋岸の州。アメリカ西海岸の大部分を占める。州都は、サクラメントである。.

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カリフォルニア・トレイル

リフォルニア・トレイル(英:California Trail)は、北アメリカ大陸の西半分を越える全長約2,000マイル (3,200 km) の移民が通った山越えの主要路であり、ミシシッピ川の町から現在のカリフォルニア州に至るものである。主に1841年から1869年まで使われた。東からはオレゴン・トレイルやモルモン・トレイルと同じ経路や様々な川の流域を辿り、現在のアイダホ州、ワイオミング州あるいはユタ州からは南西に分かれて、ハンボルト川流域に至る道を辿った。現在のネバダ州グレートベースンを横切る経路の大半は、あらゆる旅人にとって必要だった水、草および焚きつけを得るためにハンボルト川流域にそって進んだ。ネバダ州西部やカリフォルニア州東部に出れば、開拓者達は岩の多いシエラネバダ山脈を越える幾つかの道を通り、カリフォルニア州西部の金鉱地、開拓地および都市に入っていった。 この道を1849年より前に利用したのは約2,700人だった。これらの開拓者は1846年と1847年にジョン・C・フレモントのカリフォルニア大隊の一員として、カリフォルニアをアメリカ合衆国の領土に変える時の推進者になった。1845年までにこの地域にはカリフォルニオと呼ばれる非先住民がおり、約1,500人の成人男子と約6,500人の女性子供で構成され、ロサンジェルス周辺の現在のカリフォルニア州南部に大半が住んでいた。移民の大半(ほとんど全員が成人男性)はカリフォルニアの北半分に住んだ。1845年にメキシコからカリフォルニアの支配権をもぎ取っていたカリフォルニオとの間に、1847年1月14日にカフエンガ条約が調印された時、カリフォルニアにおける小さな武装抵抗が終わった。米墨戦争を終わらせた1848年2月のグアダルーペ・イダルゴ条約により、カリフォルニアはメキシコから有償でアメリカ合衆国領に変えられた。1848年1月に金が発見された後は、カリフォルニア・ゴールドラッシュに関する噂が急速に広まった。1848年後半からは、25万人を越える事業家、農夫、開拓者および鉱山労働者達がカリフォルニア・トレイルを越えてカリフォルニアに到来した。その通行者が大変多かったので、2年も経たないうちにパナマ地峡を経てあるいはホーン岬を回って海路訪れる者達を合わせると、1850年までにカリフォルニアが合衆国31番目の州に昇格できるだけの住人が集まった。 カリフォルニア・トレイルの経路は、1829年頃から1840年にかけて、キット・カーソンやジョセフ・レッドフォード・ウォーカー、ジェデディア・スミスなどのアメリカ人毛皮交易業者、さらにはピーター・スキーン・オグデンに率いられたハドソン湾会社の罠猟師達によって部分的に発見されていた。1841年から1844年の間には、ハンボルト川(当時はメアリーズ川と呼ばれた)沿いやシエラネバダ越えの使用できるものの荒々しい馬車道が、カリフォルニアに向かう開拓者達によって切り開かれた。1869年に最初の大陸横断鉄道が開通するまで、特に夏季にこの道は大いに利用された。当初の道には多くの枝道や短絡路が存在し、これらを合わせると約5,500マイル (8,800 km) にも及んだ。これらの道の中で約1,000マイル (1,600 km) は轍が残っており、カンザス州、ネブラスカ州、ワイオミング州、アイダホ州、ユタ州、ネバダ州及びカリフォルニア州に跨り、大量に西部への移民が進んだ歴史的証拠になっている。現在この道の一部は「カリフォルニア国定歴史の道」として、土地管理局やアメリカ合衆国国立公園局によって保存されており、これらの局および多くの州の「オレゴン・カリフォルニア・トレイル協会」組織によって道標が立てられている。.

