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ロスアルトス (中央アメリカ)

索引 ロスアルトス (中央アメリカ)

ロス・アルトス (Estado de Los Altos)は、1830年代に中央アメリカ連邦共和国の6番目の州(Estado)として加わった中央アメリカの一地域。首都はケツァルテナンゴで、現在のグアテマラ西部、それにメキシコ・チアパス州の一部を占める位置にあった。ロス・アルトスとは、スペイン語で「高地」を意味する。 ロス・アルトスは元々、ケツァルテナンゴおよび中央アメリカ西部の諸地域とグアテマラシティとの政治的な対立と緊張によって生まれた。グアテマラからの分離を目指す議論は、中央アメリカのスペインからの1821年の独立直後から始まっている。州の分離は1824年11月の連邦政府議会により決定されたが、グアテマラシティからは分離方針に対し大きな反対の声があった。 グアテマラからのロス・アルトスの独立は1838年2月2日に正式に公布された。連邦政府はロス・アルトスを連邦の6番目の構成国とし、同年6月5日には連邦議会にロス・アルトス代表の席を用意した。ロス・アルトスの国旗は連邦の国旗を変形させたもので、中央に火山とケツァール(この地域を代表する鳥で、自由の象徴)を配したものだった。ケツァールを国旗に配した例はこれが初めてのことだった。1871年からはグアテマラの国旗にも現われる。 連邦が内戦状態に陥いると、ロス・アルトスは独立共和国となることを宣言した。1840年、ケツァルテナンゴおよびロス・アルトスの大部分がグアテマラのラファエル・カレーラ(Rafael Carrera)軍の手に落ちた。同年4月2日、ロス・アルトス政府指導部の大半が捕まり、カレーラの命令により処刑された。混乱した状態をついて、連邦の一部であった現在のチアパス州東部の地域はメキシコが編入した。 1844年、1848年、1849年と、カレーラ独裁政権に対する反乱が相次いで起き、ロス・アルトスの再独立を宣言したが、すぐに鎮圧された。 今日でもこの地域は独自性を保っており、「ロス・アルトス」はケツァルテナンゴ周辺を表現するグアテマラの通称となっている。同様に、メキシコでもかつてこの国の一部となっていた地域は「チアパス州ロス・アルトス」と呼ばれている。 Category:グアテマラの歴史 Category:メキシコの政治史 Category:中央アメリカ Category:かつて存在した北アメリカの国家 Category:1838年に成立した国家・領域 Category:1840年に廃止された国家・領域.

28 関係: 中央アメリカ中央アメリカ連邦共和国チアパス州メキシコラファエル・カレーラグアテマラグアテマラの国旗グアテマラシティケツァルテナンゴケツァールスペインスペイン語内戦国旗火山自由1821年1824年1830年代1838年1840年1844年1848年1849年1871年2月2日4月2日6月5日

中央アメリカ

紫:グアテマラ 緑:ベリーズ 茶:エルサルバドル 青:ホンジュラス 黄:ニカラグア 赤:コスタリカ 桃:パナマ 中央アメリカ(América central.、Central America.)は、中米(ちゅうべい)ともいい、アメリカ州を、北・中・南に分類した場合の北アメリカと南アメリカをつなぐ地峡部でグアテマラ、ベリーズ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマの7か国からなる地域である。地理的にはメキシコのテワンテペック地峡からパナマ地峡までである 。この場合はメキシコの南部諸州が中央アメリカへ含まれ、パナマの南部が中央アメリカに含まれないことになる。 域内7ヶ国の総人口は約4千2百万人(2009年推定)で総面積は52.4万平方キロメートル(日本の約1.4倍)である。 アメリカ州を南北に2分した場合は中央アメリカは北アメリカに含まれる。 上記の範囲を拡大し、中央アメリカにメキシコおよびカリブ海諸国を含めた中央アメリカ州(または中部アメリカ 、Middle America)という定義もある。これにはさらにコロンビア、ベネズエラを含める場合もある。.

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中央アメリカ連邦共和国

中央アメリカ連邦共和国(ちゅうおうアメリカれんぽうきょうわこく、República Federal de Centro América)は、1823年から1839年まで中央アメリカに存在した国家。独立当初の首都はグアテマラ市。1834年にサンサルバドルに遷都。 この国家はアメリカ合衆国をモデルとして建国された。1823年から1824年の間、「」(Provincias Unidas del Centro de América)という名称だったが、1824年から「中央アメリカ連邦共和国」(República Federal de Centro América)という名称で呼ばれている。英語ではしばしば "United States of Central America'" と呼ばれる。 中央アメリカ連邦共和国は、スペイン植民地時代に中央アメリカにおけるヌエバ・エスパーニャ副王領の下位行政組織だったを構成していたグアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカから構成され、独立に際してチアパスのみはメキシコに帰属することを選択した。1830年代に第6の構成国、ロスアルトスが加わった。ロスアルトスの首都はケツァルテナンゴ(現グアテマラ領)であった。ロスアルトスは、現在のグアテマラの西部と、メキシコのチアパス州を占めていた。1838年から1840年に内戦があり、連邦はそのために崩壊した。.

