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マラーノ

索引 マラーノ

マラーノ(marrano)は、スペイン語で豚、もしくは汚らしい人を示す言葉。歴史的な用語としては、かつてスペインにおいて、コンベルソと呼ばれたキリスト教に改宗したユダヤ人を侮蔑的にマラーノと呼ぶことがあった。 コンベルソについて、詳しくは「コンベルソ」を参照。.

5 関係: ユダヤ人コンベルソスペインスペイン語新キリスト教徒

ユダヤ人

ユダヤ人(יהודים、Jews、Djudios、ייִדן)は、ユダヤ教の信者(宗教集団)、あるいはユダヤ人を親に持つ者(血統)によって構成される宗教的民族集団である。 ムスリムやクリスチャンと同じで、ユダヤ人という人種・血統的民族が有る訳では無い。ヨーロッパでは19世紀中頃まで主として前者の捉え方がなされていたが、近代的国民国家が成立してからは後者の捉え方が広まった。ハラーハーでは、ユダヤ人の母親から生まれた者、あるいは正式な手続きを経てユダヤ教に入信した者がユダヤ人であると規定されている。2010年現在の調査では、全世界に1340万を超えるユダヤ人が存在する。民族独自の国家としてイスラエルがあるほか、各国に移民が生活している。ヘブライ人やセム人と表記されることもある。 ユダヤ人はディアスポラ以降、世界各地で共同体を形成し、固有の宗教や歴史を有する少数派のエスニック集団として定着した。しかし、それらを総体的に歴史と文化を共有する一つの民族として分類することはできない。言語の面をみても、イディッシュ語の話者もいればラディーノ語の話者もいる。歴史的にはユダヤ人とはユダヤ教徒のことであったが、現状では国籍、言語、人種の枠を超えた、一つの尺度だけでは定義しえない文化的集団としか言いようのないものとなっている。 で追加された記述だが、出典が示されていない。古代のイスラエル人やセファルディムは(いわゆる「白人」ではないものの)主にコーカソイドのはずで、これを単に「有色人種」と説明するのは誤りではないにしても誤解を招きかねず、不適切であろう。また、アシュケナジムをハザール人と関連づけるのは(当該記事の記述によれば)諸説があり、広く受け入れられている説ではない。 「古代のイスラエル人は有色人種で、12支族の1支族ユダ族のユダヤ人は有色人種セファルディムで、白系ユダヤ人アシュケナジム(ヘブライ語でドイツを意味する)は8世紀頃、ハザール人のユダヤ教への改宗によって、ユダヤ人を名乗った。」 -->.

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コンベルソ

ンベルソ(converso)は、スペイン語でユダヤ教からキリスト教への改宗者を指す。.

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スペイン

ペイン王国(スペインおうこく、Reino de España)、通称スペインは、南ヨーロッパのイベリア半島に位置し、同半島の大部分を占める立憲君主制国家。西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランス、アンドラと国境を接し、飛地のセウタ、メリリャではモロッコと陸上国境を接する。本土以外に、西地中海のバレアレス諸島や、大西洋のカナリア諸島、北アフリカのセウタとメリリャ、アルボラン海のアルボラン島を領有している。首都はマドリード。.

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スペイン語

ペイン語(スペインご、)もしくはカスティーリャ語(カスティーリャご、)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語。略して西語とも書く。.

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新キリスト教徒

新キリスト教徒(西語:cristianos nuevos、葡語:cristãos novos)とは、イベリア半島の歴史用語。「古くからのキリスト教徒」(西語:cristianos viejos、葡語:cristãos velhos)と区別するために、レコンキスタ達成後にカトリックに改宗したユダヤ人やムーア人について用いる。「新キリスト教徒」は、単に「コンベルソ(改宗者)」と呼ばれることもあれば、「マラーノ(豚)」と蔑称されることもあった。 中世を通じて何度か改宗がみられた。手短に言えば、物質的・経済的な結果や、社会的な抑圧や圧力のためであった。14世紀にユダヤ人に対する抑圧が加速し、このため1391年にセビリアなどの都市で暴動を見るに至った。暴動の結果ユダヤ人街が取り壊され、多くの改宗者を生んだ。この風潮は15世紀まで続いた。スペインの諸王国とは異なり、ポルトガルは暴動の波にさほど巻き込まれなかった。ポルトガルで新キリスト教徒の人口が急増するのは、1497年の強制改宗令の後である。 イベリア半島からのユダヤ教徒追放(1492年スペイン、1497年ポルトガル)の結果、イベリア半島におけるすべてのユダヤ人人口は、公式的にはキリスト教徒として数えられた。新キリスト教徒は、常に背教の疑いを向けられていた。1478年のスペイン異端審問と、1536年のポルトガル異端審問のそれぞれの開始は、「異端との戦いの必要性」によって正当化された。新キリスト教徒は密かに以前の信仰を実践していると信じられたからなのだが、実際たいていのユダヤ人は隠れユダヤ教徒だった。 「血の純化」(西語:limpieza de sangre、葡語:limpeza de sangue)と呼ばれた民族浄化政策とそのイデオロギーは、新キリスト教徒を社会から抹殺する施策であり、改宗者としてどれほどの信仰であるかは考慮されなかった。ポルトガルにおいて、法律による新旧のキリスト教徒の差別が終わるのは、1722年にポンバル侯によって法令が発布されてからだった。.

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