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カニバリズム

1557年にブラジルで行われたカニバリズムを描いた絵画 カニバリズム(cannibalism)とは、人間が人間の肉を食べる行動、あるいは習慣をいう。食人、食人俗、人肉嗜食、アントロポファジー(anthropophagy)ともいう。 文化人類学における「食人俗」は、社会的制度的に認められた慣習や風習を指し、一時的な飢餓による緊急避難的な食人や精神異常による食人は含まない吉岡(1989)pp255-257。また、生物学では種内捕食(いわゆる「共食い」)全般を指す。 転じて、マーケティングにおいて自社の製品やブランド同士が一つの市場で競合する状況や、また、航空機や自動車の保守で(特に部品の製造が終了し、入手困難である場合に)他の同型機から部品を外して修理に充てることなどもカニバリズム(共食い整備)と呼ぶ。.

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グレートベースン

レートベースン(Great Basin)は、アメリカ合衆国のロッキー山脈とシエラネバダ山脈の間にある地形学的に広い乾燥した地域。「大いなる盆地」を意味する地名で、海へ注ぐ川はない。地形学、地質学、地理学的には、メキシコ中部太平洋側まで延びる更に広域なベイスン・アンド・レンジの北端部に位置している。 面積はおよそ50万km2で、ネバダ州の大部分とユタ州の半分以上、カリフォルニア州、アイダホ州、オレゴン州、ワイオミング州の一部を含む。グレートベースンは一つの盆地ではなく、隣接した分水界の集まりであり、西はサクラメント川・サンワーキン川とクラマス川の分水界、北はコロンビア川・スネーク川の分水界、南と東はコロラド川・グリーン川の分水界である。 グレートベースンに含まれる分水界は.

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グレートソルト湖

グレートソルト湖(グレートソルトこ、Great Salt Lake)は、アメリカ合衆国ユタ州の北部にある塩水湖。南にはオカー山脈があり、更新世には巨大な淡水湖ボンネビル湖の一部だった。大塩湖(だいえんこ)と表記されることもある。 湖には、以下の3つの河川が注ぎ込んでいる。すなわちユインタ山地に端を発し北東から注ぐベア川、同じくユインタ山地から東側に注ぐウィーバー川、そしてユタ湖から南東部に注ぐジョルダン川である。流れ出す河川はなく、塩分濃度が海水よりも高い。動物はアルテミアと呼ばれる節足動物しか生息せず、湖畔には「海水」浴場がある。1903年、湖を東西に横切る木橋が開通し(ルーシン短絡線)、アメリカ大陸横断鉄道が通っている。その後木橋は廃止され、1950年代に築堤が建設された。そのため、南北で塩分濃度が異なる。北西部は川が流れ込んでいないため平均より湖水の塩分濃度が高い。ベア川の河口部は淡水湖に近い区画がある。 湖の東側、ワサッチ山脈の間にユタ州の州都でもあるソルトレイクシティがあり、北および西側には人口密集地がない。 湖内にはアンテロープ島、スタンスベリー島、フリモント島といった島がある。 Category:内陸湖 Category:塩湖 Category:ユタ州の湖 Category:グレイト・ベイスン.

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ソルトレイクシティ

ルトレイクシティ(Salt Lake City)は、アメリカ合衆国のユタ州の州都。同州の最大都市で、市内の人口は190,884人(2014年推計)であるが、周辺地域を含めた都市圏の人口は1,153,340人(2014年推計)におよぶ。末日聖徒イエス・キリスト教会が築いた宗教都市であり、同教の本部が置かれている。ロッキー山脈の西部にあたる州の北部に位置し、西部高原地域の経済・文化の中心地となっている。2002年には冬季オリンピック(ソルトレイクシティオリンピック)が開催された。.

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部族

部族(ぶぞく、tribe)とは、民族や氏族と同様に、同一の出自や歴史的背景を持ち、共通の文化や言語、価値観の上で共同生活を営むとされる集団の単位のこと。主に近代的民族概念と異なる社会形態をもつとされる集団に対して用いられる。.

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19世紀

19世紀に君臨した大英帝国。 19世紀(じゅうきゅうせいき)は、西暦1801年から西暦1900年までの100年間を指す世紀。.

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