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チアパス州

チアパス州 (Estado de Chiapas) は、メキシコ南東に位置する州。北はタバスコ州、北西はベラクルス州に接し、西はオアハカ州、東は一部ウスマシンタ川が境界となってグアテマラに接する。南部は太平洋に面する。日本では「チャパス州」と表記されることも多い。 チアパス州の領域は73,887km2(28,528平方マイル)。2010年国勢調査で人口は4,793,406人。 州都はトゥストラ・グティエレス。 チアパス州の住民の多くは貧しい農民である。人口のおよそ3分の1はマヤ・インディオで地方住民の多くはスペイン語を話せない。州の住民の多くが栄養失調に苦しみ、その数は人口の40%以上と推測される。 先古典期後期のイサパ遺跡がある。オルメカ文明とマヤ文明の橋渡し的な役割をになったと注目された。最古の長期暦を刻んだ石碑2号で知られるチャパ・デ・コルソは、州の名称の由来にもなった。マヤ文明の壮麗な宮殿とパカル王の王墓で知られるパレンケ遺跡があり、世界遺産に登録されている。アステカ時代はソコヌスコと呼ばれた。 州章には、チアパス州の主要な観光資源であるスミデロ峡谷と峡谷を流れるグリハルバ川を図案化したものが使用されている。.

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メキシコ

メキシコ合衆国(メキシコがっしゅうこく、)、通称メキシコは、北アメリカ南部に位置する連邦共和制国家。北にアメリカ合衆国と南東にグアテマラ、ベリーズと国境を接し、西は太平洋、東はメキシコ湾とカリブ海に面する。首都はメキシコシティ。メキシコの総人口は約1億3千万人(2016年時点)で、スペイン語圏においては最も人口の多い国で、GDPは中南米2位である。しかし、人口の40%が貧困層である。.

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ラファエル・カレーラ

ラファエル・カレーラ(José Rafael Carrera Turcios,1814年10月24日 - 1865年4月14日)は、グアテマラの政治家、軍人。保守派のメスティーソのカウディージョでグアテマラの初代大統領に就任後、独裁政治をおこなった。 グアテマラ市の貧困地区で生まれ、正式な教育を受けることはなく軍隊に入り1829年に除隊後、季節労働者となる。当時のグアテマラは中米連邦に加わりマリアーノ・ガルべス政権はグアテマラ大司教の追放や教会財産の没収など自由主義的な政策を行い、1834年に首都も保守主義派の牙城だったグアテマラ市から自由主義派の牙城だったサンサルバドルに遷都していた。1837年にコレラが流行すると、保守主義者はコレラが自由主義者による陰謀だという噂を流し、これを扇動した司祭たちがインディオやメスティーソを動員した大衆蜂起にカレーラも加わりすぐに指導的地位に就く。この反乱は教会、保守派、農民の支持され自由主義派と戦い1838年に勝利した。 1839年に独立国となったグアテマラを完全に支配し強力な保守統治を行った。しかし、1947年に起きた洪水を契機とする反乱で翌年、辞任しメキシコに亡命するが教会と地主の要望で帰国し内戦を経て1854年には終身大統領に就任。 教会は植民地時代の特権を回復し、教義に沿った公教育が行われた。政治経済では、大土地所有者に有利な経済基盤整備に加担しインディヘナに対しては人頭税を廃止したが、着任当初、共有地の返還と保護を部分的に進めたものの保護制度は確立せず、彼自身も次第に白人エリート的生活様式に同化し、結局クリオージョ支配に準じた政治体制に回帰した結果になった。国外では、1953年と1954にエル・サルバドルとホンジュラスの自由主義政府を転覆させ保守主義体制を確立させ、1856年のウィリアム・ウォーカーとの戦争の際には他国と同調してグアテマラを中米連合軍の一員に加えた。 1865年に病死し以後、グアテマラでの保守派の支配が終焉にむかった。.

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グアテマラ

アテマラ共和国(グアテマラきょうわこく、)、通称グアテマラは、中央アメリカ北部に位置する共和制国家である。北にメキシコ、北東にベリーズ、東にホンジュラス、南東にエルサルバドルと国境を接しており、北東はカリブ海に、南は太平洋に面する。首都はグアテマラ市。 先コロンブス期にはマヤ文明が栄え、現在も国民の過半数はマヤ系のインディヘナであり、メキシコを除いた中央アメリカで最も人口の多い国である。経済的にはエルサルバドルと共に中央アメリカの中位グループに属するが、1960年から1996年まで続いたグアテマラ内戦により治安や政治においてグアテマラ社会は未だに不安定な状態にある。.

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グアテマラの国旗

アテマラの国旗(Flag of Guatemala)は空色と白で主に構成されている。空色は国が太平洋と大西洋二つの海に挟まれていることを表している。そして中央の白は国の純粋さの象徴として使われている。 白地が2つの青で挟まれたストライプは元々中米連邦の国旗であった。グアテマラの国旗ではストライプを縦向きにして使用している。 中央に描かれているのは自由の象徴である鳥のケツァールで、中央アメリカ諸国が1821年9月12日にスペインから独立を宣言したことの象徴である。中央で十字になっている小銃はグアテマラを守るためには戦争をも辞さない意志を表し、オリーブの輪が平和を表している。 ファイル:Civil Ensign of Guatemala.svg|市民用旗および海上旗 Flag of the President of Guatemala.svg|大統領旗.

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グアテマラシティ

ラ・ヌエバ・グアテマラ・デ・ラ・アスンシオン(La Nueva Guatemala de la Asunción)は、グアテマラの首都かつ最大の都市。都市名はスペイン語で「聖母被昇天の新グアテマラ」を意味するが、通例は単にグアテマラと呼ばれ、国名と区別する場合は「市」に相当する単語を付けてシウダ・デ・グアテマラ とも呼ばれる。日本では英語名のグアテマラシティ()と呼ばれるのが一般的で、日本国外務省の各国・地域情勢でも首都は「グアテマラシティー」と記載されている。 グアテマラシティは中央アメリカ屈指の世界都市であり、人口は200万人(都市圏では450万人)を上回るほどと推定される。グアテマラの中央部の南にある谷に位置しており、ときに空気が濃縮され、大気汚染がおこる。.

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ケツァルテナンゴ

ツァルテナンゴ(Quetzaltenango)はグアテマラ南部の内陸の都市。グアテマラシティについでグアテマラ第二の人口をもち、ケツァルテナンゴ県の県都である。.

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ケツァール

ツァール (スペイン語・英語 quetzal、ナワトル語 quetzalli) は、鳥類キヌバネドリ科の一種である。学名 。カザリキヌバネドリの和名もある。 鮮やかな色彩をもつ美しい鳥として知られている。.

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スペイン

ペイン王国(スペインおうこく、Reino de España)、通称スペインは、南ヨーロッパのイベリア半島に位置し、同半島の大部分を占める立憲君主制国家。西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランス、アンドラと国境を接し、飛地のセウタ、メリリャではモロッコと陸上国境を接する。本土以外に、西地中海のバレアレス諸島や、大西洋のカナリア諸島、北アフリカのセウタとメリリャ、アルボラン海のアルボラン島を領有している。首都はマドリード。.

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スペイン語

ペイン語(スペインご、)もしくはカスティーリャ語(カスティーリャご、)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語。略して西語とも書く。.

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内戦

内戦(ないせん。英語:civil war)とは、国家の領域内で対立した勢力によって起こる、政府と非政府の組織間の武力紛争を指す。.

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国旗

国旗(こっき、National flag)は、国家を象徴する旗のこと。学校、議会、裁判所や国際的な会議などの公的行事や公的機関で掲揚され、またその国の国民によっても掲揚される。また船舶や軍隊の所属を表すことにも使用される。国家的な弔意を示す場合にはこれを半旗または弔旗にする。 世界地図上に国旗を表示した図。(領域は実効支配領域).

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火山

火山(かざん、)は、地殻の深部にあったマグマが地表または水中に噴出することによってできる、特徴的な地形をいう。文字通りの山だけでなく、カルデラのような凹地形も火山と呼ぶ。火山の地下にはマグマがあり、そこからマグマが上昇して地表に出る現象が噴火である。噴火には、様々な様式(タイプ)があり、火山噴出物の成分や火山噴出物の量によってもその様式は異なっている。 火山の噴火はしばしば人間社会に壊滅的な打撃を与えてきたため、記録や伝承に残されることが多い。 は、ローマ神話で火と冶金と鍛治の神ウルカヌス(ギリシア神話ではヘーパイストス)に由来し、16世紀のイタリア語で または と使われていたものが、ヨーロッパ諸国語に入った。このウルカヌス(英語読みではヴァルカン)は、イタリアのエトナ火山の下に冶金場をもつと信じられていた。シチリア島近くのヴルカーノ島の名も、これに由来する。日本で の訳として「火山」の語が広く用いられるようになったのは、明治以降である。.

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自由

自由(じゆう)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。哲学用語。.

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1821年

記載なし。

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1824年

記載なし。

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1830年代

1830年代(せんはっぴゃくさんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1830年から1839年までの10年間を指す十年紀。.

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1838年

記載なし。

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1840年

記載なし。

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1844年

記載なし。

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1848年

記載なし。

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1849年

記載なし。

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1871年

記載なし。

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2月2日

2月2日(にがつふつか)は、グレゴリオ暦で年始から33日目に当たり、年末まであと332日(閏年では333日)ある。.

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4月2日

4月2日(しがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から92日目(閏年では93日目)にあたり、年末まであと273日ある。誕生花はコデマリ、デイジー。.

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6月5日

6月5日(ろくがついつか)はグレゴリオ暦で年始から156日目(閏年では157日目)にあたり、年末まであと209日ある。誕生花はハマナス、シラン。.

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